金押箔です。
漆を塗った木地に金箔を置いて、それを綿で押すところから、金押箔というようです。

金箔の製造はほぼ100%が金沢で行われています。
日本の箔は金約94%に銀と微量の銅の合金をたたきのばして製造され、その厚さは0.0001ミリ程度だそうです。
ヨーロッパのモノはそれからするとけた違いに厚いのだそうです。

作っているのは仏像の後背でしょうかね。
細かな細工がしてありますから、左手にある綿の塊で押してなじませるのでしょう。

金箔は紙に張り付いていますから、その紙を幅7,8ミリ幅の帯状に裁断して、その紙から少しずつ箔をはがしながら、置いていきます。
0.0001ミリの厚さのモノでも重なりが多ければ厚く、少なければ薄くなって均一ではなくなりますから、凹凸ができないように慎重に置いていきます。
この目と手指の姿を見れば、如何に神経を使っているかがわかります。

こういう時に白黒で撮るかカラーで撮るか迷いますね。

もう一つ迷うのが被写界深度です。

この時は、ひどい視力になっている目を酷使しながらマニュアルでピントをあてていますが、 やはりオートフォーカスでは限界があります。
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- 2021/04/30(金) 00:00:02|
- 工芸
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こうしたピアノの存在もまた貴重ですよね。
願わくばここに、フルートやギターをもってもう一人二人、初めしての人が集まればなおいいと思います。
日本では演奏する人、聴く人に二分されっぱなしのことが多いようです。聴く人もただ「静聴」するだけでは、未だしではないでしょうか。

だから演奏する人も周囲の人を巻き込む選曲をあまりしませんし、そういう曲を習うことはお稽古の中には入っていないというのが今のところの現状じゃないかな。
皆がクラシックの名ピアニストになる訳じゃないので、もっと共感性の高い楽曲の選択、演奏の仕方を教え、学ぶ文化が大事じゃないでしょうか。

ヤマハ音楽教室とか河合ピアノ教室とか・・・・ピアノの購買を促すという点での普及のための手段ではあったでしょうが、それで演奏経験者を多数創り出し、又演奏上達者の雇用を生んだという点などで貢献するところは大きかったんでしょうね。
演奏経験があれば聞く耳も育って、良い音楽を求める層の厚みにもなるでしょうし。
ま、私の机上の想像通りにはいっていないような気もしないではないですが。

この人のように上手い人がふっと現れると楽しい驚きがありますね。

先ほどは若いカップルが来て、女の子に促された男の子がずいぶん派手な指慣らしをしていきました。
こういうのもかっこいいなあと思いますが。

コミックにもいろいろ中高生の優秀な演奏者を描いたものがありますね。
「のだめカンタービレ」だとか「四月は君の嘘」だとか・・・・。
やはりこれも時代ですね。 いいと思います。

私の最近の知人に、退職してからサックスをやりライブまでする先輩がいます。
やはり一念発起は大切です。

写真は写真で掛け替えのない良さがありますが、なんか音楽には負けるなあという感じがします。
個人の感想ですが。
- 2021/04/29(木) 00:20:05|
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浪人生として京都に出てきたときに、初めてプロテスト・ソングとしてのフォークを耳にしたのです。それにはかなり新鮮な衝撃がありました。
「山谷ブルース」「自衛隊に入ろう」「イムジン川」「手紙」「戦争は知らない」などなど。
・・・・・私の社会観とはだいぶ違いましたが・・・・
ですから、フォークについては随分、晩生でした。

学生になるとそうしたフォークも第二次安保闘争後の学生運動の「挫折」・・・・それは全体の挫折でないことは大いに強調しておきたいものですが・・・・し、変質を遂げてテレビで流せるものに変わっていったのだと思います。
男である自分の髪が肩まで伸びたら結婚しようだとか、銭湯に行った帰りの石鹸のケースがカタコト鳴ってなって髪が冷たく冷えただとか、そう言うイジイジしたというか、もう社会にかかわらないような極々私小説的な情緒的なしょぼくれたものに転落していったように思います。
でも、いまフォークソングを振り返るテレビ番組はこのころ以後のモノしか取り上げないで60年代は無視しているような感じです。

まあ、そう言ったことはさて置いて、とにかく当時のラジオや集会、コンパ、などなどではもうやたらと歌が歌われて、ゼミの合宿や委員会合宿などの移動車中でも必ずギターの2台や3台はあって歌集があって、フォークの数々が労働歌とともにうたわれたものです。
だからこのころのサウンドはもう体の奥にまで届いているわけで・・・・・。

こうして聞かせてもらうと、やはり足が止まります。
それにしてもこのお二人。会社の同期なんだそうで、入社以来のお付き合いだとか。
素晴らしい!! どういうお仕事かは知りませんが、同期入社で50半ばまでこうして一緒に休みの日にギターを弾いてともにうたう仲を続けているなんて、追ってもレアなことじゃないでしょうか。
お互い素晴らしいお人柄なんだろうと思います。 多分それは10数年も前の世代のフォークを楽しめる感性が底にあるからじゃないかと思います。

ここで時々、こうした楽しい時間を過ごしているというのですが、私のこの10年は何だったんでしょうねぇ。
何千回もこの鴨川を上流から下流へ、下流から上流へと走ってきたのに、まだまだこういう「初めまして」の方々がおられるのです。
160万人の都市は、手強い。 考えてみれば私がこの10年の間に撮らせていただいた人は入学して卒業していった学生たちをたくさん含めての1700人です。ですから、会っていない人が圧倒的に多いのは当たり前と言えば当たり前なのです。

これからどんな道の人たちに会えるかと思うと、さらにワクワクしますね。
COVID-19の広がりが抑えられ、ワクチンが行き届き、治療薬が開発・普及すれば、もっともっと多くの人たちに出会えますね。
- 2021/04/28(水) 00:00:05|
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対岸から見ると・・・視力の怪しい私の目には・・・若者がギターを楽しんでいるように見えました。
確かに私よりはずっとずっと「若者」ではありますが・・・・。

聞いていると懐かしいサウンドです。 フォークですね。
お話を伺うと、’70年代のフォークがお好きだということで、リアル世代の私が喜びそうな曲を演奏してくれました。

自分を振り返ってみれば、この人たちの年代、つまり、50代半ばというのはまだまだ、この私でも、声が出ましたね。
にしても高い音までのびやかにきれいに出されているということは、普段からよく歌っているのでしょうし「時にはライブもしてるんですか?」と訊きたくなるうまさでした。

そこまではしないけれどもこうしてよく歌っているとのことです。

それぞれの世代には、その背中を見て育つ先輩の世代があります。
この人たちは学年で二回りあまり上の世代を見ていたのですね。 そしてフォークを愛したのです。
ギターもかなり古いもののようです。

映画に「青春デンデケデケデケ」というのがありますが、ご存知でしょうか。
その主人公が中学卒業後の春休みにラジオから流れてきた「ザ・ベンチャーズの曲「パイプライン」に衝撃を受け、高校に入ったらロックバンドを結成しようと決意」した同じころ、私は山崎謙著の『弁証法的な見方と考え方―予見の論理学』にかじりついていたのでした。

ベンチャーズは中学生の頃に触れて友人たちとともに私もはアコースティックギターで「デケデケデケ・・・」とやっていたものです。
私としては清水の舞台から飛び降りて買ったベンチャーズのLP版は赤い色の第2集でした。 多分、学生になって誰かに貸してそれっきりなんだと思います。
しかし、深夜放送を聞かない(正しくは知らなかった)私はフォークソングにはなじみはあまりありませんでした。
多分60年代フォークは都市の若者のモノだったんじゃないでしょうか。それはいわゆる学生運動が都市のモノであったのと同じように。
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- 2021/04/27(火) 00:00:06|
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時々ここに来て弾いているそうです。
京都駅のピアノも知っておられて「そちらにも時々・・・。」

私が行った時に弾いていたのはショパンの曲でした。
かばんには数冊のスコア集が入っていました。

曲を弾くのも楽しいのは勿論だけれど、声をかけてくれる人がいて、「皆さん良い人で、仲良くなてっテニスに誘ってくれる人もいましたよ。」とのこと。
それもまた楽しみだそうです。そうでしょうねぇ。
ただたまに、こんな図々しいお邪魔の仕方をする人間が現れますが。 いえ、私の事です。

私は撮影をお願いするときに、しつこくお願いしない、説得しないを原則としています。
最初お願いした時には「どうしようかな、お断りしようかな。」という空気のお返事だったのです。
でもこの方の服の模様にト音記号を見つけて、「やはり音楽がお好きなんですね。そんな方はぜひ撮りたいですね。」とやんわりもう一押しして見ましたら、「いえこの服はたまたまなんですよ。」とおっしゃりながらOKしてくれました。

若い時に一通りの練習曲はやったそうで、ブランクはあるけれど「今は楽しもうと思って。ピアノを弾く理由はいろいろよ。と。
その通りですよね。写真だってプロになろうとするばかりが道ではないし、みんなが芸術を目指さなくてはならないわけではないですよね。
でも、キチンとした練習を積んだ人、音楽性を追求した事のあるひとは高いレベルで楽しめるものです。
写真も同じです。

ここを辞した後で若い方の写真の個展を見ました。
写真の学校を出て、二人のプロの下で働いたことがあるそうです。
確かな写真でした。 白黒で撮ったストリートの写真ですが、「昭和」な空気感のあるいい写真でした。
いい狙い方をする青年でした。 度々鴨川で撮っているんだそうで、これまで遭遇しなかったのが不思議です。
まあ、撮ろうとする者には注意を払うけれども、大概カメラを持った人については、撮るという想定外に置くものですからね。

音楽、殊に楽器演奏は、人生を豊かにしますね。
私はこうしてブログに記事を書きながら写真をアップするときに、何か曲を聞いていることが多いのですが、写っている人たちの人生を考えて何かグッとくることがあります。
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- 2021/04/26(月) 00:00:02|
- 音楽
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胸に付けているシロクマは七宝の作品です。
よく見えないかもしれませんが白クマの足には金箔が施してあります。
こういう良い発色の白が出るのは七宝だからこそですね。

ライオンの方は知人の作品だそうです。
私がこの人を見つけたのは、もう何年前になるんでしょうか。
9年前? いや、10年になるのかなあ。

その時の印象が、こんなに華奢な指で、金属を加工して工芸をして、職人として働いているということのギャップでした。
今でも華奢な指をしていますが、そこはやはり職人ですから、意外に手指の筋肉はついているのです。
小指から手首にかけての筋肉などはなかなかのものです。
その筋肉を見せようとしているのでも、写真撮影はお断りです、と言っているのでもないのです。

工芸の世界が置かれている心配な状況について話し合っています。

実際工芸の多くのジャンルで衰退が急で、「日本の伝統的な」などという枕詞を付けて紹介されれても、そう言う衰退に歯止めをかけるような施策は、大きく立ち遅れています。
あっちでもこっちでも「絶滅危惧種」になっている工芸分野や、そのための道具作りや素材作りの担い手が消えています。
もはや「絶滅『危惧』種」でさえなくて、絶滅確定種になっているものが少なくないのです。

彼女が長年使ってきた釉薬も生産終了になってしまったとのことです。
似たようなものがあってそれに転換せざるを得ないのでしょうが、その性質を我が物として使いこなすためにはまた長い時間と工夫が必要になります。

彼女のような若い世代の人が伝統的な工芸を継承していこうと覚悟を決めていても、それを支える条件が周囲から次第に崩れていけば・・・・・不安がよぎります。
七宝というものが好きで愛好し、求めてくれる人もいるし、又興味をもって見てくれる人もいるので、しっかり受け継いでいこうとしているのですが。

私にはこうして「注目」していくしか支援の方法はないのですが。
- 2021/04/25(日) 00:00:04|
- 工芸
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昨日の京都盆地も穏やかな日和でした。
感染を用心して、自転車で走る道も、できるだけ人影のない路地を見つけて・・・です。
ただ通り過ぎるだけの・・・・・しかし、意識のどこかでわずかな期待を持ちながら・・・・つもりの商店街。
そこには、しばらく前から閉じていたギャラリー・アーティスロングがあります。そこに差し掛かると意外にも、その窓から光が漏れていて看板も出ていました。
おや?再開したのかなと足を踏み入れました。
開催されていたのは『隗楠・賀蘭 漆 二人展』。
京都市立芸術大学で漆工を学ぶ中国人作家の二人展でした。隗楠(Wei Nan)さんは革や布を用いた作品。素材の性質を探求し造形的な美を求める立体。賀蘭(He Lan)さんは現代社会の人間を見つめる平面と、同様な問題意識を持った人体をモチーフにした立体を展示していました。
中国からの留学生と聞いては、私には特別の思い入れがありますから、一段と念入りに見て回りました。
お二人の作品展は「2021.4.20(火曜日)〜5.4(火曜日) 月曜日休廊 12:00〜19:00まで 最終日 17:00まで」の予定だそうです。
その後5月11日から16日までは同じ市芸の漆工のお二人 河合桂さんと 堀口史帆さん の展示があるようです。
緊急事態宣言が出されたタイミングですので流動的ですが、又見に出かけたいと思います。
写真は前半分が賀蘭さんの作品。あと半分が隗楠さんの作品。
展示の期間中ですので敢えて繰り上げてのポスティングです。





以上が賀蘭さんの作品とご本人






以上が隗楠さんの作品とご本人
モノ撮りは本当に難しい。
- 2021/04/24(土) 13:00:05|
- 工芸
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今年、果たして「京都ファインダー倶楽部」の写真展を開くことができるかどうか。そして私の個展をすることができるかどうか。
それは大問題です。
今までにもこの仏師の高橋さんの写真でやりたいと思てきていて、いい写真になったなあというものもなくはなかったのです。
でも、まだまだ追求したいのですね。

ただこの「追求」というのが、私にとてって「へたな鉄砲」式のものでしかないところが致命的ですね。
写真は偶然の奇跡的な遭遇を待つしかないという面があり、それは、それができる条件が成熟しないでは撮れないし、また既に通り過ぎているのかもしれないということで、なんとも、頼りない事なんですが。

ただ私にとって幸運なことは、高橋さんが撮られることを「仕方がないなあ。」と諦めてくれていることです。
この日も、ちょっと席をはずしていた高橋さんが戻ってきてくれて、一礼してあいさつした直後には、私はカメラを取り出していました。

途中でタイミングを見て、少しばかりの雑談を交わします。
が、高橋さんはもっぱら制作に専念しますし、私は私で撮ることに集中します。
私は一人「うっ、ふむ、そうか、う~ん まだか」などとうめきながら撮ります。

高橋さんは、そんな私を意に介さずに・・・・。
私がふとあることに気付いて「そのぶつぞうは・・・・。」などと尋ねれば、自然にいろいろ教えてくれますが、そこからまたお互いに自分の世界に戻っていきます。
私はこの人の仕事を目撃しているだけなんですが、それはとても楽しい時間なのです。

こんなことは、そう誰にでもできることではないですからね。
半年に一度か二度の、会話です。
そして、「今年は何とかしたい。」と私の希望を伝えてあるのです。ただ「今年」が1,2年延びていますが。

あるベテランたちの写真展を見て(×)、その後、高校生の部活の校外写真展を見て(〇)、自分の証明として、今年こそはという思いが生まれているのです。
SARES-Cov2なんかに負けないぞう。
- 2021/04/24(土) 00:00:04|
- 工芸
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京都写真美術館のHPから写真展についての記事を一部割愛して引用します。
「 三田崇博 写真展「Pray for Myanmar」 2021/04/20 ~ 2021/05/02 ※最終日17時まで
京都写真美術館 ギャラリー・ジャパネスク
現在クーデターにより混乱のさなかにあるミャンマー。
私はスー・チー氏が国家顧問に就任する前年の2015年から毎年この国を訪れています。
この5年ほどの間に著しく経済発展し、町の様子はどんどん変わっていきましたが、この国にはまだまだ古き良き文化がたくさん残っています。
本展示では、主にミャンマーで行われている伝統行事を中心に、スー・チー氏が国家顧問に就任した2016年から2017年に撮影した写真で構成しています。
私の第二の母国であるミャンマーに、一日でも早く平穏な日々が訪れるよう願いを込めて。
・・・・・・・・・
私がたまたまこの会場を訪ねた時には、NHKが取材に来ていました。 他のマスコミも来ているようです。

この写真展自体はSARES-Cov2が広がる前に計画され、そして昨年延期になったものです。
ですからクーデターに対してどうこうという趣旨で計画されたものではありませんが、この中に「祈り」の写真を組み込むことで、切実に平和なミャンマー、自由な民主的なミャンマーを取り戻したいという展示になっています。

実を言えば、このブログ記事は少しばかり先まで予約投稿になっています。が、この展示の期間を考慮して、敢えて同じ日に予約したものと並べて二度投稿という形にしました。
皆さんの中に、・・・・緊急事態宣言が発出されようというタイミングなんですが・・・・・見に出かける条件のある方がおられれば、と思ったからです。

三田氏は世界文化遺産を撮ることを意識して世界を回っていたのですが、ミャンマーに行った時に、深く感動して、その地で生涯の連れ添いまで見つけてきたという経歴の方です。

ここ京都写真部術館では、私も2年前に個展をさせていただいていますので、スタッフがそのように紹介してくれて、打ち解けてお話しすることができました。 いえ、決してファーストネームで呼び合うなどということはありませんでしたが。
奥に見える写真が、直接「祈り」を写したもので、右手の壁にも三人のごく若い僧侶がそれぞれ火の点いている蝋燭を両手で包むようにして持ち祈りのこもった眼差しをした写真があります。

これらの写真は「和紙」にプリントされています。
写真は鮮やかなカラーなのですが、しかし、その色自体の鮮やかさが浮いたものにならない落ち着きがあります。
紙の選択も大切なんですね。
それでテレビカメラのカメラマンが「黒がすっきり出なくて、何かもやっとした感じになる。細かい光の粒も見えるし・・・・。」と苦闘していました。
それで、さすがに映像の人ですから、この点も伝えたいなあと言い出すのですが、取材記者の女性(この人は有能感あふれる人で、こういう場でなければ撮りたいところでしたが。)は、ちょっとそこまでは話が広がり過ぎるし・・とダメ出しをしていました。
私もその紙の話には大いに興味がありますし話に参加していました。が、彼女のダメ出しは、実に妥当なものだと思いました。
ムービーかスチールかは別として、撮像好きな男3人の脱線に「まったく、もう!」と思っていたことでしょう。

わたしが三田氏を写真とともに撮りたいとお願いすると、氏は即座にお連れを呼びました。 おお素晴らしい!!
盛会でありますように・・とは、残念ながら、言いにくいけれど、彼の仕事が励まされますように。

#ミャンマー
#三田崇博
#京都写真美術館
#祈り
- 2021/04/23(金) 12:00:01|
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私は小学生の時の音楽会でこのアコーディオンにてこずったことがありました。
第一、鍵盤などというものに触ることのなかった私は、同級生がなぜ楽譜を覚えて、それを鍵盤で演奏できるのか、皆目わかりませんでした。
それで実に惨めな演奏となったわけです。

合奏でしたから、大いに派手に誤魔化しましたけれど、惨めでしたし、自信を失いましたね。
小学校時代はクラスで成績が良かったり、しっかりしていると思われるものは「指揮」をするのが通常だったように思います。
そして暮らしぶりの良い、家庭に教養・文化がある家のお嬢さんがピアノを弾く。小さなころからピアノのお稽古に行っているんですね。
わたしは、3年生くらいから毎年、指揮をして楽器演奏をしていません。それが最終学年でアコーディオンの担当に。
私はその後、こういう風に先生に使われるとろくなことにならないなあと、教育の在り方に大いに不満をもったものでした。

それにしても友人たちがずいぶん「努力」して弾けるようになっているということについてその努力の仕方がまるでわからなかったのです。そのことがついに高校生になって多くの同級生に成績で抜かれる運命の始まりだったのです。
問題が解けるかどうかというより、色々覚えるかという事より、どういうことが「努力」なのかを知ることの方が、ずっと大切なことだと知りました。それを教育すべきですね。 と、そんなことはさて置いて・・・・。

足を踏み鳴らしてリズムを撮っているのですが、その足音がアコーディオンの音によく似あいます。
これもまた鴨川の一状景です。


私にとって鴨川は未知の人との出会いの場です。
そしてそこで人生のほんのわずかな切片を見せていただくのです。
- 2021/04/23(金) 00:00:03|
- 音楽
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なんとなく哀愁を交えたそれでいて庶民的なというか、生活に根差したというか、ただしかしそこに明るさも含んだ音。
アコーディオンです。
リードを震わせて鳴らすのはハモニカと原理は同じですね。

きれいな色の楽器です。
メーカーでは二色出していて、こちらを選んだんだそうです。
私は初めこの方に向かって右手背後から聞いていましたので気づきませんでした。

鍵盤式ではないのですね。
演奏している曲からはヨーロッパの田舎の村で農閑期にもようされる集まりに、人々が輪を描いてダンスする状景が思い浮かびます。

アイリッシュ・パブに集まって楽しく演奏したり語り合うのがお好きなようです。
そう言う場に参加したいためにアコーディオンを演奏しているみたいなものだと言います。 いいな、その感覚。

私が好きなアイリッシュパブがあって、そこのクラフトビールとフィッシュアンドチップスやソーセージの盛り合わせが楽しみでした。
調理人は英個人でした。
京都在住の外国人のたまり場にもなっていて、客の半数以上が外国人なんてこともありましした。
でもその店は経営者が代ってしまって料理もまるで違うものになってしまい、ただの居酒屋?に。
それですっかり行かなくなりました。

1950年代に作られたアコーディオンの音がお好きだそうで、このアコーディオンもわざわざ手に入れたモノ。
- 2021/04/22(木) 00:00:02|
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クラシック・ピアニストもjazzプレーヤーも・・・・ライブができなくて困っています。
私は昨年10月から11月にかけて写真の個展をしましたが、行政から支援金を受けました。その会場となったギャラリーのオーナーが、自分のところで作品展をした作家のために行政の新しい制度を活用して支援金を請求してくれたのです。
それで確かに作品制作費などについて一部助かりました。市民の皆さんにもオーナーにも感謝です。

でも、そもそのライブコンサートや作品展ができなかった人にはそういう制度は手が届きません。
芸術、芸能の分野の人は喘いでいます。

芸術・芸能は観る人、聴く人がいてこそのものですから、人が集まれないというのは決定的に困りますね。
私は、モニター越しというのはあくまで一時、避難でしかないと思っています。
私がこうしたブログやFBで写真を公開していても是非とも個展を続けようと思うのはそう言う気持ちがあるからです。

こうした場所の制約でマスクを外せないのが残念ですね。
「良い縁ができましたから演奏会の予定はまた知らせます。」と言っていただけました。その時にはぜひマスクなしで演奏する彼を撮りたいと思います。

こちら側から撮るとどうしても非常ベルが写り込みますし、その下にある掲示もまたはいります。
ピアノやこの人の体で隠したりする芸も限界があります。
今度、額に入った絵か、私自身の写真を持ってきて一時的にあそこにかけましょうか。
でも非常ベルを隠したら重い罪になるんでしょうねぇ。大目玉を食らう羽目になるかもしれません。
それでもやはり何か工夫したいなあ。

ピアノの上は黄砂ですかね。
ここの管理がどのように行われているか、古畑任三郎氏はすぐに理解するでしょうね。
- 2021/04/21(水) 00:00:03|
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以前にも紹介しましたように京都駅ビルにはグランドピアノが置かれています。
この日私がエスカレーターで上がっていくと、既にピノの音が響いていました。しかも、うん、これは?!という音が。
その音の正体がこの人、ビスコ・マルオノさん。

この日の夜に北区のとあるお店でライブ演奏をするのだそうで、「指慣らし」を兼ねての演奏。

ここでは一人が10分ほどで交代しなくてはなりませんので、いったん休憩。
その時に話しかけて事情を伺いました。
プロの方では撮影をお願いできませんね!?と言いますと「事務所に籍は置いていますが、そう言う縛りはありませんのでどうぞ。」と受け入れてくれました。

以前にも書きましたが素敵な女性を撮った後で、その人がモデル事務所に所属したばかりに、過去の写真も公表ができないと言われて、私の写真は10年後まで日の目を見ませんでした。
そんなことがあるので「プロ」と聞くと、表現は悪いですが「羹に懲りる」態になってしまうのです。
まあ、プロに限らずやはり肖像権はちゃんと尊重する必要は、今日、ますます、ありますが。

お話していると、「私も音楽好きで、いい演奏を聞かせてもらいました。」と初老の男性が近づいてきました。
聞くと長距離ドライーバーだったそうで今は近くを回っているが、何時も車内で音楽を楽しんでいるとのことでした。
音楽愛好家は多いものです。

ここのピアノは結構多くの方が利用しているようで、この人の次には、先日このブログで紹介した方が弾かれました。
演奏が終わる時点でご挨拶をと思ったのですが、次の予定が決まっていたので、残念ながら声もかけないままに・・・・。
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- 2021/04/20(火) 00:00:12|
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この日は京都市美術館に行ってきました。
呼びかけ人のFB記事には
「京都市美術館で亰展が始まりました。
京都アートカウンシル会員作家たちの展覧会です。
京都市美術館は、桜咲く木屋町と先斗町をつなぐ細い路地にある立誠ビルの4階です。
間違えて岡崎の方には行かはりませんよう、おたのもうします。」とあります。
岡崎には元京都市立美術館があり、それが今では、京セラが命名権を取得して、2019年から京都市京セラ美術館になっています。

市立美術館でありながら特定の企業の名を冠するということはただ単に名前という形式にとどまらない影響を及ぼすことは容易に推察できます。
今のオリンピックも・・・・これは、民と公の合作ではありますが・・・麗しい理念を掲げての聖火リレーの前を大音量を流し若い女性が大勢で手を振るコカ・コーラやトヨタ自動車の大型バスがいきます。その後を静かな聖火リレーが付いていくという姿。
金を出すものが口を出す、それが資本主義の、ちょっと気を許せば露呈する姿です。

芸術も思想の一表現形式です。それが民間企業の利益に従属する美術館運営となってゆがめられることを心配して命名権の販売を止めるように多くの芸術家などが署名を集めましたが、及びませんでした。
斯くいう私も芸術家ではないですが、署名しました。
それで京都市美術館は地上から姿を消しました。

それで篤志の方が自ら「京都市美術館」を始めました。
それが何と木屋町通りの三条と四条のちょうど中間くらいのところにあるのです。
多くの人は京都市美術館と言えば「岡崎のあれですね。」ということになります。そこで先の呼びかけ人の文章になるわけです。

初めて足を踏み入れましたが、お留守番がこの方でした。
出展者には何人か知人もいるのですが、この方は未知の方でした。
なかなかユニークな経歴の方で、リタイア後に布製の袋≒巾着用のモノを作ったり、ミニチュアの和箪笥などを作ったりするのだそうで、今回はその和箪笥の出品です。
長く名古屋のお住まいだったらしいのですが、10年ほど以前、京都に。

少年のころから写真も撮っていて一時は両の手の指を超えるほどの台数を所持していたという事です。
そんな人にレンズを向けることになってつい腰が引けます・・・・ということは最近は少なくなってきたかな。
最初の二枚は私自身がホワイトバランスを調整しています。あとのカラー写真はAWです。
この方は「今ではもうカメラが何でもやってしまうので面白くないし、もう飽きたので写真は止めた。」そうです。
ちょっと分からないではありません。
と言っても私は止めませんし、ますます面白いのですが、他の人の写真を見るとあまりに鮮やかになってしまったり特定の色が際立ってしまったりして、つまらない写真を見ることが増えてきています。
やれるからやる、新奇な面白さがあって何かすごいように思ってやってしまう傾向があります。

私も何も触らないわけではありません。
フォワイトバランスも調整しているのだし、それをカメラ任せにもしているのです。
でもそれで絵をダメにしているなあと感じるものが散見されるのです。
その一方でスマフォで撮れば、誰でも失敗なく?きれいに撮れるのですから、本気になって取り組む遊びではなくなりますよね。
カメラは2台ほど残して後は処分。いえ、娘さんが何台か受け継いで楽しんでおられるとのことです。いい写真を撮っているとのこと。
父親譲りなんでしょうね。
- 2021/04/19(月) 00:00:01|
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人を前にして、あるいは人の前に立ってでしょうか、写真を撮るのはやはりなかなか奥が深い行為のように感じられます。
一心に仕事をしている人は、どこかに逃げてはいきませんし、飛んだり跳ねたりもしません。ですからファインダーのフレームに入れて「はい、パチリ」・・・・・それにしてもなぜシャッターの音はパチリなんでしょうね。パチリなんて音のするカメラは我が家には一台もありませんが・・・と写せばいいという訳にはいきません。
さて職人さんは何か所用で席をはずしているようです。ですが、今日の私のお目当てですから帰ってくるのを待ちます。
コテを熱する電熱器のスイッチは入ったままですので、もう間もなく帰ってこられるはずです。
刑事コロンボでなくともコナン君でなくとも分かります。

何か事務所に用事でもあったようで・・・。
「蒼樹さん、お待ち遠さまでした。」と、私が待っているのを知っておられたようです。 その上「蒼樹さん」と私の名をご存知です。
実はこの方は今までにも撮らせていただいたことがあり、その写真をグループ展で展示させてもらったこともあるのです。
その時のことを覚えてくれていました。

お父上は名人・匠として知られた方です。
その後継者として頑張っています。

数日前にもここにきてお話しする機会を得ようとしていたのですが、先客の動画カメラマンがいて、そのカメラマンのインタヴューが長く続いて、この方も興が乗ってお話しされていたので、割り込むこともならず、今日、又出直してきたという訳です。
写真一枚撮るにもなかなか苦労があるわけで・・・。

この方の仕事は京人形の頭に髪を付けるというものです。(髪付け師と言います。)
髪の素材の大半は生糸です。 色は黒なんですが、ここに置いてある糸の色は二種類。微妙なんですね。

現代の頭の多くは石膏でできています。その頭の額の奥に深いモゾを刻み、髪になる糸をきれいにそろえて頭部に糊で貼って、それをこの溝の中に糸を喰い込ませるようにして括るのです。そして髪を反転させて、梳いて揃えると完成。と、こんな説明ではわかりませんよね。
- 2021/04/18(日) 00:00:03|
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トランぺッターのイメージってこんな風かなあ。
誰か、この人に似たトランぺッターがいませんか。

とても神経の細やかな音出しをする方のように感じました。
(足首で切って手首で切って・・・・まずいなあ。)

白黒が似合う人ですねぇ。
体のしなりも絵になります。

よく写真を見て「音が聞こえるようだ。」と言いますが、それはまさに被写体の問題かもしれません。
私は音楽のステージは「ビジュアルもとても大事だ。」と思っています。
それはイケメンだとか美人だとかということではないビジュアルです。
それで私も写真を撮る活動をするうえで、もう少し身なりに気を付けようかなと思います。 思うだけで終るのが常ですが。
ほら、音が出てるでしょ?!
手前にトランペットを入れることでこの「場」がずいぶん違ったものに見えます。
- 2021/04/17(土) 00:00:02|
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手前の男性、マイケル氏。大変熱心に質問していました。
それでやり取りの大半は英語でした。

それにしても現金なもので、4年前ならばトランぺッターを見れば「清水寺でトランペットを吹きませんか? こんなイベントがありますよ。」と誰彼なく話していたのに今年の6月21日の「清水寺で100人のトランぺッター」のイベントには加わっていないので、この時に思い出しませんでした。

ことしの「世界友愛 清水寺 100本のトランペット」演奏は、今のところ実施する方向で進んでいますが・・・・。
大丈夫でしょうか。何しろお隣が大阪府ですし、ここは京都ですから・・・。
記事を書いている四月目前の今の対策のもたつき具合を見ると、実施が危うくなりそうな気配がなくはないですね。
実行委員会の方々や全国から集まるトランぺッターの気持ちからすると、いらいらすることでしょうねぇ。

この人たちだっていくつライブを中止にしたことでしょう。
事後対策なしに非常事態宣言を前倒しに解除した大阪や京都や兵庫。今大阪、兵庫は危機的ですね。もうすでに四つ目の山に入っていますよ。
宣言解除でようやくこうして少しは交流や演奏が可能になったのに、またもや振り出しに戻されそうです。やきもきしますよね。

でも、私たちは生きているんで、じっと止まってはいません。
何かしら工夫して道を開きます。
そして政府・自治体には医療体制を充実しろ、(まして今進められているような「既定路線になっている」病院・ベット。医療従事者減らしをただちにヤメロ!!と言わねばなりませんね。)、検査を抜本的に増やして感染者を見つけて、隔離体制を拡充しろと(自宅やホテルでのほったらかし隔離でなしに!)、声を大にする必要があると思います。
それは命、健康ためにも営業、芸術芸能のためにも。

COVID-19の拡大を防ぎつつ、一方、私たちの生活と人々の交流権≒自由と民主主義の基盤です、を抑制されたままでいるわけにはいきません。
自公や維新に政治を任せたままでは私たちの健康と命、生業と芸術・芸能が壊されます。

私はそういう思いで、写真を撮っています。
- 2021/04/16(金) 00:00:05|
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佐々木さんの呼びかけで集まったトランペッターの一人がこの人。

お話によるとボーカリストでもあるそうです。
この日、その歌声は聞けませんでしたが。

旧知の間柄でなくとも、すぐに打ち解けて話は弾みます。
写真展での写真愛好家同士が話す時の表情とはなんとなく違う感じがします。 こちらの方が明るいし開放的な感じ。

女性のトランぺッターも案外に多いんですよね。
最近の中高のブラスバンドのメンバーでは女性比率がとても高いですし、女性だからフルート、クラリネットみたいな昔の観念は大きく崩れているのが現状ですね。

話は大きくずれるけど立教大学や慶応大学の応援団長を女性が務める時代ですからね。森さんや二階さんも、せめてこうした現実をよく見てほしいものですね。自民党の女性議員たちも、です。
女性たちは大いに気を吐いているのですよ。

ある曲を一人一人がリレー式に吹いていくのですが、こうしたところがジャズ・ミュージシャンの得意なところなんでしょうね。

それぞれが呼応しあって、実に楽しい。 いつかこの人たちのライブが聞けたら嬉しいのですがね。
ただ私はこの盆地を出ないからなあ。
- 2021/04/15(木) 00:00:03|
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ニューヨーク在住のトランぺッター、佐々木亮さんが一時帰国していて、もう直にまた渡米するので、佐々木さんが呼び掛けてトランぺッターが集いました。
この方は兵庫県からはるばる参加。

地元ではこうして外で吹くのは何となく憚られるんだそうで、こうしてアウトドアで吹くのはあまり慣れていないんだそうです。
鴨川ではいつも誰かが演っていますから、そこに紛れ込んでも、特に何も・・・・上手いか不味いかと言うようなことは気になるにしても・・・・気後れしなくてよいと思います。

右の女性もトランペッターです。
佐々木さんを中心にトランペット講座が開かれているわけで、実地に演奏しながらのレクチャーです。

英語圏の外国人青年が、やはりトランペット奏者で、佐々木さんに色々質問するので、レクチャーの大半は英語です。
皆さんよく聞き取っているようですが、私はほぼ蚊帳の外です。
jazzの人はやはり英語によく触れているのでしょうかね。

佐々木さんは一週間ほど前にたまたま撮らせてもらっていて、写真を送って喜んでいただいていたので、私がこの集まりに近づくと「写真家の蒼樹さんです。写真を撮られるのがだめだという人はいますか?」と皆に声をかけていただけて、有難かったです。
皆さんOKだそうです。

皆さんそれぞれの場所でそれぞれの思いでトランぺッターとして活躍しているわけで、ここにも人生の交差点ができていました。

実に専門的な話がされているようで舌の使い方や位置、あるいは息の吹き方やタンギングの様な仕方など微に入り細に入りという感じで熱心な話が続きます。

写真もこんな集まりがあれば楽しいのかな。
でも音楽はセッション、アンサンブルができるからいいよなあ。
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- 2021/04/14(水) 00:00:05|
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今はもう入学式も終わったころです。
でもこの写真は3月の終わりころ。 ついこの前に卒業式。
同じ高校のブラバンの仲間たちの演奏です。

ジャズを演奏していましたので「京大のjazz?」と尋ねてみると「いえ、僕たち高校生です。」
ちょっと大人びたメンバーがいたので間違えました。 「そうか、じゃあ、まだ未成年だし高校生じゃあ、保護者の許しがないと写真を撮らせてもらえない。公開もできないね。」と、半分諦めかかりました。
すると、「いえ、大丈夫です。僕らもうすぐ大学生や浪人生ですから・・・。」
みんな、大丈夫だよなという空気になってそれぞれがOKということに。 そうだよね、もうみんな有権者なんだしね。

動画を撮っているようでしたし、仲間同士の思う出で作りだったかもしれません。

一番こちらの人は、姿勢でわかると思いますがカホンをたたいています。
演奏はもう最後の曲だったらしくて、この後は解散でした。

今年の染井吉野は開花が早くて、卒業を彩る花になりましたね。

私は最初の大学入学試験で「桜が散った」ので、この時期は浪人生活のために荷づくりをしていたのだったかなあ。
浪人生活から京都だったのです。

私の高校の同級会は、もう何十年も開かれていません。
ちょっと「やらないか」と声をかけるのですがなぜか応答が弱くて。
でも、もうこれから毎年一人一人と欠けちゃうよ、というんですがね。

「霊峰富士に朝日照りそひ
ほのぼの晴るる四方の彩雲
ああ 秀麗の色映えて
祖国の姿あきらけく
永久の栄を尊み仰ぐ
若き我等に溢るる光」
軍国主義時代の歌詞をちょろっと手直しして誤魔化したような校歌ですが、それでも懐かしさはあります。
- 2021/04/13(火) 00:50:05|
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ゼストのピアノです。
つい最近までここのピアノのことは意識にありませんでしたので、逆に気が付いてみて気になり始めました。
そしてピアノ人口が私の予想以上に多いことを感じています。

よくは知りませんが日本国内のピアノ普及率は世帯当たりだと思いますが20%にも達するのだとか。京都のお隣の奈良県がトップ。だとすれば、こうして次から次へとピアノを弾く人が来てもおかしくはないですね。
お稽古事として男子の10%弱が、女子の30%余りが音楽経験をしている時代だそうです。

まあ大半は挫折し、ピアノは部屋を狭くする家具へと変じてはいるようですが。斯くいう我が家にもスタンドピアノがあります。妻が若いころ弾いていたためですが、調律もしないまま置かれています。
でも、まあ一度は経験したものが相当いるわけですから、その人たちが一念発起して再度学び直せば大変な数のピアノ愛好家が生まれるわけですね。

ピアノをしててひとは一度は楽譜に親しんだのですから、きっと他の楽器演奏の障害も低いに違いありません。
こういうことだって日本国民の文化的民度でしょうから、ピアノそのものや音楽体験が国民的に死蔵されないような社会にしたいものですね。

この方は、ここの地上近くにあるとある楽器店のお勤めの人だそうで、なるほどなあという腕前です。
初めから一音一音の音色が違います。
この人の前に弾いていた中年の女性が、盛んに拍手していました。

大きなコンサートホールを作ってそこに世界的に有名なオーケストラや指揮者や演奏家を招いてS席1万円余りのコンサートを開くのが・・・・それも結構なことではあるけれど・・・・文化のあるまちづくりとは言えません。
沖縄や東北の街のように夜になると三線が響き、海辺や集会所に人がそぞろ集まって踊ったり囃したりすることの方がよほど文化的だと、私は思います。
- 2021/04/12(月) 15:20:48|
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飛鳥仏は青銅仏と並んで一木造の仏があった。奈良後期から平安初期にかけて再び一木造の仏が出てくる。その後は末法思想が広がるにつれて「造寺造仏」が盛んに行われ、その需要にこたえる必要から寄木造が盛んになる、とものの本にはある。
ほとんど丸たんぼうみたいになってしまっているが明らかに仏さんだ。かろうじて残る目の様子からお顔の表情が伺われる。
飛鳥仏の様な穏やかな感じがする。 これは何時の頃に作られたものだろうか。奈良末頃なのか、それとも。

岡崎公園で開かれている骨董市を覗く。
足を踏み入れたその初めに見つけたのがこの木像仏と、ご主人。
私が人物写真を撮っていて幸せを感じるのは、こうした写真が撮れたとき。

この人は、もう、商売っ気の向こうにいる。
無論、仙人じゃないから霞を喰っては生きられない。
この木像は非売品。
でも見てもらいたいし、自分の次に、「この仏を手にするべくして手にする人」を見つけたいという。
「いつまででも生きられるという訳ではないからねぇ。」
普段は外に持ち出さないのだそうだが、私は幸運にもその滅多に外に出さない日に出会うことができた。

骨董品は縁でその人に渡るものという考え方のようだ。
無理に売りつける気持ちはさらさらない。
写真を撮らせてくれというと「知らないうちに勝手に撮ってくれ。」という。 構えて撮られるのはどうも苦手だ、御免被るという。

仏像とツゥーショットで撮りたいというと「それはダメだ。」という。
「ダメだという返事は予想できたけれど、写真を撮る者としては『お断りをしてから撮る』のが仁義だから断られるのを承知で言った。」と私が言う。
「そう言う人はまれだ。多くは勝手に撮っていく。あれは良くない。」
スマフォなどで気安く「人」や「他人の作品」を撮る人があまりに多い。「写真を撮る者」という自覚もないし、人の思いを忖度、斟酌することができない人が多い。逆の立場だとすぐに切れるのにと、これは私の感想。
それで、私のようなものが「希少価値」のように言われたりするが、それと同時に、活動しにくくなっている。 困ったものだ。

手前に写っている人はお気に入りを見つけて作者の名を聞き、もっと勉強してその作者のものを集めますといっていた。

骨董市はどこか胡散臭い。
そう言う胡散臭さを含めて魅力がある。
別の店で、これまた息を呑むようなものを見つけた。
三星堆の青銅製の人頭像。これには元来は金箔がはられていたものか? ゴロっと置かれている。わざと「ごろッと」置いているのだそうだ。
私が息を飲んでしばらく見つめた後に、ご主人の方に近づいて「あのう・・・。」と話しかける。 と、「本物かどうかっていうんでしょう?!」
まれにそう話しかけてくる人がいるらしい。
「真贋は分からないが、多分本物だろうと思うね。」
そもそもこれがどういうものか分かる人はあまりいないからわざとあまり大層なもののような置き方をしていないのだそうだ。
分かる人に見つけてもらって売るのだそうだ。
この人が手に入れた時期が本当ならば、まだこの文明が世にそれほど注目されていないころだから贋作を作っても割りがあわない。だから、本物の可能性が高いと言えるかもしれない。
私は、万博公園の博物館で三星堆の青銅器群が展示がされた時に大きな衝撃をもって見たことを思いだした。 三星堆文化は想像を絶する青銅器、金文化です。
本物ならガラスケースとか鎖に囲まれたずっと向こうに並べられているはずのものがここにごろっと転がっている。
「触ってもいい?!」「いいよ。」
重く、ズッシリとした手応え。 こんな、驚くべき文化財に手袋もしないで直接に触れることができるなんて!!
骨董市というのはそういうもんだよ。改めてその言葉を聞きました。 このブロンズ像の運命や如何に。気になって仕方ありません。
- 2021/04/12(月) 00:00:05|
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あるプロのカメラマンが言っていました。
ポートレートは絞り開放で撮ってこそだ、と。
別の、やはりプロの方は、開放で撮ればいいという傾向に対して、開放にしたら背景の情報が消えてしまいますから、・・・・情報は整理しつつも・・・しっかり伝えるべきだ。だから絞りは絞るべきだと言います。
何故、一か百か、のように話すのでしょうね。どちらだって必要に応じて選択すればいいのに、と思います。
私は開放近くで撮ることが多いですし、せいぜいそこから数段絞るくらいですが。

私の撮るのはグラビアアイドルではありません。
ドキュメンタリーな「人物写真」です。
だから背景の情報が必要です。でもそれが判別できれば良い程度の写真を目指しています。
この写真でも道具の様子や制作物についてもいくらかの情報を入れます。

その情報を入れるのは、「職人としての」この人という面を抜きに撮れない写真だからです。
でも、職人をしている「この人物」を撮るということに軸足は置いています。
だからそこは塩梅ですね。
方法は目的に従属します。何かをひどく極端に断定しようとする人がまま見られて、それが初心者を惑わすように思います。
私の使う頻度の高いレンズは85ミリです。 いわゆるポートレートレンズです。 卑下してか揶揄してか「お姉ちゃんレンズ」などをも言います。 こういう言い方に、ポートレート写真は若い女性を撮るものと言いう写真界の常識…悪しき常識が掬っていますね。
こうした場所では・・・・しかも、全身を撮ることが少ないので・・・被写体にグッとよらないといけない50ミリレンズでは撮りにくいです。
ことに「初めましての女性」が被写体の時には。
無論、会場によっては後ろに下がれないことがありますから、短い距離で被写体を画面におさめられる50ミリも携帯しています。
そして腰より下も入れたいとか全身を撮りたいということが突然降ってわきますしね。
向こうでポーズをとって待っているモデルを撮るのならレンズを決めてかかるのもいいのでしょうが、こういう現場でそういう風に決めてかかることは難しいと思います。

「私は、こういうレンズ、こういう絞りで撮ることを好んでいる。その表現を目指している。」というのは良いのですが、そうでないとダメみたいに言うのはやはり違うと思いますね。
ある設定についてその可能性を徹底的に汲み尽くそうとして自分にその設定を課すというのも、写真歴の一過程としてはあって良いことだとは思います、が。

私は今、ミノルタの135ミリの単焦点レンズを欲しいなあと思っているのです。
それは、そういう画角のレンズでないことで被写体を遠くから撮れないケースがあって、残念な思いをしたからです。
それにそのミノルタの135ミリは写りがいいんだそうで・・・・、ミノルタの他のレンズもなかなかいいですから、・・・・期待するからです。オートフォーカスは利きませんがね。
でもこれを手に入れても常用することはないと思います。 私の撮影の多くの場合に適さないからです。
ただそれだけの事ではないでしょうか。

自分の写真に強い個性を出したい方は・・・・商業写真家として目立ちたい方は、かな。あるいは個性ある作家性を強調したい方、かな・・・特定の条件を我が個性とする必要があるのかもしれません。
良いプレーヤーが必ずしも・・・というより、反って、でしょうかね・・・・・・良い指導者、解説者、評論家になるわけではないといいます。本当にそう思います。そしてそれはどの分野にも当てはまります。
周囲にお客さんの姿がなくなった機会を捉えて「一瞬、マスクを外していただけますか。」とお願いして。
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- 2021/04/11(日) 00:00:01|
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七宝の職人さんです。
私の写真歴の中である若い女性の七宝職人さんが大きなキーストーンになってくれたことがあって、・・・・七宝がやや退潮傾向にあることもあって・・・「七宝」の字を目にし、制作者を見るとつい肩入れしたくなります。

今は銀を基盤にしたアクセサリーを作っています。
向かって左側には、それを焼き付ける小型の装置が置かれています。

手指のきれいな人です。

左手に持っているのはフィルムケースかも知れません。 この場のこれはフィルムケースとは違った専用の容器かも知れませんが、職人さんたちは日常そこいらに転がっているものを案外上手に利用されています。
ただ、フィルムケースは今となっては、そこいらに転がっているものではなくて「手に入りにくくなってねえ。」という声を別の職人さんたちから聞きます。
昔は写真好きのお父さんがいるお宅では、子供の遊び道具として重宝されていました。

私が子供のころはプラスティックではなくて金属素材でしたから、おもちゃとしては高級でした(笑い)し、羨ましかったです。
近所の警察官がお父さんのうちには箱一杯の空ケースがあって、その家の子と一緒に遊んだものです。
なんて不思議で楽しいものがあるんだなあと、知らない世界を覗く感じもありました。

この人は七年ほどのキャリアだそうで、とある七宝工房で働いておられます。
こうした七宝工房がいくつも撤退しました。
この近くに「並河靖之七宝記念館」というものがありますが、並河靖之という人は明治期に七宝の傑作を作った人です。
大変見事な作品が数多く陳列されていますので興味のある方は是非お立ち寄りになるとよいと思います。
(〒605-0038 京都府京都市東山区堀池町388)
- 2021/04/10(土) 00:00:01|
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この日、庭の白椿が苔の上に落ちているのを撮るのに久しぶりに80-200ミリを取り出しました。
それで改めてこのレンズはいいなあと思ったのです。
そして、たまにはこれで撮りたいなあなんて思いながら、でもこれが必要になるような状況はちょっと予想付かないし、…ブツブツぶつ・・・と、元の場所に収めたのでした。

ああ、それが、今のこの場所にあればなあ。
あるはずのない「これが必要な状況」になっているのが、まさに「今でしょ!?」

これ以上前に出たら「誰だ、あいつ。」になってしまって、「関係者以外は近付かないで!」になってしまいそうですから、
85ミリで頑張るしかないのです。

上の写真と下の写真ではアングルがかなり違います。
後者のアングルで撮るというのが今回の手柄かな。 うまく撮れたかどうかというより、そういう場所に立ったということがですが。
やっぱり音楽演奏を撮るのは楽しいですね。
- 2021/04/09(金) 00:00:01|
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この撮影の日の翌日は土曜日。
京都会館、岡崎公園でイベントがあります。
それに参加するグループの音合わせ・リハです。
この方は洋楽も邦楽もされます。
和楽器が身近にある環境に育ったのだそうで、楽器は全て〔大好き!〕という方。
龍笛も笙も・・・・・・・

道路を挟んだ向かい側の建物に立ち寄っていたのですが、そこを出てくると和太鼓の音。 何事やらんと近づくと、今まさに音響調整中。

ちょっとお断りして撮らせていただきました。
こんな作業中にうろうろするのは「オジャマムシ」なのですが、リハの場にもいくらか慣れて来て、多分あまりご迷惑をかけなかった…つもりですが。

音響調整で、「もう少し、なんというか、柔らかな丸い音にならない?!」とかなんとかやり取りもするわけですが、演奏家は本気の音を出して、それをしますので、本番とは違いますが、それなりにいい表情が出るのではあります。
写真に黒い影が前ボケで入っていますが、スタッフの方。シャッター音で気づかれて、さっと身を引いてくれるのですが、そう言う時に「気を使わせて申し訳ないなあ。」と思います。
この写真では成功していませんが、意図的に入れて撮っているので「その場にいてください。」とお願いしたいところ。
でも演奏家を撮っているんだから「私が邪魔をしている。はけなくちゃ!」と思ってくださるのですね。有難いことです。
今度は笙です。
後ろに和太鼓が見えますね。
「ササラ」という楽器も持ってこられています。 ササラに使われている108枚の板は人間の「煩悩」を意味しているんだということを初めて知りました。

この日は暖かいのですが、それは日向での事。ここはたまたま建物の陰に入ったところだということとピロティ―みたいになった部分から風が強く吹き込んで、楽譜台やマイクが倒れそうです。それで寒いのです。バイオリンの方はフードまで被っていますね。
最初、先ほど笙を吹いていた方に声をかけて「撮影できますか?」とお訊ねしたのです。「いいと思うんだけど、一応責任者に訊いてみましょう。…あれっ、今いないなあ。じゃあ、その陽の当たる暖かいところで暫く待ってください。」と言われました。
優しい言葉がうれしかったですが、日陰にいるご自身〔たち〕は寒かったのでしょう。

- 2021/04/08(木) 00:00:03|
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珍しいものを見せていただきました。
「御簾」を編んでおられます。
神社などに見られますが、時代劇だと天皇がこの「御簾」の奥にいたりします。

ここは公開実演の場ですから道具立ては公開のための、いわば間に合わせです。
でもやり方はよく分かります。

なるほどこういう技能があるのだなあと。
誰が何時こうしたやり方に気付いたのでしょうね。職人たちの気の遠くなるほどの仕事ととわずかづつの気づきの集積がこうした方法に結晶したのでしょうね。
多くの事はすべからくこういうことだろうと思います。
紐の結び目の形とテンションと整えています。

織物で言えば緯糸になるのがこの竹ですね。
上の写真を見ていただければわかりますが、竹には節があります。この節を少しずつずらすことで簾に模様が浮き出るようにしています。

畳を編んだり、畳床に縫い付けるなども今は機械化されていますし、簾なんかも機械で編めます。多くの工芸の分野で、職人の手技でなければいけないという仕事は日に日に狭くなっています。
でも「御簾」はそういう訳にはいかないのだそうです。

聞き間違いでなければ九尺の幅のモノを編むこともあるそうですから、工房にはそういう装置が置かれているんでしょうね。
ドラムのスティックの寸詰まりになったようなものを指ではね上げて向こうにこちらにと跳ね飛ばすのです。瞬時の作業ですのでとてもその指の動きを捉えることはできません。
日本全国の需要にこたえているのでしょう。
こうして仕事の様子を見せていただくと、神社仏閣ばかりではなくて、どこに行っても何を見ても、これをどこかの誰かが作ったんだなあという思いが湧くことがよくあります。

私は京都に住み始めてもう半世紀近くになりますが、まだまだ京都の極々一面をしか見ていないとつくづく思います。
- 2021/04/07(水) 00:00:01|
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「あそびの時間と小さなかたち」
丸善・京都本店のギャラリーで井崎正治氏の作品展が行われていました。
丸善と言えば梶井基次郎の『檸檬』を想起される方も少なくないでしょうね。 そこです。 と言っても昔の社屋ではありませんが。
(因みに言えば例のフルーツパーラーも今は・・・・。)

地下に降りていくと井崎氏らしい方と青年が話し込んでいるようでした。
私はてっきり若い方が芸術系の人で、先輩からいろいろな話を聞かせてもらっているのだろうと、・・・。

作品をじっくり見せていただきながら、ご両人の方をチラリチラリ。 というのも二人の間に成立している空気がとても興味深くて。
井崎氏は、かすかにそれに気づかれたようでしたが、青年が熱心に話をしていて。
「呼吸は肺でするのではなくて、」と肺自体が膨らむのではなくてそれにつながった筋肉や骨格の動きによるんだということを話していました。

氏には木彫と思われる作品が何体もあり、魅力的な形をしていました。それで人体について話しているのかなと思ったのでした。
話題が、レオナルド・ダ・ヴィンチ・・ですねぇ。

でも、それは私の早とちりで、若者は整体関係の仕事をしているのだそうでした。

事情をお話しして撮ることを許していただいたのですが、井崎氏ご自身もカメラもレンズもいくつも、しかもかなり「名」の付くものをお持ちのようで。 その人のことを知らずに不用意に声をかけると火傷します。
氏は、初め見た時には椅子にかけておられたのですが、撮る時には立ちあがって。

三人で話をしながらの撮影です。
自然科学的な観察では対象に干渉しないようにしなくてはなりませんし、その干渉を排除した計算をしないと実態をそのままに認識したことにはなりません。
木村伊兵衛的写真でも被写体に撮影者が干渉しないことが眼目ですね。
でも、私は違うのです。

プディングの味は食べてみなければわからない。 熱を与える、物理的な圧を加えるなどなどしなくては対象の性質を知ることはできません。
ルネサンスの頃でしたか、記憶は定かではありませんが、自然を拷問にかけることなくして自然の本当の性質を知ることはできないという意味のことを言っている人がいたと思います。
という訳で、私も話に加わり、中途半端になっていたお二人の興を取り戻して、いくらかでもその人となりを出していただきます。

カメラを構えたまま話をするというのも「人物写真家」の能力の一つです。
撮影してますよという構えを崩さないままに話に参加するのは、なかなか難しいことです。
お二人は「写されている」ということを意識しながら話すという事ですしね。

人物写真と言っても目的の違った撮り方がいくつもあります。
写真関係の雑誌やユーチュ―ブでの解説物を見ると、そう言う区別を曖昧にしたままの、偏った解説ばかりが目につきますね。
多くの場合は、人を素材にして撮るけれど「人物」を撮ることはあまり意識していないことが多いように思います。
欧米の人物写真と大きく違う点ですね。
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- 2021/04/06(火) 00:00:03|
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仕事というのは「一見それらしいことができる」ということで終れはしないので、そこに気付くかどうかは大切なポイントだと思います。

仕事ではないですが、私のこの写真についても同じことが言えるように思います。 えっ?!一見それらしくも撮れていないって?
はは、おっしゃる通りで・・・・。
ところで、今回の写真は「私の見るところ女性」が被写体なのですが、
実は「私の見るところ男性」を撮った写真と「私の見るところ女性」の写真が、その比率が大きく開いてきました。
「私の見るところ男性」54.63%に対して「私の見るところ女性」は45.37%を占めます。
撮り始めてから4,5年間は52%:48%くらいで、それより大きくは開きませんでした。それが10%弱の差ができてしまいました。
10%と言うと170人の違いということになります。

できるだけ「私の見るところ女性」を撮ろう撮ろうと努めていたのに、こういう結果になっています。
この差を埋めるためにこれからしばらく「私の見るところ女性」ばかり撮っていったとして、大方1年は確実にかかります。そんな差になってしまいました。
こうなった原因は何なのかなと考えています。 う~ん、なんなのでしょうね。

ジェンダー平等が言われている今日、考えてみる必要があるなあと思っています。

女性はどこにいるのかなあ。
どうして声がかけられないのかなあ。
- 2021/04/05(月) 00:00:04|
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下絵なしにフリーハンドで描いていきます。
基準になる製品がすでにありますから、それを意識して描くのではありますが。

以前の記事で書きましたが、職人の世界は「分業」の世界でもあります。ことに京都では。
ですが、最近は・・・・上流、下流の職人さんが仕事を離れてしまって仕方なしにということもありますが、・・・・職人から作家へという意識が強まっていることもあってか、ご自身が一人で初めから終わりまで仕事ができる人、あるいはそうあろうとする人が少しずつ増えているのかなと感じます。(外から眺めているだけの感じですが)

そう言う傾向の背景に何があるのか、そしてそれがどう言うことを結果するのかについてはいろいろな議論がありうるし、又議論されなくてはいけないことだと思います。
否定的な面も肯定的な面もあって…必然的だなあと思う一方で、ちょっと止むに已まれず拙速に進んでいるなあと思ったりもします。

この方も生地作りや成型から絵付けまでご自身でされています。
生地作りは他のより専門的な人に頼んだりもするそうですが・・・・。

専業が進んである部分に携わってこれしかしないという職人さんのなかにも、上流下流の仕事を自ら経験したり、しっかり関心をもちつつ自分の担う仕事に精を出す人もいれば、一方で、この仕事しかできないとか、この仕事さえしておけばという考えの人もいたのでしょう。
やはり上流下流の仕事が分かってする人の仕事が良いようです。

ただそれにしても職人の仕事は製品(あるいは作品)にその人の名前が出ないという問題があって、最終の製品がどれだけ評価されても高価に取引されても、職人の仕事は評価されないし見合った報酬になりにくいということがありました。ですから、それでは若い人たちはこの世界には入りにくいと思います。
- 2021/04/04(日) 00:00:08|
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