仏壇は工芸の粋を集めたモノとも言えます。
この方は木彫をされています。

話しかけますと「以前、撮ってもらいましたよね。」という声が返ってきました。
いや、実は話しかける前に、私の記憶はあいまいで確信をもって「以前にもお願いしましたが・・・・。」と言えなかったのです。困ったものです。

こういうことがこれからますます増えてくると思いますが、最初の時に失礼のないようにお願いし、気持ちを入れて撮らせていただくことがとても大事だなと思いました。
そうでなければ、二度目にお目にかかった時に眉を曇らされては決して撮影などお願いできるものではありません。

こうして以前撮らせていただいた方が、どんな声で、どんな言葉で私とやり取りするかによって、そのお隣におられる方の受け止め方が違ってくるのは当然です。
幸いそれほど悪い印象を残さないでいたようで「どうぞ。」と快く撮影をお許しいただけました。

椿の浮彫の部分は別の部材をあらかじめ削って、それを板に貼りつけて凹凸を強調するのだそうで、そうすることで「コストも軽減することになる」のだそうです。
この彫が済むと漆で仕上げるのだそうですが、そうなればもう全く一枚の厚い板から削り出したようになるとのことです。彫った時点ですでにほとんどの人は分からないだろう、そこに自分たちの技術があるともおっしゃっておられました。
いわば舞台裏のようなそんなお話も聞かせていただけます。
2倍の厚さの上質の部材は値を上げてしまいます。 こうすれば価格的に幾分でも手に取ってもらいやすくなるとのこと。それでも少しも見劣りがしないものを作り提供したい、そういう職人の心意気でしょう。
- 2019/02/28(木) 00:00:06|
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今日のカテゴリーを無理やり?「人物」にしました。
ここに来る途中の車の中で、今日の演奏者の一人だと早合点した私は、「今日はよろしく。写真撮影は大丈夫ですか?」とリハから撮るよという事前の暗黙の了解の念押しをしていたのです。
多分そういわれたこの人は内心戸惑っていたのだと思いますが、「えっ?何のことですか?」とは言わないで「はい。」という返事をしていました。そういう聡明さをお持ちでした。

それであとになって私の方が、しまった、勘違いしていたと気づいたのですが、レンズを向けても嫌がらないでいる姿に、これ幸いに撮っていたというわけです。

後日改めてブログ等にアップすることの了解を得ましたのでこうして掲載しているのです。
今年に入り若い女性ばかりでなく、そもそも女性を撮るチャンスがことのほか少なかったのです。
私の人生の「潮目が変わった」とさえ思うのです。 下世話な話に人生に三度モテ期あるなどと言います。
ここ数年の間に女性を、それも20代の若い女性を撮れてきたということが摩訶不思議な現象だったのかもしれません。
それが、パタリと止んでしまいました。

リハを撮っている合間にちょっとチャンスを見つけて撮らせていただきました。

「冬来たりなばとは言うけれど・・」の人と同じ年齢でしょうか。
ちょっといたずらしてポットを持っていただきました。
こんな素敵な人が撮れたのですから、これを機会に、また多くの女性を撮れるように私の運命が切り開かれますように・・・・。
- 2019/02/27(水) 00:00:59|
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昨日、本ブログに書いた音楽会でお見かけした若い人。
某大学の交響楽団でクラリネットを吹いているんだそうです。「ピアノの腕前も相当なものですよ。」とはこの人をよく知っている方のお話。
事実、今日の音楽会では演奏するメンバーには入っていませんが、この後の会食の際にはクラリネット奏者の伴奏を即興で見事に務めていました。クラシックの造詣は相当なレベルのようです。

クラリネットの方が思いついて吹く曲を楽譜なしで対応していました。
こういう素養があるということはなんて羨ましいことでしょうね。良い家庭に育たれたんでしょうね。

本来は「聞きに来たお客さま」なんですが、周囲が何とか参加させようと・・・・。 ことにいま右手で演奏しているクラリネット奏者が,
のせるのがお上手なんです。
次回の回では演奏する側に回っているかもしれませんね。
それにしてもこんな笑顔の出来る人は性格も良くて知性にも富むと思います。

私はここのところ数回、演奏家と一緒にこのログハウスに来ています。
そしてこうしてリハからじっくり撮らせていただいています。 とにかく撮る楽しみをいただいているのです。
2時間ちかくたっぷりとお付き合いできるのですし、ほぼ何の制約もないのですからうれしい限りです。
私のようなものがこういう機会を得られということ自体が「有難い」ことです。

私は音楽に関して、文字通りずぶの素人でこの世界の人との縁はほとんど絶無だったのですから、縁というものは不思議なものです。
- 2019/02/26(火) 00:00:57|
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あるギャラリーのオーナーさんを通じて縁をいただいた音楽家たち。
演奏メンバーを誘ってくれているのは若い女性ファゴット奏者。このファゴット奏者は今日は別にオーケストラの演奏があるのでご自身はおられません。
今日はピアノとオークラリネットとオーボエです。

ピアノの女性は長年音楽家たちのネットワークのハブだった人で、私自身も最近になっていくらかご縁のある方です。
この会場はあるギャラリーのオーナーのご自宅なんですが、毎年こうして音楽家を招いて、友人知人と豊かな時間を共有されようという企画なんです。

どんなジャンルの音楽でもやはりライブが一番で、まし少人数のお客さんと、この距離で演奏を楽しめるというのはずいぶんと贅沢なことです。
建物は立派なログハウスですから音にも優しくて、しかも薪ストーブが赤々と燃える温かさ。

これらの写真はリハーサル時に撮っていますが、このリハーサルの撮影を許していただいていることが私には何といっても贅沢な時間です。
これまでも数回撮っていますし、この日の新人であるクラリネット奏者とは他のメンバーとも一緒にお酒を酌み交わした仲なので、遠慮なく撮れます。
その成果は後日アップしたいと思います。
ここからはお客さんが入ります。

皆さん音楽好きですし、これまで多様な経歴をお持ちの方々ですから、途中で出てくる質問も本格的ですし、演奏後の会食では多様で豊かな会話を楽しみます。 プロ・アマの声楽家や演奏者も交じっています。
お酒も進みますしね。

私はもともとこんな集まりに加わる機会のある生活をしてきませんでしたし、その余裕もありませんでしたが、写真を通して、つながることができました。

ここでは「写真家」として紹介されているおかげで、こうしてカメラを取り出す自由を得ています。

他の皆さんは仮に取り出すとしてもスマフォですので、フルサイズ一眼レフ機を手のする私は「写真家」なんです。
音楽の演奏を撮るには、…リハーサルではともかく、本番では・・・やはりシャター音を消せるカメラがいいですね。
それにストロボのいらない高感度カメラ。 私のカメラは、メインのカメラが3から4世代、次のものが2世代古いものですが、それでもフィルムカメラ時代の事を考えれば、驚くほどの可能性です。

それでも後日撮影すことになっているjazzバーなどでは一層の好感度が…きっと…欲しくなりますから、カメラの深化への欲望はつきませんね。
私自身は買い替えるなんてことは到底できませんが。
ただそのハイスペックを武器に良い写真が撮れるかということになると、・・・・、なかなか難しいものですね。
- 2019/02/25(月) 00:00:34|
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シャッターチャンスに後ろ髪はない!
そう思って自分の行動をコントロールしようとしているのですが、臆せずに「撮らせてください。」と口に出すことができないことが度々です。自分の中に「抵抗勢力」があって、なかなかそうはならないことが少なくないのです。

こういう公開の場では「撮らせてあげよう」としている人にお願いするのだから、話は簡単じゃないかと思われる方は多いと思います。
でもそこに微妙な事情が絡むんですよね。

この微妙な事情というものを察する人とそうでない人、大したことではないと思える人とそうでない人とでは当然に動きが違ってきます。
梅の季節、桜の季節が近いですが、カメラを手にした多くの人たちの動きを見るにつけ、そういうことを感じます。
こうした実演をご覧になり、またカメラに収めたい人は、私だけではありません。
またこうした機会に職人さんと交流されたい人、尋ねたいことをお持ちの人、ご自身もこうした分野で仕事をしたりしていて本格的な交流をされたい人などなど・・・お客さんも様々です。 親族の方も来られます。

そうした中で撮影のチャンスをいただくことは、必ずしも容易ではありません。

この方にもいったん撮影をお許しをいただいたのですが、直後にごく親しい方がこられて長いお話をされます。それで私はここを離れて他に移り、しばらくして戻りましたが今度は職人同士のお話をされていました。
そうこうしているうちに戻らなくてはならない時刻となってしまいました。
私はこういうことを繰り返す人間なんですね。
時々我がことながらため息が出ます。
- 2019/02/24(日) 00:00:41|
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仏像を彫るところをじかに見る機会はあまりありません。
わたしは男女一人ずつの仏師を知っているだけでした。

この方は大ベテランの仏師さんです。
一木造や寄木造などの仕組みや特徴を懇切に教えていただきました。

鎌倉期の仏像づくりに見られる水晶などで入れる「玉眼」についても仕組みや作り方も教えていただきました。
頭部の前面が切り離されるようにできていて、中は空洞。くりぬかれた目の内側に湾曲するように削られた水晶(今ではガラスも使われる)の板を当て、それに墨などで裏から直接に瞳や目尻、あるいは毛細血管を描いたうえ、動かぬように真綿あるいは紙などを押し当てるとともにその色をで白眼を表現するのです。
なかなかの迫力ですが、瞳を墨で入れるときにはとても緊張するそうです。
「これで表情が決まりますからね。」
画竜点睛の言葉もありますしね。

ここでは公開で実演していますので、「撮らせていただいても良いですか。」とのお願いには大方の職人さんが快く応じてくれます。
でも、やはり、仏像や木彫に興味をもっていろいろお話を伺える準備があったほうが良いと思います。
そうすると、ただ珍しいからとか、旅の記念にという様な事で撮影を許していただくのとは違った空気を出して実演をしていただけるような気がします。

私はこれまで幾度となくこうした公開実演の場で職人さんを撮ってきました。
公開なんだから「撮るのは簡単だろう?」とおっしゃるかもしれません。確かにそうなんですが、そうとばかりは言えないということに気付きます。
お客様サービスで「撮らせてあげている。」という場合と、職人としての矜持・技を撮ってもらいたいと思っていただける場合とがあるからです。

職人さんも「本気で撮ってほしい。」という思いをお持ちなのです。
私が記念の2,3枚を撮るのではなくて、四方から観察して幾枚も挑戦するのを察知すると醸す空気がぐっと変わってくることがあります。

そういう時にいい写真が撮れることがあります。
有難いことです。
- 2019/02/23(土) 00:00:48|
- 伝統工芸
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よく「白黒」で撮るんですね?!とか言われるんですが、モノクローム(モノクロ)という呼称もあります。
「白黒で撮るんですね?」と言われて「はい、モノクロで撮ります。」というのは何かものしり顔で嫌なんですが、「白黒」というと「白」と「黒」で描かれると言うように私には聞こえて、中間のグレーの諧調全体が抜け落ちるようで、ちょっと違和感があるのですね。
水墨画では、墨色一色でどのような中間の段階も描き出しますので、そのほうがいいかなと・・・。
ただ単「色」画ということは、青一色でも赤一色でもモノクロームという事なので、そういう意味では、ここにアップしている写真は英語表現と同じく「白黒」の方がいいのでしょうか。
なんてことはどっちでも大した議論ではないのでしょう。

写真≒カラーというイメージの方も多くおられて、「白黒とは珍しいですね。」「白黒もいいものですねぇ。」「いつも白黒なんですか。」と言われるのです。
最近の私は半数以上がモノクロです。
光(明暗)が明確になるからです。

色彩を生かした写真が撮れるといいんですが。
色彩に振り回されているのが私の写真なので・・・・。 (でも後になって、ああ、これはカラーが良かったなあという時も、勿論あります。勿論じゃいけないんですが。)

先日ある場所でまだ23歳の女性を撮った時には「これはカーラじゃないと損するなア。」と思いました。
ご本人のお許しがあればアップしますが、カラーにはカラーの魅力がある!と思いました。 当たり前なんですが。

でも人工光源があるときには多くの場合カラーで失敗する私です。

何時も書くのですがフォワイトバランスが取れないのです。
- 2019/02/22(金) 00:00:27|
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皆さんは「キンカン」という言葉を耳にしたことがありますか。「毎週金曜17時~19時に行われる関西電力京都支店脱原発包囲行動(キンカン行動)」のことを言っています。
毎週「金」曜日に「関」電前で会いましょう、というわけですね。
猛暑の夏も、厳びしい寒さの冬も続けられる「原発再稼働やめよ」「原発いらない」の声を上げる行動です。

日本人は「健忘症ではないか」とはよく言われることです。
忘れてはならない大切なことを実に簡単に忘れてしまう傾向があるようです。
麻生財務大臣兼副首相などは、そういう日本人の気質というか知性の性質をよく知っていて、どうせすぐに忘れるから少々問題を起こしても問題発言をしても大丈夫だという確信を持っているようです。

でも世の中、そういう忘れっぽい人たちばかりではないようで・・・・・。
広島・長崎原爆被害問題でも、福島原発事故問題でも、沖縄米軍基地、辺野古基地問題でもとてもとても執拗に問題を忘れずにいて人々の記憶を喚起し続ける人がいるのですね。

ソクラテスは「哲学者(自分自身)はポリスの虻」であるべきことを自認していました。人々の覚醒を促すためにたとえ人々からどのように疎まれようとも真実を訴え続ける虻であれ、あろうというわけです。

忘れっぽい日本人の別の一面には「人から疎まれるような」虻にはなりたくない、首を引っ込めていようという心性もあります。「モノ言えば・・・」という心性ですね。そうした平均的な国民性を思うとこの人たちの存在はとても貴重だなあと私は思うのです。

このサングラスの方は、よく知られたフォークソングなどに新たな歌詞を載せて原発の危険性や、核廃絶への思いを訴えています。その歌は静かな口調で絶叫型ではありませんが、通りかかる若者が反応しています。
TVやラジオ、あるいは商業的に売り出される歌の多くは恋愛や個人の私小説的な内面を歌ったもので、かつての労働歌や反戦歌、プロテストソングは極めて稀です。

でもそうしたモノは厳然として存在するわけで、ただメジャーになることに様々な多くの障害がある、作られているということがあります。
ニュースなども同じで、ある人たちが国民に聞かせたいもの見せたいものがTVや雑誌、新聞を覆っているという側面があります。
- 2019/02/21(木) 00:00:28|
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おそらくこの辺りは東京五輪や大阪万博に向けて様変わりを余儀なくされる地域でしょう。
行政の意志、地域住民の希望・意志が那辺にあるのか、私は熟知しているわけではありませんが、危うい感じは大いにしています。

単純に「このままでよい」とは思っていはいないのですが・・・・。

京都は「千年の都」ということをよく耳にし、目にするのですが、それが単なるお題目であることは実感します。
はたしてローマの遺跡保存と同じ決意が日本国民や京都市民にあるか否か。

こんな写真の撮り方も楽しいね、と話しているところです。

いろいろ試してみましょう。

「○○散歩」がトレンドですし。
「渚の『京都をブラり散歩しましょ?!』」をシリーズ化しましょうか。
- 2019/02/20(水) 00:00:14|
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私は「京都生まれの京都育ち」ではないですし、好奇心のままに人や処を訪ねることができるような進取の精神も持ちませんので、ほとんど京都について知りません。
ただただ長い年月この町に住んでいたというだけのふがいの無い人間なんです。

それでこうして写真を撮るときの「ロケーション」に事欠くわけなのです。
この人もお若いですし、京都市内の人ではありませんので、一緒に、ちょっと足を延ばして「京都の街巡り」です。
背景は「このころ都に流行るもの」の代表的なものの一つ、民泊でしょうか。

高瀬川もこの辺りは宿泊施設以外ではあまり観光地化していませんので、人影もそう多くはありません。
四条より下がり、そしてここはさらに五条よりも下ですから、もう繁華街とは言えません。

この辺りはかつて「五条楽園」と呼ばれた地域です。
それを偲ばせる建物もいくつか見られます。
鴨川を越えれば宮川町も近く、その昔は、花街として栄えた地域ですね。

ここはいわゆる「五花街:祇園甲部、祇園東、先斗町、宮川町、上七軒」の中には入りませんが、京の花街は島原遊郭もあります。
それぞれ「格」があるそうですが、私はそういうことには疎いので・・・。

では、もう少し奥に行ってみましょう。
- 2019/02/19(火) 00:00:26|
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それにしても私と同い年の内田氏の活力に満ちたお顔には驚きます。
武道もされておられて、この時も翌朝6時から稽古があるので、今日は質問時間を設けずにお帰りになるという事でした。
渡邊氏もまた翌日には東京で・・・、とお二人とも大活躍です。

著書によれば内田氏は定年退官ののちには少しばかり時間に余裕ができるはずだったのに、却って忙しく講演や著述に追われているとのことです。それで他の人が書くようなことは書かないようにし、自分しか書かないことのみに絞って書いているのだそうです。それで却って忙しくなっているのだろうかとも。

それにしても対談というのは難しそうですね。
どちらかが狂言回しを買って出ないと、話題の方向性が定まらないですし、相手の話を引き出すこともできにくい。
私は客観的に評価すれば能弁に属すると思います。ですが人とお話しするときには、私の話を引き出そうとする人は少なく、多くはその人自身が「話したい」「聞いてほしい」人なので、聞き役や進行役をしてしまいます。
人数が少し多ければなおさらです。 ですから、私の「話し」は私のうちに溜まるばかり。それでこうしてブログを書いている・・・のだろうと思います。

若い時には、人を掻き分けても話していた時もありますが、次第に今のような状態になりました。
ですから口数はとても少なくなったと思います。

あなたは「講師」ですよと決めていただければ他の人に気兼ねなく話せるのでいいのですが、懇談とか会議では・・・・。
パネルディスカッションの様子を撮った写真で困るのは、話す人は生き生きと表情豊かに話しているのに、司会者は進行の確認のためにメモに目を落としていて話者に視線を集中していないし、話していない人はあらぬ方を見ていて今現在話している人に耳を貸していない…ように見える時です。

日本人は対話や討論が苦手だと言いますが、話者を盛り立てたり、関心を示すことが下手ですね。
その点お二人という設定は、まあやりやすいかもしれません。 でも時に片方の人が滔々と話してしまって、いつまでも話を止められないで相手が待ちくたびれているなんて時は困りますね
昔同僚に、話しだすとその話をどう終えていいかわからないという人がいました。
なら、話し始めなければいいと思うのですが・・・という訳にも行きませんから、せめて話の組み立てのメモぐらいは事前に作ればいいのになあと思ったことでした。 でもその人は自分では「いい話をした。」と思っていたようで、少し忠告したぐらいでは変わりませんでしたね。

私が小学生のころ先生がよく「不言実行」をたたえて、「有言」の人を「下」の人だといっていました。「口から先に生まれた」とよく評されていた私は何時もその話を聞いて嫌な思いをしました。私としては子供心に「有言実行」こそ一番尊いのになあとおもっていましたし、大半の人は「不言不実行」でしかないのになぜそこを問題にしないのだろうかと。
民主主義では「話す」「聞く」を通じて考えを共に深めることがとても大切なのに、「巧言令色鮮し仁」ばかりを強調するのはおかしいなあと思っていたことでした。
- 2019/02/18(月) 00:00:24|
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安倍晋三自民党内閣の最大の目標は「改憲」です。
この改憲については様々な意見があります。
私も現憲法を丸ごと是とするものではありません。ただ現状況下での改憲には道理もなく、その改憲の狙いは大半の国民にとってはひとかけらの利益ももたらさないと思っています。
一般論としては憲法を「不磨の大典」とする必要もなく、常に必要な議論・検証をしたらよいと考えています。
しかし、残念なことに、現今、改憲が話題になっているからと言って憲法意識や知識が国民の間で深まっているかということになるとそれは大いに疑問です。
改憲に賛成される方たちから、教育現場で偏った憲法教育が行われているという発言をよく目にし、耳にします。それで少なくない人がただ見識もなく洞察もなしに、教師の言葉をうのみにし、思い込み(刷り込み)によって「分かりもしないで護憲を唱えている」という批判をする方があります。
私はそうは思いません。教育現場では言われるほど熱心な憲法教育・学習が行われているかどうか、憲法制定理念を歴史的にまた憲法論的にきちんと深めて複眼的に教えているかというとかなり疑問です。ですから若者の中に憲法の歴史的な水準や憲法の理念が定着しているかというといささか以上に疑問なのです。それは現場の先生たちの憲法学習自体の衰弱としても現れていると思います。学校の中では政治的主張をしたり討論する環境がどんどん狭められ教員の自由な思想も創造的な教育実践も極めて狭く制約されています。
また、一般紙企業においても職場の中では「政治」はタブーになっているところが圧倒的に多いでしょう。
マスコミに対する政権与党の圧力とマスコミからの「忖度」、NHKの退廃など目に余るものがあります。憲法を広く国民的に、大いに異論をぶつけて議論するような環境は壊されています。
これでは改憲の検討など到底無理です。
しかし、改憲派の人たちはむしろこうした状況を歓迎、さらに強化して、その中で改憲を実現しようとしているように見えます。
そこに現在の改憲派の人たちの底意、未来社会像が透けて見えます。
(それでも改憲派の人たちは自らの都合の良い状況になっていないことを教育の責任にしているのです。それで焦れて教育の内容に盛んにくちばしをさしはさみ教科書選定に政治的圧力をかけるなどして干渉してきました。それが端的に表れ、教育現場を改憲派で乗っ取ろうとしてその見にくい姿を露呈したのが森友学園問題でした。)
改憲論議をするならするのでいいんです。ただその中で様々な異論や疑問があるはずですからそれらがよく討論され意見交換し、認識が深まるとともに同じ憲法のもとで生活する主権者同士としての連帯や共感性が深まることが望ましいと思います。が、それがそうなってきているとは私の目にはとても見えません。
憲法論議を通じて「国民性」がステップアプしていくことが望ましいと思います。それは排他的なナショナリズムのあおりとはまた別の事です。
さて、そういう意味からいうとこの「対談」企画は、優れて今日的だと思います。
「ビッグ対談 『自衛隊と9条』を語る」 対談者は元陸相の渡邊隆氏と思想家(チラシの紹介通り・・蒼樹)内田樹氏

内田氏については、手の届くところにも『街場の中国論』『街場の憂国論』があり、ほんの少しはお考えに触れているのですが、渡邊氏については全く存じ上げません。

ここでお二人がこの日どんなお話をされたのかをご紹介する気はないのです。
私が聞きたかった論点や深めていただきたかったことについては触れられずに終わり、私としてはいささか不満が残りました。
が、 幾つかの点で違和感を抱き、納得できないお話も聞かせていただきましたから、その点では聞きに行って良かったと思いました。
私は会場に入る前に写真撮影に関しての制約について会場スタッフの方に確認していましたので、最前列で話を聞きながら撮影をさせていただきました。
そして会が終わってお二人がご自身の著作のサインセールをしていましたので、その手の空く隙きに公開のお許しをいただきました。

私は高校生の時に友人と連れ立って浜松の航空自衛隊基地の近くで若い自衛官たちにマイクを向けてインタビューをしたことがありました。
いろいろな地方語の訛りを持つ私たちとそう年の違わない若い自衛官たちは照れながらも率直にインタビューに答えてくれました。

自衛隊は憲法違反の存在だと言われ、保守的な静岡県西部地方であっても制服で外出するのは気が引けるという時代でした。
渡邊氏も防衛大学校入学の年に長沼第一次判決で自衛隊は憲法違反だという判決がだされ、悩みながら自衛官人生を送られたそうです。
「軍隊」の中に「軍」の存在や役割について葛藤があるということは極めて大切なことだとわたしはおもいます。(それはどのような組織にも言えることだと思いますが。)

ただ自衛官幹部の中に田母神氏のような人物もいたし、私の個人的な体験としても、若い尉官から「そのうちにおまえたちのような奴(護憲派?)は皆放り込んでやる!」と面と向かって言われたこともあります。PKOに出た先で「軍事的衝突が起こってしまえば政府も国論もついてくる。」と戦前の関東軍の将校のような考え方をもって活動し、その後国会議員となっている人もいます。
ですから、憲法にしろ、自衛隊にしろ、具体的にリアルに見ていく必要があると私は思っているのです。
今日書いている文章は「渡邊氏も防衛大学校入学の年に長沼第一次判決で自衛隊は憲法違反だという判決がだされ、悩みながら自衛官人生を送られたそうです。」以外については渡邊氏や内田氏がこの対談の中で話されたことの引用ではありません。あくまで私の考えですので誤解無きようにお願いします。
- 2019/02/17(日) 00:00:35|
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鈴木さんとは高校の同窓なんですが、私の弟と同学年じゃないかとお話したことがありました。 私の弟は多分その学年では幾分知られた存在だと思っていたので、知らないのはおかしなあと話していたのですが、その後卒業アルバムを見てもそれらしい人間はいなかったという事でした。鈴木さんはさらにひとつ学年が下という事でした。

単なる気分の問題、先入観なんですが、鈴木さんの笑い顔を見ていると、なんとなくあの静岡の西部の雰囲気がするんですね。
彼は海沿いの別珍・コールテンで有名な町、私は旧東海道見付の宿場町の子(とは言えませんね、今でこそ家並みがつながっていますが)?でした。

「思えば遠くへ来たものだ。」と歌われましたが、高度成長期以後の若者の少なくない者が故郷を離れて暮らしの地を見つけ、そこで人生を終るのです。
日本史の中では極めて特異な状況ですね(戦争政策をとった政権ににそれを強いられた先輩たちがありましたが)。これからも続くことでしょうが。

こうした写真を見ていると、その人の人生の断面、刹那に触れているんだなあという感じが起こってきて切ない気持ちになりますね。
そこに自分を重ねるからでしょう。

それで、私は自分ながら良い課題を設定したなあと思います。

実は、ほとんどご自身では動けなくなり意識も不分明なご主人のために定期的に音楽家を招いてライブ演奏を聞かせてれおられる様子を、以前拙ブログでご紹介しました。
そのご主人の訃報を2週間ほど前にいただきました。
あの時写真に撮って、こんな時間を一緒に過ごしたよと言う奥さまの記憶を写真にして差し上げられたのは良かったなあと思います。
写真に人生あり、です。
- 2019/02/16(土) 00:00:58|
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寺町丸太町を下がったところに「Art Space-MEISEI」があります。日本画を中心に展示をしているギャラリーです。
そこで「洋」画家の鈴木さんが『自選展』をされるというので「おや?!」と思ったわけです。
鈴木春生さんのプロフィールには「静岡県磐田郡福田町(現 磐田市)に生まれる」とあります。
私と同郷で高校の同窓生ということになります。少し後輩になる方です。

数年前にある別のギャラリーで作品展をされている際に、このプロフィールを見てひょっとしたら後輩かなと思って声をかけさせていただいたのです。
私の高校から、西に来る人は、多分今よりずっと・・・・割合は少ないと思いますので、ちょっと懐かしさもありましたし、作品もとても好もしく感じたからです。

以来活躍の様子をあちこちで見てきたのですが、この際、作品を見せていただきながら、ぜひ撮らせていただこうと出かけました。
ギャラリーのオーナーさんは懇意にしていただいている方ですが、「鈴木さんとどういうつながりで?」とお訊ねすると「来る人来る人がそういうわねぇ。今回が初対面よ。」

こうして作家さんともギャラリーのオーナーさんとも顔なじみだったせいで、当然のごとくカメラを出したわけなんです。

何処で、どんな風に撮ろう?ということになるわけですが、丁度その時に鈴木さんの知人が来られてお話が弾みましたので、その横から、失礼。

私は普段ほとんど京都弁を話しませんし、多くの方が私の言葉から「関東からですか?」とおっしゃるのですが、なぜかオーナーさんは「へ~、同郷なの? どこ?」などと言っていました。 静岡県磐田市ですよ。
- 2019/02/15(金) 00:00:33|
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もう少し後には関東に戻って旧知の方たちとの演奏会に参加されるのだそうです。
しばらく楽器を手にすることなく過ごされて、先の演奏会に参加する人たちからの誘いでまた練習を再開したとのことです。

こうした楽器をご自身で所有されているというのはよほどお好きなんでしょうね。
練習場所を見つけるのも難しいことでしょう。
どこかスタジオとか・・カラオケボックスとか?

スコアスタンドは強風には向きませんのでスコアは手持ちです。
なかなか不自由なことです。
寒さに手指も動きにくくなるでしょう。まして日も沈みかけています。
写真を撮る私にはよい光ですが。・・・・と、思って声をかけさせていただいたのですが、お願いする話などをしているうちに、太陽は西の雲の陰に入り、なかなか顔を出してくれないまま沈もうとしています。
さすがに低い音が出ます。
お腹に「ボウン バウン」と響きます。

普段、お仕事をしながらの練習ですから、時間の捻出も難しいことでしょうね。
それをこうしてながながと話しかけてお邪魔をしてはいけません。

先日ある若者たちの写真グループ展を訪ねました。
お互いに勉強会をしているんだそうです。
その参加者たちが長いテーブルを囲んで話していたのですが「フジのカメラがいいよね。」「そう!色が大好き!」「でもキヤノンやニコンに比べてAF性能がいまひとつ追いついていないし、ISOの性能も・・・。」などという会話が弾んでいました。

今日のような被写体を撮るときに、これがフジのカメラだったらどうなんだろうと思わないこともありません。
カラーにしろ、モノクロにしろフジには主張があるように思います。
サブとして持っていれば選択の幅が広がりますね。

金管楽器の色つやはフジで撮るとまた一味違います。
今日はソニーです。
- 2019/02/14(木) 00:00:52|
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2月も中旬です。
これから3月にかけて、ことに寒く雪の降る日もあるでしょう。ですが、それもあと一月ばかりの事です。
と、書いて暖かい春を待つことにします。

せめて目に明るい写真にしましょう。

これまでに1400人の方々に写真を撮らせていただきましたが、1300名に達してからの道の長いこと・・・。
今年3月が終わるまでに1400人になれば上首尾としておこうと考えていたのが、2月中に実現したのはうれしいことです。
人数を目標としているというのではないのですが、生涯2000人を達成できれば、ちょっと何かをしたような気分になれるかなと思いますから、ある程度その中間段階を元気なうちに達成したいわけです。
何しろ今のペースでいけば、2000名達成には優に5年はかかりそうですからね。

それまで命があるでしょうか。
もっともっと、こういう若い方たちに出会って清新な気持ちをいただかないといけません。

でもこれからずっと男性ばかりということに・・・・なるのではないかという心配も・・・・、
人の半分は女性だというのに・・・・。

もうすぐ春ですから、その光と温かさに向かって若い人たちが多いに外に出てくるでしょう。
そうしたらきっとチャンスはあると思います。

それでますます「春よ来い、 早く来い。」というわけです。
服装もも明るい色になり軽くなって、ことに若い女性はきれいになりますしね。

そうしたら私はカメラをもって「花咲爺」になりましょうか。
もっともあれは渥美清さんによれば「放さんか! 爺」だとのことですが。

カメラを「放さん! 爺」になりましょう。
- 2019/02/13(水) 00:00:38|
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京都の岡崎というところに京都勧業館みやこメッセという建物があります。平安神宮の近くです。
ここには大会議場もあり展示場もあります。
その展示場の一つで業界団体主催の仏壇の展示が毎年行われます。
時代とともに家族の在り方も「先祖供養」の意識も、また家屋の作りも大きく変わってきています。
そうしたことを受けて新たな仏壇の提案がされたり、又伝統的な工芸の高度細密な技術を凝らした仏壇が展示されています。

その会場では、仏壇・仏具にかかわる職人さんたちが公開実演をしてくれています。

今製作されているのは真鍮製の、亀の上に立つ鶴の像です。
鋳型によって作られた鶴を細部にわたって彫っていきます。
なかなかの重量です。

会場のスタッフの方に伺うと「職人さんが了解すれば撮っていいですよ。」とのことでした。
ただ・・・、無論の事・・・・奥に展示されている仏壇は撮ることはできません。
観音開きの扉を開けると貝象嵌で描かれた見事な桜をあしらった仏壇がありました。工芸的に見事ですが、お値段もそれにふさわしいものでした。紹介したいところなんですが。

私の父は二男でしたし、私の家には仏壇はありません。
皆さんのお宅ではいかがですか。
- 2019/02/12(火) 00:00:02|
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下賀茂神社では、面白いいきさつから、台湾からの留学生と話すことができました。
その人は首からカメラを提げていたのですが、そのカメラがキヤノンのAE-1でした。私も持っているカメラです。フィルムで撮っているんですね。彼女の持っていたカメラは、中古品ですが、とても状態の良いカメラでした。北野天満宮の古物の中から見つけたといっていましたが、幸運な人です。

このトランペットの人は、私が声をかけて撮影をお願いすると二つ返事で応じてくれました。

デジタルカメラになって背面液晶画面で、今撮ったばかりの画像を確認できるようになりましたね。
でも5Dno液晶画面の再生精度はかなり悪くて、色味も実際とはかけ離れています。
ですから、まあ撮れたなということを確認する以上の役割を果たしてくれません。ここ数年のカメラからすれば使い物にならないという感じですね。
でも、これほど条件が厳しくなければちゃんと撮れます。当たり前ですが。

ああ、せめてフジのX100fを持ってくればよかったなあ。
でも5D+バリオゾナー=重い!ので、サブ機を持つ気にはなれないのですね。手作り市の出店者を撮ることを予想しての機材選びだったのですが。

このトランペットの金属色などいい感じだなあと思うのですが。

それにしても何とかパターンを破って撮りたいと思うのですが、「初めまして。」の人にはなかなか工夫が付きません。
資材置き場の空気やランナーの動きを加味したいとは思いながら撮るのですが。

まあ、こういうことを楽しむのがまたいいのですが撮らせてくれた方には申し訳ない気持ちですね。
- 2019/02/11(月) 00:00:43|
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節分の日でした。
上賀茂神社で手作り市の実行委員会の主催で甘酒を振る舞われて、今日は昼時までには帰らなくてはと思いながら自転車を走らせていると・・・。
私は対岸を走っていたのですがトランペットの音が川面を渡ってきました。

橋の下ですし、音は一層響きます。

工事用の資材でしょうか、融雪剤の備蓄でしょうか。袋が積まれている場所です。
いつもの鴨川の風景とは違うので、何とか撮らせてもらえないかと思いました。
ただ光の条件は極めて悪いです。

場所を動いてもらうという手もあるにはあるのですが、この場所を選んでいるということ自体がこの人を表しているのですから、やはりいつものように、そのまま、あるがままに撮ります。
撮影の条件云々はあくまでこちらの都合ですから。

それにしてもこんな日に、5Dとバリオゾーナー28-85でレンズのf値が大きく暗い。ピントはすこぶるつかみにくいのです。この組み合わせではマニュアルでフォーカスしますから、こんな暗い場所では悪戦苦闘です。
最新のカメラとレンズならば、こんな苦労はないでしょうね。
ただ、昨日の「あぶり餅」の写真もこの組み合わせでしたが、条件によってはとてもいいのですから、時に使ってみようかなという気になるのです。

5DのISOの最高値が1600ですので、その点でも苦戦を強いられます。
せめてマークⅡならと思わないではありません。
が、フィルムの頃ならASA100でしたか。それを思えば贅沢な話なんですが。
- 2019/02/10(日) 00:00:30|
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京都盆地の北部、紫野辺り。今宮神社があります。去年の強風を伴った台風で、北大路から入ったところにあった鳥居が傾き、結局撤去されてしまいました。
・・と、そんなこととはかかわりなしに・・・。
ここは右手も左も「あぶり餅」のお店です。日本最古の「お菓子屋」?
北側(ここでは向かって右)にあるのが創業千年の「一文字屋和輔」、南側が創業400年の「本家 根元かざりや」。

私が加えてもらっている京都ファインダー倶楽部の今年の新入会員さんは「室町時代以来の」とか「江戸期から続く」とかのお寺さんやお店の方でした。 まあ、そういう町なんですね京都は。

黄な粉の香ばしい香りがします。
茣蓙の上で餅に黄な粉をまぶしています。これが他のものを敷くよりも、台にするよりも仕事がしやすいのだそうです。
「ずっとそうなんですよ。」 でも「ずっと」ってどれくらいなんでしょうね。

以前も書きましたが、昔の同僚の御先祖が岩倉という地の少し奥に移り住んで農業を始めたのだそうです。それが室町時代の終わりころ。それでその家は「新しく来た人」と言う意味のことをずっと言われ続けているんだそうです。
ですから、私のようなよそから移り住んでいる者は、「少し前の事でけすど・・」と言われた時に、うっかり自分の「少し前」感覚で話を聞いてはいけません。
案外ペリー来航の頃の事かも知れませんから。
櫛が抜けてしまわないように餅を縫うように刺します。
皆さん素手で作業をしておられますね。ビニール手袋などはしていません。そして茣蓙を敷いています。
これでいいんだと思います。
「清潔」を装っているお店などで、手袋をして作業をしている人がその手で電話を触ったり、レジを打ってそのまま作業に戻ったりしているのを見ます。
ある「回転ずしチェーン」では寿司の台の上を覆うプラスチックケースを清潔さの『売り』にしています。
でもそのケース自体は一日にその数割を洗うだけですので、多くのものに食べ物のかすがこびりついていたり、汚れが目に見えて付着していたりします。
清潔のイメージを売りはするが、本当に清潔には関心がない営業姿勢は大きな問題です。
私は責任者を呼んで2度指摘しましたが、全く改善されず3度目にしてようやく少し前進したということがありました。
また一方で、極端に無菌的に清潔にすることが・・・・いえ、この写真の状態が不潔だと言っているのではないのです・・・人にとって良いのかどうかもまた、私はすこぶる疑問です。

焦げ目がつき、膨らんでくるまで焼きます。
かなりの高温ですから夏は大変な作業です。手袋をしているのは手が熱いからです。使っている炭は備長炭だそうです。
多くの場合に、こちら側でも、向き合う形でもうお一人が焼いていいます。

この後、白味噌を絡めて食べます。
小さな餅ですからペロッと食べられます。

昔は甘さのうれしいお菓子だったんだと思います。

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- 2019/02/09(土) 00:00:12|
- 働く人々
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この人は祇園祭の長刀鉾の浴衣の図案を、もう4年も描いているのだそうです。
今年も依頼されているので「かなりのプレッシャーです。でも名誉職ですから、有難いです。」と。
祇園祭の長い歴史にご自身の仕事が入るのですからすごいことですね。
しかもお稚児さんが乗る長刀鉾ですから一層注目されます。

周囲の目も気になるそうです。
そりゃそうですよね。
各鉾、山ごとに町の威信にかけて浴衣を出すのですし、鉾や山に乗ってお囃子をする人も、またそれを曳く人もこの浴衣次第で誇りにも思い、意気も上がるでしょうからね。

1年おきに浴衣の意匠を変える町もあれば、長刀鉾のように毎年変える町もあります。
先ほど書いたように「お稚児さん」が乗る特別な鉾ですから、「毎年新たにしてお稚児さんに失礼の無いようにする」のだそうです。

この方は業界では若手です。
お父上も下絵をされていてその跡を継いだそうなんですが、今後についていろいろ思うところがあるようです。
「伝統」工芸がただ古いものであっては生き延びられませんしね。
基本的に伝統工芸もあくまで「生業」だということが大事な点です。

どうしたら現代、未来に息づけるかという事、それを探求せねばなりません。
そうでなければガラスケースに入ってしまいます。

お互いに以前お会いした記憶が戻りましたから、打ち解けて入りいろなお話を伺えましたし、なんというかこの方の覚悟のようなものも伝わってきました。

私にできることはレンズを向ける≒注目することしかありませんが、応援していきたいと思っています。

- 2019/02/08(金) 00:00:18|
- 伝統工芸
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「〇年ほど前に撮ってもらった(撮らせていただいた)ことがありましたよね?!」という方にときどきお会いするようになりました。
この方も4年ほど前に撮らせていただいて「そのカードもっていますよ。あの時はブログにあげていただいてありがとうございます。」なんて言われてしまいました。

私も一目見た時には「オッ! 以前お会いしたことがある人だ、・・と思うけど、・・・そうかな?!・・多分、いや違うかな?」
どうも私の記憶力には絶望しかないです。
一応その言い訳には「1400人ほどの方に撮らせていただいてきたので記憶が混濁してしまって…思い出せなくてごめんなさい。」なんですが、そうでなくともそもそも記憶できない、記憶を引き出せないこの脳みその体たらく!!
この記憶力の無さで「君は研究者になれないよ!」と言われたこともありました。ご正解でした。

この方は西陣織の下絵を描かれています。
絵の具を盛り上げて厚塗りをしているので「どうしてですか?」とお訊ねすると
「この下絵を見て出来上がりを想像してもらいやすくしているんです。」とのことでした。

織物は平板な絵とは違います。
刺繍があったり金糸銀糸が織り込まれていたりと様々な凹凸があります。
それを予想して、こうなりますよという絵を描かれるのです。というか、むしろここはこういう織り方で表現するのだと提案しているのですね。

西陣や友禅の世界にもコンピューターやプリンターが導入されていて、ある種どんどん現代化しているのです。
それはおおむねコストカットの手段として導入されているのですが、いわば現代かですね。

ところが別の面では昔ながらの仕組み・習慣が残っています。
こうした下絵職人が描いた「原画」は問屋の買いきりになります。
それでこの原画の色を変えようが、一部を切り取ろうが、パターンをひっくり返そうが、この原画から何枚の反物や帯ができようが、それらは職人の工賃には全く反映されません。
つまりは「職人の著作権」なんてものはないのです。そして反物にはその職人の名前も、当然❓書かれません。極めて特殊な、例えば人間国宝などが描いていれば別ですが。

こういう労働環境では、若い人は入りにくいでしょうし、育ちにくいなあと思います。
- 2019/02/07(木) 00:00:08|
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太陽が出ているとはいえ、もうだいぶ日は傾いています。
気温がどんどん下がります。
でもこれまでの日差しの中でクラリネットの練習です。

音がクラシック演奏のものでしたが、「ジャズもやっているんですよ。」とのことでした。
事情を説明して撮らせていただきます。
西の空に低くなってきた太陽をどう生かすか、それが問題なんですが・・・・。

日差しはあっても寒いことには変わりないのです。
やはり青年は強いですね。 私の服装はとても皆さんには見ていただけません。これでも若いころは「かっこつけ」ていたんですが、今はもうただただ実質的でいいんです。 何しろもう年金生活者としては手袋もホームセンターで見つけた500円ほどの安物を付けているくらいなんです。1シーズンしかもたないでしょうからかえって高くつくかもしれません。いわゆる「安物買いの銭失い」の典型でしょうか。
(それをこの前ある会で「それじゃあだめだ。」と忠告されたのです。多少のお金をかけても「いいものを身に付けないと気持ちもチープになるよ。」と。なるほどとは思うのですがね。)

冬至から40日ほども過ぎていますから、気温はともかく、どことなく光の様子に春めきが感じられませんか。
寒さで撮るか、暖かさで撮るか・・・それが問題だ!

演奏者の表情は、上を採るか下を採るか・・・・それも問題だ!

それとも・・・・。

写真としてはこれが今日の一枚でしょうか。

後でお話を聞くと、私の住まいからそれほど離れていないところの部屋を借りているようでした。
音を出せる場所を求めてここまで来られたのですね。
「自転車ですから、大したことはないですよ。」と。 私も少し前まではそう言えたんですけどね。
- 2019/02/06(水) 00:00:38|
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二月も節分が過ぎました。
豆まきが廃れ恵方巻を頬張ることが増えました。 文化の軽薄なこと、付和雷同の極致ですね。
と言って我が家でも食べます。それが機会で孫が我が家にくるのならば、理由は何だっていいのです。
2月ともなれば「冬来たりなば春遠からじ」は現実味を帯びますね。 確かに陽の光は弱弱しさを脱しつつあります。
梅も各地につぼみを開き芳香を漂わせています。
梅、桃、杏子・・・・、この人を表すにはどの花をもってすればいいんでしょうね。

能の面はほんの少し傾けただけで表情を変えます。そしてそのようにして劇的な表現をするわけですが、人もまた同じでしょう。

美女はその眼差しだけで人を殺すといいますからね。

それだけに人を絵に描く、像に掘るのは、ことのほか難しいのだと思います。
なかなか、これはという作品に出会えません。
写真も同じです。とても難しいと感じています。

撮る側を常に実在が超えている。
そんなことを思うことがよくあります。

だから、撮っても撮っても際限がない。それが人物写真のような気がします。
- 2019/02/05(火) 00:00:42|
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いろいろ実験するのです。

最近の12月は「案外、寒くないのです。」 それでこんな軽装の写真も撮れるのです。
もっとも最近は発熱する下着を着るのが常識のようです。 その点は抜かりないようです。
私が両親を故郷から無理やりこの京都に呼んだのはその年の11月30日でしたが、その夜半から大雪で翌朝は厚く雪が積もっていました。
私の郷里は静岡県ですから、きっと両親はとんでもないところに来てしまったと後悔したに違いありません。
息子に甲斐性がないとこういう羽目になるんだと思ったかもしれませんね。

他の写真を取り出して比べると驚くのです。 この人の見かけの年齢はずいぶん開きがあります。
十代に繋がる可愛らしさが出たり、二十代後半に繋がるアダルトな感じが出たり。

げに女性は恐ろしい?!
でも、それが青年と言うものですね。
- 2019/02/04(月) 00:00:48|
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以前、駐輪場に停めておいた自転車からサドルが抜き取られ盗まれたことがあります。
そこは工事中のガードマンたちが立っている、その人たちの目の届く場所でしたが。
普段から六角レンチを持ち歩いて虎視眈々と狙っている人がいるんでしょうね。

この場所の駐輪場が工事中とあって「弱ったなあ。この近くに他に駐輪場はないかなあ。」と尋ねると、この青年が実に穏やかな口調で親切に教えてくれました。
オッ!そうだそうだそこに数は多くないけれどあったはずです。
「ありがとう!」
それでわずかな距離を移動して別の駐輪場に回るとわずかに一台分だけが開いていました。
助かりました。ここに停められなければずいぶん遠くまで駐輪場を求めていかねばなりませんでした。
「運よく停められたよ。君のお蔭だ。ありがとう。」と声をかけ、ついでにこの気持ちの良い青年に撮影をさせてもらえるように頼みました。

「向こうにもっとベテランがいますけど・・・。」と言いながらも快諾してくれました。
今、ものを作り出さない仕事を選ぶ人が増えていますが、こうしたリアルに生活を支えている仕事はやはり尊いものです。

株式資本主義・金融資本主義・ばくち資本主義になってしまった日本では、もう一度「労働」の意味や「豊かさ」の意味を元から問い返さないと、社会の根底が大きく崩れる日はもう来ています。
政治家やマスコミに出てくる成金たちの様子を見ればよく分かります。
学生たちの学部選択指向もにもそれが反映されています。そもそも大学自体がそういう時流に阿った学部・コースづくりで学生集めに狂奔しています。

モノづくりを海外移転してしまい(例の『ニッサン』など国内製造を放棄してしまっています。何が『日産』ですか。)、辛い低賃金労働を外国人労働者に依存するような国は衰退するのが目に見えています。第一国民の徳性が退廃します。いえ、もう退廃がひどくなっています。

社会は現業労働だけで成り立つわけではありません、が、しかし、退廃腐敗のゆえに膨張拡大している職種は少なくありません。そこにまた金が集まっていて多くの人が拝金主義、金の亡者になり果てています。

こういう仕事にこそ、手厚い労働条件を確保すべきです。
この青年の姿に希望を持ちます。
- 2019/02/03(日) 00:00:00|
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このころ都に流行るもの 民泊、ホテルに コンビニ建設 更地となれば駐車場・・・・・
そんな中で必要性は高いのになかなか進まないのが駐輪場建設です。
京都のような狭い盆地の中を観光のバスや車が走るのは合理的ではありません。
もっともっと多様な自転車の普及と駐輪場が必要です。

駐車場程利益率が高くないのかどうか・・・・・なかなか駐輪場の建設は進みません。

ここの駐輪場は一等地にあって便利なんです。
しかも従前は「1時間までは無料」でしたので、大いに利用させてもらいました。他の多くがせいぜい30分まで無料なのですが。
それでかどうか、ロックしないままで・・・・つまり、料金を逃れる形で・・・・・駐輪する人が少ない駐輪場だったのです。もっともこの駐輪場は係員がこまめに巡回してくれる?のですが。
それがこの日行ってみると工事が始まり使用できなくなっていました。
これは困ったなあ。

この青年に聞いてみると「バイクも駐輪できたのですが、50CCまでのものが対象なのにそれより大きいものを停めていく人が多くて・・・・。」
それで全面的に自転車用の駐輪場になるんだそうです。自転車を受けいれるキャパが増えて、自転車利用者の私はうれしいのですが、50CCの原付バイク利用者は困るでしょうね。

実は京都市民の駐輪場使用マナーはあまり良いとは言えないように思います。
駐輪場以外の場所に自転車を「放置する」ことについては多くの人件費を割いて取り締まりをしていますので、まあまあという状況ですが・・・・、その分自転車を停める場所がなくて、どうしても有料駐輪場に停めざるを得ないのです。ところが・・・・停めてから電車でどこかに行く人を中心に・・・・駐輪の枠の中に停めながらロックをしないで料金を免れようとする人が実に多いのです。

私のように料金を払って停めようとする人が場所をふさがれて使えないという事態が生まれているのです。
枠の無いところに停めれば放置自転車として取り締まりに遭うのですが、枠内はそのままです。
実にずるい人が多いのです。 ことに京都市役所前は!!

「えっ?! ロックしないでそのまま行ってしまうんですか?」と声をかけても一瞬振り返って、その声を無視し、時には私をにらみつけて、そのまま地下鉄駅に降りていってしまう人は少なくありません。
そもそもタイヤが太すぎたり、荷籠が大きすぎてロックできない自転車で利用する人も多いのです。
子供を幼稚園に送り迎えする電動アシスと自転車の若いお母さんたちの少なくない人が、枠に入れるのですが料金は免れるのを繰り返すのです。(これは駐輪場設置者もニーズの状態を顧慮しない設置の仕方でまずいと思います。)

私は親切な人間ですから「あっ、ロックし忘れている。」と、そういう自転車を見つけると「ガチリッ」とロックがかかるまで奥に押し込んであげます。
多分多くの人が喜んでくれているだろうと思います。
恥ずかしい状態のままで長い時間放置されていなくてよかったと。
- 2019/02/02(土) 00:00:17|
- 働く人々
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ここではずっと以前に・・・今は東京で活躍している・・・・あるハーフの魅力的な女性に力を貸してもらって撮ったことがあります。あの時も楽しかったですが、やはりフォトマヌカンが変われば撮りたい状景も変わりますね。

私は京都ファインダー倶楽部という同好の者たちの会の末席に加えていただいています。
その新年会で「若い女性に写真を撮らせてもらうのに、どのように接し、どのように口説いているのか?」と質問を受けたのです。
まあ、実年齢より6,7歳は年長に見られているような私ですので、なおさら『不思議』『納得がいかん』のでしょうか。

確かに実に幸運なことではありますし、こうして力を貸してくれる人には大いに感謝しなくてはなりませんね。

今日こうして協力してくれている人のほかには1、2の人しか、当面、撮せてもらえる人はいないのですし、さて改めて未知の人を誘おうと思っても、ずと以前と同じように途方に暮れるのです。
どうしたらよいでしょう。
「むずかしいでしょ?だから撮らないんです。」とおっしゃる人はたくさんいます。 確かに難しいですね。
どうしましょう。

拙ブログを見てくれているある写真家さんは、「若い女性のページ以外はさっさとおくってしまうよ。」と暗に元若い女性をアップするようにプレッシャーをかけてくれます。
魅力ある人を見つけて力を借りるのは確かに難事ですので、それくらいのプレッシャーも必要かもしれません。それに楽しみにしているよと言われれば大いに励みになりますしね。

今年の大きな課題の一つです。
以前にも書きましたように、そもそも女性を撮る機会が、ぐんと減っているのですから、頑張らないといけません。

でも、どうやって・・・・・。
ノウハウなんて確立していなんです。
- 2019/02/01(金) 00:00:46|
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