「ここから始まった」・・・・というとちょっと違うのですが。
私が普段自己紹介に使っているカードに印刷しているのがかつてこの場所で撮った写真なんです。
それはたくさんの方から好評をいただいている写真で、自分の残された時間のうちにこれを越える写真が撮れるだろうかと「自画自賛」もしている、出会いがしらのホームラン的なものです。
つまり、有り体に言えば「まぐれ」だったわけなのです。
けれどその写真が私の自信のもとにもなっていたのでした。
「一度あることは二度ある」って言い聞かせてですね。
それで、夢よもう一度ではないのですが、それとは別の、またある意味で上書きできる写真を撮りたいと思って・・・・。

ここはうれしいことに写真を撮れるのです。
館の雰囲気を壊さないように、周囲に気を配りながら・・・・・密やかに。

実はここである人に踊ってもらって撮りたいとも思っていたのです。
そういうイメージを掻き立てる壁画とロビーの広さが魅力です。そしてこの優れたデザインの椅子たち。
単純さの組み合わせです。
ただ、動かすことはできませんが。

ああ、レフ板がほしいなあ!
そして助手が。

欧米やラテンアメリカなどには魅力的な壁画が町中にあります。
日本の街並みにはそぐわないのでしょうか。それとも画家たちの問題?国民性? 確かに待ったイラナ壁面を日本の文化は好みません。それに建物の内部ではなしに外に向けて狩野永徳なんてものはありませんしね。(雨の関係もあるのでしょう)
それとは別に、街の景観を作るという点で、現代の日本は積極的にも消極的にも「意志」を感じにくいです。成り行き任せか、野放図なやりたい放題。

いえいえ、それは京都に限った話でしょう、・・・・・・・多分。

私は大雑把な要求をしますが、そこから少しずつこの人が提案をしてくれます。椅子に掛けていたのがいつの間にか床へと降ります。それもこの人の提案です。
私はそれを掬いとっていくのです。
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- 2017/05/01(月) 00:00:15|
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