撮影のための待ち合わせをしているところを友人が目撃して「あのおじさん誰? 大丈夫?」なんて話になったんだそうです。待ち合わせ場所が、同じ町の人がよく利用する公共交通機関の駅ですからなるほど誰かが見つけるわけです。
しかも、車に同乗して出かけましたから友達が心配するのも頷けますね。

SNSで「撮影させてもらえないか。」なんて言う誘いもあるんだそうで、この人自身も用心はしています。
もう何度撮らせてもらったでしょうか。 その写真の全部をお母様に見せているんだそうです。それで「あなたもう少し痩せなさいよ。」なんて言われたこともあるんだそうです。 私はあまり痩せてもらっても困るのですが。

確かに、現代のネット環境では危ないことは山ほどありますし、これからの世の中を安心して暮らすにはどうしたらいいんだろうかと、若い世代について大いに心配してしまう現状はありますね。
そんな中で私のような古い意識で行動すると思わぬハレーションを引き起こす危険性が無きにしも非ず・・です。

十分こころして活動しなくてはなりません。せっかくこの人のような若い人が力を貸してくれるのですから、そのことで不愉快なことが事が起こっては申し訳ないことですから。
私がこうして見知らぬ人に声をかけて写真を撮るということを始めたころ・・・・つまり、およそ8年前の事ですが・・・・あるマスコミ関係に働いていた若い友人が「止めたほうがいいですよ。リスクが大きいですから。」とたしなめてくれました。「多分、(何らかのトラブルが生じて)一年と続かないと思いますよ。」とも。
実際、世の中がこういうことを受け入れにくくなっているし、本人の思いとは別に撮る方、撮られる方いずれも危険にさらされることが少なくない。一方で現に不愉快な事件があちらこちらに起こっています。

そういう助言があったので、私はこれは是非実行し、続けていこうと思ったわけなんですね。
こういう世の空気を感じて人々が人とつながることに委縮したら、世の中はさらに危険になり、ざらざらした嫌なものになるという思いがあったからです。
私自身の中にも人間不信が黒い塊となって沈殿していたころですので、なおの事でした。以来8年間続けてきました。私が鈍感なので気づいていない「危ない事態」もあったのでしょう。
ですが沈没するような事態にはならず継続できていますので、これからも油断せず、注意深く、楽しく、人を信頼してこの活動を続けていこうと思います。これは、写真がうまいかまずいか以前の私の社会に対するメッセージであり社会とのかかわりですから。
そういう側面からこれを評価してくれる人は、ごくごく少ないのですが、まあそいうことはこちらから求めるものではないですしね。

少しでも人々の目に、心にとまる写真を撮れるようになっていけば、やがてはそのことでもっと多くの人々に出会って写真が撮れるようにもなるでしょうし、活動の意味に気付いてももらえる日も来るでしょう。そう期待して今年度も人を撮り続けたいと思います。
目標はずっとずっと遠いかなたです。
- 2019/04/01(月) 00:00:14|
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