こういう時に小道具として缶コーヒーか何か持ってもらうことをなぜ思いつかないのでしょうね、私は。
寒い・冷たいは暖かいとの対比で強調されることは理屈では知っていても、実践に生かされないのですね。

首周りの赤い色と道路標識・山容の青。
それなのに頭の横の看板の暖色。
不徹底なんですね。詰め切れていない。
雪の広がり、空間の広さで寒々しさを出そうとしてこうなっちゃったのですね。
被写体になってくれている人に対して少しでも暖かくという思いやりの心にも欠けますね。
この人が「もうそろそろ髪を切ろうかな。」なんて恐ろしいことを言い始めましたので、
今日の機会は貴重でした。
写真のために切らないで、なんてとても言えませんしね・・・・・・実は言っていますけど。

髪を立てれば標識が立たず。
過ちは二度まで・・・それ以上は、仏も許さない。
とすれば、私の地獄行きは確定ですね。
確かにそうです。



髪を切るときには「事前通告」してね、とはお願いしましたが、米軍同様、この人にその義務はないですからね。
核、いえ髪をどうするかはご本人次第です。
- 2017/01/31(火) 00:00:59|
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昨日は、和服を着てくれた方の撮影でした。
その人が「和服を着てもいいですよ。」と言ってくれていたこともあり、常々和服の人ならどこで撮ろうと考えてはいたのです。そして、以前から気になっていた場所で撮影の許可をいただきましたので、一緒に出かけてきました。
でも和服を着ているからと言ってどの人でも同じロケーションがマッチするかと言えば違うでしょう。
その一方で同じロケーションでも人が違う事でこれまたずいぶん雰囲気の異なった絵ができるのではないかという面白さもあります。
ところで、今日の人は芸子のような化粧が映えるのではないかと私は密かにイメージしています。それで、先ほど書いた場所はこの人でも試してみたい場所でもありますので、またしばらく時を置いて撮影をお願いしてみようかなと思っています。
どう?撮ってみる? しばらくはダメかな、半年先くらいではどう?

白一色の雪景色の中に赤い色、黄色が入るとやはり面白いですね。
銅葺きの社の緑青色や杉の濃い緑なども・・・・これでも意識しているつもりなんですが。

ヨーロッパの方の(雑駁な言い方ですね。よく知らないことがまるわかりですが。)写真を見ますとポートレートでもとても色を気遣っていることが分かります。
髪の色、目の色、服や背景の建物やカーテンなどなど。色についても計算なしに撮ることはないのだろうと感じさせるものが多いです。
それにコンポジションや視的「導」線にも意識的ですよね。

彼我の違いは芸術的教養の違いかなという感じもします。
そこに優劣がある、とは必ずしも言いませんが、少なくとも私は多少以上の劣等感を感じています。
写真を表現様式としてとらえる意識性の違いかなとも感じます。
私はこの日本列島の上で培われた文化を背景として持っているので同じようには感覚できませんし、また必ずしもどれもが心地よいとばかり感じるわけでもないのですが、一旦は大いに刺激されようとも思います。
日本の人々の撮ったものばかり見ていては感性の窓口が広がりませんから。
なんていうと、何だか相当意識的に写真を撮ってるかのようですが、そうではないことはお目にかけているものを見ていただければ一目瞭然ですね。

ただ、そういうことを考えて少しだけ、もう少し何とかしようよと自分に言っているのです。
で、ないとこういう機会を作ってくれている人たちにも申し訳ないですから、考えているふりだけでも、試みているふりだけでもしないと・・・・・。
えっ?! 振りだけなんですか? じゃあ却って失礼ですよ。 神様の前で不謹慎だなあ、
なんてまた怒られてしまいます。

どうでしょう。寒い感じは伝わりますか。
「ご覧 あれが 経が岬 北のはずれと 見知らぬ人が 指をさす ♪ 」
私が現役の頃、職場の同僚で京都北部に勤務したことのある方々がこの替え歌をよくカラオケで歌っていました。
私は一番の歌詞しか記憶できませんでしたが、いい替え歌でしたね。
「京都発の夜行列車 降りた時から 峰山駅は 雪の中 ♫ 」
- 2017/01/30(月) 00:00:08|
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昨日は、私が仲間に入れていただいている写真グループ=京都ファインダー倶楽部の新年会でした。
昨年、一昨年とグループ展に作品展示をさせていただいて、いろいろな刺激をいただいています。
今年は5月の個展とこのグループ展を軸に考えていますが、どういうものを出させてもらおうかと今から思案してます。
昨年は「古楽アンサンブル」の組み写真でした。

たとえ社交辞令だとしても幾人かの方から「評判良かったですよ。」と言われるのはうれしいものですし、ずっと以前にも書きましたが
「あなたがこういう写真を撮っていてはダメだ。自分の写真を取りなさい。」と強く言われたことも、強く心に残っています。
それだからこそ、今年はどうしようかと思えるのですから、このグループ展も有難いものです。

「文人」の「道楽」というスタンスの方も、写真作家として既に評価の高い方も、異種格闘技戦参加的な方も、メンバーの個性・スタンスは様々で、そこがこの会の面白くも魅力的なところです。

さて、この撚糸の方は今ではいろいろと講演を頼まれたり、研究者の取材を受けたりするのだそうです。
それで最近、依頼の有った取材については「少なくとも2時間くらいないと話したいことが伝わらない」と返事をされているのだそうです。
元来は平家の落ち武者の末裔というお話から・・・・・源木曽義仲の倶利伽羅峠での「火牛 ( かぎゅう ) の計」から、何故いまこの京で糸を撚る仕事をしているのかということを解き明かす壮大なお話です。
歴史好きにはたまりませんね。

襟に並ぶバッチの数々は伝統工芸士としてのものもあれば叙勲を示すものもあります。
しかし、「石を投げれば伝統工芸士に当たる」というくらい伝統工芸士がたくさんいる京都では、皆さん偉そうぶらないで気さくな方が多いです。
西陣、友禅関j系だけで500人ともいわれていますし、全国4,000人中1,000人が京都の方ですから。

でもその多くが「職人が大切にされていない、伝統工芸が大切にされていない。伝統工芸(ことに西陣織・友禅染は)は早晩、ここ10年で絶える。」と口をそろえて悔しそうにおっしゃいます。
無論、業界自体、職人の在り方・考え方などにも問題・課題はあります。が、しかしこの灯を消してしまっていいのかと言うことは、伝統を身に背負ってきた方たちであるがゆえにその言葉は重いと感じます。

東京からのお客さんを相手に、巧妙な話術でで、いろいろなお話をしています。
食べられなかった辛い時代の話も笑顔で話しておられますが、この方の粘り強さ、仕事に対する気持ちの強さ、いろいろ感じさせられました。
- 2017/01/29(日) 00:00:12|
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織物は糸から成っています。
西陣では多く生糸が使われてきました。
その糸は蚕の吐き出すものだという事はよく知られたことですが、その極細のイトを数本合わせて「撚り」をかけて初めて「糸」として使えるものになります。

この方は11歳の頃にお父上の仕事を手伝い始めてから、この間様々な紆余曲折を経ながら80歳になっ仕事を続けておられる方です。
奥さんと二人三脚だそうです。ずいぶん奥さんのことをほめ、また良く辛抱して支えてくれたと感謝しておられました。

糸の撚りは右回り(右撚り=S撚り)と左回りに撚ったもの(左撚り=Z撚り)とがあるのだそうです。
写真に見えている撚り機は実演用のもので、その原理を示すための簡素なものです。巻き取るスピンドルが縦になっているのですが、この方がずっと使い続けた来たものは「八丁式撚糸機」というものだそうで、巻き取りのスピンドルが横に寝てついています。その両端がそれぞれ糸を撚りながら巻き取るのでスピンドルの一宝庫への回転で糸は右撚りも左撚りも同時に生産できる優れものです。(明日の最初の写真をご覧ください)
「口八丁手八丁」というのはこの撚機が巧妙にも右回り左回りの両方を一度に撚れることから口がうまい手が器用ということを、いったものだそうです。

糸の撚り具合は気温や湿度などによっても違ってくるので「舌に糸をのせた感覚」で確かめるんだそうです。

布は同じ方向の撚りをかけた糸で作れば捩じれてしまいますので、右撚りが2本、次に左撚りが2本という具合に交互に並べるのだそうです。

西陣は実に多くの細分化されれた分業で成り立っている。
糸が無ければ始まらない仕事だが、撚糸の仕事は「随分下に見られてね。辛い悔しい思いも何度もしたよ。」と話してくれました。 問屋などから「撚りの仕事などは」と蔑まれ、たくさんの人の前で「(撚りの仕事をしている者が)椅子に座るなんて・・。」と侮辱を受けたこともあるのだとか。
撚りの成否で糸の輝き方も違ってくるので基礎的な大事な仕事ではあっても辛い汚い仕事という面もあり、なかなか若い人には・・・・仕事もずいぶん減ってしまった今では生活をしていくのも大変だからなおの事・・・勧められないとも言います。

良い西陣織を継承するには大切な仕事だという事はご本人がよくよく承知していたうえでのおっしゃり方です。
ほとんど滅亡寸前の仕事ですが「わしたらの仕事がほんまに必要ならば、誰かが何とかするでしょう。」とおっしゃいます。
下の写真では「糸を扱っていると指先や手のひらが割れて痛くて辛い、仕事場におりたくなくなるほど痛いこともある。それが医療用の手袋を付けることによって解消できた。7,87年前の事。
そういう新しいことを採りいての工夫がなかなか進まない世界でもあるけれど、やはり前向きに工夫を凝らす姿勢が大切だ。」と話されます。
- 2017/01/28(土) 00:00:16|
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この人たちの学ぶ学校を一度見学してみたくなりました。
ここで出会うことができる人は前向きに取り組んでいる人たちでしょうから、表から窺う姿と実態とは異なるかもしれません。が、若い人たちがどのように工芸の世界に向かっているのか見てみたい気はします。
それに専門家の指導陣が、伝えることが難しそうなこういう分野でどのような指導をされているのか。
しかしまあ、南丹市園部という、ちょっと遠いところにありますので元来の無精者の私ではなかなか足を運ぶことにはなりにくいですが。

ここでは卒業制作の作品を見せていただくこともあります。
芸術系の大学にも足を運びますが、同じようにそれは楽しい見聞・経験となります。

それにつけても若者が、いわゆる社会に出て自らの「たずき(方便)」を得るのは大変なことです。
私のようなぼんやりしたモノでは到底生活の道筋を作ることができないでしょう。
振り返ればよくもここまでたどり着いたものだと恐ろしいような震えあがるような気持ちがします。
そういう意味では「若い」ということが、そうした不安を押しやる何よりの力だったのだなあと思い返します。

私はそうした意味では根性なしですから、「若いあの頃に戻りたい。」などととても思えません。
足が竦んでしまいます。
それだけに、私の息子なども含めて「若者よガンバレ」と声をかけたくなってしまいます。

もっとも、息子についていえば、生活はともかく、考え方も意志も、私などよりずっとしっかりしています。
それは幸いなことです。
多分、彼にとって父親は反面教師なのだと思います。

さて、あまり長くお邪魔をしてもいけません。
50ミリレンズで撮っていますので、ずいぶん寄っていますから制作への集中を乱してしまいかねません。
今度は135ミリで来ようかな。 そういう問題ではありませんでしたね。

お邪魔しました。ありがとう。
- 2017/01/27(金) 00:00:27|
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制作しているのは永観堂に伝わる阿弥陀如来立像の後背です。
この寺は「聖衆来迎山無量寿院禅林」 というのだそうですが、その第7世住持である永観律師(ようかん)に因んで永観堂と言われているのだそうです。
その永観律師が行動(ぎょうどう)をしているときに寺の阿弥陀像が下りて来て律師を先導されたのだそうで、その際に律師が遅れるものだらか阿弥陀が律師を振り返ったそうな。その時からこの寺の阿弥陀立像は我々から向かって右側に顔を向けて背後を振り返ったままの姿になったのだとか・・・・。

その、世に「見返り阿弥陀」と呼ばれている像を摸刻します。
足元には阿弥陀立像の写真が置かれています。正面と横からの写真しかないのでなかなか再現が難しいとのことでした。

光背の素材をこうして高い位置に保って彫るのは『大変でしょ?!」と聞きますと、「作業台に置くとどうしても深く前かがみになってしまい、その方がつらいのです。」とのことでした。
こうして顔に近づけたほうが間近によく見えて作業しやすいのだとも・・・。

白木の部材を汚さないように手袋をしています。
光背には吉祥天が数体舞っていますが、その眼鼻の凹凸も細やかに表現しなくてはいけません。

手前に見えるのは課題で彫られる自分の手指だそうです。
(そういえば私も中学の頃の授業で、自分の手をモデルにして木彫をした記憶があります。軽く握ったこぶしを彫ったと記憶しています。絵をかいても彫刻をしても、もっともっととやればやるほど状態を悪くしてしまうという癖が私にはありました。)
ただし、この人の彫ったものではないそうで・・・・。
いろいろな課題を経てようやく仏像を彫ります。

道具の彫刻刀もそれぞれ自分で工夫して独特の刃の角度をつけたりアールをつけたりします。
握りの部分は勿論です。
職人にとって大事なのは道具です。
難しい課題になればなるほど「もっとこういう道具がほしい。」と自分で作り出すのです。
「どんどん道具が増えます。」

先輩や先生に教えてもらったり、横で見ていて「ああいうの、いいなあ。」と、真似て作ることもあるんだそうです。
- 2017/01/26(木) 00:00:34|
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指物師の「卵」です。
工芸の諸分野他の仕事はいずれにもため息をつかされますが、さしものの仕事には肌感の気持ちよさを、私は感じます。
そしてそういう仕事を日常の中の事ととしては建具や家具を通じて感じたいのですが、今やなかなかそうもいきません。

若い人が育っていくのは良いものです。
この人が通っている学校からは多くの若い職人、工芸作家たちが輩出しています。
まだ学校の課題に懸命に取り組むところから見られるのは、相撲で言えば序の口や序二段辺りから見ていることになるでしょうか。

私はこの人たちの様な職人の仕事にそれな入りの需要があることが、日本社会の豊かさの一つの指標になるのだと思います。
経済を数量でしかとらえないような「経済」学では捉まえられないことだと思います。
株価や為替レート、利子率や先物指標などばかりに目が行く経済学が大学で「経済学」の看板を掲げているうちは、幸福の科学にはならないと思います。
経済学は「経世済民」の学ですからね。・・・・ただしこの言葉も元来は為政者視点ですから、それを国民主権的に建て替えする必要がありますが。
ほぞ穴を作り、ほぞを削ります。

次の制作物で用いるほぞとほぞ穴の練習をしています。
意外と・・・・・・と言っては失礼ですが、この学校では❓・・・・・かなり良い材を使って制作をしています。
ですから、いろいろな技を十分練習してから本番の材を使って制作をするのではないかと思います。

「失敗をするのが修練だ」と言っても良い面があります。挑戦すれば、そこにはおのずと失敗のリスクが増します。失敗は不可欠です。それなくして腕の上達はないと思います。
問題はどういう意識で取り組んで失敗し、その失敗をどう意識するかだろうと思います。

だから若い教師などを「一年目から一人前」的に突き放すのは、安心して失敗できないという事でまずい育て方だと思います。
ベテラン教師が若い教師の失敗のしりぬぐいができる余裕のない今の学校の在り方は最悪です。
親も「(それは分かるけど)うちの子で失敗されるのは絶対に受け入れられない」なんて言うようじゃダメです。
(むろんそのためには決定的な失敗を起こさないようなセーフティーネットが張られていなくてはなりませんが。)
別の産業でも同じ。その失敗を柔軟にカバーできる仕組み、人的力を社会がもたないと心豊かな生活には、成らない。
客である以上は、消費者としては完全な商品、完全なサービスを要求する権利があるなんてふんぞり返っていると、その付けは結局自分の労働現場に返ってくる事をお互い知るべきですよね。

こういう点でもやり直しがきく、修正を柔らかく受け止めるという社会でないと人がぎすぎすして激しいやり取りばかりでいたたまれない世の中になります。
そして〈未熟な〉青年が大人へと成長していくことに委縮してしまう。その場にたたずんで「居直るしかない」ようにしてしまう。

試験ごとに振り分け、振り落とすのではなくて、失敗や未熟さを見つけたら、課題が見つけられたことを喜んで「もう一度やり直してみよう」と思える世の中でないといけない。
人はただの「人『材』」じゃなくて、企業の儲けの道具ではなくて、成長し生きていることを楽しみ、苦闘する道すがらを眺め、そして達成を人とともに喜べる主人公なのだから。
- 2017/01/25(水) 00:00:18|
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私は静岡県西部の磐田市見付の出身です。
冬は西寄りの「遠州の空っ風」が吹き、風にさらされていると体感温度は低いですが、何しろその風さえ遮れば日差しは常に暖かです。
雪はほぼ降りません。

ですから、その地方では、もしも、空から細かな白いものがちらちらと落ちてきて、学校のグラウンドがほの白くなろうものなら先生も生徒も一斉に窓の外を眺めて、暫し授業が止まるほど、雪は珍しいのです。
そんなわけで白い薄化粧はあっても積もるなどということはまずありません。

無論、同じ静岡県でも長野県との県境辺りなどでは事情が違いますが、私の故郷は太平洋(遠州灘)にほど近いのです。
スキーやスケートには縁がなく、屋内スケートリンクが隣町にできた時には大喜びで出かけました。でも滑れるようにはなりませんでした。バス代もスケートのレンタル代も私の家庭には負担が大きかったからです。
まして遠出・宿泊をしなくてはならないスキーにはまるで縁がありませんでした。

ですから京都市内に来て、京都市内の気候にはやや日本海側の気候が混じりますから、時には雪が降るのです。
遠い昔の思い出なんですが、成人の日の朝のことです。故郷の式に出席する気持ちは毛頭なくて、友人の家に泊まり込んでいました。目が覚めて友人とともに外に出たのですが、重たいボタン雪がわさわさと音を立てて降り積もっていました。

傘は歩く一歩ごとに重くなるという感じで、これが雪が積もるという事かととても感動した記憶があります。
傘の雪は傘を傾けて揺さぶり落とそうとしてもなかなか落ちず、元に戻せばすぐさまずんずんとまたもとの通り重くなるのでした。
「我がものと思えば軽し傘の雪」なんて言うのも、そう思わねば「雪は重いんだ」という前提があるわけですが、見付の生まれの私には、それまでにおはその実感はなかったわけでした。

それで豪雪地方の方々には申し訳ない気持ちですが、私にとって、積もる雪は「ワクワク」そのものなのです。
近江の国にはたくさんのこうした村の鎮守の森があります。
近江の歴史は山城より古いのだと思います。
古い祈りと祀りの場がたくさんあります。
韓半島などからの渡来系氏族の足跡もあちこちに見えます。
「万世一系的史観」などただの妄想的な物語でしかないことがよくわかります。

日本列島では年間総降雪量は減少傾向にあると聞きます。
雪が降り梅雨の雨や台風のもたらす雨があってこそ日本列島の上での人々の四季をめぐる生活は成り立ってきました。
人々の比較的穏やかな性質も経済的な豊かさや安定も、人々の生産的営為を可能にしたこの自然があってこそです。
今日、稲作の北限がどんどん緯度を高くしているように日本列島の上での人々の生活は気候とともに変化してきています。
これをどう考えればよいのか。私たちは日本的なるものの評価とともに、その存在を基礎づけているもののことをより深く理解し行く末を考えねばならないように思います。
- 2017/01/24(火) 00:00:57|
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雪がやんだ日なので寒さに震えあがるというほどではないのです。
というか、私自身が若いころには寒さがとても嫌で「夏が大好き!」と言い続けてきたのですが、それがいつの頃か体質が変わったように寒さの外に出かけていくようになりました。
防寒具に身を包んで自転車で街に出ます。
そうしてその寒さの中で楽器の練習をしているような「奇特な人」に出会ったりすることを楽しむようになりました。

それでも幸い今日の冷え込みは幾分緩いので、寒さの苦手なこの人も我慢ができているようです。
おばあさんの故郷が雪国なので雪景色そのものは嫌いではないらしいもです。というより子供の頃のワクワク感がよみがえるようです。
もう何度も撮影にはお付き合いいただいているので、多くを言わなくてもこちらの要求を汲んでくれところがありがたい。
私にとっては貴重なフォトマヌカンです。

今回の撮影の中で5月の個展に出せるものが撮れればいいなあと・・・・。

ところで、君 何がそんなにおかしいの?
写真家でもプロでもないのに個展個展て騒ぎすぎるって?!
まあ、そう言いなさんな。 何につけても目標があれば励みにもなり多少の向上もあるっていうものじゃないか?
君の写真も出すんだから大いに協力してもらわないと・・・・。

二部構成にして、半分は君たち若い女性の素敵な写真を並べるつもりなんだから。
壮大さとか社会性とか、そういうもののない写真だから、君たち自身の魅力が勝負のカギだからね。
えっ?! 被写体に責任を押し付けるなんて話が違うって? まあ、そういえば・・・・そうだね。

でも、いつも人は決まって僕の写真を見て「きれいな人たちですねぇ」って、上手に撮ったかどうか、撮った者の事には関心がなくて君たちをほめるんだから。
まあそういう意味では写真の撮り手は映画監督やカメラマンのようなもので、人を笑わせたり涙を流させたり感動させて拍手を浴びるのは役者の方だからね。
それでいいわけなのさ。

君たちの魅力を伝えるのが僕の役割なんだから「この人、素敵な人ですね。」という感想をもらえれば、以って瞑すべしというべきだね。
見るたびにいちいち撮り手が見えているようじゃ、撮り手の意図や仕掛けが鼻についてダメなのかもしれないね。
そういう写真観もひつとつだね。
- 2017/01/23(月) 00:00:45|
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私の「撮りたい」とこの人の「時間とれそうです。」がマッチするのはなかなか難しい。それが雪景色と重ねられるのは僥倖と言っていい。
前々から、そういう幸運が重なるといいねとは言っていたものの・・・・、 寒さがことに苦手な人だから吹雪の日にはお願いできそうにないが。

ある人を雪景色の中に連れ出そうとして、バタバタと冬用タイヤに取り換えたのが、思わぬ機会を作り出した。
もっともそれは家族の通勤通学の保障のためでもあったのだが。

いつの頃からか私は冬が苦手ではなくなった。
車も四駆に替えて、タイヤも冬用をつけるようになった。
・・・・・因みに京都市の街中では無理なことをしなければ1年に2度か3度の積雪のために雪用タイヤはなくてもすませる。まあ、越えられない坂や峠の向こうに行かなければ、なのだが・・・・
冬になり雪の知らせを聞くと無性に湖北に行きたくなる。
多分、現役のごく終わりの頃からだったと思う。
あえて雪を蹴立てて走る楽しさ、吹雪く湖面や雪に煙る伊吹の姿を車中から眺めるワクワク感を知った。

きりっと引き締まった冷気を窓から入れて飲む暖かいコーヒーは格別だ。
カメラをビニールの袋やタオルで覆い、雪をかき分けて湖岸を歩くのは気持ちがいい。
もっとも、風景写真がお好きな方たちのようには多くは撮らない。
撮影は付けたしのようなもの。

そんな私の都合に合わせて、「見かけより防寒重視になりますが・・(服装の事ですね)」と出かけてくれた。
なるほど着込んでいる気配。
この人の、いかにも今様だというのではない無理したオシャレをしないところが好もしい。
と言いつつ・・・。
早速、暖かいところに避難して。

外の雪景色を眺め、
お店の方のちょっとした言葉がけにご満悦?
こういう時、ほとんど何も考えていないらしい。
どうせおいしいもののことでも考えているんだろうというと言うと、そういう返事。
でも時々ふか~くもの思いをしているように見えるときがある。
- 2017/01/22(日) 00:00:18|
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私は露店などでの「買い食い」をあまりしません。
祭りや縁日でも然りですし、手作り市に出ているお馴染みさんのお店でも同じです。
親がそういう事をしなかったせいだろうと思います。
そんな私が「食べてみようかな。」と思いました。

トルコの方でしょうか。 ケバブを焼いています。
テレビ番組や映画の中ではよく見る風景です。
それに最近の私の中にある来日して働く外国人に対する関心がそうさせたのかも知れません。
日本に来て7年目だそうです。

「辛いのがいい? 甘いのがいい?」
「辛いの? ずいぶん辛いのですか?」
「本当はもっと辛い。でも日本人に合わせてあるから大丈夫と思う。」
「じゃあ、辛いほうで。」

焼かれている肉からはずいぶんと油が出ています。
奥側のスピーカーのようなものがヒーターです。
「夏の8月に始めた。 正月はたくさんの人だったけど、今は少なくなった。」
夏だったらビールが美味しく飲めるんじゃないかと思いました。そしてやはり食べてみると「ビールがほし~いっ!!」
いえ、辛すぎたからではありません、程よく辛くて美味しいのです。

500円硬貨を握りしめていたのですが、カメラを取り出す際に、ついポケットに戻してしまい・・・・。
「500円ね。」と言われて、
あれっ?! 今ここにあったはずななのにどこに行った?とうろたえてしまいました。
「いいよいいよ大丈夫。急がないで、いいよ。」
インド料理のナンを薄く焼いたようなものに削った肉を挟みます。
そしてそこにキャベツやピクルスを・・・。このピクルスもまた美味しかったです。

この日はたまたまキャノンの5Dに85ミリのプラナーをつけていましたから、フォーカスはマニュアルです。
そして、この後の撮影でも、なぜかちっともピントがつかめないのです。
状況が暗いと、本当にピントに苦しみます。 いったんf1.4の開放にしてファインダーを明るくしてフォーカスし、それから適正に絞ればいいという様な事さえ、うっかりしています。
相変わらずの初心者ぶりです。

オート、オート、オートに慣れてしまうと、ただ被写体に向かってレンズを向けてシャターを切れば何とか写るという悪い癖がついてしまいます。
そうしないようにできるだけマニュアルで撮っているのですが。

撮るのはもっと話してからにすればよかったというのが最大の反省です。
いつもは結構しつこく話すんですがなぜか急いでしまいました。基本に忠実でないといけません。
- 2017/01/21(土) 00:00:04|
- 料理
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仕事についていたころは定例の飲み会以外に私的・個人的に外に飲みに行くことはまれでした。
友達がいなかったんですね。
それに「お金を使って遊ぶ」ことに抵抗感があったのです。
多分ケチなんです。
それが秋山小兵衛と同様、還暦を迎えて少々宗旨替えをしているのです。

年金生活者となった今になっての宗旨替えに、妻は「お金は大丈夫なの?」と言って、ひそかに財布に・・・・さくらさんのように・・・・何枚か補給してくれる、というようなことはなくて、死ぬまでにお金が足りなくなるんじゃないかと心配するのです。
ごもっともです。
「金の切れ目が今生との切れ目~」なんてかっこつけて言っている場合じゃないのです。

かつてが「蟻」の生活だったのならば十分な蓄えもあるのでしょうから、「今こそキリギリス君のように人生を楽しむのだ!」と言ってもいいのでしょうが、そうでないから困るのですね。
昔は蝶のようにひらひらとぼんやりぼ~っと春風に乗って遊び、今は「キリギリス君のように遊ぶんだ」と宗旨替えをしては身の破滅です。

もし私が「俸給生活者」でなかったならば、私はとっくの昔に破滅していたんじゃないかなと思います。
ただ、秋山小兵衛と同様、その宗旨替えと同じくして人生の味わい方が幾分変わるのですね。すると世界も多少見え方が違ってきます。
その宗旨替えの小さな旗揚げの標が「蒼樹」という名前・・・だったのではないかと今にしてみれば思います。

その宗旨替えの具体的現れの一つが「この頃よく飲みに出るね。」という妻の言葉となるわけなのです。
このお店の大将は英語をよくします。中国語も少し。それがネット上で知られて外国人客が多いのです。
隣から飛び込んでくる英会話についつい耳がダンボになるのです。
海外からのお客さんはこうした情報をよく調べてこんな小さなお店にも入るのですね。私の外国旅行とは雲泥の差です。偉いなあ-。
大将も偉い。
でもそれが現代のあたりまえの一断面なんですね。
そういうことを知ることができるのも宗旨変えの成果なんだあ~っ・・・・・と言い訳している今日この頃です。
- 2017/01/20(金) 00:00:57|
- お店
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彼の展示作品は「彫刻」に属するものですが、いま彼がしている作業はそれとはずいぶんかけ離れたものです。

彼が一年のうちに受け取ったレシート、領収書などを台紙に貼っているのです。
会場の奥まった小部屋の壁にそうしたレシートや領収書が整然と掲示されています。
その領収証書やレシートに囲まれて身長140センチくらいの華奢な体の女性が腕を交差させて服の裾をたくし上げて脱ごうとしています。
その腹部には縦にメスの入った傷が見え、腰辺りには赤いあざがあります。この女性はテロリストなんだそうです。彼女の腹部の傷は体内に爆弾が仕掛けられていることを示しています。
レシート群と小柄な女性テロリスト。
それが両方向から、見る人を刺す視線となって衝突し緊張します。

ちなみに、皆さんの手元にあるレシートをご覧になってみてください。
いつどこの、どの店で何をどれほどいくらで購入したかが印字されていると思います。これを時系列に並べてさらに地図の上に落としていけば、あなたの一日の、いや一年の生活がほとんどすべてわかります。あなたの嗜好や体形やその他その他を正確に推し量ることができるでしょう。そして未来の何月何日何曜日の何時ころ、どこのコンビニでどういう飲み物を買い雑誌を手にするかがかなりの確度で推定できることでしょう。

生真面目で経済観念のしっかりした人はすべてのレシートを残し、整理してあるでしょうが私のような人間は「そんなもの捨ててしまったよ。」という事でしょう。
けれどあなたの消費行動はコンビニや書店やあるいは電鉄会社や銀行のコンピューターにはすべて記録が残ります。
もし、これらのコンピューターの情報をすべて集めることができれば・・・・、企業経営者や政府はきっとそう考えていることでしょうし、実際にこういう事を秘密裏に進めていると考えたほうがいいでしょう。・・・・私たちの行動や特性はすべてが開け放たれてみられていることになります。
テロ対策を理由に政府は広範な情報を収集することができる法案を国会に提出し法制化しようとしています。
「レシートの山」とテロ兵士。
彼がこういうことを表現しようとしたと説明してくれたのではなくて私がこう読んだのですが・・・・・。

彼は台湾からの留学生です。
私は以前に出会った台湾からの女子留学生と交流して以降、遅ればせながら台湾の政治や台湾の人々のありように関心を持つようになりました。
殊に彼女や今日紹介している彼くらいの若い世代について。

韓国青年たちもそうですが台湾の青年たちの政治意識もとても高く鋭いものです。
今、台湾の青年たちは海外で学ぶ機会を得られた者たちでも、その外国で活躍手がかりを得られそうだとしても帰国して、自国の「今」と向き合おうとする者が多いようです。

そして自分の学びを暮らしとともに自分の政治的文化的社会参加としっかりと結び付けています。
勉強したことはテスト用で、生活や自分の生きる理屈はまた別のもの・・・そういう態度とは違うようです。
中国の青年は韓国や台湾の青年と視線の先は違う者が少なくないようですが、それでもやはり社会に向かって正対しようとする若者が散見されます。
共通するのは「激動・激変」の予兆です。

朝鮮半島、中国と台湾、そして日本。
現実ではそれらは大きく分裂し緊張し、相互に不信感を抱いています。それはおそらくアメリカのシナリオによるせいも大きいのだと思いますが、日本の自公政権+維新などは、何かあるごとにこの亀裂を深める言動をします。
そしてそれが日韓中台お互い同士、責任をなすりつけあいながら自国の内向きのナショナリズムを掻き立てています。
東アジアを結び付ければ壮大な生産力と文化の力を発揮できると私は思っています。
東アジアの青年の成長に大いに期待するのです。
- 2017/01/19(木) 00:00:29|
- 彫刻
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私がよく食べに行くお店のお店のスタッフが店長以下メインの厨师、サブ厨师、そして幾人かの服务员が他店に移りました。
その後に来た人たちとはまだなかなか話ができません。
とにかく忙しいからでしょう、「憤然」と仕事をしているのです。笑顔になる余裕もない・・・・のかなあ。

この人は中国から来ているようなのですが、まだ出身省も聞いていませんし、日本語がどれくらいできるのかも訊ねていません。
腕は確かなようです。
とにかく店長はじめにこりともしないで仕事をしているのですから「いい天気だね。」なんてこともなかなか言えないわけです。

前のスタッフと一緒に「転勤」しなかった服务员が二人いて、その人たちと時々言葉を交わす程度なのです。
で、少し前に店長に「その(仕込みをしている)肉は何キロくらいあるの? 5キロくらい?」と話しかけてみました。
そうすると、まさに文字通りの破顔一笑!! 実に人懐っこい笑顔で「そんなにはありませんよ。3キロかせいぜい4キロまでですね。」なんて話ができたのです。
大概の場合、私の「人見知り」の緊張が相手に伝染しているので、「お互いむっつり」の責任の多くは私に有るのです。

若い中国人の女性店員が日本語が少しできるようですので「(彼に)写真を撮らせてもらえるか尋ねて?」とお願いしました。
「店長がOKならいいよ。」とのことでした。
すると店長さんは顔一面の笑顔で「OK]を出してくれました。

私がシャッターを切っている間、少し緊張気味に作業を続けていましたが、


私が撮り終って「謝謝」と言おうとすると、それより先に大きな声で「ありがとう。」と言ってくれました。
それはお客として食事をしてくれたことに対する「ありがとう」ではなくて・・・・・。
それは私にとってとてもうれしい「ありがとう」でした。
- 2017/01/18(水) 00:00:20|
- 料理
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昨年暮れから新年にかけて例年より暖かい日が多かったように思うのですが、この前の土日頃からは本州でも寒い日が見られるようになりました。
これから寒さの底に近づきますね。
自転車で出かける私にとってはうれしくないことですが、「冬来たりなば春遠からじ」の期待を持ちたいところです。
もう梅が咲き始めていますからね。

今作業をしている場所の脇には以前の下絵の原画が置かれています。
原画は基本的には問屋さんに手渡されるものですから、下絵の職人さんが保有しているものはまれなのです。
そしてご自身のものでなくなったものはこうして展示することも「いいよ、写真に写っても。」とは言えないわけなのです。
そこも職人と作家の違いでしょうか。

経済成長が順調な時には注文の帯も金銀が施され絵柄も複雑で豪華なものだったようです。
結んだ帯の太鼓のところに絢爛たる織りや刺繍や箔が施されているのですが、結んだ時に見えない部分にまで手の込んだ仕事がされています。
ところで、かつての話ですが、
結んだ内側になれば見えないのですから「無駄」と言えば無駄なんですが、そこにまで行き届いた仕事をさせるのが「豊かな」人たちの「好み」だったわけです。
今の成金たちはそういうことは求めないようです。見せて驚かせて感心させてナンボですから。
だから彼らの発言は底が浅く、行き当たりばったりで、しかも欲得づくが露骨で、それに居直っている品の無さです。誰がとは言いませんが、まあお判りでしょう。

最近では抑えめの色遣い、意匠のものが多いんだそうです。
服飾のデザインが時代の空気に影響されるというのは当然と言えば当然なんでしょう。
私自身の服も今や「着られればいいか」のレベルです。何しろ掛け値なしの年金生活者ですからね。

カメラを買うか服を買うかと言えば、「両方!!」なんて贅ができないことは当然の事、まあ壊れるまで、破れるまでは我慢しようということにならざるを得ないわけなんですね。

私たちの後の世代は、ますます…今のままの政治では・・・しんどくなるわけですから、こうした高度な伝統産業の行く末も良い展望がないわけなのです。
労働者が賃上げのストライキをし、それに職人たちも加わるようでないと、事態は好転しないのでしょうね。
労働者もまた職人たちのえとぁざの文化的価値とともに収入に関心を持つべきでしょ
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- 2017/01/17(火) 00:00:35|
- 伝統工芸
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ぞの昔私は京都の町の景観を撮った写真をアップするブログをしていました。
開店休業のまま長いこと放置してあるというのが実情ですが、
事情があって見返してみましたが、これもまたなかなか楽しい。

特に私がしなくちゃいけないというブログでもないのでこれからも開店休業ですが・・・。

新年に入ってもまだまだこれから冬本番ですが、ちょと華やいだ雰囲気をお送りしようと思いまして・・・・。

次の写真を見て、あれここは宮川町じゃなくて、あそこだな・・・と気づかれた人は大変な京都通ですね。
- 2017/01/16(月) 00:00:21|
- 状景
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これまでメゾティントという手法の版画では画面が暗く陰鬱な作品が多いように感じてきました。
けれどいくつかの色を使ってやや明るさとほのぼのとしたやさしさのある作品がいくつか見えました。
そのほのかな色合いがとても好もしかったのですが、切り絵のユーモアはこの人のまた別の好もしい面を見せてくれていました。

お酒が入ると、私もマニュアルでのピント合わせに時間がかかり、かつ不正確さが増します。
絞りたいのですが部屋は暗く、またシャッタースピードも稼ぎたいので、絞ることができません。そうなると・・・・ご承知のように・・・・被写界深度が浅くなりますから、動きのある被写体は追いきれません。
ISOを上げればいいのですが2世代以上も古いモデルであるこのカメラではI最高感度が大したことはありませんし常用域はぐっと低いのです。
でもまあこんな、窓もない環境でもストロボなしで撮れるのですから、頑張るしかないです。

ずっと以前、ここである初夏の方に撮らせていただいた時にはASA100の呪縛から逃れられなくてISO800にさえ上げられませんでした。おかしなものです。その頃は400で撮ることさえ、なんとなく抵抗があったのです。
で?今回も 1000がやっとです。1000にすると落ち着かなくていけません。おかしな心理ですね。

せめて50ミリ f1.4をつけていればもう少し違ったかもしれませんね。
コンサートの続きで来るのでなければカマラバックに詰めてこられたのですが、いかんせん・・・、というところです。

お友達や知人の方々がおられるので、一層楽しい雰囲気です。
「演奏会」というより皆で楽しく、輪を作りといった感じ。
カメラに向かった入りいろな表情も見せてくれました。ですがそちらは動きが速すぎて・・・・。

私は次の個展での「音楽家コーナー」の下心もありますから、粘りました。
と同時にやはり音楽の楽しさですね。
一緒に気持ちよく揺れていました。

今度明るい会場で、もう一度撮らせてくださいね。
- 2017/01/15(日) 00:00:59|
- 音楽
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カテゴリをなんとすべきか。
版画家で切り絵作家でジャグラーで・・・・そしてアコルデオン奏者。
多能な人はいるものです。
しかし、今日はその中でアコルディオン奏者として「被写体」になっていただきました。

西利という漬物の製造販売会社があり、そのお店の一つが四条の花見小路近くにあります。
この3階は写真の個展やグループ展がほぼ通年行われていて、4階は写真のほかのジャンルの作品の展示もたくさんされています。
わたしは写真展で凹むことが度々だし、異なったジャンルの絵画やオブジェや焼き物や・・・・の作品にも触れたいのでできるだけ4階も見ることにしています。

その「懸命」な戦略のお蔭でこの方に出会うことができました。
今回は「メゾチント」の作品とウイットに富んだ切り絵が展示されていました。
作品についてお話を聞かせていただいているうちに、「明日、アコルディオンの演奏をします。お酒やちょっとしたおつまみを楽しみながら聞いてもらえますからどうぞ。」とお誘いいただけました。
むろん私に否やがあるはずもなく・・・。

ところが帰宅して「あ~っ やっちゃった!!」 先に書いたニューイヤーコンサートととランチは、その明日だったのです。
それで演奏を聞いた後で駆けつけることにしました。
私は、演奏を聞く前のランチの際に美味しいワインを何杯かいただきましたので、少し「いい気分」なんですが、既に演奏を終え友人知人の皆さんとおいしくお酒を召し上がった後のこの方もちょっといい気分の様でした。

それで遅刻して会場に来た私を歓迎していただいて、そのうえ「是非弾いて聞かせてください。」という無理なお願いも聞いていただけました。
前の日には私が写真を撮っているという事をお話していますし「撮ってくれるんですか?!やったー!!アコールディオンの演奏の時は皆楽しくやっていますからシャッター音の事は気にしなくていいですよ。」というお話になっていたのです。

「大分飲んだからちゃんと弾けるかなあ。」なんて言いながら「ろくでなし」などを弾いてくれました。
一曲くらいならという感じでしたのに、数曲弾いてくれました。
とても楽しい方で・・・・お酒の力もあったのでしょうが・・・・聴く側の反応に気持ちよく応えて弾かれます。

こんな上手で楽しい演奏なら私の個展の時にも来て弾いてほしいなあと思いました。
ワイン一本ぐらいなら御馳走しますけど、いかがでしょう。
- 2017/01/14(土) 00:00:48|
- 音楽
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伝統工芸士であり「京の名工」でもあり・・・・。
この道、四十有余年

しかし、「この業界では(私は)若い方で、 私より下は・・・・指折り数えて・・・・ほんのわずかだねぇ。」
この仕事は織物を作るうえで、下絵を縦糸と横糸の関係に「訳し変えて作業図」にするものです。
方眼紙に下絵を書き写しながら横糸の指図をするわけです。
傍らには糸の色指定もされています。

この仕事は以前にもご紹介しました通り、今ではほとんどコンピューター上の作業になっています。
「私らみたいにこの仕事を経験してきて、それをコンピュータ導入の誕生期からずっとしてきたものと、この手書きの仕事の経験のないものとではおのずから仕事に理解も精度も違ってくる。自分たちの後ではもうこういう技術は無くなるわけだね。」

「やってみると面白い仕事なんだがなあ。」と幾度も繰り返されます。
ご自身がこの「意匠紋紙」の組合の責任者もされておられるので、この仕事のこれからをとてもとても心配されています。
「色々取り組んでみるんだが・・・・。」と悔しさを隠しきれません。

ところで、
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- 2017/01/13(金) 00:00:49|
- 伝統工芸
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働く自分の姿を撮ってほしいという気持ちをお持ちの方が少なくないとは薄々感じているのです。
私は人の働く姿がもっとリスペクトされていいのじゃないかと思っていて、「写真は注目だ。注目はリスペクトだ。」というのが私の考えですから、それを掛け算した写真活動が一つの構想なんです。

消費(≒購買)ばかりが肥大し、生産や労働が陰に追いやられ、いじめられゆがめられていることが現代社会の病の根源のひとつだと思っているわけで・・・。
なぜそうなるかの議論はまあ別のところで論じるとして、とにかく働いてモノを生み出し、人を支え、楽しませている人々を「よっ!!ご同輩!」と声をかける感じで撮りたいのですね。

現代の日本のように働く人々が粗末にされて金融的詐術や投機で富をなした人が成功者=勝ち組だとされているようでは「すべての人に希望をいきわたらせる」なんてことはあり得ないわけだと思っているのです。
まして「 国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使 」を当然視する政治のもとでは。

とにかく作業が速い! 正確。
フルーツやチョコレートを置く瞬間に見せる集中の表情はとても魅力的です。
階下に厨房があるのですが、こうしたパーティー会場のようなフロアでは・・・・運ぶ上での都合もあるのでしょうが・・・・ライブ的に作ってくれるのはまた楽しいものです。

私自身は、食後の甘いものは・・・・時としてボリュームが多すぎることもあって・・・・・幾分敬遠する方なのですが、こういう作業を見ると、ちゃんと食べなくちゃと思うわけです。
形を壊して食べざるを得ないわけですが、なんとなく丁寧にフォークやスプーンを入れる心地になるのですね。
(こういうところに行儀・作法の根源があるのじゃないかと気づいたりするのです。つまり食事の作法は作ってくれた人に対するリスペクトなのだという事ですね。・・・・こういう点でも客だから金を払っているのだからどうしようと勝手じゃないかという物言いに抗する文化でありたいですね。)
自分の「働く」が粗末にされている人々は他人の「働く」を大切にできないのであろうと想像するわけです。
このチョコレートの立つ角度を見てください!!
こうして作られたものをぐちゃぐちゃっと壊せますか?

さてこれからコンサートに行くのですが、ワインを美味しくいただいてほろ酔い気分です。
会場で居眠りしたらここで書いたことは何だということになりますね。
「いや、演奏があまりに良くて心地よくなってしまって・・・・。」なんて言い訳をしなくて済むように・・・。
- 2017/01/12(木) 00:00:31|
- 料理
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今日は京都交響楽団のニューイヤーコンサート。
音楽を聞く前に北山にあるお店でランチをいただく。ワインも少々。
弾む話を中断して、ふと席を離れると、会場の片隅のテーブルにはたくさんの皿が並べられパテシエが忙しく立ち働くのがみえました。

何時でもカメラを持ち歩く私は、こういう場面でじっとしてはいられないのです。
いろいろな集まりで、バックヤードで働く人の姿が気になったり、宴会に行って仲居さんと話し込むのが好きな私は、会に集まった人にとっては雰囲気を壊す「オジャマムシ」的存在です。
結婚の披露宴でさえむずむずしている私にカメラを持たすのは猫に鰹節です。

それで撮影が憚られる会場にはカメラをもっていかないように心掛けるのです。
と言いながら大概の場合大きいカメラはやめてコンパクトカメラならと自分で勝手に言い訳しているのですが。
この日は、このコンサートの後に立ち寄って撮らせていただきたい方が別の場所にいましたので、「そのためのカメラ」という事でバックに入れていたのです。
いや、やっぱりカメラは常に持ち歩くべきもので・・・・・。

パテシエさんのリズミカルで素早い仕事を見ていて「撮っていい?」の言葉が口を突いて出てしまいました。
「ええ、どうぞ。」
それで大急ぎで席に戻ってカメラをとってきたという訳です。

プディングにクリームを置いたところまで作業が進んでいました。
「終ってしまう?!」と大慌てでしたが、まだこれから各お皿にフルーツを並べる作業がありました。
普段こういうスイーツをお店でいただかないものですから仕上がりのイメージが貧しいのです。

こういう仕事の場面をもっともっと撮りたいのですが、街のお店や工場に飛び込みで撮らせてもらう技はまだ開発していません。
今のところ「お客さんのわがまま」としてお願いしているというところなんです。
何とかこの働く現場というジャンルに道を開きたいのです。

- 2017/01/11(水) 00:00:41|
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ここは出町柳。
寒い冬に水辺に来るなんて・・・と思われる方も多いと思うのですが、案外に人が集まります。
そしてここにはよく楽器演奏をする人も見られます。

先ほどまではもう一人の男性が混じっていたのですが、どこかに行ってしまっていて男性二人と女性一人。いえもう一人、小学生の女子。
いつも一緒に演奏する仲間ではなくて、今どこかに行ってしまっている男性つながりのめったに会う事のない方々だそうです。
その彼がいないためになかなか演奏の方向がまとまらなかったのですが・・・。
「写真ですか? いいですよ。」

で、演奏が又始まりまして・・・。
この小学生の子がカスタネットでリズムを取るのですが「私、リズムを取るのがうまいでしょ」と。確かに上手です。
しかもローラーブレードを履いて周囲を踊るように回るのです。

「こんな歳末の慌ただしい時に出てくる人もあるんだなあ。」と自分のことを棚に上げて考えていたのですが、「仕事が終わって、明日九州の郷里に帰るのですが・・・。」とそのわずかな狭間の貴重な時間で楽しんでいるのですね。
なるほどそうですよね。学生と言い、働く若者と言い、京都生まれで京都育ちでない人は多いのですから、いま年末年始の貴重な「お休み」タイムなんですね。

31日の竜安寺や仁和寺にも少なくない人たちの姿を見ました。
京都で正月を迎えよう、そういう観光の人たちもまたたくさんいるのです。それも海外から。
いろいろなところが休みなのによく来るなあ・・・・なんて言うのは実情を知らない寝ボケた私のようなものの感想で・・・。
これまた考えてみれば当然のことで・・・。

毎年暮れになるとニュースでは決まって「年末年始を海外で過ごそうという人たちが空港に・・・・・。」と報じられ其の多さが報じられます。
向こうに行く人もいればこちらに来る人も又いて当然なんですね。
昨年夏に、バカンスの真っ最中のドイツに行きました。その時に、「みんなが仕事を休んで涼しい森や海外へと長期休暇を楽しみに行くのに、わざわざ遠方からこの(くそ・・・といっていたかどうかは分かりませんが)暑いドイツに来るもの好きもいるんだなあ。」と思われているんじゃないかと思ったことがあります。
つまり人にはいろいろな事情があるという事ですね。・・・・えっ?! 話が混乱して筋が通っていないですって?!
そうかなあ。

立場を変えてみれば世界も変わって見えるという事ですね。 (えっ?! そうなの?!)
- 2017/01/10(火) 00:00:49|
- 音楽
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師走も押し詰まった日に、大掃除の役にも立たないのでせめて邪魔にならないようにと(言い訳しながら) 街に出ますと、案の定皆忙しくて遊んでいる人はいません。
待ちゆく人の足も足早のように思えます。ブラリブラりしているのは私だけで・・・・・。
と思いきや・・・人にはそれぞれ事情があるもので、今更ながら、皆が皆同じではないのです。

ただでさえ寒い冬日にあえて橋の下でギターの練習をする青年を遠目に見つけました。
日差しがあればこそ、今日も外出ができますが、それを橋の陰で・・・なんとストイックな?ことでしょう。

橋を対岸に渡って近づくと「彼はギターをケースに収め終ったばかりでした。
「もう、練習は終わり?」
「ええ。」
こんな日に熱心い練習しているので聞きに来て、もし話ができれば写真を撮らせてもらおうと思っていたとお話をすると、もうすっかり冷えきった体なのに
「じゃあ、もう一度弾きましょうか。」

彼は京都にある大学の学生はんなのですが、年明けに郷里に帰ることにしているのだそうで、それで今少し時間があるという事らしいのです。
蹴れはアコースティックギターを弾くサークルのメンバーらしくて「ほとんど一年くらい前にギターに本気で取り組んでみようと思って・・・。」という事だったのだそうです。
高校の時も少しだけ手は出していたのですが、「大学に入って周囲にうまい奴がいて、刺激されて・・・。」
そういうきっかけもいいですよね。 それで今はかなり本気で取り組んでいるようです。

寒い時ですから手指がかじかんで、こういう場所ではなおさら練習が思うようにいかないのでしょうが、

先日学生のジャズのビッグバンドのライブを聴きに行きました。そのバンドは本体のある大学サークルに他大学からもメンバーが参加していたのですが、とても上手な学生がいて、それが彼と同じ大学の学生でした。
「ええ、知ってますよ。」とのこと。
そのうまい学生は、ほとんど大学に顔を出さないでライブを中心とした半プロ生活の様だそうです。そういう学生っていますよね。
音楽だけでなく演劇等にもね。

この人はもう自分の練習は終わって、写真のために弾いている感じでしたから自ずと画面にもそれが出ますね。
私がもっと早くここに来ればよかったのでしょう。
それに弾きながら、話しながら寒さに少しばかり震えていましたから、こうして撮らせてもらえているだけで「ありがとう!」です。
風邪ひかないでくださいね。

これからの世代はますます海外での活躍が当たり前になると思います。
「そんな時に大事なのが語学力と楽器だとおもうよ。」と、私の後悔を込めてお話ししました。
楽器が弾ければどこでも現地の人になじめて友達になれるでしょう。楽器は人を楽しませ、ともに楽しめ仲良しの輪を作る魔法の道具です。
- 2017/01/09(月) 00:00:19|
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帯の柄の下絵を描かれています。
この机の脇に作品があります。
様々な色の箔が押された豪華なものです。ですが、けばけばしくなくて落ち着きのある豪華さです。

下書きは彩色する場合もあれば、こうして線書きの図案で問屋に渡す場合もあるんだそうです。
「前に別の下絵を渡して帯を作っている場合は、『この前の感じで…。』と言えば問屋も織りても色の選び方や箔の置き方も分かる」んだそうです。
さすがに専門家同士の阿吽の呼吸です。

着彩して問屋に渡しても問屋の判断で色を変えたり、図案の一部を切り取ったり組み合わせを変えたりします。
私など「自分の作品を勝手に変えるなんて、・・・・。」と思うのですが「自分の下絵を活かしてより良いものにしてくれるとそれは又うれしいもので・・・。」と言われます。

狭量な著作権意識や膨満した独自性とは違った考えをお持ちなのだなあと感じました。
江戸時代の農学者は自分の発見や・工夫を広く農民に開放しています。
無論、領主がそれを封じ込めたり、研究者自身も自分の名声や栄達のために秘密主義に陥ることがありました。その最たるものが「御家流」「家元制」ですが、しかし飢饉に苦しむ人々のために積極的に知見や工夫を広めたものも多かったのです。
エイズの特効薬の特許を秘匿する某国家と製薬資本。研究者の倫理も問われます。軍産学複合体が拡大すればこういう傾向は一層はびこります。日本の大学に軍事研究の「飴玉」がぶら下げられているのが危惧されます。

それにしてもこうした伝統工芸の世界が衰弱している姿は目を覆うばかりです。
もう残された時間はほとんどないのに・・・・。
財界などが観光利益ばかりを狙って(心ある人々の善意とはうらはらに)進める「世界文化遺産」などということにうつつを抜かしている場合じゃないと私は思っているのです。

こうした伝統的な高度に洗練された工芸や芸術を現代と未来に活かしていかなければ、わが国固有の伝統文化などといってもその内容は空疎なものになり、やがて、張りぼての嘘にまみれた粉飾だらけの昔話だけになってしまうでしょう。
伝統は現代に生かされなくては死んでしまいます。それを逆に現代に生きていけないのだから滅んでも仕方がない、それが現実だなどと訳知り顔で言う人がいますが、これだけの宝を現代生活に包容できないとしたらこれからの私たちの文化の可能性などたかが知れているということになると私は思います。
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- 2017/01/08(日) 00:00:14|
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どうもお久しぶりです。
毎月一度はお目にかかれるはずなんです。
が、私が家を出るのが少しばかり遅かったり、売り上げは早かったりすると無情にも「完売」のボードが寂しくたっているばかりで姿はどこにも・・・・なのです。
この会場の極北にお店を開いていますから「寒~い」のです。
今日もほとんど完売のタイミングだったのですが、たまたま私が他のお店を覗きながら歩いていると、そこを通りかかってくれて

ほとんどいつもその極北の場所にお母さんと一緒に牛蒡茶のお店を出されているのですが、とにかくお母さんが研究熱心でおいしい牛蒡茶ですので、リピーターさんも多くて、大概お昼前には「完売」なんです。
お母さんも寒そうに厚着をされていました。(夏はとても涼しくて良い場所なんですが)
ちょっと暖かく撮りましょう。

機会を逃がすと撮らせていただくことが本当に難しいので、周囲の条件は悪いのですが、無理やり撮らせていただきました。
それも3カットだけです。
帽子がとてもよく似合っていました。
この人の笑顔は本当に気持ちを暖かくしてくれます。
上賀茂神社の手作り市でのことでした。
- 2017/01/07(土) 00:00:06|
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身の程も知らずにものをいう、それが私の昔からの悪い癖です。
それで「口は禍の元」を何度も経験するのです。
「言わずに後悔するよりも言って後悔する方がいい」と、そんな信念があるのでもないのに・・・・・。
と、まあそういう事は正月のまだ飲み足りないお酒とともに霧消させまして・・・・。

皆さんは三が日などに昼からお酒を飲みますか。
「昼から飲むお酒はうまいなあ」なんてよくマンガンの噴き出しなどで見るのですが、どうでしょう。・・・・なんて知らないような顔をして書いていますが・・・・。
やはり飲み友達や飲める家族がいないとね。
「えっ?! 私ですか? ほとんど全く飲めないんですよ。」 というような会話をしているのではないのです、・・・。

旧職の時のある時期、私がチームのリーダーになってその仲間と立てた裏方針には「毎月一度は飲み会をする」がありました。
その目標はほぼ達成できたと思います。(むろんアルハラにならないように全員の意思を確認しました。)
が、おおむね職場全体の歓送迎会や忘年会などのほかは、私的に飲む機会がほとんどありませんでした。
ところが退職してからそれがぐっと増えて細君は盛んに私の「懐」事情を心配しています。

まあしかし私はそれを、退職後に鬱にでもなって、引きこもるよりはずっといいじゃないかなどと強弁しているところです。
何しろ退職後に心身ともに健康な毎日を送るためには「きょういく」と「きょうよう」が必要なんだそうですから。
「今日行くところ」と「今日の用事」で「きょういく」「きょうよう」なんだそうです。
それはそうでしょうね。

ブログの更新もその「きょうよう」の一つになるでしょうか。
こうして写真を撮るのもまたそうですね。
私はこうして多くの人に元気のもとである「きょうよう」をもらうわけです。

お酒の会も楽しいですが、こうした撮影はなお一層ワクワク感が大きくて楽しいですね。
- 2017/01/06(金) 00:00:06|
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「今日の試合についてはどのような展開になると思われますか?」
「まず先取点を先に取ったほうが有利だと思いますね。」
プロ野球の実況中継番組でのアナウンサーと「評論家」とのやり取り。こういうことを言っていて「評論家」として世に出ていられるのだから呑気なものです。
何故又こんなことから書き出したかというと、多くのジャンルで「評論家」の不在を感じるからです。
政治評論家は言うに及ばずスポーツも美術も・・・。そして写真の評論家の不在ですね。(文字通り数学的に「不在」というのでは勿論なくて、あまりに少ないのではないかと感じているというのです。)
世の人が評論家に対してもっているうさん臭い存在だなという評価もこの状況ゆえに生じていると思います。(もっともこれは大半がTVの影響でしょうが)

様々な活動の中で、私たち衆生が無意識の下で、あるいは高い自覚なしにしていることの良し悪しを意識化してくれる評論家がいないということを感じています。
感想を述べることと評論することとには天地の開きがあります。
(学校の課題として感想文の提出などがありましたが、「感想」を書くことの発達的意味が教師間でほとんど不明確・無自覚なので、その後何時まで経っても生徒に求められる文章は「感想」でしかない。…これもまともな教育評論家がいないためでもあるのだと私は考えています。)

優れた評論を目の前にしていれば、無頓着に誰でも何でもものを言っていいのだという今日のマス的心理状況はよほどましになると思うのです。
だれでも自由に発言していいという法律上の保障の問題と、だが、世に向けてものをいうにはそれだけの知的な準備が必要だという自覚がなければいけないという文化的な感性と意識を求められるという事とは次元の違う問題だと思うのです。
そういう感性と・意識を育ててくれるのも優れた評論の存在だと思います。

売文的評論家、応援団的評論家があまりにものさばってしまって、応援と非難はあっても「評論」がないから私たちがものを見る目を養えないのじゃないかと思っています。
それで写真についての状況もあまり芳しくないと・・・。

こんなところで、こんなことを書いていても自慰的な意味以上のものを持ちませんがね。

私は写真について、ずぶの素人ですから「感想」以上の「評論」ができません。
旧職の時には、写真についてとは違う程度にはモノが言えたと思います。 ですからその時に自分がしたのと同程度の質を持った評論を期待するのですね。
(もっともそのときの評論が周囲から歓迎されたかどうかは、これまた別の問題ですが)
有名な写真家の写真展を見に行って、「感じるままに見ていただければいいのです。」と言われると途方にくれます。
何故その写真が斯くも特別に高い評価を受けるのかがちっともわからないからです。あなたの表現しようとしたことは何?、私が感じたままでいいの?!
その写真が「裸の王様ではない」のは・・・・本人が言うと(日本ではなおさら)何かとその態度に対して(中身に対してではないのですね)否定的に感じられてしまうので・・・・こういう理由ですよと話してくれる方が他におられたらなあと思うのです。

それでいつまでも、「価格表」がついていないと、それがよい作品かどうかが、よくわからないのです。
- 2017/01/05(木) 00:00:08|
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この写真を撮ったのはこの人が受けるはずのあるオーディションの前日でした。
その後、そのオーディションに合格しましたという喜びのメールをいただきました。

ちょうど、そんな、まさに飛躍しようとしているときにお会いして撮らせていただいたのでした。
「現実的なものは必然的である」とはヘーゲルの言葉ですが、そういう事ですね。 えっ?!何が?

不用意にそんなものに触っちゃ感電しちゃうよ!
京都の一番の繁華街で撮ってるんだと言っても信じてもらえないだろうなあ、などと話しながら・・・・。

まるでどこかの廃屋か何かで撮っているみたいでしょ?!
こういうシチュエ―ションでも嫌がらずに楽しそうに面白がって相手をしてくれます。

それで、・・・・。
まあ、よくあるパターンではありますが。

写真撮影には体力や体の柔軟性をが大切。
私はそのいづれもかなり心もとないですが、頑張ってみました。

やっぱり四股を踏まないといけないかなあ。そして股割りとか。
- 2017/01/04(水) 00:00:07|
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三が日の最後の日です。
一年の計が三日坊主で終るのならば、今日で最後ですね。
私は、また明日からは例年のごとく惰性の日に戻ります。

ところで私の「一年の計」は、そもそも何だったのでしたか?
という事は元旦のそもそもから惰性の毎日という事でした。
一休も驚く「全休の人」ですね。そうか、今年は「蒼樹」あらため「全休」としようか。 確かに定年後の「全休」生活だし。ウム、いいアイディアだ。 蒼樹だなどというよりも「全休」の方が洒脱でいいかも知れない。

舞妓、芸妓の世界も一昔前とはずいぶん変わってきているとも聞きます。
縁のない世界ですからどういうことかわかりませんが。
それはそれとして「おおきに おにいはん よろしゅうおたのもうします」と声をかけてもらうと何やらうれしい。

普段、祇園や高瀬川辺りを歩いていてもたまたま目が合って会釈してくれる舞妓や芸子たちがいる。何の縁もゆかりもないのですが彼女たちにゆとりがあるときは「あつおすなあ」などと返事が来る。
先日も、寒い日に両手を揉みながら上七軒の通りを歩く若い芸子に「今日は寒いね。」と声をかければ「さむおすなあ」とニッコリする。
私はそういう花街を担う若い女性としての写真は撮りたいと思っている。まあ実現は難しいけれど、せっかく京都に住んでいるのだから。

ある舞台で、壮絶なお稽古を重ねて三味線を見事に弾く若い芸妓を見ました。
舞台後にご両親のもとに駆け寄る姿は普通のお嬢さんです。ですがいったんお姉さん、おかあはん、ご贔屓の前に出ればやはり「芸妓」です。
花街は我々庶民にはほとんど縁なき世界ですし、私には近づくこともできません。
けれど舞妓、芸妓、あるいは太夫たちと話してみるとやはりそこには、一人の芸や伝統を担う女性がいるのでした。
にっこり笑ってt綺麗なおべべを着ているだけでない彼女たちを撮りたいものです。
満彩野はん おきばりやす。
- 2017/01/03(火) 00:00:08|
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これまで私の周囲に現れてくれた方たちの意欲的で旺盛な生きようは私には随分刺激になっています。
そういう刺激に促されて私自身としてはなるように生きているという感じでしょうか。
でもそれはそれでとても新鮮なワクワク感があります。

今年もそういうワクワク感に誘われてなにがしかのことができて行けばいいかなあと。
ただ、やはり「チャンスの後頭部は剥げている」「人生はもう長くない」「豚でもおだてられたら木に登れ」などという言葉で自分を奮い立たせることは必要かなと思います。元来ずぼらで、勝負の出来ない質ですから他人にはともかく、自分には「チャンスは前髪を掴め」と言い続けなくてはなりません。 こうして書いているのは自分への暗示かけでもあります。

でも一方で、この撮影の時にお茶屋の前で1時間余り待ちぼうけでいたのですが、「こういう事情でここに立っているのも二度とない体験なのだから、この場の空気をしっかり感じよう。」と思えるようになりました。
それは若者の感覚ではないのだろうと思いますが、これはこれで先が長くない者の一つの処し方・智恵かなあと思いました。
ドイツに行った時に、妻が「これが最後の外国旅行」だと繰り返していました。たった3度の外国経験なのですが「体力的に無理だから」と決めていたようです。
それで精一杯外国にいることを楽しもうとしているように感じたのです。
満彩希はんです。
かつてご自身が店だしの日にお姉さんに見送られたことを思い出しているのかもしれません。
誰しも皆が順繰りに人生の様々な段階・位置をたどっていきます。
そしてその時に成っていろいろわかるのです。老いて親の心を知るというように。

そして一瞬一瞬が初めてなのです。
それは人生のどの段階でも同じです。
ですから、どんなに経験を積みあらゆることに通じているようでもやはり今日の日は初めてなのです。だからワクワクできるのですね。
それと同時に、 「1999本のヒットを打った者にだけ2000本目に挑戦する不安と喜びがある」というように、積み重ねたものにだけ味わえる人生の妙があるはずです。
それを楽しみにしたいものです。

私が尊敬するある画家は70歳を過ぎて「これから10回の個展をする」と意欲的です。
せっかく1103人の人を撮ったのだから1104人目に挑戦する楽しみを味わいましょう。
そして、そういう単純な積み重ねに見えることでも、次第に状況は変わり新たな経験をするチャンスへとつながります。

実はこの日も玄関の前で待機するだけではなくて中に招き入れていただける可能性が全くないわけではなかったのです。
そういう事情が生まれるのも人の写真を撮ることを楽しんできた事によるわけです。
それがなるかならないかはまた別の事情によるわけですが、それもまた楽し、です。
- 2017/01/02(月) 00:00:19|
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