この人から「時間がとれそうです。」と連絡をもらって、「この機会にこの人をどう撮ろうか?」といろいろ悩みました。
というのも前回は良いロケーションに恵まれたこともあってとても魅力的にきれいに撮れたので、今回はもう少し違った画を作りたいという思いが起こったからです。

この人は英日それぞれで育つ時間があった人で、単に日本で生まれ育ったという女性(人)とは、幾分異なった感性を持っています。
そして写真の被写体になると言うことについてもある成熟した文化意識を感じてきました。
私は、それで、いつも私の撮る写真がこの人のフィルターをどう通るのかを楽しみにしてきたのです。

ロケハンをしているときに立ち寄ったある場所で、「写真を撮るために少しの時間、お客さんのお邪魔にならない範囲でお借りできませんか?」とお尋ねしましたら、快くお許しをいただきましたので、今日はここから撮影スタートです。
二台のカメラで撮っていますので、画面の調子が写真によって少し違いますが、いずれも「荒れている」ことがお分かりだと思います。
今回は積極的に「きれいでない写真」を撮ってみようと試みました。

と書くとすこし私の気分と違うのです。
「リアルな現在(今)」から時間的にも空間的にも距離を感じるような画面にしてみたいなと思ったのです。

それで敢えてノイズを出しています。
以前、この人を撮った写真をご覧いただいた方もおありだと思います。綺麗な背景で柔らかい光を回して、単焦点レンズの開放近くで撮ると、この人は確実に「きれいな人」に写ります。

でもこの人を見ていると、それだけでは面白くないなあと・・・・・・。

それで、事前に服装についても注文をしておきました。
その注文に「?!」という反応はありませんでしたし、他の事は確認の言葉がありましたが、それはそのままに受け取っていただけました。
ですから、余計にです。
- 2017/03/02(木) 00:00:44|
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先日、郷里にいって、久しぶりに従弟たちの顔を見てきました。
幼児の頃から育った地にはお隣のおばさんが、まだ健在でおられて、おそらくはこれがお会いする最後の機会になるかなと思いました。いやあのお元気な様子では案外私の方が早く逝ってしまうかも知れないし、存外これからも幾度かお会いできるかもしれない。
時はある意味で残酷に過ぎていきます。
私を形成してくれた様々な方々と、既に、そして、いつかはお別れしなくてはなりません。
いくらかの写真を撮ってきました。
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私は、ごく若いころからのものも含めて、自分の写真がわずかにしかありません。(万々が一、私の「伝記」を書くという奇特な人が現れても、その方は随分困ることでしょうね。)
家族を撮る機会も少ないし、まして(撮る側であることが多いので、)自分自身の像はあまり残っていません。
でも、こうして1000余人の方々を撮って来たものを少しばかり遡りますと、いろいろな思い出がよみがえります。
まあ、それが私自身の間接的な残像ということになるでしょうか。

この人たちにとっても、これらの写真が良い思いでの材料になるといいなあと思います。

過去の記憶を呼び起こすうえで写真ほど力のあるものは少ないですからね。


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- 2017/03/01(水) 00:00:30|
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