京都文化博物館で「京の名工展」が開かれていました。
京都府内の伝統産業優秀技術者の作品や、若手職人(京もの認定工芸士)たちの作品が並べられていました。
私は型染め友禅の「型」を切る職人で、今春、叙勲された和田さんに会いに行きました。
ある意味ではずいぶん『偉く』なられてしまいましたが、私はそれ以前に、どれくらい凄いのかを知らずにお近づきになり、そのまま親しくしていただいているので、作品を見せていただくとともにご本人との楽しいお話をしに行くのです。
こういう会場に来ると「やっぱり京都だなあ。」とつくづく思います。以前も書きました通り「伝統工芸士」約4000人のうち約1000人が京都にいるのですから、やはりこの分野の充実ぶりは素晴らしいものです。

この日は在廊しているからおいでという日に伺ったのですが、受付辺りにも作品の近くにも和田さんの姿が見えません。
それで3周して、仕方がないから記名だけして帰ろうと思っていましたら、会場のすぐ前の小部屋で「絞り」の方と「蒔絵」の方が公開実演をされていました。
その「絞り」の職人さんは以前撮らせていただいた方でしたので、せめてご挨拶して帰ろうと思ってその部屋に入ると、なんと入り口わきの壁の陰で和田さんが公開実演と体験コーナーを引き受けておられました。
先ほど書いたように『偉く』なってしまった方ですのに『しんどくて面倒な』こういう実演を積極的に引き受けるところが、本当に和田さんらしいのです。

この方は蒔絵師です。
和田さんと、これまた日本全体を見渡しても並ぶ方はほんの数人いるかいないかという絞りの名工が同じ部屋で実演をされているのです。ここに(もともと京都に縁があり、『京もの認定工芸士』になっている関係で、はるばる三重から)招かれたこの人もまた名工の一人に違いありません。

スマートフォンのケースに漆で彩色していました。
細い筆は、合成繊維の筆だそうです。漆は濃くて重いですからこういうものも使うのだそうで、猫の和毛の筆も置いておられました。
ケースの板をこうして宙に浮かしたまま描くのも大変だと思いますが、あまりに繊細な線を神経を集中して描かれるので「見ている方の息が詰まりそうだ」と言いますと、「見てくれた方がそういう事をよくおっしゃいます。こちらはそうまでではないんですが。」

会場にも蒔絵の作品、例えば印籠などが出品されていましたが、心を揺さぶられるような見事なモノでした。
仏像や紐・房、あるいは灯篭、着物に焼き物、漉いた紙などなど・・・・一日見ていても飽きません。
先ほど触れた型切りの職人・和田さんの作品も・・・ご高齢であるにもかかわらず・・・毎回新たな面を見せているのには驚かされます。
これでは「もう年だから」などという言葉は当分聞くことはないでしょう。
本当に励まされます。

この蒔絵師の方は現在の伝統工芸大学校の前身校の出身だそうです。現役の学生たちも随分励まされることと思います。
私自身職についていた頃にはついぞ足を運ばなかったこうした場で、学ぶこと感じることがたくさんあります。ありがたいことです。
- 2016/10/31(月) 00:00:13|
- 伝統工芸
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鴨川では三つくらいのチームがソーラン演舞の練習をしているようです。
私が通りかかる度、土ぼこりを舞い上げて数十人ずつの男女が激しい練習を繰り返しています。
全国的にこうした演舞が盛んになっているようですし、学生たちも各地の大会や行事に参加して競い合っているようです。
通りかかると二人の若者が旗を振る練習をしていました。周囲には他のメンバーの姿がありませんから自主練なのでしょう。

どうやら片方が先輩の指導を受けているようです。
写真の若者は先輩の方で、もう一歩の若者にアドバイスしています。

写真を撮らせてもらえないかと話すと、後輩の方は「僕はちょっと…。」という感じで、先輩の方が引き受けてくれました。
私は学生時代大学の学部自治会の旗を持ったことがあります。その旗は大きさで知られた長崎大学のモノほどではないにしても京都では相当大きい方でしたし、綿でできていましたからそれなりに重かったです。デモの際に風が吹くと長い行進の時にはかなり堪えました。
ですからそれなりに旗を持つしんどさが分かるつもりです。
しかし、ソーランの旗は曲、演舞に合わせて「振る=演じる」のですから大変です。
ずいぶん複雑な振り方があるようです。

後輩の方は・・なんと…一週間前から練習を始めたんだそうで、おそらくいま手のひらは危機的状況なんでしょう。
マメができ、掌の皮がむける寸前かもしれません。
足腰も腕も首も腹筋・背筋も朝起きると「痛くてたまらない」のではないかと思います。
一連の動作を練習すると盛んに手のひらをさすり、握力の回復を待っているようでした。

先輩の方が降り始めるとさすがに旗も大きく広がり、膨らみ、動きに切れとリズムがありました。
腰の決まり方が違います。
一目瞭然でしたが、そこがやはり一日の長というところでしょう。

風をいっぱいにはらませて旗を大きく動かすには相当に練習が必要だろうなあと思いました。
応援団などの旗手をイメージするともっとごっつい体格の者を想像しますが、二人とも今どきのスリムなイケメンです。
こういうところも時代ですかね。

それにしてもソーラン演舞はすでに長い蓄積ができていますが、何が若者の気持ちを惹きつけるのでしょうね。
華やかな、時には相当派手な衣装や化粧などでしょうか、集団性でしょうか、「和」風であることでしょうか、ステージに立って注目されるからでしょうか・・・・。

ところで、この人も服を脱いで見れば見かけ以上に立派な筋肉になっているんでしょうね。
袖からのぞく上腕二頭筋がそれを物語っています。
- 2016/10/30(日) 00:00:54|
- パフォーマンス
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私は、11月の1日には「祇園をどり」を見に行くことになっています。
一昨年から続けて見ていますが、これは写真がご縁で知ることになったある方が招待券を送ってくださるからです。
私にはこれまで近づくこともできなかった世界を垣間見ることのできる大変うれしい機会です。
(それにしても気がついてみれば昨年の「祇園をどり」からもう一年がたつのですね。)
たくさんの方々と「袖触れ合」ったとしても、もしそこにカメラがなければこうしたつながりにはならなかったろうと思います。
今日この人とこうした撮影の時間を過ごせるのもカメラのお蔭です。

こうしてその間に私の知らないいろいろな話を聞かせてもらえます。
聡明な人ですから変に気を使わなくて話せますので、それもまたうれしく楽しいことですし、私の好奇心も満たされます。

さて場所が変わって・・・・・。
周囲には人がいっぱい行き交っています。
むろその人たちの邪魔にならないようにしていますが、 この人を前にしてカメラを向けていれば、周囲は「うん、撮影か」とおのずから納得してくれますので、かえって無用な詮索、興味・関心を持たれなくて有難いのです。

以前この人に撮らせてもらって個展に展示したある写真を見て「あなたは(写真の)プロなんですね。」と誤解してくれた人が一人や二人ではないのです。
フォトマヌカンの力ですね。
撮る側の力だけではどうしようもないところです。



- 2016/10/29(土) 00:00:20|
- 人物
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写真撮影のためのロケハンは案外に楽しいものです。
私は普段から街を歩くときに、いつもほんの少し意識してロケハンをしています。
いつどんな人が力を貸してくれることになるのかわからないからです。
今日のこの人は、同じ京都市内にお住まいですからどこかでばったり顔を合わせても少しもおかしくはないのですが、短い期間に二度三度『バッタリ』会うと不思議な感じです。
えっ?! ストーカーをしていたんじゃないかですって? う~~ん、どうでしょう。

で、たまたま会った時に「近いうちにまた・・。」というお話になるという幸運もたまにはあるのです。
そうなるとロケハンには一層熱が入ります。
ショーウインドウでも著作権が問題になりますので、撮り方に注意しなくてはいけません。
そういう時代ですから店頭をお借りする場合にはそのお店の方にお許しをいただくために声をかけるのですが、これが存外難しいのです。
「本社に申請してください。」などという場合や、何かはっきりしないけれどとにかく「ダメ」だということがあります。

お店の宣伝をして差し上げるわけではないのですから、何のメリットもないのに「邪魔だなあ、面倒だ」ということもあるでしょう。
でも今日撮影しているこちらのお店では快くお許しをいただけました。河原町通りの五条を少し上がったところにあるお店です。
ロケハンをしていて、とても感じのいい店前のテラスが目につき、「すみませんが・・・・」とお願いしました。
後日出かけたこの日は暖かい日差しがあり、気持ちの良い写真になりました。

フジのオートホワイトバランスだとこうなります。 好みや評価は分かれるとしても色味はまさにフジというところでしょうか。
オートの設定ですから被写界深度も深くてお店の様子もよくわかります。

フォトマヌカンのこの人が、見た目も性格もとても良い人なので撮影に一層熱が入ります。
事前にお願いしていた黒の服を着て来てくれたのですが、それがまたとてもいい感じです。

実は別のカメラでも撮っていますので、このカメラの時は同じようなアングルと画面設定になってしまいました。
また後日そちらもアップしたいと思っていますが、ずいぶん違った雰囲気になっています。
(ですからカメラとレンズを選ぶのはやはり意味があるのですね。デジタルカメラはボディーを選ぶと同時に「フィルム」も選んでいることになりますから、なおのことです。)
- 2016/10/28(金) 00:00:51|
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「絣」に布を染めるためには縦糸を同じ場所で「ふせる」作業が必要です。
「ふせる」というのは、布の一部を「染まらないように」することを言います。そのためにここでは束ねた縦糸を紙で巻いて、その上から糸できつく縛ります。

束ねた糸は細い繊維の束であるわけですから、毛細管現象によっても水≒染料が沁みこみます。
それを沁みこませないように紙とそれをくくった糸とで「防染」するわけです。

いくら強く縛るとはいえ、糸にあまりに大きな力を加えて引けば切れてしまうでしょう。それに少々の力で絞めても水の分子を浸入させないほど糸の繊維間の隙間をなくすことはできない相談ではないかと
疑問に思ったのですが、
「こうして縛ったものを染屋では一旦水に浸して、それから染める」のだそうです。
つまり先に水を含ませて染料の浸入を防ぐというのです。そしてくくり糸の力で染料をきちんと止めることで「絣」の模様をくっきりと浮き出させることができるのだそうです。
「そこが技術だね。」

「絣」にも実に様々で複雑なデザインがあり、それを描き分ける括りの手わざがあるわけです。

長い長い縦糸をこうして何百か所も括るのですから大変地道な仕事です。
作業は単純なようですが、括るテンションのかけ方、括る位置など素人目にはわからない技術があるのだろうと思います。
「やってみるかい?」と言っていただきましたが、実は私は糸を結ぶのがとてもとても苦手で、「いえ、写真に専念します。」とご遠慮させていただきました。

すでに80歳をいくつか越えられていて、もう仕事はあまり・・・・、とおっしゃいますので、「それではなおの事、撮らせていただかないと。」とお願いしたのです。

長年仕事を続けられてきて、高い技術を身のうちに築かれてきた先輩の姿に接すると、若い人たちを撮るときとは違う気の引き締まり方を感じます。
そして一向にうまくならないままの撮り方で申し訳ないなあ、とも。

- 2016/10/27(木) 00:00:22|
- 伝統工芸
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鴨川はこの日も良い天気でした。
ベンチでゆっくりとくつろぐ人、本を読む人、あるいは草の上で昼寝を楽しむ人などなど・・・・。

私のような怪しい者だけではなくて、それはそれは様々な人たちが行き交います。そして、日差しや優しい風を楽しみます。
そこに楽しい音楽が流れてくれば申し分ありません。
決して完成した演奏でなくともいいのです。
たどたどしくても、それはそれでいいのです。

それにしてもこうして見知らぬ人が行き交う場所で練習できる気持ちが私にあればなあと思います。
おっと、私くらいの腕しかないのに、恐れを知らずに個展をしたり、ブログに写真を公開しているのも同じことですか。
いえ、話は逆でした。
こういう人たちの前向きさに鞭撻されて、写真展をしたりする気持ちを持てたのでした。

「今年はないんですか?」「次は何時ですか?」と声をかけていただくこともあります。
現実的に考えなくちゃいけないなあなんて思い始めています。
個展の目的も人それぞれなんですから、私には私なりの理由がある・・・・と、そういう事で良いとしましょうか。

3回目までは勢いで来ましたが、これからはそういうのとは違うようです。
私が尊敬する画家の斎藤さんは88歳までに更に10回するんだそうです。
今年はイレギュラーな展示もあって、調子を乱しましたが、撮らせていただいた方々に対する感謝と責任の意味からもやらないといけないなあと思う今日このごろです。

そのためにはもっとどん欲に撮らねばなりませんね。

今日もこのお二人に感謝しつつ・・・・。
- 2016/10/26(水) 00:00:25|
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おや?! あれは?
なんと! 黒と白のトロンボーンです。
そういえばつい先日若い男性が赤いメタリックのトランペットを吹いていましたっけ。

・・・それにしても撮りにくい条件の場所で練習しているなあなんて思いながらも、声をかけて
トロンボーンはプラスチック製だそうです。
こういうところに男性と女性の嗜好の違いが現れているように感じました。
カメラでも同じですね。
40歳以上の男性の写真愛好者のうち何人が赤や青のカメラを持ち歩くでしょう。

カメラと見れば黒かシルバーに決まっていた世界がいま徐々に変わろうとしていますが、人口の半分は女性なのですから、もっともっと多くの非黒、非シルバーで非「やたらとメカニカル」なカメラがもっと増えてもいいように思います。
自動車も変わってきていますしね。

もっとも高価なカメラはそういう変化を受け入れないでしょうけど。だってカメラに何十万円も出そうというのは、まだまだ多くは男性でしょ?!
それはともかくガラスで制作されたバイオリンとかもあるのですし、カメラの胴部を作るプラスチックもあるのですから、楽器も様々な素材で作られても良いのかもしれません。
木管のフルートがいつの間にか金管になっているんですし。 ちょっと話が違うかな。

実は、私の背後に男性が草に腰を下ろしてこちらを見ているのです。
その人は以前やはり鴨川で写真を撮らせていただいた方で、今日は多分スケッチをされているんだろうと思います。
その人も、想像するのにこの二人を入れた絵を描かれているんではないかと・・・・。
ちょっと遠目に目配せで挨拶はしたのですが、・・・。

改めて私がこうして写真を撮らせてくれませんかという過程を観察されているかと思うと、何やら気恥ずかしいというか、なんというか・・・・。
おっ!そろそろ近づくぞ。ほら声をかけた。 もうじき例のカードを出すぞ…なんて見られているのかもしれないのです。
落ち着きませんねぇ。

でも、まあ 警察官に職質でもされた時には、特に怪しい人間でもないし、問題はないですよと証言してもらえるかもしれません。
鴨川には防犯カメラはないですから。
それはともかく、仲の良いお友達同士ですね。
- 2016/10/25(火) 00:00:29|
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「♪ 京都 大原 三千院 ・・・・ 『恋につかれた女』が一人・・ ♬」
「恋に疲れた」を「恋に憑かれた」と理解して、「大人の世界だなあ」と感心していた遠い昔があった。
人生すべからく誤解の集積か。

それにしてもこの歌中の女性は皆、和服を着こなしていた。
けれど?近頃の京都の街中で見る和服の女性は派手派手しくて、とても「恋に『疲れ』」ているようには見えない。
まあ、どうでもよい話なのだが。

ところで、以前この人に浴衣を着てもらって撮ったことがある。
とてもよかったのでまた着物を着てもらって撮らせてもらいたいものと思っている。
はたして引き受けてもらえるかどうか。
浴衣で撮るためにはほぼ1年後を待たねばならない、ということが「人生一寸先は闇」という事からすれば叶うまじき夢ということになるだろう。

ここ大原は自動車であれば町中からさほど遠くはない。
私が旧職に就いていたころ夏にはこの辺りで合宿して勉強会をしたことが思い出される。
風呂にも入り、酒も持ち寄って美味しい鍋をつつきながらのこと。

その頃の仲間はよく勉強する人が多かった。
そして誠実に討論した。 討論、勉強はいつも楽しかった。
そしてその討論は次の実践へと結びつくものが少なくなかった。
リーダーも優れていたが、何より謙虚で誠実な人が、そして常に学ぶ人が少なくなかったことが楽しさの大きな要因だったと思う。

ここへ来るとそれを思いだす。
その時のメンバーのほとんどが、今私がこうした写真を撮っていることを知らない。
おそらく「意外だ」というだろうと思う。
しかし、当時からカメラも持っていたし、撮りたい気持ちはあったのだ。が、何より仕事が優先だったし、忙しかった。
そのうえお金もなかった。

私の高校時代の友人は「やはりそこに戻ったか。」と分かってくれると思う。
長い間伏流水のままだった「写真」だが、今日こうしてこの人たちの協力で撮れるようになったことは実にうれしい、ありがたいことだと思っている。
- 2016/10/24(月) 00:00:26|
- 絵画
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若いということは大いに可能性があるという事だということがよく言われる。
それはその通りだろうと思う。しかし、そのことはこれから膨大な「選択」をしていかねばならぬという事でもある。
可能性は常に現実化を求めるのだから。
自分を振り返れば、そこが岐路であることにさえ気づかずにいたり、あまりに軽率な、あるいは愚かな選択をしてきたことに、今更ながら冷や汗三斗の思いがする。
また思いばかりが強すぎて、大言壮語の空回りを続けてきたようにも思う。

秋には、冬、春、夏が帰結する。
それを人は「実りの秋」だという。
なるほどめでたい一面としてはその通りだろうが、実らないばかりかたち枯れていく春、夏もあったろう。ただこの失われたものは既に目には見えなくなっているから注目はされない。
そういうことが多少とも分かってくると実りや花開くことが、一層眩しく見えてくる。

そしてそれとともに若いという事、可能性を持つという事の厳しい切なさのようなものも感じる。
そう言うことに多少とも気づくということが年を重ねると言うことかも知れない。
その厳しさに立ち向かっていくために、たくましさや美しさが身にあふれているのが若者の特権だろう。

ところで、この曼珠沙華(彼岸花)は、最近のように注目されるようになったのは何時頃からなのだろうか。
私が子供の頃には鑑賞するような花として意識されていなかったようにおもうのだが、それは私の家族内でだけの事だったのだろうか。
むしろ避けられた花だったような記憶があるのだが。
- 2016/10/23(日) 00:00:05|
- 人物
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『人間交差点』というのは原矢島正雄・原作、弘兼憲史・作画のタッグによるコミックの題名から借りたもの。
好きなコミックです。出てくる女性がいいですね。
人の誤りも弱点も、根底のところで人を信じようとする視点で描かれていたように記憶しています。

「悪いことをする奴は悪い奴だ。どこまでもひどい目に合うがいい。」という風潮は、人の心の浅さを感じます。イラつきを感じます。
いい人と悪い人とに二分しようとする世の中は済み辛い。
私みたいに欠点だらけで、あまり良い人でもない者は、なおのことそう思う。
楽器の出来る人は、いろいろな思いを音に込めて空に届けられるから羨ましい。

すると、それを聞いた人が「私にもそういう思いはあるなあ。」と心をしんみりとさせたり鼓舞されたりする。
言葉で諭されたり激励されるよりずっとしみじみと受け止めることができる。芸術や芸能にはそういう面がある。

写真にもそういう力があるといい。
ABOXというところで見せていただいた写真展では二つの会場とも、そういう写真があった。
写真にも存在意義があると思った。力のある写真はあるのだとも改めて思った。

作品を見せていただくのも『人間交差点』だなあと思う。
だから巧拙を問わないでできるだけ色々な方たちの作品を見せていただくようにしている。写真も絵も彫刻も工芸も・・・・染色も。

明日は(撮影時の・・ですが) この人の属するバンドが向日市の行事に参加するんだそうです。
最後の個人練習だそうです。
別に本業をしながらの参加ですからなかなか大変です。
でもこういうことがあると生活が楽しいですよね。

ご自身では「バンドで一番下手なんです。」と謙遜されていました。

- 2016/10/22(土) 00:00:31|
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どこかの交差点で、信号が変わって道を渡る。そんな時に向こう側からこちらに渡ってきてすれ違う人がいる。
何も話すわけではないし、会釈一つするわけでもない。
ただ、もう一つ先の信号で道路を渡れば、この人とすれ違う事はなかった。
たまたまそこに居合わせた人。 その人の人生の糸はずっと過去からここまで続き、私の糸も続いてきた。
それがたまたま交差した。交差はしたけれど位相が違って触れ合わない人もいれば、ほんの一瞬重なる人もいる。
中にはしばらく沿って続く糸たちもあれば、複雑に絡まりあってしまう場合もあるだろう。
鴨川で出会う人たちは、ほんの一瞬交わる人たち。糸と糸が重なって出来る小な小さな小さな面積の平行四辺形。
そして次の瞬間、もう永遠に交わることがない・・・・・ほとんどの場合はそんな出会い。

それぞれの糸はそれぞれの過去を持ち、未来へと続く。
不思議なことだ。
などと、なにやら人生を考察するかのような振りをして、
ただ秋空の気持ちがよいのに気分を任せて鴨川を走ります。
早、風は冷たさを感じさせますが、そこはまだ秋のこと、ペダルを踏めば汗がにじみます。

聞いたことのある曲なんですが曲名が出て来ません。最近は毎度これですから情けない。
ジャズですね。

「天高く・・・・・ う~・・ん・・と、 ・・・・・ゲイジツの秋 ・ でした。」

つい数日前にはかもがわの流れの中に入って絵を描く、例の青年がいました。
根性あるなあ。
で、私の場合の「秋」は・・・なんでしょうかね。
そう、そろそろ熱燗が美味しくなる、サンマがうまい、鍋も恋しい・・・・時々は読書もし・・・・次のカメラをどうするか考える秋でしょうか。

ほら青空に秋刀魚雲・・・ではなくて、鰯雲が・・・・・と、いろいろ浮かんでいますね。
- 2016/10/21(金) 00:00:26|
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今これを書いているときにもジャズを聞いています。特にジャズに、総じて音楽に詳しいわけでもないのですが、
ジャズを聴きながら描くと、なぜか「人生」を感じるのが不思議です。それは朝に書いても夜に書いてもなんですね。何故なんでしょうか。
ジャズって不思議な力があるように感じます。(これは以前にも書きましたね。)

また、ジャズのライブを撮りたいなあ。

もっともそれはアーティストたちと仲が良くないとダメなんだという気はしています。
演奏者やお客さんに余り遠慮があると、よい写真が撮れないように思います。
私の性格だからかもしれません。人見知りで怖気づいちゃうと通り一遍の事も出来なくなってまるでダメなんです。

でもジャズに身を任せながら感じるままに・・・・なっちゃうとこれまたダメなんですが・・・・「ノリ」ながら撮れたら面白いんです。
その時には広角からのズーム・レンズがほしいですね。 せめて24ミリからかな。 私のは28ミリからです。
ピントを探すのにも、構図を決めるのにも演奏と呼吸を合わせるのにも汗だくになりますが、それがなんとも言えずいいんです。

こういう客観的な写真ではなくて、もっと主観的な写真・・・ですかね、撮りたいのは。

写真て、やっぱり面白いですね。
- 2016/10/20(木) 00:00:36|
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アコースティックギターでさえ練習場所に困ることがあるのですから、ましてエレキギターの場合は・・・・・。
もっともエレキギターだから、ヘッドフォーンを使って練習するという手もあるわけでしょうが、こういうよい天気の日にはせめて開放的に音を出してみたいでしょう。

橋の下での練習ですから写真は暗いですが、今日は良く晴れて、高い空に鰯雲が西から比叡山までずっと続いて広がっています。
日向は多少の暑さを感じますが、空気は乾いてすがすがしく、幾分肌寒さを感じるほどです。

今日の装備は・・・α900にキヤノンのFD85ミリ、f1.2をつけています。
最近のレンズはf2.8なんて言うのが多くて、キットレンズとして付けられているズームレンズなどではf4でなんていうのがあります。
単焦点でもf1.4でしょうか。
これがいい組み合わせかどうかは、腕の問題も含めてなかなか難しいところです。

通りかかるとスピーカーからではありますがいい低音が聞こえて思わず自転車を停めました。
数日後にある人が撮らせてくれるというので実験を兼ねて持ち出したのですが、なぜかうまくいきません。
キヤノンの5Dにツァイスの85ミリf1.4をつけても同じように難しいと思うのですが、どうも何か違うのですね。
ISOが200なのと100なのとで私の感が狂ってくるせいかもしれません。 いやそれだけじゃないような・・・・。

まあ、そんなことは良いとして、昨日はサックスを聞かせていただき、今日はギターです。
なかなか贅沢なものです。
この方はつい数か月前まではベースを弾いていたのだそうで「リードギターはまだまだなんですよ。」と話されていました。
支える方から支えられて歌う方へ。だいぶん勝手が違うんじゃないかと・・・・素人ながら・・・・思うのですが。
「どうでしょう。どんな音楽に聞こえますか?」と質問されて・・・?????。
「メロディックなジャズに聞こえますが。」
「そうですか、よかった。」
- 2016/10/19(水) 00:00:06|
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ビンテージ物のサックスです。
いい感じに渋さが出ています。

「今日は2,3枚にして、この次本番という事で・・・・。それまでにダイエットしておきますから・・。」なんて冗談を言っていましたが、いざ撮り始めると、シャッター音に呼応してか、グッと本気の演奏でした。
やはりこれでないといい写真は撮れません。

8月の初めに撮った古楽アンサブルノメンバーもそうでしたが、撮影のために・・という場面で、「本気で演奏してください。」などと、敢えて言わなくともこちらが本気でシャッターを切るうち俄然本気で演奏に入り込みます。
撮ってもらう(撮らせてやる)ポーズの意識が濃いうちは・・・・それを完全に消し去ることはできないとしても・・・・私も面白くありません。

これは他の方もよく言う事ですが「写真はないものは撮れないし、あるものは消せない。」のです。
つまりアーティストがそこに生み出さないものを撮ることはできないのです。アーティスト自身が最高の状態になってこそ、そこから何とかして、それにできるだけ近いものを取り込むことができるという事です。いやそれしかできないのだと、私は思っています。

ただ、撮影者の側の問題としては、アーティストの本気、フル発光を何とか引き出すことだと思います。
方法は多分いろいろなんだと思いますが。

この方もセッションに参加されたりすれば、またもっと強いパッションで演奏されるのでしょう。
そういう写真も撮らせていただきたいものです。
初めてお会いして、今ここで・・・というのですから、その割には本気度の高い演奏をしていただけたと思います。
- 2016/10/17(月) 00:00:32|
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猛暑の時には橋の下でこそ見かけられた楽器の練習風景。
ようやく雨続きの日も終わって、涼やかな風も吹くようになって、自宅では響かせられない楽器の練習のために鴨川に来られる人の影も増えてきました。
場所取りは先着順ですし、場所によっては「音がうるさいから・・」と立ち退くように言われる場所もあって・・・・音楽愛好家やプロたちは練習場所を探すのに一苦労です。
鴨川でさえ楽器の練習ができないとしたら広いキャンパスのある学生や練習場のあるプロにしか演奏を楽しむことができなくなってしまいます。
商店街でも様々な店内でもTVでもあまりに騒々しい「音楽」が鳴っている現状を許している割に、あまりに神経質すぎる「音」に対する世間の耳。(その場を避けられるか避けられないかもそれを分ける要点の一つなんでしょうが。)
何かバランスを欠いて病的な印象を、私はもっています。
さて、このブログを始めて5年と半年。カメラをもって自転車で走り始めたのも、したがって5年と6か月前のこと。その時からよくこの鴨川を走ってきました。
そして、岸辺で楽器の練習をしたりパフォーマンスの練習をしたり絵を描いたりという方々を見つけては「何かにワクワクしながら取り組んでいる人の写真を撮らせてもらっているんですが、あなたも撮らせていただけませんか?」と声をかけてきました。
数えたことはありませんが、一体何人の方に協力いただいたでしょう。

「おひさしぶりですねぇ。」「あっ、あなたはこの前の・・。」というようなことも時々おこるようになりました。
今日お会いした方は、これまでにないケースでした。

ネットでは様々な言葉で検索して自分に必要な、あるいは関心のある情報を探すのですが、たまたま「鴨川でサックス」と検索したら、私のブログに行きついたという方がおられました。
そして、ブログを見て、これまでに何人もの楽器演奏をしている人がこのブログに登場していることを知り、ご自身もいつか私と行き当たるのではないかと、心待ちにしていて下さったというのです。

そして、もし出会って「写真を・・・。」ということになったらいいなあと思っていてくださったのです。
「なんという事でしょう!」
そういう方に出会う日が来たのですねぇ。不思議なことです。

私の方に「否や」はありません。
演奏家の方たちは、ご自身が演奏をしている写真を、案外お持ちでないのです。
もし、あったとしても自分が納得するようなものが無かったりするのです。
普通の職場で働いている方たちもまた同様にご自身が一番活躍している「仕事をしている私」の写真をお持ちの方はまれですね。
- 2016/10/16(日) 00:00:42|
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私が私を写真家でないというのは、それは写真を見ればわかりきったことだという点のほかに「覚悟の弱さ」を思うからです。
第一そんなことをうだうだ考えている時点で「甘ちゅあ」なんですけれど。
先日もあるギャラリーで絵の個展を見せていただいて、よい絵だなあと感じていると、たまたまその絵の女性作家さんを含めてお話しできる状況になりました。
その方はおそらく私と幾つも年の違わない方だと思うのですが、優れた女性はこういう風に年を重ねるのだなあと思わせてくれる知性を感じさせるかたでした。
それで、当然『撮りたい』という思いが湧いたのです。が、そこでそう切り出せないのです。
そこが実にまあなんといっても「甘ちゅあ」なんですねぇ。
ですから、こういう若者を見ると清新で本当に羨ましくまぶしく見えるのです。
覚悟を決めちゃっていますからね。

この人は今はブライダルなども撮っているらしく、学校などへも出かけているようです。

今、台湾での写真展をいろいろに思い描いているところだそうです。
いいですねぇ。悩みも深いでしょうが楽しみもまた大きい。自分に期待するところもまた大きいでしょう。


- 2016/10/15(土) 00:00:07|
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私は「写真家」ではありません。
時々私を写真家だと言って紹介してくださる方がいます。そんな時「そのように紹介していただくと、そこから誤解が生じるんですが・・・・。」とできるだけの笑顔で訂正させていただく。
「そんなことは分かっている。社交辞令、お愛想、サービスのたぐいだという事は皆分かるのだから、いちいち訂正しなくてよい。メンドクサイ人間だ。」と思われているのに違いないのです。
しかし、この人は写真家です。

ある写真ギャラリーで、今日は臨時のお留守番。
「このギャラリーのオーナー兼写真家の方によくしてもらっているんです。」とのことでした。
その日の写真個展の作者ではないかと声をかけたのですが、そういう事でした。

で、ご自身も写真家で、「いま、ある家の大量のごみの中から見つけたアルバムの写真を写し取って作品化しているんです。ひどく劣化が進んでいるんですが、それを一瞬止めて、それで写真としてのものとそれが経過した時間とを意識してみたいと思ったのです。」

このギャラリーのオーナーさんの仕掛けで数人の写真家を選んで台湾でそれぞれが個展をするんだそうですが、「その選ばれた一人」なんだそうです。
ご自身のトークもあるのだそうで「台湾では結構お客さんが多いらしいです。」とのことでした。

写真をやっている、しかも専門的な知識も技術も持って、なおかつ一個の「思想」を具現しようとして作品づくりをしている人に「撮らせてもらっていいですか?」とお願いするには少々勇気がいります。

対話しながら撮っているわけですが、
すでにこの人が作品化しようとして撮った写真が上がってきているので、それを見せていただいています。
ポジとプリントしたものがありました。ここからさらに選抜して、想いの大きさ、質にプリントをされるのでしょう。

やはり人柄は手に現れますね。
- 2016/10/14(金) 00:00:55|
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キャノン5DマークⅣが40万円余り、発売がうわさされているソニーα99Ⅱもやはり国内販売は40万超が予想されているとか。
それに10万をはるかに超えるレンズをつけるというのですからとても庶民の趣味の対象ではない感じですね。
少なくとも私の生活感から言えば冗談はやめてほしいと言いたくなるくらい高価です。
5DマークⅣのファインダーを覗いて、現代ではこれくらいのファインダーならいいとしないといけないかなあと心動いたのですが、やはりその前にはだかる価格の壁。
もっとシンプルに作ってくれないかなあ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
学生になって三味線と出会ったそうで・・・・先生について学んでいるそうです。

1600万画素のカメラとフィルム時代ンのレンズで撮っているのです。
カメラのしてくれることは最新のカメラに比べれば大人と子供の違い以上の違いがあるのかもしれません。

ピントもAFではありませんしね。
でもこうやって模索するのが楽しいですね。
釣り糸の先に魚検知器がついていて、魚を見つけると急発進してぱくりと魚をくわえてくれるような装置ができて、趣味の釣り人はそれを使うでしょうか。 釣れた連れたと魚拓を誇るのでしょうか。
それを使うのは漁師さんですよね。

それこそ趣味なんですから、道具を選ぶのもまた楽しいもので、私と別の選択をする方がたくさんいても、それをどうこう言うつもりは毛頭ないのですが、何しろカメラはオプション、アラカルトで買えないですからね。
個人的には大いに困るわけです。

絵を描く人はとにかく画布(紙)、筆(鉛筆やペン)、絵の具を使って、後は腕次第ですから、できた絵にも敬意と憧れが生まれ、書いた人に対する拍手が起こるのでしょう。
そこいら辺りに写真に対する「世間」の評価の低さの一因があるのじゃないかなとも思えるのですが、どうでしょう。

まあ、そんなことを言っても世の中は今見ている通りに進むよりほかの選択をしないでしょうね。
- 2016/10/13(木) 00:00:11|
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この日は長く続いた曇りや雨が終って、零年お秋のような晴れて乾いた日でした。
うっかり汗をかいたままにしていると肌寒ささえ感じるくらいに気温も下がりました。
もっとも長続きはしないとの予報がでていましたが。
鴨川沿いの「床」が重機によてっ撤去されていました。 季節は移ります。
そんな鴨川を自転車で遡ってくと・・・・。

洋楽が広く楽しまれている反面、若い人の中に案外邦楽を楽しむ人がいるようです。
三味線に新しいスターたちが生まれていることも一つの要因かもしれませんが、洋楽に飽き足らなくなった若者が新たに邦楽を発見しているのかもしれません。

まだ初めて2年余りだそうです。
学生サークルの中でも練習しているのだそうですが、「民族音楽というくくりなので」必ずしも邦楽という事ではないそうで「『チンドン〔屋〕』もあるんですよ。」とのことでした。

周囲はとても明るくてススキの穂も光っているのですが、この人は橋げたの下にいますので明暗差が大きくて、なかなか難しい条件です。
でも、まあそういう課題を出されたと思って、どうすればいいか考えながら撮っています。
ストロボとかレフ板があれば何とかなるんでしょうが。

河原の飛び石では海外からの若い旅行者も含めて、たくさんの若者たちが遊びに興じています。
秋の気配が濃くなってきました。
- 2016/10/12(水) 00:00:37|
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私などは、こういう撮影のために協力していただける人を得るのは、なかなか難しいので
そういうことも分かってくれて時間を割いてくれているのです。

それにしても9月から10月に入っても、日照が少なくて、気持ちの良く晴れた日が少なかったですね。
この日も、なんとかうす曇りという状況で、まあ、そのほうが彼岸花の赤い色が飛ばなくていいし、人物撮影には悪くはないのですが、「楽しく撮影」するには、もう少し光がほしいところです。

そういう時にも・・・・もう何度も力を貸してもらっていますから・・・・気を使わなくていいので助かります。
さて、彼岸花(曼珠沙華)の咲いている畑の畔にやってきました。


- 2016/10/11(火) 00:00:06|
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季節の移ろいは確実ですね。
その季節を迎える自然の姿に促されて写真を撮りに行きました。
季節は人にも訪れますし、移ろいます。

この人に出会って、もう3年がたちます。
もともと、とてもしっかりした人なので「大人」の印象でしたが、いま年齢を聞くとまだそんなに若いのという感じです。
老けて見えるというのとは違って、やはりいい意味での「大人」な感がある人なんですね。

赤のカーディガンに赤のマニキュア。

撮り始めたころの写真を探し出してみると、今はやはり成長しているなあという感じです。
私の下手の横好き写真に対する良き理解者でいてくれる点は大変ありがたい存在です。

仕事の関係で「朝早いのは苦手」なはずなんですが、・・・・いや実際、眠そうなんですが・・・・「彼岸花の背景で撮りたいから、付き合って」くれているのです。

えっ?!彼岸花はどこにあるかですって?
いまは、いい場所探しの前の、小手調べです。

この人は芸術系の大学を出ていますから、いろいろな刺激をくれます。
私が、ミニ、プチ個展も含めて5回写真展をし、2回のグループ展に参加をしたのも、この人を含めた若い人たちの影響によるところが大きいのです。
- 2016/10/10(月) 00:00:54|
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この方は実は下絵から描かれます。
友禅もまた多種の分業によって構成されています。
意匠の考案、青花の色素による下絵、それに沿って糸目糊置き(防染ですね)、色挿し(先日紹介した「色」を入れていく作業です)、伏し糊(染めない部分を糊で保護=防染します)、地染、蒸し(染めた染料を定着させます)、水元(これがいわゆる友禅流しとして知られていた過程ですね。置いた糊を流しとります。)、この後刺繍や金彩が行われるわけです。
そしてこれらをプロデュースする「悉皆屋」がありました。

今はこうした分業のそこここにボトルネックができ始めています。
で、この方は地染や蒸し以外の仕事を一人でこなしてしまうのです。

この時も、意匠考案=下絵を見せていただきました。
子供たちが川の岸辺で遊んでいる風景です。

職人の仕事をより多くの人に理解してほしいという強いお気持ちの持ち主ですから、懇切に説明してくれる一方、「ぜひ撮って人に職人の仕事を伝えてくれ」とおっしゃいます。
金彩や色挿しなどは見て華やかですが、実はこの写真のような仕事は地味で、しかしとても繊細で難しい仕事なのです。
生地にフィルムを張り、染める部分を絵柄に沿ってカットするのです。
この方ーは鋭利ですのでわずかな力の入れ具合で生地の繊維まで傷をつけてしまいます。しかし、それを恐れていてはフィルムを切れません。
最初に葉を落とす瞬間が肝心で、その後は力を入れずに引くのがコツなんだとおっしゃいます。

この「力を入れない」は文字通り力を入れないのではなくて、軽くしかし適度な力を入れているのです。そこの呼吸を「力を入れず」と表現するのですね。スポーツの世界でもよくこういうことがあります。
他のことは教えられても、この感覚は教えられないね。自分で経験して掴むしかない、と。
「カッターの重さが重要なポイントだね。それで自分で工夫して重さを調整しているんだ」と言います。
やはり職人は道具ですね。

箔を張ったり金粉をふったりするのは・…見かけは派手やかで、難しいでしょ?と言われるけれど・・・大したことはない、誰でもできるよ。やってみる?! でも、このフィルムのカットはね、できないんだよ。そこを分かってほしいんだね。
- 2016/10/09(日) 00:00:43|
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友禅には京友禅のほかに加賀友禅、東京友禅があります。
それぞれに特徴がありますが、京友禅の特徴の一つが「金彩」です。
最後の工程に刺繍もありますが、金を置くことも京友禅の特徴の一つです。

それだけに京友禅は華やかで、時に豪華です。
糊によって絵柄を描いた上に箔を置いたり金の粉を振ります。
周囲の空気が動くとたちまち箔が乱れますから、エアコンも使えませんし、周りに人の動きがあるのも困ります。

私も近寄って空気を動かさないように、ましてやくしゃみなどしないようにしなくてはなりません。
箔を置いて筆や刷毛で払えば糊に張り付いた箔が残ります。

箔をつまむのは竹製の道具です。静電気を防ぐのでしょうね。

そっと箔を置くとアイロンを当てます。
- 2016/10/08(土) 00:00:10|
- 伝統工芸
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既にお気づきかと思いますが、この方の背後の壁に作品が掛けられています。
割りばしで描いた絵に色を付けています。
一見アクの強そうに見えるこの人の絵は、意外にも・・・・失礼・・・・さわやかで曇りがありません。

それを良しとするかどうかについて評価は分かれるかもしれませんが、人気があることは確かです。
新聞に連載された時にも好評だったそうです。

この服は細君に「お仕着せられた」のだそうですが、・・・・私には到底できない・・・・・こういう事も楽しんでしまう柔軟性がこの人の魅力でもあります。
ご自身に、良い意味で、自身があるのだと思います。

それにしてもこういう畳の部屋で、私は星座をすることができず、いったん座ると体が固まってしまいます。
老化を感じますね。
ストレッチ体操をきちんとしなくてはなりません。
頭の中身も含めてですが。
そういう意味で今日は頭のストレッチに来ているというわけです。

これが一日目に注目してほしいと書いた、その写真です。
ちょうどプライベートにご心配なことがあるせいもあるのでしょうが、自身から巻き上げた笑いの渦の中でも、ふとこうしたまじめ、素面に戻るのもこの方の特質だと感じています。
- 2016/10/07(金) 00:00:32|
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パネルを見ればこの人の波乱万丈さを少しうかがい知ることができると思います。

私は会場につき、お話が始まる前に席を占めるのにどんどん前に押し出されるのをいいことにして、すぐ横にお尻を据えました。
カメラを手にしてこの方に「撮らせてくださいね。」とご挨拶して・・・・。
以前にも撮らせていただいて、その一枚を個展にも出させていただきました。
年上で、すでに名の知られた方ですが・・・・そういうことを私はほとんど何も知らないで撮ったのですが・・・・・個展会場にワイン一本をぶら下げてくるという気づかいをされる方です。

まじめになるとこういう視線、表情で人と向かいます。
この時には私の反応を確かめているのです。
○小路□麻呂式に大いに会場を笑いに引き込んでいるのですが、刹那刹那にはこうして目をきらりと光らせ、真顔を見せますます。

ただのおちゃらけで話しているのではないと言うことがきちんと伝わってきます。

彼は「70歳からの挑戦」と書いています。
高齢化社会は往々マイナスイメージで語られ、社会の荷厄介のように言われますが、とんでもないことです。
そして何よりそういう社会的動向の中で、一高齢者として生きる姿勢はとてもとても重要な意味を持つと私は考えています。
そのことをどこかで何時かまとめて話したいと思うのですが、どこからもお座敷がかからないので話せません。
それをこの人は自分の決意として、またそれを周囲にアピールすることで同じような高齢者を叱咤激励しているのです。
私も、お座敷がかからないので話す機会がないなどといてっていないで話す機会を作らねばいけないなあと思います。

- 2016/10/06(木) 00:00:07|
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ご自分の個展を「もう一人の・・・・」と題してご自身の別の面を見せようという個展をするくらいです。
多能の人です。
絵のジャンルも一つではありません。
その人が「生い立ちから現在」までを、二十名ほどの人を集めて語ってくれました。
まずこのたたずまいです。これから一席「ご機嫌を伺う」態です。
そうです、そういう話芸、話術をお持ちの方です。
実際、話に登場する人物を上下に振り分けて声音も変えて話します。

出来れば着物姿で「高座」に上がりたかったようです。
小道具の扇子は忘れていません。

旧職の時のプレゼンテーションの経験、お好きな落語や○小路氏などの漫談系の話術など、取り入れ要素が満載です。
話すことに感する意識が高くてアンテナも敏感なようですし、成りきる力、演じるセンスも相当だとお見受けしました。

私などは調子に乗ってしゃべりだすと勢いが付きすぎて「勇み足」をすることがままあるのです。
この方はそういう危険回避と直後のカバーセンスにも優れていて、聞いている方をいじってもちゃんとケアをしながらです。
関西の方、時に大阪の人(タレント・芸人など)の話しぶりで私が嫌なのは、茶化しや人のいじりで「笑い」を取ることです。
この人にはそこに節度が感じられます。

そのことはこの人を取り上げる最後の写真を見ていただくと、時にこういう表情に「落ちる」生真面目さが背景にあるのだなと気づかされます。
が、勢い、エネルギーがとにかくすごいです。

この方は私より三つほど年長ですから、生きてきた時代はほぼ同じです。
戦後の日本資本主義の復興と高度成長、さらにはオイルショックなどの停滞期を越えてバブルとその崩壊、さらに今日まで続く長い長い停滞期。このうちのバブル崩壊後のあたりまで経済活動の最先端で働いておられました。
そして思うところあって『絵を描きたい」と早期退職して渡仏。

そういうことをこうしてパネルまで準備して懇切にに興味深く話してくれました。
私とは大きく違った分野でのお話でしたので新鮮でした。
- 2016/10/05(水) 00:00:58|
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こうした仕事は「もうない」と言われていました。

ご自身もすでに現役を退いておられます。
仕事がなくては腕の振るいようがありません。
技術も継承されません。

今はこういうものもプリントです。
「プリントの紋はきれいに描けるけれど、味がおまへんな。 染料をどこまで生地の繊維に届かすか、そういう微妙なことができしまへん。」

「私らよく判で押したように描けるというふうに褒めてもらいます。確かに幾つ描いても全く同じように描けます。そうでなくては職人の仕事とは言えません。 けど、違いが見えるようではいけませんが、そこにそこはかとない揺れがあるところが手書きの良さ違いますか。」

普通、筆で描くときは筆先が曲がります。
でもあまりに繊細な線をえがクので筆先が曲がって見えません。私の視力の問題もありますが。
- 2016/10/04(火) 00:00:56|
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「家紋」「紋付き袴」などいう「紋」を着物に描きこむお仕事です。
「丸に二つ引き」や「ミツウロコ」などは描きやすいとしても、揚羽蝶やや藤などはなかなか難しそうです。
植物を図案化したものが比較的多いですが、植物の場合は葉脈などをきれいに描くのがカギだそうです。
私が撮りたいというので、「どうするかなあ。」とおっしゃいながら墨を摺り始めてくれました。

本格的に着物に書き入れるようなわけにはいきませんので実演用の歯切れに「揚羽蝶」を描いていただけることになりました。
墨は私たちが普通に使う「習字用の墨」だそうです。

皆さんの家紋は何でしょうか?
我が家は父方が「三柏」、母方が「ミツウロコ」です。
何千もの紋のデザインは一冊の本に集められているのですが、「描き慣れたものは見なくても描ける」野だそうです。
しかし、それぞれの家紋は例えば同じ藤であっても葉脈の筋の本数などが家によって違っていたりしますから、しっかり確かめて間違いの無いようにしなくてはなりません。
こうした家紋のデザインの多様性という点では他国に例を見ないそうですね。
筆はとても細いものを使いますが、毛は、芯の部分が狸の毛だそうです。周囲を馬のしっぽの毛が包んでいます。
米に字が書けそうです。

布は縦糸と横糸からなて散るわけですから当然表面に凹凸があります。そこにこうして細い線で絵を描くのですから、かなりの技術が必要です。
筆を強く押し当てれば凹部分には墨が届きますが、山の部分では墨が頂部で沪されて多くなりすぎて滲んでしまいます。
ですからむしろ頂部に墨を置いて凹部ににじませるくらいの線の引き方をします。
極端に言うと、拡大してみれば点と点がにじみ出つながっているという感じです。

それが滑らかな連続した線に見えるように書く・・・・それだけでも大変です。
手書きで書く葉脈は線の太さも均一で先が細くなりますが、並行する線がやはり同じ太さできちんと等間隔で並行しなければなりません。

下地を染める際に「紋場」という円形の染残し部分を作ります。 染まらないように「ふせて」置くわけですね。
その中に紋を描きこむのですが、紋場が正円に染残されているとは限りませんから、正円とのズレを修正しながら染料を補わねばなりません。
そういう仕事もこの紋を書く仕事の一部になるのだそうで「地の染料の色を判断して染料を作らなければならない。だから染の知識も必要なんだ。」そうです。 深いですね。
- 2016/10/03(月) 00:00:08|
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おや?! なんでしょう。 食事ですか?
「スープか何かですか?」
「クラムチャウダーですよ。」 と、こういうところは、私などとは違ってそこはやはりオシャレに楽しく・・・。

それにしてもこの照明器具はいい艶で光っています。
「夜に来て見てください。ここに並んだ仙人掌を照らすんですが、いい雰囲気ですよ。それに店の中もとてもいい感じに見えますよ。
雑誌の取材のときなどはそのころ写真を撮りに来ます。」

「あなたはモデルをしたことはないの?」
「・・・・特にモデルというようなことは。・・・・お店のものを着てちょっと撮ったりはしますが・・・・。」
「食べてるところばかりで悪いね。」

私は、この人は結構フォトマヌカンとして「いける」と踏みました。

ほら、そう思われませんか? みなさん。
「そんなこと言われても・・・・。」
背も私より高くてプロポーションもいいです。

ファッションのフォトマヌカンに最適じゃないですか。
などと独り言です。
「え?! 何か言いましたか?」
- 2016/10/02(日) 00:00:36|
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