などと秘密めかした言い回しをしなくても良いのですが。
とあるギャラリーです。

ここで個展をされている作家さんの知人です。
ギャラリーのオナーさんが毎度のことながら、わたしを「人を撮るのがお上手な写真家さんです。」と紹介してくれましたのlで、「そうなんです。人ばかり撮っていて、こうして目の前にどなたかが座るとついつい撮りたくなるんです。」と、いましがた作家さんを撮ったカメラを、またぞろ取り出します。

私が加わらせてもらった写真集を撮りだして、イベントの宣伝に余念のないオーナーです。
今年も6月21日に清水寺で100本のトランペット演奏をする予定なのです。今回は私は噛んでいませんが、それで「この写真集の写真を撮てくれたのがこの人で・・・・。」とうまく話を回してくれます。

話は大きく変わりますが、私が今日ここに足を踏み入れて、「二階の作品も見せていただきますね。」と階段下に足を運ぶと、二階から「写真を撮って!」と、私の存在を知らないままに、ある人の声が降ってきました。それで二階に上がると、顔見知りの二科展などの出品画家さんがいて「あら嫌だ、ちょうど写真家さんが現れた。撮ってもらっていいかしら。でも悪いわね、プロにスマフォを渡して撮ってほしいなんて。」というのです。
どうも皆さん、持ち上げるのがお上手で。
無論、撮って差し上げました。 スマフォは、どうも軽いし保持しにくい構造で、安定してシャッターが切れません。私は苦手です。

皆さん言います。ここはちょっと変わり者が集まりますね、と。
個性がくっきりして行動に自分の哲学がある人が多いということだと私は思っているのです。
先ほども80歳をいくつか越えた京町衆が、あるイベントがらみで次の用件の場所にとんでいきました。大したものです。
高齢化社会、結構じゃないですか。
- 2021/02/28(日) 00:00:04|
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森浩(もりひろ)さんです。
この人のJAZZ奏者の絵は、もう「堪りません。」という感じです。
私の観測では、この森浩さんというかたは生きた人間を前にして描くのは苦手なんじゃないかなと思うのですが、しかし、生きた人間の観察と表現は実に見事なんです。

写真から書き起こしているそうなんですが、写真を素材にしているというだけで、世界は森浩ワールドです。
どことなくのほほんとした絵が多いのですが、パニスとの指先といい、トランペッターの頬と唇などなど、そうだよなあこういう感じだよなあというのが、直接的な写生的なリアルさでなくて、森浩さんの感性のフィルター濾しに出てきたリアリズムなんですね、これが。

今日はここで展示販売しているんですが、過去作品を入れたファイルがあって、「これ好きだなあ。いいですよねぜ。」なんて言っていたら、「あげるよ。」と言ってくれたのですが・・・たぶん…聞き間違いじゃないかと思って、もう一度言ってくれないかなと思っていたら、それきりになってしまいました。 惜しかった。

SARES-Cov2の影響で「閉じこもり」がちになっていて、手がどんどん動いちゃうので沢山絵ができすぎたそうです。

大阪などで個展をするときに、電話で知らせてくれるのですが、何しろ私は京都盆地を背永南委向けて出ることが稀な人間なので、「盆地から出ません。」とお断りしているのです。 でも「先生に見てもらいたいので。」と言われるのですが、ダメなんですね。
それで今回は初日から伺ったという訳です。
- 2021/02/27(土) 00:00:04|
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人出が少ないことを逆手に取ってでしょうか、あるいは単純にまだ昼前だからでしょうか、結婚式の前撮りグループが3,4組も見えます。
2020年は結婚式・披露宴が大幅に減少したし、出生もずいぶん減ったと報告されています。
まあ、当然と言えば当然なんですが、しかしねえ。

人と人とを2メートル離す政策によって恋人同士も距離をとることになるでしょうし、夫婦でもそういうことになりますよね。
無論そうでない人も多くいるわけですが、傾向的にそういうことになるでしょう。
政府は新型コロナ感染防止のためにいろいろ言うのですが、その時にいつも衣の下に景気のV字型浮上策≒Go Toキャンペーンがちらついています。今、新型コロナに耐えて、その後はと、前のめりです。 彼らは言うのです。政治は今だけを見ているのではなくて長期的視野に立って、未来志向でとかなんとか。私はこういう話を聞くときに、それはまるで嘘だと思って聞きます。
景気対策は「金だけ、自分だけ」にの前に付く「今だけ」そのものだからです。

長期的視野に立ったら、コロナワクチンを自主開発できない科学技術の現状を反省してここに資金を投じるでしょう。子供のために一斉休校なんて粗雑な政策で終らないで、未来を作る子供の苦しい環境に手を差し伸べて政策をするでしょう。そして「少子化」傾向がこの新型コロナの広がりで拍車をかけられているのですから、安心してセックスできるにはどう支援したらよいかを真剣に探究すべきですし、施策を打つべきです。
まるでそんな問題意識は聞こえてきません。 検査を拡大すれば感染者を見つけてしまって、結果、医療崩壊を起こすから検査を抑制するという政策を相も変わらず続けています。そうではなくて、別の目的としても、安心してセックスしたいから検査させてという要求にこたえるべきです。むしろどんどん検査の機会を提供しますから、陰性を確認して安心してセックスしてください、と。(それをまた子供を作るのが国の義務、女性の美徳みたいに言ってしまうのが自民党なんです。が、そうじゃなくてセックスをするのは国民の権利なんです、子供を産み育てるのも国民の権利なんです。そう言う権利を保障するのが政府の義務なんです。)
セックスをただの秘め事、わいせつな行為としか見られない自民党のお歴々にはこういう発想は湧いてこないでしょう。ただし、自分が良からぬところに行くとか、こそこそ陰でしたいとかいう時にはこっそり検査してるんでしょうけど。
人口政策はただただ成り行き任せで、「夫婦別姓阻止」などという頓珍漢なことに力を注ぐ自民党です。

前撮りの事から話が脱線しました。
これから春めいてくれば、こうしてスケッチするのもますます楽しいでしょうねぇ。
私は距離を保って地面に腰を下ろして撮っています。すると段ボール紙を重ねて作った座布団のようなものを出してくれて「痔になっちゃうよ。」と。 携帯用の折り畳み椅子が使いにくい場所で、ご自身が活用しているのでしょうね。
いろいろ準備万端でしょう?!

こういう親切な方に出会うと心が温まります。
人に会うには外に出なくてはね。

知人の素敵なジャズ・ミュージシャンなどを描いた絵のなど個展が始まっています。
人の少ない鴨川べりを走って、見に行こうと思います。
- 2021/02/26(金) 00:00:18|
- 絵画
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今のところまだ緊急事態宣言下にありますから、観光の人はさ程多くはないのですが、四条河原町や京都駅付近の人出は、ジワリと増えているようです。
まあ、気持ちはわかります。
地下鉄の出入り口付近で観察していると、ものの見事に皆さんマスクをしています。見事な徹底ぶりだと思います。
さて、そんな街で見かけた方です。
・・・・・と、ここまで書いて・・・中断してしまいました。
お会いしたのはこの方でした。

あ、絵を描いている人がいると、少しスピードを落として、ゆっくりと通り過ぎる刹那、この方が顔をあげてにこっとされたのです。
せっかくだから足を止めて話していかないか?とそんな感じでした。
私が自転車を道路の隅に停めて近づくといままで広げていたスケッチブックを差し出して「見てごらん。」と

京都の町のあちこちがいろいろな季節の中に描かれていました。
ずば抜けてお上手だとまでは言えないにしても味のある、それでいて素直な絵でした。
人柄ですよね。

街角で絵を描いていると思わぬ人と話ができるのだそうで、芸子さんが優しく「寒いでしょ?」とひざ掛けを持ってきてくれたり、有名割烹の主人が出て来て「うまく描いてや。」とか「わしのところも描いてや。」などと声をかけられることもあるんだそうです。
お話に出てきたお店は・・・私など一歩も踏み入れたことのない・・・・皆さんもご存じだろうという名店でした。

娘さんが医療系のお仕事をされているのだそうで「歩かないといけないよ。」とうるさいからこうして書き歩いているのだそうです。そうお話しされる表情はとてもうれしそうで、この日はたまたま比較的暖かでしたが、寒い中でもお出かけになるんだそうです。
私より一回り上です。
- 2021/02/25(木) 00:00:07|
- 絵画
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この写真はとあるギャラリーの前で撮らせていただいたものです。
このギャラリーは作家の国際交流や新人たちの応援をするギャラリーで、今はずっと西の方に引っ越しました。

このギャラリーの責任者の方は大変見識のある、しかも優れた行動力というか、社会性のある方で、わたしより少し先輩になりますが、今もエネルギッシュに活動されています。
この写真の方には、これ以後お会いしたことがありませんが、私は、どちらかという子こういう空気をまとった方を撮りたいのですね。

初対面で、この場でお願いして撮っているのですが、そう言う時にその人の人柄というか、人間観が出てくると私は思います。
例えば、このギャラリーの先ほど紹介した責任者の方が、私をこの人に紹介してくれて、それで撮ることになるのなら、若いこの方が倍以上の年齢のむさくるしい人間にカメラを向けられても、まあ安心していられると思います。
でもそうではないのです。文字通りの「はじめてお目にかかりますが・・・。」なんです。

カメラを意識していない自然な状態を撮らないとその人自身を撮ることにならないとかって、よく言われますが、私はそれは一面的だとずっと思っています。
- 2021/02/24(水) 00:00:05|
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モノ撮りは色再現が難しいですよね。
この日はとても良い天気でした。ちょっと風が強かったという記憶があります。

雰囲気も楽しくしなkぅてはいけないですね。

この日傘、いい感じですよね。
日傘も数本持ってきての撮影です。

ここは京都御苑の梅林ですね。
今年は行けなかったなあ。

顔は真っ黒にしたくないし、・・・・というところで肝心の着物帯が白飛びですね。
レフ板で影を作って・・・などと思っても助手もいませんし。

それにしても上品ないい感じjの着物姿です。

今ならもう少しうまく撮れるのになあ…といえるかな、どうでしょう。
お母様と一緒の写真は喜んでいただけました。
- 2021/02/23(火) 00:00:04|
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琉球紅型の染色をされている方です。
今は京都を離れていますのでなかなかお会いもできませんし、作品に接する機会もないのですが。

ご自身が制作するもの、しかも本気の職人、制作者として販売するものについて、ご自身がモデルになって・・・・別の機会にはお友達も一緒でしたが・・・・今回はお母様も協力されて宣材として私が写真を撮るという初めての経験でした。

当時はお金をいただくなんてことは毛筋も思い浮かびませんでした。撮らせてもらって写真も使わせていただくということで、十分でした。
こんな風に撮るという機会はめったにないですしね。

別の日に紅型染めの工房にもお邪魔して撮りました。
私としては、なかなかいい写真になったと思います。
こんな足下を切っちゃうような写真も撮ったんですね。
しかも、白黒では商品紹介にはなりませんよね。

彼女なりに、いい撮り手を見つけたと思ってくれて好きなようにさせてくれたいました。
私も、わざわざ沖縄にまで求める師匠の工房に行って修業してきた彼女の頑張りをきいていますし、工房での姿も見ていますから、力が入ります。
魅力が伝わったらいいなあと。

日傘も着物も帯も彼女が染めた生地で作られています。
私は商品をバンと真ん中になるような写真を撮りません。 ファッション写真として何の教育も受けていませんし。
で、着物のしわを直してあげる余裕もないわけでした。

- 2021/02/22(月) 00:00:03|
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春が混じるようになりました。
SARES-Cov2に怯える毎日ですが、人間、縮こまってばかりはい居られません。
この日、久方ぶりに少々規模の大きな絵画展を見に行ってきました。 やはり、本格的に描き込んだ絵を見るのはいいものです。
描き手の鼓動が聞こえるようです。

人はパンのみにて、生きるものにあらず。
まことにその通りですね。
気持ちに生命力が戻るような、そんな気がします。
学生たちがギターを弾いていました。
「部活」の仲間らしいです。 (私は、どうもこの部活という言葉になじめません。サークルがいいなあ。時代の問題なんですが。)
もうじき仲間たちが集まってくるはずだそうです。

今日は四月くらいの感じの陽射しがありました。もっとも日本海側に強い低気圧があるようで、南から強い風が吹いています。
でも南からの風ですから冷たくはありませんが。
それにしても、「写真を上達するには、撮って撮って撮るのが一番早道。」なんてことを言う人がいますが、ここ半年以上、撮って・・・・・・・・・・・・・・・撮れなくて・・・・・・・・・・・外に出られなくて・・・・・・・・・人がいなくて・・・・・・催し物も、パフォーマンスもなくて・・・・・・出会えなくて・・・・・・・・・撮れなくて・・・・・・・・取り損なって・・・・・撮れて・・・・・どうなるんだろう・・・・・です。
声のかけ方も忘れてしまいます。

人のすることに好奇心、興味を持つのも、そういう気持ちが連続的に高揚しているからなんだなあと思います。
それにしてもこの学生は良いコートを着ていますね。
私の学生時代とは雲泥の差です。
もっとも私の時代のこの学生の通っている大学の学生もいい服を着ていました。

まあ、それはともかく学生時代に仲間がいるということはいいことですね。

学生たちも、早くキャンバスで大きな笑い声をあげて集まれるといいですね。
- 2021/02/21(日) 00:00:00|
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竹工芸です。
編むための素材作りです。 竹を幅5ミリほどに割り、そしてこうして肉の部分を分けとります。

竹は繊維が縦に走り、切り込みを入れれば、最後まで刃物で切ることをしないで「割る」「割く」ということができます。
竹を割る際にも刃の薄いもので割くのではなくて、ある程度もの厚さで割り込みます。
その際、節を越えて割り込むためには、腕が必要です。 まして段階的に幅が細くなってきますので、そうなると節を割り割く瞬間に負ってしまったり、筋が変わってしまったりします。

私は、これまで口を利用して割く作業を見たことがありませんでしたので、ちょっと驚きましたが、考えてみれば便利な方法です。

私の歯は、母親譲りの弱い歯なのでこういう作業を直感的に思い浮かべることができないのかも知れません。

この方は、まあいわば「脱サラ」でこの世界に入ったのだそうです。
大きな企業にいて、全体の一部だけを受け持って、まあいわば歯車の一つでしたから、この仕事をお客さんが喜んでくれているのかもわかりませんでしたし、一から終わりまで自分でする仕事にしようと思って・・・ということで。
そう言う気持ちわかりますよね。
「労働疎外」ですね。
こういう気持ちが多くの働く人々の中うごめいているのじゃないでしょうか。
これは労働の宿命ではないのだということに日本国民も早く気付いてほしいものだと思いますが。いえ、それは皆が職人になったらよいということではなくて,大工業制や大企業の中で「考えること、仕事の目的を経営者に排他的に独占されていることをが問題なので、職場の民主化、それを可能にする所有制について考えるようにならないといけないですね。
- 2021/02/19(金) 00:00:01|
- 工芸
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「お久しぶりです。
「今でも職人さんたちの写真を撮っているんですか?
「はい、相変わらずです。

とは言ってみたものの、とぎれとぎれになってますね。
原因はSARES-Cov2だけではありません。
でもこうして覚えていてくださる方がいて、また・・・私は・・・当たり前のようにカメラを撮りだして・・・いささか図々しくなりましたね。

この織り機では帯幅が織れるのですが、いまは幅5,6センチの小物を制作されています。

通常ですと、経糸の下に鏡を置いたり、下絵や原図を置いて、出来上がり状態を確認しながら織るのです。
上の面が裏で下の面が表になるので・・。
でも、今日はそういうものはありません。たまにスマホをくぐらせて確認しますが、あまりこまめにしなくても感でやっていけるようです。 そこいら辺は熟練の腕ですね。

先ほど若い女性が二人「先生」と呼ばれる人について来ていました。
いろいろな質問を耳に挟むと、どうやら織物関係の事を学んでいるようで、テクニカルターム?がいくつも使われていました。
どんなことを専門にしているんでしょうね。

若い担い手が増えるといいなあと眺めていました。
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- 2021/02/17(水) 00:00:02|
- 工芸
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少し前にある写真ギャラリーで白黒で撮った写真を見せてもらいました。
フィルムで撮られているようです。 黒が美しかったです。 レンズの描写の切れもあっての事だと思いますが、プリントも、紙もいいんでしょうね。
白黒でいい写真を撮りたいなと、思わせられました。


私の好みからすると、白黒で撮ると、もうそれだけでいい写真に見えてしまうところがあるんですが、そう言う錯覚を排して、光をよく見たいですね。

そのためには冬の光がいいなあと思います。

この時もそうなんですが、カメラの設定が安定しないで暴れちゃうんで、ここぞという時に撮りそこないます。
猛烈にフラストレーションが高まります。 う~ん!!この野郎!と地団太踏みます。

とても良いカメラだと思っているし、「余人をもって代えがたい」と、本当に思っているのに「なんだお前は?! しっかりしてくれよ!」と思います。
- 2021/02/16(火) 00:00:03|
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ここのところよんどころない事情があって写真をアップできていません。皆さんのページもお尋ねすることができません。
撮りにさえいけていません。 もうしばらくこの事情が続くと思います。 でもこの事情が変わっても、その向こうにまだまだSARES-Cov2が控えていますけどね。

向こう岸を走っていたら音量豊かにこの人の演奏が聞こえてきました。
音を聞いて、この人じゃないかなと思って、橋を渡ってきました。
ここは四条大橋の東のたもと(東詰)なんですが、私が渡ったのはもう一つ下流の団栗橋です。

ずっと演奏をしていますので声をかけるチャンスがありません。
それでしばらく聞いていて、と、少し顔をあげて、気づいてくれて「あ~っ!」と。
それで撮りだしました。

とにかく一所懸命に吹いて、弾いて、歌っていますから、私などに目もくれません。
彼は自身の様子を動画で撮ってFBで流していますが、それで様子を見ても投げ銭をする人が多いようです。
私の観察でも、そう言う印象があります。

路上パフォーマーとしてはかなり稼ぎが=人気が高く、高評価なんだと思います。
腕は確かだと思いますし、パッションがあります。

私はと言えばα900の動作の不安定さに悩まされています。
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- 2021/02/15(月) 00:00:03|
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一旦は通り過ぎたのですが、これはやはり見逃してはいけないと思い、転回して戻りました。
ここに「今」が凝縮されていると思いました。言い方を変えれば、この人の存在と行動が「今」でした。今の中に孕まれている問題性と肯定的な方向性が現れています。
神は細部に宿ると言いますし、個別には普遍が反映するという事ですから、理屈の上ではすべての個別に、同じことが言える訳ではありますが、それが際立って形になっている、地質の変遷が露呈しているように、歴史(的精神が)がこの人を介して露呈しているように思いました。

東京五輪・パラリンピック組織委員会の会長森氏が辞任を表明しました。が、保守系の国会議員などが、何故こればかりの発言で首をとられなくてはならんのだと無念さを隠しきれていません。この森氏の存在と発言が、昨年来、日本に起こってきていること、それに対して民衆が感じていることの交差点というか、十字路にある、焦点になっているのだということを彼の人たちは全く理解できないのでしょうねぇ。

だから愛知ビエンナーレで日本会議系の人たち・・・高須氏や名古屋市長の河村氏など・・・・に満腔の共感を表明をしていた、およそ文化というものの在り方についての意識が国際水準を大きく下回ってい人物が、次の会長候補として浮かび上がってきていると言うことに驚きを禁じえません。しかも、まるで民主的手続きを経ないで、批判されて辞任を余儀なくされた当の人が密室で推薦してそれを組織が追認するという、まさに談合が平然と行われていることに少しも疑問をもたないで選んでしまいかねないようなことが東京五輪・パラリンピック組織委員会に起こっています。(これを書いた後に川渕氏の線は消えました。)
日本の保守政治家たち、また諸組織を牛耳っている人たちは世界の民主主義、基本的人権についての考え方の発達から遠く置き去りになっていて、完全に周回遅れになっていることが明らかです。
私のように半周遅れの人間から見ても暗澹たる姿を見せています。

先の衆院選で、驚いたことが一つありました。 日本共産党が「LGBT
などのについて『ジェンダー平等』」を前面に打ち出したことです。 政党がですよ。
私はそれを見て、日本政治史上、日本人の精神史上注目すべきこと、画期になるだろうだと書きました。
共産党が歴史的事態を深く正確に見抜いていたんだということが今日の状況を通じて明らかになっています。今更ながら感心させられます。
まあ、それをもって今回の森氏辞任要求の広がりを、こうした政治勢力の謀略だといってことをすまそうとする人たちが、またぞろ出ています。が、なんて歴史観の非力・脆弱な人たちだろうと思います。問題は共産党を支持するか支持しないかと言うような次元のことではないのです。

また、組織によらない個人の意思表明の仕方に関しても、新たな姿をこの人は表現しています。
そのやり方についても旧態を抜け出しているのです。
ネット上で様々な個人が、積極的に政治的な、またその他の事に関しても個人的意思表明、見解表明をしている流れと符合しているでしょう。 聖火ランナーの辞退やボランティア辞退も同様でしょう。 それらは組織的な呼びかけとは次元を異にしています。
無論、だからと言って組織的な行動や意見表明を、私は少しも低く見るものではありません。

政府や多くの自治体の政策の基本に「第二十五条すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない」という日本国憲法の規定、精神が堅固に貫いているなどということはとても言えません。
この人の主張はまさにそこにあります。 私たちには健康で文化的に生きる権利があり、それは必ずしも個人の努力で実現しうるものではなく、その実現には公的な支援が是非とも必要なのだ。政府府はその責任を負っているという事。そのことは自動的に実現されるものではありません。
様座なな発言、行動によってしか勝ちえないことです。
呼びかけのチラシの上にミカンが置いてあって、どうぞお取りくださいと呼びかけています。


わたしも一ついただきました。
- 2021/02/12(金) 12:53:33|
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クラシックの演奏をしていた方ですが、私がで会った時にはjazzを吹いていました。
路上パフォーマンスを通じて知り合たCOCOさんに誘われてライブに行った際に見つけました。
こうした「個撮」はあまり気乗りがしない様子でしたが、どこかの時点でちょっと気を変えてくれたようで、お付き合いいただけました。

サックスを持ってきていただけると有難いということで、大切な楽器を持ってきていただきました。

別の日に取った時には、わざわざトンネルの中で撮ったり地下駐車場で撮ったりもしましたが、それも楽しんでくれるようなところがありました。

たまたま今日、BSEテレで女優の小西真奈美さんがイギリスで4日間バレーのレッスンを受けるという内容意の番組を見ました。小西さんは日本人には珍しい小顔で手足が長くてきれいなラインを作るプロポーションの方だなあと感じる一方で、それだけに却ってドラマなの中ではちょっと浮いているなあという感想しかいだいていなかった方でした。.

しかし、テレビカメラの匠な撮影もあって、しかもこのレッスンお腹で見せる彼女の人柄と表情も相まって「撮りた!」と思いました。
だからといって女優の小西さんを撮る機会が私に訪れることは、・・・まして私が何のアプローチもしないのですから…あるはずもないのですが、そう思いました。

そんな夢想を書いたのは、この「撮りたい」なんです。
私たちは日常沢山の方と行違います。お互いにただ通り過ぎる人として意識さえしないまま終わります。
でも時々「撮りたい!」と・・・・それが実現するかしないかは別として・・・思わせる人がいるんですね。

逆にまた、そう思わせてくれる人に出会える機会は必ずしもそうは多くないという事でもあります。
それは、その人が美形だからとか、何か世間から注目されている人だとかいう事ではなくてあくまで私の好みの問題なんです。
四条河原町の交差点で日がな一日立って見ていても、次から次へと私の琴線に触れる人が現れるという訳にはいかない理屈です。

そんんな得難い機会に遭遇しているのに、いたずらに逡巡して見送ってしまう機会のなんと多いことでしょう。
「ボーっと生きてんじゃねえよ!!」と自分で、そう思います。
- 2021/02/10(水) 11:10:45|
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私が写真を撮る中で、一つのグループを作っているのが職人さんたちです。
それを現在完了進行で表現できるかというとやや心もとないですが。

この方を撮らせていただいたころは私自身こういう分野に疎かったですし、縁もなかったですから、興味津々でした。

今されているのは「紋意匠」と言われる仕事ですが、今ではほとんどコンピュ-ターに仕事を奪われてしまっています。デジタル的なというか、下絵というアナログなものをデジタル画像にするという、全くコンピュータにこそ得意な仕事ですから、防ぎようもないのです。

ただしかし、上流・下流の仕事の狙いや思いや癖や、・・などなどを「汲む」というまだまだコンピューターには届かない部分を持っているのですが、そう言う「勘」を生かした仕事ぶりが、今評価できるかというと・・・・・。

今はもう、この時点で「廃れてしまっている」仕事を、まさに博物館の資料的な意味で存続していると言っても良いような状況なんですね。
この仕事はほぼ「現役」ではないのです。
ですからこの方たちがお亡くなりになれば、この地上から消えてしまう種類のものでしょう。

前の文で「ほぼ『現役』ではない」と書きましたように、全く必要とされないのではなくて、実際は細々と生かされてはいるのです。
でも運命の趨勢は変わりません。

そう言うことを思いながらファインダーを覗くとついつい力が入ってしまいます。
撮らせてくれる職人さんも「撮っている=記録に残る」ということを感じながら写されてくれていると思いました。
もうすでにお亡くなりになった和田禅という方がおられます。型染め友禅の型を切る仕事を長年されて、その後、型切そのものを作品として独立させた方です。その和田さんが、ご自身の肉体的な寿命と仕事の命の灯を重ね合わせて、「撮ってくれよ。」とおっしゃっていたのを思い出します。

そうした機会に、私は写真に託されたものというものをひしひしと感じました。
写真はわたしの個人的な楽しみには違いないのですが、しかしまた極めて社会的なものだなあと思ったのです。
そう言う社会性を担いながら写真を撮るということもまた大事なことだな、と。
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- 2021/02/09(火) 00:00:15|
- 工芸
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大学の4回生の時の記憶がほとんど何もない私にとっては眩しい光景です。
本当に卒業式の時に答辞を読んだ最後の瞬間と、会場を出て先生やあまり顔見知りでない何人かに「答辞、感激したよ。」と声をかけられたのと、これから河上肇の墓参をして帰京するという仲間たちを見送った時の一人取り残されたような寂寞感だけが記憶に残っています。

この二人は同じ専攻の先輩と後輩のようですが、どちらも大学を離れてそれぞれの地に分かれていくようです。
今日は日差しもありちょっとほわっとした空気です。

私にはこれまで自分が写ったの写真が極めて少ないのです。大学の頃もほとんどありません。
誰も撮ってくれなかったのですね。 学習合宿や総括合宿の時などのものが多少はあるはずなんですが、どうしたんでしょうねぇ。

今みたいにお互いにも自分でも毎日のように写真を撮る時代とはあまりに違いますね。
何しろ何を食べたか365日の記録を残す人も稀ではないのです。未来の風俗研究家などは史料に困ることがないのでしょうね。
ただ文章は彫が浅いですけど。

コロナがなければ今頃イタリアに行っていたんだろうなあと。
中学生も高校生も、そして大学生も、今年はそうした思い出の場面を作れずに卒業していきますね。
「でも、あの時は何もできない年だったなあ。、と思い出すことだろうと思います。と前向きでした。

私はあの時、京都府知事選のお手伝いで私自身には卒業ムードはありませんでしたからね。
ですから、他に4回生のいない寮に一人、期限ぎりぎりまで居座り続けていましたっけ。
何か行き場のないというか、いてはならない感がいまだに深くしみ込んで夢にまで見るのです、かな?

まあ、とにかくボーっと生きていたという事でしょうね。

振り返ってみれば「ボーっと生きて」来たことの集積が現状なんでしょうね。
そう言う意味では、こうして今この瞬間をしっかり自分のものとして迎えているこの二人はますます眩しい存在に映ります。
- 2021/02/07(日) 12:34:11|
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この人は画家さんなんですが、「人物」にしておきました。

ちょっとした有名人でもあります。
でも、私は幸運なことにそうした一面を知らずに出会い、興味の湧くままに撮らせてもらいました。
こう撮ったら本人が喜ぶかなとか、この人のファンが喜ぶかなとか考えないで撮れることがいいと思います。

以前にも書きましたが私は人の好き嫌いがあって、受け入れ窓口が狭いのです。
私がいいなと感じる面を、その人がいいなと感じてくれているという、同調感はとても大切です。
それだないとなかなか人の写真は成り立ちにくいと思っています。
時には、ご自身は「こんな面もあるんだねえ。こんな表情もするの?! へ~、案外いいんじゃない?!。」でもいいんです。

ほぼ同じ世代ですから、この人のちょっとカッコつける感じに共感できるんです。
以前流行った言葉で「ちょい悪おやじ」ですかね。
それを演じる自分に正直なんですよきっと。 私にもそういうところがあります。それがなければ、多分こんな風に自分が撮った写真を人に見せたり文章書いて呼んでもらったりはしないでしょう。

この人は結構義理堅い人で、俗的な言い方をすれば、この人の方が斯くが上なんですが、私の個展にワインを差し入れたりするところがあるんです。まあ格上だと思うからするんだということも、あるかもしれませんが、そう言う事じゃなくて、義理ははたすということだとおもいます。
私は義理を欠く人間ですが。

退職金は5000万円だったそうです。そういう事を私のような貧乏人を前にして・・・・いえ、彼は講演でも話すし、文章にもしてますから・・・・沙羅っというところもですが、彼がえらいのは、その後それ以上に稼いでいるという事でしょうね。好きなことを存分にしながら。

義理も固いし、人を喜ばす話芸にも秀でています。 まあ、並みでないということは確かだと思います。
こういう人を見つけて撮るのはとても愉快なことです。
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- 2021/02/07(日) 00:00:05|
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最近、これまでルーティン化してきたことが実行できなくて、少々不満が鬱積しています。
原因はいくつかあるのですが、結果の一つがこのブログに記事が書けないこと。
まあ、人生のある局面ではやらなくてはいけないことが出てくるもので、仕方のないことですが。

それはさておき、今につながる写真を撮り始めて頃には、好奇心が今より強かったし、意欲的だったのかなとも思います。
それでこうした写真も撮れたのでしょう。

この「露店」を出している、背後に見えるレストランについても私は興味津々だったし、殊にそこの働く人たちに関心がありました。
そこのstaffも快く受け入れてくれて、何人かの写真も撮らせてもらいました。
中に、とても好きな写真も撮れました。

短期の仕事のアルバイトさんだったと思いますが、こういう人を採用するセンスがいいなあと思いました。その他にメンバーも爽やかな感じの人が多くて、若い人たちの職場のはつらつ感もありました。
最近は幾分業態も変わりスタッフも入れ替わって、ちょっと遠ざかっています。

つくづく、早くCOVID-19の不安から解放されたいものですね。
マスクで覆われた顔同士では、どうも気持ちが高揚しませんし、何しろ距離を保たねばならないし、出会えないのが困ります。

人類史から言っても地球史から言ってもあるかないかの一瞬の事ですが、人の個人史から言えば長い!ですよね。

- 2021/02/05(金) 11:12:37|
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jazzの演奏って楽しいですね。
どこからでも撮ってくださいと言ってもらえてもう足元まで行って撮らせてもらいました。

ここまで書いていたら突然の電話で中断。
家人を迎えにいかないといけなくなりました。それでこの後は明日に回すことに。
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- 2021/02/03(水) 00:00:05|
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写真の個展について私は二つの考えを持っていました。
私はリタイア後の(つまり今の活動を始めて)3年後に初めての個展をしました。
それまで、個展などと言うモノはなまなかなことでするモノではない。 よほどよく撮れた写真で、見ていただいた人に、それなりに、まあ撮れているんじゃないのと言ってもらえるようなものでないといけないと思っていたわけです。 何か気持ちを動かすような、気持ちに残るような写真でないとダメだと。

ところが、もしそう考えるとしたら、この私がそういう境地に至ることが果たしてあるんだろうかと思う訳でした。
それは無理な相談だろうと思うのでした。 ということは、私は個展をするという経験を持つことができないのだろうか。個展をしたらどういうことになるのだろうということを知らないままで終るのだろうか。

ある時、手作り市の会場を歩いているときに、「待てよ!この人たちは皆こうして個展を開いているじゃなのか?!。」と思いました。
街のギャラリーを訪ねているときに「こういう作品で個展やグループ展をしちゃまずいんじゃないの?」と思うことがありました。
これはどういうこと、私の考えはどこかおかしい?!

個展がどういうものか経験もしていないのに、ああだこうだと考えていること自体がおかしいんじゃないの。
やって見て、どうもやはり私の出る幕じゃないなあと思えれば、ごめんなさい、不遜でしたと引っ込めばいいじゃない。
第一免許も資格試験も必要ないんだから、自分がやりたいと思えばしたらいいんじゃないの?!

私の個展を見て「どうもひどいね。こんな写真で人前に出てくるなんて。」というものがいるに違いないけど、そうでないことだったるだろうし、どれくらい酷いか酷くないかも見てもらって話を聞かなくちゃ分からない。ダメですねぇという批評を聞く覚悟さえあればできるんじゃないか、やってもいいんじゃないかと。

で、やってしまいました。なんと二週間です。見ていただいた人はとても少なかったです。
でもプロの写真家に「写真家を名乗れ」と言われたりして、また写真を前にしていろいろ語り合うことができたり、やって見なくては分からない楽しさがいっぱいありました。
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- 2021/02/02(火) 00:00:04|
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私が時々お世話になるサイクルショップの前です。
店の前にコーヒー販売所?!

来年には路面店を出す計画だとか。 働いてお金を貯めて、いよいよ夢の実現。

京都は学生の街でもあり、職人さんの街でもありましたから「喫茶店」の数が多いのです。
銭貨を、一部を除いて、ほぼまぬがれたせいもあって地域が壊れていないせいもあるでしょう。東京ばかりマネして町壊しをしてきた数多の街とは少し違うという面もあるでしょう。 昔ながらの喫茶店があちこちにあります。

最近の気取った「カフェ」とは違います。
くつろぎと会話のある喫茶店です。

この頃はやっているコンビニのコーヒーなども、味は向上し種類は様々に多いですが、肝心の居心地は文化の外です。
「ぼくが学生の頃は一杯のコーヒーで本を読みゼミの学習会をし・・・、そんな喫茶店だったなあ。」
「そうです、そういう喫茶店をしたいのです。」

客の回転を速くするためにお尻の落ちつかない、だけどオシャレな椅子にしたり、テイクオフ中心にしたり、そういうものじゃないんだそうです。
マスターとの楽しい、でも押しつけがましくない、会話のある喫茶店かな。
- 2021/02/01(月) 00:00:03|
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