年を重ねると時間が過ぎていくことに敏感になるのでしょうか、それとも鈍感に?
私の知人はある大きなイベントを企画して来年の話をしています。来年のことを言うと鬼が笑うそうですが、その人はさらにその翌年の事ばかりでなく5年後の企画まで構想してイベントの会場をおさえています。
その5年後の場所押さえの際に、更に次の5年先までの話をしたら、その会場の方から「お互いその時にはこちらにいないかもしれないのですから、その先はまあ、置いておきましょう。」と言われたそうです。その知人は私より少しばかり年長なんです。
その知人と私とでは時間についての意識がずいぶんと違うのかもしれません。

私がいましているような写真の活動を始めたのは随分と遅かったですから、どうしても既存のイメージでは将来構想を描けません。
その点で先の知人から学ぶべきことが本当に多いと思っています。
彼が「5年目にはパリで個展を目標にしたら。」と言ってくれて、早やその5年目から1年余りが過ぎて、まだ横浜ででさえ写真展ができていません。

こうなれば写真集に目標を変えましょうか。
それとも・・・・。

・・・・・、う~ん…それとも・・・・。

まあ何はともあれ、さしあたり数少ないポートレーター(なんて言葉があるのかどうか知りませんが)として飛躍を目指しましょう。
「そんなことより、ソフトクリーム美味しいですよ!」ですって。
そうですよね、あなたたちが力を貸してくれるからこそ撮れるわけで、一人力んでも仕方がありませんよね。

「若い女性は少しオーバー気味に撮りましょう。」という『人物写真の撮り方 入門』に従って・・・・・、でも、ちょっとオーバー過ぎですね。
初夏の表現ですからいいとしましょうか。
ソフトクリーム、なかなか減らせません。 何しろ小道具ですから。
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- 2017/06/30(金) 00:00:10|
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鴨川では近所の美術系高校の生徒が絵を描いていたり、大学生が楽器の練習をしていたりします。
今日は一群れの学生がてんでにギターを弾いたりふざけ合ったり何やら楽しくしています。
どうやら学生のサークル活動らしいです。
「ギーター部です。」とのこと。

学生時代の私自身はサークルに入りそびれて、その意味では残念な学生生活でしたから、なんとはなしにこうした学生の姿が羨ましいのです。
・・・・ただ大学に入って専門の勉強以外に音楽などの芸術・芸能、あるいはスポーツなどに力を注ぐということの意味が当時はよく分かりませんでした。ですからいわゆる学術系サークルしか思い浮かばなかったですが。・・・・・

向こうでも練習していますね。
ただ、合奏を求めているのではなくてどうも個々ばらばらに課題を持って練習しているようです。
写真サークルなどを見ても「一緒に取り組み学びあう」のではなくて、それぞれがそれぞれに楽しんでいるという様子があって、どうも私のような人間から見ると物足りないサークル活動です。
せっかく一緒にいるのになあと、友人とテーブルを囲んでいてもデートしてても個々にスマホに見入る若者たちと同じような感覚を受けました。

でも一人一人は案外真剣に練習してはいるようで・・・。
それが互いに刺激になっているんでしょうね。
それで「一緒にやっている」感があるんでしょう。

「ギターのサークルにトランペット?」
ギターも弾くし好きなんだけど、トランペットの方がもっと好き・・・・なんだそうで。

今ちょうどこの橋の下は猛烈な風の通り道になっていて・・・・。
せっかく撮らせてもらっているのに・・・。

やっぱり羨ましい時間ですね。
- 2017/06/29(木) 00:00:02|
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「念仏六斎」にはこの笛が入らないようです。
この方は、保存会に参加してこの芸能を守っておられます。

8月の22日の20時に上善寺で奉納が行われるようで、
この「六斎念仏踊り」は無形文化財にも指定されているそうです。

空也上人と言えば「市の聖」とも言われます。
六波羅蜜時にある「空也上人像」は皆さん一度は日本史の教科書や資料集でご覧になったことがおありでしょう。
例の口から南無阿弥陀仏の称念仏が仏の姿となって出ている、そうあの像で知られる方です。
私はあの人が、「市」の聖と言われて、堂塔伽藍にふんぞり返って教えを説く人でなかったことや、教団を組織しなかったことを偉いなあと思っていたことがあります。
宗教や政治はそうでなくちゃいけません。まして政権党と手を組むようじゃあお話になりませんね。
(もっとも空也の時代の僧の在り方は今日とは大きく異なりますので、権力との関係も同じように評価することはできませんが。)

私より少しお若いのですが、リタイア後の時間をこうした伝統芸能の保存継承に注がれているのです。
「楽しいですよ!」の一言が印象的です。
ご自身の「楽しい」が社会的な意義に結合するときに人生はますます楽しくなりますね。

この六斎念仏の奉仕の日、ネットの情報によればあまり多い人出ではないそうです。もっぱら地元の方たちが見に訪れているようですね。
斯くいう私もこれまでほとんど全く知りませんでした。
平安時代の空也について学びっぱなしでその後そうした浄土教がどうなり、踊念仏がどうなったのか、なんとなく「昔のこと…だし今はもう・・・・」と思い込んでいたのです。そういう意識は伝統という事や、その国の文化というとについての軽薄な観念の現れだなあとちょっと反省。
(ただ踊念仏が空也の創始かどうかということについては歴史科学的には疑問があるようです。)

伝統というのは、今があってのものですからね。

- 2017/06/28(水) 00:00:49|
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私はもうすでに長い間京都に住んでいます。
浪人生の頃からですから人生の大半をこの京都で暮らしています。
ですが、正直なところ京都のことをほとんど何もと言っていいくらい知りません。
生まれ育った郷里の事はなおのこと知りませんので、日本の事はほぼ何も知らないということになるかもしれません。
海外のことは言うまでもありません。
さて、そんな私がいつものように鴨川べりを自転車で走っていると「コンチキチン」の鉦の音が聞こえます。

今年の祇園祭も7月1日から始まります。全国に有名な山鉾巡行の前祭りが17日、後祭りが24日です。
ですから祭囃子の個人練習が始まっていてもおかしくはないのですが・・・それにしてもここは山鉾を持つ町内からはずいぶん離れています。

槌の頭は鹿の角でできています。これが良いそうです。
鉦は内側の底や縁を打ったりこすったりして音を出します。「コン チキ チン」と。
何やらつぶやきながらの演奏です。
念仏とか御詠歌のたぐいでしょうか?
いえ、そうではないのです。
鉦にも、そしてこの後吹いて見せていただいた横笛にも、いわゆる紙に書いた「楽譜」がありません。
それで「口承」による伝えがあるばかりで、それをすっかり暗唱して演奏するのだそうです。
それが独特の言い回しになっているのですね。
曲は「月鉾」の囃子をベースにしているのだそうですが、実はこの人は祇園山鉾のお囃子の練習をしておられるのではなかったのです。
この地の近辺は昔「小山郷」と言っていました。農村部なんですね。何しろ北「山」通を挟んでいるくらいですから。
「小山」の地名はあちこちに残っています。初音だとか、上総・下総だとかかなり広い地域です。
その小山郷には「六斎念仏踊り」が伝承されているのです。
空也上人の踊念仏を起源とするとも言われているようですが、そうした宗教的な内容を保守する流れ(「念仏六斎」)と、笛を入れて芸能化する流れ(六斎念仏踊り」)とがあって、幾流かが存在するのだそうですが、私は詳しく知りません。
小山郷のそれは芸能的なもののひとつで「六斎念仏踊り」と称しています。
「さて、じゃあ、次は笛を吹いてみましょうか。」

- 2017/06/27(火) 00:00:29|
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あくまで撮影用ですからね。
お行儀の方は大目に見てください。

「少し会わない間に」こんなかわいい仕草をするようになりました?
それは多分お会いしないうちにこの人の身の上に起こった幸せな事情の所為でしょう。
女性(人)の不思議なところです。

こんな色と輝きを撮れるところにフジのカメラの良さがあるように思うことがあります。
とにかく一年のうちに得意不得意を見極めて、操作にも慣れなくてはなりません。
失敗して「ごめんで済まない」その時のためです。

それにしても、これからもっともっと素敵な人たちに出会ったときに、そのさまざまな「素敵さ」にマッチした場所探しもしなくてはなりません。
不審者にされて手が後ろに回らない範囲で・・・ですが。

見つけておけばこんな楽しい時間が持てます。
そこに入り込んだだけでフォトマヌカンの心が動きます。
「いいねえ、かわいいよ! それいいねぇ きれいだよ!」という声掛け以上に場所(環境)で心を動かす、そういう事が人を撮る一つのカギでしょうか。それができればワザとらしくなく、まさに「自然の表情」が撮れます。
「自然の表情」を意図的に演出(導出)する、それが私流の演出する写真です。

そう言う意味ではもっともっと位相の違う色々な絵の具(ロケーション)がほしいところです。
京都には見つけにくいなあと感じていますが、多分私の消極性、ものぐさというべきでしょうが、災いして見つけられていないのだと思います。

- 2017/06/26(月) 00:00:19|
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この人を撮るときには町にある色やデザインが気になります。
なぜか最初の時からそうなんですね。
不思議なことに、案外そうでない人もいるんです。この違いはどこから来るんでしょうねぇ。

今度の個展でも・・・・若い女性はパネルに6枚の写真を並べたのですが・・・・すべてがモノクロになった人もいれば、逆にほとんどがカラーになった人もいます。
この人はしばらく音信が途絶えていましたので今回は写真がありませんでした。
この人の場合だったらすべてカラー・・・・? 多分そういう事にはならないだろうけれど、比較的多数にはなるように思います。

礼拝の妨げにならないように・・・・気を付けて気を付けて・・・・・。
ドイツに行った時に、ある教会では入らせていただく前にとても厳しく「撮影はなりません」と注意を受けました。
それでもカメラを取り出す日本人の女性がいて気が気ではありませんでした。
こうこうこういう場合には遠慮してくださいねと制限をしっかり示してくれるところもありケースバイケースでしたが、とにかく「信仰の場ですから教会にも信徒にも敬意を払ってくださいね。」という事だったでしょう。
先の教会ではとある日本人ツァー団体の傍若無人によって暫し出入り禁止になった旅行社もあったとか。

X100Fは無音で撮ることができますからこういう時には、確かに便利です。
去る5月の「エリー アメリングさん と イェルク デームス氏」による「歌曲マスタークラス」の撮影と、来年6月21日の二胡のコンサートの撮影のために買ったのですから、当然に期待する働きです。

今まではα900の「バシャリ」の音におっかなびっくりでした。
まあ気合は入りにくいですが背に腹は代えられません。・・・・うん?!これは適切な表現かなあ。

蒼樹さんには気に染まない場所かもしれませんが・・・・撮ってほしい場所がありますという事で。
それで私の行動も拡張されます。それが異なった人間が出会う良い点ですね。
夫婦の場合も、「違った二人だからこそ人生が二倍に」なんて言われますが・・・・そうは容易くないところが生きる難しさ・・・・ですよね。
と、同意を求められても困りますよね、皆さん。
うって、かわって・・・。
- 2017/06/25(日) 00:00:10|
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先日の個展にひょっこりと顔を出してくれました。
以前こうしてフォトマヌカンをしていただいた方です。 そしていろいろ指摘してくれました。
その時に「また機会があればよろしくね。」とお願いしていたのが実現したという訳です。

私は日本に広がっている「ポートレート」にちょっと異を唱えながら写真を撮っているわけです。
言葉だけじゃ批判になりにくいですからね。

一方ですごいプロ、写真家たちの「被写体の本質を内奥からつかみ取るような写真」にたいしても、ちょっとそのままでは受け取りにくいなあと思う気持ちからのささやかな実践でもあります。
何しろ「下半身」が活躍しないと対象となった女性の本質、人格の深い部分を写し取ることができないなどと言われると、そういう写真は撮りたくないなあと思うのです。それで「じゃあ写真家になどなれないのだからやめたら」と言う事にもなるのですが・・・。

いいんです。私は素人なんですから。
それで「
文人光画展」に出品するようになったわけで・・・。・・・・「文人」という言葉も相当なものですが。
こんなことを書くのも最近根拠もなく私が増長しているからです。
というようなことはまあいいとして・・。

今日は幸い良いお天気です。
今日はフジX100Fを試させてもらっています。

X20を使って「フジはなかなかいいなあ。」と思ったわけでしたが、ではX100Fが宣伝されているほど使い勝手がいいかどうかと言うことになると、どうもなかなかそういう風には簡単に評価できそうもなくて・・・。

まず最大の難点は
Qボタンの位置が決定的に悪い。サムグリップでも付けないと、撮影に夢中になるとカメラをしっかりグリップしようとしてついこのQボタンを押してしまいます。
ファインダーをのぞいたまま操作できることがいいことだなどという注文がどこかからあったのでしょうけど、そういう注文は的外れだと思いますね。そう言う注文は他の役割を与えられたカメラで実現すべきものです。そして、少なくとも、その解決策の一つとしてQボタンをここに置いたのはまずかったと、私は強く思います。

もう一つはEVFファインダーと確認用の背面液晶画面とでは象の明るさも色も大きく異なるという事です。
これが大いに混乱と不安を生じさせます。
撮れた画像はEVFファインダー像に近いという印象です。
ですから像の確認はファインダーでしたほうがいいと思います。液晶画面の色味と明るさを調整して近づけましたが、やはりそれは二つの別ものです。
フォトマヌカンと撮影画像を共有するのが難しいです。これはとても困ります。
- 2017/06/24(土) 00:00:56|
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個展には7人の若い女性の写真を並べたのです。
ある日ギャラリー巡りの時にたまにお目にかかる女の方が会場に来てくれて「あら、あなたの写真なの?」と・・・。
で、とても時間をかけてじっくりと写真を見、文章を読んでくれたのですが、若い女性たちの写真のパネルの前を何度も行きつ戻りつして、それぞれの女性の魅力を認めていろいろお話しくださいました。
さすがに女性の視点、眼力は違います。

男性諸氏の感想とは一味も二味も違いますし、深みが違うと思いましたね。
そう言う眼力を持った女性を徒や疎かにできません。
翻って考えればそういう女性を撮っているのですから、「キレイに撮れた」なんて喜んでいたら、内心色々深い批評をされているんだと思わねばなりませんね。

以前撮らせてもらってしばらくお会いできていない女性も来てくれて、的確な批評や改善点の指摘をしてくれました。むろん若い方ですが、まさに的確で、いろいろ助言をくれました。
写真集という形で表現をしたほうがいいんじゃないかというのは私がこのところずっと考えていたことでしたので意を得た感じでした。

やっぱり個展はしてみるべきものですね。
いいですねぇ、このお二人。
大いに可能性を感じます。
「夏」を意識した写真を撮りたいですね・・・・・・ぜひやりましょう!!

女性は春から夏に向けて急速に姿を変えていきますからね。
撮り逃がさないようにしたいものです。
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- 2017/06/23(金) 00:00:25|
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この場所で他の人影を入れないで写真を撮るのは至難の業です。
早朝に来るのが一番でしょうが、そういう訳にもいかないですしね。
ここではちょっと凝った撮り方をしたくなる方が多くて、お互いに「う~ん、邪魔だなあ。」・・・・と声には出して言いませんが・・・そこがいいところですね。自民党議員なら「そこ邪魔!!どけ!!今わしが撮ってるだろ、分からんか!!無礼者」」なんて言うかもしれませんが・・・・と思いながらも順番を待ったり機会をうかがったり。

実は、お互いイメージはあまり違わないようで、他では見たこともない撮り方というのは難しそうですね。
この人の今日の服装は上が青のトライプでスカートが白・・・なんて書かなくても写真を掲載しているのだから「ご覧の通りでいいじゃないか」というご指摘ごもっともです。
靴は白。時計の文字盤が白。バックが白です。そして髪がややブラウンで軽い感じにしています。
Iさんの黒に対して、このTさんの白。二人で打ち合わせしてきたのかどうか聞きそびれましたが、それぞれの人としてコーディネートできているうえに、お互いに重ならないようにしています。
しかも「白と黒」なんて。

さすがに女優志望者のお二人だけの事はあるというべきでしょうか。

今日の最初の一枚はフジX100fで撮っています。
そしていつものソニーα900とキヤノン5D+プラナー85ミリです。
それぞれ色合いが違いますし、グラデーションの表現も違います。
上手に使い分けられたら面白いですね。

先日の個展会場のテーブルにソニーα900を置いていましたら「ソニーってカメラも出してるんですか?」と驚かれている方がいました。
そのうえフジのx20ですから「カメラって言えばキャノンとニコンという印象でしたが・・・いろいろあるんですね。」
お互い関心のない分野についての知識はそんなものなんでしょうね。
- 2017/06/22(木) 00:30:34|
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今日は「夏至」ですかね。
冬至からの半年、自分としてはどう過ごしてきたか考えてしまいますね。

というようなことはともかくとして、何はともあれこうして写真が撮れるのは幸せなことです。
この人の今日のファッションは上着が黒ですが、バックも靴も、そして時計のバンドも黒です。
加えて髪も黒。
そしてスカートが鮮やかな朱。

口紅は控えめで、それがこの人の良い性格を表していると感じましたが、スカートと同じ朱をぬったらどうなるかなあと想像してみました。
それにしても弱冠○○才で、この気配りです。
それに引き較べ私のこの格好は!!

CMなどで実際には飲まないで飲んだ振りをして撮っているものがあります。ドラマなどにも多いですね。
何度も何度も撮りなおすような場合に、そのたびに飲んでいたのでは・・・・ということになるので、実際には飲まないで飲んだ振りをするのでしょうが、その演技が落語家のように上手なわけではなくて、それで美味しいとか、さわやかになったなんていってくれてもなあということがままあります。

TVドラマはこの頃ほとんど見ませんが、見なくなったのはその内容もつまらないことが多いのと演技があまりにお粗末だということがあります。リアリティーにも欠けるし、心情が浅く感じられるのですね。人間はもっと複雑なんじゃないかなあと思うのですね。
ニュース番組も劣化がひどいですしね。
マスゴミなどと揶揄する諸君とは別の角度からね、そう思います。
「気持ちいいでしょー!?」
「まだ冷たいですよ。でも・・・・いい感じです。」


- 2017/06/21(水) 00:00:15|
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日中はいくらか気温が上がるだろうとは予想していたのですが、予想以上でした。
木陰にはいれば真夏とはその暑さは違いますが・・・・。

飲料水のCMを意識したのではないのですが、

三門の屋根の下に入ればホッとします。
視線の先の緑もさわやかで涼を感じさせます。

「そうだ京都に行こう」と来たものの「京都って案外暑いんですねぇ。」という感じかな。(以上拝観記念写真)
白川の疎水です。
この下流が祇園辰巳橋のある「祇園白川」になります。
この辺りの岸辺には柳並木があって私のお気に入りです。

実はこの川の西べりを通る道は交通が激しいのです(北行き一方通行)。ことにタクシーの抜け道で、風情をじっくり味わうことができません。
東側は南への一方通行なんですが、こちらはそれほど車の数は多くありません。じゃああちらを歩けばいいのに・・・ということになるのですが、どこか微妙に趣が違い・・・・というか私には建物が作る景観が面白くない・・・・西側を歩きたいのですね。

こちらは京都会館の西べりを北流し、やがて旧武徳殿付近で九十度西に折れて鴨川にそそぐ疎水の桜並木です。
写真の色合いが濃厚すぎるのは私がうっかり「フィルムシュミレーション」の設定を間違えていたからです。
どうも暗いなあと「明るめ設定」の工夫はしたのですが、根本が違っていました。

違うメーカーのカメラを3台持って歩くと頭が混乱します。
せめて常用感度の最低限はISO100に揃えてほしいなあ。
- 2017/06/20(火) 00:00:05|
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桜の季節が終わるころから山々の緑がありとあらゆるグラデーションで飾られます。
ふもとの木々もまた美しい柔らかな緑をつけ始め、日毎に葉を広げます。
柳の新緑もまたその中で最も美しいものの一つでしょう。

柳の木の下には幽霊が出るんだよと言っても怪訝な顔をしています。
世代の違いですね。もう幽霊じたいがお馴染みの「存在」ではなくて、柳の下も暗くはないのですから。

昨日のTさんと今日のI さんとではこんなにファッションが対照的です。
私とこのIさんとは今日が初対面です。
この人の明るい開放的な性格から言って、もし仮にTさんと一緒でなくてもすぐにこういう表情になってくれたかもしれません。

待ち合わせの駅で一人の若い女性が階段を下りてくる姿を見て、多分あの人が…と思いました。
が、二人一緒に現れると思い込んでいたので、声をかける事はしませんでした。その直後に「やっぱりあなたでしたか。」ということになりました。
二人ともにそれぞれに惹きつけるものを持っています。

清潔感があって話していてもレスポンスが早く性格の良さを感じさせる気持ちの良い人たちです。
今すぐCMフィルムに起用しても好感度の高いものができるように思います。
私は小柄ですし、二人は身長も高い上に底の厚い靴を履いていますから、ちょっと腰を落としてもらわないと皆同じパターンになってしまいます。
が、画面上ではそれとはわからないように・・・・。
- 2017/06/19(月) 00:00:48|
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「緑 麗し」 と、つまりはそういう事なんですね。

友達も一緒にいいですかと言っていただいて、前回はお二人の写真をアップしましたが、今度はお一人ずつ。
お二人とも市内の人ではありませんのでターミナルからあまり離れた場所には行けません。
でもここにも・・・・私にとっての定番ではありますが・・・・いい場所がたくさんあります。

それに場所は同じでも立つ人が違えばそれぞれに写真の魅力は違ってきます。
そこが人物写真の面白くて難しいところ。

女性の写真はオーバー目に撮るべしとモノの本にはありますが、なるほどと思いますね。
私はついついアンダー目に撮ってしまう癖があり・・・・。
写真をクリックして一枚だけにしてご覧いただくと、この日の、気持ちの良い季節の空気感がいくらか出てくると思います。

ここから視線の方角を背景に取り込むような写真も工夫するべきでした。
ミュージシャンの場合などもそうですし、職人さんたちの場合はなおさらですが、その人の見ているものと視線の持つ力を撮りたいと思うのです。
ですが、それがなかなかできません。
動画なら可能かなとも思うのですが。

よいアングルをと探します。
人を撮る≒顔を撮る に縛られ続けているとなかなかそうはいかないのでしょう。

これくらいでしょうか。
- 2017/06/18(日) 00:00:39|
- 人物
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物事に取り組むときに自身の中にそれに向き合う必然があるかという事はかなり重要なことだと思います。
絵を描く、写真を撮る、・・・・。

私の場合は「楽しいからいいじゃないか」というところに、既にハードルをうんと押し下げてしまっていますから、あまり悩みもしないのですけれど、楽しいから描くということ以上に作品を昇華させていこうとすれば、事はそれでは収まらないのでしょう。

洋画を学ばれた中でどうもこのままでいいのだろうかという問題意識が芽生えて・・・・。

いろいろ紆余曲折を経験されてきたのだそうですが、その間にどん欲に経験したこと学んだことが集積した作品になっていると感じました。
殊にモノづくりにかかわる人たちとの出会いが大きく影響したようです。

干菓子の型を活かしたり、左官の壁塗りの技術を持ち込んだり・・・・。
それらがただ思いつき、アイディアの新奇さのままに集められているのではなくてその絵の中に有機的に意味をなして集合しようとしている、そういう絵だと思いました。

今回の個展で、様々な人の言葉を聞いて「自分がしていること、しようとしていることは、やっていっていいことなんだということがはっきりしてきた。」とおっしゃっていました。
個展で自分の先品を敢えて世間に露わにするということで、そういうことが確認でき又修正していくことができるんだと思います。
芸術上の作品も世の人々とのコミュニケーションのツールだという大切な面が
あるのだと思います。
これからの作品にも大いに期待したいと思いました。
- 2017/06/17(土) 00:00:11|
- 絵画
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お二人はすぐに打ちとけてくれましたので、二人の表情はどんどん柔らかくなっていきます。
撮影対象が一人ではないし、もともと仲良しのお二人ですから、それは当然かもしれません。

ここに来る途中でも通りかかる人たちが「あ、モデルさんを撮影している。」と二人に注目していました。
二人の明るい表情が人の気持ちを掴むのでしょう。

祭りの列の子供たちが二人を見るのでこの人たちも手をふったり、「頑張って歩きなよ!」ポーズをしたりしていました。


私は今までたまたま二人で居られたので「二人一緒に撮った」ことはあっても、二人で構成する写真を意識したことはまれでした。
今度このお二人でそれをしてみたいなあと思います。
「え~、どうする。そんな写真撮る?」

「ソフトクリームをつけるからさ、やろうよ。」
「それならいいかな。」
- 2017/06/16(金) 00:00:52|
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若いお二人にとって京都市内の観光地は決してお馴染みの場所ではありません。(学生時代を京都で過ごした私もそうでした。)
ときおり河原町や四条通りを歩くとしても、買い物も大阪が多いといっています。
そんなお二人と散歩します。
まずは古川町商店街です。
今日の散歩するにあたっての注意事項を確認して。

この辺りも外国人向けの宿泊施設が増えています。
そしてその人たち向けにお店が入れ替わって、昔からの商店との交替が見られます。
それでも残された商店こそがまさに古川町商店街の雰囲気を保っているのです。
こういうところにオシャレに改装したお店を出してしまうことの是非は検討されるべきでしょうね。
若いお二人も同意見でした。

それでもシャター街になるよりはましですかね。

お二人は女優さん志望のお友達同士です。
年はお二人の年を合わせても私のそれにはるかに遥かに届きません。それくらいお若いです。
で、元気溌剌ですし明るくて気持ちがいいです。
お二人はそれぞれオシャレにはかなり気を配っているようです。
さすがです。

歩きながら一人ずつの写真をたくさん撮りましたが、

撮影をしていると須賀神社の祭礼の行列が通ります。
初めは太鼓の音がして、何事やらんと道路の先を眺めていたのですが、やがて鉾やら神輿やら、思いのほか多くの人の行列です。

二人は興味深そうにながめていて、少々興奮気味。
そこがまた若々しくていいですね。
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- 2017/06/15(木) 00:00:13|
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私が一年で一番好きな時期は7月下旬から8月上旬の「夏本番」「夏真っただ中」です。
その時の光に比べればこの撮影の時の光は優しく風もさわやかです。ようやく水が温んで、冷たいとはいえ親しみを感じます。
で、こうして足を水につけてくれています。
こういう解放感がいいですね。

外で写真を撮るうえでやはり天候が一番大きな影響を与えます。
うす曇りぐらいが光が優しい上によく回って人物の肌もきれいに撮れることはよく知られたことです。
ですが、気分の上では「晴れた!!」方が高揚して楽しく撮れますね。
そう言う点で晴れが好きですね。

情感のある写真には雨の日や雪の降るときがいいのですが、カメラやレンズの扱いに困ります。
一般には効果の大きい「防滴」の備えをしているカメラもありますが、残念ながら私のはさっぱりですから。
撮られる方も傘をさすと顔に光が届きにくいですし。

そしてなかなかこういう表情にはなりにくいです。

どこにでも腰をおろすという訳にはいきませんしね。

眠れる森の美女の背後から大蛇が襲い掛かろうとしている、なんていう様子にこの時気が付かなくてよかった。
もし気づいていればこんな安らかなポーズをとってもらえなかったでしょうから。
そういう訳で、せっかく目覚めた姫様もおいしい焼き肉でビールを飲もう!という訳にはいかないのでした。
- 2017/06/14(水) 00:00:04|
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私にはずっと以前から写真にしてみたいロケーションとシチュエーションがあって、それをこれまで1,2の人につぶやいてはきたのですが、何しろ場所が遠いことと、私が以前そこに行ったのはずいぶん昔なのでその場所が同じ状態かどうかも分からず・・・・。
しかも季節的にもある程度限定されるので、これまで実現していないのです。

そのイメージにこの人もとてもマッチするので・・・話してみると・・・、
すぐさま手を上げてくれて「やってみたいです。」ときっぱりと言っていただきました。
こういうことは美人ならいいとか可愛い人ならだれでも適任だという訳にはいかず、絵になった時のことをイメージすればやはりフォトマヌカンを選ばなくてはいけないわけで・・・・。

というわけで個展も終わったし梅雨の合間を見て下見に行かねばなりません。
下見に行こうと思えば、優に半日はたっぷりかかりますからちょっと大事ですね。
実は、そろそろ京都ファインダクラブの写真展のための作品も意識している訳で、今、いくつかのアイディアを温めているのです。

昨日、今日の写真の中から選んでもいいかなとも思うのですが、・・・・。
1年に一度のグループ展です。それだけに記憶に残るインパクトのある写真にしていこうと思うのです。今度はもう3回目の参加ですから、様子見の段階から脱しないといけませんしね。

「えっ?! そんなに大きなことを言ってしまっていいんですか? できる見通しはあるんですか?」
「そうだねぇ、君の協力次第かなあ。」
「他力本願ですねぇ。 協力はしますけど、大丈夫かなあ。」

「あんまり大丈夫じゃないけど、やってみないとできないという事も分からないしね。
それに思う通りにできないとしてもとにかく今までとは違う何かはできるんじゃないかなあ。
その時も今日みたいに楽しく撮れれれば、それはそれでハッピーだしね。」
「それはそうですね。」

第一、僕が写真の個展をしたり、イベントに写真で力を貸せと言われて引き受けちゃったりしていること自体が「身の程知らず」の所業なわけだから、今更どう振る舞っても仕方がないという事だね。
とにかくまあ君たちが力を貸してくれれば、何とかなるさ。
よろしくね。
- 2017/06/13(火) 00:00:27|
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ロケハンの時には気付かなかった踏み分け道がありました。
「何か惹かれるねぇ。」と進んでいくと子供たちの歓声が聞こえます。
どうやら水辺で遊んでいるようです。
下見の時に「ここなら少し水に足を入れられるなあ。」と思った場所が増水で「ちょっと無理だね。」という事だったので。
で、・・・。

子供たちは中州に渡って遊んでいますが、親の姿が見えません。
すぐそこが深くなっていて流れが速く、ちょっと心配。
子供たちに声をかけながらの撮影です。

いい場所を見つけました。
こういう川辺で撮るときには往々直接に日差しを受けてしまうことがあります。
でもここには木の枝の影があり好都合です。

風さえよければ日差しはたっぷりの日でしたから、水は冷たくとも我慢できないほどではありません。(一か月前ですからまだ冷たいのです。)
それに浅い場所ですからね。

ただ足の裏の小砂利が痛くて私も思わずバランスを失いかけます。
もし転んだらきっとカメラを空に突き上げて全身びしょぬれになるんでしょう。
私のカメラは防水でも防滴でもありませんから、そこだけは気を付けないと。

お気づきですか・・・・・。

いつの間にか流れてきた花びらを掬って・・・・。

- 2017/06/12(月) 00:00:49|
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実はこの場所に来たのはあるシーンを撮りたかったからなんです。
それでここから10数分あるいた場所で撮る算段をしていたのですが、この後に下見では見つけなかったとても良い場所を発見して、それでゲームオーバーになってしまいました。
でもこういう春の状景で撮るのも一応計画内でしたから、やってみました。
ここは広さのある場所ですからとにかく気持ちがいいのです。

桜の季節には随分多くの人が来るのでしょうが、この日はバーベキューの人たちやハイキングの人たちがそこここに。
皆さん楽しそうです。

この時レフは金色を当てました。
それがまずかったようです。
もともと足がとても白いのであまりに対照的になってしまいました。

脚に直接陽が当たらないように立ててもらって陰にするとようやく何とか・・・・。
とにかくこの人も反射率が高い。

タンポポと遊んでくれました。
そのうちに眠ってしまいそうだねと言ったら、しばらく目をつむって眠った振りもしてくれました。
実際、春の陽を浴びてお昼寝モードになっていたようでした。
しばらく放っておいてあげればよかったかなあ。


- 2017/06/10(土) 00:00:51|
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ようやくホッとできる場所に移動です。
それと同時に着替えます。

この人のプロフィールに使える写真もという事で、私の今回の個展のコンセプトとは違う写真も撮ります。
お互いのためですからね。
そうすると、なるほどこの人はこういう表情にもなるのか、こういう魅力も見せるんだなあと、私の思い込みが破れます。
それにこんなファッションでという本人の希望の服になると、やはり自信を持ったいい表情にもなります。

上下もいい組み合わせです。

さて、これまた暗い場所です。
何せ、夜に撮影をお願いすることはなかなか難しいですから、夜に代わる状況を探さねばなりません。

ここはこの人にもなじみの場所ですから、撮影場所としては「えっ?!」と思われても、まあ、そう不安はないのではないかと踏んだのですが。

もしブログを見ていただいている皆さんの中で「ここはもしかして。」と場所に見当がつく方は相当な音楽好きですね。


- 2017/06/09(金) 00:00:54|
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大学の仲間との小さな集まりで、無理やり写真を見せて、各々の反応を見せてもらいました。
盛んに「もったいないなあ。」と言ってくれる者がいました。これだけの写真をわずかな範囲でしか見せないのは・・・・と言ってくれたのですが、同時に「このモデルさんたち・・・・もったいないなあ。」と言っていました。もっといい写真家に撮ってもらっていれば「チャンスは広がっていただろうに・・。」という事です。 でも私が力を借りている若い女性たちは一人を除いて・・いや3人になったなあ…特にモデルになりたかったりタレントになりたいという希望を持っているわけではない、いわゆる「一般人」ですから、そういう意味で「もったいない」ということはないのですが、彼はそういます。

「いい人を選んでいるね」とは異口同音の評価でした。そこが私の自慢ですから、うれしかったです。
私がお願いした人のうちの半分以上は「たぶん状況が違えばお断りしていたと思います。」という人たちです。

やはり遠慮のない昔の仲間にそれなりに評価してもらえると嬉しいものです。
そして、「お前にどうしてこういう人たちを口説けるのかわからん。」というのもまた彼らの正直な申し分でしょう。

そして「お前が気にいったタイプの人ばかり撮ってるじゃないか。」とも言われましたが、そりゃそうですね。
仕事じゃないんですから。

そして一緒に街を歩くと「あの子を撮りたいと思っているんだろ。」とズバリ言い当てられてしまいました。
そんなにきょろきょろ、じーっと見ていたはずもないのですが、私の好みのタイプだろうというのでした。
彼らも今になってようやく「こいつは写真を撮っているのだ。」ということを受け入れてくれていますが、数年前には「お前と写真?! 結びつかんなあ。」「お前、あのころから写真なんて撮ってたか?」と随分違和感を感じていたようでした。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
この人はどうもトンネルの中に響く自動車の音が怖いようで「早く終えましょう。」という気配濃厚でした。
トンネルの中は音が響きますし、まして背後から近づいてきますからね。
私には見えているものがこの人には見えないのですから不安は大きいでしょう。

それで、少し撮ると静かな方に移動です。

「もう少しだからね。」なんて言いながら、やはり私はしつこいのです。
何しろこのアイディアに至るまでに何日も何日も、もはやすっかり頼りなくなった脳みそをギシギシ言わせながら考えたんですから。
- 2017/06/08(木) 00:00:56|
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手指がきれいに出ています。
ですから使えないレンズではないと思うのですが。

私の露出設定やピントのつかみ方に問題があるのでしょうね。
まあ、うまくいかなければ「また練習に来たよ。」とお願いすることになるので、私としてはそれはそれでいいのですが。

キャノンはこのFDレンズを・・・・・といまさら言っても詮無いですね。
やはりこのFD85ミリ LはニューF1に付けるのがいいようですね。
次の機会はフジX100Fの試し撮りにしたいと思います。
このカメラには一年かけて慣れていかねばなりません。
とてもよくできたカメラだとは思いますが、やはり一眼レフカメラが撮りやすいです。ファインダーはOVFで。

街を徘徊して「人探し」をするときに一眼レフでは重いから、このミラーレスカメラを購入したのですが、人に向かって撮ることをイメージした時に、やはりこのカメラでは「ちがうな」と思うのです。
ストリート撮影用のカメラですね、やっぱり。
でも一年後きっとある状況で役に立ってくれると思います。
それで当分はカメラは三台持って撮ることになりそうです。荷物はますます重くなる。何だか自分の現状に逆行しているなあ。

う~ん、どうも左右のバランスが悪いなあ。
- 2017/06/07(水) 00:00:22|
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この人にも随分お世話になっているのです。
七宝を中心として彫金もするとてもしっかりした人です。

長らくお会いできていませんでしたが「しばらく京都に通いますのでよろしければ・・・。」と連絡をいただいたのです。
ますます職人の指になっていますねぇ。
我が家の女性陣の中ではCさんと、この人がことのほかお気に入りの若い女性なのです。
私にとっても大切な人で一回目と二回目の個展の際にDMを飾ってくれました。

こういう場でお会いしなければ決して「撮ってもいいですよ。」とは言ってもらえなかっただろうと思います。
ご本人もそう言っています。
でも、・・・・。

今日はキャノンの単焦点レンズ85ミリ Lが使用に耐えるかどうかを「試させて。」という事で来ています。
まあ半分は、会いに来るための口実ですが。
FDレンズですがα900に付けて撮ってみようという訳です。

そう言う事情をお話しすると「どうぞご自由に・・・。」と許していただけます。
私は返事をいただくまでもなくカメラを取り出して、撮る気満々です。

高校生の頃に絵を描いていたこともあって私の写真に少しばかり理解をいただいて、以前はずいぶん撮りました。
個展にもだしましたが、まだまだ出したい好きな写真が何枚もあるのです。が、たまたま個展の流れにうまく乗せられなくてお蔵入りをしています。

それにしてもこのFD85ミリ Lを何とか生かしたいものです。
持っているツァイスの85ミリをα900に付けられないのがなんとも悔しいのですが、何とかして単焦点の85ミリをα900に付けたいのです。
- 2017/06/06(火) 00:00:21|
- 工芸
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私はこういう写真を撮っていると、これまた楽しくて仕方がないのです。
「90%は若い女性を撮っている蒼樹さん。」と過剰包装というか不当表示法に引っかかりそうな紹介をしてくれる方もいるのです。
確かに今回の個展でも半分は若い女性を撮ったもので、私自身かなり気に入っています。評判も上々でした。
ですから見かけは確かに若い女性をずいぶんたくさん撮っているように見えます、・・・・が・・・・・。

でも1170名ほどの中で「モデル撮り」というような形で若い女性を撮ったものは5%にならない程度だと思います。
いつかそのうち男性像を中心にして写真展もしてみたいものです。

会場にはピカソやマチスを真似た絵があります。真似たというより取り入れた・学んだというべきでしょう。
「それはピカソやマチスの描き方を追体験しながらその目で世界を見るとどう見えるか。」を体験しようとしたのだとおっしゃいます。
私はそういうことは本当に大切なことだと思います。
私はマルクスやケインズの思考を、しっかりと追体験するくらいに学生は学ぶべきだと思いますし、そうすることは最近のトレンドに乗って書き散らしている人たちの口吻を真似るよりどれだけ収穫が大きいかと思います。
簡単に原理主義などといって深く井戸を掘ることを忌避する風潮は本当に深くものを見つめる目を養う上で感心しません。

漱石の評論を読むと漱石の口ぶりがうつります。
作家にはそれぞれの文体、口調がありますが、そういうものをしっかり「学ん≒真似て」で自分の見る目にし表現する手掛かりにすることは私たちの成長にとって大きな意味があると思います。
芸術系の大学などであまり早くから個性、独自性だなどと言い「過ぎない」ほうが、私はいいと思っているのです。
- 2017/06/05(月) 00:00:10|
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リタイア後に出会いを得た方々は、それまでにお付き合いのあった人たちとはずいぶん違ったジャンルを生きてきた人たちが多いのです。
今日(一か月前のことです)もまた、これまでの自分では考えられもしなかった場所と状況で写真を撮ってきました。
この方もとある大手企業の最前線で活躍をされてきた方ですが、リタイア後にパリに通って絵を描かれました。一年に一か月余り巴里に暮らして、佐伯祐三氏の描いた街を歩き絵にしてこられました。
その個展会場で勝村さんの話を聞く機会がありました。

私はこの人のこうした仕草にとても好感を抱いてお付き合いをしていただいています。
かつて仕事上の名刺をお持ちの時はまさに飛ぶ鳥を幾羽も落としてこられた人ですが、そうした業績を誇りがましく口にすることはありません。
無論、事実としてお話しされる機会はありますが、そっくりかえっててひっくりかえるようなことは微塵もないのです。
私が思うのに、それれは今と未来に大いに取り組んだこと、その結果としての「作物」があるし、これから取り組もうとする高い峰があって自ずと謙虚になっておられるからだと思います。
勝村さんから毎月「京都の鱒釣り」というデジタル通信を送ってただいて愛読しています。
そこには足で歩いた京都の町も描かれていて、私などの気づかない思わぬ京都を見せてくれます。
絵のみならず文にも巧みな人ですから、その表現の卓抜さに唸らされることも一度や二度ではありません。

街に潜む「美の化身=鱒」が時として遊泳し、ふと頭を出す・・・・という暗喩を使って、その鱒が姿を現すのを期待しながら、そぞろ街を歩く態でお話を書き綴っておられます。

この日、勝村さんのお話を聞く会には予定をはるかに上回る人たちが集まり、広いとは言えない町屋の部屋の中は文字通り立錐の余地もなく、お馴染みさんの我々4人は二階への階段に腰を下ろして耳を傾けることになりました。
もっとも私の場合は、席がないから仕方がないなあという顔を作りながら、氏の足もとに座り込んで写真を撮っているという訳です。
- 2017/06/04(日) 00:00:23|
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春があれば夏や秋、そして冬がある。
自然はほぼ循環しますが、人一人の一生としては不可逆です。
私は晩秋を生きているのでしょうか、それとも初冬か。 季節の色は「玄」です。
そして春の色は「青」。 春の色はまぶしい。

黒は色が重なり重なりあってやがて行き着く色。
まだ光はあるでしょうか、色彩は感じられるでしょうか。
私の周囲の先輩たちは依然として青のしっぽを持っているようです。

大学の同窓生はまだなかなかに朱い気炎を吐きます。

私は白いため息を漏らすのです。

しかし、黒は時に極めて饒舌で洒落気と色気があります。
黒はいなせでもあります。
黒は決して単に終末の色ではありませんい。

黒はありとあらゆる色を黙して発します。 いや、そういう黒になりたいという事です。
こんな素敵な人たちと写真を撮っていると、私は何時か漆の黒になりたいと思うのです。
- 2017/06/03(土) 00:00:37|
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この人は高いところが怖くないようです。
私はダメです。
マンガの画面で高層ビルの屋上の端に主人公が立っただけで、ゾクゾク、ザワザワっときてしまいます。
・・・
写真というのは不思議ですね。こうしてこの人が実に晴れ晴れと気持ちよさそうにしていてくれるので、後でこうして見返すと見ている方の気持ちも明るくなります。
そしてこうした季節にこうした年ごろの、この人を撮れたことは貴重だと感じます。
それは、どの人の場合にも同じように感じられることですが、こういうことができるのがカメラという魔法の小箱なんですね。

すっかり成熟して生活に浸透したこのカメラというものは、しかし、改めて見返してみると不思議な不思議な魔法の小箱だと思います。
初めは写ったことに驚き、さらに画像を保存して繰り返し見られることに喜び、やがて意識的主体的に「写す」ようになってきて、今はそれを更に乗り越えようとしている写真文化。
人類社会は魅力的な道具を手にしたものです。

あの時、あの場所での光景を保存し繰り返し見ることができる。

そして、他面、「Last」を物質化したような、そんな道具ですね。
というようなことは又おいおい・・・・。

この人も私の撮りたいを越えてくれる人です。
- 2017/06/02(金) 00:00:29|
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「春の・・・・」なんていっているうちに暦は「夏」に入りました。
心まちにしていた大学同期の仲間との集まりも、あれこれ悩んだ写真展も、もうずっと過去の話です。
そうこうしているうちに8月下旬にある京都ファインダー倶楽部のグループ展が近づき、いつの間にか一年後の清水西門での100人のトランぺッターの演奏撮影も過去になってしまうのですね。
それを体験して過去に数え入れることができますように・・・。
時が過ぎていくというのはどういう事なんでしょうかね。私たちを憧れさせ楽しませてくれた銀幕の役者たちも音楽家たちも次々と世を去っていきます。
儚いですねぇ。
私がこうした若い女性たちを撮るのはその儚さに対する抵抗なのか、はたまたその儚さの確認なのか・・・・。

できることならば「命」に対する賛歌でありたいですね。

そういうことを思うのも年を重ねてしまったからでしょうか。
若い翠の中にいると余計にそう感じます。

その翠溢れるロケーションを求めてここまで来ました。

この川の堤の斜面は結構急なのでじっと立っているだけで大変です。踏ん張ているので脹脛が太くなって申し訳ない。
脚につい力が入りますし、カメラをもって転げ落ちそうです。
この人も相当踏ん張っていますが、その頑張りが「顔に出ないようにね。」
裾の長いワンピースでとお願いしたのですが、さわやかな気持ちの良い色合いの服を選んできてくれました。
実はこの時は風が相当きつくて、目で見たよりずっと体感気温は低いのです。
でも頑張ってくれています。

風を避けられる場所に移動すればいいのですが、撮りたい状景もありますし、太陽の位置も問題なので「もう少し我慢してね。」
- 2017/06/01(木) 00:00:22|
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