今日は京都に宿泊するんだそうです。
一緒に旅行する友達がいるなんていいですね。
どんなお友達なのかも聞かないままの慌ただしい撮影でした。
これから八坂さんへと回るのだそうです。
八坂さんから高台寺でしょうか。

ほんの少し場所を移動して、「京都らしい町並みで」
花見小路の裏辺りの方が、さらにそれらしいのですけれど、そこにご案内する余裕はありませんから。

2時間5000円位で案内兼撮影の仕事を立ち上げようかな・・・・。
週に2,3件に限って予約をいただいて・・・・なんて都合のいい話はないでしょうか。
前撮りなら何万円もかかるのですからお安いですよ~!! なんて広告しようかな。ちょっと楽しい思い出作りにどうですか?

この後お二人の旅行はどうでしたでしょうか。
- 2017/11/30(木) 00:00:08|
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北陸のとある県から観光できているのだそうです。
外国からの旅行者に「このカメラで私たちを撮ってもらえませんか。」とお願いしていました。
それで引き受けた白人女性が「じゃあ、次に私のカメラであなたたちを撮っていいですか?」なんてやり取りをしていました。

和服を着たし京都だし・・・ぜひ写真に撮っておきたいという気持ちがあるのは不思議じゃないです。
で、ついお手伝いしようかなと 「あなたたちのカメラで撮ってもいいし、・・・・もしよければ僕のカメラで・・・。」ということに。
この頃では若い女性たちも、ミラーレスでも一眼カメラを持っていたり、一眼のレフレックスカメラをお持ちの方が少なくないのです。
この場所は私にとっての「東部地区」への通り道なんです。
こんな観光地を自転車で通り過ぎるのは誠に無粋だなあと思いながら、ここでの外国人たちのふるまいや「前撮り」の様子を見るのも興味深いことがあって、わずか一分の社会見学なんです。

それでお節介焼きの悪い癖が出て・・・少しでもいい写真を残してほしいし・。
とにかく一日に一度はシャッターを切りたい病も嵩じていますし。

限られた、短時間のうちに撮るのですから、あまり場所も選べませんし、ポーズも無理のないように。
それに基本は観光ですから。

それで平等に撮ろうと思うのですが、たまたまの立ち位置で、流れに抗することができずに・・・・。
初めから「10分」とか決めておかないと成り行き任せはダメですね。
これが仕事ならそうするのでしょうけど。
- 2017/11/29(水) 00:00:46|
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この人の作品をジャンル分けするとどういうことになるんでしょうか。
門外漢の私にはわかりません。
少なくとも私の発想には全くないものでした。

少し前にもここに足を踏み入れたのですが、その時には出品者のフルメンバーとそのお友達でにぎやかでした。
この時も、この近くにある別のギャラリーに写真を見に来てのついででした。
通り過ぎるつもりが、「あれ?ちょっと風景が変わったなあ。」と作品の違い?並べ方の違い?にもう一度入場する気になりました。

すると1階の一部の作品は確かにこの前と異なっていましたが他は同じでした。そして今日のお留守番がこの人一人でした。
で、改めてこの人の作品を教えてもらっていろいろ解説を聞きながら話し込んだという訳です。
前回「これからあそこのギャラリーに写真を見に行くんだ。」と話していましたので「写真を撮られるんですよね。何時頃からなんですか?・・・」などという質問を受けて・・・・・
結局、撮らせていただくことになったという訳です。

この日、この会場を出た後で「ポートレート写真のグループ展」を見ました。 かなり評価されている方も含まれていたようですが、
・・・・・いいなあと思うものが2,3点ありましたが、・・・・・私とは方向性が大きく違うということもあり、また言葉を変えれば多くの作品が共感しにくいものでしたので・・・・・こうした表現のものはよく見るのですが・・・・・やっぱり私は私としてやっていくしかないなあと思いました。
「(○○という)人を撮る」ではなくて「(○○という)人で撮る」というものが多数でした。

私は両方ありだなあと思っているので「(○○という)人で撮る」写真を否定するつもりは毛頭ないのですが、{(○○という)人で・・・・・というイメージを撮る」の「・・・・・」にいまひとつ共感できないのでした。
でもまあもっともっと見せてほしいとは思いましたね。

はなしをもどして、この人の作品にしても私のこれまでの「既成の概念」からは大きく外れるわけで、「?」がいくつも頭に浮かぶのですが、やはり話していただくと、いろいろ気づきにつながるものです。
そこがありがたいですね。

「いいなあ」と思うのはこれまで私の中に築かれてきた枠にうまくはまるからです。そういうものばかりを求めて他を拒んでいたら、私の枠はずっと今のままですからね。
若い人の「えっ?! これ何?」からも大いに学ばせてもらいます。
- 2017/11/28(火) 00:00:03|
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画家です。デザイナーといった方がいいのか。実に個性的な絵を描かれます。
眼鏡のふちも個性的でしょ?!
写真をご覧になって「こんな真面目な顔をして。まるで作家みたいだな。」とおっしゃっていました。

「普段は違うのですか?」
Milton's Cafe Barのオーナーでもあり、一度お邪魔させていただいたことがあります。
自由な雰囲気のお店でした。

近々フィンランドの個展が実現しそうだそうです。
私が最初この方の作品を見た時に、ふと北欧の人に喜ばれる絵かなという印象を得ましたので、予想が当たってなんとなくうれしい。

ギャラリーをお尋ねのご婦人たちが「子供が描いた絵みたい。」と評されていましたが、…無論、大人の技と感性がふんだんに活かされるのですが・・・・あながち的外れではありません。
「まるでこどもみたい。」 それができるところがすごいですね。

この写真は例の「後ピンレンズ」で撮っています。
どうすればいう事を聞いてくれるんだよう!! という感じです。
でもそういう思いが過ぎてこっちの事情が熱くなっちゃうと写真はうまく撮れません。
熱は被写体に向けます。
「ピントは面で合わせる。」
- 2017/11/27(月) 00:00:27|
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周囲には熱心に聞き、「投げ銭」をしたりCDを喜んでもらっていかれる方がいます。
私がカメラを取り出すと、やはりカメラをもって彼らを撮る若い女性がいました。
どうもその様子ではファンのお一人のようです。

私は85ミリですからある程度下がって撮れますが「そんな遠慮しないで前に出たら?」と声をかけたくなるのが悪い癖です。
そういう自分だって人垣の内側には入ることができないのに・・・・。
それで迫力のある写真が撮れないのは分かっているんですけど。

「俺は特別熱心に人物写真を撮っているんだ。」なんて言うのは自分勝手な思いなんで周囲のどの一人とも同じ立場ですからね。
邪魔はできません。むしろカメラを構えているだけで「邪魔だなあ。」「集中できないよ。」という思いをさせている可能性は大いにあるわけです。
足元に座り込んでカメラを構えられても「なんだかなあ、このおじさん目障り。」という人だっているに違いないのです。

「この人熱心に写真を撮るんだなあ。趣味かな、それとも・・・・。いい作品になるといいなあ・・・・どうぞ前に行ってください。大丈夫ですよ。」なんていう空気は期待してはいけません。この日本では。

と、それくらいに思った方がいいのになあと感じさせる撮り方をするおじさんが時々いますからね。実際のところ。
足が切れたり、写し込むメンバーのバランスが悪かったりとどうもこの場所、この聴衆の中では85ミリは使いにくい。

外国からの旅行者がたくさん体を揺さぶってリズムに乗り楽しそうに演奏を聞き、お金も投げ入れています。
そこでフライヤーを配り、CDをフリーで渡していますよと・・・・。
反応は上々です。


- 2017/11/26(日) 00:00:49|
- 音楽
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ネットで検索していただくと彼らの演奏の様子が見られます。
その彼らが四条大橋の東詰めで演奏していました。

写真を撮るときに「全部、セピアにするのがいいかな。」とおもいました。
彼らのプロモーションビデオも一部がセピアになっていました。 やはりそういうイメージをお持ちなんでしょうね。
1930年代の音楽シーンをイメージしているそうです。

ファッションからしてそういう演出です。
「いい感じだねぇ。」と足を止めて暫し演奏を聞きました。
私も30年代のジャズが好きです。

幸か不幸かこの時にカメラに付けていたレンズが85ミリでした。
こういう時にはやはりズームが便利ですね。
このところ27-70を持ち出すことがぐんと減りました。f2.8通しですし、とても良いレンズなんですが「重い!」のです。
本当に長く活躍してくれましたがこのところ自宅待機が多い。
このバンドの演奏をライブバーかどこかで聞きたいですね。
いい演奏だと思います。

すでにニューヨークでも演奏経験があるそうで各地で演奏をしているようです。

なんとフライヤーと一緒に無料CDを配布していました。
私も欲しかったのですのですが、別の方が手に入れてこのバンドが広く知られる方がいいかなと思い遠慮しました。
こういうパフォーマンスの途中で撮影の承諾を得るのはタイミング的になかなか難しい。
それに私の場合、ブログアップの承諾も、得なくてはなりませんからね。
勿論、一般的に言えばこういう風に路上パフォーマンスをしている人たちはより広く知られたいのですから大方は写真も撮ってもらいたい、話題にしてもらいたいのです。ですから、OKをすることが多いです。
それで「断るまでもないじゃないか。」と言われる人もいるのですが、ただ珍しいから観光のついでにパシャリじゃなくてしつこく撮るので、やはり了解を得るというのが私なりのエチケットです。
- 2017/11/25(土) 00:00:52|
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皆さんは「草木捺彩陶」という名称をご存知ですか。
私は初耳でした。
前田さんは粘土に生きた草木を押し付けて、その窪みに釉薬で彩色をして焼き上げる陶板制作をあみだした方です。
ですからこの「草木捺彩陶」というのは前田さんの作品に対して新たに作られた名称なのです。

前田さんは「ピカソやゴッホなど教科書に登場する人は皆、何かを最初に始めた人 誰もやらないことをやらないと歴史に埋もれてしまう。」という事を言われています。
これはなかなか重い言葉です。
もともと教育の場に進むおつもりで勉強されていて、芸術についてこのような考えから授業をしようと思われていた「芸術家のスタンス」を「自分がその道を歩くことになって、じゃあ、授業で言っていたことを自ら実践に移さなくては…。」という思いを抱かれたそうです。
これはなかなか厳しい基準ですね。

ご自身い厳しい方は周囲に対して穏やかで優しいということがよく見られますが前田さんも同じです。
大変に物腰が柔らかくお話も熱は籠っていても静かで丁寧です。
熊本では「網田蒼土窯の前田和窯元」として知られているようで、江戸時代に生まれて数十年で一旦は滅びた「網田蒼土焼き」という手法を復活再現されています。

植物を粘土に押し付けて形をとって彩色する・・・・そうすれば本物そっくりの絵が完成するのは当たり前じゃないか・・・と、それは自らやってみたことのないものの思い込みです。立体であるものを二次元に封じ込めてなおかつ絵として成り立たせるのは至難だと思います。
まして前田さんは根の先のひげ根一本一本を「すべてのものに仏が宿る」という思いで定着させているのです。

お住まいの熊本から自動車に、この重い、取り扱いの難しい陶板作品を積んで自ら運転して京都のギャラリーに搬入されているのです。
そのバイタリティーとこの穏やかさとのギャップがまた魅力的です。
「2千年存続する作品を作ってほしい。」という注文を受けて、それに応えるべき素材から技法、そしてその形状はどうあるべきかを根底から問い直し、30年の月日を注いで作り上げるという探求の人でもあるのです。
それは先の「網田蒼土焼き」の再現にも見えます。

ワインパーティーの前に前田さんがご自身のお仕事についてお話しされたのですが、ギャラリーのオーナーが時々こんなこともおありだってでしょ?と水を向けて話し出されるような一面もあり、どうかして自分を大物に見せようというような気持ちの薄い方だなあと感じました。
- 2017/11/24(金) 00:00:57|
- 絵画
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この週は雨が多かったです。
雨の降るときには雨の中で・・・・・、と言っても私の方にその準備がありません。
重いカメラバックと傘と、そして「防塵防滴」でないカメラ。

助手がいるのですから傘をさしてもらって撮ればいい・・・・と、そういう発想が即座にでてこないところがいけません。
ネーム・バンドが顔の前に垂れ下がらないように。
うっかりするとやっちゃうんですよね。
こんな風にわずかでも、また後ろに見えてもやはりあまりよろしくないですね。

ガラス窓の外からも撮りたいですね。

実は外国人旅行者の方たちもここをたくさん通ります。
通行する人の邪魔にならないようにわきによけて立ったりしているのです。 フォトマヌカンのお二人も「どうぞどうぞ気にしないで通ってください。」と身振り手振りで合図するのですが。
欧米の人も中韓の人もずいぶん気遣って通ってくれる人が多いです。 そしてにっこり笑って通り過ぎてくれますが。
しかし、写真を撮ることで障害になるようなら、そのこと自体迷惑な話ですし、また一方、どこもかしこも写真禁止になってしまいますから写真を楽しむ人自身が大いに気を付けなくてはいけませんね。





- 2017/11/23(木) 00:00:43|
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待ち合わせです。
お友達の乗った電車が遅れているようです。何か人身事故があったようで遅延しています。
「人身事故」 どなたか怪我をされたか亡くなられたかしたんでしょうか。 どんな事情があったのでしょうか。そうしたことをただ電車の遅れ、迷惑だなあとか困ったなあとかのレベルでだけ意識されてあとはスルーされていくのが現代の酷薄なところですね。

私たちは、なんと待ち合わせ場所を決めていなかったという「それでどうやって合流するの?!」状態でしたが、何とか混雑のその真っただ中でお互いを見つけあうことができました。
仕事でこんなことしてたら始末書を何枚書いても追いつかないようなことになりますね。

今日も楽しく撮りましょうね。

この人もお友達もですが、雨空の暗さも少々の肌寒さもこの二人の気分を沈ませることができません。
まさに若さと前向きな意欲の力ですね。
私も力をもらって撮ります。

構図もカメラの設定もまるっきり定番の写真ですし、多くの人が撮ってきた既視感満載の写真ですが、この人の魅力がいっぱいで「こんな写真が撮れてよかった。」と思う一枚です。

そしてこれだからツァイスレンズは手放せないと思う時ですね。
弱い光の時にめっぽうその威力を発揮するレンズだと感じています。

やはり私の自慢はフォトマヌカンの皆さんですね。
このお二人は厳密には「一般人」ではないですが、いわゆるプロモデルを撮る写真にはない魅力にあふれていると思います。
それを感じるのが何よりの私の楽しみであり喜びですね。
- 2017/11/22(水) 00:00:07|
- 人物
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外はまだ雨。
せっかくの撮影日なのになあ。

冬の雨ではないけれど、それでも今日はすこし肌寒い。

つまんないなあ。

でも雨のお蔭で予定外のところで予定外の写真が撮れて面白かった。
次は何時になるかなあ。

今度は晴れるといいですね。

じゃあ、またね!
- 2017/11/21(火) 00:00:42|
- 人物
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「写真家はいいなあ。撮影を理由にいろいろな人と時間を一緒にできて。ことに若い女性と・・・・。」とは繰り返し言われることです。
全くその通りだと思います。 ・・・・ただ「写真家」という呼称を私に向けるのはいささか問題がありますが・・・・。
昨日の印章の匠にしても少し後でアップする「草木捺彩陶」という手法を作り出した陶芸作家さんにしても、大変な到達を身をもって果たされている方々と写真を撮るということを通じて平板な毎日とは少し違う時間の交流ができます。

写真を撮るからこそ開かれる世界ですからとてもありがたい時間ですね。
こんな魅力的なお二人とも一緒に「どんな写真にしようか。」と楽しいやり取りができ、「どうだろう」と出来不出来に話を弾ませることができます。

そして年代の離れた人の反応や感想を直接知ることができます。
プロじゃないですから仕事上のお追従もありませんからね。
・・・・なんて言うとプロには失礼ですが、強いカメラパースンに弱いモデル、強いモデルに弱いカメラパースン、そこにクライアントや編集者が出入りしたらどんな言葉を信じたらよいのか気の弱い私には分かりません。
(頭の横の黄色が邪魔ですね。ほんの少し頭を右にふってもらうべきでした。)

人物写真では絞りは空けることが多いのですが、ちょっと絞って撮ります。
背景の鉄骨の造形を印象強くして絵のムードを作りたいからです。
それにあまり開けてばかりいるとどこで撮っても変わらないことになってしまいますし、「きれい=いい写真」と言う落とし穴に落ちかねません。

私の場合「f 5.6」以上に絞ることは滅多にありません。まず「4」までですね。
「11」だ、「16」だ、さらには22だなんていう絞りにはほとんど縁がありません。
ですので、たま~に風景を撮ったりするときに「8」なんてしぼるとシャッター速度をどれだけ遅くしてやればいいか大いに迷ってしまいます。

APS-Cサイズだと開放付近でも大してボケない感じになることがあります。
だから敢えてどちらかと言えば写真全体にくっきり感がありますね。それを「きれい!」と感じる人、あるいはきれいに感じる被写体を撮る人にとってはAPS-Cで何ら問題はないのだと思います。

それがフルサイズだとこういう風に撮りやすいので、やっぱり・・・かなと思う人もいるのでしょう。
- 2017/11/20(月) 00:00:42|
- 人物
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現代の名工のお一人です。
印章を彫っておられます。
彫刻刀の下に引いている木片が[支点」となって役割を果たしています。

片刃の彫刻刀も使いますが、これは先端に刀身とは直角に刃がついています。
刃の幅は様々ですがこの彫刻刀の場合は1ミリもありません。
彫刻刀はご自身で作ります。 刃もご自身で付け、常に丁寧に研ぎに研ぎます。

道具は職人の命です。
その方の手指の延長ですから、刃の角度もその人その人で違います。
この方のものはかなり鋭角に切っ先までの角度をつけて、その先に刃がついています。
鋼に握りになるように柄を付けますが円錐を二枚に割ったような板で、鋼を挟みそれをタコ糸で何度もまきます。すべてご自身の手指の感覚に合わせて、ご自身の技能を最大限に発揮できる形にご自身で制作します。

粗彫りから仕上げに入ると周囲のふちも文字の線もエッジが明確になり俄然クリアになります。
荒彫りの時でさえこんな繊細な線が・・・・と思うのですが、その線がまるでボケた曖昧なものに見えてくるのです。
コンマ1ミリほどの周囲の縁の側面がきりりと立ち上がります。
それを拡大鏡で見せていただきます。

こういう公開実演の場でするのは粗彫りまでが普通だそうです。
そこまでならたとえ話しかけられても大丈夫なんだそうです。でも仕上げに進むと・・・・お店ではお客さんが来ても放置だそうです・・・・・深く深く集中します。
話し込んでいるうちに「仕上げをして見せましょう。」とおっしゃって仕上げ用の彫刻刀をとって彫り始めてくれました。
その集中する表情は先ほどまでの表情とは画然と違います。呼吸も違います。
粗彫りのときでも随分な集中力だなあとみていましたが、それは全然違う精神的な集中の世界です。
私がシャッターを切るこちらの世界に心はおられません。そんな感じがするほどです。

「これでどうかな。」
- 2017/11/19(日) 00:00:17|
- 工芸
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ページ冒頭でお見苦しいお知らせですがご容赦ください。
一昨々日、PCを起動しいつものようにメールのアイコンをクリックすると開くことができません。私のミスもあって使用できなくなりました。
それでブログをご覧の方でこれまでに私のメールアドレスをお知らせしている方々には改めてお伝えしようと思います。
このブログのコメント欄で管理者のみが見られる設定であなたのメールアドレスをお知らせください。返信させていただきます。
よろしくお願いいたします。 最近よく見る光景です。
結婚式の前撮りですね。
これも人物写真ですから時々自転車を停めて「どう撮るんだろうか。」と遠目に見学させてもらう時があります。
けっこう長い望遠レンズで撮っていることが多いですね。
背景を暈す意味もあるでしょうし・・・・なかなか思うように人がはけてくれませんからね・・・・・・普段とられ慣れてない人を撮るには距離を置いたほうが緊張されないのでしょう。
それに・・・というか予想するにこれが一番かなあ・・・・一眼レフに白い大きな望遠レンズ付けて撮ってくれたら・・・・・それ自体が一つの演出で・・・・・撮られる方の非日常感はグンと膨らむでしょうしね。

「新郎」君に声をかけて了解をいただいて撮りました。
一日かけて撮るんだそうで高鷹体力的にもハードですが「普段しない格好をして一日あるいていると何だか気持ちもそれに慣れてきて不思議な感じです。」とのこと。

一日中カメラを向けられて写真を撮るなんてことはそうそう経験するモノじゃありませんからね。
背後に若い男性二人が飛び石の上で完全にくつろいで座り込んでいます。(上の写真の右手に写り込んでいるのはそれとは別の中国人?男性二人。)こちらからカメラがむけられていることは視野に入っていると思うし、写真に写り込んでいるのは容易に想像できると思うのですが、だからといってどうこうしようという気持ちはさらさらないようで、カメラパースンはそれをどうしようかと随分困っています。
少しすれば移動してくれるかなと時間を稼いでいましたが、まったくそんなことは意に介すような気配がありません。そこで諦めて・・・・。
カメラパースンやスタッフたちは「すみません。ちょっとどいてもらっていいですか?」とは言えないようです。「後から来て勝手に写真を撮っているんだからどけとか言われたくないね。」という反応が予測できるからでしょうか。
「あんたらの営業に協力する義理はないよ。」でしょうか。
まあそういう理屈もあながち理解できなくはないし、一般の写真撮影者に対して、そちらの方が傍若無人だったりするのでそういうことを言いたくなることも重々承知ですが、その若者二人にはあまりに周囲への気配り・遠慮がないなあと感じます。
ほんの数分どいてあげるだけでいいのになあ。

ここ白河あたりでも前撮りは盛んです。

せっかくこういう衣装なんだから全身を入れて撮らないとダメですね。

ウエディングのカメラパースンもいろいろとポーズを提案したり、少し遊びを入れたりして工夫をしているのが見られますが、こういう場所を選んでいる時点で、どうなのかなと思いますね。新郎・新婦の要求なのかもしれませんが。
顔を寄せ合ったりしてもらっている場面では大概女性の方が積極的で腹が座っていますし、うれしそうです。

自分ならどう撮ってあげるだろうかと思いながら見ているのですが、あんなに逆光を多用するんだなあとか、逆光でストロボを使わないのに順光で使うのはどういう理由なんだろうかとか教えてもらいたい場面によく出くわします。
それにしても大概クリップオンストロボを付けたままずっと撮っていますね。
あれも不思議です。必ずスタッフがついているのに。

- 2017/11/18(土) 00:00:00|
- 状景
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ページ冒頭でお見苦しいお知らせですがご容赦ください。
一昨日、PCを起動しいつものようにメールのアイコンをクリックすると開くことができません。私のミスもあって使用できなくなりました。
それでブログをご覧の方でこれまでに私のメールアドレスをお知らせしている方々には改めてお伝えしようと思います。
このブログのコメント欄で管理者のみが見られる設定であなたのメールアドレスをお知らせください。返信させていただきます。
よろしくお願いいたします。 先日同じように鴨川で三線を奏でる人がいて仲間とエイサーを演じていました。
撮影させていただいてカードも渡し「写真をお送りしますからメールください。」とお願いして「はいっ」という事でしたがその後音信が無くて、その時の写真もアップしないままでいます。ブログアップ、OKのお返事はいただいていたのですが、なんとなく、実は喜んでもらっていなかったのかな…なんて思ってしまうのですね。
管楽器のアンサンブルの練習を撮った写真もそうで7人のうちの一人だけが写真を送っても、次のブログアップの承諾如何を訊ねたメールにも返答がなくて、それで結局他の方の承諾をいただけているのに、他の6人には申し訳ないのですが、今のところお蔵入りなんです。たくさんいい写真があるのにとても残念。 これでも多少の気遣いはしているのです。
この方はこの場でアップも承諾していただけていたのでありがたく・・・・・。

こういう情景を目にした時にどう撮るかを考えます。
演奏への熱中を撮るのか、こうした風景の中で一人黙々と…を撮るのか、景色ののどかさの部分として撮るのか・・・なお。

職人さんを撮るときも「自分は人を撮るんで技を撮るんじゃない。技はあくまでこの人の属性として撮るんだ。」という意識が働きます。
ですからこうした音楽を楽しむ人の場合にもそういう基準が無意識に働きます。

そういう固着したイメージにとらわれているといろいろ見えなくなるし、表現の力が停滞するよという事は様々な作家さんたちとの出会いの中で痛感しているわけで・・・・・。
それで一番適応性の大きい、35ミリや50ミリではなくて85ミリだけを持ち出したりして敢えて不自由を自分に課しているのですが。

85ミリで広く撮る、28ミリで迫る・・・・なんてことも意識しながら撮ります。

今の私自身の流れは「状景の中で人を撮る」です。
狭く人物写真にするのではなくて、背景に人を語らせるみたいになったらいいなあ、と。

横浜に住む私の畏友が水彩画で常にスタディーを試みて自己革新を図っている姿にも刺激を受けています。
ここにこうして三振を奏でている人の醸し出している空気を「ああ、いいなあ」と思いながらその「いいなあ」をどうして画面に出すか、そこがなかなかの問題であり続けています。
するとちょっとした首の傾げ方、頭(視線)の上げ方などが次第に見えてきます。
- 2017/11/17(金) 00:00:41|
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ページ冒頭でお見苦しいお知らせですがご容赦ください。
先日、PCを起動しいつものようにメールのアイコンをクリックすると開くことができません。私のミスもあって使用できなくなりました。
それでブログをご覧の方でこれまでに私のメールアドレスをお知らせしている方々には改めてお伝えしようと思います。
このブログのコメント欄で管理者のみが見られる設定であなたのメールアドレスをお知らせください。返信させていただきます。
よろしくお願いいたします。 髪を染めたというので果たしてどんな風にイメージが変わったのかと・・・・・。
雨が心配でしたので街中撮影はあきらめて・・・。

昨日までのお二人と較べると学年で一つ下になるのかな?
京都に来てクラシックバレーを学んで、やがて・・・・。
しっかり未来を見ています。

忙しくしている中で時間を取っていただきました。
聞くと来年の今頃はこんな機会は作れないようになるかもという事で・・・、よく言われる一期一会を大切にしたい気持ちが湧いてきますね。

こうした撮影を通じてこの人の未来を応援できたらいいなあと思います。
と同時に私自身がこの人をはじめとして「撮られてくれている人」たちに大いに背中を押してもらっています。

私がいましているような活動を始めたのは6年余り前のことです。
6年と言えば子供が小学校に入学して卒業してしまう期間です。ですからその間に卒業や就職をして京都を離れる人、結婚される人など、ことに若い方は大きく生活が変化してお会いすることができにくくなるケースがたくさんあります。
私との撮影は、そんな人の2,3年の間の小さなエピソードになるわけです。

私はこれまでと同じくらいの時間はこれからも写真を撮り続けられたらいいなあと思っていますから、同じようにたくさんの方々との出会いと別れを繰り返すわけですね。
写真はそうした出会いが確かにあったということを証明してくれます。

この人にこうした時期があったということを残します。
- 2017/11/15(水) 00:00:31|
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「おっ!これだ(この瞬間だ)!」と思ったには違いないのですが、一生懸命考えて撮った写真より偶然の一枚の方がずっといい、なんてことがよくあります。
「下手な考え休むに似たり。」なんてことになると実も蓋もありませんが。

この人はレンズを向けるとその瞬間に演じられます。そこが良いところでもありますが・・・。
ですから?先の写真のように不意打ちをしたくなる時もあります。

かわいいお嬢さんという風なんですが、こうした表情も出て来ます。
深い強いものが出て来ます。

周囲を削ると一層彼女の表情が画面を支配します。

可愛らしいだけでは通らない世界にいるからでしょうか。

そしてこんな表情もしてくれます。


- 2017/11/14(火) 00:00:01|
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大きなカメラをもって、かがみこみ、のぞき込むような姿勢をとっていると何だかおおげさですが、小型のカメラではあまり抵抗感がないですね。
でもあまり小さすぎて手元のカメラが見えないと、それはそれでまた「何をやってるんだ?!」と不審に思われます。
まあ、撮られているが側が堂々としていますから、大丈夫でしょうけど。

こういうアングルのために柔軟体操とスクワットをしないといけないとは、これまで何度も書いているんですが、実際は・・・・・お察しの通りです。
現状の私は、いったんとった姿勢を変えるためには随分苦労しなくてはなりません。
やれやれです。

窮屈な姿勢で撮るときにはマニュアルでフォーカスするのはなかなか困難を伴います。 きょうの5D+プラナー85ミリではマニュアルしかできません。
その点新しいカメラはAFが優秀になっていますので、こんな時には助かります。
何しろ顔を認識するだけではなくて瞳まで検出してくれますから。信頼性は少しづつ深化しています。

フォーカスも「点」で合わせたい時と「面」で合わせたい時があるんです。この「面」で合わせるということについては「写真講座」ではあまり話題になりませんね。
とても必要性の高い大事なスキルなんですがね。

顔が赤すぎますね。色温度の調整が必要でしたか。
曇りで全体的に青くなると考えすぎたかもしれません。

この人は積極的で冒険心に富んで行動的です。
運動能力も高いのです。
外に出てあの梯子を上って・・・なんていったら出口を探すかもしれません。
と、そんな危ないことをする人ではないですが、ジャングルジムだったらてっぺんに立つかもしれませんね。

今度試してみましょう。
- 2017/11/13(月) 00:00:10|
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面白いのはフォトマヌカンが違えば同じ場所で撮っても求めるポースあるいはフォトマヌカンから提案されるポーズが異なることです。
同じようにしてもらうという事にはなりません。
仮に「ちょっと同じようにしてみて!」とお願いしてもおのずから違ってきます。
そこもまた人を撮る面白さですね。

それぞれが自分を持っていますから、当然こうポーズしてみようという気持ちも違いますし、こちらからの要求の受け止め方やアウトプットが違います。
そうなればそこから掬い取るものもまた相違してきます。

同じオブジェを使ってもこのように大きく違います。
無論、単純にスカートだからパンツだからという事でポーズの制約、条件に違いが出て来ますが、今日スカートを選んできた、パンツを選択したということ自体がそれぞれの個性ですからね。

こうして二人が入れ替わり立ち代って被写体になってくれるのは、一日中一人を追求する面白さとはまた異なった楽しさがあります。

この時は、吹く風がいい塩梅です。

二重のフレーム効果と、色と線の流れ、そしてキャッチアイで面白く撮れたと思います。
クリックしてさらにクリックして白い枠にして見ていただくといい感じだと思います。

これはこの人の演技がいいですね。
フォトマヌカンは一面演技者ですから、演技ができなくてはいけません。
かわいいとかきれいだというだけではね・・・・ちょっと足りません。
このお二人は俳優志望ですからなおのこと。
- 2017/11/12(日) 00:00:54|
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ネット上でポートレート写真についてのある動画を見ます。
モデル自身がいろいろと話してくれるのですが、発信はUKです。
作例がたくさん紹介されますが、そのどれもが色の組み合わせにとても神経を使っていることが分かります。
そういう意味で意図をもって撮るという姿勢が明確で『絵を撮る』意識が強いと思います。私はそれを高く評価しています。

というのも私自身は色に関する感性が今一つ?二つ?だからです。・・・・以前から何度も書いていますが・・・・

雨が降っていますので屋根のあるところで撮ろうと・・・・。
でも今日は風も少しあるし、屋根が高いので・・・・雨粒が降り込んできます。
それでも若さですね、気持ちが沈まず撮影に対して楽しんでいる感も出してくれます。(それと画面の表情とは別ですけれどね。)

X100Fらしい写真になりますね。
背後のオブジェの金属的な肌合いと色がとてもいいです。
オブジェの赤い円、口紅、セーターの赤・・・・こういう場合フジの発色は楽しめますね。
一枚目の電車のボディーの艶感やこの写真の靴の艶感もいいと思います。
シルバーと灰色と黒と・・・・。

この人はカットとカットの間の茶目っ気がとても魅力的で、そういう写真もあるのですが・・・・、それは非公開!
それにレンズを向けても、あまり構えません。
ちゃんと演技しながらもナチュラル感が保持されています。

口元だけをのぞかせたらどうだったんだろう。
その時には気付きませんでしたがやってみてもよかったかな。

背景の抜けた白の面積が広すぎました。
もう少し注意を払うべきでしたね。
- 2017/11/11(土) 00:00:16|
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今日は生憎の雨降りです。
ですがこれからちょっとお出かけです。
この背後の電車に乗れば山陰へ。

こちらに乗れば関空へ。
「旅に出る。」 ワクワクしますね。
まして仲良し同士の旅ならば話も弾むし、なお楽しい。

何十年か前にはこういう機会には決まって窓辺にミカンを並べて・・・・。
駅弁買って。
あのプラスチック容器のお茶は異様な味でしたのに定番で・・・・健康に害があるとかで廃止になったとか・・・確かにまずかった。
(団体旅行で配られると迷惑だったなあ。)

このお二人は、二人であらかじめ打ち合わせたのでもないのにいつも服の組み合わせがいい感じ。
趣味が対照的なんですね。
で、それぞれフォトジェニックで。
髪を染めることも短く切ることも「禁止!」なんだそうで、私にとってはありがたい。

前回は白い服のTさんについついレンズが向いたけれど、今日は何故なのか赤いセーターのIさんに焦点が当たります。
前回も雨の中で撮りましたが、浴衣でお寺…でしたから、その雰囲気でTさんに目がいったのかも。
今日は・・・・。

けれど、こういう写真の時に案外ボケている方が主役だったりするのです。
そこが面白いところ。
この写真の場合にはピントが合っているという点と画面内で占める割合とで見る人の視線のバランスをとるという感覚ですね。
それにボカスと目は一層大きく見えて訴求力を増すことがあります。 そこがまた画面作りで面白い点です。
この二人も喜んでいろいろ試されてくれます。
有難いです。


これもどうでしょう。
- 2017/11/10(金) 00:00:57|
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この6年余りで幾人もの京都の職人さんの写真を撮らせていただいてきました。
撮り始めたころに既にご高齢の方もおられて、私がこの6年余りを過ごしたという事はその方たちもまた年を重ねられたという事で・・・・。
「そうだね私の周りでも物故される人がいてね。 職人の高齢化は深刻だよ。」
「で、そうした方がお亡くなりになる前に、これまで撮らせていただいた写真をそれにふさわしい場所で展示したいなんて思うのです。例えばここのホールでとか・・・。」
「それはいいねえ。 ここでもいいし、市の観光課とかに提案すれば補助金が出ることもあるよ。」なんて教えていただきました。

ここで実演される方々で伝統工芸士の称号を持つ方たちの多くは組合の理事などを務めても来られていますから、行政との関係もお持ちの方もおられるのです。
そして何より職人の存在とその技術についてもっと広く関心を持ってもらいたいし、知ってほしいと願っておられます。
それはご自身をという事ではなくてこの産業・仕事のためにという思いです。

撮らせていただいた写真が私の「趣味」の世界で止まっていてはむしろ申し訳ないなとも感じます。

実はこの方の上着の両脇の裏地には風神・雷神が描かれています。
この方自身が描かれたそうなんですが、粋ですね。
そしてこの方の来ておられるシャツ。 おしゃれです。

私の方はと言えば、自転車のチェーンに巻き込まれて裾がずたずたになったズボンをはき、すっかりすり切れたひさしのキャップ帽をかぶって徘徊するようなことでは、ちとまずいかなと・・・・・思わなくもないのですが。
- 2017/11/09(木) 00:00:14|
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京都染織文化協会によれば「素描」とは「糊を引かずに、生地に直接模様を描いて染め上げる技法。」だとのことです。
「素描」と書いて「そがき」と読みます。
土井さんはこの道の達人です。

今ここでは金彩をされています。

素描は直接に筆で生地に描きこむのですから染料が布に沁み広がっていきます。それを染料の成分を工夫したり筆を微妙にコントロールして防ぎながら描きます。
糊を置いてふせればそういう際どいことはなくて描けますが、絵柄がくっきりして華やかになる一面で、精妙な趣深く描くには難しいのです。
その点素描では縁取りがされませんから自然な『絵』としてみることができます。

この絵柄はとても人気があって「定番」なんだそうですが、色の組み合わせを変えると趣の異なったものが出来上がります。
男性用にも粋でいいなあと思ったら芸能の世界の男性が購入されたそうです。
私もちょっと着こなしてみたいですが、難しそうです。

土井さんとも撮影をしながら30分余りお話を聞かせていただきました。
こうしたお話は技能の事、織物業界の事、土井さん自身のこれまでの事などなどに及び人生の上でも教えられることが多々あります。
職人さんの世界でも独創的であることがとても大切だと感じました。
私のカードを見ていただいています。
「この写真いいねぇ。」
- 2017/11/08(水) 00:00:25|
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最近になって人物写真を撮ることの醍醐味というものがどういうものか、というか、どういうことかということのある面が次第に判然としてきたように感じます。これまでもそれは見え隠れはしていたものの少しずつ確信になってきたという事です。この意識は、撮り始めたころの私では気づきもしなかったし、誰かに説明されても言葉を実感として理解することは無理だったろうとおもいます。
「人の『生きる姿』に出会う」・・とそういう事でしょうか。
何年も経験を積まないと見えてこないことがた草なるとしたら、職人さんも作家さんたちも門外漢の私が見ているのよりずっと違う世界にいる、違う意識で作品作っているのではないかと思うのです。
ある焼き物の大家とお話していて、「うんうん」と頷いて聞いてはいましたが、その実この方が伝えようと思っているのとはずいぶんこと異なった受け取り方しているのだろうなあと省みて思いました。
つまりエベレストのような山の上に登った人が「山登りは苦しいが楽しいね。」というのを、愛宕さんくらいの山に登った人が「まったくその通りですね。」と言っているようなモノかな。

今日は別の計画もあったのですが、この人からある依頼があってこの場に来ると、この人自身がこの絵に感応して「撮りたい!」ということになったわけです。
こういうところも…先ほど触れたことと意味は違いますが・・・・「人」を撮るからこその面白さですね。

鍛えられ意識して造形されてきたこの人の体の線は注目です。

それにしてもミケランジェロの絵は細部も全体もち密に構成されていて、構図というものについて改めて考えさせられます。
構図は主題のためにあるという事でしょうかね。 構図のために絵を切り取るなんて言うのは本末転倒ですね。

さてますます秋めいてきましたね。(この記事がアップされる頃はもう紅葉は盛りの頃を迎えているでしょう。)

雨が降ってしっとりしています。

青の季節のこの人と玄の季節の私と・・・・。

その二人がこの時間を共有しているって面白いですね。
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- 2017/11/07(火) 00:00:55|
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自分の目標の実現に向かって郷里と京都を毎週往復して頑張っています。
体力的にも金銭的にもしんどい面が多々あると思います。
それを気持ちの高揚で乗り切っていけるのが、若さであり、その希望の質ですね。

その人が忙しい時間の隙間をぬって協力してくれました。
この人自身もまた日常のスナップ写真以上のものを作りたいと願っています。
ですからそこにお互いの楽しみが増幅します。
本当はこの絵の前で踊りたいのですが、なかなかそうはいきません。
足元にパネルを敷かねばなりませんしね。
で、今日は地獄のものどもとの会話を楽しんでいただいて・・・・。

深い深い地の底を覗いていただきましょう。
人を地獄に誘うものは必ずしもおどろおどろしい顔つきであるわけではありませんし、身震いするような声であるわけではありません。
ファシズムと同じで笑顔をたたえ時に妙なる調べで誘うものです。 緑のスカーフだったりちょっと傾けたハットであったり。何かかっこよく見せたりするものです。
まあ、しかしそれは身に添わない何かしらグロテスクで滑稽な様相ではあるのですが。

天上から垂れてくる・・・いわゆるトゥリックル・・・を待っているだけでは幸せはつかめません。
お上に向かって叫ぶ声も枯れはてて・・・・・。
だが決して、
希望は捨ててはなりません・・・・・。

あなたにも・・ほらっ !
ミケランジェロはこれを見てなんというでしょうか。
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- 2017/11/06(月) 00:00:21|
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実は言い訳を繰り返しながら撮っているのです。
あるプロの方が、現場に臨んだら、あれを忘れた、これが不調だなんていうことがあっても、言い訳がましい説明をしないで、そのなかで泰然自若として最善を尽くしてクライアントの要求に、要求以上に応えるのがプロの仕事だとおっしゃっていました。
なるほどなあ、その通りなんだろうなあ。道は遥かに遥かに遠いなあ・・・・・と、プロを目指しているわけでもないのに、思いました。

やはり道具に不調があると気持ちを集中することが…私のようなものには・・・できにくいのですね。
それが

そうするとお願いしたフォトマヌカンさんに対しての配慮や要求に十分さや切れが無くなるのですね。
道具は信頼できる状態にしておかねばならないのに・・・・職人さんたちは皆そうしておられます。
で、この日家に戻ると脈絡もないのに包丁を研ぎました。 とても切れるようになりました。


- 2017/11/05(日) 00:00:06|
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私の旧知の方がランニングをされているところにバッタリとお会いしました。
鴨川べりのコースです。「鴨川が大好き。とても気持ちよく走れる。」とおっしゃっていました。
鴨川は多くの市民に、また観光の方に愛されています。
その鴨川でお会いしました。

職場のちょっと遅い昼休みなのだそうです。
こんな和服でお勤めの職場とは・・・・・どんなお店なんでしょうか。
そしてこの方のたたずまい。

話しかけて良い方なのかどうかを観察して周囲をうろうろします。
そうなると不審者ですね。 でもそうしないとご迷惑になるかもしれませんから。
でも私は元来世の中の事を知りませんから、どうあがいても下手な考えなんとやらなんでしょう。

写真に撮られることがあまりお好きではないという事で「若いころの写真がほとんどない。」のだそうです。
無理強いはできませんが、私の過去に撮った写真は見ていただくことができて・・・・・。

どうやらそれほど警戒を要する人間ではないという事は分かっていただけたようで・・・・・というより、お仕事柄人物の観察眼はよほど鋭敏なのではないかなと・・・・・。
いや、こちらへの奥ゆかしい柔らかな対応で、私の方が言い訳がましいかっこつけの気持ちを取り払われてしまったのかもしれません。

お引き受けいただくとなったら、「どうぞお好きに指示してください。」と。
対応が大人だなあ。
- 2017/11/04(土) 00:00:41|
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あるイベントを見に行った折の事です。
そのイベントの最も重要だと思われる会場でのオープニングの企画で津軽三味線の演奏がありました。
その演奏を聴いていて私は自治体か何かの趣味の講座でかなり上手に弾けるようになった人が皆の集まりで演奏している、あるいは絵画の教室に通って街のギャラリーで教室のグループ展を開いて講師から賞をいただいて最も栄えある場所に展示してもらった絵を見ていると、まあせいぜいそのくらいの演奏に聞こえました。

そしてその演奏もさることながらその奏者の風貌が一流二流の演奏家のそれではなあいなあと登壇の瞬間から感じました。
衣装もまた然りです。
それが口上にも反映していて私は儀礼的な拍手以上の拍手を送る気には到底なりませんでした。

演奏に耳を傾けながら、失礼ながらこういう場では聞きたくなかったなあと幾度も思いました。
私は音楽の事を、まして津軽三味線のことをよく知っているのではないのですから、生意気なことを一知半解に言うべきではないとは思います。
が、こうして人物写真を撮る人間としてその人の風貌から何事かを言う事はいくらかはできると思います。

というのも、今日の写真のように伝統工芸士や京の名工の方々や優れた演奏力を持つ音楽家の人たちなどに接して写真を撮って感じてきたことは、その力量や経歴は風貌を作るという事です。
私は人相見ではありませんが、少なくとも1200余りの人たちの風貌をまじまじと見て来てそう思うのです。

功成り名を遂げているからと言って良い風貌になるかと言えば必ずしもそうでないことは某国の総理・副総理などを見れば実に残念な例を見ることができます。
「功」とか「名」の質が顔に出るのだと思います。
と話が横道に行きそうですが、彼の津軽三味線の奏者の存在の軽いことはステージの中央に立った瞬間から聴衆の大方が感じておられたと思います。
で、それが拍手の響きとなってあらわれ、会場の盛り上がりは会場の外に降る雨のように気持ちに熱の無い冷たいモノに感じました。
・・・・・・・・・・・・・もっともそれは私の気持ちがそう聞こえさせたという事でしょうが・・・・・・・

私が髭を剃るとき以外には滅多に鏡を見ないのはつまりはそういう事なのです。
がっかりするわけですね。
かつて「蒼樹さんはいい年の取り方をしているね。」と言ってくれた人がいて、また「紳士的ですね。」と評してくれる人がいて、またその一方で「男は少し意固地であったり悪ガキであったりという風が顔に見えると魅力的な相貌になることがよくありますね。」とある方に言うと「その言葉そっくりあんたに返すわ。」と言われて、いったい私の顔はどうなっているんだろうと思うわけです。
少なくともじっと見ていられる顔ではないなあと。
見ていて何度も何度もシャッターをきりたくなる相貌と、カメラを背中のリュックから取り出したくならないお顔とがあります。
ポートレート写真のカギはそこにあると実は私は思うわけです。
撮る側が何か人を判定するというようなことじゃなくて、その人(顔)に惹かれるか否かという事です。
被写体になる人の年齢や性差は関係ありません。職業や社会的地位も関係ありません。

と言ってもポートレート写真の魅力はそれだけには尽きませんがね。
- 2017/11/03(金) 00:00:36|
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絞りの技術はたくさんあるのだそうで十いくつかの技がお出来になるのだそうです。
絞りの技術のほかにも、いつどういう経過でこのお仕事に就いたのかなど興味深いお話を聞かせていただきました。
私は大学を卒業してから旧職に就くまでの数年の間、社会の極下層に転落しかねない不安定で曖昧な生き方をしていましたが、とにもかくにも就職をして、その後も破滅の境をかろうじて「踏みとどまる」瞬間もありましたが、表面的には一応人並みの生活を、むしろ平凡に送ってきました。

そういう私の尺度からすると大きく人生を換えながらこの仕事に携わり、極めて高度な領域にまで到達している姿はまぶしく思えます。

「人間万事塞翁が馬」とは言いますが、いくらか長く生きてくるとそれを実感しますね。
何が幸いし、何が不幸となるか。 私にも幾つもの躓き(いえ、それらを躓きと言ってしまうのは私とその事情に対して適切な表現ではないなあと自分では思うのですが。そこにはそう至るべき思いや理由があるのですから。)もありましたが、平凡な俸給生活者の人生を送ってきたがゆえに、今こうして写真を撮る毎日を送っているのですから。

そして幸せだと信じているこの写真生活に至ったがために、ある別の生きがいを果たさないでいるという事でもあるわけで、「全き欲求は全き禁欲である。」というヘーゲルの言葉がいくらか分かるようにも思われます。

「三か月もあれば作家を名乗れるが、職人はそうはいかない。」といった方がおられます。
まさにその通りですね。
職人の技は10年や15年ではただできるというレベルでしかないのですから。

わたしは、この村上さんの様な方の前でお話を伺っていて、なぜこの方たちがこうも謙虚でいられるのかと思います。
根柢の自信と誇りがあるからなんでしょうかね。いい仕事をしているという。
- 2017/11/02(木) 00:00:02|
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逆光が基本です。
そうなると普通は顔が暗くなりますが。
コンクリートの路面の反射光で人物にかなり強く光が当てっていますし、背景のタイルの壁にも地面の反射光が当たっています。 意外に全体の明暗差が小さくてうまく撮れそうです。

でも、基本としては晴れの時に人を撮るにはまず日陰に入ってもらいましょう。
なかなか迫っていますねぇ。
仲の良い友達同士ですからその点心理的な垣根が低いのでしょう。

かなり打ち解けた人を相手にしたときは・・・・・50ミリを付けているようなときには・・・・これくらい寄れることがありますが、私にはなかなか難しい。
それをカバーするのが85ミリでしょうか。
これだけ寄られると撮られる方は「うっ!おっ!」と感じますからね。

でも、その時に撮る側の熱が伝わることがあるのです。
そういう点で思い切って寄るという事もまた人を撮るときに大切なことです。

体を壁に預け足を延ばしてリラックスした姿勢をとってもらう。すると表情も緩みます。
人間の体は全身がセンサーですし脳はその全身と結ばれてその一部ですから、身体のポーズから表情を誘導することもできるわけです。
「笑って!」ではなくて「笑い」が出るような気分をポーズから引き出してあげる。そういう事も写真の大切な要素。
ネットのポートレート撮影云々には人間観察や人間観がまるでありません。
それはやはりプロが果たすべき『啓蒙』の役割を果たしていないからだと思います。

一緒に美味しい食事をすればフォトマヌカンとの距離は一挙に縮まります。
- 2017/11/01(水) 00:30:13|
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