長い間暖めていたイメージがあって、それに一歩近づくことができました。
と言ってもまだ二、三歩先に行かねばなりませんが、それでも私にとっては大きな収穫です。
そのイメージに近づくために力を貸していただきました。

なんとしても盛夏の光と熱と涼が欲しかったのですが、煮え切らない梅雨明け後の曇天の日でした。
青空とそこに沸き立つ白く輝く積乱雲がありません。 けれどその分、白い服と白い肌を飛ばさずに撮ることができます。

私にとっては待ちに待った梅雨明けでしたし、その頃ならと都合をつけていただいたのですが「豈図らんや・・梅雨明けと宣言はされども曇天となるとは」
ですが「どんな服がイメージですか?」と言っていただいて、それである動画を見ていただき・・・・、服を購入までしたいただいたのですから気合が入らないわけはありません。
「岩盤にお友達のための穴を穿った」 長州人がいましたが、
この人は
「岩に登れるかな?」
「登れますよ。」
と、ひょいひょいっと登ってくれました。

実はこのごく近くで数組の家族が一緒にバーベキューをしています。子供たちが浮き輪を付けたりして流れで遊んでいます。
母親たちが私たち二人を見て「何事やらん。」といぶかしそうに見ていましたが、そのうちに事態を了解されて静観されていました。
アユ釣りが解禁されていますから上流にも下流にも釣り人たちがそこここに流れに糸を垂らしています。

それにしてもカメラが違うとずいぶん発色が変わりますね。
無論、絞りやシャッタースピードなどの設定も幾分違うのですが、それ以上の違いを感じます。

ヒマワリなどの花もこの人の発意で持ってきてくれました。
人物写真はフォトマヌカンと撮影者との共同行為の賜物ですからね。
- 2017/08/31(木) 00:00:46|
- 人物
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括る糸はタコ糸です。
ただ腕や上体で弾くのではなくて下半身から引いています。
写真を見ていただくをお分かりのように引かれた糸が 「ビシッ」「ギリッ」という感じで相当なテンションがかかっているようなんです。
「そんなに強く引いても切れないんですね。」とお尋ねすると
「切れるように引けば、ほらこんなに簡単に切れますやろ。 その加減です。」

右手に見えるのは肥後守の「小刀」
「えっ 何という事は意識してまへんけどこれが一番いいような感じで。」と経験上この切れ味が一番で使い勝手がいいようです。

昔はこれで鉛筆を削り手製のおもちゃを作ったものでした。
カミソリは薄すぎて木を削るには刃がこぼれたり割れたりまた切れ込みが鋭すぎてコントロールがしにくいなどということがありましたが、肥後守は刃が厚くて使い勝手がいいのです。しかもよく切れる。
子供が手指の巧緻性を高めるためにはうってつけだったと思います。
私は学校にもう一度取り入れるのが良いと思いますね。

以前はこのフロア一杯に、しかも階下のフロアにもたくさんの職人さんが公開実演をしてくれていたものでした。
それが一年のうちごく短期間、期間限定で、しかも一人二人しかやっていません。
悲しいことに京都の伝統工芸施策の実態はそんなものです。

ずいぶん先輩になるこの方から「頑張んなはれ。」と励まされてしまいました。
- 2017/08/30(水) 00:00:33|
- 伝統工芸
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絞りの職人さんです。
80歳を超えているそうですが、この正座している姿勢を見てください。 そして糸を引く手の関節の太さ。

糸は下半身からの力で弾いていますが30代から70歳代まで10キロのランニングを欠かさず腕立て伏せもずっと続けてきたんだそうで、私の腹回りにあるようなスペアタイヤは微塵も見られません。
タバコは吸わない、酒は飲まない、お酒は週に一度お猪口にいっぱいくらい・・・。そういう節制が今日までこの仕事を現役で続けてこれた秘訣だそうです。

とにかく体の動きに切れとリズム感があります。
ご両親が長生きだったそうですから90代後半くらいまで活躍されるんじゃないでしょうか。
お話をしていても顔の表情がくっきりと豊かです。
仕事を続けてきているやりがいや達成感がそうさせているのでしょうか。

私は75歳までは人物写真を撮れるだろうかなどと思い描いているのですが、この方はまだこれから10年はと思われている気配です。
こういう方から見れば私などまだまだ洟垂れです。 うれしいことですね。
昨日の画家さんにしろこの方にしろ高齢者の意気盛んというところです。
- 2017/08/29(火) 00:00:44|
- 伝統工芸
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京都府立芸術文化会館ではかなりの腕前の作家さんたちが作品を展示することが多い。
その会館で絵を見ました。
こうした絵画展で絵そのものについて踏み込んだ批判をかわしあうのをあまり見たことがなかったので、新鮮な気持ちで野次馬を決め込んでいた。そして別のフロアに行くとそこでもまた技法についてのアドバイスが交わされていました。
それで、「いい感じですね。」と声をかけさせていただいたのです。

リタイア後に絵を学び始め、ずっと描き続けて恒例となった作品展に出品されたのだそうで・・・・。

素人の手慰みではなくて、はっきりと作家性を意識された絵です。
絵を通じて何を果たさねばならないか、果たしたいかを意識された絵でした。
それでお話にもとても共鳴できて・・・・。
「いや、人物を描きたいと思っていて・・・・、それも経験を重ねた男性をね。でもその課題はまだこれからで・・・。」と。
「それは私もです。」

ほんの少し先輩になる方ですがその精神の若々しいことは羨ましい限りです。
リタイア後を主体的自覚的に生きようとする人の輝きを感じました。
こういう先輩の姿は大いなる励ましです。
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- 2017/08/28(月) 00:00:50|
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今日ここで撮影のチャンスがあるとは思わずに近くまで来たのですが、
「とにかく何があるかわからないからトーシューズはもってきて・・・。」という私のわがままと、できるだけバレエを活かしたいい写真にしたいというこの人の気持ちが功を奏して。
荷物が増えるのにね・・・。

しかし、見事なものですね。
なんというボディーコントロール力。
しかも跳ぶたびに自分のポーズを意識して工夫をしているのです。

で、それをつかまえきれない私・・・・トホホ ですね。

でも、これは良かったかな。

あまり図々しいことはできませんから、そろそろ終わりにしましょう。

じゃあ、最後のポーズを決めて・・・・。
- 2017/08/27(日) 00:00:37|
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秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる
立秋はすでに遠く過ぎていますが、いわゆる暦と実際の気象とのずれはますます大きくなっているような気がしますね。
「50年に一度の・・・・」「気象観測開始以来初めての・・・・」などなど・・・このような気象・天候の事態になっても政府の災害対策、治山治水対策が国民的議論とともに高度化したとか、財政配分が抜本的に変わったとかいうことが無くて、気象庁の予算、地震や火山活動の監視設備・要員の大幅加などという事にはならないのが不思議です。むしろ「合理化」されている。
こうした気象の変化の背景にいわゆる地球温暖化の進行があるかどうか以前として議論のあるところではあるけれど(と言うか、どうも問題をうやむやにするための、ためにする議論があるようですが)日本が亜熱帯化して、植生も変化し様々な栽培作物の栽培地が北に高地にと移っていることを考えれば、「異常気象」の影響は甚大です。地球温暖化防止にアメリカが消極的というか破壊的だという姿勢に日本が「忖度」している場合じゃないと思います。
アメリカだって相当猛烈激しいハリケーンや熱波による乾燥に苦しんでいるんですから。
というようなことはまた別に議論することにして
この人は手首、足首から先が長いので身体表現としてとても豊かな情感を醸すことができます。

緑の扉をもう少し右に配置すべきでしたね。
ちょっと窮屈かな。

「へぇ~、こんな建物があるんですねぇ。 素敵だなあ。ここで踊ってみたいなあ。」
床もバレエを踊るにはちょうどいい感触なんだそうです。
たまたま今日は何のイベントもなく、しかも開放中。ラッキーですね。たまたまお客さんもごく少ないし「ちょっと踊ってみましょう。」
会場スタッフの方に声をかけて・・・・。

この暗さと、5Dの最大感度1600ではとてもシャター速度は稼げません。踊る姿を撮るにはとてもとても足りません。
絞りを開ければ被写界深度が浅くなってとてもピントが合わせられませんし、高い天井のシャンデリアに重ねるのは難しくなります。あまりボケボケのシャンデリアでは・・・・・。

でもまたとないチャンスですから、ちょっとだけ・・・ほんのちょっと。
「僕が有名な写真家になる日も近いからその時は本格的に場所を借りて・・・。」なんて冗談を言いながら・・・・。

「え~っ ホントですか~????」
- 2017/08/26(土) 00:00:36|
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五山の送り火が過ぎ、今京都ファインダー倶楽部の写真展<文人光画展>が進行中。
これが終わると怒涛の一週間を迎える。
つまりは写真展を含めて怒涛の二週間ということになる。うれしいことです。
この人の写真を展示に加えました。最後の最後まで2枚に絞ることが難しかったです。

写真展ではこれまでの写真活動を示しながら同時に今後を予感させるものにしたいという思いもあって・・・・・大きな二つの選択肢のうちの片方は別のチャンスに送ったのですが、この決断に大いに時間がかかり・・・・写真選択に迷いに迷いました。
素人の「余技」にしか過ぎないのではありますが、こういうことが「面白い」と言えば面白い、苦しいと言えば苦しいわけで・・・・・。

倶楽部に加わって写真展などしなければ回避できる苦労なんですが。
しかし、それでは人生面白くないわけで・・・・。
来年はビッグイベントに首を突っ込むので「個展は無理だな」なんて思っていましたが、やはりそれをしないと・・・・・とも思うのです。
資金もないのに。

せっかくこの人をはじめとして幾人かの人が力を貸してくれるのですからもっと先に進まないと…と思うわけです。
それに今回は断念した方向でもいい写真を蓄積していって2019年に清水寺でやる事になっている写真展も…上手い下手は別にしても・・・・大方の予想を裏切るものにしていきたいわけで・・・・。

英語を話す力があまりにも貧弱で、十分に説明できないので、
「I am a photographer of portraits.」 「I am a portrait photographer.」と言ってしまいます。
これでは看板に偽りがありますが、この言葉にたいして「そう言っては嘘になってしまうからあまりに恥ずかしい」というレベルから「ちょっとオーバーな表現で気恥ずかしい」くらいになりたいですから、頑張りたいものです。

そういう意味ではこの人をはじめとして私のつたない試みを後押ししてくれる人がいるのは実に心強いのです。
やってみたいと妄想しても、一緒に取り組んでくれるフォトマヌカンがいなければ失敗することさえできないのですから。
そしてやってみて、いつもこの人たちのお蔭で「案外いいじゃない?!」という写真を得ることができるのです。そこで、例の「豚もおだてりゃ木に登る。」現象が・・・・。
人生これが大事なんですね。 「おだてる」というのを「自画自賛」と置き換えてもいいんです。
それに人を撮ろうとすると、こうして「素敵な人たち」の魅力に触れて大いに触発されるので、それが何と言ってもワクワクするのです。
- 2017/08/25(金) 00:00:47|
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一つ教えてあげるとカメラは正直ですからすぐにその効果が見られます。
自分でコントロールできることが増えることはとても楽しいことです。
ただの一つでもはっきりした基準が分かれば・・・ああ、そうじゃなかった、こうすればいいのかなと意識して「困ることができ」ます。
そこがやみくも困っているのとは決定的に違う事です。
まずは「絞り」です。 「f値」は数字が小さくなると「明るくなる」という入門者を困惑させる難物です。
「分母が大きくなれば、その比で表す値は小さくなるでしょ?!」

なんてことは立ち話では難しいので、この場では「光を通す窓の大きさ(広さ)を示す値、小さいと明るく、数字が大きいほど暗くなるよ。」という程度でゴメンナサイ。
ほとんど全体が分かっていないときに部分だけをことさら正確・厳密に理解することは困難で、かえって理解を妨げます。
認識は螺旋を描いて深化するものです。
当初は、正しくはないけど、まあそんなことかなということが分かればいいのでありますよ。
交替で「被写体」になりながらの実習です。

とても熱心な「生徒さん」で、どんどん吸収します。
それにしても人を撮りたいというのがうれしいですよね。 多分世の中の写真を撮る人の相当数は人を撮っているのです。
でもそれを案外難しく感じているんですね。
そして一歩本格的に写真を撮ろうかなと思い立つと・・・殊におじさんたちは・・・・人から離れます。どうしてなんでしょうねぇ?

カメラ女子たちは人を撮りたがっているのにカメラおじさんたちは人を撮ることがとても少ない。
不思議ですね。 私は案外男女の意識のありようの違いの根本が絡んでいると思います。ただしセックスではなくてジェンダーの、ですが。

おじさんたちはカメラを巧みに使ってみせたいけど、女子たちは〇〇をきれいに撮りたいのですね、きっと。

今日の私のレンズはたまたま135ミリですから、ずいぶん下がって撮らねばなりません。
ちょっと説明するとずずずいっと遠ざかってしまいます。
せいぜい85ミリだったらよかったのに。
それにしても最近のキットレンズには絞り値が刻まれていないんですね。
ピントの合う距離表示もありません。 まして被写界深度の表示など・・・・・。

説明しにくいったらありゃしない。
操作が「直感的」でなくていちいち画面を呼び起こしてごちゃごちゃやらなくてはなりません。
私はもうすっかり時代遅れになっていました。

「人を撮るときにはおへその高さですよ。」
「こんなに低くちゃいけませんか?」
「いえ、大いに結構!」
若い人は体が動く、女子は絵を求めてカメラの位置を変えます・・・・いいですねぇ。
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- 2017/08/24(木) 00:00:52|
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今日は京都ファインダー倶楽部の写真展、第22回文人光画展の初日です。
私は朝から当番ですが、私は当番でない日もできるだけ在廊しておりますので(火曜から金曜日=10:00-18:00、最終日の27日日曜日は17:00まで。なお24日木曜日は15:00に退出する予定です。)
お近くの皆さま、ご都合がよろしければどうぞ京都府立文化博物館(烏丸御池)までおでかけください。 (24日は14:00過ぎには退出する予定です。)
・・・・・・・・・・
少し前に鴨川で二人のカメラ女子に遭遇して写真をこのブログ上にアップしました。
そして今日もまた・・・・・。

遠目にお二人の白いおそろいの服が目に飛び込んできました。
あれは何かしているな・・・と、ぴぴっときました。
お二人でシャボン玉を吹いて興じていましたが・・・・。
風が強く吹いてどうもうまくシャボン玉を飛ばせません。
シャボン玉を吹いて写真に写しこもうという算段のようですが、・・・・・もう既に2本の容器はシャボン液が無くなっているようです。

「撮影ですか?面白そうなことをしていますね。」
「ええ、でもカメラを始めてまだ数か月で撮り方もよくわからないんです。 人はどうすればうまく撮れるんですか?」
「おお!! 飛んで火にいる夏のカメラ女子。」

そうだねぇ・・・、いろいろあるけれど・・・どうすればいいかなあ。
「まあ、一旦僕の撮った写真を見てくれるかな。」
という訳で一日の長をことさらに強調して・・・・「ひとまず直射日光を避けて陰に入らないと人の肌はきれいに撮れないよ。」
と荷物をまとめて建物の影の中に移動しました。 直射日光の暑さ(熱さ)を避けたんですね。

そこで・・・・・・「ボケ」ってどうするんですか、うまくボケないんですけど・・・。
ボケの話の前にそもそも私の写真のピントが合っていませんね。これで「写真を撮るにはね。」なんて話をするんですからいい加減なものです。
でも、適当なアドバイスを受ける機会がないためにごく基本的なことから困っているようです。

初心者や中級者に教えてあげるのは無理だとしても、入門くらいは・・・・・と。

ああ綺麗にボケてる!
でも「蒼樹の写真と比べると全然違う。」
「それはね。・・・・・。」
それにしてもお二人のうち片方は大阪に、もうお一人が兵庫にお住まいだそうで・・・・はるばる京都に撮影旅行とは・・・。
先日のお二人もそうでした。
カメラ女子の意欲恐るべし!!!
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- 2017/08/23(水) 00:00:20|
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八月も下旬です。
「一月はいく、二月は逃げる、三月は去る・・・・。」なんて言って嘆いていたのがつい昨日のようです。
「六月は無視したままで、七月は尻ををからげて、八月は話もせずに・・・・行ってしまうのか。」
「年を取ると時間の経過が早く感じる」とよく言います。私の実感としてもそうなんですが、このことを「年を取るといろいろなことが分かってきて様々なことを楽しめるようになるので・・・。」時間の経過を早く感じるのだと、そう言う人がいました。
よく聞く『説』とは違うというか逆ですが、私はこれも一理あるかなと思います。
というか、そうでありたいという願望かな。

撮影の一日はこの人と私とではどう長短があるのでしょうか。
全物質世界には運動があるけれども、それを時間として認識・意識するのは人間しかない・・・と。
そして認識された時間は伸び縮みする?! そう言う話を聞いたことがあります。

それにしてもついこの前個展を終え、「そう遠くないときにグループ展があるなあ。」なんて暢気に構えていたのに、なんてことでしょう。今日は搬入日でした。いろいろ考えては壊し、考え直しては迷路にさまよいして今日のたどり着いた割には「大山鳴動して、振出しに戻る」でした。
そうこうしているうちに清水寺の仁王門の上でカメラを構えて、「ああこの日が来ちゃった。」とか考えながピントを合わせているんでしょうね。
やだなあ。

それでも前職と違ってこうして他でもない自分の撮った写真として、しかも「素敵な人たちと」出会って話して撮らせてもらって・・・という自分の痕跡が残るのはせめてもですね。
横浜に住む私の畏友は毎日水彩画を描き続けていますから、これまでに描いた数千の絵がどんなにか高く積まれていることでしょう。
その畏友の絵を見せてもらって・・・・とても僭越な言い方をすると・・・・もともと相当な腕前であったのですが・・・・さらにさらにうまくなっているのを見て・・・・彼を追いかけていればやがて自分の写真も多少はうまくなれるのではないかと・・・希望を捨てずに。

体にライン(これっていわゆる凹凸の事じゃないですよ)のある人はいいなあ。

祇園祭の後祭りの巡行を見終わってこんなことをしているというのも面白いなあ。
母さん、あの群衆は一体どこに行ってしまったのでしょうね。

人はそれぞれ違う世界を生きているのでしょうか。

この写真は一か月前の予約投稿ですが、写真の搬入がちょうどこの建物の反対側なのも面白い機縁ですね。
- 2017/08/22(火) 00:00:36|
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23日からは京都文化博物館(烏丸御池)で京都ファインダー倶楽部の写真展があります。
明日は搬入日です。
何しろ「文人光画展」を名乗っていますから、ユニークな写真展であることは間違いありません。
その中で私の写真は最もオーソドックスな部類に属すると思います。
ただ倶楽部の中で言えば人物写真という点では希少属ですが。

「文人」などという言葉はもうすでに死語に近いのじゃないかと思います。文人という存在に対する敬意などというものが今日の日本にあるんでしょうかね。
そう言う世情の中で22回目の写真展を迎えるというのですから、果敢な挑戦というべきか、ドンキホーテ的愚行というべきか。けれどそこに共感して私は入会をさせていただいたわけではあるんですが。

「学問を修め文章をよくする人」「 詩文・書画など、風雅の道に心をよせている人」の事を文人というらしいのですが、他の人は別にしてこれは私には当てはまりません。
「プロの芸術家になるためではなく、あくまで自らの教養、趣味として琴詩書画をたのしんだ。」人のことを文人と言い、またその作品を文人画と言ったのだそうですが、作品の巧拙やその教養風雅の気質の貧富を問わなくてただ「プロの芸術家になるためではなく、あくまで自らの教養、趣味として」写真を撮っているというところにだけに私の立ち位置を見つけて入会させていただいているという訳です。

毎年立派なフライヤーが作られ、なんとそこにはその人の肩書まで麗々しく記載されているわけで、その方がそれぞれの分野でご活躍の様子が分かるわけです。そしてその余技として皆さん写真を楽しんでおられるわけです。
そう言う意味合いにおいては、会の中ではそんな写真はダメだとか邪道だとかいう声は全くなくて、「面白いなあ。」「楽しんでおられるなあ。」「さすがだなあ。」と感心しあっているわけなんです。
解像度がとか、大三元が・・・などという事は皆さんあまり関心がないわけで・・・実に結構な会だと私は思っているのです。
「なるほどそこに雅を見ましたか。」てなもんです。

ただまあ、そんな世界にも潜む「俗」を見るのもまたこれ人間模様でして、よい勉強になるわけです。

そして私はと言えばまたある意味別の「俗」をこそ持ち込もうという密かな算段をしていまして、・・・・・天邪鬼なんですな。
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- 2017/08/21(月) 00:00:30|
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あるプロ写真家の動画サイトに寄せられたコメントの中に「○○〇〔プロ写真家の名前〕さん、アマチュアは一般的にポートレートは撮らないものですよ。」とありました。
(その動画がポートレート撮影を主眼として様々な蘊蓄を懇切に述べているものだったのですが、それを見て、一般人には役に立ちませんよと言いたかったのでしょうが、そういう訳知り顔の突込みは余計なお世話だと私は思いますね。素直に学べることを学ばせてもらえばいいのであって、人のすることに冷水をかけて喜ぶ、人が評価されることを喜ばない、いま時の風潮は実に苦々しいなあ。)
私自身にとって大いに参考になる点もあれば、それはどうなんだろう、一般化できるのかなあという論点もあるのですが・・・。
上記のコメントを見て今更ながら「アマチュアは人物写真を撮らない」のが現実なんだなあと思いました。
〔 上記の文章には問題があって、「ポートレート」は必ずしも「人物写真」と同じではないし、コメントを寄せた方の「撮らない」は意志的に撮らないという意味ではなくて、事実の問題として「撮っていない」という事でしょうし、幾分かは「撮れないものです」というニュアンスを含んでいるのかもしれません。
私の経験上も、まあそういうことが言えるとは思います。
アマチュアの写真家はポートレートを撮らない、撮れないということについてどう考えたらいいのでしょうねぇ。
撮らなくちゃいけないということはないのですけどね。]
という事はさておいて・・・・。
「さあ、今日もよろしくね。」
「実は僕はもうすでにお腹が空いていて・・・・・・。」
前の写真の背景もレストランだし・・・・・。

「ゲイジツ欲は食欲に負けないぞ~!!」
ここはギャラリーの前なんですが、中では鉄道の写真を展示していました。
私は「異分野(?)」の写真もできるだけ避けないで見るようにしているんですが、鉄道写真にも「おっ!いいね。」と思わせてくれるものもありますが、私の好みからするとあまり興が乗りません。
他の人からすれば人物写真についてもそうなのかなぁ。

人物写真が少ないという事は、そういう趣味のばらつきの問題として了解して終ることのできない問題があるように思うのですがね。
欧米の写真家の作品には、そして日本でもあれこれのプロの写真家の作品にはふんだんに人物が写されているので、ちょっとこだわって考察してもいい問題じゃないかと思うのですがね。

「またそんなことを言っているんですかぁ。 退屈しちゃうなあ。」
「まあまあ、そう言わないで、写真を撮っているときくらい写真家もどきになってものを考えたいんだからちょっと大目に見てよ。それが楽しみなんだからさ。
ところで 『人間 いたるところ 舞台在り』だね。」
「えっ?! どういうことですか。」

「まあ、つまりさ・・・・・君が立てばすなわちその場が舞台になるという事さ・・・。」

「君は、言ってみれば触媒みたようなものという事だね。 ・・・・う~ん、触媒は化学変化を起こさないけど、君は環境によって演者になるねえ。
そうなるとこの例はふさわしくないね。
とにかく多くのクラシックなセンスやスキルを身に着けてきた君はその場に立つだけで環境を励起させるという事を言いたいんだね。」
「なんだか難しいですね。それっていいことなんですか?」
「勿論だよ。」
- 2017/08/20(日) 00:00:48|
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お店に並んだコースターなどにそれぞれ工夫とアイディアがあります。
コースターは通常コップの底面より二回、三回りほど広いと思いますが、ほんのわずかしかはみ出さないモノが作られていました。
まず一目「あれっ!」と思わせることで、そもそも成功しています。

ご夫婦のお二人とも画素の工夫に参画していて、お客さんの反応をお二人で共有しているという空気がとても良かったです。
おいでになったお客さんがいろいろ細かな注文をしています。
それに応えることでどれだけ喜んでもらえるだろうかとイメージを膨らませています。
こうしてメモしながら、段取りを考えたり、新しい工夫をイメージされているんでしょうね。

お客さんもやり取りを通じてどんどん楽しくワクワクしているようです。
撮影しながらの会話でもこういうことがありますね。

- 2017/08/19(土) 00:00:33|
- 手作り市
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木工です。
う~ん、商品を写して紹介するんだったなあ。
やはり百聞は一見に叶わないですからねぇ。 そして写真はそういう時に役に立つ。

お店の看板に木製の「箱」の字があるんですが、その「目」の部分がちゃんと引きて付きの「引き出し」になっているんです。
で、じっと見ていると「引き出しは引き出せるんですよ。」と声をかけてくれて・・・・、一番上の引き出しを引き出してみました。

その引き出しは箱状になっていなかったので、もう一息だなあと思いながら「引き出してみたら赤いビーズかなんか入っているとよかったね。」なんていうと・・・・、「ぜひもう一度・・・。」というので・・・・・、
今度は中段を引いてみると・・・・・・、「あたり」と印字されていました。
「どうぞ」の声とともに景品をいただけました。端材を利用したストラップでした。
こういう仕掛け、好きだなあ!!
客が驚いたり喜んで笑顔になったりするのを想像して楽しめる仕事人はいいです。
ご夫婦ともにそういうユーモアやウイットを楽しめる方の様で、その成果の話は尽きません。

そしてお客さんからの注文、アイディアをどんどん吸収して商品化します。
それがまさに「手作り」の良いところですね。
お客さんの楽しみと作り手の楽しみが相乗していく。そこが手作り工房の小回りの良さですね。
今のお客さんンお細かな注文、期待に耳を傾けています。

私もこういう作り手お会いし、面白みが込められた製品を見るとついいろいろアイディアが出て来て口にしてしまいます。
それを真に受けて商品に加味してくれたお店もいくつかあります。
- 2017/08/18(金) 00:00:19|
- 手作り市
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店の前を通る人たちが「彼はあなたのハズバンドですか?」と尋ねます。
何だか映画を見ているようにお似合いに見えるからでしょう。
「いえ、彼はボスです。」とのこと。
何だかカッコイイ。

レンズの絞りを解放にすればファインダーはいくらか明るくなってピントをもう少しきちんとできるのでしょうが、逆に被写界深度を深めて、ざっとピントの中に入れようなんて思って絞るものですからファインダーが暗くなって見えないのです。その中途半端さが仇になりました。

下手な考え休むに似たりですね。 オートフォーカスに甘えているとこういう体たらくになります。
だからEVFを使えばいいじゃないかと言われそうですが。

これは手前の女性にピントを持っていこうとしています。

欧羅巴の街にある「広場」が日本の街にもほしいとつくづく思いますね。
京都は「文化庁」を引っ張ってきたりしていますが、「伝統」と名の付くものばかり大切にされて、今、現在の市民の日常生活に絵や芝居や音楽を楽しむ文化を厚くしていくことには随分無頓着に感じます。
それは芝居の小屋がほとんどないことや学校のカリキュラムを見れば一目瞭然です。

私自身、音楽の祭日について長い間知りませんでした。
来年の清水寺で100本のトランペットがこうしたムーブメントに前向きの力になればいいなあと思います。
そして日仏友好、世界平和と友愛を深めるために。
何故、女性にだけはピントが来るんだろう。
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- 2017/08/17(木) 00:00:54|
- 手作り市
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「カヌレはフランスの洋菓子。正式名はカヌレ・ド・ボルドー。 フランスのボルドー女子修道院で古くから作られていた菓子。蜜蝋を入れることと、カヌレ型と呼ばれる小さな型で焼くことが特徴である。そもそもカヌレとは、「溝のついた」という意味である。 ウィキペディア」だそうです。
手作り市で少し前から見かけていました。
美味しそうなお菓子にびっくりするほどのフランス美人のお店です。
そこに私としては初めて男性の姿を見つけました。
それで話しかける勇気が出ました。

神戸にお店を出しているのだそうです。
私はリュックの中には、2018年の6月に行われる「音楽の祭日」・清水寺で友愛の100本のトランペット演奏のためのトランぺッター募集のためのフライヤーを入れています。
先日も鴨川でホルンの練習をしていた方に「交響楽団の方ですか。それでしたらトランぺッターをご存知ですよね。・・・・・」と話しかけて「私の属している楽団は東京なんですが・・・・・いいですよ、一部もらっていきます。」なんてことがありました。
トロンボーンやユーホニュームを持った数人の集団に声をかけたらトランぺッターの引き抜きか何かと間違えられたらしくひどく無作法な対応をされて「楽器ができるからと大きな顔をしなさんな。」という言葉を飲み込んで帰ったこともありました。

それで「来年はパリと京都の姉妹都市提携60周年などで『音楽の祭日』を一層盛大にやろうという事で・・・・。」とお話しすると
音楽の祭日のことをとてもよくご存じで「小さいころから親しんでいましたよ。私も自分のマンションの階下で仲間と演奏をして人に聞いてもらったりしていました。」という事で、「音楽の祭日」はすっかり市民の文化として根付き広がっているのだそうです。

しかも彼は京都のフランス総領事館を会場にして行われてきた「音楽の祭日」の催しにフランス菓子のお店を開いて協力しているのだそうです。
私などの話を聞くまでもないのでした。

「私のお店にはフランスに関心を持つ人が多く集まりますからフライヤーを40部くらい持っていきましょう。」と言ってくれましたが、残念ながら私のリュックには20部ほどしかありませんでした。
「日本の人も音楽が好きですからもっと広がるでしょう。」と・・・。

写真がひどいでしょ?
この日私はキヤノン5Dにゾナーの180ミリをつけていたのです。
このレンズの練習をしようと付けてきたのですが、成れてレンズで来ればよかったと後悔しました。
F2.8で明るいのですが、この店の立地が・・・・・暑い雲で曇っているうえに樫の木の下でさらに暗く・・・・それでいて向こうは木立が途切れて明るくて・・・・一杯言い訳をしたくなるような条件で。
なのに?美人さんにはピッタリフォーカスだと稲田か山本か蒼樹かと・・・言葉にまるっきり信頼感が無くなってしまいそうです。
彼に合わすべきピントが外れて結果的に・・・・・、なんですが・・・。

まあ、日ごろの行いが行いですから信じてはもらえないでしょうが。
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- 2017/08/16(水) 00:00:06|
- 手作り市
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ポツリポツリと降っていた雨もようやく上がり「西の空に少し晴れ間が見えますねぇ。」
なんて言いながら・・・・・。
自撮りをするところを撮ってもらって、それをまた誰かが撮って・・・・・・・うん? これっていつか聞いたセリフだなあなんて・・・。
私は一方で平均年齢が還暦を大きく上回ったお仲間たちとの会に度々出入りして、その人たちの会話に参加させていただいているのですが、他方で20代の若い人たちともこうしてお付き合い願えるのは脳の活性化には大変ありがたいことで・・・・。
それに、世代によって、「今」の姿がいくらかずつ違いますから、いい勉強にもなるわけです。

小雨がぱらついていて、私はその雨に濡れているんですが、西の空からは日が射し始めて・・・・もう長くは降らないでしょう。
私は時々ネット上でも、いろいろな方たちのいわゆるポートレート写真を見せていただいていますが、この人たちのような表情をする人を撮ることができていることを幸せに思います。
こういう何の変哲もないポーズの写真を撮っても、とても気持ちがいいのは、フォトマヌカンのお二人のお蔭です。




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- 2017/08/15(火) 00:00:46|
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累計で1200人の方を撮るという事は予想を大きく外れて半年も遅れて達成しそうです。
今月下旬の「文人光画展(京都ファインダー倶楽部の写真展の事です)」までにはなんとか達成するかも…。
目標にしているわけではありませんから達成しなくてもいいわけなんですが、これからは1年で100人くらいのペースになるんでしょうか。
私の中で撮りたい衝動について何かが変わってきていますね。
環境も変わっていますし。

つい先日甲斐房芳さんのことが報道番組で取り上げられていました。
かれは八文字屋というスナック?をされていますが、そこには美人たちがたくさん訪ねていきます。何故か?大人の魅力的な美人が多いのです。そしてその多くが甲斐さんのカメラを歓迎するのです。
カウンターに入って助っ人をする女性も大概とても魅力的な人です。

写真では三周遅れの私です。もし日野原さんぐらい生きられて、日野原さんくらい前向きに人生を生きたらばいくらか追いつけるかもしれませんが。

100歳になっても二十歳くらいのお嬢さんたちの生き生きとした写真を撮り続けられるというのも案外いいんじゃないでしょうか。
もっとも私はちょっと道を反れそうですが。いえ、もうちょっと硬派?な路線に転換・・・・ということですが。
足腰が立たなくて無理かなあ。

今のところ私はまだまだ写真人生青春期ですから・・・・。
よく言うのですが「高校生の時の自分が撮りたかった写真を撮っている。」というのが正直なところなんです。
青春期を取り戻しているという感じですかね。

そう言ったらかといって事実としての高校生期を後悔しているわけではないのです。
あれはあれで大いに意味があり、歴史の成長点・形成層のすぐ近くにいたという実感があるんです。
でもカメラはいつもフィルムが買えない財布を恨めしく見ていたわけでして・・・・。
両親はこれ以上ないほどの無理をして息子を甘やかしてくれていた(これは本当に感謝してるんです)んですが。
それで今こうして写真を楽しむ感性が私の中にいくらかは育っていたわけで、親の恩は深いわけです。
直接にはできなかった親孝行を、今写真を楽しむことで償っている面もないとは言えないわけで・・・・・。
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- 2017/08/14(月) 00:00:34|
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アジサイの時に撮りたいねなんて言う事も言っていたのです。
それでこの日雨が降ったら「延期です」じゃなくて、撮りましょうにしました。
それに多分夕立くらいの雨でしょうし。

実際には一時かなり降ったのですが、たまたま食事中で雨宿りができたのです。
それで少し待ったら雨がやんで・・・・・・、ここに来たらまたしとしと柔らかい雨が。

そうなれば、また落ち着いた写真が撮れます。
雨がポツリポツリと落ちてきたときに「前進!」を決断してお堂の屋根の下に。
そうすれば雨を避けながら写真も撮れるという訳です。
ただし雨脚がひどくなれば戻れませんが。
紅葉の名所は緑の名所でもあります。
でも人出はずっと少ない。
周囲を見回してもお一人、二人の人影だけです。
「ほとんど貸し切りですねぇ。」

喧嘩を始めたわけではないんです。
この二人の会話を聞いているとまるで姉妹のようなんです。
さてどちらが姉役で、どちらが妹分でしょう。
数年後には私などでは撮ることもできないステージに立っているかもしれないお二人ですから、今のうちに撮っておかないと・・・・・。
いえいえ、それまでに私の方こそ名の通った写真家になりましょう。

2年後には清水寺で写真の個展をするのですから、それまでにはもう少しいい写真を撮れるようになっていないと国際的に恥ずかしい思いをするかもしれません。
お二人にももっともっと力を借りましょう。
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- 2017/08/13(日) 00:00:46|
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「働く人々」というカテゴリーで撮る写真が少なすぎますね。
働く女性を意識していたはずなのに・・・・・。 もっとこのカテゴリーで撮る機会を増やしたいものです。

お店手で働く人を撮ろうとして声をかけると、ご当人は快く受けてくれてもその場のマネージャーなどが出てきて「本部に申し入れて許可をとってください。」などという対応を受けることがしばしばあります。
断られるのはいいのですが、こうこうこういう理由でお断りしていますという位の判断を現場責任者として示してほしいなあと思うのですね。
その点このお店は数年前の時にも今回も実にフランクで、各人も態度がはっきりしているし責任者の方も開放的で鷹揚です。

それで家族で食事にいく事にもなったわけですが、いちいちを直接営業成績に結び付けなくとも、まわりまわってそういう事にはなるんだと思うのですね。

私のブログでは企業名や商品名をほとんど書きません。宣伝を交換条件にして撮りたくはないからです。
そうしてもしそういう『ギブ&テイク」の気持ちをお互いに持つと、カメラに収まっていただいてもあまり気持ちの良い画面にならないと、私が思い込んでいるからです。
私の下衆な気持ちも写真に写りこみますからね。
さて京都もまた海外からのお客さんが多いですからいろいろなお店で外国人スタッフが活躍しています。
この人はフランス人だそうで、ついこの6月に帰国した人もいたんだそうです。
「ニッポンゴハ アマリワカリマセン。」だそうです。

このところ続けてフランスのきれいな方にお目にかかりますねぇ。

私は現役を離れるまで海外にはいったことがなかったのですが、その後短期間ではあれ海外で働いたり、旅行に行って本当によかったと思っています。
そうした経験がこうして日本で学んだり働いたりする人たちを見る目をとても大きく変えてくれたからです。

何より関心をもち、話しかける心理的なハードルを幾分なりとも低くできたからです。
へたくそな通じない英語でも話しかけようという気持ちになれるからです。
”May I take your picture(photo)?”
”Can I take your picture(photo)?”
だけしか言わないんですが。
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- 2017/08/12(土) 00:00:08|
- 働く人々
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私がまだ一回目の個展をする以前でした。
このレストランのスタッフ数人に写真を撮らせてもらったことがあります。
というのも若いスタッフたちの気配りや動きの軽快さ、そして互いのアイコンタクトなど気持ちの良い働き方を見てぜひ撮りたいと思ったからでした。

けれど、ここしばらくは若い知人がスタッフとして入っていたりしてかえって少し敷居が高くなっていたのでしたが・・・・。

ここは元島津製作所の別館でした。
それを改装してレストラン、結婚式場にしているのですが、いい建物だけに成功させてほしいなあと注目していたのです。
別のやはりレトロなデザインの建物を改装してレストランにした例では思いのほか生かせていないなあという感想を持っていたりしていましたから、気になっていたのです。

エントランスに配置されたスタッフたちがちょっとお店を覗きこむ人たちにとても親しげに明るい口調で声をかけるのがこのレストランのいいところです。最近のサービス業のトレンドかな。
建物がちょっといかめしいですから、その高級そうな振る舞いに尻込みする人たちを、その垣根を内側から壊して招き入れる空気はなかなかのものです。

今日も今日とて覗き込む私に奥から声をかけながら歩み寄ってくれたのがこの人でした。
なんと以前・・・・もう4年程も前になるのに・・・・私がここで数人のスタッフの写真を撮らせてもらったことを覚えてくれていました。

かなり図々しかったので記憶に残ったのかもしれません。
ぜひ今のお店の様子を見て行ってくださいと招き入れてくれました。
やはり高級感のあるいい雰囲気のお店です。 それでいて決して驚くような高価格ではないのです。
フロアの責任者の男性スタッフも私たちの話を好意的に聞いていてくれて、私が写真を撮るのを許してくれていました。
私はもう一度このレストランのスタッフの働きぶりを見せてもらって、できるだけたくさん撮らせてもらいたいなあと思っているのです。
働く女性、働く男性・・・・その姿はとても魅力的ですからね。

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- 2017/08/11(金) 00:00:31|
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京都の夏は暑い!のです。
猛暑になって全国のどこで最高気温だったのかなどと報道されます。北関東の栃木や群馬も暑いし、岐阜や兵庫の豊岡なども暑くなります。
そういう時に、入らなくてもいいのに「ベスト5」などに顔を出したがるのが京都です。
ですから大きな町家などはその暑い夏に涼しく過ごせるような工夫がいろいろされています。

私が少し前まで住んでいたところでは、住み始めたころには町中より2,3度は気温が低くて、夜などは窓を少し開けていればクーラーはいりませんでした。が、町中から移り住んだ人たちが何の考えもなしに?クーラーを稼働させるものですからを気温上昇とうるさい音で、すごしにくいところになってしまいました。
熱中症対策で「クーラーを積極的に使いましょう。」と言いますが、・・・それは高齢者や病気がちの人はその通りだと思いますが・・・・街中を皆で温めて「暑い暑い」などというのは愚の骨頂だとわたしは思います。

クーラーを使わないで涼しく過ごせる住宅開発を急ぐべきだし、家々で室外機を具えるなどというのではなくてもっと公共的に合理的にすべきだと思うのです。街に緑を増やしコンクリート護岸でない川を流す。高層ビルを連ねて風の流れを遮るようなことをしない都市計画。物流に気を使っても人間らしい生活空間づくりには関心がない、そういう今の政府はこんなことを進める気はないでしょう。
個々にクーラーや室外機を購入させることが「経済」だと思っているから。
世界で一番企業活動をしやすい国にするなんて時代遅れも甚だしいこと言う人が政権を担っているうちは「京都」はさらに暑くなるし、日本全国の亜熱帯化が進むことは間違いないのでしょうね。

浴衣は「湯帷子」でした。
広辞苑によれば「おもに白地に藍色でがらを染めた、夏季に着る木綿の単衣」のことだそうです。
そうですよね。やはり白に藍ですよね。
舞妓・芸子さんたちはこの時期まさにそうした浴衣を着ますが、それがとてもいいんですよね。
着こなしが違いますしね。

でも現代的なバリエーションは大いに増えて、それはそれで楽しめます。
このお二人は自分で着られますし、見ていて安心感があります。
街で見る浴衣姿の多くはお国の違いに関係なく、・・・・日本の人を含めて・・・・・、何か落ち着きません。
それにしても海外の人が日本に来て浴衣を着てみたいと思われるのですね。それが私には何となく不思議です。
私は肯定的に受け止めてはいるんですが。

- 2017/08/10(木) 00:00:00|
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ここがどういうところかお分かりの方はかなりの京都通ですね。
もう少し先に進めば、ああここは〇〇だとお気づきの方も多くなると思いますが。

若いお二人ですから町のざわめきのある「ろうじ」で撮ることも考えたのですが、今日が宵山の日ですからそれは避けました。
そうでなければそぞろ歩く態で撮りたかったのですが。


- 2017/08/09(水) 00:00:09|
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写真を撮らせていただきたいとお願いしたお二人が後日私に送ってくれたメールです。
この人たちの感性にちょっと感動します。
謙虚で意欲的。そして写真のフォトマヌカンをすることについて受け止める意識のありよう。
こういう若者がいることはそれ自体私にはちょっと心を揺さぶられます。
「(ブログや個展の写真を見て)・・・・・蒼樹さんの作品作りに参加させて下さい。あの、素敵な蒼樹さんの写真の世界の中に自分がいるんだと思うと既にとてもわくわくしています。期待に応えられるかは分かりませんが、よろしくお願いします!」
「(ブログを見て)沢山の方々の写真や話を拝見し、すごく印象的で感動しました。私もこの中の一員になりたいと思ったのですが、よろしいでしょうか。」
こんな風采の上がらない高齢者に「写真に撮りたい。『モデル』をしてくれませんか。」と声をかけられたら不審に思い後ずさりしたくなる人もおられるだろうのに。
今日のお二人も忙しいスケジュールの調整をして力を貸してくれています。
勿論、お二人の側からしても「撮ってほしい」という気持(理由)があるからですが。
今日は前から楽しみにしていた浴衣姿です。
お二人の希望でもあります。
ちょうど祇園祭の宵山の日で、梅雨明け前の「大気の安定しない」日でした。
ですから途中でかなり激しい雨と雷がありました。

長期の天気予報では二転三転して心配させましたが、とにかくスタートを切れました。
浴衣のレンタルショップは大変な賑わいで、韓国・中国の若い女性たちもたくさんいましたし、カップルで浴衣姿の人たちも何組も。
四十がらみの男女も浴衣姿で街に出て行きました。

街中に出て行けば宵山の賑わいでとても写真撮影どころではないし、人の熱気でなおさら熱くなりますから、今日は街の周辺で撮影です。
予想通りこちらの人出は少ないようです。あまり周囲に御迷惑をかけないで撮れそうです。
お二人は仲がいいし、それぞれ人柄もいいのでとても撮りやすいのです。
まだ多少は「猫をかぶっている」面もあるでしょうからそれもいい塩梅なのかもしれませんね(笑い)

ワイワイ言いながらこんなポーズも撮ってみました。
どんな場面か、お分かりですよね。
そう、それです。
お二人はずいぶんお若いですからね。

お二人とも浴衣がよく似合っています。
- 2017/08/08(火) 00:00:32|
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『愛とテロリズム』なんて表題でこの展示(作品提出は5名の人ですが)が行われていました。
う~ん、ちょっと難しいなあ。それに会場の作品からそれぞれの作者がこのテーマをどう理解し、どう迫ったのかそれを読み取るのも少し難しかったですね。
ちょっと表題ががんばりすぎたかな。


私の印象としては…あくまで個人的印象ですが・・・造形大学は学生を外に押し出す姿勢が持てていると思います。
大学自体のアピールという要素も含んでのことと思いますが、学生のモチベーションを高めるうえでも、外の人々の目を意識させるうえでも適切な「制作」だと思っています。
この建物での展示意外にもにいろいろな場所を借りて学生が自身の活動・作品を公開しています。
無論他の大学もそうしていないわけではありませんが、造形大が目立つ感じがします。
大学の支援や先生のアドバイスはありがたいことでしょう。
むろんそのことを惰性的に受け止めただ甘えた受け止め方で展示している場合もないではないですが。

外に出れば私のような「おかしなおじさん」に絡まれることもあって、それは良い勉強になると思います。
私は大学がせっかくこうして世間に対して「学生を放りましたからうまく受けとってくださいね。」といっているのですから、ちゃんと受け止めてあげねばならないと思っているのです。
そう言う「阿吽の呼吸」というものが希薄化していることが現代の大きな弱点なのですから、そこにあえて大学が挑戦しているのに孤立させてはならないのです。

そうでないと大学も「大学の宣伝になる」という側面が、側面でなく全面になってしまう可能性があります。
この学生も自分のしていること、しようとしていることをいかに言語化するかということを意識していました。それは大切なことだと思います。

芸術作品を「言葉で説明したらお終いだ」みたいに言って神秘化する傾向が強いですが、それは事の一面であって言語化する努力をしないのは知の衰弱だと私は思っているのです。

と、こういう理屈っぽいおじさんに絡まれればそれはそれでいいお勉強でしょう。
ただ自分語りのために学生を相手に暇つぶしに来る人よりは幾分ましでしょうから。
いやお前こそがその自分語りのおじさんじゃないかですって・・・・いやまあそういう面もなきにしも・・・・・もごもご。
- 2017/08/07(月) 00:00:26|
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私の楽しみの一つはギャラリー巡り。
暑いとき寒い時はなかなか家から出られないのですが、それでもできるだけ、出かけるようにしています。
というのもそこで作者たちとする交流が楽しいからなんです。
学生たちは何やら変なおじさんたちの話し相手になって戸惑いを見せることもあるのですが、総じて楽しい時間を・・・・オジサン側としては・・・・もつことができます。

ギャラリー巡りを毎日のようにしているおじさんは私だけではありません。
訪問者同士がお互いに話すことはごくごくまれですが、ああ、あの人がまた来ているなあという人は何人もいます。
最近姿が見えなくて「倒れているのではないか」と案じられる人もいます。 その人は私の個展にも顔を出されず、その後も姿を見ないのです。暑い時期だから自重されているという事であればよいのですが。

ここは京都造形大が学外に持っているギャラリーで、現役学生から既に多くの実績を積み評価も高い作家の作品まで多彩に展示されている場所です。
学生たちはいろいろな実験的作品を見せてくれますので私は楽しみにしています。

大学のコースの中には自ら作品を制作するのではなくてギャラリーでの展示や運営、あるいは作家のアシストやコラボの計画などをするものもあります。
それでそういうコースの人たちの実習の場にもなるわけです。

ですから、私もそういう学生には、例えばキャプションの在り方、作り方などについても問題を投げかけて彼らの学習の成果をいただくことがあります。
作品についても積極的に気づいたことを言い、疑問をぶつけます。
学生たちはまじめに返答をしてくれます。
なかには、既に一家言を持つ者もいて相当上から目線で答えてくれる猛者もいますが。

彼は自分自身の工房を丸ごと持ち込んで、そこで様々な作品を並行して製作すること、それ自身を作品として提出しています。
何しろ桂歌丸師の落語を期間中壁に映写して、その落語を覚えることもその作品の一部だと言います。
私にはそういう「作品」観はよく分かりませんが、まあ刺激にはなります。

私がこの部屋に入った時にはチラシの様な紙をカサカサと丸めて部屋のさらに奥にある部屋にうずたかく投げ込んでいました。
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- 2017/08/06(日) 00:00:20|
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この人もキやノンの本体にプラナーをつけていましたね。
この日の私は前回と同じキヤノン5D+バリオ・ゾナー 28-85でした。
ちょっとこれに慣れてみようかなという気がしていて。 暗いレンズですが「夏」ですから?!
というのはちょっとこのレンズの特性からすれば強い光の時期・時間は勘弁してよという事なんですが、そこは何とかするから頑張ってみてよという気持ちなんです。

キヤノンのファインダーはすっきりしなくて見にくいんですが、それを押してピントを合わせてみます。
結果、ピンボケがたくさん出ますが、

ちょっとお隣の出店者とおしゃべりに・・・・。
今日は暑いので少し日陰で涼をとり休憩しないととてもやっていけませんから・・・・・。
以後の写真の説明は都合により省かせていただきます。

やっぱり色はフジかなあ。
キャノンで色を出す仕方が分かっていないのでしょうね。肌も赤すぎてちょっと好きではないのでそこが困りどころです。
それでもゾナーを試してみたい。

多分しばらくこの重い!組み合わせを試すと思います。
いや実に重い! この点ではα7シリーズなどのミラーレス・レンズ交換式一眼に流れる気持ちは大いに大いにわかるなあ!

それは分かるんですけど…。

- 2017/08/05(土) 00:00:16|
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フォトグラファーとカメラマン。
プロカメラマンとアマカメラマン。
彼もそういうことをいろいろ考えながら写真を撮っている人です。

すでに写真教室も開いていて京都ではかなり受講生の多い方なんだそうです。
受講生さんは比較的若い人たちで楽しい教室のようです。 そして若い人の要求にあった講座の運営をされているように感じました。・・・・と、それは後程ネットで調べた結果ですが。

基本的には独学だとおっしゃっていましたが、
ここには「名前を知ってもらえればいいかな」という思いで出店されたのだそうで・・・・。
ポストカードも販売されていますがそれが主たる狙いではなさそうです。

隣にいる女性をモデルに撮ってこられた写真を簡易版写真集にされて販売もしています。
それを近いうちに本格的な写真集にしたいと・・・・。

私も写真集を出したいなあ。

暫し写真談義です。
この日、京都ファインダー倶楽部の写真展前説明会があり、その帰りでしたし、ちょっと思うところが膨らんでいましたから、私としてもいい機会でした。
なかなか写真の事を話す相手がいませんしね。
若手の写真家たちに会いたいと思っていましたから私にはちょうど良い出会いでした。

今日のファインダー倶楽部の集まりが写真展に出品する作品のキャプション提出期限でしたが、予想通り決めかねていて、結局待ったいただきました。
案外先月終わりころにお会いしたある方とのお話で決まりそうな気がしますが・・・そうでもないかな。
その方向は・・・・・。
- 2017/08/04(金) 00:00:21|
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レンズを向けられると、練習に集中しているとはいえやりにくいでしょうね。
「つい緊張しますね。」

ライブの日程が近づいてきて同じサークルの幾つものバンドが入れ替わり立ち代わり練習場を使うので、今日は外で練習なのだそうです。
「前期試験ももうすぐなんでしょ?!」と余計な思い出したくない?質問を。
私たちが学生の時は夏休み明けに前期試験でしたが。
今のように休みに入る前にしたほうが学生も先生もハッピーじゃないでしょうか。

前回は正面から撮るのに消極的過ぎましたので、ちょっと距離を置いたところから・・・・・。
今日のレンズは、ずいぶん久しぶりのバリオ・ゾナー 28-85です。 これは重いし暗い(3.3-4.0)ですが、写りは悪くないと思います。
これで2.8通しをと願えばどれだけ大きなレンズになるのでしょうか。
ミノルタの方は2.8通しで、それが実に重宝なんですが、このゾナーの写りもまた捨てがたいんですよね。

今度ある人を広角で撮りたいと思っているので、単焦点24ミリ 1.4(がだめなら1.8)くらいが欲しんですが、2.8しかないのかな。
来年に向けても広角が必要なんです。 手に入りそうなのは20ミリです。
背景がモノトーンなので、カラーでも悪くはないでしょうか。

この表情の移り変わりがいいですね。

これまでこの辺りで彼と同じ大学の学生に何人も会って話してきましたが、好感を持ちにくいというような人に出会ったことがありません。
それは音楽をしているということがその要因なんでしょうか。
- 2017/08/03(木) 00:00:46|
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今日も対岸でこの音を聞きつけて遠回りをしてきました。
しばらく藪の向こうに隠れて聞いていました(盗聴ですなあ)。
そしてじわじわと姿を見せて、じっくり聞いて・・・・・。

上手いです。
橋の下ですから反響も大いに影響してはいるのですが、それにしてもです・・・・。
同じ部分を何度も繰り返して修正に修正を重ねています。
その削り出すような掘り起こすような練習が魅力的ですね。

「写真は一瞬を切り取る」なんて言われることが多くて、私にもそういう言葉がときに向けられるのですが、私はどちらかと言えば「彫りこむ」とか「描きこむ」とかに通じるような「対象を削り出す」感じの撮り方をしたいのです。
「人柄を写し撮る」なんてことはそうやすやすと一瞬にしてできるものではないと思うからです。
物理的事実としては一枚一枚の写真はなるほどある瞬間≒一瞬を切り取っているには違いないのですが、私たちの撮る行為そのものをセンスに任せた直感≒一瞬のひらめきにだけ任せること、すなわち一瞬を切撮ることという風に解釈してそれを丸ごと肯定してかかるのは、ちょっと違うのではないかなと・・・。
私は写真の落とし穴はそういう風に言われて、自分の実践に落とし込んで確かめてみもしないで言葉だけを流通させているところにもあると思っています。
少なくとも私の様に凡庸な人間には「見た、撮った」という瞬時のうちに事の本質(私の場合はその人の素敵さ)をつかみ取るなんてことは到底できません。
金色のサックスの色を出したい思いと、画面に集中力を持たせたい思いとが交錯します。

でも、カラーにするとこの場ののほほんとした平和そうな雰囲気が写りこんで、練習への真剣な集中の感じがでにくいような・・・・。
楽しそうにはなりますけれど・・・。

でも周囲は穏やかでのっびりしている感じなのにという風に対立を含む写真の方がきっと良いのだろうと思います。
それをどう形象するかが問題ですが、そこをつかめれば私も写真家の足もとくらいには近づけるのでしょうが。
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- 2017/08/02(水) 00:00:38|
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