手前のファゴットの女性が若者たちから先生と呼ばれている人です。
特に木管の人たちはお世話になっているようです。
大変快活・おおらかでかつ心優しい人なので、撮影に来ませんかと私を誘ってくれます。

カラーにするとこんな感じです。
どうも情報量が多すぎるように感じます。

楽器の色が出ると、例えば木管や弦と金管との違いが出て、それはそれでいいものです。
ログハウスの木の暖かさも出ますしね。

私はこうした演奏会で幾度もファゴットの演奏を聞かせてもらってその音の深さを改めて知りました。

窓から自然光が入っていますが、部屋の灯りがさほど強くないので、どうしてもISOを上げねばなりません。
ボックス型の補助光があるといいのですが、そういうわけにはいきません。

それでこうして外光とスコアの反射光を受けてくれるのを待つしかないわけで。

ファゴットが学生に代り、クラリネットとオーボエが加わりました。
そして先ほどのファゴット奏者がピアノ担当に。先ほどの曲ではハープシコードの音に設定していました。
この人はファゴットだけでなくピアノを教えてもいるのです。
- 2019/04/30(火) 00:00:17|
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禍福は糾える縄の如しとはよく言ったものです。
昨年「音楽の祭日」企画として清水寺の西門で100人のトランペッターの演奏がありました(実際は122人でしたが)。
そのイベントの際に参加者やサポーターの皆さんへの記念にと立派な写真集を制作したのですが、その写真撮影を任されました。
それでその撮影の必要から、私の人物写真撮影には、まず要らないだろうというレンズ2本をやむを得ず購入しました。

痛い出費でした。
一本が20ミリの単焦点広角レンズ。もう一本が75-300ミリの望遠ズームレンズです。
しかし、いったん手に入れるとそのレンズがあることで、こう撮ってみよう、ああ撮ってみようという選択の幅が広がったのです。
大きな演奏会場では75-300ミリが、こうした狭い空間で多人数の時には20ミリの広角レンズが活躍してくれます。

多人数を同時に撮るのはなかなか至難の作業です。
皆が同じくらいいい表情をしてくれて構図も良く動作のバランスも良いなどなどの条件をすべて満たすのはなかなかに難しい。

難しくはありますが音楽演奏の場合は、その音楽の流れに沿って皆が協調しているのですから、その点ではチャンスをつかみやすいと思います。撮る側が音楽に造詣が深ければ・・・・。
そこが問題ですね。
で、私の場合は、仕方ないのでただただ音楽に身を任せて、流れの中で見逃さないようにするしかありません。
それでやはり立ち遅れたり勇み足になります。

職人さんたちを撮る場合にも同じですね。
ここに撮り手の個性や知性や技能が映し出されてしまいます。
ですから写真もまた自己像という面が必ずあります。 それが辛いところです。

京都グラフィエでいろいろな写真家たちの作品を見せてもらうとつくづくそんなことを思わされますね。

ここで演奏している人たちは3歳だ、5歳だという頃から音楽の演奏に親しんできていますし、個々にも先生について学んでいます。技量は相当なものですから、互いの調整はどんどん進んでいきます。
問題点の把握も速く、演奏の精度は見る見るうちに高まっていきます。
- 2019/04/29(月) 00:00:46|
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私はリタイア後にとても贅沢な時間を持つことができるようになりました。
と言っても私が主体的にその時間を作りだしているのではありません。まあ言ってみれば御相伴にあずかっているという事なのですが。

ある方のご自宅が湖岸の立派なログハウスなのですが、そこに演奏家を呼んで音楽に浸り、その後でワインパーティーをするのです。
少々の会費と持ち寄りの一本や一品で。
言うほど贅沢な食事ではないのですがそこに集まる方々がまさに多士済々ですので交歓が贅沢で楽しいのです。

それに演奏家たちは若手ですからとてもつらつとして彼らとの交流もまた楽しいのです。
そのうえ、私はこの企画の音楽家側の呼びかけ人であるファゴット奏者の厚意とログハウスのご主人の配慮で、毎回、リハーサルの写真を撮らせてもらっているのです。

リハ―サルは2時間余りみっちりとするのですが、その間、私はずっと撮り続けているのです。
こんな贅沢があるでしょうか。
これまで撮らせていただいた人たちからも好意的な反応が寄せられて、それで毎回のお誘いをいただけるわけですし、若い演奏家たちも受け入れてくれています。
演奏家には参加するとかっこいい写真がついているよということになっていて楽しみにもしていただいています。

今日の弦楽器演奏の若手たちは京大交響楽団の面々です。
その演奏力は・・将来音楽の道に進むの?と期待させるような人ばかりです。
皆さん当たり前にピアノも弾きますし、他の楽器もこなします。
この交響楽団はちょっと片手間に参加ということが許されないくらい密度の高い練習を積んでいます。

今日はいつもの木管楽器に加えてストリングスが参加です。
期待できますね。

オーボエの彼は若手たちにとって大先輩に当たりピアンの演奏家でもあり、作曲に編曲もします。
この会の演奏の度に彼がその時の楽器の編成に合わせてスコアを書いているのです。
実にマメで気が付き、よく体を動かして働く、他の人にやさしい好人物です。
- 2019/04/28(日) 00:00:45|
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京都グラフィエのサテライト会場の一つに「五条坂登り窯」跡があります。
昨年も会場になっていて複数の写真家の作品が展示されていました。
会場自身が迫力のある施設ですから、これと自身の写真作品をうまく組み合わせるのはなかなか大変だろうと思います。

窯跡なんですが、窯も残り、また焼かれた器などが所狭しと棚や床に積置かれ並んでいます。
土っぽい環境です。暗いですしね。
そんな会場に少し入ったところで、既に反対方向からぐるっと回ってきておられたこの方に遭遇しました。
何たるギャップ。 これがいいなあ!

この方が私に気付かずに、私が道を譲ったような格好になったのです。が、その刹那「すみません。」と。
私が写真を見にくくなったと思われたのでしょうね。
「いや、いいんですよ。どうせ写真ではなくて、あなたを見ていたのですから。」
いや確かにそれは本当の事なんですが、よくこんなことを平然と言えるようになったものだと我ながらこの8年間の修業を思うのでした。

私は父母の影響もあって、幾分かはファッションに関心があります。一方、京都の街中ではこれは自分をよく出しているなあというナイスファッションにお目にかかることが少ないのでなおさら目を奪われたと言うわけです。
後から聞くと、よく人から話しかけられるんだそうです。この帽子の所為で?

私もそのやじうま…他の皆様には失礼・・・の一人だというわけです。(私がそう言っているんですよ。)
東の方からやってきたこの方はファッション関係のお仕事についているんだそうです。
然もありなん。

何故か「横顔だけで…。」ということのようで正面を向いてはいただけません。
私もそう聞いて帽子が目深になった時を捉えて撮ります。
これもまた面白いじゃないですか。
この方も「いつの間にOKしたことになっているのかしらん。」と思われていたかもしれません。
それで改めてお願いの手続きの第一段階から順を追ってお話しています。
手抜きはいけません。

これまで私の「交渉」を受けたことのある方々には、「ああ、今はああいうことを言っているな。」と画面を見ればお分かりだろうと思います。
写真撮影を求められたことはあまりないんだとおっしゃっておられましたが、それはちょっとにわかには信じられませんね。
生まれは甲信越の方ですが、東のにぎやかな街に暫くおられたそうで、会話の返し方のオシャレな感じ、自立している感じは都会的だなあと感じました。

ようやくお顔が見られました。
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- 2019/04/27(土) 00:00:53|
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写真はASFHODELで開催されているVik Munizの写真展での撮影。
ここはRuinartという「世界最古のシャンパーニュ・メゾン」が後援しているので、そのシャンパンを試飲させていただける。
私は不幸にして自転車で回っていたので指をくわえて写真撮影で我慢しました。
ちょうどこの女性がカウンターのスタッフを撮影していたので「僕は飲む方の人を・・。」と声をおかけして。

私は普段の生活でこうした雰囲気の、これくらいの年齢の女性にお目にかかることはほとんどなくて、こういうイベントがあってこそだと思います。

私の個人的な感想からいえばこういう方たちは普段はどのあたりに「ご生息」されているのでしょうか、という感じです。
それで京都グラフィエを見て回っておられないとしても、少なくともこの会場に足を運ばれているのだから、おそらく社交性にとんだ方ではないかと予想して、ちょっと無作法に勇気を出して声をかけてみたわけです。

私の方はと言えばもう春だというのに黒のハイネックのくたびれたセーターに、まるで実用向きの上っ張り、それによれよれのジーパン。そこにもってきて見栄えのしない疲れたリュックサックを背にしているのです。
どう見ても同じ空間にいる感じではないのですが、まあこちらは写真を見に来ているのだから、まったくの場違い、お邪魔虫という訳でもないし。

それにしても振り返ってみると、各会場で目にするお客さんの多くは皆さんこざっぱりとしたオシャレな感じの服装でしたねぇ。
私みたいに自転車で走り回っているというような方もいないではありませんが・・。

そして何か高揚感がありますね。
イベントの醸し出す雰囲気でしょうか。写真作家さんは無論のことキュレーターさんも会場を設営した方も今こそ晴れ舞台ですからね。 関係者の高揚感がお客さんにも感染するのでしょうか。

街を京都グラフィエの印刷物を持って歩く人が目立ちますが、何か仲間感も持ちます。
「どちらへ行かれますか?それならもう少し行った右手ですよ。」
「どの展示場の作品が印象的でしたか?」などなどお互いに情報交換したり助け合ったり。
ことにサテライトの会場を見つけるのにはお互い苦労していますからね。

そして時々、こんな方にお目にかかることができるという訳です。
- 2019/04/26(金) 00:00:05|
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京都グラフィエのサテライト会場、「KG+」です。
河原町五条の程近いギャラリー・メインさんで写真展をされていました。
ここは二つの部屋それぞれで別の方が作品を展示されていますが、いずれも女性の方です。
こちらの会場はずいぶん照明を落としていて、外の光に慣れた目ではいると足元もややおぼつかないくらいです。
作者の「記憶にある景色」を表現しているようで、だからこそややあいまいなのです。

もう一つの部屋の方は、早々に見にきていますので、今日はこちら。
それで会場を覗くともうとても暗くて、作者の方の気配も感じません。
入り口で首を伸ばして頭だけ入れて左右を見たのですが、誰もいません・・・・と、実は左手の闇の中におられたようなのですが、この暗さに目が追いついていないのでまるで見えていなかったのです。でもこの人からすれば目は慣れているので、私が何やら不安気にして、入るかどうしようかと不審な動作をしている一部始終を見ていたはずです。・・・・、

それで一通り作品を見て会場を出ようとすると、なんとそこの薄暗い角の奥に、この人が静かに腰をかけていたというわけです。
一瞬ドキリとしました。だって誰もいないと思っていたのですから。
最初は一枚目の写真程度にかすかに見えたのです。
写真はカメラの感度を上げることができますから、肉眼ではそれと判然としないモノさえ私たちに見せてくれます。

肉眼では判然と見えないのですが、私はとっさにこの人は魅力的な人だと、そう判断をしたわけなんです。そしてそれは間違っていなかったのです。

モダン・コンテンポラリー・ダンスをされる一方で写真も撮られるという方です。
こういう方は大概、表現イメージがはっきりしていると思います。言語的にではなくて感性的にです。

私はこの京都グラフィエで何度も「素敵な人」に出会っています。
写真に関心を持つ知性・感性が身体に現れている、そういう素敵な人がいるはずだと、そういうあまり根拠があるとも思えない確信?をもって、写真鑑賞とともに、そういう人を探してもいます。

ここにもおられましたね。
- 2019/04/25(木) 00:00:54|
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同じ京都ファインダー倶楽部のメンバーが守山市で個展をしていました。
その方(Mさん)は倶楽部ではずっと先輩なうえに写真を素材にして独特な世界を作っている「アーティスト」です。
三十三間堂で有名な蓮華王院に作品を奉納し、それが参拝者たちの通路に常に飾られているという人です。
いろいろな写真集団、芸術家の集まりで活躍しています。
そのMさんが一目も、二目も置くといおうのがこの写真の方(Yさん)です。
肖像写真の世界では相当に有名な方だそうで、その技術と社会的貢献で叙勲されてもいます。
人物を撮ることにかけては・・・・という方ですから、このYさんが私たちの写真展に来られて、私の写真の前を通り過ぎるときなどちょっと緊張が走ります。
Mさんの作品が展示されるところには、よくYさんが来られるのです。
それで会場でお目にかかって、初めて歓談させていただきました。
「あなたの清水寺の写真展には必ず行くから。」と言っていただきました。
おじさんシリーズのために撮らせていただいたのですが、私の眼疾がひどくてピンボケばかりでした。
- 2019/04/24(水) 00:00:50|
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京都グラフィエの会場を巡っているときでした。
この時期、京都は春の観光シーズンですから多くの外国からのお客さんで賑わっているのですが・・・・。
ひときわ目を引く女性がいました。 それもお一人で。

ご自身でカメラを持っていて「自撮り」もされているのですが、なかなか思うように撮れなくて、通りがかりの他国からの観光客などに「撮ってくれませんか?」とお願いしています。
そのように頼んでも、2,3枚撮ってもらえばまたお一人になるので・・・。
それにしても抜群のプロポーションですし、顔立ちも美人です。

それで、「撮ってあげましょうか?」と声をかけて、やはり2,3枚撮ってあげたのです。
そしていつものように、「私のカメラで撮らせてもらえますか・」とお願いして・・・・。

85ミリのレンズでは画角が狭くて入りきらないのじゃないかという感覚でした。
撮った写真を見せてほしいということで、背面液晶画面で見てもらったのですが「、ああ、これがいい。これと同じように撮ってください。」と再びカメラを手渡されました。

そのカメラではかなり寄らないと同じようにはならないのですが、こんな初対面の方で、私の言葉も恐るべき片言英語ですから、なかなかそうもいきません。
多分、期待通りの写真にはなっていないと思います。
でも大層喜んでいただけました。
ここで2,3枚撮ってあげて、撮らせていただいてで、お別れするにはあまりにおしい方でしたが、それ以上お願いできないのが私のヘタレなところですね。
この美しい女性はインドネシアからおいでなんだそうです。
ひょっとしたらCAか何かかも知れませんね。 こんな旅慣れた服装で荷物もほとんど持っていませんし。
よし、インドネシアに行こう。
- 2019/04/23(火) 00:00:24|
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4/12-5/12まで「京都グラフィエ」が続きます。
中でアワードのファイナリストとして選ばれた人たちの作品が「元・醇風小学校」に展示されています。
西本願寺の裏手あたりですね。
藤元敬二さんは写真と絵とで参加していますが、それぞれが彼の内面の葛藤とそこからもがくようにして生み出されてきた世界観とが形象化されています。

会場は彼のアトリエを持ち込んだように雑然としていますし、この写真にあるように絵の制作中、それ自身もまた作品です。

写真は思想なんだなと言うことをこの人の作品からも強く感じます。
思想というとある傾向性をもったイデオロギーとか〇〇主義だとしか考えられない傾向が日本人の文化意識にあります。そのように思想を片付けてしまうことで一人一人の思想形成の弱さ曖昧さを生んでいると私は思っています。
そしてそれが芸術世界にも深刻に影響していて、写真ジャンルもまたその幣を免れていません。

作家性というのはそこにかかっていると私は思うのです。
そういう意味でこうしたイベントは多くの事を教えてくれますし、まさにそれを継承しようとしている世界の写真家たちの格闘を現前に見せてくれます。

ですから私はこのイベントを心待ちにしているのです。
イベントが誕生したばかりの頃にはがっかりするようなものもまま見られましたが、毎年レベルが上がっているように感じます。
ですから、ワクワク感一杯なのです。 今年はどうかな。

ここで藤元さんのような若い人と写真について世界について話ができるのはとても楽しいのです。
海外からの写真家も多く参加していますしね。私には言葉のハードルが高いのですが。

私の理解力、共感力を越えたというかはみ出した作品も実にたくさんあるのですが、それこそこうしたイベントの存在意義の一つですね。

このイベントでは毎回、「素敵な人たちと」で会えるのがうれしいのです。
- 2019/04/22(月) 00:00:23|
- 写真
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私が度々通る道なのですが
木屋町通り松原の公算角に見慣れない状景がありました。
閉じていたはずのおうちの入り口が広く開いて何やら展示されているのです。

どなたかが個展でもされているのだろうかと、道の反対側からしばらく観察すると・・・・。
どうもそれは「瓦」を展示しているようなんです。鬼瓦が見えます。

「えっ?! 瓦なの?」
「ええ、岐阜で瓦を作っているんですが、なかなか振るわなくて・・・。」

現在では瓦を葺かない建物が増えていますし、そもそもマンションなどの住む人が増えて戸建て住宅でもないケースが多いわけですから瓦の需要は減少する一方なわけで。
さすがにこんな大きな鬼瓦を一般住宅で使うこともないわけですが、これは寺院への売り込みと、趣味で求める人もいるだろうということで・・・。
和式の庭を作っているお宅では、その庭にこうした鬼瓦を設えるのも一つの手ですからね。

ここの瓦職人さんでは、仕事が順調な方もおられるでしょうが、その産業全体として右肩下がりが続いている事実は否めないわけで・・・。
京都の職人さんでもそうですが、何とか需要を増やそうと様々に工夫はするのですが、それがバラバラな個人の努力になっているのですね。
「それで、販路を開拓したり、販売戦略を練る専門の役割を担う人がいないといけないんじゃないかと。 それで私がその役割を担うことにしたのです。」

それで数人の職人さんの期待を担ってこうして展示販売を始めたのだそうです。
この人自身が瓦制作の職人なのですからなかなか思い切りましたね。

京都には寺社も多いし日本庭園を・・・・坪庭としてでも・・・持つ御宅も少なくないわけですし、そこに可能性はあるでしょう。
でもそこに食い込むためには、既に京都の職人さんが築いているネットワークに食い込んでいかねばなりませんね。それはなかなか難しい挑戦になるでしょう。
京都の要求は高いですしね。

他方、町屋はどんどん減っているし、代わりに立っている民泊では瓦ではない新しい屋根建材が目立ちます。
目につくところには軒丸がわらなどで飾っていますが。
それでストラップの飾りなども工夫しています。
この鬼瓦の制作者は、相当な腕前の方のようですね。 ご高齢の方だそうです。
そういう方もこの人に期待しているのでしょう。 というか、こういう活動にご自身お優れて制作物を提供されることで励まし支援しているのでしょう。

手作り市などにも出して、マーケットリサーチをしてみたらというようなお話もしてみました。
写真にはありませんが、よくできた鍾馗さんも飾られていました。
関心を呼ぶといいですね。
- 2019/04/21(日) 00:00:04|
- モノづくり
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今現在…4月13日から・・・「京都グラフィエ」が続いています。
内外の既に評価の高い方、新人などなどが街のあちこちで写真展を開いています。
有料の会場もあれば、多くの無料会場もあります。
そのそれぞれが思いと、思想のある写真になっています。

普段、京都のこの狭い地域でですが見せていただいている多くの写真とははっきりと一線を画しています。
実に刺激的で、私は地図を待縦に街のあちこちをうろうろして、可能な会場ではあちこちで写真家たちやスタッフたちと話をします。
実に楽しくも刺激的な期間なのです。それが5月の12日まで続きます。

普段、私を含めた趣味の写真愛好家たちや時にはJPS会員の方たちの写真を見せていただきますが、そのほとんど、こうして京都グラフィエで見せていただくものとは違います。
趣味の人たちのものは仕方がないとしてもプロの写真家さんたちの作品にしても無内容だなあと思うものが少なくありません。
それがこうした写真展の作品を見ると実に鮮やかに感じられます。

様々な国から参加されていますから、その温度はとても高いのです。
これなら写真はやりがいがあるなあと思います。そう思わせてくれます。
この京都グラフィエも初めのころは「こういう写真で参加するということ、またこの作品を推す人や事務所がある」ということに疑問を感じるモノが無くはありませんでした。

が、やはり継続が質を高めているという感じを受けます。
中に、やはりとても良いものがあると、それが刺激になって翌年の作品の水準を上げていく、そんな感じがします。
かなり実験的なモノや挑戦的なものがありますしね。
何より問題意識が尖っています。

現在は写真人口は多いし、またこの写真展に関心を持ち有料で見る人も決して少なくありません。
ですから、表現としての写真に関心を持つ人は決して少なくはないと思います。
なのにどうして趣味の写真の世界がこんなに貧相なのか、大いに考える必要があると思います。
この京都グラフィエにはいろいろ運営についても批判はあるようですが、日本の写真文化の向上のためにもますます盛んになっ欲しいなあと思っています。
- 2019/04/20(土) 00:00:51|
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この人には2,3年前にお会いして撮らせていただいたことがあります。
この人自身は覚えておられませんでしたが。
以前撮った時には白黒で撮りました。
大きな柳の木の下でしたでしょうか。

その木は昨年の強風の日に倒れてしまいました。
それでこちらにお引越しです。

もう18年も尺八を学んでいる方で、聞いていても実に滋味深い演奏をされます。
今日は「一休禅師の時代の曲です。」とのこと。
今、室町期の歴史についても研究を深めているのだそうです。

この時代の曲について教えてくれる先生は、既に他界されていて、その他の先生ももう東京にしかいないとおっしゃっていました。
尺八についてもいろいろな流派があるようですが、私は寡聞にしてそれを知りません。
私が参加させていただいている「京都ファインダー倶楽部」のメンバーにも尺八がとても巧みな人がおられますが、その方もある流派のトップクラスの人だと聞いたことがあります。
この場のすぐ脇では「ペタンク」をしています。
ペタンクに興じている人たちの中に長身の外国人男性が混じっていますが、その人は常連さんで、私がここを通るときはいつも、その仲間になっています。
この辺りは外国人がたくさん住んでいるのでしょうかね。
- 2019/04/19(金) 00:00:35|
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急に雲が広がりだし気温も下がり気味。これはひょっとしたら雨が降るかもしれません。
そうなったら外に干した洗濯物が・・・・。
それで急きょ帰宅することにしたのですが、・・・・・、ではどのコースで帰りましょう。

できるだけ近道で最短時間で帰るコース。ただしシャターチャンスはまず望めない。
ちょっと遠回りにはなるけれど、ひょっとしたらいい被写体を見つけることができるかも。その蓋然性は幾分かは高いコース。

シーツを出してあるしなあと・・・・雨に降られるリスクを思いながらも、やはり何か被写体を見つけられそうなコースをいこうと踵を返した直後、この人を見つけました。

この辺りには鳩、カラス、トンビ、カモなどが餌を求めてたむろします。
ハトは人間に近く、カラスはそれを取り巻いて横取りのチャンスを窺いトンビは上空に高く旋回して時に急降下して餌をさらいます。これが危ない。

まあ、いずれにしてもこうした鳥たちに餌をあげてはいけないのですが・・・・・・。
ネットをかぶせないで生ゴミを入れたゴミ袋を路上に出せば餌やりをしているのと変わらないのですが、そこは話しを区別して。
「こんな風にして餌を上げれば手の上にのって止まるよ。」

私が被写体をお願いしているある人はとてものハトが嫌いで、苦手で、その姿を見ると激しく反応して眉を曇らせ逃げてしまいます。
私の孫も同じです。
でもこの人はそうではないようです。


- 2019/04/18(木) 00:00:58|
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この日に観光に来ることができた人は幸運でしたね。
風もなく穏やかで明るく温かい天候で、そして桜はまさに勢いのある満開。

気分もウキウキしてきますよね。
観光の外国人を観察していると中国系の人たちと欧米の人たちとは尋ねる場所が微妙に違うような気がします。
趣味と情報の違いでしょうか。その辺の違いが出てくるのはどうしてか興味あるところです。

新元号「令和」は万葉集から引かれたと言いますが、その万葉集の記事自体が中国古典からほとんどそのまま引かれたものですから、私たち日本の文化と中国のそれとは・・・それを歓迎するかどうかは人それぞれですが…分かちがたく、深く深くつながり重なっています。
安倍氏は「日本の古典から」引いたということを言って、何か日本文化の中国に比しても優れていることを強調しようとして無理な説明をしているようです。が、それは文字通り無理というもので、この万葉集を持ち出せば、一層中国文化から学び吸収したんだという事、まだこの時期は中国の古典をほとんどそのまま下敷きにしてさえいたんだということを私たちは率直に認めなくてはなりません。
こんなところに変な偏狭な民族主義を発揮すべきではないのです。

第一「令」「和」を取り出した万葉集の文章の中で「花」と言えば、中国でと同じように「梅」の花の事で「決して「桜」のそれではないことは、政府自身が紹介する文章で明らかです。 桜が注目されるのは平安期だとされています。
そういうことは素直に認めたらいいのであって、そうしないと、いわゆる「国風文化」が盛んになっていた時代にも日本は中国大陸とも韓半島とも豊かに交易、通行をし、文化的にも影響を受け続けていたことを、無理やり無視することになります。
「鎖国(海禁政策)」と言われた江戸期でさえ、中国、朝鮮から文物が移入され、知識人の交流があったのですから。
そう言うことを無理に軽視しようとすると史実を誤ることになりますし、そんな風に偏波に歴史を修正してみても何の意味もありません。
学び吸収し、さらに独自の文化も生み出したことを卑下する必要は全くないのです。

さて、しかし、現代日本のいたるところに桜が植えられ、ことに学校の庭に桜を見ることができるのは、明治政府による国策の結果でもあって、決して然まで伝統的な景観ではないのです。

天皇の終身即位(これは平成天皇によって現に否定されましたね。)、一世一元、女帝の禁止なども決して古代からの伝統ではないのです。
けれど、政府はそういうことを「伝統」「日本らしさ」という曖昧な言葉に包み込んで国民に疑問を抱かせないようにしています。

桜の下でリュートを奏で、それに耳を楽しませる。
こういう豊かさを偏狭なナショナリズムが押しつぶすことにないようにしたいものです。

ヨーロッパの人たちが、ヨーロッパ文化・音楽を理解しないアジア人にリュートが弾けるモノか、などという視線を、私は感じませんでした。
- 2019/04/17(水) 00:00:44|
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久しぶりに桜の花の咲く、この人出の多い時に哲学の道を歩いてみました。
6,7割は海外の方でしょうか。ずいぶん賑わっています。
「お母さん、日本人はどこに行ったんでしょうね。」
そんな雑踏の中でリュートをつま弾いている方に出会いました。

24弦だそうです。
「古楽器」ですね。
室内楽に使われる楽器ですから、そして静かな時代、静かな部屋で弾かれる楽器で、聞く人も上品な人たちでしたでしょうから、音はあまり大きくできません。

ついアンプで増幅したくなるものでしょうが、こうして弾いています。

見ていますと欧米からの人たちは、この人を求めるとまだ音楽を聞いていないのに「投げ銭」をする人が少なくないのです。
音楽に対する、演奏者に対する敬意のある文化なんでしょうかね。
自分の故国の文化圏の楽器を弾いているという事に対する反応なんでしょうかね。 しかも現代楽器ではないですからね。

桜の花は、どちらかと言えば気を落ち着かせない、何かワクワクと高揚させる空気感を出しますが、こういう演奏も案外いいものです。
通りがかる人たちはお国にかかわらずカメラのレンズを向けているのですが、あまり声をかけて撮るという姿はないようです。
こういう場所で演奏しているということ自体その姿を公開しているのだから・・という了解があるのでしょうか。 そうかもしれません。
私はこうして撮った写真を公開することが前提でtぽりますので、やはり必ずお声掛けをします。

逆光なのですが、スコアがちょうどいいレフ板になってくれています。
- 2019/04/16(火) 00:00:19|
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満開の桜の花の下での楽しみはいろいろあるようです。
ここに集まる人はアマチュア仲間でも相当な実力者ぞろいのようです。

府外からおいでになる方もあって、今日は将棋盤は二つですが、三つをおいて対戦相手をつぎからつぎへと換えて行って総当たり戦にもなるんだそうです。

私が「覗かせてもらってもいいですか?」とお訊ねすると「相当やるんですね?」というお答え。
いえ私の場合は小学生の頃に父親から駒の動かし方を教えてもらって以後、そのまま化石になってしまったというパターンです。
ですから形勢も分かりません。

日差しが注ぐ頃はいいのですが、少し傾いて影が伸びると、やはり少し肌寒くなります。
そこは燃料を補給して・・・・。

「桜は咲くし、酔いは回るし、いい感じですわ…。」などとおっしゃいますが、将棋を指す表情はとてもそんなに緩いものではありません。
あまり長考はされませんので早指しの約束なのかもしれません。

月に何度かここで指すのだそうですが、三々五々対戦者が集まってくるのだそうです。
梁山泊のような場所なんですかね。
向こうにもう一か所将棋打盤があり「やあとても強くてどうにもならんよ。交代交替。」と言ってお一人の方が来られました。
それで将棋は途中なんですが、取りやめてお一人がこちらに回りました。
こちらの後ろ向きのお年寄りが素晴らしく強いお方だそうで、この方をあまり手空きにしないようにして対戦しているようです。
続きを読む
- 2019/04/15(月) 00:00:02|
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色温度が低いのですがISOの設定は5400とかになっています。
AWでもあまりいい感じでは撮れないし・・・。

数年前まではどこに行っても何を撮るにも、このα900にミノルタの28-70mm、2.8通しのレンズでした。 いいレンズなんです。
それで何も不満はなかったのです。
でもこのレンズが重くて大きいということがだんだん堪えるようになってきて・・・。

しかも、屋内で証明が制限される環境で、しかもストロボは使いたくないということが出てくると、この組み合わせでは、う~ん、苦しいなあということが増えてきました。

それでフジのX100Fやα99に単焦点レンズ(最近はミノルタの85ミリ、1.4)という組み合わせが増えました。
そんなわけでα900の使い方を忘れるようになってしまったのです。
いやはや困ったことです。

車に機材を積んでいける場合には、やはり相変わらずα900を使いたいとかツァイスの85ミルを使いたいとかという気持ちが出るのですが、カメラバックを担いで半日歩くということになると・・・・。
年はとりたくないものです。
こういう後ろにさがれない場所とか、背景の桜を取り入れたいなどという時にはあの28-70は便利なんですがね。

これから「みたらし団子のおいしいお店に行く」のだそうです。
- 2019/04/14(日) 00:00:09|
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京都市内に桜が咲くと一挙に人が溢れます。
そして最近は着物姿の女性がとても多くなりました。

このお二人を見て外国からのお客さんが撮りたそうにしていました。
たまたま近くにいた私の顔を見て「撮っていいのかなあ?」という表情でした。
それで「君たちを撮りたがっているよ。」と話しかけてみたのですが、肝心のその外国人男性は同行の人たちに促されて残念そうに、向こうに行ってしまいました。
まるで何時かの私を見るようです。

それで、というと少々こじつけですが、彼の残念な思いを私が晴らしました。
今のこの近くのお店で着物に着替えて来たばかりなんだそうです。

それで、普段こんな写真を撮っているんだけどと何枚かの写真を見てもらって、初めのうち戸惑っていましたが、OKが出ました。
私は基本的には説得はしません。ただ説明を聞いてもらえるかどうかを確かめて、押しつけにならないように話します。

初めのうち戸惑っていたと書きましたが、撮り始めても、どうしたらいいんだろうと戸惑い続けます。
それは至極当然の反応なので、「どうしたらいいのかわからないよね。」

今日持ち出したのは久しぶりのα900です。
不思議なことに使い方をすっかり忘れていました。以前は、とにかくこのα900に戻れば大丈夫、という感じだったのにです。
いろいろな点で「怠け」というかカメラ頼りが進んでしまっていて、これはまずい!!という感じです。
最近目の調子が悪いことも重なって苦戦しています。
- 2019/04/13(土) 00:00:11|
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いつものようにギャラリー巡りをしていて、三条の同時代ギャラリーに足を踏み入れた時です。
アッ、お見かけした顔だ、と思ったのですが、お仲間とお話をされていましたので、気づかないふりをして展示されている絵を見せていただいていました。

この方とは二つの接点がありまして、一つは私が参加させていただいている「京都ファインダー倶楽部」の大先輩として、また一つは京都の芸術家たちの団体であるアートカウンシルのメンバーとして。(後者は私は無論加わっていません。芸術家ではありませんので。)

暫くすると私に気付かれて背後から近付いてこられて言うのです。
「以前あなたに写真を撮ってもらってFBか何かで紹介してもらったら、その直後に数人が絵画展に来てくれた。それで今回も撮ってほしいんだけど・・・。」と。

撮らせていただけるのに、私に「否や」はないわけで・・・・。
まして倶楽部の大先輩ですから。

それで、私の方から少しだけ注文を出してちょっぴりポーズをとってもらいました。
えっ?!こんな風に撮るのと、いくらかは後悔されたかもしれません。

ファインダー倶楽部の定期展(「文人光画展」)の時には、ほんの立ち話くらいのことを幾度か交わしたことはあるのです。
ですが、今回はたまたまお客さんの切れ目だったこともあって、いくらか話を聞かせていただくことができました。
画家であることで肝要なことは技術ではなくて見識だと・・・私は常々思っているのです。、ただまあその見識を表現するスキルがないとそれは困るのですが。
若い作家たちは個性という名のトレンディ―にとらわれているように感じるときがあり、もう少し深く広く世の中と自然世界と人間を考察してほしいなあと感じることがあります。
その点この方はさすがなのです。

私の6月の写真展のご案内をお渡ししますと「是非見に行くよ。」とおっしゃてくれました。
渡しておいていうのもなんですが、こういう本格的な画家さんにわざわざあの急で長い坂を溢れかえるような観光客をかき分けて拙展においでいただくのは・・・というよりも、そもそも来ていただくことは実に何とも恐縮なんです。

「何を言ってるんだ、必ず行くよ。」
ありがとうございます。
- 2019/04/12(金) 00:00:54|
- 絵画
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この写真を見ていただくころには、もうソメイヨシノは花を散らしているでしょうね。
皆さんのお住まいの地ではいかがですか。 北海道では5月に桜でしょうか。
この日はまだまだほとんどの桜の蕾は固くて、かろうじて赤みがさしている頃です。

私が春の暖かさを先取りして撮ろうなんていうものですから、前開きのざっくりした服を着て来てくれました。
しかも、状況が良ければ上着は脱いでもらうかもしれないので、よろしく・・・・、なんて。
この日はとてもそんなことを言いだせるような日ではなくて、まさに寒の戻りの日でした。

でも「モデルをするんだから、大丈夫ですよ。」と・・・・決して寒さを感じさせません。
さすがですね。

でもそもそも私の方が、春の暖かさのあるロケーションで撮っていないのは、大問題ですね。
いっていることとやっていることが一致していません。

場所を移して。


- 2019/04/11(木) 00:00:43|
- 人物
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桜の花の咲くころは京都の観光客はがぜん増えます。
そして最近はこうして着物姿で観光する人がとても多くなって・・・・・・。
その過半は外国からの方ですしムスリムの女性もヒジャブを被って着物を楽しんでいます。
そして時々日本人女性も・・・。

私の人物写真を撮るスタンスから言えば今日の写真は少々異質ですね。
私は桜が咲いた、モミジが色づいたと言って写真を撮るのを潔しとしないひねくれ者なのですが、そこに三人の着物姿の女性たちを見つけて、この状況はいいなあと、カメラを取り出しました。

高瀬川には桜並木が続いています。その高瀬川をはさんだ向こう岸にその三人を見つけて、声をかけました。
着物姿の若い女性たちは殊に海外からのお客さんから大人気で、写真を撮っていいですかの声掛けの連続です。
着ている人が中国の人だったり韓国の人だったりしても「Oh! 着物ガール!」という感じなんでしょうかね。
(因みに言えば着物姿でも超絶美人を見たらそれは大概中国人(含む台湾人)女性です。あくまで個人的感想ですが。)

この人たちのいかにも楽しそうな雰囲気と春・桜咲くという状況とがマッチして、撮りたいなと思いました。
それに「プリント柄」然としたいかにもプアな着物ではないところが気に入りました。

これからどこに行こうか相談中なんでしょうか。
いつもの私ならば向こう岸に回っていって、もう一度どんな写真を撮っているかなどを話してカードを渡して・・・という『作法』を守るんですが、とにかくまあ写真を撮りたがる人が沢山いますし、一眼レフ(ミラーレスかもしれませんんが)を持って撮っているいる方たちもちらほら見えますので、やめておきました。
この心理はどういうものなんでしょうね。

一番最初の写真では三人ともこちらを見ています。声をかけた直後で「ポーズはどうしたらいいんですか?」と聞いてくれてカメラを意識してくれていたからです。
「そのままおしゃべりをしていてください。」とお願いしました。

私はお礼を言ってこの場を離れて、いつもの写真ギャラリーに写真展を見に行ったりしたのです。
そして、何を思ったか「円山公園の枝垂れ桜はどうなっているかなあ。」なんてことを思いついて、予定にもない行動をしたのです。人がすごいですから疲れるので「やめておこう。」というのがいつもの事なんですが。
それで円山公園をぐるっと回って帰ろうとするとなんとこの三人がおみくじを引き終わったところでお互いにのぞき込みながら「私小吉。どうしよう。」なんて言いあっていたのです。

それで「やあ、さっき高瀬川沿いで写真を撮らせてもらったね。偶然だね。」と声をかけたという訳でした。
こんな沢山の人での中でも、こういうことがあるものなのですね。
- 2019/04/10(水) 00:00:55|
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帰宅して写真を整理したのちに、セレクトしたモノをお送りしました。
するとお礼のメールがあり、その中でこのギターの方は、ご自身が写真関連のお仕事をされていることが描かれていました。
やや、しまったなあ。 こんな拙い写真を送って・・・。 でも、まあエチケットだし、お礼だし・・・大目に見ていただきましょう。

とてもきれいな声で歌われています。



演奏する人の背景を想像することもあります。
私がこうして写真を撮っているのもただカメラを構えてシャッターボタンを押しているというだけでない背景があるように、この方たちにも当然幾層もの背景があるのですから。
私が清水寺での写真展を「音楽・人・人生」とした理由の一つもそこにあります。

音楽演奏を撮るのはやはりとても楽しいのです。
- 2019/04/09(火) 00:00:15|
- 音楽
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写真展を見に行ったのです。
芦生の山などの森林を撮っている方の作品です。 芦生の山の中の小川の小さな河原で写真を撮りたいなあと思いながらなかなか実現できないので、それもあって見に行きました。
その写真展会場で音楽演奏のリハーサルをされていました。

どうやら写真の作者さんとこのメンバーのどなたかがお知り合いという縁での演奏のようです。
この山の緑に相応しい楽曲を演奏するようです。
会場は演奏にはあまり適さない構造ですから音量の調整やスピーカーの向きに苦労されていました。

お客さんがたくさん入り、ましてみなさんが立って聞かれると音が吸収されますので、やはりアンプは必要なんだろうと思いますが、この広さならマイク無し、アンプ無しの方が良いのdではないかなと思いながらいました。
お三人ともとてもお上手で声量もありましたし。

曲の切れ目の時に、咄嗟にカメラを見せて「撮ってもよろしいか。」と無言のお願い・・・。 OKのサインをいただきました。
私はやはり(写真は)見るより撮る方が好きです。
それでつい、こういう場面に遭遇すると撮りたい意識がムラムラと・・・・。

岐阜県関市からのお越しだそうです。
私は撮りながら、これはやはり困った事になったなあという思いでした。
というのも目が霞んでピントがつかめないのです。
おそらくは白内障の初期症状じゃないかと・・・・。

老化に伴ってほとんどの人が多かれ少なかれ白内障になるのだそうです。
私の横浜のほんの少し前に白内障のオペを受けたそうです。術後はとてもよく見えるようになったそうですので良かったのですが、私はどうなりますか。
とにかく写真を撮る上で視力が何と言っても肝要です。AFで結果的にピントが合っているというだけでは気持ちがよくないし、それにモニターに映し出した写真がはっきりしないでは出来不出来も判別することができません。第一見ていて楽しくないです。

それで、次はフルートの人を撮ろうと思っていたら状態が悪くなって撮ることができませんでした。
困ったことです。
だましだましのマニュアルフォーカスが難しくなります。
それでやはりAFに頼らざるを得ないことになりそうです。
- 2019/04/08(月) 00:00:03|
- 音楽
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中国からはたくさんの人が留学に来ています。最近は頭打ちなのかもしれませんが、どこの大学にも専門学校にも中国の若者がたくさんいます。
何も日本にばかり来ているわけではなくて欧米にも津波のように逝っていますから、中国国民の文化的知的力量は急速にアップするでしょうね。

この人は河北省から来ているのだそうで、「指物」を学んでいるのだそうです。
中国にはこうした分野を学ぶ高度な教育機関はないのだそうです。
多分まだ伝統的な師匠・弟子関係で学ぶんでしょうね。

「豆鉋」というんだそうです。
こんな風につまむんですね。
この人は今度3年生になるのですが、2年の課程を学んで帰国していった友人の卒業制作作品を教えてくれて懇切に説明をしてくれました。
デザインに中国風な味わい徳風がありました。 卒業制作作品なのですが、優秀だったので展示されているのです。
見事なものです。
この人が通っている伝統工芸大学校に学ぶ人の多くが2年で見事に腕を上げますが、それにしても…素晴らしい。

この人の先輩の中国人学生の作品も展示されていますが、これまた見事です。
この人は今年卒業制作なんですが「まだどういうものにしようか迷っているんです。2年では大きいものを作りましたから・・・、どうしましょう。」
卒業制作には大いに力が入ります。

今年度はうっかりして卒業制作展には来ていませんでしたが、この人たちの卒業制作展は見逃さないようにしたいものです。
「謝謝 再見。」
- 2019/04/07(日) 00:00:59|
- 工芸
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この近くに写真ギャラリー西利さんがあるので、そこで写真を見た後は大概の場合ぐるっと回ってここを通ります。
多くの観光の人たちがここを訪れますし、こうして着物姿の方がいるからです。
その多くは海外の方ですが日本人も2~3割くらいはいるのでしょうか。
その着物姿もこのような舞妓姿までという方はあまり多くはありません。

通りかかる観光の人が次々に声をかけて「写真撮っていいですか?」「一緒に撮ってもらっていいですか?」
それに応えていると前に進めないくらいです。
先ほどはスマフォでお互いに撮っていたのですが三人連れの若い男性が「撮ってあげましょう。」と声をかけていました。

スマフォを受け取って構えた若者はどうやらカメラマンかも知れません。たまたま通ったようですが。
そういう様子を見ているとどうやって撮るんだろうとかどういう話をするんだろうとついつい野次馬根性が働いてしまいます。

そこにレンタル自転車に乗った一群の外交人旅行者が来ました。
その先頭はどうもツアコンのようです。
その先頭の男性がすぐわきに自転車を止めてこのお二人を見ると大きな声で「きれいですねぇ!」
そして、「これは拍手ですよね?!」と自分も拍手しながら周囲を見回して拍手を促します。

それで私の顔を見ながらこういうのです。
「日本人は中途半端!もっとはっきりしましょう。」と。
つまりきれいだなと思ったらはっきりとした態度と表情で褒めましょう、そして写真を撮りたいならそれもはっきりとした態度と言葉でお願いしましょう、という事じゃないかと思いました。

それで私はすぐさま「それはその通りだ。良い勉強になりました。ありがとう。」と大きな声で応じました。
実はその直前に私はお二人に撮影をお許しいただいていたのですが、さらにすかさず大げさにカメラを構えて見せました。
まあ実際の話「もっと態度はっきりしろよな。」と自分でも思うことは再々ですので、このツアコン氏の言葉はズンと胸に響きました。

綺麗だなあ、魅力的だなあ、撮りたいなあ、そういう気持ちを正直に表現することが難しい心性はなかなか変わりません。


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- 2019/04/06(土) 00:00:53|
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卒業するものがあれば入学するものもある。
人々は人生のそれぞれの階段をそれぞれに上っていく。 何年ぶりの同窓会、何十年ぶりの同窓会、もう還暦だから集まろう・・・などなど。
その先には・・・・。

春が来て夏がいく、秋を楽しめば冬に震える・・・。そしてまた。
しかし、それは単なる繰り返しではなくてらせん階段のように上がっていく?降りていく?
3月のある日、近所の少し先輩になる方に「ようやく少し暖かくなりましたね。」というと「そうだなあ、又暑い日に苦しむことになるなあ。」というお返事。

私が中高生の頃大いに人気者だった歌手や俳優たちが「往年のスタ-」としてTV番組で紹介される。
ずっと年下だったはずのあの人やこの人も「え?! こんな中年のおじさんおばさんに?!」
いやはや全く困ったことだ。

おそらく多くの人がそういう感慨を抱きながら暮らした時期をもったのだろうと思う。
夭折した人もいれば突然の死に遭遇した人もいるのだから、こういう感慨にふけることができるのはある意味では幸せということになるのでしょう。

銀河系の太陽系の第3惑星上にほんの一瞬生を受けて時を過ごすことの不思議。
その地球の外皮の上で政治や芸術や自然や信頼や離反や・・・・様々な人事が展開されていく。
人の個人史からすれば長い一生であるかも知れないけれど、人ひとりの命は第3惑星が太陽の周りを数十回回る間の事だ。

その間に斯くも様々なことを見聞きし、行い、思い悩み、喜ぶことgはできる不思議と幸福。

アンモナイトは、ニシンは何を思い、何を煩って一生を終えたか。
若い人と接すると、ふとこういうことを思う。春の一日。
- 2019/04/05(金) 00:00:35|
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それで、私が「あなたの写真をこの人たちと一緒に撮りたいが・・・。」とその外国からのカメラウーマンにお願いすると・・・。
こういう対応も素敵ですねぇ。
日本にこんな笑顔を置いて行ってくれました。

この女性は着物に随分興味があるようで髪飾り、帯なども撮っていました。
足元も撮っていましたが、果たしてこの二人の履いていたのは足袋だったかどうか・・・・。
こういうポージングもこの女性が積極的に求めていました。
その都度その都度撮りたいイメージ、要求が明確なようでした。写真撮影の経験を積んでいるのでしょうね。

せっかく世界のいろいろなところから多くの人々に来ていただいているのですから、ただどれほどお金を落とすかだけに関心を持つのではなくて(経済効果ばかり計算していないで)大いに交流したいものです。
友好効果、相互理解効果向上を政策的に図るようでないと政府・自治体の名が泣きます。
一人一人の市民としても心したいところです。

カメラも楽器に負けない友好の道具にしたいものです。

さてお二人はこれから伏見稲荷へ・・・。
旅行を楽しんでください。

そして今私のe・メールアドレスを記録しているんです。
メールに添付して写真を送ります。
良い思い出に・・・。
- 2019/04/04(木) 00:00:28|
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この日はたまたま同志社女子大の卒業式の日でした。天候が良くて晴れやかな着物を着た女子大生がご両親などと門を出てきていました。
先ほど娘さんとお母様とご一緒に「自撮り」をされていて「撮っていただけますか?」と声をかけられて撮って差し上げました。
私のカメラで撮ってさし上げればよ方かなあとも思いつつ・・・。
そしてこのお二人はもうすでに関東の学校の卒業式を終えられて今や卒業旅行中なのだそうです。

やはりスマフォで自撮りしようとされていたので力をお貸ししようとしたところ、私のカメラに目を止めて「そのカメラで撮ってもらえると・・・。」ということになり・・・・。

着物を着てこの飛び石を渡るのはなかなか難しい。
でも、皆さんここに来た以上?は挑戦されますね。
「卒業」というのは感慨深いものがありますね。
式を終えて門を出れば、多くの仲間とは・・・・何年後に会えるのでしょうか。毎朝学校に行けば当たり前のように顔を合わせて他愛のないことを話していた仲間と、あすからはもう会わないのです。
サークルのボックスにも行きません。学食での食事もしません。

他のものは知りませんが、私などは卒業旅行などという言葉も知りませんでしたし、多分そんなお金もなかったと思います。
まあでも、学校で得た友人とこうして旅行に行くなんていいことだと思いますし、羨ましいことです。

そこに外国からのお客さんたちが・・・・「オーッ キモノガール。」というところでしょうか。
ちゃんと「あなたたちを撮りたいがいいか?。」と声をかけられていました。

「ほらっ こんな風に撮れたよ。」と。 いいですねぇ。こういう積極的な社交性が欲しいですねぇ。
私もイタリアでもドイツでも中国でも声をかけて撮りはしました。が、その行為に踏み切るまでその都度その都度なんと長い葛藤があったでしょうか。自分でも「やんなっちゃう!!」という感じでした。
言えば撮らせてくれるケースが圧倒的でしたのに・・・。

でも、その人たちにちゃんと写真を見せていなかったなあ。
こんな笑顔になってくれるのに。
- 2019/04/03(水) 00:00:16|
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日本人の多くは「和」が好きだ。何か一文字を色紙に書くような場合には10人のうちの数人は「和」を選ぶんじゃないかと想像する。
「和をもって貴しとなせ」という言葉もまた大いに人気がある。平和や人々の和やかな関係性を喜ぶ人が多いのはそれはそれとして歓迎したい。
ただ、そこから話を拡張して「日本人」は本来の性格として争いを好まないだとか平和志向なのだなどという大して根拠のなさそうな話をまことしやかにする人もいる。
・・・・某国策テレビの大河ドラマが扱う時代が戦国時代と江戸幕末期が断然多いことを見てもそう言えるのかどうか誰か研究してみてほしいものだが・・・・。
「和をもって貴しとなせ」には「無忤為宗(さかうることなきをむねとせよ)」が続くことを忘れている。いやおそらく意図的に落としている。それで「和の精神を説いた」などとあらぬ方向に解説するものが多い。「忤らう」とは何に対して誰に対してなのか。それまで蘇我氏をはじめとする大和などの有力豪族の連合体であった政権を、厩戸を含む一族が、その豪族の長を権力の中心に据えて他氏族を圧倒しようとする意図をもって大王政権に逆らうなといったところに「十七条憲法」の眼目がある。決して「みなさん仲良くしましょう。」と平和に述べているわけではない。「詔を承りては必ず謹め、君をば天とす、臣をば地とす」と切り離して読むのは、教育勅語を「一旦緩急あれば義勇公に奉じよ」と親を大切にしろ、兄弟仲良く、夫婦相和しを切り離すのと同じやり方だ。(十七条憲法が厩戸よって書かれたかどうか、西暦604年に書かれたものかどうかも、今ではほとんど疑われているが。)
何もここで十七条憲法を持ち出す必要はないかもしれない。
ただ単純に「和=やわらぐ、なごむ」でよいとしておいても良いのだろう。
しかし、「令」+「和」=????
「令」の意:⓵1、命じる。いいつける。法令を発布する。
2、よい。りっぱな。すぐれた。 ➁ しーむ
和することを命じる=「忤うことを禁ずる」????
=安倍独裁政治に従え?!?!?!
ちなみに書き付けておけば「和」の訓は「やわ-らぐ、やわ-らげる、なご-む、なご-やか」で「音」の「わ」は「呉」音だ。
「令」の「音」の「れい」は「漢」音だ。
中国古典から採るのは止めて日本の独自性を出したのだそうだ。「万葉集」は「万葉仮名」で書かれている。漢字の音を活用(借りて)して書かれているのだ。
幕末から明治の知識人の漢文学の素養は深く、外来語をその漢語教養を生かして「哲学」「社会」などなどとして日本語を更に豊かにした。
漢文学や漢語教養を外来文化だとして、それから区別した日本文化を強調し、中国からの渡来のものを日本らしくないとするのはかつて歩んだ苦い道と同じではないか。そのことは日本文化のやせ細りをも結果する。
そこをもって日本の独自性を強調したなどという「忖度」文化人の姿に愕然とする。「はじめは違和感を感じたが説明を聞いたら良いなと思うように」簡単になってしまう知識人たちがテレビで盛んにインタビューを受けている。
今、一部の人たちが「嫌中」(「嫌韓」)の風潮を強めている。まさにその時に安倍氏主導でこういう「日本化」をしたことについて、誰も訝しさを語らないのはなぜなのだろうか。
菅官房長の会見の時の記者たちはもはや批判的精神をマヒさせている。新元号が示される一瞬に固唾をのんでしまっているのだ。物事を相対化してみる精神を失いすっかり誰かの手の内で興奮している。
記者までが号外を奪い取りあう大衆と同じになってしまっている。
あぶない、あぶない。
日本は危ない。
私はそう思う。
- 2019/04/02(火) 08:00:14|
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どんな人にもインフェリオリティー・コンプレックスというものがあるようです。
本人が「○○ということが私の劣等感のもとになっている。」とか「この点は自分では自信がなくて、むしろ人には知られたくない。その点を注目されたくない。」などということはあるものです。
そして、それが存外他の人から見れば、「えっ?! それのどこが人より劣っているの。」「隠さなければいけないほどの事なの。」ということがあるものです。

子供のころに親や先生から言われたちょっとした言葉が、ずっと心に残って、あることがとてもコンプレックスになっていたりします。
人間の心理は複雑です。
まあ、しかし、人間はすべからく不完全ですし、そもそも完全なんてものは人間が勝手に生み出した理想、理念なんですから、そんなものと自分を引き比べては勝ち目はありません。 でもそれにしてもこの俺のこの姿は・・・とかまあ色々な思いに駆れるのは仕方のない心理です。
だって世の中の大半の人々にとって、無論この私にとっても、そこらあたりを見渡せば自分よりましな人であふれかえっているのですから。

この人にも私が思いもよらないコンプレックスがありました。
しかし、まさにそれを私は褒めていたのです。君の○○は素晴らしい、と。 実際、そうなんですから。
まあ、そんなものです。 皆さん、聞いたら驚きますよ。

そして、私は写真でそれを証明しているというわけです。

論より証拠ですからね。
この人は納得してくれたでしょうか。

この時期は花粉症の悩みを持つ人が多いですね。 私の娘も孫もかなり重症で、傍目に見ていても可哀想なくらいです。
そういう花粉が肌を刺激して肌荒れの原因にもなるんですねぇ。先ほどのコンプレックスとは別に「今日は調子が悪くてごめんなさい。」といっていました。
昨夏撮影をした時にはきれいな脚に「虫刺されがたくさんあって・・・。」と、アルバイト先にたくさん虫が出て、あちこちに赤い斑点が見えたのです。

この人はそういうことを無理に隠さない人なんです。 無論、避けられることはちゃんとケアして、よい状態で撮影の臨んでくれるのですが、だからといって「今日は撮影は無理」だなんて言わないのです。

いいんです、それで。 それでも君は美しい・・・なんてコピーはありませんでしたか。
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- 2019/04/02(火) 00:00:46|
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