今日が大晦日です。 皆さん大掃除はお済みですか?
かなり暖かい冬ですね。
あちこちのお寺では除夜の鐘を撞く支度が、神社では初詣の準備がすっかりできています。
数日前から松飾が出ているお宅もありました。
子供のころの、あの何か身の閉まるような緊張と清々しさ、そしてわくわくする感覚がすっかり薄れてしまったのはなぜでしょうか。
・・・・・・・・
私は来年も、たとえ「惰性とマンネリズム」の塊になっても写真は続けていこうと思っています。
とにかく私自身が楽しいのですから。

この写真は今となってはもう昔々の話ですが、この撮影の日にはこんなものもありました。
こういうものは、やはり日本では若い人に似合いますね。
少なくとも私にはこういうものに懐かしさは感じませんから、身に沿っているという感覚がまるでありません。

厳しい寒さではなくとも冬は冬。今は発熱する下着がありますから多少はましだとこの人は言いますが、撮影のためにモコモコにならないような服を選んできてくれています。ここには京見峠を越えて若狭小浜に通じる古い道を通ってきます。 ですから市内より体感的には2度3度低いのです。
しかもこの日は曇っていて。
ログハウスの中は薪ストーブで上着がいらないくらいだったのですが。

それで時雨れても嫌なので何時でも避難できるように建物の近くに移っての撮影です。

この人は、とにかくウエストがスマートなので、ちょっと注目してみました。
スカートのベルト辺りを見ると本当に華奢なウエストをしています。

もう少し晴れてくれるとこの人の若々しいはつらつとした感じが出るんでしょうけど・・・・。

私が小柄ですから一緒に歩くとちょっと見上げねばなりません。
ちょっとヒールのある靴を履けば170センチを超えるくらいです。
ですから裾の長いスカートをはいてくれると縦のラインが出てとてもいい感じなのですね。
ただ比べるものを一緒に写しこまないと写真の中ではそれほど長身には見えませんね。

・・・・・・・・・・・・・
さて、そろそろ大晦日の町に出かけましょうか。
皆さん、良いお年をお迎えください。
- 2019/12/31(火) 00:00:30|
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今年も、もうあとわずかですねぇ。
皆さんの今年はいかがでしたか。
日本は政治の世界も経済の世界ももうほぼ完全に行き詰まり、そこからくる腐臭でいっぱいのように思います。ですから、多くの人が胸糞の悪さを抱えて少々いら立ちを隠せないでいる感じですね。 私も同様ですが。
それはともかくとして、・・・・。
私の写真についていえば、この人などの力も借りて、なんとか続けてこられました。
累計撮影者数が1555名を越えました。 本当に有難いことです。

来年5月の個展までに累計1600名の方を撮れていたらなあと思って、それを自分の励ましにしています。
そして来年のその個展では女性を被写体とした写真ばかりを展示するつもりですから、この人にも更にいい写真を撮れるように、引き続き力を借りたいものと思っています。
今年は清水寺・経堂と京都写真美術館での個展、そして京都ファインダー倶楽部のグループ展への5回目の参加、シンガーソングライター川口真由美さんのCDジャケットへの写真提供、故麻谷 宏氏の遺影提供などなど、記憶に残ることがいくつもありました。
それに来年2月に発行が計画されている冊子に向けて高瀬川界隈の人たちを撮る役割を負って、高瀬川辺りをずいぶんと何度も行き来しました。そしてようやくこの辺りのことを少しばかり知るようになりました。

加えて、今年は一段と海外からの人との接触が多くなりました。それは先の二回の個展でですが。
それはとても良い経験になりましたし、少しばかり写真についての自信にもなりました。
その象徴的なことがつい最近もありまして、もし運が良ければ、またその時の写真もアップできるかと思います。

厳しい批評をいただくこともたまにあるのですが・・・先日、いつもブログを見せていただいているある方の記事中でも、私が名指しされれいるわけではないのですが、耳に痛いお話が書かれていました・・・・・ 、それでも一方、共感して、肯定的に評価してくれる人もいるんだということを目にし、耳にしたことはよかったと思います。
私のリタイア後の三次五カ年計画の第三次に向けての手応えになりました。
それもこれもこの人やこの人のお友達のIさんをはじめとして、私に撮影の機会をくださった1555あまりの方々のおかげです。

そして、こうして私のブログを継続して見て下さっている皆さまのおかげです。
皆様にも改めて感謝申し上げます。

また、改めて書こうと思いますが、たった一枚の写真も実に多くの人とびととの出会いと関係の必然と偶然が結集して成立しているということを、最近つくづくと思うのです。
そういう意味で、一瞬一瞬のシャッターも徒や疎かにできないなあ、と。

今年も、あと一日ですね。
- 2019/12/30(月) 00:00:40|
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こんな風な色合いになるのはFujiのX100Fを使っているからです。
皮の上着もですがスカートの感じがいいですよね。顔にできている陰影も。
ソニーのニュートラルな色合いもいいですが、これはこれでまた楽しいです。

時にはくどいなと感じるときもあるのですが、意図して使えばやはり面白さはあります。
でもある設定をして、それを忘れて別のところで撮影して「あれ?! 色の再現がおかしいなあ。」と自分で掘った穴に落ちていることに気が付かないで、混乱することがあります。 それは、無論メーカの所為=カメラのせいじゃなくて、私の迂闊のせい、というかぼんくらのせいなんですが。

上の写真もそうですが、脚の色がきれいでしょ?!
それにウッドデッキの木の色・・・。
XT-2とHX-1とでは色合いが違うなどという記事を目にしますが、同じフジのボディーで出る色が違うと、少々戸惑いますよね。
まあ、いろいろな反響を受けて調整するんでしょうが。
同じポーズでもっちょっと引いたり寄ったりして余白というか周囲の取り込みの違いで画面の感じが違いますね。
ごく初歩的なことですが、やはりその場で試してみないとわからない感じもあります。
いわゆる「撮影会」ではないので試みるというか練習させてもらえる余裕があるのがうれしいですね。

脚を日本ただ投げ出してもらっているのは、あまり決めポーズにならないためです。
そうすることで日常の「普通の写真」にしようとしています。

でも、やっぱりちょっとね。
私の旧友が、最近人体のデッサンを練習していますから、こういう風にいくらか上体をひねって膝の方向と肩の向きをずらすとそれだけで腰の角度も含めて、描きにくくなるだろうなあ、なんて想像しながら撮っています。
その点、写真の場合はシャッターを切れば、写ったものに齟齬、矛盾は生まれないはずですから・・・・だから大した技術はいらないし、それだから修業は難しくないから、その作品も軽んじられるのでしょうね。
まあ、そこは・・・・言いたいことはいろいろあるにしても・・・・世間的にはそう思われても仕方ないのかなあなんて・・・・・・。

上の写真は左足の膝は隠してひざ下もスカートでほぼ見えなくしています。
下の写真では左脚の膝は見えていて、右脚もひざ下が全部見えています。
そうすると脚の白い面積がぐんと増えて目を引くようになります。
それがどういう印象になるか、どうだろうね、なんてこの人と話しながら撮っています。
- 2019/12/29(日) 00:00:08|
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京都新聞で長く一コマ漫画に健筆をふるってきた方です。

たまたまお持ちになっていた作品集を見せていただきました。
一目見た瞬間に、思わず吹き出してしまう作品の数々でした。
村山富市。社会党が自民党や「さきがけ」といった保守政党との連立内閣を成立させたときの社会党党首で総理大臣になった人。彼は社会党のシンボルマークの矢印を握って、その先を大きく右に曲げていました。
どんな風にも主義主張を曲げちゃうんだというものでした。
まさに!!
見て即座に膝を叩きたくなりました。
それで今日、社会党は社会民主党にその痕跡を残すだけの少数勢力なり果ててしまいました。

今の安倍政権ならば毎日毎日幾らでも笑い飛ばす種には事欠かないでしょうが、あまりに種が多すぎるし、その存在自身がまずい漫画そのものという訳で、あきれ果てて描く気になれないかもしれません。

新聞の一コマ漫画はまさに今取り立ての新鮮さがものを言いますから、新聞の〆切ギリギリまで入稿を待つのだそうです。
選挙の時や、内閣改造の時など、これだ!と思った話題、切り口が直後の、事態で消し飛ぶことはいくらでもあるので、いくつもの予想を立てて数本の作品を準備することもあったんだそうです。
大変な仕事ですね。

ただ事実を伝えるのではマンガじゃないですからね。
思わぬ本質をついて見せる、そういう面と、真面目にウソを言っているのを嘘と真実とのギャップに気付かせて笑わせるなどなどの一ひねりや落ちがその画面の中にないといけないのですからよほど柔軟な思考力の持ち主でないとこういう『離れ業』はできません。

私など教科書風な思考しかできない人間にとってはまさに離れ業ですね。

AはAであり、BはBであるなんてことをしかいえないようでは漫画は描けませんでしょう。まして一コマ漫画は。
だからこういう方たちとのお話はすこぶる面白いわけで・・・・。
- 2019/12/28(土) 00:00:14|
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「絵画」でないわけではないけれどちょっと別のジャンルに分けたい、そんな気がします。
かつては新聞にも雑誌・週刊誌にも必ずと言ってよいほど一コマ漫画があり、その専門雑誌さえ発行されていました。
今はずいぶん発表の場が減ってしまったそうです。

京都のS大学には漫画学部があるし、街には漫画ミュージアムもあります。
でもそこで学ぶ多くの学生の興味はコミックでありストーリー漫画でありアニメです。
4コマ漫画も少なくなってますね。

一コマ漫画は、いわば川柳とか狂歌といった極短形詩ともいうべき表現ですね。
そこには豊かで切れ味のある知識と知性が横溢しています。そしてユーモア、ウイットの服を着ています。
批判精神と心の余裕ですね。

一枚の四角い世界に完結するという意味では写真にも通じるものがあるはずですね。

この日はこの方の個展でサンタクロースをとりあげて100枚の作品が展示されていました。
構想に一週間、清書に2週間・・・・だったそうです。 ずいぶん筆が早いですね。
そして最後の数日間は連日徹夜のようなものだったそうです。

今はどうもインフルエンザに罹患しているのでは・・・・・ということで、どうも病人の顔が写真に写るのは困ったなあ、と。
落語でももう若い世代には通じない言葉や状況が多くて元の形では演じられないばかりか、そもそも何が面白いのか分かってもらえないのでやれない演目も多いとか聞きます。
一コマ漫画では、画く人と見る人にある共通教養や共通認識の土台がなければ、そこをひねろうと、飛躍させようと、「これの何が面白いの?」で終ってしまいます。
そういう悩みが深いそうです。
黒澤明の映画で「生きる」があります。その主人公の地方公務員が、それまでただ退勤時間までをそつなく、無事に過ごすことばかり考えていたのに、自分が不治の病であることを知って、このままの人生で終っていいのだろうかと考え、町の子供、市民の要望をうけて、まあ児童公園といった小さな公園づくりに急に、猛然と取り組みます。
その完成を見て、主人公はある夜、雪の降りしきる中、一人でブランコをこぎます。いつもの帽子とコートを着て。
「命、短し、恋せよ 乙女」と歌を口ずさみながら亡くなります。 志村喬の名演技でした。
志村サンタが一人ブランコをこいでいる作品がありました。 その哀歓を共有できる人がすっかり少なくなったと言っておられました。

笑いの質はどんどん貧相に低劣になってきているという感じがします。
そんな笑いの集団・会社が安倍政権とつるむのも故無しとはできないなあと思う今日この頃です。
- 2019/12/27(金) 00:00:25|
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帽子作家さんが言っていました。
日本は芸術家の育たない、いや言葉を換えて言えば育てない国だと。
例えばこの女性が路上で歌っていても投げ銭する人はごく少ないのです。
そしてこの会場でも彼女たちはアーティストとしてのギャラはないのです。

もし有料でライブをしようとするとあらかじめ…あるいは事後に・・・会場に奏者から少なくないお金を払わないといけません。
それをまかなうだけの動員力がこうした若者にあるはずもありません。まして外国から来ている人に。
これは絵画や写真でも同じで、作品を有料販売しようとすると、販売価格から高率で「手数料」なるものを取られます。
これは若い作家たちにとっては大きな負担です。
それで大概の人が学校教員との二足の草鞋を履くことになるのです。
そもそも公立で若い芸術家のために無料であったり廉価の使用料で会場や壁面を貸すような施設は皆無に近いのです。

「受益者負担」の益の方向性がまるで180度間違っています。
だから心ある野心ある若い才能は外国へと出ていかざるを得ないのです。
結果その才能たちが伸びていく最も旬の時期の活動から多くの蜜を受けることが私たち日本の日常にはなくなるという訳です。
で、現今の日本の文化状況のこの体たらくです。

まあ吉本やジャニーズがテレビを牛耳っているようなことでは・・・・。

私は彼女が橋の上で歌っていた時にほんのわずかですが箱にお金を入れたのですが、
先ほどの帽子作家が日本人は云々と話しますと「いえ、蒼樹さんあh私たちにたくさんの写真を送ってくれて相応の支援をしてくれているのです。」と懸命にその多くの日本人のうちの一人ではないと言ってくれました。
いや、私もその多くの日本人のうちの一人じゃないと自信をもっては言えないのですが、彼女のフォローはうれしかったですね。
そして聡明な人です。

こういう条件の下で撮るときに、そして照明が黄色かったりいろいろ混ざってたりすると感度耐性の強い、又フォワイトバランス機能の優秀なカメラが欲しくなりますね。

私の勉強が足りないということに問題の一端があるのではありますが。
こういう演奏中のアイコンタクトがいいですね。
- 2019/12/26(木) 00:00:49|
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女性の名は「Gabrielle CARNIO」
ガブリエルは大天使の名前ですね。(因みに今日はイエス・キリストの降誕祭の日ですね。)
バンド名は「Gaïa L.C & Seb'Alien」?

彼女のFBを覗かせてもらうと何枚もの写真が現れますが、写真の醸すセンスがとてもいいのです。
撮っている人の文化的背景が感じられますし、無論、被写体になっている彼女の、それもです。

ネット上で海外の写真家の撮影現場などを見せてもらうととても刺激を受けます。
写真も背景の文化の違いを感じますから、見て楽しいですね。
そういうものを見たからと言ってそう簡単に影響を受けられるってものじゃないのですが・・・・・自分の生まれ育ったこの国の文化が私に与えているものはよかれ悪しかれ強固だというのです・・・・そこに敬意を感じられるもの見いだせるというのは、これまた楽しいことです。

それにしても、もし私がこの写真を撮る楽しみを通じて人々とつながるということを始めていなかたっとしたら、この年になって?こういう場所に入り込むということなどなかったでしょうね。
この会場にいるお客さんたちはそのほとんどが私の年齢の半分までの人ですからね。多分。
しかも?三分の一以上は外国人。

後日この女性がモデルとなり、ニューヨークで活躍しているある女性帽子作家さんの帽子をかぶっての撮影をしたのですが・・・・この時の写真は公開できるかどうか微妙なんですが・・・・・帽子作家と撮影者が日本人、モデルがフランス人、撮影アシスタントがイタリア人〔偶然の来訪者でアシスタントを買って出てくれました・)という組み合わせでした。
まるでニューヨークでの撮影のようです。
この女性はモデルとしても素晴らしいのです。

この人も、遅れて参加して帽子をかぶってのモデルをしました。
- 2019/12/25(水) 00:00:39|
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山の中にログハウスです。
やはりちょっと憧れますね。 それに薪ストーブですしね。
でも、薪の調達や灰の処理にはこうした山の中でないと、なかなか難しいのではないでしょうかね。

畑をお持ちならその畑の肥料として灰を使えるでしょうけれど。
でも最近は木が健康でないので灰も肥料としていいのかよくないのか、いろいろ問題があるそうです。

このお店のテーブルの天板も脚も手触りの良さそうな、重さを感じられる木材ですね。
こういう暖かそうな木に囲まれていると気持ちが落ち着きますし、安らぎますね。

この人は今日は真ん中で髪を分けていますね。

このテーブルではイノシシの肉を焼いて食べることができます。
ただここは自動車でないと来られませんから、仲間と一緒に、そしてその仲間にはお酒を飲まなくて運転免許があるという奇特な御仁を混ぜてこないと、美味しい肉を存分に・・・私ならば…食べられません。

ですので、未だに私は一度も食したことがないのです。
- 2019/12/24(火) 00:00:28|
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ずいぶん久しぶりになります。このお店に来るのは。
数年前にはまだいた大型犬が亡くなっていました。 猫の数がずいぶん増えていました。
マスターのお姿に年を重ねた影が少しだけ濃くなりました。

今年はまださほど寒さが厳しくはなっていませんが、冬季、ことに雪が降るようになると、お店までの足元の安全が確保できにくくなります。そうすると長期の休みに入ります。
私はここの薪ストーブ、達磨ストーブが好きで以前は時々来ていました。
あの薪の燃える臭いと暖かさが格別ですからね。 今はその達磨ストーブも新人の四角いストーブにその座を渡していました。

ここまでの道は、山へ山へと入っていくという景色ですから、一度もここに来たことのない若い女性を車に乗せて来たら、不安がられても仕方がありません。
ですから相当におどかしてから来ます。
でもこれまでのどの人も皆楽しそうにワクワクとして来てくれました。

息子さんが調理をするようになっていました。
無論⦅初めてお目にかかります。⦆です。

マスターは私が写真を撮ることを知っておられますが、他の方は覚えていないでしょうし、知らないのですが、私はさっさと撮り始めてしまいます。
そうするために食事時を外してお邪魔します。
それでないと他のお客様にご迷惑をおかけしますから。
( 「ご迷惑とご心配をおかけしたことをお詫び申し上げます。」という言葉は今では、私は何も悪いと思っていませんという符丁のようになってしまっていますが。)

この人はつい先日撮らせてもらったばかりなのですが、「たまたま空きましたので。」と連絡をくれました。
ずいぶん忙しくしているのに・・・・それで夏に減った体重も、完全には戻り切っていないということで、・・・嬉しいことです。

今日の服も私の注文を聞いてくれてのものです。
- 2019/12/23(月) 00:00:49|
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私が席に着くと隣には若い日本人男性が。
その彼は、私と同様に彼女が路上で歌っているときに知り合ったということで、自身もギターやカホンをするのだそうで、今日はちょっとセッションをするらしいのです。

彼女の路上パフォーマンスは確実に効果があるという事ですね。
上の横顔など、私の大好きなタイプですしね。

この会場にいる外国人の客は、わたしが何しに来ているのか知らないわけですが、とにかくカメラを持って大層な風に撮ろうとしていることは分かるわけですね。
そしてそれを見た時の彼らの反応が多くの日本人のそれとは違うことにまた気づきました。
まあ、それはもうある種の日本人に対する嫌味になるので繰り返さないでおきます。

カホンを叩いている男性が登場する瞬間を私は事前に知らないので、カメラのレンズの画角がマッチしないまま撮ることになってしまいました。
そんな時には24ミリ-80ミリ、F2.8通しなんていうズームレンズがあれば便利なんでしょうね。
-80ミリではありませんが「SIGMA 24-70mm F2.8 DG DN | Art」なんてどういう感じなんでしょうね。興味あります。
もっとも私の持っているカメラはレフレックスカメラですし、マウントも違うので付けられませんが。

今日この場で初めての演奏なのに、実に楽しそうにやっていますね。楽器のできる人はいいなあ。

私はメインにソニーα900を使っていますが、こういう時にはISOの使える範囲がとても狭くて、しかもシャッター音がとても大きいので、使うのははばかられます。
で、この写真はフジのX100Fで撮っています。会場が大きくなくて奏者にある程度近づけるときには案外使えるのです。
ことに白黒では大いに健闘してくれます。

それにしてもこんなわたしのブログに、あるいは写真の中に外国の人が何人も交じっているということには、まさに現代とはどういう時代なのかという一面が現れていますね。
こういう大きな流れを自由と民主主義と平和と共感・連帯というフィルターで濾していかねばなりません。
- 2019/12/22(日) 00:00:51|
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偶然の出会いから、ライブに来ませんかというお誘いをいただいて「おっとりカメラ」で出かけました。
毎度のことなのですがお店情報をきちんと確かめもせず、思い込みだけででかけてしまい、「あれ、このお店じゃないんだ?!」と言いうことであちこっちをほっつき歩いて、挙句の果てに交番の巡査まで巻き込んで調べた結果、「そういう店は見当たりませんねぇ」と。

仕方がない諦めて帰るしかないなあ、せっかくの機会だったのにと停めてある車まで戻ろうとしていると、狭い路地の入口に小さなあまりぱっとしない看板に「 Cafe & bar Gaea ⇒」とありました。 いやあ、こんなところじゃ見つからないよなあ。
「すみません、お尋ねします。」と訊いた付近の人の誰一人としてご存じありませんでした。

でもここには外国から来ている人たちが少なからず来ているようで、この日も数人が海外の人でした。
そして若い女性客はこれまでにも時々来ているといった雰囲気でした。

民家を改装したあまり広いとは言えないお店の奥の部屋。そこがプレーヤーたちの立つ場所です。
周囲にはエキゾチックな仮面や像がいくつも不気味に並んでいます。
壁には白黒の銀塩写真が何枚もかけられています。写っているのは黒人が多いようでした。 なかなかいいものでした。

裸の白熱電灯が二、三ぶら下がっているだけの照明ですから、暗い!!
これは「苦戦するな」というのが第一印象でした。
事前に私が撮影に行くということがお店の方に伝わっていなかったらしく、お客で来ているのに随分図々しく何枚も何枚も写真を撮り続けている、何とも無神経で迷惑な客・・・・になっていたかもしれません。ごめんなさい。

ほとんど2時間は演奏し続けたのではないかなと思います。
私は事情で一時間半ほどで失礼しましたが。

先日路上では優しい感じの歌を歌っていましたが、今日はとてもエネルギッシュな歌を、しかもいくつかの言葉で歌っていました。
美人で可愛らしい若い女性のちょっとしたお遊びなんてものじゃとてもとてもないのです。
本格的な力量をお持ちです。
「来てくれたら写真を撮り、話しましょう。」とメールには書いてありましたが、私が中途で帰ってしまいましたので、「I hope next
time we have more time to chat..」とメールが来ました。
- 2019/12/21(土) 00:00:36|
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私はいま来年2月に発行予定の冊子企画に参加しています。
といってもアドバイザー資格で別に編集の全体に口出しをするわけではありません。
高瀬川界隈の歴史やエピソード、かつて走ったチンチン電車の記録を発掘して残そうという企画です。

今年が下京区の区政140周年ということで、様々な取り組みが行われているのですが、それにあやかってやろうじゃないかということなのです。補助金も出ますしね。補助金を得て貴重な記録を印刷物として残せたらラッキーです。
書き手は実はそうそうたる人たちで、中には高瀬川を物資輸送の水路として開削した角倉了以のご子孫も参加しています。

そういう人材を見つけてコネクションを繋げる「名人」がいるのです。
そしてその御仁が、「お前は普段から人を撮っているから、「高瀬川界隈の素敵な人たち』のページを作れ。6ページやろう。」というのです。
計画では500冊の発行ですが、こういうことには巻き込まれたほうが断然楽しいので、今それに取り組んでいるのです。

が、高瀬川界隈で人をみおつけて取るのは実に困難で、まして五条より下では難しいのです。
京都市清野町づくり、観光行政の不十分さというか、間違いの結果がそこに如術に表れているからです。とにかく生活者が少ない!のです。
働く人、お商売を据える人、観光の人、ふと遊びに来た人、くつろぐ人、街をきれいにしている人などなどを取りたいと思うのですが・・・・。
ここは京都で学生生活を億たてぃとなら一度ならずお世話になっている四条の珉珉という中華料理店です。
卒業して何年かして何かの折に京都に来た、かつて京都で学生生活を送った人たちが「餃子とビール」でちょっと昔を懐かしむことも・・・。

四条から下にありますので「高瀬川界隈の人たち」でもありますし、・・・。
この人は比較的最近に珉珉に入られた人です。ですから私とは初対面です。

このお店の厨房には二人の中国人の調理人がいるのですが、今はたまたま昼休み中。
中国人の調理人が何人か入っているのは〇将と違うところかな。
だからという訳でもないのでしょうが、もやしの炒め方に違いを感じます。私の個人的好みから言えば、こちらがシャキシャキと美味しい。

この人のチャーハン作りは中華鍋のあおりが速くて勢いがあります。
わたしはいつもチャーハン作りに注目をしています。
撮影をお願いした時にはちょうど客が途絶えて調理をしない時間帯でした。
その前は餃子を担当していました。
それで、ただ撮るのは面白くないなあ、と勝手なことをつぶやくと・・・。

じゃあ、チャーハンをやりましょうかと私が何を求めているかを察知して・・・。
でも撮影用にやってもらうのは悪いからと、

すると若いスタッフが私のところに来て耳元で「今注文が入りましたから、ちょっと待ってください。」と知らせてくれました。

みんなで協力してくれました。
私は珉珉の他店で「無銭飲食」をするぐらいのお得意ですからでしょうかね。
- 2019/12/20(金) 00:00:10|
- 働く人々
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帽子絞りをされています。
少し見ている感じでは、率直に言ってあまり手際が良くありません。
長年この仕事に取り組んだ人とは見えないのです。
どういうわけなのかなあ、手指を故障して作業がしにくいのでしょうか。

お話を伺いました。
合点がいきました。

この実演はそれぞれの組合で引き受けるのです。そして組合員が調整して実演に参加するのですが、この方は実は「桶絞り」が専門の方でした。
「ここで桶絞りの実演はしにくいから、急きょ帽子絞りを見てもらうことにした。」という事情がおありになったわけです。
「京絞り」の組合も組合員が少なくなり、むろん高齢化もしています。

「本疋田はとてもできないけど、それ以外は一通り修業時代に経験しているから、なんとか・・・・。」
たしかに「本疋田」は一朝一夕にできないのでしょうね。あまりに細かな作業ですしね。
そういうわけで久しぶりの帽子絞りで少々普段と勝手が違うということでした。

「じゃあ、写真を撮らせていただくと具合が悪いですかね? 本職じゃないし。」
「いや、かまわないよ。」ということで撮らせていただきました。

来年のグループ展は「職人」でやるというのが第一候補ですから、チャンスがあればきちんと取り組んでおかねばと思うのです。
このグループに属している意味合いは一面ではもうとても希薄になっているのです。ただ別の面では参加し続ける意味が大きくなっていると・・・・、何を言っているかお分かりにならないと思いますが。

どこにも「虻」は必要でしょうしね。
大した棘は持っていませんが。
- 2019/12/19(木) 00:00:36|
- 伝統工芸
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この人も世にいう適齢期ですからいつ何時、どのようになるかわからないわけです。
「そうなると撮らせてもらえる人がいなくなっちゃうなア。」
「大丈夫ですよ。子供は旦那に預けてきますから・・。」
と、たとえそうはいかなくてもこう言ってもらえてうれしいじゃないですか。

27,8才くらいまでは取らせてね、と言っているんです。
あまり先まで予約してもこちらがどうなるかわかりませんしね。
80歳になっても90歳になっても若い女性を撮ってるなんてのもいいと思うのですけどね。
この辺りはずっと銀杏の木があって、毎年黄色の吹雪があったりじゅうたんが敷かれたりするのです。
中央分離帯が「公園」になっているのですが、入れなかったり行き止まりで出られなかったりと、とても不便に作られているのです。
公園にしたのはいいけれど道路を横断して利用する人たちが「交通事故にあったらどうする」的な声があるのでしょうかね。
あるいはすでにそういうことが幾度もあったのかもしれません。

ここはアジア・太平洋戦争時に類焼を防ぐ火よけ地として強制立ち退き(疎開)をさせてできた広い通りです。御池通などもそうですね。
ただ鴨川から堀川通りまでしか通じていなくて、それから西へは旧来の細い通りになっています。
ここの水流は一時絶えていたのですが、琵琶湖疎水の水が今は鴨川の下を潜り抜けて(サイホン方式)通っています。それが堀川の水の流れの復活になったわけです。

名前が「紫明」通り。
「山紫水明」から採られているんでしょうね。

景観としてはとてもいいし、何しろ広い分離帯ですから、自動車の正面衝突など知いうことは大いに避けられるわけですが、公園としての利用頻度はどうなのかな。
ここでライブなどしているのも見たことがないですしね。
幼児ならともかく学童にとっては遊び場所としては不足だし。

とってつけた様な公園化計画のようで、地元の人たちの声をちゃんと聞いたのかなあという気はしますね。
ちょっともったいない。ただまあ年配諸氏がゆっくりと日を浴びて過ごすにはいい場所ではあるんですが、それにしては車の走行が少ないとは言えないし。
私が撮影を楽しむために作っていただいたと・・・・そういうことにしておきましょうか。
- 2019/12/18(水) 00:00:08|
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この人が、夏にひどく体重を減らしていたので心配していたのですが「とても元気ですよ。」ということで久しぶりの撮影です。
ダブルワークで働いていて「そんなに頑張って大丈夫?!」と。
そんなに頑張る訳も分かって一安心。

とまあ、そういう事情は置いておいて
今年は秋色の中で写真を撮れていないと嘆いていたら、突然時間を作ってくれるというやさしさの塊。

今年の紅葉は進行がゆっくりなようで、場所によって木によっても色づきの時期が違うのです。
そこでこんなところに来て見ました。
今日はコートも茶色だし。

ただこういうざっくりとしたデザインのものは本当に寒い日には不向きかもしれません。
何しろ暖かい空気が上から下から抜けて行ってしまいそうですしね。
「大丈夫ですよ。寒くないですよ。」

この人は「モデルは暑さ寒さに耐えるものだ。」と、・・・・関心にもというか、撮る側に都合よくというか・・・・思っている節があるのです。
こちらは「震えて撮ると気持ちが盛り上がらないから」とかなんとか理屈をつけて対寒対策バッチリなんです。

よくモデルのエピソードで、寒くて紫に変色した唇を見た有名カメラマンが「その唇の色、何とかしろよ! この写真は夏バージョンなんだぞ!」といったとか言わなかったとか。
じゃあ、高性能で大型の温風機を回せよって話じゃないのかなあ。
「エラク」はなりたくないものだ。」

と、自分とはかけ離れた世界のことを怒ってみても仕方がないか・・・な。
いや、そうじゃない、そういう世界はそういうものだと訳知り顔で認めちゃうのが問題なんだ・・・と思う。
- 2019/12/17(火) 00:00:48|
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撮影の了承を得るのは身振り手振りでです。
フランス語はもちろん英語もできないのですから、止むを得ません。 これがいつまでも「止むを得ません。」で終っているところが私の度し難い弱点なのですが。

でも海外で一人ぽつんと歩いたり、日常の買い物をしたりしたことがある人ならお分かりだと思うのです。
日本語ではなくとも、話しかけてくれたり笑顔で何かを伝えようとしてくれるその地の人がいることのうれしさを。
そういう気持ちを想像して、私はカメラを高く差し上げて、それを指さして「あなたを撮りたいのだけれど、いいかな。」と念じるのです。
念じてそういう顔をするのです。(そういうというのはどういう顔なのか、・・・。)

そうしたら「いいですよ。」と日本語が返ってきたりするのです。
昔は英語嫌いだったフランス人も英語を話しますし、そうなれば、丸きり何もわからないということもないわけですし。
(残念ながら)EU問題や移民問題や音楽論を交わのでもないですしね。

橋の手すりの上には、どうやら彼女のCDと思しきものが積んであります。
足元には「投げ銭入れ」の箱が。
旅費や宿泊費・食費などもいくばくかでも補わないといけないでしょうしね。

日本からも少なくない青年たちが海外へと出かけているでしょうね。


- 2019/12/16(月) 00:00:04|
- 音楽
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鴨川の岸辺を自転車で走ってきました。
途中、外国人男性がウクレレをつま弾きながら歌っていました。かなりの腕とお見かけしましたが「ウクレレは数日前に購入しました。」と言っていました。
撮らせてもらおうと、暫く演奏に耳を傾けながら、音の途切れるのを待っていました。が、「も、うとても寒くて、指が痛いので帰ります。」と引き上げてしまわれてしまいました。 残念。

そんな寒さのつのる日の事でした。
四条通りが高瀬川を横切る橋の上での事です。

先ほどまで中年の外国人男性が何くれとこの人を助けていましたので「彼女はあなたの娘さんですか?」と尋ねますとどうやら違うようで・・・。
しばらくするとこの場を去っていきました。
後で思うのに、この人が不慣れな場所で演奏するのでサポートをしていた方なんでしょう。 どこかのパブとかバーの方かも知れません。

というのもこの京都に来て八か月ほどだそうですが、この12月の後半に6回もライブが入っているからです。
そのうちのどれかに来ませんかと誘っていただきました。そうすればまたあなたは私を撮れます、と。
それで、「おっとりカメラで出かける約束をしました。」

何にしろ「チャンスは掴むためにある」のですから。
それに会場になるお店は以前ちょっと覗いて「ここはいい雰囲気だなあ。」と思って、撮影を許可をもらおうとして断られたお店ですし。
ただ「あなたの撮影スタッフとして入るのを許可してもらってください。」とお願いしましたから、ひょっとしたらだめかもしれません。

でも、まあ、送った写真を喜んでくれて、「Would it be okay for me to post some of them on social media ?」と言ってくれているのはうれしいことです。
私のブログも早速覗いてくれて「I just looked at your blog - your pictures are truly wonderful. They are taken with a lot of care ! Good job. I cannot wait to see the pictures you took of me. 」と、メールをくれました。

写真展の経験でもそうでしたが、私の活動や写真は海外の人の方が率直に評価してくれるようです。
国内(京都)ではもう一つですからね。
- 2019/12/15(日) 00:00:47|
- 音楽
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私が写真を撮っていると一人の男性が「個人で撮っているんですか?」と声をかけてきました。
「肖像権の問題もあるし・・・・。」と。
それで「声をかけさせてもらって了承のうえで撮らせてもらってますが・・・。」と返事をすると、その男性は店の中にはいっていきました。
店のスタッフ、あるいは支店長?だったのかもしれません。

カウンターのこちら側の客に混じっていましたので、客のお一人かなと思ったのですが。
店の人だとしても、お客さんだとしても、ある意味素敵な一声ですよね。
店の人なら、頼もしいことです。
この人たちだけだと断りたいときに大いに頼りになりますよね。

私は撮影の許可を求める声も、断ったり、あるいは承諾するときにも率直に声を出して応答するのがいいと思います。
そしてどちらかに力のバランスが大きく方もいているような場合には、やはり率直に助け舟の声をかける、それが大事だと思います。

スマフォでの撮影は事実上野放し状態ですし、スマフォで撮影する人に「ちゃんと承諾をもらわないといけない」という意識はないようです。そしてスマフォで撮っている人に「無断で撮っちゃだめじゃないですか。」と声をかけるシーンはあまり見ません。
この問題では一眼レフの人ならダメでスマフォならいいという理屈はないのだと思いますし、社会全般の意識をもっと高めつつ、初めから「悪意あり」と決めつけたり、お客さんだから断れないとか上司だか我慢しようとか言わないで、やはり率直に意思を表明できるようにしたいものです。
撮らせてもらう側としては『いいと言ったじゃないか。』と当然のように振る舞わないで、相手の表情をよく見て、相手が戸惑っているようなら、潔く引くようにしたいものです。

他の人が撮っている(例えば私が了解の上で撮っているとして)のに便乗して撮ってしまうのもエチケット違反だと私は思います。
どういう事情で了承しているのか、それ自体にもいろいろな訳があるかも知れないのですから。
『私も加わっていいですか?』という明確なサインを出すべきでしょうね。
- 2019/12/14(土) 00:00:49|
- お店
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いきのいい新鮮なたい焼きが売られています。
若い男女の従業員さんが手際よく焼いていきます。
今日はたまたま女性二人。

「あなたたちの働く様子を撮らせてもらってもいいかな?」
「いいよね。」とお互いに。

タコ焼き屋さんはあちこちにあるけれど、タイ焼きはそれに比べるとずっと少ないようです。
冬場は余計に売れる様です。
わたしもたま~に買って食べ歩きますし、近くでバイトしていた若い友人に差し入れたこともありました。

鯛焼きはB級グルメ的な存在なんでしょうが、店の作りをちょっと豪華にして従業員にもこうした衛生管理をちゃんとしてますよ的な服を着せて経営するのは 一つの行き方ですね。
ここの地代を払って経営を成建たせるのはなかなか大変だろうと思いますが。

でもまあ初期投資額はそう大きくはないのではないかと。
そんなことはさて置いて・・・・。
タピオカを売る店が雨後の筍のごとくあちこちに現れて、急に行列ができて、そして消えていきます。

そこで働く人にとっては不安定就労じゃないかと。
投資の観点からすれば「時流に乗ってちょっと儲けよう」だと思うのですが、その時そこで働く人にしてみれば・・・・。
- 2019/12/13(金) 00:00:16|
- お店
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個展会場に一歩入った時にこの方を見て「これはいい写真が撮れる。」と思ったのは間違いではありませんでした。

目が生きている。
笑う口元に人に対する優しい心配りのできる人に固有なニュアンスがある。
こういう人こそ「素敵な人たちに」に相応しい写真になると直感しました。

私が来年5月に「素敵な女性(ひと)たちと」という写真展をするのには理由があるのです。
ミスR大の女子大生を追いかけて(無断で撮ったとか、そういう事じゃないのです)撮った写真で写真展をするような人に対するアンチを意思表示したいからなのです。 かなりピンポイントですね。
ですが実はもう少し広くたくさんの人を敵に回そうとしているのです。(大袈裟ですが)
まあ、もっともそちらの人たちは私など眼中にないでしょうが。
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- 2019/12/12(木) 00:00:04|
- 芸術
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これまでに制作してきたコラージュ作品を経年的に展示することでご自身の内面詩を綴っています。
外から見た時には、おや?!写真作品だな、しかもどうも人物の写真があるようだ、それにしても・・・・と思いながら入らせていただきました。
この日が初日だそうで・・・・。

12月にもなると外は時に寒く強い風も吹きますし、しかも今日は曇りの日。なんとなく気持ちが億劫になる日です。
まだクリスマスの華やいだ感じはいきわたっていませんし、人の気配が少ないのです。

そんな中での個展開始です。

自分の思いの表現の手段は実に多様にあるもので、直截に泣きわめいたり大笑いする身体的なものもあるでしょうし、手入れされたに庭に一つの石を置くというような抽象的なものもあるでしょう。
手続きや素材が違っても、そのどれもに人が外の世界に出ていくというか、関わる窓があると思います。

興味津々です。

カウンセリングや心理判定の政界に「箱庭」というのがありますが、こういうコラージュもそれに通底するものがあるとこの方は考えておられるようです。
なるほど。旧職の時に知っていれば活用できたかもしれないなあと思いました。
私は今やっている人物写真もカウンセリングや精神状態のリストラクチャリングに大いに役立つと思っているのです。でもその応用の場面はないですが。(いや実は、事例はたくさんあるのです。意識的に人物写真を撮っている方は、それと知っているはずなのです。)
- 2019/12/11(水) 00:00:49|
- 美術
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後継者の無いことに悩む?伝統工芸の世界。
「?」を入れたのは、もう表面上悩んでもいないかもしれないからです。
もう限界点を越えたから「後継者の養成など無理な話だ。」ということが職人さんたちの共通理解だろうからです。
そうです、友禅や西陣の世界はもう完全に滅びの段階に入っています。 行政の無策がその一つの原因です。

そんな中にあって絞りの世界に期待を一身に負う新人が現れました。
この人のお婆様、お母様から話は聞いていました。 絞りの仕事に入ってくれると言っていると。
小学校低学年の頃には、『おばあちゃんの仕事を継ぎたい。』と言っていたそうです。

そのお婆様が3代目ですから、「この人は5代目。
お婆様もお母様も・・・・どうもこの表現はぴったりしないなあ。
お婆さんもお母さんも、この仕事の大先輩ですから、高い高い峰を見ながら成長できるのは何より幸運なことです。

絞りの技術にはいろいろありますが・・・桶絞りや子帽子絞りなど・・・この人のおうちは「本疋田絞り」の匠です。
今絞りの組合ではこの人に期待して、すべての絞りの技術を受け継いでもらおうと総力を挙げてこの人の育成にかかっています。
この人は絞り染めの今日の状況をよ~く知っていますから、それによく答えて勉強に次ぐ勉強をしています。

伝統という名の重い思い使命をずしりとこのかぼそい肩に担いでいます。
それを本当によく自覚しています。
私のことはお婆さん、お母さんから聞かされていたようで、初めてお目にかかったのですが、その日が来たという感じでした。

職業として絞りの世界にはいったのが2年前。 そして今年21才です。
公開実演は今回でデビューという訳です。

座りっぱなしの作業ですし、こうしてずっと首をうなだれての作業ですから肉体的にもきついでしょうし、手指はとても痛いことでしょう。
台もなしに腕を宙に浮かせたままの長時間労働です。
本疋田絞りはとても細かな爪先の作業ですし、細かな作業を単純に繰り返す仕事でもあります。
とても男には務まらない辛抱ができない仕事です。(それで女性が担ってきたというのは、女性に対する差別の結果でもあったのでしょう。) 他の絞りは男性がしても本疋田絞りは女の仕事です。
ここに自分の人生を伝統工芸に重ねようとする凛々しい女性の姿があります。
- 2019/12/10(火) 00:00:46|
- 伝統工芸
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職場のお昼休みにちょっとペットを抱えて・・・。
う~ん、超カッコイイじゃないですか。

毎日こうして吹いていないと、突然吹こうと思っても唇が思うようにならないし・・・、こうしてよく昼の時間を利用して「肩慣らし」ならぬ〈口慣らし〉をしているのだそうです。
それはスポーツでもなんでも同じで・・・絵を描くにも筆が自由に動かなくなりますよね・・・・毎日きちんとトレーニングを続けることが大切ですよね。

大切なんだけど・・・・それを継続できるか否か。人の意志や意欲もあるけれど、忙しすぎる仕事や環境では断念せざるを得ない人もいい多いのでは。 こういうことができる職場こそが人間らしい働く環境ですよね。

NHKの番組に「サラメシ」というのがありますが、ああいう企画はいいと思っています。
いいのですが、一方でとてもあんな風に余裕のある昼食が取れる職場は多くないのではないかと思います。
コンビニでカップラーメンとおにぎりを買って道路の端に腰を下ろして食べている建設労働の若者たちを目にします。
飯場の昼食休憩の時にギターを持ち出してミニコンサートができるような職場にしていかないと。

楽器を演奏できる人が羨ましい。
この方は中学で吹奏楽部に入ってそれ以来のトランペットだそうです。そして多分🎺以外にもやれるのではないかな・・と。
あるいは音楽以外にも趣味が広い…方なのかなとも。


私の父が「青―ディオンやトランペットで無くてもハーモニカや縦笛でも本気で練習したら素晴らしい音楽ができるはずだ。」と子供の私に言っていました。それはそういうものをねだる息子に買い与えられない悔しさが混じった言葉ではあったかもしれませんが、真実を語っていたのだと、今にして思います。
ただ息子にそのその心意気がなかったのが悔やまれます。
- 2019/12/09(月) 00:00:55|
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こういうところでもささっと靴を脱いで裸足になる、そんな人です。
それで、私も写真を撮るときには、普段以上に他のことの注意がいかなくなりますので、彼女の靴が波にさらわれたことに気が付きませんでした。

実に生き生きとした人です。
多くの人が彼女の歌に励まされ、また彼女自身がそうした人々に支えられています。

今度香港で覚えてきた歌を三条河原の集会でも紹介していましたが、その歌声を聴いて彼女の声が今まで聞いていた以上に良い資質のものだということを知りました。
喉は強いですしね。
jazzやボサノバも歌わせてみたいものです。

ただまあ、スタイリストはついた方が良いと思うのです。
私の趣味的には・・・。
いつかそんなことも言えるでしょうか(笑い)

でもこういいう空気感が彼女を、ああ私の傍らで歌う人なんだなあと印象付けていることは間違いないと思います。
そしてそれは正しい道だと思うのです。
彼女の民主主義的な直感力のなせる業でしょうかね。

もともと空手もしていた人ですから重心移動は確かですし、こうしたところに上ることも少しも苦にしません。
私の方は体が硬くて・・・・・。
- 2019/12/08(日) 00:00:26|
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師走ですね。
「一年が過ぎるのが年々早くなる。」と年を取るとお互いに口にするのですが、人それぞれに案外忙しくいろいろなことをしているのを見ます。
なのにそのこと一つ一つの印象が弱くなるのでしょうかね。
私にとって今年のこととして取り上げ記録しておきたいことの一つが、この沖縄行きでした。
本島と石垣島に行きました。

川口真由美さんの三枚目のCDジャケット用の写真撮影でした。
三泊四日でしたが、帰る日の4日目しか綺麗な青空が見られなかったのが残念でした。
CDは今月初めに無事リリースされました。先月の終わりには先行販売もあり、予約すると記念ボールペンが付くとのことでした。

私は多分一枚くらいはいただけるものと勝手に決め込んでいるのですが、スタッフにお会いする機会がなくて・・・・。
FB上で宣伝がされていて、ケースの面や裏が紹介されているので、「この写真を選んでくれたのだな。」と、意外に思ったり、やっぱりそうかと思ったり・・・。二枚目の時に比べるとずいぶんたくさん使ってくれています。中の小冊子にも使ってくれていますからね。

そしておもての写真にはクレジットが、スタッフの記録には写真担当として蒼樹の名があります。
私の希望で本名ではないので、どこかで誰か旧知の人が手にしても私が撮った写真だとは気づかないわけです。
それで一人にやにやするだけなのです。

それにしても貴重な経験をさせてもらいました。
私の人生の上にこんなことがあるなんて誰が予想したでしょう。・・・・といってもどなたの人生も皆そうでしょうが。
石垣島では現地の人の案内で市役所前での、自衛隊基地建設反対のアピールに参加する人たちとの交流もありましたし。

この人はその後韓国へ、香港へと・・・・そして日本のあちこちの小さなコンサートから大ホールのコンサートまで飛び回っています。
もしこの人について写真を撮り続ければずいぶんいろいろな人との出会いを私も経験でき、又感動的な写真も撮れるのでしょうが、そういう訳にも行きません。

せめてこの人の歌声が日本全国の基地のあるところ、原発のあるところ、弱者が虐げられているところ、働くものが軽んじられてるところに届き、韓国に香港に台湾に中国本土に・・・・届くようにと応援しようと思います。
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- 2019/12/07(土) 00:00:16|
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この時期は忘年会が話題になりますね。
でも最近は職場での忘年会は流行らないんだそうですね。
私はこういう事でもなければ街に呑みに出たりしませんでしたから、案外ワクワクとして出かけました。
ただまあ、楽しさも限界がありましたけれど。 本当に打ち解けた者同士で飲む場合と違いますしね。
新採からの数年はどういう訳か、くじ引きで席を決めているのに、管理職と同じテーブルに着くことが多くて、どうもやりにくいという経験をしました。 先輩たちからの視線も何かおかしかったし。

今は、そうした職場の関係もありませんから、まるで予定がありません。
声をかけられないのも人望の無さでしょうが、声をかけないのも不徳の致すところでしょうね。
一対一ならいいんですが、数人以上になると他の人の様子を見過ぎて話を聞く側になる傾向が強くて、私自身が楽しめないきらいもあるからです。
周りはご機嫌なんですが。

それに最近も一人旧友と絶交することに決めました。最近もと書くと度々そうしているようなニュアンスになってしまいますのでまずいのですが、ともかく、横柄・横暴な人、大声で独りよがりな発言をして他を押さえようとする人、人の話を聞かない人は大嫌いです。それで敢えてそういう人に調子を合わせて時間を送るのは、もうこの年になれば人生の無駄ですからやめることにしたのです。
精神的にもつまらないですから。

10年あまり以前の事ですが、私たちの大学の仲間の中に一人年かさの人がいて…他大学をほぼ卒業する直前に入学しなおしたという、一面ではとても魅力的な人物でしたが・・・・その人と絶交しました。 私がその人と同席をするのは断固として嫌だということで旧友たちとの集まりに出ないことを宣言しました。するとなぜかその人の方が自然その集まりに呼ばれないようになってしまいました。
もっとも私の知らないところでは別の集まりがあるのかもしれませんが。
今回はその人に続いて二人目です。 今度はわたし一人の離脱になるのだろうと思います。仕方ありません。

ひょっとしたら私は周囲の者たちからすれば扱いにくい人間かも知れません。 重ねて不徳の致すところです。
まあ、人間性に問題があるんでしょうね。

しかしながら今後も死ぬまでそういう自分と付き合っていかねばなりませんから何とかうまく手綱を握っていくしかないですね。

私が多くの素敵な人たちに憧れるのは、そういう自分の人間性からくる反動みたいなものかもしれません。
- 2019/12/06(金) 00:00:52|
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この写真をアップしている日は、もう秋色も大分くすんできていると思います。
でも今月12日に「秋の残りの風情を楽しみましょう。」とお誘いがありますから、そういうことからすればきょうもまだまだ秋の気配を楽しめることでしょう。

こうした人込みで撮るためには撮られる側も撮る側もそれなりの慣れとその「つもり」が必要です。
最近は実にあちこちにカメラがあって・・・・スマフォもあればコンパクトカメラもあれば、かなり本格的なカメラも時折あちこちレンズを向けています。 それに、敢えて言えば防犯カメラがあらゆる方がkぅから私たちを見ています。
防犯カメラはともかくとして、写真を撮ることについて、一方ではものすごくルーズなのに他方では過敏すぎるほど拒否・排除します。

そういう事もあって、人物を撮っているというと、「最近はなかなか難しいのでしょ。だから私はしません(私にはできません)」ということをよく言われるのです。
まあ、確かにそうですね。

問題はいろいろあるんですが、まあ、少なくともこうしてだれをとっているかということが周囲にはっきりしていれば、ほぼ何も問題はありません。
(本当に盗撮しようと思えば、こうしてモデルを立たせて、ちょっと広角のレンズで撮ったり、、あるいは望遠レンズの焦点距離を延ばせば難なく撮れることでしょうけれど。)

だから街中で撮るときにはこちらの態度、行動を明確に示すことが大事でしょうね。

それに、さいわいこの人やお友達のTさんなどは、傍から見ても「なんだ、モデルを撮っているのか。」と、何ら不審なく見てもらえます。
私もわざと大きなカメラバックを担ぎますからね。

すくすくと育つなんて言うことを言いますが、この年齢の人もまた実にすくすくと育ちます。
育つというのは背が伸びるということではなくて(言うまでもないでしょうが)・・・・人としての成長、大人びていくと言うことでもあります。
- 2019/12/05(木) 00:00:27|
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冬至まで三週間ほどという頃ですから、日没は早いのです。
西側にちょっとしたビルがありますから、ここは一足早く陰に入ってしまいます。

ISOを上げることにどうしても無意識の抵抗がありますのでつい暗めになってしまいます。
それで二重に暗くなってしまうという訳で・・・。

ポートレート入門には、「女性を撮るときには幾分明るい目に撮るといいでしょう。」と書かれているのにです。
どうしてもASA100から遠く離れられないのですね。別にそれだ合理的だという訳ではないのにです。

それで白いストールを肩にかけてもらいました。
胸の前で交差するようにしてもらえばより効果があったと思います。

こちらを向いてもらうと広い川の方ですから回った光を受けることができます。

私の頭の中の引き出しはそれぞれがガタピシと、なかなかスムースニは出てきてくれませんので、いろいろな条件を織り合わせなくてはならない時には常に、しまった、忘れた!が出てきます。

これはトリミングをすればとてもよくなるはずです。
また、トリミングしないといけないですね。

今日はご協力いただきどうもありがとうございました。

- 2019/12/04(水) 00:00:27|
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こうして偶然お見かけした人を、その場の条件の中で撮るということは、こちらに選択の余地はありませんから、ちょっとした〈試験問題〉的なことになります。
この条件の中でどうしたらいいんだという応用問題ですね。

どの方も顔や体のどちらから撮ったら、より綺麗に、あるいは可愛く、魅力的に・・などなどに撮れるかということがあります。
それで今、光はどちらから来ていて、その反射光はあるのかないのか、木々や雲の影はどうなっているのか。
落ち着いた雰囲気で撮りたいのか、撮れるのか。

笑顔が魅力的なのか、真剣な表情がいいのか、・・・・。
短時間でできるだけそうした情報を適切に判断することが求められます。
そしてその中で、自分自身の宿題というか課題を試してみることができるかどうか。

弁慶が1000本の刀を集めたその理由はどういうことか知りませんが、ただ2000人の人を撮る、そういうことを目標にしているわけではありませんというからにはそれなりの問題意識を持たねばなりません。
せっかく機会を与えていただいた、その機会を生かすことを考えないと、もったいないと思うのです。

職人の方がいっておられました。 弟子を育てるには失敗を経験できるだけの沢山の仕事が必要なんだ、と。
そうなんだろうと思います。失敗をさせていただける機会をいただくということはとてもありがたいことなんです。
そのお礼として、できれば「これいい写真ですね。」「これがお気に入りです。」といっていただける写真を一枚でも二枚でも撮って差し上げる。

この方の着ている着物と耳飾りの色が絶妙にマッチしていますね。
偶然だそうです。
でも、これを撮ってあげないと。

普段、交際の無い私だからこそ先入見にとらわれずにその人の魅力に気づくこともままあります。
そして、こんな風に素敵に見えましたよと見せてあげられることができると、こうして撮らせていただいた甲斐があるというものです。

この写真、今度の個展に使わせてもらおうかな。
- 2019/12/03(火) 00:00:21|
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もう紅葉のピークは過ぎましたね。それで地上には色とりどりに敷かれたじゅうたんが。
そこで写真を撮っておられました。
わたしはこの時は、ぐるっと町を一巡しての帰りでしたので、もう陽はかなり傾いて、やがてビルの向こうに隠れようとする頃でした。

このまま声をかけるのを逡巡していたら、ようやく勇気を振り絞って声をかけて承諾していただいたとしても、その時には既に暗い!という残念なことになるのではないか、・・・・・そうであるのなら断られるにしても時を置かずにお願いせねば・・・。

幸いなことに快く承諾していただきました。
関東から観光でおいでだという事でした。
聞くと「着物を借りる料金は京都の方が安い。」とのことでした。なんせ需要が多く、一方、業者間の競争も激しいですからね。

私はスマフォを持ちませんが、スマフォで撮った写真を時折見せてもらうことがあります。
きれいですね。実に鮮やかです。それに多少暗くてもよく撮れます。大したものだ!と思います。
こうして撮った写真をスマフォの画面くらいのモニターで見るだけならば、多くの方はおおむね十分満足するんではないかと思います。

ですが、こうして撮った写真を背面液晶画面で見てもらうと、「キレイ!」と驚かれることが多いのです。
多分それは被写体のポップアップ効果があるからだろうと思います。
つまりレンズの違いですね。 ボケの効果です。

多分スマフォではすべてオートになっていて「絞り開放」ということはしていないんだと思います。
多分ですが。それですべてが鮮明にきれいに映ってしまう。 きれいなんだけど肝心の人物が浮かび上がっていない・・という事じゃないかと。
持っていないから、分かりませんが。

「カメラ目線の方がいいですか。」「視線はレンズから外した方がいいんですよね。」といわれることがあります。
皆さん「モデル心得」をよくご存じです。
それでほんの少し注文を付けてポーズしてもらったり、光に対しの向きを変えていただくと、「そんなことも考慮するんですね。」とおっしゃいます。
今度、お友達をとったりとられたりするときに思い出して生かしてみてください。
- 2019/12/02(月) 00:00:35|
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