とは、分かっているけれど・・・・。
それにしても激しく降りました。 雷もすごいし。
それで撮影計画を延期にはしたものの・・・・「ちょっと雨が上がったね。」と諦め悪く・・・・・。
この人はフジX20で撮るのがベターと踏んで・・・・。
濡れたレンガがきれいに撮れること・・・、素晴らしいですねぇ。 こういう肌質で白い人はフジで撮るに限る・・・と私は思っているのです。
だからフジが好きなのに、X100Fではなかなかこうはいかないのが、悩みの種。何故なんでしょうねぇ。

体が華奢だから一層傘が大きく見えます。
実際に径の大きな傘ですが、何だか男物を持っている女の子という感じですね。
ちょうど私と同じころ別々の場所で「わ~!ひどく降ってきた!!」と「午前中の空と違う!!」ことを恨んで空を見上げつつやむを得ず買い込んだ傘です。

私は電話ボックスに逃げ込み「申し訳ない。近くまで来ているんだけど、この雨でそこまで行けなくて。」と傘を売っているはずの目の前のコンビニにさえ駆けこめない始末。
雨はアスファルトの地面を叩きつけるように水しぶきを立てて降り続いています。道路はあっという間に川の様になってしまって。

そんな訳で私も大きめの傘。
「雨の時は雨の写真を撮ればいい。」なんて言っていましたが、苦肉の策が幸いして・・・・このような写真になりました。

私に声をかけられて・・・ん????・・・どうしようか…と迷ったのだそうですが、ブログを見ていただいて・・・・、いろいろ考えて「ブログのページの仲間入り」を決断してくれたそうです。
- 2017/07/31(月) 00:00:14|
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じつはX100Fのテレコンレンズを落として使えなくしてしまったんですよね。
まだ購入して間もないのに。 それがないと基本が35ミリ換算で約35ミリなんですよね。これは私には広すぎるんです。
50ミリはないと・・・・。 無論35ミリで撮るポートレートもあるわけで、撮り方の間口を広げるにはいい経験とは思いつつも、実際の場面ではデジタル・コンバータ機能で換算50ミリにしていることが多いのです。うっかりすると70ミリにも。

テレコンレンズがあれば50ミリからスタートですから画質劣化も少なくて済むのに。

東京生まれの東京育ち。そんな人が京都に職を得て、鴨川でトランペットを楽しんでいる。
「思えば遠くに来たもんだ」なんて思うことがあるのでしょうかね。
私は静岡県から来て、おそらくは京都で人生を終えることになるんだろうと思います。
こんなはずじゃないのになあ。
と言ってどんなはずだったかは明確には分からないのですが、思えば、ずるずるとこうなってしまったかなあ。

たまにはライブもされているという事でした。
楽器ができると友人知人を増やすのも早いのでしょうね。
その点、私などは芸なしですので「地域には囲碁や将棋、カラオケの会もありますよ。」とお誘いいただくのですが、どれも不調法で・・・・困ったものです。

マウスピースまで金色のトランペットですね。
- 2017/07/30(日) 00:00:55|
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雨の上がった週末ともなれば、そこここに楽器の音が聞こえます。
サックスにユーフォニュームにトランペット・・・・・。
お互い知らない者同士の音を遠くに聞きながらの練習です。

2018年6月21日の夏至の日の「音楽の祭日」。その日、清水寺の西門で100本のトランペットが一斉に吹かれます。
そのイベントの参加申し込み要領付きポスターをお渡ししながらお話を聞きます。

話しかける前に音を聞いていて、これはジャズだなあ、クラシックの奏法とは違うから、お誘いしても難しいかなあと思いながら・・・。
ジャズの前はブラスバンドだったそうですから奏法の基本は大丈夫でしょう。
ただまあ興味をお持ちになるかどうかは別ですから・・・・。

そんなことでポスターをお渡しして一通りの説明を終えると、「ごめんなさい、練習を邪魔したうえに、もう一つお願いが・・・・。」という訳で撮らせていただいたわけです。

正面に回って撮る。それでこそ演奏者の表情も撮れるし、迫力も出るでしょうのに、なぜか・・・意識して避けているわけではないのに・・・・前から撮ろうという気が起こらないのはなぜでしょうか。
視界に入ってはお邪魔だなあという気持ちからばかりではないようです。
下に潜り込んででも前からの写真が欲しいところなのに・・・・。 こうして顔のない写真ばかりです。

いかんなあ、ちょっと惰性になっているのかなあ。
せっかくチャンスをもらっているのになあ。
- 2017/07/29(土) 00:00:38|
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昨日の隧道は少し前にも使ったのですが、海外からの観光の人たちもこの場所をよくご存じで、人通りが絶えないのです。
それで何度も壁に張り付いて道を譲りながらの撮影でした。
ここから大きく西に移動して、これまた何度も使わせてもらってきた場所ですが、事前のロケハンで改めてここがいいなあと思い・・。
と、言うのも・・・・、前からの経験から言っても鏡というものが女性を映し出すうえで特別な役割を果たすということに・・・・この鈍感な私でも・・・・次第に気付き始めたからです。
なんと遅い気付きでしょうか。

つまりは「虚実」なんですね。
私がいつも女性を掴み損ねるその勘所・・・「虚と実」・・・・それを読み解くことが難しいんですね、私には。
先の写真と次の写真。
虚と実
今日の一枚目と同じ状態になるために上着を脱いでいるだけの事なんです。
その際に、「ここまでで止めて・・・。」とレンズを向けるだけで女性が醸し出されてきます。

脱ごうとしているのか、肩にまた着かけようとしているのか・・・・、添えた手指の表情で演じます。
写真ってそういうものですね。
廊下が傾斜していますからトゥーシューズで爪先立ちしているだけでも大変なのですが。


- 2017/07/27(木) 00:00:41|
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これから街の方に出る計画もあるんですが、いわゆる街着ではないのです。

私のイメージの模索のために動きやすい格好をしてきてくれています。
足元は・・・・せめて街着的なオシャレを楽しんでいますね。
でもすぐにスタンバイできます。
烏丸御池か四条烏丸の交差点辺りで踊ってほしいんですよね・・・実は。
「いいですよ。やりましょう!」

それには朝の6時半ころに現場に行かないと。
「大丈夫、朝は強いですから!」だそうです。

この人の若いエネルギーに乗って、
街路の空気を変えるような写真にしたいですね。
- 2017/07/26(水) 00:00:11|
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つま先立ちしている右足は無論の事、頭部、胸からお腹・腰・そして左足のつま先に至るラインの魅力。
見る人に足の甲が向くように伸ばしているのですが、これがまさに足を美しく見せる技ですね。

こんな自然に逆らったスキルはそれこそ一朝一夕に獲得できるはずもなく、体が柔らかい幼児期からの修練のなせる業でしょうね。
何の苦もなくしてはいますし、常に笑顔ですが、だからと言ってまったくなにも辛くないわけではない姿勢です。
それを文字通り何の苦もなくやってみせるということがやはりすごいと思うのです。

サッカー・プレーヤーのリフティングやテニス、卓球のプレーヤーがコートの角に置いた小さなコーンにサーブやスマッシュで見事にボールを当てて見せる。それを当然の事のようにして。いやまさにそれができてこそ一流プレーヤーとして活躍できる「当然の事」なのでしょう。
そいう人を驚かすすほどの「当然」を身に着けているという事こそが瞠目・驚嘆なんですね。
それは何一つそういう「当然」を持っていない者の憧れです。
背景に金色があるとなんとなくクリムトの雰囲気がある・・・ような・・・・。
そう言う空気を感じるのは、単に背景に金があるからだけではなくて彼女の立ち姿の非日常感も作用していると私には思われるのです。

そうか、この人の持つスキルが空間を非日常化するんだ、と気が付いたのは、しばらくしてからのこと。
それがこうしたつま先立ちやバランスのポーズという分かりやすいスキルだけではなくて、ただ立つ、腰かけるという様なたたずまい自体からして既にそうなんだと気づくには、さらに時間がかかりました。
ボケた写真もいいものです。

くっきり写すだけが写真じゃないのです・・・と自分に。

写真表現の多様性に柔軟になりたいです。

- 2017/07/25(火) 00:00:10|
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『四月は君の嘘』というコミックをご存知ですか?
主人公の少年は3歳頃からピアニストの母親の厳しい育成によってすさまじく正確な技量を身に着けて学童期のピアノコンクールでは常勝。天才の名をほしいままにし、母親との死別後にはその母親に認められ喜んでもらいたいという演奏のモチベーションを失って・・・・・と、ありがちなストーリーではありますが。
『坂道のアポロン』の主人公もまた幼少時からピアノを学んでいます。
フィギュアスケートの本田望結は3歳から、将棋の・・・・いろいろ例を挙げるまでもなく幼児からの英才育成は盛んにおこなわれているようです。 それがステロタイプ化したイメージである「強制的な英才教育」であるかどうか、その辺はいろいろ幅広いバリエーションがあるようです。
私はいまそれを肯定も否定もしようとしているのではなくて、ただそうして育った極めて高度なスキルや精神力を身に着けた10代の少年少女たちにある種の眩しさを感じているのです。

クラッシックバレエの世界も3,4歳から始めるのはごく普通の姿のようです。
そしてこの人も・・・。
そうした育成経過があるからこそ尋常ではないスキルが完全に肉体化しているのを見るのはごく普通の平凡人である私から見れば憧憬・瞠目に値するわけで・・・・。

私はミュージシャンたちにも同じような憧憬・瞠目の気持ちをもってレンズを向けるわけですが、ふとしたきっかけからこの人に出会ったのを好機として何か湧いてくるイメージのままに写真を撮らせてもらおうと思っているのです。

そして願わくば、今私が抱いている構想を形にしたいと・・・・。
今はとにかく手探りです。
例え方が悪いかもしれませんが、子供が新しい色の絵の具を手に入れて、それを使って描いてみたくてしようがないような、そんな感じです。

いつでも思い立った場所でバレエのステップやジャンプ、ターンなどをしてほしいので使い古して路上など条件の悪いところで履いて痛んでもかまわないようなトゥーシューズを持ってきてもらっています。
練習用のシューズでも数千円から一万円ほどするシューズですが、激しい練習で2,3週間しか持たないのだそうです。
バトミントンのシャトルや卓球の球程ではないにしても相当な消耗度ですね。
経済的負担も並大抵ではないでしょう。衣装の支度も大変です。
こういう身支度の時の動作や姿勢にも鍛え抜かれた体の持つ美しさがあります。

- 2017/07/24(月) 00:00:35|
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私が撮りたいと思うご本人は良かったのですが、入れたい背景の人物が思わぬ絵(姿)になってしまって、そちらの方が妙に視線を呼んでしまいます。
残念ながらこれはいけませんでしたね。
ピントを掴みながら、意識の片側で背景を見ているつもりなんですが、時としてこういうことが起きます。
無論、思わぬ良い効果という結果オーライもあるんですが、もう少し注意を払わないと・・・・いけませんね。
実は今日は明日からアップする写真を撮ってきたのです。
その人で何が撮れるのかを少しづつ見つけていこうとしているので、いろいろ試みさせてもらっているのです。
それで楽しい・・・・結果的に言えば思わぬ失敗も多かったのですが・・・・時間を過ごしたので、私も少々多弁になっています。
この町の絵書さんといろいろお話を交わすことができました。

「写真は、いい状景だなと思ったら一挙に絵にできるところがいいですよね。」と。
確かにそれがカメラの特技ではありますね。
絵の場合にはそれを自分なりに表現するにしても時間がかかります。
早いスケッチでも5分はかかるでしょう。

しかし、その時間の中で印象を凝縮して、要らないモノは削り、欲しいものは付け加え、再構成して描くということが『絵』にはできますね。
で、写真の場合にはよほど「これだ!」を強く明確に意識できないと、どう撮るかも決まって来ないわけです。
それを「センス」のあるなしにされてもしまうわけですが。
・・・・、そのセンス・・・・どうも私にはないような、そう感じることが多々あります。
先日もある有名カメラ店で写真展が開かれて覗きに行きました。が・・・・・撮るのに使われたカメラ+レンズの性能の良さ、プリントの良さはとても感じましたが、絵そのものにほとんど心が動かなくて、会場を三周も四周もしてじっくりと見直したのですが、・・・・。
たくさんのハイソなお客さんがいましたしプロカメラマンたちもいましたが、写真の前でじっくり語り合うシーンも、見入って動かない姿もほとんどありませんでした。
でもその写真作品を撮った写真家が来ると幾重にも取り巻いてトゥーショットで写真に納まろう、サインをもらおうという喧騒が起こり・・・・。

どうも私には写真の魅力を感じるセンスが根本的に乏しいようです。

じゃあ、私はなぜ写真を撮っていて楽しいんでしょうか。
じつはそれが、よくわかりません。
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- 2017/07/23(日) 00:00:37|
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三日連続で「モデル撮り」なんて快挙を前に、諸般の事情で2件が延期され、今日一日になってしまったその日。
しかし、今日は今日としてとても面白い写真が撮れてちょっとご機嫌である店を出ると、そこに・・・・。

手元をのぞき込むと「お主なかなかやるな!」というスケッチが。
土曜の、間もなく黄昏時という頃。
飲食店が軒を連ねる繁華街の路上で。
こういうシチュエーションからして、私は弱いんですね。 私自身がカメラをもってこうしていたいという心情もありますから、なおの事。

「街のごちゃごちゃ感が好きなんです。」
街を見る、世相を見る。それを感じて絵を描く(写真を撮る)。
京都の町中にはたくさんスケッチをする人がいます。でも誰もが描く観光絵葉書のような状景が対象であることが多いようです。
まあお好きで描くのですから余計なことは言わぬが花です。お互い様ですしね。

こうしていると時々話しかけられるのだそうですが、それにもようやく慣れて・・。
「もともとは・・あんまり話しかけられることが得意ではなくて・・・。」 だそうですが。
でも絵の場合は写真と違って人はほとんど警戒しませんし、ある程度絵を描く人に対しては尊重する気分がありますからいいですよね。
写真の場合はレンズが風景や花に向けられているときは「いい御趣味ですね。」「リタイア後の時間つぶしにはいいでしょう。」ぐらいの反応ですが、一たび人にカメラを向けるとたちまち世間のギザギザ・トゲトゲした視線が。

いっそのこと背中に「日本一」ならぬ「写真撮ってます」の幟をつけて街中で写真を撮ろうかなあと自棄的気分にさえなります。

留学先で「ドローイング」の勉強をされ、今は仕事に就きながら、いわば日曜画家をしているのだそうですが、しかし、志はしっかり「画家」です。
「全体を把握して構図をとって部分を配置していく」のではなくて、むしろ部分を書き足し書き足しして全体にしていく。
それで建物がゆがんでもそれが街の空気感になる。そういう描き方をしています。
ですからパースペクティブも神経質にしていません。
私はそういう絵もとても好きです。
ただ時々そういう描き方をして「ゆがんでいる」ことで味が出たと思い込んでいる作品にも出会いますが。

写真でも、傾ければとかモノクロで暗く撮れば…けっこう芸術的・個性的と思い込むようなことがありますね。
反省反省。
- 2017/07/22(土) 00:00:29|
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去る6月21日に、2018年6月21日に清水寺で行われます「清水・世界友愛 100本のトランペット」というイベントについてプレス発表がされました。
フランスから始まった「音楽の祭日」は今や世界中に広がり、毎年6月21日の夏至の日には世界の都市で音楽を通じて平和と友愛を祈念する行事となっています。
来年は京都とパリが姉妹都市となって60年の記念すべき年でもあり、この音楽の祭日の一環として清水寺の西門(さいもん)に100人のトランぺッターが集って遥か市内に向かって演奏しようというものです。
トランペットの演奏に続いては音楽をめぐるとトーク・イベントが行われ、さらに楠田名保子さんによる二胡の演奏が同寺の成就院で行われます。
その音楽監督として尽力されているのが東京芸大の名誉教授であり日本トランペット協会の理事長でもある杉木峯夫氏です。
清水寺の成就院でトランペットの音が響き渡るなんてことは滅多にないことです。
この成就院は年に2度公開されますが、その公開の情報があまり周知されていないせいか、とてもよい庭のある建物なのですが参観者はあまりおおくはありません。
行かれた方はゆっくりとこの建物と庭を味わえます。

庭はそれほど広くありませんが背景の山を借景に取り込んで見事に奥行き感を作っています。
そしてやや谷あいに向かっていますから包まれ感がありながら、それでいて閉塞感がないという微妙なバランスです。
作庭師の仕事は見事なものですね。

実はこの時、新聞三紙が取材に来ていて氏の正面から写真を撮っています。
私は記者たちのカメラの邪魔にならないように縁の床に這うようにして姿勢を低くしているのです。
というより、そういう振りをしながら私なりのベストポジションに入り込んでいるわけで・・・・。
取材のカメラと私の写真とでは目的が違うので棲み分けができるということでしょうかね。
でも記者たちには幾分かはお邪魔虫だったかも。

新聞に掲載された写真では上手に私を避けて撮っていました。


お分かりのようにこの写真では吹いていません。
向きを変えて撮らせていただきたいのでとお願いしました。
その際に「ロングトーンでけっこうですので、音を出していただけると嬉しいんですが・・。」とお願いしたのですが、周囲の動きに紛れてそうはなりませんでした。
残念。
この写真は写真集に入れるつもりだったので・・・。
- 2017/07/21(金) 00:00:00|
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この写真はプラナー85ミリで撮っています。
やはりこのレンズはいいですね。好きなレンズです。
5Dに付けていますのですべてマニュアルです。

ファンデーションを塗ったりの化粧は極力しないそうです。
レッスンなどで化粧が流れるし、肌を異物が覆うのがあまり気持ちよくないといいます。
でもまつげはバレーをしていると「付けることになるんで、今日はしています。」と撮影を意識して付けているようです。

私は人、ことに女性を撮っていて、若い女性が厚い化粧をし、あれこれ塗るのは決して好ましくないと感じています。
本当にもったいない。
日本の女性は化粧美人は多いですが・・・・。
いったん化粧をする生活に慣れると「化粧をしないと裸で街に出ているようで・・・」と不安になるんだということを以前同僚の女性から聞いたことがあります。
そうなのかもしれませんね。

プラナーをつけてOVFで見ると肌の美しさもよく見えますし、また良くそれが再現されます。
ですからプラナーをつけるとますます意欲がわきます。
問題は私の視力と気合ですね。
被写界深度を深くすれば一面では問題は解決するのですが、それではね・・・・・。
この人とは「動き」を撮る計画なので、そこが問題です。

これくらい明るいと見えるんですが
こんな豊かな光の条件ではめったに撮りませんしね。
やはり良いファインダーが欲しいですね。

こういう光の条件でピントの山をくっきりとつかめるファインダーが欲しいですね。
ですから現状ではこのα900で撮るしかないという事でしょうか。
1dxとかD5とかならいいのでしょうが、とても手が出せませんし。
あとは精神論で乗り切りましょう。
- 2017/07/20(木) 00:00:18|
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ジンバブエの子供たち、先ほどの女性歌手、そしてMASAさんなどが入り乱れて踊り出しました。
その時にはこの表情です。

ステージ上はリハーサルとは思えない盛り上がりです。
子供たちはもう全身全霊で踊っている感じです。
本番までに疲れ切ってしまわないかなあ、と・・・・。
でも太鼓がリズムを刻みピアノが乱打されると、もうじっとしてはいられないようです。

それをやさしく包み込むような眼差しで見ながら、ご自身もまた楽しく演奏されています。

先日ご紹介した女性歌手とのリハに変わると・・・表情一変。

ピアニストの河野さんは、家庭や学校などで普段使用されないまま長年眠っていたピアノを再生して福祉施設などに届ける活動もされています。
290台にも上るピアノを「目覚め」させてアジア・アフリカなどを含む国内外の施設に送って来られました。
ケニア、南アフリカ共和国、内モンゴル、パレスチナ、ベトナム、ドミニカ共和国などの名前が見えます。

具体性を以て活動することの力を感じます。

自らミュージシャンとして演奏するだけではない大きな活動力。
それも木に竹を接いだような活動ではなくして音楽の力を拡張しようとする基盤の上に……注目したいですね。

- 2017/07/19(水) 00:00:35|
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※ 昨日のも含めて、これらの写真はクリックしてさらに拡大のアイコンをクリックして白い枠で見ていただくと一層その場の感じが伝わると思います。
そういう妄想を持つとますます自分自身の写真が歯がゆくなるのです。
でもそれも一歩一歩上るしかない階段なんでしょう。
実際の写真でアーティストたちの共感を得ないとそういう事にはならないのですし。
私の残された時間では到底間に合わないというような物理的なことは、まあおくとして、
伴奏というものの重要な役割を感じて撮っていました。
それは「エリー アーメリング イェルク デームス」のお二人による「歌曲マスタークラス」の写真を撮った時にもお二人の話からいろいろ学ばせてもらったからです。
私が感じ取ったり気づくようなことは・・・音楽の全くの門外漢ですし・・・・微々たることですが、このピアニストの力量が素晴らしいものであることや、またその人の力にしっかり乗って歌う歌手の力もまた相当なものだと感じました。

先日あるところで私が写真を撮っていると、甲斐扶佐義という京都の写真家が、いつもの様に自転車で通りかかりました。
たすき掛けにつるした二台のカメラのうちの一台を持ち上げて、こちらを向いていました。
彼はフィルムカメラとデジタルカメラの併用ですが、その時はフィルカメラでした。
私が苦慮していた逆光の条件でいささかも逡巡することなくシャッターを切っていきました。 百戦錬磨だ。さすがだなあと思いました。
そう言う『実力』基づいて果断に判断・実行できるということに魅力を感じますね。
今、実力などという言葉よりどう見せるか、・・・実態はともかく・・・・どう思われるかが人々の関心の中心ですからね。
(続きをどうぞ)
さて女性ボーカルがピアノと太鼓に対して挑発的にアドリブを入れてきました。
「おっ!! いくかっ! そう来るか?!」と受けています。
リハーサルでこの乗りです。

「さあ、来い! もっと来い!!」

いいなあ、最高です!!
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- 2017/07/18(火) 00:00:19|
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この方は環境についても鋭い問題意識を持つジャズピアニストです。
そして私と違ってプロです。
ほぼ同世代です。
ある方の紹介でお会いすることができました。

多くの絵や写真が呑気にしている今日、音楽を人々の共同や問題意識の共有を目指す力にしています。
一人の人間の姿として注目したいと思いました。

ピアノの演奏は、正直にいって撮りにくいです。
ですが、この時、今までの経験があって良かったなあと思いました。
一つ一つの撮影の経験が積もり積もって、ほんのわずかではありますが新しい力になってくれています。

リハーサルと本番では演奏家の集中度や高揚度は大きく違います。
でもリハーサルの時ではあっても、私がカメラを向けている=見て聞いているということをプレッシャーにし、意識して演奏をしてほしいと思って、私も全力でファインダーをのぞきシャターを切ります。

今現在の実際は到底そういうものではないにしても、この写真を撮ろうとしている人間の前で「いい演奏をしないではいられない」と思わせるようになりたいなあと思います。
それはいいポーズやどこかで見た絵柄に添って写されようとするのではなくて、真剣で本気の演奏の姿を見てくれ、聞いてくれ、そして撮ってくれという様に。

リハーサルの時点で単におさらいをしておくというものでない気持ちに、レンズとシャッターで・・・・言い方は適切ではないけれど…追い込んでいくような迫力を持ちたいなあと。
そんな私の誇大妄想的介入がなくたって真剣に没入しているのはこの写真を見ていただければ一目瞭然だと思います。

アーティスト相互の関係からいってもこの場ではある種の格闘があるんだろうし強い共同意識があるんだろうと思います。ですから呑気なおさらいなんてありはしないのだろうと思います。
ただ私のささやかな願いとして私のカメラが介入することでその温度がさらに高くなったらいいなあと、そう思います。
それで耳元で「バシャリ、バシャリ」とシャッターボタンを押します。

今は私がそこにいても何ほどの熱も伝えないでしょうが、そうありたいというのはカメラを手にして人を撮るものとしての妄想に近い夢ですね。
会場の数百の聴衆に匹敵する目であり耳と意識されるような「写真家」というものがきっと世の中には存在するのだと思います。
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- 2017/07/17(月) 00:00:35|
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今日は祇園祭の宵山です。すごい人出になるでしょうね。
そんな人出をよそにして私は二人の浴衣美人を連れて撮影です。
きっと撮影が終わったらお二人は宵山に繰り出すんでしょう・・・・か? だって撮影でかなり疲れますからね。どうでしょう、若いから行くかな。
さて、季節のご挨拶も兼ねて祇園祭の一端を・・・・。

こういう場所にいるんですから日本語は堪能に違いないのですが、一応英語で「写真撮らせてもらえますか?」とお願いして。
・・・・・と、お二人はドイツの方でした。

お一人は南ドイツから、もう一人は北ドイツから。
何だかこの人はフランス系に見えます。が、ヨーロッパの人から見れば「ドイツ人に間違いない。」のかもしれません。

お二人とも留学生だそうですが、こういう風にしていった先の伝統行事に積極的に参加する気持ちが素敵ですね。
私などには到底できません。
そう言えば葵祭にも時代まつりにも外国の人の姿をよく見ますね。
いろいろな地方のお祭りでみこしを担いでいたりもします。

とにかく人出がすごいのでカメラをもって立ち止まるのは大いにご迷惑です。
背中に目を付けて人波をサーフィンしながらの撮影です。
マニュアルフォーカスですから一歩どころか人をかわそうと姿勢を変えるだけでピント合わせが大変です。

だからと言ってオートフォーカスが万能とばかりは言えませんから、マニュアルフォーカスの練習もしておかないと。
それができれば面のどこでもピントを合わせられますから構図がとても自由になります。案外このことが軽視されているような感じを受けるのですが、というようなことはさておいて・・・・。

彼女たちに祭りの印象を聞いてみたいですね。

この菊水鋒も男性ばかりでなくて女性も鋒に上がれます。
しかし、未だに女人禁制の鉾もあります。
確かに神事なのだからという理屈もあるでしょうが、それが理屈として筋が通っているのかどうか、町でもう一度よく議論してほしいと思いますね。
「男がなんぼのもんや!」「女が不浄言うんかい?!」と。
「女の力が無くて祇園祭が続けられるのかい?」
彼女たちが積極的に日本語で「ちまき いかがですか~」と声をかけますので、戸惑うお客さんはいません。
- 2017/07/16(日) 00:00:19|
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もうそろそろ梅雨明けですね。
これからの3週間ほどが私の一年中で一番好きな季節です。
高校時代ある同級の女子生徒と話していて・・・・その人は相当な文学少女だったのですが・・・・「季節の中で冬が一番好き」と聞かされて、そんな人がいるなんてなんと不思議な・・と思ったことでした。

私が夏休みだ~!的な思いしかないのに、厳しい冬にきりっとした精神生活を思うその人とでは精神年齢は大きく開いていたのだろうと思います。
でも今でも私は盛夏が好きなのです。

いえ、決してビールが好きだからそう言っているというのではないのです。むろんそれも全然否定しはしませんが、太陽が生き物を地べたに押さえつけてくるほど暑い夏に、うんうん言いながら汗をしたたらせて何かすることの快感が私にはあるのです。
もういい年なんだからそんなことは避けねばならないのですが、それでも自転車を引き出して焼け付いたアスファルトの道を行くのです。
いまヒアリが問題になっているので迂闊なことは言えませんが、炎天に乾いた道を蟻が列を作っているのを眺めるのも好きでした。時々ちょっかいを出しながらですが。

クーラーの風が嫌いな私はかつての職場でもクーラーの温度設定戦争に参加していました。が、大概は一人、部屋の外に出て廊下や階段の踊り場で仕事をしていました。
空気が冷たくて機械的に動くのも好きではありませんでしたが、涼しくなるような工夫をしない安易な機械頼りの過ごし方も好きじゃないからです。
もっとも人によって暑さ寒さの感じ方も違いますから何についても一括りに決めつけることは良くないのですが。

それで今の家に引っ越す時に極めて小さな選択の幅の中で夜に涼しく寝られる手立てだけはちょっとだけしたのです。
それで窓を少し開けておけば明け方まで涼しく寝られますし、うっかりすれば風をひいてしまいます。
猫が呆れて笑ってひっくり返るほどの広さしかない(広さしかないというのもおこがましくて狭さしかないというべきですが)庭に打ち水をするだけの事なんですが。

さて、そんな夏にぜひ撮りたいねと言っている写真があるんですが、果たして実現しますかどうか。

この人が8月いっぱい京都からいなくなってしまうので、それも困難の一つですが、何より私のイメージと決断・行動が伴うかどうかというのが最大の問題です。
トランペットも入手できるかどうか。

それはともかく、グループ展に向けていよいよ出品作品を考えなくてはなりません。
いまだにキャプションも決まっていないのです。
やれやれ・・です。
- 2017/07/15(土) 00:00:46|
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私はよくミュージシャンに「リハーサルを撮りたい」といいます。
曲(表現)の完成に至る過程での模索や逡巡、苛立ちさえ撮りたいからです。
それはアーティストであれ、クラフツマンであれ歓迎すべからざることでしょうが。

それに本当に特別に許されない限り、こんな距離と角度で撮るという事は、リハの時でしか、ありえないからです。

この時私自身はステージを上がったり下りたり、袖に走ったり正面に回ったりと駆け回っています。
客席には脚立を置かせてもらってもいます。
リハーサルを見ている他のスタッフや関係者もいるのですしその方々の仕事を邪魔してはいけません。また何より演奏者が「邪魔だなあ!イラつくなあ!」と感じるのでは大いにまずいので、音もたてず流れにも逆らわないでどう動くか、それも課題の一つです。

そうして私自身がステージから転げ落ちて周囲に御迷惑をかけるなんてことは絶対にできないことです・・・・が、これが案外・・私の性格や運動能力から言うと・・・・心配なことです。
私はいつもつい夢中になりすぎますし、ステージからふわりと着地などという事は今の私の運動能力ではとても難しい。
大昔のイメージで飛び降りたり飛び越えたりすれば大怪我のもとです。でも写真を撮るためにはそういう条件も欠かせませんね。
音楽家同士の微妙なやり取りもあるようです。

そしてだんだん出来上がっていきます。

川口さんは度々沖縄を訪れ辺野古などで座り込みをしている方たちと交流し、共に戦いながらその地で感じ取ったことを歌にしています。
彼女の歌にはその言葉を生み出した「現場」があるという気がしました。

沖縄の問題は本土の人々にとってはいつも海の向こうのことです。
本土の人々は沖縄の米軍基地や自衛隊基地によって「守られている」と感じているのかもしれません。そして、国土を守るためには多少の犠牲は仕方がないと「納得」し、ただその犠牲は本土ではなくて沖縄に負わせています。
沖縄が軍事的な行動の根拠地であれば「敵国」の攻撃目標になり、ひいては戦場になるのは、当然その沖縄です。
本土防衛(国体護持)のために、かつて捨て石にされた沖縄は戦後の今に至るまで本土の捨て石のままです。
川口さんの歌にはそのことに対する怒りや一向に改善されない現実に対する苦悶があります。

沖縄の現状は本土民のエゴとご都合主義の鏡だと私は感じています。
そして米軍基地は東アジアの平和の最大の阻害要因であると。 そしてそのしっぽにしがみついている自公+維政権。
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- 2017/07/14(金) 00:00:35|
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裸足で舞台に立っています。
いつもそうされているそうです。
立つ場所を直接に感じて踏みしめて歌う、そういう事でしょうか。

つい劇的な場面ばかりを撮ってしまっていますが、歌全体ではしっかり抑制した部分とで構成されています。

リハーサルですから伴奏のピアニストとの音の表情や呼吸を確認しています。
音楽の演奏は一面では心と体の感受性の表現のようなものですから二人の音楽家が一緒に演奏するという事はとてもとても難しいことだと思います。
それだけにうまくかみ合った時の喜びも大きいのでしょう。ジャズの演奏などでの「意気投合」を見るとそう思います。

本物の写真家とアーティストとの関係も・・・多分・・・・そうだろうと思います。
私にははるかにはるかに遠い異次元の話です。

私はお二人の作り出している空間、空気を感じて、それに突き動かされて「どこをどう撮れというのだ。」という感覚で動き回っています。
ある写真家が「モデルに撮らされていてはダメだ。」といっていましたが、そういう訳で・・そうとばかりは言えないと私は思っています。

こと柄の中の写し取るべきものはそれ自体=対象の中にあるんであって私の思い込みの中にあるのではないのですから。
むろんこれは写真ということの一面ですし、その写し取るべきことというのは私の意識のありようによってしか見えないモノでもあるので話は・・・・話が循環してしまうようで・・・・なかなか難しいのですよね。

こういうことは写真でないとできません。
また一人、私をはるかに超えたところにいる人を見つけました。
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- 2017/07/13(木) 00:00:30|
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「 Earth Harmony in KYOTO 2017 」というイベントに呼んでいただいて、出演者たちのリハーサルの様子を写真に撮ることができました。
これはなかなかの感動ものでしたね。
中でもジンバブエから来ていた子供たちのダンスには、パフォーマーとともに興奮する感覚を久しぶりに味わいました。
彼らは「才能の塊」のような存在で、その本能のリズム感と身体表現力は、それを目の当たりにすると、もうただひたすら驚くしかないという感じでした。
次から次へと行われるリハーサルの中でこの人の熱唱もまた印象深いものがありました。
川口真由美さんとおっしゃいます。

ある方の紹介で、このイベントに出演するジャズピアニストさんの写真を撮るつもりで出かけたのですが。
いつもの私の思い込みの悪い癖が出て、そのうえ私の立場からすれば、本番の撮影など到底思いもよらず、リハーサル・・・元来私はこちらが好きですし・・・・に全力投球でした。

私などの世代の人間のある程度の割合の人は、「沖縄」についてはちょっと心の奥を揺さぶられる思いがあるのではないかと思います。
大学入学以前から「沖縄を返せ! 米軍基地のない沖縄を返せ!」と声を上げていた私ですから、大学入学とともにデモの隊列に加わるのは自然な流れでした。

沖縄を「返せ」とはどういうことかについてはもっと深く考えるべきではありましたが、琉球処分前後から、米軍による沖縄攻撃・占領、までの歴史を学ぶにつれて「沖縄を平和な島に! 米国の沖縄占領の終結とともに日本の真の独立を!! 日本政府と本土国民による沖縄差別に対する償いを! 」の気持ちが私の内に高まっていたのでした。
そんなこともあって・・・・・そのうえ今日の基地問題を思えば・・・・川口さんの歌には特別な気持ちが湧きました。

ですからできるだけ歌い手の気持ちを汲み取った写真にしたいという思いでファインダーの向こうを凝視ししていました。
何かを伝えようとするときにその表現の仕方には単純に一つの方法があるのではないと思います。
その伝えようとすることをテキストにすれば同じになっても、それぞれのアーティストがそれを包み込む感情や支えている知性・理性はかなり大きく異なることがありますから、おのずから表現方法が違ってきます。

そこで異なった表現に出会う事で改めてあることを感じ取りなおすということが、人にとってその思想と感情を柔軟に豊かにするうえで大切だなあと思うのです。

写真を通じては沖縄の名もその歴史も何も表現できませんが、この人が歌い手としていかに沖縄に心を寄せて歌っているかをつかみ撮れたらいいなあと。
- 2017/07/12(水) 00:00:39|
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このところいわゆるモデル撮りの形が幾分増えていますので、行き当たりばったりで「素敵な人たち」を見つけて、その場で撮ることがいくらか減っています。
フォトマヌカンたちは適当な場所に移動してくれるし、視線の方向も注文通りにしてくれます。
ですが照明が当てられるわけではないし、レフ板一つ思うように使えるわけでもないのが私の撮影です。
ですから結局のところその現場の「今」の中からより良い条件を探すしかないという事で・・・・。

これはとにかく経験を積むよりないですから。

この人の普段の作品はオランダのアムステルダムで公開されているんだそうです。
そしてモノクロで表現する事がほとんどだそうで、墨を使っての表現だそうです。でもそれを「水墨画」というジャンルに入れて考えることは受け入れたくないそうで・・・・。

どんな作品なんでしょうね。見てみたいですね。

お店の中に西陣織の生地をリュック様に仕立てた商品がありました。
これはあのフランス人女性の作ったものではないのかな?と声を上げると「なぜそんな事を知っているのか?」ということになり、「その人をかつて撮影したことがある。」と説明すると、なんという事でしょう、そのフランス人女性とこの画家とはきわめて懇意な関係なんだそうで。
「そう言えば彼女が個展をしていたときに写真に撮ってくれた人がいたと話していたよ。」と。
おーっ 世間は狭い!!

そうなんですね。
ある女性ジャズピアニストに私の過去の写真を見てもらっていたら「あっ!これはKNさんじゃないですか?!」という事も。
だんだん京都が狭くなって、私はもうすぐ住めなくなるかもしれません。 困ったなあ。

絵描きの描いていない瞬間を撮り、音楽家の演奏していない姿を撮る。それも私の一つの楽しみです。
- 2017/07/11(火) 00:00:40|
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私が個展をしているときに毎日見下ろしていたお店のガラス窓です。
そこに何やら描いている男性がいました。
何やらではなくて、見ればすぐにわかりますね。

この店はどちらかと言えば・・・私の印象としては・・・ファッションの傾向などがトンデル店です。
その店の正面に「舞妓」ですか?!

外国人観光客の興味を引くためか、あるいは「トンデル」と舞妓のギャップで更に強く行き交う人たちに印象付けようとしているのか。
いずれにしても声をかけてみたくなりました。
というより、声をかけてみたくなったのは、輪郭を描いた絵のバランスの良さをみて、この人の力量を知ってみたくなったからです。

舞妓はんの体形はちょっとプロポーションが良すぎというか、今風過ぎるように感じましたが、実は舞妓・芸子は確かに現代っ子で、こういうプロポーションの子がそこここにいるのは確かなんです。

普通絵を描く人を写真に撮ろうとするとカンバスに邪魔されて正面からはとれないという運命にあります。
でも今日のこれはガラスに描いているのですから中に入れば作者の表情が撮れるはずだという事も興味の湧く点でした。

それに反対側から見れば舞妓の顔も見られるんじゃないかと・・・・・そうはいきませんがね。
でも何か工夫してそうなっていればそれもまた面白いなあと。この絵に惹かれてお客さんが店の中に入るのですから。

周囲には様々なものがこれでもかというほど並んでいますから「画家」をポップアップさせて撮ることがとても難しい。
その課題も刺激になりました。どうすればいいんだろう。

しばらくして帰ってきた店長さんが・・・・この画家とはお友達だそうで・・・・どうぞ撮ってください。邪魔なものがあれば動かしてくれていいですよ・・と。
でも、いつもいい条件で撮れるわけではないし、現場で考える癖をつけないと、私の写真は成り立ちませんから。
- 2017/07/10(月) 00:00:03|
- 絵画
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提灯の紙も中の籤も素材はそれぞれの提灯毎に同じではありません。
ですから筆の滑りも、筆を押し付けた時の反発の力も種々様々です。
そうした条件ごとに素早く対応しなくてはならないことを思うと、この仕事もやはり職人技・工芸そのものです。

この男性の方は提灯を手に持ってやや右側面に書き入れています。
つまり正対して正面に筆を走らせているのではないのです。

そしてお二人とも提灯を作業台などに置かないで手にもってほとんど浮かせて保持しています。
こうしないと書きにくいのだそうです。 おいてしまうと筆の圧力と台の反発で提灯が扁平にゆがむからでしょう。
疲れますね。
女性の方も台で微妙に支えているという程度なのです。

それにしても提灯にうずもれて黙々と作業に集中されています。
長居は無用です。

どうもお邪魔しました。
ありがとうございました。
- 2017/07/09(日) 00:00:30|
- 伝統工芸
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夏と言えば夏祭り。祭りと言えば夜店・・・いやいや家々の軒先につるされた提灯も忘れがたい。
提灯と言えば「ちょっと寄ってく?」の居酒屋・・・・。
京都は神社仏閣もあれば芸舞妓の茶屋もあり、また繁華街にはたくさんの料亭に飲み屋。そしてそこに欠かせないのが提灯。
ずっと以前から気になっていたのです。この建物。

私のギャラリー巡りのコースのすぐ脇に見えていたのです。時にはその前を通ることも。
で、意を決して建物に足を踏み入れ「見学させてもらっていいですか?」
「どうぞ どうぞ。」

そこには溢れんばかりの提灯。
各方面からの御用の提灯だらけです。
提灯に字を書くのは難しそうです。何しろ表面は平らではなく、竹ひごによる山と谷があります。
そこでは微妙な力加減が必要なはずです。

「いわゆる書道の字の上手さとは違いますから。」
やはりそこに職人の手わざがりあります。
しかも提灯は上下がすぼまっています。中ほどの字の大きさとその上下の字の大きさやバランスはうまく調整しなくてはなりません。
一字の中にも下から見上げるときの視覚効果が計算されています。

例の左甚五郎の昇り龍ですね。
上に登っていく龍の頭は大きく尻尾は細く。

平面に書くのではなくて立体に書くのですから、例えば正面から見た時に側面に回り込む線はどう書くか。これまた不用意に書けばバランスが取れません。
かといって側面をに回り込んだ部分を極端な書き方をすれば、人がその側に回ってみた時に字体の均衡がとれなくなります。

暗くなれば提灯は中に明かりがあって光の透過によって見ます。不注意な筆の重なりがあれば字の線(面)に色ムラができてしまいます。
不用意に絵の具を注ぎ足せません。十分注意をしなくては重ねて塗ることもできません。
なんて難しいことでしょう。
- 2017/07/08(土) 00:00:49|
- 伝統工芸
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お二人で「服はこうしない?!」などと言って話し合われたのでしょう。
そして「スカートはピンクね。」
そう言う打ち合わせでそれぞれが選んだ服や靴・・・・・そこにそれぞれの個性が見えますね。
同じように、同じ場所で、同じモデルで撮っても撮る人間が違えばできる写真が違う。
当たり前のようですが、そこに写真を撮る面白さがありますね。
その違いは機材の違いからくるものもありはしますが・・・・そしてそれは案外小さくない要因だと私は思いますが・・・・・その人の「これだ!」感の違いだろうと思います。
つまりは撮る人自身がそこに反映してしまう。「反映してしまう」・・そうなんですそこに私の気恥ずかしさもあるし、自己顕示もあるのです。ある時はその気恥ずかしさに怖じるし、またある時は自己顕示が膨満していくのです。
花輪を撮っているのです。
ピントを何処に置くか、被写界深度はどう決めるか・・・なかなか難しいところだと思います。
その難しさを楽しんでいます。 写真がお好きなんですねぇ。

どうです、この真剣さ!


「撮っている人を撮らせて。」とお願いしての事なんですが、「撮っているところを撮られている、それを誰か撮ってくれないかしら。」

実は、私はこの時にはX100Fを使っています。
それで、どうもドンピシャと行かないのですね。
この後にあるイベントでのミュージシャンたちを撮らせていただいたのですが、この時はもうX100Fを試したいとは思いませんでしたね。
今のところX100Fは私には使い物になりません。
「色合い」もX20の方が断然いいです。 多分これから何度も同じことをつぶやいてしまうでしょう。


また京都に撮影小旅行に来てくださいね。
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- 2017/07/07(金) 00:00:03|
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大阪から来られたという事で、これもまた私には軽い驚き。
写真を撮るためにロケーションを選んで京都まで来る。
むろんこの出不精でものぐさな私でもお隣の滋賀や奈良に出かけたことがないではありませんし、今も北部にロケハンをしてはいますが。
スマホの画面を見ながらポーズの検討中です。
フォトマヌカンにモニターを見てもらいながら、自分がどう写っているのかを意識してもらうのにはこうしたやり方ができるんですね。
・・・・ただそれがいつも、どのケースでも適切かどうかは別の問題ですが、撮った直後に写真を見てもらってお互いに確認することは、撮影の気持ちを高揚させるうえで効果があることは確かなんです。何がどう良かったのかを意識してもらえますし、どう撮ろうとしているのかも分かってもらえます・・・・・
若い人はこうした機材や機能をもうすっかり「自家薬篭中」に取込んでの発想をしています。

そして何より、私などは自分が写ろうなどとは、何かの記録としてしか、ほとんど意識しません。
そう言う点でも・・・私基準で言えば・・・・考えが斬新です。
そしておそらくそれはとても楽しいのではないかと・・・・。
私はしませんが・・多分・・・。
どういう画面にしたいのかのイメージがはっきりとあるのですね。

背面液晶の画面で撮るのではなくてファインダーを覗いている。
『カメラ女子』だと言ってバカにしないでくださいね、と言われそうですが、こういう「撮る」に対する気持ちの姿勢が好もしいです。
こうした写真をどう活用しているのかまでは聞きませんでしたが、おそらくインスタグラムか何かにあげて楽しんでおられるのだろうと思います。

どういう写真をアップすれば友人・知人が楽しみ・喜ぶかの意識も、私などより明確なんじゃないかなと思います。
そしてその写真を撮り、アップすることを大いに楽しんでいるのでしょう。
その楽しさに正直で、何やらあれこれ理屈をつけないところが、私などとは違うところなんだと感じます。

- 2017/07/06(木) 00:00:36|
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「写真」の良さって何だろう?とか、そもそも「写真」とは?、なんて考えるのが我々世代のいい面でもあり悪いところでもあるだろうか。
いろいろな写真展に作品を見に行って「どうもなあ。」と首をうなだれて帰ってくる。
それぞれの楽しみ方を尊重しつつも・・・、
・・・・・じゃあお前の写真はどうなんだという問いは何時も棚上げにしておかないと、こういうことは考えられない・・・・・

「カメラ女子」という言葉はあまり好きではないが、事の一面を認識するうえで役に立つことがあるように思う。
あるプロカメラマン氏が「おじさんカメラマン」という言葉を使う。この二つの言葉がアマチュアカメラマンの傾向を表していて、私は面白いと感じている。

そして私がほんの少し肩入れしている方が「カメラ女子」なのです。
「おじさんカメラマン」の写真は率直に言って面白くないし、マンネリで、カビが生えているといっていいのではないかと思うことがしばしばで・・・。
実際、あっちの会場でも、こっちの会場でも、どこで何を見たのか区別がつかないほど印象にも残らないし、違いも感じられない。
そして特徴的なことにキャプションが陳腐すぎる。

このお二人は、今まさに写真撮影中なのです。
それは例えば照明や背景の幕のセッティングやモデルのヘアマイクなどを含めた広い意味でのことですが。
白詰草の花をとって髪飾りを作っているのですが・・・・。
そしてこうして「自撮り撮影」をするのです。

白いブラウスにピンクのスカート、そしてウエストには同じようなベルト?
おしゃれな敷物もはるばる運んで来ての撮影。
私はこんなに工夫して準備して写真を撮っているだろうかと考えさせられました。

カメラの設定は「マニュアル」だとのことですし、「玉ボケが・・。」なんて言うところからすると、普段から写真を撮っているし経験も少なくないとお見受けするわけです。
自分が高い建造物の上から踏み出して宙に浮く姿を撮ったり、「浮遊」するのを撮って作品にする人がいたりはしますが、決して例が多いとは言えない作品づくりを意識した「自撮り」ですね。

私のような昔人間は自撮りと言えばセルフタイマーを使った、こわばったような写真しか思い浮かべることができませんが、今やこうしてスマートフォンで画面を確認しながらシャッターが切れるのですから、より意識的な写真が撮れるわけです。
そう言えば中国の人などは意外?にも、自撮りで積極的にポーズしていますね。欧羅巴の街で見かけるとあれも案外面白い。 (ただ、相手国の文化への敬意がどうかという事も考えねばなりませんが。)

※ お二人には写真のアップは7月の中旬頃でしょうと話しましたが、せっかくですので前倒しのアップです。
気づいていただけるでしょうか。
- 2017/07/05(水) 00:00:29|
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私がいくつかの言葉を提示して、それをイメージしたポーズないし動きを考えておいて・・・という宿題を出させてもらいました。
服についても注文を出しておきました。
それをしっかり受け止めていてくれました。
ところが宿題を出した私の方が、現場でのイメージやら何やらに気持ちを奪われて、つい肝心のところまで撮影が進みませんでした。

こんな瞬間にも意識がつま先まで届いています。
そう言うバレリーナだからこそできること・・・・しかもことさらな意識をしないでも身についているものを掬いとりたいですね。

今私に力を貸してくれている人の中で一番お若いのです。
それでこの笑顔。



一か月前の写真ですが、もう夏ですねぇ。

- 2017/07/04(火) 00:00:36|
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バレエを長年していた人はとにかく姿勢がいいです。
今はドイツで活躍中のバレリーナを撮った時にも強くそう思いました。
この人も進路を考えるときに外国にバレエを学びに行く道か国内で学ぶかを相当迷ったようです。
で、今は京都で学んでいます。

私自身がバレエの動きにも表情にも詳しくありませんので、意識的にそれを見せてくれています。
そうするとそこに私の新しい注文が出て来ます。

先ほどの場所では、まだほかにいくつもいい写真が撮れましたが、一旦場所を移動します。
ここは河川改修の工事がされていて長く立ち入ることができませんでしたが、ようやく終わっていました。それは下見で確認していたのですが、どうも護岸に工事の爪痕がそこここに残っていて「美しくない」ので 、撮影場所に苦慮しました。

実は他の人の撮影場所としても候補に入れていたのでその確認も兼ねての撮影です。
河原のあちこちに落ち着きがないので、私が逡巡していると、この人の方が積極的に足を前に進めます。
そういう点で若い人と組むと有難いですね。

バランスがいいのでしょうね。浮いたような石にでも安定して立っています。
私の方が足を置く石を探してキョロキョロしなくてはなりません。
水の中から撮るべきでしたが、安定が悪そうで・・・。


- 2017/07/03(月) 00:00:07|
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フォトマヌカンをしていただけた人との出会いの状況は皆それぞれに微妙に違います。
何か事務所を通じて紹介されたりするのではないのですから、まあ、当たり前と言えばそれが当たり前ですよね。
手配され、お膳立てされて撮るというのはまた別の切り口での写真で、こうしたポートレート写真ではできるだけ個人的な出会いでありたいというのが今のところの私の願いです。
今度出会うことができたのはこの人です。

わざわざ私の写真展に来られて写真を確かめて、「一緒に撮りたい」と言っていただけました。

バレリーナとしていろいろ思うところがあり、その一端を私の写真に力を貸すことを通じて表現したいという事でした。
少し以前にこの人がバレーのお友達と練習をしているところを私が通りかかってお誘いしたのが始まりです。
正直に言えば、私のキャパを越えています。
どちらかと言えば大いにこの人に触発され教えてもらって自分を拡張したいというところです。
それに、ちょっとした「下心」が私の頭に浮かんでもいるからなのですが。
それを話すと大いに乗り気になってくれて「協力します」と言ってもらえたのです。
その目論見を少し具体的にお話しするためもあってこの場所に来ているのです。

実はこの場にはたくさんの観光の人たちが来ていて・・・・・。
でも幾度もステージで踊った経験があり、「今日はあなたは『モデル』、僕は『カメラマン』ですから」といつものようにお話して、お互いに気持ちを切り替えていますので、周囲の視線なんか意に介さないのです。
こちらが本気で取り組んでいれば周囲の方たちは、おおむね奇異には思わないで受け入れてくれることが多いのです。

それに、さすがに4歳から厳しい練習を積んできただけあって本物ですから説得力が違います。
カメラマンの方は、「なんちゃって」なんですが。
いいなあ、こういうラインがほしかった。
今日は手探りですから、持ってきていただいたトゥーシューズまでは履いていただいていません。 トゥーシューズを履いた方が、ずっとやりやすいのだそうです。

私との撮影に慣れていただくために、こういう写真も撮ります。

それでもやっぱり・・・こうなります。
- 2017/07/02(日) 00:00:42|
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