今回の写真展を見ていただいたある知人が「また、次なるステージに進んで下さいませ。」とメールをくれました。
「次なるステージ」とは、はて、どういうものでしょうね。
今回の事は、あたかも「瓢箪から出た駒」のようなことですので、何か次のステージを必然的にはらむようなものではないのです。

ただ、まあ、この勢いに乗って、11月に京都写真美術館で個展をすることを決めたぐらいがせいぜいのところでしょう。
更にその次は以前から数回古典をした町の貸しギャラリーで個展を開くところに戻ることになると思います。
そして「生涯10回の個展」を目指しましょう。そうしたら、そこにまたその時に新たな世界が見えるかもしれません。

それよりなにより当面するのはまた街歩きの中で「素敵な人たち」を見つけて写真を撮らせていただく活動を再開することです。
加えて8月下旬に開かれる京都ファインダー倶楽部への出品写真を準備することです。
まだ、テーマさえ決めていません。

クラブメンバー40人余りのうち5,6人しか今回の写真を見ていないので同じ写真を出してもいいのですが、それは11月にします。ですから、やはり、何か別に「これを出したい」ものを選ぼうと思います。
「次のステージ」・・・・何やら気になる言葉です。 いや気にしないといけない言葉です。

写真はお一人が日本の、もう一人がイランの人です。
同じ国に留学するお友達だそうです。
現代の若者が意識する「世界」というのはどういうものでしょうね。

こんな私の人生の中においても日本を除く21か国の人に写真展においでいただいたということを考えると、世界は大きく変化していることを感じます。
そうした事態に私たちの意識が、ことに政治の世界の考え方、行動がそれにふさわしく変化してきているのか・・・。

こうした人々の繋がりの広がりと深化を「戦争」で断ったり停滞させてはいけないと思います。
そういう責任が21世紀を生きる人間にはあると思います。
- 2019/06/30(日) 00:00:46|
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これまで何度か写真展をしてきました。
その時に感じていた事の一つは、見てくれた方々の(つまりは日本人のという事でしょうが)感想なり批評なりが何かモヤッとしているとないう事です。
その点で今回は違った経験をさせてもらいました。

この人もそうでしたが、かなりはっきりと評価を口にし、身振り手振りでも伝えようとしてくれます。
この人はトルコから来られている人ですが、台湾の人も中国の人もドイツの人もスペインの人もタイの人も・・・・。
親指を立てた両手をこちらに向けて「グーッ とても良かったよ。」と。

この人はロシア人の友人と来ていて、この会場近くではその友人をカメラに収めていたらしいのです(別のスタッフ談)
私はこの人が、とても丁寧に写真を見てくれて出入り口付近に来た時に満面の笑顔で「素晴らしかった!」と言ってくれたのがとてもうれしかったのです。
ミュージシャンたちの表情がよく撮れていると言ってくれている・・・・様に聞こえました。
私の聞き取り能力はかなり私に都合よく聞こえるものかもしれませんが。

それで、あなたたちを撮らせてくれないかといったのですが、ロシア人の青年はダメでした。
この人は「サングラスはどうしようか?」というので彼の優しそうな眼差しを撮るために「サングラスは外してくれないか。」とお願いして撮りました。
見てください。この優しそうで知的なまなざし。

私は中近東にいったことがありませんが旅慣れた友人によれば中近東は美人が山ほどいるとのこと。ですから男前だってたくさんいるわけです。

「いやあ、いいモデルだなあ。」と声をかけると少し、はにかんでポーズをとってくれました。
それで、「じゃあ サングラスをかけて。」
政情は安定しないかもしれないけれど、美男・美女を求めて中近東に行きたくなりました。
だってとても彼の性格が良くて紳士だったから。


ところで、今度の写真展でも「プロの写真家」と言われることが一度ならずありました。 例えば写真を撮って差し上げて「さすがにプロの写真家が撮る写真は違うなあ。」とも。
しかし、一方には私の写真を見て「おまえがプロだなんて片腹痛いわ!」とおしゃる方がおられるとは思います。
私自身は、全くの冗談で「プロが撮ると高いよ。」なんて言うことがありますが、公式に「プロ」だといったことはありません。
写真を生業にしてはいないのですから、プロじゃありません。技術だってプロというには恥ずかしいものです。
私が所属させていただいている「京都ファインダー倶楽部」は「文人」の余技として写真を撮る人の集まりですから・・・・ただ今度はそれはそれで、じゃあお前は「文人か」という、より一層大きな問題に直面してしまいますが・・・・・プロの写真家は参加させてもらえないのです。そこに加わっているということは私はプロじゃないという事です。ただ「どうも蒼樹はプロの写真家らしい。そういう人を何故参加させたままにしておくのか。」という疑念が一部に生じたこともありました。どうしてそういう誤解が生じるのか、私にはよくわからないのですが。
という訳で、私は写真のプロではないし、プロを目指してもいません。
最初の個展の時にお目にかかったプロの写真家さんが、「おまえはこれからどうするんだ。」というので「10年くらい後には『写真家』と言えるような写真を撮っていたい。」と言って叱られました。その人はつい3年くらい前に私の写真を見て「こんな写真を撮っているんならやめてしまえ。」とおっしゃっていましたが。
そんなわけで・・・・写真を楽しむうえでプロだとかそうでないだとかいうことは、まあ別にどうでもよいことなので、こんなことをいちいち弁明する必要もないのかもしれませんが・・・私はプロの写真家じゃないんです。
こういう弁明をしながら、まるでプロだねと言われていることを自慢しているんだろうと解釈される人が最近の世の中には多いし、余計なことは言わない方がいいとも思いましたが、どうも誤解させたままでは落ち着きが悪いので書きました。
- 2019/06/29(土) 00:00:37|
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写真展をするときに昼食をどう採るのかは毎度の悩みです。
グループ展ならお互いに替わりあって食事に出られます。
受付のボランティアの方がおられるのですが、その方たちにもなかなか食事をとっていただけません。
来場者がひきも切らずというのではないのですが。時に閑散とするような場合でもひょっとして今お客さんが来るのではという心理は個展をされた方に共通のものではないでしょうか。

ましてこの経堂内では飲食が禁止されていますので辛いところです。食事は遠くまで食べに出なければなりません。近くはお土産屋さんばかりですからね。
来場者は勿論のこと私たちもです。
お蔭で6日間の日程の終わりにはすっかり干からびてしまいました。

こうした個展の際のもう一つの悩みは・・・・写真が撮れないという事です。
それで何とか期間中にも写真が撮れるようにと「ポートレート撮影します。」ということにしたのです。
このイベントに対するサポーターさんたちのほかにも一般の方にも声をかけました。

ブログやフェイスブックに掲載できるかどうかも確かめます。
写真集掲載もOKをいただいた方があります。 ただそれは私の力がそこまでに及ばず実現することはまずなかなかないことですが。
それでこの方たちは公開させていただいているという訳なんですが、無論、撮らせてはいただけても公開は「NO」という方も幾人もおられるというわけです。

中国、台湾、タイ、トルコ、イラン、日本などの方が撮らせてくれました。
それは楽しい時間です。
次の11月の個展でもこれを実行してみようと思います。ただそのギャラリーの周囲にはよいロケーションがないのが悩む点ですが。
多分日本人以外では欧米の方の割合が多いと思います。

さて、この人に対しても、お友達の楽しい、からかいの声が浴びせられます。
この仲の良さが一人を撮っていても画面に溢れます。
その雰囲気、波に乗って撮ります。

決め!!
- 2019/06/28(金) 00:00:38|
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若いお友達が連れ立って旅行できるのはいいですねぇ。
私はゼミ旅行もなく、卒業旅行もなく、経済学会学生委員会という自治組織の勉強・総括合宿や全国ゼミに参加するために行ったきりでした。
それでも乗り合いバスの中で仲間がギターを弾き皆で歌った楽しい記憶はあります。

この5人の皆さんの着物選びにはそれぞれの好み・個性がよく出ていますね。
ちゃんと重ならないようにもなっています。
こういう個性の集まりだから楽しく仲良くお付き合いできるのでしょう。

この人は多分お一人でいたら、「写真を撮らせてくれませんか?」とこえをかけて、OKしていただけるかわからないですね。
周囲の仲間が盛り立てて、のせてくれているから撮れるのだろうと思います。
そこが友達の良いところでしょうねぇ。

この会場から離れるわけにもいかないので、ロケーションは皆同じです。
せめてこの裏手の木の緑にもう少し早く気が付いていれば、もう少しバリエーションを増やせたのに・・・。
何せ、写真展を開いているというだけでかなり気を使いますので、視野が狭くなっています。重要文化財の建物をお借りしているのですからね。

私の個人史的に言って「空前にして絶後」ということになりますね。 清水寺で個展などということはもう二度とないことです。
ある知人が「君の人生のハイライトだね。」と言ってくれましたが、まあ一つの節目にはなりますね。
ハイライトがこれ一つだと困りますから、次のハイライトを目指しましょう。 竹にたくさん節があるように。
梅雨入りはしたのですが幸い晴れ間が続きます。
空梅雨になるかもという話も聞きますが、その代わりに建物の外は暑いです。

髪飾りを入れるためにちょっと回っていただきました。
- 2019/06/27(木) 00:00:13|
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この経堂の中では写真撮影はご法度です。
それでここで撮ったのですが、この重要文化財の経堂は時々いろいろなイベントに使われて公開されるとは言っても、なかなかその機会にここに来るというわけにはいきませんから、ここで撮るのは幸運といえば幸運と言えるでしょう。

それにしてもここから見ていると着物姿の女性の多いこと。
その大半は中国女性ですが、欧米の人も着ています。
年がら年中これだけの率で着物姿の男女を見るなんてのは一部の観光地の現象でしょうね。

中国の人はそろそろそれでは飽き足らないのか「漢服」を着ている人を見かけます。
まるで時代劇から抜け出してきたような優美な服装です。
沢山の観光客のかなに目を引く人のなかで少なくないのが中国美人です。もしそれらの人が「漢服」を着て京都の街を歩き始めたら、・・・それはうれしいやら、戸惑うやら。
私は渓流の岸辺の竹林に漢服の女性が琴をひいたり、毛筆で字を書く状景を見てみたいです。ただそれはやはり中国南部の内陸がいいかなあ。

日本女性の中にもこの人のように帽子を被ったりして新たなファッションを楽しむ人が出てきています。
おじさんとしては驚き桃の木ですが、現代女性の感性なんでしょうねぇ。

やはりこうした仕草の中でその瞬間を撮るのがいいですね。

お友達が上手にのせています。
それでいろいろ魅力的な表情が出てきますので私もついシャッターを多く切るようになります。

すました表情、ポーズもいいですが、こういう写真も楽しいですね。
- 2019/06/26(水) 00:00:47|
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写真展最終日の私と一緒に写真に納まっていただいた方がその写真をアップしてくれました。初日の写真と比べるとなんとやつれていること。実際この6日間は昼食をほとんど採れませんでしたし、水分補給もままならずで、お腹だけを残してやせ細りました。
このイベントへの参加のチャンスを与えていただいた方々、直接間接にサポートしていただいたかたがた、清水寺さんには大いに感謝しているところです。
そして写真展に立ち寄ってくれた内外の方々にも改めてお礼を言いたいです。
ちなみに来場していただいた方の人数はおよそ380名ほどでした。
日本: 30.1%
中国・香港: 22.6% (香港のみでは2%)
台湾: 4.5%
韓国: 1.8%
U.S.A: 9.7%
東南アジアから 4.7%
ヨーロッパ諸国からはスペインから7名があったほかは1,2名ずつ。(ヨーロッパ諸国からの観光者は他のところにたくさんいっているようです。好みというか関心が東アジアの人たちとヨーロッパの人たちとでは違うのでしょう。)
韓国から7名、北朝鮮(この方たちは写真には全く興味が無くただただ仏像に手を合わせておられました。)からは5名。この数字からすべてのことを言うことはできませんが、東アジアの平和、友好を実現していこうという時、悲しむべき数字として注目しなくてはならないことだと私は思います。香港が8名で台湾が17名なのですから。
(もっともこの数字は私の写真展への来場者というバイアスがかかったものですから、ここからあまり多くのことを引きだしてはいけませんね。)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
今回の個展では「ポートレートを撮りませんか?」と掲示して、何人かの方に会場外で撮らせていただきました。
これまでの写真展でも同じような経験がないわけではなかったのですが。

甲信越地方から楽しい5人連れの若い女性が来ていて経堂前で自撮りしていました。私が近くに立っていると「このカメラで撮ってくれませんか?」とコンパクトデジカメを手渡されました。「僕はプロだから料金が高いよ。」といいますと、

・・・・当然冗談だと受け止めて、勿論冗談なのですが・・・・「じゃあ500円。」という声がかかって、撮りました。それで、「実は、今この建物で僕の写真展をしているんだけど見ていかない?」とお誘いすると「本当のプロに撮ってもらたんだ!」と言いながら笑いさんざめきながら経堂に入ってくれました。

そして写真を見ると「本当のプロなんだ!」と改めて驚いてくれて、その誤解をよいことに「こんなサービスもあるけど、どう?」とポートレート撮影をしてあげました。 無料撮影です。
撮影中お互いに笑わせたりからかったりしながら大いに笑い楽しんでくれたようです。

写真展に入る・・・・それは意外にハードルが高いらしいのです。というか、ほぼ無関心の人が多いように感じています。(この人たちから受けた印象ではありません。一般的にという話です。)
この辺りを行く人は皆、清水寺本堂を目指している拝観者≒観光客です。大概のひとたちはまっしぐらです。
タイトなスケジュールを組んでいるツァー客は寄り道などできません。 「修学旅行生」などは縛りがきつすぎて、自分で見つけた「好奇の対象」に向かうことなどまるで認められない学校が多数です。 (二つほどの班が見に入ってくれましたが。)
そして文化的な意識の問題もあります。

私の今回の写真展の経験から言えば韓国の人の来場がとても少なかったです。そして日本人。それは単純に人数を比較しているのではなくて、言葉の壁もなければ、外国に来ている不安もない。そういう中でも拝観者の中に見つけられる日本人の割合・・・印象ですが・・・・に比して少ないなあと感じるのです。目が合って「お入りになりませんか?」と手招きしても多くは「いやいや」という反応です。「写真展をしているのですが。普段は非公開の重要文化財が無料で見られますよ。」と言っても反応はあまり変わりません。

その点この人たちは実に楽しそうに入ってくれました。
そしてそれぞれの写真に反応してくれて・・・・。

ちょっと和服の時のポーズなども助言しながら・・・・・。そうすると他のメンバーから「いい感じ。可愛いよ」などと声がかかり、「その外野の声が一番いいね。それでいい写真が撮れるよ!」と。
私は気が付いていませんでしたが、経堂の前を行く観光客も大いに注目していたそうです。
- 2019/06/25(火) 00:00:09|
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私は写真を撮っている方に「あなたの写真はいいね。」と言われたことがあまりたくさんはありません。
逆に相当厳しい評価を受けたことはありました。
ただ、そもそも写真を撮っているような方に写真を見ていただいたことがあまり多くないことも事実です。
(それで、というわけではないですが、今年11月の半ばに写真を撮る人が良く出入りするギャラリーで写真展をすることにしました。ただ、それが主目的ではなくて、そこには海外の方がよく立ち寄られるからということと、この6月の写真展の作品を一回の写真展だけでお蔵入りさせるのはもったいないからというのが主たる理由なんですが。)

むしろ他ジャンルの、絵画や音楽、あるいは工芸の職人さんたちに見てもらうことが多いです。
そういう人がどういう感想を漏らしてくれるかの方が断然興味があるからです。

先日とあるところで写真雑誌をパラパラと見る機会がありました。とても優れた良い作品が寄せられていました。
井の中の蛙になる愚を犯してはならないなあとも思いました。

それでも写真を撮っている人たちよりほかのジャンルの人の評価が気になるのはそれなりに理由があると自分では思っているのです。
こう考えるのには、写真についての基本的な知識、技能がないことの裏返しの心理が背景にあるのかもしれません。
まあ、そういうことはあまりごにょごにょ考えても生産的ではないですから、とにかくもっともっとたくさん撮りたいと思います。
ようやく1年以上にわたって私の心を捉え続けてきた写真展が終わって解放されたのですから。

こういう魅力的な表情をお持ちの中高年男性と、若い素敵な女性たち・・・・それが当面のターゲットです。

この方にも快くご協力いただきました。ありがとうございました。
『私が撮る写真はこれです!』と言えるようになりたいですね。
- 2019/06/24(月) 00:00:57|
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この写真を撮った日は、搬入日が近づいて落ち着かないような、何やら妙に高揚感がないやら・・・。
体調を崩した後、ブログを休んだり、写真展準備があったりで、どうもペースが崩れたままなので、その回復のためにも外に出ることにしました。
外に出なければ「素敵な人たち」に会えないわけですから。

河原町通りに面して建つビル。その中はギャラリーです。
芸術関係ではかなり有名なマロニエというギャライーでお会いしました。
立体造形の作品を展示されていました。
この写真はよく撮れたと思います。が、もう少し引いて撮りたかったのです。でも背後の作品が、ぶつかりはしないかと気になって下がり切れませんでした。
人物写真は「生もの」です。

私はこうした抽象性の高いものは絵画同様なかなか理解できませんし、鑑賞力もありません。
ただ、幾何学的と見える造形の中になぜか人間の姿を感じて、いくらかユーモラスに、いくらか親しみを持ってみることができました。

世の評価を得て、今やこうした個展を東京ですれば、ほぼ全部の作品に買い手が付くのだと言います。
そこに至るまでの道が長かったから、これから大いに長生きをするつもりだとおっしゃいますが、写真に見るように実に若々しい風貌です。だからきっと、十分に作家生活を楽しむことが、お出来になるだろうと思います。

達成の度合いが大きく違うので、私ごときものが同じように言うのは実に僭越なんですが、これまで写真を撮ってきた積み重ねの上での写真活動を、これから大いに楽しみたいと思います。 それが第3次5カ年計画の目標です。

日本人は世界の中で極めて特別な存在かも知れないとおっしゃいます。
「人は『私たちは○○だ』といって『私は』とは言わない傾向がある。美術品を鑑賞し感想を抱き批評するときにも『私はこれがいいと思う。私はこういう感想を持った。私はこれが好きだから買う。』とはなかなか言わない。」
誰の弟子なのか(先生は誰なのか、卒業大学はどこか)、どんな公募団体に属してどんな賞を獲ったのか、・・・そしてこれから値が上がる?(これは私の補充です)というようなことで芸術作品を購入する人がとても多い。
この方の作品の多くが海外で好まれ引き取られていくとのことです。
なるほど京都のギャラリーでも海外の方がふらりと入って来て「これがいい。これが好き。」だと感じればその場でその作者の背景など何も聞かないで、買い求める姿をよく見ます。
「私が好きだと感じる。私が良い作品だと思う。」というものの考え方感じ方が確立しているのでしょうね。
後日、ご自身の個展会場が開かれる前にあの清水の急坂を上って拙写真展においでくださいました。
ありがとうございました。写真を見て少々落胆されたかもしれませんが。
- 2019/06/23(日) 00:00:03|
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最初の個展では様々なジャンルの方の写真を展示しました。
それが私の写真のスタイルだということで。
今回はミュージシャンが主でした。音楽が括りでしたから。 何だかひと山越えたような気分です。これからどうしましょう。

若い女性を対象とした「女性専科」でいきたいところですが、・・・・現実がそれを許さないでしょうね。
夢といいますか希望と現実は・・・・往々懸隔しているものです。

ところで、最近は若い女性がかなり本格的なカメラをもって意識的に被写体を探して街を歩く姿を見かけます。
年配の女性たちがリュックを担ぎ相当な望遠レンズを付けて鳥を撮ったり三脚を担いで花や景色を撮る姿はかなり前から見ていましたが。

一部の裕福な家庭のお嬢さんたちがピアノをしたりバイオリンをしていた時代を越えて、こうして楽器を持って音楽を楽しむのももっともっと広まってほしいですね。
写真の世界でもなんでも、もっと広く深く女性の活躍を見たいものです。


- 2019/06/22(土) 00:00:46|
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今日で写真展も終わりです。始まれば終る・・・というのは理ですが。
後半は雨続きでしたね。
いろいろ学ぶことがありました。収穫の多い写真展でした。 総括は今日が終わってからの事にしましょう。
お二人は大学生時代に同じサークル・軽音楽部の仲間だったそうです。

お一人は現在も京都在住で、もうお一人は紀伊半島の方からはるばる。
こういう熱意というか意欲というか、私にはないものですね。 はるばる来るもの友達に会えるというのが大きな楽しさの要因なのでしょうが、そこに音楽が入るとますます楽しい。

私自身はモバイル端末を持ちませんので、こういう場面では「録音してるんですか?」などと口走ってしまうのですが。
録音だと「ON」になっていると声がかけられませんので「こりゃ、チャンスはないかもしれないなあ。」なんて思っていたのですが。
少し前に白人男性が何やら声をかけて、彼女らに何かを教えてもらっていたのです。
楽器やはどこにあるのか・・という様な事かも。

学生時代はこの京都で音楽演奏をしていたのですから、そういう情報はばっちりでしょう。
その白人男性がその場をさて、いざまた演奏を再開という刹那、私は好機到来とばかりに声をかけたのです。
それで話を聞くと、先述したように遠方から来ているのですから貴重な練習というか、楽しみの時間を長く奪うわけにはいきません乃ので・・・・話を端折ろうかなとおもてちると、案外なことにフルセットで話を聞いてくれました。そして私のこれまでの写真も興味深く見てくれて。

そして撮影の許可もいただいたというわけです。
ここは四条大橋のすぐ近くです。
ですから橋の上から写真を撮る人がたくさんいて、この人たちも知らないうちにたくさん撮られているわけなんですが、斯くいう私も内外の人のカメラに随分おさまっていることでしょう。
こういう一瞬。
いいなあ。

向かって左手の人は学生時代にはベースを弾いていたんだそうです。
卒業後に「転向」して、「だからまだうまく弾けないんです。」とのことでした。

私などは「ベース」と言われるとベースギターの事ではなくて、すぐにコントラバス(ダブルベース)を思い浮かべてしまいます。
楽器ケースにキャリーケース。
こんな荷物をもって楽しみのために出かけてくる意欲。
私も是非持ちたいものです。
- 2019/06/21(金) 00:00:01|
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写真展をするのはいいのですが、その間、撮影に行かれないのが困ります。
ずっと「店番」ですからね。
それで10月の写真展も躊躇していたのです。良い季節ですし。ただ、写真のセレクトもプリントも終わっていて、展示するだけですから、そこが今までと違うところです。
その時には純粋に私の個展ですから好きなようにできます。
何なら会場で見つけた人に撮らせてもらうこともできるかもしれないですし、一緒に音楽会をしてもいいし。

譜面台にスマフォを置いています。
楽譜を見るにも歌詞を見るにも今やスマフォの時代です。
譜面に書き込みをするなんてことはもうしないのでしょうか。

文章では適切に表現できませんが、この人の声は個性的です。
ハスキーだとかというのではないのです。多分知人友人は彼女が歌っていれば姿が見えなくともすぐに確実に彼女だということがわかるでしょう。
こういうちょっと個性的な声をもった人が自分で作った歌を歌うと案外いいんじゃないかと思います。

私はこれでも?中学生時代・・・男声が足りないという理由で・・・・合唱部の顧問にスカウトされてひと夏だけの合唱部員でした。
もっともその時にスカウトされたのはスポーツ系のクラブで夏の大会の結果が出てしまったもので、声が出せそうな物数人駆り出されたわけですが。
ことに私の場合は、多分上手いとか声がきれいだとか、そんなことではなかったんじゃないかと思います。

それが良かったか悪かったか、そののちに一世を風靡したフォークの歌手たちの声の出し方、声の質、歌い方などにはよほどの違和感を感じて過ごしたというわけです。



そののち舞台で歌う機会があるたびにいつも必ず何かの失敗をしていましたので、あまりいい思いではありませんが、歌えるってことはいいことですね。
- 2019/06/20(木) 00:00:58|
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清水寺の写真展も、もう今日を含めてあと三日です。
2年前から「清水・清水」と言ってきましたが、それももうあとわずかです。
始まれば、もう終わったようなものだとよく言われますがその通りですね。
これが終わったら京都文化博物館でのグループ展が当面の目標ですが、今度の清水寺での写真展の写真で、11月に京都写真美術館というギャラリーでもう一度展示しようと思っています。
出費がかさみますが、・・・痛い!!とても痛い!!・・・この写真プリントに大枚をはたきましたから、これで終わってお蔵入りはあまりにもったいないと思って・・・。
準備中です。
楽器のことは詳しくないですが、これはエレキギターに属するんでしょうか。中にマイクが仕込まれているんでしょうかね。

男子学生は「ときどきこの辺りでやってるんです。」と言っていました。
この女子学生は「数か月前にやりました。」そうです。
私はこの辺りの怪しい徘徊おじさんですが、気が付きませんでしたね。
注意力が乏しいのでしょう。
まあこの辺りを通るって言っても「この場にいる」のは瞬時でしかありませんからね。
それが「交差して」お話しし、写真を撮ることになるということは、まあ、とても不思議な縁と言わねばなりません。
大事な貴重な瞬間です。

同じ「部活」の仲間やその知人が応援に来ています。
何だかいい関係を築いているようですね。
会期の半数以上の日に補助者のいない私の写真展とは大違いです。
すべて私の不徳の致すところです。

それにしても若者たちは物怖じしないですね。
何かにつけ物怖じしすぎな私からすると、ことにそう思います。
もっとも周囲はそう思っていないで、かなりの図々しさをもった人間だと思っているんでしょうが。

というようなことはさて置いて・・・・。
友人知人の応援は心強いことでしょう。
- 2019/06/19(水) 00:00:57|
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私が河川敷を自転車で走っていると、男性一人女性一人の学生を思しき人たちがマイクスタンドなどを取り出してセッティングしていました。
見かけない顔ですが、これから何かするのかな。

話しかけてみるとこれから順番にここでギターを弾きながら歌うのだそうです。
「聞いていかれませんか?」というので、「僕が聞くと写真を撮ることになるよ。それでもいい?」

「僕はいいですよ。」と言いながら他の二人の女性を振り返る。
お二人もOKのようです。
マイクやアンプのセッティングがほぼ終わると、今まで話していた男子学生が・・・・始めるのかなと思いきや・・・・「すみませんちょっと昼ご飯を買いに行きます。」とその場を離れてしまいました。
えっ?!今はもう午後の4時近いよ!

残されたお二人に聞くと、彼はどうやら昼頃にライブを一つやってきて昼食を摂る時間がなかったらしいのです。
それで、実際には女子学生の方が先に歌ったのですが、写真ではこの人が先。
周囲は土曜日とあって観光の人も多くてたくさんの人がこちらを振り返ります。
まだ設置されたばかりの床からもたくさんの人がこちらを見ています。注目されてますねぇ。

中高年カップルさんが「リクエストしていい?! サザンをやってくれる?」と声をかけました。
「僕の好きなやつでいいですか。」
いとしのエリーでした。

そのカップルはそれぞれに投げ銭していました。周囲からは「もう一曲!」などとも。
こういう場所でもパフォーマンスには議論もありましょうが、・・・・音はいやおうなしに耳に飛び込んできますから、せっかく京都の情緒を楽しもうと思っていたのに台無しだなどと・・・・・幸い、大方は好意的に見えました。
京都には・・・いや全般的に日本の町には市民的な広場があまりに少ない、と私は感じています。

いろいろなパフォーマーに聞くと「まだ京都はいいですよ。受け入れてくれる空気があるから。」と。
広場で市民が自由に交流する、自己表現をするという・・・そういう文化が乏しいなあと思います。

他の人のすることに不寛容というか非寛容というか、そういう気分がますます垂れこめてきていますし。
もう少し晴れやかで伸び伸びした文化空間を作らないといけないなあと思います。
- 2019/06/18(火) 00:00:25|
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この方もお久しぶりの方です。
今は関東で活躍されています。
ガラス器は皆、透明です。着色はしないで,、モノによってはただ線描がされています。

その削られた図柄が日に照らされると光となり陰となって、器の中に、そしてその置かれたテーブル面や壁面に映ります。
それが実像なのか陰なのか二重構造が面白いです。

別のお客さんがあったり、予定していた作業との関係があったりと、撮影させていただくタイミングが難しかったのですが。
ちょっと奥の部屋の展示を見て来て、その帰りにまた覗いて、もし、作業をしていたら撮らせてくださいね、と言い置いて、離れたりしました。

その途中でギャラリーのスタッフさんが私などのようなものに「意見を聞かせてくれませんか。」という様な事があって話し込んで戻ると・・・・。
「あっ、今、今日の予定を全部完了するところです。」
「・!・!・!??」

それで私があまり残念そうな顔をするので「じゃあ、これまでするつもりはなかったんですけど・・。」と言いながらもう一つ取り出してくれて、削りの作業を見せてくれました。
硬いものを無理に削るという感じは微塵もなくてまるで鉛筆か何かで軽く描いていく感じでした。
グラインダーを握る手にはかなり力は入っている様子なんですが。

色のついていない、透明な器は他の器やテーブルクロスやカーテンやそういうものとケンカしないで相性がいい、そんな風にお考えのようです。
私の理解がちょっと不正確かもしれませんが。

以前撮らせていただいたのが・・・・何年前でしたかね。
それでも覚えていてくださいました。
- 2019/06/17(月) 00:00:15|
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このギャラリーを引き継ぐ方がおられるようですから、それはうれしいことです。
どんなギャラリーになるのでしょうね。

以前私の写真展にお越しいただいたことがあります。
で、その会場には若い女性の写真も展示していましたので「写真を撮る人たちはどうして(女性を撮る場合は)若い人ばかりを撮るの?」
年を重ねた女性もとったらということを含めてよくおっしゃいます。

私もそのことが一つの疑問になっていますから、あれこれ答えてみても満足のいく答えは見いだせません。
30歳を越えた女性、さらには35歳を越えたくらいからの女性は撮影をお願いしてもお断りになる方が多いように思います。と言ってもそもそもその機会がごくわずかしかありませんが。

その点で京都の写真家、甲斐 扶佐義氏は大人な女性を撮って来られている感じで、その意識の持ち方について一度お話を伺いたいとは思っているのです。
もっとも彼の場合、お店に来たお客さんの写真というのも多いので、お酒の飲める大人な女性が多くなる傾向はそこから来ているのかもしれません。
甲斐さんとはFBでつながった一瞬があるのですが、一日の内でもあまりに度々記事をアップされるので、受け取るのが大変過ぎて、つながりを絶ってしまいました。

話がそれましたが、この問題は性(ジェンダー)をめぐる文化論から言ってもよく考える必要はあると思っています。
が、実はあまり深く考えないまま撮っているというのが実際でしょうか。

遠からず「おじさんシリーズ」を展示したいと思っていますが、その時に見ていただいた方たちがどのような反応をされるのか興味深いところです。
若い女性のコーナーも後半に作りたいと思っているのですが。
その時にはまたぜひ見に来てください。

う~ん、どうしようかなあ。
- 2019/06/16(日) 00:00:08|
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東山区神宮道三条上ル東側に「ぎゃらりー あーとぺーじ 唯心」というギャラリーがありました。
つい先ごろオーナーさんの「写真展」を最後に10年の歴史を閉じられることになりました。
「唯心ママ」と慕われたきたオーナーさんはこれから写真を撮りながら悠々自適に、かつ活発に活動されて行かれるのだそうです。

なかなか厳しい批評精神もお持ちで私などは気が弱いものですから、度々たじたじとして追い詰められていました。
その一方で、若い芸術系の学生さんたちにも慕われお茶目な一面も持つ方です。若い方がこうしたギャラリーで初めて展示をするときに懇切かつ厳しく育てておられる方でした。

ここを起点に羽ばたいていったイラストレーターなどもたくさんおられます。
私はここで多くの若い方の作品を見せていただき、脳みその攪拌をさせていただきました。

若い方たちの描くイラストの人物像が類型化して詰らないと思っていた私ですが、実は細かく区別され、作者の独自性が追求されていることがままありましたし、いわゆる「芸術的な絵」ではなくて、こうした新たな語彙と文法で若い世代が発言しているのだということを教えてもらいました。

ことに若い女性についてそういう事が言えると思いました。

あまり面と向かっての写真撮影は受けられない印象でしたが、今日はこのギャラリーの最後の週の記念だという口実でこうして撮らせていただいています。
もっともこのギャラリーのブログには意外にもオーナーさんのお写真はたくさんアップされていました。
多くがこのギャラリーを利用された方々の好意の現れの写真のようです。

10年というのは、長い歴史ですね。
私のこの写真ブログが8年と少しですから、まだまだ遠く及びません。

私の写真展も見に来ていただけるそうですから、又近々お会いはできるわけですが。
- 2019/06/15(土) 00:00:00|
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明日は清水寺経堂・写真展「音楽・人・人生」の搬入日です。
11:00から搬入しますが、ごく簡単な設置で終るはずですが、なかなかどうしてということになりそうな気配です。
私のようなものとしては「清水の舞台」から飛び降りるような心境で臨むことになるわけですが、こういう経験も得難いわけですから、大いに楽しもうと思います。
ただ、明日は一日中雨が降るようです。
そんなことをぶつぶつ言っている私のような小人からすると、この橋本関雪の白沙村荘で作品展をするなんて言うのは大変なことだあと思うのですが、そこが注目の若手、新進気鋭のこの書家にとってみれば登っていく高みへの一踊り場でしかないのでしょう。

池に浮かべられたこの作品は50メートルの和紙に書かれたものの一部なんだそうです。
多分期間中にいろいろと手直しされていくだろうと思います。
今度は布に書いてみようかなんておっしゃってもいました。
浮かべ方というか沈め方もどんどん改善されていくのではないかと思います。何しろ期間が一か月ですから。

私などはすぐに下世話な関心からここの美術館で個展をやると一体どれほどの経費がかかるんだろうと思うわけです。
多分彼の作品は・・・今日は価格が付けてなかったですが・・・高額で買い取られては行くのだろうと思いますが。
清水寺での個展のすぐ後の7,8月に「同じ作品で個展をしないか。会場費は半額にするけど、どうだ?」と、写真愛好家には比較的知られるあるギャラリーさんからお誘いをいただきました。
が、私などは今度の写真展での出費の影響が大きく、これからしばらくじっとしていないといけません。たとえ半額と言われてもできないのです。

そこが上田さんの様に作家として駆けあがっていこうとする人と、私のように登ってもいないのに転げ落ちていくものとの違いでしょうね。

上田さんとは倶楽部の写真展、「文人光画展」の開催中や「反省会」の時などに大いに語り合います。
年齢はずいぶん違いますが結構気が合います。
とても自由で、囚われない発想をされますし、実行力にも優れています。学ぶところ大です。

これは「V」サインをしているのでも「ピースサイン」をして写真を撮っているのでもなくて、お客さんとの会話の中で「2」を示しているのです。
上田さんが若い学生などからも年配の女性たちにも人気がある要因の一つはこの表情の豊かさだろうと私は思っています。
この点も私には欠けている部分だろうと思います。


今年のグループ展にはどんな作品を出してくるのか大いに興味あるところです。
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- 2019/06/14(金) 00:00:09|
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この日、私はおニューの自転車で銀閣寺付近まで出かけました。白沙村荘では書家の上田 普氏の作品展に行くためでした。
作品展は「墨韻生動」と命名されています。6月1日から30日までの長丁場です。
白沙村荘というのは「日本画家橋本関雪と、彼が大地に描いた理想郷」だと紹介されています。

入館料が素直に言っていささか高額なのです。それだけの価値があると考えるかどうかはその人の教養次第になるんでしょうか。
自分で言って自分に唾が返るような言い方でした。少なくとも私には「高すぎる」という感じです。

しかし、ここの評価はとても高いし、ここで個展をするというのはなかなかハードルが高いと思います。
「墨韻生動」というにふさわしい作品が並んでいます。
墨痕と言いますか墨跡と言いますか、その描く形にも華がありますが、何より注目したいのは、その墨痕の内部が胎動しているという点です。

上田さんのやることですからギャラリー会場という建物の中に閉じこもらないで外にあふれる作品があるのだろうとは予想していましたが予想は遥かに超えられていました。
白沙村荘の主人だった橋本関雪に対してリスペクトしながらも、その前でたじろがず、怖じず作品を展開する姿勢は・・・僭越ながら・・・天晴と思いました。

撮影の制限があって茶室と作品の響き合いを撮ることができなかったのは残念でした。
今どきの若手作家らしく「僕は撮ってもらってもいいんですが。そうして却ってSNSなどで広く知っていただけたらそのほうがありがたい・・・。」と。

フランスなど、海外に積極的に出て活動試作品を広く公開しています。
彼は私が参加させてもらっている「京都ファインダー倶楽部」のメンバーでもあり、ですから写真展にも独自の切り口の作品を出しています。

ジャズバンドにも参加するマルチタレントで、そのジャズ演奏ではハーモニカをやっています。
メガネは竹製である竹工芸の作家さんの作品です。
- 2019/06/13(木) 00:00:24|
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仕事は忙しいのだそうですが、ようやくやりがいも感じられるような仕事を任されるようになって、ちょっとこの頃元気なんだそうです。
大手や、外資系の企業での新人の扱いはなかなかすさまじく彼女たちの適応力、対応力には舌を巻きます。
私のように迂闊な人生選択をしてきたものには到底及びもつきません。

実を言えばこの人は私の写真展の日程を間違えて上洛日を予定してしまったのです。
私があまりに早く不確かな情報をこの人に与えたのが原因なのですが。
それで予約してしまった都合で今日ここにいるのです。

そこで門外不出の私の写真原案をA4プリント見てもらっています。
これが5月30日以降ならば、実際の全倍のプリントを見てもらえたのですが、それが残念です。
しかも慌てて家を出てきたために最終稿と取り違えて一段前の稿だという情けなさ。
雰囲気は感じてもらえただろうとは思うのです。
まるで研究用の資料を見るように食い入るようなまなざしで・・・。

こういうところにもこの人の稟質が現れます。
私がパシャリパシャリとしていることなど、今は念頭にありません。
ちょっとエピソードを紹介して・・・・。

一枚目が見えていますが、全倍のパネルに写真が複数で構成されています。大概は二枚か三枚です。
普通でしたら一枚の写真になるのでしょうが、組み写真風です。
ある日の早朝に半覚醒の頭で思いついたのです。

このアイディアが凶と出るか吉と出るか。
私自身は案外面白いなと思ってはいるのですが。
全ページを実に丹念に見てくれました。

またいつか京都に来た時に実物パネルを見てもらいましょう。
もっとも我が家の狭い部屋に並べたのではだいぶん窮屈なことになると思うのですが。
- 2019/06/12(水) 00:00:21|
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今度の写真展のためにプリントを依頼した会社で、そのプリントが大きくて大枚をはたいたことで、これは上客と思われたのかどうか・・。
せっかくの写真ですからうちのギャラリーで写真展をされませんかとお勧めいただいた。
プロも、「ハイ・アマチュア」もプリントをしてもらっている会社ですからそのスタッフに「写真展しませんか。」と言われれば悪い気はしません。
あまりひどければ勧めないでしょうからね。

でもどうやら暑くて皆さんが敬遠する時期にどうかということで、どうも穴埋めのための勧誘だったようです。半額にしますからともいっていただいて一瞬心が動いたのです。
実際この写真はお金がかかったということもありますから、このままお蔵入りはもったいないという心理もあります。が、何より写真の中身をお蔵入りさせたくないという気持ちはあるのです。
でも7月とか八月じゃなあ。今度の写真展に近すぎるし・・暑いし。

やっぱりグループ展で再掲するのがいいのでしょうか。そうするとせいぜい6枚くらいしか出せません。
まあ色々考えてみたいと思ってます。
この人に久しぶりに撮らせてもらい、近々また撮影できるかもしれませんので、他の2,3人の人の写真とともに出したいなあという気もありますしね。

というのも、そのグループでは私のような写真を出す人が他にいないし、どうもこういう若い女性の写真が軽く見られているのに対して天邪鬼精神が頭をもたげるのです。
多分そこでは今度清水寺で展示する写真の方がずっと支持されるんだろうと思うのです。
私の困った性格です。

ミュージシャンたちの写真も大いに気に入っているのは確かなんですが、この人やあの人の写真もまた大いに自慢したいのも正直なところなんです。


- 2019/06/11(火) 00:00:38|
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もはや・・・夏 きにけらし(夏きたるらし・・ですかね) ですね。
関西の梅雨入りは毎年早かったり遅かったりと定まりませんが傾向的には早まっているようです。ですが隔年現象としては今年はやや遅め?。
梅雨明けは年々遅くなっているので、傾向的には梅雨の期間は長くなっている。
でも梅雨だからと言って毎日毎日雨が降って、じめじめととばかりは限りません。「空梅雨」なんて言葉があります。今年はどうなることでしょう。
というのも、もうじき写真展ですからね。天候が気になるわけです。どうなんでしょう。
「さあ、どうでしょう。私に聞かれても。」
「なんだ、そっけないなあ。」

「お天気の花占いなんてあるのかしら・・。」

「まあ半分は雨が降ると覚悟しないとならないでしょうね。」

「植物にも動物にも雨は必要なんだし、半々ならいいとしなくちゃ。」
「雨が降るとね、お客さんが傘を・・濡れた傘を持ってくるだろ。傘立てのキャパを越えないかなあ。傘を間違えるトラブルが発生しないかなあ、まして濡れた傘を重文の建物に持ち込まれちゃ困るからなあ・・・なんてつい心配に。」

「空の様子を見ると・・・・大丈夫なんじゃないですか?」
「いや、気づかいのお言葉ありがとう。」

ショートカットの髪が似合うねぇ。

自分でも気にいってるの。

- 2019/06/10(月) 00:00:38|
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ある素敵な雰囲気の喫茶店やホテルのラウンジとかロビーとか・・・。
建物の意匠も内装も、置かれた椅子やテーブル、あるい飾られた絵画やオブジェも、庭の拵えも・・・。
ああいい空間だなあ、心が華やぐなあ、落ち着くなあ・・・などと感じることが時にありますよね。

そこに「美人」が現れるとたちまちそうしたロケーションがその美人によって色づけられ、その人を際立たせる背景になってしまう。あるいはその人によって一層その空間が生き生きと意味を持ち始める、そんなことがあります。
美人のところにいい男が入ってもいいのですが、そういう場合は私にはあまり興味がないだけの話です。

高校二年生のころに数人の友人たちと何度も美人について語り合ったものです。
そして「沈魚落雁」「閉月羞花」の美人を立たせて一幕の劇を作ることに口角泡をためたものでした。
あまりに不思議な存在。「美人」まあ佳人であっても麗人であってもいいんですが。
考えても考えてもあまりあるこの不思議な存在である美人。

「傾城傾国」というのも当の美人にではなくてその人を美人だととらえる男の側にその原因があるのだという事に気が付くのは遥か後の事。
司馬仲達がそういう美人の魔力ともいえる魅惑から自由なのは曹丕ぐらいのものだと言ったとか言わないとか・・。

立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿が百合の花・・・と美人は花にたとえられる。
中学生の時に美術の時間にクラスメートを写生する時間があった。私はクラスの女の子を描き、その子の横に花を添えた。
花とこの子とどちらが魅力的なのだろうかと・・・・言うまでもないことだ・・・が、言わねばわからない。

と、まあ無駄口を書きましたが、美人とは元来は男性を言う語であったとか。それで女性は「美女」。いまでは「美人」と言えば女性の事。
俳優と言えば男性、女は女優。アナウンサーは男性で女性はわざわざ女性アナ。
こういう話題に潜む男女感について・・・・せっかちにならない範囲で・・・・やはり反省をしたいものです。
(反省:自分の行いを顧みること)

そうしないと「なぜ若い女性ばかり撮るの?」という問いにはなかなか答えられそうにない。
- 2019/06/09(日) 00:00:44|
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この方の仏像を描いた油絵は、これまで幾度か見せていただいたことがあります。
実に気迫のこもった緊張感のある絵です。そして何よりデッサンに、狂いの無い絵を描かれます。

そのかたが「仏像の尊顔・自画像・家族の肖像」として作品を展示されていましたので、楽しみにギャラリーに足を踏み入れました。
30代40代などの年齢の節目に書かれた自画像にはその時々の野心や卑下、不安や気負いなどが現れていて、とても正直に書かれる方だなあと思いました。
対象に無心に没入するということを基本姿勢にされている感じです。

私が写真を撮らせてくださいとお願いすると、「何時も帽子をかぶっているから・・。」とキャプを被って自画像の方に行かれました。
カメラを向けながら、話しかけていると「あんたは不思議な、変わった人だなあ。」とおっしゃいます。
私が来る前にある水墨画家が来ていて、その人も風体から言動が相当風変わりなのですが、その方の話の流れで言われたのです。

私は凡庸で強い個性がないという自己認識なんですが、どうもそうではないようです。凡庸は凡庸でも「個性がないとか、ごく普通だというのは違うね。」
いつの間にか、こうして写真に撮られて、何度もシャッターを切られてしまう。おかしな空気の人だという事です。
まあ図々しさは多少強くなってきているかもしれません。

見事な仏像群、家族の肖像の生き生きしていること、自画像に真摯なこと・・・、こういう制作態度と手腕の方にそういわれると、ひょっとしたら私もどこか風変わりな人間なのかなと思えてきます。
清水の写真展には是非とも行くからねと言っていただきました。
- 2019/06/08(土) 00:00:39|
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7年間は長いのか短いのか。
おそらく十分に長いのだと思います。何に比してかということが問題ですが。
私がリタイアしてから8年と数か月が過ぎます。7年間はその多くをカバーする時間です。ですからこの人(とその同級生たち)との出会いの意味はリタイア後の私のほぼ全期間を覆っていると言えます。
7年余と言えば子供が小学校に入学して今や中学2年生という事です・・・・・う~ん、いろいろ考えちゃうなァ。

この撮影の日の一週間前に家人とここにきてバラを楽しみました。
この日にはもう花の勢いは衰えてあちこちではらはらと花びらを散らしています。
ここではわずか一週間の違いです。
「えっ?! バラ園ですか? 少し向こうにいって、こう回ったところにありますよ。」

昨年の9月の暴風で倒れた巨木が横たえられています。
もう一本の方では二人連れの若い女性が交互に写真を撮りあっています。
ちょっとポーズを工夫したりしています。私が振り返ってみるとそのポーズしている女性と目が合いました。照れくさそうに、しかし楽しそうに笑っています。いいですねぇ。

私たちの組み合わせは傍から見ればどう見えるんでしょうねぇ、と時々思います。
おじいちゃんと孫? う~ん。
あるユーチューブの動画を見ていて写真を撮る人が不審に思われないためには「写真を撮る人ですよ」ということがはっきりわかるような服装、格好も大事じゃないかというコメント記事を目にしました。
なるほどと思います。 私がカメラマン然とした格好をすれば、この人はその容貌から言ってもモデル然として見えて来て、そうか・・・となんとなく周囲の了解ができるかもしれません。
これまでもそういうことはありました。

今まではどちらかと言えば、撮られている人の容貌やスタイルがすてきなので、「ああ、そういう事か。」という様な事でしたが、私の方も多少の演出が必要かもしれません。
それらしい格好をして、人のイメージを操作して悪いことをする人が時々いますし、何だかいかにもの格好をすることに大いに抵抗感がありました。が、 ちょっと考えてみる価値はありそうです。
ただ、そうするとかえってこうして力を貸してくれる普通のお嬢さんたちにとっては何か大げさで気恥ずかしさが増してしまうかもしれないのですが。



- 2019/06/07(金) 00:20:08|
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私の目の前に「木村伊兵衛の眼」展のチラシがあります。そのチラシの写真は有名な「秋田おばこ」です。この「おばこ」のモデルは「実は農民ではなく、かと言ってプロのモデルでもなく、秋田在住の普通のお嬢さんだったとのこと」だそうです。その方はとても現代的な美人で、あまり農業にいそしんで、毎日のように土に触れているという感じのかたではありません。
ロベール・ドアノーにはこれまた有名な「パリ市庁舎前のキス」があります。 市庁舎前の雑踏でキスしあっている若い男女は、既に恋人同士だった若い演劇学校の学生カップルを使った演出でした。
だからどうだってことはないのですが・・・。

つい先ほどこの人が腰を下ろしていた石段を立ちあがり、足元に目をやりながらその石段を降りようとした刹那に、「これだ!!」と。この人の中に隠された「美人」の原石が、ここにあるよときらりと光ったのです。
「あっ! 待って。その表情!」
と、行ってももうそれを再現することはできません。
私の、ああでもない、こうだったかなを辛抱強く再現することに付き合ってくれたのですが。
それは単にアングルの具合だけの問題ではなくて、その時の気持ちの表現も含めた表情なので、二度と見ることはできないかもしれません。
でも私はよく言うのです。「まぐれもね、とにかくいそいそな条件がそろえば、そういうことができる潜在力をあなたはもっていることを証明したということだから、大いに自信にして研鑽するのがいい。」と。この美しさの原石をこの人が確実に持っていることを、「私だけが❓知っている。」のです。だって見てしまったんですから。

そんな私のたわごとに付き合ってくれる人は、実に「奇特な人」だと言わねばなりません。

こういう経験をすると・・・別に私だけがそういう経験をしているわけでは、勿論、ないのですが・・・・今度のグループ展では、又美しい人たちを並べてみようかなと思い始めるのです。
きれいな人を連れて来て、そこに立たせてシャッターを切れば、きれいな人の映った写真ができる・・・・というわけにはいかないのだということが、ますますわかってくるので、そうして撮れたよりましな写真を展示したくなるというわけです。
勿論それは「おじさんシリーズ」にだって言えることなんですが。

ちょっと休憩。
この人は、本当はあまり被写体になるのは得意じゃないんです。というかどちらかと言えば苦手なのだろうと思います。

だから、「美味しいもの食べさせてあげるからさあ。」とお願いしなくてはいけないのです。
と、そんなことを言えば怒られるに決まっています。
- 2019/06/06(木) 00:00:10|
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たった5人の教室にこの人はいたのです。
授業が終わるとカップに一杯の水を運んでくれるたのがこの人でした。黒板を拭いてくれる人もいましたから皆で役割を分担していたのかもしれません。
授業を終えて水を運んでくれる…日本ではそういうことはないですから、新鮮でした。

嬉しいことに、この教室で学んだ5人のうちの3人と今でも交流が続いています。
この人には少し前に会えるはずだったのですが、事情があってこの日になりました。元気な姿を見ることができるのはうれしいものです。

私がいつでも撮りたがっているのはずっと以前から知っていますから、「まあしょうがないなあ。」と思ってその都度付き合ってくれています。

この人は元来は運動好きで活発な人です。学校にいるころバレーボールをしていてひどい捻挫をしたのに、負けず嫌いも手伝って、すぐにコートにもどって怪我をひどくしてしまいました。
その時に私が宿舎から、冷凍しておいたハンバーグの種を持ってきて足首を冷やしてあげたのを恩にきてくれて・・・・かどうかは知りませんが、私の家族とも仲良くしてくれています。

まあ、そういう意味ではかなりプライベートな写真ではあるんですが、何とか「この一枚」を撮りたいものと挑戦しています。

こうしてみるとあの「聡明で可愛らしい少女」だった人が、こうして大人の女性に成長しているのが分かります。
一般的に言えば、私がこの人(や、この人の同級生たち)のお世話をする立場なんでしょうが、すっかり面倒を見てもらっています。
で、家人は良い人たちに出会って本当によかったわねぇと度々いうのです。
綺麗な人をきれいに撮る・・・なんて難しい、魅力的なことでしょう。
- 2019/06/05(水) 00:00:57|
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この人の背後に一人の女性が腰を下ろして聞いています。
その人にも声をかけて「耳を傾けている人」として撮らせてもらおうかなとも思ったのです。
ですが、このところどうも女性に声をかけるきかっけがつかみにくくて、撮影をさせてもらった人の男女比が54%強:46%弱にまで差が広がっています。 もうじきその差は10%にまで達してしまいます。(もっとも今や「男女比」などと言うものの考え方が適切かどうかは大いに考えなおしてみる必要があると思うのですが。)

音楽を目で聞くということについてある朝の半覚醒の中で考えました。
それは以前にも書いたことなんですが、絵画や造形物、あるいは写真でできることは何かを考えました。

まあ音は見えないわけですし、音楽は一瞬ではなくて時系列的に表現されますから、やはり根本的には難しいわけで、演奏をという範囲内の事かなとも思うのですが・・・。
まあそういうことを考える契機に「写真を撮る」はなるわけだということはありますね。
そういうことで世界についての二のぞき穴として、大いに楽しみたいところです。


私は鴨川で、こうしてとても贅沢な時間を持つことがあるのです。
非常に高いスキルの音楽を間近で聞かせてもらって、かつそれを撮らせてもらうのですから。
しかも、自由に周囲を歩かせてもらって、です。
- 2019/06/04(火) 00:00:42|
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今年の2月にも撮らせていただきました。その時はまだ寒かったですね。
その写真は拙ブログに3月25日にアップさせてもらいました。
あの時はもっと上流の出町柳だったと思います。 今日はそこから少し下流の橋の下です。
「今日は暑いので陽射しを避けたのです。」

実に上手に弾かれます。
今度8月に台湾に戻って演奏会に参加されるのだそうです。 琵琶協奏曲だそうです。
とても熱心に練習されているので、なかなか声をかけて撮影の許しを得ることができませんでしたが、ほんの少し息を整える瞬間にカメラをかざして「いいですか?」と。
それに頷いてくれました。
多分その時にはすでに以前撮影されたことがあるということは思い出してくれていたようです。

もうすっかり暗譜されているようなのですが「何度も練習しているうちに覚えてしまいました。」と何の気負いも自慢そうな気配もなく淡々とお話してくれました。
とにかくとても謙虚な人です。

私の写真展で、この人にもぜひ演奏していただきたかったです。
次の個展でしてくれるといいなあと・・・ひそかに思っています。
今度の写真展ではこの人の写真を出せませんでした。とても迫力のある写真になってそれと組む写真が見つからなかったのです。

他にも河川敷で橋梁の意壁に向かてtギターを弾く人の写真(これは構図と光とてもうまくいた写真だと自画自賛しているのですが)なども展示できません。単体ではよいのですが、たまたまこの時の組み合わせにはまらないのですね。
私がよく利用させてもらっているプリント店の支店長さんも、これはいいねぇと言ってくれましたが、難しいものです。

面板の傷み具合を見るとよほど熱心に練習をされているものと見えます。
- 2019/06/03(月) 00:00:01|
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清水寺での写真展が終わったら、またペースを戻して人を撮る活動を楽しんでいこうと思います。
今度の写真展では、これまで撮ってきた音楽関係のものをある意味で根こそぎ見直したので、それで、ちょっとテンションが回復しなくなったのかなとも思います。
分不相応な心理かもしれません。

ずっと依然、私は自分の写真のスタンスを「ドクキュメンタリー ポートレート」なんて言っていました。
そこからちょっとずれて来てはいたけれど、そこにはちょっと欲もあったし、いいかっこしいもあったように思う。
まあそれも悪くはない。
良くも悪くもこれまでの課程のその一つの現れが今度の写真展だったと思います。

まあ理屈をつけているうちは「撮りたい!」が膨らみ切っていないのかもしれませんが。
「踏み切れない」状態は、もう開き直って越えたらどうだとも幾人かから背中を押してももらうのだけれど、なかなかそういう風にはいかない。そこができるかどうかは今後の5年の様相を決めると思うのに。
こういういっぱしの写真家気取りみたいなことを言っているだけ那ところが歯がゆいと言えば歯がゆい。

しばらく使わないでおいたこのカメラの使い方が分からなくなっていた。
人に会って撮らせてもらう呼吸も忘れてしまわないうちに再開しないとまずいなあと思う。

心身のエネルギ-を相当必要とするこの活動を何時まで続けられるかは分からない。が、こういう撮り方を他にあまり例をたくさん見ないというだけの価値はあるだろうから、リタイア後の第三次5カ年計画段階までに、もう一皮むけたいものだと思っている。
そうやって大層に思い入れているような自分を経験するのもこれまた一つの人生だろうから。

次は京都ファインダー倶楽部の写真展がある。
でも正直言うと、次は5回目の(あるいは7回目かも知れないけれど)個展を目指したい。
10回は、やりたいから。
そのためにはそれを阻害する要因はなるたけ排するようにしたいと思っているし、それに向かうことには貪欲になりたいと思う、 今日この頃。
- 2019/06/02(日) 00:00:52|
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人を撮るための心理的熱がなかなか起こってこないのは、俗にいうスランプに陥っているという事でしょうか。スランプなどとは何か大物ぶっているようで身に沿わないですが。
そんな時期でもこんなに魅力的な人を見つければ、自転車を大きく転回して「撮らせてもらってもいいかなあ。」になります。

ギターは自己流だそうで、弦を押さえる指の形も「目コピー」なんだそうです。
「長渕剛が好きで・・・・。」

そして私の年恰好を見て「60年代、70年代のフォークも好きでよく歌うんだ。」と話してくれました。
なんでもお父さんの仕事を手伝う時に自動車の中でよく聞いたんだそうです。
随分年季の入ったギターです。

一枚目の写真を見ていただくとお分かりのように、かなり気合の入ったサングラスをしています。
髪はパンチパーマ?
でもサングラスを撮ると、実に人懐こい目をされています。
私はついこういう青年と話したくなります。

そして、写真のそのやさしさのある人懐こさを撮りたくなるのです。

私の人を撮る写真はそのようなものです。
- 2019/06/01(土) 00:00:41|
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