どなたかと待ち合わせの時間に読んでいるのかもしれず、
あまりお邪魔はしないのがエチケットというものですが・・・。

土曜の昼下がりを楽しまれているようでもあり。
いやいやそんな詮索をしないのが礼儀でしょう。

ただ言葉に甘えさせていただいて・・・・、実は長いこと放っておいたレンズの試し撮りに来ているものですから・・・・・。
それにしてもさっぱりうまく露出が合わないんです。しかもピントもイマ一、イマ二で・・・・。
ISO100が常用域ではないので、ISO200を使い、明るいレンズを使っているという意識ばかりが先行し、・・・・・、無論AFも使えないし、露出も絞り優先もシャッタースピード優先も、全オートも利きませんから・・・そんなことが当たり前だった時のことが思い出せなくて混乱しきり。

どうやらあまり好みの絵が撮れないような感じですね。
くっきりはするけれど奥行きがないような感じです。
私の使い方がよくないのかもしれません。

曇天が得意とか、レンズにも個性がありますからもっといろいろ試してみないといけません。簡単に結論を出すには惜しいレンズですから。
ただカメラとの相性は他に試しようがないのですが。

まだお若い方なんですがとても落ち着いた方で、物腰も丁寧です。

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- 2016/05/31(火) 00:00:27|
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この写真の頃は、良い季節でした。(と言っても今日は曇りですが。)
五月のやさしい風に包まれて緑の陰で読書です。
〇〇〇フォンを見ている人が圧倒的に多い中で、こうして・・・・・わざわざ紙媒体で、と言わねばならない時代ですかね・・・・読書している人を見るとなにかホッとするような。
惹かれます。

鴨川沿いの景観の中で、この辺りは私の好きな場所の一つです。

この写真を撮らせていただいたころは、太陽が動いて木陰から出てしまっても、まだ「暑い!」というほどではなかったのです。

ご自身も「時々写真を撮っています。風景が主ですが。」とのことで、
お友達はよく人を撮るのだそうです。
それで私のお願いにも理解があったのでしょうか。
「どうぞ、そのまま読書を続けてください。」

そういえば読まねばならない本が机の上にたまっているなあ。
今は 『キリスト教の起源』(K・カウツキー 著、栗原 佑 訳)を再読中ですが、読む力がどんどん衰えているのが分かります。毎日のように読まないとだめですね。それは話すことも同じ。以前は使っていた用語を、ここ数年のうちにすっかり使わなくなると、それをスムースに思い出すことができません。日常会話しかしていないと論理的に組み立てた話を直感的にする能力がとても衰えているのが分かります。

聞く、話す、書く、読む・・・どれもきちんと継続しなければ身にもつかないし、維持もできないのですね。

そのことで、有難いなあと感じていることがあるのです。
それは留学生が自分の書いたレポートの添削を依頼してくれることです。相当に優秀な学生なのですが、やはり日本語はネイティブの様にはいかないし、また言葉も日常語を越えたものとなり、論理構成もまた高度になりますから、それにふさわしい日本語を学ぶことは、どこまでも課題になります。
それで、私も最新の研究に接して書かれたレポートを読み、いくらかでも頭を働かせる機会をもらえているというわけです。
文字通り「老化防止」ですね。
その学生は、今学んでいることもビビッドな問題だし、指摘した箇所を、指摘の趣旨に沿って修正する力も相当に高レベルですので、本当に刺激になります。
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- 2016/05/30(月) 00:00:37|
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カラーでないとできないことも。
赤や黄や緑があっても、なんとなく物憂げでしょ?!

本当はもう少しガラス窓に雨が流れてほしかったのですが。
あのカメラバックを担いで撮影に出かけられるのはあと何年でしょうか?
2台+交換レンズを入れて歩くのはなかなか大変です。

今日は一人旅の雰囲気でといっていますので、どの写真もどことなく寂しそうですね。

駅の雑踏に戻ってきました。
多くの人の流れの中にいるときに余計に孤独を感じます。


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- 2016/05/29(日) 00:00:30|
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電車に乗って、少し出かけましょう。
雨模様ですが、それもいいかも。

上の写真は人物の点景が遠くにぼんやりですが、この写真は体格の良い方が大きなスペースを占めています。
私は物語が交錯するような画面が好きですので、後者のようなものを選びます。その時主人公が誰かわからなくならないように気を付けます。

それにしても今やなくてはならないモノは・・・・・。

夜・・・・ではなくてトンネルです。
でも何となく寂しげ?
一人旅ですからね。

物思いにふけって・・・・。
「お腹が空いたなあ。もうそろそろお昼かな。」という事ではなさそうです。

地元の方なら駅名が分かりますでしょうか。
合理的ではあるかもしれないけれど個性も地元の特色も感じられない駅舎が少なくないようです。あってもお土産や着ぐるみばかり。
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- 2016/05/28(土) 00:00:50|
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写真について余り知識も技術もない私ですので、いくらかでも吸収しないといけないと思い、時々ネット上で世界の写真家たちの作品や撮っている様子を見せていただきます。
町撮りの「キャンディッド」の面白さを感じ始めました。
海外ではともかく、日本ではキャンディッドなどやろうというのは、まさに「時期が悪い」というか、極端な言い方をすれば「時代錯誤」ともいえましょう。
リスクが大きすぎますよね。

でも実は私は、これが前から案外好きなんですね。
写真の特性が生かせますものね。
そういいながら他面では、・・・・このfcブログでもそうですが・・・・世間には目に余るほどひどいのが多いので、日本ではキャンディッドなど滅ぶのも仕方ないなと思っているというのも正直なところなんです。

町の公共空間に現れた人々の暮らしや動態を掴むというのは魅力的なことだと思うのです。
社会派ぶらなくとも、人に対する興味がありさえすれば撮りたい気持ちになるのは自然かもしれません。

そして人々の一見何の脈絡もないような動きを映像的・美的に、あるいはその人生的なまたは社会問題的な意味、質を一気に浮かび上がらせる写真なんて素敵じゃないですか。
そういうことができればの話、ですが。

そこまで大上段に振りかぶらなくとも、ほほえましさや、やさしい気持ちになる場面、少し心が弾んだりする場面、悲しさや辛さに共感して分かち合いによってその辛さを軽くする場面など色々あるはずですよね。

人を撮るという基本の幅を少し広げてみようかななどと思うのも、そう悪くはないかな。

ただ、もしそうなるとどんな場面に触れて自分の感興が起こるかという事が大切な要件になってきて、ただ事実を伝えると言う様な言い訳ができそうにないですね。
自分が丸裸になるというリスクもあります。「怖いですねぇ。」

「恐ろしいですねぇ。」
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- 2016/05/27(金) 00:00:03|
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「ジム・マーシャル」の写真展を見せていただきました。
作品はビートルズのメンバーの写真でした。
ポール・マッカートニーやリンゴ・スターなどがグループとして演奏している場面もあれば、一人ずつのポートレートもありました。
で、同伴者は「分からんなあ、写真というものの特別な良さが。」と相変わらずです。

会場には真っ先に到着して、「シャンパン、いかがですか。」と勧められるままにいただいて・・・・。
「ジョン?レノンのあの何かを思いつめたような、周囲の何も見ていないような表情をみましたか。ああいう売れっ子が無防備にああした表情を見せる関係があってこそ撮れるものですよね。ジム・マーシャルが目の前にいてカメラを持ってレンズを向けているのに、それを信頼感と親しさがあるからこそ空気のように感じて、一番裸の表情をしているという事がすごいでしょ?!」
「なるほど、そういうことか。話してもらうと分かるような気がするね。撮れること自体がすごいんだという事は。。でも撮れた写真がだから何か作品として感動的かとか、何かを訴えているかというと・・・。」
「う~ん、それなんですよね。ビートルズのメンバーでなくてただの中年男性だったら見る人は強く打たれるかどうか。」

「写真っていいよね。露出がね、光がさあ、一瞬を切り取ってね。」という仲間内の話なら改めて考えることがなさそうな「当然」を検証することはとてもとても大切だと思いました。

並んで椅子にかけて、シャンパン片手に、運ばれたおつまみをいただいて、おしゃれして集まった紳士淑女の中で、ちょっと異空間を作っている男二人。むろん大きな声で話しているわけではないのです。
そこに品の良いご夫婦が近づいてこられて・・・・・なぜか一枚だけかかっている・・・・エリオット・アーウィットの『大人もたまには飛んでみたり』の前に陣取っている我々二人に話しかけてきました。
そして「この写真素敵ですね。」と、奥さま。

すぐ隣に「写真の良さが分からない。」という人物の居ることを知っている私は何と答えたらよいのか。
「このオシャレな写真は・・・・・。」と最低限これくらいまでは言って良いかなという位のお話をさせていただくと、私よりずっとずっと長いキャリアをお持ちで、しかも自らモノクロ現像をしてこられたライカ・オーナーであるご主人が「私は素人で分からないんですが・・・。」をくり返しながらいくつもの質問をされるのです。

「私は素人で分からないんですが・・・。」というお言葉ほど怖いものはないのでして。
そのライカ・オーナーに対して、私はソニーカメラにキャノンレンズをつけてという具合で、それがかえって、私をさして「こちらはプロのカメラマンで。」という隣の御仁の「不当表示」紹介と相まって、一層何かよく分かっている写真家ではないかという思い込みによる質問が続くのです。
私が困っているのを傍らで楽しんでいる御仁を恨みながら「人を撮るときには・・・・。」という方向に誘導しつつお話を・・・。

奥さまを交えて4人の楽しいお話が続きました。
ご主人は京都で有名な洋菓子店のオーナーパテシエだということが事が分かりました。
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- 2016/05/26(木) 00:00:04|
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「京都グラフィエ」がありました。それに関心を持ってその多くの作品をご覧になった方に、「どうでした?いいものがありましたか?」と尋ねられて、「福島菊次郎さんのものがよかった。」と答えたのは適切だったかどうか。「良い」という言葉が適切かどうかという意味ですが、「すごかった。」といった方がいいのかもしれません。「すごい」は「凄い」と書いて「凄かった!」と、いや当たり前なんですけど、強調して。
「他はどうなのかなあ。」と・・・、その方。
「いや、いくつかありましたよ。」と私。

彫刻刀を入れると「ザクっ」「サクッ」と削られていきます。
時には「シューッ」という感じでしょうか。

ベテランの道具は手指の油で独特の光沢を持っていますが、まだまだ修行初めのこの人たちの道具は白木の色や肌触りのままです。
以前私の写真展委も来てくれた方のお持ちだったニコンのフィルカメラ。それは手ズレやバックとのずれなどで塗料が剥げて金属の地肌が角々に出ていました。

使い込んだ道具はその人のこれまでの取り組みの過程を物語ります。
ふと私のカメラを振り返ると・・・、ペンタブなどの角がやはり少しばかり白くなっています。よくこれまで付き合ってくれました。
まだまだこれからもよろしく、といった感じです。
実は、長く放っておいたキャノンの85ミリ 1.2 L が遊ばせておくにはもったいなくて、急に使いたくなったのです。FDレンズですし、ニューF1につけっぱなしだったのです。

でも、こういう写真を撮るときに85ミリがほしい時があって、キャノンボディーにツァイスの85ミリをつけているのですが、これも寂しい思いをさせていたねとソニーのカメラに付けてみたのです。

はたして使いもになるのかどうか、試してみなくてはなりません。
AFは利かない。絞りはカメラ側ですし、オートの露出もできません。
しかし、何しろf1.2ですから、多少周囲がケラレても使ってみるのです。
何しろお金がないのでk-1が出ようとプロ2が出ようと指をくわえているだけですから、今あるもの活かさないと・・・・なんです。

ただ、 「重い!!」 「かさばる!!」
いつまでそれに耐えられるかなあ、なんて思ってやせ我慢路線です。
武士じゃないけど「高楊枝」です。

それでもキャノン5D+ツァイス85ミリにしても・…これは視野率96%という「フラッグシップ」の名に恥じるものでしたし、ファインダーの透過性もお粗末ですが、それでも・・・・アルファ900+キャノン85ミリにしてもファインダーの見え方は、気持ちがいいのです。 明るいレンズはいいなあ、と感じます。それにやはり描写に個性があるな気がします。「気が」ですが。
私には古いレンズの資産はありませんし知識もありませんが、そうしたレンズを新しいカメラに付けて楽しまれている方たちの気持ちが少しわかるように思います。
彫刻刀の輝きや削りだされる木くずの感触を撮りたいと思うと、やはりこちらの道具も気になってしまうのです。
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- 2016/05/25(水) 00:00:31|
- 伝統工芸
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今日は初夏のような陽気で気温が上がっていますから、あっちでもこっちでも子供たちが水に入って大はしゃぎです。
こんな日に太陽の下で演奏するのは気持ちがいいかもしれませんが、
楽器には良くないかもしれません。
でも、まあ、日本より高温で乾燥した国や地方から来ている楽器もあるでしょうから、高温より湿気が大敵かな。

この人たちはそれぞれが、演奏家として活躍されているのだそうで、
「ライブの前にちょっとここに来たりするんです。」

この楽器はトルコなどで使われているカーヌーン。
3分の弦が一組で24,7セットも張られているのだそうです。
先ほど、昔のぜんまい仕掛けの掛け時計に使っていたような蝶の羽根の形をしたねじ回しで調律されていました。

弦の端にギターで言うペグがあるわけですが(形状はピアノの方に似ているでしょうか)、その近くにいくつもの移動できる人の爪ぐらいに小さくて日本の琴の「柱(じ)」の役割をするものが並んでいます。それらが一組の弦にいくつも並んでいて、起こしたりたてたりして音の高さをわずかに変えることができるのです。(私の文章力では、正確にお伝えすることはできませんね。でも、そこは写真の強さ。百聞は一見に如かずです。)
なんて複雑な演奏法になることでしょう。

ギターやピアノ、あるいはオーケストラ、ブラスバンドで使われるような楽器は比較的メジャーですね。
でも、こうして様々な民族楽器にであい、それに魅力を感じて演奏家になってしまうなんて、この人のこれまではにはどんなドラマがあったんでしょうか。
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- 2016/05/24(火) 00:00:41|
- 音楽
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ここで楽しい言葉を耳にした。 「初めまして と 二度目まして」
三条大橋や四条大橋の周辺はパフォーマーたちでにぎわっています。
そこでセッションしている人たちが必ずしも既知の人同士ではないところもまた楽しいのです。
先ほどまで女性が座っていたポジションに通りかかりの外国青年が混じりました。
まさに『初めまして。』です。
音楽ができる人はいいですよね。「音楽に国境はない」とよくいわれます。
文学や、言葉を介する演劇は必ずしも『芸術に国境なし』とはいきませんが、音楽は勿論、生け花等もまた国境なき芸樹だと思います。
そこに写真も入りますね。そういう面も意識して撮りたいものです。

いえ、外国人を撮るから「国際的」というのではなくて・・・・、いわずもがなですか・・。

この3人が当初からいた方で、手前のお二人が「二度目まして」
向こうのダラブッカをたたいている男性が「初めまして」の方だそうです。
こちらの女性はとても英語が巧みで(なんでも英語を教えておられるんだとか)、先ほどの外国青年を巻き込んだのも彼女です。


ダラブッカと言う「太鼓」はとても豊かな装飾性があります。
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- 2016/05/23(月) 00:00:01|
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すべて とどまると くさる
このおそろしさを 知ろう
つねに前進 つねに一歩
空也は左足を出し 一遍は右足を出している
あの姿を 拝してゆこう
坂村真民さんの詩だそうです。ある方のブログに引用されていました。
心に置きたい言葉ですが、「空也は左足を出し 一遍は右足を出している 」ですか、そういわれると何か辛いなあ。
陶器の絵付けです。
太い筆にたっぷりと吸い込ませた「ゴス」を繊細な筆先から沁みださせています。

そして必要かか所を満たしたら、余計な「呉須」をまた筆に吸い取らせます。
ですから必要な箇所には塗っているというよりは、しずくとなってたまる呉須を広げているという感じです。

ですからこの筆が、このように太い必要がありますし、また筆席が繊細な細さで得ることが求めれるようです。
初め、絵付けの絵柄の細やかさを見て、その筆の太さがあまりに意外でしたが、そういうわけだったのです。

そして作業には、やはり息を詰めるように繊細な感覚が必要だと思いました。

呉須は藍色に発色しますが、素焼きの生地に描くと青みが買った灰色です。
生地には呉須が沁みこんでいくわけですが、その量も問題となります。ですから空気の温度や湿度も大切な要件となります。

最近知人から「モノクロが多いね。」と言われました。
「その心は ❓」
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- 2016/05/22(日) 00:00:26|
- 陶器
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この部屋の静けさは写っているでしょうか。
実演のために3人お若者がそれぞれの台の上で作業をしているのですが、しわぶき一つさせないで集中しています。
かく乱要因は不躾に話しかけてシャッターを切る私だけです。

部屋は広いのですが、何しろ静かですからアルファ900の「バシャン(むしろガシャンかなぁ)」という大きな音が響きます。
先日、ある人の後ろ姿を、他に幾人も歩いているようなところで、数メートル後ろから撮ったら、振り返りもしないで「撮ったでしょ?!」と言われてしまいました。

ですから、一面とてもご迷惑なカメラなのです。(撮っていること自体は棚に上げさせていただいて・・。)
最近は静穏モード付きのカメラが増えているというのに。
でも、罪とともに「功」の面もあるので、こうして人を撮るときには、あの5Dのパコーンという間の抜けたプラスチッキ―な音に比べれば随分役立つのです。
今はもちだすことのないコンタックスRXのシャクーンの方がよいのですが。(擬音化って難しいですね。完全に皆さんを誤解させていますね。)

話をし、カメラを向けて、さらに集中したその人の意識と仕事を引き出して撮る。
私は、普通のあるがままの写真というものについては疑問を感じていますので、シャッター音は大切なんです。(というのも撮る方の一方的なわがままと独り善がりの了解なんで、周囲には十分気を付けたいと思っています。)

こういうところで「ビューティフル」とか「素晴らしい」とか言えませんものね。

でも演奏会や式の会場、そして野鳥、野生動物の撮影などではシャッター音は禁物なんでしょうね。
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- 2016/05/21(土) 00:00:17|
- 陶器
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何が「素晴らしい」のかという事を説明して

そして、・・・・眼下を芸子さんが通ったので・・・・。

撮影しているときにも「とてもいいですよ。」なんて言葉にはしていましたが、
こうして画像をしてみていると撮ってるいるときに感じた以上の魅力を感じます。
この間、ご自身からこうした方が自然でしょうか?
こうしてみてもいいですか?とキャッチボールがあり・・・。
やはり、人物写真は一人で撮るものではないですね。

今はすでにもう帰国されていますから、・・・可能性としては・・・・もう二度撮らせていただけないかと思うと、つい力が入ります。
そしてホテルに戻らなくてはならない時刻を少しだけ遅らせていただいて、
「もう少し、いいですよ。」
鴨川の岸辺を歩いて、少し休憩。
そこで本を取り出してくれて・・・・・。

とても印象的な撮影の機会になりました。

こんなに魅力的な人を育てた韓国に、ぜひ行ってみたいとこれまで以上に思いました。

また、お会いしましょう。
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- 2016/05/20(金) 00:00:28|
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今日はお誘いがあって祇園ライカ店に「ジム・マーシャル」の写真展を見に行きます。
前回はロベール・ドアノーでした。こういう人たちの作品を身近に見られるというのはうれしいことです。
レセプションに招待をされている方に同伴するわけなんですが、周囲のライカへの羨望がないので、まあ楽しめます。

ライカ M モノクロームなどというものが話題になったとしても、フジのモノクロームとキャノンのそれを比較して云々している方が現実的なのです。
それよりなによりレンズの方を何とかしたいなあというのが近ごろの関心事で。

と言う様な事より、
さらにその前に私にとっては「素敵な人たち」にお会いすることで・・・・・。
今回のような幸運をさらにさらにと思うわけです。

まあこれでもいろいろ考えながら撮ってはいるのですが
ポージングの指示などを英語でしなくてはならないので、限界もあるわけで・・・・、それにしてもこの人の推察力、共感力は大したもので・・・・、
そして、観光ガイドに載ってないこうした場所を楽しむ力が、「案内していただいてありがとう。」という気持ちになって、こうしたやさしい落ち着いた表情にもなってくれるわけで・・・・。

私が「fantasutic! good shot !」などと言いながら「素晴らしい!」と日本語で繰り返すものですから「私は新しく『素晴らしい』という日本語を覚えました。」と喜んでいました。
実際、このカットが撮れた時にはやはり「素晴らしい!!」と声をあげたのです。
この人には可愛らしい印象や知的な表情があるのですが、私はこれを撮りたかったのですから。
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- 2016/05/19(木) 00:00:55|
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「以前もお見えになりましてよね?!」
建物の入り口受付で、そう声をかけられました。
そうです、もう何度になりますか、ここに来たのは。 一度入場すると、その際に次の無料の入場券をいただけますので、それもあって度々お邪魔をしています。

ここに来れば勉強中の若い、将来の職人たちに会えるからです。
彼らは公開の実演をしているのですが、ウイークデーに実演をしている先輩たちに比べればまだまだ卵です。
しかし、この人たちは一流の講師の指導を受けてめきめき上達して、卒業時には見事な卒業制作作品を作るのです。

そもそもここでの実演を推薦されるという事が彼らの優秀さを示しているのです。
この人は2年生ですから、まだ実質1年の勉強しかありません。
短期のうちにいろいろ身に付けねばなりません。

これまで制作したものが手前に並べられていますが、その一つ毎に上達の様子が見てとれます。
5月の今はちょうど木々が柔らかい青葉をつけて一雨ごとにぐんぐんと枝葉を伸ばしている季節です。それは翌日にはなれば姿が変わっているというほどです。
この人たちはまさにそうした時期を迎えているのですね。
そこが私の年齢とは決定的に違うところでしょう。

そうしてみると5年余り前にこのブログを始めたころの写真を今のそれとどれほど違うかと反省されて、少々・・・・・。
まあ、しかしこの年になっても、たとえ蝸牛のごとき歩みであっても進歩があれば良しとせねばなりません。
あれば・・の話ですが。

籐を細くそいだひも状のもので縁を結っています。
その籐の紐がうらが柄たらい捩じれたりしてはいけないのは勿論ですが、感覚の均一性や張の均一性が求められます。それが乱れれば光にあてるとすぐにその乱れがわかってしまいます。

隣では陶器の絵付け、木彫の人がやはり実演をしています。
良い刺激になるだろうなあと思います。
もし私が、20代か30代で写真に打ち込むようになっていたら、こういう写真は撮らなくなったかもしれません。

湧き上がるように突き上げる「野心」がないという事がこういう撮り方を私に許しているのかもしれないと思います。
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- 2016/05/18(水) 00:00:50|
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今日の天候が分かりますか?
おかしな質問ですね。

女性でしたら、お分かりかもしれません。
雨が少し降っています。

私としては雨が降りかかって、雨のしずくが流れる窓ガラス越しに撮りたいなあと思っているのですが、・・・・。
そういう事というのは、ちゃんと事前に準備しないと撮れないものです。
そのうえ今日の降り方と言うのが、どうも中途半端で・・・・。

今日ここを選んだのは雨宿りも兼ねてということで・・・・・。




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- 2016/05/17(火) 00:00:46|
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大きなカメラバックを担ぎ、肩から一眼レフをぶら下げているから、それを記号にして、周囲の人が一応「不審」を解いてくれるのでしょう。
何も持たずに、ごく普通の格好で私がこの人と一緒に歩くと、向こうから来た中年女性たちに、かわるがわる見比べられ、この二人の組み合わせはいったい何だろう、それにしてもこちらのおじさんの釣り合わないこと!! といった目で見られてしまいます。
そういう「品定め」ともいうべき視線を度々浴びます。この組み合わせには、まあそれくらい違和感があるのでしょうね。
(相手がこの人でなくても同じことが度々ありますが・・・・。)
そういう意味ではカメラといいう『記号』はありがたい。
(そこに悪意や姦計があれば詐欺などの犯罪が生じるわけですが。)

ときにこうした顔立ちの人ですから、私との組み合わせに、少なくない人が「?」を抱くのでしょうが、また逆に、そうであればこそ町中でカメラを向けていることを納得してもいただけるのです。
こういうことは不思議な社会心理ですね。
(こういう大衆的心理を悪用して政治的誘導を図っている人たちが現にいますのでクワバラクワバラです。またぞろマスコミに顔を出している政界引退宣言氏などがその典型例でしょうか。)

「どこでそういう風な服を見つけてくるの?」
「天神さんなどの古着店で。」
あまり高い服を買わないんだそうです。

この人がにっこり笑うと本当に人形のようにかわいくなってしまう(「なってしまう」というのはおかしな言い方なんですが)ので、つい無表情に近い表情で撮ります。
何やら深い表現のようなポーズでもありますし、その可愛らしさに「にやけている」自分の心理を読み取られて仕舞わないかという、不安からも来ているかもしれません。
素人ですねぇ。

今度、ジム・マーシャルの写真展を見せていただけるという事ですので、しっかりと勉強してきます。
実際、世の中にはたくさんの桁違いな写真家がいます。
そういうものを見ないと、高さも深さも知らないで井戸の中で、何かしているような錯覚に陥りますからね。

そういう写真家とどれだけ大きな距離があっても、幸いなことに、それを感じて絶望し、写真を投げ出すような若さもありませんから、その点は大丈夫なんです。
ああ、こういうすごいことを可能にしている人たちがいるんだと知れば、楽しいじゃないですか。

そのジム・マーシャル写真展は「写真の良さってどこにあるの? 芸術として存在し得るの?」という考えをお持ちの方と一緒に行くんです。
その人が誘ってくれているんです。
こういうところが大人ですね。
大人っていいなあ。
- 2016/05/16(月) 00:00:07|
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日本で、ろうそくを使うという事をイメージすると、多くは仏事・・・それとも台風などの際に停電になってしまったときの非常用灯火。
それから誕生祝のケーキの上に立つろうそく。それくらいでしょうか。むろん、日常生活の中で、例えばディナーの食卓の上などにもっともっとろうそくを使ってる方もおられるでしょうが・・・・。
洋蝋燭が石油由来のパラフィンを材料として使うのと異なり、和ろうそくでは、元来、櫨の実など植物由来の材料で作られます。
芯も洋蝋燭が糸なのに比べて和ろうそくではイグサなどを芯としていてやや太いという特徴があるようです。
和ろうそくも次第に需要が減ってきていますが、絵を入れたものが海外の人に好まれたり、煤が少なくて周囲を汚すことが少ない、あるいは微妙の炎が揺らいぐことで醸し出す雰囲気が好まれて、新たな需要があるようです。

ここではろうそくに赤い顔料を溶いた蝋をコーティングしています。
仏事に疎い私は、「赤い蝋燭?・・・・どんな時に使うのだろう?」

「例えば、真宗系では七回忌の時に使いますね。」
「供養にですか?」
「それもあると思うけれど、先代が亡くなって、その後七回忌を迎えることができるまで、その家(一族)が継続しているという事をいわう意味もあるようですよ。
宗祖の生誕を祝う時などにも使われていますね。」
のだそうだ。
なるほど。

「愛別離苦」 人はこの苦しみを避けることができない。 どうしてもそれと正面せざるを得ない。
であるのならばなんとかしてこれを和らげたり、挫けないで済むことを考えなくてはならない。
これまで、人類の先達は、そういうことについて我々に知恵を残してきた。

初七日にはじまる供養の仕来りもまたその一つと言えなくもないと思う。
ただそこに坊主が多額のお布施を懐にし、お経を呪文化して大衆をけむに巻くシステムはまた別だと思うが。
私は墓も無用だとする主義だが、そういうものがなくては心を鎮めきれない人がいることもまた事実だとは思う。そういうことを合理主義だけで説得することは・・・・心理、心情において・・・・難しい。
赤い顔料を溶かしたこの蝋は、大体60度くらいに保たれているそうで
「温度が低ければうまく流れないし、高ければ薄すぎるし、時に形がゆがんでしまう。 京都の夏は暑いから、三代ほど前までは夏には作らなかったと聞いている。今はエアコンがあるからねぇ。それでも温度管理は難しい。」

蝋燭をさした竹ひごを上手に回転させて皮膜の厚さを均一にしている。
そして赤い蝋をかけて、それが芯にまで付着しないように巧みに、余分な蝋を滴り落としている。
当たり前の事だろうが、それをうっかりすれば気づかないほど自然にしている。
ただかけ流せば色はつくのだろうと言う様な素人考えは、この表情を見れば一挙に引っ込む。

普段の工房ではガスを使って蝋を温めているのだそうだが、ここでは防火対策上ガスは使えない。

「よく一日に何本くらい作るのかと聞かれるが、ろうそくの太さにもよるしね・・・・。
和ろうそくの良さを少しでも知ってほしいし、・・・・。」
快く撮影を許していただいた。
- 2016/05/15(日) 00:00:23|
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髪をきれいに撮ろうと思うとよいレンズが必要だなあと思います。
いつもは、撮影のチャンスがいつどこで得られるかわからないので、ある程度の状況に対応できるように、ついズームレンズを持ち出します。
そのレンズも決して悪いレンズではないのですが、
今日はたまたま、50ミリの単焦点レンズをつけて出ました。これが幸いしたように思います。
あまり高価なレンズではありませんが、きれいな像を結びます。

MFでもファインダーを覗いて焦点を合わせやすいのは、このレンズがf1.4という明るいものだからでしょう。
きれいに結像しているということはモニターで拡大してみると違いがよく分かります。
ただ、私は、今盛んに言われているような超高解像度というものは、こうした人物写真には、いらないように思っています。
むしろ立体感の出るレンズがいいですね。

笑顔があまり得意でないとおっしゃるのですが、

じつは、この人の写真を送り終って、改めて選外の写真を見直した時に、「次のグループ展は、この人のこれとこの写真で行こう!!」と思わせるようなものが、何枚も見つかりました。
それらは今回はブログには掲載しないつもりなのですが。
私はそれを見つけた時に、思わず声を出しました。「え~っ!? こういう魅力を持っていたんだ。すごいなあ。」と
ですから、簡単に写真を削除することはできないなあとも思ったのです。

おそらく会場で注目されると思います。
いえ、私の写真がというよりこの人が・・。

この人の着ているシャツは男性用なんでしょうか。
どちらかというと華奢に感じられる体がザックリと包まれている感じです。
それで余計に華奢な感じが印象付けられているのでしょうか。

街歩きのスナップ感を出すために会えて左に人物を入れています。
無いほうが良いのかもしれません。
ご夫婦と思われるお二人ですが、なぜかこちらを見ています。

勿論撮影している我々を見ているのではなく、ご自分たちの行く先が、こちらでいいのかなあ、戻らないといけないのかなあと迷われているのです。
- 2016/05/14(土) 00:00:55|
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私が瀋陽に行った時のこと。
足を踏み入れるには勇気が必要で、ましてそこで絵を描いている画家たちに話しかけることなどとてもできないと思い込んでいた建物に学生たちが付き添ってくれて入ることができました。そして彼らが一所懸命にサポートしてくれて、様々な質問さえできたのでした。
さらにはそこで制作中の書家は日本人である私の見学を喜んでくれて、書いているところを撮らせてくれるばかりか、その場で「中日友好」と大書し、私の名を入れた作品を仕上げてくれたのでした。
他の画家たちも私たちを取り巻いて拍手し歓迎してくれました。
わたしはそうした書家や画家たちの好意に感激したばかりでなく、何といっても学生たちの援助がうれしかったのです。
彼らは休日の前日毎に自分たちの激しすぎる受験勉強をおいてまで「明日は行きたいところがありますか?」と声をかけてくれたのです。
それでどれだけ私は安心感を得、また行動を広げたことでしょう。
ですから外国からの客人には、少しでも日本人の支えがあるからこそできることをさせてあげたいと思うのです。

「恩には恩を持って報いる」
学生たちの言動にはそのことが色濃くにじみ出ていました。
私もそうしたいと念じています。

と言っても、ここではまた私の方が恩を受けているのですが。

この人はいったい幾つの顔を持っているのでしょうか。

韓国の若い女性は真っ赤な口紅がお好きなようです。
街で見かけるとそんな感じがします。
中国の女性もそうでしょうか。
白い肌にその赤が映えます。

人の顔は左右対称ではありません。時にまるで完全に左右が対象ではないかという人がおられますが、・・・・そしてそれを美男・美女の条件だという論もあるようですが・・・・・「右の顔より左の方が気に入っているんです。」ということでした。
なるほど印象が違います。
初対面の方は、まず髪を分けている方の顔から撮るようにしているのです。そしてぐるっと回って撮っていきます。

場所が変わると私自身がリセットされてしまい、やはりこちらから・・・。
ほつれ毛の似合う人です。
どうも私が最初に抱いた印象は、このほつれ毛によって強調されるようです。
- 2016/05/13(金) 00:00:31|
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前日初めてお会いして、写真を撮らせていただき、その夜にさっそく写真を送りました。
とても喜んでいただき、ブログへのアップも快く許していただいたのですが、その際に・・・あと数日滞在するという事をいわれていたので・・・・もう一度機会があればとお願いしたのです。 観光の計画もおありだとは思ったのですが。
とにかく、いい感じなので、このままで終わるのは何とも残念だったわけです。
で、翌日、別の用事で河原町通りを歩いていると、なんとあろうことかこの人が向こうからくるではないですか!
お互いにその偶然に大いに驚き、かつ「今日今からなら少し時間がありますが・・・。」という幸運が舞い降りたのです。

どういうわけか、私にはこの人は写真になるという感覚がかなり強くあって、もし再び取れる機会があれば、あそこで撮ろう、とかこのレンズで撮ろうと妄想をたくましくしていたのですが、そういう準備も有らばこそ、今ここで撮るという事に・・・・。
う~ん、どこで、どういう風に、・・・・この周辺ではこれまで何度か色々な人を撮ってきましたから、いくらかは思い浮かぶとはいえ・・・・。

じゃあ、まあ、観光案内を兼ねて少し歩きましょう。
どんな観光ガイドブックにも乗っている有名観光スポットではないところに案内しましょうということで・・・。
私はこの人がとても知的な人だと感じていましたので、これから案内する場所を喜んでくれるのではないかと思いながらも、・・・・・これから1,2時間一緒に過ごすとして、はたして会話は成り立つのだろうか、という不安も。
韓国語も英語もできない私と、英語はできるけれど日本語はできないこの人と・・・・、

まあ、ボディーラングェッジがあるさ、通じなくとも生死にはかかわらないし・・・・なんて蛮勇を発揮して。

この人が私の言わんとすることを即座に推察してくれて、「ここに座ればいい? こうすればいいの? どこを見たらいい?」と答えを引き出してくれます。
「え~っと 何といったらよかったっけ。単語が出てこないよう。」とそういう表情を読み取ると、「こういうこと? 言い換えてみますが、こういう意味ですか?」 細やかで実に親切な人です。
こんな風になっても
「大丈夫、そのままで・・・。」といえば、「分かりました。」
通りかかる人に御迷惑をお詫びしながら、そうするとかえって恐縮され足早に通り過ぎていただいたり・・・。

実は初見ではこんなふうに可愛らしい笑顔をされる方とは思わず。
クールな人だと思っていたのですが・・・それはそうですよね。外国に来てその国の言葉が分からないのですし、よくぞ公園に集まるたくさんの人の中にいたものです。
私なら、「楽しもう」とどれだけ覚悟を決めても、きっと顔が引きつります。
「あなたの印象はメランコリーでしたよ。」

それにはそれなりの理由をお持ちだったそうです。
ですから「笑顔は」難しいと思ったそうです。
でも「撮ってもらっているうちに・・・笑顔になることができて・・・・。」
- 2016/05/12(木) 00:00:50|
- 人物
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何か楽しそうな演奏が聞こえてきて、屋台でおいしもの食べて、飲んで ご機嫌でステップを踏んでいる人たちがいました。
そのなかにこうしてライブペイントをしている人がいて・・・。

懐かしいお友達も駆けつけて・・・・。

この公園の企画は二日間にわたるそうで「二日で描き上げるんだからと思うと・・・・つい・・・・。」
「飲んじゃうんでしょ?!」
「よくわかりますねぇ。」

描く過程も楽しんでもらうこういう企画では、せかせかと描いても仕方がないですからね。
おかしなおじさんの相手もしながらです。そこがライブの楽しいところで・・。

この方、「あす画」さんというそうで、・・・・。
学生時代、こうして絵の具で汚れた服を着て日がな一日制作に取り組んでいる学生に憧れましたね。
理系の人たちも実験や観察でキャンパスに泊まり込んだり、実験室の道具でラーメンをすすったり。彼らの白衣もきれいとはいえませんでした。
そこがまた何ともかっこよくて。

平安神宮前のこの辺りは、新たに整備されてこうした企画をやりやすそうです。
市民が様々に楽しめる場所に発展するといいですね。

こういうオープンな場所で写真展もしてみたいなあ。

そこに来た人にフォトマヌカンをしてもらって、
撮った写真をすぐに大きなスクリーンに映し出して、集まった人が「おーっ!!」とか「きゃ~ッ」とか言いあって・・。
つまりは「写真でライブ」という事ですね。
- 2016/05/11(水) 00:00:32|
- 絵画
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町中でもどこでも、時に本当にピンと来る人を見つけることがあります。
でもそのほとんどの場合ははただ通り過ぎるだけにしておきます。
「あのような良い雰囲気をたたえた人に出会う事はこれから度々ではないぞ…だから、ここはガンバレ!!」なんて心の中でつぶやいていたとしてもです。
リスクは大きいし、何しろハンディも大きいですから。
公園で何か中南米?の音楽や食べ物・飲み物で盛り上がっている集まりがありました。
その群衆の中に、一人わずかに、いえかなり雰囲気の違う人がいました。
湛えているムードもですが、行動もです。

その様子を目の端にしばらくとらえていると、どうにも惹きつけられるものを感じて、つい話しかけてしまいました。
すると、・・・。
「日本語はあまり分かりません。」とのことで、
どこから来たのかとお尋ねすると「Korea」だと言うことでした。

無理やりこじつけるようですが、韓国と台湾は近々いってみたいと思っていたと言うこともあって、
「人の写真を撮っているんですが・・・・。」と過去の写真を見ていただいたり、趣旨を話したりして、お願いすると
「写真はあまり得意ではないけれど・・・・・いいですよ。
どうしましょうか?」と答えていただけました。

とても身軽な格好でしたし、屋台の食べ物を買って食べていましたから、日本の人かと思い込んでの声掛けでしたが、
「この辺で撮りますから、あの木の下にいきましょう。」
知人の中国人留学生によれば、「日本人、韓国人、中国人・・・」は見てすぐ区別がつきます付きますよというのですが、私には私にとっての美人は皆やはり美人でさっぱり区別がつかなくて・・・・。
と言っても、それでもやはり中国美人、韓国美人、日本美人という特徴はありそうな気がします。
あまり好きではない言い方に「美人過ぎる〇〇」というのがあります。
もうすでに言葉がインフレを起こして、表現される対象はすこしも「美人過ぎ」ていないことが多いですし、、「美人」のフレーズで耳目を集めようというマスコミの安易さが目立ち『過ぎます』が。
ただ、中国・韓国の人の中で美人を見つけると、この「美人過ぎる」という言葉を使いたくなることがたまにあります。
その一方、日本では、最近はあまり「美人」はトレンドじゃないような気がしています。
それはそれで悪いことじゃないとも思っているのですが。

この人と出会って、ただ単に写真を撮ったという以上に、人との出会いの妙を感じます。
それはまた後日。

外国に来て、見知らぬおじさんに声をかけられて写真を撮られているのですから「緊張しないで。」という方が無理です・・・。
私は外国語ができませんので、この人のプライべートなことは聞けませんでしたが、おそらくかなり知的な人だと思います。

第一私のミゼラブルと言っていい英語を何とか聞き分けて、私の思いを酌んでくれるのですから、それだけでもすごいことです。

「写真を送ってくれますか?」というので「勿論です。」と、のちに送らせていただいたのですが、それに対する返礼のメールも節度がありつつ、気持ちのこもったものでした。
- 2016/05/10(火) 00:00:53|
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「ぴゃ、ぴゅ、ぴぇ、ぴょ、ぴゃ、ぴょ、ぴぇ、ぴょ ぴゃ、ぴ、ぴゅ、ぴぇ、ぴょ」
力んだ大声を出さないで、しっかりと明瞭な音を遠くまで届かせる。
なかなかムズかしいことですよね。

つい喉に力が入ってしまいます。
それに先ほどの「ぴゃ、ぴょ…」なんて唇を尖らせているうちに痙攣を起こしそうです。
以前、人気度ナンバーワンの女性アナウンサーの早口言葉を聞きましたが、さすがにすごいですね。単なる高感度とか人気だけでない実力の一端を見ました。
でも語り口調などはNHKの加賀美 幸子さんなどがいいですね。私としては。
「女子アナ」をタレント化してきた民放ですが、それとともに「伝える」ことが劣化してきているように思えます。
マスメディアに言いたいことはたくさんありますが、ただ罵倒しているだけでは国民の大切な電波と、報道の自由・知る権利がそれで少しでも豊かになるわけではありません。NHKの経営トップの更迭求めるなどのほか課題はたくさんありますね。
いいアナウンサーになってほしいです。

腕を伸ばし、指を立てて、それを目指して声を前に出そうというのでしょうか。
大昔、歌っているときに高い声は頭頂部から抜けるように上に声を出せなんて言われていましたが、そういうイメージは体の構えを変えますね。
体は楽器ですから、よい状態を作り出すことが必要です。

お腹を押さえてロングトーンの練習です。

絞って絞って吐ききるまで声を出します。

え~っと、次の課題は・・・・と。

まだまだ練習は続きます。

この写真は昨日のトップにもあります。演出上最初に持ってきました。
すべて許可を得てから撮っていますので、誤解の在りませんように、老婆心まで。
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- 2016/05/09(月) 00:00:47|
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その声は対岸にまで聞こえてきたのです。
演劇の発声練習でしょうか。それとも歌のための練習?

色々なジャンルの人の練習を見ますが、今まで演劇の人はほとんどなかったと思います。
大学や高校などでは屋上や外階段の踊り場などで、よく発声練習をしている姿を見たような気がします。
が、ここ鴨川では、たまたまでしょうが私は見ていません。それで演劇をする人には多少の関心もありますから近づいてみました。

聞いてみると「大学の3回生になったんですが、将来はアナウンサーを目指そうと決めて・・・。」ということでした。
最近は大学でも高校でも『キャリア教育』なるものが熱心に行われているようですから、進路意識が高いのでしょうか。
つい先日、この4月に4年生となったある留学生からメールがあり、「就職が内定しました。4年生の一年間をどう充実させて過ごそうかと考えています。アドバイスがあればよろしくお願いします。」とのことでした。
別の留学生からも「4年生の一年間を・・・・就職が内定したので・・・・大いに遊ぼうという人が多いのですが、せっかく大学で学ぶチャンスを得られているのですからしっかり学ぼうと思います。」というメールをもらいました。
私とはずいぶん違います。

で、まだそういうことを決めたのは最近のことなんだそうですが「ボイストレーニングの学校にも通い始めました。」とのことで、そのテキストを使ってのトレーニングのようです。
話す時の発声はとてもきれいで母音に響きがあって聞きやすいのです。

「かききくけこかこ かきくけこ」
私が「対岸まで聞こえていましたよ。」というと「ご迷惑でしたでしょうか?」というのです。
「いえいえ、もしご迷惑というほどの声だったら大変なものですね。」と冗談で返したのですが、・・・・。
お腹に手を当てて、腹式呼吸を意識していているのでしょう。

目標を決めたら取り組むべき課題を明確にして、しっかり努力してそれを達成する。そこにある課題・困難が目標に向かう上で当然のものと知れば、避けることなく立ち向かい、達成した時の自分をイメージしてやり抜くことができる。
努力の向こうにやり遂げた自分をイメージできるのがこの人の属している大学の多くの学生に共通しているのではないかと感じます。 そしてこうして撮影をお願いした時の受け答えが実に明瞭で明晰なことが多いです。
それにしても空一面に雲が広がると撮りにくいなあ。
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- 2016/05/08(日) 00:00:36|
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ちょうど日が傾いて、課題の逆光を活かす撮り方に挑戦。
それにしても最近、私は横位置で撮ることが増えました。
今日はたまたま被写体が二人の方ですし、なおさら横位置で撮ることになりやすいのですが、見返してみると、横位置が多くなっています。

人物写真の入門書には「人物はそれ自身縦長の存在ですから、一般にカメラも縦位置で撮ることが多いです。」と実にもっともなことが書いてあります。
「人物を撮る」のがポートレートだという事から始めるのですから、そういう理屈はまさに道理にかなっていると言えるのでしょう。

そして50ミリか、80ミリ~85ミリのレンズで撮るのがよいでしょうと。
けれど私はズームの28ミリ寄りで撮ることが増えています。リュックにはレンズ一本が、体力的に限界ですから残念ながら・・・機動性からいっても・・・・ズームレンズを持ち出すことが多くなります。
それでなければ35ミリがいいんでしょうか。それともやはり50ミリ?
上のも、下のもカギは向こうにいる3人の人物です。
むろんピックを唇に咥えたこちらのギタリストが主役ではあるのですが、彼らがいてくれるのでパリの街の雰囲気が・・・・いえいえ京都の町の空気が出てくるように思うのです。
いかがでしょう。

これは縦ですね。
やはりパリの空が・・・・そうじゃなくて京都の空が・・・・本当はもっと高く・・・欲しかったのです。
今・・・・これを書いている時点でのことですが・・・・京都グラフィエが開かれていて、たくさんの写真展を見ることができます。
とてもとても失望するものもありながら、一方で、やはりみてよかったというものが何点もあります。
植田正治氏の『童暦』の一枚だとか、奈良原一高氏の「ジャパネスク(禅)」、「消滅した時間」などは何度も戻って見直させてもらいました。
そうした作品を見せてもらうとやはり刺激されますね。
プリントも素晴らしい。(コロタイプというプリントかもしれません。)

被写体になっていただいている方々には申し訳ないけれど、私の写真など本当に気が抜けたサイダーだと感じます。
そうであるだけに、私は私なりに試みていかないといけないなあと思うのです。
で、最近横位置が多くなっているわけで・・・・・エッ?!工夫というのが、横位置で撮ることだって?なんて呆れないでくださいね。

また、「演奏するときには連絡しますから撮りに来てください。」と言っていただけました。
いつも、前回に不満を持って挑戦する次の機会を与えてもらえるという事は、相手があってこそ成り立つ人物写真愛好者にとってはとてもとてもありがたいことなんです。
撮って撮って撮らないと先に進めない人物写真。
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- 2016/05/07(土) 00:00:14|
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帰り道、鴨川沿いを北上していると「あっ! 蒼樹さん、お久しぶりです!」という声。
声のする方を見ると、懐かし?顔が。 懐かしいと言ってもブランクは半年ばかりでしょうか。
ジャズの演奏をしているCOCOさんです。
路上ライブは久しぶりに見ます。
むろん活動は継続していたのですが、私と会うのは久しぶりという事で・・・。
COCOさんは向こう側の人です。

昨年は何度か撮らせていただいて、夜のジャズライブにもお邪魔しました。
それはそれはご機嫌な時間でした。
今日は「お初にお目にかかります」のお仲間と一緒です。

「おっ!!逆光で面白そうだなあ。」
「逆光で撮りにくいんじゃないんですか?」
「そうなんだけど、そこがまた面白くて。 撮らせてもらってもいいかなあ。」

お隣の人も、もうジャズは長いんだそうで・・・私でも知っているポピュラーな曲を演奏してくれました。
ですから、写真を撮っていても気分がいいんです。
「これでビールがあれば最高!!」


今日は夜の8時から近所でライブなんだそうです。
その前に少しここでリハーサルを兼ねて演奏して、その後で食事を摂って本番、というわけです。
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- 2016/05/06(金) 00:00:41|
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この人にしてみれば、こう撮ってほしいというイメージがあって歯がゆい思いをしているのでしょうが、
もし室内、スタジオかどこかで撮るのならば部屋の天井から斜めに床までこの布を張ってそれに体を隠して、その背後からライトを当てるような撮り方もしてみたいものです。

この布の作者としては、工夫を込めた部分があるわけで、そこを前面に出したい思いもあるし、同時に「透け感」のある部分の効果も活かしたいし・・・・。
勿論、撮る方も透けて見える体の線や肌の色を撮りたいし、ほんのわずかに出した部分での演出にも気を配りたい。

そういう打ち合わせが、ちょっと近づいた時に小声で交わされます。

来ていただいたお客さんの記念的な写真を撮るのとは少し違う撮影の様子を見ていただいてもいるのです。

背後ではもう片付けが始まっています。
それで、友禅流しのように水に流してみようと・・・・。

そんな時でもアイディアが浮かべば・・・・。
よし、いいじゃない。やってみよう!
撮ってみよう。
こういう時が楽しいですね。

この時間ではもう少しずつ光が足りなくなってきて、
風薫り、光あふれる五月には、もっといい写真が撮れるような、そんな予感がうまれたことでした。
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- 2016/05/05(木) 00:00:44|
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これまで幾度も話題にさせていただいた高瀬川での「ききみずガーデン」。
その中で3日間の写真展をさせていただいたのですが、若い染織作家さんも作品を展示してくれました。
そのうちの新作を衣装に見立てて「撮影しましょう。」という事になり、最終の片付け間際に撮ることになりました。
多分おおよそのイメージは共有していましたので、
衆人環視の下で撮っていますのであまり大胆なことはできませんが
実はこの後ろに数人の年配の男性たちが見ているんです。

出来れば裾の長いワンピース仕立てにして来てみようかなとも思われたようなのですが、何しろ制作のための時間があまりない中で、相当頑張ってここまで作ってきていますから、一日目にお手伝いいただいた時は「眠い!!」の連続でした。

型を切って、それを当てて染、さらにその型に手を入れて次のパターンを作手染めていくという手法だったそうです。
しかも二種の繊維を使って一方を溶かすとこうして「透け感」が出てきます。
上部にはセル(細胞)が描かれ、その細胞が剥離して姿を変えて花弁となり散っていく・・・・。
人が自然異同化していく・・・・・やがて高瀬川の流れとなって消えていく・・・・

そんな桜の季節に行われたこの企画を意識して制作されています。
女性が花の化身となり、やがて大きな自然に吸い込まれていくようなイメージでしょうか。

桜と年頃の女性の若いすがすがしさのある妖艶さとをオーバーラップできないかと・・・・・。

5ミリのせめぎあいです。
- 2016/05/04(水) 00:00:18|
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「こんなにたくさんの種類の漬物があったら「これはどんな味?」と聞かれたら困るね。どれも味を知っているの?」
「そうですねぇ。でも一通り皆食べさせていただいていますから、何とか説明させていただいていますけど・・・。」
まあ、あまりに当然のことを聞いてしまいましたが、店の奥の方までよくこれだけの種類をと思うほどたくさんの漬物と派生商品が並んでいます。

最近では、いろいろなお店で客の言動が横柄なことをたびたび見ます。何故そんなに偉そうなのかと、その態度が酷いことがあります。
一方、接客の仕事をしているのに、どうしてそうも気が付かないのか、所作や言葉に気配りがないのかと思わせられることが一再ではありません。
そういう意味でこの人を見ていると実にほっとします。

京都は観光の地ですから国の内外からたくさんの人が来られます。
それに対して受け入れる側のホスピタリティーはどうかというと、かなり疑問を抱くことがないわけではありません。
TVや雑誌などでやたらと京都、京都と持ち上げて名店や何だか勿体を付けた銘菓とか料理とかが紹介されますが、はたしていうほどなのかなあと思いますし、特別な世界だけを取り上げて素晴らしい素晴らしいというけれど全体的に満足度が高いかといえば疑問もあります。
そういう意味でこうした観光の中心地のお店で働く人たちには期待するものも大きいわけです。
逆を考えれば、フィレンツェ行ったんだけど、パリではね、ロンドンは、ミュンヘンで・・・とたまたま入ったお店でその町全体、いやその国の印象が決まりませんか。何十日も滞在していれば別ですが、私のようなツアーで一日二日いただけなどという場合は、なおさらです。
いやあ、福岡の店は料理がうまかった・・・○○はひどかったねえなどと言ってもすべて食べ歩いているわけではないのです。

私が「ききみずガーデン」の時に海外から、他府県からのお客さんと交流する時に、そういうことをとてもつよく意識しました。
ですから一緒に車座になってワインを飲みながら楽しい時間が送れた時などは、よかったなあとつくづく思うのです。

外国からのお客さんが、いくら払えばよいのかよくわからなくて自分の財布の中を見せて「必要なだけとってくれ・・」と言っています。
そういう事ができる安心感をこの人の表情は出しているとおもいました。
(こういう事を書くと日本は安全だ。日本人は素晴らしい。それに比べて・・・。とすぐに他国民を侮辱しないではいられない人がいます。そういう言葉を吐いているその人の表情を見たら、きっとこの海外からのお客さんは開いた財布を引っ込めることでしょう。)
日本人はではなくて、この人は・・・という風に考えるべきだと私は思います。

帰り際に、・…こちらが写真を撮らせていただいたのに・・・ありごとうございました、と言われてしまいました。
こちらこそ本当にありがとうございました。
- 2016/05/03(火) 00:00:31|
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私は毎週いくつかのギャラリーを回って絵や写真などを見せていただいていいます。
ですから、その都度お会いする…と言ってもすれ違うだけの事なんですが…方々がいるのです。
その代表的な方がそれぞれのギャラリーのオーナーさんです。ギャラリーによっては会期中ほとんど会場にお見えにならないオーナーさんもたくさんおられるのですが。
町中にいくつか写真専門のギャラリーがありますが、そこは欠かさず見に行きます。

河原町の四条通を花見小路の方に向かうと通りの南側に「西利」という漬物屋さんがあります。
その建物の3,4階がギャラリーになっていて、やはり「西利」といいます。
で、そのギャラリーには漬物の店舗の中を通って、奥にあるエレベーターに乗ります。
3階はほぼ必ず写真展です。4階は絵もありオブジュエもありパッチワークとかフラワーアレンジメントなど様生な分野の方が利用しています。
私は、必ず4階から見るようにしています。

ここのギャラリーは写真をしている人には有名で、様々な京都を代表する写真団体や著名な方・・・といっても私はお名前も業績も存じ上げない場合がほとんどですが・・・・が写真展をされます。
で、毎週一度はここを通るものですから、漬物のお店のスタッフも何となく顔見知りになります。
殊にこの人は

ずっと以前にも撮らせていただいているのですが、接客の仕方も感じがよくてきぱきとしていて好感が持てます。
笑顔の時の、口の形と目の表情がとても良いのです。
目があえば会釈を交わして通りすぎます。特にこれと言って会話をするのではないのですが。
餅花が飾られているときなどに撮らせていただきたいと思うのですが、お客さんが多くて混雑しているときや、店頭の仕事ではない奥の仕事をされているときなどがあって、いつも具合よく声が掛けれれるというのでもないのです。
とにかくお仕事の邪魔をしてはいけませんから。

たまたまこの日、展示会場から出てくると、わずかにお客さんお流れが薄くなって・・・・声をかけるチャンスがありました。
「いそがしそうですねぇ。外国人が大半の様だけど・・。」
「そうですね。八割くらいが外国からの客さんのような気がします。ちょっと大げさですか?!」
つい先ほども手ぶり身振りでお客さんとやり取りをしていました。

なじみのお客さんは入ってくるなり「○○、あるかしら。ああ、これこれ・・。これを××個ね。」と話が早い。それで大概試食用を一口、味見をされていきます。
「修学旅行生」もたくさん来ますし、洋の東西を問わず海外の方が入ってきます。
- 2016/05/02(月) 00:00:30|
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