これまでに何度撮ったことでしょう。
銅心さん。
彼も僕も、もうそんなにいつまでも生きられるわけじゃないし、ここまで人生を過ごしてきたことをほろ苦く思い出しながら、
さあこれから残ろ少ないけれど、どうするかね。
今やれていることを最後まで続けるしかないよね。
そうだね。そうしようかね。
と話す…友達とも言えないけれど・・・まずは「よっ!ご同輩」という間柄の 人です・・・かな。

この日はご婦人がお二人先ほどまで居られて二つ三つのモノを買っていかれました。
口ぶりではどうもとても気に入って、またお仲間を連れて来られるような気配でしたね。
そして私の横には先客として水彩の道具一式をお持ちの絵かきさんです。
何枚かこの辺りの風景を描いたものと、同心さんを書き込んだものを持っておられましたから、もう長いことこの辺におられたのでしょう。

絵描きさんは、銅心さんの売り方にずいぶん感心していて、「買うように説得しないんだよね。勧めないんだね。でもあれじゃ買うよ、結局。」と銅心さんの話しぶりにいたく感心するのでした。

欲しいと言おう人には売るよ。でも「材料の銅の卸価格は○○で、出来具合は◇◇で…じゃあよほどお買い得だから買っておくか。転売してももうかりそうだ。」などと計算している人には売らないよ・・・というのが銅心さんの流儀。
自分の店で扱いたいから月に△△個作ってくれなんて言う注文もあったらしいけれど、それじゃあぜひ欲しいと言って遠くからわざわざ来てくれる人に回らなくなるからと言って断ってきたことも一度ならず・・・。

金属工芸の経験があるから、自分もこの仕事を覚えたいという人が来ても、たいていは音を上げて続かないね。
問題は指だよ。10歳前からやった者でないと指先が割れるからね。
道具を使えば銅線に必ず傷がいく、それじゃあいいものはできないしね。
絵描き氏に 得々と話す。

絵描き氏はその服装を見てもそこそこの暮らしぶりの人らしく見えます。
少なくとも私や銅心さんより、相当裕福でしょう。
「路面店を出すよりコストから言って大分有利だね。」などと経営分析をする。まあそうなんでしょうね。
でもその絵描き氏には同心さんの生い立ちや経歴が分かっていないから、ここに座り続ける銅心さんの覚悟や事情が見えていない。

まあ、斯くいう私だってもう7,8年越しの付き合いだけれど彼のことが分かっているとはいいがたい。
時々ちょっと下ネタを振ってくる銅心さんに対して大笑いでかわして、現代の女性観察の鋭さに触発される。
行きかう高齢富裕女性に対する批評眼も鋭い。
私のように表面をなぞって一知半解で暮らしている盆暗とはちょっと訳が違う。

写真は撮れるときに好きなだけ撮っていけばいいよ、と言う。
この前もちょっと有名ならしいカメラマンが撮っていったけど「わしはそういうのさ。」

彼は少し手を休めた時にタバコを喫うけれど決して灰や吸い殻を地面に残していかない。
何時もほぼ正確に午後4時には引き上げる。時々その後通るときがあるが、決して汚れていたことがない。
前にも書いた通り服装も何時だって清潔でこざっぱりしている。だjから女性に人気があるのだろう。
私のように風采の上がらない風体では決してない。それは一年を通して。

仕事ぶりもそうだが、日々の処し方に筋が通っている。
まあ、大げさに言えば、毎日の生活のレベルに「哲学」があるともいえようか。
こういうところがすがすがしい。
私自身のないものねだりをかなえていて羨ましいともいえる。
COVID-19の感染もうまく逃げおおせて、安倍不況も乗り越えて命あるうちは生きましょうね。銅心さん。
- 2020/03/30(月) 00:00:23|
- 工芸
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もう四月が目前ですねぇ。
ずいぶん暖かくなりました。 それにしても京都の風景は昨年と大違いです。 毎年桜の木の下にたくさんの床が作られて、おでんやら焼き鳥やらが販売されてあちらでもこちらでも職場の仲間町内の集まりが酒を飲み交わす姿であふれていた平野神社でも「飲食お断り」です。
桜を愛でてそぞろ歩くのはいいとしても・・という事ですね。

あの錦市場だって歩く私の前後ろに広く空間ができますからね。
清水坂の歩きやすいこと。

それでもまあ腐っても鯛というところでしょうか、京都には観光客は多いですね。
ホテルなどは宿泊費が半額というところも少なくないようで、名所旧跡も空いていますから、今が却って行き時だという人もい多いのでしょうか。
土日には他府県ナンバーの車がたくさん入りこんでいます。

最近目立つのが・・・・まるで主観的ですが…愛知県ナンバーでしょうかね。
愛知県は報告されている感染者数も多いですが、多分表面上出ていない・・・何しろ検査はずいぶん抑制されていますから・・・知られていない感染者数はけた違いなんでしょうね。

この際トヨタが検査キット作りとかマスク製造とか、あるいは人工呼吸器などの制作会社を作ったらいいのにと思うのですがね。何故しないのでしょうねえ。利潤も内部留保資金も世界有数なのに、こういう社会貢献はまるでしないで知らぬ顔を決め込めると言うのはどんな企業風土なのでしょうかね。
ずいぶんたくさん税金で補助を受けたり、税金を軽減してもらっているのに「恩知らず」と言っていいんじゃないかな。
さて、この方は日本画の素養のある方だそうで、それが大いに役立っているそうです。

京都には市立芸大など日本画を学ぶ学校が少なくないのですが、昔はよく画家になる人や、なった人がこうして友禅の手描きにかかわっていたそうですから、そういう意味ではある意味で普通のことと言っても良いかもしれませんね。
芸術と工芸の間で人的な交流があったわけですね。
プロの画家が扇子なども描いていましたね。

伝統工芸の世界に若い人の姿を見るとちょっとうれしくなりますね。
- 2020/03/29(日) 00:00:45|
- 工芸
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京都は怨霊がひしめく都市ですから少々のことは怖くないはずです。
地獄への入り口もありますし、あちらとこちらを自由に行き来した人もいたそうですから。
それにしても「怖い」が好きな人は世の中に結構いるらしいのですね。

美術系の大学の制作展などに行ってイラスト系の、殊に女学生たちの作品を見るとい亭割合で、必ずと言ってよいほど何か不気味なおどろおどろしい作品があります。
血を流したり包帯をしたり、手足がもげていたり・・・・。

私は社会心理としても女性心理としても、こうした事象について学んだことも深く考察したこともないので、ただ「何か違和感があるなあ。」としか感じられないのですが。
どうも世の中には魔界といったものが大好きで手放せない人たちがいるのですね。
これは「生首」ですね。

古今東西の社会史の刑罰史中には「打ち首」がありますし、日本の刑罰史の中にも「打ち首獄門などがありますね。
ですから通常の生活の中にこうしたものが晒される状景というものが、かつてはあったわけです。
「明治」期の初めに新政府に反抗して挙兵した元司法卿の江藤新平は大久保によって打ち首獄門にされました。梟首ですね。
1879年に江藤自身が廃止に努めていたその刑は廃止されましたが。

この「生首」の制作者は長谷川敦子さんです。

次の写真の方ではありません。
こちらの方は濱田 さちさんと言って背後の幕の中に「怖い状景」が作った方です。
和服の女性が鎖を巻かれて横たわっています。暗くされているのでその表情が見えませんが、その見せているのに「見えない」という、そこが恐さのカギかも知れませんね。

幕に貼られた紙に書かれた文章はこの方のものです。
なんと怖い!!
この方自身は、「あまり恐いものは好きではないのです。」とのことでした。
「今回のテーマを与えられて、自分自身の内側の恐いを掘ってみた。」のだそうです。

ちなみに建物に掛けられている垂れ幕の酒呑童子は怪人ふくふくさんのもの。

この辺りの桜はもう大分咲いてきています。
夜桜を照らす照明器具が設置されていますから、東京のように「夜間外出自粛要請」などは出されないのでしょう。
何しろ検査もろくにしていないので感染の実態は「ナ・イ・ショ」なんです。

それって「怖いですねぇ~」

饅頭も怖いけれど人間が一番怖い、人間の中でも政治権力や大きな財産を持った人たちが、怖い!!
物の怪などは可愛いものです。

人を、罪を犯すことを強いられて慙愧の念に堪えられなくて憤死するところまで追い込んだ当の人たちが、涼しい顔をして日中公然と演壇に立ってしたり顔をしたり、カメラのフラッシュを浴びていることが「怖いですねぇ」
- 2020/03/28(土) 00:00:53|
- 楽しいね
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もともとは長野県で家具製作に携わっておられたのだそうです。

私が目を止めたのは「おひなさま」と「kabuto」でした。
ことに「おひなさま」はそれぞれ二種の木を組み合わせて作られているいのですが、形が徹底的に単純化されていて、もうこれ以上省略したら男雛、女雛であることが分からなくなるという限界まで突き詰められている、その素晴らしさでした。
大したものだなあと眺めすがめしていたのです。

写真でも抽象化ということを少し意識しないといけないかなあなんて思うこともありますので、よほど感心しました。
写真は、第1感では、具体も具体、具体でしかないというものですから、抽象とは縁遠いと思われるわけなんですが…抽象の無いところに芸術はないということを言う人がいるくらいですからね、考えてみる価値はあるわけです。

森山大道氏のあの「犬の記憶」の犬なんて、べったりとした具象ではないですよね。
それであれほど印象的なんだと思いますし。

しかしまあ、徹底した具体性ってものが写真の強みでもある訳なんですけど・・・・ブツブツブツ・・・。

人出が少なくなったと言っても京都のこの辺りなどはまだまだ行きかう人は絶えないわけで・・・やはり皆さんそれぞれに用事がある訳なんでしょうねぇ。

斯くいう私は、果たして不要不急なのかと言えば、どうなんでしょうかねぇ。
- 2020/03/27(金) 00:00:22|
- 工芸
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COVID-19の影響で各種のイベントが中止や延期に追い込まれ、博物館や美術館もまたオ・ヤ・ス・ミです。
手作り市もまた例外ではなく・・・大手?手作り市は中止。
ですから出店者は多大な打撃を受けているわけで・・・・。

たまたま別の用事で出かけてきたところ、ふと7,8店舗が並んでいるのを見つけました。
実はこのイベントを、私はこれまでずっと知りませんでした。もともと10店舗くらいで続いてきていたのだそうです。
背後の文化博物館がほぼ閉じていますから、なかなかお客さんをつかまえられません。

オープンな場所ですからCOVID-19の感染の危険性はごくごく少ないでしょう。
お客さんもひしめき合う訳ではありませんからね。
(ひしめき合うほど来れば、商売としてはありがたいでしょうが。)

モノづくりの人はお客さんとお話しするときに作り手としてのうれしい表情が出ますから、「お客さんが来た時に撮りたいですね。」と言っていたのですが、しばらく時間を置いてその機会が訪れました。

売れたらそれは当然うれしいのですが、作ったものを見てくれて興味深く眺めてくれて、これはどういう風に作るのですかなどと尋ねられたりすると、どの方もそれはそれは良い表情になります。

その時が私のチャンスという事ですね。
「この卵型は、こんな風に開いて、中が空洞になっているんです・・・・。」

きっちり作られていますから嵌め込んだり、取り外したり、回したりすると「キュッ キュッ」ときしむ音がします。
でも固すぎはしないのです。
- 2020/03/26(木) 00:00:31|
- 工芸
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いくつ作っても同じように作ることができる。
だからと言って型にはめて作るわけではなく、また機械で作るわけでもない。
同じなのだけれど、違うという矛盾したモノづくり。
職人の技は不思議だ。

写真を撮るときに手わざに注目して、指先に焦点を当てることがあります。
あるいは、その手技を駆使する職人さんの指先や材料に対して集中する気迫ある表情に
またそういう集中する緊張は全身が統一的に連動してこそ現実化されるので膝や肘や、首・頭部や背中など姿態を
更にはその作業の場の持つ積み重なった「技」を支える空間とその人の在り様を
そして、そういう職人さんの姿態や表情を・・・例えば…日本画に見られる造形に寄せて・・・
更には生み出される作品の感動的な出来を通して職人を語る・・。
写真を撮るという刹那に選び取られる方向性はもっともっと多様にあるはずです。

そうしたことを考える訓練を自分に課さないと、この暗さで、ともかく撮るためには・・・・などというようなところで終始してしまいます。

「スタディ、ステディ・・・プラクティス、プラクティス 添えrが写真には是非とも必要だよ。」とおっしゃるドキュメント写真を撮られる写真家がおられます。
そのスタディなりプラクティスの中には絞り設定やファインダーを覗いて、その瞬時に構図を判断することなどのことのほかに、上記のような選択を繰り返し繰り返しスタディすることが含まれていると私は思ってその話を聞きました。

人以外の被写体を撮る方たちもまた沢山の選択肢の中から選び取っているのだろうと思います。
が、「人を撮るのは難しいでしょ?!」と尋ねられて「そうですね、やはり難しいと思います。」と答えるときに、つい話し損なう内容です。

他と比較してということではなくて、やはり人を撮ることは難しい、奥の深いことだと思います。

もう一息で1600人ですが、「スタディー、スタディー・・・・プラクティス、プラクティス」がどこまでも続きます。

ああ、一寸も進んでいないなあと嘆息しながら。

☆「ためしてみたこーなった」さんへ 返信ができませんので、ここから失礼します。
「どうぞ。今後ともよろしくお願いいたします。」
- 2020/03/25(水) 00:00:12|
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人の指の繊細さは労働の歴史が作り出した。それで精緻な工芸品もできるし素晴らしいピアノ演奏もできる。
その繊細さは動きの繊細さでもあれば、センサーとしての繊細さでもある。
職人の指は、研ぎあげ研ぎあげた木の表面や金属の表面の凹凸を電子顕微鏡並みに感じ取る。

唇だって木器の滑らかさから陶器の滑らかさガラス器の滑らかさ、木器の温もりから金属器の冷たさを感じ取り学習して実に繊細なセンサーとなっている。
これもまた様々な器を作り出した労働のなせる業であって、人類誕生以来の能力ではない。
室町時代終わりころに海外から木綿が流入して国内でも木棉が栽培されるようになり普及すると日本人の肌感覚もまたより繊細になった。
それ以前の朝や絹の肌触りしか知らなかったにとびとが木綿に柔らかくて暖かい吸湿性の良い質感を学習した。これもまた労働の成果で生得的なものではなかった。ただまあそういうものを学習できる潜在的な可能性はもっていたという事は出来はするけれど。

するとそうして獲得された鋭く繊細な感覚を前提として、さらにいっそう精緻なものを作る要求が生まれてくる。
こうした器もまた、唇にどういう感触を生じさせるのかを想像して制作されるのだろう。
滑らかさを感じ取る感覚的なの力は同時にざらざらとした肌合いや素朴さをも多様性の一として楽しむ能力としても存在する。

人間の能力は欲望と同様歴史的に発達するものであり、人々の感覚や能力を高めるうえでこのような職人の技や芸術家たちの労作、また生産現場でも人々の労働の質が大いに関係する。
相互に作用しあって人類は成長してきた。

自然や社会、あるいは人を見る目だって同様だ。
芸術家、作家たちはその人類の自己教育のサイクルの中で貢献したりできなかたtりしているわけだ。
それは『・・・家』だけではなくて、アマチュアの営為も同じこと。

私はギャラリー巡りをするときにそういう意識を持てプロ・アマ関係なく見せてもらうように心掛けている。

私たちの制作・労働はこうした人類の活動の循環の中にあるのだけれど、それを意識する人は必ずしも多くはない。
せめて「プロ」を名乗る人にはその自覚を持ってもらいたいものだと思っている。
- 2020/03/24(火) 00:00:34|
- 工芸
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清水焼なんでしょうか。絵付けをされています。
膝の上に「アンパン」のような「まくら」のようなものをのを置いて描いています。

一体をひとつずつ完成させるのではなくて、ある同じ作業を繰り返します。
そのほうが効率的で作業にも習熟して精度が高いのだそうです。

COVID-19の影響でしょうか、それともいつものことなのでしょうか、マスクをされています。
効果の方はともかく、多くの方が来られますから仕方がないでしょうね。ご本人も心理的に不安で落ち着かないでしょうしね。

筆を持つ手も、人形を持つ手も「アンパン」の上に置いて固定していますね。
手先の揺れを防ぎますし、疲れも軽減されます。
制作物が小さいですからなおのこと必要でしょう。

私はつい最近必要があって書用の細筆を買い求めました。
安物買いをして、ずいぶん苦労をしました。筆先が平らに、しかも先がばらけてしまって、そろわないのです。
練習をした後の手入れが悪かったのでしょうかね。
もうひと奮発して筆を買い求めればよかったなあと後悔しました。
弘法じゃないから筆くらい選ばないと・・・・・。

面相筆というのでしょうかね。穂先が長く、撓りもあって描きやすそうです。
それに摩擦にも強そうです。
- 2020/03/23(月) 00:00:30|
- 工芸
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サックスの方は私に盛んに「今からでも遅くはないから楽器をやったら?」と言ってくれるのです。
リタイア前後にはサックスか、トランペットか、チェロか、それとも歌かなどと思ったこともあるんですが。
気が付いたら写真をしていました。瞬時そんなことを思い出していましたら。
ご婦人が「歌わせてくれる?」とおっしゃって・・。
「ジャズを歌うんですか?! それは良い、ぜひ撮らせてください。」
ということで。

三人と一羽はお互い、今日のここでが初対面。
それぞれ京都には住んでいますが。

こういうのがいいなあ、とてもいいなあ。これが音楽の良いところですね。
だから楽器演奏ができる人が羨ましい。じゃあ歌える歌の二つか三つもてばいいのにと思うけれど、もう全然息が続かないのですね。喉もおかしくなってしまっていて。
昔は眉を顰められるくらい大きな声で歌えたのですがねぇ。

でもこんな写真を撮れるということもまた、実に楽しいものです。
正直なところ、そう誰にも撮れるというものではないと思いますし。

でも写真は・・・・実は必ずしもそうではないのですが・・・・基本的はいつも第三者ですから、その点が面白いと言えば面白いし、歯がゆいと言えば歯がゆいですね。

でも時には、そうであるからこそ当の人たちよりも、この瞬間の意味や、在り様の個性を捉えることができるともいえるのですし、そうでありたいなあとも思うのですが。

COVID-19の感染を広げない、感染しないために皆さん色々な活動を自粛し、家に閉じこもっておられるようです。そして、外に出るような人に対して、ましてたとえ小さくとも何か人の集まる企画があると満身の怒りを込めえて非難の声あげる人もいるようですが、そんなことばかりしていると国民的規模で免疫力が衰弱してしまうんじゃないかと心配します。

もっと音楽や絵や写真を楽しんだらいいのになあと思います。
- 2020/03/22(日) 00:00:22|
- 音楽
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う~ん、なかなか色気のある吹き方をされるなあ、と、それが第一印象でした。
ちょっと不安定なところもあるのですが、確かめ確かめ吹いたり音を探ったり、しながらもやはりどこか色気がある。
「失礼ですが、プロの方ですか?」

そうではないらしいのです。
別に本業をお持ちで「ここ10年くらい吹いてはいるけれど・・・・今度は少し間が空いて、久しぶりに(楽器を)取り出したんだよ。」とのことでした。

COVID-19の影響で「なかなか発注したものが届かなくてね。これまでだったら翌日には着いていたのにね。これじゃあ仕事にならないから、休んじゃえということで・・。」ということだそうです。
どんなお仕事なんでしょうね。

「顔を写すのはダメだよ。」とおっしゃるので、ギリギリ顔認証ができるかできないかという角度までで・・。
でも最新の機種ならこれくらいだと顔認証してしまうかなあ。
私たちがちょっと話をしているところに「向こうでいい音が聞こえたので来てみたんですが…途中で音が止んでしまって・・・。」とご婦人が近づいてきました。
どうやらjazz好きだそうで。

そこに耳の肥えた?鳩も降りて来て、特等席に。
- 2020/03/21(土) 00:00:33|
- 音楽
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COVID-19の感染防止のために屋内で過ごすように要請されていますが、一律に屋内に閉じこもりをするべきじゃないと思います。
という訳で、琵琶湖なら大丈夫・・・・と考えての撮影、というのではないのです。事態がそこまで深刻になっていない時期の撮影です。

COVID-19の感染者が滋賀県であまり多く出ていないのはこの琵琶湖の広がりのお蔭でしょうか。
大津などは京都、大阪のベッドタウンですし鉄道を使えば行き来はたいしてこんなっではないのですから早晩感染者が出るでしょうけれど、奥琵琶湖までは随分タイムラグがあるでしょうし、あるいは顕著な感染の広がりはなくて終るかもしれませんね。
鉄道・道路で大阪などと結ばれている以上可能性がないわけでは、無論ないわけですが。

私の故郷は北にアルプスの山並み、南には波の音轟く太平洋という環境でしたから、そもそも空が広いのです。
その広い空がないと、開けた海がないと、どうも時々息苦しさを感じます。
それでこうして琵琶湖周辺に出かけてきます。

ただ砂浜が遠州などと比べてとても狭小ですし、波というほどの波も立ちませんので、やはり物足りなさはあります。
もう少し遠州灘が近ければ、この人たちも誘って撮りに行きたいところです。
「うなぎパイ」を・・ではなくて、ウナギをご馳走するよと言えば一緒に行ってくれるかなあ。

琵琶湖周辺の旧道の風情も好きですから基本的にこちらは好きなんですが、ただ琵琶湖の西側の幹線道路沿いの一部の街の景観は、まあ悲惨というほかなくて、実に悲しい思いがします。
大きくて下品な色遣いの看板が乱立して、それらからは街を作ろうという気持ちが毛筋ほども見られません。
ただただ私利私欲、欲望が乱雑に乱暴に表出しているだけの猥雑な街です。

これはわが故郷の国道沿いの景観とほとんど変わりません。
地方都市の非文化性がむき出しになっている景観です。 大小を問わず企業経営に公共意識がほぼ見られないのです。
近江の国は山城は言うに及ばず大和に比べても古い歴史を持つ地域です。
一部の町や地域やお店は自覚的に街を守り、作ろうとしていますが 総じて残念としか言えませんね。 ただこれは湖西の一部に限るのかもしれませんが。

京都でも基本は同様な動きが進んでいます。
ヨーロッパで言うところの旧市街地でさえ相当に危ないのですが、京都駅の南に行けば、もうこうした滋賀の一部の景観とさまで変わりません。

・・・・・・・・・・・・・・・
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- 2020/03/20(金) 00:00:52|
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前にアップした写真はフジで撮ったモノでした。
今度はソニーです。
フジは彫というか陰影が深い絵になりソニーはそれに比べればあっさりと・・した感じでしょうかね。 それぞれケース バイ ケースで選べば、いいですね。

さて、3月ももうあと10日ばかり。四月は目の前ですね、と各月の終わりころ同じようなことを言っています・・ね。
3月の終わりは年度末にもなりますから、このブログも9年続いたことになります。いやあ、なんという事でしょうねぇ。
リタイア直後には「リタイア後10年」は随分先のことだと思っていたのに、今はもう目の前です。

一休禅師の言葉をいまさらながら思い出して生きねばなりませんね。
そしてあまり遠くない時期に、ああついにこの時が来てしまったなあ、とつぶやく日が来るに違いありません。
その時までは「生き」ましょう。
そしてそれまではいくつかの、例の「一喜一憂の種」を数えながら。
リタイア後の15年を三つに分けて、第一次5カ年、第2次5カ年、そしてその後を第3次五カ年と何か意味ありげに区分してたどってきました。
そこから言えば4月からの1年365日は第2次五カ年の最後の年となります。
5月の個展。そこでちょっとした仕掛けをするつもりです。 そして、その日までに累計1600人撮影を達成します。
8月のグループ展では、「蒼樹は人を撮っている」ということを今一つ確実に認知してもらおうと思います。
そして8回目の個展を具体的に計画します。
私がなぜ人を撮っているかということを、また人を撮る写真とは何かということを、更に尖らせていきたいと思います。
何故わたしが他の人の撮った人物写真を見てこれじゃだめだと感じるのかということの正体をもう少しはっきりさせたいと思います。だからそれは、自分の写真についても同じです。

そうしないと第3次五カ年で私が目指す写真生活が姿を現してきませんから。

この人をはじめとした何人もの人が私にシャッターを切る機会を与えてくれたためにこんな不遜なことを考えられるのですから、これまで撮らせてくれた多くの方々には本当に感謝しなくてはなりません。
でも、これからもっともっといろいろな素敵な人を見つけることが必要です。
私の時間はもうあまりないのですから、きょろきょろしている暇はありません。
(いや逆かな。)
とにかく寄り道をしている場合じゃないのです。
5月の写真展の仕掛けが功を奏すれば、私はかなり揺さぶられることになりますが、それが私の写真活動の意味を明らかにしてくれるかもしれないのですから、それも又楽しみです。
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- 2020/03/19(木) 00:00:52|
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綴は上げた経糸の下を緯糸にくぐらせて布の下面に柄を描く手法です。
ですから織り手は直接には織った結果を見ることができません。

それでこうしてときどき鏡をくぐらせて確認するのです。
経糸全体を外さなければひっくり返すことができませんからね。

以前仲良くさせていただいていた女性が「とても良いお店があるからご紹介します。」と連れて行ってくれたのが「あじき路地」にある「織屋 まりきこ」さんでした。
私はそれ以前に「あじき路地」に興味があって、既に訪ねていたので、「オッ! この人の趣味はさすがだな。」と思ったのです。

「まりきこ」は「まり」さんと「まきこ」さんお二人の名前を合体して作られたもの。お二人とも本当に織物がお好きで情熱をこめてしかも穏やかに丁寧にお話しされるのが印象的でした。
「あじき路地」のお店は昨年「卒業」されたそうで、これからますます広い活躍の場所で織物の良さを伝えていかれるでしょう。
この写真のポイントは足下ですね。

それにしてもこんなに自粛自粛と何もかもが縮こまったのでは日本経済の衰弱が心配ですし・・・・何より、私は「素敵な人」たちにお会いできなくなってしまいます。
そうすると、このブログも休止に追いこまれてしまいます。
困った・・困った・・ なんて言っていないで、外に出るのだ。
春の風がウイルスを吹き飛ばしてくれる外に!!

でも私一人が外に出ても・・・・・。
- 2020/03/18(水) 00:00:59|
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「織屋 まりきこ」として 「あじき路地」などで活躍されていた(今現在はここではお店を開いていないそうです)お二人の内、まりさんです。
綴れ織りですから、指の爪をギザギザ委に削って緯糸を詰める作業もしているわけですね。

会場に行きますと、真理さんの方から、思い出してくれて話を聞けました。
ここ西陣織会館でも「着物ショー」が中止されて、団体客の来場も大幅に減っているそうで、せっかくの実演ですが、少し寂しく感じました。

東京で計画していたワークショップも中止されてしまって・・・・。
COVID-19の感染対策の影響は相当深いところまで及んでいるようです。
ここに車で立ち寄ったいくつかのギャラリーでも延期や中心の張り紙がしてありました。
一日に2,30人の来場者が三々五々来場するくらいの催し物でさえ延期や中止です。
広いオープンな場所、室外での集まりも・・です。

知人の画家が4月の作品展を実施するつもりだと言っていました。私も5月の個展はやるつもりです。
経糸の下に描く柄の図案が見えますね。どんな色にするかは頭にありますから図案は鉛筆書きのような感じです。
ペンダントなどにするものですから小さなガラですし4センチ四方くらいで一つの絵柄になります。
- 2020/03/17(火) 00:00:56|
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この人たちの髪を見ると「若さ」が感じられますね。
キラキラしています。
これからの明るい日差しはますますこの髪の魅力を浮き立たせることでしょう。

さて、先ごろの写真展ではギャラリーのオーナーなどがお客さんに私を紹介してくれるときに「すでに1600人も撮ってこられているんですよ。」と言ってくれます。
「撮った人は何人?」と訊かれて「1600です。」と答えた私が悪いのですが。
そこで「1581人です。」とか返事すると「随分数にこだわっているなあ。」と思われるだろうなあと思って、まあこういうことは厳密ない方をしなくてもざっくりとした数字でいいんだと、そう思う一面もあって「1500」というよりは〔1600〕の方が事実に近いし、1851を1600と言っても世の非難を浴びることはあるまいと判断したからです。

しかし、それが事実としては1598人」とかで、「まあ1600人です。」というのとは、やはり相当違うなあと感じてしまう訳です。
この事の違和感がずっと私にはあって、1600人という時の何というか、落ち着きの悪さがあるわけです。
例えば一昨年の清水寺での「100本のトランペット」のイベントで撮った120人ほどの方については、このイベントのための撮影を了承していただいた方で、このイベントを口実にお願いしているのだから、『私が撮った』とは言いにくいので、カウントしていないのです。

ですから、ただ何人を撮ってきたかというのに1600人というのに何の不都合もないように思うのですが、それがどうもいけないのですね。
それで「5月の個展までには1600人を撮る」という目標を文字通りに達成して、晴れて気持ちよく「1600人です。」と言いたいのです。
でもその時には「随分長い間1600人と言ってきたなあ。」と思うので、やはり何か後ろめたいような恥ずかしさがありますね。

この人たちに協力していただいて、実数の累計が1594人となりました。
晴れて1600人ですと言えるのは何時になるでしょうか。

こんなことにこだわっていてはCOVID-19にも10%消費税不況にもとても勝てませんね。
つい今しがたもある方から「予定していたコラボ店を中止する。」と連絡がありました。
COVID-19による自粛です。
おやりになったらいいのにと思うのですがね。

私の写真展では同じ時間帯に10人以上がひしめくなどということもありませんから・・・多少換気は悪いですが・・・・予定通りやるつもりです。
曖昧な不安感から自粛しすぎたり、他人のやることを白い目で見るのはいけません。
自分がこんなに我慢しているのに、あの人たちは普通にやっている、けしからん(含む、羨ましい)。だから断固非難するという心理はあまりよろしくないです。
できるだけ様々なレポートに触れて科学的な判断をしたいものです。
- 2020/03/16(月) 00:00:24|
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大学を卒業して暫くすると皆が一斉に「結婚適齢期」に達します。
すると毎年仲間の誰かがどこかで結婚式を挙げるようになります。
私もそうでした。
なんと第一号が「若気の至り」で「はやまった」私でした。

各地から集まってくれた大学時代の仲間が、私の式を肴に同窓会です。
テーブルごとに懐旧談の花を咲かせたようです。
そして私を含めた仲間が肩をくんで寮歌の合唱です。

そのパターンがその後しばらく「たま切れに…つまりは皆が結婚式を挙げ終るまで続きました。
おかげでそれまで足を踏み入れたことのない茨木や富山や・・・と各地を連戦することがしばらく続きました。
そのたびに寮歌を歌って祝いました。私以外は寮生ではなかったのですがね。
その時期が過ぎると・・・パタリと交流が途絶えて、それ以後20年ほどが過ぎて「同窓会」をしました。

やはり大切な仲間だということを再確認できました。
こうして多くの人がたどる人生の各駅を私もところどころ間引きながらですがたどって来ているわけです。
多分この人たちも同じでしょう。

しかし、反面、この人たちの世代には私たちの世代とは異なった人生の景色があるのだと思います。
第一、こうして管楽器を演奏する「女子」仲間が、結婚式で演奏を披露するなんてことは、私たちの世代ではごくごくレアなことだったでしょうから、既に相当違っています。
いいことです。

この4人もまた、これからお互いに異なった人生の風景を見ながら、誰かの結婚式や久しぶりの同窓会で交差することでしょうねぇ。

その時にこの写真も取り出して、あの時は・・・・と話してくれたらいいですね。
- 2020/03/15(日) 00:00:52|
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サックス「女子」
暖かくなってきたから練習かな?
普段からバンドを組んでいるの?!
サックスの大きさが違いますもんね。

学生時代に一緒に演奏を楽しんでいたんだそうです。そしてその仲間の一人が結婚式をするんだそうで、その仲間を祝うために演奏するんだそうです。
そのための練習です。結婚式は四月だそうですから、気合の入った準備です。

演奏するところを撮りたいんですか?と聞いてくれて・・。
友達の結婚を祝うための練習だと聞いたし、そんな雰囲気を撮れたらいいな・・・と。

練習の様子を見ていると、学生時代のこの人たちの関係がよく分かる気がします。
誰がリーダーで、それを支える副キャプテン格は誰で、雰囲気を高める役は誰がしていたのか・・・・・、などなど。

さあ、だんだんそろってきましたね。
ここらあたりは並んで立つお店も近く、あまり大音響でやると苦情が出かねません。ですからここらで練習する人はあまりいないのです。
それで音は少々控えめに。

この日はよく晴れましたので、太陽に向かって演奏するのを順光で撮るのはちょっときつい。
音が建物に向かないように、ややこちら向けにならんでくれていますから、何とかなりそうです。
しかも春の明るさに包まれて。

昔もこんな風に並んで演奏したんでしょうかね。
- 2020/03/14(土) 00:00:26|
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やはり、先の先輩仲間に誘われて会場に来てくれた若者です。
2,30分前には知りもしなかった人間がカメラを向けているのにこんな表情をしてくれるのです。
わたしは大笑いをしなくてもいいし、ポーズも決めなくてもいい、こういう笑顔が欲しいのです。
昨日のお二人もそうでした。

こういう人たちで作られている社会は悪くないと思えるのです。
まあ、確かに事はそんなに簡単ではないのですが、話せばわかる・・という感じがしませんか、お互いに。そういう事ですよね、社会の安定感というのは。

閣議で真ん中やその両隣などに掛けている人たちの人相とは大分違う様に思います。

この日はちょっと春めいた陽気でしたから、あるいはそんなことも影響していたかもしれません。

男性のシャツにはダンクシュートする人物のシルエットが・・・・。
チームのセンターをしているんだそうです。
外からもうてるセンターだそうです。 こういう人を止めるのは難しい。

窓枠に肘をかけていただきましたが、やはりそれぞれの特徴が出ますね。
こういうところが面白い。
この方がもっているのが今回発効された冊子です。なかなか充実して、しかも落ち着きのある品の様冊子になったと思います。
その中に私の写真のページ・・・・背後にある写真たちです・・・・が挟まれています。
良い機会をいただきました。
- 2020/03/13(金) 00:00:33|
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川の向こう岸を歩いていて、ここのスタッフに「どうぞ見ていってください。」と案内されて、覗いてくれたお二人です。
その呼び込みをしていた私たちの先輩格の方が、とてもフットワークの軽い、そして実に粘り強い活動をされる方で、「ちょっと古い友人を誘います。」と出て行かれたり、電話をされると、びっくりするような大物が登場されて、我々はちょっと慌てさせられるのです。

この人たちはついさっきまで二階で鈴木先生のレクチャーを受けていたのです。
上にあがる際に、あとで写真を撮らせてくださいねと声をかけておきましたので、早速椅子に掛けていただきました。
周囲に写真があるので私がどんなものを取っているのかよく分かっていただけますし、ここにいる実行委員会のメンバーなどがwあたしを「写真家の・・・。」と紹介したりするものですから、ある意味で心理的なハードルが下がるようです。

向かって左の男性のシャツで阪大生であることが分かります。お二人ともドイツ語を学ばれているとのことでドイツへの留学生仲間だそうです。

京都に遊びに来てこんなところに足を踏み入れてみるのもいいですね。
神社仏閣ばかりが京都じゃありません。
京都で集う人たちがどんな文化を発信しているか、そういうことも見ていただきたいですね。
「観光行政」もそういうところをもっと意識できるものであってほしいと思います。なんでも「経済効果」が云々と金勘定でしか考えない今の観光行政は時代遅れで、しかも歪んで退廃しています。

若者のこうした笑顔に接するとおじさん、おばさんは癒され勇気づけられます。学びになります。

そして、僭越ながら何か私たちから吸収し、受け継いでいてほしいなとも。
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- 2020/03/12(木) 00:00:42|
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高瀬川沿いには新しいお店がつぎからつぎへと現れています。
京都は千年の都・・・・変わらない日本の伝統美が・・・などとナレーションがされたりしますが、京都の景色は日毎に変わっています。
このギャラリー近くにも行列のできる店がつい最近できました。
何かスィーツのお店らしいのですが、おじさんとしては並ぶ気にはなれないのですが・・・。

そんな時、若者は機動的なんですね。私たちのミッションによって・・・ご自身も食べたかったらしく・・・・行ってきます!と長い列に並びに行ってくれました。
なかなか個性的で、かつ、おいしいものでした。 ただこれに1000円プラス100円の消費税を払うかと言えば、おじさん、かつ、年金生活者としてはCさん、Tさん、Iさん、などにせがまれるなどしない限りは自発的には・・・・・。
マロンを絞り出して上に乗せた糸状のものをこぼさずに食べ終わるのは誰にとっても至難のことだと思います。

これは店内でも食べられるようですが、たくさんの人が食べ歩いています。
中国人が来て食べ歩いて京都の雰囲気を壊している、食べ歩きながら店に入って来て店の商品を汚す・・・などの苦情が声高に・・・。
でもこうした食べ歩き商品を提供している実にたくさんのお店は日本人の経営であり、日本の資本です。
そしてCOVID-19の感染が広がって中国の人たちの姿はまれと言ってよいほどになった時に食べ歩きは根絶されたかと言えば、豈はからんや日本の若者たちや中年婦人たちがぞろぞろと、またあちらにこちらに輪を作って路上で食べているのです。

さて我々のミッションを果たしてく入れたこの若い女性は・・・・実は昨日の鈴木氏の「教え子」の一人でこの日お手伝いに来てくれていたのです。
3回生ですから間もなくというか、目下、就活をしなくてはならないのですが、いろいろな就活イベントが中止されてネット上でしか情報が得られないで困惑しているようです。

それにしても先生を手伝ってたくさんの年長者と・・・しかも相当に個性的で、各方面で高い実績を上げてきた人たちと・・・・交流できる場に混じることができるのは羨ましいことですね。
このギャラリーには、前日ニューヨークで40年過ごしたという、ご自身も絵を描かれる婦人が、これはすごい、是非夫もつれて来たい、、この交流に参加したいという位、多士済々の方々が出没するのです。

(それで私も大いに刺激され啓発されて、鈍麻してきた脳細胞を活性させてもらっているのです。)
私のような、こんな変なおじさんに写真を撮られてしまうような経験もできますから、若い人には大いに勉強になるだろうと思います。
- 2020/03/11(水) 00:00:46|
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個展があったりすると一日の過ごし方、つまり様々なことへの時間配分や順序が大きく変わってしまします。
そして狭い場所でじっとお客さんを待ち、おいで頂ければ立ってお相手をしなくてはなりません。
無論お客さんは大歓迎なのですが、やはりいつも以上に神経が疲れ腰も疲れます。

この方は私よりずいぶんお若い働き盛りですから点けれを知りませんが、私はと言えば会期が三日間でよかったなあという感じです。
個展だとまたもう少し違うのですが、それでもたった6日やるだけで終るとぐったりです。この点では年はとりたくないものです。

私も日本の歴史には興味がありますので、お客さんたちと一緒に鈴木教授の話を聞かせていただきます。
具体的事物がありますから話はさらに一層興味深いのです。
破片がとても細かくなっているのはなぜなんだろうか。
何故川の向こう半分ではなくてこちら半分に多くの破片が出るのだろうか。
これ他の焼き物の生産された年代、産地は? 他国の産のように見えても京都でその模倣品が生産されれていますから、それもまた区別しなくてはなりません。

向こう岸には高瀬舟を曳いてきた人夫=曳子たちに食を提供する料理屋があり、また遊ぶ場所がありました。
こちら側はこの建物がそうであるようにあまり大きくない一人住まいのものです。じゃあ誰が一人住まいをするの?
そこですね、問題は・・・。

都市が発達するとそこは一大消費地になりますから外から食料や水が運び込まれますが、それとともに様々な消費後の産物の処理問題が拡大します。
糞尿、ごみ問題ですね。
そしてそういうものは大概「水に流す」訳で・・・・。
ここでもいろいろな出会いがあります。

この鈴木さん。
私は今まで数回の集まりでお顔を拝見していました。
今回私が写真展を階下ですることになって、搬入の日に「えっ?! 写真家の蒼樹さんって 〇〇さんのことだったんですか?! 今日初めてそのお二人が結び付きました。 驚きだなあ。」ですって!!
- 2020/03/10(火) 00:00:06|
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これまでだったら「人物」にジャンル分けしていたかもしれません。
昨日までの写真展は木屋町通り仏光寺のギャラリー高瀬川四季AIRでしていたのですが、同じ時に2階ではこの方が展示をされていました。
毎日新聞には、この方の展示について丁寧な報道がされて、それを読んできたという方が幾人もおられました。

考古学の研究者です。

この建物は高瀬川の西側の岸ギリギリのところに建っているのです。
いま、高瀬川は護岸工事が進んでいて、今は少し下流の松原橋の付近が絶賛工事中です。
この工事に伴って河床の土が掘り起こされたことが事の始まり…?・・・です。

今、河床は整地されましたが、そこでは焼き物の破片がざっくざくと拾える状態なのです。
見た目にも白い破片があっちにもこっちにも見えます。 小さなバケツならすぐに一杯になります。
ゴミ捨て場状態です。

皆さんご存知でしょう、縄文時代の集落跡を取り巻いて「貝塚」があります。
ここには貝殻がザックザックとあるばかりではなく、乞われた石器、土器の破片もまた大量に出土するわけで、人骨さえ珍しくありません。
貝塚は縄文のゴミ捨て場だったわけです。
これを彫って異物を調べると当時の人々の生活や意識の在り様も推察できるようになります。

高瀬川の河床の焼き物の破片があまりにもいいことに気付いてギャラリーのオーナーなどが拾い集めてみると、どうも中には江戸期のものもあるようでした。そこでこの考古学者の登場です。
焼き物はわずかな例外を除いては破片なのですが、中には元は同じ体の一部であったことが分かるものも見つかっています。
- 2020/03/09(月) 10:48:43|
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真冬の寒空の下で、しかもどんよりとした曇り空だったら、なかなか外に出て楽器の練習などする気になれませんよね。;
ですから暖かくて陽射しのある日が来ることをミュージシャンたちは待ちかねているんじゃないでしょうか。
この日は、まさにそんな日でした。。

それで川の両岸に何にもの人が楽器を持って出ていました。
5,6年前の私ならその両方を走って声をかけたかもしれません。
しかし、さすがに寄る年波には勝てず。

学生さんです。中高からブラスバンドをしてきて、今もブラバンだそうです。
「高校でも大分鍛えられた音ですね。」という私の質問に答えてくれました。

この人の大学には交響楽団もありますし、ジャズのビッグバンドもあります。なかなか音楽の盛んな学校です。
どれもレベルが高いです。
さて、今日は写真展の最終日です。
COVID-19の広がりも報じられているので見に来られる人は数人かななどと予想をしていたのですが、案外のご来場で、上の階で高瀬川の川底から採取できる陶器のかけらについて研究を始めた鈴木先生の展示と解説も大人気でした。
毎日新聞が京都、大阪、兵庫などで報じてくれたことも影響しているようです。

幸いにも私の写真展もおおむね好評のようです。
いろいろ話が弾みます。

昨日は木屋町通りを行く人の数も幾分多かったようで、着物を着て歩く若い女性たちも目立ちました。
r高瀬川の向こう岸からこちらの部屋が覗けますから「あれ?何をしているんだろう。」とのぞき込んでくれる方が幾人もいて、子p地らから私たちが手を振ったり、どうぞこちらへとジェスチャーでお招きすると、回り込んできていただいた方たちもおられます。
そこでいろいろな出会いがありました。
やはり展示をすると楽しいですね。
さあ、これから週ごとに春めくでしょう。こうして外に出て演奏する人の姿が増えるでしょう。
楽しみです。
- 2020/03/08(日) 00:00:55|
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ずっと昔の若いころにクラシックギターをやっていたことがあって、たまたま東北の震災の頃に「このままの生活の仕方でいいんだろうか。人生をもっと何か豊かにすることも考えないといけないんじゃないか。」などと思ったんだそうです。
で、たまたましばらくぶりに見つけ出したギターがこうして演奏し、歌うことを始めたきっかけだったんだそうです。

こうして外で歌えば、「いくらかのお金も得られますしね。」
先ほどテレビドラマの「水戸黄門」の主題歌を演奏されていましたので、意外な曲をやるなあと思っていたのです。
そうしたら、それは私を見て年齢風貌から「この曲をやれば喜んでくれるかも…。」と思ってのことだったんだそうです。
あいやぁ、だったらサイモンとガーファンクルが良かったなあと、内心思ったりして。 「ボクサー」とかね。

何冊もの楽譜をお持ちでした。
「弾き語りのような歌い方が好きで、・・・・・たくさんの曲をすべて暗譜して、何時でも注文に応えられるなんて言うのは・・・でも、むずかしいね。」

こういう場所でアンプやスピーカーを使わないで歌うのはなかなか骨の折れることだと思います。
でも私は生の声で伝える歌い方が好きですね。
自身の周囲5,6メートルのところに囲んで聞いてくれる人に向けて歌えばいいんじゃないかなと。
川の向こうまで届く必要はないのじゃないかと思います。

それにどうも自分をアピールして人気を得ようとする人たちが多くて、一緒にうたいませんかの人がほとんど見当たらないのですね。
商業的な歌ばかりを歌のイメージにしてしま手散るのは歌の髪からすれば不本意でしょね。
今や労働歌などはなかなか生まれて来ません。いや表に出て来ません。

この人はポピュラーな歌をたくさんごぞんなようですから、この人の演奏とリードで、ここで歌声が輪になるといいなあと思いました。
- 2020/03/07(土) 00:00:44|
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お知らせ
今日6日(金)から8日(日)まで京都木屋町仏光寺下がる辺りにあるギャラリー高瀬川四季AIRで写真展をします。
主催は私ではありません。「高瀬川ききみる会」です。が、展示写真はすべて私が撮ったモノです。
「高瀬川界隈の素敵な人たち」です。 高瀬川界隈に働き、住み、遊ぶ人たちを撮りました。
高瀬川にかかる仏光寺橋(四条通から南に歩いて6~7分でしょうか。)から下流を見て右手の建物の並びにギャラリーがすぐに見つけられます。
もしついでがおありでしたらぜひお立ち寄りください。お待ちしています。 蒼樹 この日は比較的暖かな日でした。
もう春ですから、・・・・たとえCOVID―19の広がりがあったって・・・・・少しずつ鴨川に出てくる人は多いはずです。
ここは狭い空間に人々が密集し、換気がされない場所・・・ではないですしね。

それに感染の広がりを予防するにはまず手始めに「歌舞音曲」を自粛させるという様な、どうせそういう分野は「遊び」だし、必要不可欠とも言えないという様な文化感にも起因した発想じゃないかと、私などは穿っているのですがね。

国民が「外に出ちゃだめよ。」と逼塞して、どこまで心理的に耐えられるか。
こういうことは「耐え」ちゃダメだと思います。 国民の平均的な免疫力を衰弱させる悪しき発想だと私は思いますね。

「欲しがりません、勝つまでは!」「勧め一億国火の玉だ!」的なスローガンは、それを発している人たちと、真に受けている人とでは、意識も生活もまるで違います。
御覧なさい。安倍政権の大臣たちを。自身は安全な場所にいて欠乏も何もないのですから、対策本部の会議には新年会やら表彰式やらで欠席するし、会議出席は、陣頭指揮のはずの首相だって自分の言いたいことを言ってテレビ向けのパフォーマンスが終われば十数分で退席。夜はお友達を飲み食いの会。

しかも「自粛要請」ですから、
自粛を判断したのはあなたでしょ?!命じたわけじゃないからね。賠償だ、補償だと言われてもね。となるに決まってるんですから。
まあ野党が懸命にその辺の追求をして、政府の逃げ道をふさぐ努力はしてくれてますが、国民の突き上げがないとね。

それはさておき、「家で一人で歌っていても面白くないですから。ここに来れば色々な人と話ができますし。」
なるほどそうですね。現に私のような変なおじさんも声をかけるのですし。
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- 2020/03/06(金) 00:00:35|
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広い世の中には驚くべき人がたくさんいるものだとはよく言われます。
そしてこの人はその「驚くべき人だ」とおもいますが、またそういう人が、「世の中にはすごい人がいるよ。」というものですね。
この方はパソコン上で絵を描いて販売されている人です。
フレームも自作だそうです。手作りです。しっかりとしたものを作られています。
自作フレームだから、「込みでも安い」と言います。

そしてその絵を展示した壁の下の机にはCDが並んでします。
数年前から自作曲のCDを制作販売しているのだそうです。
CD一枚には15曲が入っているのだそうですが、そのCDは月に一枚づつリリースし続けているとのことです。
「えっ?! なんですって? 毎月一枚ずつCDを制作しリリースしている?」
それを数年続けているってどういうこと?
にわかには飲み込めません。

作曲は二日に一曲の割合。 そりゃね、一時期そんな風に曲が湧いてくることはあるでしょう。ないとは言えません。
でもそれが数年続くとなると。 「まるでモーツアルトですね?!」
「いや、そんなすごい曲を作る訳じゃなくて・・・。作曲と言うとしっかり構成を考えて何度も推敲したりということを想像するんでしょうが、思いついたらエレクトーンで演奏して・・・。」

ジャケットの絵はこれまた自作はお手の物です。
ユーチューブに動画を上げてもBGMの音楽も背景の絵も自作ですから著作権問題などどこ吹く風です。

「ゴルフが好きでしてね。」と京都の名門倶楽部の会員証を見せてくれました。
ゴルフ場にはよく通うそうです。
ちょ、ちょっと待って・・・、絵を描くんでしょ?! フレームも自作でしょ?! 毎月CDをリリースするんでしょ?! それでゴルフも大好きなんでしょ。

それで好きなことは四つ、五つあって、その3番目が写真を撮ることですって????
カメラは何台持っておられるんですか?
以前これくらいのレンズを買おうか迷ったんだけど、ちょっと高かったしいらないかと思って・・・と手を6,7十センチ広げて見せるのです。

何か「反則!」と言いたくなるようなお人でした。
- 2020/03/05(木) 00:00:41|
- 絵画
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お知らせ
今月6日(金)から8日(日)まで京都木屋町仏光寺下がる辺りにあるギャラリー高瀬川四季AIRで写真展をします。
主催は私ではありません。「高瀬川ききみる会」です。が、展示写真はすべて私が撮ったモノです。
「高瀬川界隈の素敵な人たち」です。 高瀬川界隈に働き、住み、遊ぶ人たちを撮りました。
このイベントのことは昨日、今日くらいの毎日新聞の関西版の記事となって紹介されているかもしれません。
高瀬川にかかる仏光寺橋(四条通から南に歩いて6~7分でしょうか。)から下流を見て右手の建物の並びにギャラリーがすぐに見つけられます。
もしついでがおありでしたらぜひお立ち寄りください。お待ちしています。 蒼樹
とにかく寒さが苦手だという人ですから・・・ご本人のプライバシ-にかかわりますので詳細は申し上げられませんが・・・・相当重ね着をしています。
病院にいって体重計に乗るときに「どうぞそのままで・・。」とは決して言ってもらえないと思います。
もっとも本人がこのまま体重計に乗って計測するのは断固として拒否するでしょう。それに風袋として何キロ引いたらいいか揉めることになるでしょうね。

それなにの以前には雪が深く積もるところに連れて行って撮影をしました。
その時の写真を見ると、着てる着てる、こんなに膨らんでいると可笑しくなります。
まあそれでも付き合て出かけてくれるのだから感謝しなくてはなりません。

まあ、私はこの人の目じりに惚れちゃっているわけですから仕方ありませんよね。

なかなかこういう人は見つかりません。
ですのでしつこく撮るのです。

「はい、美人になって。」とか「今度は可愛くね。」とか「それってどういう指示?!」というようなことを言いながら撮るわけです。
この人の目の下あたりもやや赤みを帯びているでしょ。目じりも紅をさしたようになる人なんですね。
芸子はんや歌舞伎役者のようになるんです。 それがいいんですね。

撮り始めたころからもう何年もたつので次第に「いい女になってくれよ。」と言っているんです。
本人はどう思っているかわかりませんが。
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- 2020/03/04(水) 00:00:39|
- 人物
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お知らせ
今月6日(金)から8日(日)まで京都木屋町仏光寺下がる辺りにあるギャラリー高瀬川四季AIRで写真展をします。
主催は私ではありません。「高瀬川ききみる会」です。が、展示写真はすべて私が撮ったモノです。
「高瀬川界隈の素敵な人たち」です。 高瀬川界隈に働き、住み、遊ぶ人たちを撮りました。
このイベントのことは今日明日くらいの毎日新聞の関西版の記事となって紹介されているかもしれません。
高瀬川にかかる仏光寺橋(四条通から南に歩いて6~7分でしょうか。)から下流を見て右手の建物の並びにギャラリーがすぐに見つけられます。
もしついでがおありでしたらぜひお立ち寄りください。お待ちしています。 蒼樹 私の知人が「ブログ、粛々と更新されていますね。」とメールに書いてくれました。
「粛々」とか「淡々」とか「忖度」とか・・・ある言葉に特別な否定的なニュアンスを塗りこめてしまたてぃとたちがいて、日本語は使える語意に窮するようになってしまうんじゃないかと危惧するこの頃です。
忖度なんて必ずしも悪い意味ではなくて、ちゃんと忖度できることは大切なことなんですから、「阿諛」とか「追従」とかまさにああしたことどもを表現すできる言葉があるんですから、適切に使用してほしいものです。というようなことはさて置いて・・・。
う~ん、粛々と更新しているのかなあ。「静かにひっそりと」更新しているわけでも、まして厳かにしているわけでもないしなあ…。ましてや「引き締まって」いるわけでは 到底ないし。
ワクワクと、時にうんうんとうなりながら更新しているので、・ ・ ・ ありますよ。

今までほとんど全く気にしたことのない数字。
拙ブログの「記事番号」 3250 でした。 つまり3250回も記事を書いてアップしてきたってこと?! OH! それは大したことですねぇ。 無論もっと多い人はそれはそれはたくさんいるでしょうが、・・・・私の旧友にしてからが、多分これに+365ですから・・・・3250という数字は多分相当大きな数ですよ。

それを可能にしてくれたのがこの人たちですね。
今回は少々写真の色味が違います。
印象はいかがでしょうか。

弧状にぽつんと黒子のような、ごみのような点がありますが、あれは鳥です。
なんでも絞りを開ければいいという惰性的な撮り方のせいで、こういうことになってしまいました。
ここでは背景が水だけで単純なんですからもっと絞って土地の姿はそれとして見せたほうが良かったですね。波の様子も。
まして十分な明るさがあったのですから絞ったって問題はなかったはずです。(柱が前ボケになっているのは、それはそれでいいと私は思うのですが。)

この写真はフジX100Fで撮っています。
「フィルムシュミレーション」でプロネガハイだったでしょうかね。自信ありませんが。

撮影場所は滋賀県の方ならすぐにお分かりの名所ですね。

この日は天候も良くて、この人もご機嫌でした。
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- 2020/03/03(火) 00:00:10|
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私は初めタイトルを「素敵な人たちと by 蒼樹 路上の女性画家 Ⅰ」としようと思いました。
しかし、それは止めました。
5月にする写真展について「女性を撮った写真ばかりでやる」と吹聴して歩いています。
そこに写ってくれている人はみなさん一応、表面的にはご自身を「女性」だと認識しておられる人ばかりだと、私は無反省にも考えているのです。

前の参院選で共産党が「ジェンダー平等の実現」を政策の大きな柱として打ち出しました。
これは日本政治史上、あるいは文化史上とてもとても大きなことだと思いました。
つい先ごろの党大会でも綱領の中でこの問題を取り上げていてジェンダー平等委員会を立ち上げました。

委員長の「倉林明子責任者(参院議員)は、ジェンダー平等を掲げる画期的な綱領ができたのは、今までの党のたたかいや草の根の運動に後押しされたものだと強調。「よく学び、よく運動に寄り添い、自己変革してジェンダー平等を掲げた党にふさわしい成長ができるように取り組みたい」と決意を表明しました。」と共産党のホームページにあります。
日本の政党が公然とこの課題を正面に掲げたことは共産党に対する支持不支持を別にして日本史的レベルで注目すべきことだと私は思っています。
先の引用文で「自己変革して」とあり、共産党(員)自身が未開拓の問題として、何か出来合いのドグマの実現ではなくて国民とともに探求し「自己変革」しつつ社会変革を遂げていくのだというふうに問題を立てているところに共産党の現実的で科学的であろうとする思考様式が見えます。こういう問題意識を他党に見るとすれば何党でしょうか。

私も兼ねてこうして人物写真を撮る中で「若い女性をきれい、かわいい視点で撮る」ポートレートをどう考えるかについて考えてきました。
実際、私もこのジャンルが好きですし、何度も撮ってきました。
しかし、撮りながらこれを無前提に何の反省もしないで漫然と楽しんでいていいのかという疑義を抱いてはきたのです。
私が5月にする写真展をこうしたくくりでやるのもいわば一つの問題提起としてなんですね。
そのことをお話しすると大変共感していただいて、「是非見に行きます。」とおっしゃっていただけました。



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- 2020/03/02(月) 00:00:41|
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