京都市内の大学の写真サークルの展示が各所で開かれてきました。
中で健闘しているのが、最近ずっと私が高く評価している龍谷大学ですね。あとはに続くのは立命、時々大谷ですか。
サークル活動は毎年人が入れ替わるわけですから、どうしても消長があります。そういうことを考えると龍谷、立命は安定しています。
サークルでなくて正課としての写真展では精華大もわりによかったです。
社会人もがんばらねばいけませんね。
同時代ギャラリーでポートレートの写真展をしていましたが、力作がありました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
良く通りかかる街角に「たこ焼き」のお店があります。
信号待ちになることが多いので、自転車を止めてきょろきょろしているとそのお店のお兄さんが目に入ります。
いつも人当たりがよさそうで、声もよく出ています。
感じのいい人だなあと思いながら、それでもいつもはそのままに通り過ぎていました.。

今日は下校途中の小学生と話し込んでいます。
小学生の話に少しも嫌な顔をせずに、笑顔を絶やさないで対応する彼を見ていて、これは捨てておけないなあと。

小学生の方は、「おっちゃん、おっちゃん」と言いながらも本当に親しげに話しかけます。
「いいにおいが流れてくるなあ、たまらんなあ。一つならいくらだったかなあ。・・・・」などと話が途切れることがありません。

「写真撮らせてもらってもいいかなあ。」とお兄さんに話しかけて了解が得られると「おっちゃん良かったなあ。」と生意気な口をききます。
たまたまそこに少し上級生らしい男の子がいったん帰宅してから買いに来ました。
それを見て「ええなあ、うらやましいなあ、たまらんなあ。」と繰り返いします。
彼は本当なら学童保育園に帰らねばならないのですが道草を食っているのです。ですからお小遣いも持たないので指をくわえてみているしかないのです。

そんな小学生の相手をしながら、しかもカメラのレンズを意識しながらです。
どうも小学生は毎日のようにここでひとしきり「世間話」をしていくようなんです。
「ええ、小学生がよく声をかけてくれるんですよ。」

まだ24歳の彼が「おっちゃんと呼ばれるのがどうも・・・・。」とそこは少し困惑気味でした。
そういえば私も大学を卒業してしばらく後に、事情があって保護者がお金を出し合って運営する共同の学童保育所の指導員をしたことがありました。
下校してきた子供たちと近くの公園に遊びに行くと、近所の小学生も混じってきて「おっちゃん何歳や。どっから来てんの?僕らも一緒に遊んでいいか?」などなど話しかけてくるのですが・・・・まだ20代半ばの私としては「おっちゃんは、勘弁して。」というのです。
しかし、関西の子供にとっては高校生大学生であることがはっきりしなければ、もうそこからは「おっちゃん」らしいのでした。

「お兄ちゃん、言わな、一緒に遊んだらへんで。」という切り返しも通じませんでした。
そういえばある小学校で夏休みのプール指導員をしたこともありましたっけ。
子供らを水の中で放り投げたり、一緒に手をつないでぐるぐ回ったりと、・・・・大失敗もありましたが、・・・・楽しいバイトでした

そういうことを思い出しながら、この気のいいお兄ちゃんと小学生のやり取りを聞いていました。
- 2016/02/29(月) 00:00:17|
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初めてお会いした時にはこの人は〇〇歳でした。
そしてそれから・・・・。
私の年になるとあまり変わり映えもなく・・・・もう少し先に行くと一挙に急激に老け顔になってしまうのではないかと思うのですが ・・・・、もともと今までずっと、実年齢より上に見られていましたから、「変わり映えしない」ことで最近では見かけより実年齢の方が追い越し気味なんです・・・・・と自分では思っていますし、時々そう言ってくださる方もおいでなのです。
なのに、つい先だっては6~7歳ほども先輩から「失礼ですが、私よりおいくつぐらい上になるんでしょうか?お二つ、それとも昭和1×年ですか?」とお尋ねいただいて随分恐縮した次第ですが。

この人は、・・・・・もともと華奢な体形をされていますから・・・・・少女っぽい清潔な雰囲気を持ちつつもとてもしっかりした人だという印象でした。
実際に話してみると考え方が大人で確かにしっかりしています。
そういう内面に顔立ちが近づいてきたかな。

この人は「七宝」を制作しています。並行して彫金によるアクセサリーも作っています。最近は、いま耳にしているようなきれいな球を作ってもいます。
なん個所かのお店に展示販売を委託されているわけですが、なかなかの人気らしいです。
私は昼食を摂っていなかったのです。
それで、つい今しがたまで、若い職人の卵たちを撮影していて、その間にもお腹が鳴っていましたから、申し訳ないことに目の前でぱくついています。
そして、いつものようにいつでもどこでも何をしていても撮影の「犠牲」になるのです。

でもまあ、そこのところはお付き合いも長くなりましたから、仕方がないとあきらめていただいて・・・・。

あまり長い時間、御一緒できなくて、ターミナルまで送った途中で・・・・。
ちょっと憂いを含んだ表情で・・・・撮りましょう。


なかなか笑顔を取らない「カメラマン」です。
そこはかとない微笑がいいですね。
大人だなあ。

- 2016/02/28(日) 00:00:34|
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「人の写真を撮るのは難しいでしょ?」という壁を越えるうえで、大きな力を与えてくれた人がこれまでに何人かいます。
そのうちの忘れられない何人かの人たちのうちの一人がこの人です。
私がこの人を初めて見つけて、初めて撮らせてもらったその場所で、ばったり再会しました。
(もっともこの人は私の個展などに足を運んでくれている人ですから、初めて会って以来というのではありません。
が、それでもやはり久しぶりでした。)

初めて撮らせていただいてから、時々は機会があればたまに撮らせていただいてきたのですが、それから間隔を置いてまたこうして、偶然に会った機会だというのに、快く撮らせていただけるなんて、うれしいことです。
というか、私が相当図々しいんでしょうね。

私が「これは!」と思って撮らせていただいた方が、時間とともにさらに魅力的になっていくのですから、それは撮らずにはいられない・・・というわけです。
ご本人にはご迷惑なことでしょうが。

特別に計画したのでもありませんから、「僕はまだ昼ご飯を食べていないんです。」と、どこか食べる場所を探す道すがらですが。
大体この辺りで食事をすることが滅多にありませんし、行きつけは居酒屋ですから、そこはまずいわけで。
適当な店を見つけるのにあっちにふらふら、こっちをうろうろ・・・・。

たまたま「このお寺には入ったことがなかった。」というので六角堂へ。
耳を飾っているのはご自身の作品じゃないかと・・・・・。
服装も派手ではないけれどいつもセンス良く着ていて、前回の個展に使った写真でも「白と青」の画面にぴったりでした。
それをちゃんと理解してくれていて、あれがよかったと、気に入ってくれています。
確かにあの写真の「色のマッチング」は、・・・・・他のどなたにも触れていただけませんでしたが・・・・上出来だったと思うのです。
それにあのメガネが効いていたなあ。
撮られたご本人が気にいってくれたのですから本望ですね。
- 2016/02/27(土) 00:00:58|
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私がここで、この人の制作の様子を撮っていたときです。
あれ?! 〇〇さんじゃないかな?! という人が傍らを通り過ぎました。
私には気付いていない様子。
私に気付かない?! これは怪しからん! と、その人が踵を返して戻ってくるコースに仁王立ちしていますと・・・・。
あっ!! 蒼樹さん!! と、ようやく私をみとめてくれました。忘れられてはいませんでした。 ああ、良かった。

かつてこの部屋で彫金の実演をされていたのが縁で写真を撮らせていただき、私の個展の一回目、二回目のDMを飾ってくれた人ですから、私にはある意味で特別な人です。
さて、その時から私の腕がどれほど成長できたか怪しいものだとしても
「若い職人」に注目して、取り上げたいという気持ちは今でも同じです。
「今のあの人は、あなたの先輩になる人ですよ。」

糸鋸で唐草模様のような絵柄を「透かし」にして切り取っています。

この人はまだ学生ですから、作業台の前に並べられているのは学校での課題の作品です。
1年生の頃の作品、2年生の時のもの ・・・・ その成長の様子がよくわかります。
そして4年生ともなり、卒業制作作品に結晶されると、それは見事なものになります。若い時期の4年間は大きいのですね。
さすがに専門的な過程で実技を学ぶのですから、他大学のサークルの人たちの「卒業展」などで見る絵画や写真などの到達水準とは格段の違いがあります。
シャッター速度を遅くしてみました。

若い二人連れの見学者です。

- 2016/02/26(金) 00:00:29|
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少子高齢化が進む以上、多くの分野で後継者不足は否めない。
しかし、案外こうした工芸的な分野にはある程度の後継者が集まるのではないかと、ふと思うことがあります。
それは現代の「ポストモダン」な高度化した社会の裏返し的な意味で。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「飯が食えるかどうか。」は重大な問題です。
しかし、今や自分一人が「飯を食う」のでさえ困難な社会で、一馬力で「妻子を養う」などという事は、もはや難事になりつつあります。
かつて賃金は「男は外で働き、女は家庭を守る」という価値観を維持するために支払われなければならないという社会的規制がある程度働いていたと思います。
しかし、自公的な「男女雇用機会均等」や「一億総活躍」が目指すのは、女子並み賃金に男子を引き下げることをも意味し、 しかも、それだけでなくて男子や正規雇用者には際限のない企業への忠誠・従属を求める梃でしかないのです。
規制緩和の名のもとに進む柔軟かする労働規制は、働く者の従属性・「社畜」性をさらに極限まで進行させているのです。
かつてマルクスが資本主義の一面を「賃金奴隷制」と称したが、そのことがますますあからさまに証明されていると思います。
そうした状況が眼前で進行するとき青年はどう生きるのでしょう。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

陶器に絵付けをしています。
先ほどまで友人と思しきお二人と歓談されていたのです・・・・。
が、今カメラを向けられて黙々と作業をしているこの人の周囲には静寂があります。

いえ、実際には今日は普段よりいくらかお客さんが多くて見学のために覗き込む人がちらほらおられますか「静寂」とは言いがたいのですが。
けれども私は写真では「静寂」にしようと思うのです。
ジャズの演奏などを撮るときには「音のする絵」にしたいと思うのですが、逆に「音を消す」にはどうすればよいかを考えながら撮ります。
まあ、リアルな問題としては、どっちにしても写真から音はしないのですが。

「嘘をつけない写真は芸術になることはできない。」と言った著名な画家さんがいます。
私はこの言葉は一面の真理を突いているなあと思って、いつも意識の片隅にこの言葉を置いています。
しかし、実は写真は嘘の塊でもあるのでして、むしろ事実さえも撮る=定着することができそうにないとさえ思えることがあるのです。
事実をさらに真理とか本質という言葉に置き換えると、話はなお一層ややこしくなるのですが。
「嘘が付けない写真」と「事実さえ撮れない写真」との矛盾の中に写真はあるという事でしょうか。

そういう禅問答のような「行ったり来たり」の中でシャッターは切られます。
そこで決まって「大山鳴動 鼠一匹も出ず」に落着するのですが。

「頭でっかち」は小中高生の頃から変わらない私の性根ですね。

そのことが人生を生きづらくしたり、行き易くしたり・・・・・・・。
「たかが写真、されど写真」 ・・・・ ですか。
- 2016/02/25(木) 00:00:26|
- 伝統工芸
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たまたま二階には「投扇興」の支度がしてあり、オーナーお気に入りの「梅」を描いた二曲の屏風がありました。
そこで、上で撮りましょうとお誘いして。
実はこの方「投扇興は初めての体験でした」とのことですが、何と的中率80%とという「凄腕」でした。
五回投げますから四回的に当たったという事ですね。これはなかなかできることじゃないです。

投げるところもお撮りすればよかったですね。

なかなか良い雰囲気でしょ?!

突然降ってわいた撮影に戸惑われていましたが、・・・・そりゃそうですよね・・・・、「目指せ1000人」の話を聞いてくれていますから、お助け心もおありだったんじゃないでしょうか。

ご覧の様に背筋が伸びているのは、的に的中させたことと関連したスポーツをされていたからではないでしょうか。
姿勢の良い方の写真は気持ちがいいですね。

関西に御住みだという事で、四月の九日を挟んだあたりで計画している「水上すてき写真館[仮称]」にもおいでいただけるかもしれません。
もしおいでいただけるとすれば和服で?お越しいただけるはずです。期待しましょう。

眼下に爛漫の桜と高瀬川の清流を見て写真を撮ります。
ご近所の方是非おいでください。
お待ちしています。
- 2016/02/24(水) 00:00:59|
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サンドブラストの作家さんです。
「作家」と言われると、少しはにかまれて「作家というところまではまだまだ・・・」と謙遜されます。
今回は「小さなお家」「武」「高瀬川四季AIR」の3ギャラリーが共同して「ひな祭り」をテーマに展示をされています。
その展示への参加募集を目にして、この方の先生にあたる方とともに出品です。

この三つのギャラリーのオーナーさんたちとは親しくお付き合いさせていただけるようになって度々お邪魔をさせていただいています。
その関係でこの作家さんをご紹介いただきました。
(因みに、ギャラリーとのお付き合いといえば、3月12日(土)には「小さいお家」が中心になって、河原町通りを仮面をつけて紛争してパレードします。その時、何としたことか私も仮面をつけて撮影同行をするのです。人は変われば変わるものです。
興味のある方はギャラリーの方に、ぜひお問い合わせください。)

サンドブラストというのは・・・・ご存じかとも思いますが・・・・透明ガラスに色ガラスを合わせたものを、その色ガラスに削ってはいけない部分をマスキングして砂(研磨材)を吹きかけ表面の色ガラスの部分を削って絵柄を表現するというものです。削られた部分はスリガラスになります。

油画のように書き足していく手法ではありませんから、初めから完成形を思い浮かべてマスキングしていかねばなりません。
下絵[原画]を描き、それをトレーシングペーパーに写しとって、さらにガラスの素材にそれを写してマスキングするわけですね。
いったん削り落としたら、それをいま一度回復するとか塗り重ねて修正するという事ができませんから、大変難しそうです。

削り方で厚みや奥行きを出したり、エッジを利かせてシャープに表現したり、ぼけというか滲みのような効果を出したりと、なかなか奥が深そうです。
こんな雰囲気の女性が制作の時には防塵用のメガネをかけたり、汚れても良い作業服を着ているとどんな風なのかと想像をしましたが、「いえ、素材もエアブラシも箱の中に入れて、両手を差し入れて作業をするので、特段に変わった格好をしているわけではないのですよ。」とのことでした。
へ~、そうなんだ。

私がひとしきり、私の写真の活動についてお話をし終った頃、ギャラリーのオーナーが所要を済ませて戻られました。
それでいつものように好意的な?尾ひれはひれをつけて私を紹介してくれて「写真を撮ってあげたら?」などと、まるであらかじめ仕組んだように、シナリオ通りに話が進み・・・・。

この日はあいにく雨模様で、既に外は薄暗くなっていました。
晴れているととても良い外光があるのですが、それでも東向きなので、多少辛いのです。そこに厚い雲。
と内心でいろいろいいわけですが。
- 2016/02/23(火) 00:00:22|
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「温故知新」といいますが、今日は「知新」の好奇心を働かせて撮ろうと思います。
その点で、この人はうってつけのフォトマヌカンです。

最近では、ほとんどあらゆる人がと言っていいほど多くの人たちがカメラを持ち写真を撮っています。
私もその中の一人であるわけなんですが、もっと写真家の写真が意識的に見られるような風潮が高まるといいなあと思います。
そして写真家たちはもっと写真文化のリーダーシップを発揮してほしいなあと。

そしてそこで、なぜ、何を、どのように撮るのか、そしてどのように絵とするのかについて深められるような作品を提示してくれると嬉しいなあと思うのです。
多少とも意識的なアマチュアの写真愛好者は結局、多かれ少なかれ、そうした方たちの提示に刺激され影響されて撮っているのですから。

アマチュアの写真展に行くと、多くは既視感を抱くのはそういうわけだと思うのです。
私の写真も然りです。

ただ、私は写真からのみ受容していては、大した成果は無かろうと思って、こういう施設に具現されている内装や、システムや、スタッフのファッションや、サービスの在り方や・・・・などなどを見て学ぼうとも思っているのです。
・・・・思ってはいるのです。
思っていることがそのまま実現できればこんないいことはないのですが、なかなかね。

学ぶには学ぶだけの基礎的な力がありませんと・・・・、ただ眺めて感心して…何がどう良いかもわからないまま…「すごいなあ」とつぶやいて終るのが関の山なんですが。
そこが私のウィークポイントで。

それでもまあそういうところを痛く指摘しないでお付き合いしてくれる、この人のような人がいてくれると、おおいに助かるというわけです。

どうやら今日も「温故」だったようですね。
- 2016/02/22(月) 00:00:28|
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様々な物議をかもして「京都会館」がリニューアルした。
「ロームシアター京都」と名を変えて。
さっそく見学に行ってみた。

「北風吹きぬく寒い朝も~🎶」という日でないのでありがたい。
自転車で徘徊する毎日なんですが、今冬は、耳がちぎれるような寒さというものを経験していません。
数年前には、恥も外聞もなくスキーウエァを着込んでいたものですが、そこまでしなくても耐えられるのですから、やはり暖冬なんでしょうね。

この人は、アクセサリーなどを作ることと並行して心身ともに「お疲れさま」という仕事をしていますから、こういう場面では気分転換として楽しんでくれているのが幸いです。

「A方のあなたとB型の私では、合わない。」とよく口にします。
私自身は血液のABO型性格判断を全く信じませんが、団塊世代のしっぽの私と若い世代のこの人とでは何かにつけて感じ方考え方が違うのは当然で、それを面白おかしく私が言うものですから、「だってB型だし。」という事になるわけです。
非常に健全でまっとうな常識をお持ちな反面、私自身の感じ方から言えば、えっどうしてそういう発想ができちゃうのという事があります。
それがこういうところでの撮影にも出てきて、大いに振り回される瞬間があるのです。
しかし、それを眉にしわ寄せて受け止めると、何もことが膨らんでいかないので、う~ん、そうするとどうなっちゃうのかなあ、まあ付き合ってみよう、乗っかってみようというようにしています。
内心では、周囲の反応を大いに気にしているのですが、あたかも平静と装って・・・・。

そして、実はそのことで私一人ではきっとできないだろうことを、この人がぐんと押し広げてくれて、面白いことになるのです。

それに加え年齢を重ねているうちに、さしもの私も?図々しさが増し、面の皮が熱くなって、ある意味でちょうどいい感じになってきているかもしれません。
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- 2016/02/21(日) 00:00:39|
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無知とは怖いものです。
知らないことによってあるものを必要以上に蔑んで軽んじたり、あるいは異常に過大に恐れたり。
私は電子機器についてそれはもう悲しいぐらいに無知なのです。
PCもカメラもほぼ完全に「ブラックボックス」です。
自分のカメラには位置情報を記録する機能がついていない・・・はずな・・・のに、ある人が私の写真をネット上で見て、そこは「○○ですね。」「××で撮りましたね。」と指摘されているのを、その方が有能な「理系」の方だという事で、「きっと何かの方法で探知できるに違いないと思い込んでしまいました。しかし、それはいったいどういう方法に依るんだろうか。」と、その技術の存在に不安を感じたのです。(その方の意図についてではありません。)
少なくとも自分が知っている限りのことから考えて「分かるはずがないのに。」と思うので、なおの事不安が大きくなったのです。
現代技術が私のような人間の理解をはるかに超えていると言う事実がもたらす幻惑でしょうか。
少し落ち着いて考えを巡らせば、私が撮影した場所をある程度特定するには「文系」的にもいろいろな情報を探索できるにもかかわらず、そこに考えが及ばないのです。パソコン上の事は私の知識を越えているという事実が思考を停止させ、そこから妄想を拡大してしまうのです。
今の政治状況を見ると、そういうような心理を巧みに操作されているなあと思うことしきりです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
さて、この方は波切不動尊をお守りしている行者さんです。
杉の林は葉や枝が落ちてそのままでは荒れてしまいますし、不動尊をお祀りしているお堂もそこへの径も埋もれてしまいますから、日々保守を怠りません。

数年前まで私が住んでいたところは家を出て数分も歩けばこうした杉林の山でした。
そこは手入れする人もなく荒れ放題で、倒木も多かったのですが、この付近は見事にきれいになっています。
普段の手入れのたまものですね。

この方にとっては、こうした奉仕自体が「行」なのでしょうね。

最初「写真を撮らせていただけますか?」とお尋ねした時には、レンズの前に腰を下ろしてくれました。
別の方が「自然に何かをしているところを撮りたいのよ。(だから特別にしなくていいのよ。)」とおっしゃってくれて、
ですから今度は作業の手を止めないでいつものまま・・・。

黙々と作業を続けておられます。
こうした行者さんの奉仕の姿を私は今まで見たことがありませんでしたから、とても興味深かったのです。

お話を伺うにもこういう世界で使われる言葉を知りませんから、何か失礼なことを言ってしまっているんじゃないかと、不安でなりませんでした。
仏事・神事について、私はほとんど何も知らないのです。

人の世界は広い。
知らない世界で人々は様々な活動をしておられる。

「ありがとうございました。」
「なんのなんの。また来てくださいよ。」
- 2016/02/20(土) 00:00:14|
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「波切不動尊」(なみきりふどうそん)」(不動明王)が祀られている、京都一乗寺の山の中腹。この山を越えれば比叡の山並みに通じてやがては近江へと抜ける。
「道は荒れてるから自転車を押しては無理やね。」とのこと。
むろん私にはそんな元気はありませんが。
ふと足を踏み入れた杉木立の鬱蒼とした細い急な登り道の奥まったところ。

不動明王を待つた祠に通じる道は箒の目も清らかな小径です。
そのお堂と周囲をおもりしている方たちがいます。
このお堂の傍らに仰臥されている「行者」さん(上の写真の写真左手)と、まったく「自分の気持ちのままに、誰に言われるのでもなく」毎日ここに出向いてお世話されている「行者」の方々。

周囲は杉の木が生い茂っていますから、落ち葉も多いし枯れ枝も落ちます。それを掻き集めてこうして焼くのです。
この方は私の住所地からほど遠くないところから毎日自動車で通っているのだそうで、ここに仰臥されておられる行者さんの夜の食事の背ををされてから日も暮れてしばらくしてから帰宅されるのだそうです。
京都フォトクリップというブログの中に「誰もいないので少し薄気味悪くもありますが、境内はゴミも落ち葉もほとんどなく、とてもきれいに保たれています。山中の修行場らしい、深い静けさに満ちたところです。」と紹介されていますが、この方々がきれいに保たれているのです。

私が撮影をお願いしているときにアラフォーかなと思われる婦人もお手伝いを始められましたし、その後に代半ばかと思われる男性・・・・あの人も行者ですよ・・・・が「行」をしに来られました。
このお堂はこうした方々の無償の奉仕によって守られているのですね。

大きなドラム缶の上には「釜」が置かれて湯気をあげていますので、「何か入れているんですか?」と・・・・「ボケ予防10か条」も掲示してあることだし・・・・大根か何かを炊いているのかと思ってお訊ねすると、「こんな山の中で火を使うから、万が一のことを考えて消防の指導で水を入れてるんですよ。」とのことでした。
なるほど・・ですね。

「男勝り」に働いてこられたそうですが、ある時、「もうお金のことはいい。」と思いきることがあって、あくせくしない生活に転換されたのだそうです。
でもお顔を見れば精神的にもお体的にもぴんとした方だという事は分かります。

奥のお堂の裏には一筋の滝があります。
「涸れたことはない。」のだそうです。
「夏は涼しいでしょうけれど、この時期は厳しいですね。」と言いますと、
「そうですね。」とお応えになりながらもやさしい笑顔が絶えません。
- 2016/02/19(金) 00:00:45|
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「ギャラリー知」
それがこの会場です。
私が初めて個展をさせていただいた会場です。
ここでは海外の魅力的で主張のある作家を積極的に紹介する一方、若い人たちにチャンスを提供しています。

それで私にも門戸が開かれたわけです。
で、そのご縁から、時々若い人たちに出会って、お話を聞きながら、写真を撮らせてもらいます。

この人の作品は木版です。

私は、このブログでも何度も紹介しているように、写真を始めてたくさんの先輩、同世代の諸氏と交流させていただくようになりました。
その多くは数十年をある分野の仕事に打ち込み充実した生活を送ってこられた方々です。もちろん単純に成功や悦楽の日があったわけではないのですが、そういう『人生』をとにかく一幕演じてこられた方々です。
そういう方々の顔とこうした若い人たちの顔を重ねて思い浮かべるのが、最近の私の日常です。

そうすると、ますますそのどちらの人たちも「撮りたい」という思いが強くなるのです。

そうして、私の写真が結局どこに行きつくのか・・・ふと思ってみます。
そうするとますます茫漠として際限も行きつく岸も見えません。
かりそめに「1000人」などと何か目標めいたことを口走っていますが、それが少しずつ近づくにしたがって、それ自体がぼんやりとして、薄れていくのです。
・・・・・ただ1000人目に撮りたい人は、確かにおられるのですが・・・・・

来る4月に咲き誇った高瀬川の桜の下で「写真館」をします。
多分。
今からその企画の内容を膨らませていきます。

何ができるのでしょうか。
人生「ワクワク」「惑惑」。

若い方、気持ちの若い先輩たち。
それを目撃していくのが私の「人を撮る写真」かなあ。

春のうらうらとした陽の光が、何やらそういうことを思わせます。
- 2016/02/18(木) 00:00:04|
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私は、卒業式の日、「答辞」を読むと、式後、散開した友人たちの何人かが連れ立って、法然院にある河上肇の墓参に行くというのを羨ましく見送っり、一人全く別の道を歩きました。
実はこの時に、また別の思いをもって仲間の背中を見ていた友人もいたのですが、そういうことに思いが思いが及ばないほど若く未熟だったのです。
青春期というのは[愚かで、やるせない」ものですね。

そう思いますから、こうした学生たちの姿を見るにつけ、応援と叱咤の気持ちがわくのですね。
それでそれを写真を撮るという事に結んでいるのです。 私、本人の「つもり」としては・・ですが。

この人は京都に残りますから、きっとこのギャラリーの企画でも、また大学の制作展でもお会いすることがあるでしょう。

私の大学生活を思い起こすことのできる写真はわずかしかありません。
他の人の写真は撮ったのですが、それらは手元になく、自分の写ったものはごくごくわずかです。
職場での生活も同様です。
カメラを持っている側というのは得てしてそういうものですね。
こういう情景を、記憶だけでよみがえらせることは難しいと思います。
写真だからできますね。

同じころ別のギャラリーでも、4回生が仲間たちと展示会をしていました。
この人はなんと私と同じ地方の出身でした。
「遠州の空っ風」に吹かれて登校した経験の持ち主です。

その人が京都で4年間を過ごして、また郷里に帰っていく。
ある種の感慨がありますね。
そして、この人は一緒に作品を出しているお友達。
- 2016/02/17(水) 00:00:30|
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私が大学の卒業を前にした時には、見かけほど卒業の覚悟も準備もできていませんでした。
だからこそ外見上は大層な決意をして見せていたとも言えます。
ほとんど中身は空っぽだったなあと今にしては思います。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
芸術系の大学の卒業制作展が、相次いで行われていました。
その一方での個展やグループ展です。

この人はギャラリーの片隅に、日常を描いていました。
畳敷きの上に置かれたちゃぶ台。
その上に広げられた受験問題集、落書きがされたノート、親しい友人との写真・・・、ひざ掛けの毛布とクッション。
「せっかくの展示会の記念です、撮りましょうか?
「お願いします。
「じゃあ、あなた自身も作品の一部になってください。

ノートの右端には「パラパラ動画」が描かれています。
落書き一杯のノートは、退屈な授業や学習を意味してるようです。 まあ私にも経験があります。
「つい退屈になってしまうのが・・・・・数学だったんです。」というわけで、ちゃぶ台に開かれた問題集は「数学」のそれでした。
ちゃんと計算されています。

あんなに算数が得意で学習することが楽しかった少年が、なぜ極め付きの数学不得意高校生になってしまったんでしょうね。
大学では微分などを…自主的に・・・・楽しんだんですから、決して数学そのものが嫌いではなかったのに。
「とにかくそういうものだと考えて・・・・。」という教師の決まり文句と、「ここ出るぞ! これくらいできなくては国立に行けないぞ!!」という呪文を聞かされて、高校での学習のほとんど丸ごとを拒否してしまった多感な高校生・・・という事に自分の中では、なっています。

こうして一緒にグループ展を開ける友人を得たこと、それも大学生活の貴重な財産ですね。
それに加えて、こうした学外のギャラリーで自分を表現し大人たちと交流する機会を持てたこと。
大学の外に踏み出す機会はとても大きな意味を持つように思います。

この人は、進学してなお一層学ぶのだそうです。
小石に彩色しています。

その色の感覚は魅力的です。

4年間の勉強で卒業し様々な職業人となっていく人に比べて、進学する人は、絵画や造形のプロパーになろうとするのですから、覚悟や資質はより高いものを求められます。
で、会場にそういう人がいると、私の話は少々出力のレベルが変わります。
「敢えて話す」内容になります。
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- 2016/02/16(火) 00:00:09|
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ある寒い日の事です。私が自転車で鴨川の河川敷を走っていると・・・・・。
何やら楽器の音が・・・・管楽器だなあ・・・・が、とぎれとぎれに風に乗ってきます。
近づくと若い女性が何やら楽器をお腹のあたりに抱えています。
それにしてもこんなに寒くて風の冷たい日に、どうしたことだろう。
何もこんな寒くて、しかも裏寂れたようなコンクリートの壁の前で。

事情を聞いてみると、近くの大学のジャズのサークルに所属しているらしいのですが、その中で「レギュラーバンドのメンバーになるためのオーディションがあるんです。」という事なのです。それも近日中に。
なんとしてもバンドのレギュラーの座を獲得したいので「練習したいんですが、今大学は入試期間でキャンパスに入れないんです。」

そんなわけで、寒いからとやめるわけにもいかず、こうした場所での練習となったのだそうです。
指もかじかむでしょうに。

はじめ「オケかブラバンか。」と思ったのですが「高校の時からジャズを吹いていたんです。」とのこと。珍しいですね。
いいですねぇ。 って、あくまで私の趣味ですが。

寒い中で頑張るねぇなんて言っていたら、「霙?! 雪?! 霰・・だよ。」
これはダメだねぇ。
「引き揚げます。」

サックスは木管楽器で「木部が濡れちゃうとまずいんです!!」
明日また条件がよければ練習しますと言われるので「もしまたここを通ったら撮らせてね。」
「はいっ。」
と言ってお別れしました。

翌日は3月下旬のような暖かい日でしたが、あいにく私が通りかかった時にはおられませんでした。
でも、きっとまた会える気がします。
レギュラーメンバーのオーディションには合格されたでしょうか。
- 2016/02/15(月) 00:00:21|
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2月は芸術系の大学生が、卒業を前にして4年間を締めくくる制作展や、個展・グループ展をしています。
芸術系の学生が「卒論」を対外的に発表してみてもらえる「ハレ」の時ですね。
その成果の質量や、展示の仕方、あるいはそうした公表の場への臨み方に現代の学生の姿が読み取れます。
私はそういう場によく出かけます。
決して文句・小言を言うために見に行くのではなくて、今を生きる同時代人としてそこに足を運ぶつもりではあるのです、・・・・が。
そんなあるギャラリーで出会った人。この人はまだ1回生だそうです。

私は展示を見て「黙って帰ってしまう。」という事も時にしますが・・・・というより、そうしないとおそらくは言い過ぎてしまうだろうと思うことがあるからですが・・・・比較的辛口のことも口にします。
むろん肯定的にみられることや制作者の工夫や個性的なアイディアを見逃さないようにも努めます。そして門外漢としての立場を忘れないようにしながら。

たまたま在廊している学生に「あなたの作品は?」と声をかけ制作の苦労や自分の目指したところなどを聞かせてもらいます。
私自身が描かないのですから、内在的に批評するのはとても難しことですので、・・・写真を撮るものからすればねという言い方をします。

時に、一緒に在廊している別の学生が「私の作品はこれなんですが、どうでしょうか?」と聞いてくれる。
学生たちのこうした展示会場では、よくアンケートが準備されていて「お願いします。」と言われるのですが、基本的にお断りします。
話しかけられるのが嫌な人や、お客さんの中には話すことが得意でない人もおらるでしょうからアンケートも有効でしょう。
が、ぜひ自分で「これが私の作品ですが、いかがでしょうか?」と声をかけましょうと言っているのです。

この人は展示企画やイベント企画などについて学ばれているそうで、その関係からこの会場にスタッフとしているんだそうです。学外で展示会場を直接に経験して学んでいるという事でした。
で、まあこういうようなことになることはまれなんですが、お願いしました。
- 2016/02/14(日) 00:34:34|
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「量(的変化)の質(的変化)への転化」
2月も中旬ですね。 3月の末になると私がこのブログを始めて満5年になることになります。
未だに1000名の方を撮ったというところにまでは達成していませんが、まあ、少なくない方にお願いしてきたことは事実です。それで、ちょっと事態が変化し始めています。
とても分かりやすいところでは・・・・・。
ある日私のE・メールボックスに一通のメールが届きました。
手描き友禅の職人さんからです。 自分たちが公開の実演をしているから来てみたらというという事でした。
勿論喜んで伺いました。
この方が案内をくれた方です。 ユニークな方で伝統の絵柄とは違う意想外のものを描かれることがあります。

今回この場では帯に竜の絵を描いておられました。
「防染」をしないで、絹地に描く日本画とほぼ同じ手法で絵を描いていきます。
ですから防染をしてモノとは違うぼかしやにじみが使われて何とも言えない情感と品が生まれます。

私が職人に興味を持って写真を撮っていることを好感をもって見ていただいていて、その機会をやろうという配慮です。
この方の師匠にあたる方の写真を撮っていたことが一つのきっかけでもあるのですが。

注文によってイタリアの名車、フェラーリを着物や帯に描きこむというような、ちょっと先輩方が眉を顰めかねない図でも積極的に描かれます。
それにしてもそういう注文をする方もおられるのですねぇ。 フェラーリのエンブレムも取り入れるのだそうで、フェラーリの人からも注目されているのだそうです。
江戸期の円山派からの伝統も引き継ぎながら、方やそういう革新的な絵柄にもどんどん取り組んでいく方です。

そういうスタンスだからでしょうか、私など門外漢に対してもとても開放的でざっくばらんな一面を持たれています。
で、お誘いによって会場に着くと、その会場には6名の職人さんがおられましたが、なんとそのうちの5名の方は、すでにこれまでに別の場所でもお会いして写真を撮らせていただいた方々でした。
私の個展に足を運んでくださった方もお二方居られました。案内をくれた方も「この前の個展には行けなくて悪かったね。」と。
この女性は「金彩」の方ですが、やはり以前撮らせていただいて、その写真を以前の個展で使わせていただいてもいます。
撮影させていただいた後お会いできていませんでしたので、この偶然に手元に持ち歩いていたお写真を差し上げることができました。
娘さんも活躍されています。

この方幾度かブログに登場していただいていますが、いつも気さくに声をかけてくださる方です。
「あんたが小刀の刃の光という事を言うから、それ以降、それが見てくれる人に見えるように工夫しているんだよ。」と。
この方についてはもう断りもなしにカメラを向けるのが普通になってしまっていますが、この時には、その葉の輝きを撮るために集中させてもらいました。

短時間なんですが、こうして相互に通じ合って集中できる時間はとても楽しいものです。
芸子さんが舞を舞うように、そして裾を瞬時輝かすように小刀が動くのです。
ある種妖艶な瞬間を生みます。

題材は源氏物語です。
名人が投げてくれる球を打とうとするのですが、斯くのごとしです。
- 2016/02/13(土) 00:00:13|
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この人の作品の前で撮りました。
記念写真的なものも撮りました・・・・彼女がそれを希望したためもありますが・・・・・が、私の興味はついそれとは少し違って・・・。

もう少し腰を低くしてウエストレベルで撮ればよかったなあ。

テラスに出て建物をぐるっと回りこむと白い螺旋階段がありました。
「ここでしょ?!あなたが撮りたいのは。」と駆け寄ってくれました。
実は先ほど下から指をくわえて「あそこがいいなあ」と眺めていたのでした。

この肌の白さは、独特ですね。
その分、人工照明の影響も大きいかな。

実は私の愛機が退院してきていたので、今日はその調子を見る絶好の機会でもありました。
それで、そのカメラでより多く撮っているわけですが、お気づきのようにツァスレンズで撮った写真のほうがずっと良い感じです。
事実とは違うかもしれませんがヨーロッパの人はツァスレンズで撮ったほうが良いのでしょうか。
レンズが原因しているのではなくてキャノンの色だしの問題でしょうか。

二日前のページにツァイスレンズで撮ったものを掲載しています。

こうしてカメラを仲立ちにして外国の人との交流ができるのはうれしいことです。
この人の物怖じしないはきはきとした態度は心地よいものでした。
ですから私もへたくそで乏しい語彙の片言英語を少しばかり口にしやすかったです。
もっとも通じていたのは身振り手振りだけだったようです。
「Please like me.」 がすべてだったかも。 ちゃんと文章になっていなくても通じるのが日常会話・・ですね。

背面液晶のモニターでこの写真を見て「あなたは確かに写真家だ。」と聞こえたような気がしたのですが、きき違いだったか、幻だったかもしれません。

今はもう、遠くに行っている頃かな。
- 2016/02/12(金) 00:00:43|
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この日写真展が行われる会場です。
私が到着する前に会場での作業が行われていたようで、食事のために階下に降りたこの方と入れ違いに、会場になっていた部屋に入ると、まだその痕跡が残っていました。

この人は「青春」をテーマに撮ったようです。
出会ったときのギャラリーに展示されていた「カプセルホテル」の一区画を撮った写真。
そしてこの日の写真。
いずれも、ただキレイだとか美しいだとか撮り方に新奇なアイディアがあるだとか、あるいはまた画像処理に新工夫があるだとかいうものではありません。
そこに現代に対する彼女なりのアプローチと解釈があり、それを表象する絵を撮っています。
この点において、私が普段数多く目にするあれこれの写真展とは大きく趣が違います。むろん私の写真も含めての話ですが。

むろん時には若い方の写真展などで、この人の写真と共通する意識を持ったものに出会うことがあります。が、それは決して度々というものではありません。
そしてそこことが、私が多くの写真展、ことに高い技術を見せている写真が展示されているギャラリーや、地域を代表するような写真家集団の写真展に行って、虚しい思いで帰ってくることが多い原因です。

同じ会場に写真を展示している別の留学生です。
一緒に休憩しているところを「いいかな?」とお願いして撮らせてもらいました。
やはり半年の留学だそうです。

黒い服の人は「京都も寒いといいますが、私の国のスイスの寒さに比べれば・・・・。」と外での撮影にも平気でしたが、
こちらの人は暖かい国から来られていますから、・・・。
この太陽のような明るい笑顔・・・・。もっと撮らせてもらいたかったです。
こういう時に、「あなたからもチャンスをもらえませんか?」と咄嗟に機転を利かせた話ができないところが、依然として私の鈍重で、消極的なところです。

いつも事後になってそれを悔やみます。
もう「事後」をたくさん経験できないのですから、悔やんでいる場合ではないのにです。
人の「性」を変えていくのは本当に難しいことですね。

風格がありますね。

さあ、それでは会場にいきましょう。
それにこの人にアイディアがあって2階のバルコニーでも撮りたいといってくれています。
ここはあらかじめここで撮りたいと見付ておいた階段の踊り場です。

どうでしょうか。
- 2016/02/11(木) 00:00:57|
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人生が長いのか短いのか・・・・それはともかくとして、その人生の中の1時間に満たない「時間」はどれほどの意味を持つでしょうか。
1日が24時間、1年が8760時間、・・・・その1時間を後に思い出せるでしょうか。思い出せるほど深く心に刻まれる「1時間」というものは人生において、そうたくさんはないでしょう。
1時間がもつ意味・・・、ふと、そんなことを考えました。

この人はある芸術系の大学に昨年の9月から短期の留学に来ている人です。
6か月間でその過程は終わりますから、今は帰国を目の前にしています。
私がいつものようにギャラリー巡りをしていると、あるギャラリーで同じ大学の学生とグループ展をしていました。

この人の作品は「カプセルホテル」を写した写真でした。
カプセルホテルに宿泊した時に、狭い空間に包みこまれてとても安心感があり「comfortable」だったというのです。
「床は硬かったですが・・・。」
ふ~ん、そんなものかなあ、僕は多分「uncomfortable」に感じるだろうけど、などと思いながら話していました。

彼女の専攻を聞く前に、うっかり・・・・・不得手な英語で長い説明をするのが面倒でしたので「I'm a photographer.」と言ってしまいました。
そして、その直後彼女が写真を学んでいるんだと言うことを知るのです。
その瞬間に「ラッキー、いろいろ話ができる。知ることができる・・・。」などと肯定的積極的な気持ちで考えられる人と、
「あちゃー! まずいなあ。」と思う人とで、人生が変わってくるんじゃないかと・・・大袈裟に言えば・・・・。
で、私はどちらかというと・・・。

後者なんですね。
そのことが私の人生をいつも小さな方に狭いほうにと舵を切らせてきたのです。
その後悔があるものですから、今日こういう時には「蛮勇」をふるって・・・・。

野球の鈴木イチロー氏が「努力していれば結果は後からついてくるという考えは、特段の挑戦や困難との正対を避けていつもの通り頑張るという姿勢に口実を与えることになってしまい、良い結果が得られにくい。結果を生むためには結果が出るようにする特段の努力が必要なんだ(大意)」と言っていました。
そうだと思います。

「蛮勇」と「特段の努力」とが同じ?
う~ これもちょっとこじつけかな。
まあ、しかし、そうして奮起して自分自身の保守的な殻を押し広げることが大切だなあと、まあ、そういう事です。

で、「写真撮らせてもらえないかなあ。」と・・・・彼女は巧みな英語と、片言の日本語を話しますから・・・・お願いして
「ここでですか?」というので・・・・・ギャラリーの空間では、確かに面白くないので
「いや、後日約束ができればベターだ。」ということになって・・・。
「実は、〇月〇〇日に、留学生の写真の作品を展示して、私たちが話をするという企画があります。その時に来ませんか。」という事になった次第なのです。
このポーズは、私の提案ではありません。
彼女自身が写真を学んでいるせいでしょうし、事実上の初対面ではあっても「今日は写真を撮るという目的のために会っている」という事に対する意識性の問題だと思いますが、非常に積極的です。

場所の選定や「椅子にかけてくれ」など言う事、「頬杖をついてくれる?!」などという注文は私です。
この場所に来るとすぐにロケハンをしておいたのです。
そういうところで主導権を握るのが撮影を順調に運ぶカギの一つです。
そうするとフォトマヌカンの方も安心し落ち着いて撮影に臨めるのです。
- 2016/02/10(水) 00:00:17|
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高瀬川の仏光寺あたりにあるギャラリー四季AIRが起点になって、町おこしイベントでもある企画が進められています。
高瀬川に床を設えて、いろいろな方が席亭となって連日「茶会」をしようというものです。
季節は桜満開の頃。この場所には桜並木があり、ギャラリーの二階からは爛漫の桜と高瀬川の清流が望めますから、ロケーションとしては抜群です。
「ききみずガーデン」というキーワードでネット検索してみてください。
私も何か役に立てればと思って参加します。

この写真が、その産物であるように、このがラリーのオーナーは人にチャンスを提供し、出会いをプレゼントする方です。
「人が喜んでくれることがうれしい。」という気持ちの持ち主です。
ですから、私など人見知りのものにとっては・・・・この一連の写真を撮る行動と「人見知り」とは形容矛盾に聞こえるかもしれませんが、「ひとみしり」というものは奥が深いのです。・・・・実に貴重な方です。

こうした撮影は人見知りの代償行為のようなものですからね。 きっと。

で、この写真を撮らせていただいて、後日写真をお送りすると、「また機会を作って、写真を撮てもらえますか。」というメールをいただくことができました。
勿論です。
若いアーティストや作家たちはこれから世に知られて行かねばなりませんからライブや個展や・・・・いろいろしていきますが、その際に写真もお役に立てることがあります。

今夏、ドイツから来日する若い演奏家たちのプロフィール用、フライヤー用、CDジャケット用の写真も撮ります。
若い方の力になれればこんなうれしいことはありません。
- 2016/02/09(火) 00:00:03|
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音楽って、不思議ですね。本当にそう思います。
音でこんなに豊かに表現できるなんて。
卑近なことで言えば、私が少しばかり瀋陽にいた時に、毎日のように聞いていたCDなどは、もうただの曲(音の列)ではないですからね。
皆さんもそういう曲をお持ちだと思います。

以前も描いたように、私は時々ジャズを聴きながらブログの記事を書いたりしているのです。
先ほど書いたように写真というものが・・・・私の場合には人物が対象ですから、なおの事・・・・撮影の時にも、こうして写真を見直しているときにも人生を感じるのですから、そこへジャズが流れるとそれは幾層倍にも増幅します。
ちょっと切ない気分になります。
そういう意味ではただ事実を見せているだけでない写真を撮りたいものと思いますね。
私などにはおいそれとできそうにもありませんが、望むだけは望んでいないと・・・・。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「う~ん、そこはそう行くのか?!}

お互いが聞きあって、認め合って、それで、「ここはどうする?」「ちょっと、こうしてみる?」といいあえるこの人たちの関係がとてもうらやましかったです。
むろん音楽的に高度なところでのやり取りですから、そこもまた羨ましいところで。

こういう対話ができる人に悪い人はいない・・・と思います。
実際、この後の会食の場面でもこの人たちの人柄の良さが感じられました。

そんなことを思いながらブログを書いていると、4月2日に高瀬川で「アンサンブル空音」のライブが実現しそうだというニュースが入りました。
メンバーは多少入れ替わるようですが、夜桜の下での演奏になりそうです。

まだまだ少しもコンクリートされていないものですが、私もその一レの企画の中で「桜の下で写真を撮りましょう」という形で末端に加えさせていただけそうです。
昨年夏に「浴衣で写真を」という企画をしましたが、それの続きでしょうか。
前回の反省点を踏まえて、いい企画になればいいなあと思っています。
少しでも良い一日が、写真として残せるようにしたいですね。
- 2016/02/08(月) 00:00:44|
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先日、あるところで「すみません息子と一緒のところを写真 撮ぅてくれませんか。」頼まれました。
京都は観光の街ですし、そういうことは度々とまで言わないとしてもよくあることです。
その際に手渡されたカメラがソニーのα7Rでした。

ファインダーにはいろいろな線が入りEVFでしたから少々戸惑いましたが、剛性感やシャッターのフィーリング、音がとても心地いいものでした。これはいいカメラだなあと思いましたが、その持ち主も「ソニーはいいですよ。」とおっしゃっていました。
レンズもこだわりのレンズでしたからMFで撮ることになったわけで、目の悪い、しかも視度調整が私に合っていない状態では心配でしたが何とか乗り切れたようです。

モノクロの設定になっていたのでしょう。ファインダーがモノクロでした。
なるほど、EVFだと「撮れる通りの画像を見ることができる」というわけですね。 これで画像を見ながらいろいろ調整して、さらにそれを反映した画像で確認できるというわけです。それなら撮ってから確認なくていいわけですし、失敗を避けられますね。
ただ、これでは学習にはなりにくいなあとは思いましたが、確かにある進化形ではあるなあと思いました。

そうすると、こうした場面で、あのカメラならどうなんだろうという思いが出てきますね。
ただ、まあ人物写真オンリーの私には2400万画素くらいまででで十二分なんですが。むしろ手ぶれ防止の方が有難いかな。
それにいくらかの高感度。ただしISO50くらいから常用であってほしいなあとも。
お金もないのに妄想しています。

まあ、今あるカメラで頑張ります。
そうはいつつも今日の様な撮影条件で撮ることになると、・・・情報だけはありますから・・・・ああいうカメラなら、こういう性能ならとつい思ってしまいますね。
そこが凡人たるゆえんだなあ。

それにしても、こうして撮らせてもらうと、その人の人生の一場を垣間見せていただいている気分にもなって、とてもいろいろ思ってしまいます。
ただ単に演奏しているという現在だけでないものを思ってしまうのですね。それがまた自分自身に返ってきて・・・・。
そういうことも又、「年なんだよ。」という事でなんでしょうねぇ。 いやはや。

そういう意味では自分の年齢にふさわしい趣味に出会ったかなあと思いますね。
何しろ最後の10年ですから。
- 2016/02/07(日) 00:00:23|
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リードを震わせるために口を微妙に使うのですね。
息をコントロールして流れを作り、力を与えねばなりませんから。
この口の形を「アンブシュア」というのだそうです。
この方はご自身も演奏される一方で教室も開いておられるのだとか。
今日はこの若手たちを支えるために来られていますが、演奏上の要求があっても即座に対応されて、「そこはこういう風でいいのよね。」

引き出しがずいぶんたくさんおありの様で若者たちは存分に演奏できるようです。

以前のジャズバンドでもそうでしたが、ベテランの役割は大きそうです。
私は写真では依然として若葉マークですし、先の長くない年齢ですから、こういう『ベテラン』には生涯なりようがありませんが、それでも徐々に成長して若手カメラパースンたちと同じようには語り合えるようになりたいものです。
オーボエもクラリネットも「グラナディラ」という木から作るのだそうで、黒い色は塗ではなくて木材そのものの色なのだそうです。一木造です。

この方がリーダーで選曲もされています。
今日はクラシックの曲もありましたが、多くはポピュラーな選曲でした。
しかし、ポピュラーだと言って侮ってはいけないなあと、思いました。
さすがに音楽家(演奏者)は音楽家(作曲家)を知るという感じで、評価する力の違いを感じました。

リハーサルですから、自分のスコアにいろいろな「覚書」をしていきます。
この人たちはファゴットの方と同じ大学で勉強をした先輩後輩であったり、他大学のオケで一緒に演奏をした先輩・後輩であったりという関係ですが、とてもとても仲が良くて呼吸が合っています。

私もこの空気の中にいてシャッターを着て散ることがとても心地よく感じましたし、いい雰囲気の写真を撮りたいなあと思いました。
撮影にはこういう感覚が大事だなあと・・・。
ある人に出会ってある雰囲気を感じ、そこに、撮りたい、よい写真にしたいという気持ちが高まることが大切なのと同じだなと思いました。

良い演奏家たちとの出会いができたと思いました。
この方は演奏では勿論のこと作曲や編曲でも高い能力をお持ちだと伺いましたが、気さくで話がお好きで、好人物です。
- 2016/02/06(土) 00:00:53|
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フルート、オーボエ、ファゴット、クラリネットの木管にピアノを加えての演奏です。
「ミニコンサート IN ログハウス」と銘打った楽しい集まりに参加しました。
琵琶湖岸に立つ素敵なログハウスに集い、ライブ演奏を聴き、「一品持ち寄りパーティ」で参加者が持ち寄ったワインや日本酒とおいしい料理とで歓談するという、実に素晴らしい企画でした。
集まった方たちがまさに多士済々で、私など借りてきた猫状態でしたが・・・・・。

当日、会場には自動車でいったのですが、待ち合わせが湖西線のとある駅前。
というのも演奏家たちを運ぶためでした。
そこで、演奏家たちに出会うや否や「リハの時に撮らせてくれませんか?」
どうも主催者が一応の話を通してくれてあったのか、「どうぞどうぞ。」と快諾していただき・・・。

本番前の1時間余りを、ずっと張付きで休みなく、撮らせていただきました。
なんて幸せな時間だったでしょう。
本番ではシャッターは切れませんから・・・・まして私の愛機のシャッタ―音は、大きい!!のです・・・・今しかないのです。

ここは琵琶湖岸の、太い太い丸太で組み上げられた立派なログハウスです。
ですから音漏れの心配もなし。仮に少々漏れても、お隣までは十分な距離があるのです。
演奏家も安心して音が出せます。

私には以前からこうした人たちのこうした場面を撮りたいという思いがありましたから、まさに待望の時でした。
今夏にはドイツからの若手アーティストの写真を撮ることになっていますから、こうして撮らせていただけることはさらにありがたいというわけです。しかも、プロとして活動されている方々ばかりですから、ただちょっとしたお楽しみ以上の機会なのです。
オーボエですね。この楽器の音も大好きです。
リードが二枚重なった楽器で、演奏がことのほか難しいと聞いてます。
最近では、オーボエ奏者の宮本文昭氏が奏でるカッチーニ作曲(ではなさそうなんですが)の「アヴェ・マリア」を何度も聞いています。

ファゴットです。
もと京響のファゴット奏者で定年後も旺盛に演奏活動をされている仙崎という方を知っているかとお尋ねしたら、彼に師事しているのだそうで、「なぜ仙崎先生をご存じなんですか?」
「いえ、時々行く洋食店で幾度か席を隣り合わせて、音楽の話などをしたのですよ。」
「え~、そうなんですか?!」
この方が今日のバンドリーダー。

クラリネット。
学校のブラスバンドではおなじみの楽器ですが、これまた表現力のある楽器ですね。
札幌交響楽団のメンバーだそうです。


フルートは旋律を奏でることのおおい楽器ですが、「それでたいてい奏者は美しい人が多い。」のだそうです。
- 2016/02/05(金) 00:00:23|
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外での撮影が寒いので「コーヒー飲みましょう。温まりましょう。」と無言で訴えていたのかもしれませんね。
撮り始めると、撮ることにしか私の意識が回らなくなるところがいけません。

露出をいじると写真の時間帯が変わります。
それに合わせて表情も変えていただいて。

暖かい時期にはにぎわうこの場所も、さすがにこの寒さでは誰もいません。
「ただの定休日じゃない?!」
「オッ なるほどそういう事か、な?」
なんてとりとめのないことを話しながら、
もう少し暖かければ中に着ている青色の見える服でも撮りたいのですが。

背景に見える松林。
う~ん、ちょっとミスマッチだなあ。
葉の落ちた広葉樹の林だといいんですが。広がる枝たちに、何枚かのくすんだ赤や黄の葉が残っていて。

この写真はちょっとお気に入りです。
寒そうだけど、若い女性の一人歩きだけど、湖岸だけど、演歌っぽくなくて。
髪の吹かれ方がいい感じだと思います。

ちょっとドイツに旅行です。
地球は狭くなりました。 あっという間に裏側に行けます。

本当のドイツはもっと厳しい寒さなんでしょうね。
- 2016/02/03(水) 00:00:26|
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こういうところがこの人らしい楽しい面です。
年齢不詳の「魔女」です。 ご本人は「天使」だとおっしゃっていますが。

フォトマヌカンと撮影者は、コラボしているので、必ずしもいつでも、こちらが一方的に主導権をとるような性質のものでもないです。
ですから異なった感覚が互いに触れることで面白いものが生まれてきます。
この人からもいろいろな提案があります。
上の写真とこれでは、写っている人の年齢の印象がずいぶん違う感じですね。
何歳ぐらい違って見えますか。
私は実年齢を・・・・・未だに・・・・教えていただいていないので、どちらが適正?なのかわかりませんが。
私は下のような感じで撮りたがるし、この人は上のような感じで撮られたがります。

まあ、ファインダーを覗いてシャッターを切っているのは私ですから。

しかし、表情や仕草を決めているのはこちらだし・・・・、どちらが主導権を握るのでしょうか。
こういうところもこのようなタイプの「人を撮る写真」の面白いところですね。

背後の喫茶店も「あそこがいい。」とこの人が見つけたのです。

なるほどと思います。
こういうところの趣味的な部分がある程度一致することもまたフォトマヌカンと撮影者との関係で大切なことかと思います。
プロの仕事じゃありませんしね。

そのうえで指示に従って任せてもらえるという事でしょうか。
- 2016/02/02(火) 00:00:59|
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この人はアクセサリ―を制作・販売しているのですが、ご自身のお店で他の人の作品やご自身の提案で縫製された服、見つけてこられた服などの販売もしています。
なかなかのセンスで女性の気持ちによく答えていて、商品の回転もまずまず以上のようです。
そんな中、商品紹介も兼ねての撮影です。
今日はご自身が探してきたこの黒のコートを中心に。

少し以前のデザインですが、私などにはとても好ましい感じです。
アシダ・ジュンなどのように肩が丸く、少し肩幅も広いです。
カシミヤですから黒色も品があります。

日差しがありますので撮影にはありがたいです。
とにかく私が撮りたがりなので、いろいろ無理を押して時間を工面していただいています。
愛機を長期入院させてみると、今あるカメラとレンズでも安定的に撮れるようになるための練習が必要で、何かチャンスがあった時に慌てなくてよいようにしておきたいという、そういう意味でもかなり無理して機会を作っていただいています。
いえ、今日この時そのもも、その「何かチャンスがあった時」なんですが。

入院させたソニーのカメラにはミノルタのレンズをつけているのですが、手元にある京セラコッタクスに付けていたツァイスレンズを使いたくてキヤノンの5Dを不承不承手に入れて使っているのです。
けれど・・・ファインダーは大いに不満なのですが・・・ソニーのα7には、このツァイスレンズも、さらに眠っているキヤノンのFDレンズもつけることができることを知って、お尻がムズムズし始めているのです。

お金もないのにです。
でも「85ミリ f1.2 L」をこのまま眠らせておくなんて何とも惜しくて・・・・と心が動いてしまうのですね。
最早、NewF1で撮ることは、まずないので、このレンズとの組み合わせで見える、あのファインダーの喜びは帰ってこないのです。寂しいですね。
それはコンタックスとツァイスレンズの組み合わせも同じですが。

あのファインダーには我慢がならない・・・・という気持ちが、なかなかそういう方向に進めない原因なんですが、FDレンズもツァイスレンズもとにかく使えるとなれば・・・・。

例えば、最近見つけたすごく雰囲気の好きな暗い暗いバーでも、ストロボなしで撮れるかもしれないのです。そうなるとそれはそれで楽しいなあという事に。
そこで撮ってみたいイメージも具体的に膨らんできていますし。
このバックルのバンドがお気に入りだそうで。
確かにヨーロッパ風のいい感じのバックルなんですが・・・。
なかなか面白いものを見つけてきますねぇ。
- 2016/02/01(月) 00:00:28|
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