この人には以前も撮らせてもらったことがあります。
覚えていてくれました。ありがとうございます。

「この前は大きなカメラでしたね。シャッターの音が大きくて何か高級な感じでした。」
カメラのシャッター音も大切な要素ですね。
で、今日は事情があってX20です。 小さいですしレンジファインダー型です。ですからあまり撮られている感じがないかもしれません。
しかも、・・・・。

あるところで小さなコンサートがあり、ひょっとしたら撮影許可をいただけるかも、なんて思って、シャッターをマナー・モードにしてありました。
ですから撮っている本人にはかすかにそれと分かりますが、周囲の人にはわからないと思います。

いつもと違うので、ちょっと頼りないですね。
でも、こういう状況で撮らせてもらうには、周囲に迷惑をかけないし、ご本人の集中も妨げないし、良い機能だとも思います。
ですが私の場合は撮っていることを意識してほしいので、どちらかというとアルファ900の大きめのシャッター音が必要な時の方が多いです。
この人も良いカメラでしっかり撮ってくれているなあという感じを・・・・無論カメラ本体も目にしてはいますが・・・・そのシャッター音からも感じていたわけですね。

電子シャッターの場合は…必要があってフォーカルプレーンシャッターなどと組み合わせる場合もありますが・・・・単独なら音はしないわけで、スマートフォンの様にシャッター音を作ることになりますよね。多分。 そうなればその付け加えた音をやめれば「静音」というか、「無音」になります。(x20の場合はレンズシャッターですから、音をなくすことはできません。わずかに感触があります。「マナーモード」という名にした所以でしょう。・・・・というか、私はこうした技術的なことは実はほぼ皆目わかっていないのですが。)

でもそれだと何だか浮きの沈みもなければ引きの強さもなく、竿のしなりもないような感じで魚を釣ってるような・・・なんというか・・・・手ごたえがないのですね。
まあでもこうした機能があるからこそ撮れるという場合も確実にあるわけで・・・。
・・・・・・・・・・・・
波のような凹凸のある表面に線を見栄えよく引くのはなかなか難しいんじゃないかと思います。凹では細く、突出は太くなってしまいそうな。しかも斜めの線ですから。
この線の間にまた平行線を書いて、それに挟まれた中に伝統的な幾何学的文様を細かく描き入れていきます。

辛抱強さの無い私にはなかなかできない仕事です。
- 2016/07/31(日) 00:00:11|
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何事もなければ、予定では帰国しているはずです。が、何しろ旅の疲れもあるものですから。
写真も整理できていませんし・・・・。多分幾枚かは撮れているとは思うのですが。

撮っている本人としては結構、気合を入れているんですが、情景もポーズも表情も特段の工夫がありません。ですから、この人のありのままの魅力におんぶにだっこです。
モノクロの場合はもう少し明暗差があり、ことに印象的な光があることが良い条件ですね。

これは狙いを説明して撮らせていただいたのですが、いまひとつ成功していません。

下品にはしたくないので微妙な加減が難しいです。


お留守番ありがとうございました。
- 2016/07/30(土) 00:00:46|
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ご自身も姿勢の事は意識されているという事でした。

丈の長いスカートですからなおの事見栄えがするのでしょうね。
靴も紐に特徴のある素敵なものをチョイスされています。

シンプルな背景がお好きだという事ですが、せっかくの植物園ですし。
もっともっと遊んで撮っても良い人だなあと思いました。

何かいい感じですね。
大人の雰囲気があります。
品を備えているからでしょう。

この写真もまたモノクロに返還すことを意識して撮ったものです。
私は大概カラーの時はカラーで、モノクロは初めからモノクロで撮るのですが、この時は服の色をはじめとして背景とのマッチングや色の雰囲気を楽しみたかったので、カラーで撮っています。
ですが、こういう光のところではやはりモノクロを意識します。

果たしてそれが成功なのかどうか・・・・。


いかがでしょうか。
- 2016/07/29(金) 00:00:57|
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この写真を撮らせていただいたころは、晴れて暑くても、まだまだ空気は熱っせられていないという感じでした。
ですから上に一枚羽織っていただいています。木陰は気持ちがよかったです。
それでも背後の噴水の水がずいぶん暑さを和らげてくれて有難いなあとも感じる季節です。

緑陰とはよく言ったものですね。
新緑のもみじがきれいですし、池の水面に映った緑もきれいです。

私はほとんどオートホワイトバランスを使いません。
ですから大半の写真が「色かぶり」をしています。
ましてこういう緑の下では「色かぶり」こそ魅力と考えていますので、こういう風になります。
肌のきれいさも際立ちますね。

きれいな人をきれいに撮るというのも、その人の顔かたちが整っているという以上に人柄的な魅力もないと、なかなか私のような素人カメラマンでは、気持ちを高めて撮ることが難しいように思います。

まだ初対面のようなものですから多様に表情を引き出すことはできませんが、何に目をつけて撮ろうとしているかを説明するととてもよく理解していただいて協力していただけます。

この後の写真でさらに一層よくわかるのですが、とても姿勢の良い方です。
私が日本の若い女性を見て失望する一つが姿勢の悪さですね。そして歩く姿が芳しくないという事。
- 2016/07/28(木) 00:00:53|
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先日「第78回 京都写真サロン」という写真展を見せていただきました。
中に人物写真で、秀作を見ました。これは賞を撮っても納得だなあ。素晴らしなあと感心しました。
白い衣装、祭り用の白い化粧に口紅、そして白い背景。珍しく色に行き届いた計算のある写真でした。そしてそこに服の皺の表現が陰影となって見事でした。女性のいくらか特異な表情がまた魅力的でした。
他にも数点見るべき作品があって勉強になりました。

皆さん心を対象に傾けて撮っておられます。

それにしてもやはり人物を対象とした作品が少ないですね。
あまりにも少ない。
ですから先ほどの受賞作品はたくさんの良い人物写真の作品の中に一段と秀逸というような状況ではなくて、孤独な戦いという風情でした。

私はこうした公募展に「参戦」することには特に何の興味もありません。
が、日本のアマチュア写真の状況は、何だか特殊だなあと感じます。違和感があってなおさら混じろうという気になれません。
だからといって、お互いアマチュアでやっているのですから、何か取り上げて批判めいたことを言うつもりもあまりありません。
今はまあそれぞれ我が道を行けばいいかなとは思っているのです。

写真の楽しみ方、追及の仕方は一つではないですしね。

楽しく楽しく肩の力を抜いて・・・・。

写真というのは、まあ魔法みたいなものですからね。
これを楽しまなくちゃ損ですよ、お客さん!! と、いう位のものです。

それにしても技術がどんどん進んで、「シャッターを切った後でピントが合わせられる!」なんてカメラまで出て来ましたから、
人はただ「これだッ!!今だッ!!」と思ったら四の五の考えずにレリーズボタンを押せばいいという事になりますね。

まつ毛の先にピントを合わせてとか、瞳の潤いをとらえたいなんて言ってファインダーに目を押し当てるようなことはそのうちに無くなるのかな。

そうなると自分で釣竿をしならせて魚を釣るんじゃなくて、帰りに魚屋によって大きなタイを買って帰るような気分じゃなかろうかと思うんですが。
どうなんでしょう。
それでもいったん開発されて「便利」だという事になれば、多くのカメラが当然そういう機能を備えるのでしょうねぇ。
- 2016/07/27(水) 00:00:54|
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とあるところでカメラを持っている私に、まだ声をかけていないのに
「そのカメラで私を撮ろうとしているの? 私はダメですよ。」と言われてしまいました。

機先を制せられて、「・・・・・。撮らせてほしかったのになあ。
京都市の北区、北大路や北山通のその北辺りにはまだいくらかの畑が残っています。
「北区の野菜は柔らかくておいしよ。」とその方が。
なるほど色つやもよく、形もいいのです。何しろ路地で熟した野菜はおいしいものです。
トマトの色なんて「食べて!」と言っているようです。 冷やして丸ごとかぶりつきたいですね。

その方は以前は大原女によく似た姿でリヤカーに採れたての野菜を積んで街中に来ておられたのだそうです。
「今は軽トラで、ほらこんな形(なり)をして・・・。」
軽トラを止めているとリピーターさんが寄ってきますし、おなじみさんへの言伝や預かりものもあります。

「昔な。菅笠をかぶって絣を着ていたら外国人が来てな。こうして写真を撮っていいかいうんや。言葉が分からんやろ。断れへんし、まあ外国で見せるんならいいか思って撮らせてこともありけど、国内はなあ・・・恥ずかしいなあ。」
というわけでついに撮らせていただけませんでした。 また断られ率が上がってしまいました。

また、その場では断らない。
「ええ、いですよ。私も興味がありますし、ぜひお願いします。」
「じゃあ、私のブログを見たうえで、こういうのならいいなあと思われたら、都合のよいい日を私にメールアドレスにお伝えください。」
なんて会話をしても、そのまま音信がないというケースも幾度もあります。
それは女性の嗜みか、はたまた処世の術か、防衛術か・・・・。

私などはすこぶる単純で処世術にも疎く、言葉通りに受け取っては、その都度、不条理に情けないような思いに駆られた時期もありました。
いやならちゃんと断ってくれればいいのにと思うのですが、どうもそれは男の鈍感、男の勝手な思い込み・ジコチュウなんだそうで
「まして君は太平洋側の人間で、そういう言葉の彩を理解する力に欠けるね。まして相手が京女ではね。」なんてからかわれたこともありましたっけ。
ようやく慣れました。
ですからなおのこと撮影にお付き合いいただける人はありがたいわけで、私も力が入ります。
- 2016/07/26(火) 00:00:40|
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この日は生憎なことに晴れてはくれませんでした。
そのために陰もできないし光も回るので良いのですが、夏の日差しで撮りたいと思っていました。
山の上は少しガスが出ています。

望遠鏡をのぞいて「あなた明日が見えますか?」
京都市内を展望してもうっすらと幕がかかっています。あの緑が御苑、その向こうの緑が二条城・・・・よく晴れていれば、ずっと向こうに大阪の高層ビル群も大阪湾も見えるはずなんですが。
「ほら、あの光った帯が淀川だよ。」

その後の猛暑の日でしたらこんなシャツを着ていてもらうわけにはいかなかったでしょうね。
ある日この服を着ているのを見つけて、じゃあ次の機会には「これでいこう!」とお願いしてあったのです。

この人も何かと忙しい人で、予定表はぎっしりと詰まっていて、そのうえ計画的にとった休みは・・・・・しっかりと意識的に遊びもしていますから、なかなか「予約」も撮れないのです。
で、お願いしていたら「(予約)承りました。」の返事をいただけたわけです。

そういう貴重な日でしたが、天は我に味方せずで・・・。
でも、まあその貴重な時間を大切に。

ところで、今年の3月下旬にこの5年間に1000人の方に写真を撮らせていただいた という事はすでに書いていますが、
実は・・・・というほど大層なことではないのですが・・・・男性についてはずっと前に500人に達し、それを越えているのに女性については、これを書いている日には依然として500人に達していないのです。
ある方などは、まるで私が「女性専科」であるかのように他の人に紹介してくれるのですが、実際は男性の方が5%ほど多くて、その差が縮まらないのです。

女性の方にアンテナを向けて探しているのに、結局声をかけやすいのが男性・・・・つまり女性にはなかなか声をかけられない・・・・という事なんでしょうか。
最近断られ率が高いのです。
つい先日も、・・・・・。
- 2016/07/25(月) 00:00:52|
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ブログをいろいろ読ませていただくと、いくつもの国に仕事や旅行に行かれている方がたくさんおられることが分かります。
つい最近もスペインにいってきましたという若者と話しました。
この人もすでに数か国に勉強に行ってきています。
ちょっと時間ができて友達に会いたくなったからと言って東南アジアに留学にいっているその友人に会いに行くくらいですから・・・・一方では・・・・国境はますます低くなっているのですね。
私などはこうした方面でも超奥手ですから、今頃ドイツに旅行をしているというわけです。
ツアーに組み込まれたものですから、はたしてドイツの人たちをカメラに収めることができているのかどうか。
イタリアでは少しばかり挑戦してみましたが、さてどうでしょう。
何とか一歩も二歩も近づいて、一人でも二人でも撮りたいですね。

ドイツ語からっきし、英語悲惨・・・という事態は少しも変わっていないのですから、成功は望み薄ですが、ただ、「撮りたいアピールは態度で示そう精神」はいくらか成長しているので、そこに期待したい。
ただ同伴者が、袖を引っ張るかもしれませんが。

逡巡する気持ちをどこまで乗り越えられるか。
この先大して時間も残されていないのに、また『運命の後頭部は剥げている」と何度も何度も呪文にしているのに、それでも幾度となくチャンスを見送って悔しい思いをしているのですから、頑張ってみたいと思います。
ここにこんな風に書いておけば少しはその気になるでしょうか。
「いや~、その気は有ったのだが自由時間が少なくてねえ。」なんて帰ってきてから言い訳をしているかもしれないのですが。

それでまあ、この人の写真にこういう記事を挟んでいるのです。

この人の手前、あまり無残な結果で帰ってくることはできませんしね。

留守番していただけの事はありましたね、と言ってもらえるようにしなくては・・・。

今度のグループ展に出そうかなと思っている一枚です。
- 2016/07/24(日) 00:00:01|
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世界は平和ではありません。
世界にはごくごく一握りの豊かな人々と大半を占める貧しい人たちとで構成されています。
日本国憲法は「われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。」と述べています。
この人もまた、こうしたことについて深く考え自分の未来を重ねようとしています。
そこで世界のマイノリティーに心を寄せて撮り続けている写真家の個展に連れて行ってあげました。

写真家もおられて少しお話をさせていただきました。そしてこの写真を見ているこの人の撮影を許していただきました。

この写真展を今日のコースに入れたことをとても喜んでくれました。

そして私は、この写真家に「こうした作品こそ京都グラフィエに出展するにふさわしいから、ぜひ来年はノミネートして・・・。」とお願いとも何ともつかないお話をしました。ご本人にもその気がおありの様でした。是非とも実現してほしいと思いました。

私は若い知性が苦闘しながら成長していく姿をこの人を通じて見せてもらっています。
ますます聡明な女性に成長していってほしいと念願しています。

もともとはそれほどカメラを向けられることは得意ではない人でしたし、進んでカメラの前に立つ人でもなかったのですが、私がいつもカメラを持っていて、少しずつお願いしてきたので、今では「まあ仕方ないなあ」と観念してくれているようです。
これからもう、そう度々撮れるわけではないので、今を大切に撮っておきたいと、そういう気持ちもあるのです。
- 2016/07/23(土) 00:00:24|
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今年の夏は暑いんだそうです。
そこで、私はドイツに旅行に行きます。まったくの観光です。
そのために留守中の期間のこのブログを「予約投稿」で継続しようと思います。
そのために協力してもらうのはそういう私の勝手な都合を聞いてくれそうな人たちにお願いします。
申し訳ありませんが留守番をよろしく。
・・・・・・・・・・・・・・・・
写真撮影の演出のために「そこの本をとって読んでみてくれる?!」
と、その数秒後の表情です。
「レンズを向ければ自然な表情は撮れない。」とよく言われます。 そうでしょうか。

ちょうど中国の古典に関する本を見つけました。
で、・・・・・、ちょっと発音もしてもらったのですが、良い調べです。(残念ながら翻訳してもらわないと意味は分かりません。)
つい先日、中国では古典に関する教育はほとんどなされていないと信じている方に出会ったことがあります。
でも、実際私が出会った学生たちの古典の素養はなかなかのものでした。
一方、日本では『漢文』の学習は大幅に縮減しています。日本の言葉自体の中に漢文的な要素が豊富に含みこまれているのに意識的にそれを認識することをしないというのは、現代日本語の奥行きを衰弱させることになるのではと私は危惧しています。

この人に留守番を頼むのは、もう、沖縄に遊びに行ってきた人だから。
そのころすでに沖縄は梅雨明け。楽しめただろうなあ。

こんな風にしてみて。ほんの短時間だから。
「行儀が悪くはないですか? 他の人に迷惑では?」
お客さんが極まばらなことをいいことに、少々お行儀の悪いことをしてもらいました。

1分で済ますからね。
今度見つけた本は英文ですね。ちょっと油断すると集中して読み始めてしまいます。
- 2016/07/22(金) 00:00:07|
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写真を撮らせてもらってもよいかと尋ねると、
「時々ここに来られる方ですか?」と、以前実演のためにここに来ていた仲間から「写真を撮りたいと言う年配の男が現れるかも。」ということが伝わっていた。
わたしは要注意人物になっていたわけだ。
快く承知してくれた。

こうした技術を学ぶ学校に入る前には鑿や鉈などの刃物を使ったことがなかったそうだ。
ここには展示されていない自分の作品をスマートフォンの画面で何点か見せてくれた。
自分のために作ったものや家族を意識して制作したものもある。

今日は編むという段取りでなかったので、「残念だなあ。」というと、私の写真のためにそれまでしていた作業とは違う作業を始めてくれた。

将来は、高級感のある長く使って楽しんでもらえる良いものを作りたいいという抱負を持っているといいます。
卒業制作はどうするの?という私の質問に・・[秘密 笑い]・・・・と答えてくれたが、同級生と被ってはいけないので別のアイディアもあるとのこと。
それにしてもこの学校で学ぶ若者は短期間で素晴らしく良く成長するケースが多いように感じている。

ところで、この写真はフジのX20で撮っている。
フォーカスを外すことがままあるし、使いやすいとばかりは言えないカメラだが、モノクロはとても好きだ。
少し素人受けが良いように設定されているようにも思うが、私はその素人なので気にいっている。
ピタッと嵌るととてもいい感じになる。それでプロ2がほしいというわけ。Xt-2のファインダーがハイブリッドだったら文句なしなんだが、それは無理な話なんだろう・・・・か。


- 2016/07/21(木) 00:00:05|
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土曜、日曜には職人を目指す若い人が公開実演をしている。まだ職人養成のための学校の現役の学生さん。
ウィークデーにはすでに職業的職人として活動している卒業生が実演をしている。昨日の仏師さんは後者。
私はその両方を見るのが好きで時々思い立って出かける。今日は昨日の仏師さんの写真を届ける都合もあった。

竹細工の場合、編む作業よりこうして素材を加工して準備する方が時間を要する。
作業全体の7~8割はこうした下準備に費やす。
これをおろそかにするとよいものは作れない。とはいえ、なかなか辛抱の要る仕事だと思う。

私たちが子供の頃は身近に幾つもの刃物があった。
そして刃物は子供にとっての大切な遊び道具だった。
使い方はきちんと親から教えられたが、年上の子供が教えることも多かった。怪我をしながら使い方を学んだ。
けがをしないで遊ぶという事は親も子も考えてはいなかったように思う。
重大な怪我にならぬようにここから先はダメ、こういう使い方をするものに刃物は使わせないと厳しく言われた。刃物を取り上げられることは「一人前の」子供としての遊びに参加できないことを意味した。

鉛筆は無論、自分で削った。肥後守は宝物だった。
子供が怪我をするのは当たり前だったし、一つや二つ怪我のアトのない子はいない。
危ないところだったというケースもままあったから、もう少し安全に気を使った方がよかったということもできよう。

社会の発達の歴史区分の命名≒指標には「旧石器時代」「新石器時代」というのがある。
旧石器時代は食料の採集時代であり新石器時代は食料栽培時代だ。縄文も弥生も後者に属する。
利器というのはこの段階の生産過程において重要な意味を持っている。だから指標の一つになりえた。
その刃物が私たちの生活からどんどん姿を消している。
遊びからも台所からも。

F・エンゲルスは「労働こそが人間を作ったと言ってもよい」と指摘しているが、
こうした道具を使った加工作業は人間に手指などの巧緻性、目と手の照応、材料の性質の学習などなど人間としての重要な要素を人間に提供してきた。

便利になったのだから、そんな古臭い作業はいらないということはできないと思う。
飛行機や新幹線、自動車やモーターバイクが普及しても人間にとって歩くことを欠かかすことができない。そういう事にあまり頓着しないと若者姿勢がよくなくなる。
スポーツは人間の基本的動作をより重視して訓練する。人間としての身体性の土台だからだろう。
切る、叩く、練る、結ぶなどの作業は人間的感性が育つ土台となる。

早期教育の名のもとに英語や算数の学習を幼児段階でさせるのをよく目にし耳にする。それを全面的に否定する気はないが、小学校入試にも中学受験にも直接には役に立たないこういう基本技能を身に着けることには人間的な感性と身体能力を育てるという重要な意味があると私は思っている。
段取りをつけ見通しを持つという様な能力を育てることも忘れてはいけないし、モノが作られるという事の原初的な体験をするという事もまた大切だと思うからだ。そうでないと生産者を想像し、また製品の質を考えるよい消費者にもなりにくい。生活者として偏頗になるようにも思う。
- 2016/07/20(水) 00:00:35|
- 工芸
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松の老木のような手指の姿。
この次はここに焦点を当ててみたいですね。

こうした像もそれ自体が自然で合理的な形、つまりもし人間ならばそれを象ったように作ればいいかというとそうではないといいます。
仏像は多くの場合人間が向かい合うと我々の位置より一段二段高いところに置かれます。
上から伏し目がちに我々を見るということになりますね。

甚五郎の登り流がそうであるように高い位置にある頭部は我々から遠い場所にあるわけで、体躯全体にバランスが取れるためには上を大きめに下を細く作らねばなりません。
仏像も大きなものではそういうことをきちんと計算に入れねばならないと教えていただきました。
「見せる」ためには、どう見えるのかということがわかっていなければならない。「その通りに作る」のでは不自然になるし、「見せよう」と思うようには「見えない」のだという事です。
私は写真もまたそうだと思っています。

ここでもやはりそういうことが意識されているんだなあと、改めて意を強くしました。

それだけに、何を表現したいのかを明確にして、そのためにはどうすればいいのかを意識しなくてはいけないという事ですね。
絵を描く人たちが当然のようにやっていることです。
見たままに書くというのでは絵にならない、という事です。

何度も何度も同じことに行き当たります。
私の堂々巡り。
- 2016/07/19(火) 00:00:06|
- 伝統工芸
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法隆寺の釈迦三蔵像だそうです。
現物は青銅製。
金属で流し込んで制作するのと木彫とではずいぶん違ってくると教えていただきました。

金属の場合例えば衣紋を表現するのに、わずかな段差でエッジが表現できても木彫の場合はそれでは表情が弱くなる。
そこで少しだけ厚くしてあげなくてはいけない、
光背の格子状の部分も金属ならば強度があって筋交いになる線は細く表現できるが、木彫では少し太さを補ってやらなくてはいけない、
蓮弁のつくりも得意・不得意がある。
など。

右脇侍(向かって左側になる)を彫っておられる。
これまでも幾度かお邪魔して撮らせて頂いていますが
「どこを見ればいい、どこに感じればいい。」と頭の中でつぶやきます。

ご厚意で、そういう時間をいただけているので本当にありがたいことなのです。
そのご厚意に報いて成長しています、と言えればいいのですが、それがなかなか・・・・。

呼吸、力の緩急、姿勢や指の形、鑿の踊り方・・・・。
今日の一枚です。
- 2016/07/18(月) 00:00:15|
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作りたいモノがある。表現したいことがある。
大学時代に気が合ったものが集まって夢を語り、結集して一歩を踏み出す。
言えば簡単ですが、おそらくそれは初めの夢を語るように事が運ぶことはないでしょう。
ましてこれまでの仕事を辞めてまでこの道で行こうと決意するだけの「夢」を持つものならば、どこかで妥協しにくい「夢」の衝突や行き違いが生まれます。

私が、そういうことを指摘すると、
もう何度も「喧嘩してきました。」
安心して喧嘩できおるだけの関係を築いていくことが必要だろう。そういうことをよく分かりあっているようだ。
「京都の伝統産業はね、たくさんの分業によって成り立っているんだ。職人が分業するからこそ、互いの工程を妥協して済ますことができない。『お前の下仕事ではこの後いい仕事にならない』『こういう難しい仕事はあの人にやってもらおう』・・そういう事が起こる。 次の人が良い仕事をするためには、自分の分担が妥協なく良い仕事でなくてはならない。時には前の人の仕事をカバーし、その良さをひき打だすこともある。一人で一から十までして自分の創造性を強調し、自分の仕事だという事をアピールする傾向が強い。職人性より作家性が尊ばれる風潮だ。すると自分の技の最も低いところ、弱点に合わせて他の段階に妥協が出る。そういうことになりがちだ。」
京の職人の言葉を紹介した。
深く頷いていた。

このグループには可能性があると感じた。

ところで家具製作者hどこに行ったのか?
「実は今日ここを引き払った後はキャンプすることになっているんです。こういう出店をするときにはキャンプ場を探してテントを立てて、それが僕たちのやり方なんです。 僕たち学生時代からキャンプが好きな仲間でもあるんです。

それで店番とキャンプ張とを分担しているというわけだ。
キャンプしてそこで焚く火がとても好きなんだという。 むろんおいしい一杯もだろう。
そうか、それで土曜の出店なのか。

こういう人たちに出会った後は気分がいい。
それで余計に「素敵な人たちに声をかけたくなる。」
- 2016/07/17(日) 00:00:34|
- 手作り市
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先日、「熱心に手作り市に行くのですねぇ。今回は良い出会いはありましたか?」と尋ねられました。
そこでふと振り返ってみますと、旧職をリタイアしてからは、この手作り市巡りと、ギャラリー巡り、それを自転車での移動と人物写真撮影で縫い合わせたような生活をしてきたと言えるなあと・・・・・。
そこから中国での仕事や若者との出会い、外国人に対する心理的な消極性のいくらかの改善、いくつかのギャラリーのオーナーさんたちや作家さんたちとの交流などという事が生まれてきて、今日の私の生活が形作られてきています。
今日(撮影当日の事です)も今日とて、手作り市に出かけます。今日は下賀茂神社で開かれる「森の手作り市」です。
そこでこんな方たちとお会いしました。
「Veld」 ブランドとしても現在、家具、バック、食器とを制作している手作り職人の集団です。

今はまだ別に本業を持ちつつだそうですが、今まさにtake off を目指しての毎日。
名古屋や岐阜にお住まいなのだそうです。
この方はバッグのデザイナーさん。
シンプルなんですがただの簡素ではないオシャレ感があります。
折り紙の手法を活用して一枚の頒布からバッグを作っています。
布地選びもカラーの選択も感じがいいです。

そしてこの眼鏡をかけた人が縫製を担当しています。
ステッチの間隔までデザイナーが注文を付けるのだそうですが、・・・・私は結構縫い目にこだわる方なんですが・・・・よくできていると思いました。
縫製に誠実さがうかがえます。

このほかに家具を作る人、陶器を制作するものもいて、それぞれ同じ大学で学んだ者同士なんだそうです。
卒業それぞれの道を歩み始めたのですが、「やっぱり独立して自分たちのコンセプトでモノづくりをしたい。」という思いで集まった仲間。
ブランド名の「Weld」は溶接するという意味だそうで、人と人、人とモノを結び付けたいという思いでの命名だそうです。
Hpが英語版であるところを見ると視線の先は「世界」のようです。

先ほど愛でここにいた家具製作者は・・・・これまた魅力的な人なんですが・・・・「へ~ そうなの?!」という所要で、今はいません。
彼の写真も撮りたかったのですが。
やっぱり「運命の後頭部は剥げている」んです。・・・・・この事の後悔が、実は、昨日までの韓ココ女性の撮影に結び付いたんです。
この人は常にお店に向かって、お客さんと同じ向きに立っています。
そのためになかなか写真を撮るチャンスが得られません。
2枚目の写真をご覧ください。

店の中にいてお客さんと向き合う形で迎えるのがこの人の役目。
前の彼は「これが私の役割なんです。」という事でチームワークで接客をしているんですね。
このことは鞄、陶器、家具の展示の仕方≒レイアウトを含めて、商品開発から接客まで十分にチームとして自分たちの味≒コンセプトが練られ、理念から事物にまで落としこまれているという事です。

卒業から幾年かどれぞれが各職場や家業を体験してきていることが大いに役立っているのではないかと推察します。
- 2016/07/16(土) 00:00:54|
- 手作り市
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わたしが、「あれっ?!この人は撮影を頼んじゃまずい人だったのかな。」と感じたのは次の瞬間でした。
「どうしましょうか?(何かしましょうか?)」 と言ってくれましたので、
「水を蹴ってくれ。」とお願いしたのです。

水を蹴るんですか?

わかりました。

こんな感じですか?

そうです。そうです。
いいですねぇ。

膝が伸びて、ご自身も楽しそうな空気を出して・・・・。
5分前には見も知らない外国人同士とは思えないでしょ?!
日本人同士でもこうはいかないのじゃないかと。

連射していませんので「今だ!! ここっ!!」と思ってシャッターは切っていても
大いに不安です。
「ワンス モア プリーズ」

バッグを肩に掛けたままでしたから、少しやりにくかったかもしれませんが、きれいに、そして可愛らしく蹴ってくれました。

「감사합니다 」
というべきところでしたが、流れで「サンキュー」になってしまいました。


- 2016/07/15(金) 00:00:15|
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少し前に、やはり観光で京都に来ていた韓国女性に写真を撮らせてもらったことを思い出します。
その人もきれいで知的で魅力的な人でした。

近々ドイツに行ってきますが、その後はどうしても韓国か台湾に行かねばなりません。
何故ですって?! それは魅力的な女性がたくさんいそうだからです。

どうして、魅力的な女性がたくさんいるだろうって予測できるのかですって?!
それは私が出会って写真を撮らせてもらった韓国の人、台湾の人が皆そうだったからです。
・・・・あまりにサンプル数が少なくって到底科学的・合理的な予想とは言えませんね。
ですが、世の中の人って大概その程度の根拠でモノを考えていませんか。どうもそんな感じがしますね。

それにしても幾日も続いていた雨と曇りの日の後の、晴れて暑い日でしたから、週末とあって、たくさんの人が水辺に来ていました。
この時、鴨川の水量はそれほど多くはありません。
そして比較的綺麗でした。

この人のスカートを持ち上げた感じがとてもいいですね。
脚に着いた水滴が肌の上ではじかれて球(まる)くなっています。




わたしが、「あれっ?!この人は撮影を頼んじゃまずい人だったのかな。」と感じたのは次の瞬間でした。
「どうしましょうか?(何かしましょうか?)」 と言ってくれましたので、
「水を蹴ってくれ。」とお願いしたのです。
- 2016/07/14(木) 00:00:24|
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私は元来は静岡県西部地方の出身なんです。
大学で学ぶために京都に来ましたが、実はその前年『浪人』するために京都に来ました。
その時に初めて京都の暑さを体験しましたが、…たぶん町中と言えど今ほどは暑くなかったろうと思いますが・・・たまらない暑さを感じました。
暑さの質が❓静岡と違うのです。どこにもさわやかさがない?!
デパートやパチンコ店に逃げ込む。お金のあるものは喫茶店へ。私は参考書をもってデパートの階段の踊り場に逃げました。
京都の逃げようのない暑さ。この盆地を押し包む何ともいやらしい暑さ。これには閉口しました。
そんな京都にこの季節に観光に来るなんて・・・・ちょっと同情してしまいます。
で、余計に「よく来てくれました。」・・・・・。
というような気持から・・・・・・・・声をかけたのではありませ・・・・・が。
梅雨の晴れ間の急激に気温が上がったこの日、鴨川では至る所で子供たちは勿論、大人たちも川の流れにはいって遊んでいます。
その様子を羨ましく眺めているとひときわ目を引く方がいました。
それがこの人です。

光が真上から来ていますし、強い順光ですから顔の影ができてしまいました。
この人は先ほどまで水に足を浸してこうして遊んでいたのですが、岸の石段を上がって、私の目の前に来たのです。
それで、「写真を撮らせてもらえませんか?」とお願いすると、答えが英語でした。韓国の方でした。
初めから英語で話すの覚悟ができていると分からないなりに身振り手振りもまじえて「ええい行ってしまえ」的な会話になるのですが、
私がしどろもどろしていると「あなたは写真家か? いいですよ。」という事になって「ではどうすればよいでしょう?」と言っていただけたので、「じゃあ、もう一度川の中に戻ってもらえないか・・・。」と多分そういう感じで・・・・、結果こういう写真が撮れたんですから伝わったんですね。

この人のプロポーションとスカートが実に見事にバランスしていて、しかもスカートの青い色柄がさわやかでまた上着が黒と来ては・・・・。
白い肌がより一層、映えます。

品を感じられる人です。

その時にはよく考えていなかったのですが、・・・・・川底の石が足に痛いので・・・・サンダル風の靴を履いたまま水に入っいたのですね。
そのことまで考えずに「水に足を浸してくれ」とお願いしてしまいました。
素晴らしく魅力的な笑顔ですね。

まさか、韓国では有名な人、なんてことはないだろうなあ。
けれど、この後のことを見るともしそうだったとしても驚かないなあとさえ思いました。

私もまた履物を履いたまま川に入ればいいのに、靴下まで濡れると跡が厄介だなあなんて
それでクトと靴下を脱いで・・・・・イタタタタ・・・・というわけで

近くで遊んでいた小さな女の子が川底の大きな石を拾い上げて「ほらっ・・。」
「まあ。」
いいなあ、この人。
- 2016/07/13(水) 00:00:28|
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とても節度があって礼儀正しい青年です。
見た目にびっくりしちゃいけません。

服装の全体に興味があったので、「立ってみてくれる?!」
お腹のでっぱりについて話しているのではなくて・・・・三つ揃えのスーツのチョッキを着ているのが分かって・・・・。
「これですか?これだけがちゃんとしたもので・・・・。」

他ははジャージなどを履いています。
腰の周囲に巻いて履いているのは、「これは母親のスカートの裏地なんです。」
そもそも思いつかないようなことを、しかも思うついてもやらないだろうことを「やれる力」というのは案外大きな意味を持つと思います。

これで何か形になっているように見えるでしょ?!
見える方不思議だ。
やったもんが勝ち! そして、こうしてみたけど「なにか(問題でもありましたでしょうか)?!」と。
私は近頃の世情にある、こういう風潮は概ね大嫌いなんですが、若者にはこういう力が必要だt後思っています。というか、それはどの世代にも一面大切な要素だと思うのです。
世間様に対して右顧左眄する俗物主義もまた好ましいとは思っていません。
これが自分の哲学でコントロールできるか、世界に対するある種のリスペクトがそこにあるかという事が大切でしょう。
そういう事を思いながらも、私はついつい「やれやれ、もっとやれ」派になります。

学生たちの絵や写真があまりにもおとなしくちまちましていることが多いから、そう思うのかもしれませんし、中高年のそれもまた同じように感じるからでもあります。


- 2016/07/12(火) 00:00:40|
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私は親に大変な負担をかけて大学に進ませてもらいました。当時はあまりその自覚もないのでしたが、客観的には無理をさせました。
大学の寮に入れたのがせめてもでしたし、寮の建物は移りましたが、寮を4年間出ることはありませんでした。というより出られませんでした。
今思えば、寮費は安かったのです。
寮の仲間の中にはバイトで稼いで学費を払うだけでなく郷里に仕送りするものがいたほどそれぞれの生活は苦しく、インスタントラーメンを鍋で作って数人で食べることも稀ではありませんでした。底に残った数センチの麺の切れ端を取り合ったことも、切ないですが楽しい思い出です。(1回生になって間もなくの嵐山でのコンパの際に、一人が「俺は確かに学生証を持ってはいるが、講義にはほとんど出られない。これで果たした俺は学生なのか?!」と声をあげて泣いていました。周りの者もまたうつむいたまま声を発することもできませんでした。)
現在の学生もまた学費の重い負担に泣いています。
震災や風水害が報じられるたびに生活基盤が揺らいだことで学生生活をあきらめたり、休学している若者がいるんじゃないかと想像してしまいます。
政府の支援は本当に出し渋りでケチですからね。大企業や株式の配当や売買差額の収入のある人などにはふんだんに開発の援助や税制の優遇をするのに、庶民には徹底的に冷たいです。
学生の姿を見るとついそんなことを思います。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
外から見た時には、・・・・珍しいなあ。学生じゃなくて社会人がいる。それもそこそこの年齢だぞ、と思いました。
そう見えた写真は撮っていませんが。
ここの受付は多くの場合学生がしているのです。

かなりインパクトのある風貌です。

そのことに触れると、破れ帽子をとって髪がどうなっているかを見せてくれました。
相当気合の入った髪型でした。

キャンパスの中では「そんなに過激で目立つという方じゃないですよ。」
芸術系大学で、制作の方ではなくて企画などをする方の専攻だそうです。
それで受付経験です。

実は今日はたまたまのピンチヒッターだそうで、そのおかげで会えましたね。
私の写真を見てくれています。

「ここのギャラリーで写真展をしてくださいよ。」
「大学の関係者や大学が呼んだ人でないとダメなんだろ?!」
「僕たちが呼びますから。」
「そう?! じゃあ企画してもらおうかなあ。」・・・・という事はありなんだそうです。

良い先生に出会って励まされているそうです。
学校というところが、何かと否定的に話題になりますが・・・・・そして私自身も、いくつもいくつも学校や、教師についてだめだしをしているところですが・・・・しかし、一面やはり大きな役割を果たしていることも事実で、生徒・学生にとって、時には保護者、校区にとっても先生との出会いもまた大きな意味を持っていると思います。
- 2016/07/11(月) 00:00:59|
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つい最近、ついに長く履いていた靴を廃棄処分した。その靴は晴れの日も雨の日も、自動車で出かけるときも自転車の時も。
散歩のときもレストランや音楽会に行くときも、いつでも履いていた靴。
腕時計だって「着替える」時代になんて不精でおしゃれに気を使わない、あるいはエチケットを無視したことよ、という声が聞こえそうですが。
そして「靴がかわいそう!」

撮りたてて個性的なデザインでもなかったけれど、とても気にいっていたのです。とにかく履きやすい。
丈夫でしたしね。それで靴底を二度張り替えました。張り替えれば当然履き心地も変わってしまいますし、元の様にとはいきません。それでも・・・。

「 そうして大切に履いていただいたのですね。」
前の靴を買い求めたお店にまた行きました。
話はややこしいのですが、廃棄したのは先代の靴。ここしばらく履いているのは別のもの。その現役の靴も又すっかりすり減ってかかとが傾いてしまいました。
傷みが目立つので「仕方がないので新しい靴を」と相談に行ったのです。
その時に相談に乗ってくれたのがこの人。

「写真はどうも苦手で。いつも目を閉じてしまうんですよ。それにあまりいいようには写らないことが多いし・・・。」と後ずさりするのを、お願いしました。
顧客の立場を利用したパワハラになるのでしょうか。そうだとするとまずいなあ。

私は元来、革の底の靴が好きなのです。履いて歩いた時の靴音ととそれが体に響く感じがなんとも心地いいからです。
合成樹脂のものは耐久性があり、修繕もしやすく、靴音も静かですが、つまらないのです。
で、実は今回廃棄することになった靴の痛みが激しくなってきたときに奮発して革底の靴を別の店で購入したのです。
ところが「しばらくすれば慣れますよ。」と言っていただいていたのに「痛くて」履けないのです。それが靴箱の中でほこりをかぶっている状態なんです。
「持ってきていただければ状態を見ますよ。できることはやってみましょう。」

写真を撮るときに目をつぶる、「写真写りが悪い。」と固く信じている人が案外いるのですね。
そういう言葉を耳にすると俄然挑戦心がわくのです。
殊にこういう誠実に仕事をする人は撮りたいので「大丈夫ですよ。」と頼み込んでしまいます。

ワンカットぐらいなら我慢してみようと思われたようですが、写真の話をしているうちに「まだ撮るのかなあ。」

お店の中が暗くて・・・・この日は外も曇り空で反射光も入ってこないので、なおさら・・・・露出がひどく合わないのでダメ!というものも含めて目をつぶっているものはありませんでした。
靴が悪いと疲れますし、変な刺激を足裏に受け続けていると情緒的にもよくありません。姿勢も悪くなり、歩き方も美しくなくなります。ですから良い靴を選びたいのです。
そしてそれを履きつぶすまで履きたい。
今回もこのお店で購入してしまいました。
そして傷みが激しい現役の靴は底を張り替えてさらに履きます。
それで先代の、中国にもイタリアにもついていってくれたこの靴がようやく退役となりました。
- 2016/07/10(日) 00:00:58|
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トランペットはなかなか年季の入ったものでした。
高校の時から使っているんだそうです。

昨日この人の郷里のことなどを書いてしまいましたが、
私がこうして偶然に出会って写真を撮らせていただいてきた人たちには・・・・・当然のことですが・・・・皆さんそれぞれにこの時までの生きてきた経過をお持ちです。
私はそういう事までもお話しいただくわけではありませんから、あくまでその時に見せていただいた姿をそのままに受け取らせていただいているわけです。
それで「懐かしい曲を上手に吹いている、羨ましいなあ。」とだけで近づいているわけです。

しかし、その人がこの場所でこの楽器でこの曲を・・・・という事にはそれなりの「理由」がある訳ですよね。
それはまた私自身がいい年をして日がな一日カメラを担いで写真を撮っていることにもそれなりの、大して重要でもないわけというものがあるのです。
そして、その人を見つけて、お話をして「じゃあ、撮ってもらってもいいですよ。」となるのには、これまたそれなりの訳があるのだと思います。
それで「一期一会」が成り立つというのでしょう。

それで、こうして一枚の写真がこの世に実在することになるわけです。
これって不可思議のような貴重なことだと思います。

私の写真は決して決して大芸術ではありませんが、上のように考えてみると、あながち無駄をしているわけではないなあとも思えるのです。

「あながち無駄ではない」としてもどれくらい価値があるのかと言われると、はてさて・・・・。

もう少し取り続けていれば、その辺のことも多少は見えてくるかもしれません。
かも、ですが。
- 2016/07/09(土) 00:00:55|
- 音楽
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🎼 見上げてごらん夜の星を ♬ 歌 坂本九 作詞 永六輔 作曲 いずみたく
川向こうからトランペットが歌っているのが聞こえる。
近づいてみると・・・。
こちらの橋脚の下に座ってしばらく聞かせていただきました。
そして、カメラを手にして高く上げて「写真撮っていいかなあ。」とサインを出すと。
頷いてくれました。

「練習の邪魔をしてゴメン。撮っていい?」と改めて声をかけます。
「じゃあ少し場所を変えましょうか。」
立ち上がって撮りやすい位置に動いてくれました。

ここは橋の下ですから急の雨でも大丈夫ですし
「良く響いてくれるので、広いところで吹いて音が消えていってしまうより、力み過ぎなくていいんです。」

私たちの世代には懐かしい名曲ですが、まだ三十歳を超えたばかりのこの人にとっては
「メロディーがきれいですし一つ一つの音を丁寧に演奏できますから好きです。」とのこと。
確かに「いずみたく」とか「中村八大」の曲はそういう感じでいいですよね。中村八大の『遠くに行きたい』なんて心に沁みる特別の思い出がありますね。

『見上げてごらん夜の星を』 をトランペットで聞くと一段といいなあ。
ニニロッソの『夜空のトランペット』も思い出します。
トランペットは切ない音を出します。

この人の故郷は熊本。(私はここに掲載する写真の被写体になってくれた方について、原則としてできるだけプライベートなことを書かないようにしているのですが。)
ご実家はこの前の地震でかなりの被害を受けているようです。ご心配でしょう。
家業は「染み抜き」
彼は家業を継ぐために京都に染み抜きの修行に来ています。まだあと3年あるそうです。

そうした事情を聞くとますますこの曲が切なく沁みてきます。
私が撮った写真は郷里にも送りたい・・とそう言っていました。
もっと明るく撮れれば良かったのですが、何しろいつ雨が降るかもしれない曇り空、そのうえ橋の下・・・という事で。
- 2016/07/08(金) 00:00:33|
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花の無い季節などに仏壇に彩を添える。
それにしてもここまで見事に描かれていると火をつけるのが忍びないなあと思いますね。

でもまあ、世の中にはそういうものもありますよね。
花火もまた火をつけなくては始まらないし、ぱっと開いた見事さとっておけないし、氷の芸術も解けちゃうし・・・・。
舞台背景は解体されちゃうし。

永続的であるというものにはどんなものがあるんでしょうか。
美は儚さの中にある・…とは言ってみてもなあ・・・・。

その点、写真はいくらか保存性がありますね。
けれど、PCの中やハードディスクの中にあっても人の目に触れないのでは、ないのと同じですしねぇ。
演じられないシナリオ、演奏されないスコア。

今、作業机の前に小学低学年の女の子がじっと職人さんの描く絵を見つめています。先ほどからお母さんが促しても動こうとしません。
「絵を描くのが好きなのかな?」 職人さんが手を休めずに聞きます。
「うん。」
「どんな絵を描くのが好き?」
「いろいろ。」
きっと深い印象を残すのでしょうね。

大人の仕事をじっと見つめる経験、そういうことが現代では少ないですしね。
危ないよ。邪魔だなあ。さっさとしないさい。
そういう言葉で取り上げられていってる「子供の」時間かも知れません。
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- 2016/07/07(木) 00:00:33|
- 伝統工芸
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和蝋燭の原料は? ハゼの実からとった「木蝋」が多い。
和蝋燭の芯は棒に和紙を巻き付けたもの。こうすると芯の中心に空洞ができて、そこを通って炎に空気が供給されるので火は高く上に延びるのだといいます。
和蝋燭に絵付けをされています。

絵は錦鯉です。
蝋の上に描くのですから絵の具が乗りにくいのです。 で、アクリル絵の具を使っているとおっしゃっていました。
金・銀が中心です。
鮮やかです。

下絵はご自身が描いたものが向かって右側に置いてあります。
下絵には色はついていません。 蝋燭の側面図が書いてあり、その中心に鯉の絵が描かれていますが、胸鰭などは両サイドにはみ出ています。蝋燭は円柱ですから、それに巻き付くように描かれるためです。
細部や色の付け方は「考え考え決めていく。」のだそうです。

お腹から尾にかけての伸びやかな曲線が素晴らしいです。
それを言うと「そこが工夫のしどころでね。そう見えますか。」

この蝋燭はなかなか高価なものになりそうです。
「今日一日やるから一本仕上げてくれという事なんだけど、そうなるとなかなか難しくてね。」
一日に何本も作るような、例えば一本百円の蝋燭なら、この程度でいいかという事にもなるのでしょうが、十分な時間が与えられて、だからこそ高価になるのが分かっているのですから、仇やおろそかな仕上げにするわけにはいかない、とそういう事です。

そうなるとまさに職人のプライドがかかってくるわけで・・・・。
う~ん、どうするかなあ。
それも同じ図案で何本も描くのなら次第に完成度も上がるでしょうが。

これを買われた人は、火をつけてしまうんでしょうか?
さあねぇ。飾りに使う人もいるでしょうし・・・・・。
でも火をつけてもらった方がいいよ。
実用のものだからですか?
いや、できた時はそれなりに満足しても、やはりどうだったかなあというところ見えてきて、消えて無くなってくれればいいなあと・・。
実に謙虚な方なんです。
- 2016/07/06(水) 00:00:00|
- 工芸
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四条室町の角に「ちいさいおうち」というギャラリーがあります。
よくそこをお尋ねして絵などを見せていただいています。
今回は全国から70人もの作家さんたちが作品を寄せての「ミニ絵画」展がありました。
若い方からベテランまで多士済済です。

この方は前回のこの企画の際にも出品されていた方で、私のことを記憶してくださっていたことが機縁で写真を撮らせていただきました。
「曼荼羅」をイメージした点描やペン画の細密な作品を制作されます。

実はこの日は2度目の会場訪問でした。
前の週にはまだお客さんも多くはなく、オーナーも1000点近い作品の展示に「大変でしたよ。」と疲れの余韻をひきずっておられる頃でした。
大変に充実した作品もあれば、まだまだお若い、これからだというものもあります。
ただ、こうした展示販売の企画では、「よく描書けているから売れる。」とは、必ずしもいかないことがあります。
むろん良い作品が比較的には売れるのですが、私は、私自身がよく描けているなあと感じたものがはたして売れているのだろうか、あるいはよく売れているものの中に意想外のものがあるのだろうかという興味を持っていきました。

そして意想外だとしたら、それはどんなもので、どういう点がお客さんの高い評価を受けたのかに関心があるのです。
やはり、なるほど当然だろうなあと思われる作品もあれば、別の意味で意味で予想通り売れているなあというものもありましたし、ふうん、どうしてかなあというものも、またありました。
集まる客層にもよりますし、別の作家の絵との比較の問題もあります。

たくさんの作家さんたちの作品の中から選んでもらうのは大変です。すでに名も知られ力のある方は余裕ですが。
シビアな世界を作るものだと思います。
が、一方では別の作家さんの絵を求めてきた方が、ぐるりと一回りして、今まで知らなかった作品に目を止めることもあるのでチャンスでもあるわけですが。

まあどちらに転んでも収益があがって喜ぶのはギャラリーのオーナーさんでしょうか。
しかし、それはそれで企画から作家集め、連絡、作品の搬入、展示、搬出まで心身ともにご苦労は多いのですが。

この方の目や眉は、仏像のお顔のようです。
- 2016/07/05(火) 00:00:04|
- 絵画
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私は夏が好きで、7月下旬から8月の上旬が一年で最も好きな季節です。
今年はちょうどそのころ日本にいません。半分楽しめないのが残念。
帰ってくればドイツからの音楽家たちの撮影とグループ展への準備、ひょとしたら・・・・今回はないかもしれませんが・・・・「ききみずガーデン」企画への紛れ込みの準備。
バタバタしそうです。
しかし、美味しいビールを飲むためには、やはり何か心を躍らせていないと・・・ですね。
そういう意味では、こうしたバンドの人たちもおいしいビールを飲むんじゃないでしょうか。

この人たちも7月18日に東梅田レストランバーのローレンスというところで「海の日のワンマンライブ」をするそうです。
バンドリーダーの西川さんのトランペットをはじめピアノ、ギター、ベース、カホン。

楽しいステージでしょうね。

多分関西一円を回って活躍しているんだと思います。

美術や工芸、音楽や芝居、ダンスなどジャンルが違えば露出の仕方も違いますが、しかし、それをプロとしてやっていこうと志すためには一方ならぬ苦労があると思います。
本職と並行して楽しく・・・というスタンスならば別ですが。

それを苦にしないで打ち込める若さはまぶしいですが危ういことも確か。
つい「親心」が出てしまいます。

カラーで撮るとぐっと楽しい雰囲気です。
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- 2016/07/04(月) 00:00:16|
- 音楽
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植物園を会場にして手作り市が開かれています。その一環としてこうしたライブがあるのです。
この手作り市の主催者は、企画中に音楽を組み入れる趣向のようで、他でもそうしています。
良いアイディアだと思います。会場がとても楽しくなります。
それにライブの音楽に触れる機会って誰でもいつでもというわけにはいかないですからね。有難いです。

ついでに写真展もしないかと提案してみましょうか。
乗ってくれるかなあ。

家族や友人・知人の撮った写真を見ることはあっても、ちょっと気合を入れて撮っている人の写真を見る機会って案外少ないのじゃないかなあと思います。
それで、写真に対する一般の評価が低いんじゃないかとも思うので。

そうでもないか。
雑誌でも何かのパンフでも新聞でも写真だらけですもんね。
たくさんの写真が巷に溢れていて、多くの人が写真を撮っているというのに「写真」に対する評価が低いのはなぜなんでしょうか。
こういう文化状況の中からは良い作品もたくさんは生まれて来そうにないなあと・・・・。

写真家協会なんていうものもあって、私の(いただいた)名刺入れにも何枚か「写真家協会会員」の肩書をの入った名刺がありますが、今度こういったことについて意見を交換してみたいなあ。

演奏する楽器によって動きも表情も随分違いますね。
本当はもっと寄って撮りたいのですが、演奏中ですから、お客さんに迷惑になるといけません。
せめて135ミリがあればなあ。
いや、やはり逆に28ミリで寄るのが正解でしょう。 となったらマイクスタンドのすぐそばで撮らねばなりませんね。

- 2016/07/03(日) 00:00:56|
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この日、α900にキャノンのFD85ミリをつけていたのですが、どうもこの組み合わせをうまく使いこなすことができません。
f値が1.2というレンズですから何とかまた使えるようにしたいのですが。

混乱の一つの原因がアルファ900の基準ISOが200からという事にあるような気がします。拡張で100から行けるのですが、その拡張の信頼性が私には・・・・単に印象としてですが・・・なくて。
実に初歩的なところで迷走するわけです。
絵にかいたような「初心者」です。

明るいレンズですからファインダーも見えているはずなんですが、ピントも決めきれないんですね。
ニューF1にこのレンズをつけると実に快適なんですが。
先日、フジのXプロ2が気になって実機を見せていただきました。
その時にパナソニックのカメラも「見てみませんか?!」といっていただきました。
「私はEVFはどうも、ダメなんですよ。」なんて言っていましたが、EVFの画面も相当良くなっていると感じました。使い勝手もとても良かったです。
でも依然として私はOVF派です。

従来の発光ダイオードを使った撮像素子ではなくて有機発光ダイオードの撮像素子を付けたカメラが遠くない将来に出て来そうだとのことです。
受光キャパが格段と大きくなって単位面積当たりの受光素子数も飛躍的に増やすことができるでしょう。そうなれば、ダイナミックレンジもぐんと広がりそうです。(私の希望としては、高感度方向に食指を伸ばすばかりでなくて低感度にも丁寧に対応してほしいですが)
そうなるとまたカメラの世界が大きく変わりそうですね。

これでも一応三人を見てシャッターチャンスを決めているわけですが、そういうことのためにはやはりファインダーが大きな条件になってくると思います。
その点ではXプロ2は不十分かな。未だ見ないXT-2を待つことになるのかな。
でもレンジファインダーのカメラも楽しいんだけどなあ。

一方で、早晩カメラの重さが気になり始めることだろうと思います。
そうなるとフルサイズでなくてもという事になるかもしれませんし、いえいえボケの事を考えたらやはりフルサイズで小型≒今のところアルファ7シリーズかな。
でもその重さについても単純じゃないんですよね。
必要な重量感というものもありますし、秤で測った重量と、手にして感じる重量感は同じではありませんからね。
カメラの内部の重量配分や稠密感が大事です。
勿論、手に握った時の人間工学的形状と重量バランスのこともありますね。

ライカなどは結構重いです。私自身はあの重さ感は好きじゃありませんが、しかし、あれがある種の充実感・高級感となっているかもしれません。
カメラの良しあしは実に多元な連立方程式になっているようです。
そして、そうはいっても結局自分の目的と嗜好にとっての「良い」こそが解だという事でしょう。
- 2016/07/02(土) 00:00:31|
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