ある人はある人であってある人ではないと・・・
あるギャラリーのスタッフさんです。
もう半年余りもお務めですから、一度や二度お目にかかっているはずだし、レセプションにもおられたというからきっとお顔を見ているはずなのに、スタッフとして認識がなかったのです。

それには多分いくつかの理由があるのでしょう。
私がこのギャラリーの全スタッフを顔見知っていると思い込んでいたこと。多分それが一番大きい原因だと思います。
それで若い作家さん、絵を見に来たお客さんなど勝手に意識に中で振り分けて、いたのでしょう。

「何か特に気になる作品はありましたか?」と尋ねられた時にも、まだそうだとは気づきませんでしたが、「絵についてよりもキャプションの中にある言葉の方が気になりました。」とお答えして、「どんなことでしょう。」とやり取りをした後で、自己紹介をしていただいて、それと知りました。

それから、いろいろなことを語りあいました。
ご本人がちょうどいろいろな点で節目を迎えて問題意識が高まっておられたからでしょう。とてもレスポンスが良くて意識が高いとお見受けいたしました。

たまたまここに来る前にあるギャラリーで同世代の女性画家と、・・・その方が描いているのが抽象画であったこともあって…色々と抽象画についてお話をしてきたばかりだったこともあり、日頃考えていることをここにある場作家たちのキャプションを手掛かりに考えを交換するjことができました。

若い方が相手だと、私と同世代以上の多くを経験してきた作家を相手にした時と同じようには、安心して話せないこともあります。
若い作家の自意識や自負心をいたずらに傷つけるのは本意ではありませんし、相手の評価を受け入れる気持ちを損ねてしまって、議論がかみ合いにくくなります。レディネスを見計らって評価・評論するのでなくては、作家を支援することにはなりませんね。
弱点を指摘し、失敗をあげつらって…主観的には発奮を期待しているとかいうのですが・・・相手の意識にダメージを与えて指導とか、評価とかいっているスポーツ指導者や学校教師が多いことは、よく話題になっています。
テニスの大阪選手のコーチが注目されるゆえんです。
上から目線で否定的側面だけをあげつらって断じても人を育てることにはなりません。自分が気持ちがいいだけです。
私がギャラリー巡りをしながら自戒しているところです。

その点この人はよくよくいろいろなことを主体的に見つめなおし考え直しながら前進してきた人のようで、共感するところが多かったのです。
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- 2018/10/31(水) 00:00:07|
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街で行きかう人を撮ったりするときは、人の流れを気にしながらファインダーの外の人が何時ファインダーに入って来るのかそのタイミングを見計らいます。そして、こういう場合にもそれはやっているのですが、子供さんの動きは予想がつかないことも多々あります。
自分も位置を移動して、そのうえでこの女の子を画面に入れてフレーミングしよう・・・などと考えているうちに女の子が駆けだして、思わずシャターを切り、ピントを歌っている彼から外してしまいました。

こういうパフォーマンスは聞く気で歩いている人ばかりを相手に演奏するわけではないので、時によっては誰も立ち止まって耳を傾けてくれないというなかなか厳しいこともありますが・・・・。
それでもちゃんと足を止めたり、歩く速度を落としたりと、いろいろな人がそれぞれに耳を傾けます。

この写真は友情も感じられるようでちょっといいかなと思います。

目障りな看板に上着を無言でかけてくれたのは、こちらの彼です。
最初、私が自分のリュックをかけてみたのですが、かえって目障りになるのでやめたのでした。
文字情報はどうしても人の注意を引きますから絵的にはじゃやまなんですが、しかし、この床撤去工事の注意書きは、こんなもののあるところで演奏する彼らの二人とそれ以外の他のミュージシャンたちとの「力関係」なども現れていいのかなとも。
雑然とした場所での演奏・・です。

先日、他で撮らせてくれた若者が「言ってくれれば場所も動きますし、振りも指示してください。」と言ってくれました。
「理解して協力する奴はいると思いますよ。」と。
そうかもしれません。
でも私のはドキュメンタリポートレートフォトですから、多くの場合は、そのまま行きます。

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- 2018/10/30(火) 00:00:51|
- 音楽
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この人は自作の曲を歌います。
なかなか若者らしい素直で切ない歌詞です。

今日が路上(ではないですが)デビューだそうです。
そんな日に出会ったのも何かの縁ですね。
私も耳を傾けながら写真を撮ります。

私はあまり演奏しやすい客ではないかもしれません。
近付いたり遠ざかったり、見上げたり、見降ろしたり、周囲をうろうろされちゃあ随分やりにくいでしょう。
でも、しっかり歌ってくれています。

土日はともかく、平日はこの辺りの通行量は、三条、四条に比べれば、さほど多くはありません。
地元の散歩の方は、こうした状景はよく見かけて特に珍しくもないのです。
ちょっと立ち止まって耳を傾ける人、そうでない人は、かなりはっきり分かれるようです。
三条大橋辺りに比べれば、こういう演奏を求めてくるような、何か面白いことないかなというような若者は、集まってきません。
ですから、聴衆を多く集めることはなかなか難しいと思いますが・・・・・まず、数ではなくて、一人の立ち止まってくれる人がうれしいのですね。 それで一生懸命歌えるのです。

そして友達が聞いています。

「たった一人」で歌うのではないということ、それがどれほど心強いことでしょうか。

- 2018/10/29(月) 00:00:58|
- 音楽
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もう11月は目前ですね。
ちょっと前にも書きました。
本当に「なんてことだ!」と思いますね。 年を取るにつれて時間の経過を早く感じるのは、一つ一つの事象に感動しなくなるからだとも言われます。

職人さんに「写真を撮らせていただきたいんですが・・・。」という言葉を口にするのにどれほど、心の奥の方から後押ししなくてはならなかったか、、撮らせていただいている時間の濃密だったことか・・・・、それから幾人もの職人さんと親しく話をさせていただいて、 でも、やはりこうして撮っているとついついファインダーに目を強く押し当てて、まだもう一枚まだもう一枚と、・・・。

それでもやはり進歩がないなあ。そう思います。
第一、工房をお訪ねして撮るだけの根性がない。 それが問題だなあ。
人を撮ると言っておきながら、人に声をかける根性がない。 これも問題だなあ。

問題山積み。
でも、楽しい。
- 2018/10/28(日) 00:00:04|
- 服飾
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防染を施したところに色をさしておられる。
「伝統工芸士」のお一人です。 全国にざっくりと4500人程がおられ、そのうちの10数%が女性です。
伝統工芸と認められた業種自体が京都に多いので当然の成り行きとして総数の四分の一ほどの方が京都におられます。

私がいろいろの分野の沢山の職人さんに写真を撮らせていただいてきたことをお話して、「さすがに京都ですから伝統工芸士の方も数多く撮らせてもらいました。皆さん、とても謙虚な方が多くて、いろいろ教えていただきました。」
中国でたまたま見かけた他府県の伝統工芸士さんがあまりに尊大だったので、京都の方々は、皆さん「偉そうな態度をおとりになる方が少ないですね。 周囲に伝統工芸士がたくさんいるし、伝統工芸士の資格をとられない方にも非常に高い技能の方がおられて、謙虚になられるんでしょうか。」などとお話をしました。

そんなやり取りをしていると「私も伝統工芸士なんですよ。」と。
「いやあ、これは失礼しました。」 うかつにもほどがありますね。 伝統工芸士とちゃんとパネルにありました。
私はいつも肩書を見ないで、会釈をしては、作業を見学させていただき、やがてお話を聞かせていただくというふうにすぐにそのかたと直に接してしまうので、こういう見落としが多いのです。

東京は勿論のこと新潟や福井、石川などなどにも多くの伝統工芸士の方がおられます。
でもやはり京都は突出していますから、幸運なことに私もこうして伝統工芸士さんの技を身近に見せていただけます。

「差指刷毛」は細かいところまで丁寧に染料をさすことができますし、またボカシやグラデーションを付けるにも有効です。
刷毛の先が斜めにカットされているからです。

防染されているその際の限界まで、また防染の線が交差している頂点のところまで毛ほどのピンポイントの隙間も差し残しを見逃さない神経の使いようです。
もし毛筋一本分より小さな差し残しがあったとして、消費者も問屋もそれに気づかないとしても、この仕事をしている自分には分かるし、又同業者の目も、職人の矜持として気にして見逃さないようにしているとのことでした。

一体何を見ておられるのですか?という私の疑問に答えていただいたのです。
妥協を許さない職人の仕事ですね。
- 2018/10/27(土) 00:00:07|
- 伝統工芸
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歌を歌う。
「たまらんぜ・やっとられんぜ」の「エースの城」さんは奥様とお二人でカラオケに行って41曲、その夜にはカラオケスナックで17曲を熱唱されたといいます。歌がお好きなのはもちろんでしょうが体力もおありで喉もお強いのでしょう。羨ましい限りです。

私も40代中ごろに肺炎?をするまでは歌は決して嫌いではなくて多分写真を撮るよりはうまかったと思います。
そして6年前の肺炎。 今やすっかり歌う様な声は出せない身体ですから、実に仕方がないのです。
学生の頃は夜、大教室に一人、大声で歌い、巡回の警備の方に「???」と思われていてものです。・・・・有難いことにその頃の警備の方は、学生が深夜まで「建て看」を書いていようが、泊まり込んで原稿書きをしたり印刷したりしていようが全く咎めないで見過ごしてくれたものです・・・・・。

中学の頃は・・・・記憶に間違いがなければ、Hudson Terraceさんらとともに・・・・・夏の公式試合が終わった後に、合唱部の顧問と兼務していてくれた先生に呼び出されて、一時、女子ばかり多かった合唱部に、男声を補うために駆り出されたこともありました。 それで、うまくはないのに「歌える」と長い期間、思い込むという幸せな錯覚をすることになったというわけです。
ただ、楽器は・・・:Hudson Terraceさんは縦笛を吹いてもうまかったし、ギター巧みでスコアも読めたのですが・・・・私はさっぱりでした。
私の楽器は喉と唇(口笛)しかありません。

そして今や、その喉も言うことを聞いてくれないのですから、寂しい限りです。

歌を歌う。
誰かの作った歌を歌うのも悪くはないですが、自分で詩を書き、曲を付けて歌う。それがで来たらそれもおおいに楽しいでしょうね。
- 2018/10/26(金) 00:00:02|
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スタンドマイクを並べていたので「・・・ということはボーカルがあるという事ですね。」と。
「ええ、それぞれがギターを弾きながら歌うんです。」とのこと。
「聞かせてもらっていいかな? で、鴨川で楽器演奏をしている人たちを撮っているんだけど、大丈夫かな?」
「撮ってくれるんですか? どうぞ、撮ってください。」

こうしたパフォーマンスをする人たちの多くは四条大橋から三条大橋近辺で演奏することが多いのです。
でもそこは先着の人、常連さん、勢い?のある人などなどが占めていますので、デビュー戦の人や他地域からの参戦の人にはなかなか近づけません。

それで、少し上流に場所を見つけたというわけです。
もう、ここは二条ですね。
ただ練習するというのならばもっと上流にもよい場所があります。
でも人に聞いてもらいたいとなれば・・・・・。

人前に立つ、しかも通りすがりの人に聞いてもらうともなれば、なかなか精神的に厳しいものがあるでしょう。
四条河原町交差点でとかいうのは一挙にはできないものでしょう。
ものには順序があるという事でしょうか。
他人事としては、そんな遠慮しないでやっちゃいなよ!とは言えますが、わが身に振り返っていえば、私のような「アカンタレ」はなおの事、怖じ怯えてしまう訳で・・・。

電気で増幅しないで聞かせる声を、歌い方をと私のような世代の人間はつい思ってしまいますが、「つぶやくように歌う」にはやはりマイク、アンプ、スピーカーが必要ですね。
目的、意図を実現するのに道具が選ばれるわけですが、その道具に逆に制約されるということを、写真を通じて感じている私としては、いろいろなことを思います。
今日は85ミリ単焦点を付けてきました。

この黒い帽子の彼は、カバー曲が多いようですが、自作も演奏するんだそうです。
普段は京都市のお隣の市でステージがあったりするんだそうです。
そうやって隣の町まで出かけてくるのは、私で言えば、よし「今度の個展は大阪でしてみよう。」という事なんでしょうが、そういう根性が私にはありません。
第一、私のようなものが個展をしているということ自体において大それたことという思いがぬぐえないのですから。
でも、それは決めたことですから・・。

ですので、なおのことこうした若者の行動に惹かれるところがあるんです。
- 2018/10/25(木) 00:00:11|
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夏を惜しんでいるうちに、もう目の前は11月です。
山々が色づいてやがて里にも町にも紅葉が広がっていきます。
京都はまたにぎやかになります。
でも、そんなにぎやかに人がでるような名所ではない山間や里の紅葉で撮ってみたいですね。

ナラやクヌギの紅葉もまたいいものです。

そんな枯れ葉に埋もれてもらいましょうか。
多分、協力してもらえるのではないかと・・・・・思うのですが・・・・どうでしょうか。

これから秋色の世界が広がりますね。
それもまた楽しみです。

- 2018/10/24(水) 00:00:57|
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タイトルは「ひでわく」さんから寄せられたコメントより拝借しました。 ありがとうございます。
「秋探しの微笑」・・・・・いいですねぇ。
このキャプションを意識してまた撮りたいものです。

今たまたまチャイコフスキーのピアノコンツェルトを流していますが、私の数少ない既知の曲の中で、深い秋の情景にもっとも相応しい曲だと思っています。 私にとっての秋、ことに晩秋はこういうイメージですね。
それで、この曲を聴くたびにこの曲のイメージのような写真を撮りたいなあと思うのです。
そのためにはこの人はまだ若過ぎるかもしれません。

でも、女性はどんどん変化しますからね。
大いに期待したいところです。
若いということの魅力もさることながら、少しばかり年を重ねると、そこにまた新たな魅力が醸し出されますしね。
何しろこの人はまだ22歳になったばかりです。

青い季節、朱い季節、そして白い季節と移り替わります。
私はもう灰色かな。

それにしてもこの人とお友達のIさんと・・・一つの宿題があるのですが、またまたその宿題に相応しい季節が移ってしまいそうです。
それはソフトクリームを食べるシーンを撮るという事です。
暖炉の前でというのでもいいんですが。

光を探していたら、初め気にしていたLEDライトがいつの間にか頭上に。
写真は瞬時に連立多元方程式の解を求める作業ですね。多元多次方程式です。
しかも一瞬ののちにはすでに条件が変わって式が変化するわけですから、大変です。
まあ、スポーツも同じですけど。

写真家は一瞬にして絵を完成しなくてはならないとある画家が言っていました。また、それができるのが写真家だから、それは素晴らしいことだ、とも。
ここはクロード・モネの庭ですので、オーギュスト・ルノアールを意識してみました。
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- 2018/10/23(火) 00:00:48|
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「日本に京都があって良かった。」
一面では、私も本当にそう思います。 が、今やそんな呑気なことを言っている場合ではないのです。
ここではその京都自身が蛸が自身の足を食うように食い散らかしてぼろぼろになりかかっているというような問題は置きましょう。
もはや京都は風前の灯火なのです。少なくとも伝統工芸の大半の分野でそう言えるのじゃないでしょうか。

こういう仕事もインクジェットプリンター、三次元プリンターで済ますことのできる時代です。
そういう機器を使えば、過去の意匠であろうと、その色違いバージョンであろうと、何でもできます。なまじ手作業では線に細い太いが微妙にできてしまうのを同じ幅でどこまでも揺らぐことなく引けます。さらにまたお望みなら適度に揺らぐようにも引けるでしょう。
金線の盛り上げだって三次元でできます。

それで、コストだって引き下げることができるでしょう。
ただ、でも肝心の需要がそれで増えるかどうか、難しいところですが。

私は全別の視角から、人間というものがどれだけ素晴らしい可能性を持っているのか、それを見ることができなくなることを憂います。
もやは実用ではなくて工芸、芸術としてしか残る道はないのでしょうか。
ただ、こういうものは元来実用のものであったから高度化してきたので、それがただ単なる鑑賞用になれば果たしてその到達は維持もできないのではないかとも思います・・・。

伝統工芸存続は大きな、複雑な問題です。

京都に観光客が毎年1000万人以上来ていることを喜んでいますが、果たしてそれをいつまで続けることができるのか。
職人のいない伝統工芸は存続しうるのか。
職人がいなければ、それはそれで代替する機械ですればいい。これまでの職人の仕事を解析してAI技術で再現し、あるいは新なものを作っていけばいいのだとも。何事もそういうものだと割り切る声もありますが。

日本は豊かになってきているのでしょうか。
- 2018/10/22(月) 00:00:30|
- 伝統工芸
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私の記憶では以前に一度撮らせていただいている方だと思います。
金彩職人で4代目。

なかなかこの人の世代の職人を見ることはありません。
代々継いだ仕事だから得意先もあるでしょうし、いろいろな道具もすでに整っている。それに何といっても師匠が目の前にいる・・・だからこそ従事できるのでしょう。

全く縁もない世界から若者が飛び込むにはハ-ドルが高すぎるでしょう。
年配の職人さんも弟子を採りたがりません。 自分ひとりの仕事量は確保できても、弟子にやらせるような水準の仕事を一定量確保することは難しいからです。
そうなると給料は払えませんし、仕事を覚えさせることもできません。

学校で一通り勉強しました・・・・ではとてもやっていけないのが職人の仕事です。
そして金彩ならどこの家でも同じ材料、同じやり方でしているかというとそれが違うのです。
それがまた職人仕事の難しいところです。
それで資本主義的効率性こそが善だと考える人たちが、それを画一的に統一したがるのです。ですが、実はそれぞれの家に伝わる秘伝こそが技術の多様性と高度性を担保しているのです。

学校では、ある典型的なものを伝えるでしょうが、その典型が果たして、よい仕事につながるかどうかはまた別なので・・・・、今や学校制度は是非とも必要ですが、・・・・やはり職人の工房での修練が欠くことのできないものなのです。

そして今や少なくない職人さんたちは、そうした「秘伝」「口伝」を、学びに来る人に伝えても良いと考えているのです。
しかし、それにしても「時間がない。」
もう間に合わないなあと漏らす高齢の職人さんは多いのです。
- 2018/10/21(日) 00:00:14|
- 伝統工芸
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クラリネットのムーデイ―な演奏もいいし軽快なのもいいですね。

外国の駅のコンコースに自由に弾けるピアノがあって、それを駅を利用する人、その町の人が、かわるがわるやってきてちょっと一曲弾いていく。そんなユーチューブの動画がありますね。
実にいい光景ですね。
周囲の笑顔や拍手も。
浜松ぐらいにはそういう場所があるんでしょうか。
あるそうですが、改札の中なんだそうです。 それはちょっと市民的じゃないなあ。惜しい!!
第一あんまり名器を置きすぎです。経済効果を狙いすぎでしょう。「音楽を市民に」じゃないんでしょうかね。

そういう訳で・・・どういう訳?・・・私は街にとって市民演奏家は貴重な存在だと思うんです。
もっとオープンでフリーな音楽空間を作ることも・・・せっかく文化庁を呼んだんだから・・・京都市の仕事ではないかな。
そういう気配は感じられませんね。いつも飲み食いと合わせ技で、お金が絡んでいます。音楽は人寄せでしかないのかな。
貧しいなあ。

京都の共産党がスケボーを存分に楽しめる場所を作ろうと若者に呼び掛けて結構反響があったことがありましたが、同じように率先してこういう音楽空間を作る政策を実現してほしいなあと思いますね。
まあそのためにはもう少し議席がないといけないですが、市民も「あの人たちの事・・」なんて思わないで音楽のある町空間を作るために関心を持ってほしいなあ・・・・と思う「音楽の秋」。
そして「公共空間」だからお金をとってはいけないなんて言わないで、投げ銭制にしたらいい。

商店街もシャッターの閉まった店をそのままにしないで、解放できるように持ち主や行政とタッグを組んでやって欲しいなあ。
商店街の人や役員さんが音楽が得意なら音楽で、造形大の近くなら写真で、芸大の近くなら絵でとか・・・・。
運営は商店街の役員さんと学生と、コンテンツ提供者とがタッグを組んで。

そんなところはオムロンステージとか、ワコール広場と命名権を貸してレンタル料をいただいたらいいんだと思います。
そういう事が盛んになって、なんだあの企業はずいぶん大きいのにどこにも名前が出ていないじゃないか。儲けばかりで地域の文化に貢献する気がないんだなという評価になればいいと思います。そういう事も企業評価の大切な物差しになってほしい。
そこで金を出すからと言って横暴なやり方、道路のない口のはさみ方ををすればその企業の文化の質も問われるし。
という訳で、レンタル料が破格に安い写真の示会場が欲しいと・・・・そういうところが落ちです。
- 2018/10/20(土) 00:00:18|
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ジャズを演奏している人は時に見かけます。
大概、サキソフォーンかギターです。クラリネットはとても珍しい。
大学のビッグバンドなどでクラリネットをしている人はいるだろうと思うのですが練習を目撃することはあまりありません。
ジャッジ―ないい音で演奏されています。

お二人の年齢が、かなり離れていそうなのも興味を引きました。
ただの演奏仲間ですよ、とのこと。バンドを組んでいるという様な緊密な仲でもないようです。

ステージ前のリハとかでもなくて「楽しんでいる。」んだそうですが、共通のレパートリーはたくさんありそうです。
ポピュラーな曲は演奏できて当然なのでしょうか。

「枯れ葉」なんて確かにポピュラーではありますが、だからと言って・・・・・。
私は楽器が全然出来ないし、無論のことスコアは読めないので、音楽の出来る人たちの「常識」は分かりません。

声をかけて「写真を撮らせてもらえますか?」とお訊ねすると「以前、鴨川でやっているときに撮ってもらいましたよね?」と若い方の方のお話。
どうもそうらしいです。
服が違ったり相棒の組み合わせが違ったりすると、残念ながらほとんど思い出せません。
言い訳は「1300人撮ってきたものですから・・・」ごめんなさい、です。

前回撮ったこともずいぶん喜んでいただいていて、「記念になると言うことがよく分かったし、(今回は肖像写真も)撮ってもらえますか。」と言っていただいたので喜んで撮らせてもらいました。
ブログにアップさせてもらったことも喜んでいただいていたようです。

ジャズは好きですかと聞かれて、こうして演奏をしている人に「好きです」と言えるほどではとてもないので返事に困ります。
例えばどんな曲がお好きですかと言われてもほとんど曲名を知りませんし。
でも、やはりjazzは好きです。
最近ではKarsten Vogelさんの演奏など、大いにいいなあと思います。
- 2018/10/19(金) 00:00:20|
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「喫茶 気まぐれ」のマスターMKさんをはじめとして、ブログをされている方に音楽好きの方は少なくありません。
私もどちらかと言えば好きです。
とはいってもMKさんたち程質量ともたくさん聞いているとか知識が豊かということはありません。比べようもないですね。
音楽にもたくさんのジャンルがありますが、みなさんはどんな楽曲がお好きでしょうか。

一番左手の女性は私の高校の先輩ですが琴の奏者です。
いつか聞かせていただきたいものと思っています。
皆さん、会場にカメラのあることをお許し下さって有難いことです。

こちらの御宅のご主人は自ら積極的には意志や感情を表すことができません。
でも、奥様によれば「聞いて喜んでいると思いますよ。」とのことです。

音楽が生活の中にあり、生活に潤いや活気をもたらしているのですね。
聞くのが楽しいことは無論ですが、演奏できればなお一層・・・と思います。私は演奏ができませんから、羨ましい限りです。
まあ、せめてその代わりに写真にできることを探しましょう。

エレクトーンを演奏している人が高校の後輩なんですが、この人のお蔭で何人かの演奏家の写真を撮る機会を得、それを通じてお話したりできるようになりました。
数日後にファゴット奏者、オーボエ奏者、トランペット奏者たちと会食できるのもそのためです。
「演奏する側からすると、こいう風に撮ってくれてうれしい。 演奏の気持ちが写っている。」と言ってもらえることもたま~にはあるのです。

何より、撮影のチャンスをくれたそうした演奏家たちのお蔭です。

来年6月の個展は「音楽」がテーマですので、また何人もの演奏家たちのお世話にならないといけません。

『100本』のために購入した20ミリ単焦点がこういうところで活躍してくれます。
以前も書きましたが、道具が人の可能性を拡張してくれますね。
- 2018/10/18(木) 00:00:49|
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前回はコントラバスとピアノ(エレクトーンですが)の演奏でした。
今日はトランペットとピアノ。

トランペットを吹くAさんはこれまで別の場所で幾度か演奏を聞かせてももらいましたし、また「清水寺 世界友愛 100本のトランペット」にも参加されて、写真集づくりにも大いに協力していただいた若手トランぺッターです。
手にしているのはピッコロトランペット。
最初の曲でこれを吹くのはちょっと大変ですね。
100本の時もこのパートはプロの方や相当の実力者たちが担当していました。

自分に対する喝さいのために演奏するのではない演奏。
称賛するばかりでなく感謝の拍手。

命の質というものを考えさせられます。

今日のこの場にはたまたま、というか必然的にというか、ピアニストさんのお蔭で、同じ高校の卒業生が3人集まりました。
ミニ「はぐま会」ができそうです。
私はクラス会以外はずっと疎遠にしてきました。 あまり出身校が好きでないし、その出身校に対する卒業生や地元の保護者たちの意識を受け入れられないからです。

でも今日は他の方たちにはご迷惑でしたが、ずいぶんローカルな話で盛り上がってしまいました。
お一人が竜洋出身で、もうお一人が安久路、そして私が見付の出身です。竜洋の方は竜洋中学ですが、私ともう一人は城山中学です。
先ほどネットで検索してみて知ったのですが長澤まさみさんが私の中学の後輩のようです。一中かな?なんて勝手に思っていたのですが。考えてみれば当然でしょうか。だからどうってことはないのですが。

トランペットは張り切って吹くというイメージですが・・・・必ずしもそうではないらしいのですが・・・・、こういう個人宅の空間では、よほど音をコントロールしなくてはなりません。高い技術が必要でしょうね。
神経を使って吹いています。
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- 2018/10/17(水) 00:00:29|
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ここにはたくさんの花が咲いています。台風の被害は大きくはなかったものの、被害を避けるために施した様々な、例えば背の高い茎の細い花は何本かをまとめて縛って補強するとか、添え木を立てて縛るとかしているわけですが、その数が多いので、解除する仕事もまた大変なのです。
動物も植物もそれを守り育てるのはやはり手間がかかる仕事です。

「はい、ここに胡坐をかいて。」
という間もなく雲の切れ間から太陽がのぞいて光が溢れます。
まぶしいですよね。
眩しいまでの光がある、というのもまた一つの状況です。
上の写真の方が、当然綺麗で見やすいですが、こういう失敗作も案外捨てがたいというのが素直なところです。

昨夜は遅くまで仕事をしていたそうで、それでなかなか寝付けなくて「熟睡は2,3時間だ」と言う事でした。
強い台風が通過する夜だったんですから、そんな遅くまで働かせて、安全な帰宅を保障しようとしない経営者の顔が見たいですね。
それが自分の娘だったらどうなんでしょうか。
これは日本の働く現場のオジサンたちに声を大きくして繰り返し言いたいですね。
それにもう一つ「全国の労働委員会はボーッと仕事してんじゃねえよ。」 もとい、「少しは仕事をして存在感を示せ!あるのかどうか、その存在自体を国民は知らないぞ!」

と、つい、眠気を覚まそうと懸命になってくれているこの人を見て思いました。

ふとおもいだしましたが、この人と撮影をする日には鉄道が混乱することがよくあります。
今回は台風で不通になっていた電車が徐々に回復し始めたのですが、「調整中」状態で、いったい何時何分に電車が来るのかわからない状態でした。
前には人身事故で合流するはずのもう一人が大幅に遅れ、この人も遅れました。

それでそういう不測の事態にはどう対処するかというお互いの行動パタンも理解し合えるようになりました。
何しろ京都市外から来てくれているのですから、有難いことです。


- 2018/10/16(火) 00:00:26|
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私が子供のころには「ハロウィン」なんてよほど「欧米かぶれ」の家でしか耳にしなかったのではないでしょうか。
外交官の御宅などでは普通だったかもしれませんが。
子供が各家を回っておやつをねだる・・・そういう行事は日本にもありましたね。
私も母親に作ってもらった大きな布の袋を持って、幼馴染たちと一緒に近所の家々を回ったものです。 それは毎年の2月三日の事でした。

そういう行事はすっかり廃れて、近所の子供たちを地域全体で育てる文化が衰退するのと反比例して、新しい世代に受け入れやすいこういうものが・・・衣替えのように?・・・・台頭してくるのでしょうか。
時たま見るハロウィンの行進では若い親たちの方がコスプレを楽しんで子供たちはそのお楽しみの道具みたいになっている観がありますが。

こういう場所で撮影を楽しめるのも、若いこうした人にお付き合いいただくからですね。
そうでなくてはなかなか・・・・。
若い人はこういう楽しさにすっと入って行けますから。

今日ここに来るまでの途中では「今日は意外に暑いね。」「台風一過で空気が澄んでいるから太陽の光が突き刺さってくるようだね。」なんて話していたのですが、ここはやや肌寒い空気が感じられます。

「髪はまた伸ばすことにしました。」
と、うれしい報告。
別に私のために、撮影のためにそうするわけではないのですが、この人のきれいな髪は長くなると一層魅力的です。

良く、女性が長い髪を突然バッサリと切ると「何かあった?」とその心境の変化の奥をのぞき込もうとする野次馬根性がもぞもぞッとするのが世間一般?
では、長くしようという心の変化は?
そういうゲスの勘繰りに取り囲まれると女性は生きずらいですね。

こんなカボチャ、どこで生産しているんでしょう。
いえ、この飾りの事ではないんですよ。
- 2018/10/15(月) 00:00:00|
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本来はイヤホーンで音楽を樹木ながらそれに合わせてジャンベをたたくようですが、私と言う邪魔者がたまに話しかけるので、外しています。

実に性格の良い方で人当たりの心地よい方です。
鴨川でこうして楽器の練習をしている方の中には無論様々な性格考え方の方がおられるのですから、皆さんがすべてこうして話しかけられるのを喜んで受け入れたり、ましてや写真撮影を許してくれるわけではありません。

なかには「蛇蝎」を見るごとき視線を返し、どんなひとことにも答える義務はない、とにかく関心を持たずに近寄るなという空気をふんぷんと放つ方もおられます。
私はそれが不当だとか、おかしな人だとかとは思いません。
せっかくの楽しみを邪魔されたくないのはお互い同じですからね。
ただ、世の中にはこの方のようにソフトで暖かい受容力のある方もいるのだということをこの写真が伝えることができればなあと思います。

それにしても鴨川の岸のごく近くの住まわれているというのは何とも羨ましいことです。
殊に荒神口から上流、上賀茂神社辺りまでの岸は、とても環境の良い、景色の良いところですから、そこでこうして楽器演奏を楽しめるなんて。

御池通りから下流は多分に観光の空気がありますし、何か雑然とまたある種の猥雑感も感じるようになりますしね。
それが楽しいという方も当然おられますが。

こんな休息、いいですね。
- 2018/10/14(日) 00:00:40|
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気持ちよく晴れた日の少ない秋ですね。今日は家人の務める保育園の運動会ですが、うす曇りではあっても時折陽が射して実施できそうで何よりです。
「○○心と秋の空」とはよく言われますが、空高く晴れる日が三分の一ありますでしょうか。
でもこの日は良く晴れて、ちょっと暑いくらいでした。

その陽を浴びて、見慣れない楽器を演奏している方がいました。
どうもどこかの民族楽器のようです。(まあ、民族楽器でない楽器はないといってもいいのでしょうが。)

アルペン・フォルンみたいですが、どうも違うようです。

写真を撮らせていただくことになったら、長い棒状の楽器ではなくて、ジャンベの方を演奏されました。

棒状の楽器は、ユーカリが素材で、シロアリが木の中身を食べて空洞になったものを使うんだそうです。ディジュリドゥというんだそうです。
トランペットと同様、唇を震わせてその音を共鳴させます。
なかなか野太い音でよく響きます。
まあ、リズム楽器ですね。
この近くの漬物屋を経営されているらしいのですが、お昼休みなんでしょうか。確か4代目と・・。

魔法瓶の魔法の水で少し喉を湿らせながらのご機嫌な練習です。
いいですねぇ。
この笑顔がたまりません。

- 2018/10/13(土) 00:00:46|
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黒とちょっと渋い赤のスカート。この組み合わせはトレンディーなモノなんでしょう。
ときどき見かけます。
でも、この人が着れば、それはそれでまた一味違います。
ソックス、靴、髪の黒がよくマッチしています。

袖のスケスケ感、そこに映る腕の色。それを出して見たかったのです。
22歳になったばかりです。
少女っぽさと大人の女性が軽やかに混じります。

「適正露出」 それが問題だ。

「適正露出」 やぱっりそれが問題だ。

「適正露出」 ・・・・もう、いいですね。
キヤノンの赤さでしょうか・
秋めいていますね。

やはり肌に赤みがあります ?
前ボケの撮影例にいかがでしょう。

くっきり、はっきりしない写真もちょっと魅力的。
- 2018/10/12(金) 00:00:33|
- 人物
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今たまたまバッハの「G線上のアリア」 が流れています。
音楽を聞きながらこうして写真を見ていると、実に切ない気持ちになることがあります。
人の生に対する「哀切」感が一気に膨らみます。
私はそういうお年頃なんでしょうね。

人を撮る写真は、何時も必ず相方がいます。
それでないと成立しません。
そのことが、なんといっても写真に深い意味を持たせるように思います。

この日は、雲がどんどん流れて、光画刻一刻と変わてっいくという条件でした。
あれっ!! と失敗に気付いて露出を変えるとファインダーを覗いた時には、また雲が出たり陽が射したりです。
そんな時、撮影の結果が反映されるEVFが便利なんでしょうね。
でも、美しいこの人を見ることができないファインだなんて・・・とそう思うので私はOVF派です。
でもα99もフジX100FもEVFですけど。

インスタ映え好みの人たちのための飾りつけでしょうか。
また、もうじきハロウィンですね。
こういう若い人と時間を過ごすとこういうものに対しても優しくなれるし受容力も広がります。
オジサン化いくらかを防止できるというものです。

「恋ばな」もできますしね。

これ、「今回の一枚」の一つです。
一枚が何枚もあるというおかしな表現ですが。

この人の送る写真は皆お母さんと一緒に見ているんだそうで、結構、ダメ出しがあるんだそうです。
母娘が仲良しというのはいいですね。
- 2018/10/11(木) 00:00:21|
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ソニーのα7にオールドレンズを付けて楽しんでいる人が多いと聞きます。
様々なマウントアダプターが造られていますからソニーα7でないといけないということはありませんが、オートフォーカスなどの接点がないと、せっかくの機能が存分に使えません。
でもそこをマニュアルでいこうということになれば、より良いファインダーのあるカメラを選べばいいわけです。
ただ、すべてのレンズがどのカメラとも組み合わされるというわけにはいきませんが。

前にも書いたように私がもっているキヤノンのFDレンズはマウントが切り捨てられましたし、ほぼ使えるボディーがありません。
いいレンズがあるんですが。
その一方、京セラ・コンタックス用のツァイスレンズはこれまた組み合わせがごく少なくて、私は今仕方なしにキヤノンのボディーに付けています。アダプターは緩い、アマイものですが。

現代レンズと現代ボディーにすれば実に鮮明な写真が得られるし、取り回しも便利なのですが、それでも、古いカメラやレンズで撮って、そこからある味のある絵が出てくると、撮影条件が厳しくない時には、できればツァイスレンズを使いたいとかいう気持ちが起こります。
今日のようにじっくりと撮れる日などがそうですし、ただ、記録するという以上の絵が欲しいと思う時がそうです

あまり強い光があるときなどはちょっと弱いのですが、うす曇りや木陰で撮るときなどは、無類の情感が出ます。
新しいボディーの能力は目を見張るものがあり、今日の2枚目の写真のように背景が明るく、人物が暗い時などは、こんな風にならずに済みます。 でもこうなったからと言ってこれが嫌いだというわけではないところに面白さがありますね。
そしてこういう陰影がお好みです。
85ミリレンズを「お姉ちゃんレンズ」などとあまり愉快でない言い方がされたことがありましたが、単に画角が人物写真に向いているというだけではない魅力がこのレンズにはあります。

この人は魅力的な目鼻立ちをしていますし、撮影に対してもとても協力的な人ですから、それだけでもフォトマヌカンとして有難いのですが、こうしてこのレンズで撮ると、なお魅力が増して、「もっともっと撮ってみたい。」と写真を見て思います

機動的に撮るとか、確実に、高精細な画面と撮るということになると、それは少々遅れをとります。
しかし、こうした人物撮影ではそういうことはあまり追求されませんから、私はこれからもこのオールドタッグを楽しみたいと思っているのです。
もっともこれからはもっと遊んでもらて、動いてもらって撮ることを考えていますので、そうなると果たしてどうかなという一抹の心配はありますが。
次の写真は目にピントを合わせていません。

この人は、多分、こういう風に撮りたい、こういうことを狙っていると言えば、何度でもそれに応えてくれる人だと思います。
ですので、たくさんのボツを生んでも挑戦してみたいなと思っています。
(ただまあ、この人も貴重な時間≒人生の一部を切り取ってくれているわけですから、「ボツでもいい」みたいな取り組み方には問題がありますけどね。)
- 2018/10/10(水) 00:00:23|
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この日はこの神社で結婚式を挙げるカップルが押すな押すなでしたから、式はごく短時間で終わりました。
「神社も経営ですからね。」という声が聞こえました。
そういうたくさんのカップルがあちこちにいるわけですが「一番きれいねえ。」「おばさんバカだけど、・・・ね。」などという声がしていました。
私も・・ひいき目があるかもしれませんが・・この新婦が一番きれいで魅力的だったと思います。

子に二人のお世話をしていた女性が、わたしのカメラのモニターをのぞき込んで「きれい!! この写真をみんな見たい。」と言ってくれました。
それでそのためにFBの友達になってくれました。

どこかの結婚式場に売り込もうかな。
「そうしたらモデル料下さいね。」とは新婦の声。
こういう会話ができる関係だから、写真は撮りやすいです。

化粧直しまで撮るカメラマンはいないかもしれません。
口紅を直すところを撮りたいのですがとお願いすると「メイク」の先生が、わざわざそうしてくれたのに、その時には私の前にたくさんの親戚の方が取り囲んで、残念ながら撮れませんでした。
先生ありがとう、ごめんなさい。

撮影を引き受けるときに「普通のブライダルカメラマンの様には撮らないよ。蒼樹流になるけどいい?!」と確かめていますので、これはと思ったらなんでもどこからでも撮ります。
新婦のお母さまが好意的なので、その点でも撮りやすいのです。

どんな思いが胸に去来しているのでしょうね。

どうかお幸せに。
- 2018/10/09(火) 00:00:35|
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もうずっと昔になりますね。
私たち自身が結婚世代であった時。
私を含めて大学時代の友人の結婚式が相次ぎ、ほぼ毎年披露宴に、それも同窓会を兼ねたような楽しい会に行きました。
そのたびに新郎を中にしてスクラムを組んで寮歌を高吟したものです。

そして、それぞれが生まれ育った街を歩き、「あいつはこういう山河を眺め、こういう空気を吸い、そしてこの町の角を歩いて育ったのだなあ。」という感慨があったものです。
そして当時はなぜか漠然と、この中の誰かがずっと一人で暮らすなどとは考えもしなかったのです。

一通り仲間が伴侶を得ると、しばらくは「ご無沙汰」の期間が続きました。
その後区切りの年齢の時や、私の個展にかこつけてミニ同窓会をしましたが「またぜひ集まろう。」という言葉を脳裏にしたまま時が過ぎています。

私は参加しませんが、この後親族の集まりがあり、さらにその後友人知人の集まる祝う会があるようです。
そこはただこの二人を祝うだけでなく、それぞれが自分に人生の道筋の「今」を確かめる時間でもあるように思います。

これからは「あいつ一足先に逝っちゃったなあ。」という集まりになるのかもしれません。
私は結婚においては、何をどうしたことか「おまえは多分最後の最後だろうと思っていたのになア。」という皆の期待を裏切って、ほぼトップバッターでしたが、この次はゆっくりしたいと思います。

この人も人生の大事な節を越えていくわけですね。
- 2018/10/08(月) 00:00:51|
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こういうのを見るとXH-1とかXt-3が気になり始めます。
でも、これ以上機材にお金はかけられません。

この人の写真を販売しても良いというようになるかもしれませんので、一枚5000円で100枚販売すれば、モデル料を払っても、カメラが買えるかもしれません。
二人で頑張ってみようかな。

写真に価格を付けるのもこれまた難しそうですね。
でも以前、個展の際に5000円という価格表示をしようとしたことがありましたが、ギャラリーに30%を渡さねばなりませんから、やめました。
手元に3500円ではプリント代や包装などの諸費用を引けば、フォトマヌカンにいくらも渡せません。

昨日今日の写真は、今回の撮影の一番の場所に行く途中での小手調べです。
こうして体調やご機嫌を少しづつ掴んでいくわけです。
昨晩は深夜まで働いていて、実は寝不足なんだそうですが、情緒が荒れることなく、時々あくびをしながら楽しく撮ります。

気持ちを高揚させてあげるのは撮影者の役割ですからね。
そして今日の狙いを伝えていきます。
ただ、まあ、前回の撮影時に、こんな風にも撮りたいねとかいうことを話題にして、次への気持ちをつないでおくことも大切です。

そういう話を通じて、ロケーションや設定についての好悪の反応を感じ取ります。
こちらがやりたいというだけでは決していい写真は撮れませんからね。
フォトマヌカンは単なる道具ではない、と私はそう思っています。
私の場合は「○○さんで撮る」ではなくて「○○さんを撮る」というのが基本姿勢ですから。

ただこの二つはまたく相いれないものではなくて相互に浸透し、時には逆転するようなものですが。
- 2018/10/07(日) 00:00:03|
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画家の斎藤治夫さん80歳が11回目の個展をされました。
今回はエルミタージュ美術館公開100年記念作家認定の記念個展でもあります。
案内のはがきに自筆で「100歳画家を目指しています!」と書かれていました。
私も励みたいと思います。

現代カメラに現代レンズという、そういう絵のように感じます。
フジX100Fです。 これはこれでとてもいいなと思っています。

こういうロケーションにぴったりな発色です。
あまり長居できない場所ですが、是非ここで撮りたかったので、周囲に気を配りながら撮影です。
いい色の組み合わせの服で来てくれました。

事前に一つ二つ服についての注文を出しますが、それを考慮して手持ちの服を工夫して着てくれます。
黒い髪、黒い目、黒い服にシルバーのイヤリングという組み合わせもなかなかいい趣味だと思います。

京都市内で新たなロケーションを見つけるのは・・・・自転車移動の私にとっては・・・なかなか難事になってきました。
神社仏閣はあるのですが・・・それ以外の良いロケーションが・なかなか・・・。
ポツリポツリと点在するものはあっても、そうなると撮影しての移動に自動車が必要になって、駐停車問題が出てきます。

間違い探しのようなこの二枚。
このカメラとレンズは金属感をとてもよく出してくれます。
ですから金管楽器の演奏の時にはとても具合がいいのです。
- 2018/10/06(土) 00:00:12|
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新婦はこの後、綿帽子を被るのですが後の会食の時の洋装にも合うような髪にしています。
「君は和服に会う顔立ちなんだから、化粧をされ過ぎてはダメだよ。」と以前話したことがありました。
この日初めて顔を見合わせた時の最初の一言が「どうですか?」というものだったのは、そういう背景があったからです。

私がどういうタイミングで、どういう振りの時に撮りたがるか、この人がどう撮られたがっているか、をお互いに知っていますから、その点気楽ですし、目線や顔の向け方などはこちらとのアイコンタクトや指先の指示で通じます。
そういう意味でこの日初めて撮られるという人や初めてのカメラマンとのやり取りとは全く違っているはずです。

第一カメラ慣れしているのですから、この人は心理的に楽でしょう。
でも、「素人」ですし、私の撮影はいつも特別なポーズや設定ではなくて日常に少し味付けした程度の撮影できていますから、「スレ」てはきていません。

こんな風に接近しても、緊張を強いることはないので安心です。
「ちょっと我慢してね。」と言ったからと言って息をつめてしまって顔を赤くするような様な事もありません。
肩に力が入っていないことがよくお分かりだと思います。
敢えて言えば「欠点・弱点」も、もう十分に知っていますから、今更「写りをよくしたいのであれこれ考えてしまう。」という事もありません。私がそういう点を撮ってしまうことがないことは分かっていますし、知られて困ることもないでしょう。
多分、一番の安心は私がこの人の持つ美点を評価して、何度も何度も話しているという前提があることでしょう。
それがあるのでこの人に声をかけ撮り続けてきたのですから。
他の人はともかく私がその点を高く評価しているということをこの人は十二分に了解しています。

人物の撮影で、そういうことがとても大切だということを私は撮影の毎に強く感じます。
よく写真入門のような本に、「ポートレート撮影の時は、相手を褒める言葉で緊張を解し、モデルの気分をたかめましょう。」などと書いているものがあります。
でもその言葉が「いいよ、きれいだよ。」などという決まり文句であったり、その場限りのおべんちゃらでは相手の表情は本当には良くなりませんし、良い関係を作ることはできません。

人物撮影の時に必要なことは相手の美質をきちんと見付て、素直な気持ちで評価できる力があるかないかという事です。
相手に対するリスペクトや美質の評価ができないのに、ただ綺麗な人だから、かっこいいから、とにかく女の子を撮りたいから、ポートレートを経験したいから、などという事では、いい写真は撮れないと思います。
入門書にはそういうことをきちんと書いてほしいものです。
- 2018/10/05(金) 00:00:22|
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私にしては実に珍しい写真です。
というか、こうしたプライベートな写真はあまりブログになどにアップされることはないと思います。
でもお二人のお許しをいただいて、ただ結婚式の様子を伝えるとかいうのではなくて、一つの人物写真としてアップしたいと思います。

長い間私のブログを見てきていただいている方には「おや、あの人じゃないか?!」とピンとくるかたがおありだと思います。
そうなんです、このブログにときどき登場してくれている、私お気に入りの人なんです。

この人が結婚式をすることはずいぶん以前から知っていたのですが、「蒼樹さんに写真を撮ってほしい。」と言っていただいたので、無論、快くお引き受けしたのです。
結婚式場には、たいてい出入りの写真館があって、記念になる豪華な写真はそういうプロが撮ることになっています。
本人たちお二人、親族との集合写真などを撮りますね。それに加えて式前後のスナップ写真までお願いすると予算はグンとアップしてしまいます。

それで、「蒼樹に言えば、安く上がるだろう。」と計算した可能性もゼロではないと思います。
よくあることです。
私はプロのカメラマンたちのマーケットを荒らすつもりはないのですし、その人たち以上の写真が撮れる保証もないのですが。しかし、諸般の事情を考えて喜んで引き受けました。
そして「僕に頼むと逆に高くつくよ。」と言っておきました。

この数枚のうちに既になぜ私が撮るのがいいのか、その理由の一端が見えています。
そしてじわじわと、こうして私が撮っていることについて、意味がありそうだなという解釈が進んでいきました。
これはとてもレアなケースだなあとも思います。

新郎さんには「こういう結婚しこの場合は、一般的に、新婦に注目が集まり、カメラもそちらに向けられるものだから…。」ご機嫌を損ねないでねと言っておきました。
- 2018/10/04(木) 00:00:04|
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お客さんの反応が何よりの楽しみです。
そしてたくさん吸収することがあります。

私はこうしたモノづくりの人にとって手作り市は「個展」のようなものだと理解しています。
それで失礼の無いように気を付けながら、かなり思い切った感想を伝えることにしています。
それは、自分自身の個展の体験から、ただ「いいですね。」と言われることが、残念だなあと思うからです。

せっかく思い切って多くの人の前に作品をだしているのに率直な批評が聞けないことはとても惜しい気持ちになるのです。
ですので、・・・・。

このお二人が今日が初めてだというので「早く出店者の中にお友達を作って色々ノウハウを教えてもらうといいですよ。」とアドヴァイスしました。
と言ってもなかなかそういうわけにはいかないでしょうかtら、私が以前から親しくして頂いているウッドバーニングをされている方をご紹介しました。

雨の日、風の日、暑い日、寒い日・・・日陰の作り方や吹き飛び防止などなどいろいろなことを知っておかないと、案外大変だろうと思います。
「えっ?!そういうものってどこに行けば手に入るんですか?」など、これから沢山知ることになるでしょう。

私自身がそういう助言者を見つけたり仲良くなることがとてもへたくそなので、思わぬ失敗や、他の方への不躾なふるまいをしてしまうことが何度もありましたから、避けられることは避けた方がいいなあと思うからです。

就職した時にも、世間知らずの非常識人である私はずいぶんいろいろなこと、しかも世間では「当たり前でしょ?!」ということを知らないで失敗してきたし迷惑もかけてきました。ストレスも大きかったです。
良いアドバイーザーは是非とも必要です。
「すこしのことにも、先達はあらまほしき事なり。」です。
- 2018/10/03(水) 00:00:06|
- 手作り市
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最近は、以前ほど熱心に手作り市に出かけません。
一つには土日に別の撮影のチャンスがあったりするからです。
100本のトランペットに関連した予定や写真展などが重なることが多かったという事もあります。

以前は毎月5,6か所も出かけていたと思います。
最初に行き始めたのが百万遍にある知恩寺の手作り市。これがおそらくもっとも有名なものでしょう。今や観光バスで大勢して客が押し寄せます。
最近はお店が変わり映えしない、ということは新たな出店者にお目にかかることが少ないので行きません。

この写真を撮ったところはってえとて、上賀茂神社の手作り市なんです。毎月第4日曜日が開催日なんです。
ここが一番のお気に入りでできるだけ、出かけます。
他には平安楽市といって平安神宮の前の参道でひらかれるもの、梅小路公園で開かれるもの、森の手作り市とって下賀茂神社の糺の森にある馬場で開かれるもの(先月の分は台風到来の影響で延期されましたが)、ここいらが規模の大きいところです。

この人たちは今回が初登場、デビューという事です。
新人さんは、ほぼ分かります。
この頃は各会場皆勤ではありませんから、「いえ、初めてなのは平安楽市です。ですから今回が2度目で・・・。」なんてケースもありますが。

お馴染みさんもおられて色々なお話を聞かせていただくのが楽しみの一つです。
お店を回るといろいろなアイディアや個性を見つけてそれもまた楽しいのですね。

若い人たちの感性や常識に触れることもできます。
とにかく一つの学習の場です。

そして素敵な被写体とを見つける場です。
- 2018/10/02(火) 00:00:13|
- 手作り市
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