絵で表現する場合は、周囲にあるものを自由に省略して描けますし、デフォルメしたりして表現できますが、写真では・・・出来ないことはありませんが・・・・かなり難しくなります。

そういう意味で、こうして椅子にかけたモデルさんを撮ることになると周囲の展示物が背景として少々乱雑に見えてしまいます。
モデルをポップ・アップするには適しません。

勿論、敢えてこういう風なものに埋もれた表現をすることはありますが。
それでふとこうした写真を撮るのは将棋の終盤で詰め筋を探すこととよく似ているなあと思いました。
どのコマが邪魔をしているのか、どのコマを活かして詰めるのか。今ある条件をどうすれば変えていけるのか。
最終の詰めの形に向けて逆算するような手筋です。

今眼前にある姿を撮ればいいというのならば、それもまた一つの撮り方ですが、ある人を撮るという時、こういう状況にもっていこうという企みを持たないといい写真は撮れないように思います。
そこに落とし込むための道筋には、しかし自然な流れで誘導し、「手」が生きてこなければならないように思います。相手は、こちらの手に対して必然で応える。その必然の答えが相手の玉の逃げ道を自然にふさぎ、あるいはこちらの角道や飛車の走る道を開けることになるような声掛けや条件付けが必要だなあと思います。

何手詰の将棋でしょうねぇ。

撮った結果を見れば、ただの一枚ですが、そこに行きつくためには段取りがあるわけですから、・・・そこは人に提示するような部分ではありませんが・・・・条件づけられ制約された環境での撮影でよりましな写真が撮れるという事も大切な技量かなと思います。
そういうことができるようになりたいものです。

まあ、しかし、作品としては結果がすべてですからね。
- 2016/05/01(日) 00:00:42|
- 絵画
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