木の枝の表面をプライヤーのようなものでむしり取っています。
何だか乱暴な手入れだなあと思いながら事情を伺いに近づきました。
「この木は『君が代蘭』というのだけれど葉は厚く尖っていて素手で触ろうものなら手を切るんだよ。」とのことでした。
「たぶん樹齢は50年くらいかなあ。 長い間手入れがされていなくて樹下は全く日が射さないし邪も通らないくらいに繁りに繁ってしまっていたんだよ。」

「それで幹も枝も痛むし、古い葉が整理されていないから枯れたまま枝にびっしりと着いたままで・・・・。」
あまりに葉が込み合ってしまって到底今のように中に入れないばかりか手を入れようにもその隙間さえなかったそうです。

この辺りにはかつては何本か植えられていたようですが「今ではこの一本だけが残っていて・・・・。で。。あまりひどいから仕事の合間を縫って手入れを始めたんだけど・・・。」
2、3日もあれば何とかと思ってたのにあまりに重傷で「一週間たっても終わらない。」のだそうです。

鋭い葉が生い茂った中には随分いろいろなものが投げ入れられていたようです。
「盗られた鞄じゃないかと思うものもあって警察に通報したところだよ。ゴミもひどかったし・・・・。
確かにここでは禁じられているゴルフボールもまだ3個、不思議なことに小さな電球、百円ライターが数本・・・・・。
きれいにしたはずでもまだ残っていました。取り出した時にはどんなに無残な状態だたんでしょうねぇ。

今ではすっかり刈り込まれて光はさすし、風も通って木も清々していることだろうと思います。
この方が「放っておけないなあ。」思ってくれなかったら、この夏も苦しい鬱陶しい不快な毎日だったでしょう。
あまりに生い茂り葉も枝も重なっていましたから、木の枝によって覆われた直径4メートルほどの円の中には、ご覧のように、ほとんど草が生えていませんでした。
木の枝も折れたり曲がったりこれまでの長い間の苦痛を訴えているようでした。

庭職人としては、まさに放っておけない、やむに已まれない気持ちだったのでしょう。
この木は根によって増えるようです。既にいくつもの芽が地上に顔を出していました。
挿し木もできるそうです。
スズランの花を数倍大きくしたような白い釣り鐘型の花が房のように幾つも咲くのだそうです。

この辺りを通る楽しみが一つ増えました。

思わず「君 良かったねえ。」と声をかけてしまいました。
- 2016/06/30(木) 00:00:24|
- 働く人々
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なかなかいい体格をしていますね。
体育会系芸術専攻…でしょうか。

そういえば思い出すことがあります。
私が高校生の時に同級生の一人が美術部にいました。その彼は中学陸上では相当名の知れた短距離ランナーで、脚力抜群でした。高校では美術部に入りましたが、体育大会(これを体育祭にしようと頑張ったものでしたが。)では陸上部をおさえて堂々一位でした。短距離では毎年高いレベルのランナーがいて全国大会総合優勝を何度もしている伝統校だったんですが。
食パンをかじりながら毎日のようにデッサンを練習している奴が「速い!」のは爽快でした。
それにしても胸まで使っていますねぇ。
近くに行って話を聞いてみたかったのですが、残念ながら・・・タオルも持っているのに・・・・「若さ」が足りませんでした。
えっ?!と思うことを、「やってしまう力」も時には必要ですよね。

私も時々人の写真を撮るときに・・・・道行く人がいても・・・・地面や床に仰向けに寝転んだりすることがありますが、まだまだ修行が足りない・・・かな。

やればこそ見えてくるもの、感じ取れるものがありますからね。
そこは「描きたい」「撮りたい」気持ちのありようでしょうか。高いモチベーションがあれば自身としては少しも「奇行」ではないのですから。

良い人からはみ出して「奇行子」になりたかった私としては、大いに拍手を送るところです。
- 2016/06/29(水) 00:00:41|
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若いという事はいいものです。
以前、もう80歳になるという著名な画家が、ご自身の作品を冷たい川に入ってその流れに展示している姿を見ました。
「若い」という事は単に肉体の問題ではないという事はよく言われますが、
それでも肉体的にも精神的にも「若い」姿は、一面、とても魅力的です。

この日の天気は、まずまずです。
けれど猛暑というほど暑くもありません。
短時間ならともかく、長く水に浸かっているのは、普段から末井をデモしているというのでなければ少々苦痛でしょう。

流れ落ちる水をただ遠くから眺めるのではなくて、グッとリアルに捉えたい・・・というような思いがあるのでしょうか。
それとも水の冷たさや流れるエネルギーを体でとらえて描きたい!! とでも・・・・。

「お~い !! 写真撮ってもいいかなあ?」
「どうぞ~」
向こう岸では何人もの人がすでにシャッターを切っていますが、制作の邪魔をしてはいけないと思ってかどうか、誰も声をかけて撮るものはいません。
まあ実のところ次から次へと声をかけられたんでは落ち着いて書いてもいられないでしょうけれど・・・・。
それにしても気合が入ていますねぇ。
描かれている絵も見せたもらいたいところです。

今日付けているレンズはたまたま85ミリ。
もし50ミリなら撮るのをあきらめたか、ズボンの裾をまくって自分も川の中に入ったか。そこのところの違いは大きいですね。
85ミリだから、かえってこの程度の写真で終わってしまった。
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- 2016/06/28(火) 00:00:19|
- 絵画
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鳩のように人間からえさを与えられることに慣れてしまっている鳥の場合はどうなのかわかりませんが、人類が生存権をどんどん広げて、人間にとって・…ひとまずは・・・・都合の良い人口環境を作っていくと、その他の生物たちは、人類によって浸食された環境に適応して生存をせざるを得ません。そうでなければより狭い空間に追いやられて行って、種の連鎖の可能性を狭められていきます。
人が生活する空間に人とはずいぶんと異なった形をした生物たちが出入りしています。犬や猫、鳥や昆虫たち、無論虫眼鏡や顕微鏡で見られるレベルの生物たちも。
いや動物に限られないですね。

こうして変容させられてきた生命環境に対して、はたして人類はどれだけ自覚的なんでしょうか。
夏の猛暑や猛烈な降雨、あるいは巨大台風の発生などの際に人は『異常気象」をうんぬんしますが、放射性物質の垂れ流しや、鉱山開発、森林伐採などなど、そうした自然破壊、せいぜい言葉を弱めても自然の変容については今や教科書に記載されている「常識」になっていますが、それを食い止めることについての常識は確立されていません。
そして結局の所、事態は「吾〔人類〕亡き後に洪水は来たれ。」
アベノミクスとやらのエンジンをさらに一段と吹かすんだといっていますが、その生命環境に対する無頓着さはあきれ果てるばかりです。
そういうことを言っている彼なり彼の連れたちは21世紀の政治家に、まったくふさわしくありません。
などという事を考えながら・・・・・。

話は変わりますが、オートフォーカスという機能は実にありがたいですね。
私もおおいにその恩恵にあずかっているのですが、今日のレンズとカメラの組み合わせではオートは働きません。
その結果、ピントを掴むために一段と苦労をします。

明るい情景で、被写体も明るく、そのうえレンズも明るく、動かなければ大して苦労はいらないのですが・・・。

ファインダーが明るく、OVFで、面全体でピントがつかめると一番いいのですが。
そして、できれば視野率100%、倍率74%以上!!
もうそういうファインダーをつけたカメラを作ってくれるメーカーはなさそうです。

オートフォーカスが便利になって顔を認識してくれたり瞳まで判別してピントを合わせてくれます。
それは画像認識の理論や技術の進歩というものの恩恵ではあるんですが、人を撮るときには「目に焦点を・・・」という、ひとまずの撮り方を前提にしているだけで、表現としての写真を撮ることはまだその先にあるのですから、メーカーもそのことを意識してほしいものです。

まあその先は撮るものの側の、道具としてのカメラの活用技術の問題だと言われればその通りなんですけどね。
- 2016/06/27(月) 00:00:09|
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「すみません! 写真を撮らせてもらっていいですか?」と、これしかできない英語で話しかけますと。
「ええ、いいですよ。」ときれいな日本語での返事。

この人の周囲に、鳩や鴨がムラがっていたので何ごとだろうと注目したのですが、どうやら鳥たちに餌をあげているようです。
最近はどこでも観光する多くの外国の人を見かけますので、この人も観光かなと思ったのです。
が、あまりに日本語が上手なので「留学生ですか?」と尋ねると「いえ、定住者です。」とのことでした。

延ばした腕が長いのと白くきれいな肌でしたから、通り過ぎる刹那に「おっ!!」と思ったことも事実です。

パンは「賞味期限が切れてしまったので・・・・。」とのことでしたが、鳥たちにとってはたっぷりとありそうでした。
でもこの辺りは上空に鳶が飛んできて、餌に急降下して「かっさらっていく」ことがよくあります。
その時に羽根や爪などで怪我をすることがありますから気を付けないといいけません。

鳩が首を前後に揺らして近づくと、それを怖がる人もいますが、この人は鳥に慣れているようでした。

鳩のフン害や、野良猫への餌やりの是非問題などいろいろ議論があります。
でもこうした広い場所では、困る人もないでしょう。

でもまあこういう問題では、本当に思わぬところで眉をひそめている人がおられますので、なかなか難しい面もあるかもしれません。
- 2016/06/26(日) 00:00:44|
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『像由心生』 (これは『相由心生』とも書くそうです。 出典は仏教の《无常经 》。人の表情にはその人の心が現れる。あるいは人の表情(言動、姿態は)はその人の内面による(起因する)、とでもいうのでしょうか。解釈には深浅いろいろあるようです。・・・・留学生が調べてくれました。)
それがこの人の作品展のコンセプトでした。

「人に迫る」
そういう作品を絵画でも写真でもあまり多く見ることがないの現状のように、私は感じていますから、この人の作品展には注目しました。
私自身は『人を撮る』と言っても、とても緩いユルイものしか撮っていませんので、偉そうなことはいえませんが、最近では、中条という人の作品とか、彫像で良いものを見ましたが、そのほかわずかな機会でしか「人が撮れて(描けて)いるなあ・」というものを見ていません。
もっともっと見ないといけませんね。

ただ毎週のように見せていただく街中のギャラリーでも写真展についていえば、そもそも人を対象に撮っている人がとてもとても少ないと感じます。
どうしてなんでしょうねぇ。

ヨーロッパには肖像画の伝統があって、写真でも人物をとらえた多くの秀作を見ることができます。

その人自身の心模様、あるいはその人の良き稟質に迫る写真が撮れればうれしいのですが。

それは結局は私自身の自己像にもなるというところに怖さがありますが。
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- 2016/06/25(土) 00:00:08|
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「伝統的な絵画とは違うものを学びたかった。」
この方は、屈 伸 というお名前で、中国西安出身の画家です。陝西省の省都ですね。

この会場には人物を写真で撮り、そのデータを基盤にしてパソコンで描きなおした作品が展示されています。
漢族の人物が約6割、それは昨年度の作品。残りの約4割がチベット族の人々で、これらが今年度のものだそうです。
屈伸さんの横に見えるのが今度の写真展のポスターですが、チベット族の若者を描いたものを素材に制作されています。
中国には56の民族が共生しています。しかし、そこにはいろいろな問題があり軋轢もあります。
そうした中で少数民族にまなざしを向けて作品を制作するという姿勢が注目されます。
彼自身は、漢族だそうです。

京都の芸術系大学に留学に来ていて、修了し次第中国に戻ると言っていました。
中国や韓国からの留学生のかなり多くは、自身の民族的、あるいは国民的な課題を強く意識して学んでいるように思います。
(むろん個人的利害、立身出世、成功を何よりも重んじて学び、未来を選択している者も少なくはありません。)
この人もそうです。

そしてそれは偏狭な愛国心や独善的国家主義的発想ではありません。
なるほど、自分の成功と社会の発展・成長を結び付けて考えられる途上国的特質もあります。

日本を先行して成長している国、社会として敬意や憧れをもって見、自国の課題を深くとらえてもいます。
その一方、先進国の病についても、また冷静な目を持っています。
私は写真を撮っている経験から、気づくことを率直に指摘しましたが、彼も自分の意図や工夫について熱心に話してくれて、お互いによく理解しあえたように思います。
彼の狙いもとても意識的で明確でしたから、私も学ぶことが多かったです。

青年たちの姿から未来の東アジアを想像することは愉快な夢の一つです。
- 2016/06/24(金) 00:00:39|
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考えてみれば贅沢な趣味という事ができますねぇ。
私以外の誰かの貴重な時間≒人生の一部をお借りしているのですから。
むろんそれは一方的なものではなくて、共に作った時間と写真とをそれぞれに得ることができるんですが。
それでも撮る側から言ったらなんと…文字通り…有難いことでしょうか。

しかも、これまた文字通りに「素敵な人」に協力をいただいているという事が、実際冷静に考えてみれば、三度、文字通りに「有難い」ことなんですね。

私は目下、8月の31日から翌月の4日まで開かれる京都ファインダー倶楽部の写真展への出品作品を意識して撮っているわけです。
会場が京都文化博物館なだけに気合も入ろうというものです。
一人当たり2メートルの壁面が与えられますから、その中を個性的に演出してよいのです。
昨年は中高年の男性を撮ったものを9点展示しました。

そして、この男性を撮った写真の魅力は、なかなか抗しがたいものがあって、既にこれはという2点がありますから、それをもとにやはり男性で渋くいくか、
それとも3月に「ききみずガーデン」企画の一部としてやった写真展で見ていただいたような若い魅力的な女性たちで飾るか。こちらもすでに2,3点見てもらいたいなあというものがあります。
トランプのゲーム、ポーカーのように、このツゥーペアを軸に作戦を立てていこうというわけです。

うれしいことに、この人を撮らせていただいたものの中にも、私としては取り上げたいものがあるのです。
ただ、もしチャンスがあれば、いま少し印象強い情感のあるものを撮りたいのです。
ただあまり重くならないものをです。

こうして撮らせていただいて、写真の選考を繰り返してしているうちにこの人の美点が次第の浮かび上がってきて、それを掬とらないで最終決定にするのが残念に思えるのです。

あるお誘いうけて、今年度の個展を、来年度のその企画に組みなおそうと考えていたのです。
が、いろいろお話を伺い検討しているうちに私の思いと幾分のずれがあることがわかってきて、頓挫してしまいました。
で、今年度の個展が怪しくなってきましたから、その意味でも、私としては先の写真展に力を入れなくてはいけないのです。
- 2016/06/23(木) 00:00:02|
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この日は天候にも恵まれていました。
直射日光では少々光が強すぎます。
レフ板で日陰を作ろうにも、木陰に入って反射光を当てようにも助手も三脚もなければ、それはなかなか難しいことになります。
この人もまたぱっちりと目の開いた人ですから、間接光であっても眩しそうです。

少し目線の方向を変えても、まだ目を細めています。
たまたま、お客さんも少なくて、「初めてだから」という以上の緊張を強いることにならなくてよかったです。

ご覧のように光の周りがいいので、強く濃い影はできにくいのです。
と、いう事はこの人にとってはどちらを向いても同じように眩しい光があるという事なんですが・・・・。

私自身はいつもしょぼしょぼとした細い眼をしていますから、目のパッチリした人の苦労が分からないのです。

じゃあ、少し目線を下げましょうか。

こちらを背景にすると絵としていい感じでしょ?
ええ、私もこういう感じが大好きです。

キャンドルデザインをしているだけあって美感覚というか、情景に対する判断がしっかりとあります。

こういうタイプの人には「そうかなるほどこういう背景で、こういう雰囲気で撮りたいのか。」ということを伝える力と、何より構想力とか選択眼が撮る側に必要ですね。
そういう意味であたふたしながらも鍛えられますし、自分自身の「好き」を研いでいく必要があるように思います。
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- 2016/06/22(水) 00:00:53|
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「行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。」
行く人の流れは絶えずして、しかも元の人にあらず・・・・行く人あれば、来る人もまたある。
人との出会いもまた「久しくとゞまることなし。」

今春、それまでの5年間で1000余人の方を取らせていただいたという一つの節目を迎えました。それ以後ペースは大幅にダウンしているのですが、そこには様々な状況の変化、なかんずく主体的な変化がるように感じられます。
そのことがどう形になって表れるのか自分のことながら興味津々です。

先日手作り市でお会いしたこの人に、改めて撮影の機会を作っていただきました。
ご自宅からは遠いのに、わざわざ前回の手作り市の会場まで足を運んでいただきました。
この場所をお互いそれぞれが気にいっていたからです。
この人を単純な背景で撮ったらいい写真になるだろうなあ。

色はたくさんいりません。
でも単純にモノクロにしてしまうのも惜しいような。

薄手の上着をはおってきてくれますかとお願いしたら今日の場所にぴったりのものを選んでくれました。

この建物は上手に影も作られながら、しかも建物の壁が幾重にもレフ板になって光を回しています。
むろん写真撮影のためではなくて、この建物の目的は「陶板名画の鑑賞」ですから、ミケランジェロや鳥羽僧正の名画を良い条件で見られるように工夫してあるのです。
この写真の背後にあるのは「張澤端・作 『清明上河図』」というものですが、留学生に聞くと中国の教科書にも載っているものだそうです。

目鼻立ちははっきりとした方ですが、正確・人柄はこうした柔らかな光がぴったりするようです。
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- 2016/06/21(火) 00:00:50|
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私のところに来て楽しく遊んでくれている・・・・そんな感じでもあります。
そういう感覚もとても楽しくうれしいものです。
そして時々まじめに大きな話にもなります。・・・時々です。

片方の人はこの夏にUSAに一年間勉強に行きます。
片方の人は来春には某大手企業に就職です。
少しずつ少しずつ同級生の歩み方が違ってきます。
私は今夏・・・・今秋かなあ・・・・大学のミニ同窓会があって旧友たちに会います。中に卒業以来初めて再会するものがいます。
そういうことだってありますし、会おう会おうと言いながら会えていない者もいます。

この人たちと食事をするときに、私のお気に入りの中華料理店に行きました。
日本に来て、中華風料理は食べることがあっても、なかなか故郷の味には触れられないからです。
それは私たちが海外にいて「日本料理」 「和食」「寿司」と名乗っていても「なんだか、ちょっと・・。」と感じることと同じでしょう。
それぞれの国の人々がもつ味覚に合わせてアレンジするというのも、一面では当然の流れです。

中華料理を名乗るお店が「本場中国の味」であるとは・・・・当然・・・限らないわけで。

そこで、多分、「この人たちのために普段とは違う本場中国の味でお願い」することができそうなお店に行きました。

オーナーも厨师も喜んで応じてくれました。
私がこうして若い人を連れて行くと、ことのほか喜んで、「ええ?! こんなに盛りだくさん!!」なんてこともありました。
そしてこの人たちが素晴らしいのに、つれて行った私の方を「素晴らしいですねぇ。」と褒めてくれるのです。

酢豚を頼むと黒酢を使って調理してくれました。
そして厨房の 厨师がずっとこちらの様子を見ています。
「非常好吃!!」と私が、そしてこの人たちは「とてもおいしいです!」
オーナーも厨房の厨师も顔をほころばせます。
いや実際とてもおいしいのです。

君たちの前で僕だけ悪いなあと言いながらジョッキを2杯も空けてしまいました。
料理はうまいし…気分も上々ですから、ますます非常非常好吃!
中国では18歳からお酒が飲めますが、この二人は諸般の事情で飲みません。
そして、しばらく会っていなかったことでうっかりと油断してしまいました。
「今日は私たちが払います。」 しまった!! です。
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- 2016/06/20(月) 00:00:22|
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この自撮り棒もアジアの範囲を越えて広がっているようですね。
欧米の人たちも時に手にしているのを見ます。
「でも最近は人にぶつけたり、展示物にぶつけたりする危険性があるからと手に持って入ることが禁じられている場所もあるんですよ。」と話してくれた。

便利なものを考えたものだ。
昔なら三脚を立ててタイマーを使って撮るところだ。
それよりはるかに機動性が高い。
一時、台湾からの観光客がもっているのをよく見かけ、逆に自撮り棒を持っていれば『台湾の人だろう。』と思う位だった。
それで台湾で初めて作られたような印象さえあったが、実はミノルタカメラが初めて製作・販売したそうだ。
しかし販売は不調であったそうで、その後の様々な条件が熟して今日の「隆盛」になっている。

「機が熟する」という言葉がありますが、そういう事だろうとも思います。
私がこの人たちに会ったのも、そしてそのことから大きなものを得られたのも、ある意味で、私の中の期が熟していたのかなとも思います。
プラスの要因もマイナスの条件も、それぞれが機縁となってあることを生み出す気がします。

そのことにどういう意味を見出し、そこから何を膨らめていくかはその人自身の問題かなとも思います。
先日ご紹介した「木工人(もくびと)」さん。
私がもう少し若い時ならば、今回見せていただいた作品に対して同じような印象・感想を抱けたかどうか、それは分かりません。
もしかしたらお話もすれ違ってしまっていたかもしれないと思います。
ですから、どこかでお会いして話が弾み、私自身の心が反応したら「あなたを写真に撮らせていただけませんか?」と言ってみようと思うのです。
そうすればまたどこかで、こんな素敵な笑顔にも出会えるかもしれません。

仲がいいですねぇ。まるで姉妹のようです。
この二人、中・高の同級生なんですが。


二人でちょっと変顔をしようとする直前ですが、この後の表情がまた魅力的でした。
でもそれは、やはり「変顔」ですから公開できませんね。

お二人には送っておきましたが。
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- 2016/06/19(日) 00:00:34|
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もしも「マスクをしてサングラスをかけて、帽子をかぶってつなぎの作業服を着て・・・。」二人が現れたら、それは
「撮影は不可!!」という事になったはずです。
私が前日に待ち合わせ場所や時刻を連絡するときに「もし撮影不可だたtらマスクをしてきてください。」と書いた返事が「では、・・・・。」という事だったのです。
しかも二人おそろいで・・・・。

というのもこの人たちに会って、いつもついカメラを持ちだして思いつくままに撮ってしまうので、「閉口しています。」と言う機会を作ろうと思ったのです。
勿論、意に反する私の申し出ですが。

幸い二人は持ち前の明るい笑顔で私を見つけて歩み寄ってくれました。
なにしろ「本当は写真家で写真を撮っていたのですが、思わぬことになって、こうして君たちの前に立っています。」と言う様な挨拶を、初めての出会いの時にしたものですから、この人たちはとても純真なのでそれを半ば信じてしまったのです。
で、私はいつでもどこでもカメラを持っている人間だという事を、この人たちは初めから受け入れているというわけです。
ちょっとしたおとぎ話のようですが・・・・。

純真な若者をたぶらかしてはいけませんねぇ。 本当に!!
この人には随分世話になりました。この人の助けがなければ仕事は随分と難渋したことでしょう。
まあ私の世話係といったところでした。
母語を含めて4か国語を理解します。

北米への留学の前に顔を見せてくれました。
昨日まで写真を掲載していた人と同様に、この二人もいつも私を刺激してくれます。

これらの写真は、まあいわばプライベートなものともいえますが、私の個人史にとっても、日本の社会史にとっても、多少の意味があるかなあと思って、掲載しています。

私のような人間でも、こうした機縁を得て21世紀的な状況の一端に触れることができるという事です。
しかもこの人たちのお蔭でとても肯定的な縁を得ることができたのです。

私のモノの見方考え方に小さくない影響を与えてくれましたし、これからも与えてくれることと思いますから、とても大切な若い友人たちだと言えます。
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- 2016/06/18(土) 00:00:07|
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大学4年生のこの時期にはすでに就職が内定しているそうで、この人の友人たちも内定しています。
早いですね。
これからは卒論です。

この人のも、そしてその友人たちのも、卒論を読んでみたいですね。
きっと送ってくれると思います。
この人たちが青年としてどんな問題意識を育てているのか興味深いところです。


サングラスは、この前横浜でとても似合っていたので、私が「持ってきて」とお願いしたのです。


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- 2016/06/17(金) 00:00:43|
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「理屈と膏薬はどこへでもつく」とはよく言ったものです。
わが宰相殿の理屈はまさにこれですなあ。
でもあまりにも見え透いたことを言ってばかりいると呆れてばかりはいられなくなりますね。
理屈の整はないところは、副相が大好きなヒトラ―と同様に「大きな嘘」で埋めることになりますからね。
クワバラ クワバラ

耳にあるツボを刺激して体の悪いところを直しましょうという店が出ていました。
最近のハードな毎日の中で、気になるところがるのでしょう。
「ちょっと立ち寄っていいですか?」

かわいい飾りになったものをツボに貼るようです。それでたくさんの中から選んでいます。
テントのお店には耳にあるツボの絵図がかかっています。
どこが気になるんでしょう。

ずいぶん熱心ですねぇ。
どれどれ?! ・・・・と、肌の健康と、・・・・、どうやら過半は美容関係のようです。

特に予定があるわけではありませんのでゆっくりのんびりの日程です。
この人はじっとしているのですから私にはシャッターチャンスですしね。
見比べると「この組み合わせ」が腑に落ちない人が多いらしくて、私が周囲を回って眺めつ眇めつこの人を撮るのをいぶかしそうに見ている人がおられました。
「怪しいものじゃないですよ!」 と、大概怪しい人が言いますね。
…殊に政治の世界では・・・。
元甘利経済再生担当大臣なぞは「怪しくないという事を後日責任をもって説明せていただきます。」といったきり、頬かむりしたまま「病欠解除」、政界に復帰する構えです。(「舛添さんありがとう」が彼の本音でしょうね。)


ちょっと緊張気味ですね。
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- 2016/06/16(木) 00:00:25|
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この人の日常は、私の基準では考えられないほどハードで密度の濃いものです。
実によくやっていると思います。
そういうハードな毎日、繁忙な日々の中に、こうして訪ねてきてくれる時間を作ってくれる心づかいがうれしいです。

私は元来面倒くさがりの怠惰な人間ですので、よほど自分の嗜好や興味に適うことででもなければ寝て過ごしたいのです。
まして「もし働かなければ解雇だぞ。」と脅される現役の時代ではないので、自分自身放っておけば随分自堕落になってしまうのではないかと思います。
そういう自分に活性化のエネルギーを注入してくれるのがこの人をはじめとする若い友人たちです。

こんな華奢な体のどこにそんなエネルギーがあるんだろうと思います。

若者たちは数年の間に就職したり、起業したり、あるいは研究生活にはいったり・・・、はたまた大切な伴侶を得たりと、人生の岐路をいくつも越えて、それぞれの人生を描いていきます。
その人生の一時期、時間を共にした経験を過去のものとしながら。
それでその時間の流れのほんのひと時をこうして捕まえておきたくなるのです。

「愛別離苦」
なるほどこの意味するところは真理ではありますが、それを苦にして愛すべき人々との出会いと交流を忌避することは無意味です。
人が本質的に孤独だという事は、これもまた真理でしょうが、孤独だからこそ心に深く沁みいる出会いもまた経験できるというものです。

人生を愛だけで語ることはできないのと同様に楽だけで済ますわけにはいきません。
愛は増と、楽は苦と共にあります・・・。それは彼の釈迦も説くところですし、私たちの日常の経験でもあります。
この人たちもまた早晩大きく飛躍して私の狭い視野から離れていきます。
それを期待もしているのですが、無論寂しくもあります。
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- 2016/06/15(水) 00:00:08|
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「手作り市に来る目的は、他の方たちと違うんです。 実は『人探し』、つまり指名手配の人を探し出して賞金稼ぎをしてるんです。」
むろんそんな話を信じる方はおられないので、「写真を撮るのを楽しみにしていて、それで・・・・。」と話を足します。

「なんだか他の人とは違う感じがしていました。プロなんですか。」
「プロになるとお金が絡むので、そうなると楽しく撮れなくなると思ってアマチュアのままです。」
と、どこかのプライムミニスターと同様に舌先三寸で誤魔化そうという下心はないのです。
手作り市によく来られる年齢層にもはいらなければ、服装でもないのですから、まあ、何か違う種類の人だろうとは思われるのでしょうね。

これまでに写真のモデルをされたことはありますか?とお尋ねすると
「友人と和服を着て二寧坂辺りを歩いていたら、写真を撮らせてほしいと言われたことはあります。」
小顔の方ですしきっと和服もよくお似合いでしょう。

この日の手作り市の会場は府立植物園横の「陶板名画の庭」です。
このコンクリート造りの建物の中でこの人が映えるのじゃないかと思いましたが、ご本人もこの建物をずいぶん気にいっているとのことでした。

午後からは天気も良くなり晴れ間も広がりました。
今日一日の出だしの天候が悪くて客足は伸びにくいのですが、これから次第に増えることでしょう。
これからは頑張って手作り市での活動を続けたいと言われていましたので、今日の手ごたえがいいものとなるようにとおもいます。
どの方もデビューの日は殊の外他深く印象に残るでしょう。

そして出店の旅に何かしら確かなものを掴んで次につなげていくのでしょう。
それは私のような写真の活動も同じです。

写真の技術的なこともありますし、撮らせていただくときの交流のこともあります。
凹むことは勿論度々ですが、何よりこうして交流できて、写真を撮らせていただけたら、もう撮らせてくれるような人には出会えないのじゃないかなあと悲観的になる気持ちを振り払えます。
そして5D+ツアイス85ミリの組み合わせの、良さと悪い癖なども少しづつ見つけて行かれます。
とにかく積み重ねるしかないですね。
そして積み重ねていくためにはこうした方々のご厚意に期待するしかないのです。
ありがとうございました。
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- 2016/06/14(火) 00:00:17|
- 手作り市
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朝のうちはまだ天候が定まらず、出かけようかどうしようか愚図愚図していたのですが、西の空の雲が薄くなり、青空の気配がすると、やはり予定通り北山クラフトガーデンに行くことにしました。
何も収穫がないとしても自転車で10キロ余りは走るのですから、昨夜のビールで出るはずだったお腹をおとなしくさせておくことはできるかもしれません。
つまり最低でも健康維持と体形維持。そうしないと履けるズボンがなくなってしまいます。

最近は手作り市に皆勤するとまではいかなくなりました。
その日に・・・・土曜や日曜日が多いですから・・・・別のいろいろな計画が入るというようになってきたからでもあります。
リタイア後の活動の積み重ねの成果と言えば言えなくもない、生活の変化です。

この方は、今日の北山クラフトガーデンが手作り市出店の「デビュー」なのだそうです。
お仕事の傍ら、ろうそく作りを続けてきて「どうやら人に見てもらえるくらいにはなったかなと思って・・・。」

私の強引な個展に比べれば、ずっとしっかり準備されてきたようです。
何かとても良い香りがします。
香料を含んだ蝋の製品が並んでいるからです。

ある意味で至極当たり前のことではあるのですが、その方の見かけの様子とどんなものをどんなふうに販売されているのかとは共通した「色・気配」があります。
ですので私は
「手作り市には他の方たちと違った狙いで来ているのです。それは 『人探し』です。」と言いながらも、やはりまずは見せ棚に並んだ商品=作品をしっかりと見せていただきます。

そしてお客さんとのやり取りの様子。
その様子で「ものづくりに懸ける気持ち」がうかがいとれるように思います。
で、「この人は・・・」と思うと声をかけさせていただいて、ともかくは商品や出店のいきさつなどのお話を聞きます。

京都にお住まいではないのだそうですが、ここに出店。
そういう事は決してレアなケースだとは言えませんが、それでもやはり私としては、「たいしたものだなあ。」とその行動力に舌を巻きます。
例えばお隣の大阪にさえ、写真を撮りにいったことがない私ですから。
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- 2016/06/13(月) 00:00:38|
- 手作り市
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休みの日といえば、休日出勤か、翌週の仕事の準備に明け暮れていた感のある旧職の現役時代。
こういう精神的なゆとりがほしかったですね。(後悔・自戒です)
その頃はカメラを持ちだすことさえ容易には思い浮かびませんでした。

で、結局、…時々思い出したようにカメラを取り出したことはあるものの・・・・ほぼリタイアまでその日を待たざるを得なかったわけです。

でも、まあ「万事塞翁が馬」という如く、それだからこそいまこうしてよそ見しないで写真を撮っているのかもしれませんね。
賞を目指したり、仕事になるレベルを目指したりするのでない限り、時間が短すぎるという事はないでしょう。
ただ、本当に楽しもうとすれば・・・・それはそれで時間の不足は何時だって同じかも。

ないものをねだっても仕方がありませんから、今日の写真を楽しみましょう。
誰かの青春の一コマを撮り止めてあげれば、それで何かしら喜んでもらえるかもしれません。
そしてこの人のこういう姿から、別の誰かが何かしらエネルギーや人生のヒントを受け取るかもしれません。

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- 2016/06/12(日) 00:00:03|
- 音楽
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ジャズらしい音色を奏でておられたので、しばし聞かせていただいて「ジャズですか?」と。
私はジャズもボサノバも区別がつかないような音楽朴念仁ですから。

「ジャズもどきですが・・・。」と謙遜されてはにかんでおられて、
学生時代に楽器を手にして、職場に入るとなかなか時間がとれないんだけれど、時々こうして楽しんでいますということでした。
羨ましい限りです。

楽器を練習される皆さんご自宅では、本格的な音は出せないので、こうして練習場を求めて鴨川に来られます。
この時にも他ではトロンボーンや横笛を練習する姿が見られました。

音を出して大丈夫ですかね、と心配されるので、いいんじゃないですか、私など却って鴨川の雰囲気がよくなってうれしいですよと。
十分な広さがありますから、静かに散策したい方も、読書したい方も、瞑想にふけりたい方も・・・・それぞれその場所があるんじゃないでしょうか。
それに京都は、このほかには御苑を覗けば神社仏閣に場所を占拠されていて、スポーツや音楽を楽しむ場所がないのですから。

この辺りは病院が近いので、そのことにも心配されていましたが、私には十分な距離が保たれていると感じられました。

京都は公共空間が意外に少ないのです。
先ほど触れたように神社仏閣ばかりが大きな顔をしていて、それでなければ大学です。
私は京都市政の弱点だと思っています。
子供たちは学校以外に遊ぶ場所がとても少ないのです。
体を動かそうとすれば既成のスポーツクラブに入るしかありません。大人も子供も遊べないのです。
これは本当にダメだなあと思います。

企業と組んでイベントをして、食べたり飲んだり売ったり買ったりばかりが賑やかになっています。
文化庁を呼んだからと言って文化的な街だとは限りません。
そこで働く人にはオフィスを出て街で食べてもらう・・・・というのを経済政策のようにいっていますが・・・観光地の高い食事を日常的に食べさせられてはかなわないと思います。
働く者には安くておいしくて栄養バランスの良い食事を提供してほしものです。
皆さん、観光に来て京都でおいしいものは食べることができましたか?
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- 2016/06/11(土) 00:00:56|
- 音楽
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1976年に、北海道の地で木工の工房を始められたのだそうです。
それから40年。
私より少しだけ先輩になります。
それまでは、木工についてほとんど白紙状態だったそうなんですが「もう30歳になるときだったし、今更どなたかの弟子入りすると言う様な気になれなくて・・・・。」と全く独学に近い形でこの世界に。
そしていま40年を木とともに過ごしてきて「木と一緒で良かった。この仕事についてよかったとつくづく思いますよ。」と。
木工房「緑舎」の主宰をされています。

「木工人」と書いて「もくびと」と読ませておられます。
木工の職人でも木を素材としたオブジェの作家でもなくて、何かご自分のありように相応しい名をと求められてたどり着いたのだそうです。
「この名を名乗るようになって、何かぴったりして動きやすい。変なこだわりもないし。案外言葉って大切だし、力があるね。」

作品は、ホームページをお持ちですのでそちらでご覧ください。
お名前は屋中秋谷(やなか しゅうこく)さんとおっしゃいます。

こうした木工のお仕事を通じて様々な方々と、それこそ様々な出会いを得て、それを「愛縁木縁」と表現されておられます。
作品を見せていただき、お話を伺って、やはりつい、「お写真を撮らせていただけませんか?」と。
「愛縁写縁」ですか。
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- 2016/06/10(金) 00:00:07|
- 工芸
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こうした人たちも、スポーツをする人も「練習練習」の積み重ねですね。
でも格闘技やテニス、卓球など相手がいないと練習しにくいものもあります。
私のように人ばかりを撮ろうとすると、それと同じことになります。

しかも『練習相手をしてくれませんか?』とはいえません。
試合を通じて練習をするという事になりましょうか。
その意味で「練習に付き合ってくれる?!」とお願いできる人がいると嬉しいのですが、それはなかなか希望通りにはいきません。
この時、目にだけ頼ったら失敗するんでしょうね。
そしてやがて、目隠しをしてもできるようになるのでしょう。

近々また海外に行くのだそうです。
どうして?と聞くと
「海外の方がこういうパフォーマンスに興味を持ってもらえてお金にもなるんです。」とのことでした。
なるほど!

それにしても、いつもいつも言う事ですが、今の若い人は海外へのハードルが本当に低いですね。
「英語(現地語)」ができるようになったら行こう。」などという段階論は取らないようです。
そこが偉いと思いますね。

私もそういう気持ちを持てたらなあと思うのですが、しっかり染みついた意識をぬぐうのは容易じゃないですね。

むろん私の世代でも大いに世界を駆けまわってきた人は少なくないのですから、それはあくまで私自身の問題なのですが。

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- 2016/06/09(木) 00:00:30|
- パフォーマンス
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若さを保つ秘訣の一つに、手指をそらせる柔軟性を高めるというのがあるようです。
私などは「体前屈」と同じで(-)です。
あるマッサージ師さんの言葉を意識して、それ以来、時々意識して手指をそらせますが、・・・・手指に限らず・・・・柔軟性は、昔から相当ひどいですね。
ですからこの人のそれを見ると、さすがに大したものだと・・・・・。 感心するところが違いますかね。
で、話は変わるんですが・・・。

こうして二個の球を操るときの視線ですね。
二つの球を同時に見るのか、見ないのか。

球が左右に分かれて行けば・・・・両目はそれを追いかけて・・・・。
視野にはいれても見詰めない・・・・という事でしょうか。
これはファインダーののぞき方にも通じるような気がします。

「見てちゃだめだ!! 感じろ!!」なんて言い方をバスケットボールの指導をする人が言っていました。
いえ、他のプレーヤーの動きについてですが。
そうなんですねぇ。
最近私は、この周囲の動きを感じる力というものが絶無じゃないかということを、ことにまだ心身ともに衰えているはずもない若者の路上の行動に感じます。
まあ、おそらく「見る気も、まして感じる気もない」ということなんでしょうけど。

集団競技をすると、そういう『気(配)』を感じる訓練ができると私は思っているのですが、しかし、他人を尊重する気持ちがなければ、そもそもそういうアンテナを周囲の人に向けて張ることもしませんしね。
困ったものだと。

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- 2016/06/08(水) 00:00:42|
- パフォーマンス
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この「水晶玉」はどれくらいの重さなんでしょうか。
むろん実際には水晶ではないので、そこまでの重さはないでしょうが、彼が操っていると、重さを感じさせません。
いともたやすく転がしていますが・・・・。

なかなか失敗しないし、「失敗しても地面に落とすことがないねぇ。」と言っていたら、
ドスッ と。
やっぱり、ある程度の重量がありそうです。
「触ってみますか?」
大きさは女子用の「砲丸」くらいですが、・・・・、砲丸のように重くはないことは無論です。が、かといってガチャポンの球のように薄いプラスチック出てきているのでもなく・・・、少しの傾きで転がるようにそれなりの重さがありました。

腕にも指先にも、そして体全体のバランスにも神経が行き届いているのが感じられます。
彼がこうしたジャグリングに興味を抱いたころは一日に7時間も8時間も練習をしていたそうです。
それでこそ感覚が研ぎ澄まされるのでしょうね。
もう一つの水晶玉を取り出して・・・・。
実は、「その球に映る景色や輝きを撮りたいのだけれど、僕が追い付かない。」なんていったらカバンから取り出してくれたのです。


こういうパフォーマンスをする人の中には、周囲に集まった人との上手な掛け合いをして話術でも楽しませる人がいます。
「僕はあまり話すのは・・・・、で、音楽をかけてそれれに合わせて・・・・もともとダンスが好きでしたので、どちらかというと、そういう方向かなあ。」

そこで私は、その水晶玉を「地球」に換えて演技をしてみたらどうだろう、と。
あのチャップリンが『独裁者』のなかで、大きな地球儀様の風船を蹴飛ばしたりして、世界制服の妄想にふける独裁者ヒンケルがしたように・・・・そして環境問題や戦争の問題を風刺してみたら面白いのに、と。
演技の途中で二つの球≒地球があわや衝突しそうになったり、「あっ!落ちる」と・・・・。

この人たち世代のパフォーマンスは「上手!!」を越えたメッセージを持ってほしいなあと。
そうしてこそ世界を回れるんじゃないかなあ。
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- 2016/06/07(火) 00:00:39|
- パフォーマンス
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ヨーロッパをはじめとする海外で、数年間「大道芸」をしてきたといいます。
ま、大道芸とは言わずストリート・パフォーマンスというのでしょうか。
先日もある場所で、まるで作り物の像のようにじっと動かないという『ストリート・パフォーマンス』をされている青年がいました。いえ、この芸は動かないと見せて突如わずかに動いて、「あっ動いた!! 人間だったんだ?!」というところにも肝もがあるパフォーマンスですね。
この写真は、この後たくさん続く写真の最後に撮ったもので、「じゃあさようなら。、頑張ってね。」の直前です。

対岸からしばらく練習の様子を見ていました。
水晶玉を首の後ろを通す時に、たま~に失敗して、その時に、背後で落ちていく球を振り返りもせずに確実にキャッチしているのを見て、これはかなりの練習量だなあと思って近づいたのです。
右の腕から首の背後を回らせて左の腕に・・・・水晶玉を転がします。
腕には筋肉の凹凸がありますから「難しいのでしょう?」といいますと
「皮膚感覚ができてきて球をコントロールできるようになりますから・・・。」との答え。
通常、私たちの指先などは大いに鋭敏になっていますし、長年の様々な動作体験で巧緻性が高まっています。

芸達者や職人技というのは、そういう通常人々が獲得する鋭敏さや巧緻性をはるかに高めるのでしょうね。
しかも通常の生活では獲得しないか所に。
バスケットボールやサッカーのプレーヤーでも同じですね。
体中にいくつものセンサー、目があるのじゃないかというプレーを見ることができます。

逆に日常私が経験することとして、現代の多くの人はこの皮膚感覚が「ダル」な状態になっていると思うのですね。
まあ、この事を話題にすると愉快でないことをたくさん書くことになってしまいますので止めておきます。

この人は数年の間、外国を、このパフォーマンスを引っ提げて歩いてきたのだそうで、それで生活をしていたのだけれど、あるアクシデントがあって「一時的に帰国した」のだそうです。
「痛いアクシデントでしたねぇ。」

で、生まれはお隣の県なのですが「京都の方が観光客など人も多いですから」と
四条辺りでパフォーマンスをしているんだそうです。
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- 2016/06/06(月) 00:00:10|
- パフォーマンス
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こうして写真を撮らせていただくとその瞬間だけはお互いの時間が交差します。
不思議な感じですね。

私などではとても思いつかないような将来への抱負をお持ちです。
そういうお話を伺うと、時間のないわが身が・・・・。
そこで、せめて・・・と思い煩うのですが。

私の写真を見ていただいた同世代の方たちが「若い女性との出会いがあっていいですねえ。」とおっしゃいます。
もちろんそれには同意します。
そして、(男女に関係なしに)若い方たちとこうして暫しの時間を共有して、「ともに未来を語る」ことができるのが、「いいですねぇ。」の中身として一番かなと感じます。

幸い、一方で同世代を含む先輩たちとの交流も持たせていただいていますので、自分自身を時々シャッフルできるのかなと・・・。

乳幼児や児童の笑顔を見るとそれこそ芯から屈託のない笑顔を見ることができます。それを見て私たちの心もおのずとほころびます。
ですから、そうした子供たちの写真は多くの人を惹きつけます。
そうした点では、やはり大人になったとはいえ、こうした若い世代が時に見せてくれる笑顔も実に魅力的です。

高齢者も「笑顔を!」とよくいわれますね。
笑顔は感染しますし、笑顔は表情筋だけでなく心も柔軟にするように思います。
決めつけたかたくなな意見をごり押しする高齢者の仲間入りはしたくないものです。そのためには子供や若者と交じって「笑顔」の感染をする必要があるでしょうね。
(もっとも高齢者のそのかたくなともいえる高飛車で興奮した物言いは、「今どきの若い連中」の言動が原因、引き金になっていることが少なくないのも確かですが。)

カギは「共にする」という事ではないかと、

楽しく過ごさなければ、人生がもったいない。
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- 2016/06/05(日) 00:00:29|
- 人物
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このところネット上で様々な写真家たちの活動の様子を見せていただいています。
当然のことながら世界には一生懸命に心血を注いで、写真について考え、撮っている人たちがたくさんいます。
そういう人たちの姿を見ると、何だか熱くなってきます。

むろんその人たちの見ていること考えていること、そして生み出される作品の質は、私と比べるべくもない高みにあります。
が、そうして写真と言うモノの世界が、多くの有能で高い意識を持った人々が探求に値する世界だと感じるだけでうれしくなってきます。

それにしても驚くのはキャンディッドという手法を受け入れる人々の意識の彼我の相違や、『異常』さやマイノリティーなどへの共感力の違いでしょうか。そして社会性への意識の濃淡です。
写真も社会という海に混じっている泡の一つだという事です。

先日、ある絵のグループ展を覗いた時のことです。
入り口で記帳をしていると出展者のお一人だろうと思われる同世代の方から声をかけられました。
「やはり絵を描かれますか?」
「いいえ、私は描く方は・・・・・。」
「そうですか、描かれないのは(絵を描く作業が)面倒だからですか?」
「?!?!?!」
「何をされているのですか?」
「写真を撮って楽しんでいます。」
「健康にいいでしょうねぇ。足腰が鍛えられて・・・。」
「ええ、まあ。」
・・・・・・・・・・・・・
8月下旬に京都ファインダー倶楽部の写真展がありますが、その時の出展作品の一枚にしようかなと言う気になっている写真です。
少し息を吸って緊張のある様子です。
といっても今度参加するにあたってのコンセプトはまだ決めていないのですが。

こちらがいいかな。

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- 2016/06/04(土) 00:00:06|
- 人物
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ポートレートの場合に光の回り方は、人の印象をとても大きく変えます。
今日のような場合には草むらからも路地の地面からも反射光がありますから、具合がいいです。
ことに緑の草たちから返ってくる光は・・・・色かぶりにはなりますが、私の場合はそれがむしろ好ましいという思いなので・・・・頬などをやさしく照らします。

傘を通した透過光も同じですね。
今の時間帯は真上からの強い光ですから、いろいろそうしたことを考えねばなりません。
でも私の場合には、撮っていることが楽しいというばかりで、大概のケースでいろいろ気づかないままに迂闊に撮ってしまうことが多いのですが。

比較的に言えば、カラーの時よりもモノクロで撮るときの方が光に神経が行くように感じます。
色ではなくて[色も光には違いがないのですが、その場合には色相や彩度など、また色の組み合わせなども考慮します。]、モノクロの場合は光の濃淡(強弱)で演出しなくてはなりませんから当然と言えば当然なのですが。

この人と最初に出会って、写真を撮らせていただいてから2年ほどが経過しているでしょうか。
一層落ち着いてしっとりした感じが増してきたように感じました。

逆に私の方は、この2年間で何か変化があったでしょうか。
ただひたすら老いているというのでは少々寂しいのですが。
写真の方はあまり変わり映えしていないかもしれませんから、・・・お酒の量が増えた? う~ん、他には・・・・・。

左の端を20分の一ほどカットした方がいいですね。少し右に寄りすぎました。
カットというより、もう少しカメラを右に振って左を整理して、右側に余白を増やすべきでしたね。

これも微妙に右に振るべきだったかと・・・・。
こう撮ってしまう心理が分かるだけに、しっかりと意識したいところです。
それにしてもきれいな目です。
こういう目は形がきれいなばかりで生まれるものではないと私は思っています。
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- 2016/06/03(金) 00:00:45|
- 人物
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この日はとても良いお天気でした。
せっかくですから、その良いお天気を満喫しましょう。五月のみどりの風に包まれて、散歩です。

「ショートカットにしましたから印象が変わっているかもしれませんよ。服はどんなものがいいですか?」
事前にそんな話をしてくれました。

以前お会いした時には、スマートな感覚で撮りたいと思って撮ったことがあります。
その時、帽子がよく似合っていたので、余計にそう思いました。そしてそういうモノクロの写真もまたカラーの写真も撮れました。
今日は、その時より打ち解けて撮れると思いますから、力まないで気持ちの良い写真を撮れたらいいですね。

人混みがあまりお好きでないし、午後より午前中の方が得意だというこの人は「朝の6時から撮りたいので・・・・。」とお願いすれば、まだすがすがしい空気と光の中で撮らせてもらえるかもしれません。

どうやら私よりも「眩しさを感じる」方の様で、目を大きく開けていただくためには日陰に入っていただくだけでなく、地面などからの反射も考慮に入れなくてはなりません。
ただ、私の趣味としては目を細めた表情が好きなんですね。

人の写真の場合に、頬やあごが丸く立体的に撮れるレンズがいいですね。
ペタッと塗り絵のようになるものは、色が鮮やかでエッジが鮮明でもあまり好みません。線で縁を描いてその範囲に色を塗るというのでは、人体の魅力や表情がうまく出ないように思います。
その点で解像度が高いことをあまり強く要求しないのかもしれません。

言ってみれば人の体のふくよかさが表現できるレンズがいいですね。
人の皺を撮るときも、線としてではなく細い窪みとして撮れるものがいいです。

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- 2016/06/01(水) 00:00:43|
- 人物
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