エクモ、CTRなど重症患者受け入れ対応医療資源=見つけられてよい重症患者数。・・・a
病院ベット数・医師数・看護師等医療資源など=見つけられてよい中等症、軽症、無症状感染者数。・・・・b
(a+b)÷0.03=検査数
これ以上に検査数を増やさない。感染者を見つけない。そうしないと「医療崩壊」が起こる。
ここには根本的な思考の欠陥がある。
医療資源に合わせて患者(感染者)数を数えるのか、
患者(感染者)数に合わせて医療資源を調達するのか。
(調達せねばならないという事態が生まれればこれまでの医療行政がどのようなものであったかが鋭く問われることになり、又「平時」に必要でない医療資源に投下する税金を惜しむ人たちによる「抵抗」が生まれる。)
医療資源から逆算された(見つかっても良い)感染者数を超えたモノはいないことにされる現状。それが今年初めからずっと続いている。
その結果、いないこと(ないことに)にされた感染者による感染拡大が、「私はここにいる!」というSARES-Cov2の顕在化によっていやおうなしに現実の感染者の広がりとなって表れてきている。
その数字が示す感染者数の何倍もの実態としての感染者がいると考える理由がそこにある。
政策が「後手」に回るのは、自公・維政治の原理的な問題なのだ。
- 2020/12/31(木) 00:00:03|
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明日からは各地に大雪が降るそうです。
先日の大雪でも交通渋滞があって難儀した人、屋根の雪下ろしや道路の雪かきで困った人たちのことが報じられました。
毎年のことですが雪国はこの時期大変ですね。
まして今年はお互いに助け合おうとするときにもマスクが必要ですし、「濃厚接触」ができません。感染予防距離を保たなくてはならないのは、夏の台風被害の時にもありましたね。雪かき、雪下ろしなどは肉体的にも負担が大きいでしょうがその上に呼吸を制約するマスクをして、では大変です。周囲に人がいないときなどはマスクを外すようにして、体、特に脳に過剰な負担にならないように、そのことで判断が鈍って事故につながらないように、気を付けてほしいものだと思います。
多分、31日から新年までには京都にも雪は積もるでしょう。
私も気を付けたいと思います。
- 2020/12/30(水) 00:00:46|
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一昨日に今年最後の上賀茂手作り市に行ってきました。
出展はお店の間に約一店分の空間を確保していますので、いつもの半数くらいです。
幸いこの時期としては暖かな晴れの日でしたからいお客さんも出店者もほっこりした感じでした。
先年までは外国人観光客も相当いて、売り上げに貢献していました。
既に「初詣」は始まっていて、破魔矢(上賀茂神社では別の名だったかな)をもった人もちらほら。(北野天神ではもっとたくさんいる感じでした。受験生の親などが多いせいでしょうか。)
ここしばらく手作り市で心動かされるような出店者に出会っていません。 私の心の方に変化があるんでしょうね、きっと。
そこで出展されている馴染みの写真家さんとお会いして「過去の写真をアップしてみたら?!」とアドバイスされました。いえ、私のブログの事です。 SARES-Cov2の広がりと無責任な政府のお蔭で人との出会いが難しくて滞っていますので。
私もこれまでを振り返るようなことをしてもいいんじゃないかという気持ちがありましたから、・・・・以前も少しし始めたことがあったのですが・・・過去の個展の写真などを掘り起こそうかなとも思います。
それはさておき、今日の写真も等持院です。
- 2020/12/29(火) 09:53:40|
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今日からGo to トラベルが中断。「中断」ですから、少しでも早く再開したいという政府の思いは強く現れています。それにしても遅かったし、あきらめが悪かった。しかも、・・・・収束とか、感染者数の大幅な減少や医療体制の抜本的な拡大とかの見通しもないうちに・・・・・延長は既に決まってしまっていますから、やはりこれからも「人災」は免れないように思います。
もうすぐ新年で、各地の神社は初詣を待っているのでしょうが、飲食店の営業を午後10時までなどとして営業損失を強いる政策をしているのに、初詣の自粛を呼び掛け、神社の協力を強く要請するということもないのは何故?
それをしたら信教の自由を侵す? そう言う判断じゃないように思いますが。
それぞれ分散参拝の呼びかけとか、賽銭もネットでとか呼びかけてはいますが、何だか歯切れが悪い。
村の鎮守の神様くらいは構わないとしても少なくとも全国に名の知られる大規模な神社は進んでその方向を自ら打ち出すべきじゃないのかな。
神様っていったい誰のために何のためにいる(?)のかな?
- 2020/12/28(月) 16:57:04|
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年末ですね。
SARES-Cov2の広がりが止まりません。この京都でも100人台に入ってしまいました。
京都府も京都市もメッセ-ジも対策もぼんやりで、多寄ないったらありゃしないのです。
こういう問題で「自助」は極めて限定的ですから、断然「公助」が期待されるわけです。
私は妻が保育園の延長をしている関係で・・・・感染予防や、保護者や職員の周囲に濃厚接触者が出てPCR検査の対象者となっただけで、それはそれは過重な実務や対処策を講じなくてはいけないので、神経をする減らし、体力を削がれてきています・・・・せめて身内だけでも感染のリスクを減らして、負担を軽くしようということから、私自身外出を極力減らしているわけで。
で、写真が撮れないという訳です。
台湾のように対策を厳しく講じても、なお感染が絶無とはならないのが、難しいところですが、ましてゆるゆるというか、感染を助けてしまう政策をするようなわが国では、まさに事態は「人災」になっているわけです。
私がこうしてブログを人物写真で継続できないということと、自公政権の無策、悪政とをしっかりと結び付けて記憶しておこうと思います。
- 2020/12/25(金) 13:04:25|
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昨日は「お歳暮が届いたよ。」と、わずかばかりの贈り物を喜んでくれた従弟たちから電話がありました。
電話口ではいずれも口々に「新型コロナで・・・・。」と。そして京都の感染者数の多さを心配してくれました。加えて安倍、菅内閣の感染防止対策や医療体制のあまりの酷さに憤りを隠しませんでした。
毎日新聞やNHKの世論調査結果などで菅内閣に対する不支持率が急こう配に増えていることが伝えられましたが、こうした気持ちの広がりは、相当な広さ、深さを持っているのではないかと感じました。
全くあきれてものが言えない。
それにしても早12月も4日。先日、妻はせっかくの誕生日に検査で病院へ。
このところずっと調子が良くないから全身検査はいいタイミングといえばいえる。毎日SARES-Cov2感染を用心しての仕事で神経が相当やられているように感じる。
ところで、病院関係者への感謝などの言葉が溢れているけれど、そう言うこともある種キャンペーン的に視野を狭隘化させられていることになっていると思う。
苦しい人たちはもっと多方面から声をあげるべきで、その当事者だけでなくて、周囲で気づく人も黙っていてはいけないと思う。自分が感染しないようにするというのは大切だが、そればかりでいいのか?「自助」を押し付けられて押し黙っていては他の人の苦痛も軽減できないし、却って「あなたも我慢して自分の努力で」というメッセージになりかねない。
なんでも政府・自治体に助けを求める、要求するというのは間違いだと言うような維新的・自民的な考え方は押し返さねばならない。財界は何でも政府自治体に要求して巨額の税金を様々な名目で引き出している。アメリカや・軍需企業も同じだ。そういうもの大して同じように「なんでも政府・自治体に助けを求める、要求するというのは間違いだ」と言っているか。
命にかかわることでさえ「自助」の枠に押し込める冷たい政治を「ボーっと見てるんじゃないよ!」と後世の人に言われそうな気がする。
- 2020/12/24(木) 00:00:49|
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郷原信郎氏が、昨今の菅政権の在り様についてインタビューアーの質問を受けてあきれ果てながら話をしていました。
「開いた口が塞がらない」とか「あきれてものが言えない」とか言う言い方がありますが、これらは安倍政権なり菅政権などのために準備されていたのではないかと思う位、郷原氏の苦笑、失笑、嘆息が続いていました。
さて、私は思うのです。
政府・自治体に言いたいのです、「安心しして感染できる社会にしてほしい。」と。
感染者との濃厚接触があってPCR検査を受けただけで、職場からはにらまれ疎まれるし、子供は保育園や学校に行けなくなってしまう。地域では肩身の狭い思いをする。ましてや感染が確認されれば家庭崩壊、失職、介護・保育の危機に陥ります。
陽性と判断されればたちまち買い物のできなくなって入院の支度も十分できず、残された家族のその後の生活の手当てもできない。2週間も途方に暮れて病院やホテルで過ごさねばならないのです。そこへの差し入れも独り身なら絶望的です。
陽性判定が出たら2週間は職場を休まねばなりません。それを職場の管理職が「そんなに休んでもらっては困る」と平然と言うのです。
家庭での療養などということがなぜ可能なのかわかりません。国民一般に一体何部屋の家に住んでいるんでしょうか。トイレや風呂や台所が複数ある家は普通なんでしょうか。
40人も詰め込まれた教室から帰ってくる子供たちがいつまでも感染を避け続けられると考えることは妄想でしかありません。
手洗い、うがいなどをどれだけ徹底しても、密は避けていないのですから。文科省が30人学級を要求して財務省はようやく35人学級を認めましたが、世界は25人学級へととっくに進んでいます。
欧米では陽性が確認されれば入院グッズが届き、幼児の保育園の送迎や高齢者の介護などについてボランティアを含めた手厚い支援がただちに届きます。
イギリスでは毎月50万円を限度として前年度土所得の8割が保障されます。(前年度所得の80%-今月所得=補填額 が毎月振り込まれる。日本ではたった一度10万円が配られて、それさえ麻生財務相は後悔している。)
こんな劣悪な状態ですから自分が感染者になったらとんでもないことになるということで「感染したけどしなかったことにしよう」「隠しておこう・隠しなさい」などということが起こるのです。だから体調がおかしいぞと思っても検査を受けないで済まそうともするのです。
ある意味で、安心して感染できる社会でないと感染は一層深刻に広がると思います。
- 2020/12/23(水) 00:00:29|
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竹を編むためには、その下準備にかなりの手間がかかります。
太い竹を割って、4,5ミリの細いものにして、いらない肉部分をそぎます。
簡単に言えばそうなんですが、たくさんの材料を事前に準備するのですから、「編む作業は全体の3割くらいになるかなあ。」

そうして準備ができてからいよいよ編む作業に入るわけです。
竹のしなやかさを増して仕事がしやすくします。そのために水に浸けるのです。
あるいは曲げやすくするために薄い竹を更に松葉状に二分したりします。

今日はコースターを制作しています。
本格的な籠などはここではちょっと制作しにくいので…。

作業台の前に小さな焼き物の花器を竹で編んで包んだものが置かれています。
陶芸家とのコラボ製品です。 質素ですがなかなか愛らしくできています。
かたくてこげ茶で土らしい肌触りの焼き物になめらかで艶のある色をした竹が取り巻いているのはなかなかバランスのいいものです。

竹細工の人はよく自身の太ももの上で作業をします。
竹を削いだり、撓らせたり・・・。 それで厚手で丈夫な生地を使った前掛をしているわけです。 どうやら酒屋さんのものですね。

それにしても今日は露出が決まりませんね。
白黒写真の良さが出ていません。 いつまでたってもこんな具合では撮らせてもらう人に申し訳ないです。

どうもISOをあげきれないのがいけないようです。 ISO100から遠く離れてはいけない、はねれたくないよいう意識がいまだにこびりついているようです。
三つ子の魂とでもいうのでしょうか。

10年余り前のモデルだからという意識も手伝っているんでしょうかね。
人間の意識というのはなかなか難しいものです。
- 2020/12/22(火) 00:00:18|
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Go to トラベルが12月28日から一時中断されるということで、今のうちにという駆け込み的な旅行者もいないではないのでしょうが、この京都では場所によってかなり人の姿が減っています。
京都の感染者数については、京都在住者の中に不信感を持っている人もいるようで、発表されている感染者数と実数には少なくない乖離があるんじゃないかと疑う声も聞かれます。
斯くいう私もその一人ですが。

京都市長は観光関連事業者に相当掣肘されているというか、自ら進んで迎合しているというか、感染予防対策には熱心さが感じられず・・・・。
そんなわけだ意識的に外に出ようと心掛けているつもりの私でも・・・家人の職業の関係もあり・・・つい活動力が落ちています。

毎度、書くことですが、とにかく人に会わなければ成り立たない私の活動ですから、現況は実に具合が悪いわけでして。

ここはこうして制作している人との間に感染予防距離を保持できるようにテープを張って柵がされていますから、比較的安心です。
人も込み合っていませんし。
使っているレンズも85ミリです。

こうした制作の場面では、目だけではなくて口元もとても大事な要素です。
力の入り具合、気持ちの集中の度合いなどが、そこに現れることが多いのですから。

ですから、やはりマスクは・・・邪魔ですね。
早くマスクなしで撮りたいものです。
「2020年の写真の人はマスクをしている」ということが歴史的な過去となって語り草になるのでしょうね。

多分、今、街で写真を撮っている人、殊に繁華街や雑踏の情景を撮っている人は後世に良いものを残すことになると思いますね。
学校の情景、病院の様子などもそうでしょう。
写真が役立たねばならない「季」と言えるかもしれません。
- 2020/12/21(月) 00:00:26|
- 工芸
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吹く風が少し冷たくなってきたころ。
私のギャラリー巡りが時々この道を通る。 時間のない時には「こんにちは~」と声をかけてを振って通り過ぎる。すると銅心さんも、こちらを一瞥して手を振り「元気にしてるか~?」と。

少し余裕のある時には傍らに腰を下ろして話す。
いまは、SARES-Cov2のことがあるから、こんなオープンスペースでも少し遠目に場所を占める。
銅心さんも私も高齢者だし。

彼はひどく暑くてもたまらなく寒くても16:00までは腰をあげない。
16:00まではそこにいるだろうと、いてほしいなあと思って来る人がいるからだ。いや、いないかもしれない、が、来るかもしれない人に対して「わしがいないと・・・・。」と思って座っている。 何も商売のために一つでもう売れるチャンスを逃したくないと思ってそうしているのではない。

時に随分遠方から彼に会いに来る人がいるのだ、何人も。
彼は言う。「この頃、時にコロナの影響もあって心が痛んでいる人が増えている。特に若い女性と・・・・昔で言えば・・・思秋期の女性たち。
そういう人がただ銅心さんに話を聞いてほしくて尋ねてくる。
建物の陰からしばらく様子をうかがっていて、意を決して近づく人もいる。
そういう意味では私などが長話をしていると、具合が悪い。

この人の、いわば地べたに近い視点からすると、今の政治は言いようがないくらい冷酷でひどいという。
政治の動きも、政治家の言動についてもよく知っていて批判は鋭い。
評論家ぶった言葉でもなく、シッタカブッタ言い回しもない。

この人の目の前では取り繕った善人ぶりや知ったかぶりは通用しない。
だからと言って人を面罵したりするような人ではない。そういうことをするが詰まらないことだということをよくご存じなのだ。
京都には実に数多の寺社がある。壮麗な伽藍に居まして、高級そうな僧衣などをまとってぬくぬくとして説教を垂れているものたちよりどれだけ人を救っているかわからない。
- 2020/12/20(日) 00:00:33|
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これはもうプライベートフォトに属するんですが、やはり素敵な人なので。
足掛け9年のお付き合いになりますか。
会うたびに知的にも精神的にも成長した姿を見せてくれます。
そして私にとっては世界への窓の一つです。 現代を見せてくる窓です。 つまりこの人がしっかり現代世界にコミットしているという事でもあります。

色々な意味で確実に私とは違った世界を見ていますから、私は魔女が水晶球を覗くような感じでこの人を見ます。
それに水晶球のように魅力的ですしね。

人と人とは三次元空間の二直線のようなもので、交差することはゼロに近い確率だろうと思います。
そうした中で出会いをもてるということは・・・・それが誰にせよ・・・・文字通り僥倖と言わないといけませんね。

定年退職後の生き方、生活の仕方についてどう考えていたか、いるか等についてインタビューに来てくれました。
個人的な思いとともに人類史的な意味を話しました。
そういう話ができる人だということがうれしいのです。

ただ、この人と話す時には気を付けないといけないことがあります。
以前朝鮮ニンジンを送ってもらったのですが、それを焼酎に漬けたものを呑むと、・・・・・普段私の眠りの質はとても悪いのですが、…眠りが改善されるのです。それでお礼のつもりで、そういう話をすると、次にまた高価なそれが届いてしまうのです。それで話し始めた直後に「しまった・・・話しちゃいけなかった。」と思う訳ですね。
そういう人なんです。

これは書家の宋由美子さんの作品と一緒に撮ったモノです。
旺盛な作品制作をしている宋さんは京都アートカウンシルを引っ張る人でもあります。
- 2020/12/19(土) 00:00:54|
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あるお寺の塔頭の庭をモチーフにしてその四季を描いているそうです。

長年この仕事をされてきて「生活しなくてはいけないから受けた仕事もするけれど、合間の時間で自分のしたい仕事をするようになった。」とおっしゃっていました。
作品として制作したり、お孫さんのためのものを描いたり。

「うれしいことにこの仕事は(自分がこの世を去ってからも)残るからねぇ。」

毎年職人さんたちの作品を発表展示する機会があります。それを目指して制作されれているとのことですが・・・・。
「描いたものを見て『それだ欲しい』と言われて、展示会のためのものが売れちゃうことがあって・・・。」
また新たに描くと言うようなことが度々あるんだそうです。

お話のお様子では私の散歩コースの辺りにお住まいらしいです。
多分ゆっくりと15分も歩けばお宅があるんじゃないでしょうか。
このモデルとなっている塔頭も我が家から徒歩15分くらいかな。
有名な僧如拙作の「瓢鮎図」のある塔頭です。
果たして瓢箪で鯰をおさえることができるのでしょうか?

土井さんはこの着物の図の中の水流に鯰を潜ませて遊んでみようかとお話していました。
こうした図柄もただ綺麗なだけで無くて時としていろいろな仕掛けが潜んでいるものです。
注文によって描くのではないからそういうことができるんですね。

残る仕事、その言葉が心に残りました。
- 2020/12/18(金) 00:00:06|
- 伝統工芸
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これはソフトフォーカス用のレンズを使っているのではありません。
必ずしもピントがあって高解像度の写真ばかりがいいわけじゃあない・・と思って撮ったわけでもありません。
単にレンズが緩んでこうなっちゃったんです。 要するにピンボケなんです。 でも、結果的に悪くないなあと。
昨日の写真もそうですね。

こういうところはやはり白黒がいいかな。

繁華街の路地裏にはこういうところがあります。

初めて会った時から数年が過ぎていますから、その分こういう情景に合うようになってきています。
そんなところも長く相手をしてもらってきたことの楽しみですね。
今後ますます大人な雰囲気が濃くなるんでしょうね。

これが本物なら大騒ぎです。

突然雰囲気が大きく変わりますね。
これも同じように繁華街の路地裏なんです。 まるで植物園の大掛かりな温室で撮ったみたいでしょ?!

沢山ある路地の一本一本、皆表情が違うのです。
もっともっとロケハンが必要ですね。
- 2020/12/17(木) 00:00:27|
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こういう建物でも撮影を許してくれるところとそうでないところがあります。
許可される場合の条件も確かめておく必要があります。
本社の担当に許可申請をしないといけないとか言われると、私はすぐに諦めてしまいます。
案外簡単な話の事もあるんでしょうが。

このショウウィンドウについても先日確認をして撮っています。
店の宣伝になるしいいですよ、とアラウンド40の店長さん。
でも、ひどくうるさいところもありますね。デザイナーズ何とかいうとこなどはなおさらです。

何か難しいことを言われた時に「そこを何とかお願いできませんか。」と言うような根性は私には全くないので、直ちに撤退です。
いい人を見つけた時も同じですね。
これではプロにも作家にも成れないのは当然です。

現場の人はマニュアルを超えて判断することを徹底的に制限されていますから、お願いしても「NO]と言われることが多いのも当然です。
企業で働いていて自主的な判断ができないなんて当たり前だという、恐ろしい国ですからね。 そういう状態で人生の一番実りの多いはずの時期を過ごすことを余儀なくされていてもこの社会の仕組みを疑わないまでに人々は奴隷化されているのです。そういう社会の仕組み・価値観を内面化して疑わないのです。
だからあまり現場の人を困らせるのは止めています。(原則やマニュアルは是非必要なんですけど、それが過剰だと思うんです。そうなる根源は職場が働く人々のものではなくて、経営者のものだということですね。)

さて場所を移して・・・・。
京都ではこうした色を見つけることはなかなかできません。場所にもよりますが、看板や建物の色には制限が厳しいですからね。(原則賛成です。)

以前ここで撮った写真をアップした時にも同じようなことを書いたと思います。
黒や白はあっても赤や青や黄というような色はごく少ないのです。
他府県の国道沿いや繁華街のあの乱雑猥雑な過剰な色の暴力には閉口しますが。(京都でも制限区域の外は似たようなものですが、それでも県(府)境を越えた状景とは違うように思います。)
地方の国道沿いなどは街の景観づくりにあまりに無頓着すぎると感じることがよくあります。そこでは「私権」が横暴すぎるのだと思います。

続きを読む
- 2020/12/16(水) 00:00:14|
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記事を書いていてふと恐ろしくなります。
えっ、今日はもう12月の半ばなの?! 一年が終わってしまう! 私の知人たちの中にはSARES-Cov2の広がりの中で、感染を警戒しつつも旺盛な活動を続けて、毎日を充実させている人が多数みられますから、私の毎日が何と薄っぺらく、まさにぺらぺらと繰られていくのを感じて、虚しさと恐怖を覚えます。

もしこうしてブログを書くことさえなかったとしたら、どうでしょうね。
逆に言えば、ブログを書くことで何かしらやっている感を出して自分を慰めているだけなのかなと思います。
私がよく言う「一喜一憂の種」を、・・・それがなけなしのものであっても・・・拾い集めて数えなければ、老いの時間がほとんど無色で陰影の無いものになってしまいかねません。

こんな心理が嵩じていくと「うつ症状」に転化していくのかもしれませんね。
人間は、自分を説得できる物語を作ってその中で生きるのでしょう。、その物語を意味あらしめるために何かしらもがくのかなと思います。
ニーチェとの戦いかな。

人間だけが・・・・ただし太陽系第3惑星上ではという事ですが・・・・「人生」だなんてものを定義したがるんですよね。
この日は前から天候が今一つだという予報でしたから、すぐに雨を避けられる街中で撮ろうということで出かけました。
今撮っている場所で撮っても大丈夫だということを前に確かめてあったので、こうしてちょっといつもと違う感じです。

色が邪魔だという場面です。
- 2020/12/15(火) 00:00:28|
- 人物
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中高時代の旧友の一人がずっと野外でのスケッチ水彩画を描いている。
そして連日一日に一枚をブログ上にアップし続けてきている。
それを見せてもらってきて私の目も多少肥えてきている様な気がしている。単なる「気のせい」かもしれないが。

それで外でこうして絵を描いている人を見ると件の旧友もこんな風にして描いているのかなあと思う。
今度こっそり横浜に行って彼の出没しそうな、港の見える公園とか三渓園とかで網を張っていて「すみません、良かったら写真に撮らせてもらってもいいですか?」と声をかけてみようかなとも思う。

普段は温厚で節度のある男だが、相手が僕であることを認めたら、「そこから撮ったんじゃフレアが非道くならないか?! もう少しこっちじゃないかなあ。」などと写真談義にも華を咲かせることができるかもしれない。
「実は最近このカメラにしたんだよ。」と愛用のカメラを見せてくれるだろう。

気を使わないで話せる数少ない友人だ。
彼からいろいろ指摘されたら腹も立たずに受け入れられる。何しろ彼の方が知識も腕も上だから。

彼がペンFをもって私がトプコン・ユニを持っていたころの経験がなければ、今私がこうして写真を撮っているかどうかわからない。
彼と一緒に行進曲をスペリオパイプでコピーして吹いた経験がなければ、いまこうしてジャズやクラシックを流しながらブログを書くようなことはなかったかもしれない。
つまり私の人生の発芽の時期を共に過ごす時間を共有してくれた友人なのだ。

そんな彼の事を思い出しながらシャッターを切っていた。

この人も小学校以来、絵を描くことが好きで書き続けていると。
- 2020/12/14(月) 00:00:34|
- 絵画
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背後に写り込む人物、通りかかる人や自転車、そういうものを意識し撮りますが、なかなか思うようには動いてくれません。
一方、こういう撮影では、そう長々と辛抱強く待っているわけにもいかないのです。

レンジファインダーのカメラの場合、片目はファインダーを覗き、もう一方は目を開いてフレームの外の様子をうかがうと言います。
そうするとそのフレームに入ってくる人や物が見えるからですね。

その点一眼レフカメラはファインダーが光軸上にあって・・・・そこがとても良い点であるのですが・・・ファインダーをのぞく目でしか見られません。
それで時々前後左右を・・・・行きかう人の邪魔にならないかとか、危険物はないかということを確かめる意味もあるん尾ですが…見回して「鴨」を探すのです。

犬を連れて歩く人がいる会ないかで画面はずいぶん違いますよね。
頭の上というのはちょっと位置がうまくないですが。


オッ!来た来た。

何がですって?!
- 2020/12/13(日) 00:00:13|
- 音楽
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撮らせてもらって、私のカードを渡そうとすると「以前撮ってもらったことがあって、そのカードは家に持っています。」とのことでした。
マスクをされているし、服は違うしで、全く気づきませんでした。

真冬ほどではないにしてもこうして開けたところで冷たい風にあたり続けていると、弦をおさえる指がかじかみます。
たまにはポケットに入れて温めないと・・・。

秋の陽は釣瓶落としと言いますが、もう冬至も遠くありません。
極端かも知れませんが午後二時ころには陽の光に黄色味が混じって来ます。
4時ころともなればもうすっかり夕景になります。

あっ、後ろ姿ばかりだからといって「盗撮していたな。」、なんて誤解しないでくださいね。
この人を見かけた時に、太陽があそこにあるからと決めていたのです。

演奏の時は、やはり顔の表情は撮りたいものです。
でも昨今はそれはなかなか無理な注文です。マスク撮ってもらえますかと言いにくいですよね。

これまで何度か口にしているんですが。
このまま来年の今くらいまでSARES-Cov2を抑え込めない可能性があります。そうなると人々はあまりに長く外出時にマスクをして鼻と口を隠す習慣が定着して、他人には口を見せられない、恥ずかしいということになってしまうんじゃないかと。
それで口や鼻を出した写真はまるでセミヌードか、極端な露出をしたのと同じように言われてしまって「稟しく」を怒ってしまうことになりはしないか心配しているのです。
「すみませんマスクをとってくれませんか?」≒「すみません服を脱いでくれませんか?」
- 2020/12/12(土) 00:00:41|
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手タレもできそうな綺麗な手指です。
フジフィルムに売り込もうかななんて冗談を飛ばしながら撮っています。

私はカメラの扱いが雑なので傷だらけです。
とても中古市場には出せません。 そういうことに気を使っていたらとても外で人を撮れませんし、下取りくらいを願うだけですね。
それも果たしてどうかな。

手指や、うなじ・肩の線や、脚のラインなどなど部分も気になる私です。
前回の個展でも切れ長の目とかお茶をすする口元とかだけを切り取った写真を混ぜました。

美術館のホールで特別企画の展示をしていたのですが「あの窓からの光で写真を撮りたいのですがお許しいただけますか?」と お願いして、ほんの数カット撮った写真です。
ずいぶん高価そうな作品がたくさん並んで、お客さんもおられましたから、モデル経験のないこの人は戸惑ったでしょうが、

それで有難いご配慮をいただいた方に「こんな写真が撮れました。」と背面液晶モニターを見ていただきました。
こういう時、モデルがいいと自信をもてます。
私をではなくてこの人を見て「いい写真になるんだろうから許そうか」という気持ちになるんじゃないでしょうか。
まあ、係の人は規則に沿って最大限の配慮をしてくれたという事です。
その間2,3分ですから、実は私の方が慌てていました。
雑誌の巻頭グラビア6ページ分を1分でとか言われたら、もうパニックでしょうね。
この時は、「来た、見た、撮った、撤収」でした。

こういう経験もカメラがさせてくれます。
そして周囲の色々な人々の厚意や善意によって一枚の写真が生まれます。
私だけでは撮れません。
- 2020/12/11(金) 00:00:30|
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京都市は高々人口150万の地方都市です。(と言っても市としては全国8番目だそうですが。ちなみに大阪市は約290万)
そういう街の中に神社仏閣が面積を閉めていて、だから景観も神社仏閣がかなりの比重を占めています。
そんなわけで・・・・どんな訳?・・・現代的なロケーションを探すのはなかなか難しい。
しかも大半が私有地ですから、これがまた難問を生む。

お店の中でも、どうぞどうぞと言ってくれるところもあれば、「お断り」のところも。
宣伝にもなりますから、どうぞ撮ってくださいと言われると、お許しいただいたということはうれしいけれど、役に立てる写真じゃないので、申し訳ないとも。 店の名前や商品などはほとんど写さないので。

でも人気のユーチュ-バーで多くのフォロアーのいる人は、まさに宣伝効果が高いので、歓迎されるようですね。
私は人気作家でもなんでもないので、羊頭を掲げることになるけれど、「協力店として名前を入れますので・・・。」とお願いしてみようかな。

これまで私が選んだ「モデル」ならお店の好印象は間違いないでしょうしね。
意識しないで、ふとこんなポーズになる人って素敵じゃないですか?!

こんな夜の街に連れて来たらご両親に怒られそうです。
何しろ箱入り娘さんですから。
- 2020/12/10(木) 00:00:01|
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このところ比較的暖かくて良い天候が続きます。 自転車で走っていても気持ちがいいです。
でも来週には例年通りの寒い日になるんだそうで・・・・。
こんな時期に日本にいるのだから留学生とかすでに日本で働いているとか、・・・・、だからきっと日本語はできるはず・・・・,
とは思っても
〝Hallow I'm a portrait photographer. Can I take ・・・・.” と話しかけてしまう。
話し終らないうちに「こんにちは。」と返事が来る。

「あなたはあの写真を撮った人ですか?」
あの写真とは対岸にまだ掲示されている甲斐扶佐義氏の写真の事。 今秋開催された京都グラフィー参加作品。
「いや、あれは甲斐扶佐義という写真家のもので、僕は別人です。」

甲斐氏も鴨川周辺でよく撮影しているので時々すれ違う。
彼とはごく短時間立ち話をしたりしているのだが彼は少しも私を覚えない。
彼は声をかけないで撮っていく、いわゆるキャンディッドをずっと続けている。この界隈ではちょっとした有名人。
まあ、どうでもいいことなんだが。
何だかフルートではなくて篠笛でも吹くような雰囲気ですね。
フルートの練習をし始めてまだ一か月ほどなんだと言います。
禅の空気さえ感じます。不思議ですね。

まあ、そう感じたので、そのように撮っているのではありますが。
でもこう撮ると松が狩野派の襖絵のようですね。

- 2020/12/09(水) 00:00:41|
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カテゴリを「お店」にするのは、ちょっと違うかなと思いながら。

「モバイル屋台」ですって?! なんだろ?
それも、試作中って?!

SARES-Cov2感染の広がりで人々の結びつきがただでさえ弱いのに、ますます脆弱になってきています。
遊びに行ったり、食べたり飲んだりは政府からも自治体からも業界からも励まされますが、人々の支え合いのつながりはか細くなっています。

よく言われますね。「人」という文字はお互いに支え合って成り立っていると。
人は社会的動物だとも言われます。人は他人とのつながりの中で人として生活できます。そのつながりが今、ずたずたです。
感染の進み具合などが報道されますが、この点について追いかける報道がないものかと思います。
政府や自治体の働きやメッセージの中にこういう視点が極めて弱いです。

そんな中で人々の中で、いかに人とのつながりを生み出すかを模索したモノが散見されます。
ミュージシャンなどの もそうでしょう。 斯くいう、私の個展の意図の幾分かもそこにありました。
鴨川で最近「オープンハイキング」というのを見かけます。
誰でもその場で参加できる「ハイキング」です。 多分移動しません。
ここにハイキングに来たという態で、持ち寄りで交流しましょうということだと思います。

この「モバイル屋台」というのは、とても簡便な屋台を作って、どんななところでもお店を開いて人と人との出会いや結びつきを作りませんかという事らしいのです。
それで、今ここでは「例」としての店が出ていますが、ここsでもお菓子頒布がこの企画の目的ではなくて、お店を作るワークショップが目的なのだそうです。
それで一所懸命に鋸を挽いています。
右手の白い服の方が呼びかけ人らしいです。
ようやく切れました。

この呼びかけに答えて参加した方です。
この人は別のムーブメントにかかわっている方で、さらに多くの人との出会いの機会を作る方法を模索していて「これ、良さそう。」と参加したようです。

この人の活動はこちら。
ホームページから引用してみます。 【間違っていたら、ごめんなさい。)
「京都わかくさねっとは、困難な状況にある少女たちに生きづらさに向き合い、寄り添い、ともにあゆむ活動です。
少女の生活支援と夢の実現をお手伝いする活動です。
地域に少女たちの居場所と、少女を理解し関係を築くことのできる大人を増やし、だれもが心豊かに生きられる社会をつくっていきたいと思っています。」

私のある知人によれば「コロナ以降、若い女の子たちの心が壊れてきている。」と言います。
彼のところにも助けや癒しを求める若い女性が以前に増して姿を見せるようです。
ただ、彼のところでは話を聞いてあげるしかできないので・・・、といっていますが。

実際、とても大切な、是非とも大きなうねりとなって広がってほしい活動です。
学童や中学・高校生にもですが。
- 2020/12/08(火) 00:00:55|
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ご承知の通り京都は観光都市でもありますから、観光の方が多いのです。
若い女性の二人連れをよく見ます。 そして互いに写真を撮っている姿も。
中には一方が撮手、他方がもっぱらモデル焼くという場合も。
いずれの場合も撮られるときには案外ポーズをととっています。
しばらく前は手でピースをしてにっこりが定番でしたが、今は一人の時も二人で撮るときもなかなか色々ポーズをしています。

私が撮っているこんなおとなしいものは少ないようです。
インスタグラムなどでたくさんの写真を見るからでしょうね。また、「主人公」になるのに慣れてきているし、なりたい気持ちを押し殺さない世代が増えているのでしょうね。
結婚式の前撮りにあそこまでこだわるのもそういう流れかな。

撮る方もいろいろ工夫しています。
これまたいろいろな「映える」写真を見ているからでしょう。
プリズム効果を狙ったり、 見上げるアングルを使ったり・・・・。

そういう意味では、インスタをしていない私などはかなり時流から遅れているのではないかと思います。

この人に求めているポーズや表情も「おじさん臭」が漂っているかもしれませんね。
’50、’60くらいのセンスなのかもしれません。

まあ、しかし、それもある意味どうしようもないのでしょう。
自分の感覚が喜ばないものを撮っていても楽しくないのですから。
時代の先取りをしてトレンドをリードするような写真・・・・は、これから一旗揚げようとする世代に任せるしかないと思います。

世代を越えた説得力のある写真というのは難しいのでしょうねぇ。
- 2020/12/07(月) 09:40:23|
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この人と街歩きをしていると、いたるところで、座って見て、そこに立ってと思い付きが浮かんでしまうので、大変です。
「そこに寝てみて」と、やっていますが、ここは時々人が通りますので、そのすきを狙うのが大変。
周囲に迷惑をかけたり、不審に思われるのも嫌ですしね。

一応「こんな感じに撮りたくなったなあ。」と予告しながら、そういうタイミングになったら、サインを出します。
それで心の準備をしてもらっているので、この人の方からも「チャンスですね。」と応えてもらえる訳ですが、案外次の人が早く現れてしまうことがあって、慌てます。何か一緒にいたずらをしている感じですね。

「公序良俗」に反しないようにしないといけません。
が、「芸術」は時として、その「公序良俗」に反する必然がありますからねぇ。
「公序良俗:」を揺さぶってこそ芸術だ!と誰か言っていませんでしたか。言っていないかなあ。
私には今のところそんな勇気はありません。今のところですが。ずっとかな。

もし、そういうことになればこの人には「共犯者」になってもらわねばならないわけで・・・・。
それにしても台湾での「民主派」に対する抑圧はひどい。(私は、日本国内で香港当局≒中国政府のやり方を非難する人たちが
安倍・菅政権の権力的言論監視については無頓着であることが多いということについては非常に残念に思っていますが。)
と、突然脱線しました。

今は、もう12月ですから、こんな風には撮れません。一枚も二枚も重ね着しないと。

すこ~し、色づいてきましたねと言っていたら、もう早くも木々の枝には葉はもうわずかにしか残らない時季になってしまいました。

- 2020/12/05(土) 00:00:58|
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昨日は家を出ていません。出なければ誰とも会いません。
会わなければ、誰も私がいきていることを知らないことになります。
誰も知らない私の存在は意味があるのでしょうか?
外に出れば誰かに会うかもしれません。
ある町屋で「おりん」の展示販売をしていました。
その会場のオーナー(支配人)さん。

元は随分活躍されたプロのカメラマンだそうです。

もう陽が落ちてきていて、向かって右側にある庭も光が乏しくなってきています。
打ち水もされて手入れの行き届いた落ち着きのある良い庭です。多分、庭師から見てもかなり高い評価をするモノではないかと思います。

つい先だってもベテランのプロのカメラマン氏に出会いました。
意外と多いのかなあ。 確かにブライダルなどのカメラ・パースンはよく見かけますが。
この方はファッションをはじめとする商業写真。
最近雑誌に掲載された風景写真を見せていただきました。

男性のポートレートも、やはりいいものです。
- 2020/12/04(金) 00:00:22|
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振り返ってみて気づくことがありました。
私が最近アップしている写真のほとんどは若者を撮った写真です。そうなる理由はいろいろあるのだと思いますが、その一つにSARES-Cov2に対する警戒のことがあるのではと思います。

私がよくいくギャラリーでは、そのすぐ脇を流れる高瀬川から割れた陶器のかけらを拾って、考古学的にアプローチしたり、それを素材として漆作家が作品を制作したり、あるいはまた子供たちも含めてそれらをタイル辺のように張り合わせて楽しんだりしています。
高瀬川の底を浚う工事をした時にかなり掘り返されたことで江戸後期からの陶器片がザックザックと出てきました。

行政はこうしたことについて保存だとか調査だとかしていないのです。
川の中はそうしたことの指定ができていないので、近世以降の京都の人々の暮らしを明らかにする貴重な遺跡・遺物であるのに「知りません」という態度です。 文化庁を呼び込んでも京都市の文化意識はこの程度のものです。
この方はそうした動きとは全然別に個人的な関心で興味関心をもって高瀬川の底の陶器片を集めているのです。

釣り竿に手製の網を付けて道具を作り・・・高瀬川の流れには、原則、入れませんから・・・上手に拾っておられました。
それで声をかけたのですが、すっかり話し込みました。
私とは干支で一回り以上も年長の方ですが、全くそうは見えないかくしゃくとして動作です。
幼少期、少年期、青年期、壮年期と随分と・・・まるで小説か何かのような・・・苦労をして来られて、今安定した生活の中に多様な好奇心を抱いておられるのです。

私の周辺には、わたしより年長で、実に旺盛な好奇心と行動力をお持ちの方が少なからずおられて、私など依然として小童だなあと思わされるのですが、この人もまたそうした人々の先頭に立つ方だなあと思いました。

写真をお送りしましたら、丁寧にも、お礼の電話をいただき恐縮の限りです。
こちらこそ励ましていただいたのですから。
- 2020/12/03(木) 00:00:18|
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ただで写真をあげちゃうの?! 出費が大変でしょ?
ということになるんですが、実は大変コストパフォーマンスがいいんです。
私がこのことを話を始めると「コストパフォーマンスが悪い。」と言われるんじゃないかと思っていました、と。

私が個展をする場合に、今までで最も安い借り賃が一週間で7万円でした。
(もっとも会場費だけのことを言えば、無料だったこともありますが、その時にプリント代は25万円余りかかりました。)
仮に差し上げるプリントが2L版だとしましょうか。 あるプリントショップでは会員価格で85円です。
7万円あれば820枚余りを差し上げられます。ポストカードの大きさならば、なんと2800枚も、です。

それを差し上げるときに・・・かれは・・・白い封筒に入れてあげるわけですが、その封筒には自身のインスタグラムなどについての情報を印刷しているのです。
これを通じて実に多くのつながりができると思います。
モデルをしてくれるような方との出会いもあるでしょうし、写真仲間も生まれるかもしれない。撮影の依頼もあるかもしれません。

ここでこうして人と出会って話ができるだけでも大きな収穫なのに、です。
なんてコストパフォーマンスが高くて、豊かな可能性を孕んでいることでしょう。
大枚をはたいてギャラリーを借りて、一週間に150人ばかりの人に見ていただくことと比較してどちらがいいのでしょうか。

私がグチグチ考えてきたことを若い彼は、軽々と越えているのです。
勿論、写真を見てもらうのに2lだったり、携帯端末のモニター画面だというのは大いに不満です。
だとしたら「あげます」の背景で大きくプリントした写真を展示すればいいことですよね。

わたしが、SARES-Cov2感染の広がりがある中でも、敢えて写真展をしたのは、街の中の文化活動を薄弱にしてはいけないという思いからでもあったのです。が、彼もまた、こういう動きを積み重ねることで、大文字の芸術・芸能では足りない街の文化を形成していく自覚を示しているのです。

私がこの場を立ち去って、他を一回りして帰るときにも別の数人の人が彼と熱心に話していました。

若者に刺激されるのは良いものです。
- 2020/12/02(水) 00:00:23|
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三脚に紐を回してそれにクリップを付け、写真をつるしていました。
その写真を無料で、行きかう人たちに、差し上げますという。
彼岸花が大好きだと言う女性が一枚受け取っています。

風景、花などの植物、食べ物もあります。
ご本人は町の情景がが好きなんだそうです。でも、人が好きなものは様々なので、喜んで受け取ってもらうためにいろいろ撮っています、とのこと。・・・・・・①

そこに自分自身も写真を撮るのが好きで、これから本格的なカメラを買おうかと思っているという人がお友達と一緒に来ました。
そこで彼がもっているカメラを取り出したのですが、高級機にシグマのレンズを付けていました。
「やるなら思い切って本格的なカメラを買った方がいいと思って。上手く撮れないときにカメラやレンズの所為にしていると成長しないと思うし、・・・。」・・・・・②

写真を無料で、他人にあげているのですから出費がかさむはずです。
「でもこうして人と出会って色々な話ができて、自分の写真も喜んで受け取ってもらえるためのお金ですから。ユニバに行って楽しんでもお金がかかるのだから、楽しみのためにお金をかける点では同じかなと。問題は何を楽しいと思うかですよね。」-・・・・③

京都が文化的だと言われていることについて、疑問があると言っていました。
京都の人は京都を大切に思っているんでしょうかとも。
「ぼくがこうして行動していることも文化の一つだと思うんです。」・・・・・・④

いやあ、全くその通りだと思いますね。
私がこの年になって気づいているようなことを彼はもう、とおに考えているわけで。大したものです。

私は、自分がギャラリーを借りて写真展をしているということについて忸怩たる思いを抱いているのです。
あたしもこういう場所に移動させることのできるワクに写真を何枚かぶら下げて写真展をしたらどうかと思ってきたのです。
ただ運び込む手立てをどうするかで行き詰っているんですが。
写真がこの大きさなら三脚でだってできるんだなあと。
- 2020/12/01(火) 00:00:26|
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