イラスト、マンガ、キャラクターーデザイン、アニメーションなどを手掛けている新進の画家です。

四条室町の角からほど近い「ちいさなおうち」というギャラリーで作品展をされていました。
『おまちしています 下町和菓子栗丸堂』(KADOKAWA)などのブックカバーをのイラストや挿絵を担当したそうです。その原画などが展示されていました。

描かれている登場人物・若い女性は美人に描かれているのは一般ですが、その表情にニュアンスがあっていいです。

背景がきちんと細やかに書き込まれているのですが、それが少しもうるさくなくて画面に透明感がありながら、街の情感が出ているところに魅力を感じます。
ちょっとジブリのアニメ(『耳をすませば』)風です。でももう少しリリックで暮色などにいい感じがあります。

大学の現役の頃からすでに仕事の依頼があったようです。
今はそういうことがままあるようです。私の妻の知人のお嬢さんも現役のうちにそういう仕事をしていました。
ただ、それが長く続くかどうかですね。どんどん消費され新しい感覚に乗り換えられていくのがこの世界ですから。
もっとも軽い読み物、小説は毎年、大量に出版されますから需要自体はあるでしょう。
でも小説の書き手も若い作家の使い捨ての状況があるようですし、コミック作家との激しい競合もあるようです。

そういう中でクライアントの求めに応えて魅力ある絵を描きつつ、自身の「世界観」の表現としての絵を描いているところに彼の懐の広さも垣間見えます。

「君が成功してビッグになったら『あの人はあの作家の若い時に写真を撮った写真家だ」と言われるようになるから頑張って・・。ただ僕に残された時間はあまり長くないからね。」
と、冗談半分本気半分の話をしましたが「駆け足で頑張ります」というメールをいただきました。
残念なのは例のピンボケ量産レンズをAFで使ってしまったこと。
やはり対話しながらだとMFは意識をファインダーに大きく奪われますからきついです。でもMFで撮るべきでした。

志のある青年を撮るのは人物写真の大きな喜びの一つですね。
- 2017/12/31(日) 00:00:04|
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師走も押し詰まってきましたね。
大晦日はもう目前です。 皆さん忘年会はされましたか。大掃除は済まされましたか。
今年の流行語として「忖度」が取り上げられましたが、その「忖度」はなかったことにされそうです。国会は乗り切ればいいものなのですね。
果たして「来年」は存在するんでしょうか。
トランプと安倍とキム・・・・自民党は私たちに「見せたい未来がある」そうですが阿鼻叫喚の未来でなければと切に願います。

街は慌ただしさからやがて次第に鎮まり始めます。
明日の夕方からは落ち着きが増すでしょう。でもTVの中はバカ騒ぎばかりです。
TVを離れていく年くる年を考えてみたいし、親しい人、遠い地球の向こう側の人たちのことなどを思ってみたいと思います。

6年と9か月。1250人余りの方々に写真を撮らせて頂きました。
そのおかげで私の世界が少しずつ広がり、変化をしてきました。
写真を撮ることで社会にコミットするという可能性もわずかずつですが生まれてきたことはうれしいことです。

昨年から今年にかけて撮影する人の数がかなり減っています。撮影の機会自体はそれほど変化なくむしろ充実してきているんですが、同じ人を繰り返しとったり、時間をかけて撮る機会が増えているという事です。
その関係で手作り市を訪れる機会がぐんと減りました。
ですからそこでの出会いのチャンスが減っているという事でもあります。

私の写真活動の柱の一つは、たくさんの方々と出会って「撮る・撮られる」関係をたくさん実現することです。
人は互いに優しく出会うことができるという事の実証が一つの狙いですから。

他人に対する無関心や偏見による誹謗、荒れた接し方が散見される世情に対しての、私の態度表明がこの写真活動です。
評論・議論しているだけじゃ始まらない、と、そういう思いが私にこのジャンルを選ばせているのです。
ある人たちは歌い・奏で、別の人は絵を描き、ダンスし、あるいはハンドマイクを握る。そして私はレリーズボタンを押す。

ささやかな、あまりにささやかすぎる行為であり、あまりに迂遠な働きですが、堺の「小さき旗揚げ」くらいのものにはなりたいものです。
時代の中に生きていく以上は、それくらいの事はせめて考えたいものと思いながら、炬燵の中で、冬にはやっぱり日本酒でぬる燗だなあと独り言ちしているわけです。
- 2017/12/30(土) 00:00:55|
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寒くなると路上で演奏するのはきつくなる。
12月はまだしも1月2月はなお厳しいい。 そんな時にそれでも鴨川や路上で楽器を奏でている人を見るとなぜか余計に撮りたくなる。
この日もそこそこ寒い日で・・・。 水の流れに近い方は人でも少なめだし、寒さ感も強い。それで人通りの多いここで演奏をしているのではないかなと。(ただ、ここでやると苦情も来るんじゃないかと少し心配)

暫し演奏を聞いて「ちょっとテンポがスローで三人の呼吸がもう一つ。それでサックスが乗り切れていない。だけどうまいな。」などと素人評論家。勝手なものです。
演奏中に「写真撮っていい?」というサインを送るのはタイミングが難しい。
OKが出たので撮らせてもらう。
今日はピンボケ量産レンズをつけているので気合を入れていかねばならない。

観光で歩いている人は気軽に写真にとっていく。スマホの人など気安いものです。そしてSNSで発信。
私はしつこく撮りますから了解を得ます。
こういう風な活動をしている人は「露出」してナンボの面がありますから、どうぞ撮ってくださいが基本でしょう。だから声をかけずに撮っても問題ないと思います。皆がいちいち声をかけたら演奏が途切れますしね。
このアングルは良かったと思います。他の写真はいかにも二次元的で平板です。

このすぐ横で本を読んでいた外国人の若い女性も近づいてきて写真を撮ります。
私と目が合って「(音楽が)いいですね。」とにっこり。
何度も書いてきましたが、こういう刹那の交流の豊かな人たちはいですね。
日本人相手だとどうして会釈が返ってこないのだろう、笑顔がないのだろう、目が笑わないのだろうかと度々思います。
私も社交的な方じゃないですが。

- 2017/12/29(金) 00:00:30|
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刺身を引く。
柳刃で刺身を引く。ス-イッ、ス-イッと。
手入れの行き届いた柳刃。

私が店のひさしにかかっている幕間からのぞき込んでいると「いらっしゃい。なににしましょうか。」と。
申し訳ないが、撮りたい私は逡巡して一歩下がる。
ここで尻込みしていては「人の写真を撮っています。」などと言えた義理ではない。
前に出ろ!声をかけろ!と内心の声が。

1200人余りの人を撮ってきたなどと言っても、いつでも今でもこの体たらく。
「俺はあんたの写真のために仕事してるんじゃないんだ。」 「ご無理ごもっとも。」 私の中にいつもある言葉。
不躾ですが、撮らせてくれませんか。 そういうことをなかなか言えない心根の情けなさ。

「みちこさん、結婚してください。」「どうして私と結婚したいの?」「みちこさんと結婚したら僕が幸せになれるからです。」
「どうして写真を撮りたいんだ。撮ってどうするんだ。」「それは僕が楽しいからです。」
う~ん。

でも、そうなんですね。

- 2017/12/28(木) 00:00:13|
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「鮮魚店」などと書きましたが「魚屋」がいいです。
最近はスーパーでパックに入れた切り身ばかりを見ていますが、こういう業態の魚屋さんが減りましたね。
でも品ぞろえと言い、刺身にして並べられたトレー上の切り身と言い、それはいいものだと直感できます。

「これ頂戴。他によるところがあるから取っといてね。」
対面の販売で、おなじみ同士の信頼感。こういうのがいいですね。
それに、「いいものが安い」と言えます。
夕食の準備へのアドバイスもあります。

保育園に保護者からクレ-ムがあるんだそうです。「うちの子は骨があると魚が食べられないんです。骨をとっておいてください。そうでなければ食べさせないでください。」
食べられるように育てなさいよ。ご両親、あなたたちが。
それでいて「自然に触れて感性豊かな子に育ててほしい。」のだそうです。
自然には骨もあれば棘もあるんです。 だからその自然と付き合うすべを身に付けなくてはケガをするんです。
自然に触れるにはけがは付き物なんです。
(ただまあ自公政権の保育政策の貧困が保育園を利潤追求の場にしてしまい、早期英才教育導入か、食事もおやつも「これ何?!」という粗末なものにして、運動できる部屋の広さもなければ園庭がなくても保育園として認めてしまうというひどい保育政策になっています。保育士も粗製乱造で育成に手間も資金も投入しないやり方ですから、園に対する不信感を持って当然という場合も少なくないですが。日本会議のあおりがあれば森友学園の幼稚園のようなものも出てきますしね。)
イカです。 分厚い身が美味しそうです。

包丁の切れ味が、一層「刺身」をうまくします。
京都では「おつくり」と言いますが、私にはやはり「刺身」の方がうまそうに響く。
「おつくり」じゃあ上等、上品過ぎて今一つだなあ。 第一小ぶりな身を想像していけない。京都人には、逆に、そうでないといけないのでしょうが。

近所にこういう魚屋があるというのは幸せなことだと思います。
私の家の極近所には野菜も売るし、干物もある。時々てんぷらの盛り合わせも作ってくれる・・・これがリーズナブルなうえに美味しい・・・そして煮魚、焼き魚も店頭に並ぶ(この辺が京都ですね)、そして「おつくり」。
そういうお店があって、かなり厚く大柄に切った身を並べたおつくりは美味しくて満足です。
ただ周囲の住宅にお住いのお馴染みさんの食卓を思い浮かべて品ぞろえをしているので、売り切れゴメンです。
イレギュラーな大口の買い占めなどもってのほかです。
包丁の切れ味が気持ちいい。

出かける前でなければ一船買って帰るところです。
- 2017/12/27(水) 00:00:37|
- 働く人々
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いや~ もうクリスマスが過ぎてしまいましたよ。
年末年始は撮影がしにくくて、・・・・、この時期モデルをしてくれる人も鴨川で楽器演奏の練習をする人も、・・・・極めてまれですからね。
皆さん忘年会はありましたか。 もうそっちに気持ちを切り替えるようにしたいのですが、それもリタイアした身では・・・・。

でも年末年始の街の様子を撮りに行くなんて言う事で、やはり街を徘徊することになるんでしょうねぇ。
忘年会もこの人たちとかな。

柿の実が高い枝になっているのを見ると「あれとって食べていいですか?」という位に食欲旺盛で、このスリムな体のどこに入るんだろうと・・・・。
「いや、あれはね、渋柿と言ってね、つるして干さないと食べられないんだよ。」「あの高いところの柿の実は鳥たちに残してあるんだから君が食べちゃうと・・・。」と諦めるように説得に懸命です。
それにしてもこの近江牛入りとうたったこのコロッケ。肌寒い時に暖かい食べ物はありがたいのですが、一個200円という破格の高価さのわりに、私のものには肉の歯ごたえは一つもありませんでした。
美味しくないことはなかったのですが。

しばらくこういう写真は撮っていませんでしたが、フルサイズに85ミリ単焦点ですと、撮ってみたくなりますね。

やはりこのレンズいいなあ。 プラナー85ミリです。

名前だけで褒めてるんじゃないって分かっていただけると思います。
色かぶりもあるかもしれませんが、キヤノンはやはり肌色がやや赤い。
2枚目、3枚目と比べると違いが歴然。上はソニーです。

ここは百済寺から足を延ばして永源寺です。

ピントが甘いのは私の所為です。

このポーズ、小顔効果があるんだそうです。
- 2017/12/26(火) 00:00:35|
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今日はキリスト教世界では降誕祭。
処女懐胎をした、ヨセフの妻マリアがイエスを生んだ・・・という。(何も既婚者の腹を借りてイエスを生まさなくてもよいものを、神も配慮の無いことをしたものと思う。ヨセフという夫のあるマリアを敢えて処女マリアなどという言い方をするのはなんとしても訝しい。 いえ、私は相当にキリスト教には肩入れしている面があるのですが。)
イエスが生まれたのは、それは実はキリスト紀元前4年だとか7年だとかいう説もあるが、わたしはカール・カウツキーの説が説得力を持っていると思っているのです。
いずれにしてもキリスト教的に言えば復活祭の方が重要でしょう。こちらは遥かに「信仰」の核心になるから。
と、・・・・・・そのようなことはさて置いて・・・・。

普通顔に影の落ちている写真は撮らないほうがいいと言われるのですが・・・・。

時々色づいた葉がはらりと落ちるのです。


私も自撮りをしてみたことがありますが、散々でした。
私はカメラのおさまる方じゃないなあと思いましたね。

そのうちポップアップで「タケコプター」がついてスマートフォンで操縦しながら上からも下からも、少し上空からも谷からも撮れるような時代が来るでしょうね。そして観光地は宙を舞うカメラだらけになったりして。

- 2017/12/25(月) 10:00:01|
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季節感の濃厚な写真は年内にあげておかないと・・・・という気持ちもあって・・・・。

百済寺(ひゃくさいじ)は聖徳太子を開基とするといわれます。
私が間違えて「くだら寺」と言っていると「どうして『百済』とかいて「くだら」と読むんですか?」との質問。
そもそも私の読み方が間違っているのですが、奈良広陵町にある寺は「くだら寺」と読みます。

韓半島の三国時代には「コグリョ」「シルラ」そして「ペクチェ」の三国が並び立っていました。
皆さんご承知の通りいわゆる「白村江の戦い」の際には唐・シルラ(新羅)連合に対してペクチェ(百済)、倭連合が対立しました。
東アジアに圧倒的な力を持つ唐は新羅を巻き込んで韓半島の支配を目指し、それに百済が抵抗したわけですが、なんと倭はおよそ勝ち目のなさそうな百済に力を貸そうと援軍を送ります。葛城(中大兄皇子・のちの天智天皇)らがその軍を送りますが大敗北を喫します。外交の大失敗ですね。
ではなぜ彼らがそうまでして百済(ペクチェ)を支援したかといえば・・・・・・・・百済が「くだら」であったからだという説は多分、当を得たものだと私は考えています。「くだら」は古代韓国語の「くんなら≒祖国、故国」がなまったものなのでしょう。 敗戦後百済を逃れてきた百済貴族は倭の中枢に位置づけられます。近代的主権が発達していない時期とはいえ異様な姿です。それが居様ではないとすればどう説明すればよいのか。そこにも「くんなら」説が主張される理由があります。
聖徳太子自体は高句麗とも関係が深いのですがやはり当時の先進地域であった韓半島の文化を(仏教を含めて)大いに学び吸収した人物だったろうと思います。もし実在したとするならばですが。
アメリカに留学して以来、随分と写真撮影に興味を持つようになって、熱心に撮影しています。
もっといいカメラが欲しなあと何度もつぶやいていましたし、こだわって撮影していました。
「…沼」に足を踏み入れる直前のようです。

二人で出かけると1時間で移動できるはずのところを三倍くらいかかるようになったと友人のこの人が言っていました。
この人もまた写真撮影に関心がないわけではないので、それで腹が立つようなことはないのだそうですが・・・・。

ですから、今回の撮影ではこういう場面がとても多いのです。
と言っても私の撮影が主目的で来ているわけではなくて、観光・自主研修が目的なんです。

私が写真好きだという事は百も承知、二百も合点のお二人ですから、私がカメラを向けても大丈夫?なんです。

それにしても本当に仲のいい二人です。
- 2017/12/24(日) 00:00:07|
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これから木管五重奏の練習です。
先生はとある交響楽団のクラリネット副首席奏者をされている方です。
学生たちの選んだこの曲について、まずどういう風に捉えているかを問い・・・・どんな風に演奏するつもりなのかを尋ねます。
そんなところからレッスンは始まります。

幸い、以前にこの先生をしているクラリネット奏者を加わった演奏を聞かせてもらったことがあり、その時にも撮影をさせてもらっていました。そういうわけで多少とも顔見知りでもあったので、この場に入り込んでも追い出されはしませんでした。
学生たちも撮影するものが出入りするという事は知ってくれていた・・・はずでした。

先生の指導を受けるのですから当たり前・・・・・と言ってしまえばそれまでですが、実に無駄口の無い集中した練習です。

音楽大学の学生ではないのですが、こうしてプロの指導を受けるのですね。
こんなことを言うのは私が学生時代にサークル経験がないからでしょう。
私たちは自主的な勉強会での学習が中心でした。

音楽の演奏を言葉で表現するのはとても難しそうです。
テンポの採り方や音の表情などを言葉に表すのもそれを理解するのも、高度な技です。
演奏の上でお互いの相互理解や共感をいかに構築するのか、またいかにして曲想を他のパートに受け渡していくのか。
先生の言葉についうち聞き耳を立ててしまいます。

音を無機質なパズルのコマのように組み立てるのではなくて、有機的な連続体にしていくためにはここが他者に対してどうすれば良いのかが説かれていきます。
- 2017/12/23(土) 00:00:54|
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元来、私は出不精でことに人の多く集まるところは苦手です。
それで何とか出かけるために保護者をお願いしたのがこの人。
京都やその近辺についていろいろ知りたいというこの人の好奇心に乗っかって・・・・。

目的地の清水寺、成就院の拝観を終えて、人気の坂を下り、

観光コース真っただ中で・・・。

晩秋の陽は足早に沈もうとしています。

周囲を行く観光の人たちは私のカメラのレンズの先を……何をとっているのかな。紅葉もないし。
この人は、「いや~ 歴史的名作が撮れた。」と自画自賛を聞かされて・・・。

「介護労働」は「感情労働」なんだそうで、・・・・・・・(これは「今」的視点で見た一面的な特徴づけでしかないと、私は思うけれど)、・・・
・・・・突然 何?。

やがて高台寺辺りをぶらぶらと・・・・。

日は沈み、日は登る・・・・・、
- 2017/12/22(金) 00:00:28|
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お師匠の作曲された曲や会場の皆さんになじみのある曲を織り交ぜての演奏です。
曲と曲の間のお話からもこの人の人柄の良さを垣間見ます。
それは自ずと演奏にも反映されています。

第二部は衣装も替えて。

会場の空気も少し変わります。

一部と二部の間でお客さんが入れ替わりました。その時に私は席に着いたのですが、一部の時とは角度が変わります。
席に着いたままの撮影ですからほとんどアングルを変えられません。


多分これが一番良い写真かな。
上の方が二胡の曲らしい感じかもしれませんが。

ユーチューブにはいくつかの演奏の一部がアップされています。
どうぞ聞いてみてください。
楠田名保子さんとおっしゃいます。


- 2017/12/21(木) 00:00:55|
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先日クラシックの演奏会場でリハーサルを撮った時には360度周囲を回り、のぞき込んだり仰ぎ見たりといろいろアングルを変えられましたが、こういう『本番』の場合にはそうはいきません。
お客さんで席が一杯になったことをいいことに一番後ろでずっと立って、できるだけ気配を消して、ほんの3歩ほどの移動スペースを最大限に使っての撮影です。

ライブ感を出すにはお客さんの頭や肩などを写しこむ方がいいわけですが、それとともにビール瓶などまで写り込むのは私としてはちょっと面白くないわけで・・・。
ジャズの時にはビール瓶やグラス、灰皿などをわざわざ前ボケに入れたりするのですから入って駄目という訳ではないのですが、しかしやはり曲想もまるで違いますしね。画面は穏やかに静かな緊張をたたえたものにしたいわけですね。

楠田さんの演奏が好感を持って受け入れられお客さんが浸りきって楽しんでおられる様子も一つの絵なのですが。

独演会ですからMCもまたご自身で。
肉声が届く会場はいいですね。
楽器が出すのはピュアな音だけではないのですが、これだけ近くで演奏していただけるとそのすべてが聞こえ、演奏者の息遣いを含めてとても直接的で肉感的なものを感じます。
楽器はどんどん洗練され音響的にも大音量を出せるようになっていきますが、楽器の多くは、元来、畑地や草原、村の広場、家の縁などで弾かれたり吹かれたりしていたものでもあるわけですからいわば手の届くところにあったものです。

遠く高いステージの上でピュアで安定した音で演奏されるものをだけを音楽という訳にはいきません。
もっと肉体的な体温のする音楽がいいですね。
二胡もまた・・・・近代的に改良されてきたとはいえ・・・・そうした音楽を奏でる楽器の一つです。

演奏家は音を奏でるだけではなく曲を演じる人でもあると、私は思います。
ですから演奏の場での衣装も化粧も立ち居振る舞いも特別でなくてはならないと思います。それは豪華で華やかで飾り立てて・・・ということを必ずしも意味しません。

私はクラシック音楽のリサイタルのフライヤーなどに華やかなドレスやスーツを着て、楽器を抱えたり楽器の前でポーズしている写真を使う演奏家の多いことにいくらかの違和感を感じているものです。

あれは先に書いたことを演奏と切り離された過剰な装いとして表していると思うからです。
- 2017/12/20(水) 00:00:10|
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京都にはあまりご縁がなかったのだそうですが、高瀬川四季AIRのオーナーとの縁もあって・・・・ここ高瀬川沿いの「ひとこえ」さんでのライブです。

高瀬川に床を設えて様々な遊興を企画して楽しんだことがあります。その仕掛人がギャラリー高瀬川四季AIRのオーナーです。
その企画の中でたまたま私の写真展+撮影会とともに企画されたのがこの方の二胡の演奏でした。というより二胡の演奏に私の写真展が引っ付いたのですが。
それで打ち合わせの時でしたか、この「ひとこえ」さんでお会いして、せっかくですからちょっと弾いてくれませんかというギャラリー・オーナー前川氏のいくらか強引なお願いに応えて演奏されました。

それをこのお店のオーナー氏が気に入られたこともあってここを会場にライブをされることになりました。

2018年6月21日の夏至の日に清水寺の西門で100人のトランぺッターの演奏が世界の友愛・平和を希求して行われます。その際に、第二部として音楽についてのトークショーが、そして三部としてこの方の二胡の演奏が同じ清水寺の成就院で行われることになっています。
このトランペットの演奏から二胡の演奏までを私が撮影して写真集を作ろうというのも企画の一つになっています。という訳で、私がこの方の演奏の写真も撮るというご縁が生まれているのです。

とてもまじめで誠実なこの方の演奏は、しかしとても情熱的な一面も持っていて二胡の演奏に対する強く大きな思いを感じます。
師匠と仰ぐ中国の方がまだお若いのに亡くなられて、その師匠の演奏を追い求めておられます。

成就院の素晴らしいお庭を目の端に入れながら聞く二胡の演奏はきっと素晴らしいものになると思います。
それでシャター音のしないカメラが是非とも必要だという事でX100Fを購入したという訳です。
ですがどうもX100fではちょっとその会場での撮影には力不足のようです。
それで・・・・困っているのです。

いや、本当に困っているのです。
トランペットの演奏の撮影には300ミリないし400ミリが、そして24ミリが必要だし。
普段はそんな極端なレンズはいらないし・・・・。
でもいい写真にしたいなあ。
こんな聞く人に感銘を与える演奏なんだから。
- 2017/12/19(火) 00:00:17|
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なんだかんだと言っているうちに「もういくつ寝るとお正月」の頃になってしまいました。
いや~、困った困った。 年賀状、どうしましょう。 皆さんはもう投函し終わりましたか。

私が「写真撮りたがり症候群」に罹患していることをよく知っているお二人なので、症状の軽減のために協力してくれています。
来年は少しステップアップしたいなあと思っているのですが、果たしてどうなることでしょうか。
リタイア後の第二次五か年計画期間もいよいよ中間期に入ります。
せっかくこういう感じの良い建物を建てても、こんなエアコンの室内機を付けているのではもったいないですねぇ。
配線も露出していますし・・・当初計画に入っていなかったんでしょうね。

いいポーズですね。
ポーズを付けているのは私ではありません。
二人がリラックスしてポーズできているのは、二人が大の仲良しで、その空気と楽しさが溢れているからでしょう。
二人の服は同じ柄の色違いです。一緒に購入したんだそうです。

お二人が高校生の頃の写真を見せてもらいました。
随分とレディーに成長されています。 まだ幾分あどけなさも残るその写真のお二人に近い頃に会っているのですが、やはりどんどん変わっていくのですね。

「紅葉狩り」の様子はまた今度の機会に。
- 2017/12/18(月) 00:00:49|
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紅葉狩りの行程の時系列とは逆になるのですが・・・・。
遅い昼食です。
百済寺と永源寺を回ってきました。 右の人の仕事上の自主研修を兼ねてです。

屋台でつまみ食いをしてきたのですがやはりお腹が減ります。おいしそうなパンを前にして・・・。
こういう写真は、むしろプライベート・フォトというべきものですね。
でもそこの微妙なところをいきます。 えっ、どこをどっちに?

先日の真如堂に紅葉狩りを一緒に楽しんでくれた人とともに私を活性化させてくれる若い友人の内のお二人です。
私にはできなかったことを人一倍の努力と旺盛な意欲・好奇心でどんどん経験していく人たちで、私を・・・私は彼女らにとって一応形ばかりの元「老師」なんですが・・・・「老いるなよ!」と叱咤してくれます。

もし・・・・・幸運にも、あのメーデーの日にH氏に会っていないで、もしあの仕事を紹介されずに、・・・・この人たちに出会うことが無ければ私のこの6年間はずっと精彩を欠いたものになっていたに違いないのです。
他の方々との刺激的な出会いと相まっての事ではあるのですが・・。

食いしん坊なのにこのウエストライン。

ちょっと意識してラインを出してもらいました。
- 2017/12/17(日) 00:50:35|
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14ミリぐらいで撮ったらどうなんでしょうかね。
やってみる価値はありそうな感じです。
以前撮らせてもらったバレリーナの身体の動き、ポーズ。それは数歳の頃からずっと練習を積み重ね積み重ねて初めて獲得しうるもので、それを撮るという事はその時間を撮らせてもらうという事でもある・・・と、そういう感じを受けました。
演奏家の場合も同じです。・・・・いえ、実は人を撮るという事は、ほとんどどの場合にも同じことが言えるのだと思いますが。

幼児から小中高大と経て、今ピアニストとして活動しているというその全体がここに現れているのですから、惹きつけられないわけがありません。
時にカメラを置いて音に浸らせてもらって、またカメラを取り上げます。

私はこうして撮らせていただくとき、また鴨川で練習風景を撮らせてもらう時にもできるだけそうしようと思っているのです。
でも、今回は、こうして一楽章の間でしかシャッターチャンスをを得られないのですから、あまり悠長なことを言ってはいられません。
あっ、そこ・・もう一度お願いします、なんて言えないのですから。

ある高名な写真家とこれまた有名なタレントさんが、「いい写真家というのはあらかじめイメージを明確に持っているので、何枚も何枚も撮らないのです。周囲をぐるぐる回っていく度も撮るという事は結局どう撮っていいかわかっていないからです。」という趣旨の話をしていました。それはそうでしょう。・・・が、私には無縁の話で、分かっていないので探す、それが今の私の段階です。

できないのにできる人のまねをしても仕方がありませんからね。

プロの演奏家を含んだオーケストラの棒を振る彼は学生です。
この会場に現れた時から「緊張する~ッ」とくり返していました。それはそうでしょう。 でも、いい経験ですよね。
こういう緊張の場面を避けたり、力もない癖に甘く見て勢いだけでやってしまうと、今の私のようになってしまいますよ。
謙虚に緊張するのがいいんです。

本番は熱のこもったいい演奏だったと思いました。
この日は午前11時くらいから午後の10時前まで音楽漬けの贅沢な一日でした。
- 2017/12/16(土) 00:00:17|
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主観性のない写真はつまらないです。
(ただし、単なる自己満足の垂れ流しも同様に、つまらないですが。)

ですから大学の表現コースなどの諸君の写真に随分と刺激されることがあります。
その主観に新鮮さがあるからです。

この部屋には2台のSteinway & Sonsのピアノがあり、別室にもある。
今日はこの二台を使ってソリストが楽章ごとに・・・演奏を中断しないで・・・・交代して演奏しようということらしい。

これはオーケストラとの合わせ。
オーケストラ京都大学交響楽団。
京大のオケのメンバーは楽器ごとやカルテットなどの形でここで練習したりレッスンを受けてきたりしているから、会場になじみのものが多いらしい。
私もファゴットや木管七重奏などのレッスンを撮らせてもらってきた。

このオケの中に既にプロとして交響楽団のメンバーになったりフリーで活躍している人たちが何人も混じっている。
そういう人の中には・・・今日は・・・・京都市芸大卒の人が多いようだ。

おっ いいな! と思ってシャッターを切っていたら綺麗に磨かれたピアノの胴部に自分が写っていて画面に写り込んでいてがっくりしたり・・・・。
演奏者の身体の全体が音楽に集中し、曲を紡ぎ出すために統括されている。
- 2017/12/15(金) 00:00:47|
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音楽空間ネイヴが11月をもって閉鎖されるという事で、このスペースを利用して演奏会をし、あるいはレッスンを受け、練習にいそしんできた関係音楽家たちが、このネイヴの主催者である駒田さんを慰労し感謝の気持ちを伝える演奏会を開いた。
駒田さん自身ピアニストだからそのプログラムにピアノソリストして名前が挙がっている。
その駒田さんとラフマニノフのピアノ・コンチェルトを分け合って演奏したお一人が、このピアニスト・若井さん。

これは直前のリハの様子。
指揮者との「合わせ」
周囲には本番前の様々な動きがあり、話声もある。 そんな環境ですが、一心不乱に演奏する様子を撮らせていただきました。
リハだからこそ撮れるアングルがありますから、私も大いに集中して撮ります。
ピアノは正面に回って撮ることが難しく、譜面台に遮られますから、いつも苦戦します。
超小型のドローンを飛ばしたいくらいです。 きっと世界のどこかでそういうことを試みている人がきっといるに違いありません。そしてきっと画期的な写真を撮り、評判をとることでしょう。

沢山の比較的若手の音楽家たちが集まっていますが、一応私が闖入することはアナウンスしていただいているとのことで、皆さん好意的です。
しかし、なんといっても音楽家たちの場ですから、その集中を妨げてはいけません。
そこが演奏経験のない私の弱みです。
それでも昨夏にドイツで活躍する古楽アンサブルノ面々の演奏(ゲネプロですが本番さながらに)を撮らせてもらったことなどなどが、少しずつ図々しさを育てて来て、とにかくせっかくいただいたチャンスは精一杯生かすことでお返ししようという気分ではいるのです。

私にとっては、同時にX100fをどう使えばメリットが生かせるかのかを探る練習でもあります。
使い慣れなければなりませんしね。
そして何よりも演奏家の表情や指、手足、全体の姿勢などをよ~く観察して、いわゆる「音のする写真」、音楽表現者の思いが少しでもつかまえられるような写真を目指さねばなりません。

画面のどこで何にピントをあわせるのか、構図はどうするのか、どのタイミングで撮るのか、画面を構成するモノの中に何を取り入れて何を切らなくてはならないのか・・・・、考える要素はたくさんあります。
鍵盤をたたく手指はスローシャッターで動感を出すのか、止めるのか。
私は原則として連射はしません。
連射しないで「演奏家の呼吸を感じ取って、予想して」を…何度も失敗することを覚悟して・・・・繰り返します。
そうすると私の体も曲の空気で動きます。すると水平・垂直が取れなくなります。
その傾きが音楽の反映ならそれでいいと私は思っています。こうした写真は記録ではなくて私の主観なのですから。
- 2017/12/14(木) 00:00:02|
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この人のお姉さんと、この人と私とは「命からがら」という経験を共有していますから、特別な関係なんです・・・・というほどの事ではないのですが・・・・

真如堂のもみじも先の台風の被害に遭ったのでしょうか、あちこちで切った跡や折れた枝先がありました。
覆いかぶさるほどの色づいた葉をつけていた太い枝も見つけることができませんでした。
モミジの重なった美しさは広い空間や隙間によって迫力を減じています。

静かに瞑想的に「観楓」したいけど私たちも含めて「観光」の人が多いです。
仕方ありませんね。京都では。

いわゆる観光記念写真という面と、ちょっと意識した写真を撮るという面と、軸はぐらつきますけど、いいんです。
私が「撮りたがり」だと知っていてくれるので、そこここで「モデル」をしてもらいます。

あんなポーズ、こんな仕草を演出することはあまりありません。
流れの中でただ撮ります。 ただ撮らせてもらえることが大事なことです。私には。

プライベートフォト見たいですが、そこになにがしかの調味料というかハーブを利かせて、撮れないモノかと。

まあ、実際は久しぶりであったこの人と撮りながら観光していればご機嫌という・・・・そんなわけです。

次に会えるのは何時の事でしょう。
「一期一会」
人生はいつも、そうなんですね。
- 2017/12/13(水) 00:00:33|
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「紅葉狩り」と言えば、昔はおそらく山道をたどり山に踏み入ったのでしょうが・・・・。
今日はこの人と一緒です。
私のリタイア後に彩の豊かさを加えてくれている柱が三つ。
その一つが写真、もう一つがこの人たちとの出会いです。

まさに紅葉のシーズンですからどこに行っても人ばかり。
ある方が「永観堂に行ってきたがモミジより人が多かったなあ。」とおっしゃっていました。
そこで紅葉で有名ではあるけれで南禅寺や永観堂に比べればいくらかは人出が少ない方向に歩みを進めました。

就職で関東に行ってしまいましたが、久しぶりに休みをとって家族のいる関西へ。
それで私にも時間を割いてくれました。
この人たちは、とても私を大事にしてくれますが、この時にも道路の横断の際に横に並んで手を差し伸べようとしてくれます。
私がそこまでの老人ではないことをよく知っているのですが、身に着いた習慣です。
中国で一緒だった時にもよくそうしてくれました。
この人も自分の未来、生き方をようく考えていて、いろいろ私にも話して聞かせてくれます。
それで私も随分と刺激を受けます。

副産物というか、なんというか、出不精で怠け者の私を外に連れ出してくれます。
普段自転車で徘徊をして写真を撮っているので・・・・このブログをご覧いただいている方も・・・・私のことをマメで活動的じゃないかと思われるかもしれないのですが、そうではないのです。
その証拠に?いつも同じコースしか走らないのです。そしていつも同じところに立ち寄るという「保守的な」人間なのです。

多くの方がご存じの真如堂です。
紅葉は・・・・今のところ❓ ではなくて結局・・・・今一つの色付きですね。
皆さんには初夏にもここを訪ねることをお勧めします。

- 2017/12/12(火) 00:00:07|
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私は撮りたくて仕方がないのですが、あまり撮る方にばかりお二人を縛るとじっくりこの地を見ることを妨げてしまいます。
観光の目的は「観」ですから、自分の目で見、耳で聞き、舌で味わい、肌で空気を感じる事が肝心。

それに自分で撮るのもまた楽しいんですから。

じゃあ、交替。
うんやっぱり親指でシャッターボタンを押している。押しているんじゃなくて「タッチしている」ですね。その感覚の違いが属している時代の違いかな。
私はどうしても押してしまうんですね。人差し指で。






外国からの団体のお客さん。
ガイドの方は「正直に言って本当に可愛い。きっとモデルか何かになれるよ。お世辞じゃないよ。」と言いながら胡麻を摺る振りをしていました。ゴマすりじゃないよという事ですが本当よく日本語をお知りです。
周囲の人の目も二人の日本女性を見る目は「トテモ カワイイ!」です。
写真のお二人へ。もしこのブログをご覧になったらメールをください。
ことによるとお伝えしたメール・アドレスには欠落があったかもしれません。 「・・・・・・・@gmail.com」のアルファベットと@との間に数字の「50」が抜けていたのではないかと心配しています。写真をお送りしたいので是非ご連絡を。
- 2017/12/11(月) 00:00:10|
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私くらいの年齢になると若い人との交流がほぼ全くない人もあるのですから、写真を通じて若者に触れあうことができるのはありがたいことです。
先日も一眼レフカメラのバリアングル液晶画面で構図を決めている人がいて『いつもそうしているの?』と話しかけると、カメラ初心者で「どうするのが本当はいいのですか?」と逆に質問されたりしたのです。

そういう時にあまり知ったかぶって延々としゃべると、せかっく旅行に来ているのに時間が無くなると迷惑がられますから、「いい加減」で切り上げるのが肝心です。
相手の質問が続くようなら話は別ですが、自分のカメラの自慢や余計な講釈をし初めるとまずいですね。

でも入門、初級の写真講座の需要はかなりあるなあという感じです。
で、先日、植物園で見かけた写真教室も若い男女の受講生で一杯でした。
こんなに真剣にお願いされて、まさか邪険にする神様もありはしますまい。

つい、先日もたまたま北陸の方の出身で高校の同級生だという着物姿のお二人を紹介しましたが、この人たちは北九州の出身だそうです。
お二人とも京都にはお住まいではないので、これから八坂神社の方に行きたいとおっしゃっていてバス停を探していました。
私はつい、その場から東に向けて走るバスを想定していまして道路の北側のバス停を教えたのですが、一旦西に(つまりは逆方向に)走る反対の側のバス停に行かれました。
きっとスマートフォンで検索しているのだろうから大丈夫だろうとは思いましたが、何だか心配で、後を追いかけて、発着バスの番号を確かめると、確かに203番という循環系のバスがありました。どうやらそれに乗るようです。結局は着くのだからいいか、と声をかけずに去りました。
知り合いのために守り札を買うのだそうです。
万能薬的な守り札はないのですかね。 これ一つでどんななジャンルの願い事もばっちり!というような。

スマートフォンのシャッターボタンを押す親指。
現代の若者はこの親指の巧緻性が人類史上最大級に高いのではないかと思います。
私にはこれができないのです。

写真のお二人へ。もしこのブログをご覧になったらメールをください。
ことによるとお伝えしたメール・アドレスには欠落があったかもしれません。 「・・・・・・・@gmail.com」のアルファベットと@との間に数字の「50」が抜けていたのではないかと心配しています。写真をお送りしたいので是非ご連絡を。
- 2017/12/10(日) 00:00:49|
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新しいタグを設けました。 想定外のジャンルです。
でもこれから外国からの方々も含めて交流ができればいいなあという思いを込めて。
写真のお二人へ。もしこのブログをご覧になったらメールをください。
ことによるとお伝えしたメール・アドレスには欠落があったかもしれません。 「・・・・・・・@gmail.com」のアルファベット(・・・・・)と@との間に数字の「50」が抜けていたのではないかと心配しています。写真をお送りしたいので是非ご連絡を。
このお二人の様に着物を着ている人たちは内外の人を問わず多いです。最近は男性の姿もチラリホラり。カップルで和服姿という姿もよく見ます。
ですがなかなか見かけてきれいだなとか姿がいいなという人は少ないのです。日本の女性だからきれいにしているとは限らないのは言うまでもありません。
ある意味仕方ないことではありますが・・・・。
お若いですね。おいくつなんでしょう。学生さんではあるようです。
お二人は高校の同級生だそうです。
例によってスマホでの撮影をされていましたので・・・・。
先日清水寺に行った折にニコンの一眼レフ機をお持ちの年配の方が、スマホでの撮影を助けていました。そしてやがてご自身のカメラでお撮りになっていましたが、せっかくだから撮ってあげたいというのは共通の心理かなと。
そして紅葉の名所を紹介してあげていました。清水の境内でもちょっと知っていればいい場所があるのになあという事はありますから「先達はあらまほしき」ことなんですね。

私は知人を「紅葉狩りに行こう」と誘っていましたのでその下見に立ち寄ったのですが・・・。
この北野天満宮の紙屋川沿いはなかなかの景色ですから、今年はどうなんでしょう・・・と。
高い入場料を取るようになっていますから、なんだこんなものか、では困りますが。
和服を着ている女性がいると周りも華やぎますね。
ましてこんな若い女性だと男であれ女であれ、つい目をやりほほえましいというか、何やら心浮き立つような感じを受けるようで、カメラを向ける人もおられます。
私が撮っているものですから、余計に「いいのかな。」と思うようです。
お二人が少しも嫌な顔をしないし、また変に愛嬌を振りまくこともしないでごく自然な可愛らしさを見せていました。

私は自分がスマートフォンをもてちないので操作が苦手です。何度やってもつい連射してしまったり、タイムラグを忘れてしまったりします。
あのタッチパネルというやつもどうも苦手ですね。
と言ってもこの時は「荷物が重いのはなあ。」とX100fでしたから、なかなか思うに任せません。
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- 2017/12/09(土) 00:00:41|
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私自身が写真の基礎・基本を知らないで教えるというのも彼女たちには迷惑な話でしょうけれど・・・・。
暗くなれば街の中の光を探す。お店のウインドウから溢れる光、自動販売機の光、走る自動車のヘッドライト・・・、昼の太陽のようなきれいな光でなくても、それはそれで「夜」の雰囲気をとらえながら・・・。

とにかく最近のデジタルカメラは高感度に強いですから、積極的に生かして。
「適正露出」とか「ホワイトバランス」は昼間の太陽光下の撮影を基準にして、それに近づけようとしているのですから、夜にそういう風に写ったらそれはおかしいわけで、・・・というようなことを少し意識しながら、カメラの優秀な力を利用するというスタンスです。

それにしてもオートフォワイトバランスが実に優秀ですね。
蛍光灯色などはK値調整ではどうにもこうにもうまくいかないことが多いのですが、お任せでほぼ大丈夫。
EVFと背面液晶で見ながら撮れば、設定を「ズリズリ」と変えながら調整できますから、マニュアルで調整してもほぼ失敗はないですしね。

私のX-20ではこういう風にピントが抜けることが多々ありますが、OM-DでもX100Fでもオートフォーカスでほぼ大丈夫だと思います。瞳にもピントを合わせる設定を使えばなおの事。
ただピントは「一点」で合わせるだけではないのですから、そこから先はまた勉強ですね。

とにかく写真撮影の楽しさに十分浸かれば、後は自分の学習力はどんどん高まりますし、工夫のために取扱説明書を読むようになりますから、そうなればしめたものです。

「う~ん、こうなるのかあ。」
今のデジタル写真はこうしてすぐに確認できますから、どんどん失敗を、成功を次に生かせます。それはありがたいですね。
フィルムカメラではこうはいきません。「こうしたから、こうなった」を生々しく確認できないからです。

より多くの人がより手軽に写真を楽しめるようになるのはいいことですね。

そうなれば「この写真は凄いなあ。」と認識できる人がどんどん増えて、プロ、写真家がより活動しやすくなるはずですから。
と、・・・・現実は必ずしもそういう風にはいきませんが。
- 2017/12/08(金) 00:00:26|
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お二人の時間がなかなか合わなくて15:30に待ち合わせです。
この季節の15:30というと、もう日が西に傾いて、そろそろ光にも黄色味が混じってきます。
しかもこの日は曇り空からポツリポツリと雨粒が。

それで雨よけと光不足を補うためにアーケードの下に入って「写真入門2時間目」です。
このところ一眼レフ機が重い!!と感じている私はX-20で撮ります。
ISOを上げて撮る練習です。
私にしては少々明るすぎますね。

「写真を撮るのは楽しい!!」のですが、何しろ機材はお安くないので、学生にしてはそう気安く「はい愉しみましょう。」とはいかない面もあり。
だから時々サークルの写真展をしている学生に聞いてもなかなかカメラの入手が思うに任せないようなんです。
私も高校一年でホントプに無理をしてもらって親に買ったもらった一眼レフでしたが、交換レンズを買うお金は言うに及ばすフィルム代、現像代、プリント代もなくて「カメラはもっているけれど・・・」状態が長く続きました。

暗室や現像機など思いもよりませんでした。
それでもその頃カメラを買ってもらったおかげで今こうして写真を楽しめます。
当時のカメラは東京光学製のトプコン・ユニでした。レンズシャターでシャッター音の大きなカメラでした。シャッターボタンが前面についているなど個性もあり、TTL測光方式でした。

しかしまあ、当時はとにかく自分のカメラを、しかも一眼レフ機を持っている高校生などはごく少数でしたから、貧乏な家庭にしたら親泣かせのとびきりの贅沢でした。

フジX100fにテレコンバーターレンズを付けています。
コンパクトなレンジファインダー機でストリートフォトを撮るのに適したものですが、こんなレンズを付けるとちょっと主張しすぎでキャンディッドにはふさわしくないかも。
でもよくできたカメラだと思いますよ。
構え方、ファインダーののぞき方など、通常早い目に伝授する課題を後回しにしていますので・・・・ところどころまずいですが、右目で覗けば、ばっちりですね。
ただ利き目はそれぞれ違いますからね、どうでしょう。

お二人はとても熱心な生徒さんです。
- 2017/12/07(木) 00:00:19|
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ここは錦市場の東の端にある「錦神天満宮」です。
菅原道真ゆかりの神社です。 ですから提灯の紋は梅鉢。

ここから西に錦市場が続きます。
海外からのお客さんでごった返しています。

そしてこの神社の境内も。
静かに深くこうべを垂れます。
真剣ですね。

いつまでもまとわりついている訳にはいきませんから、もうすぐそこに次の目的地が・・・というところでお別れです。
周囲は観光向けの商店街ですから、何か良い背景はないかと咄嗟にここで撮らせてもらいました。



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- 2017/12/06(水) 00:00:44|
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もうすぐに目的の食事処についてしまいます。
そこで目を付けた 「あの神社にちょっと寄り道してくれない?」

お二人はきちんと参拝の作法を守って・・・・・。
ここにも海外からの旅行者が一杯で、カメラがあっちからこっちから・・・・。
時々中国(台湾)・韓国の女性の中にびっくりするほど和服の似合う人がいて驚いたりするんです。そして白人の女性でブロンドだったりしても唸りたくなるようにフィットしていたり。
逆に日本の若い女性の少なくない人たちが、もう少し何とかならないかなあと言う姿だったりして・・・。
その点このお二人は・・・・。

過去2,3年の内に、こうして和服を着て歩く日本の女性の中で「これは。」という幾人かに声をかけていい写真が撮れたり、いい出会いになったりしてきたので・・・・そうだここは観光地なんだからこういう切り口で撮る写真があってもいいじゃないか、なんて自分に都合の良い理屈を見つけようとしています。

ニューヨークでファッションに着目してストリートフォトを撮り続けている人がいるのですから、いいんじゃないでしょうか。
うん! やってみようかな。
京都にいることが強みになるし・・・・。
お二人は身を清めているのに・・・・こちらは盛んに下心・・・・・。

しかし、これもきっと神のみ心によって思い浮かんだのでしょう。
なんてね。
15分前には見も知らない人をこうして撮らせてもらっている不思議を感じます。
そしてほとんど確実に、これから二度とお会いしないのです。
せめて撮った写真が欲しいとメールをくれるといいのですが。

撮影料ですか? そんなものはいらないですよ!
えっ、お賽銭ですか。 そりゃそうですよね。

何か真剣なお願い事がありそうですね。
- 2017/12/05(火) 00:00:15|
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こんな路地に若い女性が、それも着物を着て、何があるのだろう?
両サイドの壁の色が気になっていていつか奥まで行ってみようとは思っていたのではありますが、さりとて若い女性を惹きつける何かがあるとは想像もせず・・・・。

この奥の二階にカフェがあるんだそうです。
へぇ~知らなかった。 でも今日は・・・残念ながら・・・・定休日だそうで、それが私には幸いしましたが・・・。
次の目的地を検索。地図を出して確かめます。
そう、遠くはないようです。

途中には着物を着て撮るにはあまり良いロケーションは記憶にありませんが、しばし同行を許されて・・・・。
何しろ観光客目当ての繁華街が続きますから通りには、しっとり感や雅さはありません。
それでも何とか取りたいので・・・・。

それでも、せっかく与えてもらったこの機会に知恵を働かす働かすのが「訓練」です。
言っておきますが!誰彼無く声をかけているのではありません。
念のため。
まあ、言い訳する必要もないでしょうが。

高校の同窓生同士だそうです。
片方の人が京都で学生生活。それでもう一人の方が京都に来て一緒に京都を楽しもうという事らしいのです。
そう言えばそういうパターンが他にもありました。

外国の旅行者が幾人も「写真を撮っていいですか?」と声をかけます。
和服の人は人気です。
それにお二人とも可愛いですし、外国の人から見れば人形の様なんじゃないでしょうか。
- 2017/12/04(月) 00:00:24|
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クラシック音楽の演奏はジャズのように体が激ししく動いたり、顔の表情も豊かに変化する事があまりありません。
発せられる音だけがすべてだという感じです。
それでも曲の表情を、思いを演奏するためにはやはり演奏者の体全体に、また細部に「表情」、ニュアンスが生まれてきます。
当然ですよね。

楽器によって動きが違いますから、それぞれの良い瞬間を絡ませるのはなかなか大変です。
よ~く観察しなくてはなりません。
来年6月の100本のトランペットに向けて京都で演奏家の方の中心になっていただいている有馬さん(トランぺッター)に「クラシックでは動きませんからね。」と「だから写真に撮るのは難しいよ~。」とおどかされてしまいました。

こうして撮影の機会をいただいて、有難いことです。
演奏者の呼吸に合わせて撮るようにします。
すぐ耳元と言ってよいくらいに近づいて撮ることができるのは、これまたありがたい。

ここではむしろフルートの人の呼吸が作画上の狙いです。

時計が見えますか。
これからまだまだ。夜10時半までの練習です。
- 2017/12/03(日) 00:00:02|
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この演奏の練習場になっている「ネイブ」は11月をもって閉鎖されました。
この会場の主催の方は私と同じ高校の出身です。 ご自身もピアニストで、この方に対する多くの演奏家たちの感謝のための会ではピアノコンチェルトを演奏されていました。
私は「そこで蒼樹さんの写真を展示したらどうですか。」という大変ありがたいご提案もいただきながら、諸事情からご遠慮したのです。が、たくさんのプレーヤーにまぎれてたくさんの写真を撮らせていただきました。

ここではOBを含んでの練習ですから、自ずとある種の緊張感と親密さがあります。
卒業後にこういう練習の時間を作るのもまた大変でしょう。
この人たちは音楽大学(芸術系大学)の人たちではないのですが、演奏はとてもしっかりしています。

例えば、東京六大学野球とか箱根駅伝を見れば、大学生がその分野で相当なレベルを達成するのを見ることができます。
陸上の桐生君などもその例の一つですね。
大学生ともなれば大したものなんです。・・・先は長いとしてもです。

天上にはいくつものライトがついているのですが、譜面が見えればいいや という位な感じで特に自分たちの方に向けなおすこともなくて、暗い環境で演奏しています。

それで・・・・実際は私の撮影の都合なんですが・・・・照明の向きを勝手に変えさせてもらって(「この照明は意識的にこうしてあるのでしょうか・・・・明るすぎると譜面が見にくいとかお互いの顔が見にくいとかあるかもしれないので・・・」と一応確認させていただいてですが。)撮っているのですが、背後からとか下からという風に付け替えられるわけではなくて特に劇的になるというのでもないのですが明るくなると助かります・・・。

私がこうして撮影できているのは、今日の写真ではかすかにしか映っていませんが、ファゴット奏者の田中さんのお蔭です。
- 2017/12/02(土) 00:00:30|
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