学生さんかと思って声をかけたら「いや、僕はもう社会人です。」とのこと。
学生時代に楽器演奏を身に着けた人は実に羨ましい存在なんです・・・・私にとっては。

背景にある結婚式場の尖塔がいいロケーションだと思って撮影をお願いしました。
そのお話をしているうちに太陽は猛然と地球を回って、いや地球が猛スピードで自転して…向こうは強い光の中、こちらは陰の中に分かれてしまいました。
難しいことになってしまいましたね。

もし私がフィルムでこれを撮っていたら何枚撮ってもすべて没でしょうね。確実にそうなります。
だからと言ってデジタルなら簡単だという訳にはいかずに結局手に負えませんでした。

それで与えられた条件で撮る・・・なんて言っていましたが、事情をお話して少し移動してもらいました。
つまり光の中に出てもらったわけですが、「眩しい!!」のです。 ご迷惑をかけました。
これは背景の自転車の女子高生?が狙いでした。
カラーは最初の一枚ですがトランペットの色におきづきだったでしょうか。
シルバーです。
金色の方がいくらか音が張って高い調子だそうです。

尖塔と奏者の位置関係を探ると余計な街灯が入り込みます。
街頭を隠そうとすると窮屈になる。
「モデル撮り」なら、もう少しこっちに寄って、少し下がって、もう一歩・・・などとやれますが・・・・・。
これも・・・・撮らせていただく方には申し訳ないのですが・・・練習練習ですね。
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- 2017/05/31(水) 00:00:37|
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このところたまたま音楽演奏の人を撮ることが増えていて、私はとても楽しんでいます。
画家や陶芸家、あるいは書家なども撮りたいのですが、なかなか機会がありません。こういう『縁』というのも流れがありますしね。
それに任せましょう。

実は私は中小零細の工場労働者を撮りたいのです。ですから何かその契機がないかと待ち構えているのですが、今のところ難しそうです。
でも、「人を撮ってるよ~。」とアピールし続ければそのうち何とかなるかもしれません。

という姿勢がそもそも問題ですなあ。
撮りたいという事は、撮れるように自ら道をひからねば「撮りたい」と思っていないというのと同じこと。
写真家を名乗ろうなんざぁ百年早い!!
・・・というのは、そういう事ですよね。
周囲の人が面白半分に「写真家」とカードに書き入れたら?なんてからかうのですが、そういう訳で千年早いわけです。

アーノルド・ニューマンの写真を見てそういう自分の考えに確信が持てました。
そういう訳で安心して「写真愛好家」を名乗れます。

この場所は、私のイメージではもっと深いすり鉢型の野外ステージで、ステージの上ももう少し屋根があるんだと・・・・・。
それでこの人を撮る機会にはそのすり鉢の底で吹いてもらえたらなあとずっと構想を温めていた(なんて言うとかっこいいのですが)のです。
この日改めて行ってみると思いのほか貧相な感じで、残念でしたが・・・・・。

普段からいろいろロケハンをして引き出しを増やしておかないと、せっかくのチャンスが生かせませんし、またロケハンで膨らんだイメージにぴったりの人を見つけた時に強く心動きません。

またこの人のライブも聞きたいなあ。
- 2017/05/30(火) 00:00:14|
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今度の個展に向けて撮らせてもらいました。
いろいろロケーションを考えましたが、最大の難事は、屋外で音を出せる場所がほとんどないという事でした。
京都とはそういう街です。やだなあ。
実際に演奏をしてもらいながら撮りたかったのです。そうでないとやはり音楽の魅力というかプレーヤーの様子が伝わりません。
楽器が単なる小道具になってしまいます。
でも音が出せるところと言えば鴨川くらいしか思いつかなくて、それでは今回のイメージとは違ってしまうので、音出しは断念。

前回撮らせてもらってからどれくらい時間が流れたでしょう。
2年余り?3年近いのでしょうか。
いろいろ演奏の機会を得られているようで、レッスンも含めて忙しそうです。

素敵な服を着て来てくれました。
ちょっと注文は出しましたが、いろいろ準備してくれました。

あるカメラ店に「レンズを換えれば世界が変わる」(?)と垂れ幕にありました。
ごもっとも。おっしゃる通り。 その通り。
でもレズは、いやレンズも高価!!
金属の光沢と石の壁のトーンの違い。
画面の中で生かしたいですね。
その中に柔らかな肌の感触。

・・・・う~ん、私もなかなか言うじゃないですか。 言うだけなら誰でもいえるという声が聞こえそうですが。

カラーもいいけどモノクロもね。

色を画面の中でコントロールするのは難しいですね。
それだけに私の場合はモノクロに逃げているという面がないとは言えません。が、しかし、モノクロの魅力もまた豊かです。
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- 2017/05/29(月) 00:00:29|
- 音楽
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この若い男性はご両親が中国人で日本で生まれ育っているのだそうです。
ご家族が障害を持つ人たちに就労の機会をと尽力されているとかで、「これまでパン作りとかいろいろ考えられてきているんですが、それはどこでもしていることで、収益も今一つなので何か良い工夫はないかとこれを考えたんです。」とのことでした。
ご自身もそうした障害を持つ人のために役に立ちたいという思いを持たれているのだそうです。

そういうことは仏の慈悲心にもかなう事で・・・・というような話をしているのかどうかは分かりませんが。
御坊も随分関心を持たれた様子で・・・・。

窯変は百発百中で期待通りに結果を得られるものではありません。
お話では「5枚か4枚に一枚の割合」でしか、商品化できるものが得られないようです。
基盤の銅も最近はお高いですから課題はあるようですが・・・・。

この日は午前中しか出店していることはできないという事で帰りの電車の時刻を気にしながら片づけをされていました。
ですから到底十分な売り上げはなかったものと思いますが、いろいろ話が聞けてうれしかったですと後にメールをいただきました。



とてもさわやかな感じの良いお二人でした。
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- 2017/05/28(日) 00:00:36|
- 手作り市
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京都には幾つもの手作り市があることはこれまでも話題にしてきました。
毎月25日は北野天満宮で「市」がありますが、そこからさほど遠くない「本門仏立宗」の敷地でも「ほんもんさんアート市」が開かれます。
そこでこんなお二人を見つけました。

東京から「SIPPO」の作品をもって手作り市デビューです。
「七宝」ですね。
銅の基盤に釉薬を施し、「窯変」を起こした作品を並べています。

たまたま来られた京都の職人さんが・・・・この方はジャンルは違うようですが、職人のモノづくりについて・・・・・いろいろお話をしています。
とてもまじめそうなお二人は真剣な面持ちで聞き入っています。
ここばかりでなくこうした場所でどのような職人や芸術家や学者に遭遇するかもわからないところが面白いところです。

とても興味深い作物でしたので私もついあれこれとお話を・・・・。

それにしても、思い立てばネット検索で手作り市を調べて、はるか遠い京都に出店を計画し実行するというのはとても私にはできない芸当です。
思い立てば海外に撮影旅行に行くという若者の話も時々聞きます。
その決意と実行力には舌を巻きますね。
そしてその先で得られた新たな出会いから多くを吸収する謙虚さ。

そういう若者には誰しも語り掛けたくなるというもので・・・・。
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- 2017/05/27(土) 00:00:53|
- 手作り市
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リハーサルですから、曲のすべてを通して演奏することはなくて、前の演奏会で気になっているところを再確認したり、調整したりという事です。

で、一旦演奏を止めて、こうかな、それとも・・・・と弾きなおされるのですが、そのたびに音・調べの色が変わります。
ぐんと生き生きしていきます。
「気持ちとしてひっかかったところをやり直すのですから、そうですね、変わりますね。」

私よりずっと若い世代ですから・・・いわば脂の乗り切った、それでいてまだ全然枯れない・・・・人生の実りの時期です。
聞いていて実に気持ちがいいです。
その演奏への取り組みを撮れるというのはとてもうれしい機会です。

本番は又一挙に高揚して世界が変わります。
濃密で充実しています。
ガブリエル・フォーレの「この曲のコード進行は訳が分からない。とても解釈が難しい。」とおっしゃっていた曲も、まさに薬籠中に納めてどこにも破たんの無い演奏に・・・私には…聞こえました。
本番を聞くときに席から外光の漏れ入るのを目に味わいながら音に身を浸していると、この上なく幸福な感じがしました。
音楽・音楽家ってすごいですね。

まあ、アーノルド・ニューマンの写真を見ましたから「写真・写真家だってすごいんだぞ。」と・・・・自分の功績じゃないけれど・・・・・そして誰に向かっていうのかもわからないけれど・・・・、何か言ってみたい気がしました。

私はこの会場をごくごく最近知ったわけですが、今年の11月には閉めてしまうのだそうです。
様々な演奏家の発表の場であり、学びの場であり、そしてネットワークの核の一つであったこの会場=「音楽空間ネイヴ」との、できたばかりで、間もなく失われてしまうご縁ですが、貴重な体験になりそうです。
この会場を主宰されているピアニストが私の高校の同窓だというところから生まれた縁です。

11月19日に、その主宰され来た方を慰労する会を開いて、関係する演奏家たちが集まってオーケストラをするんだそうです。
おいでになりませんか?と若いファゴット奏者さんに誘っていただきました。
このファゴット奏者の写真も先日の個展に飾らせていただいています。

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- 2017/05/26(金) 00:00:25|
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(ほぼ)同郷の誼でいただいた撮影の機会。
同じ高校卒業の後輩にあたるピアニストのお計らいで撮れることになりました。そののピアノストとの出会いも不思議ではあるれけど森下氏とはそこからまた広がったご縁。
20回目だというリサイタルの直前のリハーサルにお邪魔しました。
森下氏がとある事情で少し準備が遅れた間に伴奏の奥さまの様子をパチリ。

ピアノ演奏の撮り方もパターン化してしまい、何か工夫はないものかと思うのですが、工夫を凝らして撮るためには、演奏家との信頼関係が醸成しないと難しい。
で、多分プロはそんなことを言っていないで許されたわずかな時間で最大限に踏み込んでいくのでしょう。
それで却って写真家として敬意を払われて演奏家との良い関係が作れるのかもしれません。

で、斯くいう私は・・・周囲の評価はともかくとして・・・・遠慮の塊に固まって・・・・。
これを脱しないと今までと何も変わらないと心の内で葛藤しながら、それで「楽しめ楽しめ」と・・・つぶやく努力はしているのですが・。

まあ毎度これの繰り返しですね。
それでも相手はすでに多くのお弟子さんを育てている、演奏家としても実績のあるヴァイオリニストですからね。

でもここで遠慮しては却って失礼になるから・・・・・。

こうした場合にいつも私が気がかりなのは、高度に集中して取り組んでいるときに写真を撮るものがあちらこちら動き回り、あまつさえ足元にも座り込む。
そのうえ耳に全神経を集中しているその刹那に無遠慮にシャッター音を響かせる。
そういうことがずいぶんと迷惑になるのではないかという事。

で、リハーサル後お訊ねしてみました。 このカメラはこんなシャター音なんですが・・・「バシャリッ」・・・お邪魔じゃなかったですか?
「まあ、そういうものだと思っていますから、気にかかるというほどの事はありませんよ。」
案ずるより産むがやすし…という事でしょうか。
撮影を受け入れていただいた時点でこの程度のことは織り込み済みなんでしょうかね。
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- 2017/05/25(木) 00:00:35|
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それで結局、技も覚悟もない写真とはなにかということで・・・・・。
まあそういう楽しみとしての写真というものも確実に存在意義はあるのだろうと・・・・・。
オッと、やはり少し寒いですか。風が強いですからねぇ。

個展に向けて撮るという事で比較的最近に4人の人の協力を得ました。
そういう意識で取り組んだのは今回が初めてでしょうか。
皆さんそれぞれに仕事などで忙しくされているのに有難くもうれしいことです。
個展の期間に日替わりでフォトマヌカンをしていただいた人に来ていただいて「蒼樹」の写真のフォトマヌカンをしての感想」などを対談形式で訊いてみるのも一興かな。案外関心を持つ人もいるかもしれません。ある人はフォトマヌカン同士で撮影者の悪口も言ってみたいそうですから。
私も聞いてみたい。よくぞ撮影に協力してもいいという気持ちになってくれたものだと思いますから。

この人たちの協力があればこそ、「撮っている」という実績と「こんな写真が撮れた」という実績とで、さらに多くの人たちとの交流の道が開けるのですから。
そして思わぬチャンスもめぐってきます。

チャンスと言っても文字通り「機会」の事でメジャーになるとか何とかいうことにつながるという意味でのチャンス≒好機ではないのです。
ただ、今までなら想像もつかないような「機会」が開けるというのは驚きですね。

それにしても今日の写真は全部右の顔ですね。
先日、ある画家と話していたら左の顔を描くのが絵を描く上での心理に適っているのだという事を聞いたことがありました。

どういうものでしょうね。
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- 2017/05/24(水) 00:00:16|
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今年に入って私の写真環境に異変があります。
これからどうなるのかワクワクです。
これまでの写真もそうですし、今日からのもまたある予感があります。
そしてまた、・・・・と、それは事がもう少し動いてからということで・・・・。

今日から4回目の個展が始まります。
どんなことになるのか、どんな方に見ていただけるのか、楽しみです。
とりたてて凄い写真があるわけではないし、革新的表現や技術があるわけではないのです。
いってみれば高校生の写真クラブの延長のようなものです。
私のブログを見ていただいている方には、その点はすでによくお分かりだと思います。
世間では人物写真の発表がとても少ないので、その点においてだけはいくらか注目されてよいのかなとは思っているのです。
何しろ全部人物写真なのですから。

プロのモデルも舞妓や芸子もいません。
けれども写真の中に「素敵な人たち」がいます。
さて、京都グラフィエの一会場として建仁寺の両足院がありました。
そこでは荒木経惟氏の写真が展示されていました。「天才アラーキー」です。
その荒木氏が病床で撮り続ける写真です。
そこにある個々の写真を作品としてみた時にどう評価すべきか私には分からない面が多いです。
ただ、彼にとって写真こそが呼吸そのものであり思考と感情の投射そのものであることを強く感じさせます。そういう意味で彼にあってはカメラ=写真を撮ることは生命行為だと・・・・・。
その「凄さ」には打たれるものがあります。

この日は晴れて太陽は春の輝きなんですが、何しろ風が強くて・・・・少々寒い。
でも緑のじゅうたんを求めて遠出した甲斐がありました。
とても気持ちが良くて、それがこの人の表情にも出ています。

炎暑の下で冬の写真を、厳冬にあって水着の写真を撮るという様な事をしないでいいのがアマチュアである私の写真です。
素直に季節を受け入れてそれを満喫しながら撮ることができます。
プロの力技を必要としないという事でしょうか。
もっともそうした技は求められても持ち合わせませんが。
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- 2017/05/23(火) 00:00:55|
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皆さんはフェイスブックやインスタグラムをされていますか。
今、より多くの人に作品を見てもらおうと思ったらFBやインスタグラムをしないとだめだよ、とよく言われます。
やっていないというと「えっ?! 今どき信じられない!」と宇宙人を見るような目で見られます。
いや浦島太郎を見るような眼かな。

全く情報の世界はひどく速く変化しますね。
私は、もうほとんどデジタル難民です。

今やカメラだって自動車だって家庭電化製品だってみんなみんな電子機器ですからね。
電子シャターなんて光をあてる時間の調整じゃなくて光を受ける方の調整ですから発想が違います。
ファインダーもOVFとEVFでは発想が逆転しています。
そういうことに関心を持つと知的エネルギーを吸い取られてつい何をどう撮るのかということを深く考えなくなってしまうのではないかと恐れます。
ただでさえ地階と2階の往復で二つも三つもの事も忘れて、「あれ?!なんだっけ。」のくり返しなんですから、もう一度にたくさんのことを意識できません。

まあそれでリタイア後はいろいろ引き受けないように思い切って、割り切って取捨選別して、不義理をしてでも、生活を単純化するようにしているのですが。

もっともそうすると、脳みそはそれに甘えてしまって、ますます、ちっとも働かないようになりますね。
ですから同級生でも現役で仕事をしている者の方がやはり機敏に頭脳が働きます。

よく「右脳が感性の脳、左脳が理論や言語の脳」だというようなことがいわれます。
これが本当の事だとしたら私の左脳はもうほとんど休眠状態ですね。そしてこの年齢で休眠したらついには二度と目が覚めないかもしれません。
それでは困ったことです。

それで、その対策としてこうして身に添わないような屁理屈もブログ上に書いているというようなわけで、こういうことは有り体に言えば「ボケ防止」なんですね。
というようにカモフラージュしながら書いておかないと、どこで共謀罪を問う法律の目が光っているかもしれません。共謀罪が成立しない今でもすでに・・・・・、クワバラクワバラ。気を付けなくてはいけません。
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- 2017/05/22(月) 00:00:18|
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晴れないまでも曇りならいいなあと話しながら、傘をさして歩いてきました。
着物は・・・・まして本絹のものは・・・・雨が大敵です。

今日の撮影のために髪結いを予約して、今日の朝に結ってきてくれました。
それで俄然雰囲気が違ってきます。
貧乏カメラマンは衣装もヘアメイクも準備してあげることができないのです。
でも今日のこの一枚に向けてどの人もいろいろ工夫をしてくれます。
この人がこうして髪を結ってきてくれたおかげで、この場を選んだ効果が一層生まれます。
大店のお嬢さんみたいですね。

「演出の無い写真」派というものがあるとすれば、私は「演出のある写真」派です。
その演出の程度や内容には、撮る人それぞれの考えが反映されますね。

「写真はセンス」が大事だということがよく言われるし書かれてもいるんですが、半分は同意しながら、それはちょっと違うなあというのが私の立場です。
それにそういう風に言われるときの「センス」っていったい何なのかがよく説明されないように思います。
センスと知性や理性というものが対立的に考えられていることがまま見かけられ、それだけそれぞれが貧相に捉えられることになってしまいはしないかと心配しています。

というようなことはさておいて、
今回の撮影でこの人自身が課題にしていたことは「笑顔」でした。
前回、前々回と笑顔がほぼなかったのでした。あったとしても「モナリザの微笑み」で、「笑ってる?」というくらい。
それで今回は笑顔の写真もたくさん撮れました。
それなのに私がセレクトするのは・・・・・、

私はこういう写真が好きなものですから、困ったものです。
でもまあロケーションが異なり、空気が違えば、もちろん笑顔も撮ります。
笑顔の人物ってとてもいいですからね。こちらまで笑顔になります。
これも今回の収穫の一枚。
- 2017/05/21(日) 00:00:39|
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御苑の桜も散り急ぎ、雨模様のやさしい風にさらに散りゆくのを急かされて、・・・・そんな日に撮影です。
普段は普通に仕事をしている人たちに「フォトマヌカン」をお願いしているので、「花が咲いた。撮りましょう。」「紅葉が進みました。撮影です。」という訳にはいきません。

でもうれしいことに、今度の個展をもう一段充実させたいなどという私のわがままに何とか日程を調整してくれる何人かの人がいます。
そして、それとともに少しずつどう撮りたいかを理解していただいた写真を、またどう撮ってほしいかを推し量ることができる程度が深まります。

基本は「僕の楽しみに力を貸してください。」なのですが、どんな写真ができるかに積極的に関わってもらえると、僕の狭い観念が少しほぐれていきます。

カメラの前に立っていただく人がいないと始まらない人物写真ですから、そこでこそ湧くイメージもあるし、撮りながら膨らむ構想もあります。
ロケハンをして一応は考えてあるつもりなんですが、大概は予想から外れます。
注文されて撮っているわけではないのでその点はお気楽なものです。
多分、だから撮影を楽しいと言っていただけるのではないかなとも思います。
お金のやり取りもありませんしね。
それで「ありがとう」「ありがとうございました。」だけで終ることができます。

私の余命の中でこうして交流できる人はもう限られていると思います。
次から次へと現れてきてくれるという訳にはいきません。
でも、それだけにしっかりとってこの人たちも喜んでもらえるものにしたいし、その中に作品としても、これはというものを残したいなと思うのです。
京都国際写真展祭でたくさんの会場を回ると余計にそう思えるのです。

トップランナーたちの問題意識や撮る行為のレベルは遥かに遠いところにありますが、・・・・それで「、えっ?!なに、これ?」なんて言うのも少なくはないのですが、彼らが現実の世界に切実に迫っていることは強く感じられるので、日本の写真家にはがんばってほしいなあという場合が少なくなくて・・・・・立っている地点は山のはるかにすそ野ではあっても山に向かっているという事だけは意識しながら撮りたいなと思います。

そんなことを言うとまた「ではなおのこと若い女の子を撮っている場合じゃないでしょ?!」と言われてしまいそうなんですが、・・・。
ここにも一つのカギが埋まっていると、私はそう踏んでいるのです。
- 2017/05/20(土) 00:00:26|
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今回の写真展では前半部をミュージシャンで、後半を若い女性でいこうと思っています。
中で、歌い手を撮るのはなかなか難しいですね。
向こう岸から見ると「何をしているのかな?」という感じでした。 歌ってる?芝居のセリフの稽古? それとも・・・・・。

アカペラのグループに属していて今日は一人で練習だそうです。
アカペラは人の声で勝負ですから、いいですね。好きです。
きれいな声を丁寧に出して他のメンバーとの響き合いに耳を傾けて・・・・。

撮影は一か月前ですが、春はいいですね。こうして外に出られて。
この人の服も軽やかです。

この記事を書いている日から見て、明日はサックス奏者の、あさっては以前写真をアップして好評だったTさんを、さらに翌日にはヴァイオリニストの写真を撮ることになっています。
そして5月の連休には・・・・これは公開できるのかどうかわからないのですが・・・・世界的に著名な女性クラシック歌手とピアニストの写真を撮れるかもしれません。

今年もワクワクする楽しいことがありそうです。
個展の写真がそうですが、撮らせてもらったミュージシャンは世界的に活躍されている方から、学生サークルで楽しんでいる人などなど様々です。
これからも音楽にワクワクしている人を撮りたいと思います。

5月には私の写真を使ってくれたCDがリリースされる予定です。
ドイツのCDショップにも私の写真が並んでるなんて嬉しいですね。
販促の役割を果たせるとよいのですが、かえって足を引っ張るんじゃないかと心配しています。

お金には全く結びつかない活動なんですが、ただただそうしてワクワクが広がることが得難いことだと思っているのです。
- 2017/05/19(金) 00:00:37|
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ハモニカを吹くことでこの方の人生はみっちり中身の詰まったものになっているように感じられました。

昨日お会いしていろいろなお話を伺いました。
妹さんに先立たれて、それを・・・・おそらくは位牌をという事だろうと思うのですが・・・・背に担いで四国の霊場を回られたことも話してくれました。
ある霊場に立ち寄った時にふと背の荷が軽くなったと言われました。
また先達の深い親切に触れた経験もお話になり、ご苦労のあった妹さんの障害や逝去された時のことを思い出されて目に涙を浮かべておられました。

マレーシアから来られたという女性が関心を持たれて聞いています。
動画で音も撮られています。

お隣に腰かけているのがこの方の奥さまで、背景に写っている作品の作者です。

夫君が夢中で取り組んでおられることを暖かく見守っておられます。

昨日はじめてお目にかかった時も今日も(写真をお届けしたのです)私がカメラを向けても少しも表情態度を変えられず「そうか、あんたは写真を撮るのか。」とただ受け入れるのみでした。
この心のスタンスはすごいなあと感じました。

- 2017/05/18(木) 00:00:36|
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オカリナを吹く人は撮ったことがありました。
でも、ハモニカの演奏は初めてです。難しかったです。

私は腰かけてみてくださいとか、もう少し体を向こうに向けて・・とかいう注文をすることがありますが、原則的にはほとんどそのままで撮ります。
というのも演奏にしろ仕事にしろその人流があるからです。
また静止ポーズにもしてもらいません。
時に親切心からポーズしてくれる方がおられますが「ご面倒でも続けてくれませんか。」と演奏や仕事を促します。
止まっているときには筋肉は動いていませんからその緊張と弛緩が現実のものではなくなるからです。また、全身の動作でなくなるからです。

それで、ハモニカの持ち方についても口出しをしないで、こちらの工夫で何とかしようと悪戦苦闘したわけです。
というのは、ハモニカを大きな両の手のひらですっかり包み込んで吹く奏法ですから、いくらのぞき込んでもハモニカが見えないのです。
つまり何をしているのかが分からない写真になってしまうのです。

十数年のキャリアだそうですが、いま様々な施設を訪問して演奏されているそうです。
とにかく吹いて聞かせたい気持ちにあふれています。
ハモニカの「吹いて吸う」奏法は健康にもいいようです。80歳を超えて肌の色つやの良いことは無論のこと呼吸の力強いこと。

曲に合わせてハモニカは30本以上お持ちだとのことです。
私が浜松の近くの出身だというと・・・・カワイ、ヤマハ・・・、と。
人にも教えているのだそうで、簡単な曲の楽譜のファイルをお持ちで、それを私にくれました。私はハモニカを持っていないのでご辞退申し上げたのですが、分かりやすい楽譜にしてあるから是非どうぞという事で・・・。

なかなかの音量で、窓を開けて吹くと、高瀬川の向こう岸を歩く人が振り返ります。
今ちょうど階下におられたマレーシアから学会のために来日したというプロフェッサーも音を聞いて上がってこられました。
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- 2017/05/17(水) 00:00:50|
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この場所は人気の撮影スポットですから、とどまれる時間は一人「10秒かな。」
前撮りは業者が絡みますから、それに属するカメラマンたちは意外に図々しい・・・と私は感じています。そういうことをすると「京都は・・」のイメージを悪くして自分で自分の首を絞めることが分からないのかなあと・・・。
そういうことをしているのは決して中国系の人たちだけではありません。

パッパッと撮りますが、画面は慌てた雰囲気にならないように。

どうです、京情緒たっぷりでしょ?!
こういう撮影のバイトでもしようかな。
幟に「写真撮ります。」と書いて自転車に括って、その辺をいこうかな。

でも、お金のやり取りをしないから楽しく撮れるんですよね。
そして、「今度また撮ってもらえますか?」とお願いしてフォトマヌカンを買て出てくれたりもしてもらえるのです。

写真は楽しくなくちゃいけません。
プロはまた別の論理で頑張っているのですからそれはまたそれで。

こういう写真もたまにはいいですね。

後日、当ブログで着物を着た別の若い女性の写真をアップしますが、そちらが私の本来かな。
でも、まあ、どちらも楽しいことに違いはありません。
- 2017/05/16(火) 00:00:59|
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学校時代のお友達同士だそうです。

あちこちで若い女性に声をかけて写真を撮っているおじさんがいました。
一緒に撮ったり撮ってあげたり・・・・その、おじさんがやってきて、「撮っていいか?一緒に撮ろう。」と。
そして「あんたらが一番やなあ。(誰にも)負けてへんで。」と繰り返し、繰り返し。

そうですね、では一番きれいに撮らないとね。

海外からのお客さんも「撮らせて。」と。
そしてお母さんの願いで、娘さんも一緒に。
同じくらいの年齢なんでしょうかね。
私は女性の年齢についてはピッタリ当てたことが無くて、このお二人の年齢も「え~っ?! 本当に?!」

周囲には結婚式の前撮りのカップルが一杯なので、それが話題になった時に
「私たちもついこの前、前撮りをしたばかりで・・・。」 という訳で、・・・・。
「えっ 結婚してるの?」の言葉を飲み込んでいると

「成人式の・・・ですよ。」
「えっ?!・・・・という事は、まだ二十歳!!」だそうです。

- 2017/05/15(月) 00:00:14|
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ふとしたことでふとしたご縁が・・・・。
祇園の南白河通りや新橋通り付近は京都観光の目玉の一つです。そこにはいつも観光客がカメラパースンたちがカメラをもって活躍しています。
殊に最近では結婚式の前撮りが目立ちます。日本人も中国人も・・・・。
そこでは和服姿の若い女性がたくさん見られます。
私にとっては、この道はあるギャラリーから岡崎公園への近道なので、ちょっと目障りでお邪魔なんですが人混みをぬって通り過ぎるいつものルートなんです。
そんな場所の一角にこのお二人が。

「Are you Japanese?」
ちょっとふざけて声をかけてみました。それくらい外国の方が多いのです。
「はい、日本人です。」

それで、そのままパスするつもりが・・・・、お二人がとてもきれいなんで・・・・・。
というか、たくさんカメラを持った人が咲き誇る桜の花をとったり、また行き交う女性を撮ったりしているんですが、ちょっとエチケット違反の人もいて・・・、
「ちゃんと声をかけてちゃんと撮りましょうよ!」と言う気持ちも手伝って、お二人に「いつも人物写真を撮っているものですが・・・。」と自己紹介をして、快く「少しの時間いいですか?」に応諾していただけました。

大変な人出ですから、背景に人を入れないで撮るのは至難のことです。
でも、まあお二人の観光記念ですから、それもいいかと。
「どちらから来てるんですか?」
「実は、ほとんど地元なんです。」

それにしてもお二人ともこの人ごみの中でも目立っていますから、海外からのお客さんも日本の観光の方もつい目を止めます。
そのお二人を独占的に撮るのですから、変な話、ちょっといい気分です。
これからどちらに?
特に計画はないんです。
どうやら着物を返すまでの時間が「撮影時間」になりそうです。
じゃあ、ちょっその辺りを歩いてみてもいいですか?

普段はこんなに観光地観光地したところでは撮りませんし、せいぜい場所移動の通過点として「せっかく通るんだから一二枚撮ろうか?」ぐらいの場所です。
でも、今日はここから遠くにはいけないのですし、私にとってもいい機会です。
- 2017/05/14(日) 00:00:50|
- 工芸
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ここのお店と、私が訪ねたファインダー倶楽部のお仲間の酒屋さんとは取引があるのでしょうか、よくご存じの様でした。
その酒屋さんも、いいお酒を蔵元と良い関係を結んで大事に流通させているお店ですから、通じるものを感じているのかもしれません。

私が食べたり飲んだりするのは、せいぜい五条を上がった辺りまでです。
でも京阪電車を使えばすぐに来られますね。 夜も11時までだそうですからあまり遅くまで飲まずに終えられそうですし。
それにしても「いつか店を持ちたい。」と10年も気持ちを絶やさずにここまでくるなんてすごいことだなあと思います。
この人は開店に当たって、この店に誘った人なのだそうですが、店の空気によく合っています。

トイレを借りましたが、その壁紙と洗面台と蛇口、それにドアとで写真が撮れそうです。
こういうところを見ても随分構想を練ってきたんだなあ、夢を膨らませてきたんだなあと感じます。
開店に当たっての資金調達も大変だったでしょう。
ぜひ頑張ってほしいですね。

- 2017/05/13(土) 00:00:36|
- お店
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あともう少しで開店満一年になるそうです。
七条通にあります。こんなに南の方までは私は滅多に来ません。
たまたま京都ファインダー倶楽部のお仲間のお店に「写真展のDMをおいてくれませんか?」とお願いに行った帰りに見つけました。
ILZaccaYaはお店の名前です。

若い新しい感性で内装などがされていますが、波打つ古いガラスを使った入り口のガラス戸やカウンターの一枚板の天板などは、かなり高価だったと思いますが、そこにこだわるセンスがいいなあと思いました。
この人がオーナーだそうです。
10年以上も前から、この店の別のスタッフになった人と構想を温め、お互いに別に修行に励んできたのだそうです。
そうして昨年ようやくここにいい物件を見つけて開店にこぎつけたと・・・。

国立博物館や三十三間堂から鴨川に少し歩いたところですし、京阪七条の駅も近いので立地はかなりいいと思います。
それに近所には観光客の数に比して競合店が少ないようですし。
この人がずっと一緒に開店を夢見てきたお連れです。
ここの3人の若者はどの人もとても感じが良くて、好感を持てました。
入り口のボードに鳥を煮込んだカレーのッメニューがありましたので、それに惹かれてはいりましたが、内装の感覚と同様に新しい味を感じました。おいしかったです。
私はこのブログでお店紹介や、食レポは・・・基本的には・・・・しませんので、あまり詳しく書きません。
この人が、一番若いスタッフです。

道路に面して採光がいいので店内が明るくて、天井は高くて気持ちがいいです。
それで撮影もしやすいのです。
こういう光だとモノクロが生きます。

- 2017/05/12(金) 00:00:52|
- お店
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「今年の桜は可哀想」だとおっしゃる方がいました。
ようやく開花したころに曇り空や雨ばかり。でもこの日の午後はようやく青空が広がりました。
桜の花に青空がよく合います。

この頃撮らせていただく人のジャンルが偏っているなあとか、人物写真と季節感とか、なんだかんだと考えながら鴨川を自転車で走っていると・・・・。
ブルーシートを敷いて、花見の会をしている方々から少し離れて、スケッチをしている方がいました。
帽子を目深にかぶっておられますが、スケッチブックがレフ板となって顔を照らしていますので、これなら・・と思い声をかけさせていただきました。
「手を止めることはできませんが・・・・どうぞ。」

枝垂桜は、ソメイヨシノ比べて少し遅い目に咲きます。
鴨川の上流、ことに植物園の付近からの枝垂れ桜は毎年見事です。
横浜にいる畏友は水彩でスケッチ画を描いています。
そのことを思い出しながら・・・。
左手に我が愛車が見えます。
購入してから何年たつでしょう。十数年は経つでしょう。もうサビ錆びの剥げハゲです。
同じような軽快なデザインの自転車を見つけることができないので、しかも、自転車好きの方がいろいろな部品を集めて組んだものですから、もう同じようなものも手に入りません。
でも次は電動アシスト機能付きの自転車になるのかなあ。
以下二枚は間違い探しです。

この方はすっかり桜の枝の下にはいって書いておられます。
向いている方向には比叡山がありますが、どうやら風景というより花をスケッチしているようです。
カメラを持った人もたくさん通ります。
たまたま甲斐氏も自転車で通りました。カメラを二台ぶら下げていましたが、フィルもカメラとデジタルカメラだそうです。

どんな被写体を選んでいるのか後について観察したいところでした。
彼の写真展が先日寺町のヒルゲートで開かれていました。

春、いいですね。
- 2017/05/11(木) 00:00:27|
- 絵画
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このコートいい趣味だと思います。
ファッションセンスのいい人は好きですね。

私は?・・・・・う~ん、いま一、いま二ですね。
特に帽子がだめだし、今の生活にフィットした服はほとんど持ち合わせていないという感じですね。
ですから、こうして撮影のために「並んで」歩くときにちょっと申し訳ない感じです。
でも重いカメラバックを担いで、どこでも地べたに座ったり腹ばいにもなれる服装というのは、旧職の時には持ちませんからね。

リタイア後は「今あるもので済ませよう。」という人がいましたが、私の場合大きく生活が変わったので、そういうやりかただと、どうも行動の内容と服が合いません。
困ったものです。

ところで、私の撮影は、撮らせていただく方に、ちょっと注文・希望を伝えて「持っている範囲であなたらしさに反しないように。」選んできてくれるようにお願いします。

ずっと以前の職場に、写真を熱心に撮っていた先輩がいて、しかもかなりセンスのいい写真をお撮りになっていました。
沖縄で撮られた写真で今も脳裏に浮かぶ印象的なものがあります。
その人はどなたかにモデルを頼むと、着てほしい服を一緒に探して、それを持って撮影場所たとえば沖縄などにも一緒に行って撮るのだそうです。
そして撮影後はその服をお礼にプレゼントするのだそうです。
一体どれくらい「お小遣い」があればそんなことができるんでしょうねぇ。

でも、フラシック・バレーやコンテンポラリーダンスをしている人にイメージの服を着てもらって、町などで撮ってみたい気はしますね。
- 2017/05/10(水) 00:00:09|
- 人物
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もっと被写体ついて問題関心を持ちましょう。そして被写体を媒介に「プレゼン」をする写真にしましょうということを伴さんは言っておられます。
語彙の選択が私などにはちょっと直ちにイメージに結び付きにくいのです、おっしゃっていることは基本的に同意できます。
普段様々な写真展で作品を見せていただいて感じていることと同じですから。

「おじさん道」といって、おじさんが陥りやすい傾向について注意を喚起しています。
写真教室を開いておられるそうですが、「先生」たちはもう少しこういうことを「生徒」さんたちに話した方がいいと思いますが、おおむね「先生」の模範的な写真も同じ傾向のように感じることがあります。

私自身は「自戒」として、棚に上げたままで埃を払いもしていないのですが、棚に上げていることは多少自覚しているのです。

さて、先日、キャノンンの50ミリ f1.2 L USM・・・・だろうと思うのですが・・・・のレンズで撮ったポートレートを見まして、やはり大口径の明るいレンズで撮る魅力を再確認しました。もう一人の人はシグマのf1.2のレンズの様でした。
設定はf1.4の様でした。
そうなるとやはり一眼レフカメラから抜け出せないのかなあ。
私のこの写真はミノルタの50ミリ、f1.4です。
(キャノンンの85ミリ f1.2 L を持っているのですがFDレンズで使えません。ひどいメーカーです、キャノンはト、グチです。)

床にお尻をつけてくれていますが、これはこの人の提案です。
私が、何か言いたげにモゾモゾしているので、こうしましょうか?!と言ってくれたのです。
スポーツウーマンだからというのでもないでしょうが、思い切りがいいです。

まあ、大概、女性の方が度胸があって思い切りはいいですね。
「男は愛嬌、女は度胸」とはよく言ったもので・・・・・。 えっ?!違ってました?!

周囲に人はほとんどいませんのでスタジオ借り切り状態です。
- 2017/05/09(火) 00:00:34|
- 人物
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伴貞良というプロカメラマンが「被写体依存度」という言葉を使って話しておられる。
写真の成否は被写体のいかんに60~70%依存するのだという論です。
「写真は結局、被写体を撮っているもので・・・。」と。
カメラの性能や撮り方の技術的なことに傾き過ぎる傾向に対して・・・・この方は元来、光学的・工学的知見が豊かで、機材についての知識・経験も豊富だとお見受けします・・・・・少々警鐘を鳴らしているのだと思います。

私自身は被写体依存度は70~80%だと言ってきました。自分の技術や知識が担う部分が30%もあるなんてとても言えないし、せめて20%くらいはあってほしいという思いからついこういう数字が出ます。
伴氏はご自身の知識や技術の裏付けもあり、彼の講習を受ける人もいずれそうであってほしいという思いもあってでしょう、それで30~40%は主体的な要因が占めると言われているのだろうと思います。
ごもっともだと思います。

人物の場合もその人自身に魅力がなければ・・・・言うまでもないのですが容貌が美しいとかスタイルがいいとかいうことに限りませんね。・・・・・ 見る人を惹きつけるものにはなりません。
ですからまずそういう方たちお会いできなければ話が始まりません。
それで、結局写真になると、その人に対してどんな風に魅力を感じたのかという撮る側の価値観や感性が出てしまいます。

職業的に・・・殊に宣材として写真を撮る場合にはクライアントの要望に応えるのですし、モデルは与えられたものとして存在します。それで自身の好悪に関係なしにその要求に自身の知識や技術を総動員してより完璧に答えるてんに醍醐味を感じるのだろうと思います。
そこが私のような愛好家とはフィールドが違うということになるでしょう。

ですから私のようなものはもっともっと何を撮りたいのか、どうしてとるのかということについてこだわる方がいいと思うのです。
むろん写真より写真機の方が好きだという方もいらっしゃるので、それはそれということですが、

- 2017/05/08(月) 00:00:16|
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数日後に大学時代の仲間たちと岡山で会うことになっている。
幹事から送られてきた名簿には「物故」の記入があった。N君である。卒業後会えないまま亡くなられた。
こういうことになるから「3年に一度とか4年に一度会おうよ。」なんてのんきな話にしないで、計画だけはせめて2年に一度、何なら毎年やろうと提案して、皆で合意したはずなのに・・・、前回から5年程が過ぎている。
悔やまれる。

まだ仕事を続けているものもあり、私のように「えっ?!なんだって!お前が写真を撮ってるって?!」なんて言われるようなものもいる。人生様々だ。
そのさまざまに会いに行く。
こういう節目があると、奴らに軽蔑されない程度のことはやりたいなあと思うから、大切な機会だと思っている。

ところで、昨日今日の写真を見ると、露出設定の違いがあるとは言いながら、カメラ・レンズが違うとずいぶん写りが違うなあと感じる。
それで相も変わらず次のカメラについて迷っているのです。履いて捨てるほどのお金があれば全部買い占めて好きなだけ較べながら使えるのですが、無論そうはいきませんし・・・・。

大して長い時間が残されているのではないのにこうして愚図愚図迷うのは人間ができていないというか、悟れてないなあと思います。
いろいろ考えているうちに問題の枝葉に入り込んで、幹を見失うのはいつもの事なのですが。
元来の優柔不断な性格というものが、いつまでたっても顔を出します。
個展をするときに「人さまに見てもらうためにはかれこれの資格が必要だなどと言っていたら、気が付け三途の川のほとりに立っていたということになりかねないのだから、目をつぶって『跳べ!』」と思い定めたからこそ、今度4回目を迎えられる。

今度仲間に会えば「おいお前、えらく年取っちゃったなあ」とお互いに慨嘆するに違いないのだ。そして、しかし、話すうちに「いやいやまだまだあいつもこいつも心躍らせる火を胸にしている。」ということを互いの中に見つけあって励まされることになるだろう。
この職人氏も、描き続け制作し続けて、まだまだ上っていく。
先日の80歳を超えた木彫師もまた「やりたいことがいっぱい出てきて飽きしまへん。」とおっしゃっていた。
決定を後に送らせて逡巡する中で見つけ出すこと気づくこともまた多い。その問題意識から学ばせてもらうことがたくさんある。
それはそれで見捨てたものではない。
が、それでは写真を撮ることにならない。

大先輩たちからは「やあ、君はまだ若くていいなあ。」と言われる。
が、同い年で物故する者の知らせが続くとそうも言っていられない。
急いてことを仕損じても、もって瞑すべしという境地になりたいものだ。
- 2017/05/07(日) 00:00:09|
- 工芸
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40年も仕事をしている職人さんの技はとても易々としたものに見えます。
こんな私でも旧職の時に、若い方に「よく易々とそういうことができるものですね。」と言われたことも・・・たま~に・・・はありました。
「はばかりながら伊達に30年この仕事してるんじゃないよ。」という訳です。
柳家小三治の「枕」なんてものは、なんだか思い付きでダラダラとしゃべって・・とご本人は言いますが、とてもそんな風には言えないものでして、それこそまさに名人の境地です。(実際、彼はその間にお客さんの様子を観察し空気を感じ取って今日の出し物を決めるのだそうですし、お客さんの気持ちの構えを誘導しているという面もあるのでしょう。)
言葉を飲み込んで、しばし沈黙して「え~~」と言葉さえ発しない呼吸、間合いで会場がどっと沸く・・・・実に巧みですな。

左手の親指に載せているのは、いわばパレットです。
もみじの葉を描いていきますが、無論、下書きがあるわけではありません。
漫画家は主人公をはじめとして登場人物を、何度かいてもそのキャラクター以外には見えないように、他ならないAやBの顔を繰り返し繰り返しススッと描いていきますが、同じことですよね。

仕事を積み重ねてきた人たちの技の魅力を感じます。

毎日毎日渾身の一作を作って精も根も尽き果てるという、そういう制作ではなくとも、問屋や他の職人が見て軽蔑されるようなものは作らない。そんな妥協のない感じでしょうか。

ルーティンの質というものを思うことがあります。
- 2017/05/06(土) 00:00:09|
- 工芸
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平安神宮のある岡崎地域に、この4月一日に新装オープンした写真専門のギャラリーがあります。そこから2,30メートル北にあったものが移転してきたものですが、規模が拡大され施設も充実しています。展示会場が三つもあるんです。
レセプション会場にも写真とのコラボでミニ演奏会場にもなります。いいなあ。
「京都写真美術館 フォトギャラリー・アルティザン ジャパネスク」と言います。
オーナー氏も写真に造詣が深く情熱も相当な方と漏れ伺っています。
私もぜひこの会場で写真展ができるようになりたいなあと思っていますが、こういう写真専門ギャラリーができて写真活動の拠点になってくれるといいなあと期待します。
(ギャラリーのHPから引用 「写真をひとつの文化として人々の暮らしの中に根付かせたい。写真のもつ魅力、パワー、可能性を多くの人たちに知ってもらい、その価値を見直して欲しい」そんな夢が、私たちの原点です。」)

皆さんのお住まいの地方には写真ギャラリーはありますか?
喫茶店などで積極的に壁面を提供してくださるお店もあるかもしれませんね。

さて、緑輝く五月になって、今月下旬には写真展ですが、今回の写真はそれを意識して撮りました。
今までの個展では、それまでの写真の集積の中からピックアップするばかりでしたが、今回はそれにプラスしたい意識が強くなりました。多少は個展の意味を考えるようになってきたからなのでしょうか。
点数が足りないという事ではなくて内容的にまだ足りないという感じでしょうか。少し生意気になっているのかもしれません。

それを話して「じゃあ、なんとか時間を作りましょう。」ということですから、「いいものが撮れました。」といえるようにならないと・・・・です。

それで、ああでもない、これの方が・・・などと一人ぶつぶつ言ってこの人の周りをまわっています。すっかり不審者です。
「こっちかなあ。」「この光かなあ。」などと、ないものねだりに引き出しを無理にこじ開けて奮闘中です。
涙ぐましいでしょ?!

「鼻血も出やしない」とブタは言いましたが、本当はそういう撮り方をしないといけない面もあるのでしょうね。でも私の場合は「楽しい、楽しい」とお気楽なものです。
そこが余り成長しない理由でしょうねぇ

でもそんなに眉間にしわを寄せちゃうとフォトマヌカンにそれがうつっちゃいますからね。
- 2017/05/05(金) 00:00:13|
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「きれいな人をきれいに」「かわいい人をかわいく」
そういう風に撮っているだけじゃダメなんだ、なんてことを私もよく言いますが、それが、しかし、とても難しいことなんだということを感じることは一再ではありません。

ロケハンの時は駐車している台数が少なかったのですが、曜日によって違うだろうし、あるいはこの建物で何か大規模な会議や企画があると込み合うだろうなあと心配しながらです。
そして今日は幸いがらんとしていますから、自動車の通行に迷惑をかけることはないでしょうし、思い描いていた雰囲気が壊れることもなさそうです。
「明るく爽やかな」というのではない写真を撮りたいので・・・という事は話してありました。

最近、フジフィルムのX100fが気になっていて、それで、その関連のユーチューブ動画を見ることが多いのです。すると世界のXフォトグラファーの写真を見せてもらえるわけですが、その多くはストリート写真なのですね。まあカメラの大きさ、仕様から言って当然でしょうが、それがとても刺激的です。
(どういうわけで身近な写真展でこういう種類の写真を見ることができないのでしょう。)
私はこの撮影の時には一眼レフカメラとコンパクトデジカメで撮っています。OVFで覗いて単焦点の明るいレンズで撮る楽しさと、軽くて小さなコンパクトデジカメの機動性と手になじみ体の動きに抵抗しない快適さの両方を楽しみたいなあと感じます。
その両方がフォトマヌカンの魅力に気づき迫る道を教えてくれるように感じています。

それにしてもこのフジのX20というカメラは考えようによっては出色のカメラじゃないかと思います。
使いにくい面や弱点がいくつもあり、時に困惑さえさせますが、レンジファインダー型カメラでOVFでありながらズームレンズの画角の変化にファインダーの視野が連動するシステムは素晴らしいと私は思います。
わたしはやはりEVFでは納得がいかないからなおさらです。
Xプロ2やX100fのファインダーもある意味で特色ある貴重なファインダーですがOVFではレンズの画角の変化がフレームで撮影範囲として示されるだけで、レンズが望遠になっても広角になってもファインダーでの像は変わらないのです。レンズを換えて見える世界を堪能できないのです。これはあまりに残念です。それでは一眼レフをしのげない。
X100fのファインダーはプロ2をではなくて、X20を引き継ぐ工夫をしてほしかった。
それでも近々X100fを買うかもしれません。

4月15日~5月14日まで京都国際写真祭が行われています。
昨年は期待が大きいかっただけに幾分がっかりもしましたが、今年はどうでしょうか。少なくとも普段身近で見る写真展とは大きく違うと思います。
沢山のサテライト会場もできますから、そこで新進気鋭のフォトグラファーの作品も見ることができます。
むろんそこもまた玉石混交です。だから面白いともいえるのがこういう大きなイベントの良さですね。 絵画や書の大きな展示会は多数開かれても写真分野ではなかなかそういう機会がなくて接することができません。そういう意味で充実・発展してほしいなあとは期待しています。

自分の写真を見てもらう工夫もしなくてはいけませんね。
この写真群などを見返していると、わたしは人数は少ないですが、とても良いフォトマヌカンたちに恵まれているなあと思います。
ありがたいことです。
ただ、それをそれにふさわしく絵にできているかどうか、そこは問題ですが。
- 2017/05/04(木) 00:00:48|
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轆轤で作った器をさらに形を整えます。

京都の取引業者の要求は「同じ寸法」かどうかに厳しいのだそうです。
例えば五脚で一組だとすれば、その各々の大きさにばらつきがあれば、卓上に並んだ時に、何かちぐはぐに感じるかもしれませんね。
でもこれらの茶器は一つずつで使われるものですから、「違いがあってもいいのになあ。」

無造作に、雑に作って形が不ぞろいでもいいという意味ではなくて、手で一つ一つ作るのだから、そこに味になる違いがあっても良いのではないかという事なのですね。
そうでなければすっかり機械で作ればいいわけですから。

「機械で作ると肉厚になるんです。それは作るときにかかる力に対して一定の強度が必要になるので。で、いくらか重くなるのです。」
「手作りの場合は薄く作れますし、作るときの条件、例えば空気の乾燥具合とか土の含有水分率とかで微妙に指先の加減を変えるのです。それが機械にはできない。」
「機械で作られたものは重くなります。」

陶芸に興味のある婦人がずいぶん細かな質問をされます。
それに懇切に答えていきます。

京都には焼き物に適した土がないのです。で、各地から集めるわけです。都ですから器に対する需要はふんだんにあるわけですし、また、そこから土の購買力もあるわけですね。で、信楽とか備前のように地元に産する土の焼き方・火の具合で表現する焼き物ではなくて、焼いたものに色付けをする文化になったのです。
絵師もたくさんいますし、華やかな絵柄や色遣い、金彩のような豪華さも支配層、富裕層に好まれます。それに絵柄についての教養を持つ人も多いわけですね。
都人は、私のように「四君子」などと言われても何のことやらわからないという田舎者とは違うのですね。

手前に写っているのがるのがこの方のおじいさんの始めた絵柄なんだそうです。

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- 2017/05/03(水) 00:00:19|
- 陶器
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私には、こうして力を借りられる人は多くはいません。
でも、ごく少数のそうした人たちによって「次はこう撮ってみたい。」「あそこで撮ったらどうだろう。」という思いを膨らますことができます。
私の無理を聞いてもらって、幾度か撮る機会を作ってもらえると「とにかくきれいに、可愛く撮らないと」という第一回目の切迫感を少しずつ越えられるようになります。

この人もつい何日か前に偶然に再会した際に・・・・無論ずっと前から「また度お願いしますね。」とは伝えてはあったのですが・・・・・こんなロケーションで撮ることも考えているというような話をしていたのです。ただそのロケーションはこの建物の事ではありませんが。それで引き受けていただいた後で、せっかくの機会を活かしたいという事でこの場所も選択肢に入れたという訳で。

何しろこの壁画と空間に負けないものをお持ちの方でないと絵にならないわけで・・・・。 それは垂直的なれべwるという意味ではなくて、その個性という事ですね。
それに今日の服がさらに、ここで撮ろうという気持ちを後押ししてくれたわけです。

私の希望に対して、期待を越えて叶えてくれているわけです。

それで、この後のもうふたつ予定している場所での撮影にも、いやま増す期待感。

それにしても出会いの妙というか、・・・・・他のフォトマヌカン達とも同じことを思うのですが・・・・・出会って、声をかけてこそ、ここにまたとない写真が生まれて残るのですから、不思議と言えば不思議です。

きょうは、今度の写真展を意識して撮らせてもらっています。
- 2017/05/02(火) 00:00:56|
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