昨年の秋だったと思います。
「来年夏にドイツから若い音楽家が来るから写真を撮ってあげて。」というお話がありました。
若いプロの音楽家たちが日本で演奏会をし、またCDの録音をするというのです。その際に時間を見つけて写真を撮ってあげてほしいというお話でした。

この人たちはバロック時代の音楽を、当時と同じ楽器を使って演奏しようとする人たちです。
皆さんご存知の通り楽器にも変遷があり、技術上の革新も積み重ねられてきました。
ですからバッハが思い描いていた音と、ベートーベンが自分の音楽のために楽器に求めた音とでは異なっていたわけで、それに応える楽器の構造や素材に工夫がされてきているわけです。

それは音楽の需要者の階級や階層の生活の在り方がそれを規定します。
現代のようにアンプで音を増幅したり変容させたりしてスピーカーを通して演奏する時代には、バイオリンやフルートも変わらざるを得ません。
押しなべて音が大きくなります。
音楽のパトロンが大衆になれば多くの人を集めて、その人たちに音を届けなくてはなりません。会場も大きいし、人が音を吸収しますから、それを越えて音を出さねばなりません。
チェンバロの音は貴族たちの館では十分な音量でしょうが千人も二千人もの聴衆を集めたホールでは、迫力に欠けます。そこでピアノ・フォルテが開発されることになるわけです。
チェンバロ奏者は三橋桜子さんです。

モーツアルトやベートーベンの曲なら、彼らの譜面が要求する音は現代の楽器に大きく近づいているでしょうから、イメージはかけ離れているとは言えないかもしれません。(それでも随分違うはずだと言われていますね。それでやはり当時の楽器を使い、オーケストラなどでは楽器の数も減らして演奏することがよく行われているようです。)

ましてバッハやヘンデルともなれば。
そうなると今私たちはバッハやハイドンが思い描いた音楽とは違ったものを聞いているのではないかということになるわけで・・・。
このバイオリニストが使っている楽器は250年ほど前に制作されたものだそうです。
弓の形状に注目してください。
フルートは、いまでは「金管」になっていますが、木製です。黒檀などが使われるのだそうです。優しい音色ですし、ピーっという強い音は出にくいです。

セバスティアン・ハルトゥングさん。 ドイツの人です。
チェロも形状が現代のものとは違いますね。

バイオリン奏者はエメヌエル・ブレダさん。イタリア人。
11歳でミラノ音楽院に入学するという俊才です。

この時代のバイオリンは羊や牛などの腸を弦にしているのだそうで、弓の弦は今と同じ馬のしっぽの毛です。

わたしは今回の京都ファインダー倶楽部の写真展/ファインドアイ・文人光画展に、この人たちの写真を出品させてもらいました。
- 2016/08/31(水) 00:00:00|
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さて今日は「京都ファインダー倶楽部」の一年に一度の写真展の会場への搬入日です。
第21回目。
会場は烏丸御池にほど近い京都文化博物館。会期は8月31日から9月4日までです。10:00~18:00(最終日は17:00まで)
会員の皆さんがどのような写真を持ち込むのかは今日搬入してみないと分かりません。楽しみです。
お近くの方がおられましたら是非お立ち寄りください。
私は「古楽アンサンブル Harmonie d’Apollon 」の写真を出します。
このブログでは明日から少しずつ紹介します。 昨年は熟年男性たちのポートレートでした。そこで今年は若い魅力的な女性たちの写真にしようと意気込んでいたのですが、諸般の事情から変更しました。こちらはまた近いうちにどこか会場をお借りして見ていただく機会を作ろうと思っています。私としてはなかなか気に入っているからです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
で、今日までミュンヘンシリーズです。
ところでブログの写真や記事がまるで旅行記のようになっていますが、半分は本意ですが、もう半分は不本意なのです。
私は旅行記を書くつもりはなかったのです。
たまたま周囲を見ると・・・・・。

久しぶり~! という感じなんでしょうか。
私は最近ちょとだけシェイクハンドに積極的になっていますが、ハグまでは、なかなかどうも・・・・。

周囲の反応を見れば、これがごくごく日常的なのだということが分かりますね。

そして、少し歩いていたら再びこのお二人に。
やはり目を引くお二人でした。
- 2016/08/30(火) 00:00:08|
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階段に腰を下ろしている人を見るとなぜか気になります。
「なんだね?! 」 なんて声をかけられそうですが、この人は私を一瞥しただけで、また別の方に目を移してしまいました。
私の視線を感じて、「?」と思われたのかも知れません。
「なんだ写真か?!」・・・・だったんでしょうか?

私が撮った写真を見直してみても、案外ブロンドの方は少ないようでした。

私は、こんなところで?スーツを着ている男性に惹かれて撮ったのですが、
後で気が付くと、手前で首をうなだれて疲れきったようにしている少女が気になりますね。 何かあったのでしょうか。それとも暑くてぐったり?
この子もブロンドでした。

この写真はちょっとお気に入りです。

私はドイツのさっそうとした男たちをもっと撮りたいと思っていたのですが、バカンスの時期だし、そのうえ観光ツァーではママになりません。
それにしても、この人、ヘルメットが気になりますね。
ベスパにでも乗って走ってくれるといいなあ。
そういえば歩いている中ではベスパではなくてプジョーのバイクを何台か見かけました。
日本のカワサキもありましたね。
- 2016/08/29(月) 00:00:24|
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ミュンヘンの朝。
どこかに出張でしょうか。
街が清潔ですね。 むろんこういうふうに綺麗なところばかりではありませんが。
中国の街で朝の散歩をすると、前夜の人々の行動の負の面がこれでもかと目に写ります。よくぞここまでごみを散らかすものだと。
けれどそれも人々の通勤時間帯くらいになると見違えるほどきれいになるのです。 それがその国、その街の生態でありリズムなのですね。
京都の繁華街でも大同小異です。

暮らしてみなければわからない・・・・それが本当のところかもしれません。
観光の限界でしょうか。
鉄道の駅付近です。
今日も一日が始まるなあ、というところかな。

「そう、今日も上を向いて歩こう。」
- 2016/08/28(日) 00:00:49|
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向こう側の彼とは目が合っていますね。
「なんだ! あいつは勝手に人を写真に撮って!! けしからん。」という表情でしょうか? いかがでしょう?

- 2016/08/27(土) 00:00:48|
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実は、ドイツから帰り、その後半年以上前から依頼されていた古楽アンサブルの撮影を終えると、それ以降パタリと写真を撮らなくなりました。
時々カメラを持って出るのです。暑いからといって外出を控えているわけではないのです。
そして以前ならここで「写真を撮らせてくれませんか?」とお願いするんだろうなあというような場面で気持ちが盛り上がらずに、パスしてしまうのです。
何故そうなったのかの心理をいま解剖しています。思い当たる節はいくつかあるのです。
///////////////
街に中には噴水がある。それはヨーロッパの街にはよく見られる光景ですね。

ここいる人たちは涼をとっているんだろうと思うのですが、私にはそこまで暑いとは感じられませんでした。
いえ、確かに暑い夏の一日ではあるのですが・・・。
若者は、前にも書いたように盛んにスマフォの画面をのぞき込んでいます。
そして気になったのが、女性の、しかも比較的若い女性の喫煙の姿です。
喫煙率が高そうだという感じはありません。でもそこここでタバコの煙をくゆらす女性を見たのです。
男性と女性の喫煙率は大差がないのではないかと感じました。
215年7月には男性喫煙率33.60%(日本が36.30%)、女性が28.70%(日本11.30%)・・グローバルノートより
なんだそうです。飲食店では原則禁煙だという事はありがたいのですが、なるほどあちこちで喫煙の姿を見るわけです。

自転車は大変によく利用されています。
そのための環境は日本とは比べ物になりません。
自転車専用レーンに自動車が何台も列をなして駐車しているとか、バスストップの度ごとにバスに幅寄せをされ、また行く手を阻まれる日本。車道を走らされたり歩道にゾーンが決められていたりと原則も机上の空論に終わっている日本とは天と地の違いがあります。

明確に自転車の通行ゾーンが決められ、そこに自動車は入りません。自動車の駐車スペースと自転車ゾーンは明確に区別されています。
ですから???自転車が安心して走れるのですが・・・・それでとてもスピードが出ていて、道路を横断するときなどにはそれはそれで怖いのです。
鉄道に自転車を持ち込めますし、生活の隅々まで自転車が浸透しています。ですから様々な用途の自転車、形状の自転車が見られます。

毎朝朝食前に暫しの散歩を楽しみましたが町中にも郊外でも通勤の人、バカンスの人などなどの自転車が行きかっていました。
まさに老若男女の足です。

お母さんとそっくりのファッションです。 後輪の両サイドに荷物を積める形も同じです。
それにしても、どんなわけでしょう、大きな荷物を運んでいますね。
お母さんの自転車はアシスト機能付きです。
町中をトラムが巡っています。なかなか乗りやすそうですし、充実しています。
京都にこそ路面電車が似つかわしいと思うのですが、いわゆる京都市電は多くの反対がありながら自動車優先政策の結果、1978年に全廃されてしまいました。今またその復活を願う声が増えています。
京都の景観保存は行き当たりばったりの金もうけ主義に私には見えます。
この京都に高速道路を引き込もうなどというのは愚策の極みです。

ドイツと言えば・・・・・ビール、ワイン、ソーセージ、ポテト料理に・・・・ザワークラウト。
乳酸発酵されたキャベツの漬物ですね。
そのキャベツの千切り用のスライサーでしょうか。

キャベツの葉を、一枚一枚剥いで揃えてナイフで切る、というのはなかなか面倒なことでしょう。
こうすればキャベツは丸のまま、あっという間に手軽に綺麗に切れますよ、という事でしょうか。

たまたま人通りが絶えた時に通りかかったからでしょうか。
「啖呵売」ではありませんでした。説明の様子も見たかったですね。
「撮っていい?」ときくと「オフコース」と笑顔を見せてくれたのですが、

ごめんなさい。
どこにもピントが合っていません。
せっかくいただいたチャンスのその瞬間に、手ぶれを止められないようじゃいけませんね。
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- 2016/08/26(金) 00:00:56|
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今回の旅行での課題の一つがストリートフォトという事でしたが、まあとにかく街で出会う人々が作る風景を撮ってみました。

関心というか、心を動かされる要因は一つではありません。
日本でいえば観光地の人力車というところでしょうか。
色や形の並びが面白いですね。 それに黄色の線の中にきちんと納まっているのもドイツ的なんでしょうか。

昨年のフランスでの同時多発テロ、今年もトルコなどで起こっていますね。
妻はかなりその怖さを感じながら、でもこの機を逃したら遠い外国には行けなくなるだろうと意を決して飛行機に乗りましたら、それだけで疲れが増したでしょう。
実際、ホテルは鉄道の駅近くでしたが、夜になるとその辺りにはアラブ系の人たちでごった返していましたし、お酒を飲み大きな声で口論し、たむろする様子には少々の不安を感じたことも確かでした。
ドイツがたくさんの移民を受け入れていることもあって、こうした変化はここ2年ほどの間で劇的に進行しているとのことでした。
私が早朝に散歩に出るのを妻はずいぶん心配そうに見送ってくれました。 が、朝にはそうした人たちの姿はごくまれでした。
ここではテロの犠牲者を悼む花が添えられていました。
「愛は憎しみに打ち克つ」と書かれています。
他の街にもこういう場所があり、街中に見えるヨーロッパの各国旗は「半旗」になっていることは先にも書きました。
ここからほど近いところでは、イスラム教の人たちが、イスラム教に対する誤解が広がらないようにと訴えて、対話を広げようとしていました。
それに対する市民の反応は冷静だったように感じました。

さて、ドイツでは一日の中に四季があるというほど気温の上下も激しいですが、突然晴れたり猛烈な雨が降ったりします。
その変化が我々ツアーにはほとんど完璧にうまいめぐりあわせとなり、ただ唯一、最後の夜の食事に向かう時に、その店が遠くに見えるころから激しい雨となりました。
で、われわれは急いで雨宿りをしたのですが、傘をさして悠然と歩く人もいれば濡れることを意に介さず歩く人もいました。
聞いていた通り、傘をささない人がけっこう多いように思われました。

日本の夕立と同じで「そのうち止むさ。」と構えることができるからかもしれませんね。

このお店に入りたいのですが、今、席を確保するように交渉中です。
中庭にはにオープンな空間に席があるそうで、この店に来たらぜひそこでビールを飲まなくちゃというわけですが、
「先ほどの雨で席もテーブルも濡れているし、またいつ何時雨が降るかもしれない。」からダメだというのですが、我々のネゴシエーターは容易にはあきらめません。


どうする?
上得意客だから何とかしようか?!
なんて話しているんでしょうか。
- 2016/08/25(木) 00:20:08|
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日本で絵画を見るときには、「シーッ!!」「ひそひそ。」
ましてこんな風に輪を作って腰を据えてしまうなんてことはまずできません。
会場が広いのです。

この方たちは、ひそひそと話をしているわけではないのに、いえ、結構熱っぽく質問したり説明をされたりしているのに、うるさくないのです。
ドイツ語でしたら日本人には強い音に聞こえるだろうと思うのに、です。
多分、ですが、この白いシャツを着た人が講師とか学芸員とかそういう人なんだろうと想像します。

絵を大きく俯瞰したり、細部にわたって細かな説明をもされています。
1分や2分の話ではありません。ですからいすまで持ち運んで。これは貸し出されているんでしょうか。
ここでのやり取りを十分に楽しんでいます。

きっと画学生たちもこうして学ぶことができるんでしょうね。
私は天国と地獄、極楽浄土と地獄を分けて「最後の審判」を想定するような考えにはなじめません。神の裁きとか閻魔の裁きとかで人の善悪を裁断しますが、人間が悪をなすその背景をいかに解消するかということに…つまり人間の責任にしてしまわないで・・・神や仏が取り組んでくれたらなあと思うのです。
絶対的な力を持つ神がひ弱で「葦」のごとき存在である人間を・・・・・そしてそのようにお創りになったのはほかならぬ神であるのに、その人間が罪を犯したからと言って裁きにかけるというのは少々理不尽ではないかと。製造者責任はどうなっているのかと。
閑居するとついつい不善をなしてしまう私としてはひがんでしまうのですね。

それにしてもこのフジのカメラの色づくりはどうでしょう!!
弱点はいろいろあるけれど魅力の大きいカメラだなあと思います。
こうしたところでは、言うまでもなくストロボは使いません。カメラ内蔵の小さなガイドナンバーのストロボでは役に立ちそうもありませんが、そういうことをしなくてもこういう風に写る高感度性能。最近はどのカメラでもこれくらいの性能は皆持っていますが、有難いことですね。
WBをほめるべきか、会館の照明をほめるべきか、それは私にはわかりません。

この部屋にはチェーンが張られていますが、こうしたモノのない、画面のほど近くまで近づける部屋もたくさんあります。
- 2016/08/24(水) 00:00:55|
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ここは大いに飲み大いに食べるあの緑陰の市場です。
そこで見かけた状景です。
おそらく大学生の校外学習だと思います。 専攻は何でしょうか。

こちらはある教会の下での状景です。
多分高校生だろうと思います。
小学生の場合もそうですが、学校の教員ばかりでなくて、その道の専門の方がついて話をしているのでじゃないかと思われるケースがよく見られました。

街のあちこちで、こうした学習の場面を見かけるのです。
観光客もたくさんいる、バカンスを楽しみ、お酒を飲む人たちもいる。そんな場所ですが、子供たちはキチンと掌握され集中しています。
(ミュンヘンでではないですが、ある城の中で見学をしていると、たくさんの小中学生と思しき集団と出会いました。
ある中学生と思しき集団は、私たちがある部屋でガイドからの説明を受けていると、そこを通るり抜けるのに遠慮をし、どうしてもという事態になると・・・・私たちが「気にしないで通ればいいよ。」というサインを出したからでもあるのですが・・・・、一人一人が頭を下げて腰を低くかがむようにして小走りに通り抜けていきました。)

子供たちが先生の話に耳を傾けている姿は、かわいくていいなあ。
どんな話を聞いているのだろう。
先の高校生と、この小学生とではどんな風に違う話を聞いているのだろう。
教室で机についての学習とは違う楽しい学びになっているのだろうなあ。
さて、学びは大人たちも負けてはいません。
これはまた、とてもうらやましい状景です。
ミュンヘンには アルテ・ピナコテーク( Alte Pinakothek) 、ノイエ・ピナコテーク (Neue Pinakothek) 、ピナコテーク・デア・モデルネ( Pinakothek der Moderne)というそれぞれが極めて優れた規模の大きな美術館が、しかも隣り合わせて並んでいる場所があります。
予定に余裕のあった私たちは大きな観光バスに客3人+添乗員という、なんとも贅沢な仕立てで、しかもまるっきりオプションで、この美術館に行きました。
一つの美術館を一通り見るだけでも、その充実ぶりから一日では到底無理です。
で、衆議一致・・・といっても三人ですが・・・、アルテ・ピナコテーク( Alte Pinakothek)に入ることにしました。
ここはルネサンス時代から(14世紀から18世紀)の古典的絵画を見せてくれます。
私の好きなデューラーやルーベンスの絵画があります。

バックの持ち込みには極めて厳しい制約がありますが、写真撮影はできます。
「写真を撮るのは許されるが、個人としての利用に限る」とあります。商業的に使うなと言うことでしょう・・が、こうしてブログなどに掲載すれば、それを見た人の使い方まで制約することは事実上不可能です。ですから、ネット社会では「個人としての利用」ということについての難しさを感じます。で、私は絵をこうして不完全な姿で紹介しているわけです。
そして、実は街で人を撮る場合などについてもこのことは重要な意味を持つと私は考えています。
ネット社会の出現は、それ以前の理屈が有用しなくなっているので、改めて、ストリートフォトと言うのはどういう条件でならば許されるのかの検討が必要だと思います。(私はあえて、今回、そうことについてグレーゾーンに足を踏み入れています。)

ちなみにこの時アルテ・ピナコテークは半分が改装中でした。
で、半分の絵しか見られないという事で入館料は通常の半額の4ユーロ。
これで十分でした。

写真撮影が許可されていることに加え、会館内でのこの様子から、私は美術、芸術に対する社会のありようが彼我では大きく異なるなあと思いました。
- 2016/08/23(火) 00:00:25|
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子供や若い人たちの学びの姿をたくさん見たと書きました。
市場からホテルに向かう路上でこんな風景をみました。

ギムナジュームとありますから日本でいう中・高校生でしょうか。
ギムナジュームにオーケストラがあるようです。そのメンバーの一部が路上パフォーマンスをしているようです。

こういうことについて学校がどういうスタンスで見ているのか興味があります。
日本ならば、ことに大都会以外の地域ならば、学校(先生方)はとかくの制約をかけてくると思います。
ましてこの子たちは学校の名前を出しながら「投げ銭」を求める箱を置いています。
災害救援の募金ならともかく・・・そういう事なら喜んでマスコミにも知らせて活動させますが・・・・「お金」を得る活動を中・高校生がするなんて、とんでもないという発想があります。

自立を促し、その過程を見守るのではなくて、すべてを手のうちに支配的に置こうということを「教育」の名のもとに行なっているのが日本です。
生徒が生徒会などを通じて授業について意見を言い、要求を出すと、授業内容や方法は教師が決めるので生徒に左右されるべきでないなどと、とんでもないことだという発想をする教師は少なくありません。

街の人が見守るなんてこともあまり信用していなくて、「何かあったら学校の責任が問われる」なんて、とても責任を負いきれない、また守備範囲とすべきでない分野にまで、責任を負っているかのように思わされ、思い込んで生徒に干渉するのです。そしてともかく「問題を起こさせない」という姿勢で生徒に臨みます。
なんでも校長が頭を下げるのはそのよい現れです。

残念ながらこの子たちの目的や、この子たちの活動がどのような関係の中で行われているのかを私は知ることができません。
ですから勝手にドイツでは・・・・・、などということはできません。
でも、少なくともこうして郊外での活動ができていること、そこに教師の姿がないことは見てとれます。
私はそれがイイなあと思います。
日本の高校生には、そして教師には、またそれぞれの学校にはあまりに自由がないと思っているので、とても関心を持ちました。
それにしてもやはり中・高校生ですね。建物のすこし窪んだ所でつつましく演奏をしていました。
- 2016/08/22(月) 00:00:16|
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いろいろな「呑みスタイル」があるようです。

類は友を呼ぶ?
仲間が増えればビールはますますおいしくなる。

そして、こんな方も。
人それぞれ、おいしい飲み方はあります。

さてそんなジョッキ片手に陽気に飲んでいる人々の中で、
こういう雰囲気の中で絵を描くと言うこともさることながら、私がまずもって感心したのは二人のファッション。
そしてビールケースの「赤」。
なんというセンスの良さでしょう。

そして同時に思ったのは、大人たちがバカンスをを楽しんでいる同じときに子供や若者が学ぶ姿の多いこと。
目につきます。
こうして表で学んでいる姿の好もしいこと。塾通いとは違う学びを想像しました。
その事例はこの後にもお見せできると思います。

まるで映画のためにコーディネーとされたようなファッションとビールケースと背景だと思いませんか。
それぞれの靴の種類と色、憎いなあ。
思わず「どこかにカメラが…。」と見回してしまいました。
この二人に拍手を送りたいです。

そして周囲の人たちの好意的無関心?。
加えて、二人の私のカメラに対する無関心。
私は隠れてもいません。ファインダーを覗いて構えて撮っています。
二人の、ことに彼の視界に入らないわけはありません?
・・・・・・・・・・・・いろいろいろいろ思います。
- 2016/08/21(日) 00:00:12|
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ミュンヘンは京都市よりやや人口数が小さな街です。
昔、テレビCMで「ミュンヘン、札幌、ミルウォーキー ♬ うまいビールの合言葉 ♪ ・・・・」と聞かされ続けて、つい「札幌」は世界に知られたビール産地なんだと思い込まされてしまっていました。
○通とか□報堂的には「うまい」広告なんでしょうが。
こんな女性が現れました。
ちょっと目を引きますね。

お連れの女性が一眼レフカメラをもっています。
モデルさんなんでしょうか。
それにしても背景にたくさんの人がいますが・・・・・、ただのお友達撮影?

さてここからほど近いところに素敵な場所がありました。
市場です。
その市場には・・・・・。

この雰囲気では、是が非でも飲みたくなりますね。
緑陰ビール・・なんていい感じです。しかもこの混み具合がなんとも言えませんし、

ジョッキのぶつかり合う音も飲みたい心を高揚させます。
中ジョッキ一杯5ユーロでしたか…確かな記憶ではありませんが。

私たちも席を見つけて、ビールを楽しみました。
地元の人たちが皿に盛ったソーセージやポテトの量は私たちの胃袋のキャパを大きく超えるものです。
私達が食べているものやビールでは・・・・日本人はいったい何を楽しみに生きているんだろうと思われそうです。

「まあ、まあ、待ってください! そんなに一度にいろいろ注文されても・・・・・。」といった感じかな。
- 2016/08/20(土) 00:00:28|
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ここはRindermarktという所らしい。
この近くにマーケットがあって、そこから少しだけ足を延ばしてきた。
とにかく旅慣れない私たちはペーター寺院からあまり離れない範囲でしか歩けない。
帰り道にはこのぺーター寺院の塔に登ると連れ合いが言っている。

犬が身震いをして水を切っている。
右の女性はスマートフォンで写真を撮っているのかな。

この子の顔には何やらペインティングがされています。
どういう意味なんでしょうか。
お気に入りなんでしょうね。

なかなかの美人さんです。
この間お母さんから「ああしちゃダメ。こうしてはいけない。」という感じの声はほとんど発せられていませんでした。

池の底にコインが見つかりました。
瓶の王冠のようなものも見えますから踏んで怪我をしなければよいのですが。
それでも木の葉が沈んでいたり、紙くずやペットボトルが浮かんでいたりという事はなくて、子供が入ってても周囲はあまり心配しなくてよさそうです。

この周囲は買い物ができる店があって人通りは少なくはないのですが、やはりこの水の周りでは「一休み」のようです。

それにしても・・・・後日の写真でも触れますが・・・・スマートフォンを見るために視線を落としている姿が、日本同様に目立ちました。
世界中で同じ姿勢が広がっているのでしょうか。

資本主義は、世界を自らの姿に似せて作り変えていくといいます。
それをグローバリゼーションなどという言葉で表現する人もいますが、先ほどの女の子の履物を見てもそれを感じますね。
我が家の中2生もまた似たような色柄、デザインの靴を履いています。
さて、ふと振り返りますと・・・・。

どうやらこの方は駐車料金を払い込んでいるようですね。
- 2016/08/19(金) 00:00:25|
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残暑厳しき折・・・・でもありますので、多少をも涼しげな写真を・・・・。
ストリートフォトを撮りたいと思っていても、ツァー参加では思うに任せません。最終日のミュンヘンでようやくいくらかまとまった自由時間がありました。そこでやっと挑戦です。
ドイツの夏は短いそうで「暑さを感じるのは3週間くらいでしょうか?」とのこと。貴重な日差しや太陽の熱を大いに吸収します。
シミ、ソバカスは「バケーションを楽しんだ証拠!」だそうです。
長いバケーションが終わって陽に焼けていないと「この人はバケーションを楽しめなかったんだな」て思われてしまうんだそうです。
それにしても美人が多い、・・・・と私は思いました。
先年フランクフルト空港に立ちよたっとき、そこの靴・かばんショップの女性の美しさに目を見張って、ただその一例だけで「ドイツには美人が多い」といってきましたが、今回さらにそれが確信になりました。(などと大きな声で言う事でもないのですが)

観光ではなかなか人々の普通の生活を見ることができませんので、この小さな広場周辺の状景は魅力的でした。
私たちがここに来た時にはこの女の子が一人、池に入って遊んでいましたが、そこに・・・・。
女の子が犬を少しも怖がっていないので、お父さん?! かなと思ったのですが、どうもそうではないようです。
きれいな毛ヅヤの良い犬です。

この子のお母さんは池の端で見守っています。
上の写真にこの様子をカメラに収めている人が映っていますが、私が子供の様子を撮っていても「何を怪しいことをしているんだ!」という視線を母親からも周囲の人からも感じませんでした。
今回、敢えてストリートで写真を撮りたいと思ったのは、その辺りのことを実地に感じたいという理由もあったからです。

水に触ってみましたが、冷たい!というほどではありませんでした。
でも、この日のような日差しの下ではやはり水に入りたいですよね。

それにしてもバカンスで家族とともに森に行っている子が多いのでしょうか(ドイツではバカンス中に2,3週間は家族や友人たちと森の中で生活するんだそうです。)、ミュンヘンのこの辺りに住む人たちの年齢構成のためでしょうか、 町中で学習している子供の集団にはよく出会いましたが、遊ぶ子供の姿はあまり見ませんでした。

- 2016/08/18(木) 00:00:52|
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単純な私は、こうした場所で音楽を楽しむ人たちの姿を見て、これだけでもうすっかりドイツ人が好きになってしまいました。

対岸では打ち上げ花火が始まりました。
あれは日本製かなあなんて言うものも打ち上げられますが、何か今日は特別な日なのでしょうか。
それとも観光用のものなんでしょうか。

私は花火を撮る経験がほとんどありませんので苦戦しています。

さて、夜も更けましたのでホテルへと戻ります。

翌日の朝にも同じような写真を撮りますが、ドイツの街並みにははドイツ車がよく似合う。
当然か?!



これはポストです。
日本は英国の郵便制度に学びましたから、英国と同様赤ですが、ドイツは黄色です。
- 2016/08/17(水) 00:00:01|
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ドレスデンのこの地の近くに芸術系の大学があります。
詳しいことは知りませんので見当違いかもしれませんが、この若者たちはそこの学生でしょうか。
ラフな服装や履物からもそんな感じがしました。(もう少し年かさなんでしょうか?)
彼らが演奏を始めると幾人もの人が「投げ銭」をしていく姿が見られました。
それは彼らを待っていたかのようでした。

ここは、馬車以外に乗り物が通りませんから、人々が集まるにはうってつけです。
人が集まる広場がある。それは民主主義の一つの姿だと私は思っています。(むろん起源は必ずしもそういう事ではありませんが。)

次第に彼らを取り巻く聴衆の数が増えていきます。
この状景に私は少々興奮気味です。

観光に行って「世界遺産」巡りをするのも一つでしょうが、教会や城ばかりを見物しても詰まりません。
そこにいるドイツの人々の生活を見たい、それも私の大きな関心です。

聴衆は身を揺らし、拍手をして演奏を楽しみます。


そして聴衆の輪は

- 2016/08/16(火) 00:00:04|
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ドレスデンの町は第2次大戦いの終わりころに連合国軍によって文字通り完膚なきまでに破壊されたことで有名です。
ウィキペディアにも写真が出ていますからご覧ください。街の85%が破壊されたといいますが、まさに残されたのは瓦礫と死体のみといった感じです。
観光ガイドさんはそこからの復興に力点をおいて話されていました。そしてそれはそれでとても貴重なお話でしたが、こうしたジェノサイドが許されるのかどうか、私たちは考え直してみたいものだと思いもしました。発想は原爆投下と通じるものです。
そのドレスデンの街は見事に再現復興されたのですが、その街のたたずまいはとても魅力的でした。
この方はある武勇伝を作ってくれた愛すべき我々のバスのドライバーです。
ドイツの労働者は労基法によって厳格に守られています。そしてそれは単に守られているというよりまさに労働権とより基底の人権をお互いに行使しながら社会を健全なものにしていくという意識に支えられています。
彼らは一定の労働=運転を継続すると必ず休憩を取ります。そして休息し、超過する労働=運転をしません。
それは彼らの労働の質を保ち乗客の安全を保障します。日本のように安価な商品の提供ために長時間、休憩も保障されない運転を強制されるようなことを許しません。それは働く者の威信にもかかるのです。
客もまた安かろう悪かろうを求めない理性を必要とします。日本人の苦手なところです。
彼も含めて俺はエキスパートなんだから「俺に任せておけ」という傾向が強かったようにも感じました。
それが高じてでしょうか、ちょっと・・・いえちょっとという程度のものではありませんでしたが・・・・失敗をしてしまいました。

ドレスデンの町は聖母教会の前に広場があります。そこにはマルチン・ルターの像があるのですが、私たちが訪れた日はこの辺りは「歩行者天国」状態で路上にまでたくさんのテーブルやいすが出されて昼間から大いにジョッキが空けられていたのです。
普段ならば、あるいはランピッシェ通りからもホテル前へとアクセスできたのでしょう。しかし、今日はそうはいきません。そのもう一つ向こうの筋のザルツガッセ通りでないと通行が出来ないのです。
添乗員が、もう少し先の通りから行く方がよいというのに「大丈夫分かっているから。ほらホテルはあの先だよ。」とランビッシュ通りに入ってしまったのです。何かおかしいぞと皆が感じ始めた時にはもう遅い。辺りはビールジョッキとご機嫌の人だらけ。細い通りは無論Uターンなんかできませんから突き進むしかありません。道路に張り出して椅子に掛けている人たちは、巨大なバスがどんどん乗り入れてくるのに驚いて「何事やらん。」と驚き呆れて見上げています。
バスには勝てませんからのろのろ動くバスのためにジョッキ片手に椅子をもって道を開けます。
しかし、困惑した表情や驚きの表情は見せても怒声を浴びせるようなことはありません。
バスの中の東洋人たちも何やら困った顔をしているし。
ドライバーは強引にでも広場を突っ切ればホテルに行けると踏んでいたようですが、今日は広場が酔い客で満杯です。どうにもなりませんからゆっくりと旋回して、もと来た道に戻るしかありません。
我々のバスは大観衆から注目されていました。
先ほど道を譲ってくれた男性たちがまたもやジョッキ片手に避難です。
こちらは申し訳なさでいっぱいですが・・・・。
それにしてもこの狭い狭い路地と、時に駐車中の車をかろうじて避けてよくぞバスを通したものです。
それでも何としても約束通りホテルの前に車をつけるのだと言って、やり切ってくれました。そもそもこの旧市街には特別に許可のある車しか入れないのだそうで、われわれのホテルが旧市街の真ん中にあるので、このバスがここを走れたというわけです。
この武勇伝をしでかした彼は、しかし、とても人懐こい好人物でした。ここに来るまでの運転を見て『うまいなあ。』とひそかに感じていましたが、さすがに彼も広場を走るときには冷や汗ものだっただろうと思います。
さて、
ドレスデンにはラべ川(エルベ川)が流れます。
その岸近くに立つ雰囲気の良いレストランで食事です。
JTBと関係が深いのでしょうから、皆さんの中にも利用された方がおありかもしれませんね。

Italienisches Dörfchenというお店です。
ドイツの夏は夜9時くらいまで明るいのです。
お店のテラスから見た対岸の景色です。
この写真は少々暗めです。 対岸を散歩する人、何か遊びに興じる人がまだまだたくさんいます。
ですから遅くまでの演奏会などが各地にあるんですね。
レストランからはツアーのお連れたちは三々五々ホテルに向かいます。
私は、こういう時にこそ街の空気を感じたいと思い、疲れて早くホテルに戻りたい妻を呼び止め呼び止めぼちぼち行きます。

だってこの景色を満喫しカメラに納めねば来た甲斐がないというものじゃないですか。

そして、そうしたからこそ・・・・・・。
聞こえてきました。

これでなくちゃいけません。
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- 2016/08/15(月) 00:00:02|
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ここでは5分間で次から次へとお客が流れていきます。
ここの職人さんたちも適度に交代するのかもしれませんが、なかなかのストレスではないかと思います。
でも丁寧に穏やかに応対してくれています。

ここではフジのX20で撮っていますからシャッター音を消せるのがうれしいですね。
職人さんとの関係ではシャッター音はあってもいいと・・・私は・・・・思っているのですが、他のお客さんにはご迷惑でしょうし。
それでなくとも動き回って、そんなところに踏み込んでそんな姿勢で撮るの?? と思われていることでしょうし。
「法的には違法と言えないが、不適切」という言葉を思い出します。
法は最低限の道徳とも言います。

ちゃんと絵のモデルも机の上にいました。

中国でも素晴らしい陶器を見ました。
あの白い輝きと滑らかな肌に憧れたんだろうなあと、この時に思いました。
昔はその技術を盗みあってそれぞれが成長してきたのですが、これからは相互に学びあって、さらにさらに素晴らしい工芸品を制作してほしものですね。

日本にも素敵な陶芸の伝統があり新しい陶芸職人や作家たちが活躍しています。
- 2016/08/14(日) 00:00:17|
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この最後の部屋では、あまり余裕がありませんでした。
絵付けの作業のための工夫がされていますね。
そこものぞき込みたい衝動があります。

手前に並ぶ作品を見ると、やはり素晴らしいですね。
この建物にはこれまでの数々の名品が陳列されている充実した部屋があるのですが、まったくため息が出ます。
そしてそこでは伝統を忠実に受け継ぐものと新たな現代化の取り組みとの両方が紹介されていました。

これは日本人好みではないなあというようなものもあって、そこにやはり異なった世界を学ばせてもらう一面もあります。
マイセンに来た以上は是非とも素敵な一枚?をと、気合を入れて買い求めておられる方が何人もおられました。
私たち夫婦は価格表を見て、ため息とともに早々に諦めましたが。

これ一つであのカメラが買える・・・・・・そんな気持ちじゃ買えませんね。
- 2016/08/13(土) 00:00:05|
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発展途上国から先進国に行くと見るもの聞くものが新鮮で学びに満ちている気がする。(ただ、その逆になっても、感動や学びはあるもので、だから一つの物差しで国(家)や民族の優劣が決まるわけじゃない。)
「絵付け」です。

これがどういう発色になるのかはあとの写真でご覧ください。
私は観光旅行に来ていますので、建物や街の風景、自然の景観などの記念や・記録の写真を撮ります。連れ合いを画面に入れた写真もあちこちで撮ります。
それでも・・・特にこういう時には・・・・カッコつけて写真を撮りたいものです。

以前、ある方が「写真家が撮ると、それがそのまま作品になるのよね。やっぱ絵が違う。」とおっしゃっていました。
弘法筆を選ばず。
「このカメラで撮ってくれませんか?」と観光地のお客さんに頼まれても「え~っ すごい!全然違う!!」と喜んでもらえる写真の技量が期待されているようです。
そういう写真家にいつかはなりたい。

こういう写真は説明用ですね。
ブログを見ていただく方に、状況をお伝えしたいという意識から撮る写真です。

音声解説が耳に流れ込んできていますが、正直なところそこに集中できません。
写真を撮ることに夢中だからです。
ただ、日本でも製陶に携わる職人さんの写真を撮り、お話をうかがわせていただいてきていますから、ところどころ「ほう、ほう」と分かったふりはしています。
ドイツでは「抱き枕」のようなものは使わないのでしょうかね。
- 2016/08/12(金) 00:00:03|
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マイセンの職人さんにはまた後日登場していただくとして、
ちょっと話題を変えまして・・・・、
ここはベルリンの「東西」を隔てていた、あの壁の跡です。

ソ連のスターリニズムも、それに対抗したアメリカのマッカーシズムなどなども、それぞれが互いに悲劇のスパイラルを作り出し、その先端で、こういう東西冷戦の悲しくも深刻なことが生まれてしまいました。
ドイツにしてみればそれをナチの扇動に駆り立てられて犯した自らの誤りの落とし子として受け止められています。そしてそれが、一面では、ドイツ国民が東ドイツ・東ベルリンの人に負わせた戦争の惨害なのだと。
沖縄の悲劇はそのように日本の犯した戦争によって負担させてしまったものだという思いで見られているでしょうか。千島問題はどうでしょうか。アメリカの責任、ソ連の悪行として、日本政府・国民が自らを問う声は弱いのではないのでしょうか。
こういう場所では、観光気分では落ち着かないのですが、しかし、一面ではここからまた未来を作る明るさも感じました。
そしてこういうところに見事にアートの力が発揮されています。

おっ!! 何か来たぞ。
みんなで足漕ぎペダルを踏みながら街を周遊して大いにビールを飲もうという事らしいです。
いいですねぇ。楽しそうです。
私が、親指を立てながら、カメラを向けて、君たちを撮るよと合図すると、一斉に、イェーッと声をあげて応えます。

他の観光の人たちも大いに盛り上がってカメラを向けますから、彼らも・・・・。

日本では「飲酒運転!!」ということになりますね。
誰か素面の人がハンドルを握っているんでしょうか。 どうやら運転手はいるようですね。
楽しそうです。 でも早く酔いが回りそうです。

日本のアートでは政治的なアピール、政治的な格闘がとても弱くて、諧謔やパロディーの力もひ弱です。
大規模な公募展などで見る絵などはほとんどその大半が人畜無害の目黒のさんまです。
アートの力が違いますね。

- 2016/08/11(木) 00:00:48|
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暑い毎日が続きますが皆様お元気ですか?
ドイツから帰国して降り立った羽田で「日本はこんなに暑いんだ。なんて言う湿気だろう。」と思いましたが、ドイツの夏は快適でした。
気温の上下が激しく日較差がかなりあるように感じましたが、暑くなって日差しがとてもきついなあと感じてもカラッとしていますから木陰に入れば快適ですし、爽快さがあります。(それに何しろ森の国ドイツには町中でも緑がふんだんにあります。 ただし旧市街は少々事情が違うようですが。)
京都のこの暑さとはなんという違いでしょう。

マイセンでは同伴者が旅行前から「どうかしてマイセンの陶器を買って帰りたい。」と言っていましたが、とにかくお高い。
同じツアーの客の中の何人かは何点も買い求めていましたが、我が家の家計ではとてもとても・・・・。
日本語の音声案内に従って私たちに丁寧に制作の具体的な工程を見せてくれますが、漢字としてはお仕着せの案内無いように不承不承従っているというのではなくて、とても積極的に誇りをもって紹介してくれているように思いました。
「この部分が接合されるんですよ。」

紹介のアナウンスに応じての表情なのですが、生き生きとしています。
少しも慣れた惰性を感じませんでした。

ドイツの教育制度では、日本でいうところのち中学生の頃に、将来について深く考えさせるのだそうで、卒業とともに将来は大学などの高等教育を受けることを目指してユニバーサルな知識を獲得しようとするのか、それとも個別的な製造やサービスの労働のスペシャリストを目指すのかを迫られます。
よく知られているように高度なクラフトマンやサービスマンは社会的な尊敬を受けていますから、「職人風情が・・。」などと蔑まれることはありませんし、「職人より作家の方が偉い」みたいなこともあまりないようです。

それがこの人のきりりとした表情によく表れているのかなと思いました。
人生を豊かに楽しむために、労働ということがどういう意味を持つかということについて日本でより、より深く考えられているのかなとも感じられました。

まあそれにしてもここはマイセンで、そこの職人ですから、それをもってすべてを推し量ることは危険なことですが。
この方もそうですが、一見厳格そうで近寄りがたい印象の方でも、実はとても親切で社交的な面をお持ちです。
私は路上やお店の前で幾度も「写真を撮らせてくれませんか?」とお願いしましたが、三分の二は断られました。
その断り方の中には、迷惑な話だと言う風な強い拒否を感じさせるものもありましたが、むしろとてもシャイな感じで「いや、私はちょっと・・・・。」という印象が強かったです。
この方は、私が撮影をしているのを認めると、「これで撮りやすい?」という風な反応で、うまく撮れましたかという表情を浮かべます。
そこに、こういう仕事の性質上お客さんには逆らえないというか、我慢しておこうという卑下した感じや、媚びた感じはありません。
「どお?! いい感じでしょ?!」

- 2016/08/10(水) 00:00:25|
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同地で日本人に会い、その人がかの地で懸命に才能を開かせようと頑張っていることを知る。
その若者のことを少しでも伝えるべく写真に撮ったのに…ファイルごと失った。痛恨の極みです。
写真を撮らせていただいたご本人にも大変申し訳ないことです。
削除した記憶がないのでどこかに紛れているのかもしれませんが、その「記憶がない」というところに私の今日的な問題があるのですが。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ここはドイツの陶芸の華、マイセンです。
ドイツ観光をされた方の多くはここを訪れていることと思います。実際私たち以外の日本人の姿を見ました。
マイセンのトレードマークは交差する剣です。

町自体は小さな規模のようです。
ドイツは封建時代の領邦が、個性を持って今に続いているようで過度な中央集権が進んでいません。
その点、何かとよく似ていると比べられる日本と大きく違うところです。

ここで職人さんたちが製陶の過程を公開実演されていました。撮影は許されていました。(ただこの事については後でまた触れる機会があると思います。)
私がドイツで人を撮る場合に一番容易に撮れるケースです。
ただ日本でこれまで度々こうしたケースで撮ってきているのですから、ここでもつい気合が入ります。

私の住む京都も世界的な観光都市であり、また工芸の街としても知られます。
そこでその工芸の紹介がされてはいるのですが、
やはり彼我の違いを強く感じざるを得ませんでした。

ここでは制作の過程がいくつかの小部屋ごとに紹介されています。
その小部屋に入る人数は限定されていて、各国語での説明音声が流れます。私たちには日本語での説明音声が流れましたが、その説明に応じて職人たちは制作の様子を見せてくれるのです。

旅行の添乗員は私の様なカメラおじさんが混じっているとストレスだろうと思います。
列を乱す、一人だけ離れたり、勝手な方向を見ていて話を聞かない。そしてこうした場所で不躾な写真の撮り方をして当地の人や同じツアー客の顰蹙を買う。何より困るのはその自覚がなくて注意をすると逆切れをする。
写真を撮って何が悪いか! わしは客だぞ!! ただの観光写真とは違って・・・・ワシの撮る写真は・・・!!!
などとね。
- 2016/08/09(火) 00:00:58|
- 工芸
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京都で見かける職人の実演では、その職人や技術が大切にされているとは到底思えないような環境で実演する姿です。
その他の展示や即売品の棚の並ぶ中に、それらの棚の照明と環境の中で実演をしている場合が圧倒的です。
照明一つとっても暗い!! 空調も汎用の空調なのです。つまりその仕事に相応しいものではない!という事です。

ここは快適な環境です。
施設もそれ専用に工夫されていますから、見る方の負担も小さい。

日本人は頻繁にここを訪れるお得意さんなのでしょう。 とても親密です。いえ、どこからのお客に対してもかもしれませんが。
私はいつものように、一方で説明の言葉に耳をダンボにしながらも、可能な限り良いアングルを見つけて幾度も撮ります。
同じツアー客の視界を妨げないこと。職人にいやな感じ緒を与えないこと。時間を逸脱しないことなどなど。(もっともここでは時間を区切って次から次へとコンベアー式にシステマチックに客を流していきますから、私の自由になどなりませんが。

マイセンの白い陶器は中国の白磁に憧れた人たちが懸命に国産化に努力した結果生まれたのだそうですが、それを開発した技術者は他の領国にその技術・知識が漏れないように監禁状態で終生働かされたのだそうな。
秀吉の朝鮮侵略の際に朝鮮の陶工が日本に拉致されて、九州各地に軟禁状態で制作にあたらされたのと同日の談ですね。

私のこのカメラはシャッタータイムラグがあってどうも期待した瞬間を撮ることができません。
色も派手目です。
便利で良いカメラだという面もあるのですが・・・・それぞれ良い面、もう一つの面があるのは仕方のないことですね。
職人さんは気さくに質問にも答えてくれます。
(私たちの場合は)むろん添乗員さんの通訳を介してですが。

退出のタイミングに、最後のパチリ。
- 2016/08/09(火) 00:00:29|
- 工芸
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とても笑顔が印象的で、おそらくはかなり知的な仕事をされている感じです。
外国人との交流にも慣れているという感じでした。
ドイツではお互いが外国人同士です。こういう感じも悪くないです。
黄色人種の私ですが、黒人の肌の色には感動することが度々あります。
むろんこの人のような明るいミルクチョコレートのような褐色の方もいれば、漆黒の方もいますが、ドイツの街を歩いているそうした黒人を見て、何度かシャッターを切りたい衝動に駆られました。

私が写真を撮っていると
「私もあなたの写真を撮る。」とカメラを向け始めるのでした。 ニコンはこんなきれいな赤い色をしてカメラを出しているのですね。
私はファインダーを覗いている自分がどのような姿であるのかを知っていますので、・・・・・・それは決してビジュアル的に感心したものではないのです・・・・・あまり気は乗らない面もあるのですが、こういう交流の楽しさをそれを吹き飛ばしてしまいます。
「OK!」

ドイツの町々ではニコンを手にしている人が目立ちました。
パナソニックやソニーも見えましたが、案外キャノンの姿が少ないなあという印象でした。
まあ、たまたまなんでしょうが。
・・・・因みに日本製の自動車は極めて少なくて、マツダやホンダ、そしてようやくトヨタを見つけ、ニッサンはあったかなあという感じでした。
ただ、私が乗っているスバルは一台も見つけられませんでした。
周囲がほとんど皆ドイツ車だというのは何だか妙な・・・・当たり前ではあるのですが・・・・感じでした。
つまり、いちいちベンツだ! アウディーだ!! BMV!!!だなどと目を見張ることがないのですから。

お互いにカメラを向けあって、笑いあって・・・・・。

写真がほしいというので、私が撮ったものをメールに添付して送ろうかと提案する前に・・・このカメラで撮ってくれということになり・・・・。

ニコンは使ったことがなくて戸惑いました。
EVFのファインダーにも慣れていませんし。
もっとたくさん撮ってあげればよかったと後悔しています。
- 2016/08/08(月) 00:00:49|
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今回のドイツ旅行の収穫のいちばんがこの写真でしょうか。
旅行はツアー旅行ですから、あらかじめ計画ができていて基本的には集団行動です。
自由時間も連れが同伴していますから、「自由」は大幅に制限されています。
私はドイツ語は無論のこと英語もできませんから、自由があっても何ほどのことができるのか・・・ということになりますが。
私がこれまで「人物写真」をとるにあたって、これという人に声をかけて撮影も公開も承諾していただいてきました。
その一方で「キャンディッド」という撮り方があることは皆様ご承知でしょうが、その撮り方に対して批判的に考える一方、日本の人々の余りに過敏な・・・・と私が感じているのですが・・・対応にも得心のいかない気持ちがありました。

それで今回、話しかけて承諾を得て撮る・・・・言葉ができないのですし、そんな機会を与えてもらえないツアーではなかなか難しいのですが。
ストリート・ショットをやってみる・・・・キャンディッドというほど人に迫れませんが。
という課題を持って出かけました。
ツアーは一人になれませんから、早朝にホテルを抜け出すのが一番です。
私は毎朝カメラを持って、早朝散歩をしました。
イタリアの時も同じです。
ローテンブルグという…迷子にはなりにくそうな小さな・・・・町です。
早起きをして街を歩いている人の多くが日本人旅行者なのには驚きましたが、中にこの人の姿を見つけました。
盛んに写真を撮っていますが、メインはニコンのカメラのようです。

「おお、ニコン?! ハロー グッ モーニング」
と話しかけますととても柔和で社交的な笑顔を返してくれました。
私が日本から来た者だ、私も写真撮影を楽しんでいると話しかけると、赤いそのカメラを見せてくれて「大西洋(USAとUKとの間の海に浮かぶ)の小さなちいさな島国から来た。」と自己紹介してくれました。
そして「あなたを撮らせてほしい。」とお願いすると、言下に了承してくれて
「オフコース どんなポーズをとったらいい?」
「その椅子に手をこうして・・・脚は・・・・。」

むろんブログにアップすることも了解してもらっての撮影なんですが、自己紹介カードの外国バージョンを・・結局作り損ねたまま来ていますので、日本で使っているカードをお渡ししたのです。
日本ついても知識はお持ちの様でしたが、何しろこちらの英語力があまりに心もとないので・・・・。
- 2016/08/07(日) 00:00:41|
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最近私の愛機の調子がどうも不安定なので困っています。
というか、多分、写真緒の礎基本を着実に学んでこなかった私の「技術の不安定さ」も原因しているのだと思いますが、外すことが多いのです。

ドイツでもひどい写真をたくさん撮りました。
近く大切な撮影が控えているというのに困ったものです。
露出の決定もホワイトバランスもめちゃくちゃでした。

さて、人を描くという事にはどのような意味があるのでしょうか。
ご存じのようにレンブラントなどにはたくさんの人物画があるわけですが、その時代に生きる人々、ことに新興のブルジョアジーなどの要請もあって描かれています。
そういう時代とはまた違った人物像になると思うのですが、新たな要求、作家の作画欲求はどこにあるのでしょうか・・・・・。

私も人物写真を撮っているものとして、現代社会においてなぜ人を撮るのかを考えてみます。
ただ私が撮りたいというだけでは自分のすることの普遍性を見出すことはできません。
私が無反省にただ自分の要求に沿っているとしても、その要求形成には時代の反映が必ずあります。そのことを自覚的に認識しないでは、何故、どういう写真を撮るかなどという事は問題になりようがありません。

そういう事に頓着しない人々の間には優れた博物館や美術館も又生まれようがないと 今度ドイツに行ってつくづくと思いました。
また旅行会社が企画提案する訪問先も、世界遺産巡り、おいしいもの食べ歩き・・・・からそう大きく外れることはないのだろうなあと思いました。
欧米からの若い旅行者が京都の路地まで、大衆料理屋まで、日本人旅行shが訪れない小さな神社仏閣、酒造蔵や職人の工房まで自ら探訪するする姿勢とはかなりの懸隔があると思いました。
この人の作業、また作品を通じて私たちが啓発されること、また交流すること・・・・もっともっと私自身、そして国民的教養は耕されねばならないなあと思いました。
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- 2016/08/06(土) 00:00:04|
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明日はドイツへという日に、やはり見ておきたいと思って立ち寄りました。
デヴィッド・ボウイを描いた絵です。
今年の1月でしたか、亡くなりましたね。 一部からは「20世紀で最も影響力のあるアーティスト」ともいわれる人物ですが、私自身はほとんど何の興味も関心も抱かなかった人です。
ただ、ある人物を心を凝らして描いている・・・・そんな予感がしたので見に行きました。

人物を対象に描くことが多かったそうですが、彼を描こうと思い立ったのは「デヴィッド・ボウイが亡くなったのがきっかけでした。」

たんに憧れているとか、ファンだからという以上に人の複雑な側面とその生涯を見つめようとしていると感じました。
そしてそれをポートレートとして描いています。
これは写真には容易にはできないことです。不可能ではないにしても困難極まりない取り組みになります。
人の生涯と同じ実時間が必要ですから。そして何よりの間、ずっと写真を撮らせてもらえる関係を築き続けなくてはならないのですから。

私はこの人を撮った写真を自分で見て・・・・撮っているときの気持ちもそうですが・・・・男性を撮るのも、かなり好きなんだなあと思いました。
若いきれいな女性を撮るのも、無論好きなんですが、何か気持ちのチャンネルが違う気がします。
誤解を恐れずに言えば、一方は男性として撮り、他方は人として撮っている・・・とそんな風に言えるのかもしれません。

たまたまこの方のお知り合いの女性が訪ねてこられて、楽しく話が弾みますから写真は撮りやすいです。

こういう表情は、作家さん、旧知のお客さん、そして私というその三角形の中から生まれるのですね。
- 2016/08/05(金) 00:00:29|
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市内にお住まいの方ですから自転車で少し足を延ばせば鴨川に来られます。
こうして橋の下で描けば、雨も強い日差しも避けられます。

今日の空は、午前中には空一面に雲がかかっていましたが、今は印象派が泣いて喜ぶような雲が浮かんでいます。
空に雲があると変化がつけやすいですし、画面に表情が出ますね。
ただ、雲は流れ変化しますから、心ににその印象をしっかり刻まないと描けなくなりますね。

絵は必ずしも見た儘を描くのではないということを私が小学生の頃に教えてもらいたかったなあと、時々思い返します。
写生の課題で、昼頃から描き始めて、一生懸命描くのだけれどなかなか完成せずに・・・というのも刻一刻と風景は変化して、やがて夕刻ともなれば、光は黄色からさらに暗闇となって景色は全く変わってしまいます。
それをずっと忠実に追って描いていくと画用紙の上はどんどん黒くなり、しかも完成しない。
あまり帰りが遅いので親が見かねて探しに来た時には泣きじゃくりながら描き続けていた、そういう記憶があります。
画面奥に見える一群は「写真教室」に参加する若者たちです。
講師の3人も若い方です。 お一人は1DXでしたね。普段はブライダル写真を撮っておられるという事でした。
写真の基礎を教えてほしという要求はかなりあるようなんですね。

楽しみながら撮れるように上手に仕組んでいます。この辺りが若い感性ですね。
その様子を見ながら、つい口出しをしたくなるのを我慢して・・私はこちら・。

明暗差の大きい場合にどう撮ればよいか、あの講師に聞けばよかった。

最近あまりうまく撮れていません。

写真教室で教えてもらおうかな。
- 2016/08/04(木) 00:00:04|
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少数ですが絵を描く方たちとの交流もあり、絵を描いておられる方たちに対する興味・関心も少しばかりあります。
で、ギャラリー巡りの際にもチャンスがあればお話を聞かせていただきます。
そんなことをしているものですから、こうして描いている方には殊の外注目してしまいます。
(今回のこの一枚)

「(描かれている絵を)覗かせてもらっていいですか?」
「どうぞ、どうぞ。 絵に興味をお持ちですか? 描かれていますか?」
幸いなことに好意的に受け入れていただけました。
どうやら私とは同じくらいの年恰好で、定年後に本格的に絵を学んで描いているとのことでした。
言葉としてはそういう説明になるのでしょうが、きっと仕事をされているときにも時々カンバスを持ち出して描いてこられたのに違いないのでしょう。

こうして外で絵を描かれている方に声をかけるときには注意を要します。
邪魔をされたくないなあという方や、制作の「過程」は見せたくないなあという方など、いろいろな方がいます。
以前、私も関心を持っていた建物を描いている方がいて、私もその建物をよく見ようと近づくと、憤然としてカンバスを裏返して、にらみつける方がいました。
まあ、無遠慮に絵をのぞき込む我々もよくない面があるのですが・・・。

向こうに見える橋を主題にして描きたいのだが・・・・、とおっしゃって、・・・・それがなかなかうまくいかないんだねぇ、と。

手前に見える芝地についても、どうも規則性がつかめないんだねぇ、土地の起伏や草の生え方が見えてこないんだ、とも。
なるほど、さすがに私とは見ているものが違うようです。

いつもは、人物を描いているんだけれど、ずっと室内にいると気持ちがね、・・・で、外に出て描いているんだが・・・、

そうだ絵に興味があるのなら、これを・・・、と。
「汎具象展」のDMをいただきました。それに出品されるのだそうです。
残念なことに、その開催期間はちょうど、私たち、京都ファインダー倶楽部の写真展の開催期間に重なります。
でも、見たいですね。
汎具象展はこれまで何度か見せていただいていますから、この方の作品も目にしていたのかもしれません。
いえ、いえ、出品は昨年からですよ。
- 2016/08/03(水) 00:00:52|
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