この記事は予約投稿したつもりで「予約」にぽちっとし忘れていったん公開されてしまったものです。慌てて設定していた日時通りに「予約」し直して今日の公開になりました。あしからずご了承ください。 篠山紀信氏はロケハンをしないそうだ。
ロケハンしても、事前に見たのと同じ状況になることはなかなかないからだと言います。
ロケハンした時に晴れていても当日は雨天だったり・・・。
それはまさにその通りで、同じ場所に行っても同じ写真は撮れません。ましてフォトマヌカンが違うのだから。

まあ、しかし、篠山氏の言葉を言葉通りには受け取れません。おそらくスタッフが下見をしているでしょうから。
トイレはあるか、食事はどうする・・・・、そういう事も含めてロケハンするわけですから。
以前行ったことがあるからと言って油断はできません。

ここでお茶を飲んで休憩するつもりだったのに、「この喫茶店、いつの間にか閉店してしまっている。」なんてことは珍しくはないからです。
その点、インターネットは便利ですね。でもそれを生かせないのが私です。
この人も写真撮影に俄然興味を持ち始めていて盛んに撮ります。

ただ、撮られることにも興味を持っていますから、関西を離れる前に是非ともという私の願いを聞いてくれました。
四月になればどこかに行ってしまう人ですから、今のうちに「チャンスは前髪を掴め!」です。
私が「ポートレート」を撮っていて、自慢の一つは「フォトマヌカンの表情」です。
特に深刻ぶった表情をしてもらうのでも、何かを演じてもらうのでもありません。
ただこの時を楽しんでいる表情を撮ります。むろん、「ちょっと真面目になって!」なんて言う注文もしますが。

前の「雪よ降れ・君は美しい」の人の時は雪が降ってきましたが、今日は快晴です。
それで「一足早い春」の感じでいこう! ということになって・・・・、つまり篠山氏が言いたいのはここでしょうが・・・そこで閃いて撮るんですね。
その時一番いい写真、その時感じた「撮りたい絵」という事でしょうか。

でも引き出しの少ない私は似たような構図です。
そこから踏み出せるかどうか。
奥の自動車は偶然であって偶然でない・・・・と、・・・。
- 2018/02/28(水) 00:00:54|
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職人の仕事は道具作りから。
既存の道具でできることばかりではない。仕事に応じてやることは違うのだから刃の長さや切っ先の角度、あるいはアールの様態、それぞれが違う。それに応じて道具を自作するから道具はどんどん増える。

その道具について話す時の表情がまたいい。自慢しているのでも誇っているのでもない。いとおしくて仕方ないような表情。
もともと鋼はこれくらいの長さがあったんだよ、と。 そして研いで研いでいるうちにこんなに短く・・・・・。
コックのナイフ、板前の包丁も同じですね。
切れない道具では話にならない。しかもただ切れる以上の切れ味を求める。

そういう意味ではよいカメラと良いレンズ、今ではセンサーと映像エンジンも?欲しくなる???というのは 私の欲望の合理化?言い訳?

家庭に置かれる仏壇仏具の様子も変化している。
斯くいう我が家にも弟宅にも仏壇はないし、仏具もない。
団地では手狭で大きな仏壇は置けない。マンションだってよほどでないとそれを置くように設計されていない。
先日行った建築家たちの展示でも紹介例に仏壇は置いてあるものばかりではなかった。
そういう生活になっている。

私の父は、遠州灘に散骨してほしいと言っていた。(私はどうしよう。)

まだまだ教団宗教は大きな存在で、今日・明日にこの人たちの仕事がなくなるわけではない。
ないが、しかし、やはりじわりじわりと仕事の環境は変わっているようだ。
- 2018/02/27(火) 00:00:23|
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「教科書に書くなら二・三行のことだけどね。」
つまり「幅一ミリで深さ1センチにのこぎりを引き、底部を0.5ミリ残す。」ということが実際にできる技は簡単なことじゃないというです。
幅一ミリの溝の入り口が正確に平行な切り口で底部に届き、かつその底部に傾きはないか。切れ味は鋭く平滑な面を作っているか。
高い精度で連続して溝を鋸で引けるか・・・・。

そういうことが職人の技には必要で、仕事の指示は「幅一ミリで深さ1センチにのこぎりを引き、底部を0.5ミリ残す。」とあるだけのことが、実は容易にはできないところに、面白みがある。

工作機械は「そういう数値を入力してやれば、その通りに工作するだろうけど、木の性質や工作時の条件、それを結局何に使うかを勘案して、微妙に仕上げることは、やはり機械にはできない。」
そういう事でもあるそうです。

木材の状態を目で見て指で触れて、鋸の目に対してどう反応してくるか、折り曲げに対する耐力はどうかなど一瞬にして判断することは機械にはできない。
まして次の仕事をする人に対して、漆を塗るにはどういう仕事をしておいたらやりやすいか。
一体として作っておいたほうが良いのか、部分部分を組むように仕上げておいた方がいいのか・・・。

今ここでする仕事だけを考えているのではない、ずっとこの後の仕事をイメージして、仕事のやりやすさや完成した時の仕上がりを考慮して仕事をする職人の技。

そういうものが積み重なって「いい仕事」は完成する。
職人の仕事は縁の下にある場合が多い。
- 2018/02/26(月) 00:00:29|
- 工芸
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2月は各芸術系大学の卒業展、修了展がありました。
京都造形芸術大学は、最近元気さを感じさせる大学ですが、今年写真のコースで出色の学生を見つけました。

彼のポートフォリオを見てモノクロの感性と撮影技術は、卒業後すぐにプロとして作家として活躍できるだろうと感じさせるものでした。
ご両親が中国の方で、上海人です。

昨日からここではけん玉がブームなんだそうで・・・・。
彼の作品を見せてもらう前に「ストリート写真で街ゆく人を写し込む問題」について一しきり交流しました。
一緒にいた女子もとてもしっかり考えていて、この大学での学び状況を伺わせてくれました。
通り一遍でなくよく自身で考えています。

この辺りは他のコースの空間と比べて自由だと言っていました。
卒展、みんなもっとまじめに取り組んでいるみたい。自分らはこんな感じ。
そう言えるのは自分たちの心が自由だからでしょう。

制作には見通しを持つ力も根気も必要です。
ただの勝手気ままでは制作はおぼつきません。
そういう集中と継続の中で「遊ぶ」力があるというのはいいことだと私は思っています。

明日撮らせていただける人がいて、その人はとても素敵な人なんです。
それでこのキャンパスのあちこちにその人を撮りたい場所がたくさんありました。
ちょうど卒展の作品があるから、なおのこと良いんですね。
でも、それはできそうにありません。
- 2018/02/25(日) 00:00:42|
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日本列島は南北に長いし、3000メートル級の山脈が南北に連なっていますから、季節の景色は地方によって大きく違いますね。
琵琶湖(滋賀県)もこの辺りから余呉湖の奥にかけてどんどん雪が深くなるそうです。
わたしは琵琶湖周辺から離れて北に行ったことがありませんので、その辺の様子は知らないのですが・・・・。

でも、まあ寒い感じは出てますよね。

でも雪国の人は、「なんだ道路の雪が解けてるじゃん。」と突っ込みを入れるかもしれませんね。
私みたいな雪国素人は、これくらいじゃないと無理かもしれません。

でも確かにこの人は寒い。
写真を見て鼻の頭が赤くなっているから寒いんだろうなあと、察してくれる人もいました。

それで、こんな服装をさせて寒いところで平気な顔をして写真を撮っているなんて・・・・と雪玉を私にぶつけようという算段で・・・・。・

商業写真ではないこういう写真にとってフォトマヌカンと撮影者との距離感がどうかという事はとても大切な要素だと私は思います。

「二コパチ」写真なんて・・・という人がいますが、やれるならやってみてと思う事もあったりなかったり(ある方の言い方を真似てみました。)


私はいいフォトマヌカンに恵まれているなあと常々思っています。
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- 2018/02/24(土) 00:00:36|
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雪を求めて北上してきましたが、ようやく雪景色らしいところに来ることができました。
そして・・・・・降ってきました。

着ぶくれにならないようにと、ちょっと我慢してくれています。
「モデルはつらいよ。」です。

「寒い時には寒いのがよろしく、暑い時には暑いのがよろしい。」と・・・・写真に写らない撮り手は思うのです。

ここはよく知られた場所で、気合の入った人も、そうでない人も良く写真を撮ります。
街からはちょっと遠いですから多くは自動車できます。
それでこの道路の途中にとめてしまって、自分の撮影に夢中になります。
それで他の人が撮りたい景色を台無しにしていることを自覚できない人たちがお互いにイライラするわけです。

その結果、道路の脇に、駐車しないように、駐車場に停めるようにという無粋な、景色を損なう看板が立つことになります。
休日や天気の良い日などは、気の短い私などはとても来られません。
喧嘩の一つや二つ売りそうですから。

でも、まあ以前に比べればましな時もあるかなあ。
と言いつつ、私たち自身、同じところで長く撮っていればお邪魔になりますから、移動しつつ、先に歩みを進めつつ撮ります。
そして、事故に合わないようにという事と、邪魔にならないようにするために前後ろをきょろきょろとしながらです。

雪の中に赤い色が欲しいという私の我がままのために・・・・。
- 2018/02/23(金) 00:00:07|
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金属の楽器ですから指に冷たいことでしょう。
強い風が体温を奪っていきます。
でもそんな風も彼が今ここで吹くのを止められないでしょう。

私はこの鴨川べりで、大学を卒業していく学生が吹くのも見てきましたし、就職して京都に任地を得て社会人一年目に吹く姿も見ました。
人々は皆それぞれの人生の局面を生きています。
そう言えば私のブログもこの3月で満7年になります。なんてことでしょう。
小学校に入学した子供が今年は中2になる・・・・と、そんな時間が流れたということになります。
高校入学の子だったら、今年は社会人1年生です。
7年間という期間は同じでもそこに詰まった事柄はずいぶん違いますね。

私の三次5カ年計画もいよいよ後半に入ります。 今までは半分過ぎてもまだ半分あるつもりでした・・・人生は必ず明日があるというものではないのですが・・・、今度は違います。

心して過ごさねばなりません。
大いに楽しみましょう。
遊びをせんとや生まれけん。
遊びを介して社会に繋がる。それがカギです。
- 2018/02/22(木) 00:00:51|
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いや~、こういう風景は久しぶりですねぇ。
今日は日差しがあって、「暖かいかな?」と思わせる、けれども風が強くて存外寒い、そんな日です。
この橋の下は風の通り道ですからかなり寒いと思います。

「いくらか暖かいと思って出てきたんですが・・・・」と言いますが、多分、そうでなくともきっと楽器を手にここに来たんだと思います。
そう、今日はここで吹く理由があるんです。

この人は高校3年生です。つい昨日、大学の合格の知らせを受けたんだそうです。
「おめでとう!」
小学生のことろから音楽に親しみ、中高とブラスバンドをしてきたのだそうですが「受験勉強のために、もう何か月も吹いていないんです。 」
「それで合格が決まったから・・・・。」
「はい。」

心は開放され、次の希望に満ちてサックスを取り出す・・・・いいですねぇ。 青春だねぇ。
大学でもブラスバンドに入るつもりなんだそうですが「大学のブラスバンドは全国的にも強いんです。」
それで今からやらないと・・・。
( 彼の高校もまた全国クラスだったようです。)

先ほどから何度もリードを付けたり外したり・・・・。
「長いこと吹いていないので乾いてしまっていますから、どれも均等に湿り気を与えているんです。」
始動ですね。
- 2018/02/21(水) 00:00:15|
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私は高校生・大学生のころ戦前の学生の在り様に憧れ、また大正デモクラシー期以降の知識人の思想的営為に憧れて勉強していた口ですから、リアルタイムの同級生などとは大分ずれていました。
たまたま同じような問題意識を持つものが大学の頃は後輩に一人いて、それであまり過剰に強くそのずれを意識せずに済みました。弟もまたかなり近似した傾向でしたし。

職場では、少しアングルの違う形ではありましたが、基本的なところ・原則的なところで近い共感する仲間は片手の人数くらいはいましたので、それは励みでした。
けれど大局的に見るとずいぶんずれた人間ではあると思います。
ですから現代を新鮮に生きている若者とは、さらに大きく大きくずれているのだと思います。

でも、そのずれから現代を垣間見るとなかなか面白いものが見えてくることがありますし、今の若者になかなか尊敬できるなあと思うものを見つけることがままあります。
そうでない場合とどちらが多いかと言えば、残念ながらというべきですが、しかし、それでもなお、じゃあ私と同じ世代を見て、どうかとなれば、結局いい勝負なのかな、と。

私の世代にもこの人のような若者はいたのだと思います。きっと。でも私の視界には入ってこなかった、いや入っていても見ることができていなかったのでしょう。
そういう意味で一周遅れというか、五周くらい遅れたところでですが、いろいろ学ばせてもらえそうだと思うとわくわくします。

「人生短いので(笑)、撮影の際にまたいろんなお話を聞かせていただけるのを楽しみにしています。」とこの人のメールにありました。
私はその「人生短いので」を「少年老い易く学成り難し、一寸の光陰軽んずべからず」といったくらいの、戒め的な言葉だと理解して、
依頼のあった写真を少し夜遅くなったけれど「人生〔老い先〕短いので」少しでも早くと思って送りましたとメールしました。

それを読んで「笑ってしまった」と返信がありました。
まあこの年になって、正しいの正しくないのではなくてこういうズレをようやく楽しめるようになれたのは成果としなければならないでしょう。

やはりここにも「素敵な人」がいたと、そう思うわけです。

- 2018/02/20(火) 00:00:11|
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犬の「ウンチ」や薬など実物をしめして話しますので、具体的ですし、またそれの取り出し方も工夫されています。
話すテーマを示して、袋の中から「何が出てくるかな?」と興味を引いて、「あれ?これはテーマとどういう関係があるのかな?」と。
・・・・ウンチは、本物ではありません。模造品です。でも鼻を近づけると、例のあの匂いがします。子供たちの多くは一瞬たじろいでも基本的に「うんち」は大好きです。・・・・

寒い中ではX100Fは使い物にならないと書きました。実際私の経験ではそうです。
でもこういうところで役に立つということを発見しました。
ここに集まっていることもたちの中に何人か知的ハンディーのある子がいます。
そういう子供たちは光や音、あるいは非日常の大きさや形に強く反応してしまうことがあります。

そうなると真黒な一眼レフ機に大口径のレンズを付けて「バシャン、バシャン」と音を立てていたのでは具合が悪いわけです。
そこにいくとX100Fは形も小さくて優しいし、シャッター音は消せます。広角レンズでどこかよそに向けていてもAFのピントエリアをジョイスティックで端の方に設定しておけば、周囲の子たちとを刺激しないで、なんなく撮れます。
加えてストロボをたかないでも高感度で撮影すればいいのですからありがたいことこの上ないです。

変なおじさんが先生のすぐ横に入り込んできて写真を撮ったはる・・・、私は子供が興味を持っていたものを指さして「これ可愛いねぇ。」と話しかけながら、ちょっと一緒に遊んで混じり込みます。
ぬいぐるみの猫ちゃんですが毛並みなどもリアルでとてもよくできています。
「猫ちゃんたちに愛情を注ぐってどんな事かな?」{可愛がって遊ぶってどうすればいい?」

「トリミング」と「グルーミングはどう違うかな?」

「これは、な~んだ?」

犬嫌いの子は思わず引いてしまうくらいよくできたワンちゃんです。
この犬の柔らかい毛並みを触って気持ちいね、かわいいねと子供たちの表情が変わっていきます。
- 2018/02/19(月) 00:00:15|
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この人に最初にお会いしたのが2月3日のこと。
上賀茂神社では節分会をしていました。 その節分会により多くの人々が参拝するようにという事でしょう、手作り市が並行して行われていました。そこで人生2度目の手作り市出店というこの人に出会ったのです。

この記事を書いているのがそれから8日後のこと。
写真を撮らせてくれませんか?と・・つまり、フォトマヌカンをしてくれませんかと…お願いしたら、快く受けていただけたのですが、10日にはこうして、この人の活動の様子を撮らせていただいています。
そして撮った写真をお送りしたり、次の撮影についてのやり取りをしたりする中で、今まで経験したことのない、ある心地よい違和感を感じさせてくれる人だという事に気づきました。違和感というのはおかしいですね。ズレと言ったらいいでしょうか、あるいは私の理解を越えた部分のある人だという事かな。

異性ですし、年齢も相当大きく違いますから、理解を越えた部分があるのは当然です。他のフォトマヌカンさんたちもまたそういう意味では理解を越えた部分をたくさん持っているのですが、そういう一般論では収まりがつかない感覚です。

顔立ちが良い、スタイルが良い、表情も良い・・・から人を惹きつけるのはまあ当然と言っていいでしょう、が、それだけではない、はたして写真でつかまえられるかなあ、ちょっと別次元だなという感覚ですね。
これは、ちょっとワクワクします。
親しくしてもらっている留学生たちからも感じるモノかなあ、。それともちょっと違うのかな。

この人は犬や猫の命を守り、健全な犬生、猫生を全うさせる活動に取り組んでいます。
アメリカへの留学時に、そういう活動のボランティアに参加して、活動の意味を深く理解するとともに、日本の猫や犬が置かれた非道い状態を見過ごせなくて、帰国してPawer.という活動母体を自ら立ち上げています。

今日は「子供の食堂」に呼ばれて、子供たちやその母親たちに犬や猫の置かれた現状や飼い猫・犬、地域猫などのことについて興味深く話をしています。
つい注意が散漫になりがちな子供たちもよく引き付けています。

「あなたを撮らせてください。」という私の願いに対する「いいですよ。」の最初の答えが「こういう活動の中で私らしい表情が出ていると思います。」という、この対応がまず魅力的ですね。
私のブログを見て、そこに職人さんたちの姿があったから、そう考えたという事かも知れませんが、私がこの人のビジュアルにも引かれて写真を撮りたいとお願いしていることもよく理解されているのです。
- 2018/02/18(日) 00:00:32|
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実は私はフェイスブックをしています。
なんて告白みたいに書くのもおかしいのですが、じゃあなぜブログを続けているんだ、あるいはインスタグラムにすればいいんじゃないかなどという事にもなるのですが・・。

しかし、私にはこのブログの落ち着いた感じの方が、一面、性に合っているように思います。

それに皆さんは写真の中にある事実・情報にだけではなくて、それを写真として興味を持ってくれますから。
FBはなかなかそうはいいかないようですね。もっとつづけて、私が写真をアピールし続けて実績を積めば別なんでしょうが。
皆さんも意識して写真を撮られたり、文章で思い・考えを表現しようとされていますから、訪問させていただくのが楽しみです。

さて、ここは琵琶湖西岸の「新旭」あたりです。
この辺の並木や湖岸の繁みはなかなか魅力的なんですが、今日は雪が無くて中途半端でどうもいけません。
それでこういう背景を選んでいるんですが、やはり決め手はフォトマヌカンですね。

- 2018/02/17(土) 00:00:18|
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モノクロで撮ると寒々しい雰囲気が出ますね。
髪も黒、コートも黒・・・。
色が無ければこういう写真になります。

表情も変わりました。
青い空があっても寒さには変わりありませんが、日差しを感じる写真になります。
そこに笑顔ですから、この二葉の写真は随分異なった感じを与えます。
面白いですね。

寒いんだから寒く撮ろうという事にしました。

でも、まあこんな寒いところで何してるんだということになりそうですが、実はこの辺り、以前私が来た時には来るたびにかなりの雪がある場所なんです。
ところが今日は地面が露出して緑が見えるので「寒いぞ~ッ しばれるぞ~」という写真が撮れません。

もっと北に行かないとダメだね。

私はダウンの上着を着こむことができますが、この人は私の注文通りのもこもこでない服装です。
「モデルは辛い。」のです。

でもうれしいことにこの人は「どうすればいいですか。もっと雪が欲しいですね。」と寒いことも忘れて、せっかくこういうところにまで来たのだから、私が撮りたい写真を撮ってほしい、そうすることで自分にとっても「いい写真を残すことができた。」という成果を得たいという思いを持ってくれているのです。

ですから、私が「寒くない?」「車に撤退しようか?」と何度聞いても「大丈夫です!」の返事です。
なまじ中途半端なことで終ってほしくない、そういう気持ちを持ってくれているところがありがたいし、さすがに女優・モデル志望というだけあるなあと感じさせられ之です。
- 2018/02/16(金) 00:00:58|
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なんだかどこかで聞いたようなコピーですが。
寒がりだった私がいつのころからか「雪の降る冬も好き!」になりました。
AWDの自動車に雪用タイヤを履いて、雪道を歩ける靴も準備すれば、もうワクワクです。
と言っても長野や北海道などにまで行くと言いう訳ではなくて、ついそこ、琵琶湖の北部に行くだけという事なんですが。

そんな雪のある景色で写真を撮りたい、しかも私の場合は人物を・・・ですから、なかなか実現しないわけです。
今年は福井など北陸が豪雪ですが、山を越えた滋賀県では余呉湖周辺などは大変ですが、それから少し南下したあたりなら、まあなんとか入り込める程度の雪です。
でもその雪が降ってくれても力を貸してくれる人がいなければ話は始まらないわけで・・・。

今年はこの人が協力してくれました。
数日前まではすごい雪で積雪していたのですが、この日はもうずいぶん融けて、どこまでいたtら雪があるんだろう・・という具合でしたが。

日差しもありますから自動車の中は温室みたいですし、外に出ても、少しの間ならこんな格好でも震えなくて済むのです。
と、言いながら、この人が「大丈夫です。慣れていますから。」という「精神力」を持っているからこその撮影です。
コートの下はセーターですから、風が吹けばとても寒いのです。
この服装は私の注文通りです。

実は並行してフジのX100Fで撮っているのですが、気温が低いせいでしょうか、EVFが使い物にならないのです。AFも当たっているのかどうかさっぱりわからない。
それで結局、α900です。 そしてミノルタのレンズはやっぱりいいなあと・・・。
絞って良し、開けて良し。

フジノンもとてもいいんですけどね。

さあ、これから雪を求めて北上です。
- 2018/02/15(木) 00:00:15|
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前にも書きましたように、昨年は私の写真に力を貸してくれていた若い素敵な女性たちが相次い結婚、妊娠、進学、就職、転居などで、その機会を作れなくなってしまいました。
そんななかで新たに素敵な人を見つけたと書いたのですが、それでも先行き心細く思っていたのです。

そういう私の事情を知ってか知らずか、不思議なことに、いつ頃になれば時間を作れそうですよというお話が次々と寄せられたのです。
私が可哀想だと思ったのでしょうかね。うれしくも有難いことです。

職人さんたちの仕事を撮るときは、「ここを撮れ。今を撮れ。」というその声を聴くように努めています。
そんなことを書くと私が撮る方の名人・達人みたいですが、そうではないからこそ、対象からの暗示や示唆に気を付けようと思うのです。
それは若い女性をフォトマヌカンにしたポートレートも同じですね。
無論コンセプトによっては撮るもののイメージに近づけていく、演出していくことが大事な要素になるのだと思いますが、私の撮り方としてはそうです。

大体これまで、私が小賢しくあれこれ策を凝らして上手く行ったためしがないのですから仕方がないのです。

その点、職人さんは仕事に没頭する姿自身が魅力的ですが、こちらから何かかかわっていくことがないだけ、撮りやすいともいえるし、難しいともいえるかもしれません。
- 2018/02/14(水) 00:00:50|
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仏壇・仏具の展示即売会があり、そこで公開実演もされていた。
西陣や友禅、清水焼などは比較的職人さんに触れる機会がありますが、その他の仏具や神社の用具の職人さんはなかなかお目にかかることができません。

この方は木彫をされています。
彫刻刀の切れ味が素晴らしくて、木を削っている感じがしません。何か柔らかいものをスッスッと削り落としている感じです。

公開実演の場ですから最高度に集中しなくては彫れないようなものを彫っているわけではなくて、敢えて言えば話しかけられても大丈夫なものを準備して実演をされています。
実際、質問に答えながら彫る姿もあります。 作業を中途で置いて説明しやすいものに持ち替えて実演されることもあります。

この方に撮影を許可をとるときに少し逡巡されていました。それはこの会場の写真撮影の制約について確かなことが分からなかったからです。と同時に後でわかったことですが「ここでの作業は本当の自分(仕事)を見てもらうようなものではない。いつもの工房で、その環境で、それなりの技を込められる仕事の時ならともかく、この姿を撮って『職人を撮った』と思われるのも抵抗があるなあ。」というお気持ちを抱いていたからでもあります。

観光などの方が「ちょと二、三枚撮っていいですか?」というのなら、それほど迷いもなかったと思いますが、私が予想外にアングルを変え、距離を変え、あれこれカメラもいじりながら何枚も何枚も撮るので、この方の集中度もどんどん増していきました。
その折に「これはいつもと違うし・・・。」ということをおっしゃったのです。
全くその通りで、私はいつも心の片隅で、職人さんは不本意な気持ちを抱かれているだろうなあ、と思ってきたのです。

それでもほとんどの職人さんは、初めこそ笑顔があってもやがてしっかりと集中し緊張度を高めて作業をしてくれます。
そこに職人の誇り、矜持というものを感じることがしばしばです。 それで、私の方も、簡単にこれでいいということにならなくて、たくさんの枚数を撮ることになってしまいます。
撮りながら、観察し、見つけていく、そういうことになります。
- 2018/02/13(火) 00:00:38|
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逆に私を撮ってみたいなどと言われるので、今後近づくのはやめようかなどと思っています。
つまりそれくらい多彩な方なんです。
それはそうですよね。画家であり写真家という方。あるいは若いころに絵を学んで写真家に転向したなどという人は少なくないのですから。

そういう人の写真は、写真だけをしている人間の撮るものとは一味も二味も違うことがありますね。
・・・その場合、写真自体を作品として意識して撮っている場合は、という事ですが。・・・・




- 2018/02/12(月) 00:00:16|
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元来とても絵をよくする方だそうで、伝統的な絵柄だけではなくて、・・・ちょっと言葉に困るのですが・・・純粋芸術的な絵も描かれるようです。

私の印象としてはとても才気にとんだ方だと思います。
この時にはタペストリーとするために龍の絵を描いておられました。

龍は日本画の方や水墨画の方などもよく描かれますので、ちょくちょくいろいろな方の作品を見せていただきますが、あくまで想像上の「怪獣」ですから、その方の創造力・個性・画力が出るように思います。
伝統的な形式・記号にのっとって描けばいい・・・とそんな単純にはなかなかいかないようです。

濡れ絵という手法で描かれています。
記事を湿らせてそこに色を置くとやや浸潤して広がります。それを巧みにコントロールして濃淡、グラデーション、筆の伸びなどを表現していくわけです。
ここはご自身の工房ではありませんから、ご苦労がありますが、そこはそれでまた工夫して。

何年か前に初めてお会いして、やはり写真を撮らって頂いて、私の個展にも足を運んでくれています。
職人たちの写真を撮り続けようなんて殊勝な気持ちじゃないかと思ってくれているようでして、制作しているものがお客さんからの依頼のものでない限り、撮らせてくれるのはありがたいことです。
- 2018/02/11(日) 00:00:57|
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ジャンルが「人物」となってしまっているのはちょっとそぐわしくないかもしれません。というか、ちょっと性急だたかも・・・。
実はこの時西北からの強い風が吹いてきていました。
それでせっかくの制作物が飛んでしまうのです。ちゃんとテープで止めてはいたのですが、何しろ風が強い。それにテーブルの上は布ですからテープも強くは張り付かないのですね。
それでお話している間もつい下を見がちで、お顔を正面から撮れていません。それで、この写真は貴重な一枚。

猫や犬の命を大切に守る、ペットを飼うことについての覚悟や知識についてよく理解してもらおうという活動をされているようです。
それでこうして手作り市でグッズを販売しながらより多くの人と接しようという事で出店したのだそうです。
じゃあこれから手作り市でお会いできますね、と尋ねますと、「いえ、年二度くらいは出店しようかと思っているんです。」とのことでとてもレアな機会にお会いできたという訳です。

なんと猫ちゃんのお尻のアクセサリーがありました。
通りかかる人はその意外性に興味を持って立ち止まり、他のものにも興味を持っておられましたから、それがやがて当初の目的に結実することでしょう。

アメリカでそうした犬や猫の保護活動、救命活動などのボランティアにかかわってこられたのだそうで、敢えてアメリカでのキャリアを離れて帰国し活動を始められたんだそうです。
立ち上げた活動拠点を「Pawer.」と言います。「 えっ? Powerじゃないの?」と思われるでしょうが、そこは是非「Pawer.」のホームページをご覧ください。
私が写真を撮るというので帽子を撮らせてしまいました。
その帽子はワン君がかぶっています。



- 2018/02/10(土) 00:50:40|
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「ボチボチと生きてくよ!秋田篇」というブログがありました。いえ、あります、と書かせていただきましょう。管理人は「pipco1980」という方です。
ブログを開くといつも「Welcome to my blog!」と迎えてくれました。
病を得て活躍していた都会を離れて故郷の秋田に帰られました。再起を期しておられた方ですが、そこまでの波乱万丈の人生から掬い取って見せてくれた文章は非常に豊かで刺激に富むものでした。
きついきつい体調のために数歩歩いても昏倒するようなときもあるようで、まずいのかなあと思っていました。それが先月、ふつりとブログの更新が途絶えて、そのまま再開されることはありませんでした。
しばらくはブログもこのままだろうと思います。遡って読ませていただこうと思います。そのために「あります」と書かせていただきましたが、皆さまにもpipco1980さんをお尋ねになることをお勧めします。
豊かな才能をお持ちの方でした。 直接の交流はありませんでしたが、心よりご冥福をお祈りいたします。
私にもいつかそんなときが来るのだなあ・・・とそんなことも感じました。
さて、まだ命のあるものは、この人生を大いに楽しみいつくしんでいこうと思います。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
昨年は、それまで私の写真づくりに力を貸してくれていた若い魅力的な女性たちが、相次いで、結婚、出産、進学、帰郷準備と人生の新しいステージに入り・・・・今まで通り力を貸しますよとは言っていただいたものの・・・・なかなか撮影の機会を得にくくなっていました。

無論、別の幾人かは機会を作りましょうといってくれているのですが、そうはいってもなかなか難しいものがあります。
それで、「またおおいに出かけていっていろいろな人に出会う中から新たな協力者を見つけるしかないなあ。」などと、自転車のペダルをこぎながら独り言を言っていたのです。

こんなことを言うと差し障る面もありますが、私は容姿容貌が整っていたりして周囲の関心を集めている人でも、あまり撮らせてもらいたいなあと思えない人が案外に多いのです。
正直に言えば、私もパッと見た瞬間にきれいな人だなとかスタイル抜群!などと咄嗟に興味関心を引かれることは、それはたくさんあります。

でも、人に対する接し方や言動、そのしぐさなどをもう少し観察すると、その観察が数秒であっても、「この人は私の『素敵な人たち』とは違うな。」と感じることが、これまた少なくないのです。
まあ、半分以上は「酸っぱい葡萄」に類する負け惜しみだろうとは思うのですが。

そんなことを思っている今日この頃だったのですが、この人を見かけ、活動内容を知り、またお客さんとの接し方を見ていると、これは、と感じました。
手作り市には顔なじみの出店者さんもちらほらおられるし、お客さんの中にも顔なじみの方が時に混じります。
そしてその方たちは、私が手作り市に来ているのは「(素敵なモノ作りに携わる素敵な)人探し」だという事をご存知です。

それで、私がこの人と話し込んでいると「素敵な人を見つけたね!」とサインを送ってくれたり話しかけてくれたりするのです。
そして、中には「この人はこれまでたくさんの『素敵な人たち』を撮ってきた人なんだよ。」と応援してくれる人もいて、照れくさいやらありがたいやらうれしいやら・・・。

それで、この人も、私の「素敵な人」の仲間に入っていただけることになりました。
そして、この人が推進している犬や猫の保護活動について、私の蒙を啓いていただける機会ができそうです。
- 2018/02/09(金) 00:00:26|
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この人の描いている絵も見せたい、指先も見せたい、表情も見せたい。
そうかといってあまり絞りたくない。ISOもあまり上げたくない。
指はどうなってる?口元は? 肩は、背中は・・・。いろいろ見ながら頭の中はぶつぶつ独り言だらけ。

さて、
この今使っているAFだと4センチ後ピンのミノルタ85ミリ単焦点レンズは、いい!! のです。ミノルタの85ミリ緒単焦点レンズです。
AFなんて使わなきゃいいだけなんです。
ピッ! となったらピントがあったと思い込んで撮る癖がついてしまっていました。そういうときのピントに対する意識の低さが反省されます。

無論、AFは便利で大いに活用できます。ありがたいと思う場面がいくらでもあります。
でも、何をしたいかをもう少しつっこまなくちゃいけない時に、曖昧な意識のまま「撮れてしまう」ことに慣れ過ぎてレリーズボタンを押している自分を見つけます。

この画面はピントを点で合わせるのがいいのか面で合わなくちゃいけないのかさえ曖昧にしているときがあります。

AFの調整に出そうと思いながら、もうっちょっと試したい、もう少し自分にできることでこのレンズの良さを生かしたいと思っているうちにずるずる来ています。

いい写真が撮れそうだ、カメラ任せにしないで自分で撮ろう、そう思わせてくれるレンズです。
- 2018/02/08(木) 00:00:17|
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私がこの会場に入りますと、後日登場していただきます友禅の下絵作家さんが声をかけてくれました。
久しぶりにご尊顔を拝謁いたしました。 それで少しばかりお話をしていますと背後から「やあ。」と声をかけくれる方があって、手を伸べてくれましたので握手です。
「この人はな、もう職人を撮るのに飽きて最近は若い女性ばかり撮ってるんだよ。だからわしらには用はないそうだ。」と軽くジャブを打ってきます。

なるほど私は若い女性を撮るのも大好きです。 いつもどこかに「素敵な人はいないかな」と鵜の目鷹の目です。
ですが、ご覧のとおり、職人さんを撮るとこういう写真になるんです。

この楽しさを捨てられるわけがないじゃないですか。
確かに毎度同じような姿勢の人を撮るのですから、一面代り映えしないとも言えます。
しかし、働く人、仕事に打ち込む人、高い技をお持ちの人、まじめに真剣に事に当っている人を撮ることはそれはそれは楽しいことです。
どうかしてその魅力を写真にしたいと思います。

この方は金彩をされています。
撮らせていただきたいとお願いすると、わざわざ華やかに描かれた別のものを取り出して、「もう仕上がっているから描くところはないけれど・・・。」とおっしゃってポーズしてくれました。
なるほどそのほうが写真の絵柄は華やかで見栄えがすると思いますが・・・・、「すみません。ご迷惑でなければ先ほどの仕事を続けていただけませんか。実際に描いていただけると指や全身にリアリティーが出ますから。」とお願いしました。

するとやはり俄然空気が違ってきます。
この方の周囲が張り詰めて来て、全身が一点に集中します。
最初は「撮影用」を意識されていたかもしれませんが、シャッター音が静かな会場に響くたびに、ぐっぐっと気持ちが込められていきます。

これをこそ撮らなければと身を乗り出したり、床にかがみこむと、それを受け止めて描いていただいているような交流があります。
- 2018/02/07(水) 00:00:08|
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お~ッと!! 僕、撮ってるんだけどねぇ。
できるだけ周囲を見回して、独占するのを避けて、むしろ譲ってあげているつもりなんですがねえ。
と、まあ、入り込んできたので、わざとこのタイミングで撮りましたが。

壁のトーンとマッチした描き方ですねぇ。
しっくりと溶け込んでいますし、それでいてポップアップしているところが技ですね。

この翼がちょうど女性の肩甲骨の辺りに来るように、そしてその時に頭とリングがマッチするように・・・調整して描いています。

ここできっといろいろな笑顔や会話が生まれるんでしょうね。
そういうことを想像して描くというのはとても楽しいことなんでしょう。だからこんな寒い日にも長い時間かけて丁寧に丁寧に描けるんでしょう。

絵の具の乾き具合を指で触って確かめています。


さて今年のチョコレートは甘いのかなあ、それとも苦いのかな。
- 2018/02/06(火) 00:00:34|
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2月14日が待ち遠しいという方はおいででしょうか。
あるいはその日はスキップしたいという方もおられるかもしませんね。
チョコレート業界も罪な日を作ったものです。

私はインドアの仕事をしていましたが、猛暑にも厳寒の日にも外で仕事をされる人を見かけると、有難いことだなあと思うのです。
それで、話しかけて写真を撮らせていただきました。

お話を伺うと、どうやらこの壁自体をこの方が手掛けられたようです。
いい感じですねぇ。 私はこれまで何度もこの壁を背景に写真を撮らせていただきました。市内で指折りの好きな壁面です。
そこに天使の翼。

この壁のお店は・・・・・美味しいことで有名(だそうです)「なチョコレート店です。
そう言えば他府県の方までこの店の前で並んでいる光景をよく見ます。
それでチョコレート≒バレンタインデーという事で、こうした絵を描かれているとのことでした。

おや。天使のリングが浮かんでいますが。
天使はこれから描かれるのですか? 愚問でした。 ここに女性が立つのですね(もちろん男性を排除しないでしょうが)。 そして写真にと撮れば・・・・「インスタ映え」という訳です。
きっとカップルでここにきて・・・・・。
情報はすぐに拡散するでしょうから、列をなすことでしょう。

せっかくだから近くを歩いている女性の中にぴったりの人はいないかと少し歩いてみましたが、残念ながら・・・・。
和服の人ではどうだったか・・・・試してみてもよかったかな。

それで、そういえばあの人があの時の服で来てくれたら・・・・・、とそう思いだしたのですが。
でもそれじゃあ寒いなあ。
- 2018/02/05(月) 00:20:03|
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私はある違和感をずっと持ていました。
ある工芸作品の展示会場。それは個展でした。
そこに展示してある作品はある程度高い技能で仕上げられていて、デザインも面白いものでした。
作者を見るとまだ30才に届かない若者でした。

それで、ここまで綿密で精度高く作るのは大変でしょ? とその才を高く評価しながら訊ねると「私がデザインしたモノを他の技能者に発注して作ってもらったんです。」という答えでした。
安藤忠雄氏が建築物の設計をし建物を建てた場合「これが私の作品です。」ということがある。だから、その若い作家がそうしたモノを展示して「私の個展」だというのも、あながち間違ってはいないだろう。
いろいろな素材の知識や技能者の力を結集するコーディネートも作家の力だと、そういう評価。
だが、と私は思うのです。

私は「はじめに言葉ありき」という思想が好きではないので、余計にそうした作家の在り方に疑問を感じるのです。
無論、全面的に否定はしません。否定はしませんが。その作品の魅力を作っているのは「他人のふんどし」じゃないかという何かしらの落ち着かなさを抱えさせるのです。
ですから渡部さんの言葉に対しては深く頷く気持ちがありました。

完成まではまだまだ相当道に利が長いようですが、焦っておられる様子は微塵もありません。淡々と手順通りに続ければ「明後日には多分完成形を見てもらえると思うよ。」だそうです。
そして二日間完成作品を展示したらその翌日には搬出を目指して解体だそうです。

ネットで渡部さんを検索するといろいろな過去の作品が出てきます。
「ずいぶんたくさんの作品があるのですね。」というと「すべて個展での発表だね。僕は公募展には出さないから。」とのことでした。
この点でも私は共感するものを感じました。


- 2018/02/04(日) 00:00:12|
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個展の会期に入っているはずなのにどうしたのかな・・・と思いながら、時々制作が間に合わなくて・・・という事もあるので、とにかく足を踏み入れてみました。
制作の過程そのものをパフォーマンスとして作品にしている場合もあるし・・・・。
それにしてもあわてず騒がず穏やかな良い空気が流れています。
今立ち上がっている方が作家の渡部氏です。
手前に銀色に光っているものが作品のコア的要素になるようです。

ネジ一つからご自身が図面を書いて、制作しているのだそうです。
「自分自身が作りたいものがあって、そのために必要な部品があって、それがすでにこの世に存在している・・・・、と、そういうことはふつうはないんじゃないかな。だから自分で作るというのは当たり前至極のことなんだよ。私は作家だからね。」

「無論、規格品を使って作る人がいても、それはそれでよいのだけれど、少なくとも私はそうではないね。」
機械工業によってメーカーで作られたカメラとレンズを使っている私にとっては、かなり考えさせられるお話ですね。

金属材料の裁断も、穿孔もねじ切りも、ご自身でコツコツされているのだそうです。
ですから素材づくりにとても長期間かかるのですが、「同じ作業を長い長い間繰り返しているときに、別の構想が次々に浮かんで作りたくなる。」のだそうです。

お尻の下の木箱に数千の部品が入ってい居るのです。
会場に部品を搬入されて二日がかりで組み立てていきます。 制作途中ですが「撮影してもいいですか。」というお願いを快く受けてくれました。
そして私があれこれ疑問をつぶやくたびに腰を上げて丁寧に図面を開き、また実物を見せて説明をしてくれました。

図面はT定規やコンパスで厳密に書かれているかと思いきや、ほとんどフリーハンドの図に寸法が書き入れてあるばかりの図面でした。
「制作はどこか専門のところに発注するのですか?」 「それをしたら作家としての制作じゃなくなてしまうだろ?」
それで図面は誰かに見せてご自身の意図を伝えるためのものではないので、つまりアイディアの発信者と受信して製作するものとが同じなので「これでいい。」のです。
私は、ある意味で、意を得たりと思いました。
- 2018/02/03(土) 00:00:26|
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音によって心地よくなったり、感情を揺さぶられたり、時には思想的な刺激さえ受ける。
何とも不思議だと思います。
時々「MK」さんのご紹介に導かれて音楽に耳を傾けることがあるのですが、音楽の世界もとても広く深いものがあるようです。

ピッコロトランペットの演奏では伴奏の電子ピアノは「チェンバロ」に変換して演奏しています。
この電子ピアノの性能の問題だと思うのですが、通常のピアノ設定の時は両サイドのスピーカーからバランスよく聞こえるのですが、・・・・・・チェンバロがそもそも音に強弱をつけられないとこからピアノに改良発展させられたのですから、・・・・・・チェンバロ設定にするとその弱音が、二つのスピーカーから細い音になって二分されてでてきてしまうしまう傾向があるようなんです。

ボディー全体を響かせて出てくる音ではなしに、スピーカーのコーンを震わせて出す音だというシステムだから当然に限界があるんでしょうかね。
あるいは私の耳がおかしかったのかもしれませんが、気になって仕方ありませんでした。
ただ音色としてはピッコロトランぺトとの相性はピアノよりチェンバロのほうがよかったように思いました。
その場で、どうしようと相談の結果の選択でした。

楽器の編成に合わせてスコアをアレンジするのもここに集まったオーボエの人やファゴットの人が自身でしていますから、そういうところも楽しいですね。


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- 2018/02/02(金) 00:00:20|
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某大学交響楽団OBのトランぺッターです。
プロではないのですが、かなりの奏者だとお見受けしました。

今日は、ピアノ、ファゴット、オーボエ、クラリネット、そしてこの人のトランペット演奏が聴けます。
私は当たり前のような顔をしてリハに潜り込んで撮影です。ありがたいことです。
こういう種類の写真は、どうぞと言ってくれる人と、状況が無ければ生み出せないのですから。
何しろこの会場となっているログハウスのオーナーさんが{OK}してくれなければ話にならないわけですから。
奏者の皆さんにも感謝あるのみです。

ある写真家さんが教えてくれたのですが、現代レンズとソニーのカメラでは「黒はつぶれる」という事です。
なるほどそうです。
一枚目へ窓から自然光が入って来ていますから良いのですが、それが陰になる角度だと。

その方の作品を見て、モノクロが実に美しいので、どんなカメラどんなレンズで撮ったのかを知りたいなあと思ったのです。
「ライカです。」なんて言われたら、そこで私の関心は・・「終了」になってしまいますが。

私が帰ろうとするときに丁度作家さんが昼食から帰ってこられて話しかけてくれました。
カメラ本体はフジのXプロ1でした。それに様々な広角レンズを・・無理やり?付けて撮られているようで、そのレンズのクラシックなものが多いようでした。
私のカメラ(ソニー+ミノルタレンズ)を見て、「ソニーは私も使っていますよ。でもモノクロはフジですね。」と。ソニーのモノクロはダメだとおしゃっていました。それは私にも少しわかる気がします。

音楽の演奏を撮るときには私はモノクロがいいなあと思っているのです。
女性奏者が華やかなドレスで演奏をされるのもあまり歓迎しません。
色に邪魔してほしくないのです。
でも、色もまた音楽の空気を醸す時がありますから、何を写したいか、やはりケースバイケースなんですよね。
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- 2018/02/01(木) 00:00:48|
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