今日はこのレンズを使いたかったので、しかたなくキャノンの5Dです。
しかし、どうもキャノンの色はいけません。いえ、5Dだけの事かも知れませんが、人の肌が赤すぎます。
私としては、好きじゃないです。この人のきれいな白い肌とは大違い。
曇りの日だと、なおいけないのでしょうか。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
今日はどういうロケーションで撮るのか。
時間が限られてもいましたし、いろいろ迷いましたが、やはり都会的な雰囲気で撮りました。

とにかく街の空気によく似合います。
( ただこの人の和服姿の写真を見せてもらいましたが、それもなかなかいいのですね。 )

もうすこし引ければ映画のシーンのように撮れたかもしれないのですが、私も命が惜しいですから。
えっ?! 車道に片足降りていますから、もう後ろにはちょと・・・・。

もう、クリスマスの装いです。
この人は海の向こうでクリスマスを家族とともに迎えるんだそうです。

そして来年には大きく羽ばたきます。
とても人生観がしっかりしていますから、私がこの人と同じ年齢の時には考えられなかった決断をされます。
そうです、私がここ数年のうちに知った若い女性たちの生き方・考え方のしっかりしていることと言ったら・・・・、本当に学ばされます。
私があれこれ理屈をつけながら写真に力を注ぎ続けるのことができているのもこうした人たちのありようを見てきたという事も大きく影響しています。

- 2015/11/30(月) 00:01:12|
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寺社や山にだけ秋があるのではないのです。
オフィス街の秋も深まっています。 プラタナスの葉はもうずいぶん落ちてしまいました。
ちょっと街を歩いてみましょう。

今日は少し曇りがちで光は幾分落ち着いています。
煉瓦造りの建物には枯葉の色がよく似合います。

今日は少し明るい色に髪を染めていますね。
近いうちにヘアファッションのモデルも依頼されているそうなんですが、どんなふうに変身するのでしょう。
今度の私の写真展のDMはなんと2種類作ったのですが、片方がこの人の写真でした。
2種類とも、幸いなことにそれぞれ好評なのですが、この人の方は「これ外国で撮ってきたの?」「場所はどこ?」などと聞かれます。フォトマヌカンがこの人ですから、余計にそういわれるのでしょうが『撮った場所は京都ですよ。すぐそこです。」なんて説明すると驚かれます。

京都ではこういう雰囲気で撮ろうとすると結構苦労します。
普段からこまめにロケハンをしなくてはなりません。

これだと背景は証明写真見たいですが、これはこれで見つけるのが難しいわけです。
証明写真みたいですがマイナンバーの登録には使えませんね。

ちょっとピントが合ってませんが、こんなのもいい感じです。

この人のおしゃれのクオリティーにはいつも感心させられます。
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- 2015/11/29(日) 00:01:07|
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今度は「削り」の工程です。
工房の向こうの方に完成された作品が並べられています。
張さんは台湾の学者で作家という高名な方から、その方が長年研究してきた「釉薬の奥義」を授けられています。
そしてそれを単に踏襲するだけではなくてそれ以上の改良や施す際の工夫を積み重ねてこられているのだそうですが、奥の机上に見える作品にその様子が見えます。
カラーでないのが残念ですが、このシリーズ初日の工房前で撮らせていただいた一枚がカラーですので、ご覧ください。
とても魅力的な釉薬の描く世界です。

釉薬は、鉱物の配合のレシピが重要なだけでなく、それをどのように素焼きに塗るのか、厚さは、重ね方は、・・そして何度で焼くのか、どの温度を継続するのかなどなど、最高の状態を引き出すためには、それこそを無限ともいえる試みが必要になってきます。
妥協、諦めとは無縁の世界に住まねばなりません。
作家になると言うことは、そういうことです。

写真にも同じことが言えるのだと思います。
ですから、私は到底「写真家」を名乗れません。 せいぜい「・・のようなものをまねていると思い込んでいる」と言えるぐらいのものです。
でも、まあせいぜい思い込みましょう。
そうすれば、例の「ブタ」くらいにはなれるかもしれませんから。

えっ?! 例のブタとはなんだですって?! ほら、あのおだてられているうちに自分がブタだという事を忘れて着に上っちまた彼奴のことですよ。
飛ばないから、お前はタダのブタだと言われたっていうあいつの事じゃないですよ。

もうじき作品展があるのですが「前日になってももっといいものを・・と思って『これで止めておこう』という風にならなくて・・・。」といわれます。
それは素人の私でも同じですね。
ですから個展の準備をしながら、気持ちはもう次の個展に向かっています。

こうして肌を丁寧に仕上げないと「釉薬をかけて焼いていくとこの肌の具合がどうしても出てくるんですよ。ちょっと触ってみてください。」
なるほどペーパーをかけた部分は気持ちよいくらいにすべすべしています。

「今回は撮ってもらえなかった釉薬がけや窯入れ・窯出しもぜひ撮ってください。」と言っていただきました。
ぜひぜひそうさせていただきたいと思います。
今度は雪の道を京北のこの工房まで来ることになるのでしょうか。
楽しみです。
- 2015/11/28(土) 00:00:18|
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作家という存在が「全体重をかける」「覚悟の定まった」ものだという事を、この方から感じます。
絶望的な体験もされながら、「自分は何のために台湾から来たのだ?」と自問自答をされ、どんどん焼き物作家としての自分を純化してこられたように思いました。

私が瀋陽に行った時に、当地には「日本人教師の会」がありました。
日本人同士で交流し情報を交換しながら助け合い、また日中友好のための様々な取り組みをされていました。
どこの九人も人々も海外での生活は心細くも不慣れですからこうした『会』を作るのでしょう。

この方も台湾出身者の『会』で、私に紹介をしてくれた方に出会ったのだそうです。
そして「写真を撮る人がいるから出会ってみないか?」と声をかけられて
その方が私に「こういう陶芸作家がいるが写真を撮らないか?」と張さんの名刺をくださったのです。
勿論私に異存があるはずがありません。
さっそく連絡を取り合って、こういうことになったわけです。

すでにこれまでも幾人もの写真家さんたちが張さんを撮っているのだそうで、そうなると私がそうした方々の作品に比べて特段の収穫があるとは思えませんが、とにかく私の撮影歴的個人史としてエポックですから、これを十分満喫させていただくのが何よりの礼儀だと思いました。
できる写真は実力を越えることはないのですから、他の方のそれと比較してみても始まりません。
高台の底の面取りをされています。

まあそういう心境に、多少ともなることができるだけ、年はとって来たという事でしょうか。歳をとるのもまんざら悪いことばかりではないようです。
どうやらできたようです。
ご自身の制作作品に対する厳しいまなざしです。

轆轤に据えていた時に回転からずれないように粘土でとめていましたから・・・、まだ仕上げがあります。

仕上げをしながら縁の口当たりにも細心の注意を払います。
こうした器は手になじみ、肌合いがよく、熱伝導も適当で、飲み口などの口当たりも快適・・・でなどなど私の期待事項もたくさんあります。
周囲から見た姿も勿論ですが、飲み干したりしたときに覗く中の世界も気になるところです。

そして「落款」を押します。
「明」と刻まれた落款もご自身の作だそうです。
私の写真にも「蒼」の字をデザインした落款がほしいところです。
- 2015/11/27(金) 00:00:32|
- 陶器
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台湾人陶芸家の張義明さんです。
ある方が紹介してくれて、写真撮影をお許しいただきました。
ここは京北にある張さんの工房です。
作家さんの工房に入れていただいて撮りたい という夢がかないました。

私が撮りに伺うという事で、轆轤の作業からずっとそれぞれの段階を準備していてくれました。
もう間近にご自身の作品展が控えているという、お忙しいタイミングでしたのに。
思わず力が入ります。
何からしましょうか?
まずは「土もみ」を見せていただき、その後に轆轤の作業です。

張さんは、ただ単に撮影用の実演をして見せるという気配ではありません。
作品に取り組んでいかれます。
むろん望むところです。
制作される作家さん、それを撮らせていただく私。
大げさに言えば一騎打ちです。
たとえ私の方が断然力不足であり、格違いだとしてでも、張さんの気持ちにこたえるためには、そういう心持になるのです。

すでに高い評価を受けておられる方ですし、工房に並んでいる作品はそれを物語っていますが、張さん自身は撮らせてやろうなどという気位は微塵もない人です。
実に謙虚で、しかしご自身の核というものが少しも動揺無く立っているという感じの方です。
この写真は次々回の個展に発表させていただく候補の一枚です。

私は・・・いつものことながら・・・・撮り始めますと、もっともっと、まだ違うという感覚にとりつかれてしまい、シャッターを重ねてしまいます。
被写体の方の気合というか気迫を 「来い来い!!」と待ち受けます。
そして「光だ、光を探せ!」と頭の中でつぶやきます。
でも、大概どちらかを取り逃がします。 いえ、ほとんどは両方でしょうか。

たまに「そんなにたくさん撮るのですか?」とおっしゃる方がおられます。
決して無駄うちをしているわけではないのです。
ただ、撮り切れないのです。
まなざしと呼吸と指先と体つきと粘土の艶と轆轤の回転と・・・・・要素があまりに多くて
光もトリミングも・・・・・、ですから『撮れた!!』という瞬間は滅多に来ないわけで・・・ついついご迷惑をかけてしまうのです。

高台を形成しています。
この仕上げには、置いた時に、机の表面を傷つけないように丁寧な仕上げをされます。
「人が使用することを前提としたものだから、『作品』としても人が使って心地よいように細心の注意を払う」ことを常に念頭に置かれているそうです。
そして実際、細心に注意を払い指先の繊細な作業が続きます。
そこにはいつも使う人がイメージされているように感じました。
- 2015/11/26(木) 00:00:34|
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百万遍・智恩寺の手作り市には随分遠いところからの出店者がいます。関西や北陸などは近いほうで関東地方からも珍しくありません、が・・・・・。
はじめ私は故郷に近い遠州地方の地名を見つけて、おやっ?!と足を止めたのです。

で、お話を聞いていくと、ここに並べられたアクセサリーは女性の方が作ったものだそうで・・・・。
宇宙をイメージしたものだそうです。
この女性の方。なんと香港からの出店なんだそうで。 驚きました。
旅行のついでにとか、こちらで働いているから余暇を活かして・・とかではないんです。
日本のこの手作り市に出店したいからと来日したんだそうで・。

そのお手伝いをしたのが友人の男性なんだそうです。
香港ではすでにある程度の販売実績があるので、日本ではどうかと思ってこられたらしいのですが、
「苦戦しています。」とのことでした。
足を止めて、手にとって興味を持ってくれる人がいると「その人は大概、中国人か台湾の人なんです。」

しかも何という事でしょう。
「あなたの作ったものを見たことがありますよ。」という香港の人が来ていたり、
この人の友人の友人が現れたり、・・・・地球は狭い?!
それだけ中国から多くの人が来ているんですね。

私はこの女性の行動力にも驚きましたが、それをサポートしてあげている男性にも驚きました。
自分が普段から手作り市に出店をしていたり、そうでなくとも関心を持ったいたりする人であったり、京都在住者ならばともかく、そのいずれでもないというのに出店の申し込みをし宿の世話をしてあげようとしたり。・・・・もっとも皆さんご存知のように京都の宿はずいぶん不足していて(海外からの旅行者を呼び込むことに熱心で「観光京都」を誇っているのですが、全然バランスの取れた観光政策は取られていないのです。)、そのうえ大概宿泊費が高い!!のです。見つけてあげられず、彼女が香港から探したのが大阪の宿だったという事でした。
私にはこういう親切なこととてもできないだろうと思います。

海外から人を呼び込んでも、その狙いはもってくるお金でしかない新自由主義者たち。
そういう人の心底は大概、排外主義的な民族差別意識と、お金持ってこいの欲得勘定が併存しているものです。
だからカジノを開いて外国から人を呼び込んで金儲けをしようとか、輸入食料品の検疫体制を緩和してアメリカの歓心を買おうなどという発想で、海外との「開かれた国」づくりを発想するのです。そこには人々の友好や庶民の生活を守り豊かにする発想などはないわけです。
今日この人は日本人と中国人の美意識やおしゃれ感覚などの違いをいくらか理解したでしょう。
そして言葉を交わし、気持ちを通じ、お互いに違っているけど仲良くなれる、違っているからこそ学ぶものが多いという気持ちを膨らめて「再来日本」の気持ちを持ってくれるでしょう。
- 2015/11/25(水) 00:00:41|
- 手作り市
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秋の心地よい風景を撮りたいと思いました。
もう桜の木は多くの葉を散らせています。
まぶしい太陽の光を避けてホルンの練習をしている人がいました。
この近くの大学の吹奏楽団の一員だそうです。

大学は最近様々なタイプの入試をしますから、そのたびにキャンパス内での活動が制限されることになります。
それで仕方なく鴨川が練習場に・・・という事だそうです。

顔を写さないので撮らせてください・・・・とお願いしたわけではないのです。
そしてもちろんこっそり撮っている訳でもないのです。
重ねたい風景が向こうにあって、この人がまぶしい光を避けているためにこういうことになっているわけです。
練習のまま、そのままで撮らせてください・・・が基本ですので。
人物をどう撮るのか模索中です。

風が強くてスコアが飛んでいきそうなんですが・・・。

口調も物腰もとてもしっかりした人でした。
- 2015/11/24(火) 00:00:24|
- 音楽
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40歳代の旅行写真家でハラダマサカと名乗る方がいます。
10日から15日までキューバで撮った写真の個展をされていました。 熱のある良い写真がたくさんありました。
2メートル近い巨漢ですが、やさしさと受容力の大きな好漢です。
その人と2,3時間 会場でお話をしました。
写真を撮ることにしっかりと体重を乗せた方ですので、その話はワクワク感がとても大きかったです。
個展期間には、たくさんの良い刺激的な出会いがあったようです。
私の個展ではどうでしょうか。
人を呼ぶのはその人自身だといいますから、どうでしょうね。

ここでは前ボケの説明ですね。

ハラダマサカさんの個展ではキューバ産のコーヒーを飲ませてもらえました。
これがなかなか美味でした。
USAに「生殺し」のような状態にされながら{陽気に}耐えてきたキューバの人々の今後がどうなるのか。
国交回復で毒されなければいいがとおもいます。 ラテンアメリカはもうアメリカの裏庭であり続けることには甘んじていませんが・・・・日本はこれからさらにポチ根性にどっぷりと浸かる覚悟のようです・・・・それでもアメリカも又したたかですし、人々の欲求・欲望はこれまた一つ筋縄ではいきませんから。

原発や米軍基地をえさにぶら下げられた自治体の住民たちの苦悩に通じます。
腐敗堕落した為政者は平気で札びらで人々の横っ面をはたきますから。

「恒産在りて恒心在り(恒産なきものは恒心なし)」とも。

ある人が、なかなか笑顔を撮ってくれないと言っていました。
そうですね、確かに、そういう傾向は強いですね。
以前、写真を撮られているときの「笑顔」は偽物だから決して撮らないという事を書いておられる人がいました。私は、ことはそんなに単純じゃないと思っていますので、決してそういう風に決めつけているわけではないのですが。
何か深刻ぶっていないといけないという深層心理は働いているかもしれません。あまり良いことだとは思いませんが。
撮られる側は「笑顔の写真も」と思われるようです。

多分、私が動きそのものである笑顔を撮る力がないのだと思います。
そして笑顔を引き出す力も又・・・・。
- 2015/11/23(月) 00:00:41|
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ずいぶん以前に「〇〇さん『を』撮る」なのか「〇〇さん『で』撮る」なのかという事を考えたことがあります。
これを厳密に二分することは、ついにできないのでしょうが、これは時々念頭に置きたいなあと思っている問題意識です。
『で』撮る方をしようとすると、フォトマヌカンをしていただく人にも、そこを汲んでもらわねばなりません。
そういうフォトマヌカンとなってくれる人がほしいのです。

この2枚のうち、どちらを採りましょうか。
そもそもどちらを撮りたかったのかといえば両方なんですね。
この人は上の方がいいと・・・。
私は下の方なんですね。

この場所はいいなあと思うところがあっても、なかなかそこで撮れなかったりするのです。
高野川という川があるのですが、その川が間もなく賀茂川に合流するという地点にバス停があるのです。
そのバス停は、その撮りたい場所なんですね。
その場に行きにくいという事と、そこでカメラを持った私がどこに立つかという事が問題で、「轢かれちゃいますよ。」という事になるんですね。
でも、そのバス停だけでも私にはなにか物語を感じさせるので、白いシャツの女性にバスを待ってほしいんです。

この人がいいなあと思う人はいたのですが、・・・・。
今日フォトマヌカンをしてくれている人も帽子が似合いますから、また少し味の違う好もしい絵になると思います。

少し前に私は不遜にも「僕は絵の具がほしいなあ。」と言ったのです。
そうしたらその人は「私もそのうちの一色になれますか?」と言ってくれたのです。

昨日、陶芸家さんの工房にお邪魔して写真を撮らせてもらってきました。
台湾料理店のご主人の紹介でした。
今度の個展にも12人の男性の働く人々・職人さんたちを撮った写真を出します。
このジャンルを評価してくれる方たちも少なからずおられます。私もそれが好きですから機会を見つけてできるだけそうした対象を撮っていきたいと思います。撮影をするときにいつも力が入ります。

その一方で、個展の際に来場される男女を問わない方が、女性の写真に見入っておられます。
こちらにも喜んでくださる方がいます。そして私も楽しい。
人を撮る写真も、いいものです。

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- 2015/11/22(日) 00:00:45|
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一眼レフで撮ってみたい。
写真を撮ることを楽しむようになった人の中に「きれいに写っていればいい」から「自分なりの写真を撮ってみたい」に進む人は少なからずいるようです。
この人も「いい写真を撮りたくてカメラを買ったんですが、どうすればよいのかわからなくて。」と。
そこで今日はご自分のカメラを持ってきています。
以前はレンズの絞りリングや、フォーカスリングを操作する必要からも、ある程度必然的に左手をレンズに添える動作が出てきたのですが、・・・・。
色かぶりの説明をした時の写真です。

全く知らない人よりは多少の知識はあるという程度の私が「先生」では、少々頼りないですが。
「目をファインダーにしっかりと付けましょう。」というべきか否か。
背面のモニターで構図を決める人もいれば、フォーカスをする人もいます。それにモバイル端末で撮ってきた人にはファインダーはあまりなじみがありません。
でも私はファインダーを覗いて撮ることをお勧めします。

芸術系の学校を出ていますから、さすがに色や構図には感性が鋭く豊かです。
と、・・・・勿論、私の写真のことではなくて。

人物写真では、・・・・どなたかも言っておられましたが・・・・縦長の写真になることが多いですね。
人物が基本的に縦長な存在だから、と説明されることが多いです。
でもそれだけじゃなくて・・・、そうなりがちな理由は別にもあると思うんですが、入門書の多くはあまり考え抜かれないで書かれたものが多いようで、入門書の役割を軽視しています。
入門書、啓蒙書にこそ書く側の哲学が問われるのですがね。

この似たような2枚の写真が、少しの間見ているとやがて、ずいぶん違うものに見えるわけで・・・写真も難しいですね。

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- 2015/11/21(土) 00:00:20|
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このところバリオ・ゾナーを使いたくて、無理やりキアノンです。
今日はシャッター速度を落とすように心がけていますから、ISOは100。あまり.絞りたくはないのでどうしても低感度にしたいのです。
ですから時々常用感度ISO200から、なんて設定のカメラだと困惑します。
高感度ばかりが注目されますが、低感度も軽視しないでほしいですね。
余りに「特異な条件でも撮れます!!」なんてことに夢中になるのはちょっとどうかなと思います。
それはぜひオプションで。
カメラを、私たち大半のものが出会う撮影状況を少し超えたとろこまでぐらいに対応することを中心にして「表現の道具」として充実させてほしいなあと。

カメラもレンズも高いなあ。
もっとゆっくりと作り、じっくりと使えば安くなるだろうになあ。
そして何故、何を、どう撮り、どう見せるかなどに関心を深める写真文化が広まってほしいなあ。

そうしないと私の写真も滞ります。

今日の試みのポイントはこれでした。

たまたまの出会いで撮らせていただく。
そのチャンスの中に自分の課題を潜ませて撮るというのは、・・・試みるという事は失敗するという事でもあるから・・・何だか変な感じがしますが、これはまあ仕方がないことだとご理解いただけるかな、と。

プロの場合にはご注文をいただいた期待にまず応えることが大前提ですから、道楽で撮っている私とは違いますね。
でも、きっとその中に・・準備の過程などにでしょうか・・・工夫・試みを混ぜているのでしょうね。
撮れなかったはあり得ない世界の緊張と責任は大きいでしょうねぇ
- 2015/11/20(金) 00:01:46|
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おや?! 鴨川の対岸から三味線? いえ、サンシンの音が聞こえます。
やってるやってる。きっと以前写真にも撮らせていただいたお二人だと思います。
ちょっとまた聞かせてもらおうかな。
・・・・・、こちらの岸にもお一人三味線を手に何やら準備をしている青年がいます。
しばらくするとやおら練習を始めました。
どうやら津軽三味線のようです。
向こう岸では琉球サンシン、こちら側では津軽三味線です。
なんと大学に入ってからカルチャースクールに通って練習したのだそうです。 まだ4か月だとのこと。
それでここまで弾けるの?! 大したものだねぇ。
しかも、大学に入るまではほとんど音楽関係には縁がなかったというのです。サッカーボーイ。

皆さんご存知のように最近は津軽三味線の世界には若手がたくさん台頭しています。そしてそれぞれの個性を生かして国際的な舞台にも立っています。
その若手たちの音楽を「新しい」と聞いたようです。 変に古典的で古臭い感じではない・・と。

ご本人は東海地方のある県から京都に来ていて、津軽にも縁がないのだという事で。

すっかり暗譜してるんだねぇ と声をかけると
元来津軽三味線はアドリブの集合のようなもので、きちんと底本のような楽譜はないのだという事です。
教えてもらう上では一応楽譜もあるのですが、・・・・。
竿にマークがしてありました。
向こう岸のサンシンの音がはっきり聞こえてきます。
君の三味線も向こうに届くね。
向こうのサンシンに負けないように弾かなくては・・・。
- 2015/11/19(木) 00:00:41|
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今日はとても珍しい・・・・私にとっては、ですが・・・・写真をお見せ出来ます。
私のブログに登場してくれる最年少者ではないでしょうか。

ある方の個展を見に来られた若いお母さんが赤ちゃんを抱っこされていました。
それはかわいい赤ちゃんですが、ギャラリーの女性オーナーさんも「かわいい。」の連呼でした。
足や手に触ると暖かくて柔らかくて・・・・、と、私は触ってはいないのですが、オーナーさん弁です。
「お写真ですよ~、こっちのお手手も出しましょうね~。」
お母さんがこの個展会場に作品を出されている作家さんから教えを受けたことがあるのだそうで、遠くからご覧になりに来て、
「僕も一緒に見に来たんだよ。」

「これくらいの赤ちゃんは無条件にかわいいね。」
ホントですねぇ。
ごく短時間で撮らなくてはと気持ちが急いて、絞りの選択を適正にできませんでした。
それでもこれが今日の一枚、でしょうか。
「 この写真を撮ってもらったのはね。京都のギャラリーに行った時で、それは秋のことで・・・。」といった写真です。

お母さんの先生・・・案外、と言っては失礼ですが、…お若い方で、赤ちゃんを抱っこさせてもらっていました。
オーナーさんも。
わたしは?・・・・

「母子像を撮りたい!」 と思いついて帰り際に口走ったのですが、
ありがたいことに快諾していただけました。
イタリアのホテルのロビーでソファーにすやすや眠る「母子」がいたのですが、撮りたくて撮りたくて仕方がありませんでした。
それを逸した悔いがよみがえって背中を押しました。

この母子に平和な未来を!!
- 2015/11/18(水) 00:00:42|
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夜の電話で高校時代の友人からの話を聞いている。
時々他の友人たちの消息が混じる。
同じ時間を、何をしてここまでたどり着き、何を思い・思想して生きているのか。今何をしているのか、何を思っているのか、気にならないのではない。
ふと、ネットでの検索を思いたって、探してみる。
そうかこういう風貌の老人になったのか。
そして鏡を見てみる。 お前は何者かになったのか?
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「そうそう、そういうことがあったよね!」

「そのとき、かれはですね。こんなことを言っていたんですよ。」

変わり果てた?友人の消息。
執拗とさえ思うほどに自分のこだわりを貫いている友もいる。
ひょうひょうと社会的地位や経済的なゆとりを楽しんでいる者もいる。
いやそれ等は皆、外見の問題で、この二人の様に膝つきあわせて話してみれば・・・・・、と思う。
その時自分はどういう話ができるのだろうか。
深夜咳き込んで跳ね起きた時に、しばらく呼吸が整うまでパソコンに向かう。
余りに遠く離れた友人たちと、しばし仮想の世界で話してみる。
高校生との時に新聞部に属していて彼らとともに「論説」を書いた。
アベ・シエイエスの『第3身分とは何か』にヒントを得て書いた。我々若者は何者かにならねばならないと。
この宿題は、私においては、いまだに果たされていない。

- 2015/11/17(火) 00:00:30|
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先日、高校時代の友人が電話をしてきてくれた。
彼はお酒を飲むと時々私のことを思い出してくれて電話で話す。
その日はウイスキーを飲んでいるらしかった。
いつもは彼が研究している郷土史の話や安倍政権を生んでいる日本社会の危うさなどの話が多いのだが、その日はなぜか彼と彼の奥さんとのなれそめの話だった。
今まで聞いたことがなかった。そういうことを話したい気分になるような何かがあったんだろう。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ある日いつものようにギャラリー巡りをしていて、以前お話もし写真も撮らせてもらったことがある若い絵描きさんにお会いした。
グル-プ展を開いていた。
会場に入ると向こうでも私だと認めて、前に話をした話題についてすぐに話し始めた。
印象深く記憶していてくれたことに驚いた、と同時にうれしくもあった。
このグループ展は高校や大学などで交わりのあった人たちが集まったものだそうで、それぞれなかなかの力作だと思いました。

お二人は高校の時以来のお友達。
右の人が絵を描き、
もう一人は焼き物に取り組んでいる。清水焼きの家に生まれたんだそうだ。

この会場はたいへん暗いので、撮影をお願いしても、うまく撮れそうもないからなあなどと逡巡しながら、それでも魅力的なお二人なので、お願いしてみた。
それでお二人の「芸談」を再現していただいて撮ったのですが・・・。

男性特有のはにかみを交えながら、次第に高校時代の「あの時、色についてやりあったよなあ。」と面白い話をしてくれました。
女性同士のおシャベリの様子も時々観察するのですが、男性同士の会話の雰囲気とはずいぶん違います。
女性同士では「論じる」ことはまれのように感じますが、男性の場合は「論じる」要素が多かれ少なかれ入ってくるようです。
私などは「論じる」会話でないと場が持ちません。
サービス精神も希薄ですし、うけ狙いや笑いをとる会話は大の苦手です。
どちらかといえば嫌悪感があるので、関西には住みやすいとはいえません。その点どうも性格的・人格的にもわたしにはいびつさ・欠点があるようです。
こういうやり取りの瞬間を共有できる友人の存在はいいなあと、うらやましく思います。

私が人物写真を撮る動機の一つには、こういう自分自身の欠点に対するコンプレックスと補償要求があるのかなと思います。

対照的なお二人ですが、相互に認め合うところがあって、話は弾みます。
- 2015/11/16(月) 00:00:29|
- 人物
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あえて昨日掲載した写真から始めます。

その理由はお分かりいただけると思います。

実は最初通りかかった時に、ここの3人を撮らせてもらおうと直感したのはこの人のこれらの表情が大きな要因の一つでした。
結果的にめぐりあわせとして向こうの女子学生にお願いする機会をつかみそこないましたが、この3人の三者三様の表情はとても魅力的でした。
私のいつものカードはお渡ししたのですが、
はたしてこのブログを見ていただけるのかどうかわかりません。
もしご覧いただけたらカードに書いてあるメールアドレスにご連絡ください。写真をお送りします。

いつもはそのことまでお話しするはずなのですが、バタバタして段取りが悪く、お伝えできませんでした。
- 2015/11/15(日) 00:00:57|
- 絵画
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もう既に会場が閉じられる時刻が近づいていましたので、私がちょっと注意散漫になっていると、男子学生が描き上げてお客さんに絵を渡す瞬間を撮り逃がしてしまいました。
この瞬間は書き手にとって緊張と安堵と満足の一瞬ですから、是非とも撮るべきタイミングです。
しまった!! と思った直後、じゃあもう一度と絵を渡す場面を再現してくれました。
それでお客さんがこちらに顔を向けているというわけです。
これはこれで貴重な一瞬。
向こうのテントにも、この二人とは違うコースの女子学生が似顔絵を描いています。

そこに、駆け込み的な時間帯にお二人のお客さんが来ました。
どうやら男子学生の方の絵柄を気に入ったようでした。
私としてはこちらの女子学生も撮りたかったのですが「描いている場面は、残念ながら撮れそうにもないね。」と諦めかけていると・・・・。
「私も描きます。」と色紙を取り出して描き始めてくれました。
私にもお客さんにも大サービスです。

お客さんに「背中を貸してください。」とお願いして撮ります。

既に卒業制作も終了し、就職も決めていて「後は卒業旅行に向けて・・・」資金稼ぎだそうです。
さもありなんと思いました。
非常にしっかりとしてはきはきした人ですし、それが表情によく表れています。
「私も描きます。」と言った時の機転や行動力も又優れていると思いました。
私が企業の人事担当だとしてもきっと採用するでしょう。

この人は鉛筆で下書きをして彩色していく描き方です。
なかなかいい目をしていますね。
- 2015/11/14(土) 00:00:52|
- 絵画
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いろいろな場所で、例えば手作り市などでも、似顔絵書きますという人たちに出会います。
このお二人もある芸術系の大学の学生で、フリーマーケットの会場でお店を出していました。
一人500円は、学生でこその破格です。 でもまあ、20分で500円ならバイト代に比して・・・実技練習を兼ねて・・・・そこそこかな。

似顔絵を描いてもらいたいという方は案外いるようです。
お子さん連れやカップルやお友達同士・・・・・。

少し前に「ギャラリー知」で作品展をしていた似顔絵作家さんとお話をしたり、描くところを撮らせてもらったりして以来、似顔絵を描く人に興味を惹かれます。
人を描く、人を撮る・・というところで共通点があるからでしょうか。

描く人によって写実的であったり、デフォルメして漫画的であったり・・・・ペンで描く人もいれば、クレヨンやパステルを使う人もいて、背景の仕上げ方等にも個性・工夫があります。
ですから、お客さんお方も「この人に描いてもらいたい」という違いが出てきます。
この男子学生の絵は、対象をとても上品に描きます。
先ほどは中年女性を描いていましたが、品のある女性に仕上げていました。 いえ、決して、その女性に品がないのに…という事を言っているのではありません。
そのようにつかみ表現できるのは才能かなと思いました。
この男子学生にそういう、ある意味での「趣味」がなければ描けません。「趣味」を「感性」と言い換えてもいいでしょう。
ですから、時に逆のケースも見るわけです。
この点、絵でも写真でも同じですね。そこが辛い。

先ほどまでは、向こう側の女子大生の前にもお客さんがいたのですが、・・・・。
お客さんが来たら撮らせてねという事で、今はこちらを撮らせてもらいます。
でも会場の終了時刻が間近ですから、この人が最後のお客さんかも・・・・。

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- 2015/11/13(金) 00:00:37|
- 絵画
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京都駅に近いこともあって海外からのお客さんも・・・・。
男性の方がずいぶん熱心に見ています。
小さなお孫さんが二人おられるのだとか。それで・・・・。

片足でだって立つんですよ。

言葉はほとんど通じていません。
それでもこうして意思は通じるんですね。
赤ちゃんが二人の様子を感心してみています。
赤ちゃんには二人の言葉が両方分かるのかも。

おそらくは同じ世代なんでしょう。
同じころ生まれて異なった人生を同じくらいの時間活きてきた男二人が、何という偶然かこうして出会って話している。
この手作りの人のように「お前の写真もなかなかいいじゃないか。」と外国の人にも言ってもらいたいなあと思います。

地球の異なった場所で異なった文化の中で生きてきた者同士が「お前のやってきたこともまんざらじゃないなあ。」と認めあえるということをできるだけ多くの場所で経験したいものです。
先ほどの女の子があまりに夢中になっているのを見た、二人の男の笑顔です。

こうして形成されていくはずの世界に逆流を作ろうという安倍や橋本の政治にたいして「ノン!!」を突きつけるのは私たち大人の責任だと思います。
- 2015/11/12(木) 00:00:37|
- 手作り市
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これまで何度かこの方にお会いして、お話もしました。
手作り市で木製のロボットや船、飛行機、シャベルカ―などのおもちゃを販売しています。
おもちゃという言葉が不釣り合いなくらい丁寧な作りで驚きます。

合板で制作しているのですが、その合板自体から手作りです。
ロボットの頭部にあたる部材などはきちんと木目を工夫して当てています。
そして関節の各部を動かすことができるこのロボットたちは人気です。

まず中高年の男性が足を止めます。
そしてご夫婦で来られている場合は、大概奥さんの方は、なぜそんな子供じみたものに興味を持つの?早くいきましょう!と夫君をつつきます。大半の男性の方は後ろ髪をひかれながら「こういうことを全然理解してくれないんだ。」とため息を漏らしながら引きずられるようにして後をついていきます。
女性の中にも勿論、子供さんやお孫さんにと買い求められる方が見られます。
韓国から来たという女性のお客さんは六体欲しいといいながら空港の荷物検査を通りそうにないと二体で諦めていました。
男性たちは、子供や孫をだしにして、奥さんを説得する場合が多いようですが、多くはご自身が夢中です。

そういう大人も満足させる出来映えなのです。
実際、ずいぶん丁寧に作ってあると思います。
そして、あきれるくらいに「安い!!」のです。
「お嬢ちゃんはいくつなのかな?」
先ほどからこの女の子が興味津々で、ここを離れません。

若いお母さんは、子供さんがあまりに気に入っているのとロボットの出来とを見て買ってあげてもいいかなというそぶりです。
ですが、
「お嬢ちゃんが男の子なら、勧めるんだけどなあ・・・・。」と・・・・・ジェンダーを巡る問題発言ではありますが(笑い)・・・・決して『売らんかな』ではないのです。
少し前まで一体を2000円台で販売していたのを周囲の手作り市の出店者の人たちが「それではあまりにも安くて原価もとれないだろう。もっと値段をあげたら?!」と強く説得をして、作りがより複雑なロボットが3,500円、船やシャベエルカーが3000円になりました。
それで、申し訳なさそうな顔をされます。

ある大阪から来ているという中年女性は「0が一つ違うんじゃない?3万五千円、かと思った。」と言っていました。
それはともかく1万円であっても、高いなという人は少ないでしょう。
が、問題は手作り市にふらっと来ているような方々の財布状況なんですね。
もしこれがデパートならやはりゼロが一つ増えるんでしょう。
- 2015/11/11(水) 00:00:57|
- 手作り市
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いろいろな事情からこれからは職人さんの写真は撮りにくくなります。
京都に住んでいればこそ、ここ2,3年たくさんお方を撮らせていただきましたが、もう長くは続かないだろうと思います。
新たな展開を模索しないといけません。

しかし、とにもかくにも何十人かの職人さんたちの姿を記録してきましたから、何かのお役に立てるかもしれません。

職人さんのこの美しい姿は本当に魅力的です。

むろん職人さんのお仕事がどれも見かけ上美しいというわけではありません。
むしろ墨や土などに汚れた仕事もたくさんあります。
私がたまたま友禅や西陣織の方をたくさん撮ってきたから偏った印象を持つだけです。
しかし、見かけの奥に潜む仕事への真摯な情熱や高い技術への挑戦の姿勢は見るものを感動させるという事は共通しているだろうと思います。
それは職人さんに限らないことですが、その仕事の高度なことがそういう印象を一層際立たせるのでしょう。

4年半前くらいから撮り始めていますが、もう少し遅いスタートだったら・・・と思う瞬間があります。
歴史が私にさせてくれたことだとも・・・・。

それでも、まだまだ職人さんたちとの出会いを求めて撮っていきたいと思っています。
- 2015/11/10(火) 00:00:05|
- 伝統工芸
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友禅の下絵を描かれています。

この方の描く空気は「静謐」という言葉が似合います。

下絵がありますが、なぞって描いているというような筆の動きではありません。
むしろ花の姿や茎の線がすべて我が物とされていて、自在にご自身の線を描いているように見えます。
伺うとこうした花の実物はこれまで数え切れないほど写生をしてきているのだそうで、職人は単純に器械的に作業をしていると思われがちだが、実はそうではないのだという事を静かしお話しくださいました。

目、手指、筆先に至るまで神経が稠密に連絡して美しい姿勢を生んでいます。
祇園の芸妓さんの舞い姿にあるような洗練された型にも通じるものがあるように感じられました。

以前にも同じことを書きましたが、こうした年齢になってなおこれから充実した成果を生み出せることは幸せなことだなあと思います。
衰えるどころではないのですから。

こうした姿を目の当たりにして写真を撮れるという事は、これはまたこれで別の意味で幸せなことだと思います。
- 2015/11/09(月) 00:00:45|
- 伝統工芸
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「大庭さんには見てもらえなくて、・・・。」
「うん、見たかったけど、僕もたまたま東京で・・・・。」

「そうでしたよね。で、私はイタリアでどちらにも行かれず・・・母には日帰りのような帰国はぜいたく過ぎる・・・といわれながら、結局、三泊四日の強行軍で・・・・。父の帰ってきなさいコールに負ける形で・・・・。
でもよかったと思います。やはり自分の作品を多くの方々に公表してみてもらう以上はその場に立ち会うべきだと強く思いました。お客様に対する義務でもあると・・・。」
「そう、作家の特権でもあるしね。」

「で、写真をやっていく自信のほどはどうなんだい?」
「大庭さんは、どう思います? 私の写真。」
「僕は彼奴と同じで、こと君のことについてはあんまり客観的に評価できないからねぇ。
貴ちゃんはどうなの?! 貴ちゃんはそういうところ結構シビアに見ることができるし、僕なんかも結構痛いところをやんわり突かれてきているからねぇ。」
「母は、いつも大庭さんの意見を聞きなさいと、そればかりで・・・・。」

「君の両親は君のことを一番期待しているし、買っていることは間違いがないね。」
「それはよくわかっているんです。でもそれと客観的な評価とは同じでもないでしょ?! そういうことは私もわかっているつもりです。 両親が社会的なことや色々な芸術分野の作品に対して高い評価の力を持っていることは私も認めます。だから率直に言ってくれればうれしいんですけど、身内の評価は…って、あまり口に出さないんです。
父も、大庭さんに聞けって・・・・。」
「それは実の親として責任放棄だなあ。怪しからんやつらだ。
今度飲みに行ったら大いに文句を言ってやる。 自分の娘を育てるのに重大な岐路の選択のアドバイスを人任せにするとはってね。」

「大庭さんはイタリアにはいつ戻られるんですか?」
「僕は、京都にあと一週間いて、そのあと11月いっぱいは東京さ。 それでバンコックに立ち寄って12月半ばにイタリアに戻ることになるかな。」
「それで、両親とも何だかうきうきと相談していたんですね。 大庭さんがうちに来られるんですね。」
「なんだ、二人ともその話を君にしていなかったのかい?
君が僕にメールをくれたのは、そのことを知っていての事かと思っていたんだけど・・・。」

「そうじゃないんです。
私が日本にいたころは母と私の距離が近くて、父はちょっと疎外感を感じていたらしいんです。よく自分だけ『はみご』になっているって、ぼやいていました。
でも、私がイタリアにいってからは先のとがった二等辺三角形になったというか・・・・。底辺の2角がずっと近づいて。
それで、いつも何か二人で面白いことを企んでいるというか。」
「なるほど、それで今度は君が蚊帳の外だったっていうわけ・・・?
まあ、それが夫婦って言いうもんじゃないかな。
僕にはわからん世界だけどね。
君も安心して巣立てるってものさ。」
- 2015/11/08(日) 00:00:20|
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最早、「目にはさやかに見えねども・・・」なんて段階ではありませんが、この写真は少し前のものです。
秋の気配が幾分進んで風もさわやかになったころ、、、
嵯峨野には、JRや京福電鉄、そして市バスを使っても行けます。
嵯峨野とはもともと険しい荒れた土地だったことからの名称だともいわれます。ですがこの辺りは平安期以前から秦氏が開墾してきた土地で近在には田畑が広がっていたのではないかなどという気もするのですが・・・時の移ろいで変化もするし・・・・・。
嵯峨野といえば竹林です。

この道は音戸山に続く道ですが、有名な嵐山のふもと、野宮神社から大河内山荘や辺りの竹林より人がずっとが少ないので 静かに散歩できます。
写真で見るとなんだか人里離れたような雰囲気ですが、しばらく行くとユースホステルがあり、一般住宅、豪邸も見られます。

学者、文化人、職人さんたちが多くお住まいです。
ずっと昔、平和運動をで地域の人と若者で学習会をしようと呼びかけ人や参加者、そして講師を探したことがありましたが、20代の私が十分すぎるぐらい気後れのする方々がお住まいでした。
著作や講義を通じて知っているだけの「雲の上」にいるような方が、玄関の引き戸を開けて、親切に気さくに話を聞いてくれたり、「どうぞ中にお入んなさい。」と招き入れてくださったりしたことを思い出します。
まあ、私にも若い時代がありました。

と、ここからは仮想世界へ・・・・・・。
「自意識過剰な分、そうした人たちに対する畏敬の念が強すぎて、別に権威主義的に膝を屈するのじゃないけど、委縮するところがあって、それが弱いところだったねぇ。」
「学生時代に私の両親ともこの辺りを歩いたんですか?」
「そう、確かあいつとは何度かこの辺を歩いたね。貴ちゃんはどうだったかなあ。」

「もっとも嵯峨野の竹林を歩くなんて言う風情のある歩き方じゃなくて、この先の友人たちの下宿にオルグに行ったりしただけのことだけどね。
だから何となく薄暗い印象が記憶に残っているだけさ。」

「そうだね。イタリアやフランスを歩いてスケッチやスナップをしていると日本に帰ったらこういうところを歩いてみようという気持ちが強くなるよね。僕もそうだった。
君から誘いのメールをもらったときスケジュールを確かめたら、今日この日が空いていたのは幸運なことだったよ。
おや、どんぐりかい?!」

「あいつがさ、綾は日本に帰ってきても家にじっとしていなくって、あれを見る、あそこに行くって、ゆっくりはさす時間もないってぼやいていたぞ。
時とには彼奴に付き合ってやらないとね。」
「私の勉強や作品にはずいぶん関心を持ってくれていて、この前の写真展にも初日に来てくれたんだけど・・・。」
「そうだってね。
貴ちゃんが、そんなにうきうきと行かなくもいいのに、まだ、駆け出しの学生の写真展じゃないのなんていってからかったらしいけど、聞かなかったって・・・・。」
「はい。たまたま知り合いのギャラリーの方から、2月だから空きがあるし、やってみたらとお話をいただいたので、向こうを離れにくい条件も理解していただいて、最終日だけの在廊という形で、生意気だったけどさせていただいて・・・・。」

「それであいつ、君の代わりにずっと在廊しかねなかったんだって?!」
「そうなんです。うれしいんですけど、やっぱり父は私に甘すぎますよね。」
- 2015/11/07(土) 00:01:52|
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夜のライブができるという事は、もうすでに応援してくれる人たちがいるのでしょう。
15歳で個展をするようなものです。
すごいことですね。

こういう時に自分のメイン機を持っていないことを悔やみます。
X-20が悪いわけではないのだし、α900だからうまく撮れるという保証もないのです。
もしα900に50ミリをつけていれば、112ミリまでズームできる便利さはありません。28ミリの広角で撮ることもできません。
画像だってフジのほうが良いことは幾度でも経験しています。
それなのになぜなんでしょう。

妹さんに「お姉ちゃんすごいね。」と話しかけると ウンとうなづいていました。

歌手になろうと思ったときどんなことを考えたんだろうと想像しながら撮りました。

どうやらあの男性がCDを買い求めるようです。

- 2015/11/06(金) 00:00:04|
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「祇園をどり」を見て気分良く帰る途中でのこと、
四条大橋の下にギターを抱えて立つ若い女性の姿が見えました。
そして歌声が聞こえてきました。
そしてその若い女性の足元には、さらに若い・・・・いえ、幼い女の子が。

橋の西詰のところを石段を降りていくと「15歳」歌手だという事を紙に書いて歌っているのです。
なるほど15歳のようです。高1ですね。

今日の夜にあるライブコンサートの宣伝を兼ねての「路上」 河川敷ライブです。
足元にいて、譜面台を抑えたりあれこれとかいがいしく手伝っている幼い女の子は、この15歳の子の妹で小学生。
母親らしき女性が遠巻きにこの二人を見ています。

15歳というのですから撮影の許諾は保護者から得るべきところですが、プロとしての活動をしようとしているこの15歳の少女にあえて声をかけました。
そして了解を得たのです。
自分でつっくた歌を歌っているんだそうで、傍らにはCDが入れられた箱が置いてありました。販売も兼ねているようですが、どうやら自費でカッティングしているようです。(レコードじゃないからカッティングとは言わないのでしょうね。)

私が撮り始めると母親と思しき女性が、私の背後から写真を撮っていました。
そこに白人男性がやってきて一眼レフを手にして何枚か笑顔で無言で撮っていかれました。
私が撮影の意図をお話して「じゃあ撮らせてもらうね。」と少し距離を置くと、さっそく歌い出してくれたのですが、フジX-20ですのでおっかなびっくりです。
ファインダーでは80%しか見えていませんし、フォーカスが苦手なんです。
きっと、学校がおやすみの日に活動しているんでしょうね。
この夏に三条で初めて路上ライブをしたのだそうです。
- 2015/11/05(木) 00:00:58|
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この人はうっかりカラーで撮るよりもモノクロで撮る方が良いようです。
カラーで撮るならパステル調で。

今度の個展の4枚組のうち2枚はモノクロです。
私としてはかなり気に入っています。

個展の写真選びは目の下に隈ができます。
ついつい点数が増えてしまいます。
もっと厳選して全体にもテーマ性を持ってなどと、考えることは考えるのですが、選考の条件が輻輳していつの間にかとんでもない…戻るに戻れない・・・・ところに着地しています。

まあ、この次の…つまり来年の6月頃にする第4回目という事ですが・・・・1000人撮影達成記念の個展までは、たくさんの人と出会って撮らせて頂いたこと、そのたくさんの人たちの厚意の存在証明とでもいうコンセプトで行こうと思っているのです。
そこまでは「素敵な人たちと」という表題を続けます。

そして1000人の方に撮らせていただくようになれば、次の撮りたい趣向というものがもっとはっきりするだろうとも思うのです。
いや、もっとはっきり「分からない」という自覚に達するかもしれません。

それまで、よい助走をしなくてはなりません。

この人たちの厚意をエネルギーに次の5年に向かうのです。
・・・・と、と、と まだ3回目の個展が終わってもいないのに、鬼が茶をたてます。
- 2015/11/04(水) 00:00:21|
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京都市は140万人余りの都市です。
東京や横浜などに比べれば地方中核都市といった人口ですが、決して少ない人口とはいえません。
そういう人口の都市の繁華街で誰かにバッタリ会うという確率は・・・・・。
お久しぶりです。お元気でしたか。

かれこれ1年ぐらいはお会いしていなかったでしょうか。
お仕事を変わられて忙しくしているとは聞いていましたが。

まずい奴に会ったと思われたかもしれませんが、しばし近況をお話しするうちに御用のついでに写真を撮ることに。
とにかく、いつでもどこでも『撮りたい症候群』の罹患していますので、お付き合いいただきました。
今度の個展にもこの人の写真を4枚組で使わせていただきます。
実は今度この機会に撮ったものの中にも個展で見ていただきたいようなものが撮れたのですが、それはまた次の機会にという事で。

強い色の服を着ない人なので背景を選ぶ楽しさがあります。
勿論逆にくっきりとした鮮やかな服を着る人は、それはまたそれでまた背景選びが楽しいのですが。

撮らせてくれませんか?
さあ、どうしましょう。
という過程が時間的にも心理的にもありませんから、とても具合よく撮れます。

街のあちこちにある「ロケーション」の中でこの人に会う場所を思い起こすのが大変です。何しろ突然の出会い、突然のチャンス到来ですから。
そういえば最近、街歩きロケハンをさぼっていたなあと、反省。
もっともっとカードを増やしておかないと・・・・・。

初々しく写真に臨まないといけませんね。
- 2015/11/03(火) 00:00:58|
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カラーは事実を伝えるが、モノクロは真実を伝える…なんて穿ってかっこつけて言う事ではないかもしれません。
それにおそらくそれは正しくないでしょう。

同じ年頃の人がこうして高い技術を身に着けていて、素晴らしい作品を生み出せていることに少々以上のジェラシーを感じます。
旧職を離れて、そこで培ったことを曲がりなりにも違う分野で継続しなかったのですからやむをえません。
今はこうして写真を撮っている身ですが、覚悟がいい加減なだけに、展望も知れていて、不甲斐ない思いです。
まあ、しかし、まだまだ時間はありますから自らに鞭うってみましょう。旧職よりましなことができないとも限りませんから。

昔学生時代の先生が「10年あれば何事かをなしうるよ。」といっておられました。
君たちには、そういう10年が何度かあるんだから社会に貢献できる何かを二つや三つはできるんだよ。頑張んなさい。という事だったと思います。
その言葉をずっと心の底においてきたのですが、今またこの言葉に励まされなくてはなりませんね。

「老人、さらに老い易すく、学芸一層なりがたし 一瞬の光陰軽んずべからず、軽んずべからず…」という事で、悟りも開けたことだし、今日のところは一休みして、また友と一緒に飲みに行こうか・・・・。

この人の写真を見ていると、こういう私の自堕落さが一層浮き出てくるようです。

- 2015/11/02(月) 00:00:27|
- 伝統工芸
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友禅の下書きの職人さんです。
職人さんといわれて連想する出で立ちとは少々違います。なかなかおしゃれで決まっています。

実は職人さんたちはご自身が相当高い美意識を持たれていますから、服装や持ち物に対するこだわりをお持ちの方も少なくないのです。
まあ考えてみれば当然といえば当然でしょうか。

ましてここは公開の実演会場ですから。

一方私はといえば、撮る方ですから写真には写りませんので、それが幸いという風体です。
擦り切れたジーンズのズボンにリュックをしょって・・・・。
しかし、印象というものは不思議なもので、こういうくたびれた格好をしていると・・かえって?「絵を描かれる方ですか?」なんて言われるのです。
作家とか画家とかに対する幻想的常識みたいなものがあるんでしょうね。

大昔ルパシカを着て悪いことに及んだ男が世間を騒がせましたが、服装はある種の記号ですから、そこに作られている既成概念が功罪を生みますね。
と話がずれましたが・・・・。
同じ方をモノクロで撮るとこういう風になります。

すると私たちは薄い灰色のシャツに自ら色を付けてイメージするのですが、おそらく大方の方が「黄色」以外の色を代入しているのではないでしょうか。
そこにモノクロの良さ、可能性と、時には落とし穴があるような気もします。
- 2015/11/01(日) 00:01:25|
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