京都国際写真展のサテライト(KG+)を回っていて、大通りを走ってるのでは、街の上っ面を撫でているだけになるなあなんてことを思いながら、ふと細い道へと入った。
するとそこに畳屋さんが入り口を広く開けてお仕事中。

なに、これ?! 天の配剤? 天が撮らせていただきなさいっているの?
唯物論者の考えることじゃないですよね。 修辞ですよ修辞。
でもあまりの偶然に思わず笑ってしまった。 それを見て店の中の方が見て「変な奴!」と思ったかどうかはわかりませんが。

お願いしたら快諾していただいて、撮り始めました。
このお店の方はどうなのかわかりませんが、京都にはたくさんお寺や神社がありますからまだ幾分は畳に対する需要があるのでしょう。手づくりの畳屋さんをところどころで見かけます。

この頃は年末になっても畳をはたいて埃を飛ばすなんてこともしませんね。
都会でそんなことをすればご近所が埃をかぶてっ大変ですし、音がうるさい!なんて苦情が来るかもしれません。
皆さんのお宅には畳を敷いた部屋がいくつありますか。

我が家には、一部屋だけです。

たとえ一部屋だけでも、畳敷きの部屋がないと、私は落ち着きません。
皆さんはいかがですか。
- 2020/09/30(水) 00:00:27|
- 働く人々
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今日から写真展です。
経験的に言うと男性が歌っている場合なにか陰にこもったり絶叫していたりして楽しさに欠けるケースが多い。
そんな意識があるところでこのお二人がギターを抱え歌っているのを見て・・・帰宅を急いでいたのに…足を止めた。
明るい笑顔があったからだ。

そういう笑顔もカメラを向ければ消えてしまいかねないのですが、お願いして撮りました。
姉妹だそうです。 こんな年恰好の時に兄弟、姉妹でこうして楽しめるのは羨ましいことですね。

妹さんが手にしているのはマラカスエッグかな。
鴨川は南北に長~い市民の憩いの公園ですから・・・・・その間の三条から四条を少し越えたあたりまでは観光の鴨川でしょうかね・・・・こうした日常があるのです。

京都に鴨川がなければ随分干からびた街になるでしょうね。
上流に行けばもっともっと穏やかな憩いの0公園になっています。 柵やら奇抜な遊具やら立ち入り禁止の看板やらがないのでいい感じです。

私のこのカメラにはチルトモニター画面やバリアングル画面などはついていませんので腹ばいになって撮っています。
そうするとどうしてもカメラは地上から15~20センチ高い位置になってしまいますね。ファインダーを覗かずに検討を付けて撮る手もあるんでしょうが、それではどうもね。
体の柔軟性が劣化して行けばこうして撮ることもますます困難になります。 写真は体作りから・・・・なんて言うとこの言葉がブーメランとなって私に刺さりますが。

今では譜面はスマフォで見るのが当たり前。
- 2020/09/29(火) 00:00:12|
- 音楽
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雅楽が聞こえてきた。
龍笛です。 今度の個展では笙を吹く女性の写真があります。
大学に入ってから雅楽に降れたそうです。(ことによると依然お会いした方かも? その人の印象はもう少し少年ぽい感じも漂わせていたけれど。)

この時は、越天楽を吹いてくれた。
私にもなじみがあるだろうという彼の配慮だ。

この人は植物が感染するヴィールスについて研究しているという。
一しきり研究環境についてのお話を交わした。
日本の大学の教育・研究の状況は年々悪化している。これも「アベノミクス」の直接的な影響だと私は考えている。

それにしても、彼の通っている大学の学生は高度に、広範囲学びながらもこうした「余技」にも熱心で高い水準を目指している傾向がうかがえる。
それでこそだと思う。
和楽器の音も演奏法も近世以降の西洋音楽とは大分違う。
ただそれをいたずらに日本にのみ独特だというのは当たらないように思う。
音楽史は広く研究されるべきだし、学校教育の中でも伝えられて欲しい。
西洋音楽と日本音楽という図式はよくない。 非西洋にも非日本にも広く多様な世界がある。その部分がすっぽり抜け落とされる傾向が強くある。
そういうことは日本国内にも言えることだ。

おそらく彼は国境を超えて活躍する人になるんだろうと思うけれど、そういう彼が龍笛を吹けるなんてすばらしいことだと思う。
彼にとっての楽しみ以上に意味がありそうだ。

対岸からは中国の横笛が聞こえる。
笛の音はよく波を渡る。
- 2020/09/28(月) 00:00:30|
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今、京都では「京都国際写真祭」が開かれている。
今回はサテライト会場もたくさんあるようで、楽しみだ。
先日の連休の際には印刷物を片手に街を行く人がちらほら見えた。
毎年関心は高いようだし、斯くいう私もできるだけ多くの会場を回るようにしている。 今年はどれくらいみられるだろうか。
機関のど真ん中に自分の個展を二週間も入れてしまっているしなあ。

私が日常撮っている、今日のこの写真のようなものはまるでなくて、およそ異次元からの声のような感じがするモノが多い。
それはそれでよい刺激となるし、写真現象を俯瞰するのにはとてもよい機会になる。 有難いことだ。

素直に受け入れられるものばかりではない、というところがまた貴重で、そういうことがなければ、日常あちこちで見せていただいている写真では気分がちょっと凹みっぱなしになるので助かる。

まあだからといって私の天邪鬼な感性は「素晴らしい! すごい! トレビアーン!」を連発することにはならない、と思う。
だから、いい。

というのはこういう会場では思想同士の葛藤になるからだ。
普段は大概の場合、それがあまりに薄い。
スポーツに政治を持ち込むなと同じ地平にあるからだろうか、写真にポジティブな思想が見られないからだ。
そもそも、写真に思想が必要だという価値観が見られない。
だからこういう企画がますます盛んになって、写真現象を掘り起こしてくれることは大いに歓迎したいと思っている。
キュレーターの皆さんの健闘にも期待したいものだ。

- 2020/09/27(日) 00:00:51|
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歌も写真もうまいだけでは売れはしないし、ましてメジャーになることは難しい。
と、・・・・その言葉が自分には確かに当てはまるのに・・・・そういう言葉が虚しく聞こえるような、現実の一面があるから、こういう活動を続けるには相当の精神的な力が必要なんだろうなあと思う。
私のような中途半端な立ち位置にいる人間ではなめることのない苦さをも味わうことだろう。

そう思うだけに、エールの代わりにシャッターを切る。
彼にとっては「投げ銭」の方がうれしいかもしれないが。

こう書いていて、ふと思い出した。
私がこの活動を始めた直後、約10年前に、マスコミ関係に勤めるある若い知人が「街中で人を撮るなんて、1年と続かないと思いますよ。」と私の無謀を指摘してくれていた。
またこのブログを暫く注目してくれていながら「未だに高校生以下の写真を撮っているくらいなら、もう写真など止めた方がいい。」と言って、以来ブログを見てもいただけなくなった方がいた。 その方は、ご自身が助言してあげようとまで言ってくれたのだけれど。

私に、そういう言葉に反発して、いつか見返してやろうなどという位の根性、気力があれば、この10年でもう少し何程かのものになったかもしれないと思ったり、思わなかったり。
まあ、私としては反発心なんてものでやってこなくてよかったなあと、思うのではありますが。

それはさておき、京都の人出はずいぶん増えました。
SARES-Cov2の今後も気になるところですが、このSARES-Cov2感染予防対策の下で、すでにいろいろなことが変化しています。それが、感染の鎮静化に伴って、以前の姿に戻るのか、いや〈変化〉が「閾値」を超えてしまっていて、もはや旧に復すことがない領域に入っているのかという問題があります。

京都はどうなるでしょうね。

「表現」活動はどうなるでしょうね。
- 2020/09/26(土) 00:00:01|
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生活を楽しむ。
日本も物事の数量の多寡ばかり追求し、効率、コスト計算ばかりしないでもっと人生を芳醇にする成熟した社会になるといいですよね。

軽くワインを飲みつまみを楽しみながら興味ある本を読む。
それも鴨川を眺めながら。 大した出費をしていなくとも、こうしてみようと思い立ち実行できる精神は好きです。

しかも、本はこの近くの商店街…最近京アニの作品の舞台になったことで名の上がった・・・の古書店で「一冊100円」で購入。
ワンコインで五冊も楽しめます。
私が先ごろ愉快に読んだ『「日本株式会社」批判』は200円でしたがそれ以上の価値を感じましたね。
そしてこの一冊は彼も参加して成った本だそうです。

彼自身は哲学を研究しているそうですが、臨床心理にも近い捉え方をするようで、現実社会の様々な課題にもコミットしようとする構えがあるようです。

映画製作にも参加しているそうで、なかなか旺盛な好奇心と行動力をお持ちなようで、ここでこんな風に楽しんでいることが頷けるように思います。

もうそろそろ大学も対面式の講義が始まってきているようですね。
学生たちが街に戻ってきます。

大学の教員も職員も学生に対する様々な対応でとてもハードな状況だと思います。
まだ対面式講義の準備とリモート用のレクチャーの両方を準備しなくてはならないし。
何より1回生は新たな生活に慣れるのに大変でしょう。待たされましたからね。それに経済的に追い詰められている学生も多いことでしょう。
3回生4回生の就職活動も随分混乱していることでしょうね。
メールでいろいろ情報をくれるそうです。楽しみにしましょう。
- 2020/09/25(金) 00:00:39|
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ちょうど私が追い越す形で見かけました。
派手な格好で、しかも背の高い人だなあと・・・・。
追い越す時にちょっとわき見をすると「男子」でした。

「なかなかやるねぇ。」と思って急停車。
女性と二人で花魁風の姿で歩いていました。 まあ、簡易型ですけどね。しかもいくらかしどけない格好です。
そりゃあ、どうしたって多少着崩れますよね。
それにしてもちょっとした体の方傾け方、上手ですね。

女性の方が一緒に撮るのは嫌だなあという位に「美男子」というか「美女」というか。
京都に行こうと計画した時からこういう格好をしようと話し合っていたのだそうですが、初めは「恥ずかしいなあ。」と何度もつぶやいていました。

旅行に出たのだから思い切って楽しもうと思ったんでしょうね。 地元じゃなかなか女装もしにくいだろうし。

本物じゃなくて済みませんなんて言っていましたが、さすがに間違える人はないと思いますよ。
残念ながら本物の太夫の写真は携帯していませんから、見せてあげることもできませんでしたが。
でも、こういう思い切りって、私は案外好きですね。
ただ、事情を知らない、例えば海外からのお客さんが誤解しなければいいがなあなんて思うことは思いますが。

写真を送ってあげるのが私流エチケットなんですが、e・メールアドレスの書いてある私のカードを渡すのを失念してしまいました。
惜しいことをしました。

じゃあ、京都観光、楽しんでね!
- 2020/09/24(木) 00:00:02|
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サックスの練習をしていた。
様子を見ていると先輩が後輩に助言しているようだった。
先輩は某大のOB。
この辺りは上流にも下流にも某大の学生が多い。

在学時は吹奏楽をしていたそうだ。
某大には交響楽団、ジャズのビッグバンド、小編成バンドもあるからサックス吹きの人口は多そうだ。

舌の使い方を細かく丁寧に助言している。
なるほど二人の音は違っている。
後輩の眼差しは真剣だ。
大学時代の先輩後輩は、わずか一年二年の開きでもとても大きな違いに感たものだ。
私が新入生の時には、殊に4回生の女性などは、もう本当に大人に見えて、今思えば「あの感じは一体何だったんだろう」と可笑しくなるくらいだ。

もっとも、一面で、私があまりに世間の事を知らなさすぎるという意味で幼過ぎたということがあるけれど。
学生運動が盛んだったころで、しかも中でも盛んな大学にあって、入学の当初から非本流にポジショニングしてしまったから、何だか生煮えの大学生活だった。 それで、余計にこうした若者に目を向けるのかもしれない。

「写真を撮る」ということは実は被写体にことよせて自分を語ることでしょうからね。

それにしても人出が増えてきた。
SARES-Cov2の感染者数が減っている減っているという印象づくりと、Go To キャンペーンの狂騒とで、人々は簡単に旅行に出かける。
外に出ようと私は言うし、旅行に行ったって別に問題はない。 帰省だったてしたらいいし、親の世話に帰ったらいい。
けれど政府がいいと言えば、だからと言ってどっと出かけるし、いらないところでもマスクが離せない多くの人の姿を見ると、新政権支持率60余%というのも分かる気がして、この人々の知性や感性の在り様にぞっとする。

ここを離れて下流に行って、ぐるっとその辺を回って帰ってくると、二人はまだ練習をしていた。
熱心だなあ、それに若者の体力が羨ましい。

- 2020/09/23(水) 00:00:32|
- 音楽
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これが私なんですよと。
40年前の自分に出会っている。

私は自分が写った写真をごくわずかしかもっていない。 少し前に小中高が同じだった旧友が数枚の写真を送ってくれて、そういえばこんなこともあったなあと胸を熱くして感謝した。
彼も当時写真をしていたし持っていてくれた。 写真にはいくつもの力があるけれどこの力もすごい。

私が死んだ後に私のことを偲ぶことができる(偲んでもらえる)写真がほとんどないのはいささか寂しい気分ではある。自分自身で振り返ることもできない。
ただ誰も私を撮ろうとしないのだから仕方がない。まして過去には戻れないし。
戻れない過去を定着させておく写真機とはまさに魔法の道具に違いない。

まあ、しかし、私が見たものが何だったかということは残る。
誰もそんなことに興味はないだろうけれど。

甲斐さんは私より364日早く生まれている。
50年も写真を撮っている。 1万人以上の人を撮ってきたそうな。
私は前史を除けば約10年になる。そして1630人。 比べようとも思わないけれど、私は私でいつかはある景色を見るだろう。
「ちんどん」40年もまたすごい。 今この人たちが見ている景色はどういうものか。
人生『いろいろ』という訳だ。

私は今日もまたソニーα900+ミノルタ85ミリをもって街に出る。
- 2020/09/22(火) 00:00:18|
- パフォーマンス
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まずは事情をご説明。
今行われているKYOTOGRAPHIE 2020ので一環として甲斐扶佐義氏が京都出町柳周辺で写真展をしている。
甲斐氏は大学卒業後この近くで「ほんやら洞」という喫茶店を開いてつい最近までその経営の傍らずっとこの界隈の人々を撮影してきた人。(京都駅の駅ビルでは100人の美女を展示しているらしい。そうだとすると私は美女の半分しか見ていない。)

1980年ころにこの町界隈の町おこしの活動に写真展を路上でする形で参加された。
その頃の写真を展示しているだ。
で、盛り上げのために急きょ編成された「チンドン屋」があった。立命館大の学生でジャズ演奏をしていた数人の仲間たち。リーダーが「ジャズの音とチンドン屋の音って似てない?! 向こうも路上パフォーマンスだし、こっちもそうだよね。」という訳で即席編成。以来40年余り、チンドン屋をしてきたという訳。

当時のメンバーは・・・今日は来れていない・・・社長を含めて3名。
冒頭の方とこの後出てくるクラリネットの方と、・・・。
「学校出てから十余年 🎶」
「思えば遠くへきたもんだ ♬」
などというけれども、この道一筋になっちゃた訳。 う~ん、この人生、沁みるなあ。

写真の中で三味線を弾いているのがこの方。
今は、バンジョー。
後ろにクラリネットの人物がいるでしょ?!

それがこの人。
そして甲斐さん。

写真の記録する力。
「あの時を残す力」
貴重ですよね。
この人たちの青春が蘇る。
そして、やや若手の方。

甲斐さんは、ストリートフォト。
キャンディッドでもある。

私の手法とは違う。
もっとも甲斐さんはキャンディッドでないスナップ的なポートレートも撮っている。
- 2020/09/21(月) 00:00:35|
- パフォーマンス
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本屋に行っても嫌中・嫌韓本や新自由主義的なマインドづくり、生き方指南本が平積みされていて、いったいこの本屋は日本文化とか平和・民主主義についてどういう見識を持っているのだろうかと激しく疑問を持ちます。
取次店からタダ洪水の如く流れてくる本を漫然と並べて、販売〈数〉だけを意識しているような経営や、働き方では精神がすり減るでしょうね。自分がないのですから。あるいは お金の高を自分だと思っているのでしょうかね。

八百屋さんは「いい野菜」を選んで店頭に並べ、「生きのいい魚」を選んで仕入れた魚屋さんは「自信あるよ、美味しいよ。」と言ってサザエさんの足を止めることができるのです。
入荷に意識的な選択の無い本屋が「これおもしろいですよ。そういうことならこういう本もお薦めですよ。」なんて言えないわけで。
売っていても面白くもおかしくもないでしょう。
「私、本が好きなんで書店に就職します。」と言っていたあの子は今頃どうしているのでしょうか。

そういう私は、最近読書量が減りました。読んだとしても昔買った本を再読三読したりして新しく購入する機会はぐっと減りました。書店の経営に、ほとんど貢献してませんね。
昨日書いたように今読んでいるのは購入したばかりの『ジェンダー写真論 Ⅰ991-2017』ですが、その前は『ヘーゲル法哲学批判 序論』だし、『経済学・哲学草稿』なのですから、出版社、書店泣かせではあります。
この書店オーナーさんはもともと音楽関係の仕事をされていた関係でちょっと古いレコードやCDもたくさん並べられています。オーディオセットも・・・。
かなり古いカメラも飾られているし、ミニチュアの模型もあるしと、なかなか多趣味でしかも渋い。

お店はギャラリーも兼ねていて、この日は Milton Ogura氏の作品が展示されています。私の今日の目的はこれを見ることでした。 時にはここでライブもするし、ちょっとしたお話の会もするそうで随分多角的に取り組んでおられます。
自費出版したような本も並べてくれるのだそうで、私の若い友人であるカメラマンの「パン屋」の人たちを撮った写真集も並んでいました。 オッと、こんなところで会うとはね。

それで「小書店のオーナーを撮ったらいかがですか❓個性豊かな面白い人が多いですよ。」と勧めてくれた。個性豊かな方にそういわれると説得力がありますね。
残念なことに私の人生は、行き当たりばったりが基本なので・・・・・。
でも小さな書店を見つけたら、足を踏み入れてみよう。
そしてその小書店のオーナーが何を見ているのか、ファインダーから覗きながら、耳を傾けてみよう。
- 2020/09/20(日) 00:00:03|
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小さな本屋さんである。
Milton Ogura氏の絵画展がその本屋で開かれているので見に行った。
高倉通りを御池通から少し上がった東側にあった。

京都の町を徘徊するのにこの高倉通はあまり縁がなかった。それでここに本屋がることに気付いていなかった。
店主が勧めたい本を商っている。 大規模な書店の営業形態は商売とも言えない、まして本という文化を扱う営業形態とはとても言えないとおっしゃっていた。

同感するところがある。
私は・・・何度も書いてしつこいですが・・・・9月29日から写真展をします。今回は女性ばかりを取り上げます。
そのことで幾分落ち着かなさを感じています。
それで『ジェンダー写真論 1991-2017』(笠原美智子著)を購入しました。

今日はこの記事を書き終えたら読み始めるつもりです。

私は多分、女性を撮るより、男性を写す方が得意だと思います。
今日あるところで、意想外に写真を褒めていただきましたが、それは両方とも男性を撮ったモノでした。
じゃあ、女性を撮るときと男性を撮るときで一体何が違うのだろう。そこに私のジェンダー意識の問題があるんだろうと思います。できた画面も随分違いますしね。
- 2020/09/19(土) 00:00:43|
- お店
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ようやく厳しい暑さもおさまってきました。
多分二月もするとSARES-Cov2の巻き返しがあると思います。 今は、長待てt来ているという見かけにまぎれて「経済」を回そうと政府も東京・大阪も欲に目がくらんでいますが、きっとひどいしっぺ返しに見舞われると思います。
仕方がないから冷静に自己防衛を図りつつ、一方で、ただただ自粛と言うようなことに落ち込まないように自分の人生を取り戻すようにしたいものです。

周囲10メートル内には私くらいしかいないのですから・・・しかも私は85ミリで優に3メートルは離れていますので、マスクはいりません。
85ミリはSARES-Cov2対応レンズと言ってもいいかもしれませんね(笑い)
こうなると、例のミノルタの135ミリも探したいものです。

この人の醸している雰囲気も「音楽」にそぐわしい感じです。
傍で見ていて聞いていてとても気分が落ち着きます。

太陽の位置がまだ少し高すぎるのですが、そうかと居てっ中途半端に時間を過ごすとこの人のまともに光が当たってしまいますから、陰にはいてtもらたtこの状態がベターかも知れないです。
周囲の緑もまだきれいですし。

川沿いで楽器練習する人には管楽器の人が多いです。弦の人は圧倒的にギターです。
マンドリンとかウクレレという人もごくまれにいますが、ヴィオロンも又少ないですね。
最近、ここから上流の出町柳で学生が数人入れ代わり立ち代わりビオロンの練習をしていますが。
こうして自転車の籠にスコアを入れてみているんです。 なるほど、このアイディア、すぐに思いつきそうなのに今まであまり見たことがありませんでした。
- 2020/09/18(金) 00:00:43|
- 音楽
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ため息をついていたわけではない・・・・のです。
秋の陽にヴィオロン とくれば撮るほかないでしょう、という訳で対岸まで走りました。

私が当直すると同時くらいにケースにヴィオロンを入れていましたので「もう、練習は終わりですか?」と声をおかけしました。
撮りたかたっというのもありますが、聞きたかったというのもあって、ちょっとタイミングが遅かったかなあと。

この近くには住宅もないし、学校も病院もないので・・・・片道二車線のゆったりした道路と歩道を二筋挟んでいますしね・・・・「音出し」で苦情が来ることはないと思うのですが、そのことを気にされていて、控えめに練習していたようです。
私が事情をお話しすると「まだ練習しますし、・・どうぞ。」とヴィオロンを手にしてくれました。

お仲間があって一緒に演奏しようということで練習しているとのことでした。
いいですねぇ。 私も羨ましがってばかりいないで何かすればいいのですが、写真を撮っていることを大げさに考えすぎて足を踏み出せないところです。
改めて「終活」の一端としてやらなくちゃと言うことが別に一つ浮上しているので、時間配分が・・・・、なんて言い訳しているようでは、何も始まりませんね。

こんな時、私はなかなか順光の側に回れないのです。
ヴィオロンの弾き方の所為もあるのですが。
もう少し工夫をしてみるのでした。
- 2020/09/17(木) 00:00:54|
- 音楽
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秋めいてきました。
言い古された常とう句ですが「芸術の秋」です。
鴨川にもスケッチする人の姿が・・・・。 もっとも炎暑の下でもスケッチする人々はいましたが。

両隣にお一人ずつ描いている方がいます。 が、この方にお願いしました。
なんとなく「声をかけてほしくないなあ。」「まして写真を撮られるなんて。」という空気を漂わせている方には無理に声をかけません。・・・・私の「人を見る目の無さ」が原因で、実は気さくに撮らせてくださる方を取り逃がしているかもしれません。
ただ私が臆病なだけかも知れません。
が、以前、写真の被写体としてもいい感じの建物を見つけて、その近くで絵を描いている方がいて、その方の方に近づいただけで、カンバスをひっくり返されて、憤然とした顔つきで私をにらみつけるような方がいて、以来、怯えています。

私は君子でもありませんが「危うきに」は近付かないように心がけています。
「だからダメなんだよ。」という天の声が聞こえそうにも思いますが。

私の旧友がずいぶん上手な風景の水彩画を描いているので、ついそのことを思い出して、つい、近付きたくなるのです。

この人は紙と、布とを使い分けて、しかも絵の具もメーカーを使い分けて同時に書いておられました。
絵具はメーカーが違うと随分発色が異なるとおっしゃっていました。
絵の人がこういう工夫をしているのですから写真の人もいろいろと試しているようですが、わたしはどうもそこまでいたりません。
必要な世界だと思うのではありますが。

フジのX20が時折、素晴らしい色を出すので、それを生かすことも真面目に追及したいなあと言うようなことがあるし、持ってはいないので絵に描いた餅ですが、XT-4にある赤系のブラック、青系のブラックを調整できる〈フィルムシュミレーション〉が着にはなっているのですが、紙についても研究が必要だなあと、少し思っているところです。

SARES-Cov2の事もあるけれどこれからどんどん外に出ていきたいものです。
そして絵を描く方たちといろいろお話をしたいものです。
- 2020/09/16(水) 00:00:28|
- 絵画
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提灯づくりのために竹を割って骨の素材を作っています。
提灯をつくる工房は京都では3,4軒だそうです。

各地の祭りも縮小気味ですし、祭りが存続していても昔みたいに各家の軒先に提灯が下げられることも少なくなっています。
ことし、SARES-Cov2で祭りが中止佐rてりしていますが、これがきっかけで、却って祭りが復活再考するのか、このまま衰退していくのか。

祭りが宗教性を薄くし、地域の伝統行事となり、風習となって、担い手が減り、一方、観光化し、イベント化したモノだけが、残るのかもしれません。
それを祭りと言えるのかどうか知りませんが。

一方飲食店などではこれまでと違う需要があるかもしれませんね。いわゆる赤ちょうちんを越えた需要です。
それもどうなんでしょうね。

お父上と、弟さんとで家業として、それぞれが分業体制で頑張っておられるようです。

私が撮影をしていますと、東京のフランス料理のレストランのオーナーらしきフランス人❓が立ち寄って、数年前に東京でこの方の実演を見かけて、是非、店に吊るす大きな提灯を制作してもらおうと連絡をとろうとしたのだけれど…と話しかけ始めました。
どうも商談が成立しそうでした。

「私の店に来る客は『和』が好きだから是非に・・。」と流ちょうな日本語で注文していました。
- 2020/09/14(月) 00:00:40|
- 工芸
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空を見上げて、「雨が降るかなあ。」と、踵を返してきたところでした。
観光でもなさそうだし、この近くで何か催し物があったのだろうか・・・・和服を着たた女性が坂を下りて来てベンチに腰を下ろしました。 和服は着慣れているようだし、どういう方なんだろう?

手に珍しい団扇?扇子?様のものを持っています。
そしてスマートフォンで自撮りをしています。
聞けばこの辺りの幼稚園で踊りのお稽古をしてきた帰りなんだそうです。
SARES-Cov2のために中断していたおけいこが約半年ぶりに再開。 この春の卒園児からのお礼の一品がこの折り畳み式団扇?
恐れていた雨がぽつりぽつりと落ちてきてしまいました。

不躾ながらお願いすると少し場所を移動して撮らせていただけました。
ただここは橋の下ですので、どうも難しくなります。
この後この方がお帰りになった直後に猛烈に雨が降ってきたのですが、そのような雲行きですので、背景ももう一つピリッとしません。

後に分かったことなのですが、この方は日本舞踊のとある流派の若手として活躍されている方らしく、そうしたお名前も持った方でした。
まあ、ここは京都ですからそういう偶然があっても不思議はないのでしょうが。
これまでその道では有名な職人さんにそれと知らずにお願いして写真を撮らせていただいたことも一再ではなかったのですが、まあ、それがいいと思います。 名前で観方を変えていたんでは世の中おもしろくありません。
小粋なマスクですね。

それにしてもこの日何を思ったかキヤノン5Dを持ち出していたのですが、このカメラタダでさえファインダーが暗くてしかもピントの山が見えづらいのに、この曇り空と橋の下状況です。
案の定、さっぱりピントがつかめません。
それでふと不安になってX100fリュックに入れてきたのが幸いしました。

せっかく撮らせていただくのだから踊っているところを撮らせていただけたらよかったなどと「軽口」を叩きながら撮っていたのですが、相手が何者か知らない「知らぬが仏」の軽口でしたね。
冷や汗三斗の軽口。
この時期、「すみませんマスクを取って写させてもらえますか?」の一言が口にしにくいのです。
- 2020/09/12(土) 00:00:14|
- 人物
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〝京都グラフィエ”と名付けられた国際写真展が、今月12日から来月10月18日まで京都市内で展開されます。
その先駆けとして、最近ことに京都の写真界を超えて注目されている・・・以前から知る人ぞ知る写真家ですが・・・・ 甲斐扶佐義氏が出町柳周辺のオープンスペース三か所で始めています。

彼は、若い時にも自分の活動を地域の人々に受け入れてもらおうと建物の壁にたくさんの写真を張り出して「あなたがこの写真に移っていたら写真を差し上げますのでお知らせください。」と言うような活動をしていたのです。
私はどこかの既成のギャラリーを借りて「やってますから見に来てください。」という構え方については落ち着きが悪くて、街頭写真展をすべきだろうなあと思っていたので、やられたなという感じです。

彼は大学時代に「学生運動」に参加し卒業後にも市民運動家として息長く活動してきている人です。だからこその民衆的、民主r的な意識がこうして働のでしょうね。
鶴見 俊輔さんなどとも交流があったのではなかったかな。ヴェトナム反戦運動もしていたし。
たまたま別の用事でこの辺りに来られて写真を見ていた方です。

甲斐氏はずっと京都の路地裏や鴨川べりの人々を撮ってきましたし、彼の店に立ち寄る個性豊かな様々な人々、なかんずく美人たちを撮ってきました。それらは幾冊もの写真集となっています。
とにかく美人を撮ることにかけては相当な能力の持ち主です。 その「美人」が「いい」のです。個々が問題です。

今年は例のSARES-Cov2のことがあって京都グラフィエもどうなるのかなと思っていましたが、やるんですね。
そういう意味でもオープンスペースでやるというのはいいですね。 相当な経費でしょうが。
たまたま私の写真展も9月29日から10月11日を、その期間にすっぽり入りますので、多少写真に関心のある方たちも立ち寄ってくれるかもしれませんね。 全くそれを意識しないで決めた日程ですが、2週間もやるというのですから、知らない人から見れば「京都グラフィエを意識してか、随分気合が入っているなあ。」と思われることでしょうね。

甲斐氏がやっていた「ほんやら洞」が失火で(漏電だったとも聞いていますが)消失してしまう数か月前に、そのほんやら洞の2階である人を撮った写真があるのですが、なかなかそれを展示する機会に恵まれません。
今回こそ組み込もうと思ったのですが、他の写真をマッチさせることが少し難しいのです。でもいつか展示します。

1970年前後から撮っているのですから・・・ほんやら洞が焼けて数多の蔵書とともに膨大なフィルム。プリント類がも失われてしまったそうですが・・・それでも・膨大なフィルム、プリントがあるのでしょうね。
- 2020/09/11(金) 00:00:47|
- 写真
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私も写真展をする予定です。
こんな時節にです。 それでちょっと同志的な共感fがありますね。
会場に入るとこんな可愛くも来なる物体たちがいました。

そんな会場の奥まで見やると、奥に、こんな作品がありました。
え、何これ? マネキンに服を着せて寝かせているのかな。 マネキンの躯体を作る素材は何かなあ。ずいぶん質感にいい素材だなあ。シリコンかな。
まさかね。作者が寝てるんだろ?!

呼吸をしてればお腹が上下に膨らんだり凹んだりするよね。 ・・・・・、あれ動かないぞ。
う~ん、動いてるかな、微妙だなあ。頑張ってる?!
あっ動いちゃった。

写真を撮ることになって「すみませんが、ズボンの裾を挙げてくれますか。 足首の肌が見えるとドキッとするし。」
さすがに芸術系の大学で学んでいるだけの事はあってノリがいい。
芸術系の学校の学生や卒業生、好きだなあ。

ほら、むっくりと起きてきた。
私も興が乗ると床に寝たり腹ばいになったりして撮ることがありますが、そういえば、最近はないなあ。
そういう乗りで写真を撮るとやはり楽しいですね。

作者登場です。
会場に足を踏み入れた時に、人の姿がなくて「作者に話が聞けないなあ。残念。」と思っていたのですが、話が聞けました。

作者としては作品の手触りや、抱き心地も感じてほしいらしいのですが、何しろこの時節ですから、いろいろと気を使います。
見るだけが作品鑑賞じゃない世界もあるので、やはりSARES-Cov2の影響は大きい。
- 2020/09/09(水) 00:01:11|
- 絵画
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京刺繍です。
私の父親は洋服仕立て職人で、母親は洋裁師でした。そのためもあってモノづくりの人に関心を持つのだと思います。

○HKのアナウンサーがひどく体に合わない背広を着ていて、本人はもちろん周囲のスタフがこの事に無頓着なことを不快に思うほどです。
逆に街の誂え紳士服の店のウインドウに飾ってある服を見てその仕立ての見事さにしばらく、眺めつすがめつしていることもあります。

帯などの刺繍の仕事ではおよそ柄とか色は指定されてくるので、ここでしているような自分の作品作りはとても楽しいとおっしゃっていました。

上から針を刺し、下で受け止めると、まるで舞を踊るように針は反転させられて狙いのところから上に出てきます。
下の指が針を受け取り損ねることはありませんし、下からも狙いを外すことがありません。
まさに一発で決まります。

それでも「何かあって2,3か月仕事をしていないと、下から針を刺し直すことはありますよ。」
父親が背広の襟に芯を縫い付けるときに服地の布を突き出ないで半分だけ布の糸を掬うのを飽きずに眺めていたことがあります。
今されている作業は糸を撚っているのです。 一般に糸は撚られていますが刺繍の場合は撚っていない平面のままの糸を使うと・・・絹糸ですからなおさらですが・・・光沢が豊かで華やかになります。
糸を撚ると反射が複雑になり、又エッジを利かすことができるようになります。

母親もこうして針に糸を通していました。ですから針が見えなくともこの手指の構図は「糸を通している」のです。
糸の先を見て通しているのではありますが、こうした手指の構えでほぼほぼ糸の先は針孔に向かうのです。
母親は隣の市にあった老舗デパートのなかの注文婦人服店の注文を受けて自宅で仕事をしていました。
みなさんもご存じの、その地方にあるいくつかの有名大会社の社長や重役のご婦人連がお客さんなんですが、値段の張るとても扱いにくい服地を持ち込んで注文するのでずいぶん苦労していました。仕立て上ってお客に売られるときの価格と比べて「お針子」の工賃のなんと安かったことか。
お客さんが「お針子」として母親を指名してくることがよくあって、そのおかげで私は大学にも行けたのですが。
両親がそれぞれの仕事台の前で黙々と裁断したり縫っている姿は今でも鮮明に思い出されます。

そして職人の仕事がもう少し報われてほしいものだと思いながらシャッターを切るのです。
- 2020/09/09(水) 00:00:41|
- 工芸
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トロンボーンを持って「練習の準備かな?」という雰囲気でした。
いったん通り過ぎて回れ右。 近づいていってみると何やら棒状のものを持っていて、あれは何かな?

逆光でしたのでよく見えなかったその棒状のものは「フルート」でした。
「あれ、フルートも吹くのですか?

「はい、フルートは今日が初めてで、トロンボーンは3日目かな。」
「?????????」
なんと二つの楽器を一度に「初心者。」だというのです。
この発想が私には全く想像外のもので・・・・。

元来はトランペットを吹くそうで「マウスピースを吹くので、多分トロンボーンも音は出せるんじゃないかと。」というのです。まあ同一系統ですからね。ですからフォルンなども吹けるわけで。

それでもさすがにフルートは音を出す仕方が違うのですから難しいだろうとみていると、もう音が、しかもふくらみのある音が出ています。
トランペットはピストンが三つついていてそれで音階を替えられるわけですが、「トロンボーンはスライドさせて音を確かめなくてはならないから慣れるまで少し苦労するかもしれませんが・・・。」と。

自分にはできるという確信。 これを自分のうちに身に着けてきたということがとても大事だなあと思います。それに少々困難があっても自分には乗り越えて身に着けることができる、達成できるという自信が獲得できているのでしょう。
しかも努力すれば高い程度に達成できるし、そこに至った時の喜びや楽しさ、自分に対する信頼感を想像できるのでしょう。
教育の中で子供を育てるうえで最も大切なことです。こうした自己肯定感、自己感覚を形成することを目標にして教育は行われるべきです。
一般に行われている学校教育はそれとは真逆のものです。

今日初めて吹くフルートと、三日目のトロボーン。その三日目のトロンボーンを吹く「初心者」の自分を、撮っても構いませんよと言える心性を形成してきたこの人は今後も大いに自分を拡張して行ける人だと思います。
- 2020/09/08(火) 00:00:45|
- 音楽
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9月29日から予定している写真展。
京都市の四条室町交差点角(南西)の「小さいおうち」というギャラリーでします。
目下、写真のセレクトをしています。 目がしょぼしょぼしてきました。
ギャラリーのオーナーに「突然、10月6日からの期間が空いてしまったんだけど、二週続けてやらない?!」と言われて、「そんな金はどこをはたいても出てこないし、無理ですね。」と答えたのですが、
結局、やることにしました。
9月29日(火)から10月11日(日)までということになります。〔10月5日(月)は休廊の予定です。〕
それで、前半と後半では写真の全入れ替えをしようと目論んで・・・・お金がない!のに・・・・いるのです。前半は夏の、後半は秋冬の写真にしようかと愚行中です。
これまで様々な事情で展示できていなかったものを一挙に大放出しようという訳です。
後半の分は来年5月くらいに「第8回個展」としてやることも考えたのですが、今年の秋・冬のSARES-Cov2の大流行で「高齢感染者の3割前後は命を失う」かもしれません。私も他人事じゃありません。
チャンスの前髪を掴まないと、後悔することになりかねませんので、「生き急ぐ」ことにしました。
乞う、ご期待!と胸を張るには少々難もありますが、第2次5カ年計画の最後の年ですから、思い切りました。
オーナー氏曰く。「写真を販売しましょう。」
一応、値段を付けることにしました。今までこれにはずっと抵抗感があり、そうしてきませんでした。
が、跳び越えてみようかと思います。価格は気楽に買えないほど高く付けます。
「売る気、ないな。」とオーナー氏。 「ハ、ハ う~ん?」と私。
- 2020/09/04(金) 00:00:17|
- 未分類
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写真を撮らせてもらうと、その人の魅力発見ができます。
ご自身が自覚していることもあれば、気づかなかったこと、むしろコンプレックスとなっていたことなどを肯定的に発見することにもなります。

他の人が「イイネ」としていることでも、案外、そのようにはっきりと言ってもらっていないこともありますから、私があることを褒めますと、お友達が改めて「そう!そう!」と賛同してくれることも一再ではありません。
人を撮ることはその人の魅力点を見つける作業でもあります。
勿論、人物写真お意味はそれに限られるわけではありませんが。
これはわたしが陰に入りきれなかった写真。

黄色の浴衣が夏の景色の中でどうかなあと思いましたが、もはや洋服的な色彩感覚になっているのかもしれません、意外にイケています。
ヴェトナム青年が「二人一緒に並んで撮りましょう。」というので、並んでいますが、私もカメラを向けていますので、それぞれカメラ目線が違った方向に。
慣れないと、どうしてもと手tくれるカメラに視線をやってしまいます。それは撮る側がちゃんとアドバイスすべきことで、私が悪いのですが、こんな視線がやってきたら、やはり思わずシャッターを切りますよね。
お二人とも過剰に意識して自分をよく見せようという変な欲がなさそうで、その分とても素直な表情で撮れますから、写真を見ていても心地いいです。

このお二人もう一度撮りたいものです。

私はお二人の京の計画が気になって、あまり引っ張ってはいけないなあと思うのですが、こうして楽しそうに相手をしてくれたので、すっかり甘えてしまいました。



- 2020/09/02(水) 00:00:01|
- 装身具
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私がお二人を撮っていると、煉瓦の壁の向こうで誰かが声をかけているようです。
それはヴェトナム人青年でした。彼も一眼レフカメラをもって「写真の勉強に来ています。」とのことでした。
「なかなか撮らせてもらえる人を見つけられなくて・(練習できません)。」
それで、お二人が好意的に対応されるので、じゃあ、彼の主導で撮りましょうということにして撮りました。
「手を顔の前にかざして火を遮ってください。 こうです。」とポージングの注文です。
太陽、手のひら、顔を一直線にしてしまうと、顔に濃い影が映ってしまいますから・・・・意図的にそうしたいのならばそれでよいのですが・・・・・・・ちょっと工夫して顔に影を作らないように助言しながら。
こういうところが、黙っていられない中高年の悪癖・・・ですね。
ふと気づいたのですが、長年していると、やはりそこは場数だけは増えてきたので多少のノウハウは身に漬けてきたものだなあと、思いました。
しかし、それは安定の定型でしかないので、却って落とし穴になるわけで・・・・。

ヴェトナム青年は「今、国に帰ることができないので・・・。」と、来日3年目の上手な日本語で話します。
彼が「一人ずつ撮らせて下さいと言いますので 「モデル」はちょうど?お二人ですから、私はもう一人の人にお願いして撮ります。
少しづつつま先の角度とか、その人の魅力のポイントとかを離しながら撮りますと、彼も関心を持って私のカメラのモニターをのぞき込ます。
そして、「見てください。ちょっと暗すぎたでしょうか?」とご自身のモニターを見るようにカメラを差し出してくれます。

即席撮影会ですね。
お二人は、こんな風に声をかけられたことは初めてだと言いますから、戸惑いもあったでしょうが、ヴェトナム青年に対しても好意的に接していた姿が印象的でした。

実は浴衣姿の二人連れの女性が、もう一組近くにいるのですが、そのお二人の浴衣の色柄、黒いマスク姿が、私の声をかけようとする気持ちを挫けさせました。
こちらのお二人に声をかけて撮らせていただいているのですから、すぐ近くにいる別のお二人に、その女性のカメラででも「撮りましょうか?」と声をかけてもいいはずですが・・・それがある意味、エチケットかな…、そんな気持ちを萎えさせるお二人の浴衣とマスクでした。人にとって外見もまた大事なことです。もっともそのことで私のような変なおじさん、悪い虫が近づくのを事前に避けられたのですから、良かったのかもしれません。
この表情、いいですよね。

私が言うことをどんどん吸収して反応してくれます。
お二人の性格の良さなんでしょうね。とても素直です。 そして明るい。
まだ、当然、戸惑いや緊張がありますから体の芯はかたいので、体全体の柔らかなポーズはできません。
でもそれが初々しさとなって魅力的です。

これは定番の撮り方ですが、この人にぴったりはまっていると思います。

お二人とも魅力的に撮れる要素をいくつも持っています。
撮影になれて。私とも仲良くなってくれると、又ずっといい写真が撮れるんじゃないかなあと思うのですが・・・・再開は難しいでしょうねぇ。
観光のお二人ですから。

撮影の時にはさすがにマスクを外していますが、こんなに暑い時期にマスクをしての観光は大変です。それができるのも若さゆえなんでしょうね。
私などは目まいがします。
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- 2020/09/01(火) 00:00:58|
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