こうした写真を撮るときには、少し前からいろいろと思いを巡らすわけですが、それがまた楽しいのですね。
ロケハンもするのですが、実際に撮影のために歩く段になると大概は「寄り道」をすることになって予定通りには事が運びません。
そこが「仕事」ではないことの良さですね。

クライアントからの依頼で撮っているのならば、到底そんな訳にはいきませんね。
「いえ、当初の計画よりこちらの方が・・・・。」なんて言えるようになるには・・・・・。

そういう意味では、とにかく楽しめばいいのですからこんな贅沢なことはないわけです。
目的地はこの先のインクラインの付近なのですが、春のような天候のこの日は周囲がどこもとても気持ちよくて、こんな石段さえ、・・・・まだコートこそ着ていますが・・・・・「冷たそう! 触りたくない。」という感じではなかったのです。

この写真なんか、初夏ですよ~ と言っても通じてしまうかもしれませんね。
服も薄手ですし腕の出し方も、寒さってどこに?という感じですからね。
先ほどまでのコートを着たものとも違う感じですね。
- 2017/02/28(火) 00:00:20|
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このブログの記事を書いている日は、今日から明日あさってにかけて「最近にない大雪!!」が予報される日です。
昨日は雪やみぞれの中を撮影してきましたし、あすはその大雪の真っただ中に、ミニ・コンサートプラス会食の楽しいお出かけなので、今日はこうして机に向かっているわけです。

こうして撮影で歩いてうれしいのは、ここで撮りたいなあという意見が一致し、撮れた写真をカメラの背面液晶画面を一緒に覗き込んで「うん、いいね。」と共感できる時です。
そして、フォトマヌカンの予想以上の出来になって、「あっ、これいいですね。」と喜んでもらえる時です

ただそれは、私がすべて意識的・意図的に撮ったとは限らないので、むしろお互いの流れというか、やり取りの中から生まれてくることが、多いのです。
そこがこうした一対一の撮影が面白くて楽しいところですね。

私がふと気づいて、「こういうところを活かしたいんだけど。こういう具合にしたら面白そう。」と提案してして、「そうですね。」と受けてもらえると、さらにイメージが広がります。
お互い異なった感性・価値観を持ち、殊に私の場合はこうした人たちと大きく年齢的に隔たっていますから、これでいいのか、こうしても違和感はないのかを確かめながら進んでいきます。
「石橋をたたいても渡らない」では事は進みませんが、やはり「石橋は二度叩いて渡る」くらいは心がけたいと思っています。

けれど、その一方で流れや気持ちを大切にして「率直に」提案してみることも大切だなあと、感じます。言わなきゃわからないわけですし、「せっかく力を貸そうとフォトマヌカンをしているのだから、思うように撮れなくて残念だった、で終わらせないでほしい。」
とも言われることもあるわけで、それは本当にその通りだなぁとも思うわけです。

「人を撮る写真は、難しいでしょ?!」とよく言われるのですが、本当に難しいのはこういう点にあるのかなと思います。
声をかけるのに勇気がいるとかいう事は、むしろ二次的なというか副次的な難しさかなと・・・・。
- 2017/02/27(月) 00:00:21|
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この日は2月初旬とは思えない暖かな日でした。
日差しを見ていただいてもお分かりだろうと思います。
高瀬川の流れもきらきらと、まるで春のようです。
私の悪い癖で、リュックや鞄を持たせたまた撮影をしてしまいます。
それじゃあ具合が悪いので「リュックを置きましょうか?・・・・・、それで、寒くないようだったらコートも脱いじゃいましょう。」
待ち合わせ場所でこの服を見た時には「冬の2月に、この薄手の服で大丈夫なんだろうか?」と思いましたが、なんと今日の陽気にぴったり!!

この人の読みがいいんですね。
そのおかげで、この後、思いのほかの素敵な写真が撮れました。
それにしても「写真は『今』しか撮れない。」と言われます。確かに過去も未来も撮れないわけで、なるほどその通りなんですね。でも、私は「最も近い過去」を撮るんだと思っているわけで、・・・・。
でも、この写真では未来の四月を取っているような感じですね。

さて、ちょっと移動しましょう。

ここは、私は過去に何度か通ったことがあるんですが、ここの石段の路地には気が付いていませんでした。
「やあ、ここ・・いいなあ。」と意見が一致して・・。
- 2017/02/26(日) 00:00:47|
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工芸と言って良いのかどうか少々疑問ですが・・・・。

この方たちの仕事・綜絖を担っているのは「京都(西陣)に10軒ほどやから、それは世界で十軒いう事やなあ。その家に働き手がおらんくなったら、それで終いやなあ。」

ちなみに、綜絖をネットで調べると、「ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説」として紹介されているのが次の説明です。
「綜絖
そうこう
heald; heddle loom
ヘルドともいう。織機の一部品。緯 (よこ) 糸を通す杼 (ひ) 道をつくるために経 (たて) 糸を運動させる用具で,主要部は絹糸,カタン糸,毛糸や針金でつくられる。綜絖は経糸を通す綜絖目と,その上下に連なっている糸から成り,竪針,開口タベットの運動を経糸に伝える。 」
この説明で、事の何たるかをすぐさま理解し、イメージを持てる人がおられれば、まさに掛け値なしに「脱帽」に値すると思います。

私の写真をご覧になりながら、もう一度、二度三度よ見直されても「ああ、そういう事か。」と得心される人はそう多くはないと思います。
百科事典マイペディアの解説では、
「綜絖【そうこう】
ヘルドとも。織機上の経糸(たていと)を,目的とする織物組織に応じて上下に分け,緯(よこ)糸を通す杼道(ひみち)を作る織機の重要部品。糸を編んだもの,針金または薄板金製のものがある。」
とありますが、先の説明と大同小異ですね。余計な素材名がないだけ、まだ理解を混乱刺せる要素が少なく、ましとは言えるかもしれません。
上の写真の職人さんの間の前にたくさん垂れ下がっているひも状のものがそれです。
指の先辺りに「綜絖目」という穴の開いた小さな部品が見えますか。
その穴に手渡された縦糸を一本一本かぎ針で引き取って通すのです。
これを縦糸の数だけ何千本も通します。

こうしておけばある紐を引き上げれば、その経糸が引き上げられ、その他のものとの間い隙間(これが『杼道(ひみち)』ができますから、ここを横糸を巻き付けた杼を通すのです。
そうすると経糸の下に横糸の、糸一本分が出ることになり、それが模様の一点となるという訳です。
ですから絵柄は布の下に描かれるということになりますね。

経糸をこうして「綜絖」に通してなければ食器にかけて経糸と横糸を「織る」ことはできないということになりますから、基本中の基本の仕事ということになります。
この仕事も次の折の内容を知っていろいろ工夫を凝らすのだそうですが、熱心に説明をしていただいても到底その場で理解することは無理でした。

通常は・・・・家内工業ですので・・・・家族で組んで仕事をするのですが、ここは実演おばですから、今日だけのコンビだそうです。
手前の方が80歳、向こう側の方がこの仕事をされている中で最も若手。

この仕事の前段階には糸を整然と経糸として並べる仕事もあります。それはまた別の職人さんの専門職。
西陣はこうした多くの分業によって構成されているのです。
そしてその各分野の職人さんはその多くが60歳以上なのです。
- 2017/02/25(土) 00:00:15|
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フジのカメラの作る絵です。
ちょっときれいすぎませんか?何か生きている人というより人形のように見えませんか。
いえ、この人はこのように写る素質を持っていますので、これはこれでいいのですが。
手指がきれいですよね。

私はこれを書いている頃、ある人を「少し汚く撮ってみようかな。」と思っていました。・・・・そういえば「汚く撮ってください。」という言葉は、もう5年以上前に、今はもう京都にいないある女子学生さんから言われた言葉でした。
面白いことを言う人だなあと思いましたが、絵とか写真をよく分かっていたのでしょうね。

実在感を出すためには綺麗ならいい写真という基準から自由にならないといけないように思います。
モノクロに変換しただけで随分違いますね。
このフジのモノクロは上等な墨を使ったような黒、灰色が出ます。この点も好きなんですが、これもまた功罪があるように感じます。

つい先日 「ランウェイ」を歩いてきた人なので、歩いてもらいました。

ガイドナンバーは小さくてもストロボが内蔵されていると、こんな時は便利ですね。

でもやっぱり自然光がきれいです。
- 2017/02/24(金) 00:00:19|
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実は、高瀬川辺りからここを通って岡崎方面に行こうという算段です。
ですからここ「花見小路」は「通り道」。
消去してしまったのですが、キャノンの色の出し方とフジの色の話題を書いていて、今日のこれを例として挙げていたのです。
それでちょっと唐突に・・・・花見小路。

RAWで撮っている方にはあまり意味のある話題ではないかもしれませんし、カメラによって「異なる」と言っても、相対的なものだという面もありますから、特に声高に話題にすることもないのですし、
私の手元のカメラも一般論を展開するにはあまりにサンプルが少なすぎますし。

黒のワンピースの色を見ると、フジらしさがよく感じられると思います。
そしてやはり、肌かなあ。

これはやはり少なくない人が歓迎する色じゃないかなと思います。
一枚目に見るように、背景からの際立たせ方も・・・。

ただ、そうだからと言ってそれがあるシーンを撮るうえでいつもベストかというと、あるいはベターかというと必ずしもそうではないところに、難しさがあるように思います。
私の感覚ではソニーの色などは比較的ニュートラルに感じられますし(だから淡白で面白くないともいえるし、わざとらしくなく現実に忠実で?いいとも言えます)、キャノンは肌を赤くしすぎて嫌だなあと感じます(でも日本人の期待する色彩感覚はこうなんだろうなあとも感じられることが少なくないです)。
フジで和風建築を撮ると何とも言えない艶のある風情が出ます。期待通りです。でもその期待に応える演出が過剰で鼻につくともいえます。

写真家の荒木経惟氏が撮影の際に異なった傾向を持つ複数のカメラを準備して並行して撮っていることには意味があるなあと最近思います。一番の高級機を持っていればそれでいいじゃないか、ハイスペックのカメラで撮ればそれが一番いい写真だということは・・・・多くの方が同意してくれると思いますが・・・・「ない」という事だろうと思います。
(荒木氏の場合、多分、カメラボディーのバリエーションが問題ではなくて、レンズやフィルののバリエーションを並行的に使いたいという事なんでしょう。今のデジタルカメラはボディーにその「フィルム(に相当するもの)」が付属していますから、話はややずれますね。)
今回この人を撮ってみてもそれはつくづくと感じられました。
この下の写真は、フジだからこそという感じがします。
こういう絵が撮れると言うことで、私はフジを面白いカメラだなあと強く思いますし、Xプロ2なりXT-2なりがほしいなあとずっと思っています。
今回、この人の協力で、また楽しい写真が撮れました。
それは又次にお見せしたいと思います。
私の自己満足世界がますます拡張していきます。
- 2017/02/23(木) 00:00:09|
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気温がマイナス20度にもなる北海道の内陸部などでは、冬に外でこうしたことはできないことでしょう。当然ですよね。
けれどロシアでは寒中に池の氷を割って水泳をする人たちがいるそうですし、スキー、スケート、橇などを楽しむのですから冬のアウトドア生活もいろいろなんでしょう。

私は、とにかく閉じこもっていては写真が撮れませんから、外に出ますが、やはり多数の方は屋内に・・・・。
ですから、こういう人を見ると「おお!同志よ!」という気持ちも起こるのです。
皆さんはどうしておられますか。

雪かきなど、生活のためにどうしても仕方なく外に出ている人たちからすれば、なんて能天気なと思われるかもしれませんね。

この時期(撮影時)は後期試験が終わり、私大などは入試のシーズンですから学生はキャンパス内に入れないことが多いですね。
郷里に帰ったり、旅行に行ったり、あるいは進級・卒業展などで忙しかったり、はたまたバイトで明け暮れたりと、学生生活も色々ですね。

多分、理系の実験・観察・飼育系の人たちは、そんな生活とは無縁な毎日を送っているのでしょうけれど。

学生時代、京都にいることを大切にしていなかった私としては、学生職人には、どうかこの機会を大事に過ごしてほしいなと思わずにはいられませんね。
- 2017/02/22(水) 00:00:13|
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おかしな話をすれば、・・・・・、「今日は左岸を返ろうかな、それとも右岸を上ろうか。」と考える。
ギャラリー巡りをして・・・この時はある芸術系大学の卒展を見て・・・・帰宅するときに、信号や交差点で止められたり嫌な思いをするのを避けて鴨川を通ります。
その時に、時として楽器を弾いていたり、素敵な女性がいたりするので、「どちらを選ぶかで今日の運命が・・・。」なんて小さな「賭け」をするのです。

この日は、冬の寒さに加えて、もう陽がかなり西に傾いていましたから、「せめて日差しがまだ届く左岸を帰ろう。」と決めたわけです。
それでこの人に会えました。

冷たい空気の中で素手でギターを弾くのですから、それだけで注目に値します。
「試験が終わって少し時間がとれるようになったので・・・・。」という事でした。
ずいぶん勉強がハードなようで「なかなか楽しむ時間がとれなくて・・・。」

そんなに勉強がハードなのは「じゃあ、理系の学部なの?」
「いいえ、文系です。」
どの学部でもしっかり取り組む人はやっぱり熱心に勉強するんでしょうが、このも人の学部だと、然もありなんと思います。進学も考えているそうですし。

そんなハードな勉強のちょっとした合間にギターを楽しんでいるようです。
- 2017/02/21(火) 00:00:32|
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お馴染みの洋食屋で昼食を摂っていると、大先輩で画家でもある方が来られて、私たちを見つけて言うのです。
「奥さんですか? ・・・・・芸術には『遊び』が大切です。 この人は(私の事ですね)とてもまじめなんで、作品が・・・・。 どうか『遊』ばせてやってください。お願いしますよ。」というのです。
それは前夜の宴会の席でもおっしゃっていた芸術論の流れでもあるのですが、事もあろうに、この人を私の妻と間違えるなんて・・。
「○○さん、この人と私では40歳も年が違いますよ。いかに何でも・・・。」
「えっ?!」と振り返って、
「いやあこれは失礼した。 ・・・・。おきれいな方だ。」とトイレに向かわれてしまいました。

せっかくですから 「遊ばせて」やってくれというのを本当の妻に言ってほしかったですが、
でも、まあこうして街のあちこちで写真を撮っていることを黙認してくれているのだから、十分としましょうか。それにリタイア後、急に増えた飲み会にも「(年金しかないのに)お金は大丈夫なの?」くらいしか言わないで見ていてもくれますし。
それにしても○○さんの芸術家論は、「芸人は遊ばなくてはいけない。」というのと同じで、少々古いように思いますがいかがでしょうね。
無論、芸術家・芸人の視野や感性は大いに柔軟であるべきとは思いますし、体験にしても狭い常識にとらわれ過ぎ、縛られ過ぎてもいけないとは、私も思いますが。
「遊ぶ」とはどういうことなのか、そこがまた問題でしょうかね。
「狂雲子」エピゴーネンとしては、今度またいろいろじっくりと教えていただこうと思います。
何しろ先の大先輩は、私の倶楽部への推薦者ですから。

ただし・・・・
話の前提は「芸術家」ですから、私にとっては位相の違う話です。
でも、いつもお話はとても興味深いのです。

背景は桐箪笥ですからね。
撮影は小津安○郎監督にお願いしましょうか。きっと名作が撮れますよ。

『上賀茂村物語』

主演女優: ・・・・・・さん
キャメラ:蒼樹
という事で・・・。
「はい、本番・・・・・。」

「カッ~ト いいでしょう。」
- 2017/02/20(月) 00:00:49|
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小倉百人一首を配した屏風です。
ここで火鉢に当たってもらいながら、こういうポーズをとってもらうのもいいかなとは思ったのですが、勝手に道具を動かせませんし、ちょっと定番すぎる上にくどいかなかとも・・・。

こうするとずいぶんと違った写真になりますね。
一挙に生々しい?現代になります。 肌がきれいなので余計に若々しくなって「艶」っぽさが・・・・ここは人それぞれ感じ方が違うでしょうか。
カラーをどう使うか研究が必要です。



どうでしょう。
木村伊兵衛氏の「秋田おばこ」に負けない写真が撮れたのではないでしょうか(笑い)


- 2017/02/19(日) 00:00:59|
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ここは上賀茂神社(賀茂別雷神社)のすぐ前の元「社家」が並ぶ、疎水沿いの道です。
疎水は「御手洗川」の分流。元来は農業用水路です。
「別雷」の「雷」は、言うまでもなく「神鳴り」で雨をもたらす神でもありますから農業神ですね。それにこの神は、もともとの先住民がこの地を開発していたところに(ですから彼らの神が祀られていたはずですが)、それを押しのけて鎮座した神です。近くに太田神社があります。
ここを開発できたのは、水が得られたからこそです。
この疎水の水は社家の敷地に引き入れられて、それぞれ上賀茂社に使える神官たちの朝の禊の水としても使われていたそうで、流れは屋敷地からまた元の流れに戻され、その下流に当たる隣の社家に再び導き入れられているのです。

「社家」として営まれてきたお屋敷群は、既に神官はどなたも住んではいなくて近隣の農家や神官とは別血族の方たちが住んでいるとのことです。

有料で公開されている社家もありますが、ここは「すぐき」やいくらかのお土産販売をされる傍ら、なんと無料で公開されているのです。
古い調度や富岡鉄歳の絵などがあり、とても素晴らしい建物です。

ロケハンをした時、ご主人に「写真を撮らせていただいてよろしいでしょうか。」とお尋ねして快諾していただいていましたから、スムースに撮影することができました。
無論、機材を持ち込んだり他のお客さんにご迷惑をかけてはいけません。
冬の事ですし、早い時間帯にお訪ねしたことですし、・・・、ご無理をお願いできました。

こうしてモノクロで撮るとセピアでもよかったんじゃないかと思う位の雰囲気になります。
「おばあさんの若いころの写真を古いアルバムから見つけた」という様な設定でもいいね、と軽口を言いながらの撮影でした。
それを一緒に喜んでくれる人ですから撮れる写真ですね。

椅子にしろ火鉢にしろとても貴重な年代物のようです。
もし和服でいてくれなかったら負けてしまいます。

どうですか、鉄瓶もいい感じでしょ?!
襖で隔てるだけの奥行きのある建物ですから、時代を感じさせますね。
そして向こうに見える縁側では日当たりがとてもよさそうで、冬の日でも暖かくくつろげそうです。
でも、ここは寒い北側です。
- 2017/02/18(土) 00:00:51|
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実はこの方とお話しする直前に「糸を染める」お仕事の方からお話を伺いました。 1時間ほどの貴重な「講義」でした。
そしてこの方からもまた1時間の特別「講義」を受けました。
受講料、「0」円」でした。

何しろこちらの無知な門外漢の質問に沿ってお話を伺えるのですし、マンツーマンなんですから贅沢なことです。

しかも、技術的なことばかりでなく、人生の先達としてのお話もちりばめて。
海外からの見学者には言葉の壁があって最低限の事しか伝えられません。いえ、それさえままならないのですから、多少欲求不満になっておられるということもあるでしょう。それが私に幸したという事かも知れません。

それにしてもお土産販売のフロアには通訳がいるというのに・・・・・おそらく直接の利益が出ないからという事でしょうねぇ・・・・こちらには通訳がいません。
こういうところに、こうした施設・業界・行政がもっている文化意識と財政力が現れますね。
ことに文化意識です。

見ても分からないことが分かっているのに「伝統工芸の仕事を展示している」というアリバイだけ作るようなやり方です。
そのストレスが、こうして展示に貢献してくれている職人さんにかかります。
もし中国語の出来る人が配置されていれば中国人のお行儀の悪さだけが印象に残るという様な事はないでしょう。
もし英語ができる人がいてくれたらクラフツマンを尊ぶ文化圏の人たちとの深い交流が実現するでしょう。
そういうことがまさに国際交流・国際親善でしょうに・・・と感じるのです。

さて、私は方眼紙にこの「パンチャー(と言っていいのかなあ)」へ「指示書的絵」を描かれる仕事を何度か見てきたのですが、それがどのように紋紙への「パンチ」になるのか、見る機会がありませんでしたので、今日はとても勉強になりました。

ところでコンピューターが私たちの前に現れたころ、情報の出し入れは細いテープに穴をあけたものでした。
あれが縦方向に対して直角方向に穴が八個並ぶものでしたが、実はこのパンチカードもまた八個が並んでいるのを見ることができると思います。
「同じなんですよ。ですから私たちはあれを見て、ああそうかと思いましたね。経験済みでしたから。」

このカードに八個の穴が打てるモノが「洋」の紙で、日本では「和」の紙があるそうで十個の穴があけられるのだそうです。それだけ密度が高く複雑にできるという事ですね。
でも普及しているのは「洋」の方。
元来が移入の技術ですからね。
- 2017/02/17(金) 00:00:52|
- 工芸
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西陣にはジャカート織と言うものがあり、フランスで発明されたものが移入された。
織物は縦糸の上に横糸が出ることによって模様が作られるが、そのどの縦糸の上に横糸を出すかを…逆に言えば度の縦糸の下をくぐらせるかを・・・・「紋紙」という縦長の厚紙に開けられた穴によって織り機に指示する仕組みを言う。
と言っても、書いている私がもうひとつわかりきっていないのでこれ以上は説明できないのですが・・・。

こうした仕事が次第に機械化され、コンピューターの導入に至るその初めから自ら主体的に経験されてきた方ですから、その話は実に興味深いものです。
まだコンピューター導入の誕生期に業界からフランスやドイツに派遣された話などは、この京都の業界が世界に視野を広げつつ国内の優秀な技術者、エンジニアたちと草創期を切り開いていった冒険物語のようです。

この方自身はこの作業の前段階で大きな方眼紙に柄の下絵をこの紋紙づくりへの指示書化する作業も、またこの紋紙を使ってジャカート織機で布を織る仕事もしてきたのだそうです。
それぞれの仕事は分業の前の段階と後の段階を理解してこそ、お互いに仕事に対する配慮や、より優れた製品作りを可能にするのだという話をうかがいました。
目先の利益を負い、自分が儲かりさえすればよいという今の多くの企業や個人の価値観を反省させられる話でした。

この方も参加して書かれた書物も見せていただきましたが、この部分は「特許」を取っておいた方がいいんじゃないかという誘いもあったのだそうですが、
「仕事というものは多くの人の仕事があって初めて成り立つ。そういう事から言えば私のアイディアが、これは私のものとはっきり区別できるかと言えばそうではない。それを『特許』にしてしまって、私だけのものだとか、私だけが利益を上げる権利があると主張するのは、自分には合わない。仕事というものはそういうものじゃないと思う。」

「私らだって、他の人の仕事からいろいろ学ばせてもらった来たんだし、見せてもらって分かったことは、生かさせてもらっアイディアもある。丸ごと真似をしたのでなくても、そういうことが無ければ生まれなかったことはいくつもある。一つの特別な技術やアイディアがあってもそれを活かしてくれる関連した仕事の人がいなくては成り立たないのだしね。」

まるで人類史的技術論や科学論を聞いているようでした。
科学・技術や芸術などと私的所有とのせめぎあいがここに原理的に存在しています。
個人の努力や工夫を尊重し、かつその成果を人類共有の財産にしていく新の社会的価値基準と制度が求められていると思います。
その点で今日のような強欲資本主義に任せるのは違う、と私は思っています。
そのもっとも醜悪な姿の一つが「トランプ米大統領」という形で人格化しているのだろうと思います。
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- 2017/02/16(木) 00:00:36|
- 工芸
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冬に水辺というのも何なんですが、それはかえって大人な感じだろうと・・・・。

この道を通って今日のメイン会場へと向かうのですが・・。

サッカーのJリーグがヤタガラスを使い、野球の日本代表選手たちが侍ジャパンと呼ばれ、サッカーの女子代表をなでしこジャパンと呼ぶ。こういう呼称を考えている人は明確にある意図を持っていると私は想像しています。
もし何の予備知識もなくファン投票をしたらおそらくは浮上しないような言葉だったのではないかと私は推察します。それで却ってインパクトはあったともいえるでしょうが。
スポーツとこういう言葉を結び付けるところに・・・例えば文武両道などという言葉がいまだに生きているのと同様に・・・・スポーツ界に、そしてそれをある目的のために利用しようとする人たちの意識に潜む特異な文化があるのだと思っています。
クワバラクワバラ。

今日はこれまでほとんど使っていなかったレンズを持ち出しています。
ツァイスのゾナー f2.8 135ミリ です。
言葉でのやり取りには少々遠くなりすぎますが、前景を取り込むことなどができて、これはこれでやはりなかなかいいように思います。

女性が髪を直したりかき上げたりすると、何か不思議な情感が醸し出されるような気がしますね。

先日、このレンズを付けたカメラをリュックに入れて街を歩きましたが・・・・結局のところ撮影のチャンスはなかったのですが・・・・思いのほか重かったです。
200ミリを担ぐよりは楽なはずなんですが、それより短いものでもツァイスのレンズはなぜか硬質な重さを感じさせて、若い時にはともかく、今は少々持て余します。
でも、写りがよければ、我慢もします。
次回もまた持ち出そうと思っています。
- 2017/02/15(水) 00:00:19|
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全く、人の出会いとは不思議なもので・・・。(と、ファインダー倶楽部の新年会で会長さんがおっしゃっていましたが、その通りで。)
この人がとあるギャラリーに関心を持っていて、ある時ふと意を決して中に入ると、そこでは鈴木画伯が個展をされていて、その画伯が、この人をみとめて絵のモデルにした。
それで、私が画伯の作品展のパーティーに参加した折に、「この人は鈴木氏の絵のモデルをして、ほら、あの作品となった人。」とギャラリーのオーナーから紹介をされた。
「絵のモデルをしたんだから写真のモデルもどうですか?」とオーナーが言い・・・。
その人が今私の目の前にいる。

言うまでもなく?プロのモデルではない。
可愛いごく普通のお嬢さんだ。
ただ、鈴木画伯も認めたある種の雰囲気を纏っている点で、他の人と区別される。
だからと言ってカンバスやレンズの前に立つことになるかどうかは決まった話ではない。
そこがまた不思議なことだ。

この人自身が、そういう評価を受けることに「そうなんだろうか?」という幾分の戸惑いを抱きながら立っているのかもしれない。
言えることは、できた絵や写真を見て、綺麗だとか可愛く描かれているかどうかとかいうのとは幾分違う感想を持つことができるという人であること。そのことで、こうしてカメラの前に立つ条件を備えていると言える。

和服を着てくれたらありがたいという注文に「では、着ましょう。」と答えてくれて、今日それが実現した。
どうやら普段から着る機会の多い人らしい。弘法さん北野さんで「古着を物色する」ことも度々あるらしく、街に遊びに出るときにも和服でということが珍しくないのだそうだ。
こうして撮るととても若い人なのだが、私の写真ではいくらか年上に写ってしまう。(いや、撮ってしまう。)

私は撮影していて、時に「ああ、高校生の時にしたかったことをしているんだなあ。」と思うことがある。が、しかし、現実は「寄る年波」の影響を受けた感性で撮っていることは間違いがないので、それに応えてもらうには「誰でもいい。」という訳にはいかないのかもしれない。

今日は日差しがあるとはいえ、和服は開口部が大きくて寒い・・・・はずなんですが。
聞くと、実はいろいろ秘密があるらしいのです。それはやはり普段から着ている人の知恵なんですね。
その「着物裏事情」を聞かせてもらって、「寒い思いをさせてはいけないという気持ちが少し軽くなる。

シャッターとシャッターとの間には微笑んだり、冗談を言い交してもいるのですが、レンズがむけられた瞬間・・・・。
私が「笑って・・・」という写真を撮らないものですから、なお一層・・・・。
もう少し機会と時間が必要でしょうか。
- 2017/02/14(火) 00:00:18|
- 絵画
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卒展:
奨励賞受賞おめでとう
話を聞きながら写真を撮っていると「せっかく撮ってもらうのだから、彫刻刀をもって制作をしているところを・・。」を撮ってほしいと言ってくれました。
望むところです。

もう段階はすっかり最終仕上げですから、わずかに残る彫刻刀の跡をきれいに削り取ります。
彫刻刀の跡とは言っても見た目にはほとんど確認できません。 もうほぼ皮膚感覚でしょう。 そこにこだわるのが職人というものでしょうし、この人は、本当にそういうこだわりの出来る人のようです。

こちらがくしゃみをすれば、これまでのすべてが泡沫に帰してしまいそうな細かい作業です。

カブトムシを一所懸命観察・研究してきたので「図版やアニメなどでカブトムシを見ると、それはちょっと違うんじゃないか。」と感じることもあるのだそうです。
死んだカブトムシの関節は固まった筋肉で動きを制約されていますから、薬液に浸して筋肉を溶かしとって「冠せうとの動く方向や可動範囲を確かめたんです。」とのこと。
研究は徹底しています。

もうじき卒業で、今度は次の2年生がここに来ます。
「後輩に話しておきます。」

ここで遭遇するだろう『カメラおじさん』について申し送りをしてくれるそうです。
それはありがたい。
漆工の人も「来年度もよろしく」と言ってくれましたので、また楽しい貴重な話が聞けそうです。
それに写真もです。
入場の回数券を買わねばいけませんね。(もっとも、そういうものは販売されていませんが。)
- 2017/02/13(月) 00:00:36|
- 工芸
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もう卒業制作の作品提出締めきりも間近だという日。
向こうで「締め切りに追われてここに実演に来られない先輩のピンチヒッターで来ています。」という話に、ちょっと苦笑していた人です。
この人も2年の勉強を終えてこの春に卒業見込みの人です。
卒業制作作品を提出しなくてはなりませんが、「まだ完成してないんですよ。」
奨励賞受賞おめでとうございます。 
目下最終段階の仕上げ作業中。
私などが話しかけて手を止めさせているような場合ではないのです。
制作しているのはなんと「雄のカブトムシ」。 「なんと」と書いたのは私に先入観があったからです。
これはカブトムシの「後ろ翅」
植物の葉脈を利用しています。

卒業した先輩のアイディアを学ばせてもらったという事ですが、あの透明な後ろ翅が見事に再現されています。
会心の工夫だということが表情からも伺われますね。

今、私に各部位を組み立てて「完成形」を見せてくれようとしています。
提出時刻に間に合うのかなあ時になるのですが、
「実は今日、入り口にいる竹細工の彼とここに来る途中で、『実演していると写真を撮りたいという人が来るよ。それでブログに掲載するよ。』と話をしていたのですが、その写真を撮るという人があなただったのですね。」と
言うのです。

もはやカメラを持ったお邪魔ムシ=私は札付きになっているようです。
「それで、撮ってもらえたらなあと思っていたところに、来られたので・・・・。 」
なんという偶然でしょう。 これがもし、来週なら、もう彼はここに実演には来ていなかったのです。
間に合って良かった。
カブトムシはすべての関節が可動なのです。爪の先まで動きます。
傍らには本物のカブトムシが標本化しておかれています。
ご自身で標本にしたのです。

「先生は制作の技術的な方面では学校の先生でしたが、形や構造は、このカブトムシでした。」との事で、徹底的に観察したそうです。
先輩には球体関節のフィギュアを制作した人もいるとのことでしたが、この人のカブトムシは理科のモデルとしても相当完成度が高いと思いました。
単に形を追究するだけでなく足などの動きの可動域などについてもしっかり研究されて、実物に基づいているからです。
物事に認識のためには、それを作ってみることが一番だと言います。
ですから生命体の本質や構造、作用を完全に把握するためには「それを作る」ことがカギになるわけです。
科学者が人間を作りたがるのは、「人間てどんなものなんだ」という事を知りたいがために他なりません。
- 2017/02/12(日) 00:00:18|
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写真を撮るうえで「これと言ったことをしていないのですが、それでもいいですか?」と言われるのですが、えってこちらが恐縮します。
会場の平穏を乱して写真を撮るのですから。

この人たちの学校の卒業・修了制作展が、いま実演している京都伝統工芸館で、2月10日(金)~2月19日(日) に行われます。
私はこれを楽しみにしています。
写真を撮らせていただいた何人かの方もきっと力を込めて制作した作品を出しているでしょうから。

私が来た時には大きなガラス窓にブラインドが引かれれてしまっていました。
それでは「写真にとってはちょっと辛いなあ。」とこぼしますと、「では開けましょう。」と立って開けに行ってくれました。
なんて図々しい私でしょう。そして親切な学生でしょう。

2年生になったら、この会場での実演に積極的に参加するそうです。
「来年度もよろしくお願いします。」と言っていただきました。
「こちらこそ。」です。

この会場での実演も先輩から後輩へと受け継がれていきます。
そういう春になりにけり・・・・です。
- 2017/02/11(土) 00:00:50|
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今日はピンチヒッターで登場なんだそうです。
というのも2年生は卒業制作のために、「作品提出締め切りまでもう「時間がない!!」状況で、「必死になって作っているのでここに来られなくて、私が代わりです。」
この人は1年生です。

漆工芸のコースには螺鈿(らでん)を中心にするコースもあるそうなんですがこの人は漆工。
でも基礎的な勉強として螺鈿も。
それで絵柄に合わせて貝を切っています。

力の加減を間違えると「パキッ」と割れてしまいます。
ですから不用意に声をかけることができません。
実は、会場入り口付近では竹工芸の人が実演をしているのですが、その人とはずっと以前にお会いしていて写真も撮らせてただいています。
「ブログ見せてもらいました。」と言ってただいて有難いことです。

で、その人とを話をしているときに「今日は、他の人にも協力してもらって写真を撮りたいなと思ってきたんだけど・・・・。」とちょっと大きめの声で話します。
会場は静かですから、ほんの少し声のボリュームを上げただけで、他の人の耳にも届きます。
それで予め「覚悟してもらっておいて」・・・いえ心の準備をしていただいておいて・・・・う~ん、なんと言いますか・・・・。
向こうでくすくす笑っています。

「いいですよ、お役に立てますか?」と・・・・・話は早いです。
- 2017/02/10(金) 00:00:15|
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院の研究室の取り組みのようです。
度々「(指導教官名)研究室」の名前が出ていました。

中国には美人が多いですよねという私のいつもの話に、「そうですね、私の周りにもたくさん美人がいました。
私の住んでいるところは盆地で、曇りの日が多いのです。それで日に焼けることが少ないので色白の人が多いんです。」とも。
それじゃあ、是非この人の故郷を訪ねたいものだと思いました。
写真は色かぶりしていますから、それと分かりにくいかもしれませんが、この人もとても色白の方です。

私は、先にここに来ていた知人のギャラリストが戻ってくるのではないかと話を引っ張っていたのですが、ついに戻らず。
でもそれで却って楽しい話を聞かせていただけました。
たまたま、以前から知り合いの留学生の卒論が中国からの留学生の留学動機や、事前の準備の違いによって来日後の心理的変化や学業に向けての姿勢にどのような変化があるのかという研究でしたので、その関心からもお二人の話は興味深いものでした。

それにしても京都という町の特性上、学生に触れる、あるいは留学生に出会う確率は比較的高いのでしょうが、海外から日本に来て学んだり働いたりしている人は、ずいぶん多いのだなあと直感します。
そして、こうして海外から来ている人の感性、知性に直接触れる機会があるという事はとてもありがたい、よいことだなあと思います。

留学生としての 「先輩」が現れて、「一緒に撮ろう。」
三番目の人は東北地方の出身だという事でした。
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- 2017/02/09(木) 00:00:46|
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一言で「マンガ」と言っていいのか、それを読むしか能のない私にはよくわかりませんが、この分野の奥行きは一段と深まっているように感じました。
交差点で信号が変わるのを待っていた私の目に一つの光景が飛び込んできました。
道路の向こう側には時々お邪魔するギャラリーがあります。道路に面して大きなガラス窓ですから中が良く見えます。
そこにはおなじみの顔が。
あるギャラリストが先客として、どうやら作家さんと思しき人たちと、歓談中でした。

入っていくと、件のギャラリストは「ここのギャラリーの人に用事があるから・・・・」とすぐさまバトンタッチをされてしまい、それまでの話の流れも分からないままに、・・・。
ギャラリストの方たちは時間を見つけてはこうして、よそのギャラリーや芸術系の大学などを回って、これはという新人作家たちなどを見つけているのです。
この会場は3人展で、在廊されていたのはお二人でした。
いずれも中国からの留学生の様で某芸術系大学の「院」で勉強されているようでした。

別の機会にも見せてもらうことのある若い女性たちのこうしたマンガやイラストの中には、私のような守旧派からは意外なほど豊かな自己表現のツールになっていることがあることが分かります。
自分自身の体験や内面を表現し、人と共感しようとするときに、こうした表現が見事に共通語としての機能を果たしているようです。
ですから同世代の女性も時には男性も作品を囲んで大いに話が弾んでいる風景を目にします。
(伝統的なアカデミックな絵の前でそういう光景を見ることはまれのように感じます。)

このお二人は、さすがに院生です。作画の技量もさることながら、単に絵が描けるというのではなくて何を表現するのかという事の自覚が深いです。
「中国では日本のコミックやアニメが喜ばれていますから私たちもたくさん見てきました。」
「コナンやワンピースなどですね。」
日本語もそうしたコミックやアニメを通じて学ぶ人が多いようです。

日本に来て数か月間の日本語教育を受けて入学。日本語はとても上手です。
「・・・・という言い方は分かりますか?」と時々確かめながらの会話ですが、片方の人が「?」だと、もう一人が中国語で解説。
二人、三人が相手だととても便利です。
私が長くお付き合いしている留学生なども、メールの中であえて難しい表現や言葉を使ってあげると、すぐさま辞書を出して確かめます。
この人は広州出身だったかな。
- 2017/02/08(水) 00:00:15|
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前回紹介した「撚糸」の方は「御召し」に特化した「撚り」をされているのでしたが、この方は「多様に撚る」ことができる方に特化した方です。
規格的なものを大量にではなく、糸や撚りの仕方にこだわったものを撚ることに活路を開いてきたわけです。

それには先代の功績が大きかったそうで、お父上は「糸には本当に詳しかった。」そうです。京都の工業繊維大学を卒業されて「糸へん業界」に入られた方で、初めは「織り」の仕事をされていたんだそうです。
「それが撚糸になってね。」

お父上はとても職人気質の方で「教えてくれなくて、とにかく盗め」という人だったそうで「一生懸命見て盗んだ」そうです。
「それで、仕事をさせてもらって、できたものを見た父親が何も言わなかったら合格。その時はうれしかったね。」

教えられてできるようになったことと、自分で考え考え試し試してできるようになったこととは違う、とおっしゃっていましたが、そういうことは大いにあると思います。私も共感できます。
「でも今は自分の技術や知識を隠してる場合じゃない。」 そのことでも意見が一致しました。
「西陣を訪ねて、ある(国内の)地域から来た見学者には現場を見せないこともあったんだよ。
でもね、見たからと言って盗めるものでも真似することができるようなものでもないんだよ。肝心なところは指先の感覚や経験だからね。そンなことは盗み取ることなんかできないんだから、どんどん見てもらって関心を持ってもらえばいいんだよ。」
この点も大いに同感するところでした。

先日の撚糸の職人さんは三代前に北陸から京都へ、この方もお父上の時に京都に来たのだそうで、京都の職人の世界は案外伊勢などとのつながりなどもあって、「昔っから代々京都に住んでいて・・・という人は案外多くはないかもしれないね。」
かつての私の同僚が京都の人で、こんなことを話してくれました。
ご先祖が町中から郊外に移り住んで来て、以来ずっと今のところに住んでいるのだそうです。が、周囲のそれより以前から住んでいる人たちには「新しく来た者」と今でも意識されているのだそうです。
その移り住んだ時期というのが応仁の乱頃だったそうですが。
京都は千年の都ということが強調されますが、そう単純なことではないようです。

この機械はあくまで展示用ですのでごくごく簡単なものです。
ご自身の工場ではたくさんの紡錘棒に糸が巻き取られるのを「守り」しているわけですが、見ているだけでなく全身で糸の動き、機械の働きを感じ取っているのだそうです。その時その時に調整しているところに目をやっているのではなくて常に全体に視線を送っているのだそうです。
「音が変わるからね。」それで機械の不調や糸の切れなどは瞬時にわかるんだそうです。

ニットなどの撚りもするので多種多様な撚りに対応できる機械をお持ちなんだそうでが、
いろいろな難しい注文に応じる醍醐味もあるようで、本当に基礎的なお仕事ですがやりがいを持って続けてきたという印象が伝わってきます。

- 2017/02/07(火) 00:00:08|
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私はこの日、三か所で写真展を見ました。
(そのうちの一つはJPSの関西支部のものでしたが、いつもの通りの感想でした。何だかなあ~、とても上手なんですがそれ以上でもそれ以下でもない感じでした。日本の写真はこれでいいのかなあといういつもの感じでした。)
三つの中で私として一番興味を持ち関心を持てたのがこの方の写真展でした。

イギリスで写真を学んだんだそうです。
日本で写真を学んだうえで渡英したのでも、それ以前に強く写真に関心を持っていたのでもなかったとのことで「イギリスで暮らしているうちに関心を持ち、学校に入った」んだそうで、私のような人間には到底想像もできないような決断ですね。

ジャンル的には「ストリート・フォト」でしたから、まずイギリスでのそうした公道上での撮影に対する考え方はどうなのか、市民の反応はどうなのかが気になるところでした。
撮影は少々時間的にさかのぼるので、今現在の状況は違うかもという事でしたが、「あまり拒否的な反応はなかったと思いますね。」

私は写真の専門的な教育機関では、そういう点をどう教えているのかにも関心がありました。
最低限のエチケットというか節度というか、そういうものをどう考え教えているか。
「技術的なことは教えられましたけど、(いわゆるプライバシーがどうのこうの、肖像権がどうだというようなことは)本人任せで、特にこれといった話はなかったですよ。」
少なくとも周囲からの抑圧的な空気は感じておられなかったようです。

「ネットの普及の前と後では状況が大きく違っているのかもしれませんねぇ。」

一回目の個展だそうで「これからもやっていこうと思っているんです。」とのことでした。
ストリート・フォトでやってもらえるといいなあ。
撮影者が男性か女性かというところでも周りの反応も、受け取り方も違うように思いますし。

私はこれまで書いてきたように、写真を撮る人の中に他の人に対して粗暴粗雑な感性の人が少なくなくて、時に「撮り鉄」の人がやりだまにあげられているのと同談の「人や街を撮る」カメラマンが散見される現状を苦々しく思っているのです。
ですから、そうしたことに対して批判・非難が起こることには少しも異を唱えるわけではないのです。
が、反面、過度に膨らんだ自己肯定や自己防衛の感情があり、他人の視線に対するひどく狭小で自己本位な受け止め方があるのも事実だと思っています。
撮る側がもっている他人に対する粗暴粗雑さと同根の心理なんでしょうか。

この方も現在を「人との関係が希薄になっている」と意識して、上述のようなことを含んで心配されていました。
それで人間同士の関係をもう少し優しく柔らかくできないか、そこに写真が役に立てないかと・・・・。
私のコンセプトと重なるスタンスでしたので心強く思いました。
- 2017/02/06(月) 00:00:02|
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寺院に伝わる様々な刺繍を繕っています。
こうしたものは50年100年の単位で寄進されたりするのだそうで、寺院で公開されるのは一年に一度とか二度というようなものも多いのだそうです。
それが100年150年と受け継がれていくうちにやがて少しずつ痛みます。

しかし、仏に寄進したモノを痛んだ
からと言って、ハイ捨てましょうという訳にはいかず、多くの寺院では収蔵されたままになっていることが多いのだそうです。
それで継げるところはできるだけ活かして補修しながら次の世代に受け渡していくこの仕事が、受け入れられたのだそうです。

刺繍された部分の生地を切り抜いて縫い付けています。
そして刺繍自体もまた補修繕されていきます。
ところで、この方、色白なところややや細身なところ、額の形などことなくある女優さんに、似ていませんか。

俯いていると余計にそんな感じがします。
もう一人似ている人がいるように思うのですが、それが誰だったか思い出せません。

キャリアはまだ10年に満たないのだそうですが、成長著しくてなかなか優秀な技能の方らしいです。

照明はLEDライトの様でかなり明るくなっています。
LEDライトでないと「光で変色したり劣化してしまうので・・・。」という事でした。
鮮やかな赤の布地を広げていますから、白い肌に強く色かぶりしています。
それを調整しようとすると刺繍の方が現物の色から遠ざかってしまうので悩みどころです。

それにしても豪華なものですね。
周囲には鳳凰や孔雀の見事な先品が掛けられています。
伏見の工場にはかなり高齢の職人さんもおられて「年を取ってもできる仕事だから、続けられるように仕事を取りたいのですが・・・。」と。
注文に時間的な長い大きな波があるのだそうで、そういう中で経営に苦労がおありのようです。
でも職人さんたちを維持し、こういう仕事で社会に役立っていこうとする気持ちが責任者の方からひしひしと感じられました。

それを耳にしながらこの職人さんも安心して仕事に励めるだろうなあと思いました。
- 2017/02/05(日) 00:00:56|
- 伝統工芸
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私は「遠江の国」に生まれたのですが、やがて山城の国の学校に留学をすることにし、卒業後は先進国だった山城の国に職を求め、そのまま帰国することなく、この国に「終の棲家」を見つけようとしています。
「思えば遠くに来たものだ」と感じます。
私の時代は徳川さまの御代とは違い、長崎や京に留学することはずいぶん容易になっていて、むしろ若者は競って他国へ他国へと出ていき、故郷に残る者はむしろ時代の流れから取り残された者とさえ感じられるほどになっていました。
留学を終えて故国に戻るものもたくさんいたとはいえ、私も、相模の国に暮らす畏友もまた故国には戻らない道を選びました。

聞くところによれば、かつては長崎留学などの際には二度と生きて家族には会えない覚悟であり、分かれの水杯さえ交わしたという事です。後顧の憂いを断ち切って学を志せという事でもあったでしょうか。
私たちの世代では、そのような別離の覚悟もなく、まるで時代の流行に押し流されるように他国へ他国へと出ていきましたが、それは又学問に対する決意の希薄化を伴うものでもあったように思うのです。
徳川さまの時代には「お前はなぜ敢えて故国を離れて学びに行くのか」ということを本人も周囲も深刻に思い悩んだそうですが、いまや物見遊山と変わらぬ気持ちで留学するのです。

おそらく現代の「国境」を隔てての留学も、こうした経過の一段階にあるのではないかと思います。
そしてやがては、今、日本国のなかで分国間の移動がほとんど何らの心理的な抑制・葛藤もないのと同じように東アジアや、地球的規模でもおこなわれるようになるのだとおもいます。

それはトランプ氏がメキシコとの間に如何に高層強力な壁を作ろうと、また政治家たちが竹島や魚釣島に摩擦を作って国民同士の敵愾心をあおろうとも、とうとうとして止めることのできない流れになるでしょう。

今、長門の国に行って会津の、会津や庄内に行って薩長の悪口を言っても、酒の席の余興以上にならないないように(いや、それ以上に腹に含む感情を持つ者もことによったらおられるのかもしれませんが)、それを種に本気で激したり諍いをすれば嘲笑されるのと同じようになるのです。

無論だからと言って現在進行形の諍いを、どうせ未来には収まるのだからと言って軽んじ、正義や論理や検証を軽視・無視すれば、それこそ将来に禍根を残すことになるのですが。
しかし、そこにはおのずと「目くじらを立てる」立て方、作法というものも歴史的未来を視野に入れたものがあるはずなのです。
政治家というものはそういうことができる人たちでなくてはならないのです。

「ホロコースト」について「鳥肌が立った」という韓国出身の留学生が、この日本でそれを表現した作品を展示し、日本などの学生と交流している。

すべての事柄には多様な側面があり、一色に評価することはできませんが、私はこうした留学生を未来の「世界」の平和と民主主義の種だと思っているのです。
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- 2017/02/04(土) 00:00:26|
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胸が躍り、胃の腑がゾクゾク・ざわざわする。
腸が煮えくり返る。
感情が肉体的に蠢動するのです。

そういうものが高じて作品化する。 私にとっては夢みたいなことです。

こういうテーマを与えられて自分を掘り下げてみる、また、社会や人へのまなざしを反省してみるというのはとても大切だなあと思います。さすが教育機関ですね。
大人たちのグループ展でよく見かけるテーマの甘ったるいこと鈍いこと。

このお店でコーヒーをごちそうになりました。
この時にもう一人が在廊していました。
作品を見て回った時に韓国の方の名前がありましたので、それがこの人のものではないかと直感しました。

作品についていたキャプションには「ホロコースト」とありました。
キャプションを見る前にはもう一つイメージがはっきりしない不安感がありましたが、それを読んだ瞬間に一気に画像が明確になり焦点が合ったという感じがありました。
(作品紹介のプリントには「体の特定部位をつみあげて」とありましたから、きっと展示までのわずかな時間に作者の中で何らかの揺れ動きがあったのでしょう。)
要らぬこと言いのお節介おじさんとして、作者の意図や制作への動機を聞いたりしながら、少しだけ感想と「もう一歩」についてお話をしました。
それにやはり留学生については気になるのですね。
「なぜ日本に来たの?」と定番の質問も。
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- 2017/02/03(金) 00:00:22|
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1月の終わりから2月にかけて芸術系大学の進級制作展や卒展が目白押しです。
この人の作品のキャプションはミヒャエル・エンデの『大きな都会と小さな小女』
これは喫茶店のカウンターです。

この進級店の共通テーマは「鳥肌」。
鳥肌?!
「展覧会タイトルの『鳥肌』とは感情が高ぶった時に起こる生理現象であり、自らの意思ではコントロールできない人間の動物的・本能的な感覚です。・・・・・・身体が未知の存在と直接触れ合う機会は減っています。そんな時代の中で、私たちは感情が高ぶるような体験を何処でしているのでしょうか。」と展覧会案内の印刷物に書かれています。
「作品を通して私たちが感じる鳥肌的感覚を共有してもらえれば」とも。

喫茶店で「鳥肌」?
お話を聞いてその深い意図が分かりました。
様々なアルバイトの経験を通じて体験したことの中からそれは抽出されています。

ある日お店に姿を見せた人が、幾度か足を運んでくれるようになって、「ただのお客さんからあるとき⦅常連さん・お馴染みのお客さん》に代わっているということに気付いた時、ある人と人との出会いが「二人の恋に変容」した時、そういう人とと人との関係が変わった瞬間に気付いた時に『ゾクゾク』っとしてのです。

「肌の表面にぼつぼつが出るというだけでなく胃とか心臓から何かぞくぞくするような感じですね。」

こういう気付きに着目するのは素晴らしいことだと思います。そしてそれを「ゾクゾク」っと、ことに感性的肉体的に感じられるセンス。
私に弱いのは、その点ですからなおの事興味深い話でした。
写真にはその「ゾクゾク」の瞬間芸の側面があると思うからです。
- 2017/02/02(木) 00:00:04|
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おやおや今日はもう2月一日です。
一年の十二分の一が過ぎてしまいました。
最近こんなことばかり言っています。年の所為でしょうか。
こんなことを感じる私にとって、このブログは一つの慰めです。
というのも、この6年ばかりの間に「1111人以上の方に写真撮影をお許しいただいて、その方を撮ってきた。」ということが毎日の写真掲載で足跡を残せているからです。
功成り名を遂げた人が、形ある勲章というバッチを欲しがり、銅像・記念の石碑などを作りたがるのと、どこか通じる心理かもしれません。
ある種の「確かさ」で私を支えてくれる効果があります。
神仏(かみほとけ)だって具現的な形にしないと人の心は落ち着きにくいものです。

それにしても最初の5年間のペースでいけば今頃は1160人以上の方々の写真を撮っていなくてはいけません。
ずいぶんペースがゆっくりに成っています。
人数を目標にしているわけではないのですから、そのこと自体に一喜一憂することはないのですが、こうした数量的変化をもたらした背景・原因を推察することは、私の人生中のリタイアから6番目のこの一年の質の変化に気づく上でのヒントにはなると思っています。

そこでいろいろの変化に気づき、得たことや取りそこなったことなどを思い浮かべて、残余の・・・・はてさてどれくらいの時間が有るのか、ないのかわかりませんが・・・・・・命脈の上に重ねてみるわけです。
5月には大学時代の仲間と岡山に集まりますから、ちょっとそういうことも考えておきたいわけです・・・・。

だからと言って道学者をきどって神妙に慎ましくしてようなんてことを考えるのでも、仙境に生きようなどと思っているのでもないのです。
とても小市民的な煩悩を実現しようとしているだけの事です。
例えば写真の個展を10回やったことのある人になってみようとか・・・・。
「あなたの写真はいいですね。」とか「あなたに写真を撮ってもらいたい。」と言われるような写真愛好者になってみたいとか、まあその程度の事です。
でも、そういうことが、成就するようでいて、なかなかそこに至りがたいというところが、凡人たる私などには楽しい目標であったりするわけです。
そういう私のささやかな目標のためにこうして協力してくれる人がいるという事はまさに文字通り「有難いこと」「僥倖」という訳です。

ですから、写真を通じて誰かの役に立てればなあとも思うわけで・・・・。

そこで私は「狂雲子」のエピゴーネンを心ひそかに自称しているわけです。
- 2017/02/01(水) 00:00:51|
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