話しが急に決まったので心の準備ができるというほうが無理ですね。緊張して当然です。
ましてこんなに人の目がある中で。
赤い毛氈を敷いた長椅子がありましたから、ここに掛けてもらおうと床几のうえに散らばった杉などの葉を手で払っていると、初老の男性が横から手を伸ばして手伝ってくれました。
この方は私たちをどう見たのでしょうね。 でもまあ好意的であったことは間違いありません。

髪飾りの宣伝用写真としてもご利用いただけるように。
大変な人出の中ですから、人影を入れずに、なおかつこの場の情景を生かして撮るには一苦労です。
この一枚だけを見れば、撮影のためにどこかに特別に出かけたように見えませんか。

今日はたまたまキアノンの5D にツァイスのズームレンズをつけてきています。
バリオゾナーはf3.3~4.0と少し暗めですし、5Dは今となっては高感度に強いとはいえません。
木漏れ日を待ったり、直射光を避けたりと忙しいです。

それになによりAFが利きませんから、視力の落ちた私にとっては被写界深度を深くするよりないなあ・・と。
でもまあ、これくらいがいいバランスでしょうか。

それでもできるだけ開けて、明るく撮る・・・・頑張ってみましたが、いかがでしょうか。
やはりいいいレンズを使うと楽しいです。


- 2015/10/31(土) 00:00:32|
- 人物
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アクセサリーなどを展示販売される場合に、「生きたモデルがつけて見せることが宣伝効果が高いのでは・・・。」と・・・・写真を撮りたい下心もあって・・・・言うのですが、そんなことは皆さん百も承知で、お店には「看板娘」さんがおられることが時々あります。
手作り市を歩いている時に和服を着て姿よく歩いている人を見つけました。

見つけたから声をかけられるというような神経の持ち主でもありませんので、「もし、偶然にもこの先でもう一度すれ違うようなことがあれば、声をかけて見よう。…だから今は諦めよう。」といつもの調子で自分に言い聞かせていたのです。 つまり諦めようという事なんですが。
これだけたくさんのお客さんがひしめく手作り市です。意識して追っかけたって見失います。 まして、逆向きに行くのですから・・・・・。

と、何という事でしょう!!(ここはビフォア アフターのナレーション風にお願いいたします。)。
反対方向にいったはずの人が私の行く先方向のお店の中にいるではないですか。
どうやら出店者の方だったようです。
この人が髪につけているような髪飾りなどを販売されているテントでした。

私がこの人を人ごみの中で見つけた時には、どうやら休憩のついでに他店を見て楽しんでいたようです。
そこでお母上らしき人もいたので「実は・・・・」と声をかけたのです。
するとどうでしょう! (ここも又例のナレーション風に・・・)

聞きなれた、つい先ほどまでお話をしていた方、エリーママさんが私の背後から声をかけてこられたのです。
「いい人を見つけましたねぇ!! この人は素敵なかわいいお嬢さんですよ。
(お母さん)この人は私の娘の写真を撮った人で・・・・。」と、心配しないで撮ってもらったらいいですよと声をかけてくれたのです。

お話を聞いて、こんなこともあるのかなあと。
というのもエリーママさんと子のお嬢さんのご家族とは旧知の仲だそうでして、
このお嬢さんは中国琵琶を、お母さんは二胡を・・・など、すでにとてもよくご存じなのでした。

そういうわけでご安心をいただき「じゃあ、お店の前でというのではなくて、ちょっとロケーションを探して撮らせていただけますか?」という事になったわけです。
- 2015/10/30(金) 00:01:34|
- 人物
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木の板にコテを当てて点描の絵を描き出していきます。
ウッド・バーニングというんだそうです。
木の板が革であってもいいのです。

この方はいくつかの手作り市にご夫婦で出店をされていて、たびたびお会いする方です。
以前も書きましたが、単にご自身のお店を大切にするだけでなく、出店している「手作り市」全体に良く目配りをして、縁の下の力持ちをされている方です。

私はこの方を「影の事務局長」だとか「影の実行委員長」だとか冗談を言うのですが、・・・乾いて砂ぼこりが立つ日には広く周囲に水を打ち、イチョウから銀杏が落ちてきて悪臭を放てばそそくさと掃除をし、枯葉もきれいにしておられます。
なかなかできることじゃないと思います。

この風体は何だか異国風ですね?!
そうなんです。実は前日にハロウィンの行事があり、場を盛り上げるために率先してこうした扮装をされるのです。
その昨日の衣装のままに今日おいでなのです。
「これが一か月もすれば色が変わりますね。」と私。
「その通りだね。」と、ご夫婦で大笑いです。 お分かりだと思います。 服が赤く変わるのです。
このおひげで赤い服。

「まるで紅葉だね。」と奥さん。
サンタクロースも恒例ですが、これもまたご自身のお店のためだけではなくて手作り市全体のことを考えての演出なのです。

このウッド・バーニングの教室も開いておられて、この場でも様々な独自の技法についてお話をしてくれています。
この絵はご存じノチェ・ゲバラの似顔ですが、背後にはミステリー映画の巨匠ヒッチコックなどが飾られています。
- 2015/10/29(木) 00:01:48|
- 手作り市
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煎茶用の茶器なんだそうです。
ゴム様のもので素焼きの器に「マスキング」をしています。
かなり繊細なラインを要求されているのだという事で、いったん筆で描いた上をさらに丁寧になぞってラインの修正をされています。

絵の具とは違った粘着性を持っていますから、「描きやすいとはいえませんねぇ。」
これは白く抜く部分ですから、のちにゴム様のコーティング剤をはがします。
友禅で糊を置くのと同じですね。
- 2015/10/28(水) 00:00:34|
- 陶芸
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最近よく見かけるのが「ヨサコイ」の練習風景です。
詳しいことは全く知りませんが、どうやら複数のチームがこの鴨川河川敷で練習をしているようです。
今日もそのうちの一つが練習をしていました。
「パート練習ですか?」

黒い服の彼がこの振り付けを考えたのだそうです。
彼はかつて別のチームの一員だたのだそうですが「チームが解散して、こっちに助っ人です・・・。」とのこと。

こうして太鼓を持って練習をしていますが、音はほとんど出しません。
「ご近所に迷惑はかけられませんから・・・。」
音だしの練習はどうされるんでしょうね。

ひとしきり練習をして一段落つき、小休止しようとしているときに「写真を撮らせてもらってもいいですか?」と声をかけると、「じゃあ普段通りの練習でいいですか?」と休憩をそこそこに練習を始めてくれました。
練習再開を、しばらく待つつもりだったんですが、ありがとうございます。

モバイル端末の音と映像で練習をします。
少し前にはラジカセがほとんどでしたが・・・今やこうした練習の風景も変わりました。
向こうでは傘を持って女子たちの一群と、大きな旗を振る連取をしている男子たちがいます。
このチームは「あまり大人数じゃないんです。」

この黒い服の彼は「社会人ですから余り練習に参加できなくて・・・・。やはり学生を中心にしたグループが多いんですよ。」

衣装、化粧、演出、大団旗の様は旗、音楽に小道具など・・・・青年たちの心を惹きつけるものがコノ「ソーラン」にはあるようです。
源流は「金八先生」にあるんでしょうか。
「これくらいにしようか。」
撮影のためにわざわざサラッてくれました。
どうもありがとう。
続きを読む
- 2015/10/27(火) 00:00:57|
- パフォーマンス
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勿論、イヤリングもこの人の作品です。
ブログなどで商品の紹介をするのに、どんなことができるかなとあれやこれや模索しています。
ですからこの人は単にフォトマヌカンをしているんではなくて、制作者として、販売者としていろいろ注文が出てきます。
そういうやり取りから知らなかったことに気付かされたり教えられたりと、なかなか楽しいのです。

「目をつぶると美人だねぇ」と言って怒られました。
褒めてるつもりなんですが・・・。

ちょっと服の裾の長さが気になります。

これならバッチリじゃないでしょうか。

脚のラインもきれいに出ました。
- 2015/10/26(月) 00:00:24|
- 服飾
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この服はちょっとウエストを工夫しないといけないかなと思います。
この人は女性としては多少の身長がありますからまだいいのですが、それでもすこしラインが物足りない。

近づくと服の生地の織方の違いでウエストに変化が見られますが、服全体としてもざっくりしていますから・・・。

ちょっとポーズで工夫してみましょう。

写真としてはさらにこんな風に・・・。
この人には少し幅がゆったり過ぎるようです。
建物の陰にいても「まぶしい」という人ですから、つい目を細めてしまいますが、私はこの表情が好きで、この人は「目が開いていない写真はボツにして・・・・。」というのですが。
かわいいとか美人だとかいうだけの写真では面白くないから・・といって無理に説得して・・・・・。
何かニュアンスのある表情がいいですよね。
ファッション系の写真だとすればそういうのじゃまずいでしょう。すがすがしい笑顔でないといけないでしょうね。

先ほどのストールをウエストに巻いてもらいました。
こうすればウエスト辺りに変化が出て、ちょっとカッコよくなりますね。
ネックレスもつけてもらいました。この人の作品です。

いかがでしょうか?
帽子も変わっているのにお気づきでしょうか。
- 2015/10/25(日) 00:03:14|
- 服飾
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先日あるギャラリーで「織り」の作品での個展を見せていただきました。
少しこじんまりとした会場には収まり切れないパワーと繊細さがある見事な作品群でした。
その作品の一つが天井から下がって展示されていたのですが、照明によって生まれた影がまた何とも言えない趣があったので「この影の中で…モデルさんに入ってもらって・・・・写真を撮りたいなあ。」と作家さんの前でつぶやきますと、「どうぞどうぞお好きに撮ってください、なんならこの作品は置いていきますから用が済んだら送り返していただければいいですよ。」とまでおっしゃっていただきました。
大変うれしいことだったのですが、何しろそうやすやすとフォトマヌカンをしていただく人を見つけて、臨機にお願いするなどという事は出来ないわけで・・・・。
というわけで、撮影に時間を割いていただけるなどという事になるとあれもしたいこれもしたいということになり・・・・・。

先日アップさせていただいたのがは「振り袖ワンピ」でしたが、・・・・・・。
今日はぐっと趣を変えて・・・・。
まだこの頃は半袖でもノースリーブでも全然寒さを感じない日々でした。
ストールは「おしゃれ用」に。
ストールのコマーシャル写真の撮影の時に行き違いで撮れなかったので「ちょっとやってみよう・・・。」と。

以前にも書きましたように、私の母親は婦人服のお針子でしたから、家には婦人服の雑誌があり、父のほうの紳士服の本とともに私はよくそれらを見ていたのです。
ですから人物写真といえばこうしたファッション系のモノでした。

今でも家人が見ている服飾の見本雑誌を傍らでよく見るのです。
ふ~ん、こういうポージングかあ。バックはこういう風に取り入れてこんな風にぼかすんだなあ・・などと。

バッグや時計、あるいは靴や帽子などとのコーディネートはとても参考になります。

一方、あまり良いデザインとも言えない服でも、よいモデルが着こなすと相当に見栄えがするものだなあとも。

そしてそこにカメラマンがどういう工夫をして撮っているかを探るのもまた楽しいのです。
それをキチンと記憶して一つ一つ身に着ければ相当にスキルアップになるのでしょうが、緩いアマチュア意識ではだめですね。

いつものことですがフォトマヌカンさんにおんぶにだっこです。
- 2015/10/24(土) 00:00:04|
- 服飾
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「写真を撮らせてくれませんか?」
その言葉が唇を割って出るまでには、ひとしきりの葛藤があるのは今も変わりません。
むろんこうした活動を始めたころに比べれば、『断られる』ことに対する開き直りというか、まあ普通はそうかもしれないなあという感じは強くなっているかもしれません。
でも同時に、「四の五の言ってると片足が棺桶に入っちゃうよ。」と自分につぶやきもします。
人との間にある壁を越えるような小さな勇気が持てるのは、「知らなかった人と話せるようになると、楽しい!!」ということを知ったことが大きいですね。
こんな方がいました。
鴨川の岸で一人ゆっくりした時間を楽しんでいるようです。

同じように岸で腰を下ろしていても、人によって醸し出している雰囲気は違います。
本当に心に鉛を沈めているような方は、近づけません.
なんとしても話しかけてほしくないような人もそれとなくわかります。

一人でいることを楽しんでいるような雰囲気の人でも、会話を楽しめる精神的な余裕もお持ちの方はそれとなく感じ取れます。

そういう方は単に『うらぶれている』というのとは違う、静かさの楽しみ方や陽の輝きの感じ方をされています。

関東から、あるつながりを機縁に京都に来ているのだそうで、これまでのお仕事とはジャンルの違う分野にも活躍の道が開こうとしているのだそうです。
その人がこの時その場にいるという事には、・・・・・・誰にとってだって同じことはいえるのですが・・・・ それなりの理由があるわけでして、私がこの方に声をかけるのにもやはりそれなりの原因・理由があるわけで・・・・。

断りなく写真を撮っていく人が少なくない中で、「わざわざ了解を得るべく声をかけて・・・・」撮ることをお願いしたので、ひとまずはいろいろのお話をすることができました。
実は最初は撮影を断られたのです。
私のスタンスは、断られたら潔く引くというものです。
強いてお願いはしません。 だってその人には私に写真を撮らせなくてはいけないどんな理由もないわけですから。
ただその後のお話で、私のこれまででの写真を見ていただく流れになり、見ていただいたら「撮ってもらってもいいかな。」という風に思っていただけたのでこの写真があるわけです。

たまたま鴨川では釣り人が60センチは超えようかという鯉を、長い時間の格闘の末に、釣り上げていました。
この後お友達との待ち合わせがあるとのことでしたが、これから活躍の世界が大きく開かれるかもしれないというタイミングでお会いしたのですが、大変聡明な方でした。
- 2015/10/23(金) 00:00:09|
- 人物
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モバイル端末から何を書くかを探すんだそうです。
こういうところでも世の中大きく変化してるんですね。 小さく映る文字は拡大して・・・・・・。

この日はたまたま対面にカラースプレーで絵を描く人がいて・…こちらは明るく派手な絵ですから若い女性が集まります・・・・、またフォルクローレのアンデス地方から来た人たちがいて。
集客条件は悪かったです。

私が高校2年生の時だったでしょうか、親しくしていた友人が突然、北海道の修道院に入ることを目指して旅立ってしまいました。
私たち数人の友人は、今日は君が旅立つけれど、明日は僕たちが己の旅に出るぞと、一緒に相当興奮しながら送り出したものでした。
彼の出奔は親にも内緒でしたから、周囲にはおおいに心配をかけました。
修道院は親の承諾もなく事前の了解もなしにやってきた「未成年者」を受け入れはしませんでした。それで彼はその門前付近のラーメン店でアルバイトをして入院ができる日を待ったのです。
その後引き戻された彼ではありましたが、親も学校も特にひどくは咎めはしませんでしたし、「共同正犯」の私たちに事情聴取もありませんでした。 私の両親も、彼のあまりに冒険的な行為に物心ともに援助した私(たち)を少しも叱りませんでした。 親としての心配と子への期待感を彼のご両親と共有していたように思います。
青少年とはそうして大きくなるものだと言外に支援されていたような気がしました。

自分で登るべき煙突は自分で探し、梯子は自分で見つけるものだ。
「子供の領分」があった時代だといえるでしょうか。 親たちの賢さを思います。

未来に対して怖じ怯え・たじろぐことは少しも恥ではないし、試みて失敗することもまた恥ずべきことではないと思います。

ただその鬱屈を他者への蔑みや罵倒の片言に隠すことが卑怯です。

彼は、歩いていくのだそうです。
そして時に人の好意に支えられて車に乗せてもらうんだそうです。
そして宮崎から福島へ。
何を思いつつ・・・・。
- 2015/10/22(木) 00:01:33|
- 書
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宮崎を出発して、ヒッチハイクを繰り返し・・・・。

でも、なぜ「書」で?

私は書に関しても全く素人なのですが、素人ながらかなり上手な字だと思います。
「どこで学んだの?」
「独学なんです。」
「じゃあ臨書を相当してきたのかなあ?」
「はい、中国の・・・・・・・。」

独学でこういう水準まで来れるんですね? ちょっと驚きです。
・・・・・・・・と、と・・・ 待てよ?!
独学を「どうせ大したことはなかろう。」という先入見を持って論じるという事は、自分自身にも知らずのうちに、どうせこの程度という限界を作ることだなあ・・・・と気づいて。

こういう「書」は売れるの? お客さんの寄り付きはどう?
「府県によってずいぶん大きく違う感じです。 例えば熊本では人がどんどん集まって買ってくれる人も多かったのですが、・・・福岡ではさっぱりで・・・・。」
「で、京都では?・…たぶんあまり足を止めないし売れないだろうなぁ。 殊にここ四条大橋ではほとんどの人が観光客だし・・・・、それに京都人は・・・・・。」
「あまり、というか さっぱりです。」

「これからどうするの?」
「寒くなって歩けなくなる前にはぜひ福島まではいきたいんです。」
「こういうことを始めるについてはご両親は心配しなかった?」
「いえ、親のほうがぜひやれと背中を押してくれたんです。 で、退職して歩き始めたんです。」

今日は良く晴れて気持ちのいい日なのですが、長い紙を広げるのには風が強すぎます。
先ほどからあれやこれやが舞い上がり跳んでいこうとします。なかなか落ち着いて書けません。が、それでもタイミングを見計らて書き続けます。
「紙だって安くないのに描き続けて売れないと困るね。」
「そうですねぇ。 」
青年の飛躍というものは、そういうことを・・・・小さなことではないけど・・・・自分を挫けさせるほどの事ではないと意識できるんですね。
だから青年は跳べるんです。

老いたるモグラも掘らねばなりません。
- 2015/10/21(水) 00:00:24|
- 書
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今、私は床に腹這いになって匍匐前進のようにして撮っているのですが、彼はこちらに一瞥もしません。
おかしな気配は感じていると思うのですが、まったく意に関している様子はないのです。
こういうところが心地いいですね。

ですから私は今度は頭上からのぞき込むようにして撮るのですが、彼から半歩ほどしか離れていません。
とにかく
そちらはそちらでカメラマンとしてやりたいようにやるのだろう・・・・そんな感じです。
私は私としてやるべきことをやり続ける という、そういうことですね。

これまでも職人や画家の方などに撮らせていただいた時にも、同じ空気を感じました。
周囲に観光の方などがおられないときには、余計なサービス感がなくて、制作者の方との間のこの空気というか距離感というか・・・・、これがいいですね。

これはピントを合わせきれなかったのが悔やまれます。
それができなければこのアングルを選んだ意味がなくなります。
最近の大きな課題です。
暗いところでもピントを合わせること・・・・明るいところでも相当怪しくなっていますが・・・・がなかなかできなくなっているのです。
いえ、明るいところでも外すことが増えています。原因は何でしょうか。

よく見ようとファインダーに目を押し付けるものですから、ひどい時には夢中になりすぎて眼鏡も歪んで、そのうえ曇ってしまいます。
それでも今のところまだまだEVFを選ぶ気持ちにはなれないのですねぇ。
ピントは合うんでしょうが大将が直には「見えてない」という感覚がどうしようもなく歯がゆいんですね。

でもそんなことをいつまで言っていられるのかなあ、なんて気もしますが。
どこか、デジタルカメラ以前のような、もっと良いファインダーを付けた一眼レフカメラを作ってくれないかなあ。
気持ちよくくっきり透明感をもって、そしてもっと大きな倍率の、よく見えるファインダーがほしい!!
カメラ制作者たちよ。設計思想が間違っていないか?!
話がそれました。
撮り終えて、カメラをリュックにしまい、自分のカードを渡すと、彼も急いでカードを手渡してくれました。
「彫刻家 グラフィック アーチスト」とカタカナで書いてありました。
そして彼の名前が 「クリスチャン 美しい森」 と書かれていました。
Christian Schönwälder これが彼の名前です。
日本人との交流・友好を意識しているんですね。
- 2015/10/20(火) 00:00:28|
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先日別の方を紹介しましたが、ここギャラリ・ジャルホでのライブ制作をされているChristian Schö nwäer さんです。
ドイツの方ですが、英語で話しかけるほかありません。
「写真に撮っていいですか?」
「オフコース」

とても神経を使う作業をしているので、うっかり声をかけて切間違ってしまったら困るなあと、ずいぶん声をかけるのを躊躇していました。

ふと一呼吸置いた時に急いで声をかけて撮影の了解を得ました。
海外に来て、制作や見学を通じて多くの交流をしながら滞在をしているわけですが、交流にとても意欲的です。
この会場では5人ほどが制作しているのですが、江戸末期から明治初期のものではないかと思われるような写真を入手したり、古い文書を手に入れて壁に貼っている人もいます。
日本の様々なジャンルの「文化」に触れて刺激を受けようとしています。

ちょっと手元が暗いなあ、制作に支障はないのかなあという位の明るさですから、F1.4のレンズを開放に近く使うことになります。
で、この50ミリのレンズだとかなり『寄ら』ないといけません。

ですがここはあくまで制作のために振り分けられたスペースですので、どんなところに位置取りをして撮ることができるという場所ではありません。

制作に取り組んでいる作家の表情をとらえるだけでなく、制作現場の様子も伝えたいな、と・・・・。

私の場合、圧倒的に多いケースで、「それをどかしてください。こちらに向いてください。」などというように、撮影のために何かしてもらうことは極力避けています。
たまに「動かしましょうか?」とか「手を止めましょうか?」と言っていただくことがありますが、「どうぞそのままで。」とお願いすることが多いです。

制約を逆手にとれないか・・・・、撮りながら考えます。
- 2015/10/19(月) 00:02:37|
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ギャラリー四季AIRのオーナーさんと話しながら荷を開いています。

アングルをご覧になってお分かりのように、今私は仰向けに寝た姿勢で撮っています。
「写真家の・・・・・。」と紹介していただくことで、こうして結構はばからずに好きなように撮ることができているのです。
それは…私を乗せてやろうというオーナーの配慮なのですが・・・・案外大きな意味を持つ言葉です。

残念ながら、それでいい作品が撮れるという事に直ちにつながるわけではないのですが、おずおずと撮るという悪い癖の一端を壊すことができるという意味です。
明日アップさせていただく写真にも言えますが、だいぶん図々しさが増してきているように思います。これは私という人間にとってはかなりプラスの意味がありそうです。
そういう梃になるのなら「写真家の・・・・」と紹介されることも、あえて否定しないでおこうと・・・。
それがオーナーの好意でもあるから・・・・。

「いえ、写真家なんてたいそうなものではなくて、駆け出しの写真愛好者で・・・・。」といくら本当のところを言ってもそれで何ほど良いことがあるかということを思います。
そんなことは言わなくても撮った写真を見ればすぐにわかるのですから。

言い訳をしている間に、ちょっとはましな写真を撮れ!! というのがこのオーナーのいうところなんだろうなあと思っています。

今度の個展に向けていろいろ振り返ると、私が写真を撮る状況というのがずいぶん変わってきているなあという事を感じます。
1000人の人を撮るなんていう事も、そう容易くはなさそうです。以前と人を見る関心が変わてきたことで、撮りたい人の見つかり方が違ってきています。
一方同じ人で、少しずつ変化させながら、一緒にテーマを持って撮るというやり方もごくわずかですが出てきています。
そうなると、何人もの人を撮るという機会も減ります。
すべては変化する。これはやはり必然ですね。
その変化に応じて自分の撮りたい人たちを見つけてとっていくという事なんですが、そこに自分の成長がないと、ただマンネリと後退しか生まれないだろうなあと・・・・。
その経過にすべて自分が現れるのですから、かないませんねぇ。
この人のように喜びと自信をもって作品の梱包を開けられるようになりたいものです。
- 2015/10/18(日) 00:01:57|
- 陶器
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作家のみなさんにはいくつもの顔があるだろうと思います。
作品制作の時の顔、個展やライブなどで人々に作品を見てもらう時の顔、ご自身の作品について語り合う時の顔、芸術論議に話を咲かせるときの顔・・・・・・・。
今回は作品展への搬入の時の顔を撮らせていただけました。

制作活動をされている地元から遠く離れた場所で展示会をしようとすると、作品を業者に送り届けてもらわねばなりません。
ことにこうした陶器の展示販売のためには作品の個数も多いので、梱包することも労力が多く必要だし細心の注意が求められることでしょう。
これが海外へなどという事になればなお一層大変だと思います。

私が四季AIRにお邪魔した時に「遅れていた荷物が届いて、今から梱包を開くのです。」という状況でした。
千葉に住み東京で制作活動をされている方です。
段ボール箱には「割れ物注意!」というステッカーが何枚も張ってあります。
緩衝材で包み、新聞紙で幾重にも囲んでありますが、何せこうした陶器は「割れやすい!!」ので、あけて確認が終わるまで冷冷だろうと思います。
それは単に金銭的な損失というばかりではなく、労作をお客さんの目に触れない前に失うのですから、それはそれは気落ちすることでしょう。
「うん、よし!!」

これからこのギャラリーに泊まり込んでの展示即売会ですが、後でもうお一方女性の作家さんが加わるそうです。
この方の教室で学び始めていっきょに陶芸の魅力に目覚めた方だそうです。
その方にお会いし、また作品を見せていただくのもこれまた楽しみです。
どのジャンルでもそうですが、・・・・・いわゆる就職をするのではなくて、こうした作家活動はある意味で自営業なわけですが、・・・・・ご自身の作品を販売して生活していくのは並大抵ではないわけです。
・・・・無論、就職をしたから楽だとばかりは決して言えないわけですが・・・・・
- 2015/10/17(土) 00:00:44|
- 陶器
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早いものですねぇ。もう10月も後半に入ります。
毎日うっかり過ごしているものですから、気が付くたびに「えっ?! もう・・・・なの。」と思うのですが、それを繰り返してしまうところが私の弱点ですね。
秋の気配はどんどん深まって、京の山にもそこここに赤いもの黄色い一叢が目立ち始めています。
この時期は各家庭の庭木の手入れが盛んで、植木職人さんたちは忙しそうです。
我が家の「猫の額」はどうしましょうか。
というようなことはまた考えるとして・・・・・。
私の毎週のルーティンのなかにこのギャラリーを見ることがあります。
今週は、この人が個展をされていました。
金 基永 さんです。

作品は自転車や岩やバイオリンなどをボディーにして、それにタールのようなものでコーティングしたものです。表面はざらざらした質感と黒々した肌に・・・・何か光るものを配合しているようで・・・・・、キラキラした表情です。

4年間日本の大学の院に学び、今年の春に卒業して、現在も京都で活動しているそうです。
いろいろお話したのちに、事情を話して写真を撮らせていただくことになったのですが
「作家として撮りたいのですが・・・・・、今回の自信作というか、一番気にいっている作品はどれですか・・・・。」
「う~ん・・・・・・・、そうですねぇ。」
・・・・・・・・・
「一番うまくいかなかった、課題が残る作品はこれですねぇ。」
勿論、言葉が通じなかったから行き違ったのではありません。やはり作家としてただ成功したものに意識が行くのではなくて、心に残るのは「宿題」なのだと思います。
それで無意識にその作品に近づいて行ったのだと思います。

その心理は少しわかる気がします。
この作品は動物のぬいぐるみがボディーになっているのだそうで、それを樹脂で固め、さらにタール用のものでコーティングしています。
彼は「真実という言葉の『真』と『実』という事を考えているんです。」という事を繰り返し話していました。
その表現の一つの切り口として「書」の一筆、一本の線を表現したいというコンセプトの作品もありました。
日中韓には「書」という共通文化がありますから、その点はお互いに理解しあいやすいようです。

まだ試みは始まったばかりで、「ほんとにはじめの一歩です。」とのこと。
私も一知半解の感想ですが、率直な話をしますと、実に謙虚に耳を傾けてくれて、一緒にこのコンセプトの可能性について話し合うことができました。
次の個展がとても楽しみです。

中韓の若者の多くには高齢者に対する敬意ある態度がありますから、私などの話にも気持ちよく対応してくれます。
また彼らの作品には大きなエネルギーを感じますから、日本の青年作家たちにまま見られるテクニカルなモノよりも、もう一度それがなんであるかを見てみようという気にさせてくれます。

欧米のすべてを表現しきるような、見せつけるような、言葉を変えて言えば創作者が表現しようとするものを一義的に鑑賞者に受け取らせようとするような作品とはちがう、いわく言い難いものを表現するような態度が、この青年作家のもつ創造精神と我が国の伝統的なそれとに共通するものとしてあるようにも感じました。
「50年代60年代の人たちにとって『自然』なものと言えば木や土などであったけれど・・・・私は自然なものという事でそういう素材を追いかけてきたのですが・・・・私たちの年代の幼少期にはすでにそうしたモノに触れることのできる環境はなくて、アスファルトやコンクリートが「自然な環境」だったという事実があります。そこでこうした作品を作ったのです。」
作家たちは私たちにいろいろな気付きを提供してくれるのです。
- 2015/10/16(金) 00:01:47|
- オブジェ
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この服を仕立てているのは、縫物をしたりすることを楽しむ婦人たちの集まりがあり、そのメンバーの方なのだそうです。
この人は、大概どんな人たちとも親しく話すことができ、親しく受け入れてもらえる性格の持ち主です。
ですからお店に来るお客さんたちもお菓子などを持って訪れ、随分いろいろなお話に花を咲かせるようです。

今度の個展には、ぜひこの人の写真も出させていただきたいなあとお願いしているところです。



これなんかもいい感じだと思うのですが。
- 2015/10/15(木) 00:00:41|
- 服飾
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この人は洋服が似合いそうなくっきりとした顔立ちですから「振り袖」風の服のモデルのはどうかと思う面もありますが、逆に、そういう和風なテイストのものを現代に、洋服のように着るというコンセプトですから、ぴったりだと思いました。
この服は、洋服のようにかぶって着られますし、前で襟を合わせるというような和服の形式ではないので、現代人にも、現代生活にも着やすいのではないかと思います。
振り袖のように袖も本体から離れませんから、行動を妨げることも少ないと思います。
その一方で色柄も、振り袖風な形状も、和風です。
ちょっとおしゃれして着ていくのによいだろうなあと思います。
アピール度は高いと思いますがいかがでしょう。

実際、お店においてもお客さんの関心が高いようで、この写真の物はすでに売約済みのようです。

道行く、海外からの観光の人たちも興味津々でした。

アクセサリーもいい感じです。

それにしても、新たなイメージで、次から次へとアクセサリーの新作を作っているのを見ると、私にはできないことだなあとつくづく思います。
それでも「イメージがはっきりするまで、かなり頭を抱えることがあるんですよ。 そういうアイディアというかイメージがわくところまで気持ちが行くまでに、飲み物を飲んだり、雑誌を見たり、横になったり座りなおしたりと、ずいぶん時間がかかることもある」のだそうです。
それはそうなんでしょうね。
締め切りに追われている漫画家や連載小説の作家のようです。
- 2015/10/14(水) 00:00:58|
- 服飾
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最近『フォトマヌカン」をしていただいたりして交流していただいているこの人はアクセサリーのデザイン・制作・販売をされています。
そしてご自身の作品の他にも何人もの作家さんたちの作品を展示販売されているのですが、中に服も並べています。
ある服作りのグループの方が、和服の布地を再利用して何か人に喜んでもらえるものは作れないかと模索している中で、この人のアイディアも入れて、こんな服ができました。
名付けて「振り袖ワンピ」だそうです。

京都の中でも、同じように和服の布地を現代に生かそうとされている人が少なからずおられます。
洋服仕立てにする人もいれば、小物雑貨に応用される人、バックにする人など様々ですが、私の見るところ和服産業にカンフル剤となるようなものはなかなか見つかりません。

布地が生糸であることや、独特な織であること、そして何よりその柄の個性を生かそうとするのですが、現代生活とそうしたモノたちとの折り合いはなかなかうまくつけられないようです。
私は西陣などの職人さんたちとお話をし、写真も撮ってきたりしていますから、和服産業に何かの良い工夫が起こらないかという関心も持っています。
簡単にホームランという事は出来ないとしても、どこかにヒットとするものはないかと思うのです。

私の写真も、ただ『芸術?』を目指すだけでなくて、他分野と結んで活かされないかという気持ちがあるものですから、「モデルが着た写真でアピールしたらどうだろう。」と・・・・・少し前には「ストール」を人が身に着けて、という事で試みましたが・・・・・・お話してみたのです。
服を魅力的な人が着た姿を写真で見れば服自体にも一層興味・関心がわくでしょう。
ご自身の作ったアクセサリーも持ち出しての撮影です。

服の形状も、見て分かるようにポーズしなければなりませんから、いつもとは少し違った意識で撮ります。
それもまた新鮮な経験になります。
ただまあ、楽しみ半分以上での企画ですから、私のようなものでもやってみることができるのですが。

もしパンフレットにするのならば、メッセージなどを入れる空間なども意識しなくてはならないのでしょう。

振袖のような形状の服ですし、柄も着物の柄ですから、背景にも気を使います。
それもまた楽しいことですね。
- 2015/10/13(火) 00:28:16|
- 服飾
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ある日こんなことがありました。
撮影のためにある方と岡崎公園付近に行った時のことです。 岡崎公園というのは平安神宮のあるところですから、たくさんの外国人観光客もいます。
私と一緒に行った人が、ベンチに腰を下ろして次の行動を話し合ている風なカップルの女性に声をかけました。
その迅速さは瞬きをする間もないほどです。

私はその中国人女性を、ちょっと高級感のあるファッションをしたきれいな人だなあとは思っていたのですが、実は私は別の撮影をしようとそちらに意識が行っていて、それ以上のことは考えていなかったのです。
ところが肝心のフォトマヌカンをしてくれるはずの人が、その場を離れて中国人カップルに話しかけているのです。
「OKしてくれましたよ!!」
なんと撮影交渉をしていたのでした。

「だってきれいな人だったから…。」というのですが
「あなたが今日のフォトマヌカンでしょ!!」という言葉を飲み込んで、
「你好 !」と撮影をさせてもらいました。
このところ多くなっている台湾の方かなと思いましたが大陸のほうの人でした。

中国では、折々に「写真館」でドレスアップして写真撮影をするという事がとても盛んです。
街の大通りには写真館の宣伝ブースがいくつも並んでいます。そしてその場でも撮影をします。
写真を撮りませんか、のポスターに映っているモデルたちは服装も化粧もかなり派手です。そしてハートマークなどに囲まれて気分を盛り上げています。
それでポーズをすることにも案外慣れているのです。
私の同行者が私をどのように紹介したのか、遠くで話をしていたのでわかりませんが、どうも『羊頭を掲げて」話をしたようです。
この女性はわずかに日本語を話し、基本は英語を上手に話します。

理解あるこの女性のお連れの男性はしばし所在げがなさそうにベンチで待っていてくれていました。
中国人男性の多くは女性に優しいのです。

この方には後程メールに添えて写真をお送りしました。

外国から来ている人に積極的に声をかけようとは思うのですが、今日の同行者の積極性には驚き、修行不足を痛感しました。

、
- 2015/10/12(月) 00:00:14|
- 人物
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お気づきの方もおられたかと思いますが、昨日の写真は一番最後のものからカメラが変わりました。
JPEGでしか記録しない私ですから、カメラが変われば、絵が変わります。
ソニーからフジへと変わりました。

フジの絵は艶があります。
ソニーの絵はそっけないほど、そのままという感じです。

水彩絵の具を使う人もいれば、油彩の絵の具を使う人もいて、また岩絵の具が好きな人もいるのですから、こうした絵のでき方を幅広く選ぶのもまた面白いことのはずです。
絵を見せてもらっていいると、一番いいカメラがどれだ、これだと口角泡をためて議論しているのが何やらおかしいように思えます。
このフジの写真の肌色は実にきれいですが、実際とはあまりに違います。でも髪の艶やかさの魅力はこれはまたなんというべきかと思います。
服のしわの作る影の表情もソニーとキアノンとフジ…おそらくはニコンもオリンパスもパナソニックも・・違うんだろうと思います。私はもっていませんから比べようもありませんが、・・・。

自分が表現した写真にはこういうカメラをこういう条件で使うと効果的だというような、そういう記事を読みたいですね。

それにして、とにかくきれいに撮れるという点で今日のコンパクトデジタルカメラの優秀さは驚くべきものがありますね。
モバイル端末で撮った写真なども、私があれこれ頭を悩ませて一眼レフで撮ったものよりずっと見栄えががします。
まさに「かなわないなあ」という感じです。

ただまあ、趣味というものは不思議なもので、試みて間違えたという事の裏に、往々楽しさがあるですよね。

人に見せられない失敗作を山積みしているいいわけですが。
- 2015/10/11(日) 00:00:35|
- 工芸
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京都は伝統工芸の街でもあります。
これまでもそうした伝統工芸にかかわる方たちを撮らせていただきました。
この若い女性は「刺繍の修理」をされています。

この「刺繍の修理」は寺院などの様々な幕に施された刺繍の修理のことです。
ですから、百年をはるかに超えた刺繍の修理を請け負うこともあるわけです。
「どちらかと言えばここ数十年前の刺繍よりも100年以上前の刺繍のほうが、状態がいい場合が往々にしてある」そうなんです。

江戸時代のごく一般的職人の技量と現代の職人の腕とを比べると・…残念ながら、ごく一部を除けば・・・・・江戸時代の人のほうが格段に上という事が言えるのだそうです。
絞りの技術などでも、すでに過去の極めて高度な技のあれこれは復活ができないそうで、どうやらそれに似た現実があるようです。

これまでこうした神社仏閣の刺繍の修理という分野は存在しなかったのだそうで、こうしたことが仕事になり始めたのはそう遠い昔の事ではないのだそうです。
現代でも、刺繍をされている人たちの世界では、刺繍の修理などは刺繍の世界ではない、受け入れられないとされているようです。
ですから古びてしまった刺繍は修理されないで・・・・(神仏にかかわるものでありますから)捨てることもならず…朽ちるままに保存されているものがほとんどだといいます。

昔のような生糸を手に入れるという事自体が簡単なことではなくなり、こうした歴史的なものを修理保存することもなかなか難しいことになっています。
これからの保存のためにこの会社では糸は生糸ではなくて化学繊維を使っているようです。

自社の刺繍作品が修理されなかったのは、「神仏にかかわるものに鋏(刃物)は入れられない」という考えが影響していたとも言います。
私などからすれば、寺社経営のためにはどんなお守りも売り、祈祷もし、土地の一部を駐車場やマンション用に放り投げるような寺社がいつまでもこうした考えではいないだろうと思います。
それにこうした考えは、原始的蒙昧の世界です。

むしろこうした修理をきちんとすれば文化財としても命脈を保ち、過去の技術も継承されるというものです。
それに、寺社の檀家や氏子への過重な負担も軽減できるというもの。

この会社やここで働く技術者たちは良いものを過去の人々への敬意をこめてしっかりと残そうとされています。
決して新たなビジネスチャンスだとばかり考えての仕事ではありません。
それはこの会社の方のお話からも仕事ぶりからも感じました。
すでに技術が追い付かないために手の施しようがないけれどとても優れたものだけに、ただ捨てるのは忍びないというものを額に入れて店の壁に架けておられます。
その技術をリスペクトし続ける姿勢を示しているのですね。
仕事と言うものはこういうものでないといけないと思います。
- 2015/10/10(土) 00:00:32|
- 工芸
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「この楽器の名前をご存知ですか?」
「はい、ユーフォニュームでしょ?!」
「よくご存じですね。 音楽関係の方ですか?」
「十で天才、十五で才児、二十過ぎればただの人」 小学校の担任に言われた言葉です。 小中学校では教科書に書いてある以上のことをよく理解し記憶したのです。
二十歳も遠くなりにけり・・・・いまや、ただの人のレベルにさえついていけない体たらくです。
そんななか楽器演奏の出来る人はことのほか羨ましくて・・・・・。

コンサートを聞きに行ったりするとステージに居並んだ黒服の人たちを「天上の人」ではないか・・・・この世の人とは思えない・・・・とさえ錯覚するほどで・・・。

ましてこんな良い季節にこんな場所で音を響かせているなんて、・・・・・。
「どこかのオケの方ですか?」
「オケではないんですが、市民のグループに参加して吹いてます。」
院生ですから学内のオケやブラスの加わることもできるでしょうが、
「なかなか研究と両立というわけにはいきにくくて・・・・。」

ユーフォニュームはメロディー部分を担当することが少ない楽器ですし、あまり目立ちません。
それを長くされているという事は、ハーモニ-を作る音楽がとても好きなんだと思います。
「ええ、音楽は大好きです。 好きですね。」

学校のブラスバンド部にはいったときにこの楽器の名前だけ知らなかったのですが、その名前を知らない楽器の担当になって「それで一生が決まるんですよね。」
わかります、そういう『運命』の決まり方。

私は不幸なことに小学校ではクラス対抗の合唱コンクールや合奏コンクールでは「指揮」を命じられたのです。
で、音楽の時間に習うハーモニカや「スぺリオパイプ」以外にはなんの楽器もできるようになりませんでした。
アコーディオンをした時には恐ろしく習熟が遅くて散々でした。
以来何とかできるのは歌と口笛です。

こういう広々とした場所で気兼ねなく音を出せるのはいいですね。楽しいでしょうね。
私もその楽しさをほんのわずか頂きました。

楽器ができると人生は相当豊かになるでしょうねぇ。
- 2015/10/09(金) 00:00:39|
- 音楽
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京象嵌の職人さんです。

そろそろ12月の個展のコンセプトをはっきりさせないといけません。
これからの一か月に展示作品も補わなければならないからです。
と言っても、だからと言って思うようにとるチャンスがあるわけではありませんから昨年11月から以後に撮ったものから選ぶことになるでしょう。

これまでは、撮らせていただいた方一人につき一枚を展示してきましたが、次回はどうしようかと迷っています。
これまでは働く人たちや、何か、例えば演奏しているような人たちを80%近く、若い女性をフォトマヌカンにしたものを20%くらいに構成していました。 これをどうするか。
すべて同じ規格のフレームに写真をいれて統一感のある展示をしていました。これをどうするか。

考え、工夫してみたいこともいくつかあります。
ただ何かをしようとするとお金がかかる。この点が大きなネックですね。

DMの案も作らなくてはなりませんが、はがき大である必要もなく、また紙質も工夫の余地があります。

レセプションはやりたいことの一つなんですが、はたして実現するだけの気力があるかどうか。
準備や片付けに労力がいりますからね。
そうしてみるとこれは一人の力では、とても手が回りません。
そうはいっても私のようなものの個展のために時間と労力を割いていただけるような方もいなければお願いできる人もおtらず。
誰かと、何か一緒に楽しめるものに企画していく必要がありそうですが。

アクセサリーや雑貨の人たちと組もうかなあ。
バンドは?
空想夢物語ですね。

妄想を膨らめるだけはタダですから・・・・。
などと言っていると、また時間に迫られるのは必至ですね。

と書いても一番肝心なのは、なぜ、なにを見てもらうかという事なんですが。
- 2015/10/08(木) 00:33:34|
- 伝統工芸
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ガラス工芸作家さんです。
昨日と同じ「西利」で開かれている 『ガラテキトウキ? 5人展』 に出品されています。

キノコや、その胞子をイメージしたような作品。
ウジ虫のようなものが蠢き、湧きだしたご自身の肺や脳などの切断面をイメージした作品。
花弁をイメージしたものなどが展示されています。

地に生える、知からすっくと立った植物のイメージがお好きなんだそうで・・・・。

自身のプロフィール用の写真にはかなり凝ったようで、ずいぶんたくさん撮ってもらったといいます。
ガラス工房で撮ったような写真ですが、ちょっとマッチしないなあという部分があってお尋ねすると、そこはリアルな「現場で制作している私」ではなくて、演出がされているのだそうでした。

作家さんとして撮っていましたが、フォトマヌカンをお願いしてもなかなか面白い写真になりそうな方でした。
関東のほうの有名大学で学んでおられますから、在廊は昨日、今日だけでしょうか。
左手に縦長に何見えるのが「肺」の断面をイメージしたものだそうです。
縦切りですね。

話は変わりますが、実は今日は家電量販店にニコンのDfやD810,D750、フジのX-T1などを見に行ってきたのです。
最初の2枚のようにAFが食いついてくれなかったり、ホワイトバランスが思うようにならなかったりと苦労するものですから、ついつい浮気心が起こるのです。
でも「帯に短したすきに長し」の言葉通りで、当面次のカメラを選ぶことはできそうにありません。
例えば、モノクロではフジくらいの階調性がほしいのですが、ファインダーがネックで選べません。
Dfは電源スイッチからして躓きます。せっかく画素数がいい塩梅なのに、高価すぎますし。

やはり今持っているカメラのポテンシャルを引き出すことを考えないといけないですね。

そういう事はまたおいておいて、
いつも感じることですが、若い作家さんたちの話を聞くのは楽しいものですね。

- 2015/10/07(水) 00:00:00|
- オブジェ
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漬物の製造販売で有名な「西利」という会社があります。
その会社の建物が四条通にあるのですが、一階は漬物販売のお店、3階、4階はギャラリーで、ことに3階は写真のギャラリーとして知られています。
4階では、写真展をすることも、もちろんあるのですが、多種多様なジャンルの方々が展示をします。
今回は「ガラス・テキスタイル・陶器 木工・イラスト 『ガラテキトウキ? 5人展』」がありました。

ガラスとテキスタイルと陶器だから「ガラテキトウキ」展なんだそうです。 そこに木工とイラストも加わっているのですが展示実行の中心人物は木工のこの人です。

元来は、家具などを作る木工制作をしていたのだそうですが、今は「実用のものから表現へ」とシフトして、背景にあるような作品を作っています。
木工の技術を生かして額を含めて自作だそうです。かなり丁寧な作りです。

学校を卒業すると、進路に悩んだ結果、ハンドメイド雑貨のお店「 COSMIC BOX ART LAB」 を大阪の心斎橋に開いています。
そして自らも製作をするというスタンスです。

学校時代の友人や社会人になってから知り合った人に声をかけての今回の企画ですが、こうして人を結び付け、コーディネートするなんてすごいなあと思います。
ここを借りるのも結構大変なんだと思いますが、それもまた自ら築いた人間関係が可能にしてくれたんだそうです。

人の写真を撮ていると話すと興味を感じてくれて、こうして撮らせてくれているわけですが、自分自身も『撮ってみたいなあ。』があるようです。

またどこかでお会いできそうなそんな予感がします。
- 2015/10/06(火) 00:00:06|
- 工芸
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たまたま先日ある作家さんの写真を撮らせていただいた時に、このギャラリーの責任者の方に顔を覚えていただき、続いてある居酒屋でバッタリ、そしてグループ展にも別の方のお誘いできておられたりと、「ばったり出会う」ことが重なって、「どうやらこの男は人物写真を撮ることが好きらしい。」ということ認知していただいたようです。
それで、「今日も撮影ですか?」と特に「邪魔なやつだ」とも思われずに済みました。
「継続は力」・・・・ちょっと意味が違うか?!
これから作品はどういう方向に行くのでしょうか。

外国を訪ねるだけでなくて、そこに行ってその国のその町からインスピレーションを得て、その国にある材料を「調理」して作品を作る。
こういう事っていい体験ですよねぇ。
おそらく外国で個展をするだけでも、多くの刺激を得られるでしょうが、さらになお多くの収穫があるんじゃないでしょうか。

床の汚れを防ぐために古新聞が敷いてありますが、かっじで記載された新聞を目にしながらの作業は、それだけでも新奇な感懐があり、新たな印象を形成するでしょうね。

ドイツの方はピンをくっきりさせて撮るのがよいなあと感じました。
ただこれくらい暗いとAFはあまり役に立ちません。MFは視力が追い付きません。 それにもっとISOを大胆に上げるようにしないといけないかも。(どうも800以上にあげること極端にを躊躇する癖があります。)

それにしても、中国人の「爆買」についていろいろに報道されますが、東アジアの平和や友好を向上させるために、・・・・それが安全保障の道でしょ?!・・・この際向こうから大量の人が来るのですから・・・・腹の内では中国人を軽蔑しきっていながら、金さえ落としてくれれば多少の事には目をつぶるという、「背に腹は代えられぬ」商売根性に終始するのではなくて・・・・多方面で大いに中国人との交流を「官民一体で」進める政策が、是非とも必要です。
中国封じ込め政策に立っている安倍政権では、到底考えもしないことでしょうが、中国人が多少の経済的な余裕を手にして日本に来る段階になったのですから、こうした機会を逃がさずに崩れることのない相互友好をがっちりと深く築くべきです。
中国人は嫌いだなどと、子供じみたことを言っていると、大きなしっぺ返しを食らうのは日本だろうと私は思っています。
ですから、このギャラリーなどが進めている、こういう諸外国の人々と文化・芸術、経済などの多方面で表面的でない交流を深める仕事は貴重だなあと感じます。

そしてそこには外国語のおぼつかないような私のようなものでも野次馬よろしく参加していくしていく市民が増えなくちゃいけないのだとも思います。
そういう気持ちから「人見知り」と「ものぐさ」と「外国語をしゃべれないコンプレックス」を少しでも越えようと思っています。
幸いカメラがありますから。
- 2015/10/05(月) 00:00:40|
- 絵画
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果たして「絵画」に分類してよいかどうか・・・・?
私が最近訪れるのを楽しみにしているギャラリーの一つが「ART FORUM JARFO」です。
ここは国際交流を目指して設立されたギャラリーですから、中韓は勿論世界各国の芸術家の作品が展示されますし、作品だけではなくて作家自身の交流があります。
私が訪れた時にライブをしていた方は、 Barbara Wetzel さんだけでした。

木片に針金を巻き付けて、その凹凸を写し取ろうとしています。
馬連の役割を「スプーン」がしていました。
この人たちはまだ来日二日目ですが、さっそく作品制作にかかっているのだそうです。
「これは作品を作るまでの試験的なものです。」

来日して、ホームセンターに行き材料などを手に入れるのです。
日本の作家たちは紙をはじめとして、素材を日本から持て行くことが多いのですが、海外の人は日本生きて素材を探すことが多いのだそうです。
う~ん、このあたりの彼我の考え方の違いは、ちょっと考えさせられますね。

この方はドイツ人ですが、会話は英語でします。私の英語力では聞き取りさえままなりません。
彼女の英語は十分意思疎通できるレベルのものです。私のほうが大いに残念な状況。
今朝、町でレストランを探している男性外国人に助けを買って出たものの、地図もモバイル端末のナビも海外仕様で、そのうえ字が小さくて、言葉も早いし…難儀しました。
英語ができないというのは、実に不便極まりないのです。

彼らは滞在期間中に日本を、京都を大いに楽しみながら制作を続け、その作品を期間の終わりころに展示するのだそうです。

こういう交流の場はいいですね。

- 2015/10/04(日) 00:00:46|
- 絵画
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西陣の職人さんです。
筆の走りが滞ることがないので意見無頓着に描いているようにさえ見えることがあります。
しかし、それがそうでないことは呼吸を感じると分かります。
と、言っても息を詰めるようにして描かれているのではありませんから、体のどこにも力みがありませんので、見ていてこちらが緊張するような「力」を感じないのです。

それがすごいですね。
この方の場合小指が立てられていますが、こういうところで力が微妙にバランスされているようなんです。
そうして体全体の神経と力が絶妙に集中されていくのです。

だからたとえば私のようなものが無遠慮にシャッター音を立てても、周りに話声があっても、硬くそれをはねのけるのではなくて、やさしく受け流してしまうような柔構造を感じます。

それでいて、こうして写真で見てもきちんと体全体がバランスしているのです。
写真を撮るときもこういうことが大切なんだろうなあと思います。
ことにポートレートの場合はそうじゃないかと思います。

動物撮りもそうかな。

人物写真を撮るときは対象と正面からぶつかって格闘するというより、押さば引け、引かば押せ、みたいなところがあるように思います。
どこかに妙な力が入るとその力が写される人に突っかかっていって要らぬ反発というか抵抗を生んでしまうようなことです。
勿論敢えてそういう力をかけることで相手の「見せている姿」を壊して「思わぬ表情」を引き出すこともあると思いますが。

スポーツの世界でよくフォームを注意されますが、「肩の力を抜いて」スムースにバットやラケットが出るスイングをすることが大事なようです。
ベテランの職人さんの仕事ぶりにはそういうことに通じるものを感じます。
- 2015/10/03(土) 00:00:41|
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上七軒は京の五花街の一つで北野天満宮の東側にあります。
そこを自転車で通ると、あるおうちの見事な松を手入れしている職人さんが見えました。

下にトラックを置いて、切った枝や葉がその荷台に落ちるようにしています。
「いい松ですね~ 手入れするところを写真撮らせてもらっていいですかぁ「~。」

この日は、ギャラリー巡りと鴨川徘徊が計画でしたから、「うん、今日は50ミリで一本で行ってみよう。」だったんです。
レンズとしては悪くないんです。ただ、この状況とマッチしないだけで。

じゃあ、もし200ミリを持っていたら、それが正解だったかどうか、それもまた問題ですねぇ。
この画角だからこそ「上七軒で松の手入れ」が撮れるのだし。

私も梯子に上って撮りたいくらいです。
せめて向かいの家の屋根に上って・・・。

それにしても姿のいい松です。
たまたまこの屋の方が家に入られるところでしたので「古いんでしょうね、この松?」とお尋ねすると「先代から引き継いだものだからようわからしまへん。」とのことでしたが、先代からずっと大切にしている松なのだそうです。
「なかなかこういう松は少ないからねえ」と頭の上から声がする。

目下「人を撮る」も模索中。
- 2015/10/02(金) 00:01:31|
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