皆さんは大晦日の夜をどう過ごされますか。
今年、憲法も法律も民意も踏みにじった政権へ大きく傾斜したことでジャーナリズムとしての危機的様相を呈し始めたNHKですが、大みそかには恒例の番組を組んでいます。
紅白歌合戦と「ゆく年くる年」です。 もうだいぶ前から紅白歌合戦は見ていません。
と言っても裏番組もみませんが。
「「ゆく年くる年」は年の終わりを落ち着いた気分で過ごせるので、しばらく見ます。
そして近所の等持院の鐘が撞かれるのを聞きます。

この辺りでは大徳寺でも人々が集まって順番に撞いています。 記憶に間違いがなければ甘酒が振る舞われたかなあ。
もし自転車で走ればあちこちから鐘の音を聞くことができます。
そして、そうこうしているうちに神社に初詣に出かける人たちとすれ違うことになります。

年々人々の行動は多様化していますから、年末年始を海外で過ごす人は勿論、山や海で、あるいはディズニーで・・・・過ごす人もいることでしょう。
そして、一方その間も働いている人がいます。有難いことです。
また他方、寒さを遮るホームのない人たちも決して少なくはないはずです。
テレビから聞こえるゆがんで浮かれた喧騒はこの列島の人々の耳にどう響きながら流れているんでしょう。
年年歳歳、ある瞬間とても真面目な気持ちになって虚空を見つめてしまいます。

ある外国の方へのメールの中で
「石 流れ 木 沈む」世
という言葉を紹介しました。

人間社会の不条理は今に始まったことではありませんから、そうした歴史を通じて人はその不条理に立ち向かうすべも鍛えてきました。
ただため息をつき、ただ嘆き、悲しんできただけではありません。
事態に目をつむり、知らぬ顔をしてやり過ごす狡さだけを見につけを身に着けてきたわけではありません。
幻影の世界に逃げ込み、妄想の世界に今生を忘れる慰めだけに頼ってきたわけでもありません。

知性と理性の回復に努めねばならないと思います。
まっとうな人間的心情をよみがえらせることです。

そのために必要なものは隣人の手です。

「人間にとって最も根源的存在は人間である。」
この言葉を見失ってはならないなあと、これまた年々深く思われてきます。
この言葉を手放してはならないと思います。


明日には必ず希望があります。
手をつなぐ人々は必ず、今そこにいます。

私は戦争に手を貸しません。
私は人が人を殺すことを強いる政治に抵抗します。
子供から未来を奪う政治に反対します。
来年はきっとより良い年にしましょう。
- 2015/12/31(木) 00:00:28|
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個展の時によく質問されたことは
写真に写っている人たちはプロのモデルさん?
よくこれだけの人たちに撮らせてもらえましたね。どういう風に出会うの、あるいは、どういう風に声をかけるの?
という事でした。

ご自身も写真を撮るのが好きなのですが「人を撮るのは難しいからねぇ。」(だからほとんど人は撮らないんだ)
「人を撮りたいとは常々思っているのだけれど、どうもそういうチャンスがなくて。」とおっしゃる方も少なくありませんでした。
肖像権の問題があって大変でしょ?!とも言われます。

写真の巧拙よりも、まず人を撮れているという事実に感心してくれる方が少なくないのです。
まして、こうした若い女性を撮っているので、なおの事・…目の前にしている男の風貌を眺めながら、また人品骨柄を観察して・・・不思議がられるのです。
しかも文字どり「素敵な人たち」ばかりですし。

「そりゃあ、君が人畜無害に見えるからだよ。」と某氏。
「ふ~む、そりゃ褒め言葉なんかい? それとも、・・・・。」
ある方は「俺はお水ばかりを撮ってきたよ。金もかけてるからねぇ。」とおっしゃっていましたが口ぶりからはずいぶんたくさんの若い女性を撮って来られた様です。
その人いわく「まあ水商売で働く若い女性の90%は撮ってほしいと思ってるね。」 だそうです。
でもなあ、撮れればどういう人でもいというわけではないしなあと思って聞かせていただいていました。
むろん、「水商売」に携わる人だからという意味じゃないんです。事実、私自身が「水商売」で働いた方を何人も撮っています。
これまでの個展でその人たちの写真も展示してきています。
ただ、水商売で働く若い女性の「90%」の全体を私が「素敵な人だ。」とは感じないだろうなあと思ったというだけの事です。

この写真は少し気に入っています。
写真は「出来るだけ削るんだ。引き算だよ。」とよく書かれていますが、それを突き詰めて何を画面に残すかですが…、それが問題ですよね。

今日の最初の一枚目とはだいぶん雰囲気が違いますね。
この人は十代なんですが、1枚目とこの写真の両方が撮れるんです。

そこでこんな風に撮ってみました。
何か意図のある写真を撮ろうとしてるな・・・そういうことを感じ取れる人です。
- 2015/12/30(水) 00:00:56|
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よくあるパタンですが。
この人の着て来てくれた父君がデザインされたという服が面白いので・・・・ここで撮りました。
反対側のビルが映りこんでいますが、それがまたおしゃれなファッションですのでちょうどいいかと。
自動車の対面信号が赤なので、道路の中央まで出て撮ることができます。

信号変わりますよ。
と、
急いで歩道に上がり。

カラーにすると・・・。

情報量の多すぎないモノクロが、やはりいいようです。

洋裁店のボディーです。
あれ、いいよね。
そうですね。

で、ここから少し趣を変えて。
残っている秋を拾いながら。

- 2015/12/29(火) 00:00:26|
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もう幾つ寝るとお正月 🎶
ですから、重くならない写真にします。

行く年から、来る年に向けて 思いを変化させて。

それにしても太平楽に「あけましておめでとう。」とは言えない新年を迎えそうで・・・・。

そんな気分をこの人の笑顔で・・・・。

こんな風に物思いにふけったり、悩んだりしますが・・・・。


この笑顔に癒されて・・・・。

元気出しましょう!!
- 2015/12/28(月) 00:00:21|
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「(写真に写る方の)その視線の先に何を見ているんでしょう?」
個展のさいに何人かの方がつぶやいておられました。
やはりその人が見詰める先に何があるか気になりますよね。
ですから視線の表現は大切だと思いますし、その目の気配を不自然にならないように撮ることに気を付けなくてはなりません。

視線と向き合って交錯するか、視線に添って撮るのか。
これもまた多分いろいろなバリエーションがあるんでしょうね。
もっともっといろいろな写真を見て研究する必要がありそうです。

その人の目を写さないで背後から撮る場合もよく見かけられますね。
絵の場合にもそうですが、見る人に意識してほしいものを見せないで描く(描かないで表現する)という事があります。
写真も撮らないで撮るようにしないといけないのではないかとも。
来る年が見えますか?
- 2015/12/27(日) 00:00:17|
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何事によらず「万事塞翁が馬」なのですし「禍福は糾える縄の如し」なのですから、すべて都合よく行くはずもないのです。
金銭的な面一つとても、活動範囲が広がり交友が拡大すれば出費もかさみます。収入の乏しい、貧しい年金生活者に許されることは限られます。
巨大企業を退職され、多額の退職金と企業年金を受け取ることのできる方たちとも、企業経営をされてきて十二分の蓄えを築いてこられた方々ともおのずと違います。
貯金通帳を見て、いく末を考えれば、ずいぶん乱暴な危ない日々になったなあとも思います。
心配顔の妻の気配が、背後でします。

けれど、持論の「21世紀、日本の高齢者に可能となったこと、その社会的責務」を思えば、自分のありようの歴史的姿をイメージしなければなりません。
そういう意味でリスキーだけれど「意味ある浪費(形容矛盾ですが)」をしていくつもりです。
(高齢者が大金を抱えたまま消費しないから景気が刺激されない。高齢者にお金を使わせろ、吐き出させろ!と言う様な新自由主義者たちのアホノミクスや似非経済論とは違う意味で、です。)
老人もまた「荒野を行く」のです。

人生がたそがれ時になって「誰そ、彼」の認知症になる前にしておきたいことを欲を持ってやっていきたいなあと思います。

私のしたい事は、ここに見ていただくように様々な方たちのお力を貸していただくことが不可欠なのです。ですからこれからもっともっと多くの方々と出会って、その力お貸しいただいて、大風呂敷の中身を作っていこうと思います。
「広げない風呂敷には何にも包めない」・・・・・博多華丸大吉さんたちにこの諺も採用してもらいましょうか。
(ちなみに博多華丸大吉さんたちの漫才、大好きです。)


ちょっと真顔になって今年をゆく年くる年の自分を考えてみました。
そんな心配そうに見られると困るなあ。
どうせ楽しそうな方向にしか行かないのですから・・・大丈夫・・・かな?
- 2015/12/26(土) 00:00:09|
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今年もあと一週間。
なんてこった!!
最近はあまりTVを視ませんが、一年を振り返る番組があふれていて、どこもかしこも同じことばかり。切り口の違いを見せ、新鮮に目を開かせてくれるものは少ないでしょう(これまでの経験から)

皆さんのこの一年はいかがでしたか。
私自身はリタイアの前後で大きく生活が変わったのですが、それが一段と加速している感じです。
今年は高瀬川四季AIRのご縁で、「高瀬川ききみずガーデン」という企画の末端に加えていただけました。そこでミニミニ個展をし、写真愛好者としての場をいただきました。
京都ファインダー倶楽部の20周年写真展では一年生として加えていただきました。これまでどの写真グループにも属さない心づもりでしたが、加えていただき新たな刺激を受けています。写真の技術というより写真を含めた文化意識と生きる態度と言う様な事についてです。
そして3回目の個展をすることができました。そこで初めて、新たにできた友人の力を借りました。

個展の前後から、撮影のペースが大幅に落ちていますが、それでも累積940人近くの方に撮らせていただいて、「1000人撮ったら・・・・。」という大風呂敷に少し現実味が出てきました。
人数自体を目標にすることはしないという事は基本的なスタイルですが、それよりなにより繰り返し撮らせていただくという機会が増えていることに自分自身は意識を向けています。
今日のフォトマヌカンさんにもご無理を聞いていただいています。
個展の時にも、新たに撮りましょうというお話とともに、作品として展示させていただいた方の中に、「来春またご一緒しましょう。」と言っていただけた方がおられました。大変うれしいことです。
職人さんの中にも、ぜひあの人をとか、またおいでなどと言ってくださる方がおられました。
こういうところに新たな芽を見ています。

自分が撮った写真を喜んでいただけて「プロフィールや作品展を知らせる印刷物に使って良いか。」などと言われることはまさに幸甚という思いです。
先日もある絵を描く方の個展会場の入り口に私が撮った写真が飾られていました。
「素人が素人を撮った写真だという事がすぐわかる。」と評された方がおられました。個展に来場くださった方です。
そうだろうなあと思います。
個展会場の写真を日がな一日眺めていて、私自身もそう思いました。

それを「未熟だなあ。」と思う気持ちと同時に、そこに好もしさもあるのかなあと・・。
この会場は落ち着くとか、きれいで気持ちの良い作品だと言っていただいたのも、優れた人に評価してもらいたいという事が先走ったものになっていないからなのかなあと(つまり自分が楽しいからしているという事なんですが)、その功罪を含めて思いました。

写真を媒介にして、これまで出会うこともなくお話しする機会も想像だにしなかったような方々と広くお会いすることができるようになりました。
それも又加速しています。

私の狭かった世界がぐいぐいと押し開かれていくことの喜びを感じる一年でした。
- 2015/12/25(金) 00:00:22|
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今年の紅葉は各地で期待を裏切ったようです。
8月上旬には「記録的な猛暑」を人間とともに経験した樹木たちもきっと体調に異変をきたしているのでしょう。
ですから私たち自身も気づかぬうちに蓄積している環境からのストレスに注意しナックちゃいけませんね。
ご家族、ご自身を大切にしてください。
株価とアメリカの顔色にしか関心がない自公政府に私たちの生活を守ってくれるだろうと期待することは「木に縁りて魚を求める」ようなものですから。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
京都の紅葉(黄葉)も、どうも見る人の期待を裏切って、色付く間もなく散ってしまったり、何かちぐはぐに紅葉したりと・・・。
それでも「秋の模様で写真を撮りたい。」という私の願いを「しかたないなあ。」と実現してくれました。

戴ける時間は限られていますから、ここだという場所に大急ぎです。

先日の個展でも「えっ?! これ京都で撮ったんですか?」と言っていただいたものがありますが、そういっていただくと嬉しいものです。
ロケハンと風景のトリミングとフォトマヌカンの雰囲気とで、しばし京都を抜け出します。

人物写真にも実にいろいろないき方があるのだという事が少しずつ分かってきて・・・・遅いですね。いったん何年やってるんでsしょう。・・・・それを多少とも意識しようとしています。

先日あるギャラリーで「肖像写真家」たちのすぐれた作品を見せていただきました。
私のレベルとのあまりに大きい懸隔に「うれしさ」を感じました。「すごいなあ」と思わせてくれる方たちがたくさんたくさんおられるという事が心地よかったのです。
肖像写真の中にある作家たちの様々な意図・工夫が見事でした。 勿論撮影技術の優れていることは言うに及びません。
座しているその人の姿から動のその人を彷彿とさせるなんて、本当にすごいことです。

対象の人物をどうとらえるのか、そこのところも決定的に大きな開きがありました。
この事はどんな人物写真の撮り方でも指摘されることですが、まず一番に難しいことで、私には永遠の課題のようです。
まだまだ高みは遥かだなあと・・・・と。
- 2015/12/24(木) 00:00:03|
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「型染友禅」というものがあります。
柿渋紙などをカットして模様を描き、それを型にして布地を染める様式です。
伊勢地方でも盛んでした。
それが最近ではとみに衰退しているのですが・・・・・。

この方は京都市内の方ですが、型染の手法を再度生かして手ぬぐいを染ておられます。
(二代前までは)この方のお家が継いできた仕事が型を切る仕事であったからだといいます。

この人自身はおじいさんの仕事を見て育ち、多少の仕方を教えられたのだそうですが、成長して全く別の仕事に就き、数年前にこの仕事を継ぐ決心をされたてのだという事です。
「うちには古い『型』がたくさん残っていましたからね。これらがみすみすただのごみになってしまうのは忍びなくて・・・。」
「技術はほとんど絶えてしまったようなものだけれど、残されたものを参考にあちこちに教えを求めて今ようやく幾分の目途が立ち始めた。」といいます。

私は今春叙勲された「型」を切る職人の和田さんを知って以来、多少この分野にも関心があって、いろいろお話を伺ったのです。
そして、この人がこれからこの道を行くなら是非とも和田さんの教えを乞うのがいいでしょうとお教えしたのです。

この人はこれまで環境保護の仕事に携わってきた「農学博士」なんだそうです。それがまた大きな進路変更ですが。
「自然の環境を守る。消え去ってしまいそうな文化を守る。何か共通のものを感じて・・・・。」
家業としてあったものがこのまま衰亡していくのを等閑視できなかったのでしょう。

できるなら工房をお尋ねして「切る」ところを撮りたいのですが、といいますと。
「あっ 今ちょうど切りかけているものがありますから、きりましょうか・・、」と。

ただ垂直に刃を入れるのではなくて、微妙に内側に切れ込ませることによって染料を沁みこませてぼかしを生む手法などを教えていただきました。
こういうところが「切り絵」の切方と違うのだろうなあと思いました。
- 2015/12/23(水) 00:00:54|
- 伝統工芸
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百万遍の知恩寺手作り市でお会いした方です。
奈良からの出店です。

革でキーホルダーや札入れなどを作られています。
その革に凹凸をつけて動物などの絵を浮き出させてそれに染料で彩色しています。
裏側から鏝用のものを当てて表に膨らみをつけています。

温度が高くても低くてもいけない。そこが肝心だね。
お客さんからペットの犬や猫の絵を預かり、それの似せ絵を描くこともされていますが、見事なものです。
毎日持ち歩くカード入れや財布に描かれているのですから、いつもかわいい大切なペット一緒です。
死んでしまった犬や猫たちの絵を注文される方も少なくないそうです。

モノづくりをされている方が、お客さんが品物に関心を寄せたり目を近づけているときに、よく見せる目、表情です。

こういう方は、作る過程や工夫についてお話を伺うと、実に生き生きとお話をしてくれますし、大概は売り買いを忘れて話してくれます。
写真を撮ったからと言って買えともいわれません。
そのものをよく理解して評価する人に対する独特な遇し方があります。
ですが、売り買いからついに離れようとしない方もいます。そういう人の作品については公平な感想を言う気にもなれませんし、シャッターボタンを繰り返し、押す気にもなれません。
この方はそういう人ではありません。

心をワクワクさせてモノづくりをしている人の写真を撮りたいのだと話すと、快く応じてくれます。そして何枚撮ろうが気にしません。
こちらに都合がよいから評価しようというのではありません。
モノづくりの心で撮影を理解していただけるのです。
それはこの次に登場していただく「型切」の方にも同じことが言えます。

- 2015/12/22(火) 00:00:43|
- 手作り市
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お客さんの席の後方から200ミリで撮っています。
シャッター速度が稼げませんから手ブレが心配です。そんな時手ぶれ防止機能はありがたいですね。
手ブレを防ぐ・・・・はたから見ればちょっと滑稽な…姿勢をとっているんですが、この機能の助けがないと難しいでしょう。

お客さんは女性が多いのです。
今夜のメインの演奏者が女性だからでしょうか。
男性の奏者の、あの圧倒的な音量とジャッジ―なノリを期待すると、そこはなるほどちょっと物足りない。
そんなところから来場者が分かれてくるんでしょうか。

お二人ともまじめなタイプの方ですから、演奏にもそれが現れています。
で、安心して心地よく聞けるというファンも多いと思います。
そのうえ、次第にステージ上で楽しめる余裕と演出力も身に着けてきていますから、これからがますます期待できます。


私の写真展でもジャズを流しました。
音はないほうが良いという方もあるでしょうし、展示された写真のどれにもその曲が合うというのではないので、そこはまた考えどころです。

まだお話はしてないのですが、今度の個展会場で、このお二人にもライブをしてもらおうかなと。
演奏料をお支払いする力はないので、やはりそれは無理かな。
ドイツから来られる若い演奏家たちにも「日独交流」を口実に何曲かやってもらえたら・・・などとも皮算用。
大風呂敷は実現の可能性もないのに、私の脳内妄想はどんどん広がります。

ライブ演奏や作家さんの作品を並べたりすれば「お前の写真は全く影が薄くなるぞ。」という実にまっとうな声がします。

でも、私の写真が多くの異なった分野の人を結べたら…なんて想像すると、それはまたそれでワクワクするのですが。
- 2015/12/21(月) 00:00:59|
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ある日、メールがありました。そのメールにはジャズのライブのチラシがついていました。
素敵なサックス奏者からのライブへのお誘いでした。
個展の直前でしたし、無論夜のことでしたから、どうしようかなあ。・・・・などという弱気は振り払って出かけました。 こんな機会はこちらから追いかけてもなかなか手に入らないのですから、見逃す手はないのです。
私が個展をしている間にも規模の大きな写真展がいくつも催されていました。
素晴らしい写真がありました。
私など凡人は足踏みしている暇はないのです。
お知らせをくれた人はこの人です。
西村琴乃さん。

以前、撮らせていただいたことがあります。
今日は同い年のトランペット奏者(小泉奈那さん)と共演です。
ライブが始まる前に小泉さんに紹介していただき、
私はバックを支えるベテランンのコントラバス、ドラムス、ピアノの方たちにもご挨拶。
お三方ともとても魅力的な雰囲気です。そして、うまい!!!
演奏が始まるとすぐに感じました。 前回からの成長がすごい!! ぐんとうまくなっているのです。
青年の成長はすごいなあと思いましたし、ずいぶん精進しているのだろうし周囲からいろいろ栄養をもらっているなあと思いました。

この方は大学でトランペットを専攻されていたそうで、今日はボーカルも努めます。

照明はかなり落とされていますから、一時代前のカメラにとっては苦しいです。
しかし、それでも一応撮れるんですからありがたい話です。
今度の個展に来てくれた青年カメラマンが「最近ようやく5DマークⅢを買ったんです。これからいろいろ出番が増えます。」と。
プロカメラマンはハイエンドカメラの所持が必須条件のようです。
こういうのは必要な経費として雇用者が準備すべきものじゃないかと、私は思うのですが。
(営業の人が移動用の車を自分で買うなんてことはないのですから。)
雇用されていても自営業者の扱いなんでしょうか。

ジャズを聴きながらご機嫌な気分で撮影します。
来夏、ドイツからの青年演奏家たちの写真を撮ることになるかも知れませんから、今のうちにいろいろな経験を積んでおきたいものです。

- 2015/12/20(日) 00:00:44|
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個展をしていた時に、様々な人からいろいろなお話を伺いながら、次への指針を探していたのですが、その都度この人の写真を思い出していました。
これです。

この人はある劇団の方に見込まれて舞台に取り組んでおられますが、そこでの研鑽を活かした写真が撮れたらなあなんて密かに思うのです。
もっとも私などよりずっと腕のたつ写真家が横取りしていってしまう可能性が大きいのですが、・・・・。

私がこの人を見つけて声をかけた時に、この人のことをずっとずっと前から知っていた方が「いつ見つけるんだろう?と心待ちにしていた。」おっしゃってくれました。が、確かに何時か誰かに見つけられる人だろうと思います。

面白い絵を撮るために「やってみよう。」という提案にすぐに応えてくれます。
う~ん、思ったほどじゃないなあという結果にも一緒に付き合ってくれます。
(私が幸せなのは、この人と同様に私の写真に付き合って、よい「写真≒絵」を作ってみようと思ってくれ、そしてそういうセンスを持った素敵な人が何人かいてくれるという事です。

そのそれぞれの人たちが私を刺激し、挑戦させてくれますから、私のようなものでもわずかずつでも前進できます。
そのことは個展会場で一週間ほど展示されている自分の写真を何度も何度も何時間何時間も見直していてつくづく思いました。
この人たちが私を伸ばしてくれている、と。)
こういう写真を撮ると、私はうれしくなるのです。
- 2015/12/19(土) 00:00:20|
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個展の時に会場に来られたお客さんの何人かの方が「作者は若い人かと思った。」と言われました。
会場入り口に掲示された写真を含めて、若い女性を撮った写真が会場の広い範囲を占めていたからだそうです。名前も「蒼樹」だなんてかっこつけてますからなおのことです。
「感性が若い」と急いで言い換えてくれた方もいましたが。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

人を惹きつける笑顔の持ち主です。
しかもこの人の笑顔は「ニコパチ」では済まないものを持っているように感じます。

着ている服はお父さんがデザインしお母さんが着ておられたものを着ているとのこと。
こういうことができる娘はとても親を大切にできると相場は決まっています。
ですからこういう写真をお父さんも喜ぶだろうと、・・・・そしてご本人自身も楽しんでくれていたようです。

ですからもう一歩深く、進みます。
それができる呼吸が通うと写真はうまくいくように思います。

そしてそこからもう半歩が勝負ですね。

カメラの中で、きっと何かを狙ってるんだろうなあと想像できるのでしょう。
それがフォトマヌカンに欠かせない資質の一つです。


そして、
- 2015/12/18(金) 00:00:16|
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ひょっとしたら年末大みそかまでこの人の写真が続くかもしれません。
それくらい魅力に富んだ人です。
まだとてもお若いのですが表現という事に携わってきて、今又新しい分野でその力と魅力を発揮されようとしています。

この日撮影はまだ始まったばかり。 この人はこれまでにこうした撮影経験をおもちです。
そういう事もあって、呑み込みも早いし、直ぐに演じることができます。
自然な表情が本来だとか、それにこそ価値があるという考えもあります。そのことを否定するつもりは毛頭ないにしても、この言葉、考え方を金科玉条にしすぎるのは少々問題があると私は考えています。
ですから、この人のような「素材」に出会うとワクワクします。

この時点ではまだこの人の持つ魅力を探り切れていませんから、かわいいお嬢さんをかわいく撮るという意識のままです。

カラーで撮っているところにも私のその意識が出ています。
「秋の気配で撮るからねぇ。 光の暖かさを感じて・・・・。遠い向こうの景色を見ようね。」
・・・といっても目の前はすぐにビルの高い壁なんですが。

こうして撮影は進みます。
(改めてこの写真を見ると、私が高校時代にお付き合いした子に横顔がよく似てるなあ。」なんて、むか~し撮ったその子の横顔の写真を思い出しました。
個展の時などにも「高校生の時に撮りたかった写真を撮っているような気がします。」とお話ししましたが、職人や作家たちの写真を撮るときにも同じような気持ちがします。
あの頃やりたくて出来なかったことをいましてるんだなあ、と。)

そして、・・・・。
場面が変わって、モノクロで撮る情景になり、いったんモノクロで撮り始めると、俄然、この人の、もう一つの面が輝きだしました。

私の中の何かがもぞもぞワクワクと動き出すような感じです。

そして先ほども見せてくれた「笑顔」です。
これから、この人が時々見せてくれる笑顔が、人を惹きつけてやまないものだという事をお見せできると思います。
- 2015/12/17(木) 00:00:51|
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写真展の会場においでいただいた方です。
会場に見える方で、相当の事績を持て撮られる方は、とても控えめな方が多くて、話の後で思い返してみると「穴があったら入りたい。」気分になることがあります。
この方も実は、キャリア・ウン十年の写真の大々先輩です。

ごくごく最近までフィルムで撮っておられて「もう重いカメラは無理だからデジタルの軽いカメラにしようかなと・・・。」と思っておられるのだとか。
そういうyカメラは「重いんだろ?」と私のカメラえらを指さすのですが、
どうぞ、と差し出して持っていただくと「やっぱりこれだとね。ちょっとね。」

「カメラがあるから出かけるし、物をよく見て心動かすし・・・・、で、元気でいられるのかも。」とおっしゃいます。
「それであなたみたいな人と会って話もできるし・・・。」

聞き出し聞き出してようやくこの方の写真歴の一端を話していただきましたが、
「何本もホームランを打ってこられたんですね。」
どうも雑誌やポスターで、知らないうちにこの方の写真を目にしてきたようです。

「写真、いいですか?」とお尋ねすると、もちろんだよというお返事。
「こんなんでいいのかな?」 「ハイ。」

大変な実績のあるアイドルなどを撮ってきたカメラマンが来てくれたり、この方のような本当に頭のてっぺんまで写真付の方に来ていただいたり。
そうした方が「こういう写真もいいんじゃないか。」と。
「うん、よく撮ってると思うよ。」と励ましてくれました。
こうした先輩諸氏に比べて年齢もキャリアも大きく違いますが、ともに写真を楽しむ「同じ穴に住むもの」として話していただけるのはとてもとてもうれしいものです。
また励みます。
- 2015/12/16(水) 00:09:30|
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私と写真撮影のお付き合いいただくと、すべての瞬間にレンズが向けられることになります。
無理を言って何度かお付き合いいただくと、ちょっとだけ慣れてこういう瞬間にもいい感じの画面ができます。
ここまで心理的に肩の力を抜いていただけるようになるには、素人の私には時間がかかります。

肩の力を抜くといいましたが、初めて撮らせていただく場合などには、和らいでいるように思っても顔の筋肉に力が入っていたりします。それは無理からぬことだと思います。
ほとんど初対面のような状況で撮らせていただいたり、私との大きな年齢差を意識したり、加えて大きなカメラのレンズが迫ってくれば緊張するなというほうが無理です。

その意味で、繰り返し撮らせていただける方は、私などにとって実に貴重な存在です。
幾度かお会いすると、マヌカンの方にも遊び心が出てきたり、どういう写真を作るかという事に対して意欲を示していただける場合があり、それが時には私をはるかに超えたアイディアに結び付くこともあります。

むろん、だからそれは「私はそれはいいと思わない。」という事にもなるのです。
そこがまた少しづつ遠慮が解ける良さですね。
写真は時にマヌカンとの共同制作ですから。 ただし、素人の私としてはこちらの撮る楽しさ優先心理ですが。
ピントが合いませんでしたね。 でもマニュアルフォーカスは楽しいです。

陶器などの質感が出ると画面の雰囲気がとても上質になるような気がします。
背後の絵を活かしたいと思うのですが、この場をうろうろ移動できませんので・・・・。
被写界深度が浅すぎました。
カップが離れるとこうなります。
これでも、これが狙いならいいのですが、カップの質感を出したかったという私の意図からすれば、やはり・・・・迂闊・・という事でしょう。
フォトマヌカンはとてもいいのですが、撮る方がいつまでも未熟で。
でもこうした失敗の一つ一つが次の楽しさに通じますね。
- 2015/12/15(火) 00:00:04|
- 人物
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奥の白い服のご婦人は、小森氏が作画に夢中になって筆などを蹴散らしてしまったので、それを直してくれているのです。

いよいよ大詰めです。
小森さんは、突然、これで完成です、と言われるので、この先が読めません。
どう?! これでいいかな。

完成してホッと一息。
ギャラリーの方々と歓談です。

まだ墨が流れています。
「どこまで流れるかなぁ、これもまた面白いね。」 それが小森さんの絵です。

満足げな小森さん。
どうやら首尾は上々だったようです。

- 2015/12/14(月) 00:00:57|
- 絵画
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水墨画ですから、当然書かれている画面は「白黒」です。
絵は筆で描くもの・・・というわけではありません。

この写真は選択ミスではありません。(もッとも作品として選択ミスだという事にはなるかも知れませんが)

この写真の選択のポイントは左右の脚の体重のかけ具合です。
右腕がもっと向かて左側に動いて動き感のある写真があるのですが、ちょうどその腕が右足を隠してしまって体重の移動が見えてきません。
その両方が見えるチャンスをとらえるべきでした。

このカットを撮るために私の右目のメガネはファインダーに強く押し付けられたままです。
左目の方の顔はゆがんで、おそらくはあまり見られたものじゃないと思います。
ライブをご覧になっている方々には申し訳ないのですが、むさくるしくもお邪魔な男が視界に入ります。
余り動き回らないようにほぼ定点に居座っているのですが、時に寝そべってしまったりもしますから、申し訳ないです。

しかし、それなりに本気で撮らないと後で小森さんに叱られますから。
せっかく声をかけたのに、何しに来たのだと。



今日で写真展はおしまいです。
会場に来ていただいた皆様、ご協力いただいた南口さん、
被写体となっていただいた皆さん、本当にありがとうございました。
私のわがままのためにご協力をいただいたことを深く感謝申し上げます。
また次に向けて頑張りたいと思います。
終わってみれば、やはり何か、ちょっと寂しいですね。
- 2015/12/13(日) 00:00:48|
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写真展5日目。
個展会場に11:00から詰めていますから昼食を摂るのに苦労します。 夕食も遅くなりますし。
毎日、昼から店を開けている人たちの苦労がしのばれます。
けれど久しぶりの「定時出勤」「定時帰宅」ですので、妙な感じです。
明日は早くも最終日です。 今日一日を楽しみましょう。どんな方たちに出会えるでしょう。どんなお話ができるでしょう。
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この人のおじいさんは写真に造詣が深い方だったようで、「ライカカメラなどがたくさん残されているのです。それで、その遺志を継ためにも写真に取り組んでみようと思っているんです。」とのことです。
たくさんの高級カメラの散逸を心配されているようです。

私の「今回のこの一枚」はこれでしょうか。
少し絞って向こうの二人(?)も入れてみました。

お酒は日本酒がお好きなんだそうです。

私には・・・・無論の事ですが・・・ない世界を持っていますから、
ちょっと片りんを見せていただきました。

この人が属している写真サークルで「『合評会』を提案してみます。」と言ってくれました。
たくさんの仲間がいますからみなさんに受け入れてもらえるかどうか、簡単ではないと思いますが、どうぞ話し合ってみてください。

ここは京都を代表する繁華街の一角ですからたくさんの人が傍らを通ります。
でも、物怖じしないで画面に収まってくれます。

こうした人に出会って、また私は新しい経験ができました。
そういうことがうれしいですね。

この人もきっと個展に来てくれると思います。
- 2015/12/12(土) 00:00:36|
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写真展の4日目です。
会場直後には、まだ早い時間帯ですからお客さんはあまりありません。
ですから来られたお客さんとはゆっくりとお話しできます。
お招きしてきていただいた方ともつい話し込んでしまいます。
そんな時に初めて来場くださった方に十分配慮できなかったのではと心配なこともあります。ご無礼がありましたらお許しください。
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この人が将来どのような写真を撮るのか、ちょっと心配で楽しみです。
というのも私などより、ずっとずっと実存的な世界観というか心理をお持ちだからです。

こうして撮っているという事は 間近にカメラがあるという事です。
仰々しい一眼レフカメラですから圧迫感もありましょう。 でも、・・・・。
(前回にも書きましたが、決して経験上撮られ慣れているという人ではないのです。)

揺れ動く幅も大きいのでしょうが、芯の強さを秘めている人なのではないかと、聞かせていただいたお話を含めて、思いました。
大学の2回生ですから、19歳か20歳なのでしょうか。
私自身が2回生だった時の同級生の女子と比較すると、いろいろ思いますが、今の私から見れば・・・・当たり前のことですが・・・・とてもとても若いのです。
話の中身とはギャップの大きい、少女的な空気をとらえようとしてみました。

自分もこんな風にアンバランスだったのかなあと。
むろんこのことを否定的に見ているわけではないのです。成長・変化とはアンバランスの事でもあるのですから。

モノクロからカラーです。


後日、この人からいただいたメールです。人物写真の可能性の一面を、とてもとても魅力的な言葉、文章で表現されていますので、ご本人のお許しを得て掲載させていただきます。
「・・・・・。
撮っていただいたお写真、どきどきしながら全て見させていただきました。
正直、自分とは思えない、自分が全く知らなかった自分が写っていて、目から鱗が落ちるような感覚になりました。あまりに感動的で、本当に自分なのか何度見ても信じられません。それ程に、撮っていただいたお写真の中にいる私は別人に見えます。それは本当に心を掴まれる、けれど言葉にするにはとても難しい、きらきらとした感情です。そっと宝箱にしまっておきたいような気持ちです。
自分の目はあんな風に瞬くこと、瞳がゆらゆらと動いていること、浅く呼吸していることがわかる口や、何より自分が、こんな風に笑うということ、初めて知りました。
私は自分の笑った顔があまり好きでありませんでした。コンプレックスと言えるかもしれません。
ですが、蒼樹さんのお写真の中で笑っている私は、まるで私ではない誰かのようで、でも間違いなく私であるということに、何か溶けていくような気持ちになりました。
本当に、本当にありがとうございました。
とても特別な時間を、宝箱のような瞬間をいただけたこと、感謝の気持ちがたえません。
また、いつかお会いできますことを願ってやみません。
素敵な出会いを授けて頂いて、本当にありがとうございました。
お名前」
です。
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- 2015/12/11(金) 00:00:34|
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写真撮影をお願いするときに、私の希望としては・・・という事で、撮影時間を提案することは前にも書きました。
その人の人となりを多少でも知るためには、時間が必要だからです。むろんその人の緊張をほぐし、私との関係を柔らかくすることも狙いです。

占いの人ならば「黙って座ればぴたりと当たる」のでしょうが、凡人の私にはそうはいきません。
勿論、撮影をお願いしている時点で「この人はよさそうだな。何か魅力的なことを秘めていそうだ。」という直感が働くからお願いするのですし、多くの場合は、ある程度お話をしたうえで判断をしているのです。

ですが、実際に撮影のために時間を一緒に過ごしていただくと、楽しいし、心動く第一印象の裏切られ方をすることがよくあるのです。
この人の場合もそうでした。

私はこれくらいの若い人たちをたくさん見てきたのですが、それは何時もある角度からでしかなかったのだと、つくづく思います。
自分の体験や学習が自分の想像力を限界づけていますから、見ているようで見ていないという事は、知性的理解では分かっているつもりなんですが、実体験はやはりそれ以上なんですね。
「事実は小説より奇なりと申しまして」・・・ですね。
いや、別にこの人が「奇」だというのでは決してないのですが。

私のブログは「素敵な人たちと」と銘打ているのですが、何を持って素敵だというのかという事を含め、お前には人を視る目が本当にあるのか・・という事が問われもします。
しかし、そこは開き直って「私が『素敵だ』と直感した人が」素敵なんだとするほかありません。

だって私の趣味なんだから、このブログは・・・・、この逃げ場ばある限り・・・・大丈夫・・・かな。

さて、この人も時々立ち寄るという人気の喫茶店で休憩です。
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- 2015/12/10(木) 00:00:16|
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今日は写真展の二日目。
台湾の若い友人にはブログで様子を知らせますよと約束しています。その友人もフォトマヌカンをしてくれています。
それで記事の後半は写真展の様子です。
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私が普段見せていただいている写真展の多くは私と同世代か少し上の方たちの作品が多いのです。
もっと若い世代の人の作品も見たいのですが、私のさび付いたアンテナにかかってこないので。

時々人物の写真が出ます。割合としてはとても少ないのですが。
それを見せていただくと、私と同様のステロタイプ化したものがおおいようです。
きれいな人をきれいに、かわいい人をかわいく撮る・・・それだけでも思うほど簡単なことではないのですが、
情景の中で、世相の中で撮るなどのことも視野に入れたいし、・・・などと考えると、道なお遠しという感じですね。

まして「その人自身の魅力」をなどという事になると・・・・。

そういう意味でこうして写真展をするなんてことは、私の拙さにとっては、恥の上塗りのようなものなんですが、やはり撮らせていただいた方々に対する「報告」というか、お願いしたことに対する責任というか、そういう意味でもやるしかないな、と。

それに見てもらわなくては次が始まりませんし。

さて、この椅子が、またこの人に良くマッチするでしょ?!

随分長いことこの場所を暖めていたんです。
ある別の人も、ここで撮りたかったんですが、タイミングが合わず。
そしてこの場所では二度目はなさそうです。
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- 2015/12/09(水) 00:00:29|
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今日は3回目の写真展の初日です。
昨年の1月に第1回、11月に第2回をして、これが3度目。いずれも寒い時期です。
私が暑い夏の時期が好きなものですから、そのころに足止めを食いたくないという事とグループ展が9月だということで12月になってしまいました。
プロじゃないんですし(?)、お金もないのですから1年に一度くらいが適当なんでしょうが、来年は6月頃にするつもりです。
以後はそのころに定期化してするようにしたいですね。 でも梅雨の雨が心配かな。

わが家族の女性陣は皆この人がお気に入り。中一生の英会話友達になっていただくことになりました。月一度一緒に遊んでいただくという程度のことですが、海外事情に触れられるというだけでも中一生にはうれしいこと。
この人の英語の発音はとても・・・・可笑しな表現ですが・・・・「彫りが深い」のです。
米語のはつらつとしたくっきり感とはまた違います。

外国事情に疎い私にとっても良い先生になってもらえそうです。

フランスで起こった計画的な同時「テロ」によってヨーロッパは緊張が強まっていますが、
来年こそまたヨーロッパにもアジアのどこか(台湾に若い友人ができたので台湾かな)にも行きたいですね。
やはりこの目で見、その国人々を撮りたいですからね。

あっ!! 黄色い車が。
背景に一工夫をと思って、そこに来た黄色のタクシーを画面に入れようと急いだんですが、その手前にバスが来たり・・・・と。

こうした瞬間にも「あっ 何か撮りたがってるな。」とすぐに気づき、対応してくれる人です。
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- 2015/12/08(火) 00:00:14|
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下書きはされています。
と言ってもこの紙にではなくて前日までに構想を練っているのです。
ラフ・デッサンを後で見せていただきました。

しかし、実際に臨めばいろいろなことが変わってきます。

時にこのように目を細めて・・・・。
静と動が交錯します。

棋士が長考しているときの思考の様子が知れたらおもしろいだろうなあと思いますが、画家も然りですね。
作画は長い時間の経過があります。いわばマラソンのように。今日は中距離かな。
写真の場合は短距離? どうでしょう?

さあ、動き出しました。

この続き、はまた後日。

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今日は搬入日です。
今までとは多少違うことをしますから、うまく段取りが運ぶかどうか。
しかも、本来ならギャラリーを締める時間を越えて準備させてもらいます。
明日が初日です。
お近くの方、ぜひお越しください。
さあ、明日から6日間、楽しみだなあ。
- 2015/12/07(月) 00:00:35|
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かなり動きのある作画です。
MFで追うのですが、外すことが少なくありません。
置きピンでは意味がありませんし。
しかも、写真の狙いを、目で行くのか手元・筆で行くのか、それとも書かれていく絵で行くのか、・・・・。

このように定まってしまいますと作画の躍動感が見えなくなります。

描いているばかりでなく、描かれたところ、空間・・・それを時々見つめます。

こんな風に・・・・。
筆を布切れに持ち替えています。 墨を置いた場所に水を振りかけて、この布でふくようにして描いていきます。
大胆です。
この手法を見た経験がありますから、手に水を入れた容器を持った瞬間に私は後ずさりします。

眼光が鋭く厳しくなります。

中盤に差し掛かりると、目つきはぐっと鋭くなり、いくらかあった笑みも全くなくなります。
棋士が中盤で長考するように、何度も俯瞰して最後の詰めまでの戦略を確認します。
- 2015/12/06(日) 00:00:56|
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旺盛に作品発表をされている画がですが、大樹に依ることもなく、かといって連帯を拒むのでもなく、自律した画家精神を貫いておられる。
最近とみにファンを増やし、今回も二人展の機会に会場となった寺院の傍らの空き地でふすま絵を描かれる。
なんでも九州のとある方に依頼されたとのこと。

描くから撮りに来いと言われたのでも撮ってほしいと頼まれたのでも、また私の方が撮らせてほしいとお願いしたのでもなく、「今度、またライブで描くから・・。」と告げられた時点で、撮ることが決まっていたような感じで・・・・、当然の様にカメラを持っていきました。

直言居士でもあるこの画家は、「濃いほうから薄いほうへ描く」のを手法としている。
濃い墨を使えばその時点で決定してしまう。薄いものなら濃い色をかぶせて行けば、後で多少の修正ができるのではないかという心理になる。そこに落とし穴があるとも彼は言う。

この場にはこれから絵が描かれる和紙が敷かれ、そのこちら側・・・・この写真では私の尻の下ですが・・・にはブルーシートが敷かれている。
ブルーシートはギャラリーのためのモノでしたが、何しろこの土地には小石もあるし、だいいち、もう履物を履かないでブルーシート一枚の上に立つのは足元が冷たいのです。
で、結局そのシートに陣取っているのは私一人という事に。

龍を描くんだそうです。
「今日は龍を怒らせたかなあ。雨が落ちてこなければいいが。」
空には雲が広がって、少々寒さも増しています。
「下手に描くと・・・・・怒って・・・・。」

以前にも小森氏のライブを見せていただいたことがあり、その時にも撮影をさせていただきました。
その時には屋内で会場となったギャラリーは部屋があまり広くはなかったですから、押すな押すなでした。
今日もいつの間にか多数の方が取り巻いて、私の背後にも外国からのお客さんも・・・・。

次第に龍らしい姿が見えてきていますから、この辺りまではお客さんも「フムフム、なる程」という感じなのですが、
さあ、そろそろかな・・・・・。
- 2015/12/05(土) 00:01:28|
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曇りがちではあっても、雨は何とか降らないで済みそうですし、気温も思ったほどは下がりませんでした。
雨が降ったり寒かったりすると気持ちが弾みませんから、そこが心配でした。
この人はちゃんと傘も持ってきていますし、荷物が多くて大変ですが、てきぱきと動いてくれます。
この写真の頃は、まだまだ私がこの人をつかみきれていません。

こういう場所を提案し始めたころから少しずつこの人に対する認識が変わってきます。
この人は可愛らしく撮ってほしいというだけの人じゃないという事が次第に見えてきます。
荷物は敢えて持ってもらったり、そばに置いてもらったりしています。

そして、モニターを見ながら、こういう風に立ってもらったので、こうなります、この色との組み合わせなので感じがこうなりますなどと知ったかぶった話をしながら歩きます。
それを大いに感心して聞く人です。
そういう点は今の若者によくみられる特徴を備えているのかなとも。
しかし、少しも嫌味じゃありません。


- 2015/12/04(金) 00:00:51|
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今日は曇り空ですので光の周りは優しくて撮りやすいのですが、・・・・それで、ツァイスレンズをつかっているのです・・・・雲の動きが速くて、晴れ間から陽がさしたり、そうかと思えば厚い灰色の雲が流れてきたりと、光の変化が激しいのが難儀です。

街中にまださほどの喧騒がない時間帯からスタートします。
そうでないとお互い緊張しますし、人の通らない時間を確保することが難しくなります。
そのために撮影をお願いするときには、「希望としては・・・」という事で撮影時間について提案します。

ここ、どうでしょう? と提案すると、ほとんど即座に自分自身の中の物語やイメージを引き出してきて、それに応じてくれます。
奥深い内面をお持ちのようです。

ここは河原町通りに面した場所ですが、少しも物怖じしないでの撮影です。
「異世界からの扉を通って出てきたら・・・・・。」

「唯物論(ただモノ論」的な思考の私には思い浮かばないことです。
階段が好き、エスカレーターが好き・・・その点は私と共通しています。

何故ここで撮ったかはお分かりいただけると思います。
- 2015/12/03(木) 00:00:47|
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