このギャラリー「高瀬川・四季AIR」(木屋町四条をさがる高瀬川沿い。仏光寺通り角あたり)で4月1日(水)から5日(日)までの期間に「摺師(すりし) 市村 守の世界」と銘打って展示即売会をします。
版木の実物も展示し、4月4日(土)の15時からと16時からの二度、市村氏自身の「浮世絵木版刷り」の実演があります。
会期中も木版刷りの体験もできるという興味深い企画です。 仕掛け人前川さんの誘いに乗って、私も念願の市村氏撮影がかないました。
浮世絵の摺師は現在では何人が残っておられるのか。

摺師はそれ自体、高度な技術を持った存在ですが、原画を書く人、版木を彫る人がいてこそですから、存続が難しい面もあります。
今回の展示では、ヒデ・カトウ(加藤晃秀)という方の原画に基づく作品も展示されます。
黒が印象的な素敵な作品です。
「神奈川浪裏」では、荒れ狂いしぶきを散らして砕けようとする波間を、小さな船がいまにも波に飲まれそうに翻弄されています。
その波の紺色が摺られました。

「カメラのことははあんたが詳しいか知らんが、今の摺にはまずいところがあった・・・・わからんやろ?!」
鮮やかに浮かび上がる絵を見て感嘆の声を上げた私への氏の鋭い指摘。
「色を変えて摺ってもらえませんか?
「しょうがないなあ、どれがいい? これか?!黄色のやつやな。
次第に熱を帯びてきます。
写真用に摺っている態だったのが、いつの間にか職人の妥協を許さない空気に・・・。

一枚ウン百円の高級な和紙を使いますから、
「(試し刷りを)気楽に頼まれてもなあ。」と言いながら気合が入ってきます。

もう私のことなどそっちのけですし、動画撮影をしていることなどすっかり忘れています。


「ほらっ こんなもんでいいか?!」
怖いお人じゃないんですよ。 冗談好きの、ダジャレも飛び出す文字通り「変なおじさん」でもある市村氏。

彼の摺る版画の魅力を一人でも多くの人に知っていただきたいと思います。
(ちなみに外国人向けに海外で制作されている観光パンフレットのいくつかにはこの「世界で一番小さな浮世絵博物館」と市村氏が紹介されているものがあるらしく、外国人の来訪者が多いのです。
私が訪問している間にもスイス人の女性二人連れと中国人の女性二人連れが立ち寄っていました。
「外人さんは買ってくれるんだが、日本人は買わんなあ。」も市村氏の口癖です。)
- 2015/03/31(火) 00:02:55|
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京都建仁寺の門前に、知る人ぞ知るという人物がいます。
浮世絵の摺師、市村 守さんです。(文部科学大臣認定 浮世絵木版画彫摺技術保存会 理事 摺師 という何やら難しそうな肩書きもお持ちです。)
しかし、反面『おかしなおじさんやろ』が口癖の面白い方です。
現代の浮世絵摺師として「浮世絵」のことを知ってもらおうと「世界で一番小さな浮世絵博物館」を開いておられます。

この摺師を「高瀬川・四季AIR]というギャラリーのオーナーの前川さんが光を当てようと汗を流されています。
この高瀬川・四季AIRで4月1日(水)から5日(日)までの期間に「摺師(すりし) 市村 守の世界」と銘打って展示即売会をします。
版木の実物も展示し、4月4日(土)の15時からと16時からの二度、市村氏自身の「浮世絵木版刷り」の実演があります。
会期中も木版刷りの体験もできるという興味深い企画です。
その展示即売会の会場に市村氏がご自身の南禅寺門前の工房で「摺り」をしている様子を動画で流し、一方・・・・無謀にも・・・私の撮った写真も張り出して市村氏の「摺り」の様子を知ってもらおうというのです。

私自身、以前「世界で一番小さな浮世絵博物館」の前で市村氏と話し込み、写真を撮らせていただいたことがあります。その際に「摺っているところを撮らせてくださいね。」とお願いして、承諾していただいたのに、いろいろ行き違いがあって実現していなかったという事情もありましたので
『撮る?!』という前川さんのお誘いに否やはないわけでした。

とにかくこの市村氏に仕事をしてもらうのは並大抵ではなく、今回の撮影も既(すん)でのところで「お流れ」になるところを前川さんの断固たる実行力で事が運び、こうして撮っているのです。
今、摺って見せてくれているのは葛飾北斎原画の富岳三十六景の一つ「神奈川沖浪裏」の富士です。
九版刷りですので版木(サクラ材)が9枚あります。
それぞれの版木で色を変えて摺るので「見当」をつけて紙を置きます。この時かなりの集中が必要です。

工房の作業台の周りには私の立てる場所はありませんし、普通であれば横からしか撮れないわけですが、
前川さんに同行して来ておられるNさんの大奮闘でこの場所を確保しているのです。

ですから二重、三重に得難い写真ということになります。(その割に・・・・という声が聞こえてきそうですが。)
- 2015/03/30(月) 00:00:38|
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左端が、飛び入りのはずだったTommyさん。
トロンボーンの実力者です。

この方は私が床に腰を下ろして下から撮っていると、「それ! これではどうだ!」と音と自分をレンズに向かってぶつけてきます。
これは初めての体験です。
が、
「これならどうだ」 「それじゃあこう撮る」とセッションしているようで実に楽しいのです。

この時、マニュアルフォーカスへの切り替えの暇がなくて、・・・・。

演奏者の立つ位置で明るさが極端に違いますから、露出の変更もすばやくしないといけませんし、ついフォーカスはオートを選択してしまいます。
するとこういう時に困っちゃうんですね。
経験を積むしかなさそうです。 先は長そうです。

COCOさんはメンバーを集めてオリジナルCDを出そうとしているのです。
CDジャケットに使える写真撮ってくれませんか?

若い世代のエネルギーにあおられて、私にも何かできるでしょうか。
- 2015/03/29(日) 00:00:06|
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リーダーでMCのCOCOさんが会場を巻き込んで盛り上げていきます。
「ビールが飲みた~い。」と叫ぶとお客さんからビールの差し入れが届きます。
いい反応です。

この会場もワンドリンク制です。 私も一人のお客ですから「じゃあ、生一つね!」ということで昼から飲みながらの撮影です。
これって癖になりそう!!
この色っぽいボーカリストは扶友子さん。

ベースのソロ。
好きだな。 私の好みとしては一番「ノル」かなぁ。

ドラマーは若干20歳。 イェーイ !!

音楽を撮っていると、ちょうど野球でバットの芯にボールを当てた時のような感触を味わうことがあります。
その球がどこまで飛んで行ったのか、行かなかったのかは・・・・私の腕・・が・・・・・、


フルートの安田さん。
ジャズ・フルートの楽しさを再確認させてくれました。
すっごい真面目青年です。

それがよく揺れて、音色もとてもいいんです、そのうえエネルギッシュ。
- 2015/03/28(土) 00:00:59|
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僕たち、またライブをします。よかったら来てください。撮影もOKです。
そういっていただいて、珍しく伏見まで出かけました。 いくつかのお店でジャズのライブをする「蔵Jazz」です。
・・・伏見にはいくつも酒蔵がありますからね・・・・

このバンドのリーダーCOCOさんが、「めっちゃ空気感掴んでる!!」と随分気に入ってくれて撮影のチャンスをいただいています。
「僕らアーティストとしては、こういう風に撮ってもらいたいというイメージがあるんですが、なかなか・・・、それで、うまく撮ってもらえるし・・。」
と、うまい写真ではないのですが、何か波長が合うのでしょうか。
Jazzを生で聞けて、それで写真が撮れる。こんなご機嫌なことはありません。
クラッシックも含めて演奏者のレッスンやライブを撮りたい…これもまた私の大きな希望なのです。
とにかくレコーのジャケットの写真を「最高にかっこいい!!」と思って育って来ていますから、それに自分が挑戦できるなんて!!
会場では動きが制限されますから,
24㎜から200㎜位でf2.8通しのズームレンズがレンズがほしいですね。

バリアングルの背面液晶画面などが歓迎されていますが、小さな液晶画面を覗いてチャンスをとらえるより、私はカメラをしたからあおって自分の目はライブから離さないようにして撮るほうがいいですね。
レールが頭を通っちゃたりしますが、空気はこのほうが感じやすい。

と言っても基本は体をできるだけ低く床をこするぐらいまで下げるということでしょうか。そしてあくまでファインダーを覗く。あまり合理的ではないけれど体感的にはやはりそのほうが性に合っているようです。
お客さんがいなければ仰向けに寝たいところですね。

次の機会には「撮影スタッフ」のカードを首から下げられるようにしましょうか。 そうしてライブの初めに紹介しますから好きなところから撮ってください。」なんて言ってもらいましたから、演奏者の背中や肩越し、演奏者の目線で撮るチャンスもあるかもしれません。そうなると楽しいですねぇ。

やはりこういうライブを撮りたいと思われる方は少なくないようで、商店街をカメラを持った人がたくさん歩いていますし、この会場にもお仲間がたくさんおられました。
そうした方々とも『持ちつ持たれつ』 互いの場所を譲り合い、頭を引っ込めて・・・・、
「おっ?! そこで行きますか!!」
バシャバシャバシャ と、連射のシャッター音が聞こえますと、なるほどねえと大いに学ばせてもらうことになります。
- 2015/03/27(金) 00:00:53|
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この人の絵は一点が会場の入り口近くに掛けられていたのですが、学生サークルでの絵としてはテーマに意識性があり、描写力も優れていると感じ意識に残りました。
さらに奥に行くとさらによく書き込まれ、しかし抑制のきいたタッチで描かれた秀作が目につきましたが、それもこの人の絵でした。
会場の何十点かの絵の中で私の目を引いた2点がともにこの人の絵だったのです。

たまたま受付をしていた女性に「あなたの作品は?」と声をかけると、何という偶然か、この人がこの絵の作者だったというわけです。
そこで絵の成り立ちや制作の動機をお聞きしたのです。
これまでもそうでしたが、偶然お会いして・・といってもお会いする場所や状況がすでに一定の必然的なものを胚胎していますが・・・・撮らせていただくチャンスをもらうのは、やはりある種冒険だし、危ういなあと思うのです。
それは世間的な『危ない』という意味ではなくて、人はそれぞれ外からはうかがい知れないとても微妙な人生のロープを渡っているからです。
そこに私が不躾に介入するのですから『危ない」のです。

写真についてはいろいろな考え方がありますが、「見る見られるの意味」をはじめずいぶんたくさんの十分に考えておかなければならない問題を持っているように思います。
私は人物を撮っているからなおさらです。
…でも、そういうことは写真(ポートレート)入門の本などには少しも触れられていません。
そんなことを言っていても私は「この人は若いかわいい、きれいな女性を撮るのを専門にしていて・・・・・」と紹介されるのが常ですから、本質は隠しようがないというか、見る人が見れば『見え見え』なのでしょうね。
まああえて否定はしませんが。

もう目の前は四月ですね。
そろそろ個展の時期と場所を決めなくては・・・・展示のコンセプトも。
楽しい個展にしたいなあ。今度は「飲み会付」にしようかなあ。

この人も「少しだけなら飲めます。」とのこと。
来てくれるかなあ。

おいしいものとうまい酒があれば…『芸術?』論議も滑らかになる。
けれどノンベイの彼奴が乱入してくると写真そっちのけで乱れるからなあ。

唇は「赤く」なったかなあ。
- 2015/03/26(木) 00:03:14|
- 人物
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桜の開花情報が聞かれるようになって、鴨川の堤にも人出が増えます。
もうそろそろ寒さから解放されたいなあと…でも今日あたりは寒の戻りの余韻が・・・・。

撮影のこの日は上着を脱ぎ、袖をまくりたいような陽気です。
それに浮かれて外に出ました。

この人の絵を見せていただいたことをきっかけに「フォトマヌカン」をお願いしました。
「カメラを向けられるのが苦手で…。」とおっしゃっていたので
「そういわれるとますます意欲がわきます。」と・・・。
すると『こうして声をかけていただいたのも何かの『縁』ですから・・・」と承諾していただいて。

教育学の分野に「レディネス」という概念があります。
私たちは人生のときどきに何か変化を受け入れるというか、新たな状況に踏み入ることを『縁』として受容できるような「準備された状態」になっていることがあります。
それを意識的に生かせるかどうかは別ですが、好機を好機としてとらえることができる可能的態勢とでもいうのでしょうか。

好機に対していつも半歩引いてしまうことが多かった私は「チャンスの後頭部は剥げている。」「豚はおだてを梯子に木に上る。」をモットーにして自分を好機に一歩踏み出すように励ましているところです。
それで個人史的なレベルでいえばいくつか「ワクワク」が広がるようになりました。

それで膝をすりむいてもいいじゃないか、肩をぶつけてもいじゃないか・・・と「加油」

それで、今回のチャンスを得られました。
「よくぞ掘ったり 老いたるモグラよ。」
- 2015/03/25(水) 00:03:08|
- 人物
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京都左京区の岡崎公園。
京都市立美術館や国立近代美術館がある。
都メッセという産業振興のための建物もあり、そこでは職人さんたちの実演や舞妓さんの踊りなども見られる。
そこから帰るときにはよくこのお店の前を通る。
フランス料理を修行したお店のマスターは、…私の好みでいうと…「焼」の感性がすごい。

今年に入ってお店を改装され、待ちかねた今月20日に新装開店となった。
北区にあって30年以上通ったお店が、最近の私の生活圏の変化によって少しずれてしまったために「おいしいものが食べられない。」状態が続いていた。
それを救ってくれたお店の一つ。

私がお店に立ち寄るのはいつも昼食時を幾分過ぎたころ。
それで比較的お客さんが少ない時間帯なので、ついお話を伺うことに。

私は小遣いが厳しく制限されている状態なので、いつもメニューの大半を我慢しなければならないのが辛いのですが・・・・。

肉料理ではソースが重要な役割を果たすのは論を待ちませんが、欠くことができないのが「焼き」の具合です。
初めてこのお店で食事をした時にその焼き具合が私の舌を大いに喜ばせてくれたので、つい厨房の奥のご主人に声をかけたのです。

以来、私のぶしつけな質問にも快く答えていただき、楽しい食事のひと時をいただいているのです。

私は料理の写真を撮ってご紹介する趣味を持ちませんので、やはり、この写真です。
これからもおいしお料理をよろしく。
- 2015/03/24(火) 00:01:09|
- お店
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このライブは、「西院JAM」というイベントの一環だそうです。
こういう『イベント』を企画し実行する人たちの意識と行動力も注目したいことの一つですね。
学校の学園祭のような、既存の枠はないわけですから。

平安神宮の南に東西に走る仁王門通りと言う道があります。そこから疎水が南におれて流れる川があります。
その川の流れの中にオブジェを据えて展覧会をしようという企画が実行されていました。
私は宗さんや小森さんや・・という方たちの作品が展示されているということで見に行きました。が、こういう企画を立ち上げ実現していく方たちのエネルギーには感心させられます。・・・・・ちなみに、キシ カスケという方の作品は奇抜とか斬新とかいう感じはなかったのですが、その存在が悠揚迫らぬ自信に満ちていて、しかも川底とその流れという環境をすべて作品に取り込んで、ただ大きいとか重い石を使っているからというのではない存在感を感じました。 一頭、地を抜いている感じがしました
この企画の中でのこの方の立ち位置からくる風格かなと、勝手な想像もしてみました。
閑話休題。
こういうバンドでの女性ボーカリストには「女王」の風格が似つかわしい・・・。

音を聞かなくちゃ、という気持ちがありながら、気をとられてる場合じゃないという脳内の声も・・・・。
難しい~~。

しばしカメラを置いて曲に身を任せて空気を感じるようにしていると、目の前に素敵な絵が突然現れ逃げ去っていく・・・、とっさに遅れてカメラを取り上げる潔さのなさ・・・。
24ミリレンズで、もう50センチ前に出て撮ったらどうだろうか・・・・。

今日は「責任上」縦位置グリップの中に予備電池。だから「重い」!!
最近マウスのクリックのし過ぎとカメラの重さとで右ひじが悲鳴を上げている。夜も痛みで目を覚ます。
だからブログにアクセスしてくれた方々のブログを見に行くのも控えなくてはと・・思うこのごろ。
この重さのカメラを持ち運べるのも…いつまでかなあ・・と。
これを使えなくなったら、いいファインダーのカメラがないし・・とカメラを見直す。


西院JAMとこのバンドを結んだ方?がサックス奏者として登場。
このj距離ですよ、この距離…などとつぶやきながら。

私はJAZZだけでなく音楽全般にも知識が乏しいですし、たくさん聞いているわけではないのですが、ブログをアップするときなどJAZZやBossa novaをBGMにすることがよくあります。 そうすると写させていただいた人たちの人生との瞬間的交わりの意味というか感慨がぐっとくるときがあるんですね。

- 2015/03/23(月) 00:00:04|
- 音楽
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「出会いが大切」とはよく言われることですが、まさに・・・・。
このバンドのギタリストとフルーティストが三条大橋の近くで路上ライブをしているときに、初めて出会ったのです。
それ以来のお付き合いです。

以前も、あるパブでのライブの際に声をかけていただき、今回はフライヤーなどに使いたいのでと声をかけていただきました。
夜ですし、正面からスポットが当たっているというような照明でもなく、会場は広いとは言えない場所ですので、私の腕では難しいなあと思いながら、撮って学ぶしかないと・・・・。

バンド名を「Rego」といいます。
今日のこの人たちの演奏のワクワク感、楽しさを撮りたいと、自分自身この環境を楽しみました。
「依頼を受けている」というのはこの場所で…最前列で…うろうろすることができるパスポートになってはいるのですが、演奏前には、周囲のお客さんに「撮影しますので目の前をうろうろさせていただきますが、お許しください。」とご挨拶。
それでも大きな移動は曲の合間に、そしてできるだけ視界の外からを心がけます。

ボーカルやソリストがいる場合にはどうしてもそこに焦点が当たります。
ですが、他の4人の表情や動作も同時並行的に注意しなければなりませんし、曲の流れを意識もしなければならない・・・・プロってすごいなあと思う瞬間です。
ましてフライヤーに使うかもと思うと・・・・。

演奏者は演奏するばかりではなく会話で会場の空気も高めていきます。
これは結構難しいと思います。
学生たちのバンドなどでも、曲の合間に一人か、あるいは二人が掛け合いで話をしますが、これをその時に臨んでアドリブでやれると甘く見ている節が感じられます。
一つ一つの曲は随分と時間をかけて練習し完成度を高める努力をするのが普通ですが、「しゃべり」はその場の雰囲気、会場に集まった人に応じてなどと熟練した人にしかできないことを、いとも簡単にできると思い込んで『滑っている』ことがよくあります。
語りも含めて人ステージを作品とは考えないのでしょうね。
その点この人たちは経験がものを言っているようです。

ライブの良さはお客さんとの生きた「呼吸」ですよね。
お客さんが演奏者の良い演奏を引き出す。 その点、ちょっとまだまだお客さんが大人しいかなあ。

- 2015/03/22(日) 00:02:06|
- 音楽
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このランプシェードがいい感じです。
ここは前日と同じ京都文化博物館を中心に行われているアート・フリーマーケットの会場です。

「えっ?! あの公園の近く? 以前から、この家では誰か作家が活動してるようだけれど、と気になっていたあの町やなの?」
私が自転車を走らせて京都市内の北部を目指すときによく通る道沿いにその工房兼ギャラリーがありました。

活動しているのは作陶家らしいのですが、間の悪いことに私がのぞこうとすると「クローズ」だということが続いて、しばらく関心の外でした。
この人はそこに合流しているようなんです。 リーフレットにある写真を見ると「こんな風にこぎれいになっているの?!」と少々失礼な感想が口をついて出てしまいました。
北区の千本北大路にほど近い場所です。 金閣寺から近いというほうがいいでしょうか。

私の家とは…日本国全図で見れば…同じ場所というくらいのところです。

今度、工房にお邪魔させてください・・とお願いしました。
この会場には京都、関西圏だけではなくて、遠い他県からもたくさんの方が出展されています。
他の手作り市でも同様ですね。
そんな中で、ごく身近な場所で活動されている方に出会ってお邪魔するチャンスを得られるのはまたうれしいことです。

若い作家たちがお互いに共同して刺激しあい、支えあって活動している様子が見えてきます。
こういう世界も気楽に飛び込めるような優しい世界ではありません。仲間、ライバルの存在はとても大切だと感じます。
大きな職場でも同僚がそういう存在だといいのですが。
- 2015/03/21(土) 00:01:05|
- 工芸
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京都アートフリーマーケット 2015春
会場は京都文化博物館とその周辺。 回を追うごとに出店者が減り、出店ジャンルの多様性が乏しくなっているような気がします。主催者の工夫と奮闘を求めたいですね。
出店希望者や参加者の要求をもっと丁寧に聞き取る必要があるのかも。
そんな中で、・・・・。
妖怪画の蘭陵亭さんと「なみまにさんかく」というユニットとのコラボ・ブース。
テーマは・・・・「妖怪」

傍らに「あなたのお好きな妖怪を言って・・」と、希望を聞いて描きましょうというライブ・ドローイングのコーナーが・・。
水墨です。
水彩を勉強されたんですか?・・・・…いえ、どうもそうではないらしいのです。

つい先日は仮面パレード、今日は「妖怪」
実は、仮面パレードに参加されていた「なみまにさんかく」のうちのお一人が今日の出店を教えてくれたのです。
もともとこのアートフリーマーケットは覗いてみるつもりでしたから、・・・。

その「なみまにさんかく」さんのお一人は、・・・。
先日は仮面の下に素顔を隠し、今日は稲荷の狐になって私を幻惑してその正体を見せません。

たまたま建物の中庭にブースを得たこの人たちですが、建物の陰になって「寒い!」のです。
・・・・建物の南側は暖かなんですがねぇ。
今日を含めて三日間の出店ですが、風邪をひかなければよいのですが。

京都では一条通の商店街が大将軍神社を中核に「妖怪ストリート」となって町おこしをしています。
そこのイベントにも参加しているようですし、随分いろいろな場所の様々な企画に妖怪に扮して活躍しているようです。

こういう妖怪や変身には、どうやら見るところ「女子」の参加が多いように思います。
いかがでしょう。
狐に扮した「なみまにさんかく」さんは撮影所の衣装スタッフとしても活躍されていますから、これからいろいろ教えてもらおうと思っています。
- 2015/03/20(金) 00:00:07|
- 絵画
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「仮面」
家庭で、職場で、趣味の集まりで、地域の会合で、飲み屋の片隅で・・・・人はそれぞれ仮面をかぶる。
時に「本当の俺は・・・・。」なんて呟いてみる

この会場で、「玉ねぎ」が頭になった「人物?」の絵を展示されている方がいた。
仮面を剥いでも剥いでも、「本来の自分」が出てこない。 本来の自分て?!
剥がれ落ちたその全部が自分の本来の姿?

私は「蒼樹」の仮面をかぶって街をふらつき、人に声をかける。
「あなたを写真に撮らせてくれませんか?」
本名の自分と「蒼樹」としての自分は違うのか違わないのか。もし違うとしたら何が違うのか。

パレードをしていて、「『仮面』と聞いて、そのノリで祭りのように楽しく騒ごうという人と、「仮面とは?」と深く考えてしまう人と、人は二種類に分かれるかもしれませんねえ。」という会話が耳に届いた。
何かを伝えたい、何かを分かってほしい・・・・それを言葉にしにくい、出しにくい。 そんな時に「仮面」は役に立つ。
自分を隠して表現できるから?
いやそれだけじゃない。自分の思いを拡張して、より鮮明にして表現できるから。

ある人の写真を撮るということは、その人からある仮面を引き出す(あるいは僭越な言い方になるけれど『もう一つの仮面を引き出してあげる』)ことかもしれない。
ふと、そう思った。 そして案外このことは事の本質に迫っているのかも・・・・と。

この仮面をかぶったラショウさんの踊りを見て「涙が出てきた」とつぶやく方が一人二人ではなかった。
この悲しみ、悶えは現代の私たちの根底に沈殿している。
あまりに不条理な世界で心の澱となった悲しみや悶えがラショウさんのお踊りによってかき回されて浮き上がってくる。
そしてその悲しみや悶えを生み出したものに対する怒りや抗いの気持ちもまた静かに青く燃えてくる。

これを福島で、永田町で演じてほしいと、そう思った。

私たちはもっと深く哭かねばならない。
- 2015/03/19(木) 00:03:24|
- パフォーマンス
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ご自身で制作をした仮面をつけるのですから、仮面に込められた思い、イメージはまさにご自身の体の中にあるわけで・・・・。

それにしても、ある時ある場所で、その機会に応じて表現するというのは並大抵ではかなわないことだと思います。
シナリオがあり伝統的な所作があるというのならば再現芸術としてある程度コンスタントな表現が可能かもしれません。が、二度と繰り返されない所作で、つまりはアドリブなのですから、ご自身の気持ちを高めイメージを創出するために集中するのは大変なことだと想像します。

ある意味で会場の観客の空気が担う割合も相当に大きいのではないかと・・・。
ですから、観客を引き寄せ、観客の空気を濃くする力といったものも相当に求められるのではないか・・・。

人は不思議なものだと思います。
ある別のギャラリーで若い女性の心情…かなり乱暴で、攻撃的で、自棄的な・・・を描いたイラストが展示されていました。 オーナーさんが、その作家さんは、「ごくごく普通といったおとなしくて礼儀正しいかわいい女性ですよ。」とーさんが教えてくれました。
仮面をつけて感情の激しい高ぶりや沈潜を表現するラショウさんは、やはり異様でも変哲でもない普通の方に見えます。

そういう方が仮面作りで仮面に込め、仮面つけた姿をとることで表出する感情のエネルギーはなんと大きなことでしょう。

この広いとは言えない空間で演じられる舞踏に10余人の観客は釘付けです。

踊りが終わると拍手喝采で鳴りやまず『アンコール』の声が重なります。
ラショウさんは仮面を換えます。

壁にかかっていた時には発していなかった呻き、すすり泣き、嗚咽、号泣・・・がほとばしり出てきます。
うがたれた空洞はほからぬ口であり喉であり、肺に通じる慟哭する洞となります。

体が「面」を突き動かし、「面」が体を揺り動かします。
求め合っていたお互いがお互いを得て存在の意味を獲得するように感じられました。
- 2015/03/18(水) 00:00:25|
- パフォーマンス
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イタリアのベネチアでは2月に仮面カーニバルがあります。
その仮面カーニバルを模して日本のこの京都でも仮面を着けて練り歩こうという企画が「小さいおうち(リトルハウス)」を拠点に今年も行われました。
第3回でした。 あいにくこの時期は天候に恵まれないことが多く、1回目、2回目と同様にこの日も雨模様でした。
企画の全体は 「仮面総・京都展」と銘打って関東・関西の45人の作家の作品が展示され、その一環としてギャラリーから四条河原町付近まで仮面をつけて練り歩きました。
その企画に仮面の作品を寄せ、また仮面舞踏を演じて参加された「ラショウ」という方がいます。
その方の作品にはこのようなものがありました。

こうして展示されている状態ももちろん鑑賞できるわけですが、何よりこの方のオリジナルの舞踏の中でこの仮面たちはまさに生命を吹き込まれ異彩を放ちます。

これからパレードですので準備をされています。
この会場の2階で仮面づくりのワークショップが開かれていて、参加者はご自身が作った仮面をつけてパレードに加わるという段取りです。

今日このパレードの様子を撮影するプロのカメラマンがおられますから、私は単なる賑やかしです。
雨模様の相当に暗い日の夕方ですから、そこで動くものを撮るというのは私にはずいぶん荷が重い課題です。
でも、そういうチャンスをもらえたのですからせいぜい楽しみます。
私たち二人のカメラマンも仮面をつけて歩くことになりました。 こういうことが大の苦手な私ですが、参加した勢いで仮面をつけます。ただし頭の上にちょこんとかぶるという中途半端な装いですが。
パレードから帰ってきてレセプションです。
自己紹介が一巡して、最後にラショウ氏が踊ります。


仮面の目の部分にはガラス玉がはめ込まれていますから、視野は相当狭いと思いますが、
「いや、視野は狭いほうがかえっていいのです。そのほうが気持ちを集中し、入り込めるのです。」

本業はゲームソフトに関することなのだそうですが、仮面の製作やダンスをされてきているそうです。
ダンスはこの人のオリジナルで、いわば即興です。ですから、二度と同じものを演じられないわけですが・・・。

仮面をつけて音楽とともに体を動かし始めると、すぐさま先ほどまで私たちと楽しく笑顔で歓談していたラショウ氏は消えていなくなります。それは不思議な時間と空間の断絶です。
そして物体として眺められていた仮面が突如として呻き、ほたえ、相貌をゆがめるのです。
- 2015/03/17(火) 00:01:23|
- パフォーマンス
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今月末になると、私がこのブログをはじめて満4年になってしまいます。
この間にはいろいろなことがありましたが、とにかく『人を撮る』ということが私に開いてくれた世界はとても魅惑的なものだったことは間違いがありません。
先日ある方から「どういうことでこのブログを始めたのか。」と問われました。
まあそれほど明確な目標や目的があるわけではないのですが、世の中には誠実に物事に取り組んでいたり、ワクワクとする人生を切り開いていたりする人がいます。
私自身がそうでないから、そうした人たちにお会いしてその空気だけでも分けていただこうというのが目論見の一つでした。

文字通りそうした方たちにお会いしたことの「お蔭様で」、中国の学校で少しばかり働いたし、写真展などもしてしまいました。
今できつつある交友関係も以前には全く想像できない種類のものです。

先日、ある若いジャズメンから写真撮影を依頼してもらいました。その際に「期待に応えられる写真を撮れるかどうか。」と返信したところ、「『こんな写真とって欲しい』という思いでお呼びしているのではなくて、 蒼樹さんの感性で、蒼樹さんの思い通り撮った写真が好きなんです。なので好きに撮って下さい。その中から僕たちが使いたい物を使わせて頂きます
お互い即興的な物を作品と認識している性質上、「どうなるかわからない」ドキドキ感、期待感、を楽しみましょう。」という本当に素敵な返信をいただきました。
私はこういう若者たちに励まされています。

20代前半の方から80歳代の方まで、ずいぶん広い年齢層、異なった分野の方々とお話してきました。
本当に知らないことが多かったなあと思います。

今年の個展はいまだに日時も場所も決めかねています。
でも、します。
私の個展を見てどんな写真を撮っているかご存じの方でも、私を紹介いただくときに「若いきれいな女性ばかり撮っている人間だ」と言われることが少なくないので、この際、次回は「若いきれいな女性ばかりの写真展」にしてもいいかなとも思っています。
そうなれば、ぜひ兵庫県のCさんのお力もお借りしたいものです。

先日、仮面パレードにくっついて撮影をさせていただく機会がありました。またその際には「らしょう」という舞踏家の演技を撮らせてももらいました。
自分の撮る力の未熟さをいやというほど思い知らされました。
でも、もうこの年ですから、自分には才能がないとか、挫折だとかいうことを考えるような若さはありません。その点は安心です。
こういうことを経験できること自体がラッキーなのですから。
もうじき桜の開花が話題に上ることでしょう。
そうして私の時間的な節目が一つやってきます。
次の一年も、また楽しくワクワクするものにしたいものだと念願しています。
- 2015/03/16(月) 00:02:12|
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(本文と写真には何の関係もありません。文中に登場する人物および人間関係、組織・団体名は架空のものです。) じゃあ、そろそろ腰を上げようか。
川を挟んで向こう側にちょっとしゃれたイタ飯屋があるんだ。
ぼくの味覚からするとちょっと塩辛い気もするが、まあ一度行ってみてもいいかなとおもうよ。
いいワインも置いてるから。

おいおい何をはじめちゃったんだい?!
そんなものを見つけて。
それかい? それはね整経といって織機に経糸をはる前に糸を決められた長さと本数に整然と並べる仕事があってね、その仕事をされてる職人さんからいただいたんだよ。
なんでもそうして整経した糸の切れ端なんだそうだ。
僕が根掘り葉掘り話を聞かせてもらたときに、あんたが気にいったから上げようって・・・・。

きれいなモノだろ。 生絹だからね。 軽く握ってごらん。 ギシッ というか ギュっというか音がするだろ。 そこが化繊と違うところさ。
えっカセン?! 化学繊維。 こういう言葉最近使わないかなぁ。

光沢もいいだろ。 綾ちゃんは着物は? 成人式には着たの? 今度の卒業式は?
和服を着た写真は持って行ったほうがいいなあ。何かと使えるよ。
僕が撮るの? 卒業式は何時?
そのころは僕はホーチミンだよ。残念ながら。
お父さんが例のドイツ製カメラで撮ってくれるだろ。それにあいつのことだから写真館でも撮れっていうだろ。 そう、やっぱり。 ついでに彼らも二人並んで、いや三人でかな、撮るといいんだ。
えっ、 いやだって?! そんなこと言うもんじゃないよ。 そういう小さなことが親孝行というものだ。
貴ちゃんだってたまには着物を着たいだろ。
いいよいいよ、それも上げるよ。
僕のものを引き継ぐものは誰もいないんだから・・・・。

え?! 何か作ってみたくなったって?
イタリアにもいろいろな工芸品があるから、行ってみているうちにそういうものを生かした何かを作って見たくなるかもしれないね。
元来、イタリアも生糸の織物生産が盛んな土地柄だったんだから。
なんだ、なかなか腰を上げないなあと思ったら、今度は下でごそごそ始めるし。
そういうことか。
まあ、ちょっと時間も早いから軽くね。

よく見つけたね。
一升びんは出したままだからすぐにわかるとして、・・。 ああ、大家のおばさんに聞いたの?! 下に来てたんだ。
ここを借りるようになってもう長いから、おばさんなんでも知ってるし、無ければすぐに持ってきてあげようという人だから、・・ありがたいよ。僕のような身には。
おばさんは、君を見て驚いていなかった?! ここに女性が来ることはまずないから。
で、君は何て答えたの? え~っ あの人はそれを信じるような人じゃないけど・・、 笑ってたろ?!
おばさん、長いこと花街にいた人だから、人を見る目は確かだよ。 君が少し頑張ってお話を作ってもね・・・・。
その酒はね、なかなか切れのあるすっきりとしたいい酒なんだよ。うまみもあってさわやかな香りもしてね。米の精という趣の酒だよ。 ちょっと減っているのはあの大家さんと一寸ね・・・飲んだから・・。
ワイン、ワインていうけれど、日本の清酒も決して捨てたものじゃないからね。いや勝るとも劣らないというのはこういう時にこそ使う言葉さ。
ただね、国税庁が無茶苦茶をして日本酒文化を衰頽堕落させちまったから、・・・、それが地方の蔵元の頑張りで、またようやく息を吹き返しつつあるってところかな。
そういう意味では、ワインにはまだ遠く及ば面は認めざるを得ないけどね。

じゃあ、君の卒業と、写真家への前途を祝福して軽く乾杯しようか。
イタリアへようこその乾杯はまた楽しみにとっておいて、・・。

どんとはらい
- 2015/03/15(日) 00:00:20|
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(本文と写真には何の関係もありません。文中に登場する人物および人間関係、組織・団体名は架空のものです。) ところで美大は楽しめたかい。
外国の美術館や芸術系教育機関と日本のを比較してみたいという気持ちもあったから、君がいるうちに大学に入り込みたっかたけれど、機会があまりなかったね。
君の留学もあったし。

あの留学でもロンドンを拠点にずいぶん大陸のほうを回ったって言ってたね。
美大にいたんだからイタリアかフランスか、それともアメリカかと思いきやロンドンだから驚いた。やっぱり法学に未練があるのかと。英米法と大陸系の法律の比較でも勉強しているんじゃないかと。そうじゃなかったんだね。
貴ちゃんの大学時代の友達がロンドンで教えてたんだよね。知ってる知ってる。会ったこともあるし。
それでイタリアに来るときに、なぜタイミングよく僕がいてくれないんだって・・・・。

貴ちゃんも盛んに「案内してあげて」なんて言ってきたけど、あのころはラテンアメリカのほうに目が向いていたからねぇ。
アメリカの裏庭から脱していく中南米諸国の様子は世界史的に大きな意味を持つのに、日本ではほとんど報道されない。
脱アメリカ現象だから日本のマスコミには視野の外なんだね。経済的つながりも細いし。
IMF的緊縮財政の押し付けと、新自由主義が見事に反撃を食らっていたからなおさらかな。
あのころからきっちりとこの経過を報道してれば今のギリシャ問題の扱いは、もっとずっと違っていたに違いないんだけどね。
借金してるほうが居直っちゃまずいでしょ見たいな軽薄な論評じゃとても世界史に耐えられないね。

僕は報道カメラマンじゃないから、違うアプローチをするけれど、日本のマスコミやジャーナリストはあまりにも勉強不足で鈍感だね。アメリカを通してしかものを考えられないからだろう。
いわゆる左翼勢力でも、しっかり中南米に目を向けているのは共産党ぐらいじゃないかな。沖縄辺野古基地問題でも同じだ。
日本の知性そのものが全体として劣化が激しすぎるように思うね。

外国に出たら日本人の意識や政治のスタンスがいかに国際的感覚のないものかよ~くわかると思うよ。
それは芸術の世界、もちろん写真もだけど、主体性に乏しく、普遍性にも欠けると言うことがいやと言うほど分かる。
そういう目で自分を振り返るから、時々、暗たんたる思いになるね。
だから、君がしばらく海外で勉強したいというのは大賛成だね。ただ、それがイタリアだと・・・・。
いや、迷惑ってわけじゃないよ。 そうじゃないが。 ・・・・・。

まあ、もうイタリアに行くということは決まってるんだし、これからいくらでも話す機会があるんだから、この話はこれくらいにして、そろそろ出かける準備をしようか。
あっ! そうだそうだ。 あいつが家に残せる写真を撮っておいてくれと言ってたから・・・・。
ほらその窓に掛けて・・・。

そういう本を外国にもっていって、時に引っ張り出して読んでみると、予想外の感慨があったりするよ。
生まれ育った国の文化は良くも悪くも、僕らにはもうしみついているからね。
それが海外にいると時に実にくっきりして、自分の姿がはっきりと掴めたりするものさ。それは悪くないと思うね。

特殊性だと思っていたものが、世界に普遍的にあるものだと確認できることもあるし、その逆もね。その時にそういう文献があると曖昧な感想でなく、つかむことができる。
それ、あげるよ。
- 2015/03/14(土) 00:00:03|
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(本文と写真には何の関係もありません。文中に登場する人物および人間関係、組織・団体名は架空のものです。) ところであの先生、そう君の担任の。
あの先生、写真部の顧問だったんだね。 僕が学校にいった時には綾ちゃんの担任だって君も言うし本人もそう自己紹介するから・・・。
はっきり覚えてないけどどこか工業系の大学を出て数学を教えているといってたかな。 そう機械工学だった?!
僕が彼をえらいなと思ったのは、光学的な理屈やカメラのメカニズムはある程度分からなくはないけど、それを教えても「写真を撮る」ということの最も大切な点ではまったく無知な自分は口を挟まないことにしてる」といってたことだね。で、お世話をする顧問に徹してるって言ってた。
それであの時、合評会を始めてしまったときにあの子たちはお互い率直に批評しあえたんだね。そういうことを彼が指導してきたらしい。
学校の美術の時間も社会や理科の時間も「良い写真を撮る」という意識を持てばきっとこれまでと違ってくるよと教えていたらしいね。そのことも、当たり前といえば当たり前だけど、学校や勉強ってそういう風に教えられることはまれだからね。感心したよ。
君もあの先生は好きな先生の一人だって言ってたけど、まあそうだろうね。
君は写真部じゃなかったのに・・・・、法学部志望から一転写真志望になってしまったというわけ? あれがきっかけで?!
・・・・というだけでもなさそうか。

まあ、話を急ぐ必要はないから・・・・。
今晩、食事していけるんだろ? 卒業祝いもしなくちゃね。 何食べたい? おごるから好きなものを言ってみてよ。
大丈夫大丈夫。借家住まいだし家族もないけど、まあ多少の収入はあるからね。
僕の写真を買う日本の雑誌社などは大して多くはないけれど、ヨーロッパでは多少は知られるようになったし。飛行機代を払っても少しは残るようになったよ。
君があの時に言っていたきれいな街並みやきれいな人たちの写真で稼がせてもらってるからね。日本でも。

夕食時までちょっとくつろいでくれたらいいよ。
おじさん、ちょっと入稿を急かされている原稿を書き上げて、写真と一緒に送ってしまうから。

フランクフルトの友人が繋いでくれた仕事なんだけど・・・まだ約束の期限まで日にちがあるのに、ずいぶん心配性なやつで、とにかく自分が向こうの者との間で決して遅れたくないといってくるんだ。
進み具合の節々が計画通りじゃないと納得がいかないらしい。ほら僕なんかトータルとして期日に間に合えばいいって感じなんだけど、それがどうも彼には理解できないらしいんだね。
僕は結構きっちり契約は守ってるほうなんだがなあ。

いや、心配ないよ。
彼にはイタリア人との仕事の経験があるから。

世界にはいろいろな時間が流れているのさ。
時間だけじゃないさ。なにを尊いと思い、どんなことに命をかけるかなんて千差万別で、とても一日や二日で理解しあえるなんてことはないさ。 それぐらいに違っているから世界に出ていくことが面白いんだよ。世界中が皆アメリカ顔した金太郎飴になったら実につまらないじゃないか。
だからこのお互いに違っていることをいかに大切にしあい、お互いが精神的文化的に豊かになれるかって方向で付き合っていかなくちゃ。 世界の発展性だって危機を乗り越える力だってやせ細っちゃう。
近隣の国の悪口を世界中から集めて、自分の国への褒め言葉も目を皿にしてかき集めて悦に入っているような国も国民もこれから尊敬もされなければ居所も無くなるね。
第一、謙譲が美徳だという国柄が素晴らしいと自画自賛しながら、どこかのだれが書いたかわからないような自国へのほめ言葉をかき集めては針小棒大に広げて満足してるんだから何をかいわんやということだね。

おっと、間違えた。
で、君はもう写真学校は決めてるの? あ! ミラノの・・・・だね。
ということは何かい。 僕は時々ミラノに回って保護者役を務めなくちゃならんわけだ。
そしてそのたびに君をモデルに写真が撮れる・・・。
ミラノだったらジェノバやトリノは勿論、ヴェネチア、ボローニャ、フィレンツェだって、そう遠くないからいろいろ勉強にはなるよ。
慣れたら南イタリアや東欧の人々の暮らしもよく見るといいと思うよ。ただし、一人ではね・・。
もう楽しいイメージでいっぱいというところかな。
じゃあ今夜はイタ飯といこうか?!

えっ?! ワインもいいかって? おじさんが君にワインを勧めなかったことがあるかい?!
君が中学生の頃にワインを勧めて、あいつにずいぶん叱られたこと覚えてない?
お前が家に来るのは家族一同大歓迎なんだが、綾にワインを勧めるのはやめてくれって・・・。それにあんまり昔の話はするなって・・・・隠し事の多い男だからなあいつは。
失敗したことを話されるのがどうも好かんらしい。あれだけ結果を出しても、どうもそうらしいねぇ。
その後も相変わらず「綾ちゃん、ワインはどう?」てやったから、いつごろだったかなあ、少しだけなら仕方ないということになったのは・・・。
ワインはレディーの嗜みだっていったら、貴ちゃんも応援してくれてさ。
あいつは自分が多くは飲めないからやっかんでいるんだよ。きっと。
- 2015/03/13(金) 00:01:37|
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(本文と写真には何の関係もありません。文中に登場する人物および人間関係は架空のものです。言わずもがなですが。) これから写真をしたいっていうの?! それでイタリアに?! なぜ、ニューヨークじゃないの?
えっ、イタリアなら僕がいるから許してくれそうだって?!
う~ん、これは驚いた。
あいつが時々マジ顔になったわけだ。 いや、暮れに飲んだ時さ。 歳だ歳だと自分に勢いがなくなったようなことを嘆いていて、ふと真顔になるもんだから、やっぱりどこか隠してる病気でもあるんじゃないかなんて・・・。
そうじゃなかったんだ。
あいつ一言も言わなかったけど、そういうことになってたのか。

あいつが国際的に進出する資本の先兵みたいな仕事を、それこそ猛烈にしてきて、それでも相手国の人たちに尊敬のまなざしを忘れなかったことは、僕も認める。そういうあいつの表だって見せにくい良心みたいなところを貴ちゃんは法律の世界で形にしてきたみたいなところがあるしね。それがあの二人のバランスというか、夫唱婦随というか。
それを見てきた綾ちゃんが・・・・・写真で・・というわけ?!
中学生の頃だっけ?! きみが、おじさんはなぜ憲法を守るとか、核兵器に反対するとかいうことを、声にして、行動しないの?!って、手厳しく追及されたことがあったね。覚えてる? 君はそのころから岩波新書の憲法や法律の本を何冊も読んでいたからねぇ。追及を逃れるにはなかなかホネだったね。
貴ちゃんが大庭さんには大庭さん流があるのよって助け舟を出してくれなかったらどうなっていたことやら。
あいつはにやにやして喜んでいるだけだし。 時々俺の仕事は綾に軽蔑されてるんじゃないかって、こぼしてたから、僕がやり込められているのを様を見ろと見物を決め込んでいたんだろう。
その時にこの二人はいい子を育てたなあってね。で君はお母さんと同じ大学で法律を勉強するってあいつを喜ばせたんだ。
それが、どうして・・・。

あったあったそんなことが。
僕がイタリアから帰って一週間ぐらいでベトナムに、というときに君の高校の文化祭に行った時のことだね。
綾ちゃんはホームステイしたりして部活の発表にも参加できていないから来なくていいと言ってたのを、僕が日本の高校の文化祭を見たいから「関係者」にしてくれといって無理矢理に行った時だね。確かこの辺にワッペンみたいのをつけさせられて。

君の高校には珍しく写真部があったんだよね。
特に指導する人もいなかったようだけれど皆意外なほど真面目に写真を撮っていた記憶があるなあ。いいセンスしてる子が何人かいたよ。
そこで一枚一枚、みんなで合同批評会をしちゃったからね。
君が盛んに袖を引っ張るのを他の子が「いいじゃない。」と引き留めてくれたんだ。
そうしたら君の担任まで参加しちゃって。

あっ!! その時のことか。
ぼくの言ったことって。 そういえばそのあと珍しく手紙をくれたんだった。
あいつの字はいい加減だし、貴ちゃんもそう上手いとは言えないのに君の字は端正だったなあ。

確か僕が人を撮る写真について何か言ったんだよね。 なんだったかなあ覚えてないなあ。
何しろ写真は少しも売れないのに、忙しく動き回りはしていたから気持ちが高揚して何かくちばしっちゃんたんだね。

「この子らの命をま正面から見よう」って?!・・・・確かにそのころはよくそういうようなことを言ってはいたね。
思い出させられると何だか気恥ずかしかしいね。
たしかに君たちの命とこの人たちの命を同じ重さで見る目を持ちなさいというようなこと偉そうに言ったかかもしれない。
そうだね、それを言葉で表現するんじゃなくて写真という画像を通じて、見る人の心にそういう思いを呼び起こすのが写真家の一つの仕事だとね。

確かにそんな話をした時には皆ずいぶん真剣に聞き入ってくれたね。 思い出した。
雑誌社に行く途中で、たまたまそのころインドシナ半島で撮った写真を持っていたから、見てもらいながらね。
そうそう、そういえばそのあとベトナムから帰ってきたときにあの担任の先生と飲んだんだっけ。

それで、確か、じゃあ、おじさんはどうしてイタリアを拠点にしてヨーロッパのおしゃれな町やきれいな人たちを撮るの?って手紙にあったような記憶がある。
あの時、それにうまく答えられたかなあ。 今でも自信がないが。 それは君の宿題にしようか。
え?! あの時それを読んで僕の考えをもう知ってるって?! あの頃よりは僕も、もう少し賢くなっているかもしれないのに。
了解。続きはイタリアのパブでワインを飲みながらね。
- 2015/03/12(木) 00:01:44|
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松脂の台に載せられているのは、ペンダントです。
同じデザインで囲まれた中心部にはイニシャルが入っています。
ある学校のある部活の「もう何年もずっと贈られている卒業記念品」なんだそうです。

なかなか高級品ですねぇ。
毎年先輩たちがこの素敵なペンダントを贈られて卒業していくのを見てきたからでしょうね、一時変更の考えも出されたんだそうですが結局継続されたんだそうです。
こんな象嵌のペンダントを持ている若者は多くはないから貴重ですよね。

毎年のこの仕事を、大変だけれど楽しみにしているのだそうです。
明日が納品の日だそうで、手が休むことはありません。

実は先ほどから関心を持って熱心に覗き込んでいる青年がいました。
彼は私が写真を撮っているので遠慮して、距離を置いて見ていました。 私は手招きをして近づくように促すのですが、なかなか進みでてこなかったのです。
私が側面に回ると、ようやく職人さんの前に立ちました。
こういう若者もいるんです。・・・・・つい先日、ある絵画展で私がとある作品を見ていると、私と作品の間に割り込んで絵を見る中年の男性がいました。大して混んでもいないので、それも行ったり来たりするのです。 そしてお連れの女性を手招きして二人で私の前に陣取りました。ちょうど壁が折れ曲がるところでしたから、彼は壁に沿って左に曲がるのです。そうすればいやおうなしに再び三度私は視野に入るはずなんですが、何の反応もありません。こういう経験は残念ながら稀ではないのですね。・・・・

象嵌をされている方は、もう数人を数えるだけだということでした。
「もしこういう仕事を考えるんやったら、もう今しかないで。 もう皆、歳とって今しか教えてもらえんさかいなあ。
今やったらしっかり技術を身につければ仕事がないということはない。作るもんが少のうなっているんやさかい、仕事がないということはない。今がチャンスやで。」とその若者に話しかけていました。
多くの若者に聞いてほしい話なんだろうと思えました。
確かに若い人の懐具合から言えばだれでもが簡単に手に取っていくとばかりは言えない。それなりに高級品だから…無論工夫して手に取りやすい価格帯で販売されているものもたくさんあるのですが・・・・
しかし、質の高い工芸品だからこそ確実な需要もあるのです。

先日、伝統工芸館に伝統工芸大学校の卒展を見に行ったのでが、一生に一度こんな素晴らしく美しいものを地上に作り出せるだけでも幸せなことだなあとつくづく思いました。

- 2015/03/11(水) 00:01:13|
- 工芸
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京都といえば西陣織、京友禅、清水焼などの工芸品がすぐに思い浮かぶと思います。
が、それら以外にも多種多様な職人さんがいます。
工芸の中に伝統工芸と認定されている分野がありますが、その伝統工芸士だけでも1000人を超えます。
むろん工芸はその伝統工芸に認定されているものばかりが工芸でもなくて、またそれだけが優れているというのでもありません。

私には意外だったんですが、「象嵌」は伝統工芸に数えられていないのだそうです。
「伝統工芸」という分類は科学的な分類ではありませんから、諸事情によって認定されていたりいなかったりする面があります。
伝統工芸士の認定もそれぞれの組合によってかなりその資格要件が違っています。
と、まあ、そういうことはいいとして・・・・

今ここでは、すでにほぼ象嵌が終わったものの表面を磨いています。
左手の親指を見てください。 長年こうして「梃の支点」を務めてきた親指です。
この親指を支点にして、道具が左右に動かされますが、それが単純に水平に左右するのではないのです。微妙に弧を描くのです。
職人の手足や指は長年のうちに正に道具と化し、変形します。
そして作られた道具は、これまた長年のうちに変形してすっかり職人の体の一部になります。
マルクスが「資本論」の中のマニュファクチュアの章で書いている通りです。
(そういう特徴に生産性のカギがあり、普遍化できない労働手段としての歴史的制約があるわけですね。そこが機械と道具が違うところだと学んだ記憶があります。)

もっと寄った写真を撮りたかったのですが、この日は50ミリ一本でしたので、難しかったです。
むろんトリミングすればよいだけのことではありますが。
そう思いながらもかなり身を乗り出して撮らせてもらっています。

この槌は頭が鹿の角でできています。 兄弟子さんから引き継いだものだそうです。職人の皆さんはすでにかなり高齢化していますから、廃業されている方も少なくないのです。
槌の断面が傾斜していましたので・・平らでなくていいのかなあ?と思いながら、・・・・お尋ねすると・・・
「まあるい面をたたくときに使うんだよ。それに角の中心部の髄は硬すぎて使いにくいから、周辺を使っているうちにこういう風になってしまった」のだそうです。
柄の差し込み部分にも「緩まない工夫」がされている」のだそうです。
職人はそれぞれ道具については工夫するから簡単に道具を融通できないのだとおっしゃっていました。 「 癖があるからね。」

金槌の竹の細い柄は、使い込まれ汗を塗りこめられて艶が出て黒光りしています。
「明日には収めんならん仕事」だというので、話しかけてはご迷惑ですよね、といいますと、
「かましまへんで。」といろいろお話をしてくれる。

鏨を打ち込んでポイントを作っているのですが、金槌は手首で打っています。
たたいてはいません。金槌の頭を落としているという感じです。
- 2015/03/10(火) 00:02:08|
- 工芸
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この方は本来「シャドー・ボックス」に取り組んでおられる作家さんです。
シャダドー・ボックスというのは、プリントされた幾枚かの平面素材を立体的に重ね合わせて独特の世界を作り上げるものです。平面素材は切り取られて、奥行きのある空間にある様々な対象や背景が前後に立体的に見えるように重ねられます。それを奥行きのある額に入れるので、そのように呼ばれているのだそうです。
「小さないおうち」というギャラリーで、イタリアのベネツィアで昨月行われた仮面カーニバルに触発された企画が3回目となっています。
多数の作家が「仮面」を主題に作品を持ち寄りました。

この方の右手に見える白と黒の仮面がこの方の作品です。

シャドー・ボックスの作家であり講師もされている方らしく、仮面の目の奥には仕掛けがありました。
目をのぞき込むとそこにはシュールな絵画で有名なダリの絵がありました。
仮面の非現実性のその奥にさら非現実的な・・・・・・、そういう重なりが非日常的な仮面の位相を表現していました。
それは黒い仮面のほうです。

白い仮面の目の奥には、レースのような白い素材が絡み合って見えます。
この仮面はご自身なのだそうです。錯綜した思考や精神の在り方を表現したそのレース様の素材の絡み合いの背後には、作品全体を支持する透明な板が背景となっています。
それは清澄な精神状態・思考を意味するようです。つまりそうありたいという願望でしょうか。
仮面と、その奥にある精神状態、そして…と要素の階層的な積み重なりが、悩み深い混迷する複雑な自己像を表現しているように見えました。
全体としてとても柔和で穏やかで、そして明るい語り口調の方なのですが、作品の構想や制作過程をお話になるときに、瞬間こうした表情をされます。
そこに作家の精神というものを感じさせられました。
これまでところどころのギャラリーで偶然にもお会いすることができて、私が図々しく話しかけるのですが、こうした笑顔で応対していただきますので、私はついついお話が長くなります。

- 2015/03/09(月) 00:00:36|
- 工芸
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初日に伺ったのですが、たくさんの方が見えていました。
バイト先のお知り合い、大学の先生?・・・この人の人柄だろうなあと思いました。
私より一つ二つ先輩かなという方も熱しに話し込み、また写真を繰り返し撮っておられました。

作品は着色されています。
肌の色をリアルに出すために油彩画と同様に下から色を何度も何度も重ねているのだといいます。
「皺がとても難しかった。皺を彫りこむと、ただの傷のようになってしまうことがあります。肖像画などを克明にみて皺を再現した。」と。

しかし、彼は単にどこかの蝋人形展示会場の作品と同じようなものを目指しているのではないのです。
今、絵画でも超リアルな作品が注目されれいますが、そういう時流に乗ろうというのでもないのです。
「技術そのものが高いということは、まあ前提的なことだから、いいのです。 肝心なことは・・・・。」という点にしっかりと意識をフォーカスさせているところが、悪い意味での職人に終わらない表現者の自覚があります。

彼が学んだ大学では人物(具象)彫刻に優れた教育がされています。
つい先だっても、その大学の研究生のグループ展があって、すぐれた作品に出合いました。
その作者のおひとりに「製作するところを撮らせていただけませんか。」とお願いしたばかりです。

確かに今少しの課題が感じられます。が、この作品たちをスタートにした彼の今後の作品群がとても期待されます。
写真家の野上透氏が佐藤春夫氏や遠藤周作氏などを撮った写真があります。その作品には私のようにたんに出合い頭に撮ったというのではない人物把握があります。
彼もそういう作品を目指してくれるのではないかと思っています。
例えば、ミケランジェロの社会的歴史的な存在のありように迫った作品を作ってくれるのではないかと期待したいです。

また、楽しみな青年に会うことができました。

後日、再びうかがって撮りました。
カメラとレンズを替えて撮ってみました。

同じものを撮っても・・目の悪い私が撮ってさえ…これだけ違います。

と言っても縮小してブログにあげるとあまり違いが分からないかも知れませんが。

- 2015/03/08(日) 00:03:40|
- 彫刻
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分類を彫刻としていいのかどうか門外漢の私にはわかりませんが、・・・。
3月3日から15日の日曜日まで、京都寺町通太町の東南角近くの「ギャラリー知」さんで上路市剛さんの個展が開かれています。
「re:meale」
作者は20代半ばの若い男性です。

展示されているのは立体が3点と、絵が3点です。
作られた「人」について「同時に私の心を慰めるセックスドールでもある。」と書いている通り、三作の絵も含めて自身の「男性性」についての省察が基盤にある作品群となっています。

DMには、私のブログではご紹介しないもっとも初期の作品が取り上げられています。(ギャラリーのHPをご覧ください)
ここに掲載するのは中間の作品となります。
もっとも製作の時間経過から完全に段階的になっているのではなく並行する期間があったそうです。
若々しい像です。

こちらの人物は世界的に有名な方ですし、お名前を聞いて「知らない。」という方はほとんどおられないと思います。
しかし、ソクラテスやレオナルド・ダヴィンチの肖像は記憶にあっても、それに劣らず有名なこの人の顔を思い浮かべられる人は案外少ないかもしれません。

私自身、「そういえば、この人の風貌は知らなかったなあ。」というのが率直なところでした。
この人の肖像画や彫刻の絵や写真を丹念に収集して詳細に研究した成果だそうです。

もし私が3枚目の写真の後に、ちょうどこの時にこんな方がギャラリーを訪ねてきましたと書いても、「ほう、そうなのか。」と思い込む方が一人や二人ではないのではないかと思えるほどリアルに人物が造形されています。
しかし、これは作品なのです。
お分かりのように「ミケランジェロ」氏です。
参考にされた肖像画や彫刻を見ると、無論、作者により、あるいは時間的な経過により、あるいは手法によるブレはあるもののミケランジェロは斯くあったであろうという象に形象されています。

頭髪などは「人毛」を植え込んでいるんだそうで、ハリウッドなどの特殊メークの技法を独自に学んで製作したそうです。
1作目からこのミケランジェロ像までの半年余りの制作過程で技法の獲得は飛躍的に進み青年作家の成長の見事さを示しています。

私は作家さんの作品を撮ることはあまりしません。
写していいですよとお許しいただいたり、その作者を撮る際にその成果も写しこむことがあっても、なぜか無意識に抑制が働いてしまいます。
しかし、今回「『撮っていいですか?」とお聞きして撮らせてもらいました。
- 2015/03/07(土) 00:00:50|
- 彫刻
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それぞれの絵のキャプションや作者はひとまとめにして入り口付近に掲示されていましたから、私の記憶には残すことができず、最初の一周ではどの絵がどちらの方のものか、判然としませんでした。
絵を専門にしている人が見れば「これだけ絵柄が違うのだから間違えようがない。」とおっしゃるでしょうが。

私はさほど広くないギャラリーの場合はできるだけ二周はしたいと心がけています。
私に絵などの素養がありませんから、初見で何かを受け止めることは難しいからです。
他の絵との関連で見ると、それでも、少しは見えてくることがあります。
疑問も浮かんできます。

この人たちの描く女性たちはなぜ目を閉じているのか。一点だけ目があいているものの、絵の中の人は何も意識的には見ていません。
大きな公募展で見る大作の女性たちの多くもまた何かを意識的にみているというものが少ないように思えます。少なくとも全身全霊で見る、あるいは聴くでもいのですが、そういう物があまりみかけられません。
なぜ、女性をそう描くのか(あるいは「人をそう描くのか」かもしれませんが)という疑問がずっとあります。
この人たちはそれを意識していました。そこに現代の女性のありようを見ていました。

うずくまり、何ものかに深く包まれたポーズというところにもそれは見えました。
こういう意識性はいいなあと思いました。

手が描かれた作品が数点ありました。
なにやら仏さんの指、掌をしていました。 仏画を専攻された人かな?と思いました。やはりそうでした。
この方です。

仏画をする人は「模写」をします。
私はこれをとても大切な過程だと思っています。
模写をして線や面やタッチや色を獲得することは本当に重要なことだと思います。
別のあるギャラリーで女性画家の絵を見ました。若い方ですがそれでも卒業して10年ほどの方です。
初めから自分風の絵をかいてしまったのではないかと思いました。いえ、この方ばかりではありません。ほかにも多くそういう方がみられます。

…実は私の写真もそうなんですが・・・・・
そういう意味で私は仏画など模写に取り組んだ人に期待する面があります。
久しぶりに堅実に意識的に絵にとり組む若い画家に会いました。
- 2015/03/06(金) 00:02:32|
- 絵画
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季節柄、春休みを迎えて学生や院生の個展やグループ展があちこちで見られます。
大学が主催する卒展や進級展も楽しめます。
私が昨年の1月に個展をさせていただいた「ギャラリー知」で、このお二人が絵画展をされていました。
お二人とも院生だそうです。

私はこの画廊で比較的若い作家たちに会うのを一つの楽しみにしています。
これまでも若きオーナーをはじめ多くの方に出会い、お話を聞いてきました。そして随分とエネルギーをもらってきたのです。

この日も、別のお客さんがあったにもかかわらず、・・・・その方たちには結果的に少々失礼になってしまいましたが・・・・、お二人と随分いろいろなお話ができました。
当たり前といえば当たり前ですが、学部生と院生では絵に対する考え方、立ち向かい方が格段と違います。
お二人からもそれはひしひしと感じました。

今回の展示のモチーフは、「連綿として続き・つながって今ある私という女『性』」ということのようです。それを「線と糸」という風に表現しているのだそうです。
現代の日本社会で、自分が女性だと言うことを少しでも自覚的に考えれば、それが、あまりに理不尽な存在だということに気付くことはそう難しいことではないでしょう。
しかし、そのたやすく気付くだろうと思う理不尽さを甘受するのか目をつぶるのか逆手に取ろうとするのか居直るのか・・・。
必ずしも正面から向き合う女性ばかりが多いわけではないようです。

まして男性の能天気さは言うに及びません。
そうした中で、自分の女性性に目を向け、それにただ甘んじることなく、しかし声高に告発や非難の声を荒げるのでもない、静かな省察があります。
この人の絵の女性は足がありません。何か液体に包まれたような女性の足はその液体の流れに泳ぎ、目は何者かを見つめてはいません。髪をもてあそび口元に寄せる手はこの絵の女性の何を描こうとしているのでしょう。
意識的に描かれた部分と無意識的に選択している形がないまぜになっていますが、二人で検討しあえば大きな収穫があると思います。

まず自分の「性」の現状を見つめるところから作業は始まっています。
それを形象の言葉で描いていくのです。
この人の描いた女性はたくさんのイチジクの実に囲まれて胎児の姿勢をとって、横たわっています。
これも読み解けば面白いでしょう。
イチジクを女性性の象徴として意識して取り入れています。
そのイチジクをどう描くかじゃないかな?

お客さんの出入りがあって、しばらく三人だった時間がありましたから、聞く耳を持ち、理解する言葉を獲得してきた学生と話すことができました。
こうした人たちとゼミをしたら楽しいでしょうねぇ。
- 2015/03/05(木) 00:00:03|
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(本文と写真には何の関係もありません。文中に登場する人物および人間関係、組織・団体名は架空のものです。) なんだい、ぺットボトルのお茶を持ってきていたのかい。
あの二人は、僕が何もできない、しないと固く信じてるからなあ。
君も洗脳されてるってわけか。君の家で一緒に食事などすると、必ず持って帰らせるからなあ、貴ちゃんは。
それを見てあいつは決まってからかうし。
いやいや大庭に迷惑をかけるなとか何とか言ったんだろ。まったく余計なお世話だ。

おやおやいよいよ深く入ってしまったね。
じゃあ、おじさんは勝手に撮ってるからね。
あいつはカメラを手に入れる時もドイツ製のむやみに高いやつを買って、そのくせちっとも腕が上がらない。
部屋中をオーディオにしてるくせにフルベンやらカラヤンを聞いていればご機嫌なんだからカメラやアンプがかわいそうというものだ。
もうちょっと年齢とともに枯れないのかなあ。 まあ、そうはいっても、そこがあいつのエネルギーが人より大きい証左かもしれないがね。
僕にはもう疲れるよ。

で、今度、君を撮るって言ったら「よろしく。」だろ?
なんか拍子抜けなんだよなあ。
あいつはいつ頃まで君を撮っていたの? 中学生まで? 高校までか!?
えっ?! 高校入学のときの制服姿までかい。 あっ、そうか。
あのころあいつはドバイに行ったんだよね。丸2年だっけ?! 貴ちゃんが労働争議をいくつも抱えてるって、大変な時だったもんなあ。 それに法律事務所のこともそろそろ肩にかかり始めてたしね。できる人は仕事が増えるってことだ。
で、大学に入ったら君が留学というわけか。
帰ってこないなんてことになったらどうしようと真顔で心配していたあいつの顔が思い浮かぶよ。
僕が、綾ちゃんはちゃんと親の気持ちがわかる子だし、君らに認められないまま行動に出るような子じゃないよといくら言ってやっても・・・・、貴ちゃんと二人で慰めて、励まして、大変だったよ。
貴ちゃんから聞いた?! あいつは案外そうして君にそういうことが伝わることを計算してる節もあるからなあ、
話半分に聞いておくがいいよ。

まあそうだね、僕もあのころは日本に三分の一、イタリアに三分の一、残りは東南アジアかな。
あいつがドバイにいったから鬼の居ぬ間に洗濯しようと思ったがなかなかどうしてそういうことにはならなかったね。
おかげでいい個展が開けたけれど。

そう、その時に ノーマン君が来てくれたんだ。
えっ?! もうその話はいいって?! だって会場であいつと鉢合わせしちゃったんだもんなあ。
僕らも焦ったよ。

えっ?! なに、変なものを見つけたんじゃないだろうねぇ。
なんだそれか、イタリアの地図だろ?
今度君が行きたいっていってたから上げようと思ってさ。 ボンジョルノー、グラッツィエ、ブオーノぐらいは覚えて行きなさい。
どうせ食べるほうは片っ端から指さしで行くんだろうから、綾ちゃんは。 こう見えて色気より食い気だからね、そこは貴ちゃんとよく似てるよ。
もうイタリアは語は中級だって!?・・・・相変わらずだね君は。そういうところも母さん似だねぇ。

イタリアに行くってだけでご機嫌が悪かったんだろ、あいつは。
イタリアに行くのは僕のような遊び人の男ばかりだとか何とか、向こうでは気を付けろよなんて。
うん?! 今日、話があるっていうのはそのイタリア行きと関係があるのかい。

だってイタリアには観光で行くんだろ?!
じゃ、ないって?
- 2015/03/04(水) 00:00:18|
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(本文と写真には何の関係もありません。文中に登場する人物および人間関係、組織・団体名は架空のものです。) さあ、今日は一応写真を撮るために来たことになっているけど、
・・・・・外はやっぱり雪が雨に変わってるね。
大した降りじゃないけど、ちょっと気分が盛り上がらないなあ。
外に行くのはやめて、ここで撮ることにしようか。 いいかい?!
そう、ありがとう。
君から電話があったことあいつに話しちゃたけど・・・、この春卒業だから、もういいんじゃないかと思ったけどまたへそを曲げると厄介だからね、あいつ。

そうしたら、どうだい?! どうぞよろしくなんて、妙にしおらしくあいさつしちゃて気味が悪いよ。で、どこか悪いんじゃないかっていってやったら、君が僕のところに行くって言ったんだってね。
もうそろそろ一人で歩くことも考えないといけないっていうようなことを。
あいつも頭じゃわかってるんだけど、どうも君のことになるとね・・・。
お母さんの頑張りで君がイギリスに留学した時なんかひどかったものなあ。
そのうえなんて言ったっけ、そうノーマンって言ったけ、彼を連れてきちゃったろ?!
いやいや分ってるって、特別な間柄じゃないってことは、
でもあいつにとっては実に天下の一大事だったんだよな、これが。
はたで見ているのも痛々しくて、
いや、悪い悪い。お父さんのことを笑ってるんじゃないんだよ。

僕に娘があったらさ、きっとあいつに仇をとられることになっていたことはまず間違いがないんだから。
でも、きっとあのことも幾分かは引きずってるんだろうねぇ。
そんなことはないって?!
分からんよ。冒険主義者とか大胆不敵だとか何とか言われている割にはナイーブだからな、あいつ。
ことに君や貴ちゃんのことになると。

それにしても君は小さなころから本を読みだすと口もよく動くね。本の横にはいつもお菓子や果物があった。
あいつはコーヒーやオーディオなんかににうるさい癖に、こういうところが案外鷹揚だった。 けど貴ちゃんはその点厳しかったはずなんだけどな。
こぼれたお菓子のクズが本の間に挟まるとか果物の、ほらほら、みかんの汁が頁を汚すとかさ。
そうだろ、さんざん言われたはずさ。それで早く部屋に閉じこもったんだね。

おじさん?! 僕は君が食べるところを見るのが大好きさ。実に幸せそうに食べるからね。
でも一応その本は僕にとって大切な一冊だということをね・・・・。

おいおい買収かい、
いいよ、君にならば買収されようじゃないか。
まあいつものパタンだね。

ところで、お父さんに内緒で聞いてほしいことがあるって・・・・それは?
でもおじさんあいつに秘密をを守れるかなあ。 みかん一つじゃなあ。
- 2015/03/03(火) 00:02:44|
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(本文と写真には何の関係もありません。文中に登場する人物および人間関係、組織・団体名は架空のものです。) 君が美大に行くと聞いた時はちょっと驚いたね。
あいつも案外秀才だが、君のお母さんの比じゃない。そのお母さんの血を継いだのか「綾子はいつも学年トップクラスの成績だ。」とあいつは自慢しきりでさ。
お母さんは司法試験に現役で合格るんじゃないかとさえ言われた法学部の才媛で有名だったけど、・・・。

実は彼女はひそかに美大への転学を希望していたんだよ。
えっ?! 知ってた? そうか、大学への進路決定の時にね。
絵がうまくてね。 時々公園なんかで写生している人を見つけると長いこと後ろからのぞき込んでいたものだよ。

あいつはそういう彼女に惚れていたっていうところもあったんだけど、結局、法曹の道を選んだんだね。何があったのか僕は知らないが、
あいつの冒険的な行動力を支えたかったのかなあ。
君も成績優秀で学校は法学部や経済学部に進んでほしいと思っていたんだろ?! 理系でもよかったはずだよね。
それにお母さんを尊敬していたようだから・・・・法学部に行くものと・・・。
えっ?! 僕が?! なにか言ったの? 君に?

う~ん、申し訳ないけど覚えてないなあ。
何か口をすべらせたかなあ。 飲むと話が大きくなるからなあ、僕は。
なに?! 思い出し笑いをして。 そんな変なことを言ったかい。

ヘップバーンとウイロビーの関係って不思議だと思わない。
写真家ってある意味すごい存在だね。
。

どうしたの。
何かあった?
突然電話してきたから、どうしたのかと思ってはいたけど。

まあ、いいさ。
話したい時に話せば。
- 2015/03/02(月) 00:03:32|
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