ある日いつものようにギャラリー巡りをしていると某大学の一回生の写真展をしていました。
私は大学のサークルの写真展はでき利るだけ見るようにしているので、この時にも見せてもらいました。
学生たちの写真展では…絵の場合も多くはそうなんですが…入り口で「アンケートをお願いします。」と用紙を渡されます。
私はいつものように「それはお断りします。」
余計なことかもしれませんし、話してもなかなか実現しないのですが、いつも二つのことを学生たちにお話しするのです。
一つはなぜアンケートを断るのかという事。もう一つはサークルとして定期的に『合評会をするといいですよ』という事。
そして様子を見て「今の学生が何を見て何に心動かしているのかを、おじさんは関心を持って観察しているんだよ。」と
そういう話に真剣に耳を傾けてくれる学生もちらほらいます。そしてある大学では合評会を定期的にするようになってくれて随分いい写真を撮るようになりました。私の話とどれだけ因果関係があるのかはわかりませんが。
この人も、そうして耳を傾けてくれた学生です。

この人が属する写真サークルが大学の「まつり」で作品展をするという案内をもらって出かけました。その大学には3つの写真サークルがあるのだそうですが、デジタル写真を撮ているサークルの男子学生とも楽しい話ができて、またこの人の属するサークルの展示も見せてもらいました。

この人は森山大道の写真展を見にわざわざ東京に一人で出かけるような人です。
高校時代には太宰を読みふけったといいいます。
「最近写真に正面から向かって行こうという気持ちがはっきりしてきたんです。」

どういう写真を撮りたいかという「哲学」については私などよりずっと明確なものを持っているようにも感じられる人です。
写真展の案内のメールや今日の日の日程調整などのやり取りのメールをもらうのだが、その文章はくっきりと丁寧な文語になっています。
私のするような誤字脱字がないばかりか、短縮形も使われれいなければおかしな使い方の敬語・丁寧語ももありません。
そういう文章の書ける人です。

この日は、この人もカメラを持ってきて撮影散歩の予定でした。
結果、ひたすらフォトマヌカンをしていただくことになったのです。
撮られる側に回ることはめったにないとのことでしたが、「こうして撮ると、こういうニュアンスの写真になるよ。」「うっかり撮ているとこういう風な画面になるから、マヌカンにはこういうことを知ってもらって協力してもらおう。」などという事を話しながらの撮影。

上の写真は、開店前のお店のスタッフを取り入れることで画面に時間性と場所性をそれとなく表現することについて話しています。
画面の主人公の持つ物語とバックに流れる物語とを交錯をさせて、その重なりから出てくるものを考えてみています。

「カワイイ」服で来てくれたので、こうして撮って見ました。
これまでの私の「絵の具箱」にはなかった「色」ですね。
モノクロにすると、そういう色が半減してしまいますが、そのどちらでも撮ってみたいと思いました。
こういう風に散歩すると自分でも漠然としか意識していなかったことがくっきりしてきて大いに勉強になります。
- 2015/12/02(水) 00:00:34|
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ついに師走ですか。 なんということでしょうか。 まだ、今年の正月を迎えた時の気分や情景が頭の隅っこに残ったままだというのに。
確かに今年新しい経験をいくつかしました。決して空疎な一年だったわけではないのです。
が、こんなにも早く過ぎてしまうと、「終活」をする間もなく、勢い込んで向こう側に踏み込んでしまいそうです。

もっとも、こうして写真を撮っていることが私の「終活」のいくつかの柱の一つなのだとも思っているわけですが。
「まだ楽しみ切れていないのに終れるか!」と。つまり「終活」を始めるにあたって、その木を熟させるための準備段階というわけです。
と、それはさておき・・・・・。
今度の個展の時にワンコイン・ワインを置くことにしました。むろん販売目的ではありません。
銘柄は、以前ある方が「美味しいよ」と勧めてくださったものです。
大いに飲んで盛り上がろうと言う様な事でもなくて、少しお互いの口を滑らかにしましょうという程度のことで。

「作品を出している人が赤い顔をしていていいの?」とお咎めもいただきましたので、・・・それはその通りだとも思い・・・本人は自重しようと、
今のところは思っています。
「人には厳しく、自分には甘い」のが私の本来の性格ですから、チェックしてくれる人がいないとお客様に失礼にならないとも限りません。
でも、この銘柄を教えてくれた人が万が一にでも会場に現れたら、ついついグラスを重ねてしまうかもしれません。

ただ個展をしかつめらしくやるのではなくて、それをすることが、お集りの人にとっても、私にとっても、新たな出会い、人のつながりを生む場であったらなあと、ギャラリー高瀬川四季AIRでの体験などを通して感じるからです。
要するに「だしに使ってくれたらいい。」という一面を持たせたいという事です。
元来私はあまり柔らかな人間ではないので、こういうことをする気になっていることが…一面…今年の収穫の一つでもあるかもしれません。
公衆電話のボックスに入ったのは初めてだそうです。
そりゃそうかも知れませんね。

「ハイ、マム! もうじき帰るよ。」 と、故国に電話・・・という風景ではなくて、
十円硬貨を積んで柴又に「さくら、元気にしてるか?おいちゃん、おばちゃんは達者か?」と・・・・・、公衆電話はすっかり四半世紀以上前の風物ですね。
私もついに携帯電話を持つことになった・・・・というのが今年の私にとっての10大事件の上位の事件です。

この人は約束の時刻に遅れるなどという事は全くないのですが、ある人が・・・・・・、というわけで。
それにこの年で自転車で外に出ていると「何があるかわからないから持って・・」という家人の強い要求にも応えねばなりません。
通信費にお金をかけたくはないのですがね。

それにしても、この年代の人の成長・変化は速いですね。
「美少女」という印象が強かったこの人が、わずかの時間のうちにますますレディーの魅力を備えています。

もっとも私がこの人に惹かれたのは、日本の若い女性には見つけることが少ないレディーの要素です。
美少女ぶりが少し違っていましたね。
- 2015/12/01(火) 00:00:47|
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