KG+(京都グラフィーの際の周辺会場・・・というとちょっと意味が違うかな)のほとんどを見たんだそうです。
その話になると、ぱ~っと顔を紅潮させて話してくれました。

私のメイン機はソニーα900なんですが、目下入院中です。完治はしないんだそうです。
シャッターユニとは交換できるんですが別の不具合のある部品はもはや在庫がないんだそうです。製造発売が2008年なんですがたった10年でハードのサポートができないなんて生産者としてどうなんでしょうね。安い買い物ではないのに。
もしそういう部品が売り切れて、その後に修理の希望があれば部品を手作りするくらいがクラフツマンシップだと思うのですがいかがでしょう。
カメラも単なる大工業製品なんですね。そしてどんどん買い替えさせる。消費者も買う時から数年後の売却を考えて、箱も説明書も残しておくという考えが一般的になり、それが賢い消費者の選択だということになっていますね。
ただこんな私のような考えでモノを言っているとカメラが皆ライカ並みの価格になって私など庶民には到底手が出せなくなるでしょう。企業経営も維持できないということになるかもしれません。困ったものです。

消費者自らが、「電子機器は最新のものがいいもの」だという価値観を・・・・企業サイドと一緒になって・・・・お互いに刷り込み合っています。
まあ妥当する面がないことはないのですが、そういうことでカメラというものが本当の熟成の道をたどるかどうか、消費者が写真撮影に熟達して、こういう技芸を楽しめるようになるのかどうか、私はすこぶる疑問に思うものです。ユーチュ-バーの責任も大きいなあと思います。
あの「夢の実現」だったはずの数年前のカメラがもはや時代遅れの色あせたものにされていくのはどうにも解せない話です。そして、あの話題騒然だったはずの、しかし今や霞んでしまったカメラで撮られたあおの「素晴らしい写真たち」は一体何だったのでしょう。 あれじゃダメなんですか?!

「完治」しないので、もしよければ多少の金額で引き取るがどうかという問い合わせがありました。
他のカメラの修理に使える部品をとるために買い取っておくんでしょうかね。意図はよく分かりません。随分使い込んでくれたのでこのままおしゃかでは忍びないからせめていくらかでも値を付けて下取りをしてあげようと、そういう企業の親切心なんでしょうか。修理にお金がかかるところをほんの僅かな金額であっても下取りしてもらって、まだ使用可能な中古品を購入する道もありましたが、私は機能不全のまま愛用のカメラを息絶えるまで使う道を選びました。
あのファインダーに代わるファインダーがないのですから仕方がありません。

今、EVFのカメラを使っていてつくづく思います。(α7RⅢのファインダーならもっと良く見えるという方もおられるのかもしれませんが、販売店でカメラに触ってファインダーを覗いてみても私の心は動きませんしね。) やはりOVFがいい、と。
もっともカメラはファインダーだけが決め手じゃないですから、変に固執していてもいけませんが、あくまで趣味、好みの問題ですからこれで、私はこれでいいんです。

うまく使い分けていこうと思っています。
現に同じ2400万画素でもα99の方がゆとりがあるというように感じます。錯覚かも知れませんが。
でもα99の開発段階ではスイッチを入れて立ち上がるまでのタイムラグが大きすぎて、そこからおもむろに設定ですから、それだけでも撮り損ねる~っ!!といらだちます。
その点フジの思想の方が理にかなっているように思います。

などなどとつぶやきながら、まずは撮ることが一番です。
これがだめなら、もはや時代遅れの5Dがありますし、それならツァイスレンズをMFで使う楽しみがあります。ですので、それはまたそれでよいとしましょう。
不便なことも、案外悪くはありません。
- 2018/06/30(土) 00:00:35|
- 人物
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
若い人と話すのは楽しいことです。
「若い人」は娘や息子の世代より、ますます孫の世代に近づいていきます。が若い人は今も昔も魅力的です。
自分の若い時と引き比べてあれこれ言うよりは、自分の若いころの「穴があったら入りたい」「舌を噛んで死んでしまいたい」ような「恥ずかしきことのみ多かり」きあの苦さを思うと、一緒に話し何か役に立ちたいと思うのです。
ただ基本スタンスは「同時代人」です。

同じ時代を生きる「同時代人」として、ただいくらか経験を積んだものとして、お互いをリスペクトしながら話すことで、いろいろ刺激を受けることができます。
そして「今どきの若い者」にたいする「ダメ出し」さえ共感・共有することができるのです。

驚いたことにこの人は一回生でした。
しっかりしていますし、好奇心が活発です。
「わたしも一眼を持っていて写真を撮ることがあるんです。」
(念のために付記しておきますが、初めの3枚もお断りしたうえで撮っています。)

この日のこのギャラリーでは写真展がされていました。
率直に言って私にはなかなかすっと受け入れられない表現でした。
「どうですかこの写真たちは。どんな風に見るべきでしょうか?」と尋ねてみます。
この人の専攻は自ら描いたり作るというのではなくてプロデュースをしたり構成をしたりする仕事について学んでいるのです。
ですからこうした「受け付け」の仕事も学習の一環として体験しているわけで、それを知っているものですから、敢えての質問もしてみるのです。
学校や先生たち外として外で学ばせているのは、私のような人間に出会うためなのですから、そういう人間であってあげることは教育目標にかなうというわけです。
お互いそういう想像力や遠慮をもってお互いの提起に応えたいものですね。
青年を育てることを学校にだけ家庭にだけ任せていてはいけないのです。

私たち大人≒社会にも負うべき役割があるのです。楽しい役割が。
彼らから教えてもらい「対話」することで、私も大いに学べます。

そうすれば「今どきの若い連中」がどれくらいいいものを持っているのか、よく分かるのですから。
そしてあれこれ目に付く弱点もどうしてああいう具合になっているかが、少しずつ分かるのです。
そこを他人事にしないことが、「同時代人」として生きることの一つの道だと私は思っているのです。
ここに来る前にある大学の写真部の4回生と「今どきの若い連中」について一緒に愚痴ってきました。同じことを考えているのです。
- 2018/06/29(金) 00:00:28|
- 人物
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
絵は主にオイルクレヨンで描いているという方ですが、中国武術の達人でもあります。
その描かれる絵は一見油絵かと見違えるように濃密・濃厚に色を重ねられています。
けれどなるほど絵本作家だという優しさや繊細さに満ちていて激しい感情的な色彩でもなく、また鈍重さというものは微塵もありません。

写真は苦手だという事でしたが、撮らせていただけるということになって・・・・・・・ただお客さんがひっきりなしに来られるのでなかなかとることができず、結局三度足を運ぶことになってしまいました。
そして、この日清水寺で「100本のトランペット」の一度目のリハーサルがあって、その撮影までの間の時間お利用して、ここまで歩いてきました。
又すぐに戻らねばなりません。
ご一緒の女性は版画をされている方だそうです。

この時α99を使っていますが、取扱説明書もまだ読み込んでおらず、私の予想しない動作や期待しない動き、又α900とは別世界の在り様にまごまごおろおろしながらの撮影です。同じソニーなのに。

α99はEVFですが、EVFとしても一世代前の仕様というべきでしょうか、それもあってかx100FのEVFの見えとも能力とも違います。
しかし、シャッター音は気に入りました。小気味いいし、まろやかで撮影を意欲を掻き立てます。
この時にはミノルタの28-70を付けていましたが、85ミリを付けると、快適です。

「はらぺこ青虫」「はじめてのお使い」「ぐりとぐら」などなど、いろいろな絵本を読みましたが、絵本=子供向けの本=かわいい、アニメキャラ・・的な絵、塗り絵的な絵の本が氾濫している一方で、絵に対する思いの深い、又技術的にも優れた絵本がたくさんあります。
「じごくのそうべい」の絵を描かれた田島征彦氏の個展がつい先ごろ別のギャラリーであり、迫力のある作品を見せていただきました。

この方の作品も、子供相手だから可愛い絵を描けばいいというような安直さは毛筋ほどもありません。
分かりやすく目がちかちかするような原色を配して、女の子にはピンクを、男の子には青をという様な浅はかさもありません。

それでずいぶん感心していろいろお話を伺ったのです。
- 2018/06/27(水) 00:00:19|
- 絵画
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
城下町のとある路地で待ち合わせ・・・・・かな?。

多分待ち合わせの時刻に遅れるようなことはないだろうなあ。
五分とか、十分とか先に来ているような気がします。
ちなみに、私が待ち合わせた若い女性で遅刻しなかった人は片手で指が余ります。どうしてなんでしょうねぇ。

この人と空とでは明暗差が大きすぎて、こういうのっぺりした、色もどうかなという写りになってしまいます。
こういう時にスローシンクロでストロボを合わせたいですね。ボックスがあればなおいいですが、そんな機材はありません。

小中校と同じ学校に通った幼馴染。大学は京都に行ってしまったので、久しぶりに帰ってきて散歩しているところをバッタリと会ったという・・・・、そんなお話はどうですか。

「少し見ないうちに随分しっかりして大人になったって感じだなあ。」

「そうかなあ、そんなに変わったという感じはしないけど?! あなたこそ、どうなの? 大学は楽しい?」

「まあね。」
「そう、それは良かった。」
続きを読む
- 2018/06/26(火) 00:00:21|
- 人物
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
この時私の愛機は「カメラのエラーです」が表示されていました。
表面は平静を装って撮っていますが心は千々に乱れて・・・・・いなかったのですね。
確かに、困ったなあ、どうしようという観念が頭の隅に低音を鳴らし続けていましたが、どういうわけでか、案外平静なのです。これには自分でも意外な感じを受けました。
年齢の所為でしょうか。

この若い人の前でおたおたおろおろできないと思ったからでしょうか。
私の手持ちの機材ではこの一週間の撮影課題をこなせないのはどう考えても明らかでした。
まあここで慌ててもどうにもならないという開き直りだったのでしょう。こういう開き直りをもっと若いころからできていれば、私の人生はもう少し違ったものになっていたような気がします。

OVFのカメラからEVFのカメラに取り換えると発想を逆転するくらいの感じで撮らねばなりません。
この人を含む状景を見ているのではなくて、その時の設定でカメラによって作られる像を見てシャッターを切るのですから。

そしてカメラがますますオートフォーカスありきの構造、機能になっているようですので、一層「見ないで撮る」写真になってしまいそうです。
焦点を選択するという意識も随分弱くなるなあと感じます。
便利で時に大いに助かるんですが、それ自体が大きな落とし穴になっているような気がします。

α900の入院という事態になり、α900の中古を手に入れるつもりが、急に翻意して、その場しのぎでα99に手を出したので、余計にそれを感じるのです。
α900では具合の悪い時、例えばシャッター音が大きすぎる、高感度耐性をもう少し欲しい、暗所でピントを合わせたいなどの時には、このα99は大いに重宝するとは思うのです。しかもありがたいことに2400万画素ですし。

でもファインダーをのぞいた時にやはりガックリ来るんですね。
まあしかしこれもまた道具ですから使い込んで適材適所でいきましょう。
私の選ぶフォトマヌカンはやはりこういう人になりますね。

- 2018/06/25(月) 00:00:04|
- 人物
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
英語圏の人たちも「Boke」と言いますね。
焦点距離の長いレンズでF値の小さなレンズだときれいにボケます。
やみくもボケさせればいい写真というわけにはいきません。ケースバイケースです。

これらの写真をクリックして、さらに白いワクができるようにクリックしていただくと、写真がとても違うものになります。お試しください。
ですから、展示の際のフレームやボードには神経を払わねばならないわけですね。

頬に指をあてていますが、指の延ばし方、目との位置関係で、これまたまったく異なった写真になります。
皆さんはどれがよいと思われますか。
個展の時などの写真選考でに悩みに悩むところですね。

赤いマニキュアをしてきてほしいといった甲斐がありました。そして赤いルージュも。

少しメランコリーな空気を漂わせていますが・・・・。


うまく演技ができました。OKです。
- 2018/06/24(日) 00:00:46|
- 人物
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
現代カメラはどんどん高性能になっていて「便利」極まりないですね。
そして多くの場合にレンズ性能とボディーの性能が相まって画像がかっちりとしていて色ノリも良いようです。
でもほんの少し前の生産であるこのカメラとレンズだと、こういうふわっとした写真が撮れます。

人を撮るにはこういう感じの方がいいなあと、私は思っています。
と言って私のこのミノルタレンズがいわゆるクラシックレンズに入るのかどうか、そういうことは知りません。

わざとピントを外したり、ソフトフォーカスフィルターを使ったりすれば、モヤッとしますが、そういうのではない優しさもあるような気がします。
ちなみにこの写真は目にピントを合わせていません。まどろんだような優しさを出したかったので目をくっきりさせたくなかったのです。

この時はフォーカス面にグラスを置くべきだったかもしれません。そうすれば背景のボケに対してクリアな透明ガラスのきりっとした輝きで対照的ないいポイントができたかもしれません。
もしそうしたら奥行き感が弱くなるかもしれませんが。

この人のきれいな手指を生かしたいのと口紅、マニキュア、服の花の色に着目してみました。

明日アップする写真と対比してご覧ください。
続きを読む
- 2018/06/23(土) 00:00:13|
- 人物
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0

実は、このカットの頃には私の愛用のα900は「最後のあがき」をしてくれていたようなんです。

今日のこのページの最後のカットでこと切れてしまいました。
一週間後には大きなイベントで撮影を担当しているというのにどうしようという事態です。
広角は20ミリ、狭角は300ミリまでないと、そのイベントには間に合わないのですが、それらのレンズはα900に対応していて、キヤノンでも27ミリから180ミリまでならカバーできても暗い室内ではストロボなしでは対応できません。

キヤノンのニューF-1を持ち出す手もないではないですが、フィルムではその後の写真集づくりの日程が絶望的に足りませんし、ストロボしようが不可欠になりそうです。
修理に出せば最低でも2週間はかかりますから、一週間後のイベントには・・・・間に合いません・。
困った!! 万事休す。

で、この時は、サブとして持っていたフジX100Fを取り出して、撮影を続けましたが・・・・。

それにしても情緒の安定した人です。
私の話しかける言葉に、とても機敏でしかも穏やかな空気をまとわせて反応してきます。
私の指示に対しては必ず「はい。」と返事をしてくれます。 そういうこの人の感じを撮りたいなあと思うのですが・・・・はてさて、どうしたらいいのか。

写真で表現するということが、まだまだ分かりません。
写真を「光画」にするにはどうしたらいいんでしょうか。光画を写真と切り離しては、これまたちょっと違うとは思いながら相変わらず模索中です。

ポートレートは80%がモデルで決まりなんていう事も言われます、確かにそういう事も本当だと思います。でも、何に対して「決まり」なのか・・・そこが問題なんですね、実は。

カメラが壊れた事による動揺のせいか思考があちこちに飛びます。

- 2018/06/22(金) 00:00:39|
- 人物
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
7.14 「100本のトランペット写真集」発行
(前川・蒼樹・園家・森下)発行
7.21-7.29 「100本のトランペット写真展」 7.21 松峰綾音・達人夜話 (ゲスト 西田稔さん)場所は高瀬川・四季AIR
この一連の写真は私の好きなタイプの一つです。
フォトマヌカンに慣れているという人ではありませんので、50ミリや85ミリでは少し緊張するかもしれません。
この写真では200ミリを使っています。
ほんの少し指示をして、言葉の届きにくい距離にはなれますが、それでいろいろ察してくれるからこそ撮れるのでしょう。
私が撮らせてもらっている人の多くがそういう人たちですが、この人にもことにそれを感じます。

焦点距離が長いと、レンズから被写体までの間に空気(ニュアンス)を入れることができます。
それがいいですね。
イルコという方がもっぱら135ミリだけを使ってポートレートを撮られていますが、これまで私は135ミリでも長すぎるなあと感じ続けてきました。が、あるいはこれが案外癖になるかもしれません。

最近は手ぶれ補正がずいぶん利苦カメラやレンズが出ているようですが、このカメラはごく初期の手ぶれ補正です。それでもずいぶん助けられていると感じています。
無論、脇を占めたり足を肩幅に開いたり、ファインダーを目にしっかりと押し当てたりとすると同時に樹木や橋の欄干や・・・に押し当てたり置いたりと手ぶれを防ぐ努力はしていますが、長いレンズは油断がなりません。

こういう写真では「はいッ 息を吸って…止めて・・、」なんてできませんからね。
流れの中でレリーズボタンを押さねばなりませんから「今だ!」の時に思わず力が入ってカメラやレンズを揺らしてしまいます。

「さあ、いくよ。ハイっ!」とか「一、二、三!」でもフォトマヌカンに余分な力を入れさせてしまいます。


ちょっと眩しかったですか?
- 2018/06/21(木) 00:00:46|
- 人物
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
7.14 「100本のトランペット写真集」発行(前川正信・蒼樹・園家・森下)発行
7.21-7.29 「100本のトランペット写真展」 7.21 松峰綾音・達人夜話 (ゲスト 西田稔さん)場所は高瀬川・四季AIR
前日まで雨でしたし、午前中は曇りの予報でした。
約束の時刻が通常より遅めでしたので、多分何とかなるだろうと・・・、それで当たりでした。

講義やサークル活動の合間を縫って時間をとってくれていましたので、あまりゆっくりはできませんが、少し遅い時間帯というのが却って良かったのです。
人出が引いた後でした。

前回もこういう写真を撮りましたが、こういう風に正面から撮れる人というのは、精神的に充実していて聡明な人だと、私は勝手にそう思っています。

とても感の良い人で「一を聞いて十を知る」ところがあります。
背後の枝が首に刺さったり頭を貫通しないようにいい角度を探しているんだよ、ちょっと待ってね、と言いますと、・・・これまでフォトマヌカンの経験は一度もないというのに・・・・すぐさま、振り返って背景と自分と、そして私との位置関係を理解して移動するのです。

そして、この辺りには様々な注意書きや由来書の看板があって、実に興ざめなんです。それを何とか入れないように、しかも絵になるようにと思案して、「君の背で隠・・・・、」とすべてを話し終わらないうちに、適切な場所を探してしまいます。
こういう頭のいい人は大好きです。

しかも決して、「どうです、上手くやったでしょ?!」という空気を出しません。
こういっては何ですが、我ながら見る目があるなあと、自画自賛。
そこがこの人との違いですね。
そしてこういう情感の出る人はいいですね。
- 2018/06/20(水) 00:00:35|
- 人物
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
今月21日には「清水寺 世界友愛 100本のトランペット」の本番が迫っていますし、その後の写真集づくりと三週間後の写真展準備にとても忙しくなります。
それでこのブログへの記事アップの余裕は到底ないものと思います。

しかも、その21日が過ぎるとある知人からある写真撮影を依頼されていて、それは今まで撮ったことがない分野の写真になります。しかも何日かを必要とします。
そのうえ8月22日(水)からの26日(日)に京都文化博物館を会場とする京都ファインダー倶楽部の写真展準備へと続きます。

その間通常の写真鳥は、・・・・・・・勿論日程の間隙をぬって敢行したいとは思うのです。
それがないと欲求不満でご機嫌斜めになりますからね。

やはりこういうモノづくりの人の表情や仕草、醸す雰囲気を追ってしつこく撮るというのが楽しいし、「○○さん『で』撮る写真」も、これまた実に楽しいので、なんとしても組み入れたいわけなんですね。
雨で撮るか、快夏日で撮るか。

先に書いた写真展は・・・・・展示される大半の写真は私の問たものとなるはずなんですが・・・・「私の」写真展とは言いにくいので、やはり個展もしたいですしね。
そうでないと写真愛好者の市民権が得られませんし。

少しお金になる写真も撮ろうかなあなんて思ったり思わなかったり(誰かさんの口真似です)

いい写真撮りたいですね。
- 2018/06/19(火) 00:00:23|
- 工芸
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
工芸にしろ、芸術の諸分野にしろ、それを生業にして生活していくのは大変に難しいと・・・・一般論として・・・・いえると思います。
(写真についても出会う人ごとに、ブライダルの仕事に就くチャンスがないとほとんど無理かなあなどと聞きます。)
ですので、なおのこと若い工芸家の卵を見るとエールを送りたくなってしまいます。

もしこの人たちの仕事がなければ私たちの日常はどれほど詰らないものになってしまいか、それは情けないものになってしまうと思います。
もっとも日本社会で働く大半に人たちの所得があまりに低く抑えられているのと、文化的生活をするための自由時間が極限まで削られているのと、教育内容がいびつで自由度が低すぎることで、工芸や芸術作品を庶民レベルが楽しむ条件がますますやせ細っている状況では、エールばかりではどうしようもないのが現実だと思います。

日本は痩せても枯れてもGDPで世界3位なんですから・・・・一人当たりでは25位(2017年)なんですが・・・・・それなりの文化程度であってほしいですね。
「世界経済フォーラム(WEF)は2日、世界各国の男女平等の度合いを示した2017年版「ジェンダー・ギャップ指数」を発表した。日本は調査対象144カ国のうち、114位」(2017)という文化後進国ですから、深刻ですね。
そこにも芸術や工芸を豊かに発展させえない問題点があると思います。

そういう意味で若い女性がこうして工芸を担おうとしていることには意味があると思います。
(ただ半面、男子はこうした工芸分野では「食べられない」、したがって結婚できない等々・・・という事で選択しなくなっているという重い状況があります。)

とはいえ、こうした若者がいるという事はうれしいことです。

話は変わりますが、85ミリ単焦点でf1.4というのはこういう場面では有難いですね。
現代カメラはISOを高めることができますから、暗いので明るいレンズがいいというのではなくて・・・無論余り感度は高くしたくないのですが・・・・・やはり開放値が高いことで、背景をぼかして対象をポプアップすることができますし、ミノルタレンズであることもあってそのボケがきれいです。

そしてマニュアルフォーカスで撮る楽しさ。
- 2018/06/18(月) 00:00:33|
- 工芸
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
観光の人の多い京都では(?)「自撮り」している人たちをよく見かける。
ある人は自撮り棒で、またある人たちは背面液晶を手前に向けて、そして古典的なやり方として「セルフタイマー」を仕掛けて。

このお二人はセルフタイマー派でした。
そのセルフタイマーで撮るために小さな三脚やフレキシブル三脚(これは商標なんでしょうか)を使い人たちも見かけるのですがやはり荷物になるせいか、鞄などに載せて撮る難度の高い?やり方をする人たちも。

そしてこのお二人はセルフタイマー+鞄置きという最高何度?で挑戦されていました。
そこで「義を見てせざるは勇無きなり」ですから・・・・・いやむしろ小さな親切余計なお世話かもしれませんが・・・・・「シャッター押しましょうか?」と。

そしてよく見かけるのですが、せっかく着物を着て・・・・など気合が入っているのに・・・・直射日光をまともに浴びて撮っていると、つい口出ししたくなるのです。

このお二人は福井から来られている幼馴染だそうです。
つい先日、同じように撮っていたインスタガールズもそうでしたが、せっかく遠くから来ているのに、その撮り方ではもったいない、とついつい・・・・・。

そんなことを言ってカメラを取り出すのですが、つい先ほど橋の下の暗い場所で撮影した設定の調整を忘れて、この始末です。
京都の風情を入れて撮ってあげたいのですが、鴨川もこのあたりだと、あまり面白くないですし、日が少々西に傾いて河原の方がむやみに明るいので、私の技量が負けています。

周囲は人だらけですので、それを整理するためとランドマーク的な東華菜館を入れて・・・と、そのためにかがみこんで下から撮ります。
ご本人たちは周囲の目があるし、その上私の姿勢があまりにも大げさで目立つので、気恥ずかしいようです。
それで反対向けになるように180度回って・・・・。

あれこれポーズや場所を変えて撮ってあげたいのですが、次の予定のある旅行中の事とてそういう訳にもいかず・・・。

この後で同郷の、もう一人の幼馴染と合流されるんだそうです。その方は京都で働いているんだとお聞きしましたが、その人は、なんと私が懇意にさせていただいている型染め友禅の型を切っておられて今はその型を独自のジャンルの工芸にまで高められている和田禅さんのお弟子さんなのだそうです。
なんという偶然!!

そういえば和田さんお元気にされているかなあ。
- 2018/06/17(日) 00:00:08|
- 人物
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
写真を撮るときに思うことの一つに捕り手である自分はどの画面に入ってていいのかどうかということがあります。
つまり、よく言われるように「自然な感じで撮る」のがいいかどうかと言うことです。

よく自然な笑顔・表情がいいねとか、カメラを意識させないで撮れているからいいねと言われたりします。
わたしは、あまりこういう考え方を支持しないのです。「自然がいい」というのは日本人好みかな、意識性を排除する傾向です。
意識性がない芸術というのを私は肯定的に評価しません。意識性を客観的に意識して、そのうえで無意識な偶然を撮りこんだり、生かしたりするのと、初めからただ意識しないで書いたり撮ったりするのは、違うと思うのですよね。

「無意識で」というものも様々な位相や分野があります。それを果たして意識して「無意識・自然」をとらえているのだろうかという疑問もあります。
まあそういう難しい問題は置いておくとして、この画面に私の存在を感じさせる空気を作っていいかという事なんですね。

じゃあ逆に私の存在を感じさせる写真はどうすればできるのか、どういう絵になったらそれが感じられるのか・・・・実はそういう事も私には分かってはいないのです。
ですから私を消した写真などできようはずもなく、またその逆もできないという事になります。
まあ、ちょっと禅問答みたいですが、私の意識の底流にいつもある問題意識ですね。

今日はオートフォーカスにすると後ピンになる85ミリ単焦点で出かけています。
このレンズではピント合わせを、当然ながらマニュアルでするわけですが、光に対してより意識的なります。
AFも便利な時はありますし、頼るときもあります。ですがやはりMFで気張って光と影を見ることが必要なことを思わされます。

「瞳○○」などという精度の高い便利な仕組みも世にありますが、そこにも落とし穴があるように思います。
人物写真は目に焦点を合わせるのがαでありオωである・・・・としても、αからωに行く間には実に多くのバリエーションがあるということを忘れ勝ちです。
この方の弾く曲を聞いていても、αからωに短絡しない「私」がいるなあと・・・・そう思いました。
- 2018/06/16(土) 00:00:17|
- 音楽
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
京都は高々150万未満の都市です。
東京や横浜市に比べたら、ずっと小ぶりで大阪市より100万人余りも少ないのです。ですから都会とはいえ比較的静かなのでしょう。
そして、いろいろ歩き回れば、同じ人に会う確率は、そこそこ大きいということになりましょう。
( もっとも旧職関係の人とは偶然出会ったということが一年に一度か、二度ですからですから、押しなべて確率が大きいと言えるかどうかわかりませんが、歩く世界の違いで、会う人が違うのでしょう。幸いなことです。 )
この方にも2,3年前にここより上流でお会いしたことがあったようです・・・・というあやふやな頭脳しか持ち合わせていないのが悲しいところというか、幸せなところというのでしょうか。

三線が意外に野太い音を出していたことと、歌が上手い!ので引きつけられました。
きっと以前にお会いした時にも同じように感じたのでしょう。

無関心を装って聞いていましたが、歌の内容、言葉が聞き取れません。
いいお声ですし発音が不明確というのでは決してないのです。 ですが聞き取れない。それは歌われていた歌が300年以上前から伝わる歌なのだそうで、沖縄の人でも若い人は分からないだろうとおっしゃっていました。

沖縄でもいわゆる現役世代では三振を弾かない、弾けない人が増えて、三線奏者の人口は「うちなんちゅう < やまとんちゅう」になっているのだそうです。
ちなみにこの方は「やまとんちゅう」です。
それで今では小中学校の中で三線に触れる機会を作ることが努力されているのですが、「沖縄は田舎だ、遅れている」という意識を持たされた、持ってしまった若者、県外に職を求め、「夢」を抱いて出て行くものが多くて、そこで沖縄の良さに気付いて帰るものもいる。

それは他県でも同じですね。
文化が東京風にのっぺりしてしまう。いや東京風でさえなくてテレビやマスコミの上の、企業に酔てっ作られ飲み込まされている文化で目くらましされて、そこは琉球でも遠州でも、陸奥でもないものになってしまう。

文化に多様性がないという事は日本国民が皆同じ顔をして、同じ味をお石と言い、同じ笑いを笑うようになてつぃまうという事で、実に着色の悪いものになるという事。 駅前がみんな「銀座」「中央通り」になったように。
文化自体の成長力・発展力もなくなってしまう。
- 2018/06/15(金) 00:00:04|
- 音楽
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
私は撮らせてもらうと「メールをくれますか? それに写真を添付して返信しますよ。」とお願いします。
すると「改めて自分の顔をまじまじと見たくないから・・・・。」と。
う~ん、いい感じの人なんですがねぇ。

建物の中には様々な照明があって、私はフォワイトバランスを適正にすることがなかなかできません。
ケルビンの調整だけでは対応できないことがよくあります。 ことに蛍光灯が含まれていると何が何だかわからなくなります。
皆さんどうされていますか。

ここは背景が感じの良い白いタイルですし、その爽やかさを出したいのですが、ネオンの色もあり、白熱灯もあり、蛍光灯もありで・・・・。
フジのカメラでオートで撮ればどうなのかなあと・・・・・α900のオートフォワイトバランス機能では追いつきません。

この日は・・・・別のところでは画角が狭すぎて苦戦したのですが・・・・85ミリで、こういう風にもとれました。
間にカウンターがあって近づけませんが、それで丁度良い間合いになりました。

とにかく、その場その場の対応を幾度も経験するしかないようですね。
でも多分専門学校とかではノウハウを教えてくれるんでしょうけれど。

いい笑顔ですね。

- 2018/06/14(木) 00:00:54|
- お店
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
いつも悩ましいのは建物の中です。
殊に内装デザインに凝っていてフォトジェニックな建物では「撮影はお断り」のことが少なくないからです。
スマフォで撮る人は、もうほとんど「傍若無人」の観がありますし、そうしているからと言ってとがめられている光景を目にしたことはほとんどありません。

先日ある文化財もある場所で、私は事前に「写真撮影の条件はどうなっていますか?」と尋ねてから出発したのですが、周囲におられる方々は、「撮影禁止」の表示もあらばこそ…でした。
それもスマフォやコンデジなどといった優しいものではなくてがっちりと一眼レフで隠れもせずにお撮りになる人も二人や三人、四人や五人ではではなかったのですから空いた口がふさがりませんでした。
それを目に映しているはずのその施設のガイドさんが一度も制止しないし、やめろとも言わないのがこれまた不思議でした。
そのガイドさんこそ、私が事前に「写真撮影の条件は?」と質問して、「建物の中ではお断りします。周囲でならご自由に。」と説明してくれた、あの方でした。
私は「ダメだ。」と確認していますから、鞄からカメラを取り出すこともしませんが・・・・。

この建物は外観も内装も、又テナントそれぞれの店づくりもとても気合が入ってオシャレなのです。
ですからお店が写らない壁面や廊下でいいから、ここで写真を撮りたいなあといつも思ってきたのです。
店員さんもお店のデザインのコンセプトに合わせて服を選んできていますから、とてもいい感じです。

それで、半分以上「ダメ元」の気持ちで、・・・・お店を正面から撮るのはダメでしょうが・・・・向こう側の壁面を背景に写真を撮るのは「だめでしょうか?」とお訊ねしてみたのです。
今度誰かフォトマヌカンを引き受けてくれたら撮りたいなあと思ったからです。
それに「この人ちょっと力を貸してくれないかなあ。」という気持ちも持ちながら・・・・。

すると「なんという事でしょう!」
「大丈夫ですよ。」との返事でした。
案ずるより産むがやすしとはこのことです。
しかも「私でよければ・・・・」と、私の下心を見抜いた返事でした。 国会答弁じゃないですが、隠すほど現れるという事でしょうかね。

どういう訳か、最近21歳女子にご縁があって、この人も21才だそうです。
そのことを話すと「分かる気がします。」とのこと。何がどう分かるのか、よく分かりませんでしたが、そんなに不思議じゃないそうでした。
これは重要な研究課題だなあと思いながら撮らせてもらいました。
どことなく「おじいちゃんに似ている」とかだったら、・・・・、せめてお父さんにしてくれない?!と言っておかねばなりません。
- 2018/06/13(水) 00:00:20|
- お店
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
中国遼寧省瀋陽市に行っていたころに、故宮近くの建物の中で水墨画を描かれ販売している作家さんに出会いました。
私は言葉ができませんが、とにかくジェスチャーと半端な英語で話しかけ、描くところを撮らせてほしいとお願いしたことがあります。
ご存じのように東北地方はかつて日本の関東軍が謀略と軍事行動で侵略をほしいままにし、満蒙開拓団の名で日本の庶民が侵略の片棒を担いでしまたところです。「反日教育」のあるなしにかかわらず潜在的に日本に対する嫌悪感なり憎しみがあっても極めて当然の地方です。そういう歴史的事実を無いことにして「反日教育」を言い立てる政治家やそれに同調する人がいるからなおのこと日本は中国人に信頼されていないだろうなあと予想して行きました。

私が日本人であることを伝えて撮影の許可をしていただけるようにお願いしたのですが、その水墨の作家さんは満面に笑みを浮かべて、どうぞどうぞと好きなように撮らせてくれました。
別の建物では書や油絵、又先ほどと同じような水墨作家さんたちが同じ広い部屋で制作し販売していました。
そこに行った時には学生たちが私を紹介してくれて「写真を撮りたいがいいか。」と尋ねてくれました。
やはり大歓迎でした。
そして書家さんが私にあてて書くのだという添え書きをして「中日友好」と大書してくれました。 その書はいまも私の部屋にあります。

周囲にいる作家さんたちの暖かい視線に囲まれて一緒に写真を撮りましたが、胸が熱くなったことを思い出します。
水墨画家がブドウの絵を描かれていましたから、沙海さんが同じようにブドウを描くところを見て、その時のことを思い出していました。

中国の方はもう少し葉に濃淡を強く付けて陰影が濃かったし、ブドウの色も深い紺色をしていたと記憶しています。
先に描いた画家もそうでしたが、沙海さんもまた対象をすっかり手の中に入れて、自在に描いている感じがしました。

沙海さんは台湾の方々との交流をお持ちのようです。
この会場にも台湾出身の女性が沙海さんをこまごまとサポートされていました。

こういう撮影の時にいつも気になるのはシャッター音です。
それに私だけ周囲を動き回りますから・・・・・。

でも、そういう『雑音』は少しも気にされずに集中して描かれるのはさすがです。
貴重な時間をいただきました。
- 2018/06/12(火) 00:00:13|
- 絵画
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
水墨画の作家さんです。
宮本沙海さんと言って、既に相当の実績のある方のようです。
私の後にギャラリーに入ってこられた方が、テーブルに墨や筆のあるのを見て「ここで描かれるのですか?」と尋ねられて、「今、紙を買いに行ってもらっているところです。」とのこと。

実は直前まで色紙に描いておられたのですが、ある方に頼まれたものをお描きになるという事で私も待っていたのです。
そこへ「買ってきましたよ。」と紙が届きました。
「実は私はお描きになるところを写真に撮らせていただこうと待っていたんです。」と「告白」しますと、「写真を撮るんだそうだ。」と少しももったいぶらずに了解していただけました。

「Eureka!」 アルキメデスが物体にはそれぞれの比重があることを突き止めた時に叫んだことで有名な言葉です。彼はその発見の喜びで風呂から飛び出し裸のまま街を走ったそうですが、自然や人生の深奥の真理を発見することは、実に大きな感動を伴う事でしょう。
沙海さんが「Eureka!」と叫んだというわけではないのですが、長谷川等伯の「松林図」は「雪山松林図」とでもいうべきものだということに気付かれた時にも啓示を受けたような身震いがしたのではないかなと想像します。

テレビ番組で東大や京大を出たタレントたちのものしりぶりが面白おかしく演出されていますが、東大や京大を出て「物知りであること」をタレントの粋であるかのように扱われて喜々としている時点で、価値はないなあと思います。
彼らが果たして「Eureka」と叫びたくなるような知的な活動をしたのか、聞いてみたいものです。
まあ難し数学の入学試験模擬問題を解けたときなどには、そう叫んだかもしれませんがね。

と、話は変わりますが、
「京都の紙は、どうもキレがないなあ。」とおっしゃりながら描いておられました。
たまたま購入された紙が、うまく墨を吸ってボケが広がらないようです。
やはりご自身の表現にかなった紙や墨、筆が必要なんですね。それはそうだと思います。
そのために紙を求めて幾千里という事もあるのですし、自らの用にかなうように職人に漉いてもらうようなこともままあるのですから・・・・。

今、ブドウを描かれていますが、「水彩絵の具はホルベインがいい。」とつぶやいておられました。
写真は少し明るすぎてブドウの色も青く鮮やかですが、実際は少し紺にふれた渋さのある色のような気がしました。

ご覧のような筆の持ち方で、ブドウの一粒はいわば「一筆」で描かれます。幾度も筆を重ねて形を作っていったり塗り重ねるようなことはほぼ見られません。
形は既にすっかり手の内にあるような描き方です。ですから粒の生命力というか生(せい)の鮮やかさというようなものが表現されるように思えました。
続きを読む
- 2018/06/11(月) 00:00:53|
- 未分類
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
某飲料メーカーにこれらの写真を送ろうか?!・・・・・などと冗談を言い合いながら、撮っています。

仕事が入ると私の撮影に付き合う時間が無くなります。
ですから仕事が入って良かったねと喜んであげる気持ちと・・・・・、幾分複雑です。
あまり有名になると撮れなくなりますし。
大いに飛躍して、ついでに私も有名にしてくれと言っていますが・・・・・。
以前モデル志望の人を相手にオーデションなどに使うポートフォリオ用や履歴書用の写真を撮りました。その他に私の趣味で撮らせてもらっていましたが、あるモデル事務所に所属することができると、なんと過去にさかのぼって肖像権を管理されてしまって私の写真を公開できなくなってしまいました。
そんなバカなことがあるかと・・・・モデル事務所に対して・・・・思いましたが、その子の将来のために涙をのんだ経験があります。

それが「トラウマ」となってこういう立場の人の写真を撮るのは腰が引けるのですが、「うちの事務所はOKですよ。」と言ってもらって楽しく撮っています。

この人自身の魅力発見のためにもいろいろ試します。
とても意欲的ですから、その点でも撮っていて楽しいですね。

- 2018/06/10(日) 00:00:51|
- 人物
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
女優さんですからいろいろな顔をしてくれます。
いわゆる写真撮影(ポートレート)のための「モデル」さんではありません。

今回はきれいに伸びた指にも注目して撮っています。
グラスを持つ手指だけ撮った写真もあります。
心理学の観察で「手指」は意外と内心を表現しているとのことです。 ですから演技では顔の表情、目の表情のほかに手指の表情も大切な要素になりますね。

実は既にマンゴージュースを空にして、そのうえオレンジジュースを飲んでもらっています。
ビールならともかくと・・・・お腹の中で思ってはいないはずです。 お酒は飲めないそうですから。

いろいろな表情をしてくれるでしょ?!
せっかくのデートなのに「向こうに行った彼が知らない女性を話してる」の図・・・・・かな。

- 2018/06/09(土) 00:00:39|
- 人物
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
マンゴージュースです。
この人は、美味しそう!、楽しみ!という表情を素直に出してくれます。 そこがいいんです。
ここバザール・カフェのご協力もあって、食事兼撮影です。
先ほどまで鴨川で撮影していたのですが、今日の一つのポイントがこのカフェです。
先日ある方に指定されてここでお会いしたのですが「おっ ここは使える!」と思ったのですね。

それでその時に「人を連れて来て撮りたいのですがいいでしょうか?」とお訊ねしておいたのです。
それでカフェに入っていくと「この人ですか?」と快く受け入れていただけました。
この人もこのお店をきにいってくれたようです。

「羹に懲りてオレンジジュースを吹く」の図。

「もうそろそろ飲み頃かな」の図。

- 2018/06/08(金) 00:00:38|
- 人物
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
「読書の邪魔をしてしまってすみません。」と言いながら、レンズを向けては話しかけるので、やはりお邪魔虫です。

このブックカバーを見るとやはり読書をよくされている人だなあと思います。
みなさんは縦書きと横書きとではどちらが読みやすいですか。
私は縦書きですね。・・・・・という事は数式や統計資料が少ないものしか読んでいないということになりますか。
改めて周囲に散らばっている読みかけの本を見てみると、翻訳本も含めてみな縦書きでした。
『自然の謎と科学のロマン 宇宙と物質・編』でさえそうでした。

つい先日まで私の書架の前にはいろいろな荷物が陣取っていて、もう何年もそこに立てかけられている本に手を伸ばすことができませんでした。
ちょっと事情が変わって荷物の一部が別の場所に移されたことですこしだけ近づくことができるようになりました。

この間の不勉強状態をいくらかは改善できるでしょうか。
読まれないままの本がたくさんあります。長い眠りから覚ましてやらねばなりません。 が、街歩き写真撮りと両立させることができるでしょうか。

まあ最近ちょっと本を読まなさすぎですから、この人の姿を見てまたちょっと本を手にしたいですね。

こうして写真を撮らせてもらって思うのは、本当はいつでもどこでも「メイン機」じゃないとダメだなあという事です。
でも、そう言いながらだからと言って何時もカメラバックにあれもこれも詰め込んで担いで歩くことができないのは自明です。自転車での巡回ですから。

それで「改めて撮らせていただけませんか?」ということになるのですが、果たして実現するんでしょうか。
これまでに写真に興味があるからとおしゃるので約束を取り付けたという人でも実現に至るには相当な困難があるのですからどうなるでしょう。

でもこういう人にこそフォトマヌカンをしてもらって私的な写真を撮りたいものです。

- 2018/06/07(木) 00:00:08|
- 人物
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
このところたまたま同じ年齢の女性たちを撮ることになりました。
何かそうなる訳・・・・隠れた必然があるのでしょうか。
いつものように自転車で走ってました。暑い日なので川のあちこちで水遊びをしたり、甲羅干しをしたり、はたまた小さなテントを張って家族やカップルで楽しんでいる姿がたくさん見られます。

そんなか読書する人も、わずかではありますが、ちら・・・・・ほら・・・・・・・と。

多分、ここにわざわざ読書に来たというのではなくて、きっと時間調整なんだと思いますが・・・・・スマホをのぞき込むのではなくて、読書する・・・・その姿は私のようなものには「ピンときちゃった!」なんですね。
読書してればいいの?! う~ん、この人の感じから読んでいるのはライト・ノベルではないのではないかと、勝手な推測。
「何を読んでいるんですか?」とはむろん聞けません。プライバシーの大切な部分ですから。親しくなれたら聞いてみたいですが。
背後の様子が今一つですねぇ。
と、つぶやくと「じゃあ、移動しましょうか?」と。
こういう気働きの出来る人は賢くて性格もいいんです。私の経験からすると。

読書の邪魔をしているうえに場所も移動してもらう図々しさ。
ここは高瀬川への取水口です。ここから水がくぐって現在は「がんこずし」となっている敷地に入ります。
いいお庭になっています。

日本史を学んでいるという事でしたし、それも近世史ですから、もう一段図々しくこの庭を案内すればよかったと後悔しました。
私は一時古代史に熱を上げていましたが、室町晩期からの歴史にも興味がありますからぜひいろいろ教えてもらいたいものです。
「薩長藩閥政権史観」から国民が抜け出すためにも近世史の見直しもまた大切な課題だと思います。

わたしは大学に入ったばかりの頃、2,3日で岩波新書を一冊、並行して1週間でハードカバーの専門書を一冊読むことを自分に課していましたが、4・28、5・1、6・23、8・6,9などの行動に参加するうちそのペースを守ることはできなくなってしまいました。
夏休みの解放感もまた大いに原因しましたね。

学生が勉強するのはいいものです。
- 2018/06/06(水) 00:00:53|
- 人物
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
他府県から、インスタ映え写真を撮りに京都に来る人たちが目立ちます。
自分たちの町には「いい場所がないんです。」と言われるんですが、・・・・・。



まあ、それだけ京都が良い街だということにしておきましょうか・・・・・。
少なくとも鴨川は・・・・・。
では、乾杯! 中身はアイスコーヒーなんですが。

それでも盛り上がりますねぇ。

こういう撮影も楽しいものです。

この人たちもそうですが、いろいろなことを楽しむことが上手ですね。
もっともっと生活を芸術を楽しむ人たちが増えるといいなあと思います。そしてそのバリエーションが増えて質が高まり、「働くのは生活を文化的に楽しむため。そのためには「もっと自由な時間を!!!!! 労働時間の短縮を!!!!」
の声を上げたいですね。



- 2018/06/05(火) 00:00:08|
- 写真
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
先ほどまで直射日光を浴びていましたので、「影の方が取りやすいですよ。」と、こちらに移動。
それに緑も白飛びしないできれいに色が出ますしね。

丸椅子やテーブル、ポットにワイングラスなど一式を貸してくれるお店が、この近くにあるんだそうです。
この人たちは東海地方から来ていますが、そういう事もよく調べてこられているんですね。
「服も借りているんですか?」 「いえ服は自分のです。」
これで京都観光を兼ねて回ってきているんだそうです。
こういうところ、女子は強し・・・です

カメラは一眼レフと、ミラーレス・・・・。
初め、カメラお借りして撮っていたのですが、どうも勝手がわからず・・・・僕のカメラで撮っていいですか、ということになり。
どうも、いろいろオートというのが、自分を混乱させるのです。

今日はX100Fできていますが、良かったり悪かったり・・・・使いこなせていません。
内臓ストロボは役に立ちましたが。
これから強い日差しの時期ですから、別のカメラの時には外付けのストロボがあったほうが良いのでしょうが、これ以上荷を増やして重くすることはできませんね。

こういう「ノリ」になれるのも「女子」の力かな。
男子なら水に突き落とすぐらいでしょうか。それとも一緒に飛び込むかな。

他に立ち寄ってきたので、ようやく遅い昼食だそうです。

- 2018/06/04(月) 00:00:58|
- 写真
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
ちょっと古い感じの丸椅子を二つ、その他にポットやワイングラスをもって・・・そこにカメラをぶら下げていれば・・・・。
最近鴨川では小さなテーブルやおしゃれな椅子を持ち込んでワインやチーズを楽しむ人たちがたくさんいます。
「愉しむ」ことにお金とアイディアを・・・・そして絶好の近場があるじゃないかと・・・・・凝らして、鴨川を楽しい空間にしている人が増えているのです。

そこにカメラを加えると「インスタ映え女子」たちになります。
勿論、単独で気合の入ったカメラをもって・・・・・大概は地味な服装で・・・・・撮影を楽しんでいる若い女性たちがいます。
その人たちは、敢えて言えば「カメラ女子」というべきでしょうか。

そして、可愛らしいオシャレな服を着て、化粧にも注意を払って念入りにしている、加えていろいろな小道具も準備万端なのが「インスタ映え女子」たちです。
演出に凝ります。

いいと思いますね。
流行の画一的な絵=写真を少しでも工夫して楽しめば写真はうんとよくなると思います。

写真は「光画」と言われます。フォトグラフの直訳ですね。そう、まさに画=絵なのですから、どんどん演出するのもまた写真なんです。
それに写真人口が増えるのは、これまた写真の鑑賞者が増え、否応なしに多くの人の鑑賞眼が成長すると思います。

「ハイエンド」のカメラがやたらと高価になっていて、またそういカメラを追いかける傾向が一部にありますが、「女子」の多くは、そういうことにとらわれていないようです。もちろん「一眼レフの方が写りがいいんですよね。だからほしいなあ。」という声は聴きますが、だからと言って「5DシリーズとかD800番台でないと、・・・・。」となどというこだわりはありません。
ただ、写真撮影の基礎・基本をあまり良くは分かっていない傾向もあって「ちょっと教えてほしいなあ。」と思っているようです。そういう潜在的需要はかなりあるように思います。

こういう要求に応えようという若い写真家たちも生まれてきていますね。
- 2018/06/03(日) 00:00:40|
- 写真
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
以前私が個展をしたギャラリーでお仲間と絵画展をされておられました。
私は絵を見せていただいて会場を一周しましたので、そろそろ出ようかなと思っていますと「どなたかのお知り合いで来られましたか?」と声をかけていただきました。

私の定例ギャラリー巡りですので、特に目当ての方はいません。作品はとても上手なものもあれば、最近始めたのかなというものもあり、「絵画教室」の「生徒」さんたちでした。
私は、この辺りのギャラリーでアマチュアの方やプロの作家さんたちのの絵を見せていただくことを毎週の楽しみにしているんですが、いろいろな刺激をいただくこともよくあります。

『絵を描かれますか?」と問われて「いえ、絵は見せていた区だけです。」と答えますと「絵は・・・とおっしゃいましたが何かおやりなのですね。」と鋭い追求で・・・・・「はい、写真を楽しんでいます。」
それでこの方がずっと以前、フィルムカメラの時代にニコンのカメラで楽しみ、デジタルカメラが出たころ位から、あまり撮らなくなって、「今は絵を描いているんですが、また写真もやろうと思い始めて・・・・、どんなカメラがいいのかアドバイスが欲しいなあと思っていたんです。 どんなカメラをお使いですか・・・・。」などと、写真・カメラ談議に流れていきました。

「光学ファインダーに未練はありますが、何より軽いのが欲しい。」と。気持ちはよく分かりますね。
それで実に偏った経験から、お話しすると、メモをされて「今度見に行きます。」とのことでした。
「少しお高いですよ。」というくだりにはほとんど反応されておられなかったので、私よりは余裕がおありなのかなと・・・服装や物言いの丁寧さと好奇心の旺盛さ、物腰などから、企業でも活躍された方だろうなあと勝手に推測しました。

ブログにもアップさせてくださいとお願いすると「いや、恥ずかしいなあ。」と暫く逡巡されていました。
第一撮らせていただくときにも「撮るのは好きだが、撮られるのは苦手で・・・。」と。
でもいろいろお考えののちに「まあ、いいですよ。」とにっこりされて。
私はキヤノンの5Dにツァイス、プラナーを付けていたのですが、それを手にとられて、ファインダーをのぞき込んでおられましたが、やはり写真はかなりお好きなようでした。
この組み合わせはAFが利かないし、ファインダーもα900ほど明るくないので私のような視力では、まして室内の暗い条件では、ピント合わせが辛いです。

ご近所なら良いお友達になれそうなのになあと、思いながらお別れしました。
- 2018/06/02(土) 00:00:19|
- 人物
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
いや~、6月に入ってしまいましたよ。どうしましょう。
2018年は超特急ですねぇ。
6月から8月の下旬にかけてはちょっと忙しくなりそうです。
それで5月に少し撮りたかったんですが、なかなか実現には至らずに、 今日は久々に撮影に出かけます。 どんな成果が得られるでしょうか。

この人もスマホで写真を撮っています。
写真を撮る人口は爆発的に多くなっているでしょうし、それを公開する人もとてつもなく増えていると思います。
ですが旧来の?写真世界にいるモノには写真文化が大きく飛躍したような感じがありません。そこに何かギャップがあるような気がします。

写真撮影人口の増加傾向は日本の写真文化のステージアップのために絶好の状況だと思うのです。
京都グラフィーへの関心の高さを見てもそういう兆しはあると思うのです。若い女性が「一眼レフ」で撮ってみたいとよく口にしています。そして、一眼レフを首に下げている女子たちをよく見かけます。

でも一方で大学の写真サークルのメンバーはあまり京都グラフィを見ていないし、おじさん・おばさんたちの写真展を見ません。 カメラ女子たちにも街のギャラリーで写真展を見ている人は少なそうです。

インスタグラム世代と写真展世代とがクロスしていないんでしょうね。
先日ある写真展を見ました。それはいわばインスタグラム写真文化とは違う旧来からの写真でした。そこに捉えられているのは街のあちこちにある「空地」でした。私自身は何の感慨も得られませんでしたし、これにどういう作品的な意味があるんだろうと首をかしげました。
それでそこにいるスタッフさんに疑問をぶつけてみました。いろいろとお話をしてくれました。

説明を聞いてなるほど、とは思いませんでした。
が、確かにこういう作品を高く評価する人がいるんだ、またそこにはそれなりの評価の価値観があるんだということを知りました。
こういうことをインプットしておけば、また別の機会にこういう傾向の作品を見た時に、何かしら意識して見直すことがあるだろうと思います。

私の写真だって?そんなに深い意味なり重い価値がこもっているわけではないですし、好みに合わないからと言って全否定はできません。

こういうものは多様であっていいのです。

ただ・・・・・。
- 2018/06/01(金) 00:00:07|
- 人物
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0