今日の奏者はピアノの加集 希世子さんです。
多分以前にもお目にかかったことがあるのではないかと思います。ただこうしたことについての私の記憶力はもう相当に朽ちてきていてほとんど自分自身でも信頼できません。
( なので安倍氏などが記憶をたどって物的証拠もなくて、よくあれほど断固として「やった。やってない。」と言い切ることができるものとほとほと感心する次第です。 )

リハーサルでのこと方を見ていると川口さんに対して、「そうだよね。 そうそう、わかるわかる、もっと!」というような並走感をとても強く感じました。
単に伴奏しているというよりは、それ以上に、ともに吹き上がっているというか、共振している感が強いです。
(サックスの方もそうでしたね。)

ピアノ演奏を撮るのは難しくて、他の人の写真を見るとついあれこれヒントを見つけようとまじまじと見てしまします。
残念なことにそういう作例に出会うことがとても少ないのですが。

絵も彫刻も・・・・も自分から作り出せるのですが、写真はそうはいきません。
何度も書くように「ないもの」は撮れないのですから。
エレア派になってしまいそうです。

ピアノは奏者の前にどっかりと大きな物体=ピアノがあり、又譜面台を立ててスコアを載せると演奏者から前が、見にくくなります。それでボーカルその他の奏者とのコンタクトを撮るためにピアノを傾けてピアニストがボーカルや指揮者を見やすいようにします。
すると客席に対してはやや奥側を見るようになることがあります。
そうなると撮影ポジションを見つけるのはまたひと工夫が必要になります。

逆サイドのソデから、とか。
でもリハならこういう風にも撮れます。

結局、こういうことはある程度場数を踏まないと難しいのかな。

こうして与えてもらたチャンスから学ぶしかないですね。
- 2020/02/29(土) 00:00:58|
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目をつぶっているのか開いているのか。
それで随分写真の空気が変わるように思います。
その写真から見る人が受ける印象が違ってきます。写っているのが人物なのですから、その人物の意志や、情感が目の開閉によって異なって表れますね。
見る人の読み込みが違います。

学生たちが写真展をしているところでは、即席の「合評会」をすることがよくあります。
学生たちもよく見ず知らずの私に乗ってきてくれます。
そしてそこでトリミングの仕方の違いから生まれる印象の違いとか足先まで入れるかどうかによる仁仏像の違いなどいろいろなことを意見交換しながら写真を楽しみます。

私の写真倶楽部ではそういうことをしません。
そもそもそういう心の準備の無い方がほとんどのようですので、あまり・・・・既に年を重ねておられますので・・・・刺激しません。
褒められることを喜んでも批評されることは端から考えておられない人が多いのはどの世界でも似たようなものかもしれません。

学生たちの多くもそういう経験を積んでいませんから、初め戸惑いをしますこともありますが、間もなくとても楽しそうに知的な好奇心や成長の欲求を示す目の輝きを増して、自分い意見を言い始めます。
相互に批評することの楽しさを知る、それは現代日本人の大きな弱点を克服するうえで重要なことだと、私は思っていますので、学生たちの様子を見ながら誘い込みます。

学校教育に足りていない要素でもありますしね。
ゲーム化したディベートでは相互批評でお互いの認識を深化させる協働の喜びや信頼・連帯感を醸成することは難しいと思います。そこが分かっていない先生方が多い。
音楽でアンサンブルをする場合にはごく自然にそういう協働を楽しむ精神がはぐくまれれているのではないかと感じることがあります。
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- 2020/02/28(金) 00:00:26|
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この方はサックス奏者のMasa Wadaさん。
迫力満点の奏者です。
サックスの奏者はやはり呼吸が決め手ですから全身で吹きます。
そこに表情が出ますね。
どうしてもこれを期待してしまいます。

追いかけていては撮れませんから、多少は予測して、出た!と感じたらシャッターを切るという感じでしょうか。
「置きピン」というやつがありますが、構図を決めておいてそこに期待する絵が来たらとるので、似た面がありますね。
ただピントは難しい。

絞りを絞っておけばある程度の深さでピンが合いますけれど、それだといろいろ写り過ぎてしまいますから、加減が問題です。
反比例してシャッター速度が遅くなるのですから、困る面がありますが、現代カメラはそれをISO感度の大幅な拡張と、手ぶれ補正機能とでカバーできます。フィルも時代のカメラマンに対しては驚嘆の思いですね。
そういう点ではス屋内ポーツなどの動きモノを撮るのとも共通する点があります。

それにしてもこの方の音を耳にするとつい引きずられてレンズがそちらを向きます。
やはり被写体自身がもつというか発している魅力がいい写真の源泉ですね。
そういう意味ではここで演奏されている方たちからそれぞれの魅力が発散されて、こちらに激しく届きます。

それでシャッターボタンを押す機会がずいぶん多くなります。
時々敢えてレンズを下に向けないと神経が麻痺して、高潮局面に敏感でなくなります。
次の瞬間にもっともよい絵が飛び込んでくるのではないかという気持ちが常にありますから、なかなかカメラを下ろせませんが。
演奏者さんたちの支持、共感を得られるような写真を撮りたいですね。
- 2020/02/27(木) 00:00:02|
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ピアノ、ギター、サックス、ドラムスの伴奏体制です。
ボーカリスト(ソリスト)も良い伴奏者に恵まれないと思うような表現はできないでしょう。
その点今回のステージは態勢万全という感じです。

川口さんコンセプトが明確ですからでしょうね。
彼女が思い切って表現できるように伴奏者が支えています。

一緒にCD制作をした仲間ですからお互いから率直な意見・要望が出ています。
それで、一層川口さんがこの人たちに安心して依拠できる空気を作っているのでしょう。

彼女のファンが、こうした写真を見て「写真集ができるんじゃない?!」と川口さんのFBのコメント欄に書いていましたが、それも悪くないなあと思います。
そんな機が熟せばいいなあ。

川口さんのほかにも写真集にまとめてみたいなあと思う人が幾人かいます。
会場を借りて個展をするよりも安価にできるかもしれませんし。
でもそうなったらどうやって人に知ってもらうんでしょうね。
インスタグラムでしょうか。 私やってません・・・それじゃあダメじゃないですか。
いつもリュックに入れて行商でもしますか。

日本は急速に「貧すれば鈍す」の方向に落ちてきていますから、「タダより安い物はない」になってきていて新聞は読まれないし本は買われないし・・・・・・・写真集などに見向きもしないかもしれませんね。
ましてや私の写真集では。

でも紙媒体にして残したいなあという思いは「かつ消えかつ生す」んで、私の胸の内をよぎります。
第3次の5カ年計画に入れてみようかな。
さて、はて。
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- 2020/02/26(水) 00:00:58|
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この時のドラムスは河野俊二さんでした。
ドラムスは多くの演奏では奥の一段あるいは二段高いところで演奏していますので、本番では光の外になることも多く、撮影に苦労します。
ボーカルから遠いので絵づくりも難しい。

ましてこうした少し大きなホールだとステージにも奥行きがありますしね。
jazzバーだとかいうところならまだしもですが。
撮りたい被写体ではありますから、何とかしたいなあという気持ちは何時も強いのです。

ステージでは照明の関係で明暗差が大きいですから、こういう風な印象的な写真が撮れます。
私はこいう言うのが好きなので、ついこのステージの趣旨というか、演奏曲の感じと関係なしにこういう写真になってしまいます。
まあ数十年古いレコードジャケットの影響なんでしょうかね。
こういう場合にはフジのカメラがいいと思います。 個人の感想ですが。

ソニーだと黒が軽い・・という感じがします。
この日の照明さんはミュージシャンたちの演奏ステージをかなり沢山経験している方だそうで、いい感じに照明が入るので、それに促されている面もあります。
こうした場合の決め手の一つはやはり光の供給ですね。

それでそうした光の供給を見て、あちらこちらに回り込ンダり、屈んだり高い位置から覗き込んだりといろいろ試すのです。
それが面白くて息つく暇もないくらいです。 楽しい!!

フジのX100Fは基本の固定レンズでは、35ミリ換算で画角35ミリになります。
私は通常テレコンバージョンレンズを付けていますが、こうしてレンズを外せばそれなりに広角に撮れますのでありがたい。
コンバージョンレンズを付けて換算50ミリでもF値は2.0です。

私は全体の演奏風景よりもpついつい個々のえ演奏者の表情に目が行ってしまうので、どうしてもやや望遠よりのレンズを使います。
でも広角もいいものです。
こういうライブ空間もいいものですしね。

シャッタースピードを遅くしてスティックの動きが出るものも撮らないと・・ですね。
- 2020/02/25(火) 00:00:43|
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写真は音楽にも絵にも替われない。
当たり前のことなんですが、そう思いながら撮っています。 でもそう思いながら、そこがよく分かっていません。
そのうち分かるんでしょうかね。

こちらの男性は音響の専門家で東奔西走八面六臂の活躍をされている方です。
今日、京都に居たと思えば明日は東京・・、その次には大阪にいるというそんな方です。

川口さんの2枚目のCDの時に、この方が同席されてジャケットの写真を撮るように勧めてくれて引き受けました。
川口さんもですが、この方もこうしたライブの時に「撮りに来ません?!」と声をかけてくれるので入り込めるのです。

川口さんのステージ衣装は、こういうものがいいと思うのですが。
今度一度じっくり話してみたいと思っています(笑い) 以前もそんなことを書いたような記憶がうっすらとあるのですが、何しろ忙しい人ですから、「ゆっくりと」なんて言う訳にはいかないのです。
今付けている髪飾りは本番用で、本番のドレスに合わせています。

プロダクションというような大きな後ろ盾がないのですから大変ですよ。
伴奏者の依頼やチケット販売や・・・・・・。
歌が好き、歌がうまい・・というだけじゃやっていけないタフな世界です。

彼女からしたら私など本当に手すさびでしかないと思います。
ですから自ずから気合、覚悟が違いますね。

それにほんの少しばかりのお手伝いができればいいなあと思う訳です。
- 2020/02/24(月) 00:00:19|
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この方も含めて、今回のステージで伴奏しているピアノ、サックス、ドラムス、そしてこの方、ギターの奏者は川口さんの3枚目のCD録音に協力された方たちです。

ですからリハもどんどん進みますし、又リハから相当な気合の入り方です。
ライブをされた方はご承知だと思いますが、リハは演奏の確認だけじゃないですね、音響も、照明も、映像も・・・皆リハーサルをして確認調整します。
「じゃ、そこは繰り返さないで一回だけね。」「ここはとにかく歌のノリ中心で対応しよう。」・・・・咄嗟のこういう決め事、私なら記憶できませんけど・・・
「僕にピアノの音もう少しくれる?」『私の方はボーカルをもう少し・」などの言葉が飛び交います。

今ここに並んでいる数枚の写真は本番です。
本番では、ステージに上がれませんし、お客さんの真ん前で立ち上がって撮ることもできませんから…撮る角度は大きく制限されます。
最前列の更に前を匍匐前進していってとりたいなあとも思うことがありますが、そんな私の奇異な行動に気をとられてお客さんが演奏に集中できないのは申し訳ないですから、やりません。

座席の横に来てパシャパシャやられるだけで、さらには通り過ぎられるだけで嫌な感じを受ける人だっているわけですしね。
そういうところが難しいなあと思いますね。

でも撮らなきゃ写真は残らない・・という。
- 2020/02/23(日) 00:00:05|
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この方はステージが湧きたつようになって、川口さんのパフォーマンスも大胆になって来ても、淡々と弾いている感があります。
写真を撮る方としては多少眉間にしわを寄せたり体を楽器を傾けて演奏したりしていただけると絵になりやすいのですが、写真のために弾いているわけじゃないのですから・・・それも仕方ない、しかもそれが個性ですしね。

楽器によってもある傾向が見えるのですが、やはり演奏する人それぞれ・・という事ですね。
この方はギターと三線を弾かれました。
川口さんの曲には必ず一つ二つは沖縄のものが入りますからね。
彼女は何しろ毎月沖縄辺野古に通い続けていて筋金入りなんです。 余人にはなかなかできませんよ。

舞台照明は様々に変化しますので、思わぬ写真になることがあります。
もしプロなら「思わぬ・・・・。」なんて言っているわけにはいかないのでしょうが、実際、こうしたライブでは照明の強さも角度も色合いもくるくる変わりますね。
クラシックの場合なら大きな変化はないですし、せいぜいスポットが動くくらいでしょうか。

以前あるホールでリハを撮っていた時には、照明スタッフが「照明、どうしましょうか。もっと明るい方がいいですか?」などと聞いてくれたことがありました。
「もう少し低い位置から斜めに欲しんですが、そういう訳にも行きませんからそのまま本番と同じでお願いします。」
なんて答えたこともありました。
スタッフさんたちも様々です。
幸い露骨に「面倒なやつがいるなあ。」という対応は経験していません。

考えてみればコンサートはたくさんあるのですし、そのたびにいろいろなタイプのカメラマンが来ることでしょう。向こうは「慣れている」のかもしれませんね。
たまたま今度一緒になったカメラマン氏はほんの数か所で撮影位置がかぶりましたが、大半は何処から撮っているのかなと探す感じでした。
画面に入っては申し訳ないので、時々所在を確認しようとしたのですが、見つからないこともたびたびありました。
それくらい狙い方が違うという事ですね。 だから、面白い。

彼は「本番を撮っても面白くないからね。」と言っていましたが、なるほどそういう面もあるなと思います。
総じて彼の方がずいぶん気を使って位置取りしてくれていたようでした。ひょっとしたら不満があったかもしれません。分かりませんが。
- 2020/02/22(土) 00:00:12|
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こうした写真を撮るのはとても楽しいのです。
ただステージに上がって撮らせてもらうには少々緊張が伴います。
というのも、何よりこのリハーサルを邪魔しないという事です。
邪魔しないんですけど、でき織る限り踏み込むという事ですかね。そこの狭間に緊張があります。

そして何しろ足下が危ない。
足元には様々なラインが走っています。 これに躓いたら大変です。
ですからまず足元をしっかり確認して、移動の際にはひときわしっかり足元を見ます。
それに様々な会場のスタッフがいますからその邪魔もしないようにしなくてはいけません。

音響の調整の際には演奏者の近くにスタッフが立ちます。
写真を撮る方途すれば、えっ?!そこに入っちゃうの? ああ、いい感じなんだけどまだはけないのかなあ、などと自分勝手な思いがよぎります。
ここで本末が転倒しないように心掛けねばなりません。

スタッフと衝突したり、ラインをひっかけてマイクやスピーカーを倒したら大事です。
リハーサルも予定通りには進行しなくなってしまいます。 まあ、入りいろ不測の事態に備えてラインも固定して在りますけれど。

もうひとつ、暗い場所で・・・照明も極端に明るくなったり暗くなったり変化しますから・・・段差もあるし形状も複雑なことがありますから、私自身が転落して救急車を呼べれるようなこことは大変なご迷惑をおかけすることになりますので万が一にも避けなくてはなりません。

そんな苦労もありますが「演奏する方にとってはこうして撮影をしていただけると大変有難い。」と感謝していただけたときにはとてもうれしいものです。
写真をお送りして、FBなどのプロフィール写真や宣材の中に使用しても良いかと許諾を求められるのもこれまたうれしいものです。
気に入っていただけるものが撮れたというjことですからね。

演奏家さんたちの気持ちにぴったりくる写真、それも目指すものの一つですね。
つまり音楽的な写真・・という事ですかね。
- 2020/02/21(金) 00:00:16|
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川口真由美さんはシンガーソングライター。
彼女の3枚目のCD「この
クニに生きて」の発売記念コンサートが開かれました。
2枚目と3枚目のCDジャケットに写真を提供した縁で、この日のリーはサルから本番までスタッフ章を付けて写真撮影に入りました。

何をどう撮ってほしいと言われているわけではなくて、好き勝手に撮って、その後写真を送付して、又好き勝手に使い、使ってもらっているという関係です。
ですから何のストレスもないのでとても楽しくうれしいのです。

なんといっても彼女の歌は日本の今にとってとても必要で大きな意味のあるものだと私は感じていますので、こうして写真を通じて支援できることがありがたいのです。
川口さん自身は母親であるとともに障碍者施設の代表も務めていて、この日の本番ステージにもその施設の子供たちがダンスで出演していました。
その子たちに生活の希望を与えるという意味でも、また自己表現の場を提供するという意味でも、約wありを果たしています。

フライヤーには「肩を寄せ合い、力を寄せ合いながら生きている人々の中で、悩み、葛藤しながら紡いできた市とメロディーの力強さは、多くの人の心に響いている」とありますが、本番の会場の雰囲気はまさにその通りです。

社会的なメッセージ性の強い歌ですし、小市民的な生き方を歌うものではないので(いやその実大きく巡ってその小市民としての幸福を真実実現しようとしているのですが)すが、ファンの方々は出退勤時の自動車の中で毎日聞いて励まされ、勇気づけあっれていると感想を漏らしています。
私はジャジーでロックな彼女の一面に注目して撮りたいなとも思っています。
この日階上にはもう一人スタッフ章を付けて撮影をされる方がいました。
東京新聞の望月衣塑子さんの写真も撮り、共著もあるという方です。
どういう写真をお撮りになったのか是非見せていただきたいなあと思いました。

- 2020/02/20(木) 00:00:56|
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つい先日川口真由美さんのライブコンサートの撮影に行きました。
スタッフ扱いにしてくれるのでリハから本番までかなりの時間にわたって撮ります。無論撮った写真はセレクトの上、差し上げるのです。
あたしは川口さんを応援する意味もあって手弁当で撮りに行って写真を提供するのです。

今回の撮影で白黒はフジフィルムのカメラでで撮るのがいいなあとつくづく思いました。
フジの色には艶があるので音楽シーンにはうれしい冗舌感があるのです。
艶めかしさもありますしね。

今日の写真のような場合にも多分フジの写真ではニュアンスが一つ加わるという感じになると思います。
この革の上着などはより艶やかに、脚なども魅力的に撮れるのではないかと思います。

フジはx100VのPVでストリートフォトを撮る鈴木氏の様子を流して厳しい批判を浴びていますね。その後のフジの「謝罪」?文は問題の本質を明確に掘り下げないまま、形式ばかりのモノになっていて、フジの企業としての経営思想、写真文化、人権意識に信頼がおけないことを示してしまいました。
モノづくりとしては良いものを作っているだけに惜しいことです。
ソニーα900の跡継ぎは・・・レンズ資産は全部だめになるけれど、それはα99用として置いて・・・・メインをフジにしようかなと思っていただけにちょっとその気持ちに水を差された感じですね。

この人のようなとても良いフォトマヌカンをいつまでも確保できるわけではありませんから、
できるだけ早くより良いカメラとレンズで撮るようにしたほうが良いのかなあなんて思ってもいるのですが。

高額レンズと安価なものを比較して「値段の違いに比べてさほど性能の違いはない」と結論付けるユーチューバ―の動画をいくつか見ます。
(性能が値段費と同じように二倍も三倍も良いなどというのはどういうことを意味するのかよく分からないままの比較です。)
でも、先のライブの撮影ではやっぱりレンズは良いものを選ばないといけないなあと思わせてくれましたね。

最近のカメラは性能が良くなってとにかくシャッターボタンを押せばきれいに撮れるから、撮り手に残されたのは何をどう撮るかの感性だけだねという発言をよく耳にしたり目にしたりします。
そうなんでしょうかね。私はそれはいろいろと違うと思うのですがね。
- 2020/02/19(水) 00:00:01|
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この人の写真が途切れたままになっていました。
晩秋が、もう春近し、になっています。
5月の個展を写真倶楽部の仲間に広告するために作ったDMをリュックに入れて歩いています。
そのDMにはこの人と、この人の親友の写真が入っています。

若い女性たちの反応が良いようです。
そして、おじさんたちの反応は「どうやってこんなきれいな子たちと出会うの?」
私を前にしていれば、ごもっともな疑問です。
人物写真の場合にはとにもかくにも人が目の前にいてくれないと成り立ちません。
自分自身が被写体となるという手法もありはしますし、それもまた一興なんですが・・・・私は私以外の人を撮る方が面白いですね。

この日はあまり良い天気でなかったせいか、ここに他の人がごくごく少ないのです。
それでこんな風にも撮れました。
こういう写真に至るにもお互いの積み重ねがありますね。
- 2020/02/18(火) 00:00:04|
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注文したお料理もオシャレで、そうかといって奇抜になり過ぎない、目にも楽しい美味しいものでした。
ワインが進みます。

夫君は本当は「写真は少し苦手・・。」なんだそうですが、彼女の後押しで撮られてくれています。
とても暗いのでISOを思いっきり上げています。
それで暗いのでシャッター速度を上げられないということを察する彼女が夫君に「あまり早く動いちゃだめだよ。」と声をかけます。

でも彼はずっと以前かなり熱心いフィルムカメラを使って撮っていたのだそうで「デジタルになってたまりに鮮明な画面になってしまったので撮らなくなりました・」とのことでした。
レコードコレクションといい、こういう発想といい、なかなかよい拘りのある人のようですね。

私は「大海獣」が一体何者かを知りませんでした。

このお店は島原の大門から少しのところにあります。
JR嵯峨野線丹波口から10分くらいかな。
新しいスーパー銭湯の程近くです。

この辺りも私が以前いた職場のテリトリーだったころとはずいぶん変貌しています。
輪違屋などの貴重な文化財的な建物は存続していますが。

それでも木屋町あたり、烏丸通などとはずいぶん違うちょっとレトロな町空間ですから、旅のついでにでも行ってみるとよいと思います。お勧めですよ。
昼はカフェです。


どうぞおいでくださいね。
- 2020/02/17(月) 00:00:57|
- お店
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もう数年力を借りてきた素敵な女性が結婚されたのが昨年。その人から週のうち三日、夕方から深夜までお店を開くことになったと情報が届きました。
お店を始めたのが先月半ば・・・・。
私の健康状態などもあってなかなか「陣中見舞い」に行けませんでした。

たまたま「孤食」になる日ができて、飲まなければいけない薬も最後の日になったので、じゃあ出かけてみようと、ふらりとお邪魔しました。夫君が好きで買い集めたたくさんのレコード盤を持ち込んでBGMを流しています。

古民家を改装したお店です。 オーナーは別の方。 ですから時間貸しの間借りですね。
最近はいろいろなジャンルでこうした営業形態があるようですね。
自由な発想で自分たちの条件に合わせて無理しすぎないで取り組めるようです。

こういう二人の何気ない気持ちの交流の醸し出す空気感は「新婚さん」らしいかな。

私とこの人との付き合いは長いですから「ちょっとそこで、こんな風に・・・。」とつぶやけばすぐに「モデル」になってくれます。
もっとも開店から間もない時刻に入店したから他にお客さんがまだいないのできるのですが。

これは次の個展の展示作品の候補かな。
この人が賢い人なのでとても撮りやすい・・のです。
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- 2020/02/16(日) 00:00:12|
- お店
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ギャラリーのオーナーさんのFBには「天才肌?の画家」と記されている森さん。
ジャズメンやクラシック音楽のコンダクターやチェリストたちが描かれています。

線書きに墨で着彩?しているものが多いのですが、色もまたいいのです。実に秀逸な表現です。
写真でこう撮れたらもう最高だろうなあという、音楽(家)の魂が表出しています。
その表情、姿勢、そして時にちょっと派手めな色で表現された何とも楽しい空気感。

昨年私はこうしたミュージシャンたちの写真で個展をしましたが、こんな楽しく「じゃずだなあ。」などと感じられる写真はまずありませんでした。
やはり私では絵にはかないません。

一枚だけギャラリーのオーナーさんのFBからお借りしましょう。

「写真を撮られるのは苦手ですか?」とお訊ねして、暗に撮らせてくれませんかと・・・・。
案の定「写真は・・・ね。」とおっしゃる。
「そうですかご無理は言いませんが・・・・。」と私。 (この迫り方で今日は別のところで本当に大きな「魚」を逃がしてしまいました。多分もう一二度押せばよかったのではないかと・・・・。でもこれが私の流儀ですから。)
すると件のオーナーさんが「撮ってもらったら?」と背中を押してくれて、見事この援軍のお蔭で撮らせていただきました。

何だか絵のようにほんわかしたところがある方でしょ?!
私の写真にしてもそうなんですが、結局作者自身の性格が出るんだなあと・・そう思いました。
(私の場合は遊びというか、ゆとりがないのでしょうね。面白み・・・かな。)
この写真、良くないですか?
「お会いして10分程でこんな写真が撮れたら、人物写真家として一流ですよ、旦那!」

この森さんの絵、高槻市のjazzフェスの時に商店街にずらっと並べたらどうかな、きっと大反響だと思いますね、私は。

そんな企画に一肌脱ぎたいねえ。
ね、森さん、やりましょ?!
- 2020/02/15(土) 00:00:13|
- 絵画
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作者の夜見る夢、あるいは寝言かな。
これを見ればすぐに六波羅蜜寺の「空也像」を思い出しますよね。
彼の作品は仏像の形を借りて、自身の思いを表現しているのですね。
お金や彼が芸術系大学の学生として生セクに思いを込めてきたということが筆や、鑿の形であらわされています。
(回転ずし?の)寿司が好きなんでしょうか、彼女らしい姿も見えますね。
面白いアイディアですね。

これは「大学生活をしてみ追て改めて母の存在を意識しました。」という訳でお母さんの像。
千手観音像ですかね。

ネクタイをしてカッターシャツを着たのは「新社会人」
脚もとにあるのは子供が初めて乗る自転車についている補助輪。
就活を通じて色々感じたんでしょうね。

私が会場の案内要員で座っている学生に、あの木彫作品の作者はいますか?と尋ねるとわざわざほかに行っていた彼を呼び戻してくれました。

私は、人はそれぞれ正当に褒められるべきだと考えるものです。
それで人の写真を撮っているのです。
ですから気になる作品があれば、できるだけ作者本人に話を聞いて率直な私の印象・評価も伝えます。

社交辞令としての美辞麗句いやお追従としての褒め言葉など毒はなるけれど何の役にも立ちません。
作品を見に行って自慢ばかりしている人も、ご名w悪でしかありません。
褒める力のない人が多いです。


- 2020/02/14(金) 00:00:03|
- 芸術
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ここは東山にある京都造形大学です。
日本の伝統的を変態させたデザインから現代へに対して鋭く批判の目を向けていく作品です。

「唐草」模様が「からまる草」に。
私の机の周辺を見れば、たちどころに納得できます。
若者は日がな一日耳からコードを垂らし、さらにポケットへまで伸びています。

椿の模様からは核物質の存在を示す模様に近似を見ます。
福島などでどんどん安全基準を引き下げて、汚染土を学校や農地に埋めていけば、「汚染土」派は目に見えなくなくなって「ないい」ことになるよいう今の政権や人々の意識があります。
しかし、そうした土壌の上で育つ〈椿〉を初めてする植物はいやおうなしのその汚染物質を取り込みます。
無論人間も。
そしてこれは、今国会に広く当たり前のように出回る「墨塗り」の公文書を意識しています。

彼は物静かな青年で少しも尖った感じを受けません。
けれどその視線はこの日本の多数の大人よりはるかに冷静で批判精神を持っています。
今日の「政治についてうんぬんするようなのはダサい。」とする空気の中でこうした思考をし表現をするのは、彼自身と彼をはぐくんだ大学の在り様の(造形大の政治的スタンスということではなくて自由で批判的な精神が羽を伸ばせるという意味で)反映だろうと思います。

彼が就職を決めたそのジャンルではこうした彼の精神資質が逝かされるかどうか、私はやや心配しています。
が、逆に言えばそこを突破しなくては、日本の文化、国民の意識の鈍感さ貧困化は年ごとに重く深くならざるを得ないでしょう。
彼の健闘を期待したいものです。
- 2020/02/13(木) 00:00:59|
- 芸術
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写真としては出れもこれも似たり寄ったりなのです・・・。
私がモノづくりの人を撮るときの面白さははこういうところにあるなあと感じるのです。

制作中は、多くの場合に位置も姿勢もほとんど変わりません。
ほんのわずかな手指の先の変化、目の動き、呼吸の変化、口元や頬の動き。
そういったものに気付きながら撮るのです。

構図とかも重要なのだと思いますが、私の場合ついついそんなところに注意が集中してしまします。
ですからとってもとっても足りない感じになってしまいます。

黒白で撮るときは、無論、光をよく見なくてはなりませんから、いろいろな角度から覗き込みます。
この人の目の前には蛍光灯スタンドがあるのですが、そういうものが活かせたり邪魔になったり。
そこをどう撮るかですね。

まあそれにしても幾分ひいて撮ったり、寄って撮ったりもしますが、大概はどこが違うの?!というようなものになってしまいます。
でもそうした写真の中から、これが一番いいかなというものを選ぶ力もつけないといけません。

こんなふうに彫刻刀の刃先が隠れるとやっぱり迫力がなくなりますね。

そうなるとその刃先の角度や光り方にも注意を向けなくてはなりません。
やっぱり難しいですね。
- 2020/02/12(水) 00:00:39|
- 工芸
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伝統工芸大学校の卒業制作展です。
秀作の数々をとってきました。それらを紹介するとそれはまたとても面白い写真になると思います。
ですが、このブログは人物写真ジャンルですから・・・・。
この人は金工の作品で「京都市長賞」を受けました。 たまたまギャラリーの開城整理兼案内係としていましたのでお話を聞くことができました。
ずいぶん試行錯誤され、苦労があったようです。 何度もやり直し、自分としては不満足なことがたくさんあるようですが、締め切りに間に合わなくなってしまうので…とにかく一応の完成にまでたどり着いたという事です。

これがこの人の作品です。見事ですね。
4年でこうしたモノを制作できるようになってしまうということが、何より驚きです。

作品はたくさん撮りましたが、その場で作者たちを撮ることはできませんでした。
ただこの建物の3階で公開実演があって、今年度の卒業生も交じって実演していましたので、その一人にお願いしました。
この人は木彫です。

驚いたことにこの人の先生は、拙ブログに少し前に登場していただいた83歳の名人、渡辺さんです。
私が渡辺さんとお話をしながら写真を撮っているときにたまたまお二人の学生さんが訪ねてきたのですが、そのうちのお一人だったということが分かりました。
なんと奇遇なことでしょう。

良い先生について学んだわけですね。
今ここでは小さな能面を彫っています。

トレーシングペーパーに面の顔半分を描いて、それを反転させたものを繋いで顔全体とするということでした。
つまり面は左右完全に対象なんですね。

小さな面ですから顔の部分だけ切り取って、それをつまんで作業をするのは困難です。
それで首から胴、さらに脚部にかけてくらいの部分がつながっていて、そこを握って作業をします。・
- 2020/02/11(火) 00:00:54|
- 工芸
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毎年この時期には芸術系大学の卒業制作展があります。
これを見に行くのはとても楽しみです。
と同時に忙しいですね。
滋賀県にある成安造形の学生です。

建築模型を作り、そのコンセプトなどをパネル掲示で説明しています。
かれは写真、ことに人物の写真を撮影することを広いエリアにいくつも作った施設全体でやろうとしています。
これは魅力ある企画だと思いました。

ウエディングなどでは(なんちゃって)教会やパーティー会場や、さらにその周辺で撮るし、また前撮りなどはかなり郊外にいてっ撮ることもあります。
私の経験から言っても被写体になる人はその置かれた状景を肌で感じて気持ちに変化をさせます。
ですから閉じられたスタジオで照明を当てられたり、見慣れない機材に囲まれて撮るよりずっとリラックスしてよい表情を捉えられると思います。
建物も軒の深い明るい開放型にすれば外の緑や空気を取り込めます。その連続感がいいと思います。
遠景として取り込むこともできますしね。

少し郊外であれば駐車場も余裕をもって作ることができて七五三などの家族写真も移動が便利じゃないかな・・と。
建物に変化を付ければなお面白いでしょうね。
彼自身は写真をよらないそうなので撮る人間からすれば注文がいくつかありましたが、やはり若者の発想を飛躍が大きくていいですね。
- 2020/02/10(月) 00:00:46|
- 未分類
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いろいろな方の訃報に接するとつい「何歳でお亡くなりになったのかな?」と確かめることがあります。
すると私と同年代であったりいくつかお若かったり・・・・「まだ若いのになあ。」と家人と話します。
しかし裏返してみれば私自身がそうした方々と同じように寿命の瀬戸際に立っているともいえるわけで・・・・。

そういう時にこの方のように80歳を過ぎてもまだあと何年かは頑張りたいねとおっしゃる方にお会いするのはうれしいことです。そして「若造が何を言っているのか。」と言っていただける気がします。

「私はこうして物を作るのが大好きで、実演にも毎年出させてもらっているけれど、毎年こうして見にくるあんたも相当好きなんやなあ。」と満面の笑顔でおっしゃいます。

今、作業のために使っている台もご自身で作られたのだそうで、三方の板には見事な彫り物がしてあります。
正面の板には蝶番が施されています。
「折りたたんでどこでも持っているけるようにしてある。」とのことです。学校であれどこであれ招かれればすぐに出かけられて実演をされる。
さて、次の方は仏師さんです。
私はこの日、ふと間がさしたのかソニーα99にキヤノンのFDレンズを付けていたのです。
そして滅多にすることのない絞り優先オートに設定していたのです。最も遅いシャッタースピードを設定したうえでカメラに任せればISOで解決してくれたのでしょうが、普段マニュアルで撮っているせいでそういうことには思いも至らずボケの山でした。
第一オートは利きません。

職人の指ですねぇ。

もう終了時間だなあという頃でしたが、私の希望に応えて作業をしてくれました。
なのに・・・・トホホ 申し訳ないことことをしました。

写真はリベンジがきかないのだということをまた新たに肝に銘じました。
- 2020/02/09(日) 00:00:52|
- 工芸
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「京仏具師」という言葉があるのかどうか・・・・ちょっと疑わし、いのですがまああってもおかしくはないかな。
毎年京仏具の見本市のようなイベントがメッセで行われます。そこでは木地師や塗師や仏師、錺師などが実演をしてくれています。
この方は木地師になるのでしょうか。
昨年もお話を伺い、その腕前を見せていただきました。
私に気付くと「やあ、あんたは前も来てはったなあ。写真を撮ったはるお人やな。」と即座に思い出してくださいました。
なんという記憶力!!

御年83歳。安倍晋三氏ならこんな個人情報は漏らさないでしょうけど、私は口が軽いので。
まさに名人、匠と呼ばれるにふさわしい実績と現在のある方です。
上の写真で見せてくれている作品は何と足掛け10年の製作期間を費やした小さな大作です。(お値段を付けるとなると私の現役時代の年収を悠に上回るもので、なんと最早。それで「どこの仏具店でも扱ってくれんのです。」と却ってうれしそうです。
中に照明もつけられているほかいろいろな仕掛けもしてありますが、全部自分の創意工夫で「何か作るのがとにかく好きなん」だそうで、今でも作るのが好きで好きでたまらんとおっしゃいます。

道具を見ていただくとその中に柄が異なった木を継いであるのが分かりますか。
鉛筆と同じでね、ちびてくると自分で継ぐんだよ、とおっしゃるのですが、それ自体が工芸品のようです。
彫刻刀もその刃が細いとご自身で付け根を補強しますし、ご自身でのこぎりも作ってしまうのだそうです。
やはり道具は職人の手足、命なんですね。

お元気です。好奇心と成長意欲の塊みたいな人です。
初めて小僧として親方のもとで働いた時の苦労を忘れないと言います。
それでそれを思い出しては、若い職人の卵たちに優しく丁寧に指導されるそうです。
そこに指導を受けた伝統工芸大学校の、今年卒業するという学生が来られました。
「どう厳しくて恐い先生だったんじゃないの?}
「いえ、とても優しくて丁寧に教えていただきました。」
そのことはここではない別のところでも学生から聞いています。

私が人に教えるようなものになるとは思わなんだけど、若い人に伝えられる言うのんはうれしいことやなあ。
- 2020/02/08(土) 00:00:15|
- 伝統工芸
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ところで、もう2月。
ついちょっとまえに「新年開けまして・・・・。」なんて言っていましたね。
箱根駅伝ももう昔の話・・・。
大学入試ももう最終段階で もう大学は春休み。
2019年度はあともう少し。
そして私の第二次5カ年計画の最終年次に入ります。
そして三次段階に入れば人生そのものも終盤を迎えます。 「いよいよ30キロ地点も過ぎますね。」という事ですね。
おやおやなんてことでしょう。

こういう若い人と同じころの私にあったはずの「未来」というものがだんだん頼りなくなりますね。


- 2020/02/07(金) 00:00:32|
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ここは三条大橋の下。
いつもはデュオで活動しているのだそうですが、「今日は一人でやります。」

前の記事の日と同じ日ですから冷たい風が吹き、この場の人では少ないです。
ただ橋の上からはちょくちょく人が覗き込みはするのですが。

時々「三条通を行く皆さん。私は『かいようせいぶつ』といいます。 ○○を歌いますので聞いてください。」と呼びかけます。
ご自身たちのCDも作て散るのですからオリジナル曲も歌うのでしょうが、人の注意を引くためでしょうか、「コブクロ」のカバー曲などが歌われます。 そしてサウンドは似た感じです。
ときどき見かける他の「歌う男子」たちもまた似たような声を出しているように思います。
曲をカバーしても自分のモノとして歌うかどうか…そこいらに課題があるかなとおじさんは感じるかな。

1月の終わりから2月は、やはり用事もないのに出歩くような気候じゃないです。京都は寒いですから。
それに今はコロナウイルスの恐怖が掻き立てられていますしね。人では少ないです。
でもそれにもめげずに歌います。

この人手袋もしてませんね。寒さに強いのかな。
先ほど「この冷たい空気は喉に悪いね。大丈夫?」と声をかけたのですが
「ついさっきまで(喉を)暖めていましたから・・。」

デュオの名前は「かいようせいぶつ」
それでカラーにして見ました。

唱って何だろうかという時に、ふと井上陽水さんの歌を聞いてみました。
私はリアルタイムでは陽水さんを聞いていませんでしたし注目もしていませんでしたが。
・・・、ただそれだけのことですが。
- 2020/02/06(木) 00:00:31|
- 音楽
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でも、まあ若い時には突き進まないとダメだということが、時があるとは思いますがね。
ただ、加減がね。分かりませんものね。
それで自信が付いたり、力を伸ばしたりすることはあるんですが。
ただ、私の場合のように後遺症があるとね。

でも、まあいいですよ。
やるときゃやらないと。

背中の後ろは、川の流れが「涼しげな音を立てて」・・・・いやぞくっとしますね。
指もだいぶ冷たいようです。
でも歌うんですね。弾くんですね。
だからこそ、橋の上からたくさんの人が「おや歌ってるよ。こんなに寒いのに、えらいねぇ。」とカメラを向けたり立ち止まって暫く耳を傾けるのでしょう。
しかも先ほどは中国人(台湾人かも知れませんが)の若いカップルが足を止めて歌を聞き、写真を撮って「投げ銭」をしていきました。

そういう事が力になるんですよね。
元気が出るんですよね。
それでもやっぱりね、限度があるからね。
気を付けないととおじさんは思ってしまいます。

どうもありがとう。じゃあ風邪ひかないようにね・・・・・と自転車に跨りました。
オッと、忘れるところだった。「撮らせてもらった写真を僕のブログ等・・・・この「等」が大切なんですよね。そうでしょ、安倍君・・・・にアップさせてもらってもいいかなあ。」
「いいですよ。どうぞ。」
で再び、離れようとすると彼が片づけを始めたようで・・・・少し安心して ペダルに力を入れました。

- 2020/02/05(水) 00:00:13|
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白黒で撮ると何か、より一層リリカルになる・・そう感じるときがあります。
カラーよりずっと過去の記憶、呼び起こされた情感に触れることができる、そんな気がすることがあります。
それはなぜなんでしょうね。

この日はとても冷たくて強い風が北から下りてきていました。
ですから、この四条大橋の下に、いつもならいるはずの観光の人が、ごくまばらにしか下りていませんでした。
橋の上にはともかくも歩く人がいるのですが。

中国のコロナウイルスの流行も影響しているのでしょうね、きっと。
(この頃、町が静かでいいねという声を聞きます。その声には幾分かの中国からの旅行者に対する嫌悪感を含んでいるように感じられます。一方でここまで過剰に十分な準備もなく呼び込んだ「観光行政」をとがめるのでなければいけないと私は思うのですが。)
それにしてもこんな悪条件のもとでよく歌う気になれるなあと感心してしまいます。
と、同時に心配にも・・・・。

「空気がこんなに冷たいのに大丈夫?!」
「3年ほど前に仕事をやめて歌に専念するようになったので、こうして出てこないと収入が・・・・・。だからやめる訳にはいかないのです。」
そうですよね。そうであれば暑いの寒いのと言ってはいられないでしょうね。
外国から日本に来て歌でお金を得ながらなんとかメジャーになろうと頑張っている人もいるのですしね。
私のように、今日はどうしようかなあなんていているような軟弱ものではダメですよね。

それにしてもこの空気の冷たさは喉にも気管にもよくないなあ。
「そうですね空気を吸うとちょっと肺の奥まで辛い感じですね。」
どのくらいのの時間やっているの?
「一時間くらいですけど。」

お尻だって冷たく冷えるでしょうに。
でも、良い声をしています。

私は40代の前半に冷たい風と雨の中で無理をしてちょっときつい状態になったのですが「風邪を引いたのかな」で、無理やり済ませてしまって…実は肺炎になっていて・・・・肺の一部を壊してしまいました。
肺活量がぐっと落ちるし、喉は過敏になるし、・・・・歌が歌えなくなりました。 それまでちょっと自慢でもあったのですが。
だから、無理しない方がいいよ。声が出なくなると辛いからね、と。
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- 2020/02/04(火) 00:00:48|
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ネガティブな現象としては中国武漢で発生したコロナウイルスの蔓延が世界規模で広がっています。
こういうことについて日本一国は安全でいよう、などということは、今日の世界では無理というものです。
こういうことについて「中国は迷惑」という心理に駆られる人が多くて、政府もそれを熱心には止めようということに尽力していないのですが、ウイルスの変異は世界のあちこちで起こっているのですから、またどこで新たなウイルスによる感染が広まるかわかりません。
その地域の医療体制が不備であったり人々の生命や人権に大対して脆弱な耐性であったりすると、それが多くに人の命を失わせることに繋がりますし、また各国との装具の壁が高ければ早急な国際的対応ができずに後手後手に回って被害を一層大きくしてしまいますします。対岸の不幸を笑っていると結局自国の人々の命も危うくする、それが21世紀というものです。
ということで、20世紀21世紀は世界はさらにさらに緊密に繋がるということを言いたかったわけです。
その一つの現れが、こんな私の目の前に、カメラの前にフィンランドの若者がいるという事ですね。

私はこういう人類史の到達点の意味を哲学、思想として国民が握っていない弱さ、それが日本には強くあると思っています。
政権党の諸君も同じです。
それで今日の世界に合って日本はとてもこれからの世界を語るに足りないと思われているのだと思います。

国連の会議場で安倍氏が演説した時の議場の空席状態は、もう何といえないくらい惨めなものでしたね。

まあ、それはともかくとして、こうして海外の人たちに接して、わずかでも交流ができるのはありがたいことです。

この観光都市京都にある見えない幕、中国や韓国の人々に対する見えない幕とを取り払う意識的な努力をしないで、ただただそのもつお金にしか興味がないという状況を一日も早く打ち破りたいものです。

150年たっても「脱亜入欧」じゃ困ります。
アジア諸国(民)に対して傲慢不遜な分、欧米諸国(民)に対しては・・・・・。

いろいろ未だに島国根性が抜けないのでしょうかね。

- 2020/02/03(月) 00:00:37|
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今日は京都市長選の投票日です。京都市民の皆さん投票は済まされましたか。どうぞ投票にお出かけ下さい。
「春よ来い 福よ来い」
さて、2月4日(火)から9日(日)のkuura Kuuさんの作品展です。
会場となるギャラリー高瀬川四季AIRのオーナー、前川さんの紹介記事をすっかりお借りします。
「向塾10周年記念「異空間の境目」2/4-2/9 作家さんは来日7年目のフィンランドアーティスト🇫🇮
初対面のクーラさんは日本語流暢、謙虚で才能溢れ、何とインスタグラムのフォロワーが13 万人とか!
ゲーム業界で働くことを志し、日本でその夢を追いかけようと決意。
日本語を2年間、専門学校のイラストコースで3年間、ゲームアートを中心に勉学に励み、ゲーム企業でゲームデザイナーとして働きながら自由な時間で絵を描き続けていた。 どこか不思議な風景、現実世界とちょっと変わったキャラクターを描くことが好きで、その作品のほとんどを今回の展示会で発表する。
2/4 火曜18 時からのワインレセプションにもぜひお訪ね下さい。(参加費 1000円)」とのことです。
前川さんのFB記事ではKuura Kuuさんの作品も紹介されています。
私の方はもっぱらご本人の紹介です。碧の眼をしたとても素敵な人です。
という訳で・・・・。
これがポスターです。

初めから私を「写真家の蒼樹さんです。あとで写真を撮ってもらうといいね。」とギャラリーのオーナーが紹介するし、向塾の塾長さんも、私とは顔見知りで、私が写真を撮っていることをご存知ですから、そこに現れたKuuraさんは、もう何も考える余地なく、・・・・内合わせが終われば・・・・こうして撮られています。

京都を、日本を去るにあたっての、総括的な「さよなら日本」展示になります。
急きょ決まったもののようで・・・・様でというのは、私は偶然この打ち合わせの会場に現れたものですから・・・・その時にはもう「あと5日しかないよ。」という状態でした。
それで私も宣伝を買って出て、さっそくFBにアップしました。

するとたちまち彼女の写真を見て「ご本人にお会いしたいです。」というコメントが入りました。
写真の効果・・・・いやご本人の魅力ですが・・・・抜群です。

顔立ちは無論の事ですが目の色が独特な雰囲気を醸します。
暗いところでは濃い茶色に見えましたがよく見れば碧なのです。
「国には碧いろの目の人は多いんですか?」と訊くと「いいえ、少ないです。」とのこと。
北欧の女優さんにはエメラルドグリーンのきれいな目をした人をよく見るので・・・いや見たような気がするので・・・・沢山いるのかなと思いましたが。
キャップを被っているので、何だか男の子に見えるでしょ?

でも、ほら。

大体、一見男の子に見える女性は美人が多いのです。
上の写真を採るか下の写真を採用するか、ほとんど変わらないようですが、実は大きく表情が違うのですよね。
この選択で成功と失敗の道が分かれる・・・・・。
- 2020/02/02(日) 00:00:31|
- 絵画
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私が橋の上から、こうして撮影をしていると外国人の四十がらみの男性が近づいてきて、何か言いたげでした。
「盗撮はダメだよ。」とでも言いたかったのでしょうか。
それとも「何かいい被写体があるの? 時に何もそれらしいものは見えないけど。」とでも言いたかったのでしょうか。
でも、結局は何も言わないで踵を返していってしまいました。

皆さんの中にもご不審の方がおられるかもしれませんから、一応書いておきますが、こうして撮影をする前に下に降りてお二人の承諾をいただいています。
で「論文を書いている」のだということも分かったわけです。

この後、あるギャラリーで絵画の個展を見たのですが、その作者の方が「私も人物を描きたいのですが、なかなか描かせてとお願いすることができなくて。」とおっしゃっていました。
「写真の場合は、余計に難しいのでしょ?」とも。
そうですね、とお答えしましたが、撮りたいならば頼むしかないし、描きたいならば声をかけるしかないと、そう思います。

それで、私はいつも逡巡に逡巡を重ねるのですが「それで、本当に撮りたいの?」と自分に言います。
「撮りたいなら、そう言わなきゃ。 向こうからチャンスなんて来ないのだから。」と。

でもこの正論、この説得に抵抗なく私が応じられることは、そう度々はないのです。
- 2020/02/01(土) 00:00:06|
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