私の額から汗がぽたぽたと落ちます。
それに引き比べ、「足を水に浸けているとさすがに涼しいですよ。」、とこの人。

背景を夏の地面らしく撮ってみました。 そういうつもりなのですが、いかがでしょうか。
実は反対岸にいってもらうと背景に木々の緑があってもう少しすがすがしい感じに撮れるはずなのです。が、子供連れが数組、先着でそのあたりに陣取っていましたので諦めました。

「手足の白さを撮りたいから・・・。」
私の注文や指示はいつもこんな感じです。

気楽にしていてくれたらいいからね。

お互いにある程度慣れ親しんでいないと、こういう注文の仕方ではフォトマヌカンは戸惑います。
この人なら、はい、そこで昼寝してしまって!でも応じてくれるかもしれません。
昼寝は得意です。


脚をきれいに撮るためにこちらに回りました。
- 2019/07/31(水) 00:00:59|
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この髪の波打つ癖は生来のものだと思うのですが、なかなかいい感じです。
これが長く伸びるとなかなか制圧が難しいのだそうです。

最近のオートフォーカス用のレンズでは手動で合焦させるための輪を回す時に感触があまり良くありません。
どちらかと言えばモーターに負荷をかけないために抵抗が小さいようですし、動きにしまりが感じられません。
合焦の早さが要求されますし、実際ものすごく速く正確になっていますね。それを実現するためには、生産者としては使われるかどうかも分からない手動合焦機能の錬度を高くする気にはならないのでしょう。

暗い場面では手動で合焦させるのはなかなか難しいです。まして開放絞り値が3.5~のようなレンズでは。
幸いこの日のような明るい条件なら私の低下した視力の眼でも比較的たやすく合焦点を見つけられますし、大きく外さなくて済みます。

合焦点を「一点」として絵を考えるのでは十分ではないなあと感じていますから、こうして手動で「合焦面」を意識して撮る練習をしないといけません。
つい、きれいな「それ! これ!」に注意が傾いてしまいますが。
それに、何に合焦させるかということは、どの範囲、何をぼかすかの意識で無くてはならないわけです。
絞り開放値が「f1.2」のレンズを使うと開放で撮ればとにかくきれいに見える写真になるし、主題が際立つようになるので、つい安易にシャッターを切ってしまいす。 その点、自戒しないといけません。
これからはミノルタ 80-200ミリ 2.8を使います。
ミノルタには似た守備範囲のこのレンズより一層評判の良いレンズがあるのですが、私はそれより安価なこのレンズがとても気に入っています。
これは自動合焦が可能なのですが、自動、手動の両方を使います。
とにかくf2.8通しなのがありがたい。 合焦も十分速いです。

暑くなったので「足を水につけて。」と注文しやすいです。
もし琵琶湖にでも行けば、もっとずんずんと沖に行って!などというかもしれません。
この人は「果たして泳げたかな?」
「もちろん、泳げますよ!」

この川では何人かの若い母親たちが子供を連れて遊びに来ています。
子供だけではなくて母親たちも水に入って遊んでいます。 入ってはいけないと書かれてはいるんですが、多分大目に見てこれているんだろうと思います。
でも、私たちは足を浸けるだけにしましょう。

撮影をしていると子供を抱いた二人の母親がどんどん近づいてきます。
写真の枠に入ってきます。
もう少し下流で遊んでいたのに、なんでまたわざわざ近づいてくるんでしょうねぇ。
- 2019/07/30(火) 00:00:38|
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この記事を書いている日は台風が紀伊半島から東海地方へと抜けていこうとしている、そんな雨の日です。
この「台風一過」で、おそらく安定した夏になるのでしょう。
もう目の前は8月ですよ。 えらいこっちゃ!です。

八月中旬はプリント会社も「盆休み」に入りますから、もうそろそろ写真展への参加作品を決めなくてはなりません。
そんなことを思いながら撮っていました。

そして、この時の一つの課題は先日書いたようにキャノン ニューFD 85ミリ 1.2 Lの使用感を試すことです。
これまで花や雨模様などを撮りながら手探りを続けてきましたが、ようやく、こうした撮影で試すことができます。
幸いこの人とはもう長い付き合いですので、私のもたもたや混乱も優しい寛容の心で待ってくれます。

この日はどういう服で来るのかも、実は打ち合わせをしていないのです。お任せなんですね。それは前にも書いた通りなんです。
で、ちゃんと私の希望を「忖度」してきてくれました。・・・・これが本来の「忖度」の使い方です。安倍政権とその官僚のために一つの言葉が汚れて歪んでしまいました。 日本語の損失です。

マウントアダプターを挟んで手動で合焦させなくてはいけません。
そのために最近の写真機ならば瞬時に合焦するところを念入りに行ったり来たりしながら焦点を見つけます。
それで長い時間じろじろこの人を見なくてはならないことになるのですが・・・・ そこのところもちゃんと心得てくれていますので、実に有難いのです。

この撮影の日は突然「夏の暑い日」になったからなのか、周囲に人が少ないのです。
それで芝生のずっと向こうまで人影を入れなくて済みます。
この人は少し前までは背中の中ほどまでの長い髪でした。
「髪を短くしたけれど、気に入ってもらえるでしょうか?、」とメールにありましたが大いに気に入りました。
それまではいつも、次の撮影まで髪を切らないでねとお願いしていたのでした・・・・。

夏、ですしね。 短くしないと一層暑いですよね。洗髪も大変だし。
- 2019/07/29(月) 00:00:22|
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「もう夏ですよ」というのも可笑しな言い方ですね。
梅雨も夏の内ですからね。

この撮影の日は、長い梅雨の曇りや雨が、「天気予報」を裏切ってよく晴れて暑くなった日でした。
できるだけ小陰のある、水のあるところで撮りましたが、私は額に汗を流して撮りました。
「額に汗して」というのは営々とした労働・努力をしてという意味ですが、ただ久しぶりの暑さでそうなっただけです。

雨が降ると羽根のある小さな虫たちは飛べないのですが、晴れれば話は別です。
蚊もまたしかり、でしょうか。
撮影場所として選んだ御苑の林の中では猛烈な蚊の襲来を受け、しかもズボンをはいている私を避けてこの人に蚊が集中するものですから、・・・「きっと君の血の方が美味しいんだ。」などと定番の冗談を言うと「蚊が集まるのは血がおいしいか、まずいかの違いが原因じゃないんだそうですよ。」と・・・・やむなく急きょ虫よけスプレーを手に入れに行きました。

そして御苑の林からは退散。
そんな一日を終えて「いい写真は撮れたかなあ。」と反省会?

今日も一日ありがとう。
- 2019/07/28(日) 00:00:05|
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梅雨明けがいつなのか。それは気象庁が適当に決めるんでしょうが、とにかくすでに夏は「来た!」のです。
6月の写真展後の呆け状態と外に出られない梅雨の所為で「人が撮れない。」状況が続いていました。
そしてたまたま「いいですよ協力しますよ。」と言ってくれていた人たちが、相次いでいろいろな事情で「ごめんなさい少し先になります。」ことになって、なかなか離陸できないでいるのです・・・。

そんな中で、またこの人が潮目を変える機縁になってくれるかも・・・・。
8月22日から始まる「文人光画展」への出品作品を「アラウンド団塊世代の男たち」にするか「魅力の女性たち」にするか、その帰趨もこの人が決めてくれるかもしれません。
今日撮ってきた写真を背面液晶画面で見ています。
ホッと一息の「コーラ」を画面に入れるか入れないか。

この人にとって満足のいく写真が撮れているでしょうか。
今このカメラにはミノルタの85ミリ 1.4がついていますが、今日のメインはキヤノン ニューFD85ミリ1.2でした。
とにかくこのレンズがデジタルカメラでどれくらいとれるものか試しているのです。

既に書いてきましたように私がメイン機としてきたソニーα900は、もはやミラーボックスという部品がメーカーにさえなくて供給が絶えてしまって修理できませんので、どうにもなりません。
旧友がいろいろ知恵を出し情報を集めて助言してくれるのですが、結局、新しい世代のカメラに行くのではなくて、再び中古ですがα900をメイン機にする道を選びました。
この人を撮る間に、次第にその気持ちが強くなり、さらにはっきりとした決断になりました。

この人がじっくりと時間をかけて撮らせてくれたおかげで決断できました。
私にはやはりクオリティーの高いOVFが必要だということが明確になりました。
無論、今となっては撮影条件次第ではおおいにEVFカメラの助けも借りますが。
ちなみにこの撮影はフジのX100Fです。
いいカメラだと思います。
- 2019/07/27(土) 00:00:49|
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下地のような大きな面積を占めている部分をムラなく染めるのはとても難しい技術ですので、それは別の職人さんが分業します。
反物は13メートルあるそうで、その端と端ではいくら早くても10数分作業の間隔が空きます。そのことでいろいろな条件が変化しそれが色に現れてしまうのだそうです。
ですから今日半分作業して後は翌日なんてことは、天候自体が変わてしまう場合が大いにありますから、簡単に決められないのです。

職人さんたちは天気図を眺め、温度や湿度、風のあるなしなどの変化を計算に入れ、クーラーも暖房もないしめ切った部屋で屋で作業するという具合です。
気象予報「士」と化学「博士」と芸術的工芸的感性と技能と・・・・というのが職人さんなのです。
だから職人さんを2年や3年で養成することはできないのですね。

職人さんの高齢化と後継ぎ不足はもう何十年も前から指摘されていますが、結局成り行き任せが大勢です。
それでいて「美しい国を作る」なんてチャンチャラ可笑しいです。
もう回復可能限界点をとおに越えてしまっています。

何かといえば京都を舞台とするテレビ番組を見ますが、その発想の安易さと無責任さを痛感します。
市長が和服を着ていれば伝統工芸を重視していると考えるのはどういうものでしょうか。
- 2019/07/26(金) 00:00:26|
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久しぶりの職人さんです。
あでやかな振袖の制作です。
と言っても白黒ではそのあでやかさは分かりませんね。

この会場は実は暗い上にかなり赤っぽい黄色のライトがついています。
ホワイトバランスはケルビン値で2800です。
ということは、今ここで書いている染料の色は、想定とは違って見えているわけです。

そのために、あらかじめ、この部分にはこの色と自然光ないし、問屋さんとの調整の時の灯りの環境で決めた色で描いているのです。
ですから、今見えている色は、頭で修正されているのですね。

染料は現職の染料を「感で混合して作るんだ。」そうです。
問屋さんに指定された色は、混合する染料の比率、環境温度などを、自ら調整してその反物全体を仕上げるられるだけの量をその都度作るのだそうです。
途中で無くなったから同じ色を作るというのはとても難しいことですから、その点抜かりの無いようにしないといけません。

着物は反物を背なかで縫い合わせますし、・・・・振袖などは余計にそうですが・・・・・袖の柄や色合いが体の部分と直接に並びますから、もし少しでも違っていればすぐにわかってしまいます。
染料は周囲の温度や湿度、塗り重ね方、同じ反物でも場所の違いによって乾く速度などで微妙に変化しますから油断ができません。
ですかた、ただ絵がうまければいいというものではないのです。
- 2019/07/25(木) 00:00:06|
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とあるギャラリーで染色の作品を見せてもらっているときでした。
作者のお一人と話をしていると急に室内が暗くなりましたので「これが夕立が降るな。」と窓から外を見ました。
真上から西に向けて厚い黒い雲が広がっていました。

それから間もなくです。
「これをバケツをひっくり返したような雨っていうんだよね!」とすれ違った若い女性が連れの人に話していました。
ビルの屋上から壁に伝う排水管からはまるで消防のホースの先のように水が噴き出しています。

私の駐輪場に置いた自転車はずぶ濡れでしょうから、これはサドルにお尻を置けないなあと・・・。
リュックに入れていたポリ袋はサドルにではなくて、リュックの中のカメラとレンズを包むために使います。当然です。
自転車も体も拭けばいいのですから。 メイン機を壊した上にこのカメラまでアウトになったら明日からどう生きて行けばいいのか・・・なんてことまでは考えませんが。

こんな時にさえカメラを取り出すのは、もう「性」といってよいかもしれませんね。
「習い、性になる」という事かな。

別にTV局に送るつもりはないのです。
そういう種類の写真が撮りたいわけではないのです。

こういう時にはX100Fの方がいいですね。
一眼よりもレンジファインダー型がいい。 光学ファインダーにすればフレームの外まで見えるので、横から入ってくる人が見えてシャッターチャンスを間違えにくい。
その点今日は一眼だから入り込む人を選んだり、タイミングを計ることが難しい。慌てているのがよく分かります。
時々は両方持って出ますけど、荷が嵩張って重くなるので辛いし、それで何も撮るモノに出会えない時はさらにつらいですね。
- 2019/07/24(水) 00:00:05|
- 状景
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別に病気をしているとかじゃないのです。ただ人がとれなくて新たにアップする写真がないのです。いやあるんですが、ご本人に写真を送ってまず見ていただいてからアップしよう思っているうちに日が過ぎているのです。
私のメールアドレスをお渡しして・・・・ご本人も写真を送ってほしいということでご自身のメールアドレスを私に書いて渡そうとしておられたのですが・・・・あるのですが何の音沙汰もないのです。
お忙しいのでしょうし、私が写真に入れ込んでいるほどには、それぞれの方にとって重要ではないというのはごく自然なことですから、優先順位が違ってくるのでしょう。仕方ありません。
あるいはブログの検索キーワードも渡してありますから、アップされた写真を見て「これが欲しい」という連絡をされるおつもりなのかもしれませんね。
ところで私のメインカメラであるα900が再び故障してしまいました。修理に出すと「ミラーボックスを交換しないとダメ。メーカーにもミラーボックスの在庫がすでにないので修理不能。」という返事でした。
旧友が親切に修理会社を検索してくれて「ここに相談してみてはどうか」と教えてくれたのですが「α900はメーカでの修理以外はできない。」とのことで、つまりは希望が絶たれたということでした。
このα900はいろいろ冬至としては優れた点を持つカメラで、ことにファインダーはフィルムカメラ時代の良い資質を受け継いだもので、今や他に見られない高品質のファインダーです。ニコンの一ケタに、それに相当するものがある以外は他にはないだろうという専門家もいます。
それで、α900を使っていた人、いる人は、次のカメラをどうするかでどの人も大いに困って、中古であれ何であれとにかくα900を使い続けるという人と、先ほどのニコン一ケタに流れる人がいる様だとのことです。
D5は50万からするあまりに高額カメラですし、レンズも一本も持っていない。そのうえ大きいし重い! そちらに向かうことはできません。そうなると・・・・。
と、まあそういう訳で写真を撮るモチベーションがぐんと下がっている今日この頃なんです。
それで今はα99に キヤノン ニューFD 85ミリ1.2 Lを付けて 慰めに遊んでいる訳なんです。
- 2019/07/23(火) 10:25:28|
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ついにその日が来たという感じです。
α900について「すでにメーカーの方にも部品の在庫がないので修理できません。」とのこと。
たった10年しか部品を備えておくことができない企業とは何なのだろう。
消費者の側も物分かりが良くて、デジタルカメラは技術的な発展も速いので道徳的な価値摩耗も早いから、仕方がないねなどと訳知り顔で言う。それは企業の利潤本位の思考・行動にすっかり慣らされてしまって、企業経営者でもない人間がそういう価値観を内面化してしまっていることを意味していると私は思っている。今度の選挙結果にもそういう傾向は如実に表れることになるんじゃないでしょうか。実に御しやすい消費者たちだし国民だと思う。(愛機を失ったショックでちょっと語気が荒いですが)

とはいえ、これが現実。
改めてα900の中古カメラを探しても早晩おなじ運命をたどることになる。
良いカメラだったのになあ。 辛いし寂しいなあ。

α99という選択肢しかないのかなあ。
どちらにしても撮影の時には2台態勢をとることが増えてきたので、何か物色しなくてはならない。
ここ2,3年ずっと頭を悩ましてきたことにすぐに結論が出るとは思えないのですが、・・・・。

昨日「京都ファインダー倶楽部」の会合があって「今年はどんな写真を出すの?」と数人の人から尋ねられた。
「やっぱり音楽関係?」「若い女性?」
関心を持っていただけるのはうれしいことだけれど、こちらもずっと悩みっぱなし。
まったく優柔不断にも困ったものだと思う。

今度この人を撮って、いい写真が撮れるかどうかで決めようかな。

ただこの人は自分で開いたサロンが日に日に好調で忙しくて時間が明けられなくなっているようですから、何時になったら撮影日を設けることができるか。

新しい人も見つけないといけませんね。

それが問題だ!
問題山積み。

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- 2019/07/21(日) 00:00:07|
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雨が降ったり雲って重苦しい日が続くと、外に出ても「人に出会えない」感じになります。
例年は梅雨時にも適度に晴れ間があって、撮りに行けたような・・・あまり確かでない・・・記憶があるのですが。
6月の写真展の影響で撮りダメ出来なかったことも影響して、ブログアップが途切れます。

今日の写真は決して在庫一掃などではありません。
この人の前回のシリーズで、続いてアップするはずが、つい失念してアップしないまま「準備OK状態」のまま置かれていました。
・・・・と、思います。
何しろこの頃脳みそにカビが生えて・・・・。 アップしてたかもしれません。(実際何枚かは既にアップしています。引き出しへの整理の仕方が混乱しているんですね。)

まあいいでしょう。
まあ、いいでしょうなんて、そんないい加減なことでいいんですか?!
いやいや君との撮影計画が一度流れたのも混乱の原因なんだからちょっと大目に見てよ。
前にもこの怖い顔でおこられたなあ。

ふ~ン どうも違うような気がするけどなあ。

まあ、いいじゃないか、・・・・。 そう!笑って笑って・・・。

最初のタチアオイは キャノンFD85ミリ1.2L で撮っています。
そしてこの人を撮っているレンズはミノルタのAF85ミリ1.4 です。そしてプラナー(85ミリ)1.4 T✱があります。
それぞれいいレンズです。でも、 持っているだけじゃあ何の意味もありません。
- 2019/07/20(土) 00:00:12|
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サングラスの似合いかたがちょっと「日本人離れしている」というのが第一印象でした。
話しかけられた時に鴨川の流れの音にかき消される部分があって、海外からの方が日本語を話すような、どこかたどたどしい感じがして・・・・どう答えたらよいものやらと・・・。

私の早合点でしたが・・・・。
髪のカールした感じもいいですね。

ちょとだけサングラスを外してくれませんかとお願いして・・・・。
20歳前後の若い人にはない魅力がありますよね。
なかなかこれくらいの年恰好の方にお目にかかる機会も少ないし、ましてや「撮らせてくれませんか。」とお願いするチャンスはなおのこと少ないのが残念です。

女優さんやモデルさんがエステに通い、化粧法を駆使し、写真の時には照明をフルに活用し、さらには現像ソフトを駆使してきれいな姿で登場しますから、それに比べてかどうか、つい「しわが」とか「たるみが」とかあるいは「シミが」という話になりがちで、写真を敬遠する傾向はどうしても強くなりますね。

もっとこうした魅力的な方にたくさん撮らせてもらってよりその魅力を引き出す撮り方も見つけていきたいものです。

なかなかかなえられない希望ですが。

「おじさんシリーズ」で団塊前後の男たちをやった後に、いつかアラサーアラフォーの女たちを並べられたらいいですね。
でもジェンダー平等から言えば、こうして男女二元論を引きずるのは問題だなあ・…。
とはいえ、こういう分野でもジェンダー平等を軋みの無い普段の文化とするには長い道のりが必要じゃいかなあという気はしています。 是非とも意識的に多くの人々とともに知恵を出して工夫しながら推し進めていかねばなりませんが。
私にはどうもこういう感じの容姿の人に惹かれる一面があるかもしれないという気がしてきました。
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- 2019/07/18(木) 00:00:14|
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下の写真はキヤノンのFD85ミリ 1.2 L で撮っています。カメラは5Dです。
α900が手元にないので、どうしても5Dに登場してもらわねばならなくなりました。しかし、こちらも2005年販売開始のものですからスペック的に見れば、昔はこんな程度だったんだねえという感じです。有効画素数が1280万画素でISOは1600にしか上がりません。(常用が100からというのはいいですが。)
α900に比べるのはかわいそうなくらいのファインダーですし、暗くて曖昧でピントがとてもつかみにくいのです。別にこれは5Dに限ったことではありません。

FD85ミリ 1.2 L レンズだとどうしても開放付近での撮影をしたくなるわけで、このファインダーと私の低下した視力とで悪戦苦闘しなくてはなりません。
ご推察の通りFDレンズはマウントアダプターを介してしか付きませんから当然マニュアルフォーカスですしね。
こうやって動かないでいてくれれば何とかなっても・・・何とかなっているでしょ? どうですか。・・・・人間相手ではこうはいきませんから。
後でわかるんですが、こういう風に普通に撮れるのはほんの気まぐれくらいのようなんです。

どっちにしてもいばらの道だなあ・・・・と、かなり大袈裟ですが。

作事方の人たちは巡行に当たっては屋根に上ったり舵をとったりするのだそうです。
そういう意味では花形ですね。

こうしたことも縦に継承されていかないと、どれだけもてはやされる行事でも衰退せざるを得ません。

隣では若い衆にかなり強い叱咤の声がかけられています。

京都で工務店に就職すれば、こういう役割も果たすことになるわけですね。

この近くのギャラリーのオーナーさん。何かと親切にしていただいている方ですが、その方もこの町内にギャラリーを開いているからには町衆としての役割を負うことになっています。
山鉾の保存会、ここは鶏鉾ですが、その鶏鉾保存会の法被を着て何くれと動いていました。

昨年は巡行の際に縄を曳いていました。

多くの人々の献身と莫大な費用で、この祭りも継続されているわけですね。

- 2019/07/17(水) 00:00:12|
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花鳥風月、動物も昆虫も花も樹木も・・・とんと疎い私はこの鳥の名前を知りません。皆さんはこの鳥の名をご存知ですか。
この鳥がちょっとした縁をくれました。

5Dにマウントアダプターを介してFD85ミリ 1.2Lレンズを付けて、どの程度撮れるのだろうと試し撮りをしながら歩いていたのです。
先ほどまで、まるでピントを合わせられないし、シャッター速度を変えても反応がないし(と、感じていたのですね)・・・・、これでは使い物にならないなあと思う反面で、大徳寺の塀を撮った時には、案外行けるじゃないかと思わせてくれたりもして・・・。
そういう訳でなんとなくこの鳥に近づいたのですが・・・。

「あのう、あれはペンギンですか?」・・まさかねぇというニュアンスのこもった言葉が背後から私に掛けられました。
「いやぁ、さすがにペンギンじゃあないと思いますけど・・・。もしペンギンなら動物園から逃げてきたということで大騒ぎでしょうしね。」
この方が、まさかと思いながらもそう質問するにはそれなりの原因があったのですが。

今日はお一人で八坂参りだそうです。
いろいろ身の上のことをお話になりました。
それで話すうちにこの人の容貌のフォトジェニックなところが気になって「撮らせてもらえませんか?」ということに。

何しろ突然の事ですし、まさかそんなことを言われるなんて「髪の手入れもしないままだから・・・。」
それにナチュラルな髪のウエーブもご自身は「あまり好きではないので・・。」と。
梅雨時の湿気で髪が広がってしまいますしね。
これまで「写真写りが悪いし、あまりいい写真もなくて・・・。」とどうも気が乗らないようでした。

そんな時私は無理には決して説得しないし、食い下がりもしません。
こういうことはお互いの「レディネス」の問題ですからね。
俗にいえば「縁」の問題ですから、その条件がないのに頑張っても仕方がないと私は思っているのです。
・・・・勿論、もうちょっと押してあげれば割れかけていた殻が内から壊れるきかっけになると、そんなこともあるのだとは思っているのですが、だからと言ってそういう状況を感知できるというものでもないし・・・

それにせっかく了承していただいても、このカメラについて何度も「言い訳」をしながらというのは本当はちょっと以上に失礼とおもいつつ・・です。
昨日の拙ブログでは写真が真っ黒になって再現できない現象があったようです。複数の方から教えていただきました。ありがとうございました。皆様の画面ではいかがでしたか。今日はどうでしょうか。電子・デジタル関係についてはおよそ無知な私ですので何がどうなっているのか、どうしたらよいのか見当もつきませんが、お見苦しいことがありましても広い心でお許しをいただいて、よろしくお付き合いを願いたいと思っているところです。
- 2019/07/16(火) 00:00:02|
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この日はカメラ2台態勢で出かけたのです。
片方には85ミリを、もう一方には80-200を。
結果的には80-200ばかりになってしまいました。

というのも・・・というほど必然性はないのですが・・・・私にこの9年間連れ添ってくれたカメラが突然、もう休みたい!!と言い出してしまったのです。
そのカメラは、実は昨年6月に・・・・・大事な100本のトランペット演奏の撮影1週間前にでした・・・・・故障した、あのカメラでした。

シャッターユニットを換えてもそれ以外も同じようの寿命に達っしているわけですから、これから次々と「もうダメ!」と言い出すことでしょう。
生産・販売開始が2008年ですから現今のデジタルカメラとすれば3ないし4世代前のものということになりますね。
それでも手放せない良いカメラですので、いろいろ考えた挙句に修理に出すことにしました。

だって、このカメラを手放すなら次に何を手に入れればいい?と何度も問い直しても、これだというものが見当たらないからです。
あるカメラ店のスタッフともその点で大いに話が合って一しきりお互いに深いため息をつくのでした。

それにしても「おや、おかしいな!」と思って、それでシャッターを切るとファインダー内の像がおかしな風に歪み、にじむので、レンズを取り外して、もう一度シャッターを切ると反射鏡の鑑鏡と、緩衝材でしょうか、フィルム状のものがマウント口から飛び出してきました。これには驚きましたね。

どんなに長くても、もうこれから2,3年の寿命だろうなあとは思っていましたから・・・そういう意味では覚悟はできていましたから・・・・じきに気持ちは落ち着きましたが、平常より相当低いところで落ち着きました。
まあ、そんなことで80-200を付けた方のカメラでしか撮らなかったというわけです。

それにしても気持ちが落ち込んでいるとよい被写体を見つけることも、なかなか難しくなるのですね。気持ちの粘りもなくなります。
ミノルタのレンズをマウントアダプターなしに生かすにはソニーのAマウントしかないし、困ったなあ。
第3期5カ年計画に向けて本気で考えなくてはなりません。
続きを読む
- 2019/07/15(月) 00:00:23|
- 状景
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はは、投稿したつもりだったのに忘れていたようです。
ホルムズ海峡に海賊や「イラン革命防衛隊」が現れて日本への石油供給が困難をきたすのではないか、日本の「生命線」が危ないとばかりに世論を掻き立てる向きがあります。
(アメリカやイギリスの情報が如何に当てにならないかを小泉内閣の時に思い知らされたのに、私たちは眉に唾もつけないでアメリカの情報に振り回されるべきではないと思います、確かな情報を待ちましょう。)
ホルムズ海峡とマラッカ海峡については、もう数十年も前からそう言われています。

それをアメリカが・・・そう!!なぜかアメリカが本国から遠く離れて・・・・軍事的に守っているので日本は大いに助かっているという「お話」。
それで「安保ただ乗り論」が出て来て、日本は大いに金をむしられている。政府もまた惜しげもなく支払っている。

しかし、今ではそれでも「アメリカばかりが負担を背負い日本は何もしない」と責められて、「いいえ決してそんなことはないのです。日本も『国際貢献』にまい進します。」と平身低頭。
過剰な武器を買い込んで、辺野古基地まで提供しようとしている。
さらにその上に「日本とアメリカとは『血の同盟』のきずなで結ばれている」などと言い出している。一体誰がいつの間にアメリカと『血』の同盟などを結んだのか。

『血の同盟』は、初めのうちは、そう表現してよいくらい固い同盟なんだという位のつもりだったのでしょうが、今やアメリカとは一心同体、全面一致、運命共同体から「一緒に血を流す関係」にエスカレート。
いわゆる安保法制によって日本はアメリカとともに地球の裏側でも戦争がができる国になってきた。
日本の生存が危機に瀕する事態が生じていると政府が判断すれば、・・・・その内容が問題だが・・・アメリカに軍事的に協力して「世界平和」に貢献することができることになっている。日米軍は対等ではなくてアメリカ軍が主体で指揮権を持つに違いないのですが。

だから、この人が「日本の若者が海外で殺し・殺されないために!」といっているのも全く大げさな話でも空想的な話でもないと思います。

戦前も「日本の生命線」を勝手に国外にひいて・・・・例えば「満蒙は生命線」、そこは中国領でありとソ連の国境だった・・・・、それを守らないと日本の死活にかかわるから「防衛戦争をするのだ」といって実は侵略戦争をしてきた。
国際連盟を最初に脱退して国際平和保持期間あたろうとしていた連盟が機能不全に陥る決定的引き金を引いたのは大日本帝国だった。(国際連盟の機能不全に原因は無論そればかりではないのですが)

それで、日本は二度と再び軍事力で国際問題を解決するような愚かなことはしないと国の内外に誓った。国民と世界の人々への約束、それが憲法の前文であり九条なのだ。
「戦争だってやむを得ない場合がある」なんて軽々しく口にしてはならない、と私は思う。
だから私は決して安倍政権や「維新」を支持したりはしない。
- 2019/07/14(日) 13:05:05|
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今は京都の祇園会(祇園祭)の真っ最中です。
よく知られた宵山が14日から16日まで。そして山鉾巡行が17日です。
後祭りが復活してこの宵山も21日から23日、後祭りの山鉾巡行が24日にあります。
10日には長刀鉾や月鉾、函谷鉾、鶏鉾などの鉾建が行われました。(山の場合は山建といいます)
菊水鉾は11日。
その鉾建に活躍するのが「作事方」です。

この作業を「縄がらみ」といいます。

町によってこの作事方は長年同じ工務店などが引き受けています。
先輩から後輩へとこの作事の仕方が受け継がれていきます。

縄がらみのやり方は町内で違いますから詳しい人はこの縄の作る模様を見ればどの山鉾かわかるようです。
完成形では前懸や胴懸で隠されてしまいますが、デザイン的にも実に美しいものです。

こうして櫓ができていきます。
そして真木や破風などが取り付けられ、前懸、胴懸などが飾られて完成していきます。
縄で縛り、結んでいくのですから解体も容易です。巡行が終わればその日のうちに解体修了!です。

あの豪勢、威風堂々の山鉾が案外簡単なつくりであることに驚きます。
解体したものは町内ごとに持っている会所の倉庫などに保管されています。

子の鉾立の様子を撮りに訪れる写真愛好家も少なくありません。
- 2019/07/13(土) 00:00:14|
- 状景
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音楽を聞きながらこれらの写真を整理していて、ふとこの人〔たち〕が羨ましいなあと思いました。
というのも、この人たちは私に写真を撮ってもらえるのに私は撮ってもらえないからです。
私が大した写真家だからというようなことではなくて、私の写真は私の趣味にあっているからですが、撮る楽しみを得るか、撮ってもらう楽しみをとるか・・・いずれにしても私を撮る私はいないのです。

お仲間と並んだり向かい合ってドラムスの演奏をすることがあるのだそうですが、並ぶときは左利きとしての演奏になるんだそうです。
そうすると演奏の絵図らがよくなりますね。左右対称で。
そういう「目で聞く」要素を大切にするということもとても意味があると私は思っています。
私が写真を撮るからなおのことそういう事を意識するのかもしれませんが。

良い演奏からは時間の人生という川を漕いでいく人間の切なさが迫ってきますが、写真にもそういうことができるといいなあと思います。

写真は不思議なものです。

最近ますますそう思うようになりました。

あとどれくらいの時間この写真と交わることができるのかわかりませんが、その不思議に分け入っていけるように撮りたいものです。
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- 2019/07/12(金) 00:00:45|
- 音楽
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以前ポリバケツ、フライパンや灰皿を叩いていた人です。
今日はドラムセットで登場。仲間が、他張ドラムスのセットを持って現れるはずだとか。

ここでは何度かお会いして、少しばかりのお話もし、写真も撮らせてもらっています。
それに先の写真展には、プリントで登場していただきましたし。

ちょっと顔なじみになりましたので、今日はずいぶんいろいろお話を聞くことができました。
彼独特の音楽を作りたいという気持ちが強く伝わってきました。

左手と足できちっとリズムを刻んで右手で遊ぶ。

ずいぶんいろいろ研究しています。
超絶技巧のドラマーはたくさんいる。自分はできるだけシンプルな楽器構成で今まで人の気づかなかった演奏法を試してみたいと言います。

単にうまくなることを目指しているのではなさそうです。
そんなところはちょっと共感できます。私の写真観とも通じるものがあるように思いました。

このセットに何か付け加えて目新しい演奏をすればそれはそれで注目されるだろうけれど、自分はこの中で追求したいと。

増やしていけばお金もかかるしね、と笑いながら。 その点も同じです。
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- 2019/07/11(木) 00:00:35|
- 音楽
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伝統的な職人仕事の多くは、どうにかして活路を開こうとあちこちで工夫を凝らしています。
この方は畳製造の方です。
住宅事情が大きく変わり伝統的な畳の需要は大きく減っています。イグサ生産もまた同じです。

大切なものや飾りのオブジェを載せて飾る台を提案しています。
材料がイグサ、和紙、そして化学繊維のものです。

お客さんに一つ一つ丁寧に説明されているのですが、その時の表情が何とも魅力的です。
懸命にモノづくりに取り組んでいる人たちに共通する表情です。

「私、こんなものを持っていて、これを置きたいんですが。」と、とあるお客さんがスマフォの画面を見せようとしています。

「あっ1 なるほどこれですか。」

お客さんお気持ちを受け止めてますます説明に気持ちがこもっていきます。
こういう交流が手作り市のいいところですね。



- 2019/07/10(水) 00:00:49|
- 工芸
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鴨川は音楽の練習にはもってこいの場所です。
こうした状景を見るとつい近づきたくなります。 私が青春時代にやり残したものをそこに見るからかもしれません。

大学のサークルの仲間だそうです。
音楽やスポーツのサークルでは一緒に練習したり、お互いが励ましたり叱咤したりして成長しあうのが普通なのに・・・・うん?! これは最近では普通ではないかな。そういうことをしたくないので「同好会」にして、それを肴にコンパするのが目的の集まりも多いから・・・・写真部ではなぜそれができないのでしょうね。
写真部では、やはりなくて、広く一般的な傾向なのでしょう。

先日ある大学の写真部の写真展で「君たちは『合評会』をしている?」と尋ねました。
その学生は「やりたいんですが、なかなかメンバーに応じてもらえなくて。」と答えていましたが、別の大学の学生は「去年提起してみたんですが、拒否感があって、そのままになっています。」ということでした。

写真部で「合評会」を定期的にできているのは、あるいは写真展の前にできているのはR大の片方ととR大の写真部だけのようです。
ある女子大では写真展の前にやっているかもしれません。
それをやれば写真のクオリティーの平均をあげることができるし、もっともすぐれた作品の質も確実に上がります。

S大の学生は「やりたいんですが、他の学生の写真をどのように批評したらいいのかわからないんです。」とも言っていました。
それでそこにいた女子学生も巻き込んでちょっと強引な「合評会」を一緒にしてみたのです。
「こういう事なんですね。」と目を輝かせて、「何とか皆とやってみたいと思います。」と決意を示してくれました。
小中高大と先生の言うことをただ記憶して時に吐き出すだけの学習にならされてしまって、お互いに意見を交換して共に成長しあうような経験が乏しいのが現状です。
運動系の部活ではなおさら顧問の上意下達に従属することにならされてしまっているのでしょう。

そういう事をせめて大学では修正してほしいのです。
が、それをしても職場に行けばまたただ従順であることが求められる現代社会では、就活でまた「忖度して演じる人格」に自分を慣らさねばなりません。
いや、必ずしもそんなことはないという人もいるでしょうしそういう現場・職場もあるでしょうが、資本の権力にはもうほとんど無抵抗なのが日本の現状じゃないでしょうか。
自らの尊厳や命が危機にさらされても抵抗することもできず自らを傷つけ時には自らを消してしまうところまで追いつめられているのが「普通」になってしまっていないか、と思います。

それで、こうしたサークル活動を通じて人間らしい、互いに敬意を持って付き合える体験を豊かに経験してほしいと切実に思います。
世の中の人々を「勝者と「敗者」に二分する考え方は全く間違っています。「敗者」は何も得られなくて当然だ、あるいは「勝者は」すべてをむさぼってよいというのもまた野蛮な考え方で、それは強欲社会の表現です。
それを越えて共同していく努力こそが求められます。
学生たちには強欲資本主義の非人間性を「それはおかしい」と感じ、抗うことのできる知的、精神的な力を身に着けてほしいなあと思うのです。
- 2019/07/09(火) 00:00:04|
- 音楽
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今度にグループ展にどういう写真で臨むかいまだに決断できていないのです。
20日には「キャプション」を出さねばなりません。
それでこういう写真が撮れてしまうと、他の人の写真にも自分としてはいいなと思うのがあるので、若い女性のポートレートでいこうかななどと気持ちが揺れます。

このグループは知識人や芸術家、クリエーター、実業家などがたくさんいて、こういう若い女性の写真に対する評価はどうももう一つなんですが、他にこういう写真を出す人がないし、いいんじゃないかなとも思う訳で・・・。
第一、きれいで気持ちがいいでしょ?!

下のは表情が変わる刹那に「いいな!」と思って少し焦り気味で撮ったのでピントが奥の眼になってしまいました。
大体が奥ピン気味のレンズなんですが。
少し以前あるカメラ店の年配の写真さんとお話して「やっぱりミノルタのレンズはいいよね。」と。
このレンズは私が欲しかったものなではあるんですが、「これ買っておくといいよ。」と勧めてくれたひとです。
ボケがきれいでしょ?!
私が「そろそろ頼りのα900も寿命が近いので次を考えなくてはいけないんですが、どうしてもこれだというカメラがなくて困っているんです。」と話すと、「本当にどれを選ぶにも難点があって、困った時代になりましたねぇ。」と。
このレンズを使い続けるという条件だとますます困難で、マウントアダプターを付ければいいやんとも思いきれなくて・・。
カメラ目線でないポーズも意識してやってくれました。

ごくごくたま~に、私を入れた写真を撮ろうなんて大それた方がおられるのですが、そうして撮られる側になってみると「どうしたらいいかわからない。」という気持ちがよく分かりますね。
いつも皆さんにはご無理を言っています。

今は瞳オートフォーカスなんていう便利な機能の付いたカメラがありますから、それを「常に近い方の瞳に合焦させる」を選んでおけば急に振り返った時に瞳をとりに逃がすなんてことも避けられますね。
でもそういう合焦のマークがファインダーにあると合焦のマークが点灯していることに気を奪われて、他に意識を配れない傾向が、私には生まれてしまって、どうもよくないような気がしています。
それに被写体の動きの呼吸を掴まないで機械的に「瞳にピント」ではよい写真にはならないように思いますしね。

でもそういう機能に補佐してもらえればさらにステップアップできるのかもしれません。

とにかく視力の衰えはいかんともしがたいものですから。

それでもこうしてマニュアルで撮るのは、美しいものを自分の眼で見て「心が動いた瞬間にシャッターを切りたい。」という、そういう思いが強いからです。
フォーカスポイントの合焦の合図の光を見て撮るのでは何か違うなあとと、そういう思い込みがあるんですよね。
- 2019/07/08(月) 00:00:53|
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前回お会いしたのは、こことは別の手作り市でした。
まだ寒さの残る四月の事。
お話を伺うと、その手作り市に出店するのはまれなことだということで、私にとっては幸運なことでした。
その幸運が、またもや・・・。

という訳で、この日は朝からもう一つはっきりしない天候で、「どうしようかなあ。」と愚図っていたのですが。
6月の写真展以降、なかなか撮影の機会に恵まれていなくて、ついに昨日、ブログにも「穴」をあけてしまいました。
ですので、出かける前に外に干してあった洗濯物を部屋の中に吊るし換えて、まあ濡れてもいいやという覚悟でリュックを担いで外に出ました。

とにかく家を出なければ「被写体」になっていただける人に出会わないわけで。
「逆は必ずしも真ならず」ですが。

そして、思い切って出かけた甲斐があったわけです。
覚えていてくださいました。
本当は、「とても苦手。」なのだそうですが、この手作り市の店の、この場でならば・・・・と、ちょっと我慢してくれました。

前回撮らせていただいた写真をお母さまにも見てもらったそうですが、気に入っていただけたようでした。
そういうことがうれしいのですよね、撮った者としては・・。
四条や河原町通り辺りではすでに「コンチキチン」の音が響いています。
山鉾巡行になればもう梅雨明けは近いのです。 つまり夏はもうすぐそこに来ているのですから、こうした服がいいですね。

この方はとても真面目で人に対して気を使われる人ではないかと思います。
それでカメラのレンズを向けるとちゃんと撮られようとします。それが表情を硬くする面があるのですが、私はそういうことが嫌いじゃありません。
そして、こちらにしっかり目線を向けます。
そういう人の目線を、不自然にでなくレンズから逸らせるには、やはりちょっとテクニックがいります。

こういうときにも生真面目な性格ですからちゃんとこちらの求めに応じてくれます。
でもだからこそそうしたポーズに変に阿ったり、過剰に媚態をとったりする要素がないので、とてもいい感じに撮れます。
私はこういうやり取りの出来る人が好みですし、ますます写真を撮りたくなります。
結局、私の場合、見かけ、容姿の魅力は勿論ですが、性格人柄の良さをとりたいという面が強いように思います。

この人は他府県からおいでですから、ちょっと暇なときに撮らせてくださいというわけにはいきませんし、冒頭にも書きましたように「あまり得意ではない。」ということで、こうして手作り市でお会いするしか撮影の可能性がないのが残念です。
- 2019/07/07(日) 00:00:11|
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外交の安倍というイメージを作りたい安倍首相がこのところすっかりイメージを落としている。
ロシアのプーチン氏は日本との間に領土問題はないということを改めて強調しているし、トランプが突然に北朝鮮の金正恩と板門店で会談をするときにも・・・・日本の一部マスコミが何とか内外の総スカンを食って「死に体」になったと報じ続ける・・・・文在寅(ムン・ジェイン」はそばにいても、そこに安倍氏の姿はない。
金正恩は日本を相手にしない姿勢で、安倍氏が「なんの前提条件なく会う」用意があると言っても全く相手にされていない。
中国封じ込めを策しても、世界は米中を「対抗軸」として動いている現実に対応して、日本一人我が道を行っている。
安倍氏が米中『貿易戦争』に対して主導的な介入ができるなどと世界は見ていない。ただ官僚の「カンペ」を読むだけの人に何が期待できるのだろうと冷ややかだ。
不幸なのはそうした宰相を持つ我々日本国民ではないのか。
そこで期待したいのが野党外交なのだが・・・・・・・。

外交で票はとれない・・・とはよく言われる。
なるほど日本の有権者の弱点の一面を表しているだろう。
ただしかし、沖縄辺野古の米軍基地建設に反対するのは良いとして、それで米軍のプレゼンスが弱体化したら日本の安全はどうなるのかということが国民の深層の意識には常に一定程度あるように思う。

習近平中国が相手では、自由と民主主義に関する見解が大きく離れている日本共産党が友党としての影響力を行使することを望むことはできそうにない。むしろ毛沢東時代以来文革や天安門事件できちんと距離を置いて厳しく批判してきたという他党に見られないアドバンテージを発揮して中国の対外進出にブレーキをかける力になってほしいものだ。

その点かつてのベトナムをはじめとするA、A、LA諸国とのつながりを深めて世界の強国をけん制する流れを作ろうとしていたころの迫力が感じられないように思う。
むしろ保守的ではないかと思われるくらいに現憲法の平和条項≒九条を守り、非同盟的な世界政治観を持つ共産党はG20から排除されている国連加盟国の圧倒的な数の国々と連帯できるアドバンテージがある。

もうじき党創立100年にもなろうという政党。自民党初め、そうした歴史を持つ党は国内にはない。
そういう意味では歴史的な過程では色々な誤りや不十分さを見せた時期や課題もある。長く続けばそれなりにしがらみも増える。時代に応じて自らを改革していくのは相当に難しい課題だろうと想像する。
今度の選挙に向けて「ジェンダーの平等」を打ち出した。
参院議員候補者の女性比率目標は断然一位だ。
表は道府県議選のもの。

自己変革的に政策を打ち出していくとき全部が予定調和的に整合するというわけにはいかないだろう。
そういう時に・・・・多少演出的ではあっても・・・・こういう対話型の演説〔会〕で有権者の意識に交わっていこうとする姿勢は大切だろう。
選挙はただ候補者のものだというのではない。
まして誰かを「男にする。」かどうかの問題ではないのである。
政策も国民とのすり合わせで成長させる柔軟でかつ原則的な活動の仕方が求められる。
そういうことができるのが「『革新』政党」というものだろう。

この前、維新の某国会議員は「死んでも共産党と同じことはしたくない。」と言ってのけたが、何が国民生活の前進にとって大事かではなくてとにかく共産党の言うことは全部だめだというのはただの思考停止でしかない。政治は子供の「ダダ」ではないのだから。
中国が嫌いだ、韓国が嫌いだ、ロシア人など見たくもない・・・・では国際社会で日本国民の生命と財産を守り国際の平和を作っていくことなどできない。
相手が何を言い、現に何をしているのかを冷静に見る必要が、お互いにある。そしてその背景を理性的に分析することだ。ただの中国嫌いや社会主義嫌いで国の進路を考えるような国は日本のほかにいくつ数えられるだろうか。
時には敢えて「呉越同舟」であってもことをなすことが必要なのが政治だ。

私は共産党の新しい「天皇とその制度」を巡る政策には賛成しかねる点がある。その他にもいくつもの不満や批判点がある。
だからと言って耳を貸さないとか目を背けるつもりはない。
それは彼らがその理論と実践について科学的な検証に耐えようという姿勢を持つ数少ない政党のうちの一つだと思っているから。
- 2019/07/05(金) 00:00:44|
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この経堂は普段は非公開の建物ですから、この「縁」に立って写真を撮れるようなこともあまりないはずです。
ですからこの角度の写真も少ないはずです。 だからどうしたってこともないのですが、この人には京都旅行の記念になるかなと。

朱色の背景というのはなんというか、不思議な感じですね。
ちょっと言葉のやり取りをしていると、少しくつろいだ表情が出てきます。

ですから、こんな『真顔』も最初の頃の緊張した無表情とは違います。

私は敢えて笑わすような関西芸人的な話しかけもしませんし、見かけのいい定番ポーズも要求しません。
が、普段お友達同士では撮らないようなアングルや構図で撮って楽しんでいただくくらいのサービス精神は・・・流石の朴念仁の私にも・・・あります。

結果的に写真ていいなと思っていただきたいですからね。

この写真をお送りして、どう感じられたでしょうか。
はたして喜んでいただけたでしょうか。
- 2019/07/04(木) 00:00:16|
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よく「人に写真を撮らせてくれと言って撮らせてもらうのは(引く受けてもらうのは)難しいでしょ?!」と言われます。
そうです、なるほど難しいことだと思います。
では、なぜそれができるのでしょう。例えば私がこうして写真を撮れているのは私に特別な才があるからでしょうか。
「あなたはちょっと変わっている。」と言われます。その「変わっている」と指摘されるその面に・・・別の人の言葉によれば・・・「人たらしの才」があるのかもしれません。ひょっとしたら。

そういうものがまるでなにもなければ何のかかわりもない「初めましての人間」に写真を撮れるはずもないでしょう。
ですが、そういう事ではない要素というのがとても大きいと私は思っています。

私自身のこれまでを振り返っても精神的にいろいろな局面を経験しました。とても肯定的で積極的な心理状況にあるときもあれば、自尊感情が損なわれて人を恨んだり、信じることができなかったりした時もあります。
周囲の多くの人の厚意を感じて充足しているときもあれば、孤立感に苛まれていた時もあります。

大きく足を踏み出そうという決意と不安を抱いていたり、引きこもってしまいたいと思ったり・・・・。
すべての人がそうした様々な思いを抱いています。
そうした中には自分の背中を押すために普段ならしないようなことをしてみたいと思ったり、自分の誇らしい姿を確認したかったりして「写真を撮ってもらえますか?」という気持ちになることが時として起こるのではないかと思います。

それが百人の人がいたら何人くらいに起こるのかは全く分かりません。
が、私が「撮りたい撮りたい、人を撮りたい・・」という気持ちを言葉にして表に出していれば、どれほどかの確率でそういう方に出会うのではないかと思っているのです。
つまり、写真を撮ってもらう機会があれば撮ってもらおうかな・・という気持ちを抱いている方が確実に、どこかに、どれほどかはおられるという事です。

私は決して、強く、あるいは粘り強く説得はしないのですから、いわば実った木の実が熟して落ちるばかりになっている人と出会った時に撮らせてもらえるという事でしょうか。
問題はその「撮ってみようかな」の背景にある気持ちがどのようなものであるのかということを撮る側の都合で決めつけないことです。そしてできればそれを感じ取ることです。
その気持ちが何であれ受容し肯定的に受け止めるという事が大切なんじゃないかと思います。

だから私の愉しみのためだけに、趣味の実現のための道具としてだけ人を見ていると「初めましての人」の写真を撮るのはとても難しいのかなと、考えています。
見ていただいているようなこうした写真が実現する主な理由、原因はこちらにではなくて向こうにあると、私は最近そんな風に考えているのです。
- 2019/07/03(水) 00:00:57|
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この清水寺の建物をお借りしての「音楽の祭日」イベントには無報酬でのスタッフが参加してくれています。
音楽を提供するミュージシャンも私のようなものも、そして事務局のスタッフも、会場整理や受付などを担うスタッフも皆ノー・ギャラです。
ただただこうしたイベントの意味と楽しさを共有して成功させようと協力しあう仲間です。

私の会場にもどうしても受付スタッフが必要です。募集に応じてこの方も一日入ってくれました。
当日に「初めまして。」です。
この日たまたまお忙しいスケジュールが空いたので応募してくれたんだそうです。

普段の私の個展では私一人在廊して暇をかこっているわけです。
でもこの日は二人の方が助太刀に来てくれましたから、この日の120名ほどの来場者に対して対応で来たわけです。
そうでなければ、お客さんの写真撮影の時間など到底とれません。

スタッフさんにしていただくお仕事の説明をしました。
「お客さんの中に希望する方があれば、その方の写真をお撮りするサービスがあります。」といいますと、じゃあ私も是非と言っていただいて、お客さんがまだ来られないうちに撮ったわけです。

この会場を離れられませんから皆さんをお撮りするのに、同じような状景になってしまいます。
それでもどうすれば多少とも変化が出るか思案しながら、・・・・声掛けも、どの程度にするのがいいか手探りです。
その点に経験の差が出ますから、その経験も生かさないと・・・。 まあ図々しさの違いとも言いますがね。

申込書ではブログやFBへの掲載を必須条件として確認することになっています。
ただ迂闊なのは、外国の人にはこれを確認する準備ができていないので確認が難しいという事です。この申込書まで英語版、中国語版を作る知恵が働いていませんでした。
私の脳みその国際化が不徹底でした。次の11月にはぜ、ひせめて英語版と中国語版は作っておきたいと思います。
会場内において配布したプリントは英語訳、中国語訳を併記するようにしたのですが。

私としては、この写真展を市民レベルの世界友好の小さな実践とも位置付けていのです。
今、国政を担当している政治家たちにはあまり多くをというかほとんど何も望めませんからね。

写真を何のために撮っているのかという、そういう問題も時には考えるのです。
- 2019/07/02(火) 00:00:11|
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グループ展にはグループ展の良さがありますが、やはり個展が楽しいですね。
会場全体を自分で決定できるのですから。
良い評価であれ否定的な評価であれ全部自分の財産です。

そしてこのようにお客さんを撮影をするかどうかも自分で決められます。・・・・と言っても今回の場合は100%個展というわけではなくて、「音楽の祭日」という世界的なイベントの一環ですから、当然その趣旨に沿ったものでなくてはなりません。(昨年制作したこのイベントの「世界友愛 清水寺 100本のトランペット」の写真集にはフェイスブックの広告ページがありますが、FBがイベントの趣旨を踏まえた広告を出していることに一定の敬意を感じました。)
プロがクライアントから求められたことに応えるというのとは違って、自分がそのイベントの精神に共感するということから始まっているので、基本的なところでは意にそまないことをすることにはなりません。

この写真展が個展だとは言っても、イベント全体が様々な人たちとの共同ですから、独りよがりで事を進めることは避けなくてはいけません。
今年は昨年と違い予算もごくごく限られていますから、そういう点からの制約は仕方がありません。工夫が必要でしたし、それによって知恵を出す訓練にもなりました。
結果オーライでもありましたし。

こうしたお客さんたちにも出会うことができ、写真撮影を楽しむこともできました。
どれほどかは喜んでもいただけましたし。

撮影を希望されるお客さんの写真を撮ってお送りしたのですが、望外に喜んでいただけました。
そうした方々の喜びの反応をいただいて写真を撮ることがますます楽しくなりますし、写真が役に立つのだなということも確信になっていきます。

その時に、これまで拙いとはいえ経験を積んできたことがあるからこそ、こういう反応もいただけるのだということを思います。
私が初めて個展をしたのは2013年のことでした。それを含めて写真展を7回、グループ展を4回。それらの経験がなければ清水寺・経堂をお借りしての写真展をする勇気はなかったと思います。

そしてこのような形での撮影の経験が、また次のステージ・・・・それがどのようなものであれ・・・・を可能にする肥料になってくれるのじゃないかな、と。
何よりこうした機会を与えてくれる方々との「つながり」が宝です。
- 2019/07/01(月) 00:00:49|
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