共同通信社 2021/01/27
「 千葉県八街市の住宅に強盗目的で押し入り住人にけがを負わせたとして、強盗致傷罪などに問われた花咲徳栄高(埼玉県)野球部の元主将、千丸剛被告(21)ら男4人の裁判員裁判公判が27日、千葉地裁(坂田威一郎裁判長)で開かれた。千丸被告の証人として出廷した同高野球部の岩井隆監督(50)は「まさかという思いと同時に、被害者に申し訳ないと反省した」と謝罪した。」という記事がありました。
卒業した元高校生が21才になって犯罪を犯した。それについて野球部の監督が「被害者に『申し訳ない』と謝罪した」そうyです。私は、何をばかなことを言っているんだと言いたいと思います。
その監督はこの元野球部員に、将来は強盗をするんだよ」と教えたんですか?それとも「強盗なんてしちゃいけないよ。」と教えたんですか。運動競技で「精神や道徳を教え込む」なんて言う妄想をいつまで持っているんでしょうかね。そして高校で教えたとしてもその「賞味期限」が一生続くとでも思っているんでしょうか。生徒の自主的成長を信じない人たちの妄想ですよ。 彼を教えたのは「この俺なんだ」っていう気持ちの裏返しでしょうね。
責任を負えないことをやたらに「謝罪する」のは、教師である自分には何ができて何ができないのか、何をするべきで何をしたらいけないのかを間違えているのだと思います。
校長たちも何かあるとすぐに謝罪しますが、そんなことまであなたが責任を負って何かできるのですか?というところまで謝罪しちゃダメです。
ということはさて置いて・・・、
こんな風に夢中に熱心に取り組めるということは羨ましいことですね。
- 2021/01/31(日) 00:00:04|
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写真の撮り方を忘れてしまう、正直そんな感覚があります。
私の場合の「撮り方」の中には見ず知らずの「素敵な人」に声をかけるという事も入りますが。

森浩毅という方の絵の個展がギャラリー四季AIRで開かれています。
この方はジャズ演奏家の演奏する姿を描いているのですが、それが実にいい!!のです。
パステルの色彩は明るく、全体にのほほんとした空気なのですが、奏者の姿勢も表情もその捉え方、描き方が秀逸なんです。音楽の陶酔がそこにあるという感じです。
それで、それを見に行こうと出かけたのですが、長い閉じこもり生活の所為かどうか、曜日を間違えて休廊日に出かけてしまいました。
この日の午後は晴れ間が出ていくらか暖かかったために余計に・・・・今日出かけないと明日は雨だから、も重なって・・・間違えることになったのです。

私のいつものメインストリートは鴨川沿いのコースです。
今は通常とは比べ物にならないくらい人出は少ないですし、この人もこの辺りを独占状態でした。
こちらからカメラを突き出して「撮っていいですか?」の身振り手振りをするのですが、遠すぎてわからないらしいのです。
じゃなくて、演奏に夢中で気づいてもらえないのです。

以前にも撮らせてもらったことがあって私の活動についてもお話していますから大丈夫でしょうが、そこは念のため。
曲が終わって、そこで話を聞いて、長渕剛の曲だということを知りました。
歌詞がなかなか良くて、この人にも合っているようで。 大好きなんだそうです、長渕剛が。

右手が橋の橋脚をくぐるのですが、それがラッパになっていて向こうから来た時にかなりの声量で聞こえました。
以前はカラオケボックスで練習していたのだそうですが、「カラオケボックスだと声がよく響いて実際より上手に聞こえてしまうので・・・・」外で歌うようにしているんだそうです。
ハーモニカを5,6本持っていますね。
12本ないと全部のキーをカバーできないらしいです。 なるほどど、そういうことになるわけ・・・です・・・よね。
私がいくつかのギャラリーを回って帰ってくると、まだ練習していました。
そうですよね。写真だって同じはずなんです・・・・のに・・・・・。
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- 2021/01/30(土) 00:00:07|
- 音楽
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FBで時々レッスンやステージの様子を見せてくれることがあります。
今はコンテンポラリーな分野にも挑んでいるようです。

ドイツでもSARES-Cov2の広がりで厳しい状況が続いているようですから、活動にも制約が大きくて難渋していることでしょうね。
それにご両親も大いに心配されていることと思います。

漱石がロンドンの下宿で無聊をかこっていたころは海外にいくということは「命の危険」を伴うことで、今生の分かれを覚悟するような人もいたことでしょう。
岩倉遣欧使節団に加えられた大山捨松は出発直前に旧姓「山川さき」の名を母親に「捨松」と改められたことは有名なエピソードですね。(その後、大山巌〔薩摩藩出身・・・・山川さきはご存知の通りその大山らに攻められた会津藩です〕と結婚して大山捨松となります。)
ちなみに大山捨松はスペイン風邪でなくなっています。

それが今ではこの人のように、若い女性がどんどん海外で活躍の場を切り拓こうとしています。
今や「大学の卒業旅行」に海外に行く人は少なくありません。
地球は狭くなりました。
そんな狭い地球のあっちでもこっちでもCOVID-19罹患者がいて(累計で一億人越え、死者数215万人)、未だに収束の見通しがないばかりか、途上国でもこれからの感染爆発が懸念されているのに、たかだか日本国内の感染者数の増減に一喜一憂して、確かでもないワクチン接種計画に前のめりに期待し、感染終息を夢想して半年後にオリンピック・パラリンピックをやろうというこの島国的世界観の情けないこと。

世界のことを心配することができない保守政治家たちの視野のお粗末さ。
だから地球環境について切迫感をもてないだとか、原発に固執するだとか、核兵器によって恫喝政治をする国に対して媚を売るだとか、食糧時給率が4割を切っているのにのほほんとしているようなことができるのでしょうねぇ。 世界と21世紀が見えていない。

こんな眼差しをしていたこの人が遠い欧州の地で手足を存分に広げて活躍することのできる日が一日でも早く来ますように。
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- 2021/01/29(金) 00:00:03|
- パフォーマンス
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この人は今ではドイツを拠点に活躍されているはずです。
この写真はそのドイツに向かうほんの少し前に、しばらく国を離れるからというお母さんの希望で撮ったモノです。

私にクラシックバレーの予備知識がないので、果たして撮れるのかなあと思いながら約束の場所に出向きました。
私はこういうレッスンスタジオにも入ったことがありませんでしたから、屋内で動きのある被写体を撮るだけの光は足りるだろうかなどと・・・・。

背筋、大殿筋・・・て、よく分かりませんがなにをどう鍛えればこういうことができるのか、すごいなあと感心しながら・・・。
ヨーロッパの長い伝統の中で生み出された身体の様式美ですね。

渡欧して自身の活躍の場を見つけようとする意志と意欲にふれてとても刺激を受けました。
少し意識して写真を撮り始めて数年ですから、余計に・・です。

上の写真の向かって右側に大きな開口部がありガラスがはまっています。
半地下ですからひかりは直截的にではなくて、少し和らいで入ってきますのでその点はよかったです。
光に方向性もありますしね。

世代も随分違いますし長年レッスンも積んでいますから、私とは大分体形が違います。
それでも渡欧すればその体系も欧州基準で観られてしまいます。
ロシアで育つ若いバレリーナの映像を見ると、そもそも次元が違うと感じます。
言葉の事も含めていろいろ高いハードルがありますが、それを承知で挑むこの人を応援する気持ちで撮りました。
- 2021/01/28(木) 00:00:10|
- パフォーマンス
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私は艶っぽい世界にはとんと縁のない生活をしてきました。
芸子、舞妓の世界は言うまでもなく、和服の姿の良いおかみさんがいるような呑み屋にも行ったことがありませんでした。
「洋」の方にも行ったことがほぼありません。

ある時、鴨川に沿って自転車で走っていると、多分玄人だなと思う方が三味線のお稽古をされていました。
開店前の一時、おさらいをしているのだという事でした。 小料理屋さんをされているとのこと。

それはこの方です。前の方を「お姉さん」と、その片は呼んでおられました。

師匠の前でおさらいをする会があるので来ないかと言っていただいて、花見小路にあるとある料理屋さんの二階に伺いました。

花見小路の料理屋さんで飲んだり食べたりしたことなんかありません。
接待などという代物がない職場でしたし。 まして自腹を切ってなどとんでもないことで。

こういうところでセ゚撮影をするなんてことも想像できませんでしたから、おろおろしてしまいます。
照明なども今まで経験したことのない条件ですしね。
難渋しました。

なんでも経験してみないとわからないものですし、逆に言えば一つの経験が、次の少しマシを生み出す貴重な宝だということも知りました。
何もかも手探りです。 今でもあまり変わりませんが。
- 2021/01/27(水) 00:00:03|
- 芸事
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ここのところ以前撮った写真をアップしていますが、2014年ころまでのモノをあげています。
退職後それまでしたことのないような街歩きをしました。それで今までは気づかなかった建物・施設や人の動きを知りました。
私が職場にいて働いているような時間帯の街の動きを見るのはまだまだその頃は新鮮でした。

この人はJARFOという団体のギャラリーの前で版画制作をされていました。
それまで私はギャラリに足を踏み入れるような気持ちの余裕なしに働いていましたので、できるだけ色々なところに足を踏み入れるようにしていましたが、何も知らない故に心理的なハードルは高いものでした。

そもそも芸術の分野で若い作家たちがどうやって育ち、食べていけるようになるのかということなど現実的なものとしては分かっていませんでした。
芸術系大学を出て卒業すれば、才能のあるものはやがて認められて画家になると言うような実に漠然とした浮世離れした非現実的な知識でした。

色々なギャラリーに出入りしてギャラリストさんともお話が出切るようにない、又若い芸術家志望の人たちとも交流するにつれてようやくその大変さと、そしてその大変な道を行こうとする若者の姿を知ることになりました。

そう言う彼らの姿を見たことも、わたしが不遜にも個展をするようになった理由の一つでありました。

このギャラリーはいったん河原町今出川を下がったあたりに引っ越して、今は西大路丸太町を下がったあたりに引っ越しています。つい先ごろも出かけて作品を見てきました。ここの責任者の方にはいろいろお話を聞かせていただいています。
定年退職したころには「定年後の思い出」などというものができるなどとは思ってもいませんでした。

ただ、この版画のように後に残る活動をしたいということで、写真を撮っていたという事です。
それがいつの間にか「思い出」になっていました。
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- 2021/01/26(火) 00:00:04|
- 版画
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吉林省から来ている調理人(厨师)さん。
お店の御主人は台湾人。

ここのランチは充実しているのですが、殊に鳥のから揚げ定食はボリュ-ムも味も大満足。
男前さんです。

私は遼寧省に行っていたことがあるので、東北三省にはなんとなく親しみがあります。なんとなくですが。もう一つが黒竜江省ですね。
私たちが高校の日本史で学んだ高句麗好太王碑文は吉林省通化市集安市にあります。
同僚と一緒に集安市に行って新たに保存施設が作られた碑文を見てきました。

集安市は中朝国境の鴨緑江を挟んで対岸に満浦市が見えるところです。
集安市は河岸に沿って・・・あまり華やかとも大規模とも言えない・・・・ネオンサインがきらめいていましたが、対岸の北朝鮮側は火の気が消えたように静まり返っていました。
夜見ていると自動車の灯下が遠くにたま~に走り過ぎていくのが見えます。一台が通し瑠ぎればしばらくはまた深い闇に沈みます。

私のようにぼんやりした人間にはそれと見えませんでしたが国境警備は厳しいとのことでした。
でも対岸から小船で漕ぎ出せば肉声で大声を出して会話ができそうでした。
この辺りは元来小朝鮮族の故郷ですから、東北三省には多くの朝鮮族が住んでいて、ある程度の自治権をもっているようです。

早朝から太極拳や様々な武術・舞踏を楽しむ人の姿は日本と趣が違いましたが、登校する小学生、出勤する男女ののざわめきの風景は日本と変わりありませんでした。

国内の観光者もあるところでしたから、私がカメラを提げて撮り歩いても誰も訝しく見る人はいませんでした。
中華包丁を持つ腕がたくましいですね。
この幅広な包丁で大胆にも細やかにも何でもこなしてしまうのですから、すごいものです。それによく切れます。手入れがいいのでしょうね。

中国で若い素敵な友人たちを得たこと共に、中国での体験が定年後の私の生活意識を大いに変えました。
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- 2021/01/25(月) 00:00:01|
- 料理
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ここは賀茂神社です。
昨日、芝の上に横になった写真がありましたが、それも同じです。

この辺りはよく時代劇に使われる一帯です。
上賀茂手作り市もここで開かれます。
小川で子供たちが遊んでいました。

上賀茂神社の社家の一つです。 ここは公開されています。

彼女はこのとき何歳だったんでしょうかね。 魅惑的な年ごろ?




- 2021/01/24(日) 00:00:03|
- 人物
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この人との出会いは手作り市でした。
この写真も出展中です。
場所は高槻だったかなあ。 私は滅多に京都盆地を出ないのですが、南西方向には。

ミノルタのレンズのボケはきれいでしょ。 うん?!ちょっとガチャガチャしているかな、ちょっとですね。
でもこれズームですよ(?) このころはひたすら28-70ミリ f2.8 でしたね。 いいレンズですが、最近はほとんど出番がありません。 大きいし重いからです。 それにマニュアルのピントリングの動きがガサツなんです。 でもそれらって写りには全然関係ないんですよね。 だから、やはりいいレンズなんです。

今となってはどのようにして手に入れたか記憶していませんが、多分、北大路の今は既に閉じてしまったあの店で見つけたんだと思います。
デジタル用の新しい設計のレンズでないといけないって少しも感じません、私は。

この人、なんだか不思議な憂いがあると思いませんか。
快活にしているかと思うとふとした瞬間にメランコリックになっているんです。
写真を並べてみると感情の起伏が見えますね。
おもしろいですって言っちゃあいけないのかも知れないですが、何か惹かれるというか気になるものがありますよね。

こういう撮られる側と撮る側とがやり取りしている写真て面白いです。
楽しいです。

そう言う人っていくらでも撮りたくなりますね。
- 2021/01/23(土) 00:30:07|
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この撮影ののちに彼らに誘われて幾度かライブをとりに行きました。
未体験ゾーンに踏み入れたわけですが、彼らの新設によって楽しい撮影体験ができました。
ビールを飲みながらの撮影も初体験でしたね。
そしてこうした縁勝者が自分の演奏の姿を写真に撮ってほしいという気持ちを持っていることも知りました。
宣材としても写真が必要なんですね。
そして実際何度か撮影をしてもらう経験があって「soujyu2さんの写真は演奏する側の気持ちがよく現れていて一番好きです。」なんて言われて他のミュージシャンたちにも写真が紹介されたりすると、ずいぶんうれしくなって調子に乗っていたものです。

そして、写真を撮るときに聴衆の代理人みたいな役割を果たすことがあるんだなあということも彼らに教えてもらいました。

クラシックの演奏者を撮った時もよくそう言われました。
写真を撮るってことがどういうことか、新たに発見できたことでした。
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- 2021/01/22(金) 00:00:14|
- 音楽
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あれは2019年6月の事でした。
清水寺の経堂をお借りしての個展のことです。「音楽・人・人生」と題してそれまで撮りためたプロ・アマのミュージシャンの写真を展示しました。
ジャズあり、クラシックあり、邦楽ありでした。

そういう写真の初めのころのものです。
若いころ見たレコードジャケットのミュージシャンの写真を「いいなあ」と思っていたことが多分に影響しているのだろうと思います。

音楽よりも「人」に焦点を当てようとしているのですが、そこはやはり「音楽をしている人」にならざるを得ません。
表題に「人・人生」を入れているのは、音楽の場で、音楽を通じて、音楽によって・・・生きている人を撮りたいという願望ですね。

今こうして書いているときにもトロンボーンによるジャズ曲を流しているように、音楽は嫌いではありませんし、楽器演奏のできる人に対するあこがれが強いですから、撮るときにやはり音楽の楽しさとか美しさとか厳しさとか壮麗さとか・・・・を撮りたくなるのも仕方がありません。

今は、冬で寒いし、SARES-Cov2の事もあるし、それに何だか他の事情もあるかして、路上パフォーマーの姿がめっきり見られなくなりました。
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- 2021/01/21(木) 00:00:14|
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2021年になってもう20日ばかりが過ぎたわけですが、未だに新しく人を撮れていません。
外出自体がぐんと減っていますし、仮に「素敵な人」を見つけても声をかけられるような雰囲気じゃありません。

私は退職後、少なくとも人を撮る活動を10年は継続しようと思ってきたのですが、今永い中断を余儀なくされています。
それで政府・自治体の愚策に余計に腹立たしい思いが募るのでしょうかね。

まあ、しかし、そういうことは長い時間の中では色々あるわけで、それを超えた10年の継続ということに意味があるんでしょうから、腐らずにやっていこうと思っています。
ただ次の選挙では「この恨みはらさでおくものか。」とは思っていますがね。
山口第4選挙区(下関市、長門市)の方々、神奈川第2選挙区(横浜市西区・南区・港南区)の方々、ちょっと真面目になってくださいよ。あまりに恥ずかしいですよ。大坂、広島もですが。


- 2021/01/20(水) 00:00:02|
- 人物
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この人とは、それまでにも、それからも、滅多に私が足を踏み入れることがないような場所で出会いました。
そんな所に入り込めたのは大学時代の友人のお蔭なんですが、京都に住んで半世紀の中でも、実に稀有な数回でした。
私に対しての「特別警戒」が実施されているわけではないのです。 念のため。
この建物は気に入っていたのですが、今は防犯のために無粋なベニヤ板などが打ち付けられていて美観を損ねることこの上ないです。

「京都に行きますので、呑みましょう。」と言ってくれたのがキャンセルになって、もう、はや2年余りでしょうか?
出会った頃は私よりお酒には強かったのです。むしろ酒豪と言ってよいかもしれませんでしたが、何度かとびとびに会っているうちに酒量が減りましたね。

私の旧職と同じ世界に入りましたので、写真のことを別にしてもいろいろなお話をしました。
とてもまじめで、頑張り屋さん。仕事に対しても誠実な人です。
きっと職場でも信頼されているんじゃないかな。

就職しての初めての職場が京都からは少しばかり遠いところになったこともあって、なかなか会えなくなってしまいました。
もう少し仕事の事でも伝授したいことがあったのに・・・・。

私の写真撮りのスタンスが、普通❓とは少し違うことの一面が現れているでしょうか。

今頃どうしているでしょうね。

- 2021/01/19(火) 00:00:04|
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この人の写真を核にして個展をしたいなあと思っています。
仏師の高橋さんです。
仏像を彫るということは、ただ彫刻をするという事とは違う側面がありますね。
これは彫る者にとって重いて相違だと思います。

高橋さんの写真を撮るようになって、私の仏像を見る目が少し変化したと思います。
もともと・・・・不遜にも・・・・仏像を見た時にその出来不出来を意識することがあったのですが、もっと作者を意識するようになりました。

眉間、目、口元、指・・・・肩の傾きなどなど、捉えたい点がいくつもあります。 像の向きなどもまた大切な要素です。
それがすべて同時にバランスよく条件を満たす瞬間を撮るというのは至難の事です。

私は、こうして撮るときに静かなこの場所でうんうん呻きながら撮ることが時々あります。
高橋さんたちはそれを訝しくも思われず、仰向けにひっくり返った私を笑いもせずに受け入れてくれますので大変うれしいのです。
実際、これじゃない、もう一枚、うんもう少し、などという言葉が「うんうん」になって出るのです。

高橋さんは私などに構わず彫り続けますし、私は私でファインダーが曇るほど顔を押し付けて撮りまわるのです。
その時間が有難くて、ときどき、ご迷惑を顧みず伺うのです。

写真は被写体があってこそですからね。
鑿の先を光らせることや像の表情を見せることなど気にすることはまだまだあります。

写真は多元方程式の解を一瞬のうちに求める技ですね。
- 2021/01/18(月) 00:00:01|
- 工芸
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視力が衰えた上に、フィルムカメラ時代のように抜けの良いファインダーを装備したカメラが少ないので、困る。(高性能なOVFを積んだカメラは、今や恐ろしく高価格です。)
そのうえピントもオートで会わせる前提があるようで、マニュアルだと合焦もつかまえにくい。
それでこのレンズを生かせないでいることがもどかしい。

あまり、レンズが、カメラがということを言いたくないのだけれど、壊れかかった私のメイン機を前にして、やはり溜息、吐息になります。
どうせいSARES-Cov2のために緊急事態宣言も出ていることだし、カメラを入院させようかなとも思うのですが。
また出費がかさみますねぇ。
この方はとはこの人の個展でお会いしました。
人物画の個展でした。
使われている色と線で実にモデルの個性をうまく描き出しておられました。
写真ではなかなかかなわない部分です。

お付き合いされている彼もまた絵を描く人で、この人をモデルにして描いた作品を・・・別の日に彼の個展で・・・見せてもらいましたが、ほれ込んでいるなあとよく分かる作品で、この人の魅力にあふれていました。

よく写真を撮るときにもモデルに恋をして撮れなんてことを言う人がいますね。
私としては、それはどうかなあとこの言説をあまり肯定的に受け入れてはいないのですが、彼の作品を見て、あながち的外れでないのかもとも思いました。

この写真の色は、いかにもキャノンのそれだなあという感じでしょうか。
好みは分かれますね。
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- 2021/01/17(日) 00:00:13|
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このころはまだ若々しい老人でしたが、今となっては年季の入った老人になっていて、こういう写真を撮るときの精神状態を自己観察して、「違和感ある?」って自問自答しています。

多分、相手次第で、機会があれば、まだまだ撮るんじゃないかと思います。
侘び寂の世界に入るのはまだまだ早いですからね。
というか、そういう境地に入るには知性も、理性も足りません。 悟れませんね。

多分、高大、旧職時代にやり残したことが多すぎるんです。
それで足掻いているんでしょうね。
小人は閑居していないで善・不善の中で足掻きましょう。
お気づきでしょうが、この時、私はこの人の鼻がかなり気に入って撮っています。

「うん、、大丈夫。夕飯までには帰るから。今、四条だから○時には帰れると思うよ。」・・・なんて話しているんでしょうかね。

最近、公衆電話を見つけるのはなかなか難しいですね。
我が家から3分のところにもありますが、使っている人を見たことがありません。
でもきっと必要な人はいるはずです。
スマフォは高いし、固定電話も、かけなくても基本料金を払わなくてはならないし。
今、それが負担できにくいまでにこまでに落ち込んだ貧困層が・・・・皆が意識せず行政もマスコミも実態をはっきりさせていませんから、話題になりにくいですが・・・国勢調査で歩いたりすれば、・・・・相当存在することは実感できると思います。
さて、今日はもうお別れですね。
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- 2021/01/16(土) 00:00:03|
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この人は似顔絵作家さんです。
今はどちらで似顔絵を描かれているんでしょうね。

確かな記憶ではないのですが、私はこの時に大分遅刻をしてしまったんだと思います。
待ち合わせの時刻に間に合わせて出かける直前に仕事の関係の急な対処が必要になって、30分くらい遅れてしまったでしょうか。
当時私は携帯電話を持っていなくてこの人の電話番号も知らなかったのです。

寒くて暗い中を待たせてしまいました。
この後も私は携帯電話を持つことに抵抗があって、長いこともちませんでしたが、こうして約束して撮らせて頂ける機会が増えるにつれて必ず待ち合わせの5分前には現地に行くということについて守り続けることに不安を感じることが出てきました。
バス、地下鉄で行くはずが、何度か、タクシーに乗ってもぎりぎりセーフということもあり、ついに携帯電話を持つことになりました。

持てば便利には違いないのですが。
携帯電話を持つ若い子が度々約束の時刻に遅れてくるということを何度も経験すると、この便利さが人の習慣や意識をダメにしているんじゃないかなあと思います。
スマフォがあれば随分便利さが増すんでしょうが、失うものも多いと思っていて、以前として持ちません。
でも、もうじき電話機能+αのガラ携は姿を消す気配ですね。

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- 2021/01/15(金) 00:00:04|
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今年に入って・・・妻の仕事の関係上もあるし、孫が受験生だし、緊急事態宣言も出るし、京都府・市政が頼りないし・・・・・外に出るのが億劫になりました。
昨年までは「寒い!!」日には敢えて自転車をこいで、こんな寒い日にも外に出たという実績作りで自分を励ましていたものでしたが。
ところで、定年後の私に力をくれた要因にはいくつかのことがありますが、その一つが手作り市の出店者の皆さんの姿でした。

私は勤め人でしたからこうして自身で道を切り拓くと言うような生き方はしていませんでした。
様々な人がそれぞれの思いで自身の制作物をもって出展されていました。
そしてこうした露店から路面店への展開を考えている方から、こうした出店形態でこそお客さんと交わって、その気持ちに接して制作の意欲や構想が高められるという方、などなど。

若い方が軽々と国境を越えて材料の買い付けに言っていたり、製作品をもって世界を回っていたりする姿も見ました。
その意欲や大胆さんには驚きました。

最近は、・・・・私が見慣れてしまったせいかどうか・・・・そうした驚きを感じさせてくれる出店者は少ないように感じてします。
若い方が少ないようですしね。
何か波のようなものがあったのかもしれません。

それでもモノづくりをしている方たちのご自身の考え方を聞かせてもらうとう~んとうならされることがあります。
私のカードと一緒に、はいパチリ。
このカードはかなり早い時期から使っていて、多分2000名を相当超える数、もらっていただいてきました。

これまでいろいろなところで知り合った方々の中には民間企業、なかんずく広告代理店のような企業で働いてきた人も幾人かおられてそう言う業種では名刺配りは極めて大事だったらしく、私に、人を見れば渡せ、交換しろと促されることもたびたびで。
ただ私の場合は・・・・原則としては…撮らせてくれた方に、何かそのg穂事情が変わって写真お後悔は具合が悪いなど、あるいは私のコメントに対してご不満や不愉快などがっあった場合に連絡をいただくためにお渡ししているモノなんです。
そして、私はこうした写真を撮っているモノなんですという自己紹介も兼ねています。

ただ、問題は多分に課題広告というか、羊頭を掲げているというか、実態とはちょっと違うのです。
この、私としては上手くいきすぎの写真を見ていただいて・・・・実際私が撮ったモノで、その点に嘘偽りはないわけですが・・・幾分の誤解をいただくことで、話がスムースに進むなんてこともあったり、無かったり。

この方の様に芸術系の勉強をされてきた人には、案外好評なんです。
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- 2021/01/14(木) 00:00:08|
- 手作り市
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街を歩くといろいろな色に出会います。
歩き回りながら探したりもします。そんな場所をいくつか記憶しておきます。
赤、青、黒、黄などなど。

でも京都では、そういう色は少ないんですよね。これは何度も書いてきましたが。
限られた繁華街にしかありません。

私の住んでいる場所など歩いて3分以内に四つの寺院がありますから、瓦の黒、壁の白、松の緑、そんな色しかありません。
周囲も歴史的な景観を守るために厳しく制限された地域ですから、どの色も地味です。

そうかといって大阪まで出る気にはとてもなりませんし・・・・。

雑然とコントロールされていない色が散乱する町は好きではありませんが、撮影用には色も欲しくなりますね。

それにしても写真を見返すとモナリザの笑みを超えるような表情は全然見えませんね。

シャッターとシャッターとの間には笑って話しているんですけど。
でもこういう表情のこの人が気に入って撮らせてもらったわけですから。
- 2021/01/13(水) 00:00:52|
- 人物
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という訳で・・・・。
これまで私の写真生活の色々な意味でのターニングポイントになってくれた人は何人かおられるのですが、この人もそのうちのお一人。
今でも年に一度二度、お顔を拝見するんですが、この人がお住まいを遷られて、結婚もされましたし、なかなか撮影までは。

この時も遠いところから来ていただいて撮ることができました。

きりっとした男前のところのある人です。

どちらかと言えば「撮らせてもらえますか?」「はい分かりました。」という感じの人ではありません。
多分こうして撮ることになったことはこの人にとっても意外な流れだったかもしれません。
私もお願いしておきながら、意外にもOKしていただけたという印象でした。

この人は七宝制作をされていますので、その制作中に撮ることがありました。まさに最初の出会いはそういう形でした。
その後、公開実演の時に時々撮っていますが、訪ねれば当然のようにカメラを出すようになりました。

ですから近況のお話なども多くはレンズ越し、ファインダー越しということが多いです。

第1回と第2回の個展のDMはこの人の写真でした。
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- 2021/01/12(火) 00:00:06|
- 人物
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ある怪しい空気を漂わせたギャラリーの奥に陶芸のできる部屋があり、そこで作品作りに励んでいた方です。
とある大学で教鞭をとっておられたと記憶しています。

ギャラリーの雰囲気の怪しさについて一しきり話をすると、僕の作品もねとおっしゃり、ギャラリーオーナーも「相当なものだよ。」と相槌を打っておられました。・・・・と言っても記憶をよみがえらせればというお話ですが。

芸術に携わる方の多くは、私が撮影をお願いすると、大概、私の方も芸術的的な撮り方をするのだろうと「忖度」をしていただけることが多いのです。

それで「こやつはどんな風に撮るのかな。」と、ある種のリスペクトがあるのですね。

それで、「じゃあ、こちらもいつもの通り本気で制作をすればいいんだな。」と。
ところが、私が好奇心から色々話しかけてしまいますので、「解説」をしながら、笑いながらということになってしまったりして・・・。

私が距離をとり、空気と化すことも一面必要ではないかと・・・。

そこはちょっと難しい問題があって、・・・・。

このころは撮れるだけでうれしいという気持ちが過半でしたね。
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- 2021/01/11(月) 00:00:06|
- 陶器
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モデルをしてくれる人に必要な資質は?
自分を演じられる、どう見てほしいか、どうありたいか、どういう自分であることが期待されているか、ということを察知して具現できる人でしょうか。
誰でもが、多かれ少なかれそうしたことを…意識してか無意識でかは別として・・・・やっているものですが、これがで上手にきるかできないかということがカギでしょうか。

その人のありのままなんて言葉がありますし、自然な表情なんて言葉もあります。
が、そう言うものを撮るだとか、撮れるだとかいうことを言う人を、ましてそういうものを撮れた写真がいい写真だなどと言う人を、私はあまり信用していません。
これは人間観の問題ですね。

ただあることに夢中になっているときに、見られる自分というものを意識していないことはあるでしょうね。
そしてそれはそれで意味はあるのですが、そのことと「その人となりを撮った」という事とは必ずしも一緒ではないと・・・そういう事です。
鑿の先端に意識を集中し、木の削る口の反応を指先に捉えようとしている人の緊張と自己コントロールに没頭している姿は魅力的です。
そう言う写真と「人物写真」は実は必ずしも同じではないと・・・。
まあ、私は普段は人物を被写体としているものを全部十羽一絡げに「人物写真」と言っていますけどね。

そして、たま~に「ドキュメント・ポートレート」などと言って区別しようと試みてはいます。
と言ってもこれは相対的に区別できるだけで、截然と万里の長城をもって区分けできるわけのものではありません。
だって、何しろ人間の、その人自身の活動なんですから、その人の一部が、しかも相当心を込めて取り組んでいるその姿が、そこに現れているのです。ですから、その人自身の人柄が現れないはずはないのです。

まあ、そういう事は通常はどうでもいいのです。
ただ、人物写真を解説したりしたものを見たり読んだりすると、わたしは思わず理屈っぽくなるのです。
あまりに粗雑な議論だなあと。
写真の人の少なくない人は技術論や機材論は熱心なんですが、・・・・。

- 2021/01/10(日) 00:00:02|
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今でも東京で、タレント活動をしているのかな。 ネット上には写真も出ているけれど。
印象的な目をした人です。

これを撮ったのは8年ほど前になるのかなあ。
記憶に間違いがなければ、東京の高田馬場近くの某有名大学に行ったはずです。 何年も前に卒業していますから、こう書いたからといって彼女が困る事態は起こらないでしょう。

この人に「将来の方向は?」と聞いた時に、びっくりするような返事を聞かされたことを思い出します。
周囲の友人たちも、それは既に知っていることで、いわば周知の事だったのですが。
今でもそれを目指しているのかなあ。 もし実現したら、それはそれで事件です。 私もその成果を見てみたいと。思います

多分この人は・・・・ちゃんと教えたはずですが・・・・私のブログを見ていません。
もし見ていて、「私もその成果を見てみたいと思っている。」ということを知ってくれたらうれしいのですが。

この人を撮ることができたのは、東京に行くまでのごく短い期間だけのことでした。
ですから、この時以外の写真はありません。

とても印象的な表情をしますから、是非何度も撮ってみたい人でした。
「人を撮る」写真は、ある種運命的というか、「縁」というか、多くの場合文字通り「一期一会」ということになるわけで・・・。

まして、私もこの年齢になって「余命」もたかだか知れているわけですから、これからのチャンスには、心して臨まねばなりません。
そう言うことを今まで以上に意識しようと思います。
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- 2021/01/09(土) 00:00:02|
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2011年の写真が見つかりません。やはり壊れたハードディスクとともに失われたものと思います。バックアップ態勢がなかったですから、被害甚大でした。
転ばぬ先の杖をつかないといけませんね。
今現在は・・・形ばかりは・・・3台並んでいますが、一番大きなハードデスク、4テラのものも空き容量が1.5テラほどになっていますから、近々追加せねばなりません。 個展の度にプリントしたものが何十枚かずつあります。それが結局一番安定的に保存できるものかもしれません。
意欲旺盛だったんですね。こんな方にも声をかけています。
ゴッホも注目しているでしょ?!この人に。

確か当時は大学の最終学年だったんじゃないかな。
カメラを向けてやや緊張されていますが、とてもてきぱきとして歯切れのいい案内をされていたと記憶しています。
確か周囲に同じようにレンズを向ける人はいなかったと思います。 看板〔ポスター)を撮る人は多かったですが。

今の私ならちゃんと?カードを渡して、別の機会にも撮らせてくれませんかとお願いするでしょうに。
ゴッホの目に気圧されて、これ以上近づけませんでした。
そこから先は私の領分だ・・・そう言っているようです。 ゴッホに守られた人、です。
でもゴッホさん、あなたも素敵な人がいたら絵に描きたいと、そう思いませんか? それなら私の気持ちも分かるでしょ?と言ってもっと近づくべきでしたね。
このころはいつも28ミリ―70ミリ(f2.8通し)のズームレンズでした。 古いレンズですがいいレンズだと思います。

こんなこともあったんだなあと懐かしく思います。
えっ? 写真を撮りにいっただけなのかとお聞きになるんですか。
勿論、絵を見に行ったのですよ。そしてちゃんと見てきましたよ。念のため。
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- 2021/01/08(金) 00:00:02|
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部屋にはほかに誰もいませんし、「作家」さんと向かい合って撮るわけですから、そういう経験の少ない私は・・・表面上はともかく・・・・内心多少緊張しているわけで・・・・。
そんな時期でした。

後で、私の旧知の人の知人だと知って、改めて小料理屋で、知人たちも交えて一献傾けて話をしたものです。

これが、お正月らしいかなと思って、今回はこの殿村さんに登場してもらいました。
全体の色調は白・灰・黒と青。
そこに右上の炎の形のオレンジ色。それが殿村さんの頭上背後に位置している。
右手からの光も障子を通して柔らかく静謐な感じで、「大変よくできました。」
左腕は切らないほうが良かったかもしれませんが、そうなるとちょっと穏やか過ぎるのじゃないかなと。
炎に絡んでこの方の意志とか厳しさもと考えて切ったのだったかな。

これは炎ではなくて印肉の朱がポイント。
それで私のネームも朱にしましたが、それはやり過ぎだったように思います。
が、殿村さんが落款を押しているので、私もそういう気分でしてみたのです。

- 2021/01/07(木) 00:00:04|
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このちょっと強面な人物は絵描きさんです。描く絵に言葉を添えて人に励ましや慰めを・・・・。
ちょっと近寄りがたい雰囲気ですが、破顔一笑すると何とも愛嬌のある方です。

どうです、優しそうでしょ?!

この写真を撮ったころは、まだブログにアップするのも随分と不慣れで、写真も遠慮気味に小さいです。

退職後で、これまでと違った生活領域を広げようと興味津々だし、体力も今よりずっとありましたから、いろいろなところに顔を突っ込み、人にお会いして撮りました。
ですから今よりずっと写真に多様性がありましたね。
描いているのはお地蔵さんかな。

- 2021/01/06(水) 00:00:01|
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当時使っていたカメラは京セラコンタックスRX。それに国産ツァイスレンズを付けていた。
とても良いカメラとレンズだったと思うが、使いきれていたとは、とても言えない。
でも、まぐれでヒットした時の写真はとても気持ちの良い絵になって楽しかった。ことに人物の滑らかな立体感はえも言われないものがあった。
これらのレンズを使うにはマウントアダプターが必要だが、今の私のメイン機のα900には対応するアダプターがないので宝の持ち腐れになっている。
この時撮った別の写真がとてもいいのだが、探しても出てこない。
多分ハードディスクが壊れた時に、それに記憶されていたのだろうと思う。
もしどこかからか出て来たら大喜びだ。

この人はしばらくすると事務所が「肖像権」を管理するようになって撮っても公開できなくなってしまった。
今はフリーだから機会ができれば撮れるという話になっているが、その機会が作れない。
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- 2021/01/05(火) 00:00:05|
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当時としては、私にとって〔破格〕の人だった・・・・と思う。
自身、モデル志望だったということもあって色々教えてもらった。
いい場所があれば金網を共に超えることもした。 彼女は、その時、肩ひもの、裾の長いワンピースだったと思う。
写真を撮ることについての「根性」というか「覚悟」というか、そんな気迫を感じた。

車の中で着替える・・・・ただし私は、車の外で反対向きになって見張り役・・・ことも厭わなかった。
いい写真を撮ろうという気持ちを共有できた感じがしていたと思う。
彼女には野心もあったし、それが心地よかった。
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- 2021/01/04(月) 00:00:03|
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当時、まだ仕事は土曜が「半ドン」でしたから、仕事が終わるとランチ終了の2時までに駆け込むのが、通例でした。
時には仕事のけりがなかなかつかなくて、店前で車を止めて「駐車場に入れてくるから、ランチをよろしく!」と1時59分とか時には2時をわずかに過ぎて強引に飛び込んだものでした。

入ってしまえばこっちのもの。
クローズの看板になっても、仕込みのマスターや、その手伝いをするバイト学生といろいろ話を弾ませたものです。
週一回の楽しい時間でした。
その店も、今ではもう閉じてしまっています。 本当においしい料理だったので残念で仕方がありません。 が、そこではお客同士の話も楽しくて、私が今参加している「京都ファインダー倶楽部」へはお馴染みさん同士の面職から加えてもらったのでした。
- 2021/01/03(日) 00:00:02|
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ご覧のように表情にもポーズにも何も注文を付けていません。
何もと言えば嘘になりますか、ここに立ってこちらに目線を・・・・、だけですね。

後は私がこの人の素敵さを楽しんでいるようなものです。
今でも、こういうスタンスはほとんど変わっていませんね。
敢えて言えば、一人勝手に「賛歌」を歌っていると言うような写真ですね。
文字通り、独りよがりでしょうか。

まあ、職人さんやミュージシャンを相手に撮るときも、とどのつまりは同じ原理でしょうかね。私の場合。
だから人が褒めないのは無理もないかもしれません。

おまえさんの趣味になんか付き合っていられないよ、とね。

恋話だって聞く方より話す方がずっと楽しいでしょ。じゃないですか?

そう言うのが露骨に出ている写真展とかステージとかはお客さんが辟易しますもんね。
でもお客さんに忖度してばかりの展示じゃどうなんだろうかと思う訳で。
写真を販売したりするのだったら別ですが。

私が向こう側に行く気がないのは、一つは独りよがりを続けたいからだともいえるかもしれません。
そう言う意味で社会的に存在価値があるかどうかということは問われてきますね。
でも、こんな素敵な人を見つけましたよ。
おや本当だね、確かに素敵な人だね。いい人だ。
と、言うようなことになれば、これはまたこれで愉快なことじゃないかな、と。
- 2021/01/02(土) 00:00:20|
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