それぞれの方が・・・当然のことながら・・・書き方が違います。
絵の完成形に向けての迫り方も、モデルのつかみ方も。
手前の方はスケッチブックを使ってクロッキーというのでしょうか、早描きをしているのですが、ページを変えるたびに描き方が変わります。
実にいろいろの引き出しを持っておられるのですね。

振り返れば私にそれだけの撮るための引き出しがあるでしょうか。
う~む、そういうことをもっともっと意識しないといけませんね。

「商業的に利用されなければ撮っていただいてもいですよ。」と言っていただいて、モデルの方も絵に入れられることになりました。
ただ絵のためのモデルと写真のためのモデルとはかなり違いますので、それをどう工夫をすかという事がまた面白い課題でしたね。
この方はファッションなどのモデルもされているのだとか。

描いている人と会話をしながらの楽しい空気です。
同じ姿勢を続けるモデルはなかなかしんどい仕事だと思います。長くても続けられるのは10分とか15分でしょうかね。
私では体が固まって元に戻りません。

中でも、目線を保つのがしんどいかなあと思います。ただ写真と違って瞬きは自然にしてもよさそうです。
私も新しい印象の写真を撮るためにフォトマヌカンそしていただける人を探しているのですが、このところそういう出会いがなくてちょっと沈滞気味です。
先日買い物をしていて「これは!!」という人を見つけたのですが、ついに声をかけることができませんでした。
「これは!」という人になかなか巡り合わないのに、そういうひとを見つけても声をかけないのでは永遠に撮れませんね。

写真を撮ることに対する覚悟が甘いんだろうなあと・・・・思うこのごろです。

私のためにフォトマヌカンをしてくれる人がどこかから湧き出てくるわけはないのですから、意識的に探して声をかけるしかないのに。
- 2016/04/30(土) 00:00:01|
- 絵画
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
絵画だけではなくて造形的オブジェ作品も革の作品も展示されています。
5名の方が参加した展示です。
約2週間の長丁場です。
で、先週も一度見たのですが、面白い作品もありましたから、どなたか作家さんと会えるかなと思いまた立ち寄りました。
すると会場のエントランスから中を見ると床に座り込んで絵を描いている方が見えました。・・ので、その目線の方向や幾度も視線をあげたり落としたりする素振りからして、もしかすると想像したのですが、

「豈図らんや」、案の定・・、モデルさんを囲んで作家さんたちが絵を描いていました。

作品をもう一度見まわしましたが、お話を伺えるような状況ではなさそうに思い、しばらくその作画の様子を見ていました。
きらいなかがモデルをしていましたが、私はどちらかというと「描いている人」に興味がありましたから、モデルさんの視野の外から「撮りたいなあ。」と指をくわえて眺めていました。

するとお一人が私をみとめて話しかけてくれましたので「絵もさることながら、あなた方を撮りたいなあと思って…。」と話しますと言下に「どうぞ撮ってください。うれしいなあ。」と言っていただけて
「ブログに載せたりしますが大丈夫ですか?」 「大丈夫だよなあ。ぜひ。」という事で
さっそくカメラを持ちだしたというわけです。
ところがこんな時に限って「今日は天気がいいから、暗いレンズだけど、マニュアルフォーカスでしか撮れないけど・・・。」と苦戦覚悟の撮影になりました。
そのうえこのギャラリーもまた暗いのです。
で、こんな具合です。

ピント合わせに専念していれば構図にも動きを読むことにも神経が行かなくなります。
せっかくのチャンスなのにまずいなと思いながらも・・・・。

それにしてもとても仲良しな雰囲気でお互いが楽しんでします。
と、一番手前のすこし年配の方が、私の方を見て「どこかでお会いしていませんか?」と繰り返し言われる。
私はこの手のことに弱い。出会う場所や状況が変わってしまうと、一度お目にかかった型を思い出せないのです。
写真に撮らせていただいた方は案外記憶にの頃のですが、いくらかお話した方でもいったん静止画像にならないとどうもだめのようで・・・・。
ひょっとして失礼なことになっているのかもしれません。

向こうにモデルの人が見えますね。
どうも周囲の方のお話を集めるとプロのモデルさんで、そこ方がこの中のどなたかのお友達で、お客さんとして来られて、こうしてモデルをしているんだとか。
プロの方ではなおさら勝手に撮れませんし、許可条件も難しいはずです。
- 2016/04/29(金) 00:00:44|
- 絵画
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
中国、韓国、そして日本の若い作家の展示でした。
同じ大学を卒業しての久しぶりの集合。
実は言い出しっぺはもう一人の別のお友達。その人はチュニジアにお住まい。で、あまりに遠くだということもあって今回は残念ながら不参加だそうです。
共通点は同じ大学で「漆」を専攻したという事。

海外からの、ことにアジアからの留学生という事で、私は反応してしまいます。
この人は中国の内蒙古から来ています。中国の大学では油画を学び、日本に来て漆を専攻、そして今は絵を描かれているとのことです

同じ専攻で学んだ者同士ですから国籍を越えて友情を深めています。
私が天気図を見て日本国内のあちこちに思いをはせるのと同時に、ときに瀋陽はかなり寒くなったなあとか台湾は今度の台風の被害を受けそうだなあなどと心配したりするのと同様に、この人たちは広い地域の人々に心を寄せることができます。

それぞれの国はと地下農村かで違いはあるもののその国の民度に応じて文化施設や活動の成熟度が異なります。
利潤を追求する経済に偏重しているとはいえ、やはり一人当たりGDPの大きな日本と中国、韓国とは違います。
街の中に貸しギャラリー幾つもあり、そこで毎週のようにプロ、アマの作家たちが絵画展などをしている日本と同じわけにはいきません。
同じ日本だって私の郷里で写真展をしようとすれば公民館を借りるかどこかの喫茶店か何かにお願いするしかないでしょう。
この方は韓国の南部にお住まいだそうですが毎月一度はソウルに美術作品を見に行くそうです。
そうしないと良い作品に触れられないのですね。
ですから、こうして日本で展示会をするというのも、より多くの人に見てもらいたいという思いがあるからでしょう。
国内のチャンスだけでは不十分なんでしょう。
逆にそれだけに視野は広くなるし、問題意識も深く大きなものとなることでしょうね。
隣近所で事足りてしまえば、意識も又隣近所的なものとなってしまう恐れがあります。
少なくとも海外で展示会をするという事になり、こうして安くない旅費(と言っても京都から北海道に行くより安いかもしれませんが)を負担してまでやるには、「なぜそうまでして作品を発表するのか。」という自問も当然強くなることでしょう。

私のように「やれるからやる」というのとはおのずから覚悟が違ってきますよね。
途上国の青年たちが強い意識とエネルギィーを持ってことに当たるのは古今東西に共通したことですね。
- 2016/04/28(木) 00:00:56|
- 絵画
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
先日、木村伊兵衛氏の写真展に出かけてきたんです。
作品は、1954年、55年くらいの時のパリで撮ったものです。その多くはキャンディッドでしたが、いいなあ、よく撮れてるなあというものがやはり何点かありました。
モデル撮りのものもあったりして、興味深かったです。

お客さんも多くて、比較的女性の姿が目立ちました。そういえば先日のロベール・ドアノーの時も人は多かったなあ。
私が普段見ている様々な写真展では、これほど人の姿を見ることはありません。その違いは何なんだろう。良い作品を残した有名な写真家の写真展だから当然だというだけのことなんだろうか。

私には写真展に行って「この写真のどこがよいのかわからない。」という事がよくあります。
それではよい写真を目指せませんよね。何がよいのかわからないんですから。
それでいつも困ってしまうんです。



でも写真は好きなんですよね。
これってどういう事なんでしょうねぇ。
- 2016/04/27(水) 00:00:02|
- 人物
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
この写真の日は写真展の第一日目です。まだそれほどお客さんがありません。
それで、それじゃあ、ちょっと撮ろうか、と室外に出ました。
こんなことをしていれば近くを通る方が「何をしているんだろう。」と関心を持たれるかもしれないなあという企みです。
まだまだ冷たいとはいえさすがに春の川です。水もいくらか温んできました。
花筏の花びらを掬います。

「どう、冷たい?」
「もうそれほどじゃないですよ。大丈夫。」

始業式や入学式、あるいは入社式などを飾った桜もはらはらとちっています。
桜といえばソメイヨシノという事になりすぎていることについては、ちょっと不満はありますが、このサクラが散ると現金なもので観光客は一挙に減ります。
ですからこの時くらいまでが人出のピークでしょうか。

さてやはり白黒では季節感が出にくかったので、カラーにしてみました。
今回の写真展では若い女性のさわやかなものを多数出しましたが、そうなると大半はカラーという事になります。
その意味では白黒でそうしたさわやかな空気も出せるようにならないといけませんね。

このカラーの写真はキャノンで撮っています。


同じような場面でも白黒とカラーではずいぶん印象が違いますね。
いろいろ対比的に考えることができると思いますが、「今」的な絵と「過去」的な絵という事も言えるでしょうか。
- 2016/04/26(火) 00:00:34|
- 人物
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
私はプロのモデルさんを撮りません。
いわゆる撮影会というものにも興味がありませんし、例えば舞妓さんを撮れますよ、どうぞ、と言われると大概の場合は後ずさりします。
撮ろうという意欲があまりわかないのです。
あえてかたくなに拒否しているというのではないのですが、ただ気持ちが向きにくいのです。
これまで撮らせていただいた方々のほとんどの場合は「一期一会」的な出会いでした。
ただなかにわずかながら繰り返し撮らせていただけている方がいます。
この人もそのうちの一人です。
今回高瀬川でやった写真展の際にお手伝いもしていただき、下の写真のようにご自身の染色の作品も出していただきました。
青く見える大きな作品は大学の卒業制作の作品で、その左手奥に見える白いものが今回の新作です。
この展示会まで日数がない中、ご自分たちのお店での仕事やアルバイトの合間を縫って、寝不足の連続で制作に取り組んで展示にこぎつけてくれました。

先ほどプロの方を撮らないと書きました。
ですからいわゆる「素人」の方たちにフォトマヌカンをお願いします。それで撮影をお願いするときはフォトマヌカンとしてあまり多くの注文をすることができないのが普通です。
まずは確実に、きれいに撮れるという事が最優先になりがちです。
けれどこの人との出会いでは、「僕に、ある写真のイメージがあるのですが、それに協力してもらえませんか。」というところから始まりました。

で、なぜこの人にお願いしたいのかも率直にお話しました。
その一つがこの人の目尻の表情です。
初めてお会いした時にはその特徴を化粧で強調されていたのだそうですが、そういうことに疎い私はつい騙されていました(笑い)

私がほしいイメージとこの人自身の強調点の一つが同じだった、そこが幸運でした。
タダだからと言って、それをいつもキャッチできるわけではないので、それが歯がゆいのですが。

今度の写真展にはお母さんも見に来られて、展示写真(この人のものも3点ありました)を見ていただけましたし、会場の様子もご覧いただけました。
「時々写真を撮ってもらったり、何か一生懸命やっている様子なんだけど、よくわからなかった。でもあなた面白いことに参加させてもらっていいわねえ。」と言っていただけました。
うれしかったですね。

ところで、今度の写真展の時に、私とそう幾つも年の違わない男性が来場されて、写真を見ながら「こういう人物の写真を私も撮っているのだが・・・・。この写真は本人に断って撮っているの? 承諾を得て展示しているの?」と聞かれてしまいました。
どの写真・・・・殊に若い女性の・・・・を見てもご本人に断らねばできない撮り方をしていることはすぐにお分かりではないのかなあと思いましたが、まあ、そういう事が関心事であることは確かですね。
でも正直なところ、勝手に撮って勝手に公開してしまう様な人たちと一緒にしてくれるなと、少々「ムッ」としました。
人間が小さいんですかね。
その方は盛んに、一眼レフカメラよりミラーレスカメラの方がオートフォーカスの合焦点の分布面積が広いことを強調されて、一眼レフカメラを使い続けているなんて・・・という空気を濃厚に醸し出されていました。
「ポートレートの場合焦点を合わせたいものが画面の隅に来ることが多い。そうなると一眼レフではだめだね。」と言われるのです。オートフォーカスでしか焦点を合わせない方にとてってはそういう事も、あるいはいえるかもしれませんね。
けれど、そういう技術や工学の分野の事と絵としての写真を見ていただいて交流することとは、ひとまず、また別の次元だろうにと思いながら、仕方なく話を聞いていました。
私がアマチュアで熱心に写真を撮る人たちとの交流を好んではしない原因の一つはこういう事にもよるんですね。
(もっとも、その方は「お前の写真はピントが甘い。そういうことを直接的に言うのは武士の情けとして忍びないからカメラの問題として言ってあげた。それを逆切れしているようじゃあ成長は望めんなあ。」と思われているのかもしれませんが。)

桜の花びらが降ってきました。
- 2016/04/25(月) 00:00:13|
- 人物
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
頭上の桜はもうほとんど散ってしまいましたが、上流には今を盛りと咲いているものもあり、散り急ぐ木からはたくさんの花びらが下流に届けられます。
一昨日、昨日などは見事な花筏です。
今日も足もとを彩ってくれています。
本当に気持ちの良い時間です。
音楽ってすごいなあ。
楽器を演奏できるってことは羨ましい限りです。(感想が単純すぎますね。)

さて、今日は「ききみずガーデン」企画の最後から二日目でもあります。
そこで二胡の演奏会を終えて、楠田さんを囲む会と企画の打ち上げを兼ねた会になりました。
そこでも楠田さんは気さくに皆で歌う歌の伴奏までしてくれました。
「私はプロだから・・・。」なんていう風は微塵も見られません。
(と言ってもご自身の演奏自体にはプロの気構えというか情熱がとても強く感じられるのです。)

そんな楽しい交歓会の場でカメラを持ち込むと場がしらけます。ですから、カメラはギャラリーの方に置いてきているのですが、瞬間見つけた光の魅力につい抗えなくって・・・駆け戻り・・・・。

皆は「しょうがない人だなあ。」と呆れ半分諦め半分で・・・。

写真は「存在するモノしか撮れない」のですから、その刹那を見逃したらもう二度と捕まえることはできないのです。
いつでも捉えるぞと身構えていてさえ、取り逃がすのですから、見つけたら撮る努力をしない限り、何も手に残らないことになります。
絵画と違うところですね。

しかも見つけたからといって、撮れるわけではなく、撮ったからと言って、絵になっているわけではなく。
絵画のようにその一枚に丹精込めて描きこむことはできませんが、写真の場合には、見つけて、撮って、選んで…を繰り返す中でようやく獲得する一枚だという事では、あながちバカにできないものがあるように思います。

またそう思ってもらえるものを撮るように努めていかないと写真に対する評価は良好になっていかないように思います。

写真を「フォトグラフィー(光画)」とはよく言ったものです。
- 2016/04/24(日) 00:00:13|
- 音楽
-
| トラックバック:0
-
| コメント:2
私が高瀬川の「ききみずガーデン」という企画で三日間の写真展をした、その中間の日に楠田名保子さんが二胡の演奏をしてくれました。
本来はその日の夕刻から「演奏会」をされるのが趣旨でした。
が、せっかくなので写真展への人の流れを作るお役に立ちましょうと、昼の間にも幾度か演奏をすることを買って出てくれました。
「演奏会」に比べていくらかリラクッスをしての演奏ですから平服です。
まだほとんどお客さんが来られていない頃ですから、私たちスタッフの独占状態。

幸いこの日は穏やかに晴れた暖かい一日で、川の流れの音や鳥のさえずりも混じる最高の舞台でした。
高瀬川の水面の光を見ていただくと気持ちの良い日だという事がお分かりだと思います。
私たちは勿論のこと楠田さんも気持ちよくこの情景に溶け込んで演奏されていました。

本来は馬上でひくこともある楽器だそうですから、こうしたオープンスペースで聞いてもその音は平面的にも高さ的にも意外な広がりを持って伝わります。
とげとげしさのない柔らかで馥郁とした音は、柳の枝のようにしなやかに川面を下っていきます。

床に腰を下ろした私たちは「贅沢な時間だなあ。」と繰り返し言葉を漏らしています。
本当にそうなんです。

実は以前にもこのブログで紹介していますように、一度打ち合わせで顔を合わせているだけでなく、その時にも気さくに曲を演奏していただいています。ですから、初対面のよそよそしい緊張感も少なく、打ち解けて聞くことができました。

今日、お手伝いをお願いしている方が和服で来てくれていますので、なお一層興趣を高めています。
私の「写真展へのお客様の対応+床でのお客さんの撮影+希望の写真のプリント販売・・・」という企画はこうしてサポートしてくれる人がおられなければ到底、順調に実行することはできません。
私にとっては若い染織作家の作品の展示や、その人とこの方の援助、さらには楠田さんの二胡の演奏、機材の貸し出しなどでもギャラリーオーナーやN氏の協力と多くの方々の支えがあって初めて実現するという大変ありがたい三日間なのです。
- 2016/04/23(土) 00:00:53|
- 音楽
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
最近、「この夏にドイツに行こうか」などと妻と話している。 果たして実現するモノやらどうやら・・・。
と、そんな折にこの方に出会いました。 場所は「ききみずガーデン」で写真展をしていた高瀬川。
川の中に床を置いて、何やら幾人もが座り込んで楽しそうにしている。それを見て興味を抱いて近づく方は少なくない。
そこで、「どうぞどうぞ一緒に楽しみましょう。」 欧米の方、アジアの方…様々です。
そうした中で一段と目を引いた方。

自分が「フォトグラファー」で、ここに来た人の写真を撮るサービスをしてるんだと・・・・通じたか通じないかわかりません。
それよりなにより他のスタフがけしかけることけしかけること・・・。
で、とにかく、「私を撮ってくれるの?!いいですよ。」という事にはなったのです。
どういう風にしたらいいのかと言うので、「僕がするようにして。」とボディーランゲッジ。
「Like me」 で、大体行けるようです。
ルフトハンザ航空のCAだという事で、周囲の「おじさんたち」が色めき立って、「撮らせてもらえ」とはやし立てるので、こういうことになりました。

カメラを向けようとすると「ちょっと待って。」と靴下を脱ぎ始めました。
そこで「?????」というところが、私が女性心理を理解しないところかなとも思い、またさすがにCAをしているだけあっておしゃれ意識が高いなあとも思い。
きれいなペディキュアをした白い足でした。
立っているだけで、肩の力の抜けた、しかし線の通った、いい姿です。

言葉ができませんので「どれくらいの時間があるのか」とかいうことを即座に聞き出せません。
後で悔みました。もっともっといろいろなポーズをお願いすればよかったと。

旅慣れているからでしょうね。こんなラフな格好で、手荷物も軽く、・・・。
私が「この夏にルフトハンザでドイツに行くかもしれない。」というと「それは何時でどの便かわかるか?」というのです。
実はわが細君はJALで行きたいといっていますので、ルフトハンザではないかもしれず、返事はできませんでした。価格がだいぶん違いますが、日本語が通じるかどうか、われわれにはそこが肝心だという事で。
この人が搭乗していることが分かってれば、話は別ですが。

でも、ドイツ機は狙われる確率が高そうだしなあ。
私が人生んの選択を誤るときには、必ずそこに美人がいて・・・・・。

当然、CAのユニフォームを着ていればこんな風には撮らせてもらえないわけで・・・・。
実際の事はよく分かりませんが・・・CAの撮影はなかなか難しいとか聞いています。
以前、イタリアにいったときにその往復の機内でCAに撮らせていただきましたが(このブログにもアップしました。)、事情をお聞きすると、問題は撮る方にありそうですね。
撮った写真をスクリーンに映し出して、写真を選んでもらいます。
撮った枚数が少なくて、選択の幅が狭く、なかなか決められませんでした。

今日、手助けに来てくれている染織作家さんに、PCの画面で、「前のをもう一度見せて。いやこれじゃなくてもう少し戻って。う~ん、これじゃないなあ。」と随分迷っていました。
私が「じゃあ、これとこれをプリントして一枚は私がプレゼントしますよ。」というと
「いえいえ、私が払います。」と2枚を決めてお買い上げ。

とても喜んでくれました。
お手伝いしてくれたこの染織作家さんの英語力にも大いに助けられました。
今度の企画は、こうして助けてくれた方たちの力がなければ、おそらく大混乱だったでしょう。
お客さんはブログにあげないつもりでしたが、了解を得て、昨日の三人組とともにアップしました。
- 2016/04/22(金) 00:00:45|
- 人物
-
| トラックバック:0
-
| コメント:2
「どちらから来られたんですか?」
「九州です。」
「遠くから来られたんですねぇ。」
「いえ、私たちは関西在住なんですが・・・・。」ということで、お若いお二人が関西にお住まいで、お母様が九州からという事。
親子で旅行なんていいですね。
お友達も椅子を使って、ポーズ。

今度はご一緒に。
私は「写真館」の経験は・・・・勿論・・・・ありませんし、「はい、ポーズ。」の経験があまりありません。
そうかといってせっかく着物を着ているのですから、その良さも撮ってあげたいし。やはりそういう事のためにはいろいろな知識と経験が必要のようですね。

「写真館」の方たちにも 色々なノウハウがありご苦労があるのだろうと思います。

実はこの時、まだまだギャラリーでの態勢が整っていなかったのです。
というのも展示はできているし、機材の配置も接続も完成していて、ライブビューも順調です。
ただ、プリンターが印刷用紙をうまく受け入れてくれないのです。で、ゆがんで出して来たり、用紙の半分にしか印刷しなかったり、ようやく位置はうまく行ったと思えば「一色しか出てない!!」
と言うわけで、今日お手伝いしてくれている若い染織作家さんが悪戦苦闘してくれているのです。

「ちょっと床に座って、女性らしい雰囲気を出してみましょう。」
「さすがお母さん。座り方を知ってる。」とお若い二人からの声。
こういう色っぽい座り方はなかなか若い方には難しいですね。

お客さんに喜んでいただこうと発色もよくグラデーションも深い、良い紙を奢ったのですが、それがよくなかったようでプリンターが紙の厚さに対応しきれないようです。しかも「インク切れ?!」
急遽プリント用紙を、次にはインクを買いに走らねばならなかったのです。
それで、この時には間に合わず、私のメールアドレスにメールを送っていただき、それの返信に写真を添付して送らせていただきました。
ご迷惑をおかけしましたので「お代はいただきません。」
どうもいつも私は詰めが甘いのです。

それでは三人そろって!!

九州の大地震でお母様に被害はなかったのでしょうか。
ニュースを見ているときにも写真を通じて九州にできた知り合いの安否が気になりました。
どうか御無事で。また一日も早い復旧を。
- 2016/04/21(木) 00:00:37|
- 人物
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
高瀬川で「ききみずガーデン」という企画に加えていただいて、写真展にご来場の方の撮影をさせていただいて楽しみました。
初日の事、会場のごく近くに「貸衣装・…とは言わないのかなあ」店が最近開店して、そこで着物に着替えた女性たちが(中には男性も・・・カップルの場合が多いですね)出てきます。
「どうぞこちらへ。」と川中にしつらえられた床に招きます。大半の方は「着替えが済んだら観光へ・・・あっちに行かなくちゃ、あそこで食べなきゃ。」と私たちの手招き、声掛けを振り切っていかれますが・・・・。

この三人の方が興味を持って床においでくださいました。
お母様と娘さん、そして娘さんのお友達。
せっかく着物を着たんだし記念にどうですか?! というわけですが、
ここ高瀬川でこのアングルで撮れるのもとても貴重ですから。

この床や、お隣のギャラリー(そこで私は写真展をしているのですが)には、オーナーの関係で、気づかないうちに長年の経験を持った本格的な写真家さんが来られることがあるんです。
その方々が私の写真を見、撮影をしている様子を見ていくのです。その時の「無言」が怖いですね。私は気づかないふりですが。

昨年の夏も同様の「撮影+写真の映写+希望の写真のプリント販売」をしたのですが、「高い」という声もあって、反応ははっきりしなかったのです。が・・・今年は「500円なら、ぜひ」と購入していただける方のも少なからずおられて、「500円?! じゃあやめておく。」という方はごく少数でした。
もっとも撮影の段階で「遠慮します」という方が多いのですけどね。

実際に撮ったもの、展示された写真をご覧いただくと、ちょっと気持ちを変えていただけるようです。
この会場を盛り上げるための「仕掛け」だと思っていますので、利益を上げようとか、何としても撮ろうという気持ちが全然ないので、その点は気楽なものです。
写真は撮れば撮るほど「赤字」が膨らむくらいのところです。見かけ上の売り上げは出るのですが。

でもこの企画を成功させようと集まっておられる方の大半が手弁当のボランティアですから、・・・皆さんに楽しんでもらってこの辺りを活性化できればいいなあと・・・。

お客さんがこうして参加してくれて高瀬川の気分を楽しんでくれていたら、また通りかかった方々が関心を持ってくれます。
- 2016/04/20(水) 00:00:30|
- 人物
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
このお二人に声をかけるときに「お二人は18歳以上ですか、それとも・・・。」とお尋ねしました。
「どうして年齢を聞いたんですか?」
「それは18歳未満だったら保護者の了解を得ないとまずいからね。撮ってあげるだけなら、高校生くらいにもなれば本人の了解があればとも思うけど、ブログなどへの公開はまた別だからね。」
「へ~、そうなんですね。」

実はこの二人のすぐ横に二人の小学生の女の子がいます。
先日の一枚目の写真には、その気配が写っています。
この場が寂しい雰囲気でないことを表すために入れています。

小中学生の水着姿や体操着の姿を盗み撮りしたような写真が、公然と公開されています。
そういうことをすることがその写された子にとってどういう意味を持つのか、またそれを公開することで社会にあって「写真」というものがどういうふうに評価をされるのかを、それを撮影している人、ブログ上などで公開してしまっている人はまじめに考えているのだろうかと、私は不愉快に感じています。
他のブログ・サイトでも同様なんでしょうか。

私の写真はつい季節感の無いものになりがちなので、今日は意識して桜を入れています。
暖かくなったからこそ外で練習ができて、そして夏のデビューを目指すのです。


- 2016/04/19(火) 00:00:32|
- 音楽
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
京都の町を流れる川にはいく筋かあるのですが、そのうちの一筋に堀川があります。
南禅寺辺りに流れ出した琵琶湖の水が疎水の流れとなって東山のすそ野を北流し、洛北高校の北側を流れてから、鴨川の川底をくぐって紫明通りの中央を西に流れます。それが北大路堀川をさがったあたりで南に折れ、さらに堀川通りに添って下って流れます。ただ、紫明通りの途中から今出川をさがったあたりまでは暗渠になり、暗渠から出たあたりからは、川に沿って公園化された川となります。そして再び、二条城辺りで暗渠となって視界から消えます。
哲学の道に沿って流れていたあの疎水がやがて堀川の流れとなるのです。(多分)
そこはコンクリートで固められてはいますが、市民の憩いの場にもなっています。

二人の若い女性がギターを抱いて練習中です。
この日は暖かですから気持ちよさそうです。
先ほどから時々「自撮り」していましたから、近寄って、話しかけました。

ギターの音は、ちょっとたどたどしいかな。
以前ほんの少しやったこともあるんだけれど「今日は再開初日なんです。」
それで記念撮影もしていたんですね。

「一人で練習すると挫けちゃうかもしれないけど、一緒にやればと思って・・・ね?!」
足元にはコードの教則本が。
「うまくできないから・・。」
「大丈夫、写真には音は入らないから・・・・。でも上手な人が写真を見たらやっぱりわかるだろうねぇ。」
「でも、いいです。撮ってもらいます。」

ピンクのギターとはおしゃれですね。
左側のピンクのギターの人は「Jポップ」を、右手の人は「昭和歌謡」を弾けるようになりたいんだそうです。
それで、・・・・。

「夏頃には、路上ライブデビューをしたいと思ってるんです。」とのことでした。
でも路上ライブも良い場所は激戦ですからね。大変です。

この付近だけちょっと本数が少ないのですが、この日は、川沿いは桜が満開でした。
続きを読む
- 2016/04/18(月) 00:00:37|
- 音楽
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
それぞれのパートで呼吸も違うし発声も違う。で、姿勢も違ってくるので皆が音楽の集中して同じ空気で歌っているという写真を撮るのが難しい。
学生たちが楽しんでいるという感じも出したいし。、

絵では演出できるけれど写真は「事実」がそうでないと撮れない。
写真は「あるものはあり ないものはない」の世界だから 「(写真は)芸術にはならない」とフジナミ氏は言う。
あっても見ていない、見ていないモノは(意識としては)無い 無いものは撮れない、の壁は越えていきたいなあとは思う。

課題があると言う事はうれしいことです。
若者には未来があるといいますが、それが単に時間があるという意味だけならば、つまらないです。
そこに課題の意識がある(つまり現実に対して主体的にコミットして、その現実が見えているという事)ということなら青年期は楽しいです。愉快です。
でも、そういうことが分かるという事、そして取り組むすべが身についているということと若くてエネルギーがある・行動力があるという事とがなかなかかみ合いにくいのですね。少なくとも私はそうでした。

そこをもだえるという事が若いという事の意味ですね。
だからより多くより深く心の奥にまで物事を感じることができるという事でしょう。

「夢を持つ」ことが素敵だと言われたことがありますが・・・・おっととっと・・このまま「夢」について書いていくと小冊子一冊分になってしまいます。やめておきましょう。
年を取ると何か物を言いたくなるのは・・・一面・・・悪い癖です。

若者には若者の領分があり、子供には子供の領分がある・・・・高齢者には高齢者の領分があります。それをお互いに想像して興味を持ちながら尊重することも大切です。
敬遠して無視しても過剰に首を突っ込んでもよくないようです。
しかし、同時代を生きる現代人として、共感し連帯することは必ずできます。

四月の今日、彼らはそれぞれどこで何をし何を思っているのだろう。
- 2016/04/17(日) 00:00:56|
- 音楽
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
私自身についていえば、大学時代よりも高校時代の方が精神的に圧倒的に大きな意味を持った。
大学時代はむしろ空虚だったと言っていい。その虚ろさと格闘したのが大学生活だったといってもいいかもしれない。
高校時代のような高揚した気持ちにはついになれなかったことが、その後に大きく影響したから、大学生活が・・・・だったからとその後を肯定的に言う事の出来るものはあまりない。

しかし、他の同窓生が「大学時代に学んだり体験して感じたこと、この仲間で得られたことがその後の人生に大きく影響しているなあ。」と感慨深げに誇らしく語るのを眩しく見ることがある。
その逆に、当時は懸命であったからこその言動だったが、その中にはその後ずっと悔いることがある。それを皆に会って多少とも懺悔したいなどと言い出すものもある。
どちらにしても大学生活は小さからぬ痕跡を自分史の中に残すものだ。

さすがにこのグループの歌はうまい。
先ほど日本人の初老のご夫婦が「関東から来ています。あなたたちの歌声に感心しました。」といくらかを箱に投げ入れていかれた。
足を止めて暫し聞き入る人は少なくない。

学生時代最後のグループとしての活動。彼らには万感迫るものがあろうと思う。
卒業を前にして様々な未来のための準備に忙しく十分な準備で臨めてはいないというが、それもまた仕方のないことだろう。
今、レンタルサイクルに乗って外国人のカップルが耳を傾けている。ずいぶん感心している。
そしてやはり箱に幾許かを投げ入れて行った。

私が学生の活動に関心を持つ理由はいくつかあるけれど、心理的には自分が学生時代に得られなかったもの、実現しなかった者に対するこだわりがいいまだに尾を引いているからではないかと、感じることがある。
潔くないなあと独り言ちする。

そもそもこうして写真を撮っているのは高校時代以来「出来なかった」ことの回復ではあるのだが。
続きを読む
- 2016/04/16(土) 00:00:40|
- 音楽
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
「卒業」
それは同じ時間を濃密に過ごした仲間たちとの別れを意味します。
彼らはアカペラのサークルで4年半? ある者は6年を一緒に過ごした仲間たちです。
学部入学の1年生の時から、何と修士の終了まで。

四月からは就職するもの、進学する者、京都に残るもの、他県に行くもの。
「今日で、一度きっぱり終わりにする。」
それは新たな環境に向かう決意でもあるのでしょう。学生時代に別れを告げようとしています。
で、今日はここ三条京阪で、ラストステージです。

このステージの始まるぎりぎりまで「就活してるやつがいるんで、少し遅くなりますが・・・・。」
今日は心置きなく絶唱するつもりのようです。

大学にはいって始めたんですけど「最初は下手で・・・、それでも街頭でライブはしたんです。 お客さんが一人とか二人とか・・・。」

「思えば遠くに来たもんだ 🎶」と歌われていますが、「学校出てから十余年」の後には自分でも予想しなかった場所で、思いもしなかった役割を担っている自分にふと気づいて・・・・ため息をついたり、あいつを思い出したり。
私も気づけば、引っ越すたびに出身大学に近づいていて、今や町内会長として時にキャンパスに足を運んで、新しくなった学舎の部屋で会議をしていたり。
何だかなあ~ 何してるんだろう。

入学した当初、周囲に勉強している者や話がかみ合うものが見つけられなくて、やっぱりこの大学じゃダメなのかなあ、もう一度やり直すべきなんだろうかと悶々としていた、今、その大学を見て暮らすようになるとは。
そしてその大学で学んだがために、その後の職業選択に影響し、良くも悪くもその大学の学風を負って職場での役割を果たし、その旧職で培ったものが否応なく今の活動に影響して、こんなことをしている。
運命論者でもなく「初速と発射角度が決定されれば、人生の落下地点が決定する」・・・とは思わないけれど。
個展を開いた時に、無理やりに二つの大学時代の同窓会をした。
東は北関東、西は九州から駆けつけてくれた。

悲しいことに私たちとは音信が不通になってしまった者もいる。
物故した者もある。
- 2016/04/15(金) 00:00:29|
- 音楽
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
昨年も留学生の帰国を・・・直接的にではありませんが・・・・見送りました。
今年もその時期になります。(来年はもっともっと寂しくなるでしょう。)
この二人は、あるギャラリーで二人展をしていた台湾からの青年です。

女性の方が、京都の芸術系大学の院を終了して、あともう少ししたら帰国するのだそうです。
男性の方は、まだあと少し東京で学ぶんだそうです。

外国で学ぶのは良いことですね、と言っていました。
台湾の置かれている複雑な状況もよくわかっていて、そのことをしっかり我がこととして自覚的に研究課題を見つけていました。
後で彼女の研究を分かりやすく、楽しく知ることのできる冊子をいただいたのですが、私自身初めて知ることも多かったし、ここにも東アジアの未来を予感させる若者がいるなあと感じました。

私はこうした若者と、少しばかりですが、交流をすることで、日本の将来と東アジアの将来をあまり悲観的に考えずに済みます。
この女生とは以前にもお会いしていたんです。
台湾からの留学生同士が楽器を持ち寄って、鴨川で楽しんでいるところに出会いました。
その時にフルートを演奏していた人だったのです。

私よりもこの人の方がよく覚えてくれていました。
1000人越えの弊害ですね。

右側から伸びている腕は、同じ台湾からの留学生です。大阪の大学に学んでいるそうです。
こういうネットワークは絆が強いですね。
瀋陽にいった時には日本人会や日本人教師の会などの様子を知ることができました。
お互い助け合ったり情報の交換をしていましたし、日本文化の普及にも努めていました。
どの国の人も祖国を離れれば同国人との結びつきを求めます。

外国では、一層祖国のことを考えるようになりますね。
祖国の良い面悪い面がくっきりと見えてくるように思えます。それを自分自身も含めた同国人の課題として意識できるかどうかですね。
- 2016/04/14(木) 10:00:47|
- 絵画
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
木彫作家として利き手が不自由になれば、それだけで落胆は尋常なものではなかろうと思う。
こんな道楽写真愛好者でも、万が一視力を失えば、どんなにか辛いと思う。

私が「写真を撮らせていただけませんか?」と声をかけさせていただいた時には、瞬間、逡巡された。
その時,、奥さんが強く「撮ってもらったら?! 私も写真がほしいから。」と促してくださった。
「孤独の作家」と書くのはふさわしくない、とその時思った。

ただ、・・・・私もそう思うのだが・・・人は、やはり本質的に孤独なんだと思う。
その孤独と向き合うからこそ、人を愛したいと思うのだろう。
その本質的な孤独に加えて、現代社会のありようや、その人の人となりからくる加重する孤独感もある。
私はこういう孤独感から目を背けたり、浮薄な興奮に誤魔化してはならないと思うので、この人の作品は一層心に響く。
記憶をたどって私とのほんのわずかな交流の瞬間を思い出してくださった。
言葉も不自由なので、歯がゆさを押して「2年前」と筆談してくれた。
2年前に会いましたよね。あの時のあの人ですよねと身振りで伝えてくれた。

力強い言葉だった。

作品の一点一点を紹介したいのですが、そうもいきませんから・・・。
作り出されたものと会話できる作品に出会う事は、そう度々あることではない。
だから私は幸運だと思う。

聞けば、私より幾分お若い。
まだまだ活躍の時間はある・・・・と自分にも言い聞かせながら。

おくさんをはじめご家族の支えやファンの期待に応えてこれからも良い作品を生んでいただけるものと思う。
そういう意味で、私が、川添さんの幾分御不自由そうな姿も撮ったのは、未来から今を見たからに他ならない。
- 2016/04/13(水) 00:00:30|
- 彫刻
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
「孤独の作家」と書いてみたが、それは違うと思った。
この方には2年ほど前にお会いしたことがある。

マロニエというギャラリーで個展をされていた。木彫作品と言って良いのだろう。
その作品は心が漂泊しているという印象の孤独感を強く湛えたものだった。
叫びもつぶやきも飲み込んだような静かな造形は、何度も作品の前に足を止めさせた。

部屋の隅に立つ作品が、ことに印象的で、私はいろいろな角度から見直していた。
そこに川添さんが背後から、「何か感じていただけるものがありましたか?」と声をかけられ、しばしこの作品についての会話があったと思う。

私は自身が個展をして、率直な批評がほしいなあと感じてもいたし、個展をされる方への礼儀だとも思っていたので、思いついたことを素直に申し上げた。
すでにすぐれた作品をものしている方に門外漢があれこれ言うのは憚られる、それが一般の考えだろうと思うのだが、その門外漢に向けて発表されているのだから、そこに何がどう通じているのかお知りになりたいだろう・・・そう思う。

実はこうして撮影をさせていただいた時に、奥さんのあ話で初めて知ったのだが「個展のときには、ただでさえ多い酒量が一層増える。とても精神的な疲労が多い。あの時もいろいろな反応に対して随分深く抱え込み考え込んでいた。」のだそうだ。
そういう誠実な精神が作品にもよく表れている。
私がある作品を気に入って、「ただこれを載せている台はもっと細くて不安な線を描くものがいい。」と・・・・買えもしないのに、こんなことを言ってすみませんねと言いながら・・・・つぶやくと、「ぜひ作り直してみるから後日見てほしい。」と言われた。

その機会を得るか得られないかかという頃に発病されたらしい。
人の噂に、ただ事ならない病状を聞き、心配していた。
で、今回の作品展のおはがきを受け取り、まず真っ先に出かけたというわけだ。

マロニエでお会いした時は会場の暗さもあり、またギャラリーでの毎日で神経が疲れて尖っていたせいもあったのか、表情はこんなに柔らかくなかった。
今は懸命にリハビリに取り組み、奥さんの支えもあって、依然として不自由な体ではあるが、制作にも意欲をお見せになっている。
- 2016/04/12(火) 00:00:09|
- 彫刻
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
以前にも登場していただいた方ですが、お店で顔を合わせるととても親しみを込めた表情で応対していただけるので、足が向きます。

「可以・・・?」としゃべれもしない中国語もどきでカメラを出すと、頷いてくれます。
やはり私はこういう姿が好きです。

このお店には最近、中国でこの人の師匠に当たるコックさんも新たに来ていて、日本の味を研修されているそうです。
全く気のせいだと思いますが、その「師匠」が私の注文を受けて作ってくれた料理に私の体が敏感に反応しました。
「ダメだ、これは。あの味だ!!」 つまり中国の味を残した料理だったのです。・・・・そういう意味で名実ともに中国料理なんですが。
他の方には「非常好吃!!」なのですが、私には・・・・。

中国から来ても若い人の方が順応性があるかもしれませんね。
「師匠」は顔つきにも風格があり、とても良い雰囲気なので、今度撮影をお願いしようかと思っています。ただ日本語が分かりませんので、この人に通訳してもらわねばなりません。
ブログでご紹介できる日があればなあと思っています。

このお店は三条大橋の西詰めにあり、すぐ目の前に鴨川を見ることができます。
近くにライバル店もありますが、ことに桜のシーズンなどは大忙しです。
「 写真を・・・・」などと言えるような状況ではありません。
それにしてもなぜでしょう。
餃子を肴にビールを酌み交わしている人たちを見ると、平和で幸せそうな感じがします。

話は変わりますが、この人を見ていて、ふとある人を思い出しました。
それは瀋陽の職場にいた時に、建物の改装工事に来ていた労働者です。小柄ですが日焼けして筋骨がしっかりしていて我慢強くまじめそうな風貌の人でした。
時々「早上好」などと声を掛け合っていましたが、初め小さな声での返事でした。が、私が帰国する頃には大きな声で応えてくれましたし、改装工事の現場で彼の働く様子も写させてもくれました。
帰国する前日、「飛行機に乗るのに荷物が多すぎるからもらってほしい。」とお願いしてワインを差し上げました。

どこの国にも地道に働き家族や地域のために貢献しながら幸せを築こうとしている人々がいます。
中にはこの写真の人のようにはるばる他国に職を求めて、あるいは大きな夢を抱いて国を離れる人もいます。
それを受け入れて共に働く人がいます。
この間にあえてヒビを入れて「憎しみや不信」というくさびを打とうとする人たちがいます。

私は文字通り微力ですが、その反対の役割を果たしたいなあと思います。

謝謝、再見。
- 2016/04/11(月) 00:00:05|
- 料理
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
今日は「ききみず茶会」の最終日です。
というわけで私の写真展+写真撮影会(+若い染織作家の作品展)も終わりです。

桜にツツジにサツキに・・・・と次第に周囲がカラフルになり、また新緑が気持ちの良い季節になります。
京都の町は外国人観光客であふれています。
先日、ききみずガーデンの床にある外国人一家が訪れました。
ご夫婦に娘さんが二人、そしてその子たちのおばあちゃん。

私たちが故有ってワインなどを飲みながら談笑していたところ、私たちの手招きに応じて輪に入ってくれたのです。
お国は「とてもタイニーな国。ルクセンブルク。」だそうです。ルクセンブルクは人口が50万人弱。京都市の三分の一です。
そこから5人が出国すると・・・・。

お父さんは英語で私たちと話すのですが、お母さんはフランス語が得意。
小さなその国はドイツ、ベルギー、フランスに囲まれた国ですから歴史的には様々に翻弄されても来ました。
他国民、他民族の人々の交際を抜きには存在しえませんが自国の軍事力や経済力で排他的に独立を守るわけにはいきません。そこには懸命な外交が、言葉の力が必要です。

ヨーロッパでは日常的にも多くの国民、民族が交流しあいますから、この姉妹はお姉さん14歳がドイツ語・フランス語・英語に母国語を話すのだそうで、妹は目下それを目指して勉強中。
おばあちゃんも英語で会話に参加です。
私は、そこでふと考えました。
対立をする国、いがみ合う国の相手の言葉を学んでこそ市民レベルの国際交流もでき、平和も築けます。

ただ私の現実は、この時は幸い私の両サイドには、海外赴任経験のある方と、大学教授がおられましたので、こちらからの発信はお任せ状態で、ただあれこれの単語を拾い読みするだけで精一杯でした。

そんななかで外国語の習得は何歳くらいがいいのかという事が話題になり「母国語の形成」を軽視しては、その人のアイデンティティが危うくなるという話が出ました。
ネイティブのように話せるという事がよく強調されますが、私の若い中国人の友人たちは日本語も英語も堪能ですが日本語は中一からの学習です。
先日出会ったフランス人女性は留学に来て以来の来日7年で身に着けています。
まだまだ外国語学習のノウハウには研究の余地がありそうですね。
続きを読む
- 2016/04/10(日) 00:00:47|
- パフォーマンス
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
紙芝居がやってきました。
紙芝居といえば木村伊兵衛氏の写真の中に、はなたれ小僧たちが紙芝居を群がってみているものがありました。
今そういう場をめったに見ることができませんし、この付近ではそうしたはなたれ小僧を見つけるのが難しいです。京都の町中は過疎で小学校の統廃合が進んでいます。子供たちの歓声など、何かイベントでもなければほとんど耳にしません。
「『昭和』は遠くなりにけり」です。

私の子供の頃を思い出しますと、 紙芝居も楽しみでしたが、動物やヒーローの型を彫り込んで焼いた粘土板を型にして、粘土を押し込み、それに彩色して「おじさんに評価」してもらって、よくできるとさらに大きくて複雑で高度で、かっこいいヒーローが描かれた粘土板をもらえる遊びに夢中になったこともありました。

子供たちは自分の手指を使い、人の声と表情を見て楽しみ学んでいったものです。

それ以外では、自分で幾枚もの板を並べてつなぎ、それにハンドルとなる横の板をつけて、それの各所に「戸車」を打ち付けて、坂を下るおもちゃを作りました。・・・・今で言うならば、大型のスケートボードみたいなものといえばいいのでしょうか。最もそれに座ったり腹ばいになって乗るのですが・・・・
ハンドルの部分は、脚で操作するのです。むろん腹ばいになって手で操作することもできます。
のこぎりの使い方、金槌の打ち方、曲がった釘をたたいて延ばし、錆びた戸車には油をさし、どうすればスピードが出るのかを考えます。

他には・・・・、全国各地で呼び名が異なるようですが、隣の地域ではペッタンと言っていました。
私の地域では、なぜか他ではあまり聞かない呼び方ですが「ケン」といっていました。メンコと呼ぶ地域が多いのでしょうか。遊び方も様々で、相手の札をひっくり返して取り合う遊び方が多いようですが、私たちの地域では違いました。
小さなケンを「賭け金」のように場に差し出して積み上げ、それを先の方に引いた線より外に叩き出したら自分のものにできるというものでした。叩き出すために「親」のケンがあるのですが、それは厚みも面積も小さなもの何倍もあったでしょうか。 この親の方は印刷されている時代劇の俳優やヒーローのかっこいいものを選びに選んで買い求め、それを何枚も重ねてビニールテープで巻いて、しかもたたき出しやすいように頭部の厚みを増して、自分の特製のものを作るのに夢中になるのでした。それは何にも代えがたい宝物になるのです。油を沁みこませたりする秘密の技もあったりして。

任天堂やソニーは正しい企業行為をしたのでしょうか。
あんなもの?は開発しなくてよかったのになあと思います。
子供たちの手指の巧緻性を奪ってしまいましたね。創造性と実感から世界を知ることを奪ってしまいましたね。
子供たちはこんな声と表情に夢中になり、人を知っていった方がいいと私は思うのです。
- 2016/04/09(土) 00:00:31|
- パフォーマンス
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
自然農法にこだわったノンカフェインのハーブティーだそうです。
上賀茂手作り市に出店されていました。

日本に留学の折に「禅」と出会い「すっかりハマリました。」という事です。
「日本語が流暢でお上手ですねぇ。」
「ええ、私はおしゃべりなので・・・・。」
やはり積極的に言葉を使うことが外国語習得のカギですね。

「リラックス茶、春一番茶、デトックス茶、はつらつ茶・・」などが並んでしますが、故郷の南フランスでご家族が栽培しているものも素材とされているようです。
そして、えっ?!それ何? というのが「「地球の女茶」
説明はCLARA-CHAさんのリーフでどうぞ。

お話しているうちに分かったのですが、この方は私の家から直線にして2キロメートルもないようなところにお住まいだそうです。中学校区で言えば同じ区域です。

禅にハマって、このごろは「道教」にも関心が出てきたそうです。
以前からヨーガにも興味があるそうですが、この辺りは親近な関係にありますね。
多分そこにはハーブと通ずるものもあるのだと思います。
私はこういうアプローチは悪くないなあと感じています。

「写真を撮られるのは恥ずかしくて少し苦手・・。でも、いいですよ。」と言いながら興味深いお話をしてくれました。
「私がフランスに帰って撮った写真と日本で撮った写真を見比べると顔つきが違うんです。」
というのは、・・・。

フランスでは緊張気味の顔をしているし、日本に来るとリラックスした穏やかな表情をしているというのです。
そこには日仏の対人的な文化の在り方の違いが反映しているようです。
フランスでは人の独立性・自律性が大切にされ、ポリティカルなことも含めて自分の主義主張を明確に持つことが求められます。そしてそれを表現すればすぐさまあちこちから反論され批判されます。それが当然のことで、自分も積極的に反論することが一人前の人間の資質なんですね。
その点、日本では「事を荒立てない。まあまあ。なし崩し。寝技と根回し」の文化ですから、自分の意見を論理的に提出することも、それを冷静に批判すること・反批判することが避けられます。そういう意味では表面的には穏やかで平和ですね。
それで日本では攻撃されないという安らかさがあるらしいのです。
(最近の日本の世の動きはフランスとは違った意味で攻撃的で粗暴で容赦ないですが。)
なるほどと思いました。
同じ日本の中でも地域や県の違いで顔つきが違うように思うことがありますね。
京都と大阪でも違うんじゃないでしょうか。

この人を視ていて、やはり表情が豊かだなとも思いました。
たまたま写真では多様な表情が撮れていませんが、写真を撮るときにそれを追いかけるのが難しいなあと思いました。
続きを読む
- 2016/04/08(金) 00:00:24|
- 手作り市
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
この写真を見て、「なんだこの光は、ひどいな!」とお思いの方が多いだろうと思います。
そうなんです。実は最近簡易型の小さな照明器具を購入して、初めて使ってみたのです。
「実験を兼ねて。」とお話しての撮影です。
器具を手持ちしてくれていますので光が強すぎるのです。私もそれに対応できていません。

大学で表現に関する分野を専攻されている方たちですから興味深く付き合ってくれています。
もっと光量を落とすように調整できますし、カメラの方を絞ればいいのですが・・・・。
こうなったのには、部屋を明るくするというほどの光量でないことが分かって、「(この照明器具は)案外暗いなあ」と思い込んでしまったことにも原因がありました。

今月8日からの高瀬川での撮影会に・・・・たまたま撮る場所に条件づけられてどうしても逆光で撮るケースが多いので・・・・こうした照明がほしかったのです。
簡単に持ち運べますから、これまでのように暗所や逆光で困らなくてよいのではないかと。
さて、この人の作品も私たちの思いを、ちょっと角度を変えればこう見えませんかと提示してくるものです。
ここでもたまたま磔刑のイエスが登場してきますが、特に打ち合わせがあるのではないようです。お二人の作品にイエスが登場しているのは、ひょっとしたらこの人たちの大学がキリスト教系の学校なので、普段からなじみが深いからかもしれません。

この透明のボールを逆さにすると、多くの場合雪が降る・・・・のですが、中には人がたくさん降り注ぐなんてものもあります。
これは意味深ですね。

LEDの光は少し青くて5500Kくらいかもしれません。気を付けないといけませんね。
ただ周囲の光を支配するほどの光量はありませんから、やはりそのほかの人工照明や自然光の量に注意を払う必要があります。そこはやはりプロの仕様とは程度がかなり違います。

男女のフィギュアが少し離れて立っている作品があります。
二人の小指はしっかりと赤い糸で結ばれています。喜びに包まれるように蝶結びは大きく表現されています。
で、グッとのぞき込んで玉の底を見るとそこには二人をつなぐ金属の太い鎖がありました。

実は、最初にこの会場を訪ねた時には三人の方がおられて、「写真を撮らせて」というお願いをしたのです。ところがその時もうすでに夕刻が近くて、ただでさえ暗いこの会場がさらに暗かったので、後日出直しますという事になりました。
そして改めてお訪ねしたところ、間の悪いことにもうお一人が体調を崩されて在廊されていないと言うことでした。
ですから記念すべき1000人目は、このお二人のどちらか・・という事になったのです。
今日不在だった方にも是非とも機会を・・・とお伝えください。
- 2016/04/07(木) 00:00:50|
- オブジェ
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
会場を一巡りします。
なんだろう、何を表現しようとしているんだろう、自分にこうしたものを鑑賞する素養がない分よく見るようにします。
(そういう意味で写真は『一目見たらわかっちゃう』と一般に思われているように感じます。少なくとも私のものなどはそうですね。)

この人の作品の含意は現代的に意味があると思います。
というかまさに現代を写していると思いました。
「現代と取り組まないものは作品とは呼べない」(誰かがどこかで言っていたような記憶が)・・・・私もそう思います。

「神は死んだ」と言われる時代は、誰でもが「超人」として正義を振りかざせる時代でもあります。
不遜が正義となる時代!!
そして正義が乱立して、果てしなく諍う時代です。

この人の作品の眼目はそこにあるようです。
昔、あるスーパーヒーローの登場するTV番組で「正義の味方よ良い人よ」と歌われました。
今ではそのように手放しで正義をかざし、よい人ぶることはできません。そういうことに対しては鼻白む時代でもあります。

それは価値が相対化した時代だとは、ずいぶん以前から言われてはいますが、こうして「相対化した」という事態に対してどう対処するかという、個人としての、またマスとしてのありようが不安定なままです。
そこにまた、その相対的で確定しないことに対するイライラ感や不安感からオカルトへの憧憬や、強いリーダーへの拝跪や屈従した思考停止の態度が蔓延するようになってきています。

これはアメリカの国民大衆の動向にも我が国の少なくない人々の意識状況にも顕著に表れています。
ここに一つの現代人が正面から見なければならない問題があるように思います。
そしてこの人はこうした問題をこのように表現しました。
十字架にかけられたウルトラマンは、決してキリスト教を揶揄しているわけではありません。もっと普遍的な提起です。

「だから、一神教の世界は・・・」といい、「我が国は多神教だから・・・」などと言っても何の慰めにもなりません。
若い院生が、こうした作品を提示していることに注目したいと思いました。
- 2016/04/06(水) 00:00:28|
- オブジェ
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
見せていただいているときにきちんとお訊ねするべきでした。
お店のある場所を教えていただきましたから今度お訪ねして質問してみようと思います。
神社に行くとお賽銭箱の上の方に大きな鈴がぶら下がっています。そしてその鈴には太い紐・縄が結ばれ、参拝した人がその紐・縄を揺さぶって鈴を鳴らします。
調べてみると、この鈴を本坪鈴というそうです。
こうした鈴を神前で鳴らすのはそう遠い昔にさかのぼれる伝統ではなくて、全国的に普及したのは戦後の事だそうです。
弥生式土器文化の時代に稲作文化とともに金属器が韓半島から伝来しました。むろん人が持ち込んだわけですが、その中に後に銅鐸と呼ばれる神器の元祖がありました。
韓半島ではそれは牛などの首に下げてカランカランと鳴らした「カウベル」だったのではないかと推測されています。
列島に持ち込まれてからは木につるされて、中の舌を揺らして周囲の壁にあてて音を響かせるものとなり、やがて地上に下ろされて形状を豪勢に飾り立てた神器となったようです。
土や木や石などは相互にぶつけても鈍い音しかなりません。列島にはそういうものしかありませんでした。そこに金属の甲高い、時には澄んだ金属同士が当たる音が響けば、時の列島の人々は驚き、得も言われぬ感情を抱いたかもしれません。
人間がそう感じるものは、また人間の共同幻想的創造物である神々もまたそう感じるであろうと、神々を慰めたり鎮めたりするのに金属の鐘や「鈴」が用いられるようになったのかもしれません。
(まあそういう意味では鈴や鉦や太鼓によって心揺さぶられるというのでは案外神様も他愛のないものかもしれませんね。)
鈴木という名は、その鈴を小枝にぶら下げて神事を行った人々についた名です。
神社に下がっている鈴の下の紐は「鈴緒」というそうです。
「魂の緒よ 絶えなば絶えよ ながらえば・・・」と詠われた、あの「緒」ですね。
単なる紐や縄ではないらしいのです。 神魂と我々を結ぶ「緒」なのですね。
と、長々しく書いてきましたが、肝心のこれは何て言うんでしょう。
鈴緒と房との間にありますね。

素材は桐だそうです。
この方は「鳥居」や神社、仏閣の建物に掛けられる「扁額」を作られますが、今日はこれに文字を刻み込んでおられました。
扁額もまた字を刻み込みますし、切り出します。
傍らには「稲荷神社」の扁額が置かれていました。

実は、以前からこの方の店の前を何度となく通り、そのたびにガラス越しに仕事をされているのを覗いては「一度間近に見てみたいなあ。」と思っていたのでした。
「エッ?! あそこの店なんですか?!」というわけです。
そういえば立派な看板や額がいくつも置かれていました。

文字はそれが専門という方が書き、それを板に刻むのです。
時には有名な書家や政治家などという人が書いたものを刻みます。
私は以前から、その墨痕をカスレや筆の勢いや、ふくよかな線のふくらみを鑿でどうやって表現するんだろうかと、その不思議さと見事さに感心していたのです。

今日の文字は楷書のような整った字形ですから、まだ仕事はしやすいのではないかと思いますが、これまでの作品の写真を見せていただくと、やはり驚くような表現のものがたくさんありました。
鋭い線、柔らかい線、伸びのある線、擦れた線・・・・それを刻むのにはやはりいろいろ素人には分からない技が隠されていました。
文字はそのエッジを刻んで、かもまれた部分を面として平らに削っているのではないのでした。
線の内側に当たる部分は芯になるところが山に膨らんでいるのでした。平らな面ではないのです。だからこそ見た目に勢いや力が感じられるのでした。しかもそのふくらみは細い線、太い線、交わる線、擦れる線などで皆微妙に違っているのです。
そこに光の反射の妙があるのですね。
触らせていただくと、ますます実感します。

どの方の仕事を見てもそうなのですが、こうして文字を刻んでいても小刀が滞ることがありません。
そして刃を入れる方向や角度が舞を舞うように変わっていきますから、この角度で撮るのがいいか、このタイミングかと追いかけても追いかけても追いつきません。

やっとのことで光る刃先を撮った時には「あっ、向こうにお客さんが入ってしまっている!!」と気づきながらも「ままよ!!」という感じでした。

どこをどう撮れば職人さんの腕の冴えや迫力が撮れるのか、今回もまた暗中模索でした。

職人さんたちのお仕事と私の写真とではキャリアが違う・・・ということでしょうね。

- 2016/04/05(火) 00:00:34|
- 工芸
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
陶磁器といえば茶碗や花器を作るというイメージですが・・・。
もちろんそうでないものもたくさん陶磁器として生産されています。

この方は例えばお土産になるようなものを作られています。
今こうして作られているものは紐の先にぶら下がる「カバ」です。

なんだそんな玩具か、飾りかというなかれ、そこがやはり手作りの職人技が作り出すものは一味も二味も違います。
安いものは型に粘土を押し込んで成形して着色して焼きます。それで沢山同じものができます。
そのような同じものを手作業で作るのですが、その肌の風合いや曲面の滑らかさ感じ、さらにカバの表情などなど、うんなるほどという手指の技があるのです。

隣に十二支が並んでいます。愛嬌たっぷりのミニ龍たちが並んでいるのですが、その造形にこの方の工房ならではの表現があります。
工房のお名前は「暁陶房」 宇治にあるんだそうです。
小さなお地蔵さんがあるんですが、よく似ています。 誰にですって? 勿論この方にです。
これまた愛嬌たっぷりで見ていると顔がほころびます。

カバは二重瞼だったってご存知でしたか?
勿論こちらの工房の表現なんですが、それがとてもいいんです。
黒目を囲う瞼を作っています。

考えてみれば世の中のお店に並べられているものは何にしても生産者がいるんですね。
当たり前の事なんですが時に忘れがちです。人がものを作り出さない限り人に有用な材は生まれないんですからね。
(もっとも、経済学的に言えば自然財といって人の労働に依らないで無償で入手できるものは確かにありますけれど。例えば光や空気など。)
作られたものの背景に、人の営為をイメージしたいものです。
- 2016/04/04(月) 00:00:21|
- 陶芸
-
| トラックバック:0
-
| コメント:1
清水焼の絵付けをされています。
多くの職人さんは、普段はご本にお一人で工房にこもっておられたり、せいぜいご家族が並んで製作にいそしんでおられる場合が多いのです。
そこが機械制大工業と違うところで「朝の用を済ませて自分の場所に座ると昼まで誰とも一言も口を利かない。ラジオが話し相手。」みたいな場合が少なく無いようなのです。
(ちなみに機械制大工業が生まれて協業の中に組み込まれる多数の労働者が現れると、新たな人格が誕生するわけですね。つまり多数と眼前で協業するわけですから、常に他者との話し合いや意思の疎通を必要とするところから生まれる人格です。工場内の分業と協業は、工場外の分業と協業についても結びついて、人類の社会性を、それまでの歴史的段階では得られない高い段階に引き上げます。そうすることで、人類を「国民国家」を形成し、やがては地球規模で連帯することを可能とする存在に自己形成することが可能になるわけですね。ただしそれあくまで可能性で、それを現実的に達成するのが早いか、「利己心」に媒介された「(地球的規模の)社会性」[・・ですから、繋がっているからこそ対立するという疎外された社会性]の段階で自ら滅んでしまうかというのが現在の世界の状状況ですね。)

神祇衣装のように通常一般の消費者を相手にするのではない方々は別にして、
こういう器などを作っておられる方にとっては、果たして自分の作ったものがお客さんにどのように評価してもらえているのか、知りたいけど分からないというのは、ちょっと隔靴掻痒の感があると思います。
直接の小売りをしないで問屋などを通す場合が多いですからね。

農業の世界でも『生産者の顔が見える』というコンセプトが広がっていますが、それは生産者・消費者の両方からの「人間らしい経済関係」を望む気持ちの表れだと思います。
大工業でだって開発者を露出したり、工場で働く人たちをミニコミに出したりして消費者とつなげることが増えてきていますが、なおその間にある壁が取り除かれて、生産と(流通と)消費が人間的なつながりを回復すれば、社会は大きく変わると思います。
という様な話は少々大きすぎますが・・・・・。

互いの仕事を互いが理解しあい、敬意を抱きあうという事は、現代社会でとても必要なことだと思います。
震災などで「失われてみて」初めて気づくことがありますが、「復興」でそれを忘れてしまわねばいいなあと思います。
そして何がそういう見晴らしの良いつながりを阻んでいるのか、もう少し意識的に気づくことも大切だなあと。

器の内側にも絵を描いていくのですが、筆の扱いが難しそうです。
それでも龍のうろこの一枚一枚が「べたっと塗られ」ているのではなくて微妙に描き分けられ、桜の花びらも、一枚一枚の花弁の中に色の濃淡が描き分けられています。

こうした絵柄は先人たちの手になる過去の様々な作品を見て、改めて描き起こして下絵にします。
下絵に鉛筆などでなぞってそれを転写することもあるそうですが、今日は目で見て描き写しています。
いわゆる芸術作品のような一点ものではないですから、逆にセットとして精度高く「同じものを作る」力が求められます。
繰り返せば習熟しますが勢いが失われがちでしょう。そういう矛盾を克服しても行きます。そこが腕の良い職人ですね。

私たちは店頭で出来上がった製品を見ています。
この製品がどのような人によってどのような技術で・工夫で出来上がったものかを知りません。
それは、大工業製品だって同じです。
TVなどで、なぜこのことを人々に伝えないのでしょうか。

人は人生の活動的な時期の大半を「仕事・労働」に費やします。それは人生そのものと言ってもよいものです。
しかし、その姿をお互いに認め合えるような情報は発信されていません。
食べたり、飲んだり、遊んだり、人の隠したい情報にばかり群がっています。
こういう社会は真に人間的と言っていいんでしょうか。
- 2016/04/03(日) 00:00:26|
- 陶芸
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
銅の板を二枚重ねて打っているので、なぜかなと・・・・。
金床は硬いので、別の銅板の、後で切り捨てる部分を下敷きにしているのだそうです。
たたいた部分の脇を膨らめて凸に起こす時などは、松脂の床を使うそうです。象嵌でも松脂の床を使っているのを見ましたが、こういう使い方もあるんですね。

私が旧職で、あれこれ当面する問題に翻弄されている同じときに、これらの方々が着々と仕事をしてこられて今日の腕を磨いてこられたかと思うと不思議な感慨を持ちます。
それは、様々な職人や作家たちの仕事を見るにつけそう思います。
やはり40年50年というのは十分に長い時間なのだなあと。そしてそれを結実させてこられた方に敬意を感じずにはいられません。

こういう方々の仕事を見るにつけ、自分に悔みがあるとしても、「ルサンチマン」「や「コンプレックス」にしないように心しておこうといつも思います。
今の世の中、ルサンチマンやコンプレックスを激しい言葉に込めて噴出させる風潮があり、それを煽って、理性を蹴倒そうというどす黒い意思が蠢いていますからなおさらです。

他者の存在をあまりに粗末にしすぎるような傾向が肌をぞわぞわさせます。
少しでも抗いたいですね。

こうした会場では、陳列されている作品の撮影はできません。
「そこの・・・・でき上っているものを・・・・撮っていいですよ。」とおっしゃっていただけました。
前ボケで入れようと思ったのですが、もう少し絞らないといけませんでしたね。

こうした「天冠」などを単品で取引されるものではなくて、紐や花飾り、あるいは衣装と組み合わせてセットで取引されるのだそうです。そこでそれらを集める問屋さんが需要者に応ずるので、「どんな方が手にしているのかどんなところで使われているのか、わからないんです。」とのこと。なるほど。
でも、こうしたお仕事は京都では五、六軒でしているそうなので「全国で使われているんですねぇ。」

少し絵柄を意識して撮ってみました。
- 2016/04/02(土) 00:00:19|
- 伝統工芸
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
4月ですねぇ。
桜に惹かれて京都は大混雑です。
桜は人の気持ちをうきうきさせますね。
このブログも6年目に入ります。 ブログの記事の上では、今日のこの方で「996人目」となり、5年以内での1000人達成はなりませんでしたが、それより何より未だに「継続している」という事が、自分としては、驚きですね。
「三年目の浮気」ではないですが、熱しやすく冷めやすい私としては良く続いているものと思います。
畏友のHudson Terrace 氏は7年目になると思います。彼を勝手に私のペースメーカーにしているわけで、彼の到達には・・・・何より作品の質において・・・・・遠く及びませんが、先を走ってくれる人がいるという事はありがたいものです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
この方は、「神仏錺金具・神輿・各種天冠」の製作をされておられる方。
今日は「天冠」を製作されています。
「天冠」は巫女さんが奉納舞いの際にかぶったりする金属製の冠です。
銅製で金メッキを施した金の箔を張ったりするのだそうです。

7代目だそうですが「それ以前もあったようですが、資料で確かなことが確かめられないので、聞かれたら『七代目』とお答えしてるんです。」とのこと。
京都で十数代は珍しくありませんから「まあそれくらいです。」と控えめ。

幾本もの鏨を準備して打ち出したり切り取ったり・・・・。
鏨も松を描き出すためのものなどアールの大小など様々です。職人はやはり道具ですね。

台は「サクラ材かな。昭和の初めに使われ始めたものだと思いますけど・・・。」と相当に年季が入っています。
台の縁で金具を曲げたり、別の金床を立てる穴があいていたり。
それにしても台の上面がずいぶん傾いています。何故でしょうね。聞きそびれました。
金槌を持つ指、鏨を持つ指をご覧ください。
職人さんは、どの方も特有の指をお持ちです。職人の称号ですね。

先日、職人の手先をクローズアップした写真を展示されているのを見ました。
職人の仕事を描こうとすると、やはりこの指先に注目しますね。よく撮れた写真でした。

円形の金属の板が見えると思います。
鉛でできていて「打ち抜く」時に使うものだそうです。
続きを読む
- 2016/04/01(金) 00:00:48|
- 伝統工芸
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0