現代では背広を「誂える」ことができるのは富裕層だ。それは確かだと思う。
私は仕立て職人だった父にスーツを誂えてもらったことはある。結婚式の時の服が最後だったと記憶している。
が、その後の生活では無理な話だった。
生地を選び、寸法を採り、仮縫いを体に当て、そして仕上げる・・・注文して手に入れるまでには数週間も一月もかかる。
月給の一月分もはたくのだし、何日もたつのだから、いつ注文したら、その服がいつ着られるのか計画しなくてはならない。その日が楽しみだ。
今のように、今日見つけて今日買って明日着るというようなサイクルではない。

このKnitも注文性だから、次の冬に備えて今・・・・ようやく冬の寒さを脱して暖かくなってきた桜の季節に・・・・展示販売をしている。
高い技術で丁寧に編むためには時間を要する。「ポチっ」として数日後に届くという消費行動とは相いれない。
そういう面でも今の消費文化を意識的に変革する努力を伴わないといけない。

だから、単に良いものを作れば売れるだろう・・という話ではなさそうだ。

私の息子は、自分でシナリオを書き、一緒に劇づくりをする役者、スタッフを集め、箱を借り、演出して、時に自らも演じ、上演している。
東京で「劇団82-party」という劇団の名前を見たり、聞いたりしたら少し関心を持ってやってください。
親父がこういう事を書いていることを知るとあまり機嫌は良くないだろうが、まあ5年にして初めて書くのだからいいことにしてもらおう。たまたま同い年で夢を抱いている青年に会ったからの筆の滑りだと思って。

既にいくつもの面で父親を越えている息子だが、母親からすれば毎日の心配の種であることは間違いない。
息子の将来を思うと夜も寝られないと、時につぶやく。
「同じような、息子を持つ親としてどんな風にお考えですか?」と尋ねられた。
子は子として親のことを思うのだろう。
しかし、我が身を振り返っても「親の心子知らず」がいつまでもの真理だろう。それは仕方のないことだし、それでよいと思っている。

「親になって知る、親心」だ。
いつも亡くなった親を思って心が痛む。これも順繰りの事だろう。
やむをえまい。

親は未来を語る息子の目の輝きを誇りにも思い、うれしくも思うものだ。
息子たちよ、娘たちよ ガンバレ!!
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- 2016/03/31(木) 00:00:49|
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私の息子と同い年だそうです。
今回が、ここでの2度目の展示販売会。Knit Brand を立ち上げて郷里である京都での展示販売会です。

半時ほども話し込んだでしょうか。
自分のしたいことを明確にイメージされていて、今何に注力しようとしているかをしっかりと意識されています。

イタリアの撚糸に注目し、日本の編の技術を生かそうとし・・・・。

大量販売の短い流行の中で消費されていくものではなくて、10年着てもらえる品質とデザインを求めています。
ブランドを立ち上げて2年。まだ傍らバイトの身だそうです。
そこに我が息子の姿が重なります。
二人とも東京に拠点を置いての頑張りです。

「スーツ一着に2本のズボン」で〇〇円!! と言う様な、糊でくっつけプレスで無理やり型を付けて、途上国の低賃金を前提として作られた「スーツ」が売られています。
誰の体にも合い、だから誰の体にも合っていない服が街のあちこちにあふれています。
ボディーに着せられていてさえ皺が寄り、襟が波打つような服がウン万円で販売されています。
服の文化の貧弱な日本で、さらに理解をしてもらえるだろうかと心配になるKnitの「良いもの」を普及したいという情熱。

「今年流行するデザインは・・・」「今年のトレンドの色は・・・・」などという宣伝い文句にのせられて服は買われていく、着られている。
しかし、それでは飽き足らないという消費者が静かに増えているのも事実。そこに豊かさの質が問い直されている日本の消費文化の一面が現れてはいる。
非正規雇用が雇用者の半数になり、ブラック企業と言われる企業が当たり前のようにはびこる中で、よい消費者になるのはあまりに困難かもしれない。

彼は良い撚糸と良いニッターとをつなぎ、十年の消費に耐えるデザインを提案する。
例えば価格は8万円とか9万円。でも10年着れば一年につき1万円を割る。
つまらないデザインの貧弱な加工のものは、続けて着られる運命を持たない。それはコストパフォーマンスがよいと言えるだろうか。
かつて紳士のスーツは、やはり十年物だった。
流行で「あなたの個性」をお仕着せられる日本の消費文化はもう少し大人になる必要があると思う。
- 2016/03/30(水) 00:00:52|
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私が、こうして今のように「人の写真を撮る」ことを始めたのは、(前史を含めれば少しばかりさかのぼるけれど)5年前の事。
今月末で満5年となります。この記事を書いている時点(3/28)では、1002名の方を撮ることになりました。(1000名に達したら個展をしようと考えてはいたのですが、それが6月くらいになるのではという年初の予想がだいぶん外れました。それで、そのことは曖昧模糊・意識朦朧のうちに忘れたことにします。)
拍手もこの5年で5万超となりました。何か一節越えたような気がします。
私としては、実に個人的なことで、何か公表して話題にすることがはばかられるような感じもしますが、自分に関心を持ってくれる人は世界広しといえど・・・・亡くなった両親以外には・・・・そう多くはないので、せめて自分が自分のことに関心を持とうとおもいまして書きつけてみました。
世界を尺度にすれば、まことに微々たる達成ではあり、やれ5年続けただの、1000人の人を撮っただのということは「それがどうした」と言われれば身も蓋もないようなことではあるのですが、私のような小市民が自分のことを・・・・あくまで個人を基準をとってみれば、まあ今日明日中に達成できることではないという意味では、いくらか注目してよいことだと思うのです。
カメラのアイスピースもひび割れるくらい度々ファインダーをのぞき込んではシャッターボタンを押してきましたので。
ただ問題は、・・・・私の意識からすれば・・・・このことがどれくらい世の中につながり、人の気持ちをすがすがしく、前向きにすることに役立てるのかという事が肝心なことだと思います。このことについてはまた改めて考えながら撮り続けようと思うのです。
基本的には私のしていることは個人の道楽には違いないのです。
が、世の中に対して閉じた独り善がりにはならないように気を付けたいと自戒を込めて思っています。
その点で言えば、最近こうして人を撮る写真への現実的期待を感じることがたまにあります。
そこをしっかりとつかみきればこれからの5年を少し意味あるものへと高めていくことができそうだなとも思います。
そういうかすかな予感があるから、これからの5年間を楽しみにしようと思っています。
被写体になっていただきました多くの方々。ありがとうございました。
ブログ見ていただいたり、個展・グル-プ展に足を運んでくださった方々。ありがとうございました。
私が写真を、まして人の写真を撮ることについて好意的に見ていて下さった方々。ありがとうございました。
皆さん、これからもよろしくお願いいたします。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
先日ある場所で友禅職人の作品展が開かれ、そこにプロの写真家がの撮った職人さんたちの写真が展示されているコーナーがありました。
「あそこにあなたと同じようなテーマで撮った写真があるから見るといい。」と顔見知りの職人さんに教えていただいて、じっくりと見せていただきました。

職人さんの工房に出向いて撮っているだけに、現実的な迫真性がありましたし、また光もよく整えられていました。
その時に不遜にも、ここに自分の写真も並べさせてもらえたらなあと思うことができたのは、うれしいことでした。
さて、今日のブログでも、同じような写真を並べています。
それは私にしっかりと選び抜く力がないという事に加えて、もっと基本に「帯に短したすきに・・・」という写真を撮っているからです。
個展などではどうしても避けねばならない出し方ですね。

茶碗の内側の局面の形成には桜の木を削った型を利用します。
轆轤で引いて作るこの茶碗は同じ大きさと形のもので、絵柄も同じ。それをキチンと同じ大きさ、形の作り出す技術が職人技でもあります。
このサクラ材の型は、無論自作。
使い続けていくうちにすり減るから、あるときまた新たに作らねばなりません。
考えてみれば桜の木が土(壁)で何度も何度もこすられていくのですからすり減らないわけがありませんね。
鉄でできた小刀でさえ木を削っていくと、すり減って刃が鈍るのですから。

今、唇の当たる茶碗の縁を滑らかにしています。
日本では食器を持ち上げることが少なくありません。それで手触り、風合い、重さなどが重要な要素となります。
そして口当たりもまた軽視できないのですね。
焼き物は表面が滑らかですべすべしていればいいというわけではなくて、時には微妙なざらつき感が好まれることもありますね。 熱伝導や厚みもまた大切な要素。
日本人はこうした感性が比較的鋭敏に育つ文化社会を作ってきています。
(「だから日本[人]は素晴らしい」・・などと安易に言いたがる今日の風潮は危険だと私は思っています。世界の他の地域に住む人々の様々な感性のありようについての知識も、実体的な見聞も乏しいのに軽々しく自国(民)をほめそやして悦に入っている・・・その裏返しですぐに他国・地域の人々を軽蔑したがる・・・・姿はあさましく、下品ですね。)

優れた職人たちが、これまた優れた使用者たちの感性と良い緊張感をもってお互いを成長させてきた成果だろとおもいます。
良い仕事をしてくれると私たちも育てられます。
だから、私たちも職人の仕事の成果を楽しんで享受し、時には注文をつけられる文化性を持たねばならないと思のですが。
(ただ残念なことには、大概の作品は高価で庶民には手が出しにくいという事ですね。せめて鑑賞はさせていただいて交流したいものだと思いますけれど。)
- 2016/03/29(火) 00:00:27|
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京都にはご存じのように清水焼というものがあります。
ですが、私はあまりその世界を知りません。ですからこうして見せていただく機会は、私には貴重です。

ちょうど東京から芸術系大学の学生二人が観光を兼ねて来館していました。
その片方の人のお母さんが陶芸をされているという事で、盛んに話しかけていました。

茶道用の茶碗を作っています。
「お稽古のためのもの」だそうです。 最近は茶道をする人も徐々に減って「あまり多種多様なものを作らなくなった・・・。」
実は上の写真から、この写真までには少しばかり時間が流れています。
というのも学生さんとのお話も合ったのですが、手を休められていて、撮りにくかったのです。
それには事情がありました。

実は・・・・書いてはいけないことなのかなあ・・・・こうして作陶しても「商品にはならない」のだそうです。

というのもこうして轆轤で作ったものは、ここで乾燥させられないし、そうかといって持ち運べない。まだ乾いていないので歪んでしまうんです。
で、実演出作った物は「残念ながら・・・」またもとの土の塊に戻されるのです。
「だから、ちょと制作意欲がわきにくいんだよね」。とのことでした。

それはそうでしょうね。
で、「ではありましょうが、そこを何とか・・・・。」と冗談交じりにお願いすると、制作を始めてくれました。

そして、「やっぱりこうして熱心に撮ってくれるとこっちの気持ちも・・・。」
と、次第に集中していくのが分かります。
やっぱりご自身の生涯を注いでモノ作りに携わってきた人の矜持とでもいうんでしょうか、「気質(かたぎ)」とでもいうんでしょうか。

やはりプロフェッショナルですね。
こういう心意気を感じると、やはりこちらも同様に力が入ります。
このやり取りは「人を撮る」の醍醐味の一つですね。
将棋などの棋士が「強い相手とやって、相手がいい差し手を繰り出してくれてこそ自分の方もありったけを絞り出していい将棋を残すことができる。そういう将棋を指した時に勝敗を越えた達成感を感じる。」という様な事を口にされることがあります。
良いピッチャーがいてこそ良いバッターの良いものが引き出される、という事と同じですね。
私自身はそうして眼前の職人さんの気迫に応答して、・・・・・それに応えられているかどうかは別として、・・・・うれしい幸運な体験をしていると思います。
- 2016/03/28(月) 00:00:22|
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花器に絵付けをされている。
前作のコピーを横に置いているのは、この工房の売れ筋の定番商品だからです。
と言っても、一つ一つ手捻りで造形して、こうして手描きしている製品ですから、そう安価なものではありません。

型に入れて成型するのならばどれも同じ大きさ、形をしていますから、そこに彩色するにしてもまたく同じようにできるわけでしょうが「やはり焼きあがってきたものが微妙に形も違ってくるから花の形や込み具合も少しずつ工夫して」描きこむのだそうです。
陶芸作家と陶芸職人とは目的とするところが違います。自ずと技にも違いがあるように思います。
(写真作家と写真職人もまたそういう相違があるのでしょう。それぞれの役割、社会的存在意義がありますね。)

陶器も型で絵付けをしたりプリントさえできる時代ですから安価な大量生産品に押し流されないためにはご苦労があると思います。
何分ちょっと見た目には手書き風にわざと乱したり崩したりしてプリントする時代です。匠たちの仕事を写真で取り込んでしまうこともできます。
職人の仕事は問屋に納められてしまえば著作権を主張することは難しいのです。
そもそもその職人もまた過去のパタンや絵柄を踏襲しているのですから。(この「踏襲」というところが微妙な意味合いを持つのですけど)

それにしてもこの会場も職人さんには優しくない会場ですね。
照明一つとってもとても職人さんのためのものでないことが明らかです。
常設ではないので・・・・臨時的、一時的なので・・・・金はかけられないという事でしょうか。
人を招いているのだという敬意を持った心配りがiいくらか不足しているように感じられます。

職人さんたちも、昔の偏屈な職人気質を脱っしてきている世代になっています。ですから、この業界のこと、仕事の事、高い技についてもっともっと知って欲しいという意欲があるわけですから、その気持ちを大切に汲み取ってあげてほしいなあと思います。

働きなれた普段の工房とは大きく異なった環境で物を作るという事は楽なことではないと思います。
『いつもは誰とも話さないでラジオだけが友達みたいな生活だからたまにはこうしてたくさんお人と交流できると嬉しい。」と言ってくださる方たちがいて・・・・不躾にカメラを向ける私としては・・・・ちょっと、ホッとするわけです。

この花器の素焼きがどういう風に焼かれて手元に来るかと言う様な話をしてくれています。
- 2016/03/27(日) 00:00:25|
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三方と書いて「さんぼう」
私は今まで「さんぽう」と読んでいた。そして会話の中でも「さんぽう」と聞こえていたのですが。
神仏や敬する人にものを差し上げる際や儀式のときにモノを載せる、あの台の事です。
神社などでよく見かけます。
素材は檜です。

なぜ「三方」というのですか?とギャラリーからの質問に
土台になる部分に両サイドと前方に刳り型が穿たれているからだというお答えでした。
モノを載せる盆のような部分は四角形=四方なわけですから不思議な名だなあと思っていたのですが、そういうわけだそうです。
今は刳った内側に水をぬって湿らせています。こうすると作業がしやすいんだそうです。

この刳型を何の下書きも、図形をなぞる「型」もなしに、フリーハンドで削っていきます。
それなのに何枚かを重ねると…「なんという事でしょう!!」 です。 ピッタリなんです。
驚いていると、他の場所で実演されていた他の分野の職人さんが「体が覚えているのさ。」と答えてくれました。
刳り抜いていく刀は毎日のように研ぎますから長さも幅もずっと減ってしまって、細くなっていますから折れてしまうのではないかとさえ見えます。
研いで研いでいくとやがて短くなりすぎますから、絵の部分を削って仕込まれている部分を出してまた研ぐのだそうです。
「そのためにかなりの長さが柄の中に仕込まれているのですよ。」という事でした。

私がよく行っている洋食屋のまじめな店主が、同じようにナイフを研いでまるで肥後守ほどの細さんにしてしまっていました。
ずいぶんたくさんの鉄分が料理と一緒にお客さんんもお腹に入ったねなんて冗談を言っていましたが、職人の仕事はこういう風に道具に現れるのですね。
「そのうちに刃の部分のいちばんいいところが尽きてくるので、使い慣れた道具が失われる辛さがあるんです。」

さほど厚くない檜ですが、「宝珠」の形を削っていくうちに刃先が鈍くなって来るのだそうです。
「ほら穴の削り方を見てごらん。」と先ほど解説してくれた職人さんが言います。
「魚屋が刺身を切るときは魚の身の中心に向けて直角に刃を入れないだろ?! 刺身包丁は引いて切るから長いんだ。この人の場合は外にスライドするように切り出しているね。」
その通りなんです。
こうしてできた板の三か所に毛筋ほどの厚みを残して三筋の切り込みを入れて、角として直角に曲げます。
この切込みもまた狂いなく入れなくてはきちんとした強度のある直角にはならないのです。

お父さんがこのお仕事の師匠だそうですが、「父は私の道具は怖いというのです。」
尖っていて細すぎると感じるからでしょうか。
「でも私の道具を使ってみて、『使い良い』っていうんですよ。」
刳った内側の縁の面にきれいに傾斜をつけています。
- 2016/03/26(土) 00:00:21|
- 伝統工芸
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実はこの建物ではこのところ何人もの職人さんが実演をしてくれています。
西陣織会館などでは・・・・今はほとんど行われていませんが・・・・やはり織物関係が多いのですが、ここでは京都の幅広い分野の方々を見ることができます。
各組合ごとに割り振られているようです。
昨日アップさせていただいた方から、明日以降またいろいろな人がお見えになるから是非どうぞ、と紹介していただいてやってきました。

この方は飾り房づくりの重鎮です。
国会議事堂衆院議長席の背後には重厚な幕が下がっていますが、そこにつけられている房などを作られてきたそうです。
ある行司さんの軍配につける紐・房も作られています。
文化庁からは「五十年の耐用出来る作品を」という注文を受けて様々なところに収めてきたのだそうです。

実は、娘さんと一緒に会場におられて、房づくりの実演はほとんど「3.5代目?」の娘さんがされていました。それで、撮影を承諾していただくと、私の関心はそちらに向かっていました。
若い女性というので、関心が向いたと単純にそういう事でもありますが、伝統工芸の分野での「若い後継者」という事でレンズはそちらに向いたわけです。
仕事の様子もお伝えしたかったですしね。
ところが撮影まではお許しいただけたのですが、残念なことに「ブログにアップさせていただけますか?」というお願いは丁重に断られました。
三代目は、写真がお好きだという事でキャノンのF1をお使いだったそうです。
「今は重くてねぇ。」
それで、撮影のはご理解があって、無言で娘さんに「いいじゃないか撮ってもらったら・・・。」と促してはいただけたのですが、

で、 これが精一杯というところです。
お姉さんもおられて、やはり家業を継いでおられるという事でした。
3代目は「この子の仕事は丁寧で・・・・。」と目を細めていらっさいました。
- 2016/03/25(金) 00:00:10|
- 伝統工芸
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神祇関係の衣装や道具類を作られる分野があります。
先日は冠を制作する方に登場していただきましたが、今回は「房」を作られる方です。
幕や神輿などの隅に房が下がっているのをよく見ますが、それを見た時に、作られている人やその作業を想像することはありませんでした。
そういえばいろいろなところに「房」があります。そしてそこにもまた匠たちがいたのです。
紐とその先の「房」
紐はまた様々に結ばれますが、その結び方にも伝統が。

先代から兄弟で引き継いでおられるのだそうです。
この方がお兄さん。 受け継ぐ責任をひしひしと感じておられます。
この仕事もまた・・・・先日の烏帽子・冠ほどではないにしても・・・・お仕事をされる方が少なくなっているのだそうで、親子で継承することが大半だそうです。

木を中身にした頭(房頭)の部分とそれに下がる糸の部分とは別に作られるのだそうですが、「職人の腕の良しあしは房頭を編みこんで包む細やかさや精度ですぐわかる。」とのことでした。

今見ているのは切房のようですが、その糸の長さを丹念に調整しています。
長さの不ぞろいになった糸(むしろ細い『紐』というべきでしょうが)を取り出して、巧みに逆方向に引き込んで調整します。
「多少長さが不ぞろいで出荷されるような場合もあるようなんですが、私はどうもそれが見過ごせなくて・・・・・。」


歌舞伎の世界や相撲の世界、あるいは縁起物や近いところでは祇園祭の鉾などに房が見られますが、お土産用の、例えばストラップの房などはほとんど海外で生産されているようです。
この方たちの作るのはいわばほとんどが高級品です。
京都はそういう世界の需要がまだまだりますからね。
またそうであるからこそ高い技術が生き続けられるという事なんですが。


この方の名刺には「神官・法衣・飾り房紐製造」とありました。
- 2016/03/24(木) 00:00:47|
- 伝統工芸
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少し前に同じように扇子を作る方の写真をアップしました。
そしてこの方はずっと以前にも撮らせていただいている方です。もう5年も撮っていますから、こういうことが起こります。
たまたま観光で来られていたご婦人が一眼レフカメラに少々長いズームレンズをつけて、「撮らせていただいていいかしら。」と声をかけました。
「まあ、私でよければ撮ってもらってもいいけれど・・・。」

そこで、「私は以前この方を撮らせていただいたことがあるんですが・・・・。」
「エッ? そういえばそうかなあ。はっきりとは覚えていないが。」
で、「ご婦人に向かって一緒に撮らせていただきましょうか?」

この職人さんはとても気さくな方で、幾分照れながらも盛んにお話をしてくれます。
お客さんが舞妓や芸子のことを質問すると・・・・公然の秘密めいたことを話しますので、そして時々私に同意を求めてくるのですが・・・・・ご婦人は大層興味深く話を聞かれて熱心に撮影をされます。
扇子の親骨がずいぶん湾曲していますね。 この湾曲した力で扇子がパチンと強く閉じられるのです。そしてその扇子を開くには強い力が必要です。この扇子は舞扇ですが「私はもっとパチッとしたものを作りたいんだが、このごろではそれを開くことのできる踊り手が少ない。それでそういう注文がなくなって寂しい。」とおっしゃっていました。

「では、その親骨に挟まれた間の骨は『子(小)骨』ですね。」と突っ込んでみましたが、「いやこれは中骨だ。」そうです。
ご婦人が「やっぱりプロの方は撮り方が違いますね。」などと誤解されたことを言われるのですが、こうした場所で撮る回数は多少積んできましたから、いささか図々しくなれるのと、職人さんに接する感がいくらかできてきているからそう見えるのでしょうね。
そうでないといくらズームレンズで拡大するのと比べて寄って撮ったものの方がいいと言う様にはなりませんからね。

よく、人物を撮るときには85ミリくらいを使って被写体から少し距離をとると、・・・カメラが近づきすぎなくて・・・・人を緊張させなくていいと言われます。
もちろんそういう面がありますし、私もそういうことを意識することがあります。
でも経験上、快く受け入れていただけた職人さんにはグッと迫ったほうが良いと思いますね。
そうすることで「頑張って撮りますよ!」の気持ちが「良しそれじゃあこっちもいい仕事をしよう。」の気持ちにつながってくのです。

「自然な感じで撮る」「自然な表情」がよいとよく言われますが、そういうものをどう引き出すかは一筋縄ではいきません。
その「自然」のために本人にあらかじめ声をかけず、カメラを意識させないのがいいと言われます。で、隠し撮りを正当化する議論もありますが、そのことはまたさておくとして、カメラの存在を意識させない≒自然≒いい写真 という式はどんな場合にでも当てはまるのではないと私は思っていますし、私はこの「式」が日本のアマチュアの写真を停滞させている一つの原因になっているのではないかと疑っているのです。

親骨の長さを切りそろえています。
- 2016/03/23(水) 00:00:06|
- 工芸
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私は写真を通じて台湾に若い友人ができました。
そのことだけで、何か台湾人に親しみを感じます。それは大陸の中国人に対しても、韓国人についてもそうです。

世界に友人を持ちたいものですね。

さあこのお客さんは気に入って買い求めてくれるでしょうか。
先ほどの台湾人男性は購入されました。

ご自身で一番のお気に入りはどれですか?

日本はきれいですね、とおっしゃっていましたが、帰国したら日本の様子をどのように話されるのでしょう。
この人にとって暮らしやすい日本だたでしょうか。多少とも良いところを見つけてくれたでしょうか。
周囲の国に対して悪口雑言ばかり、自国自慢ばかりが蔓延している国柄だと思い込まれてはいないか心配です。

ネットでのニュースコメントを読んで、日本人の多くはこんな品性下劣な人ばかりなのか、二度と日本には来たくないなあなんて思わないでほしいなと内心思いました。
幸いこの手作り市では周囲の方々も好意的だし、お客さんも好意的に接してくれているようですから、ああいうのはそれほ多くははないのだと思ってくれることでしょう。
また来日してほしいですね。
- 2016/03/22(火) 00:00:15|
- 手作り市
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私ならできるだろうか。いつもそういう思いがよぎります。
イタリアに行った時にオリーブオイルのお店で日本人の若い女性が働いていました。そこにさらに若い男性が休日のひと時を過ごしに来ていました。彼もまたイタリアのその町で働いていました。
観光バスが立ち寄る土産屋にも日本の女性たちが働いていました。そうしている事情は人それぞれでしょうが、人々は自分の活動・生活の場所を世界に求めているのですね。
私もごくごく短期間中国で働きましたが、瀬尾ではきちんと整った体制の中でのことでした。
時に見かけるのですが、この人のようにその土地のマーケットに参加するようなことはまた別の事のように思います。

この手作り市には二度ほど「欠席」をしていましたから、様子が少し変わっていました。出店数が増えて、新しい顔ぶれもありました。
この人の顔を見るのも初めての事でした。
聞きますとやはり「初めての出店」なのだそうです。
もうすぐ台湾に帰国するはずなんですが、それまでに好きで作っていたイヤリングなどを販売したいと出店されたそうです。
ちょっと不安気ですねぇ。

今日は日差しもあって比較的良い天気です。お客さんの流れもまあまあのようですが、
「まだあまり売れていません。」

カードには「天堂鳥」と書かれています。
中国語で「ゴクラクチョウ」のことを言うそうです。極楽と天堂 なるほど浄土思想と天の思想との違いでしょうか。面白いですね。
アクセサリーは極楽鳥をイメージして極彩色・・・・というほど派手々しくはないのですが・・・・やはり台湾の人たちの喜ぶ色彩感覚かなという色遣いがされていました。
笑顔がこぼれます。
他人事ながら、私もっちょっとホッとします。

丁寧な仕事がしてあってよくできていると思いました。
形も面白いのですが、日本人の女性にはどう受け取られるでしょうか。
「あっ!カワイイ。」と言って近づいてきてくれました。

台湾人のお客さんです。

安心したように中国語での会話が弾みます。 彼は留学生のようです。
彼が商品をのぞき込んでいますので、通りかかる人が関心を持って足を止めます。

ですから、たとえ買い求めない人でも立ち止まって話をしてくれる人がいるだけでお店の空気はずいぶん変わります。
会話が交わされ笑顔が交換されていると、周囲に良い空気が流れるのですね。
店を運営する要点がそこにあるような気がします。
- 2016/03/21(月) 00:00:10|
- 手作り市
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フードコンシェルジュというのは食物あるいは食事アドバイザーと言ってもよいのかなあ、ですから「料理」というカテゴライズは適当ではないと思います。
新しい仕事の分野を開いたもののようで、私にはほとんど何の予備知識もありません。
ただこの方が、私が参加させていただいている「ききみずガーデン」という企画に、同じように参加されれいるという機縁でお会いすることができました。

この方は3月の26日(土)に「フルーツカフェ&クリスタルボウル演奏会」をされます。
「フルーツカフェ」という方は、何とかイメージを持てますが「クリスタルボウル」の演奏となると、これまた未知の世界です。
そういう意味では「ききみずガーデン」はどんどん私の世界を広げてくれます。
活発で聡明な感じの方です。
非常に

企画全体としては19日にオープニングというはずでしたが、少々、天が味方しない面がありました。
で、実質的な内容は今日の「ジェニファー先生のHarmony in Spring」から始まります。
この全体企画の一つの目玉が高瀬川にしつらえた「床」なのですが、その設営のために「老体に鞭うつ数人が集まり、若者の力も借りつつ頑張ったのです。
その時に打ち合わせも兼ねておいでになっていたこの人にお目にかかれたというわけです。

一応の準備が整い、ごくろうさんを兼ねてちょっと一服の会で、様々なお話を伺えました。
世の中にはかくも多様な活動があり、また進取の精神に満ちて活動する方々がいるのだなあと感心しました。
で、ひとまず散会という刹那、この方が「実は今日は私の誕生日なんです。」とおっしゃったのです。
「おーっそれはめでたい。」「ところでおいくつになられました?」
・・・・で、私の聞き間違いでなければ「18歳になりました。」と。
で、「せっかくの誕生日なんですから記念を残さなければいけませんね。写真を撮りましょうか・・・。」と話がどちらにいっても結論は・・・。

実は今日の話の中で私が過去に撮った写真を見ていただいていて、ずいぶん感心してくれておられましたので、撮影を快諾していただけました。
これも皆ギャラリーのオーナーのMさんの好意的誘導があればこそなんですが。

気持ちが顔の表情にくっきりと表れるタイプのようで、とても生き生きとして意欲的な表情をされています。
撮影はほんの短時間で、しかも同じ場所。
でも、会話に応じる力を豊かにお持ちですので・・・。
大変魅力的な方ですね。

カメラの背面液晶画面で写真を確認すると、ずいぶん喜んでいただけて・・・。

まだまだたくさん魅力的な表情を見せていただけそうな方だと思いました。
- 2016/03/20(日) 00:00:33|
- 料理
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国の文化庁が京都に来るらしいのですが、
伝統を保存することだけが文化庁の仕事ではないと思うし、「都の文化」「『文化』の観光資源化」だけに偏重しないように期待したいものです。

この方の同業者は他におられません。
ですからよく言われる「競争原理」は働かないのです。競争原理が働くから商品が安価になり製品の質は良くなるというのが現代の「神話」の一つになっていますが、それだとすればこうした職人さんたちの仕事の質はどうなんでしょうか。
職人さんの仕事の中には数十年、いや数百年、場合によっては千年にわたって残るものがあります。また残ってきています。そしてそうした「仕事」を現代や未来の職人が見るし、また過去の名作・良い仕事が静かにものをいうのです。

職人さんたちの頭の中には「未来の職人が見て恥ずかしくない仕事」の意識があります。
過去のものを見て「いい仕事してるなあ。」という敬意と反省があります。
そこに存在しない職人たちを意識の中において仕事をする。
そして、今この仕事を担っているのは「この私」という自覚があります。

私も旧職において、そういうことを意識しました。
そのために管理する側や同僚とはよく議論しました。
他方、眼前の課題とどう折り合いをつけるかも難しい課題でしたが、
「新自由主義的競争原理」jから脱却しないと、質の良い文化は育たないと思います。


続きを読む
- 2016/03/19(土) 00:00:10|
- 伝統工芸
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今や日本全国でこの方のところでしか作られていないのだそうです。
神社の神官用の烏帽子、冠の話です。神職は全国で2万名あまりだそうです。
この方は公開の実演は初めてだと言われていました。
今ここでは神職のための冠を作られていますが、烏帽子も作られます。

木型に和紙を張って糊で固めて成形したものに「羅」という漆塗りの布で固めます。

頭の前部分に当たるところに「透額」という穴があけられていて、ネットとが施されていました。
軽量化と熱気がこもらないようにするためだそうです。
髷が収まる「巾子(こじ)」と呼ばれる「し尾」のような形をした部分も紙で作られています。
でも髪性という言葉から想像するよりずっと固くて丈夫そうです。

鏝も変わった形をしていて、角にぴったり合うようになっています。

大切に使えば「50年くらいもつかなあ。」と言われていました。
冠はいろいろ種類があるのですか? などとあまりに無知な質問をしてしまいました。
聖徳太子と結び付けられて説明されることが多い「冠位十二階」とか天武天皇の時の「冠位26階制」を思い出せば、そもそも冠が「位階」を示すものだという事は常識に属することなのでしょうから。

私は神職についても全く知らないのですが、現代の神職にも級があって、冠で表示しているようです。
それにしても普段のご自分の工房でするのとは様々に条件が違いますから、こうして公開実演をしていただくのもご苦労なことだと思います。

でも、私たち一般人からすると、広い意味で「文化財」でもありますから、ぜひこのように公開していただいて学ばせていただきたいものと思います。
- 2016/03/18(金) 00:00:57|
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この方も…ますますお元気ですが・・・・80才を越えるそうです。

お元気でいられるのは仕事のお蔭もあるかなあ。

こうした方たちから言えば、私などまだまだ「若い」のですから、頑張らなくてはいけません。
仕事に興味を持ち続けるからこそ心身ともにお若いのでしょう。
そうありたいものです。

せっかく写真に出会ったのですから、写真にワクワクと心弾ませたいものです。
そうすればこの方のように活躍できるかも・・・・。

私は、出会った方たちの写真を撮らせていただきながら、こうして叱咤、励ましを得ているのです。
それはご高齢の方たちからもですし、若い人たちからもです。

そういう意味ではよい趣味を持てたものと言えましょう。ラッキーです。
それにしても、こんな作業に集中できるのですから本当に「お若いですねぇ。」

ファインダーに集中する力を高めていきましょう。
- 2016/03/17(木) 00:01:45|
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扇子を作られています。
扇子作りもまたたくさんの分業で成り立っています

最終工程です。

2枚の洋紙の間に和紙をはさんで張り合わせたものが、蛇腹におられています。
「わしは二枚に割ける性質があるから、それを利用してその間に薄く削った竹を差し入れていくのがわしらに仕事・・・」だそうです。
竹は、おっしゃる通り薄く削られていますし幅も細いです。
それをわずかな和紙の隙間に順に差し入れていくのは「辛抱強さと集中力」を要すると思います。
私が一番不得意とするところです。

丈の長さはそろっているのですから、そのうちの一本を差し入れるときに他のものが邪魔になるのではないかとそれを思うだけで、私にはダメですね。
竹は鉄分などで色付けされているのだそうです。

先ほどまで、しっかり者の奥さんの話で盛り上がっていました。
なんでも作業場を移すのに郊外ではなくて商店街の真ん中に場所を選んだというのです。 奥さんが。

商店街は隣近所も豆腐屋だ、なんだと朝早かったり音を出したりするから、お互いさまで、案外周囲を木にせず仕事ができるんだ。
仕上げに扇子を木の台の上で拍子木のようなものでたたくのですが、それが案外に遠くまで響くのだそうです。
建物の構造材を伝わって音が響くようです。
「ここでは(コンクリート造りだから)大したことはないが、普通では、床を伝わって・・・・。」

作家のアトリエや職人の工房は立地がますます難しくなています。多くは郊外へ郊外へとその場所を探して移っていきますが、逆転の発想でしたね。
「かみさんにはよく分かっていたらしいよ。」と自慢げです。
仲がよさそうです。
- 2016/03/16(水) 00:00:34|
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工芸の小作品展が京都伝統工芸館で開かれた折に、京都美術工芸大学の卒展も覗いてみました。

第一期生の卒業だそうです。
伝統工芸大学校が実技コースなら、こちらはその実技も学びながら理論的な面も学ぶようです。
この人の作品を見ながら20世紀前半くらいのデザインがリスペクトされているのかなあなんて素人ながらみていました。

とてもモダーンな感じで・・・といても現在に対してモダンというのではないのですが・・・・、ファッションで言えばジバンシーを感じさせるような(なんて言うとよくご存じの方から何を頓珍漢なことを言っているのだと笑われてしまうでしょうが)オシャレ感があります。

なんといっても象嵌の手法で黒い線(マホガニーでしょうか)が生きていますし、天板などには微妙にアールがつけられているところなど、工夫が満載です。
そしてそれがうるさくないところにこの学生の感性の良さと力量を感じましたが、何といってもよく勉強したなあという印象です。

私の「一知半解」では正しく評価できませんが、素材の高級感もあって市販しても、良い価格が付くなあという感じです。
写真をご覧になって分かっていただけると思いますが、この学生が充実した4年間を送ってきた自負心と満足感を感じます。
すでに某有名家具メーカーに就職が決まっいることも相まってとても良い表情をしています。

私の的外れな質問にも丁寧に答えてくれ、写真を撮りたいとお願いすると・・・・照明が「逆光になる」ので・・・・・友人を呼んで反転させてくれました。

学生時代を総括する、このよくできたデスクは「弟にやろうと思っているんです。」とのことでした。
私のお粗末なデスクに比べて・・・・。
弟さんは良い兄さんを持って幸せですね。

卒展会場には多くの作品が展示されていて卒業生が会場で「説明員」を務めていますが、「一期生」だという事に誇りと自覚を持っているように感じられました。
おそらく学校としてもずいぶん熱心に育てられたのでしょう。
他にもよい作品がいくつも見られました。

それらの作品は、単に巧みに制作したというのではなくて、コンセプトを明確に持とうとする意欲が垣間見られていましたが、そこにこの学校の特徴があるのでしょう。
専門の高い技術を持った先生方の熱心な助力と指導があったようです。
学校に期待も背負いつつ、これからそれぞれの場で大いに活躍していくのでしょうね。
- 2016/03/15(火) 00:00:37|
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人形作りも随分細分化された分業体制になっています。
ですから別の方が作った頭に髪を植えていくのがこの方の仕事なんです。

撮りながら、どうしようどうしようと思っているのですが、後から、だったらどうして○○のことに気付かないんだ、という反省点が多いです。
・・・・・・時には何度もシャッターを切る私を煩わしそうにされる方がおられて・・・写真を撮るっていうけど記念の一枚じゃないのか?!という感じで・・・・申し訳ないと思うことがあるのですが・・・・・
この人のように、シャッターを切ればそれだけ集中してくれる方もいます。
ですから、それに報いねばと思うのです。
これは絹糸の髪を鏝で熱して直毛にしているところです。
鏝をくぐった髪は一気に艶を増して魅惑の黒髪になります。
まるでキューティクルが輝きだしたようです。
「これも絹糸の力でしょうか?」
「そうですね。生糸はすごいですよ。」

鏝は炭火で熱した方が全体に熱が伝わって保温性がいいのだそうです。
ですが安全性などの問題で、今ではほとんどが電熱ヒーターを使うのだそうです。




- 2016/03/14(月) 00:00:20|
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一年ほど前でしたか。何時の事だったかと言う記憶は定かではありませんが、既に一度撮らせていただいたことのある方です。
覚えていてはいただけませんでしたが。それはそうですよね。
こうした実演ではずいぶんのたくさんお方が見に来て、話していかれるのですし、ほとんど制作を続けておられて視線をあげることも少ないのですから、私の顔もあまり見てはおられなかったのだと思います。
個展の時に出させてもいただきました。自分としては気に入った写真の一枚です。

前回は、こうした髪を植えた人形の髪をくくっておられました。
今日は髪を植えて(貼り付けて)います。
素材は絹糸です。
髪はカラスの濡れ羽色・・・・。

髪の束を切りそろえます。

先をそろえて糊をつけます。
材料は強力粉を含む小麦粉だそうです。
「美味しそうですね。」
「食べられますよ。どうですか?」
「いえいいえそれは・・・。」

頭にはいく段階かを重ねて刷毛のように広げた髪を張り付けていきますが、頭頂部に近づくとすこしずつ寄せながら張っていかねばなりません。
そこが微妙な調整になります。
頭頂部から一気に、頭部全体を覆うように髪をつける方法もあるのですが、そうすると髪の筋がムラになることがあるのだそうです。
そこで幾層かに分けて繰り返し重ねて髪を植えていくと、そのムラが打ち消しあってきれいになるのです。

「この人形は子供に作るつもりですから全体でもこれくらいになるかなあ。」
- 2016/03/13(日) 00:00:49|
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例えば「大化(乙巳)のクーデター」
蘇我蝦夷・入鹿節を中心とした政権を後の孝徳や中大兄らが暴力的に倒し権力を握った事件。
入鹿が殺害されたとき父蝦夷は甘樫丘にいた。蝦夷は状況を察するに我に利あらずと自殺したと伝えられる。
書物で読む限り、この時の状況が私にはどうしても解せなかった。
しかし、実際に甘樫丘に立ち、入鹿殺害の現場を眼下に眺めれば、蝦夷の気持ちもかなりの程度納得できる気がした。
殺害現場と甘樫丘の館の距離は、勝どきが轟聞こえる指呼の間だった。
これでは息子の無残な頭部を見て、状況が挽回不能なものだと察することはありえただろうと思われた。
その場に立つ。そのことで歴史的事件の様子を文献では及ばない迫真性で理解できることがあるのではないか。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

いま籠を編むために竹を細く割って、準備しています。とても細い。それをさらに4つに割くのです。
「こんなに細い竹を編むのには男性の太い指では難しいのではないか。多分女性か、あるいは子供によってこうした籠は編まれたのではないかと。」と推測できると説明されました。
籠を編んでいくときに形を保つための写真位あるような道具も見つかったそうです。それでこれをもって現代の提灯職人を訪ねると、「なぜそれを持っているのだ。それは提灯を作るときによく使う道具だ。」と驚かれたそうです。
こんなところに技術の共通性が見え隠れしているのですね。
それも実際に再現してみたからこそ分かったことです。

まさかこういうことを勉強することになるとは思っていませんでしたが、本当にこれに出会って良かったです。
社家の方々にお会いしたり、竹細工の職人や提灯職人の方々の教えを受けたり・・・本当にいろいろな経験ができました。
これからもこれを追究します。

大学の4年間に夢中になって研究できることに出会えて、こうして卒展に意味のある成果を提示できる人はそれほど多くないと思います。
素晴らしいなあと、感心するとともに羨ましくもありました。

「竹を割ったような性格」といえば・・・?
「さっぱりとした性格、邪悪な心や曲がったところがない性格」 という ことなんですが・・・・・?
いえ、竹はスパッとまっすぐには割れないんですよ。縦の筋に癖があってとても素直とは言えないんです。ですから竹細工の職人さんは「竹をわっような性格」=「根性が悪い、ひねくれている」というんです・・・・なんだそうです。
これも実体験をしている人たちだからこそですね。

内実の豊かな4年間でしたね。
- 2016/03/12(土) 00:00:09|
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芸術系大学のカリキュラムの詳細を知らなかったので、こうして卒業制作展を見せてもらうといろいろ驚くことがあります。
日本画だとか油彩画だとか、あるいは彫刻や版画、陶芸などはそういうものを学ば鵜ところが芸術系大学だろうと容易にイメージを持つことができるのですが。

この人の卒業制作は・・・・竹細工なんです・・・・・が。
そして展示会場では、まさに竹細工の実演をされています。

「大学に入るときには、まさか自分が卒業時にこんなふうに竹細工をしているなんて想像もしませんでした。」
「君を送り出した高校の先生も驚くだろうねぇ。」
この人の作品は・・・・・この虫かごなんです!!
この六つ目網の籠が4年間の成果?! 六つ目編みって竹細工の基本じゃないの?
しかし、この籠は実はただモノじゃないんですね。
歴史上失われて幻となった虫かごを文献や現代の竹細工職人の技を参考に復活再現したモノなんです。
文献に記されていることを文字の上で想像してみても、実際に制作してみなければその実態は分からないわけなんです。
歴史学の中に実物を、そのモノや動作や環境を再現することで実証的に裏付ける分野があります。
例えば縄文式土器は路地に薪を積んで焼くのですが、それによってどれくらい火力が得られて、それによって焼かれた土器の色や硬さを再現しなければ、野焼きかどうかを確証できないわけです。
黒曜石の刃物が果たして実用に耐えるものかどうかもまた実物を再現して実証しなければなりません。
文献や伝承にあるものを実物として復元するというのは重要な科学です。
彼女の研究は歴史的な工芸作品の復元実証にあるのでした。

上賀茂神社の近辺に社家というものがあり、そこに上賀茂別雷神に仕える神官が住んでいました。
その上賀茂神社が天皇などにマツムシや鈴虫を入れた籠を作って献上するという習慣があったのだそうです。
それが薩長の武士たちによって天皇が多くの公家たちとともに関東に連れていかれてしまたので、そういうことが廃れて、そもそもどういうものが献上されたのかもわからなくなってしまっていた、というわけなんです。

「社家」にその記録があたことと、すっかり壊れてしまった籠の一部が見つかったことから、再現してみようと思ったのだそうです。
- 2016/03/11(金) 00:00:01|
- 工芸
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このお店も高瀬川沿いに立地していますから直ぐ足元に流れがありますし、また目の前には桜の古木が芽吹きを準備しています。
川に向けて大きな開口部がありますのでこれからとても気持ちよく食事やお茶を楽しめます。わらび餅などもありますよ。

ギーターが六弦、バイオリンが四弦、三味線が三弦、そして二胡が二弦。
弾いたりつま弾いたりと奏法はいろいろですね。
胡弓ともいわれるこの楽器は琴胴にニシキヘビの皮が張られています。
面白いのは弓の弦が二本の弦の間を通っているという事ですね。

どうしてなんでしょう?
昔は馬にまたがったまま演奏するようなことも多くて弓が落ちないように・・・・などという事も言われていますよ、とのこと。
なるほど。

このお店に別に男性のお客さんがお一人おられたので、Mさんは「食事の邪魔になってはいけないのでもう少ししたら・・。」と言っていたのですが、「私も音楽関係の者ですから大丈夫ですよ。」と言っていただいて演奏が始まりました。
その男性はなんとジャズメンで、サックス奏者だという事でした。
それで一緒に楽しんだのです。 奇遇ですね。

大阪の方だという事で「ききみずガーデン」の宣伝をひとしきり聞かされて「ぜひ来ましょう。」という事になりました。
めでたしめでたし。

それにしてもやはり音楽はいいですね。何故なんでしょうねえ。

- 2016/03/10(木) 00:00:48|
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3月の19日から4月の10日まで「高瀬川・ききみず1日茶会」が京都高瀬川仏光寺を中心に開かれます。
中には「達人夜話『哲学者[デカルト]とと王女の対話』などというデカルト研究者のお話も企画される一方で闘茶などの日もあります。
その中に4月の8日から10日まで、高瀬川・四季AIRというギャラリーで私のミニ個展と「川床撮影会」も開かれます。
写真を撮るしか芸のない私を憐れんで主催者の一人でギャラリーのオーナーが「二胡の奏者で楠田さんという方がおられるのだが、コラボしてみないか。」と結び付けてくれました。
既にこのブログにも幾たびか登場してくれている若い染織作家が作品をワンピース仕立てにして展示してくれる一方、アクセサリー作家さんが私の写真に合わせたご自身の新作アクセサリーを展示してくれます。
私自身は「にぎやかし」くらいのつもりなのですが、企画は次第に楽しく膨らんできています。
それで、当日、高瀬川の流れに二胡の音を響かせていただけるのがこの方です。既に全国で活躍をされている二胡奏者の楠田さんです。

打ち合わせのためにギャラリーのオーナーのMさんと楠田さんと三人で食事をしたのですが、その食事の後で「二胡をお持ちなんですね。弾いていただけませんか。」というMさんの持ち前の押しの力で、弾いていただけることになりました。
楠田さんは全く出し惜しみなく「では。」とおっしゃって弾いてくれました。

背後にこのお店のマスターと奥さんが映っていますが、このマスターも「ききみずガーデン」に積極的にご協力いただいている方です。
そして二胡の演奏をとても歓迎し喜んでいただけました。
曲は、私たちの世代を意識して「蘇州夜曲」

洋楽とは違う間合い(リズム)の取り方に中国的な情緒を深く感じます。
時間を自由に伸び縮みさせるのですね。
そして一音一音も一つの音符を規格通りの音で埋めていくのではないのです。
とても身体的な演奏だと感じました。

3年前に中国で仕事をした時にある学生が我々の宿舎の食堂に来て、二胡をひいてくれましたが、その時を思い出し中国のにおいや人の笑顔とともに懐かしく思いました。
柳の垂れた枝が、ようやく萌え出た薄い緑の葉をつけて緩やかにな風になびくような、ゆらゆらと流れる大きな川の岸にいるようなそんな音の流れです。

この方の師匠に当たる人は比較的若くして亡くなった中国の方だそうです。
4月9日には、高瀬川・四季AIRでこの人のミニコンサートを開かれます。夕方から演奏が始まりその後楽しく交歓会が開かれる予定なのですが、それに先立って高瀬川の流れの中にしつらえられた床の上で、爛漫の桜を背景に幾度か弾いていただけることになりました。
写真展への「客寄せ」のお役割をしていただくようで大変恐縮なのですが、「当日は、桜が散っていたとしても、音で高瀬川に花を添えられるよう楽しみながら演奏したいです。
蒼樹さんとコラボですね。道行く人が春のひととき、笑顔の時間を過ごせるような流れをつくれたならと」おっしゃっていただけて実に光栄です。

「音の聞こえる写真」とはよく言われますが、何度撮っても難しいですね。
それでもシャッター音を遠慮せずに撮れる機会はめったにないので、とてもありがたいことでした。
- 2016/03/09(水) 00:00:07|
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学年末になると各芸術系大学の卒業・進級制作展が開かれます。
狭い範囲に京都市立芸術大学、京都造形芸術大学、精華大学、嵯峨芸術大学などがありますから楽しめます。
この時は造形大に出かけました。この大学は通信制も充実しています。
この人には院生の卒業制作作品の展示会場で出会いました。
私がいい作品だなあと近づき、退きして何度も見ていますと、背後に人の気配がしました。
振り返ると微笑みをたたえながらその人は一歩二歩と近づいてきました。
「この作品の作者ですか?」
「はい。」

中国河北省の出身だそうで、中国の大学を卒業していったん就職して後の留学だそうです。
絵の背景の描き方や人物(子供)の伝統を意識した描線が「出来る人だな。」という印象です。

既にお子さんもおられるという事で、その子供の絵を見るとなるほどと思わせます。
絵からの印象の通り、中国の伝統的な絵画手法をしっかりと意識しつつ現代的な展開を試みています。
私は先般奈良で開かれた「中国リアリズムの煌めき」という絵画展で、中国現代画家たちの力を印象深く感じていましたから、この人もそれに続く人なんだろうなあという感想を抱いていたところだったのです。
話していくとその問題意識の高さも感じられます。
会場の環境と今日持ち出したカメラの条件では私には手に負えませんでしたが、こうした人に出会えた記録として残したいと思います。

この時には日本画と油画しか見られていませんでしたから、もう一度足を運ばねばなりません。
それぞれの学生の4年間の集約からいろいろな思いや生活、そして将来などを垣間見られて、とても興味深いので、私はまた出かけるのです。

後日、耳にしたのですが、ある芸術系の雑誌の方が会場に見えていて、その本でこの学校の卒業生から10人を取り上げて紹介する特集に、どうやらこの人の作品が選ばれたようです。
私の鑑賞眼もまんざらではないようです、・…ほんとかな?!
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- 2016/03/08(火) 00:00:25|
- 絵画
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「描いているところを撮らせてくれませんか?」と最初にお願いした時には、手前の方しかいませんでした。
一応の了解を得ましたので、
付近のギャラリーを一巡りして出直すことにしました。
戻てっ来ますと、もうお一人もすでに絵を描き始めていました。
そして、私のお願いしたことは伝えられていたようで・・・・。

カメラを取り出しながら、一応いつものエチケットの手順を踏んで、私の過去の写真を見ていただきました。
むろん連絡先を描いたカードも渡します。

この絵は絵画展の期間中に完成させる予定だそうで、絵の具も用意されています。
出来上がった作品を見てもらうだけでなく、こうして描いているところを見てもらえば、お客さんとはなお一層話が弾みます。
私も完成するまでにはまた見に行きたいと思っています。
本当は絵を描く手順をずっと見ていたいのですが。
お気づきのようにお二人ともサウスポーです。ですから並んで描いていても「手がぶつからないんです。」

私の従弟がそうであったように、左利きの人はこうした絵を描くとか木を削るとか、そういうことが得意な人が多いように感じます。
私のそうした判断の根拠となるのが従弟という、サンプル1では確かなこととはいえませんが。

18ミリくらいのレンズでないと描く人の表情と描かれている画面とを両方ともに画面に入れるのは至難です。

どうすれば描く人を撮れるんだろうと迷いながら周囲を回ります。

背後からわずかに目をとらえて、カンバスに延びる腕とその先の鉛筆をとらえるようにも撮りたかったのですが、この時にはかないませんでした。
こうしてチャンスをいただいて少しずつ模索していくしかないですね。

ピアノの連弾のようです。
また来ますね。
- 2016/03/07(月) 00:00:19|
- 絵画
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私が、自身で個展などという大それたことをするようになった一つの背景は
こうした若い人たちの活動があるからでもあるんです。
この二人は現役の芸術系大学の学生さんです。
現役の学生が自分の作品を広く人々に公開する。 そのことには、実は当初も今もある種の違和感があるのです。
人に見せるほどの、あるいは見てもらえるほどの作品を描くとはどういうことなのか(私に引き付けて言えば写真という事ですが)について、いろいろ考えるところがあったからです。

同じことがカルチャーセンターや〇〇教室で絵画や焼き物を楽しむ人たちの「作品展」にも言えます。

そのことがこの人たちとの会話で一つヒントが得られました。
「お二人は仲良し同士なんですか?」
「意欲ある者同士です。」
なんてすばらしい回答でしょうか。
この潔い答え。 若々しいですね。

何かに到達しているからではなくて、どこまでも行こうとする意欲があるから・・・・。

肝に銘じたいなあと思いました。
お二人の絵は対照的なものです。
それぞれご覧になっている写真に見える雰囲気通りの絵でしょうか。
手前の方の絵はほんわかとした幸せ感のある柔らかい暖かい絵です。

向こう側の方の絵は線に切れがあって生きています。描かれた人物は深い思いを抱えているものがあります。

事前に概ねの構想を共通にして描き始めるのですが、描き進めるにしたがって、さらにいろいろな話をしながら具体化していきます。
カエルと人が向き合って座っているのですが、視線はどこに向かっているのか、何を見ているのか、想いはどんなものなのか・・・・会話は弾みます。
- 2016/03/06(日) 00:00:15|
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まだ二十歳なんだそうで、着物は成人式の時には着たことがある・・・・という事でした。

どれくらいの速度で歩いてあげたらいいのかがわからなかったのですが、案外元気に歩かれていました。
ちょっと擦れて痛いんですけど・・と言いながらも。
さすがに若いですね。
海外からのお客さんたちが和服姿の若い女性だという事で珍しがって喜んでカメラを向けます。
「さっきも撮られました。」
海外からのお客さんたちは、「なんちゃって舞妓」たちの写真も喜んで撮ります。
日本に来たのですから日本を見て聞いて食べて・・・楽しみたいでしょう。
それなのに観光客の「爆買い」のおこぼれがほしいばかりに、おなかの中では軽蔑していて舌を出し、陰では盛んに悪口をまき散らしているのに、「春節」を模して「歓迎しよう」などと町中に春節もどきの飾りつけをし中国料理で迎えようなどとする恥ずかしいような情けないようなことを考える人たちもいるそうで、・・・・。
私は国粋主義者ではありませんから「日本文化万歳」とも「日本最高」とも思いませんが、こういうご都合主義は大嫌いです。

外国からのお客さんたちが接してくると、自然に楽しげに応対するこの人たちの若い感性がさわやかです。

今年学校を卒業して新しい環境に飛び込むのだそうです。
仲の良い友達と、こうして小さな卒業旅行をしているというわけなんでしょう。
いいですねぇ。

私はここからほど近いTake Twoというギャラリーに行きます。
この人たちは着物のレンタル業者のお店の方にゆるゆると帰ります。
行く先は逆方向になります。
じゃあね。
「ききみずガーデンの時には是非京都にいらっしゃい。」
- 2016/03/05(土) 00:00:52|
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午前中は晴れ間もあって、さほどではなかったのですが、昼過ぎ頃から冷たい風が吹きました。
空にはどんよりと雲が広がり、観光にはちょっと気分が乗らないかなという、そんな日でした。
私はある写真展を見ての帰りです。
寒いです。
いつもなら等間隔にカップルなどが座る、例の場所。 鴨川の四条大橋の下あたり。
だ~れもいな・・・・い?!
じゃなくて着物姿の若い女性がお二人でポツンと・・・・。
寒いのになあ。
せっかくの京都観光だから、お決まりの・・・は是非とも経験しておきたい、という事でしょうか。
よく見ると盛んに自撮りをされています。
ふと「マーケットリサーチをしてみよう。」と思い立ち、声をかけてみました。

というのもこれまで幾度かこのブログにも書いている通り、3月の下旬から四月上旬まで高瀬川を四条通から10分ほど下がったところで「ききみずガーデン」という面白い企画があるのです。そのしっぽにぶら下がっている私は4月の8,9,10日に高瀬川四季AIRというギャラリーでミニ個展をします。
その際、来ていただいた方のうちのなかに希望される人がおられれば「咲き誇る桜を背景に写真を撮りましょう」という企画なんです。
で、さらに希望されれば一枚500円でプリントしてお渡ししますよ、という事なんですが・・・・。
前回、昨年9月に同じようなことをした折に「500円」という価格設定について若い人と年配の方との意識の違いに気付いていたのです。
一枚500円は高い・・・・若い人の感覚のようです。

それなりの撮影技術・経験を持つ者が撮るのだから1000円位には設定すべきだという周囲のご意見と、若者世代の感覚に違いがあるのです。
観光の若者の意識としてはどうなんだろう・・・、聞いてみました。

何かほかにお得感があれば・・・例えばお茶券が付くとか・・・いいけど、一枚500円はちょっと・・・という反応でした。
現実にコスト計算をすれば2Lのプリントと「お茶券」で500円では採算が合いません。そのうえ台紙に挟まれていればと加えられれば赤字になってしまいます。
つまり写真についてはほとんどお金を払ってまで欲しいとは思わないという位の感覚なんですね。

ご自分たちで互いに撮った写真と技術を持つ人の写真とを比べて、そこに有意の差をみとめない・・・・これが現実なんですね。
ここで「技術を持つ人」に私自身を代入すると話がまた違う方に行くので、一応一般的な意味でという事なんですが。

写真はせいぜいプレゼントされるもので対価を払って手に入れるものではない。それが世間一般の考え方なんでしょうね。
だから逆に半切などに3万、5万という値段をつけている方に対しては本当に頑張っているなあと思います。
・・・・・・・・・・・・・・・・・
「ここからだとどちらに行ったらよい観光ができますか?」と尋ねられたので、ここから街中に行っても大したことはないから東に行ったらどうですか・・・とお話したのですが、
「本能寺に行きたい。」というので「本能寺に行っても何もありませんよ(歴史的な資料館・宝物館がありますが)。」と応えますと、それでも
ぜひにとおっしゃるので、
じゃあ、これからそちらの方向にあるギャラリーに行くつもりなのでご一緒しましょう。
(実際ここからでは道順の説明がいささかややこしいのです。)

どうせ歩くのだから木屋町通りをいきましょう。
京都らしくていいなあ。
- 2016/03/04(金) 00:00:56|
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今年は太陽暦ではうるう年という事で、2月は29日まででしたが、もう3月です。
今日からは暖かくなるようです。春の兆しが感じられますね。
今日は三月三日で『桃の節句』です。
桃は「3月下旬から4月上旬頃に薄桃色の花をつける。」とされていますから季節が合いませんね。旧暦3月の最初の「巳」の日が、その『桃の節句』の日で、太陽暦とはおおよそ一か月のずれがあります。
旧暦時代の節句などの言い方を、単に数字上だけ合わせて継承していますから、実際の季節感とは大きくずれるのですね。
こういうことにどんな意味があるのか朴念仁の私にはよくわかりません。
まあ、現代生活では梅や桜の様には桃の花を身近に見るという事もそう多くはないのですから、『桃が咲く季節になったなあ。』という感慨をリアルに抱く人も少ないでしょう。ですから、例えば東京の放送局のアナウンサーが「ずれ」を感じることも又ないのでしょうね。
ひな祭りというくらいですから「お雛様」を飾ります。
そうするといつも話題になるのが「お内裏様(男雛)はどちらに・・。」
すると、 「親王は向かって右ですよ。」と京都の方はおっしゃる。
あるところでひな壇を飾っておられた。それを、観光客を含めたお客さんが、それを見ては「右だ」「左が正しい。」などといろいろおしゃるので、親王と親王妃が日毎におろおろされていました。
京都以外では、親王が向かって左に坐することが多いようです。
「明治」期の天皇制の洋式化というか日本のグローバル化≒欧米追随の結果ですね。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
こうしてみるとやはりモノクロにも大きな魅力がありますね。
この人は目が大きく開きますから、こうした写真がとても魅力的になります。
それで?アウトドアで撮るといつも「眩しい!」とおっしゃいます。
小口径の私の目とは違って、F値が小さいのでしょう。憧れのF1.2くらいかな。

それに、建物が新装直後で床もまだまだきれいだとはいえ、こういうポーズを抵抗なくしてくれるのでありがたいです。

ユーチューブをいろいろ見ていると海外の方が写真の具体的な撮り方や、何故この写真がいいのか、どんな点に注意が払われているのかなどといった内容のものを見つけることができます。
言葉の壁があって、理解が到底追い付きませんが、「日の丸構図は避けるべき」とか「黄金分割」を解説した程度で、何か説明したかのようになっているモノとはだいぶん違います。
プロが自分の撮影の様子を解説づきで見せているものにもよく出会います。

それらの動画のスポンサーが日本のカメラメーカーであったりもするのですから、もっともっと日本の写真作家に登場してほしいなあと思います。(もし私が見つけていないそうした動画・・・意外とたくさんあるのでしょうか・・・・をご存知の方がおられたらぜひお教えください。)
技術論ばかりでない写真論も聞きたいですね。

先日、京都花見小路にあるライカの店で「ロベール・ドアノー」の写真展があり、そのレセプションにお邪魔しました。
会場にはドアノーの二女のフランシーヌ・デルディルさんが来られてスピーチをされました。
このレセプションへの参加を誘ってくれた同行の方と「素敵な人だなあ。」と意見が一致しました。

ドアノーとライカカメラとは長いお付き合いがあったことは周知のところですから、話の中でその点が触れられるかと思いきや 「ドアノーは使用したカメラのこととか撮影の技術的なことはほとんど話しませんでした。たくさんの現像されたフィルムが残されており、またプリントされたものも多数あるが、それを見てどのカメラで撮ったのかを判別することは難しい。ドアノーは技術の事より『どのような気分にな』って撮るのかという事をより重視した。」という意味のことを話されていました。

「そして写真家として歩み出した頃も、それからしばらく後にもライカカメラではなくて他のカメラを使っていた。何故ならまだ有名になっていなかった彼には高価過ぎたからだ。」と。
ライカ京都のフロアでこんな風に語れる人の自律した精神は素晴らしいと思いました。そしてドアノー自身の写真についての考え方も。
フランシーヌ・デルディルさんは終始、柱に肩をもたれさせて話していましたが、それも、何か「儀式」のように有名人を取り巻く日本人たちの緊張をほぐし、飾らない正直な話をしようとする態度のように思えました。

会場でドアノーの作品を見て、よく知られた作品群でなかったせいか、今一つ「素晴らしい」とは感じられませんでした。
同行された方は「写真がなぜ、どうして(他の絵画などに比肩するようなという意味で)よいものなのかがわからない。」とおっしゃっていました。
実は私にもそういう意識があります。
同行された方とは違うギャラリーのオーナーさんで、元仏文の大学教授も、私が写真を撮っていることを百も承知で、同様の考えを話してくれたことがありました。
しかし、ドアノーに限らず、ひとたび見れば忘れがたい写真がいくつもいくつもあります。そしてそれらは絵画で表現することは難しいだろうと感じられるのです。
だからこそ私は写真を撮っているのですが、何があるがゆえにそう感じられるのかがまだ捉えられていません。
- 2016/03/03(木) 00:00:56|
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日本にオペラ鑑賞の需要はどれほどあるのでしょうか。
オペラの上演には相当の費用が掛かりますし、設備も大掛かりになります。
そういうものを作るという事について、どう考えるか市民的討議が必要だったと思います。
しかし、こういうことを実現しようとする人の中には、民主的な討議を邪魔に感じる人が時に、いえ、まま見られますね。結論を得るまでに手間暇かかりますし、同じ熱で討議してくれるかどうかに対する不信感もありますから。
第一、政治は市民ためにするものとは思っていない節のある政治家が少なくありませんので。
元大阪市長や安倍総理の政治感性はそういう趣を濃厚に見せています。
京都市政も似ています。
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こうした色の壁面というのも、寡聞(見)にしてあまり前例を見ないように思いますが、実際のところはいかがでしょうか。
こういう色を使うとどのような心理的効果を期待できるのでしょう。ちょっと知りたいところです。

ありきたりなモノにはしたくなかった?! のかなあ。
写真では彩度も明度も少し低く出ています。 実際はもう少しさわやか?で明るい感じです・・・・が。

階段が広いですし、外光も差し込みますからいいのですが、そうでなければスナックやバーへの通路のようにも感じます。
そしてこの先のスナックやバーは、たぶん私の好みではありませんね。
まあ、私のために建てられたものではありませんからそこまで言えませんが。

どうでしょう。ここを通るときにシアターを訪れる紳士淑女たちのスーツやドレスは映えるでしょうか。
私は色彩が不得手ですから、なかなかそれを思い浮かべられませんが、一度その様子を見に来たいものです。
夕方以降の公演で照明が強く影響するようになった時にはどうなんでしょうね。

今、私はそういう事と全く別の意識とイメージで撮っていますので、これはこれで面白いのですが。

どのような施設であれ、企画であれ、実際に立ち上げて存在させるためには、並々ならぬ苦労があるのですし、またすべての人の好意的評価を得られることはないのが、一般です。
だからと言って、功名心に傾いたような独り善がりなのは・・・・殊に公共的空間では・・・・困りものですからね。
私の趣味的写真とは、そこが違ってほしいわけです。

私のような場合は「あいつの写真は好きじゃない。」「どうも嫌味だね。」「へたくそだ。」などと言われても、それは個人として凹めばいいだけですから。(写ってくれた方には申し訳ないですが。)
- 2016/03/02(水) 00:00:06|
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