太夫の正面前方はすっかりカメラパースンで占められています。
太夫の周囲は人だかりですし、たくさんのカメラが取り巻いていますから、なかなか良いカットは撮れません。
事前の計画では見物の方たちが歩道側でご覧になると思い込んでいましたので、私は高瀬川の流れの中から撮るつもりでした。それで幾度か下見もしたのですが・・・・・。
ところが交通規制がかかり車が止められましたから太夫の前後左右とも人垣でなかなかチャンスがありません。そこで結局、道路側から撮ることになりました。

この写真は、後で太夫に叱られるかもしれません。
太夫はどちらかと言えば現代の顔のつくりをしていますから、こうして「江戸期」の版画を思わせる表情が私としては気に入って取り上げました。

この辺は「道中」をとったものとはいえませんね。
衣装は重いし、暑いし、そのうえ独特の高い下駄は重くて高いので歩きにくさは格別です。
第一足元が見えませんから、介添えする「おかあはん」などがいなければ、行動もかなり不自由です。
昨日の初めの写真では川にしつらえられた「床」でカメラパースンの要望に応えていますが、川岸から床に降りる石段は両方から手やひじを支えなければとても降りられませんし、また上れません。

かなりの重労働です。
「禿」さんは、「おかあはん」の住む町のご近所の小学生です。

太夫の頭上にかざしている傘を持って従うのは何時もこの方です。

そして向かって右手におられるのが元高砂太夫だった「おかあはん」です。
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- 2015/08/31(月) 00:01:59|
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ききみずガーデン企画の一つの目玉は、京都嶋原の菊川太夫の道中です。
昔は島原遊郭と言いました。
現在ではだいぶん衰退してしまって、祇園などの五花街に比べるべくもありません。
少なくなった太夫の多くも高齢化してしまって・・・・表現は悪いですが・・・・「文化財」として以外の魅力を感じることができにくくなっています。

そんななかで、元高砂太夫の下に若い太夫が現れました。それが菊川太夫です。
若くて美貌の教養豊かな菊川太夫を盛り立てようとする人たちがいます。

私も、以前、他の方たちと太夫とで投扇興を一緒に楽しみ、そうした盛り立て隊の端の端の、さらに、端のほうにいます。
この「ききみずガーデン」の企画の中心メンバーは、その多くが盛り立て隊ですし、「おかあはん」の元高砂太夫さんも何とか菊川太夫を支えたいと熱心に活動されていますから、それが合わさってこういうことになりました。

私は舞妓さんや芸子さんを追っかけて写真を撮るのが気恥ずかしくて、こういうチャンスがあってもほとんど出かけません。
ただ今日は菊川太夫ですし、半スタッフとしての撮影です。・・・・こういう中途半端さが私の悪いところです。・・・・・

今日は撮影かと銘打っていることもあってたくさんのカメラパースンが来ています。

道中は独特の足さばきでゆるりゆるりと進みます。
前を行く二人の少女は「禿」と言います。 元高砂太夫さんはこの禿から経験されています。

この後ある料亭で菊川太夫の舞いを鑑賞し、料理に舌鼓を打つ宴が準備されています。
私は残念ながら・・・・・・。 太夫や「おかあはん」と話したいこともあったのですが。
- 2015/08/30(日) 00:00:00|
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目下、高瀬川仏光寺をさがったあたりで「ききみずガーデン」という企画が行われています。
文化・芸術・エンターテイメントなどなどの力で環境問題を考えたりしながら町おこしをしようというものです。
その9月4日の「水上浴衣写真館」のカメラ・パースンとしては時を見てカメラを持って会場に行くのです。
そして写真を通じて企画の成功に貢献したいと思うのです。他にできることもありませんしね。
この企画と並行してギャラリー高瀬川四季AIRで「三人展」をされていた前田さんです。画家さんです。
真新しい「八つ橋」の上で撮りました。

この日展示の最終日でしたし、このあと菊川太夫との宴席にお出かけですのでおめかしです。
浴衣写真館のお話も聞いていただいて・・・・浴衣ではないのですが・・・・写真に納まっていただきました。
実はもう「何でも」撮っちゃうのです。 その「何でも」ぶりはこの後、随時アップしていきます。

当日に向けての私の練習も兼ねてですが、いい風情でしょ。
高瀬川のこの位置で写真を撮る、撮られることは、もうほとんどありえないのですから、お互いにラッキーです。

企画に参加してくれているお客さんたちも川面を吹く涼風に汗を乾かし、心地よい流れに足を浸して楽しげです。
その気分が周囲を満たしていますから、撮影もより楽しいものになっています。

北陸地方から来られて三人展ですが、地元ではない他府県でこうした展覧会をするというのはすごいことですね。
他の方のそうした個展などを見せていただくときにもいつもそう思います。

隣から話しかけてくれる人がいますので、くつろいだ雰囲気が出ます。

水辺にぴったりのきれいな着物に、それにまた調和した帯を締めておられます。
すがすがしい感じですね。
今日ははるばる地元から知人が三人展をご覧になりに来ていました。
- 2015/08/29(土) 00:00:52|
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既に帰国しているのだろうと思いますが、この人がこれから何をどう学び、どう成長していくのかという事に私はとても関心があります。
むろん誰についてもですが、・・・・だから私自身についても勿論なのですが・・・・・人は歴史の中で生きます。そしてそれしかできません。
ただ、それを受動的に生きるか能動的に生きるかの違いがありますし、そのことに無自覚なのか自覚してなのかの違いもあります。

学生の頃「歴史の成長点」「歴史の形成層」という事を考え議論しました。
この人など、まさに歴史の形成層を構成している人の一人だろうと私は考えています。
話が飛ぶようですが、高瀬川「ききみるガーデン」という企画も又、そういうモノだろうと思うので、私も加えてもらって、そのごくごく端っこの方でもぞもぞ動いているわけなのです。

そうすると何か鼓動を感じる時があるのですね。脈と言ってもいいのかもしれません。手ごたえと言い換えてもいのかもしれません。
いえ、何か神秘的なことを話そうというわけではないのです。

この人も写真が好きなのです。
京都の学生たちの写真展で言いました。「君たち学生が何を見て、何に、どう心を動かしているか、それを見に来たんだよ。」と。
この人がこれから何を見て、何に心を、どう動かしていくのか。この人の見たものが写真に定着させられて、人との共感を醸成していくことでしょう。
いつかこの人の写真展を見てみたいものです。

言葉はブーメランだとよく言われます。
そう思うと、このブログにもいろいろ書くのが億劫になってしまいますが、老いたるモグラの穴掘りのための鞭にしようと思うのです。
撮るとはどういうことか、この姿から考えさせられます。

私は徳学者でも倫理家でもありませんから、剣ヶ峰のような人生を行こうとは思いません。
何しろ「やくざに生きること」を目指していたこともある(ここは現在完了の進行形ですね)世代の一人なんですから。

人に出会って、いろいろ気づかされる楽しさです。
今度グループ展をする「ファインダー倶楽部」に混ぜてもらったのも、つまるところそういう事なのです。
- 2015/08/28(金) 00:01:09|
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若者を見て「まぶしさ」を感じる時があります。
それは、、無論、私がすでに人生の残りを数えなくてはならない老頭児だからなのですが・・・・・・。

自由と民主主義のための学生緊急行動(Students Emergency Action for Liberal Democracys、略称:SEALDs(シールズ))の動きに注目している。
私たちの世代の学生運動とはいろいろな面でかなり趣を異にしているが、今の時代を生きる青年には、彼らにふさわしいムーブメントがあるだろうと思っている。
彼らは私たちを乗り越えるべき・・・・私たちには私たちの課題が山積みですが・・・・世代なのだから、期待を持ってみて行こうと思う。

若い保育士さんたちと時折、勉強会をしていますが、情報が豊かだと言われている現代に、ある種の情報はそれほど潤沢ではないと感じることがあります。
そういうところで私たち世代がともに歩く課題もあるような気がして・・・・。
とにかく青年との相互通行的なチャンネルを持つようにすることは私たちの課題でもあります。
アンテナを磨いておかないとね。
青年は目の前にいるのですから。

この人のように「大人の言葉に耳を傾ける」気持ちを持つ青年は、少なくないのですが、彼らのほうからのチャンネルも作りかねている面があるのです。
トンネルじゃないですが、両方から掘っていかないといけませんね。 問題は掘っていった先できちんと方位や高さがあっているかということですが・・・・。
お互いに、「そっちからうまく掘ってこい。」じゃ、つながるはずのトンネルも行き違います。
いま日本に生じている不穏な情勢が、今を真剣に生きようとする人々を世代を超えて「同時代人」として共感する契機になっています。
自由を求め民主主義を実現する市民としての共感が、新たに又、憲法を担う国民の形成をしているように思います。
大事な局面です。
そのことは、東アジアの広がりの中でもジワリと進んでいるようにも感じられます。
またそれを視野に入れた成長の仕方をしていかねばならない時代だとも思います。

そういう意味で、私がこの人に出会ったのは必然的な偶然だったと深く感じます。
私にとって幸運な出会いでした。
また別の面で、人が美しいという事について、改めて考える機会ともなりました。
- 2015/08/27(木) 00:00:49|
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西陣織物会館ではお盆のころに10人余りの西陣の職人さんたちが実演をして見せてくれていました。
以前はこれくらいの規模で通年、実演を見せてくれていたのですが、行政が予算を大幅に削ったものですから、普段はほとんど見ることができなくなりました。

会場に足を踏み入れると、これまでにとらせていただいたことがある方が数人おられました。軽く会釈を交わして、これまでお願いしたことがない方のお話を聞きに先に進みます。

伝統工芸士だけでも約1000人もいる京都ですから、まだまだ私がお目にかかっていない職人さんは山ほどおられます。
経歴を伺うと40年とか50年のキャリアをお持ちの方が多くて、中には私と同世代で「私が中では一番若いほうかなあ。」というような声も聞かれます。

職人さんの気質として「意固地」だという事を時折耳にしますし、職人さん自身がご自身やお仲間を評してそのようにおっしゃることがたまにあります。
なるほどある種の堅いこだわりがその仕事にあります。
けれど多くの方が「いいよ、撮っていって。」とシャッターチャンスをくれます。
そして、「あの人なんかもいい仕事をしてるよ。」と教えてくれたりもしますし、時には「ちょっと、・・・。」と席を立って別の職人さんを紹介もしてくれたりもするのです。

この場は公開の実演会場ですから、お願いすれば撮影を許してくれる場合がほとんどなんです。
が、大概は数カットとって移動される方ですので、こんなにしつこく撮られるとは予想されていない場合が多いのです。
ほぼ似たような世代の男が来て、どうやらリタイア後の楽しみで撮ているらしいと察して・・・・「武士は相身互い」かどうか知りませんが・・・・受け入れてくれているという要素も無きにしも非ず…なのでしょう。
ご自身の人生を振り返って・・・というようなお話もよく聞かれます。
40年、500年と仕事を続けられてきて、今なお現役で人から評価される仕事を継続できているというのは、ある意味で羨ましいことですね。
私のような「浮気性」のものにはできないことです。
そういえば私の中学時代の同級生が、中卒である所に就職して、依頼定年までの45年をその仕事一筋にいきて、さらにその後嘱託として5年間仕事を全うし用としているようです。
職人・自営業としてはたまに見られても、給料取りとして50年同じ仕事を勤め上げるというのは並大抵ではないことだと思います。
今度、同級会があったら大いに敬意を表そうと思っています。

私とは180度違うような生き方です。

まあ、そうはいってもそれで私が後悔していると言おうわけでもないのですが。
アリだってキリギリスだって、それぞれに大切な人生を味わって、そして何事かを生み出そうと生きているのですから。
- 2015/08/26(水) 00:00:29|
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あの日中の最高気温が37度だとか38度だとかいうような猛暑が過ぎて、暑くなっても35度・・・・、おかしなものでそれで「最近涼しくなったなあ。」と。
私の記憶では、私が子供の頃は32,3度でも『ほんとに暑くなったねえ』というのが親たちの会話でした。
先日、琵琶湖方面に行って写真を撮った時には、空の色が幾分薄くなり、高いところに刷毛を履いたような雲が見えました。
そしてトンボの群舞。・・・・・・そうなると、もう秋の気配。
浴衣の写真は出しにくくなってしまうので、急いでアップです。

人の人生はそれぞれのほうに向いて形作られていて、そのベクトルはどの人も同じではありません。
その個々まちまちなベクトルが何かのはずみで交差して、人との出会いが生まれます。
私がとらせていただいた方々の、それぞれの人生ベクトルも皆個性を持っておられますから、私のような者と一緒に「写真を撮る」という事になったということが、それぞれに持つ意味もまた違ってきます。

その結果としての写真を「家族と一緒に喜びました。」という事になれば、私にとってもそれはやはり望外の喜びとなります。
うれしいことです。

私の写真はすべてお金をいただいて撮っているのでもなく、お金を差し上げて撮っているのでもありませんから、出会いで交わる気持ちだけの産物です。
私は貧乏ですから、お金が要らないわけではなくて、何とかして写真でお小遣い稼ぎはできないかと思わないのでもないのです。
それはそれで面白い試みだとは思っていますから、今度その真似事をしてみますが、基本は崩したくないなあというのが本音です。
そうでないとこのブログで見ていただいているような写真は撮れないでしょうから。

夏には浴衣・・・が定番の一つでしょうが、私のようなものにはなかなかそれを撮るチャンスはないものです。
今度「ききみるガーデン」の企画、「水上浴衣写真館」では浴衣を着て会場においでの方たちをとらせていただきます。はたしてどれほどの方がお見えになるのか見当もつきませんが、できれば来場の方たちと楽しみながら、いい写真を撮りたいですね。

京都には呉服関係の方が多いですから、そこのお嬢さんたち、ご婦人たちが、この方の総絞りの浴衣のような良い趣味の浴衣を着ておいでになるかもしれません。
楽しみです。
- 2015/08/25(火) 00:01:19|
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先日、仏師の写真をアップしました。 その仏師さんが、私が撮影を終えてカメラをリュックにも同窓とするときに・・・、
「私たちはウイークデーに実演をするけれど、土日には学生が実演しています。それが夏休みで日本の学生が帰省してしまうので、その二日は 国からの留学生が実演するんですよ。」と教えてくれたのです。
その国とはブータン王国。

ブータンの国王夫妻が来日した際に、この京都伝統工芸館を訪れていたく感心されたようで、こうした若者を工芸習得のために留学させているとのこと。
この青年も国王からの激励の言葉に送られて来日、いったん帰国した時には金工の成果を国王に奉呈したといいます。
そして木工の習得のために再度来日して勉強しています。

「日本語は大丈夫ですか?」と「尋ねると「大体は分かります。もしよければ英語ならもっといいのですが…。」との返事です。
ブータンでは小学校1年生から英語学習があり「70%くらいの国民は英語を理解します。」とのことでした。
私の言語能力は日本語を一歩も出ませんので、・・・・。

まだ金工を専門にしていくのか木彫を選ぶのか、決めかねているようですが「どちらもとても好きで面白いのです。でもこれに取り組んでいるときには他の事は考えません。う~ん・・・?。」
「集中するんですね?!」
「一つのことをしているときに別のものに気持ちを移すことはしません。」

日本の食事は?と尋ねると、満面の笑みを浮かべて「大好きです。おいしい。」
国王の計らいで留学してきている彼には強い自負心と責任感があります。
しかし、そうしたものは表にギラギラしてはいません。穏やかな言葉と物腰です。

写真撮影を申し出ると、静かに座りなおして制作に戻りました。
私がカメラを置くまで、少しも目を離さずに制作に気持ちを向け続けます。
・・・・もっともほとんどの職人さんたちが、撮影に協力的で、「もうこれくらいでいいだろ?!」なんていって制作の手を止める人は滅多にいません。・・・・
そして多くの方とともにこの人も『撮らせてやっている』という空気を・・・・私が単に鈍感なのかもしれませんが・・・・微塵も感じさせません。

まだ新しさを感じさせる鑿たちは良く研がれています。そして蛍光灯の明かりにきらりと光ります。

こうした撮影の場合AFはあまり信用できませんし、肝心のポイントにフォーカスさせにくいのです。
ですからMFで撮るのですが、α900で良かったと思う時です。
ただ問題は私の視力とフォーカスしきるまでしつこく追い続ける気力がいつまで続くのかという事です。

職人の集中や気迫、あるいは熟練などをどう表現すればいいか。
毎度同じような写真を撮りながら繰り返し考えます。
百年一日のごとき繰り返しの中に前進があるんでしょうか?

私は今度のグループ展には暗い画面の働く男たちの写真を出すことに決めました。
働くといっても多くはこの人の様に下を向いて黙々とモノづくりに取り組む姿です。
おそらく会場の暗い中にさらに目立たない一角を作るだろうと思いながら、グループ(京都ファインダー倶楽部)への第一回目の出品は、こうした作品で臨もうと思っています。
ここにも留学生がいました。
そして、海外の若者に触れて、また私の怠惰な毎日が反省させられます。
- 2015/08/24(月) 00:02:35|
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きょう8月23日は、高瀬川仏光寺あたりが面白い。
京都 嶋原の菊川太夫が「道中」をします。
こうした企画の一中心をなしているのが、こちらのギャラリーです。

今春から、私はここから楽しさをいっぱいいただいています。
今までに出会うことのなかった方々にお会いして、話、食べ、飲み、企む楽しさです。
そのギャラリーの2階です。
階下には高瀬川の涼やかな流れが・・・・。
菊川太夫はここから「道中」をはじめます。

このギャラリーのファンはどんどん増えています。
優れた作家を集めていることは無論ですが、古い町家の風情が人を惹きつけます。
2階では畳に置いた鉛筆が、何の躊躇もなく転がります。

各町内に祭られている地蔵さんです。
子供たちは「まんまんちゃん」と言います。そしておばあちゃんに連れられた子供たちが小さな手を合わせる姿がよく見られます。

そういえば、もうじき地蔵盆ですね。
地蔵盆が終われば夏休みももう少しでおしまい。
そのころには「ひぐらし」の鳴き声が聞けるでしょう。

この方は京都の方ではありませんから、少し観光スポットも歩いてみます。
浴衣の女性があちこちに見られます。

こうして街歩きをしながら写真を撮るという企画があってもいですね。
写真込みで1万円ぐらいではどうでしょうか。 高い?!
もっともそれでは私の写真をワクワクしながら撮る・・という楽しみがなくなってしまいます・・・・かな?
そんな需要は相当あるように感じますね。
どなたかどうでしょうか。 おやりになってみては。
- 2015/08/23(日) 00:40:00|
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どこの町だって浴衣を着て歩いて何の不都合もないのですが、特に祭りや花火大会でもないと、何だか着にくいような、・・・。
その点、京都や金沢や…ならば歩きやすい、その気になれる町はあるのじゃないかと。
ことに京都は、春の終わりから秋の初めまで、ほぼ毎日「浴衣日和」です。

ですから9月の4日になっても「水上浴衣撮影館」という企画ができるというようなわけで。
ただ本邦初・・・・ではないにしても「ききみずガーデン」企画としては初めてですので、どれほどお客さんが来てくれるものやら。
明日、23日は、菊川太夫の「道中」があります。
そこで、前宣伝も兼ねて、浴衣の方に出ていただきました。
街にこんな背景があるからこそ、写真にもしやすいですよね。
また着ている方にしても、しっくりするのでしょう。
かえってあまり京都京都した観光スポットより、一筋二筋「ろ~じ」を入った、普段の京都の風情で撮りたいものです。

今度の企画では「高瀬川」がキーワードです。
流れの中に床を作り、八つ橋をかけて、そこで撮影をするのですが、ご自身は流れに足を浸して撮ることもできます。
ですから珍しい貴重な体験ともなります。
この人の背後を流れているのが高瀬川です。

総絞りの浴衣なんて、贅沢ですね。

夏の雰囲気で。

ここも高瀬川沿いです。
浴衣で写真を撮ってみたいという方。
撮るのが私ですので、・・・・・・な、かたもおられるでしょうが、ぜひお誘い合わせておいでください。
- 2015/08/22(土) 00:00:12|
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「お尋ねします。あなた様の姓名は?」 とまあ訳せばそうなるのでしょうか。
まあ、一応中国語でたずねたのです。
「張です。」と日本語での返事。「ちょう」と日本語読みでのお答えでした。


吉林省の出身だという事でした。
東北地方の人たちの姿をよく見かけます。

来日したころはほとんどまったく日本語ができなかったのだそうです。
中国東北部の料理の味は、日本人多くにはいささか脂っこくて辛いです。 その上私にとっては香草が・・・・・。
この人は中国で料理の腕を身に着けてから、来日してきていますから、日本時の舌に合うような味付けを覚えることもまた、言葉を身に着けることと同様に苦労の多いことだったそうです。

先日、カウンターに席を占めて、この人に「 你好 初次見面 請多關照 」と話しかけてみたのです。すると、きょとんとして、お店の大将に「この人はなんと言ったか?」という風に助けを求めると、大将は「中国語で話しかけてるんだよ。」と説明していました。
私にとってはなけなしの中国語が通じないのでがっかりでしたが、日本人からは日本語が発せられるという意識で聞くので、戸惑ったのだとフォローしてくれました。

外国の人と日本語で話す時の私の日本語はずいぶんおかしな発音だと思います。
分かりやすく話そうとして、リズムも含めて何だかぎこちなくなってしまいます。

中国に短期間行っていた時に、ある建設労働者とよく目であいさつするようになりました。
私の帰国が迫った時に「飲みきれないワインが一本あるからもらってくれ」とワインをプレゼントしました。
するとその人が「ありがとう。」と礼を言ってくれたのです。
ぽつんとひとつの単語でも相手の国の言葉で気持ちを表現する、それがとても心に沁みました。
- 2015/08/21(金) 00:00:51|
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このストールいいですね。
というか、このストールが似合う人がいいです。

今日(書き込んでいる日のことです)も暑い一日になりそうなんですが、私はたっぷり汗をかいていいようなラフな格好で、水を凍らせたペットボトルを差し込んだリュックを背負って出かけるつもりなんです。 どうにも似合っていない帽子をかぶり、眼鏡には釣り人がつかう取り付けようのサングラスをして・・・・う~ん、こういう格好はどういうメッセージを発してしまっているんでしょうね。
いえ、つまり、ストールひとつで演出されるその人自身を思ったときに…という事なんですが。

こういう多彩なデザインができるという事は、無論デザインそのもの楽しさがあり、そこに浮かぶイメージの多彩さという面もあると思うのですが、と同時に、人を思い浮かべる能力の問題もあるのかなと思ったのです。
思い浮かべるというよりより積極的に言うと、その多彩なストールをつけているだろう多彩な人々を肯定的に受容できる能力というか…、それがすごいなあと思いました。

私が写真を撮るときに「好きなタイプの人を選んでとってるんでしょ?!」と言われるわけですが、そこにどれだけ広い肯定的な受容性があるかという事を振り返るわけです。
恋人探しをしているわけではないのですから、それぞれの生き方や、ふるまいをどう受容でき、リスペクト出来るのかという事が否応なく見えてしまうという事ですよね。

ただ、まあ個人史的に言えば、旧職では、そこに個人的バイアスをかけることを極力抑制・制限してきたものですから、今はこの写真を個人的な趣味にしている以上は「わがままの限りを尽くそう」という思いもあるのでして・・・・・。

まあ、こういうように一生懸命言い訳しているところに、いつまでたっても旧職の影が落ちるわけです。

さて、撮影はせっせせっせと進みます。
何しろ撮らねばならないストールはあまたあるのですから悠長なことはしていられません。
それでもモデルさん委は、ちょっとずつ注文を出して・・・・・。
- 2015/08/20(木) 00:00:21|
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ロケハンをしていろいろ想定してみるんですが、実際撮影という段取りになるとすこしずつブレていきます。
実際のフォトマヌカンを前にするとすこしずつイメージが違ってくるからでしょうか。
それにここでは何より主人公はストールですし、それに合わせて撮らねばなりません。

こういう機会を得られることも私のような写真愛好者にとってはうれしいことです。
職人たちが多くの仕事を繰り返すことで腕をあげていくように、撮る機会がなければ腕も感性も磨くことができません。
しかも撮る理由が少しづつ違えばそれはまたそれで応用力を拡大できます。

などと、分かった風に言葉では言っていても、実態はとなると・・・・・。

それでも楽しければうれしいというのが基本スタンスで、そこが老頭児の趣味の…ある意味…強いところです。
竹藪のボケはなかなかいい感じですね。

それにしてもストール一枚で、その人の雰囲気が違うこと!!
前にも書きましたが、服装の与える印象は重要ですね。
リュク担いで上がらない風采で人探しをしているのは少々考え物かもしれません。

でも、まあそれでこれまで多くの人が撮影に応じてくれて、今日またこうして撮る機会を得ているのですから、このセンスのないカッコウもまたある印象を作っているのかもしれませんね。 と、いつものように自己弁護。こうしてまた今日も進歩のない私でした。
- 2015/08/19(水) 00:01:20|
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何だか、お地蔵さんが仏師の手の中で誕生までの時間を完全に任せ切って安らいでいるように見えます。

仏像を見るときにいつも不思議だなあと思うのは、そのお顔と性別です。
お顔についていえば、結局衆生が求めるお顔になっていくのでしょうが、それが蒸留・結晶していくのが仏師を通してというところなんですね。
芸術というのがそもそもそういうものなんだと私は思っているのですが、問題はそれを具現するその人(の技)です。

象を彫るのに誰かをモデルにしているという場合ももちろんあるようですが、直接もモデルがない場合も、またたくさんあるでしょう。そういう中であの柔和であったり、何事か沈思している様子であったりする表情を形象出来るのはすごいことだなあと思います。

私たちは人の顔をずいぶんたくさん見ています。しかもかなり意識してみています。だって人の「顔色を」うかがわないと円滑な日常生活はできませんからね。
子供を育てている人は子供の健康や心持を顔の表情を観察することで読みとっていますし、多くの女性は毎日ご自身の顔を数十分丹念に見ています。

ですから人の顔を見る達人たちが、こぞって拝む仏像に何か不自然さ、歪みがあれば見逃すはずもなく、そこに作象の高いハードルがあるように思います。
えがお好きだという事で書いている趣味の絵描きさんたちの人物を描いた絵の多くが、まずその点で成功していないのはよくあることです。
難しんですね。

その点写真は苦労がない・・・・ように思えるのですが、だからこそその先に行かなくてはいけないのが写真の課題なんでしょう。
- 2015/08/18(火) 00:00:33|
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これまで、すでに2度、3度撮らせていただいている方です。
お邪魔でしょうに、いつも快く「どうぞ。」と撮影を承諾してくれています。

今回は、もうほとんど完成間際と言っていい、仕上げの段階でした。
地蔵尊を彫っておられます。
このお地蔵さんは、珍しく半跏の姿勢で、頭をわずかに傾けています。
よく見る地蔵さんに比べて柔和な感じです。

木彫では、長い時間、像を手の中に持っていますから手の油がついて・・・・却ってその油が効果的に働く素材もあるのだそうですが・・・・変色してしまうので、手袋をはめての作業です。

象を彫る工程の中で、どの段階が最も重要で難しいのか・・・と見学の高校生たちが質問していました。
「荒彫の段階だね。そこで腰や背骨などの骨格、体の傾きや肉付きが合理的にバランス良く彫れていないと、そのあとどれほど細密で注意深い仕事をしても、どこまでも落ち着きの悪いものにしかならない。」と話されていました。
だから、師匠が荒彫りをすると、その後の仕上げを弟子たちが分担するのだそうです。

「例えば指先の爪などを彫るのには、一定の仕方というものがあって、それを段取りよくきちんとやればある程度には彫れるモノなんですよ。そういうことは弟子がするんです。」とのことでした。
絵画で、デッサンが大切という事はそういうことでしょうね。
- 2015/08/17(月) 00:00:20|
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白い服ですから、ずいぶん色かぶりが分かります。
ルノアールですね。
実は、今月22日より高瀬川沿いの四条より下の地域で、面白いイベントが開かれます。
23日には菊川太夫の舞いや道中も行われて街を盛り上げます。
企画の名称は「ききみずガーデン」と言いますので、ネットで検索してみてください。
「ききみず」とは、「聴き見ず」ということだそうです。
催しは9月7日まで多彩に行われるのですが、9月4日は「誰でも水上浴衣美人」と銘打って、浴衣で来場された方の「写真を撮りますよ~!!」という取り組みをします。
そこで私が何とカメラパースンを務めるわけなのです。
で、この企画に多くの「浴衣美人」に集まっていただくために何か宣伝をしようという事になりました。
そこで事前に高瀬川四季AIRというギャラリーの窓にスクリーンを設えて、夜間、これまで私が撮りためてきた素敵な若い女性たちの写真をエンドレスで投影し、それで人の耳目を集めて、そのあいまあいまに企画の宣伝を入れようというわけです。
で、その何人もの素敵な人にこの人も交じっていただこうとお願いもしているのです。
当日「浴衣で来てもらえるとなお一層有難いのですが・・・・。」
どうもその日はお仕事が忙しくて・・・。
私の写真の活動は、すべてこうした人たちの好意で支えられているわけで、
ましてこうして、少しばかり足を運んだところでの撮影にまでお付き合いいただけた上に、宣伝にも写真を使っていいとおっしゃっていただけるのは、実にありがたいことです。
- 2015/08/16(日) 00:00:00|
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実際のところ私のような素人写真愛好者が、どなたかに、いわゆるモデルをお願いするのはなかなか難しいものです。
ましてこういう服を着てもらいたいだの、こういうシチュエーションで撮りたいだのという事になればなおさらです。
そういう『相方』に出会うことは極めてレアですし、幸運そのものという事ができます。
私にとっての、その幸運のお一人がこの方です。
目鼻立ちのくっきりしたきれいな方であると同時に、自分より人のために行動してしまうようなところのある人で、おそらくだからこうしてフォトマヌカンもお願いできているのだろうと思います。
ここは、以前から好きな場所でしたが、何をどう思ったのか桜並木の素晴らしい枝たちがあるときバッサリとことごとく切られてしまいました。
おそらく「危険」だからというようなことがあったのでしょう。
しかし、横に張り出した枝たちによってできていた長い緑のトンネルは、それは気持ちの良い光と風を演出する最高の場所でした。
足元の草たちもまた深い緑のじゅうたんを作っていました。
そんな昔話を聞いてもらいながら、 せめてあそこではどうだろう、ここならまだ我慢できるかなあと一緒に場所探しです。
どうやら、蛇が出そうだから怖いだとか、蜘蛛の巣があるからやめておきましょうという人ではないようです。
むしろここを背景に撮ってみてはどうですかと、草深いほうに踏み込んでくれる人です。
この白い服も私が無理をお願いして、あえて着ていただいているものです。
ご自分では不満があるようですが、ともかく何とか協力してやろうと思ってくれるありがたい方です。
AFに慣れきってしまっているのにマニュアルでf1.4とかで撮ろうというのですから、ピンボケの山を築きます。
道具に能力があっても自分の体に技がないというのは、どう考えたらいいんでしょうねぇ。
それにしても縁の広い帽子をかぶって…これも私のお願いなのですが・・・もらっているのですからやさしくレフを当てるべきでしょうね。
むろん、やさしくです。
この人は目が大きく見開く人で、それが一つの魅力となっていますが、ご本人にすれば夏の日差しはどちらを向い手も「まぶしい!!」のだそうで、目を開けていられないんだそうです。
順光では勿論、逆光でも曇り空でも日陰でも・・・・。
- 2015/08/15(土) 00:00:42|
- 人物
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作品には色が使われていますから、カラーで撮ろうかとも思うのですが、盃のエッジを際立たせて撮るためにモノクロを選びます。

しかし、そのためにはフォーカスをどうするかに悩まねばなりません。
アングルも探さねばなりません。

そこが面白いところなんですが、職人さんにとっては、雑音を増やして申し訳ないことなんです。
私の気配が邪魔になります。
しかし、その時に私自身がいかに気を入れて構えているかによって邪魔になり方が違うそうです。
観光の人がパシャパシャ撮っていくときよりも、かえってずっと集中できるとおっしゃっていただける職人さんもおられて、うれしい限りです。
それはフォトマヌカンと一緒に写真を撮るときと同じだなあと感じます。

お邪魔をする以上は真剣に撮る、それが「礼」だという事でしょうか。

こうした若い職人の姿を見るのもまた楽しみの一つです。
- 2015/08/14(金) 00:03:19|
- 陶器
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伝統工芸の行く末には不安な材料が山ほどあるけれども、若手が育っていないと言うわけでもない。
むろん何人かの人が何かの分野で工芸の技術を習得したからと言って、それでその分野が成立していくわけではない。工芸には道具や制作の環境やそれを求める人の文化力などなど様々な要素によって支えあって育つ。
職人がぽつんといるわけではない。
が、とにかく職人が育たねば・・・・。

私は、ここ京都伝統工芸館によく立ち寄ります。
素晴らしい作品を見られると同時に伝統工芸大学校を卒業した職人たちや学生たちの仕事が公開されているからです。

幸か不幸か参観者は引きも切らずというほど込み合ってはいませんから、案外ゆったりとお話も伺えます。
ただ、ここでは他の実演の会場に比べて、一層、熱心に集中して仕事をされますからシンとしています。
撮影をお願いする声も、つい低くなります。

それだけに撮る側の気持ちも集中しますから、私はここが好きなんです。
私が周囲に立って、あるいは座ってシャッターを切ってもすこしも意に介されません。
実はこの日持っていたレンズは50ミリですから、この写真からどれほど近づいているかお分かりかと思います。

最初の写真をご覧になってお分かりの通り、絵付けだからと言って筆で絵を描くときにだけ集中しているのではなくて、筆への絵の具の含ませ方、筆先の整え方・・・・すべての動作に集中と緊張が求められます。
- 2015/08/13(木) 00:01:17|
- 工芸
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おや、おや、どこに行っちゃうの?

あっ?! なんだ、そういう事か。
「猫が好きなんです。この猫ちっとも逃げないけど、相手もしてくれない。」

彼(彼女?)のほうが貫録があります。
「う~ん 折角のお休みタイムを。 そっちのカメラのおじさん、うれしそうに写真なんかとってないで、この娘を何とかしてよ。」

高瀬川沿いに市場から下がったところで今月下旬(8/21~)面白い企画が始まります。
23日には島原の菊川太夫の道中などもあり、その一環として9月4日には「浴衣」の人の写真を『撮ります』企画をします。
今日は、その打ち合わせもあるんですが、…この人もその企画に巻き込もうと・・・・・。
以前撮ったこの人の浴衣姿の写真を高瀬川の川底に沈めてミニ写真展もしようと・・・・私が密かに・・・・もくろんでいます。

「ききみずガーデン企画」と言います。
8月21日から9月7日までの企画ですが、いろいろ面白い企画が集まっていますので、ぜひお立ち寄りを。
高瀬川沿いのギャラリー高瀬川四季AIR が一つの拠点となっています。


- 2015/08/12(水) 00:03:45|
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旧職に就いていた時にはあまり『遊び』に行かなかったものですから、これといったお店も、よいロケーションも知らないのが仇となっています。
その中で、数少ない記憶の場所です。

今考えてみれば、なぜあんなに内へ内へと意識を仕事に集中させていたのかと反省されます。
その反動が今になって噴出しているのかもしれません。
口では「遊びをせんとや生まれけん」などと言っていても、結局飲みにも食べにも行かなければ旅行にもいっていないというわけです。

まあ、そうはいってもその旧職の経験が生かされてこういう活動ができているという面も大いにあって、また、仕事自体を後悔しているのでは全くないのですが。
21世紀第一四半期の日本の高齢者問題には社会史的になかなか大きな肯定的な意義が含まれているというのが私の持論なのですが・・・・中身無く言っているのでお分かりにならないと思いますが・・・・、この夏私が案外忙しいという事も、そうした流れにあるのだと見ています。
そいう事の証明に、この人に力を貸してもらっている・・・といったらおかしいかもしれませんが、たぶんこの人に説明をするとちゃんと理解してくれるだろう聡明さがこの人にはあります。

夏真っ盛りで撮ろう!!という意気込みで計画したのですが、曇りがちなばかりか、「おや?! 降ってきた?!」という雲行きです。


毎日忙しくしている人ですから「たまには息抜きで、いいです。」と言ってくれますが。

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- 2015/08/11(火) 00:00:44|
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日本にはたくさんの在日米軍基地がある。
そのうち133番目に作られたのが京都府京都丹後市宇川の「Xバンド・レーダー基地」です。
建設はなんと!!2015年に入ってから。 つまり日本に他国の軍事基地が今なお増え続けているという事なのです。むろん、返還されたものもありますが、その大半は編成替えによってライラに強化されているのが実情です。
現在参院で激しく討論されている「戦争法案」は、同盟国であるアメリカ軍が攻撃されたときに・・・日本が自国の存立が根底から危うくなったと判断した場合に・・・・米国軍とともに戦闘に入るという内容です。
そもそも世界第一に巨大軍事国家USAの軍隊の一部や一地方が攻撃されたからと言って、それが日本の存立が根底から脅かされるという事態を想定することは全く妄想でしかないと思います。第一何故そこまで米国と運命共同を意識なければならないのかと言うことです。
そこまで他国に依存する国が主権国家、独立国家と言いうるのでしょうか。 そういう対米依存、屈従外交をしてきた自公には自主自立、独立自尊の気概も政治的理念もないのでついに日本はこの体たらくです。日米同盟が日本の存立の基盤だといっていることがそれをよく表しています。
そうした流れの中で北朝鮮による米国のグァムやハワイへのミサイル攻撃を想定して、発射されたミサイルを即座に発見追尾し、その攻撃目標や着弾時機を解析するためのレーダー基地が日本に作られています。 その一つが青森の車力であり、またここで問題にしている経ケ岬宇川のレーダー基地です。
こういう施設を作って米軍と強固な連携を築けば某某国などの攻撃意志をくじくので日本は戦争に巻き込まれない…だから安全だというのが安倍君たちの主張です。
しかし、近代戦は情報戦ですから相手の探知能力を破壊することは真っ先の課題です。つまりはもっとも先に攻撃される施設京都に作ったという事です。しかも原子力発電地帯のすぐ横に。
こんな危険な配置ができるのは計画しているのが米国だからです。日本人の生命と安全に何の責任も負わない痛痒を感じない米国だからこそ最も危険な場所に基地を作ることができるのです。
(そもそも北朝鮮からのミサイル攻撃や特殊工作員の破壊工作があるとしたら、なぜ防ぎようもない若狭湾周辺に原発を一つならず建設し、また再稼働させようとするのかという誰しも抱く疑問に答えねばなりません。)
それを日米同盟の名のもとに住民を排除し、その疑問に答えず、不安を解消しようともせずに基地建設を推し進めてしまいました。
京都府もそれに加担したのです。
それをこの方は怒っているのです。抗議しているのです。

京都府庁の脇の歩道上に現地の写真や資料を並べて座り込んでいる若者たちが目に入りました。
ただ立っているだけでもめまいがしそうな酷暑の日にです。 二日にわたる抗議行動です。
その中にこの方が混じっておられました。

沖縄の人がどれだけ叫ぼうと本土の人は、対岸の火事です。 それと同様に
宇川の人が自分たちの不安や現実の危険が、ただ自分たちだけの問題ではないと、全土を巻き込む危険だと訴えても、直接に武装した米軍人と隣り合わせに暮し、高周波の電磁波にさらされる不安、他国の攻撃目標になる不安にさいなまれていると訴えても、
宇川に暮らす1600人の声は160万市民の耳にはなかなか届きません。

それでも粘り強く訴えます。
安倍政権が日本を戦争の瀬戸際まで連れて行こうとしているという不安は広範な国民に広がっています。
世界の警察を勝手に任じて、他国の政治に軍事干渉し、時に合法政府転覆の工作を平然とやる国と手を結んで、世界の警察の副官になろという安倍政治にNOを突きつけようという声は、点から線へ、線から面へと広がってきています。

沖縄・広島・長崎だけではなくオスプレーが配備されたり、原子力空母の母港となったりり、射爆場にされている町や村などの人々が、対米追随の安倍政治に「それはおかしい」という共通した声をあげるようになっています。
原発問題でも然りです。安倍自公政権の目は国民とは違う方向に仕向けられていいるという事が日に日に明らかになってきているからです。

少しでもお役に立ちたいので写真を撮らせてください。
それに、物事に正面から一生懸命取り組んでおられる方の写真を撮りたいのです。
と、お願いすると先ほどまで掲げておられた幕ではなくて「いつものやつを持ってくるから。」とこの
「アカン 戦争 」「のボードを取りにいかれました。
聞くと、「この方はどこに行くにもずっとこのボードを持っておられることで有名な人なんですよ。」とのことでした。
ある日思い立って衝動的に行動しているというような方ではなくて戦争に反対して地道に行動されてきた方なのです。

私の父もそうでした。

基地が作られる時に工事は午前6時半に始められました。
警官も米兵も基地を守って地元住民のほうをにらんで立ちます。
平和に生きたいという願いに向けて銃を構えます。 それは沖縄でも同じです。
今進んでいる「外国で戦争をする国への道」を食い止めるために猛暑の日差しの中で涼やかな確信に満ちた目で立つ人を見つけました。
- 2015/08/10(月) 00:02:43|
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方や、いわば商品見本を作りたいという希望、他方私は「人を撮りたい」わけなんですから、そこの折り合いが難しい。
商品紹介の仕方についても、人が複数寄ればそれぞれに意見や感性の違いがあるもので、ああしてみたら、こうしてみたらがすれ違ったり、ぶつかったり・・・・・。

まあ、私としては、そういうことも珍しい経験として楽しみます。

このストールは絹を素材にしている高級品が多く、しかも手捺染ですから、手間もかかっています。
多くは機械で染めたり、プリンターも発達しています。
このストールを制作している社長さんは「手捺染にこだわり」をお持ちで、とても感じの良いものに仕上がっています。

「若い人にもチャンスをあげたいので・・・・。」 もしこういうものをデザインしてみたいという人がいれば紹介して・・・とおっしゃっています。
いいデザインがほしいという事と、これをチャンスに育ちたいという若者が「ウィンウィン」でつながりあおうというわけです。

私はこの撮影にイアリングなどのアクセサリー作家さんの作品と、フラワーデザイナーさんのコサージュのようなものをコラボさせたいと思って計画したのですが、たまたまのことが重なって今回は実現しませんでした。
それは残念なことでしたが、人が出会えば力が重なって新たな動きが生まれます。

そのことは、今親しくして頂いている高瀬川四季AIRさんとの関係にも言えて・・・、そこのオーナーさんの人を結び付け、人を押し出す器量に促されて色々な方とお知り合いにさせていただいています。
8月23日には、高瀬川の仏光寺あたりを「太夫の道中」が行われます。菊川太夫が道中をするのですが、ギャラリー四季AIRを出て高瀬川にしつらえられた橋と床を歩いて川を渡り、そこから高瀬川沿いを下ります。
私はその時に太夫を撮ります。

そして9月に入れば浴衣を着て来場された方で希望される方々の写真を撮ります。
オーナーも集う人も肉体年齢は若いとは言えませんが実に意欲も好奇心も旺盛で、しかも長年培った知恵と技量とねとワークの力を持っています。

私は長い間組織していく方の立場でしたから、もうそれはちょっと御免・・・・という事なんですが、その一方未知の世界を垣間見せてくれる新たな人とのつながりの魅惑には勝てなくて・・・・。

今日、こうして、未だしたことがないことをしているという次第。
- 2015/08/09(日) 00:00:43|
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こうしたデザインのアイディアは「ジョギングしながら考える」んだそうです。
今日もどっさり持ってきておられます。

今日は猛暑日ですからモデルをしていただく方にはかなり酷です。汗もかけませんし。
色をとらえるためにも直射日光は避けねばなりませんが、こういうことも・・・・。
それにしても絞って撮ることをつい忘れます。

こういう業界ではよくあることですが猛暑の日に秋冬物です。
いい色のストールですね。

ストールひとつで季節が飛びます。
これまで多少の写真を撮ってきましたが、衣装それ自体を演出することはあまりできませんでした。フォトマヌカンをしてくれる人におんぶにだっこなんですから。
でも、こうして多くの素材から選んで演出できたら楽しいでしょうね。

この方は、以前打ち合わせでお会いしていますが、正面から撮影させていただくのは初めてです。
個人的なお付き合いもありませんでしたが、とても前向きな方ですので直に打ち解けていろいろな注文に応えてくれます。

まとっているストーによってその方の性格まで違って見えます。
なるほど服装は大切ですね。 人は外見で判断する・・のもあながち間違ってはいないのかもしれません。

決めたポーズでなくて流れのあるポーズで撮りたいのはいつものこと。

でも、こうして商品を見せないと・・・・。
- 2015/08/08(土) 00:01:30|
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私がいつものように「東回り」のギャラリー巡りをしているときのことでした。
唯心というギャラリーでストールの展示販売が行われていました。
「なんだ今日は絵じゃないのか。」と立ち寄らないで通り過ぎようと思ったのです。
しかし、「好奇心好奇心」とつぶやく脳内の声に促されて「苦手な色の勉強」のためにギャラリーに一歩踏み入ったのです。

そこには「さきら」という会社の新作ストールが所せまして展示されていて、結構な人気の様でした。

家族には残念ながらこういうものをお洒落に着こなすものがいませんので、「見るだけ。」のつもりで室内をブラリと回っていたのですが、ふと声をかけられて・・・・「どちらかというとストールをまとった方の写真の方に興味があって・・・・」
「写真を撮るのですか?」 と話が進んでいきました。

それで次の春夏物と秋冬物のウェブ用の写真を撮れないかという事に・・・・。
私は写真が撮れればうれしい・・という気持ちのほかに何かもっと面白い訴求方法はないだろうかと思ったのです。
写真については『人を撮るというのと商品を正確にかつアピールして撮る』のとではずいぶん違うのだろうなあと思いながらも
やってみるのも経験だ、 それにちょっと注目している作家さんをコラボさせて…なんて欲を出したのです。

当初、梅雨時に撮影を予定して二度順延をする結果となり、よりによって猛暑の日に撮ることになりました。
なるほど天候は安定していますが、一年で一番暑い毎日の中で・・・・・。

それを涼やかに撮らねばなりません。
そもそもい色を忠実に撮るというのは実に難いしものだと改めて知りました。
「さきら」さんの社長さんは手捺染のプリントを本業にしておられて、服地のプリントをする工場をお持ちなのですが「人からの注文で捺染するだけでは物足りなくて・・・・」 ご自身のデザインのストールを本業とは別枠で展開されているのです。
「まあ、ちょっと趣味の要素もなくはなくて・・・・。」

それで、アクセサリーとフラワーのデザイナーとのコラボも好意的に受け入れていただいて計画されていたのですが・・・。

人を撮る意識とモノを撮る意識との違いにも大いにまごついてまごついています。
2枚目の写真を見返していただけますか。 ストールをイメージアップするためにはこういうトリミングをと言われて・・・・、う~ん、どうなんだろう、とまごつきながらです。
新しく手に入れた50ミリをつけたのもいけなかったようです。
蒼樹さんにとっても、楽しめる写真を撮ってくださいという有難いお言葉なんですが、なかなかその余裕が出てきません。
私はついついストールの一般的な使い方からはみ出てしまうし。
- 2015/08/07(金) 00:02:30|
- 人物
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背面の液晶画面で撮った写真を見ていただきながらです。
「やっぱりアイフォンなんかで撮った写真とは違うね。すごくきれい。」と言っていただきました。
それはソニーさんとミノルタさんのお手柄ですよ。
でも今日は少し肌の色に赤みがかかります。新しいレンズの所為でしょうか。ホワイトバランスが悪いんでしょうか。

立っていただくと女性としては高身長でモデルオーディションで多い最低基準を越していますし、スタイルの良い方です。

こんな場所に立つとこんな風に映ります、と直射日光の下でなく日陰で撮りましょうという話をしています。
いわゆる半逆光の位置に立つと、正面にあるコンクリートの壁がレフ板の役割を果たしてくれます・・・が、レフ板ががんばりすぎます。

そして陰に入ると赤みが出てきます。
ポートレートを撮るときは少しハイキーにとって肌の色を白くすると女性に喜ばれますなんて大概の入門所は書いていますが、著者はそういう写真観なんですね、と思ってしまいます。

パラソルが青なので、青が被るからと言って調整しているのではないのに、こんなに赤くなります。ATで撮っているのでもないし。
私が理解できていない光の礎基本がまだまだたくさんあるのでしょう。

Tシャツを入れて宣伝に使えるような写真を撮ってみようという話になり、ちょっと簡単な試みをしているいのですが、この色味ではコマーシャル写真にはなりませんね。
今度、気合を入れて撮りますからぜひご連絡ください・・・・、というのはこの方をもう一度撮りたいというメッセージですね。

でも、この方がフォトマヌカンをすれば、おそらくとても感じの良いTシャツとアクセサリーのCM写真が撮れるように思います。


日向から日陰に入って適正露出で撮るとついシミやそばかすが目立ってしまうことがあるのですが、この方はそれがないですねぇ。
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- 2015/08/06(木) 00:01:53|
- 装身具
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「暑い暑い」と言っても涼しくはならないので
「今度暑いと言ったら罰金百円。それをためてみんなで飲みに行こう!!」
なんてことしてそうな?!職場の同僚同士。

シルクすくりーによるプリントやデザインをお仕事にしているそうです。
女性の方はアクセサリーも作られています。
話を聞き間違えているのかもしれませんが、職場では「紅一点」だとのこと。
お二人の話は掛け合い漫才みたいでした。
この日の暑さはこの夏のピークかという感じ。ここは日当たり良好ですから、暑さ満喫!!
若いからこそ耐えられます。

それにお二人ですから、時々交代で涼みに行くこともできそうですが・・・・。
「レディーファーストにする?!・・・それとも・・・・」と楽しそうにもめて、職場ではいつもこんな感じなんだそうです。
まあ大体こういう感じの掛け合いは女性が少し年上のほうがうまくいくような・・・。
「だよねぇ。」と間髪入れずにつっこみです。
暑い盛りの手作り市は出店を見送ろうという方が多いのです。ですから申込み自体が少なくて出展申し込みが相当ギリギリでもOKだったようです。
そりゃそうですよね。 今日はお客さんも三々五々。
そんなかなをいつものようにリュックを担いで店をのぞき込んでいると出展者とお客との、何というか、一種の連帯感というか・・・。 今日は出店していないという常連さんが様子見に来ています。やはり手作り市がお好きなんですね。

この方たちはこの手作り市には「本日初出店」です。
この日にあわせてTシャツも新作を。 普段のお仕事でもあるのですからお手の物です。
上の写真と下のを重ねてみると、お二人の会話の呼吸がうかがえるでしょ?!

普段の仕事の中で「ねえ、今度手作り市に出てみようか。」「そうだね、面白いかもしれないね。」「どンなもの作って出そうか?」などと話したか話さなかったか・・・・、でもここに至るまでに「ずいぶん暑いんじゃない?」「大変だよ。」「パラソルなんかどうする。」「いいよ、うちにあるから。」なんてことが・・・・・そうこうしてこうして本当に、自宅でクーラー、ガンガンにして昼寝でもしていたいような日に、普段の自分たちから一歩踏み出してくる人たち。
そういうことを想像するとつい「写真撮っていいですか?」という事になる。

「男の人の写真もたくさん撮ってますけど、男の人と女の人ではどちらが・・・・」「言うまでもないでしょ、…ですよ。」
「でしょうねぇ。」

などと言いながら、 でもそれぞれ撮るときのドキドキ・ワクワクが違うのですよね。 女の人を撮る楽しさで男の人を撮る楽しさを換えることはとてもできないのですね。
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- 2015/08/05(水) 00:01:53|
- 服飾
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この猛暑の日々にも手作り市はあります。
場所によっては甲子園のマウンド並みの暑さではないかと勝手な想像を・・・・。
この方も出店されていました。

暑いから、寒いから・・・・ではなくて、暑くても寒くても・・・です。
私などぐるっと回ってちょっと世間話をさせていただいて帰るのですから気楽なものですが。

その日一日が終わって撤収・片付けが終わったら、「ク~っ」と一杯やりたくなるんじゃないでしょうか。
そうでなくたって、やっていますから・・・いえ、私のことですが。
どなたかが言っていました。 「ビールがあって良かった。」
「ビールの発明家に乾杯っ!!」 で、もう一杯!!

私のミノルタの50ミリがボディーと相性が悪くなり始めて?!? ちょっとトラブル続きなのでボディーが悲鳴からダウンに変わらぬうちにと思って、やはりミノルタの50ミリを手に入れました。
年式が違うからでしょうか、発色や光との相性が違うように感じます。

古いレンズのほうがいい感じでしょうか。
早く慣れて使いこなしたいものです。

AFの感触はいいようです。
とにかく買い換えたくなるようなカメラが全くないので、このボディーを大切に使っていかねばなりません。
カメラメーカーももう少し写真を撮るという事に腰を落ち着けて良いカメラを作ってほしいものです。

たまたまユーチューブである海外の写真家のポートレートを撮るところご自身が紹介しているものを見つけて繰り返してみています。
カメラのスペックばかり事細かに口角泡をためてCがいいやあNがいいやらとやりあうのと違って、本当に光をどうコントロールして絵を作っていくかということが懇切に説明されていて参考になります。
日本のプロたちのものも探して勉強させてもらいたいですね。今のところ見つけられてはいませんが。
- 2015/08/04(火) 00:02:10|
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「お久しぶりです。」
昨年、北山の手作り市でお会いして親しくお話しさせていただいたのですが、その後しばらくご無沙汰でした。

少し環境の変化がおありでしたし、京都の手作り市では姿を見ることがなかったので、どうされたのかなとは思っていたのですが・・・。
引き続き京都以外の関西の手作り市には出店されていたとのことで、たんに京都は少し遠いという事の様でした。

今回久しぶりに、例の北山に出店されるという事で再開の機会を持ちました。
お元気そうで何よりです。 お互いですね。
それにしてもただでさえ熱い真夏に、よりによって京都で出店とは・・・。
私も後日の撮影のために下見にご近所まで出かける予定ではあるのですが、この時期の京都は…正直…近づかないほうが身のためかと・・・・。
せっかく京都に行くのだし、撮りたがりの蒼樹に会うのだからと、「浴衣で行こうかと思うんです。」といううれしい知らせでした。
が、「女心と夏の空・・・・夏空は太平洋高気圧が居座って安定しているはずなんですが・・・・」
ちょっと「違うかなあ」という気分になったんだそうで・・・・・、う~んがっかり。

ご本人は浴衣をやめたので写真には写らないおつもりだったのかもしれませんが、私はすでに「スイッチ・オン」状態ですので。
まあ、その辺をちょっと歩きましょう・・・・と言うかんじで、撮ります。
私が近づいた人は災難です。

私のブログはよく見ていただいているようで、アップされている写真について突っ込んだご批評をいただきました。うれしいことです。
女性の女性観察眼は相当に鋭く、深く・・・・私など到底及びもつきません。
女性はそういう女性の観察眼をして知っているので、私たち男性の知らない「作法」に心を配らねばならないのですねぇ。

私など殊の外そういうことに無頓着ですので、こうして撮らせていただいてもフォトマヌカンさん自身に随分カバーしていただいているのだろうなあと思う次第で・・・・。

女性はそれだけ細やかに観察していますし、また自分を注意深く演出していますから、男のぼんやりした言動のウソや裏側など簡単に見抜くし、ちょっとした服装や持ち物の変化などを見逃さないのでしょうね。
男な「うまくやっている」つもりで、いつも釈迦の掌の上の孫悟空なんでしょう。
- 2015/08/03(月) 11:48:12|
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一昨日皆さんからいただいた「拍手」によって拍手の累計が4万を超しました。ブログにアクセスしていただいた皆さん、拍手をいただいた皆さん、そして撮影を承諾していただいた皆さん、本当にありがとうございます。こうして継続してきて、写真を通じて何かやろうと考えることができるのは皆さんからのアクセスと「拍手」と、撮られてやろうというご好意があればこそです。
私の写真は革新的な手法があるわけでもなし、驚くような表現がされているのでもないのである種マンネリの面が無きにしも非ずです。が、私自身にとっては様々な方にお会いしてその方とほんのひと時向き合わせていただけることが、その都度その都度新鮮な感覚を感じさせていただけるからこそ続いているのだと思います。また、このことを通じて新たな人とのつながりも生まれ、実は先週もその出会いを通じて楽しい会に参加できたりしました。「人を撮る」という事は私にとっては生活のベースキャンプみたいなものになっています。これからも体力・健康が許す限り続けていきたいと思っています。今後ともよろしくお付き合いくださいますようにお願いいたします。 蒼樹 日差しこそ弱いですが、暑いのに長袖シャツを着せられて「フォトマヌカン」は大変です。

この、私も好きなお店の足元には小さな小さな入り江があって、こじんまりとした砂浜があって、母子が水遊びをしていました。
そこに背後の山のほうから細い細い流れが注ぎ込んでいて、、そこだけ湖水が「冷たい!!」のでした。
えっ?! そんなに? 「お~!! 確かに!」 ちょっと生ぬるいような琵琶湖の水がここだけキリッとしています。
初め「さすがにここまで北に来ると水も冷たいのか。」などと勝手に思い込んだのですが、どうやらこの小川のおかげだったようです。

もっと日差しがあれば、ざぶんと全身で水を浴びてもらうつもりだったのです、(で、服もそのためのものだったりして)が。
残念なことに今日はなかなかそういうテンションになれませんし、そうしてもらってもしずくの気持ちよさと輝きを撮ることができません・・・・からパスです。

冷たいものもお出しできませんが・・・・。
ここからの眺望は広々として気持ちの良いものです。
「今度天気のいい時にまた連れてきてあげるよ。」

気に入ってもらえたようです。・・・・・が、この人はなかなか忙しい人なので現実的に再訪があるかどうかは・・・・。


「一枚」を撮るために、たくさんの機会が必要なんですね。

私のブログは舞台の裏表です。
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- 2015/08/02(日) 00:00:09|
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