寒い時期はこんな川辺で何かをしようとする人は少ない。
そして今年は例年になくこの界隈が寂しいような気がします。
そんな風に感じながら自転車を進めていると、あれ?あれはいったい何してるの?

若い女性が二人。
一人はスマフォの画面を覗いているのですが、もう一人はPCですね。
時々タピオカを飲みながら(あれは飲むというんですか、それとも食べる?)

何でしょう? 楽器でも持っていれば楽曲の編集かなとか、演奏曲の確認かなとか・・・・・。
でもどうやらそういう事ではないようで。

聞けば、「論文を読んでいる。」だそうです。
?????? 論文、ここで?!

大学によっては卒論の〆切が1月末日というところもあるでしょう。 ひょっとしたら卒論の提出前の最終確認かな・・と思ったりりもしましたが、そこまでのお話は伺いませんでした。

三条大橋の下でという状況とPCをのぞき込む二人の様子。 何だか随分遠い関係に見えて面白かったのです。
タピオカを手にしているということで若い女性が、今どきの・・・ではあるんですね。そこがまた妙に興味深くて。
- 2020/01/31(金) 00:00:42|
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京都三条御幸町にある同時代ギャラリーです。
ここで京都精華大の三回生の学生が作品展をしていました。
その会場で二人の男子学生と少しばかり彼らの作品について対話しました。
その会場の外の少し広くなった場所に山元 巌氏の作品が展示されていました。

山元氏の作品はこれまでも何度か見てきたのです。そしてレセプションなどでごくごく軽く接触もしています。

この会場でこうして部屋の外にインスタレーション的に作品が展示されるのは珍しいですね。
このギャラリーからほど近いところにあるヒルゲートというギャラリーでもその中にはに立体を長期間展示することが少しばかり前からされていて、今は4人目の作家の作品があります。
ギャラリーのこうした新たな試みというのはいいですね。
個々のギャラリーの親しくさせてもらっているスタッフさんに「この作品を撮ってもいいかな。」と確認をして・・・・・、撮るとしたらこのままでは面白くないなあ、もう一つ物語を入れたいなあと。
それで先ほどの学生に「一緒に写ってくれない?」とお願いしました。
ひとりには「顔が写るんでしょ?! それは嫌だなあ。」と断られましたが、この学生には積極的に応じてもらえました。

映画のカメラにしても静止画のカメラにしても基本は「ファインド」することです。
そしてその眼差しの向こうには「人」
彼は美術系の大学生ですし、志も野心も持っています。そうして未来を見ています。
ですからここに相応しいと思ったのです。

彼はきっと「僕ならこう撮るのになあ。」なんて考えているのでしょうね。
- 2020/01/30(木) 00:00:38|
- 芸術
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最近、数か所ある手作り市への出席率の悪い私ですが、ここへの出席率はまだかなり高いのです。
それで今日、久しぶりの出展だというこの方にお会いできたという訳です。

懐かしいお馴染みの出店者と再会し、またあの頃には見かけなかった新たな出店者の顔ぶれを新鮮に感じながら・・・・も出展です。
私の顔を認めて、つい懐かしさもあってでしょうか、撮影をすぐさま受け入れてくれました。

女性同士だと案外すぐにプラーベートなことまで話すようなんですが…家族がどうとか、結婚してるのだとか・・・、私は相手が女性であれ男性であれ、そういうことはほとんど聞かないようにしているのです。 せいぜい「お住まいは大雑把に言うと何処あたりですか?」くらいですね。
聞いて知れば、どこかでつい口走ってしまって秘密が守れない人間ですから。
だって「素敵だな」と感じる人についてはあれこれ話したくなるじゃないですか。 でも知らなけりゃ話せませんしね。

それでこのブログにも私の感じたことやその人の作り手としてのお話くらいしか書かれないということになるわけで・・・。

無論、市の常連さんで、もうすでにいろいろ話しこんできた方々とはお腹の中に息づいているお子さんのお話とか、奥さまの話とか、逆に夫君のお話とか…色々聞かせていただいているわけです。
目的は違えど猛暑の入道雲の下に、厳寒の厚い曇り空の下にわざわざ来て幾時間も過ごす同志のような気持になるわけです。

それで常連さんからは「今日は誰かいい人が見つかりましたか?」と声をかけていただくことも一度や二度ではないわけで。

これからまた、手作り市への出店を継続されるんだそうです。
私も楽しみが増えました。
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- 2020/01/29(水) 00:00:37|
- 手作り市
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通路の正面に出店しておられましたので、まっすぐ歩けば顔が見えます。
それで「え?! 見かけた事がある。」という反応をされました。
私の方はと言えば・・・・。

マフラーに顔を半分うずめておられましたし、午前中の雲がすっかり晴れあがって、その人は明るい日差しを浴びておられましたのであまりに陰影が強くて判別ができませんでした。
でも、数秒を置かずに私も記憶の底からこの人のあの頃の表情を掬いだしました。

手作り市への出展は「2年?! もう3年になるかな、出なくなって。」と記憶の糸を手繰っておられました。
それにしてもよく覚えてくれていましたね。

うん?! メガネが変わりましたか?

今日はもう3月くらいの暖かさです。
ですから、私は・・・出るときには寒かったので着込んでいた・・・・上着を脱いでいます。
勿論手袋もとっています。
でもこの人は案外寒がりなのでしょうか。
恥ずかしがり屋さん?!
マフラーを深く撒いているのは・・・、 「写真に撮られるのは苦手だから・・・。」とは言っておられましたが、どうもそれだけじゃなさそうです。

実に細かな仕事をした「貼絵」を、フレームに入れて販売されています。
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- 2020/01/28(火) 00:00:58|
- 手作り市
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どうもこの人の辞書にはリタイヤという語句はないようです。
「ジーパンは最近になってようやく履いているけれど、それ以前は『危ない』ファッションだった。」と言います。
多分その『危ない』ファッションはこの方の「戦闘服」だったのだろうと思いますが、私には到底縁のないような、高価で怪しくて、ある種の異様さをたたえていて、しかもこの人の才を存分に誇示したようなものだったのではないかと思います。

私は写真のボードを見て、個展の時にこんな風にプリントして提示できたらいいなあと思いました。
ただ、一枚のポジフィルムから何百枚もプリントする権利を得て生産するから単価を抑えられますが、そうでなければあまりに高価なプリントになってしまって・・・・写真展では一枚ですからね。そうなればどうしたって高価なものになってしまいます。販売しないといけませんね。

この方を見た時に、最初の瞬間から、この人を撮りたい!と思いました。
こう言うととても僭越なんですが、何十年かを生きて来て、他人に撮りたいと思わせるような相貌を形成できてきているその人の人生ってすごいと思いませんか。
人物写真を撮るってことはそういう何十年もの人生の帰結というか作品というか、そういうものを「撮る」「採る」「獲る」という事なんですよね。
これほど面白いことはそう多くはないんじゃないですか。

この人はスーパーモデルたちに混じって仕事をしたこともあるのだそうで、しかも映画にかかわってきたのですから映像に関してはプロだと思うのです。
それでその人に「撮らせて。」「いいよ。」というのも、何だか妙に興奮する快事じゃないでしょうか。

「業界」の人が、私のブログに
この人の顔を見つけたとしたら ・・・・・・・。
それを想像するのも面白い。

こんな良い顔をして現在を過ごせたらいいですね。
またこれからも出展されるようですから、時々覗いて、私の見も聞きもできなかった世界のことをいろいろ話して聞かせてもらいましょう。
また一つ楽しみができました。
- 2020/01/27(月) 00:00:37|
- 手作り市
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「波乱万丈の人生」という言葉があります。
この方の人生も、まさにそれにあたるのでしょうね。
今この瞬間に見せている「やっていること」の中にそれが凝縮しているのです。
そして何よりこの方の表情、たたずまいからして「ただモノじゃないな。」です。

懐かしの銀幕に登場した人たちの写真を金属板に印刷したものを販売されています。
言葉にすればただそういう事です。が、実はこれを実現する、形にすることができるということは、そう誰にでも可能なわけではないのです。不可能じゃないでしょうが、それは藁山から憧れの人のブロンドの一すじを探しだすくらい難しいことなんだろうと思います。

この人の過去の経歴があればこそ実現できている楽しい「商売」です。
この人は焦って売ろうとはしていないのです。こうして銀幕のスターたちの希少な写真を写した・・・・しかも相当な高画質でです・・・・ボ-ドを並べて、それに誘われて集まる映画好きと話すことも至上の楽しみなんですね。

実際、映画ファンにして見れば垂涎の写真ばかりです。
何しろ本物のポジフィルムから起こしたプリントなのですから。
こんなことはこの世界の精通して活躍してきた人でなければ到底思いつきも実行もできないことでしょう。
貴重な映画雑誌に掲載された写真も、その雑誌の中ではせいぜいのところ2Lか大きくてもB5以上ではないでしょう。
それがB4あるいは全紙くらいの大きさになっているのです。

懐かしのポスターもあります。
「50年はもつんじゃない?!」とのこと。

アメリカでも日本でも映画の世界におられて随分大きな仕事に取り組んできたようですし、またいろいろなイベントのプロデュースにもかかわって来られたようです。
私の人生とはあまりに大きな隔たりがあります。

私の人生が四畳半だとすれば東京ドームくらいの人生の広さでしょうかね。
私の人生にかかわる人はまさにその四畳半に小さなちゃぶ台を置いて茶を飲むようなものですが、この人はそれこそ東京ドームに満員の人々と緊張感あるやり取りをしてきたような人生です。
- 2020/01/26(日) 00:00:27|
- 手作り市
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私が5月に予定している個展の、間に合わせのDMを作って写真倶楽部の幾人かに手渡しますと、いろいろな反応があって意外に好評でした。
しかし、ある同世代の女性ギャラリストにそれを見せると「えっ?! これはあなたの写真じゃないでしょう。(宗旨替えしちゃったの?) 期待はずれだなあ。」という反応でした。
私は、このギャラリストのような反応を待っていたと言ってもいいのです。
「職業に取り組む自立した女性」を撮る写真を期待してくれていたのですね。
そして、「なぜきれいな、かわいい女性を撮るの?」の問いもまたぜひ意識されなければならないと思います。
今までの個展でもその問いに触れることができるかなと思っていたのですが、そういうことを言っちゃうとせかっく気分よくやっているのに機嫌を損ねるかなという大人の思いやりかも知れませんが、そういう問題意識に触れることがありませんでした。
いや、やんわりとした言方では、あったのですが。

まあ、斯くいう私自身が、「いい写真ですね」とは言わないくらいの批判しかしてこなかったのですし、大きなことは言えませんが。

私の今度の写真展では、どんな反応、声が聞かれるか楽しみです。


もはやそれぞれのジェンダー論の無い「女性ポートレート」はあり得ない時代なんだと思います。
- 2020/01/25(土) 00:00:27|
- 工芸
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「すくい織」という言葉、今まで意識して聞いたことがありませんでした。
皆さんはご存知でしたか。
この方に教えていただきました。
でも私の文章力ではとても「すき織とは」を説明できません。

今、現在京都市長選挙が進行中です。
現在の伝統工芸が置かれた状況には現市長の政治責任が少なからずあると私は考えています。
議会に和服姿で登場するなどいかにも和服文化を大切にし、京都の伝統文化と守ろうとしている風なパフォーマンスを見せていますが、その実はどうなのか、職人の皆さんからアンケートをとりたいくらいです。

目先の、富裕層のための儲けのための観光としての「伝統工芸」「伝統文化」としか考えていない、そういう印象を私はもっています。
私はリタイア後にたくさんの職人さんと話をし、写真を撮らせていただいて来ましたが、つくづくこれ以上現市長に市の行政を託していたのでは京都ブランドがボロボロになるのもそう遠い未来ではないなと思います。

海外からの観光客はずいぶん増えてきましたが、日本人は既にしばらく前から敬遠し始めています。
テレビででは安直に京都のあれこれを主題にして番組が作られていますし、なんと京都市が、吉本の芸人に大枚を払って自身のツイッターなどで京都を宣伝してもらうなどと(そしてそのことは市民に隠していた)、常軌を逸したことまでしていますが、日本人の中では京都の魅力は失われてきているのではないかと思います。

どの分野の職人さんたちも諦めずにその仕事に心血を注いで伝統を守っておられますが、もはや多くの分野で60歳代で50歳代が一番若いとか、50歳代なら青年みたいなことになっています。
和服は現代の日常生活にそぐわないのだから仕方がないという意見もあります。そうした側面がなくはないと思います。女性が人として扱われなかった時代の服装が、そのまま自由と平等と民主主義の(日本の現実がそうであればなあと思いますが)時代の人々に敬遠されるのはある意味当然です。
しかし和服も例えば室町時代にはずいぶん軽快なものに時とともに変化しました。また庶民が美しさやおしゃれを楽しめるものにもなりました。
振袖などは江戸時代の爛熟とある種の退廃の産物ですから修正されて行くのも時の必然かと思います。
室町時代の人々が生活に相応しい和服を作り出したように現代の私たちにもそれができないはずはないと思います。
- 2020/01/24(金) 00:00:14|
- 工芸
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この人は木工を学びにお隣の国から来た人です。
こうした工芸、又伝統工芸の分野にも東アジア、東南アジアなどの国々から留学生が来ています。
以前、ブータンから国王の援助で学びに来たという大変意気高く熱心な木工を学ぶ学生にもここで会ったことがありました。

2年の課程だそうで「とても早く時間が過ぎました。」
既に終了作品は提出ていて、もう少しだけ授業はあるものの修了制作展と卒業式を待つだけだそうです。

材料選びや木の性質の学習もするのだそうで、街の材木店に出かけて買うこともあるのだそうです。
「はじめは道具を研ぐことから始まりました。そして少しづつ道具が増えました。」

こうした木工の仕事は先ほどの材料選びから仕上げまで一人で全てを成し遂げるのでとてもやりがいがあるのだと言っていました。
そして面白いと。
そうでしょうね。

既に就職も決まっているんだそうです。
上の写真と下の写真。 鑿で削る指先を比べてみてください。

短い時間でしたが良い先生たちに指導していただき沢山のことを学べましたと、充実した2年間を振り返します。

- 2020/01/23(木) 00:00:13|
- 工芸
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カテゴリは「絵画または人物」になるでしょうか。
絵画の個展をされていました。2度目だそうです。
このギャラr-では写真の展示がされることが多いのです。むしろ写真ギャラリーとして立ち上げられていると記憶しています。
でもときどき別ジャンルの展示もされます。

趣味的なものや余暇の楽しみというものより「芸術」を意識した作品がよく展示されるように思います。野心的な作品にも出会えます。
我が家からするとやや遠方なのですが、高瀬川に近いこともあってよく訪れます。
人物画が何点も展示されていましたので、少し分析的に見ました。光の方向が面白かったので、なおのこと作者の意図が読み取れるか考え考えしていました。
ふ~ム、これは作者にいくつか質問した方がいいなと思い周囲を見渡すと、女性がお二人。壮年のご夫婦が一組。どなたが作者なのかな。ポスターには女性の名が書いてあったけれど。このギャラリーは作者が在廊しないケースもあるしなあ。
で、失礼ですが、作者の方ですか?と。 当たりでした。

話は変わりますが、つい先日、私が参加している写真倶楽部の総会兼新年会がありました。
酔いも進んだころ何人かの会員に「どうやってああいう『素敵な女性』に出会って、撮る機会を得ているのだ?!」とよくある追及を受けました。
何か怪しからんことをしているのではないだろうなあ・・などというようなことも。
つい数日前の拙ブログにあげた手作り市でお会いした女性なども私の感覚からすれば得難い「素敵な人」なのでしたが、今日また、とても『素敵な人』に出会ってしまいました。

こういう聡明そうな方は私に質問を浴びせた人や知人画家のT氏なども特に好む女性像です。
それが私の好みと合致します。
突然行きがかりで「写真を撮らせていただけますか?」になったことで少々緊張しておられますが、だからと言って少しも慌てませんし乱れません。落ち着いたものです。

むしろ私の方が、撮らせていただけるという事態と、ならああも撮りたいこうも撮りたい、しかしそれではあまりに図々しくも厚かましい、もう撮り終えねば失礼だ・・・などという混乱に戸惑っているのです。

そして撮ることでさらに見つかる魅力に・・・・困ってしまうのです。
この人は一度で撮り切れる人じゃない
・・・・・・・・・・・・だからと言ってどうするんだ?!
こういう人に出会うと、いつもこの繰り返しです。
- 2020/01/22(水) 00:00:21|
- 絵画
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この人の眼が神将地黄や浮世絵などに見られるような形をしていますのでなかなか迫力があります。
この作品の歌舞伎役者のように隈取をしたら絵になるでしょうね。

実は、この人を撮り始めた直後は、あれ、何だか落ち着かないなあ、おさまりが良くないなあとしか感じられていなかったのです。
周囲を回て観察しながら、またファインダーを覗いて、より良い撮影の角度を探しているのですが、それがどうもしっくりしないのです。

その原因に気付いた時に、私は何と迂闊者だと思いました。
この人が左利きだということに気付いていなかったのです。
それでどうも動きの方向、エネルギ―の向く方向が、カメラとけんかするのです。

撮っている私の身体感覚からすると、この人の持つ鑿の刃が見えなくてはいけないのに、あるいは柄を握る指が見えなくてはいけないのに・・・・・隠れてしまうと、そんな違和感が続いていたのです。
人間が見ているということはどういうことなんでしょうね。

何だかとても不思議な感覚でした。
目で見ているのですから鑿の刃を見つければいいし、絵の方向も見定められるはずなのに、それが自分の身体感覚と衝突する感じなのです。
それで見えないのです。
人間の「見る目」というものが既成感覚に縛られている・・・・そういうことを意識しないと社会的事象なども含めて「見れでも見えず」になってしまうのじゃないかなあなどということを感じました。
- 2020/01/21(火) 00:00:11|
- 工芸
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京都伝統工芸館です。
ここでは火曜水曜以外の日に工芸大学校の卒業生や現役生(土日)が公開実演をしてくれています。
この人は木彫刻の3年生で、卒業まではあと一年です。

私はよくここに足を運びます。
いろいろな分野の工芸を学んでいる人、既にプロとして活動する人たちから話を聞けて、なおかつ技術的なことを懇切に実演を交えて教えてもらえるからです。

この伝統工芸大学校は園部にありますが、若い職人を輩出するうえで大きな役割を果たしています。
2年とか4年の年限で、よくぞそこまで高度な技術を身に着けるものだと、卒展などを見るたびに感心させられます。

2月の中旬ころにはまた卒業、進級制作展が開かれますから、時間をつくって見に来ようと思っています。
若い時に成長の速さは羨ましい限りです。

この作品はもうほぼ出来上がりです。
- 2020/01/20(月) 00:00:50|
- 工芸
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向こうで立ち話をしていた時に「あれっ?! あれは写真だな。写真と何かを組み合わせている。そのセットで販売しているのかなあ。」と気になっていたのです。
手作り市で写真を販売する人はいるのです。
「撮影します」としている人もいます。

私も写真展をして「投げ銭」か、「拝観料」をいただくようなことはできないかなあなんて思ったこともあるんですが。
この人はお客さんの大切な写真をあずかってその写真の色イメージで織物を織るということをしているらしいのです。
手機です。

これは新しい!!
寡聞にして、他に聞いたことがありません。

写真は学生時代から撮っていたそうです。
そして織物に興味をもって、その織ったものと撮るときに、その「色再現」などのために、「はじめて色々(カメラの)ダイヤルを回しました。」とのことです。
それまではほぼカメラ任せに撮っていたようで・・・。

それにしても面白いことを思いついたもので・・・何か表具師に通じるものを感じました。
それで、最近は写真の方に関心が傾いて・・・とおっしゃっていました。 もっと創作的に、表現をという事でしょうか。

外国旅行でもたくさんの写真を撮って来られたようですが、若い時から意識して写真を撮る経験を積んでいるのは羨ましいことです。

この頃は、土日にいろいろ予定が入ることがあって手作り市にご無沙汰気味なんですが、ここは毎月15日で曜日で固定されていませんから、私にはありがたいですね。
そしてこういう新しい顔ぶれが、また私の好奇心を掻き立ててく入れます。
- 2020/01/19(日) 00:00:15|
- 手作り市
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ここに足を踏み入れるのは久しぶりです。
私が来ないうちにいくらか顔ぶれも変わったようです。
で、他ではお会いしたことのあるこの人にここではは初めてお会いしました。

下を向いてスケッチ帳に何やら描いておられましたので、しかもこれまではいつも和服でしたのに今日は洋服で・・・・、それで顔を上げられた時に「えっ?!」と思ったわけなのです。

私は・・・・幾度も書いていますように・・・・今度の個展では女性を撮った写真ばかりを展示するつもりなんです。
それで、よく週刊誌のグラビアなども見るわけなんですが、まあ、かなりの割合で「モデルでは、勝ってるな!!」と思う訳です。
私が見つけた人は皆さんとてもいいんです。
「ハハ、そりゃ君の趣味ではということだよ。」
なんですが。 そこが大切な、肝要なところで。
この人など、ここでこそ撮らせてくれますが、改めてどこかよそで・・・・は決して撮らせてくれません。
それに、どうぞどうぞ撮ってくださいというような人では、全然なくて。
周囲の出店者が心配してこちらをちらちら見てくれるようなくれる人で・・・・。
「何かあのおじさんしつこくつきまとって困っているんじゃないかな。」

雨が降って来て、ご自身の店のテーブルにも雨粒が落ちているのに、この傘は私に差し掛けているのです。ずっと。
私は、椅子が抜入れますよ。スケッチブックは大丈夫かななどというのですが、・・・・そしてあなたこそ濡れないようにしてくださいねというのですが・・・。

私が撮れば撮るほど「この人はいいなあ。」と思ってしまい、どう撮ろうどう撮ろうとなってしまうので、そろそろ切り上げてくれないかなあななどと思っておられたかもしれません。
でもこの人の良さは一朝一夕に画面になりそうもないのです。
深いニュアンスを形にするのは難しい。
85ミリで、しかも下がりにくい状況で撮っているのも良くないかもしれません。
前と違ってショートカットの髪だということも、これはこれでいい感じで、こういう表情がいいです。
この人で決定打が出ると、相当にいい写真になると私は予想しています。

しとしと雨で、もう一度撮りたいなあ。
- 2020/01/18(土) 00:00:34|
- 絵画
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この日は一月にしては暖かい日ではあったのです。
それにしても地べたに、しかも日陰で・・・・・。

これまでも幾度か見たことがあるのですが、この楽器の名前は失念してしまいました。
先ほどから少し見ている(聞いている)と、東南アジア系の人たちでしょうか、遠くからこの人が演奏をしているのを見ると、まだ音がようやく届いているというくらいの距離から、財布を取り出して、お金を手にし始めています。

そして大人は子供にもお金を持たせて・・・・。
こうした「投げ銭」の習慣はアジア諸国にあるんでしょうね。
(僧侶には見えませんから「お布施」でもないでしょうし。)

これは一体どういうことだろうかと・・・。
「この楽器は東南アジアの国々では宗教的な意味を持つようなモノなんですか?」と演奏している方に訊いてみました。
「いえ、そうではありません。楽器自体の歴史は新しいですから。多分音がアジア的だからなんじゃないですか。こういう反応はよくあります。」とのことでした。

確かに音は金属金属したキンとかクゥワンというような音をそぎ落として少しばかり洗練した音になっています。
それでいて寺院で聞いたことのあるような、響きです。

強く激しくたたくような演奏も・・・この時には・・・ありませんでした。
どちらかと言えばざわつく心を静めていくような音ですし、曲調でした。

曲は「カバーすることもあるんですが・・。」
ご自身のオリジナルもという事でした。

周囲はまだ正月の初詣的な気分があって華やかな和服の方も通り過ぎるのですが、この音の周囲は落ち着いた空気でした。
- 2020/01/17(金) 00:00:25|
- 音楽
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昨年の写真展で何人かの方から「この写真は売ってもらえないのですか?」と尋ねていただきました。
私は写ってくれている方たちの了解なしに売ることはできないと思ってきているので、そうした有難いお申し出にもおことわりしてきているのです。

ただ昨年の写真展ではその準備に相当なお金を要しましたし、会場費もバカになりません。
私のような年金生活者では早晩行き詰ります。
それでたとえわずかでも活動資金を補うために、お金を出してでもその写真が欲しいと言ってくださる方にはお分けしようかなという気持ちが少し芽生えてきているわけです。

それにこの人は以前から、もし蒼樹がそうしたいのならば、私はかまいませんよ、と言ってくれているのです。
それに他にもそういってくれる人がいますから、今度の写真展では値段を付けてみてもいいかなとも・・・・。

できるだけ高く設定しましょう。
でも写真の価格設定というのはどうも、相場とかどうとかということは別にして、どうも心理的には難しいですね。
私の場合あまり高くはできそうにないので、時々ある人たちから鞭でたたかれます。

それにフレームをどうするかとか、送り方は、その料金はなどということを考えたり、実行したりすることが私のできるとも思えませんので、結局は、又何のカンノと言って「販売はしません。」に落ち着くような気もします。

せっかくこの人たちの厚意もあるのに申し訳ないような気もするんですが・・・。

それよりなにより、もっと他に撮りようはないのか・・・そんなことに意識を集中すべきでしょうね。
私の場合・・・。
- 2020/01/16(木) 00:00:57|
- 工芸
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私はこの人に初めて出会ったのは、もう7年余り以前になるのでしょうか。
お互いの記憶を紐解くとどうやら3年や4年でないことは確かです。
私の最初の個展のDMがこの人の写真でしたから、やはり「はじめまして。」は7年は前の事です。

以来、細々と、しかし確かに交流は続いているわけです。
昨年秋の終わりころにも会っていてこのブログにもアップしています。
つまり、会う≒撮るになっているわけで、いろいろ近況などをお互い話すわけですが、もう同時にリュックからカメラを取り出している・・・、そんな感じです。

私がカメラを取り出して、周囲を回りながら「うん、これがいい。」とか「よしよし。「こうじゃないなあ。どうも違う。」なんてぶつぶつい言っているわけです。
おしまいに「どうもありがとう。」というと「いえ、ずっと作業をしているだけで、そちらで『いいなあ。』とか『もうちょっと。』とかいうけれど、私は何もしていないので・・・・。」とおっしゃるのです。

五月の蠅のように周囲を回ってお邪魔していることを許してくれているだけで十分有難いわけで、そのうえ、慣れてくれているために作業に集中してくれるていることが有難いわけです。
そして、実は、いつものようにしているだけで何もしていない・・・・のではなくて、私が撮っている間、意気を抜かずに作業と続けていてくれる…そのことが私への配慮なんです。それはご自身のペースじゃないので、実は幾分は負担とかいらない緊張とかがかかっているんだと思います。

それでも普通にしてくれているという事なんですね。

私は案外しつこいのですが、気兼ねなくしつこくできることも有難いわけで。
いや、ときどきやり過ぎて申し訳ないことになっているんですが。

今度来た時には向こうにおられる仏師さんにお願いするつもりなんですが、その方ももう何度も撮らせていただいている方です。
今年のグループ展には「職人」さんをテーマに出そうかなとも思っているので、「またご無理をお願いします。」と予告させていただきました。
私はこの人のきりっとした横顔が好きなんですね。
続きを読む
- 2020/01/15(水) 00:00:40|
- 工芸
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2020年の京都市長選は1月19日告示されて、2月2日に投開票がされる予定です。
ですから今現在は、間もなく告示の日 です。
確かに事前運動にはいろいろ制限がありますし、告示以降はますます選挙運動、政治運動は制限が厳しくなります。.
それでと言えるかどうかはわかりませんが、とにかく静かです。
宣伝カーもわずかに見えるという程度です。
そこで「これでいいのか!!」と思う訳です。

2016年には、最終投票率:35.68%(前回比:-1.09%) でした。
つまりは三人に一人しか投票に行っていないのです。 これでは京都の市民は全国から尊敬は受けられないですよね。
尊敬は受けられないばかりか軽蔑の対象かも知れません。
そういう市民が作る街が現在のように惨憺たる観光惨状街になるのもむべなるかなという事でしょうね。

報道によれば「現職の門川大作氏(69)と弁護士の福山和人氏(58)、市議の村山祥栄氏(41)の3人が立候補を表明。8日には立憲民主党京都府連が門川氏への推薦を決定しています。」
村山氏はもともと「市長与党の末席を汚す一員」だと自認していた人です。
立憲民主党の動きは実に不可解ですね。
それはともかく、とにかくこんな投票率では民主主義の土台が崩れます。
この方が言うように「市政与党も、行政も、マスコミも、こうした住民の選挙行動によってどんどん弛緩していく。」

この方は投票に行くように訴えていて、誰かを応援するために行動しているわけではないのです。民主主義危機に対して黙ってはいられないとして個人として行動しているわけです。
今、手渡しているティッシュペーパーも、自弁です。何か組織があって、その任務としてやっているわけではないのです。(組織的に活動することが悪いとは私は思いませんが。)

「リタイア後にね、旅行に行ったり、何か楽しいことを見つけて、そういうことにだけお金を使って人生を送るのもいいけれど、やはり何か社会に役立つことをしたいよね。それが我々団塊の世代の役割じゃないの?!」
かつて大いに自由や民主主義を叫んだ団塊世代として責任を負った人生の選択ですね。
私もまったく同感です。

「人生100年時代」なんていいますが、これだって日本列島に生活してきた人々が営々と働き社会をよりましにしてきたからこその成果なのです。それを今の生きる私たちがただ自分の愉楽のためにだけ浪費して終わらせるのは、あまりに自己本位だと私も思います。歴史の過去にも未来にも私たちは自覚的に責任を負うべきだと思います。
投票率が低ければ投票に行こうと呼びかける、それが民主主義の基本じゃないかな、と。

どんな悪政だって自らが自覚的に選んでのものだったら、必ずそこから市民自身の力でまた修正をしていくことができる。私たちは騙されただけで、みんなあの人たちが悪いなどということを70年前のように言い立てるようでは、決して私たち自身が民主主義の担い手にはなれないと、私は思います。
その「良い例」が今の日本です。
- 2020/01/14(火) 00:00:04|
- 人物
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どういう場で被るのか、どういう気持ちで出かけるのか、あるいはどのような場でどういう存在としてあろうとするのか、そういうことに自覚的でないと、なかなか帽子の提案に答えることはできないかもしれないなとも感じました。
他方モデルのGaïa L.C さんの魅力の深さにも感じるところが少なくありませんでした。

生得的な容貌の魅力に加えて人間性と言うか人格的な深さで積み重ねられた魅力をこの若い人に感じるのはうれしいことです。

音楽を奏でることは時に音楽を演じることにもなりますが、そういう体験も通してこの人の多様な表情は表出してくるようになったのでしょうか。

長谷川さんは制作した帽子の記録としてご自身で撮影をされていましたが、それを傍らから覗かせていただくとなるほどその帽子の魅力的な角度、演出の意図を見ごとに収めておられました。

私はあくまで人物を撮るという目で見ていますので、つい帽子を画面のフレームで切ってしまうような撮り方をしますが、そこはやはり違うところです。

それにしても立体造形としての帽子を改めて考える機会にもなり、生け花とも似ているのかなとも思いました。貴重な経験でした。
- 2020/01/12(日) 00:00:55|
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これらの写真は現在ニューヨークで帽子のデザイナーとして活躍されている長谷川ゆかさんの作品を、歌手であるGaïa L.C さんがモデルをしてかぶるという場で撮らせていただいたものです。

長谷川さんの豊かな創造力が結晶した作品が次々と繰り出されるのですが、それを受けてモデルのGaïa L.C さんの魅力がこれまた次々とポップアップされていきます。

帽子は時にはモデルを浮き立たせるフレームとして、またある時はそのモデルの魅力に加えられるニュアンスとして多様に活躍します。

つい先だって現在の京都で仕事をする額装や表具の方々の作品を見る機会がありました。書や絵画を押し出しつつ、かつ額や表具は作品と相互に響き合うように作られていました。

帽子にも、作品を囲む額、表具の仕事ぶりに通じるものを感じました。

帽子は形状、材質、付加された装飾などなどを介して多元的に、時には静かに控え目に、また時には雄弁に能動的に、それを被る人に働きかけています。

姿態、相貌だけでなく、人の情緒やマインドにまでその働きは届くようです。
- 2020/01/11(土) 00:00:47|
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三条御幸町に同時代ギャラリーがあります。
そこで今「死と生の巡礼」と題した写真展が開かれています。
年初めのこの時期は大方のギャラリーはお休みでして、ただこのギャラリーの写真展を見に行くためだけに出かけました。

総じていえば見るべき写真は貴志在介という若い作家さんのものだけだったと言えるような感じでした。
彼は立体造形や空間造形の作品で今まで私を刺激してくれていましたが、今回は写真です。

父親は彫刻家ですが、その父親を臨終のベットに寝かせて撮ったらしいもので、それが二人と居ないだろうという位に写真の表現にマッチしたモデルなんです。
その死に臨んだ、あるいは逝ってしまった男の傍らで一人はハンカチで目頭を押さえ、一人は作者自身で、その死体の顔を見つめているのです。

周囲に他の人の作品があるのですが、とにかく女性を裸にすれば何か意味のある作品になっているのではないかという様な、私にすれば醜悪としか言えない・・・・まさにその醜悪さを描き出したというかもしれませんが、醜悪さを描くというのと、それ自体が醜悪だというのは私は同じことではないと思うの訳で・・・・者が少なくありませんでした。
とても虚弱な精神というか、・・・・。

それに反して在介さんのものは鋭くも野太い精神が感じられて、会場に異彩を放っていました。秀逸です。
私は、見ていただいているような写真を撮っているので彼の作品からはとても厳しい視線を感じます。

ここ数年、一年に数度どこかでかわずかな時間顔を合わすことになっているのですが、ご両親も兄弟も皆芸術家という育ちで、彼の自立心溢れる制作精神はとても評価しています。
小島祐一氏と並んで私が注目する若手作家のお一人です。
- 2020/01/10(金) 09:49:57|
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この人の笑顔もなんだか人を幸せな気分にしてくれます。
「ニコパチ」などは下等な写真だと言われますが、まあ「人をして言わしめよ。」・・・・です・・・・か。

今年は高瀬川界隈の人たちを撮って小冊子の中の数ページを作らせてもらうことになっています。
そしてそれらの写真で小写真展をする。 まあ敢えて「小」と言わなくてもいいのですが。多分3月中。
5月5日からは三條寺町上るのギャリエ・ヤマシタさんで個展。
8月下旬には京都ファインダー倶楽部のグループ展。

秋に何もないのがちょっとつまらないと言えばつまらない。ただ、何かやろうと思えば先立つものが必要だし、やるからには新しいアイディアがないと心が躍らない。

撮影の累計人数は5月までには1600人を達成してその後の8か月で年末までには1700人を達成しよう。 そうすると何だかたくさんの人を撮ったような
気分になれるかもしれない。
ただ、そういう数字の目標は、山登りで言えば頂上を見て顎を出す登り方になるし、登る過程を楽しめなくさせることがままある。つまりはそういう数字目標は自らの人生を楽しくないモノにするので、ふんわりそっと頭に置くだけにする。

何しろ今年は第2次5カ年計画の最終年なのだから、心して過ごさねばならない。
・・・・・と、力んだところで何か光り輝くような一年にはならないが。
とにかく国の政治も経済もボロボロだから、不愉快なニュースが連日人々の耳目を騒がすだろうことは間違いがないし、それを他人事として聞き流していたらひどい目に合う気がする。
さしあたり京都市長選がある。
財界にしか目の向かない京都壊しの現市長には再選していただきたくないものだ。

それでないと、素敵な人たちを見つけても良いロケーションが見つけられなくなる。
ホテルと民泊とレジャーランドのような神社ばかりじゃ嫌ですもんね。

こういう写真だって文化の結晶の上で撮っているのですから写真趣味の我々ももうちょっと政治について真顔にならないといけません。
- 2020/01/09(木) 00:00:20|
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このカホンを叩いている青年は、女性歌手の Gaea さんが路上パフォーマンスとして歌っていた時に出会った人だそうで、一部コラボで演奏です。
まあ、私も、・・・・無理に言ってみれば・・・・・・
コラボ参加です・・・・そのつもりになっていると言っていいでしょうが。

・・・・・・・・・・
ここまで書いて・・・・この時私の身に何があったんでしょうか、記事が中断していました。
これに気付いたのはときはもう13:00ですから、ここに記事を追加しても、何時も読んでいただいている方の眼には触れませんね。
残念ですが気づくのが遅すぎました。
追加記事はまた後日ということで・・・・・。
- 2020/01/08(水) 00:00:54|
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カメラをもって「どこかに、誰かいい人いないかなぁ。」と歩いている訳で、今年はどんな人に会えるのか、楽しみですね。
まあ、出会う人全部と「馬が合う」という訳ではないのです。
以前も書いたことがあるのですが、私はことのほか人を受け入れるワクが狭いので、人との交わりは極めて難しいのです。こういうのを世間では「狭量」と言うのでしょうね。
とにかく偉そうな人、自己中の尊大な人は嫌いですから、最近もFB上での友達関係を絶った人がいます。
この点は自分でもそこまで過敏なのは問題じゃないかと、せいぜい自分をなだめたりすかしたりしているのです。が、いかんせんこればかりはこの年になるとどうにもならないのです。そういう人によって人生を摩耗させられるのはもう勘弁願いたいですからね。

ですが「逆にこの人は」と思うと相当入れ込んでしまう傾向が無きにしも非ずで・・・・こちらの方もちゃんと手綱を引き締めないといけないのです。

ただ世の中には本当に好人物がいるのでして、こうした人柄がどうして育つのかと実に不思議な感じを受けることもあるのです。
そういう人に会うと、ただ傍でボーッと眺めて、おかしな言葉ですが、鑑賞していたいような気分にさえなるのです。

人と出会うのはその人の人生の過去と未来を結ぶある瞬間、ある時点で出会っているわけですから、いろいろな物語がそこに含まれているのは当然です。
ことに若い人たちは未来へ未来へとむけて扉を開いていこうとしているわけで、傍らにいてみていてもワクワクさせられることがしばしばです。

ましてこうして海外に来てプロミュージシャン(には限りませんが)として活動しようという「野心」を持つことができる人たちには脱帽しかないのです。
こうした人たちが私の停滞する精神を時々賦活させてくれるのです。
もっともそれは必ずしも実年齢が若いか、否かにはよらないのではありますが。
それにしてもこの人は外見上の魅力は言うまでもないのですが、そればかりでなくて、人柄としても実に惹きつけるものを持つ人なんです。

それでこういう人との出会いによって、私の狭い狭い料簡を、こうしてときどきノックしてもらうのです。
- 2020/01/07(火) 00:00:07|
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ボイラーのある広い部屋に摸は既に高く薪が積まれています。
そこにさらに積んでいくのですが、闇雲高く積めばいいってもんじゃなくて、ボイラーを焚くスタッフが材木を撮りやすいような高さと傾斜で積むのです。
それができないと「苦情が来ちゃうんです。」

街には晴れ着の人や初もy出に行く人帰る人がたくさん行き、来しています。
美味しいものを食べておいしいお酒を飲んで・・・・・ご機嫌な人もいるでしょう。
何しろまだ正月四日ですから。

正月だし朝から昼から風呂に入ってさっぱりしようかなんて人もいるでしょう。
そういう人たちのために裏手ではこうして働く人がいるわけで・・・・・。

私のブログも初心は働く人々なんですが、なかなかそのチャンスがなくて・・・・・。
でも、私の写真活動をより意味有らしめるためには、一層意識してこうした人たちを撮りたいものと思っています。
こうした人たちこそ、私の仲間ですからね。

昨年暮れから正月四日まで、これまでになく「家族で過ごす」時間がありました。
それは「人生というのはこういうものなんだろうな。」と感じさせてくれるものでしたし、車寅次郎氏が「ああ、生まれて来てよかったなと感じるときがある、そういうことを感じるために人は生きてるんじゃないの?!〈大意)」
です。
これを称して人は「小市民的幸福」と呼ぶのでしょう・・・・・が。

そして山田洋二氏は東京の街ゆく人を眺めて「生活に不満はないのじゃないかな。でも幸福かどうかは・・・・。(大意)」と泉さんに言わせています。
そういう問題意識を持たないところに日本の人々の不幸というか病弊というか、「羊的」という、そういう在り様があるのだと思います。
今年の写真活動の中にも通すべき筋をちゃんと意識たいものだと思いました。
- 2020/01/06(月) 00:00:44|
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ここはお風呂屋の横の道路。
軽トラックに積まれた建築廃材をトラックから降ろして、風呂屋のボイラーのある部屋に高く積み上げています。

この風呂屋は朝ぶろもするので三日ほどで「みんな薪として使われてしまいますね。」とのことです。
ずいぶん食欲旺盛なボイラーです。

重油でなくて廃材を使用しているんですね。
このところ京都市内ではつぎからつぎへと町屋をはじめとして家屋が取り壊されているので・・・・しかもそれらはまだ新建材が使われてはいないので・・・・こうしたボイラーに投げ入れることができます。

でも「ベニヤ、ラッカーなどが塗られたもの、合板」は持ち込み禁止です。
環境を守るためですね。

建築廃材ですから、釘や鎹がまだついていますが、それはそのまま窯に投げ入れるんだそうです。
それでトラックへの積み下ろしの時に「時々やっちゃうんですよね。服をひっかいてやっぶったり、どこかに刺さったり・・・。」と笑顔で話してくれます。

手には厚い丈夫な手袋をしていますが、・・・・。

それにしても我が家から5分のところにあった銭湯が昨年暮れに解体されてしまいましたね。
あの廃材もどこかほかの銭湯の薪になったんでしょうか。

- 2020/01/05(日) 00:00:00|
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お孫さん連れの女性が「あなたも描いてもらったら?!」と言ってお孫さんの背を押して若い女性たちの後ろに並んでいます。
私はこの二人の若い女性に「背中を借りてもいいですか?」と言って撮影です。

手作り市などにも似顔絵を描く人が出ていたりしますが、ごく短時間で描くことを追及していたり、とにかくそっくりに描くことに重点を置いていたり、描く人それぞれに描き方が違いますね。
京大の美術倶楽部の人たちなどは実にまじめに描いていたりします。

そこへ別の若い女性二人が、何やらポリ袋をもってやってきました。どうやらお礼の差し入れのようです。
つい先ほど描いてもらったお二人のようで、差し入れをもらって似顔絵青年の笑顔は一気に膨らみました。
若いもの同士の心の通い合いというか、交流、いいですね。
こんな時、差し入れているお二人の素敵な表情も入れたいのですが・・・・、

「いやあ うれしいなあ。」

さあ改めて仕切り直し。
とても集中して観察して描いています。
でももう少しやり取り=会話が欲しいかな。前に腰かけた女性たちはかしこまったままじっとしています。
会話してモデルが大笑いしたりお互いに顔を見合わせたりして大きく動くと描きにくいのかもしれませんね。
でも習熟すればそうしてこそ描ける似顔絵になっていくことでしょう。
写真も同じです。

さあ、今年もがんばるぞ!!
- 2020/01/04(土) 00:00:04|
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「高瀬川界隈巡回」からの帰り道です。
四条大橋の下をくぐろうとすると若者が「似顔を画かせてください」と掲示してお二人の若い女性を前にして描いていました。
しかも「無料で描きます。」とありました。

似顔絵を描くものとしてたくさん描いて上手くなりたいという事です。そのためにたくさんの「モデル」が必要で。
そうですよね、分かります分かります。
私もほとんど同じことをしているので・・・。

人を描くためには人にそのことの許しをいただかなくてはいけません。写真を見て描くのも一つの方法でしょうが生身の人間ではおそらく随分違うのだと思います。
まして、実際に「お客さんを前にして描ける力」は絵の上手い下手だけではないモノが求められると思います。

私が石膏のミロのビーナス像を置いて撮影を練習しても、それは写真撮影のごくごく一部についての練習にしかならないと思います。
ドキュメンタリーな人物撮影は「モノ撮り」とは違いますからね。

この人は写実的な似顔絵ではなくてかなりデフォルメした絵を描いています。
こういう表現をした時にお客さんからどういう反応が返るのかなどもこうして実践を通じて学ぶのでしょう。
最近の似顔絵はこういう感じのものが多いですね。
四条大橋を東に渡ったあたりに似顔絵を描くお店があります。そこのスタッフかも知れません。休日にも練習しよう・・・とか。

私も「あなたの写真を撮らせてください。撮影料は無料です。」書いたのぼりでも持って立っていたら日に10人や15人は撮れるかもしれません。
そうなると一年に3000人!!ですね。 若いときだったらそうして練習する手もありだったかも知れませんね。
- 2020/01/03(金) 00:00:48|
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