今年度も今日でお終いですね。
明日からは四月。 多くの人の生活が変わります。 悲喜こもごもですね。
毎日が日曜日の私は、自ら生活に一里塚を作らないといけません。そんな私の生活にアクセントをつけてくれる人の一人、高階渚さん。

この人が年度の終わりの人、あすの初めの日に登場してくれるのも何か不思議な機縁に感じます。
お付き合いはもうじき丸2年になります。

この日は春が一時後退した寒い日でした。 天気予報では曇りか雨かという事でしたので、それに比べればまあ、ましだったんですが。
それでこの人は用心のために傘を持参しています。
たとえ寒い日になっても「春を先取りした」写真にしたいということで「薄着ですし首回りも大きく開いた服を着て来てくれました。ですから・・・・対照的に私はタートルネックの服にセーターを着て、さらに革の上着を着ています。・・・・我慢強く歩いてくれますが、多分かなり「寒い!」のです。

バックの受け渡しの時にお互いの指が瞬間触れましたが、「冷たい!」のです。
それで今は建物の中に避難しているわけです。
前回、無理をしてくれて翌日は「声が出ませんでした。」という訳で、それを繰り返すわけにはいきませんからね。

ここは以前一人で歩いた時に見つけて「いつか使いたいなあ。」と思って温めていたところです。
その時に「テナントの中を撮らなければ〔撮っても〕いいですよ。」ということを聞いていました。
そうやって声をかけて確認はしたものの、なかなか条件が整わないでそのままになっている場所がいくつかあります。
ぽつんと孤立した場所だと、コースの中に入れにくくて・・・・なんて言う事ですね。

この人のようにたっぷりと時間をとってくれると多少移動に時間をかけられますが、やはりどんどん撮りたいですからね。
- 2019/03/31(日) 01:00:05|
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京都造形大学には通信制過程があり、若い人もかなりの年配の人も学んでいる。 すでに絵を描く経験を積んだ人も、リタイアしたから絵を描けるようになて見たいと学ぶ人もおられる。
だから学んでいる間は異年齢の学友ができる。これがなかなか楽しくも意義があるようです。
それで、18か19かで入学した大学生活の時とは違った、なお濃厚な充実したお付き合いが生まれるようです。

その通信制を動機で卒業した人同士や、また先輩後輩同士でその後に『絵を描く』ことを共有したお付き合いが長く続くことが多いようです。
それは羨ましいつながりですね。

ギャラリー・マロニエの5階では陶芸の、この4階では絵画のグループ展がされていました。これは打ち合わせの上でそうしたわけではなく、たまたまこうなったのだそうです。
5階では以前もお会いしたことのある鬼束氏の作品にも触れてきたのです。
以前お会いした時にも写真を撮らせていただいたのですが、魅力的なお顔をしているのでまた撮らせていただいたのですが、他に女性4人の出品者もおいででしたので時間をかけてはいけない、お邪魔をしてはいけないというまともな神経が働いてしまって、どうも思うように撮れなくて終ってしまったのです。

そういう残念な心持を抱いて一つ階を降りてきたのです。それで一通り絵を見せていただいた後で、来ましたよの名前を書いて帰ろうと、この方おいでになったのです。
それで絵のお話を少しだけして、この残念な気持ちをつい口にして、しかも「今年に入って少しも女性が撮れないんです。」なんて実に不躾な、無遠慮なお話をしてしまったのです。
私が振り返った刹那な「この人はいい。」と直感したためです。

これくらいのお年頃の女性に撮らせていただく機会は本当に少ないですし、そのこともまた私が失礼を顧みない言葉を口にした原因でしょう。
それで、驚いたことに「ではどうしましょう。」と「突然ですし、こんなことを頼まれたことはないので戸惑います。」とおっしゃりながら、私を不憫に思ったのでしょう、カメラに収まってくれました。

このロケーション、このシチュエーションでは、どう撮りようもないわけなんですが、そこもご容赦いただいて撮らせていただきました。
年長者は大切にしなくてはいけないというお考えがあったのか福祉マインドの高い人であったのか・・・・改めて私がなぜ人を撮り続けるのかの理由の一つが確信できたというわけです。

播磨の国からおいでなんだそうですが、なんと清水寺にも見に来てくれるとおしゃってくれました。
他人に優しい方なんですねぇ。

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- 2019/03/30(土) 00:00:44|
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ここは琵琶湖の程近く、近江八幡です。
堀の水もぬるんできました。
この船に乗ればこの辺りの水郷を巡遊でるのかな。 先ほどから何艘か行きかっていました。
水上にあっても寒さに震えることはないのでしょう。

そんな日ですから、コートを脱いで撮りましょう。

船がいくのを背景に撮りたいからというような指示を言葉ではしません。
それは私がそういう気配になるとこの人が察知してほとんど遅れることなく態勢をとってくれるからです。
自分自身でも絵を想像してくれる人ですから、後ろを行く船の位置さえ頭に入れてくれます。

私の拙い意図などお見通しです。
そんなわけで実に心地よく撮れます。

大向こうをうならせるようなものを撮ろうとは思っていないのでなおさら気楽なわけです。
とにもかくにも私から見たこの人の魅力を撮りたいという、それだけなんですね。

それで、どこに、何に私が魅かれているのかをこの人は知っていますから、レンズの向け方や撮る位置のとり方から何をしたいかを感じ取って、それに応じてくれます。

そして一緒にモニター(背面液相画面)をのぞき込んで「どうだろう?」と検討するわけです。
こんな人とばかり撮っていると「初めまして」の人にどう指示を出したらよいかを忘れてしまいます。
- 2019/03/29(金) 00:00:40|
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この拙ブログも開設して間もなく、満8年となります。
こうして人物写真ばかりを撮ってきました。 撮らせていただいた方は1425名ほどになります。
私は大概、3年か4年するとどんなことについても興味の目先が変わって浮気する傾向が強い人間で、又、「熱しやすく冷めやすい」とは亡くなった母親が常に私を評していっていたことです。
その意味ではよく続いてきたなあと思います。
この間、あるプロ写真家さんには「こんな写真を撮っているのなら写真をやめたらどうだ。」と言われたり、ある審美眼をもたれる親切な方からは「入門、初級以下だよ。褒めてばかりじゃないきちんと辛口で評価する人の教えを受けたほうが良い。」と助言されたりしたこともありました。

まあ、しかし、この写真の活動が私の人生を前向きにし、いろいろな人との出会いを与えてくれて、さらに見たことのない世界を見せてくれているのですから、投げ出す理由は一つもないわけです。

写真も上手くなるに越したことはないのですし、私もそうなりたいとは思うのです。しかし、そもそもその『うまい写真』とか『良い写真』いうことがどういうことなのかが少しも分かっていない私としては、ただ楽しいことだから続けようというだけの事なのです。
これが20代30代ならば、話は違っていたでしょうし、違っていなければいけなかったのだとも思います。
私が仲間に入れていただいている写真の『倶楽部』の定期展の名前が「文人光画展」なのですが、・・・・自分を「文人」などとは到底言えませんが、しかし、・・・・そこにいささかの精神の共通を見ているのです。

これまで幾度も書いてきていますように今年の6月には清水寺の経堂をお借りして写真展をします。
これだけでも大したものだと思って「一喜一憂」の種にしていこうというのが私のやり方です。このブログの毎日のランクの上下と同じですね。
写真は目的だというだけではなくして、ある意味で手段ですし。
写真を若い女性を誘って食べ歩く口実にしているんじゃないかというご指摘もありますが、そういうことも無きにしも非ず…と言えるかもしれません。
この人などはそういう私の活動に、もう足かけ5年も力を貸してくれているのでして、実に有難いものと思います。

こういう聡明な人が特に嫌がりもせずにお付き合いしてくれていることが、何かをほんのり明かしてくれているとも思います。
それが何かはよく分かりませんが。

そういうわけですから「バカにつける薬はない」と思って温かく見守っていただければ幸甚と思う次第です。

第3次5カ年計画まであと2年です。
この2年間のうちに次の5年間のための基礎条件を作れるでしょうか。 楽しみです。
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- 2019/03/28(木) 00:00:30|
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伝統工芸師で叙勲もされている京仏具の木工彫刻師です。
とはいってもこの方は漆もされるし、生地も作られますからただの木工彫刻師ではありません。
工芸の最高峰は京都にあると見定めて南東北から京都に出てきたと言われる方です。
ずいぶん厳しい修業時代を経てこられたそうですが、地元でも彫の修業をしてきて「地方の彫は京都では通用しない。」と言われたことで一層発奮して向上に努めてきたのだと話されます。

工作の道具も自分で「鋼を探してきてグラインダーで削って自分で作る。」ことが多いのだそうで自宅に鉄鋼の工作機械もお持ちなんだそうです。しかもそれらの中には既に「動かない」からは遺品となったものを買い取ってきて自ら買い取ってきて、部品を取り換え磨いて再生したものもあるのだとか。
「小さいころからとにかくモノを作るのが好きだし、絵が描けたから、やってこられたんだね。」

下絵を描く時点でもう頭の中には三次元の像が浮かび、作業の手順と必要な道具を思い浮かべているのだそうです。
そしてありとあらゆる場面で、植物にしろ人の姿にしろ、観察しスケッチしているのだそうです。
とにかく事実を究明してリアルに把握することが大切だとおっしゃいます。

欄間にしろ仏壇の飾りにしろそこに描かれたレリーフ、透かし彫りの花鳥風月に嘘はないのです。

胸に下げられるようなペンダント場の仏像も作っておられましたが、こういうことをしていたんじゃもうかりはしないね。ただ好きだから作るんだ。
そういってお話しするときの表情はまるで子供が自分の宝ものを自慢するようなはつらつとした輝きがあります。

叙勲されたころは心身ともにとても不調な時だったそうです。それで仕事も長くは続かないかと思ったのだそうですが、叙勲を機会に、こうして認められたのだからと一層励むようになったのだそうで、今はとてもお元気に「好きなものを彫っているよ。」とのことでよいお仕事を選んで制作しておられるようです。

京人形師の方が「仕事が呼んでいる」時に仕事に向かうとおっしゃておられました。(先日の京人形市の御尊父談)
また最近は良い素材を使って高度な技能を発揮して創るような注文が少なくて、こういう仕事の水準を保つのが難しくなっているし、若い職人の成長を補償できないということをそれぞれの言い方でお話していました。
昔の資産家たちは良いものを作らせて収集するような文化力があった・・・・それで日本の文化を高めてきたわけですね・・・けれど今の金持ちはさらに増やすことしかしないし、金をバラまいて優越感に浸って喜んでいるような品の無い低劣な者が多いんじゃないかと危惧します。

低所得者層の文化的内容も貧弱になってきていますが、金持ちの低劣化はそれに輪をかけているのかなと思うことがあります。
- 2019/03/27(水) 00:00:00|
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京都木屋町通り仏光寺近くにありますギャラリー高瀬川四季AIRで京人形師木股博人氏が実演をしておられました。
この方は以前にも撮影させていただいたことがあるのです。
たまたま、この実演の前日の搬入の際に「やはりあなたでしたか。」と、久しぶりのご挨拶をしました。

実演前日にこのギャラリーでお目にかかっていたことと、ギャラリー・オーナー氏が「どうぞ、写真を撮ってください。」とご配力くださったこととで、すんなりカメラを取り出すことができました。
会場には博人市氏の御尊父も見えておられて、様々なお話を親しく聞かせていただくことができました。

このような立派な跡継ぎがあるのですが、ご尊父の目はかなり厳しくて、「まだまだです・・。つい色々言いたくなります。」と笑っておいででした。

ご尊父には撮影を固辞されてしまいましたが、博人氏はこれがこの日のご自身の役割だと心得ておられたためでしょう、快く撮らせていただけました。

この日、階上では和独楽の展示、お話しもあってお客さんも少なくないようです。

人形は新作の制作は勿論、幾代にもわたって受け継いできたという人形の修復もされています。
中世、近世から受け継がれてきている価値ある人形の修復には昔の職人の技が見えて大いに学ぶところがあり、また大事な仕事にたいして緊張、責任感を感じると言います。
別の日に京仏具の木彫の職人さんとお話をしましたが、やはり同じことをおっしゃっていました。

博人氏の御尊父とお話をしていて一つ大いに考えさせられたことがありました。

それは、代々受け継がれてきた人形をお持ちの方が、傷んだ人形の修理を依頼されるときに、その修復に全力を尽くしつつも、修繕なった人形を、これからもまた長く長く継承していく責任をその方やその後代の方に負わせることの重い意味です。

例えば「町屋を保存しましょう。」というのはたやすいけれど、維持管理にも多くの費用を必要とし、生活の快適さもある程度我慢しなくてはならないことをその屋の方に強いることになるわけです。文化財級の建築物や品々を持つ人は、それをおろそかにできません。
それを受け継ぐ人はそのモノに縛られることになります。
時代も変わり、生活習慣や価値観も変わる中で、さらにまたいく世代もこの人形を守り継承する責任がその持ち主と継承者に生まれるという事です。
なかなか簡単な問題ではないようです。

この問題はまた別の角度からも考えなくてはならぬ点があります。
それはまた別稿で。
それはともかく、私はこうして、たまたま京都という町でカメラを手にしていることで撮ることのできる情景があるということを幸せに思うのです。
- 2019/03/26(火) 00:00:12|
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対岸からサックスの音が聞こえて、自転車をこちらに走らせてきました。
演奏している人を見るとまず撮りたいなと思うので近づくのです。ですが、どの方であっても撮るということにはなりません。これを正直に言えばお前は不遜だと言われるに違いないのですが、やはり選ぶという気持ちが働きます。
音を聞くと「まだまだ初心、入門の域だな。」と聞こえる方もいるし、絵になりにくいなと感じる方もいます。
「近寄らないで!声をかけないで!」感が一杯の方もいます。

ここ2,3か月女性をまるで撮れないので女性が演奏していると「撮りたい!」と思うのですが、そういう理由でパスすることもあるのです。
無論、男性もですが、そういうわけで闇雲に撮るということにはならないわけで・・・。

この方は台湾のご出身で、就職してしばらくしてからこちらの大学の院に来て学んでいるのだそうです。
あまりお上手なので「プロの演奏家ですか?」とお訊ねしたのですが「いいえ、楽しみに弾いているだけです。」とのことでした。
でも中学でこの琵琶に出会ってからずっと弾いておられると言うことですから、もう10余年間は弾いていることになります。

台湾でも伝統楽器を弾く人は減少傾向にあって「西洋の楽器」が広く演奏されているようです。
「ちょっと残念ですね。」

筐体の上面は指先が触れるせいでしょう、擦りへって浅い窪みができています。
ずいぶん弾きこんでいるようですね。

ようやく暖かくなってきたのでこうして外に出てきて弾けるのでうれしいとおっしゃっていましたが、外国から来て一人学ぶ生活の中で楽器を楽しめるのは大きな癒しになるのでしょうね。
以前、海外出張の多い仕事をしておられたという方も、・・・その方はサックスでしたが・・・・楽器を楽しめると辛さも寂しさも忘れられるし、地元の人との交流もできるからいいねと言っていました。

台湾は日本より緯度が低くて亜熱帯から熱帯モンスーンの区域にあるわけですが、「京都はとても寒いですね。」は無論ですが「京都の夏は暑いです。」と盆地特有の暑苦しさ、過ごしにくさには閉口されているようでした。
同感ですね。

今度の清水寺での写真展の際にこういう方に軒下コンサートをしていただければ中華系の方にも関心を持ってもらえるのになあという思いがあったのですが、残念ながら清水寺にはお許しいただけなくて・・・。
とにかく音を出すと重文の建物に響いて微妙にずれが生まれるからよくないということで、残念です。


こんないい演奏はより多くの人に来ていただきたいなあと思いました。
- 2019/03/25(月) 00:00:47|
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京都、河原町三条下がる東入る
そこに京都造形大学のパイロット施設?「アート・ゾーン」があります。
ここは同校の学生や先生方の作品、あるが客員のアーティストの作品を展示してきていて、何時も興味深く見せてもらってきました。

造形大では学生たちにも積極的に街に出ることを推奨してグループ展などを町のギャラリーですることを応援してきています。
私は大学のこの姿勢を肯定的に評価しているのですが、この施設もまた積極的なものとして評価してきました。
ここでは単に作品を展示するだけでなく、この大学にある「アートプロデュース学科が授業の一環として運営するアート・スペースです。」(造形大)

ですから展示方法や案内などについて授業の一環として学生が運営に深くコミットしています。
きわめて実践的な学びの場です。
ですから?私もそこにいる学生たちにいろいろな問題を投げかけて彼らの考えを聞いたり、対話してきました。

それが何を思ったか、大学はこの3月でここを閉鎖してしまいます。
どうも学校の拡張のために資金をそちらに回さねばならないからのような・・・そんな感じです。

この男子学生は1回生で、このアートゾーンでの学びの最後の学生ということになります。
1回生はここでの学びが必須になっていないので、この学びを経験しない学生も少なくないようです。
惜しいことです。

たまたま彼は何か講演か対談の音源を聞いて文章に書き起こしているようです。
それをキーボードを使ってというのが私の世代とは違うところです。私ならやはり手書きの方が早そうです。
彼が聞き取って書き起こした文は彼の前にある大きなモニターで同時に見られます。

この集中力のいる作業を中断してもらっていろいろ話を聞き、また撮影をお願いしました。
この写真には写っていませんが横に4回生がいます。もうじき卒業ですね。
1回生の彼はこの6月にもまだ京都にいるわけですので、「音楽の祭日」参加の写真展のチラシを受け取ってもらいました。

「音楽の祭日」のフタッフをしてみないかという話もしました。ノー・ギャラだよという話をすると、「経験できるだけでうれしいです。」と。
この日はミュージシャンも、スタッフも、写真家も・・ノーギャラで入場無料が原則です。
こういう「世界友愛」のためのノーギャラの取り組みについて「アートプロデュース学科」学生として興味津々のようでした。。

学生の伸び伸びとした好奇心と成長への意欲はすがすがしいものです。
- 2019/03/24(日) 00:00:54|
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こういう写真は、いわゆる「ポートレート」には入らないかもしれません。
日常の旅行記念みたいな風ですし・・・。

ある人が「まるでデートをしているような写真だね。」と評していましたが、あるいはそうかもしれません。
写真には撮る人と撮られる人との「間柄」「関係性」が映し出されるといいますから、もしそういう風に見えるとすれば、それだけフォトマヌカンになっているこの人が楽しく、親し気に写っているということで、それは大いに成功していると私は思っています。

この人も勉強の話や職場の話をいろいろしてくれますし、私は最近見た中国の『ロマンス・スリー・キングダム(三国志)』の登場人物について話したりしています。
(何しろこの映画は相当に出来が良くて三国時代に覇を唱えた者たちについての解釈が新しく、革新的で多分妥当な解釈もおおいのではないかと思うのです。中国の演者、アフレコの日本人声優、翻訳のセリフが素晴らしいのです。セットも莫大な費用が投じられているようで見応えは十二分なのです。そのなかで、私は曹操孟徳や魯粛子敬がお気に入りなのです。劉備玄徳や諸葛孔明はどうも鼻もちが成らないのです。
まあそんなことはここではどうでもよいのですが、そんな話もします。)

この人は染色を学んできたのですが、今後はどうするのでしょうね。
思い悩むこともいろいろあるのでしょうが、賢明なこの人はめったにその負❓の面を出しません。
精神力も強いのでしょう。 人の話をよく聞ける人ですが、それはやはり自分をよく理解し、自己肯定感もしっかり育ててきたゆえなのでしょう。私にはそう感じられます。

ちょっと語弊のある言い方になりますが、私には優秀な人、美しさのある人、人格的な魅力ある人を「鑑賞し、称賛したい」という欲望というか癖があるのです。
私が写真を撮っている、しかも人物ばかりを撮っているということの基底的な心理はそこにあるのだろうと思います。
これはめったに口にしたことのないことですが、せっかくこの人をアップする機会に書いておきたいと思います。

ですので、いろいろな方たちのポートレートを見せていただいて、何をどう褒めようと、あるいはその逆かもしれませんが、しているのかわからないなあと感じてしまうことが多いのです。
それで、ついつまらなく感じてしまいます。

私がこの人をこだわって撮っている理由は何度もこの人に言っています。
「君のここが素敵だ。」と。
- 2019/03/23(土) 00:00:23|
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今年、正月元旦の記事にアップした人です。
私の写真生活の中でちょっと特別な人なんです、なんて書くと夫君からいらぬ誤解を招くかもしれませんが・・・・。
蒼樹さんが若い女性に写真を撮らせてもらえるのは「随分年が離れていて、おかしなことになるような気がしないからじゃないですか。」というのがこの人の見解です。
至極ごもっとも! 人畜無害。無事之名馬。
晴れの日が一日あると翌日とその翌日には雨が降る、一週間に二日だけ晴れといった天候の巡り合わせの中で、この日は幸いにも暖かい晴れの日でした。
実は二度も「延期」してのこの日でした。
現地に着くなり「お昼を食べるお店を」探しています。
こういうことはこの人にお任せです。

この日は少し足を延ばしてみました。
撮影場所は私に任せてくれます。 事前に一応、「○○に行きたいと思っているんだけど。」とは連絡しておきます。
そうすれば服も履物も考えてくれますから。
ただ、今回も「髪はだいぶん伸びたろうけれど撮影日まで切らないでおいて」と、もう一つお願いしてありました。
終わったら切るつもりだそうです。 これだけ長いと手入れが大変ですよね。 結婚式に向けて伸ばしていて、それ以来切らないでいたのだろうと思います。いろいろ忙しそうでしたからね。
写真の中に春の光を見つけていただけますか。

人物を暗くしても水面はやはり春の光を映しています。
これらの映像だけの情報で、「ああ、ここは○○だな。」と地名を当てられる方もおられると思います。

先ほどの橋の上で台湾からの若い女性旅行者に「写真を撮ってくれませんか?」と頼まれてスマフォを渡されました。
2カット撮って上げましたが、私が一人でいたならもう少し撮ってあげていたと思います。
「写真撮らせてもらえばよかったのに。」とこの人は言います。私の写真活動の良き理解者ですから、このように言ってくれます。
でも「フォトマヌカン」を頼んだ人を脇に待たせて別の人を撮り始めるような事は、ちょっと気が引けますからね。
でも、この人にそういわれて、それもそうだなと思ったことでした。

非常に賢くて様々なことに能力の高い人ですので、私の写真展でお手伝いいただいたこともあります。
今度の写真展でも一日くらい何とかならない?と尋ねるだけは尋ねてみましょうか。
本当に頼りになりますからね。
- 2019/03/22(金) 00:00:22|
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街を自転車で「巡回中」・・・、
左官屋さんが仕事をしていました。 通り過ぎるときに少し自転車の速度を落としてその様子を見ると、コテを動かすその様子が実になめらかで手際がきれいなのです。
それでしばらく背後から眺めていて、手の止まった瞬間をとらえて声をかけさせていただきました。

この道50余年の大ベテランさんだそうです。
「小学生がよく立ち止まって見ていくよ。モノを作っているところに興味があるんだろうなあ。」
私も同じです。

コテは握るのではなくて指に余裕をもってつまむようにしているんですね。
この手首の返し!!
壁をなめていくようなコテの感触です。

何度か重ねて塗るけれど最後はガラスの表面のようにつるっつるに滑らかになるそうです。
手首、ひじ、かた、そして腰、脚、背中など体全体が連動しています。
そして壁に接するコテの面と壁面に微妙な角度をつけて、時には平滑に沿わせているのですね。

「コテ絵」というのを知っているかと聞かれました。
寡聞にして知りませんでした。 こうしたコテを使って壁にレリーフ用の絵を描くものだそうです。
ご自身が最近仕上げたある民泊の家紋の作品を見せていただきました。むろんスマートフォン上の画面でですけど。
かなりの技術がいるようです。

私がリタイア後にこうして写真を撮って歩いていると言いますと、「70を越したけど辞めさせてくれへん。」とおっしゃっていましたが、この元気さと腕の良さではお客さんが離さないでしょう。
「現役」そのものの輝きです。

本来はここから一軒置いたお隣のお店の仕事をしていたのだそうですが「ついでにしてくれへんか。」と頼まれて受けた仕事だそうです。
仕事を仕上げて、ちょっと一休み。
電信柱を背に腰を下ろされましたのでようやく正面をからお顔を拝見でしました。

そのお顔が良い仕事、良い人間関係、良い生き方をすべて見せてくれるような素敵な笑顔でした。
このように笑顔の素晴らしい人にはめったにお会いできるものではありません。
笑顔、天下一品 です。
- 2019/03/21(木) 00:00:23|
- 働く人々
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昨年9月の猛烈な風を伴った台風によって沢山の木々が折れたり根こそぎ倒されたりしました。
こうした大木も例外ではありませんでしたが、倒木をベンチやテーブルとして、またこうした形でおいています。
都会にいてこんな大木に跨ったりすることは通常できないでしょう。
この人は167,8センチはあると思いますからこの木の太さがお分かりだと思います。
脚、長いですね。

こうした時に出てくる笑顔は作り物ではありませんから、この人の性格の良さを如実に表しています。
だからこそ写真を見ているこちらの気持ちを明るく和ませるのだと思います。
高階さんもそうですが、こういう人に出会えた事が私の幸運です。
運動神経抜群ですから、こういうところに上って立っても平気です。
ひょっとしたらY字バランスくらいはできるかもしれません。

私には珍しい画角です。
20ミリを使っています。
ですからカメラのレンズとこの人の顔は30センチくらいしか離れていないと思います。もっと近いでしょうか。
「初めまして。」ではとても撮れないし、写真を一緒に楽しんでくれる人とでないと、難しいレンズ選択だと思います。
先日ライブを撮った時にこのレンズを使いましたが、キーボードの人を近景にした時には、カメラはほとんどキーボードの鍵盤上にあったと思います。

このレンズではこういう画像になるよと説明して、近づく理由も魅力も理解してもらいます。

一般的に、人は自分から半径50センチメートルの中に他人が入ると緊張・警戒するのだと言います。
ですから東京などの電車でのあのすし詰めの通勤電車では、人々のストレスは尋常ではないと思います。いい加減東京の人口を分散するように、企業の本社に対して「集中の利益税」を高度累進的に課して企業の地方分散化を図るべきだと思います。
まず東電本社は福島県の原発近辺に!ですね。
ああ、脱線しました…。
左脚を前に出すのがいいかなあ。

それとも右脚がいいのかなあ。

時には一緒に試行錯誤です。

写真は撮影者だけでは撮れません。

私と一緒にこの人も写真づくりを理解してくれるので今後ますますいい写真を作れるはずです。

- 2019/03/20(水) 00:00:31|
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この日は日差しがあるものの空気はまだ冷たくて・・・と、そんな日でした。
女性のポートレート写真を撮ると、大概こんな風に撮りたくなるものですが・・・・。

時に写真展などで、何だか入れ込み過ぎてるなあと感じる写真を見かけるし、どうしてこういうポーズをとらせるのかなあと、まあ単に私との趣味の違いなんでしょうが、思うことがあるので、私の場合はできるだけシンプルに撮ります。

料理で言えば「出来るだけ素材の味を生かして。」というところでしょうか。
あまりこね回したり調味料を入れると、それはそれでまた美味しいのでしょうが、何を食べたのかわからなくなる。

それで、あまり仕掛けない写真を撮って、あとで写真を見て「ああ、いい人を撮ったなあ。」と・・・、そう感じるわけです。
私のアイディア、イメージがないことの言い訳でもあるんですが・・・手を入れすぎない方が良いことが多いような気が・・・。
若い写真家の方たちは、そういうわけにはいかないので、できるだけ自分の思いや技術を画面の上に出したいでしょう。
でも、私はそういう野心の季節を終ってからの写真ですからその辺は距離を置くことができるのかな。
ですから、この人と私にとって気持ちの良い写真であればそれでOKというところでしょうかね。

ピントが奥の目に行ってしまっていますね。

レンズに問題があるのかボディーが原因なのか、意識しても後ピンになりますね。
- 2019/03/19(火) 00:00:30|
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漆の工芸は実に微妙なものですから、本来の工房の外で実演することは難しいのです。
漆が渇くには一定程度以上の湿度が必要ですし、また絶対に埃は排除しなくてはなりません。
実演会場では温度調整のためにエアコンが働いていますが、エアコンは湿気も排除しますし、常に空気を動かしてしまいます。 こうした会場はお客さんの来場が前提ですから、お役さんの移動に伴っても埃は舞い上げられるし、そもそも埃を身につけてきます。
それをエアコンが空気をかき回して散乱落下させるのですから、どうにもしようがありません。

ですから商品化できるようなものは当然制作できませんし、実演して見せたものも、一日の終わりにはすべて消し去って、また明日新たに実演します。
それで私が「仕事をしてくれたら写真が撮れるのになあ。」といいますと、却って、「じゃあ、やりましょう。」とはならないのです。
本気の仕事ではないモノを撮られるのは嫌なんですね。

私が写真を撮っていると「定年後に写真を撮る人は多いね。」とおっしゃって、「まあ何かすることがないとよくないから、いいんじゃない?! それで撮ったものはどうするの?」とおっしゃいますから「個展やグループ展に展示させてもらったりします。」と答えます。
すると「え~っ?! なんだ話しをすればするほど偉い人だとわかるのは、この人と同じだなあ。」と先着のお客さんを指さします。
「ご同業ですか?」といいますと「仏壇仏具の人だそうだ。」と相当腕の立つ方だと教えてくれました。

「そう?! 個展をしてるの、じゃあ、本格的にやってるんだ。今度いつやるの、見に行くから。」
「あの清水の長い急坂を上っていただくのは恐縮ですから・・・・」などと主催者に聞かれたら叱られそうなことを答えますと、下京に住んでいて近いから行くよという事でした。そして代わりと言っては何だけどとおっしゃって「京漆器展」の案内ハガキをいただきました。
たま~にこうした工芸の展示会を覗くこともあるのですが、それはそれは見事な作品が並びます。この方も伝統工芸師ですし出品されます。会期は三日しかありませんから忘れないようにいかねばと思いました。

長々とお時間をいただいて貴重なお話を伺っていたのですが「これはお客さんに渡すために銀粉を撒くの仕事が残っている。もう少し乾く方がいいけど、やるから・・・。」撮れということになりました。
「本の瞬間だぞ。」とおっしゃるので慌ててカメラを取り出しました。 こういう時立ち上がりの悪いミラーレスカメラだとチャンスを失いかねません。その点一眼レフは早いです・・・が5Dでは暗いし、逆光だし、・・・・。」

綿に含ませた銀粉を撒くのですが、実際に瞬きするくらいの時間で終わりです。
私がシャッターを何度も切って、完全に片付けに入るまで撮り続けるので、「一瞬だといったろ?! まだ撮るのか?!」とあきれ顔です。すると別に現れた京鹿の子の職人さんが、「こういうカメラマンは何枚も撮るのが普通だよ。」と口添えしてくださいましたので・・・。
富永さんは苦笑しながら作業を続けてくれました。
しかもその時には展示時間を大幅に超えていました。
「残業ありがとうございました。」
- 2019/03/18(月) 00:00:45|
- 工芸
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この日は日差しがあってちょっと良い日でしたので、そんな日に鴨川や、それにかかる橋にパフォーマーが出ていて、撮らせてもらえるかもしれないと期待して出ました。
それでたまには5Dとツィアスの85ミリで撮りたいなあと思いそれを持って出たのが結果的にはまずかったのです。
光の条件の悪い室内でしか撮れませんでした。

ですから、諦めようかなあとも思ったのですが、これで諦めたら自ら対応力を鍛えるチャンスを手放すことになるじゃないかと・・・そんな大げさなことではないのに・・・・理屈をこねて自分を励ましました。
ついつい後ずさりする癖が私にはありますので、そこに鞭を当てないと・・・。

これまた幾度も撮ってきている姿ですが、どう撮るかをなかなかびしっと決められません。
職人さんの表情と手指の働き、土の様子を同時に写し撮るのが私には難しいですし、じゃあ手指や粘土のどういう表情を撮るのかということを瞬時に判断するのがこれまた難しい。

職人さんの手指に気持ちが形になって表れますから、やはりそこに意識を集中するのですが、その時顔をどうするのか・・・。

陶芸の紹介をする写真を撮るわけではないので。
でも間接的には表現できるのかも…。
いつもの工房ならば、今作られているようなカップは100個以上制作されるという事でした。
できたものを乾燥させて底などを削って成形し、釉薬をかけて焼く。

いわゆる「芸術」的な逸品をつくる仕事ではないのですが、しかし、そこにも職人の技と誇りのある仕事があります。
- 2019/03/17(日) 00:00:55|
- 工芸
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清水寺でやる写真展は「音楽の祭日」参加の企画なんですが、そのチラシの草稿ができて、見せてもらいました。
松峰綾音というシャンソン歌手が6月21日に成就院でライブをします。参加は無料なんですが整理券が必要です。
私の写真展は16日(日)~21日(金)までで11:00~17:00の間開いています。こちらも入場無料です。

チラシのデザインは松原というデザイナーで、写真を素材とした画像制作もしている『アーティスト』の制作です。
それを見ると私の写真が何やらいっぱしの写真家の作品であるように見えて、おかしな錯覚をしそうです。
デザイナーの力ですね。
チラシは数千枚配布されますから、私の名前はいやがうえにも有名に・・・・なりませんね。なっても困ります。

私に偏見なんでしょう、こんなかわいいお嬢さんが「ドラム」を叩いている。
ドラムを叩くと「風が起こる」というイメージがどこかにあるんでしょうね。そしてドラマーは喧嘩っ早い???
でも最近は中高のブラスバンドでもパーカションは女子ということが少なくありません。ティンパニを女子が叩く図というのも珍しくありません。・・・・私の感覚はちょっと時代がずれ過ぎていますね。

そしてオルガンやピアノは女子の専門領域だというのも博物館行きイメージです。
こんなこと言っていてはもう写真は撮らせてもらえません。

本番では衣装は黒に統一されますが、リハではそれぞれ。
私はそのいずれも好きです。

この方、ノリだすとかなりのパフォーマンスを発揮します。
そしてかなり信頼されています。

なかなかスティックの動きについていけません。
- 2019/03/16(土) 00:00:06|
- 音楽
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なんでもモノクロで撮れば「意味深長で、芸術っぽく、かっこよく、クールに」撮れてしまうので、むやみにモノクロを選ぶ人がいると言います。
私も案外そういう人の一人かもしれません。
フィルムで撮ったモノクロには遠く及びませんが、やはりモノクロはいいなあ派です。
多分デジタルカメラのモノクロの質感はこれからもともっと改善されるでしょう。期待しています。
こういうライブではカラーもいいけど、モノクロもね・・・です。

ボーカルが3人でギターが二人、キーボードが一人とドラムが一人の計7人です。
一度に7人全員を画面に入れれるのは至難です。
あちらを立てればこちらが立たず。 それに何より画面の全員がいい表情いいポーズで、しかも構成的にも面白くなっている・・なんて言う瞬間はなかなかヒットしないのです。ダイヤモンドの採掘みたいなものかもしれません。

多分連射に次ぐ連射、あるいは動画から切り取るなんて手法を採ってもなかなか「これがいい!!」という画面に出会うのは難しいんじゃないかと思います。
よくスポーツのシーンを撮った写真も見ますが、ラグビーやサッカーなどチームのプレーは難しいですよね。
決定的瞬間のメインになっているプレーヤーはよくても後ろの何人かが、もう力が抜けていたり、あらぬ方を見ていたりしていて、画面全体が「最高!」というのを撮るのは難しいですね。
それで、前回のプレーヤーを捉えながらも背景の大事なプレーヤーも意識して・・・と多角的に神経の網を張らなければなりません。

でないとこうしてベースギターが後ろを向いてしまいます。
バスケットボールなどでもよく言われますが敵味方の全部のプレーヤーを感じてプレーする訓練ですね。それが求められます。

練習すれば見えていない味方のプレーヤに絶妙のパスを出せますし、ノーサインで走り込んでもいいアシストを受けられます。
それには練習です。 意識と無意識の弁証法です。

そのためにはこうして撮る機会を幾度も得ることがまず必要で、だからこういう機会は本当にありがたいのです。
なんといっても撮らせてもらう・・ということですね。

ミュージシャンたちが演奏の機会を求めるように、写真を撮る私は撮る機会が不可欠で、おそらく撮る対象は異なっても、皆さん、それぞれの分野で「とるきかい」を懸命にお探しでしょうね。
私の場合は人が対象ですから、また他と違った固有の難しさがあるわけです。

それだから楽しいという事もあるんですけど。
- 2019/03/15(金) 00:00:47|
- 音楽
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現状では撮影日はウィークデイになることが多いので、こうして比較的人出の少ない状況でとることができます。
それでも人気の場所ですから、遠くまで見通すことのできるこの場所で、誰も映り込まない瞬間は見つけるのが大変です。
だからというのでもないのですが、私は誰もいない場所でより、そこにいる人の気配のある写真にするのも楽しんでいます。

いやあ、脚、長いなあ。
私の世代の人間の体形とは違いますね。ことに私などが横に立つと同じ民族の人間が40年ばかりでこうも変わるものかと思います。
昔、トゥイギーなどが来日して、猫も杓子もミニスカートをはきだしたころ、そんなに無理しなくてもよかろうにとつい眉を曇らしてしまうことがありました。いや、本人の好き好きなんだから周囲の人間がとやかく言うことではありませんし、それまでひどく不平等な扱いをされ抑圧されてきた女性が、一つの突破口を見出したのですから、それは抑えようもない流行となっていったわけですが。
・・・・そうではあったとしても、依然として日本の女性の社会的地位や権利の実情は寒いものですが・・・・

時々集中的に、ああして、こうしてといいますが、この時はほぼこの人に任せています。
ですのでポーズに無理がありません。
それで見ていていい感じです。
それにほんの少しのサインを見逃さずに応えてくれますので、ファインダーに集中できます。

私が何かを待っているらしいということもすぐに察してくれます。
間があいても「えっ?! 何ですか?」というような間の悪さは生まれません。
もちろん、いいよいいよ、そのままそのまま・・それがいいからね、などと声をかけることもしますが。

冬至から約2か月が過ぎていますから陽にいくらか勢いが出てきていますね。明るくなっています。
少しずつ影も濃くなってきていますね。
でもあの夏の影と違って優しいです。 やっぱり春ですねぇ。

こういう写真は何か見ていてとても幸せな気分になれます。
やはりこのジャンルにも意味があるなあと・・・・・。

ある局の仕事で突然「髪を切られてしまったんです。」と言っていました。
それから数か月、ようやく肩を超えるまでに伸びてきましたね。
卒業式までもうあとわずかですが、もう少し伸びるといいですね。

袴姿で式には参加するそうですが、その前後に皆さんご存知のお友達と一緒に着物を着て撮る計画です。(残念ながら、後日仕事が入ってお流れになりました。 きっとまた別の機会があることでしょう。)

若さがいっぱいですね。
- 2019/03/14(木) 00:00:20|
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この人と撮影の約束ができて、それ以来ずっと天気の長期予報は「☂」マークがついたままでした。
それが「☁時々☂」になってもその雲は厚いらしく、う~ん、やだなあと思い続けてきたのですが、この3日ほど前からやや様子が変わってきて、かすかに「☀」がのぞくようになり、やがて次第に存在感を増して、この日は「晴れています。」
が、風は冷たいし、日蔭は寒いのです。

でも、そんな天候なんですが、「春らしい服を」着てきてくれました。コートの中は薄地の軽やかな服です。
「さむくない?!」 「はい、少し。でも、大丈夫です。」
さすがに女優さん、撮影のために頑張ってくれています。

ハイジャンプもやり、ソフトボールも得意とするスポーツウーマン(四種競技をするという万能型なんです。)です。
大学に入ってからはしていないんだそうですが、私はひ弱な細い脚、走れない脚よりも、この人のように俊敏な、そして力強くも走れる脚が好きなんですね。脚力がないと歩く姿が美しくないという場合も多いですし。

走ったり跳んだりしなくなって「ちょうどいい具合に痩せてきました。」という足を私がとりたがっているということもご存知ですから?・・・・・今回は寒いだろうからミニで来てとも言えないしなあと、私は脚のことは話題にしてなかったんですが…こんな風に期待に応えてくれました。
いろいろ考えて準備してくれたんです。ありがたいことです。

それで私もこの人の思いに応えて春めいた写真にしようと、いつもと違ってハイキーに撮っています。
この人も肌が白いですから、うっかりすると白飛びしてしまうんですが、この日はそれを恐れないことにしました。

さあ、今日はどんな写真が撮れるでしょうか。

楽しみな撮影日の始まりです。
- 2019/03/13(水) 00:00:12|
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もう3月も中旬ですから私がこのブログを初めて満8年が近づきます。
今日も拙ブログを見ていただいている皆さんには本当にありがたいと思います。感謝申し上げます。
また見せていただいている皆さんにも同様に感謝申し上げます。

私が死んでも大したものは何も残りませんが、このブログは残る・・・・残ってしまう?・・・事になります。
私が対象としてきたような人々を継続して撮り続け、こうしてブログにアップしている人間はそう多くはないだろうと想像しています。
周囲の評価はどうあれ、ちょっと自慢してもいいくらいなのかなと思う事もあります。
個展が大小合わせて7回?
グループ展参加が4回。
写真集一冊(と言っても私の写真で構成されているとはいえ、イベントの企画として発行されたものですが)
CDジャケットへの写真の提供 2
撮らせていただいた方々の累計実数が 1410名余り。
まああまり取り立てて言う事でもないですが、撮らせていただいた数はやはりちょっと意味があるかなと思っています。

こうした方々に出会って撮らせていただいたことで、私の環境が少しずつ変化してきています。そこが私にとっての注目点です。
別に「写真(作)家」らしい存在感を見せ始めたとか、周囲の扱いになったとかそういう事ではなくて、「あの人はいつも人を撮る」ということで認知されるようになってきたという事です。ただそれだけです。
ただその「ただそれだけ」が結構大きいなあと感じています。

第一今日のこの写真を撮ることができる、撮らせていただけるということ自体が、ある意味普通じゃないと思うからです。
今月の初旬にある若手の注目のバイオリニストのリサイタルのリハを撮らせていただきましたが、それは私が「音楽家の写真を撮っている。」ということを知った方が、バイオリニストやその親御さんにお話をしてくれて得た機会なのです。
グループ展に古楽アンサブルの写真を出したことが影響しているのだろうと想像しています。
紹介の労をとってくれたのは同じ写真倶楽部の若い仲間です。

旧職に就いていたころまでは足を踏み入れたことのない場所や、お会いすることはまずないだろうという方にお会いし、また通常では入り込めない状況の中に入って写真を撮らせていただけるのは、実は我がことながら驚くようなことなのです。
それだけでもこの8年間の意味はあったのかなと思っています。

私のリタイア後の人生設計の第3段階=第3次5カ年計画まで、あと2年です。
この2年間を大事にして、第3段階に新たな展望が切り開けるようにしたいものだと思っています。
(仰のけに転げないようにしなければとも自戒しながら。)
- 2019/03/12(火) 00:00:15|
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昨年、拙ブログでもご紹介しました。
難病に罹られて時間とともに体の諸機能を失っておられた夫君を慰め励ますために定期的にご自宅に演奏家を招いて音楽会を開いておられた奥さまです。
ところがお辛いだろうことに夫君が今年に入って間もなく逝去されしまわれました。
この写真で演奏されている人たちは葬儀にも参列されています。

このお宅に一人残された奥さまと逝かれた夫君の霊を慰める音楽会です。

私は、昨年トランペッターを入れての演奏の際に撮った写真をご霊前に捧げました。
ご夫君がかけておられた椅子や生命維持のチューブや器具が撤去された部屋は妙に広く感じられます。

遺影が笑っておられます。
奥さまも言われていましたが、遺影は是非とも笑顔のものを選ぶのが良いと思いますし、少しお若い時期の活力のあった時のものを意識的に撮り残しておくことは、残される者にとってとても大切なことだろうと思います。

昨年逝去された型染め友禅の型を切る仕事をされていた職人の和田さんも、私が撮った写真を見て「これを遺影にしよう。」などと冗談をおっしゃっていましたが、誇りを持って取り組んだ仕事をしている姿や笑顔の写真は大切です。
斯くいう私にはそういう写真がありません。何しろよその人ばかり撮っていますので。
もし家人が逝くことがあれば娘たちに、恨まれることでしょう。なぜもっと撮ってあげてないの、と。

写真にできることの一つです。
- 2019/03/11(月) 00:00:47|
- 音楽
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以前は梅小路、百万遍、岡崎、北山、上賀茂など毎週のように手作り市を訪れていましたが、最近は二三か所以外は遠いこともあっていかなくなりました。活動力が落ちていますね。
そんな中、上賀茂神社で開かれる手作り市への出席率はかなり高いのです。

手作り市にはコーヒーをその場で淹れて提供する店が出ます。 何店かがあるのですが、この方、これまでわたしはあまり見かけませんでした。
この日、見かけた時にまず印象的だったのは淹れるときの真剣なまなざしです。

百万遍の手作り市では「おたふく珈琲」という有名店があり、そのオーナーの淹れるときの姿勢や表情はよく知られています。
そして手作り市で名を知られたことで四条寺町下がるという一等地に店を構えたことでも知られています。
そういう例に倣おうということかどうかはわかりませんが、手作り市でコーヒーを提供する人は何人かいます。

ドリップのフィルターはネルであったり紙であったりしますが、それぞれが特徴を作って店を出しています。
そしてやはりその場でコーヒー豆をミルにかけている点がお客さんを惹きつけるようですし、又目の前でこうして真剣にドリップしてくれるのが良いようです。

「火」は使えませんので電熱器を使います。
何しろ世界文化遺産の近くですからね。
それにしてもこうして手作り市で賑わう同じ場所が時代劇のロケ地になっているのも不思議な感じです。
最近も「小吉の女房」の撮影場所になっていました。

夏にはアイスコーヒー(レイコ―なんて言っていたことも・・)が提供されます。
こんなに力を込めて集中し一杯一杯を淹れていては疲れてしまわないかなあと思いますが、「俺は珈琲で成功するんだ!」と・・・・思っておられるかどうか、それは分かりませんが・・・・そういう気負いは眩しいものです。
青年の気負い・・・・私は好きです。
- 2019/03/10(日) 00:00:48|
- 手作り市
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私の息子は東京にいて、仲間を募って芝居をやっています。
自作のシナリオで10回ほど公演をしているようですが、最近はなかなか実現できていません。
プロモーションも自分でするのですし、なかなか大変なことです。
これからどう食べていくのだろうと親としては心配する面が大きいのですが・・・・、大したものだとも感心しています。少なくとも親父より果敢な人生を送っています。

COCOさんも同じような立場なんでしょう。
でもギタリストとして認められて各地のライブに参加しているようですし、こうして演奏会を開いているのですから、息子よりは上首尾なんだと思います。
いずれにしても野望、大志を抱いての事で、私のような小人にはできないことです。

写真を撮る私はそういう人たちの「目撃者」なのかなという思いでいます。
この人がリーダーのCOCOさんです。

自身が演奏しながら各パートをちゃんと聞いていて、そこはもう少し早く入ってとか、音が違ってない?!と指示しています。
当然と言えば当然なのでしょうが門外漢の私には「おーっ! 凄い。」というところですね。

ボーカル同士も盛んに微調整しています。
いつも組んでいるメンバーというのではなくて、今日このためのメンバーですから、お互いに違っていて当たり前ですね。
そのためのリハですから。
「私もう少し上げようか。」

バックのバンドもまたいいんですよね。

この後又カラーが出て来て、そちらは、なるほどこれはカラーがいいなあというものがありますが、なかなか悩むところです。
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- 2019/03/09(土) 00:00:27|
- 音楽
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COCOさんをリーダーとするライブに呼んでいただきました。
COCOさんはリードギターを弾かれます。ちょっと私の席からは撮りにくい位置にいますので、登場は後程。

このベースギターの人と鴨川で偶然出会って、そのときに「COCOさんに会ったらまた撮りたいと蒼樹がいっていたと伝えてください。」とお願いしましたら、即座にメールをいただいて実現しました。
以前は路上パフォーマンスもしていましたが今やライブステージが予定帳にびっしりのようです。
その中からボーカルを3人もそろえる今日のライブを教えていただき撮らせていただくことにしました。

このお店にくるのは初めてです。
でも事前にCOCOさんがずいぶんよい評判を伝えてくれていましたので、お店の人たちも気持ちよく受け入れてくれました。それはCOCOさんの活躍が反映しているのだと思います。

COCOさんとお仲間については以前、路上でもパブでも撮らせてもらっていて、その中から今度の清水寺での写真展に作品を出そうと思っているのです。
ですが、さらに良いものが撮れるかもしれないという気持ちから、是非また機会を・・・とお願いしたのです。
この三人が今日のボーカルです。
今はリハですので服装もまちまち。
本番には制約が多いので、何時もできればリハから撮らせてとお願いするのです。
そうすると演奏者の頑張りどころもあらかじめ見ることができるし、感情移入もできるからです。

撮る側が、撮らされるのではなくて自律的に自分のイメージで撮るのがいいと いうお考えもありますが、私は必ずしもそうは考えていないので、まずは被写体になる人たちを受け入れる作業が必要になります。
美や感動は私の中にあるのではなくて対象の中にある・・・というのが私の原則です。

ですからCOCOさんが「ミュージシャンが、ここでぜひこういう感じで撮ってほしいという思いの写真を撮ってくれる人だ。これまでいく人もの人が撮ってくれたけどその点で一番だと思う。」と言ってくれるのはうれしい言葉です。
勿論私が好ましいと思う瞬間を撮っているのではありますが。

写真は難しい・・・・とこういうシチュエーションで撮るときに繰り返し思います。
偶然の一致がないと「これは!という一枚。」に到達できないからです。
私など到底『決め打ち』で撮ることはできません。
「好球必打」を心がけるのです。そして「好球だ!」、それ打てとなるわけです。が、バットを振るには振ってもなかなか芯に当たらない、のです。
- 2019/03/08(金) 00:00:24|
- 音楽
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国産の生糸にこだわってモノづくりをされている方々の展示会がありました。
その主宰ともいうべき方がこの御仁です。
14代目塩野屋当主さんです。

展示会場に入ると、自ら私に近づいてきてくれていろいろなお話を聞かせてくれました。
塩野屋さんによれば今や国産の生糸の自給率は1%にも満たず0.5%程度だという事です。
そもそも桑畑自体がほとんど見られません。

そんな生糸の現状を憂いて桑畑の存続継承に努めておられ、桑の木の植樹にも貢献されています。
桑の木オーナ-図倶楽部も立ち上げて、桑や蚕、絹糸などについて広く知ってもらうとともにに桑の木栽培を復活するように努めておられます。
そのあたりの事情は「織道楽 塩野屋」さんのホームページからご覧ください。

大変重い病にかかられて、そこから回復する過程で生きることの意味の捉え方などに大きな転換があったというお話でした。
ご自身の自覚としてはまだまだ回復は道半ばだという事です。確かに発語などに幾分の障りがありますが、とにかく表情の生き生きしたこと、話の力強さに圧倒されました。

顔はその人の魂を映し出すヒントを持つとおっしゃり、また、今後も何人もの人の「命の写真を見せ」よと言ってくださいました。
個展の開催を知らせればおいでいただけるそうです。
「命の写真」とは本質を突いた言葉だなあと思いました。

簡単に請け合うことができそうにない重い言葉ですが、人を撮る写真というモノに意味があるとすれば、それを表す言葉の一つが「命の写真」ということになるでしょうか。

重たくなりすぎず軽妙にそういう写真が撮れたらいいなあとも思います。

私自身が軽いですから、その点はどうしようもないですからね。
ただ、やはり写真をそういう視点で見てくれている方がおられるということはいくらかは私のマジメを引き出す契機になるとは思います。
- 2019/03/07(木) 00:00:24|
- モノづくり
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音楽の演奏を写真に撮ることも、、無論楽しみなんですが、音楽を聞きながらこうして写真をセレクトしてブログにアップすることもまた私の楽しみの一つです。
そして演奏を思い出しながらというよりも、この演奏家の人生の断片というものに思いを馳せるのです。

少し親しくして頂いている方ですからほんの少し来歴を存じ上げています。ですから色々なことを思うのでしょうね。
この方はオーボエ奏者としても評価されていますが、ピアノ演奏や作曲・編曲にも活躍されているのです。

私はこれまでオーボエ奏者としての一面としか直接には接してきていません。能力のある方というものはどこまでもすごいですね。
これまでオーボエの演奏をする姿は幾度か撮影してきました。この記事を書いている2日後にも撮らせていただく予定です。

ご自身のプロフィールとして私の撮った写真を使ってもいいかと言っていただいているのですが勿論喜んでお使いいただきます。
それがオーボエ奏者としてのという事なので、その後ピアノ奏者として、また作・編曲家としてのそれも欲しいとおっしゃっているので喜んで撮らせていただくことにしています。

私が感心するのは、上記のようなことを私に求める場合に必ず「対価を払う」とおっしゃることです。
それはご自身のプロ意識の裏返しだろうと私は思っています。
この演奏会の時にもリハーサルの前のおしゃべりの中でクラリネットの方が「もう唇が取れちゃう。」などと軽口を言っていましたが、朝から相当な個人練習をされて、さらにアンサンブルのためのリハをして本番を迎えるのです。

毎日の練習量は半端なものではないのです。
そこにプロの演奏家たらんとする覚悟、姿勢があるのでしょう。
そして他の分野で活動しているものに対しての敬意が生まれる、そういう事だろうと思います。

私自身がそういう敬意に相応しいものではないことを私はよく知っていますが、ただそうした彼らの在り様に感心するのです。
それで私がどのように踏み込んで撮影をしても少しも迷惑そうな顔をしないで、むしろそのことを自身の演奏の集中に向けていかれる姿勢の素晴らしさを感じます。

ご自身たちの世界にはそれ相応の流儀というものがある、それであれば別分野、例えば絵画の世界にしろ、写真の世界にしろ、それぞれに固有の流儀があるだろうと、それを敬意をもって想像できることが、この人たちの演奏家としての思考の深さだろうと私は感じるのです。

真に深い、謙遜のある自尊の心は、他に対する敬意となって出てくるのだろうと私は思っています。
この方たちとの交流から気づかされることがあります。
それは、現今の日本社会の他者に対する貧相な想像力の根源は多くの人が如何に自尊感情を傷つけられているかの反映ではないかと・・・そんなことです。
- 2019/03/06(水) 00:00:06|
- 音楽
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仏像の乗る台座に付ける蓮弁を作っておられます。
この一見、どこにでもあるような切り出しナイフのように見えるこの刃物がこの方の「仕事」を物語っています。

すでに手の中にすっかり収まるほどの長さですが、長年の使用の中で数え切れないほど度々研いで来て、ここまで短くなったものです。
私の知人で洋食店を営んでいたマスターのナイフもまたこのようでした。元のナイフの形と比べると長さは勿論その幅も数分の一になるほど研いで研いでその切れ味を保ってきたのです。いえ、切れ味を増してきたと言っても良いのかもしれません。
もはや刀身が尽きるまでになっているようで柄からその本体を抜いて見せてくれました。
時には工業用鋼を手に入れてご自身で刃を研ぎだすこともあるようです。

道具はまさにこの方の人生であり職人としての仕事の物語であるわけです。
この方の手指になじみ、仕事とともに道具自身が成長してきているともいえるかもしれません。しかし、事の道理としてやがて滅していかざるを得ないのです。
この刃物の刃の角度もまた市販のそれとは違います。まさにこの方の仕事のための刃に作り直してきているのです。ですから唯一無二の道具ということになります。
職人の道具とは彼の体に他ならないし彼の意志と技能に他ならないものなのだと感じます。
あまり色々なお話を伺っていてついシャッターをボタンを押し損ねました。
- 2019/03/05(火) 00:00:31|
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つい先ごろフジフィルムからXT-3というカメラがリリースされました。ご存知の方もあるかと思います。
私はニコンやキヤノンのミラーレス一眼カメラが発売された時にはほとんど何の関心もありませんでしたが、少しこころがざわめきます。
というのも、私は今X100Fを使う時がありますが、これはいい!と思わせられることが度々あるからです。

こんな夜の写真もフジのカメラで撮るべきかなと思うのです。
というのも「黒」がとてもつややかで色気があるからです。艶めかしいと言っても良いくらいの時があります。
しかも、・・・・メーカーの言葉ではフィルムシュミレーションと言いますが、その中に・・・モノクロとアクロスと二つありますからそれも楽しめるのです。
フジノンレンズとの相性もいいようです。

以前にも書きましたが、最近の私は三分の二くらいはモノクロで撮ります。
ですからこの黒の魅力に魅かれるのです。カラーもまた発色が良い上に情感がありますしね。

以前お会いした北欧の女性写真家はフジのX-20で勝負していました。驚きでしたね。
その選択のカギは「色」だったようです。 確かに欧州の人には好まれる発色だという感じがします。日本人のある範囲人たちには多少濃厚過ぎると感じられるかもしれません。 水彩的な透明感には欠けるからです。

XT-3はフォーカスポイントもファインダーのほぼ全面にありますから、これをジョイスティックで操作することを覚えた私にとっては大変都合が良いのです。
私はピントを三分割の交点のかなり外に結ぶことが多いです。ですから、この事は少なくとも私にとってはとてもありがたいのです。
下の写真でもほおから顎にかけての辺りに交点がありますね。 目はずっと外れています。
ですので視野のほとんどを覆うフォーカスポイントというのは魅力的です。

しかも-3evの明るさにフォーカス機能が反応するというのは、この写真を撮るような状況では大変ありがたいです。
室内ステージなどでも大いに役立つだろうと想像します。

なんてことを書いていても、多分私は買わない、買えないと思います。
カメラを買えばレンズも買い替えねばならないからです。フジならフジノンレンズに総替えです。そういうわけにはいきませんからね。

でも職人にとって道具が仕事の可能性を広げるように写真好きにはカメラとレンズが可能性を広げるんですよね。
そうしたらこの人の活動をもっともっと伝えられるようになるかもしれません。
- 2019/03/04(月) 00:00:07|
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この記事を書いている週は沖縄では辺野古基地建設をめぐって県民投票が実施されています。
当然今日の段階では結果は分かっているわけですが、菅官房長は投票の結果いかんにかかわらず辺野古米軍基地建設は進めると明言しています。
投票などは無駄だぞと言って投票行動を鈍らせる狙いもあるのでしょう。が、それが却って沖縄県民を一層傷つけ、怒らせていることを彼は分かっていないのかもしれません。いやそうではなくて分かっているのでしょうが、沖縄県民を軽視しているのでその反発に痛痒を感じないのでしょう。それに何より「本土」の人々が無関心で、少しも動きを見せないのですから、何も案ずることはない・・・例えば次の参院選挙にマイナスに影響するなどとは考えていない・・・という事なのでしょう。
問題は「本土」の人々にあるという事です。

原発問題でも同じです。東京電力福島発電所の事故は今になってようやく「デブリ」に直接触ってその様子を掴み始めたという段階であって、事故の深刻さは依然として把握されていないというのが現状です。なのに、アンダーコントロールだとか風評被害こそ福島県民を苦しめているだとか、東京電力の被害者補償は目途を立てたいなどという世迷言が聞かれます。

見えなければ、聞かされなければ、「ないことにしよう。」「いってもしようがない。」という気分があり、又他方で「騒ぎ立てるのは他に目的があるから。」「東京電力をつぶせば国民全体が迷惑する。」などということが言われたりします。

総理大臣自身が売り込みの先頭に立った原発プラントがイギリスでもインドでも・・・・世界のすべてでとん挫しているのに、菅官房長はまだこの原発商売を進めるつもりです。
何が問題でとん挫したのの反省、総括さえ国民に示さないで、売り込みのために既に莫大な税金を注いでいます。それが回収できないのに、説明を自らしようとしない無責任さです。
東芝などは原発輸出の失敗が原因の一つになって経営に困難を生じています。国策に沿ってやったのだから損害は税金で穴埋めせよという要求が出てくるかもしれません。
もしそうなっても、それは話が別だからと突っぱねるような政府でもなさそうです。何か工夫をするでしょう。安倍氏の表情を読み取って忖度する役人が出て「いい知恵」をだすかもしれません。

世界で一番企業経営のやりやすい国にするというのが安倍晋三氏の売りですから、それも不思議ではありません。
それでその費用を消費税増税で賄う可能性が高いのに安倍内閣支持率は依然として40%を相当越えます。新聞社の世論調査のこの数字が「不適切な」ものでないとするのならの話ですが。 日本国民の知性を信じていいのでしょうか。それとも・・。
(これだけ官僚組織・行政が安倍内閣の制作実績の数字のごまかしをしているというのに、幹部が安倍氏と会食している新聞社が忖度しないで、数字を正しく出していると考えるほうが難しい? 政府の腐敗ぶりがこういう発想を国民から引き出してしまいます。)

風は冷たいですが、今日もキンカンは熱かったです。

ビルの中でぬくぬくとしている人たちと、外で寒風にさらされている人たち・・・・どちらが寒いのかな。
関電の中にも心を痛めている人、様々な疑念を抱いている人、苦悩している人が少なからずいるはずです。連帯できるといいですね。
- 2019/03/03(日) 00:00:49|
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湖畔のログハウスでの音楽会。
職人さんの仕事を見せていただくと刃物はよく切れるように手入れをされています。
刃物が切れるのは当たり前ですが、よく切れる、細工に相応しい切れかたをする道具がいいのですね。
刃の角度も刃の幅も厚みも、どのような細工をするかによって違っています。汎用の道具ではよい仕事はできません。
写真についてもそういう事が言えるのでしょうね。

それで、皆さん「レンズ沼」とやらに迷い込むのでしょう。
私も許されることなら迷い込んでみたいものです。 どこかに金のなる木はないでしょうか。

演奏家にとっての楽器もまた同じ。
家一軒の価格の楽器なぞプロの世界では珍しくはないとも聞きます。まして自動車一台分くらいのもは。
そうなるとこの道を選ぶ覚悟は相当のものになりますね。

私の知る若いカメラマンが、その道に一歩入るために「ついに買っちゃいましたよ。」とキヤノンの高級機を見せてくれたことがありました。大口径のズームレンズを付けていました。
「これから支払いが大変ですが・・・。」と。
でもそれで仕事が受けられるようになるという一面も・・現実的には・・・ありますからね。
私のカメラとレンズでは、一瞥されて、他をあたってみますということになるでしょうか。

音楽演奏の撮影はとても好きですし、楽しいですね。
演奏家たちもとても喜んでくれるのがうれしいです。

撮りながら聞く、聞きながら撮る訳ですが、席に鎮座して聞くのとはまた違った味わいがあります。
プロが依頼されて撮ると言うことであれば、こんな緩いことではないのでしょうが。

写真好きの人たち、写真を撮る人たちに「いいね」と言っていただけなくても、演奏家たちが「いいね」と言ってくれると実にうれしいのです。
私にとってはその違いがとても大事なんです。
- 2019/03/02(土) 00:00:10|
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