今日は今年最後の日。
皆さんの2014年はいかがでしたか。
政治、経済、社会全般について「黙ってはいられない。」尋常でない状況が生まれてきていますが、そういう大きな状況についてはまた別にお話しするとして・・・・。
私にとってはやはり写真でした。今日ご紹介する方を含めて、これまでの3年と9カ月の間に男性422人、女性383人、総計805人の方々に写真を撮らせていただきました。
そして二度の個展。
来年はどうなることでしょう。ということは明日からどうなることでしょう、と言うことですが、 はたして人を撮り続けられるのでしょうか。
今年いくつかの新しい面が出てきました。
今月特にその傾向が顕著ですが、以前撮らせていただいた方に2度目3度目を撮らせていただいくという例が増えています。
もうひとつ。
直感的に「この人はいいなあ。きっといい写真になる。」と思って、直截にお願いするケースが出てきました。
いまどきの社会状況、人々の意識状況では、いささかリスクが大きいかもしれません。
私はあまり勇気があるほうではありませんから、よほどこれを逃がすと「あとで後悔するなあ。」と思っても声がかけられません。それでも、長くやっているとそういうケースも出てきます。
いずれにしても、こうした活動を続けていると新たに経験することが増えます。
出会いもますます膨らんできました。
それが楽しいですね。
人生「惑惑(ワクワク)」 それがキーワードですね。

この方とは来年につながる出会いをさせていただきました。
年末はとてもお忙しいということですが、「年が明ければ・・・・。」と言っていただけたのです。

きれいな姿勢の方でしょ?!
それには理由があるんですが、それはまた今度撮らせていただいて、ここにアップするときに。
変わったイヤリングをしているなあと思ったら、どうやらボタンがデザインされているのですね。
女性のおしゃれ感覚は底がしれません。

昨年の総選挙では沖縄県が今後の日本を示唆するような結果を出しました。むろん逆流も出てくるでしょうが、実に興味深い、意味の深い結果だったと思います。
私の写真の流れには何かそういう新たな兆候があるかというと・・・この方との出会いなどもその一つかと。新しい兆候の質のレベルがずいぶん違いますね。

一つ一つの機会の持つ意味を大切に汲み取って、しっかりそれを形にしていけたらいいなあと思います。

目の前にチャンスが表れても、それをチャンスにできるかどうかは私自身の問題ですからね。
来年もがんばろ!!
- 2014/12/31(水) 00:01:32|
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森の手作り市で見つけました。
「七宝」という文字にひかれました。
ナント、湘南からの参加です。

七宝焼きというものが全体的に見れば衰退してきていることは、今更指摘するまでもありません。
しかし、そんな中で七宝焼きの輝きに魅せられてその手法を継承発展させようとしている人たちもいます。
知恩寺の手作り市にもお一人女性の出展者をよく見かけます。
この方も京都の別の七宝焼きの制作者さんと、ネットと手作り市の会場で見つけ接触を果たしたそうです。その方は先に書いた方ではなさそうです。

「伝統工芸」を現代風にというところがミソです。伝統工芸のどの分野も現代化を図ろうと若い世代が模索しています。しかし、なかなか軌道に乗りにくいのも事実です。
この方はそういう意味でも積極的な挑戦をされています。
そして何より会場に来ている若い女性たちが「いいね。」「かわいい」と近づいてきます。
伝統工芸の場合の櫃tのネックが材料費が高いということです。しかもクヲォリティーを旧来の職人さんたちから厳しい目でチェックされます。

七宝も飾りの土台は銀や銅ですから決してお安くはありません。
七宝だから良いものだという一般的認識は、ことに若い世代ではもうほとんど忘れらていますから、その評価をアドバンテージにうすることができません。
消費者は「七宝焼き」を買うのではなくて素敵なアクセサリーを買いに来るのです。
そこに説得力がなければ「伝統」の上に胡坐をかいてはいられません。

「七宝焼き」の魅力を語るこの方の言葉にも力が入ります。

関東や名古屋にも七宝焼きの方がおられるそうです。
もう必ずしも多くはない七宝焼きの職人ですから少し調べれば大概、見つけられるとおっ者ううていましたが、若い世代の横の交流も大いに必要かなという感じがしました。
この小さな動物たちは胸などにつけるものだそうですが、「服のこの辺に穴をあけてはいけないので、マグネットで挟むんです。」

私は奈良に住む若い七宝焼き職人さんの「勝手に応援団」ですから、「七宝」という言葉に反応してしまうのです。
七宝の作品は若いころに少し買いましたし。

「伝統と革新」はいつも大きな課題ですが、こうした人たちの毎日の模索によって答えが見つけられていくのでしょうね。

来年に向けてまた、未来を見つめる元気な力を見せていただきました。
- 2014/12/30(火) 00:04:03|
- 工芸
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私が手作り市に出かける楽しみの一つは「才能」に触れることです。
大芸術家の超級の才能ばかりが才能じゃないと思うのです。
この人の才能も見るべきものだと私は思いました。

この方には、すでに植物園で開かれた手作り市で一度お会いしているのです。
その時にも「これは大したものだなあ」と思って少しだけお話はしたのです。
で、この人も私のことを「え~、確かあの時の。」と覚えてくれていました。

カモノハシやらクジラやら、あるいは猫や犬やウサギなどが作られているのですが、それが木を削った部分と金属(真鍮が多いでしょうか)の組み合わせで絶妙に作られているんです。

そういう組み合わせというアイディアだけで売ろうとしているんじゃなくて、その動物を、その魅力を表現する形で見事にリアルに造形しているんです。
木材の選択にも工夫がみられて、ますますいい感じになっています。でもそれは超リアルを目指しているんではないようで、そのちょっとしたゆるさが動物たちの愛嬌になっています。

このお客さんは、どうもリピーターの方のようであらかじめ注目していた作品について話しているようです。
アイパッドで過去の作品や、ここには見つからないらしい作品についても話しています。
便利ですね。
この帽子に着いたコウモリ、なかなかの出来だと思いますがいかがでしょうか。

ご覧のように、今私は同じ場所から続けて何カットも撮っています。
通り過ぎる方の中に「あの人、あんな風に写真を撮っているけど、いいのかしら。」といった心配顔がありました。
まずいですね。そういう不審を抱かせてしまうのは。
勿論、事前にお断りして承諾していただいています。
「でも緊張してしまうから、『私が知らないうちに遠くから撮って』ください。」という『 』の部分が問題なのですね。
もっともこのときお話に夢中のこの人を人の肩越しに1メートル半ほどのところから撮らせてもらっているんですが、それもやっぱり覗き込むようになっていますから、事情をご存じない親切な方から見れば・・・・。

両サイドのお店の方のご理解がなければこういうアングルも難しい・・・・。

この手作り市で、本年中にお会いするのが最後という出展者の方もあって、「よいお年をお迎えください。」のご挨拶を交わした方も幾人かおられました。
今年もあと二日ですね。
- 2014/12/29(月) 00:00:09|
- 装身具
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下賀茂神社の糺の森では年に3回ほど手作り市が開かれます。
森の木々の繁りと小川の流れとで季節感にあふれた会場は人気があります。
この会場は南北に一直線の広い道(馬場にもなります)の両側に店が並びます。そしてちょうど真ん中あたりには音楽のコーナーが設けられており若いアーティスト達が素敵なハーモニーを聞かせています。

楽器演奏なしのアカペラです。
TVの番組に「ハモネプ」というのがありましたが、私はそれが好きでした。

大人数での合唱も魅力ですが、こうした規模でハモルのもまた楽しいですね。
ボイスパーカッションの技も「聞きもの?」です。
一人ひとりが決定的な役割を果たしますから、それぞれの声質も含めて、技量が問われます。

この人たちは京大の学生なのだそうで、このあと後輩のグループも登場するとのこと。
京都は狭い地域にたくさんの大学がありますので、こういう点でも楽しめます。
音楽関係のサークルや有志の水準に比べて、・・・・サークルのものとしては・・・・絵や写真の水準はちょっと・・・という感じが私にはしています。なぜそういう傾向になっているんでしょう。 (龍大の写真部がこのところちょっと健闘していますが。)

彼らは歌い終わるとしばし反省会を開きます。
そして他グループの歌にも耳を傾け、・・・・恐らくいろいろな会場で顔なじみなんでしょう・・・・お互いに挨拶をかわして帰っていきます。
- 2014/12/28(日) 00:02:35|
- 音楽
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この仕事は織り手さんにどの色の経糸が表面に出るのかを指定する作業図を制作することです。
ですからこのきれいな絵(に見えるもの)は、表舞台には出ません。
建築の設計図が表に出ないのと同じです。

こうした技術を伝承する人はすでにとても少ないのですが、この技術を必要とする織り方をする人がもはやほとんどどこにも見当たらないのですから、仕方がありません。
今ではデジタルでコンピューターの読みとる情報としてやり取りされているのです。

しかし、伝統工芸士と言われる人は皆これが描けなければいけないのだそうです。

この方も今はデジタル情報としてコンピューター上でこの仕事をしておられるのだそうですが、この作業がきちんとできるかどうかで、仕事の内容の理解度がずいぶん違うのだそうです。
この仕事の前後の仕事もよく理解しないと、適切に作業していができないのだそうで、そういう意味で、単なる色塗り作業ではないということです。

つまり織りそのものを理解していなければ、いい作業指示ができないということですね。

金彩(ほとんど最終工程になります)の方が、それまでの工程の不十分さや、やり損ねをカバーしながら作業をするのだとおっしゃっていましたが、西陣や友禅の職人さんたちは単に細分化された分業の一部を消極的に担ってきたわけではないのですね。

下絵の良さを一層引き出し、次の人の技量や特質も考慮しながら仕事がしやすいように仕事をしていくのです。
しかもそこに自分を密かに織り込んで。

それで京都の友禅や西陣の高い品質が保たれてきたわけです。
ですから京都の伝統産業の産物は、まさに地域の総合的な力の結晶ということですね。
- 2014/12/27(土) 00:05:18|
- 伝統工芸
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京都伝統工芸館では、土日には京都伝統工芸大学校の現役生が「実演」をしてくれるのでそれをみにいきました。
この大学校を出た若い工芸家たちがいろいろなところで活躍する姿を見かけます。
そしてその同窓生も次第にネットワークを作り始めているようです。
この人は木彫です。

課題に取り組んだときの「端切れなんですが、せっかくの良い材なので、捨てるのが惜しくて、勉強のために使っています。」とのこと。
作業台の前には課題で彫ったという作品も並んでいました。

実演を許される人は優秀な成績の人なんだろうと思いますが、ここでの役割もしっかりと自覚して懇切な説明をしてくれます。
道具を見れば、まだ彼らのキャリアが浅いことが分かります。
それだけに、つい「がんばれよ。」の気持ちが湧いてしまいます。

というのも、これまで何度もこのブログでも書いてきたように、どの工芸分野でも若い後継者が出てこないことに焦慮の気持ちが濃厚だからです。
「もはや手遅れだな。」という高齢の名人たちの声も何度となく聞かされてきました。

しかし、その一方でこうした養成機関を初めとして若手が育っている場面もまた、あることはあるのです。
この人は高校時代は普通科に通っていたのですが、実家が「だんじり」の制作を家業としていることから、木彫に興味もったとのこと。
それなら幼いころからさまざまな細工を見てきたでしょうし、織物や金具にも目が肥えていることでしょう。

そしてどの程度のことができないと一人前ではないかということも肌で感じてきていることでしょう。そういうことが一つの財産ですね。

この施設の入場料は比較的安い上に、次回の招待券もいただけます。
(ただ、私はお店のポイントカードや割引券を財布に入れておくのが嫌いで、せっかくのサービスも大半が利用できてないのです。経済観念が乏しいのです。困った性格です。)

先生や卒業生の相当高度な作品が展示されていますから、工芸博物館としても楽しめますよ。
ぜひ一度どうぞ。
- 2014/12/26(金) 00:02:46|
- 工芸
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失敗作でも捨てられない・・・のです。
それがプラナーでしょうか。

ドイツの森に合わせた設計なんでしょうか。なんて寝言のようなことをいいます。
私はこのレンズを「じゃじゃ馬レンズ」と言っています。
とても私などが御せるようなレンズではないからなのですが、やはり眠らせておくにはあまりにも惜しいレンズですね。
5Dはシャッター音を聞くだけで萎えてしまうようなカメラですが、贅沢はいいません。頑張ってもらいましょう。

それにしても見事にピントをはずしていますね。
私の衰えた目でもα900のファインダーなら、もう少し何とかなりそうなのに悔しいなあ。

服の色も背景のボケもなかなかのものだと思いますが、いかがでしょう。
無論レンズのおかげです。

人物がくっきりと浮き上がってきますね。

これが暖炉のある喫茶店での写真。

そろそろ終わりにしましょう、といって
「じゃあ、次の予定で会うことになっている人に連絡します。」という合間も撮ります。

こういう時の私はなかなか往生際が悪いのです。

今日の夜は別の友人からも頼まれて
「モデルをするんです。一日に2度なんて・・・・。」

次回は来年春になって「暖かくなったころに・・・・。」とお約束をして、今日は終了です。
寒い中を、ありがとうございました。
- 2014/12/25(木) 00:01:12|
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寒い池畔から急いで暖かい場所にやってきました。
ここは私がずいぶん昔から好きで通った「暖炉のある喫茶店(私の子供たちはずっとそう呼んでいました)」です。
ちょうど暖炉のすぐ前の席が空いていました。
薪の燃えるいいにおいがします。 暖炉の暖かさは心にも身体にも心地いいですよね。
「フォトマヌカンを頼んだ人は食べても飲んでも撮られてしまうんだよ。」
「ええ、そうと分かっていれば大丈夫ですよ。」

ようやくコートの襟を開けられます。
スカーフというんでしょうか、さすがに色の達人だけありますね。趣味がいいです。

いろいろなおしゃべりをしながら、カメラを手放せない私です。
「ちょっとレンズにも慣れました。」
そう言っていただいて、少し気が楽になります。
この写真はソニーのα900にミノルタのズームレンズをつけて撮っているのです。
実は今日敢えてキヤノンの5Dにプラナーの85ミリをつけて持っ来ているのです。
死蔵されているプラナー85ミリを使いたくて仕方がないのになかなかチャンスがないというわけなんです。
5Dが好きじゃないんですがほかに仕様がないので・・・・。 それを無理にでも持ってきました。

そこで、既にみた同じようなカットなんですが、・・・・。
この写真ではお分かりになりにくいと思いますが、やはりいいんですね、このレンズ。
オートフォーカスは使えませんし(その上、5Dのファインダーはα900に比べて格段に見にくい)、露出も外すことが多いんですが、当たれば大きいんです。

プラナーを持ってきて良かったなあという感じです。

こんな風に抒情的な絵になってくれると、やはり癖になるんです。
素敵なフォトマヌカン + 弱い光 + プラナー・・・私にとっては最強です。
- 2014/12/24(水) 00:01:44|
- 絵画
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大阪も京都に比べたら人口で4倍ほど大きな街ですから、きっと魅力的な街角、建物、景色があるでしょう。
ただ、市長や、知事があまりにも品性下劣ですから、それだけでなかなか行く気にもなれません。

もろんそこに住む人々は千差万別ですから、きっと素敵な魅力的な人たちがたくさんおられるには違いないのですし、事実、大阪在住の素晴らしい友人、知人を何人も知ってはいるのですが・・・。
桂米朝さんや枝雀さんも大阪の文化を作った人ですしね。

さて、そんな私の独善的なつぶやきは脇に置いて・・・・。

「今度いつ個展をするのですか?」とある人に尋ねられて、終わったばかりで・・・・と言葉を濁しましたが、どうするんでしょうね。
素晴らしい水彩画を描く友人との、横浜での「二人展」が実現すればうれしいし、ちょっと気が変わって加入してもいいかなという集まりが私を受け入れてくれたらば、その集まりの定例の写真展は9月にありますし。(ただ、この集まりからは今のところ入れてやるとも、だめだともお返事がないので・・・・。)

その時にはこの人も含めて組み写真を試みてみたいなあなんて・・・・・。

私の幸運はいつもこの人から。
- 2014/12/23(火) 00:04:33|
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『美しい人』といえば、・・・・・。
同じポーズでも背景が違うとニュアンスが変わって面白いですね。
だから普段からのロケハンが必要というわけですが、そろそろ大阪まで手を広げないといけませんかね。

といってもまだまだ知らない京都の街があるはずですから頑張ってハンティングしましょう。
東京のように「谷」「山」一つ向こうには別の世界があるというような具合だと面白いんでしょうが、京都はなかなかそうはいきませんね。
ジブリ・アニメの『耳をすませば』で、あの不遜な面構えの猫を追って、「しずく」さんが思わぬ街並みの場所に出る、あの感覚が・・・私の・・・東京ですね。
あんな風だとロケハンも面白いんでしょうけどね。

今度・・・いつになるかは分かりませんが・・・この人のお勧めの古い町に行ってみようと思います。
どうやら案内をしてくれるようですから、その時はまたいい写真が撮れることでしょう。
楽しみです。
楽しみに待っていていいんでしょうね?!

「ええ、大丈夫ですよ。」とこの笑顔で言っているわけではないのですが、多分・・・・ね。
- 2014/12/22(月) 00:02:45|
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さて今日のところは・・・撮影のためにわざわざ京都に来てくれたのですが・・・・このくらいにして次のレッスン場に向かうようです。

ゆっくりクールダウンしていきます。
いつもならばもっと厳しいレッスンなんでしょうが、何しろお邪魔虫がうろうろしていますから。
近いうちにまた渡欧して活躍の場を探すのだそうです。
欧州では小さい頃に才能を見極められて早々と選別されてしまうんだそうです。それに比して日本ではまだ努力して向上する条件があったから続けてこられたんだとも言っていました。
天才ばかりが「才」ではないということは大切な視点だと思います。

それでも国際的なプリマを目指そうと思えばやはり持って生まれた体形や運動能力、音楽的・劇的感性も重要でしょう。
常に自分の限界を意識させられる世界かもしれません。
でも成し遂げようという気概を失えば何事も達成されないこともまた真実です。

この人が達成しようとしていることやこの人の才能と私のような好事家の手慰みとを比べては誠に申し訳ないですが、この人の姿を見ていて、こんな些細な趣味でも思うところを持って続けたら、何か生み出せるものもあるかもしれない、いえ、そう思って倦まず続けていこうと思ったことでした。
また女性の美しさということについて普段考えていることがまた一つ裏付けられたなあと思いました。

『美しい女性を美しく撮りたい』 それもまた私の願いの一つでもあります。
- 2014/12/21(日) 00:03:21|
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ダンサーの、ダンスではなくて、ダンサーとして精進している、女性(ひと)を撮りたい。
と、こいういうところが私が頭でっかちと言われる所以ですね。

では、どうすればいいのか皆目分かてっていないのに言葉だけが先行するんです。
ただ私のブログのコンセプトが「素敵な人たちと」ですので・・・・・・・。

と言っても、その人が身につけた「ダンス」そのものも、その人なんですけど。
・・・・・・、
ところで この方は京都の人ではありません。この人が京都のスタジオを今日初めて借りているんですが、初めての場所でのテキパキとした動きを見ていて感じることがありました。
それは海外に行ってバレーのレッスンを受け、新たな活躍の場を常に求めて生活をしてきたひとの心の強さ、たくましさです。
日本国内でもスタジオを借りて練習をすることは無論あるんでしょう。
しかし、初めてのスタジオでほぼ初めての私のカメラを前にしてのテキパキとして潔いふるまいは、積み重ねてきた経験が与える自信のなせるところでしょうか。
実に気持ちの良いものでした。
その彼女のきっぱりとした姿が私に撮影に専念することを可能にしてくれました。
私が彼女の足元に座ろうと腹ばいになろうと、それは写真を撮るものの自然な姿だと受け止めることができるのは、表現者としての彼女の自覚の故だろうと思います。
あるいは、この写真を心待ちにしているお母さんの目を意識していたのかもしれませんが。

それにしてもこのスタジオは、どうしたものなんでしょう。
私たちが来るときに、スタッフは誰もいないのに解錠されたままでしたし、その後も誰ひとりとして現れません。そして結局誰も来ませんでした。
ただ防犯カメラはやたらと設置されてはいましたが。

こういう業界はこういうのが普通なんでしょうかね。
- 2014/12/20(土) 00:00:24|
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絵描きさんは寒さを避けて暖炉のある喫茶店に駆け込んでしまいました。
そこで今日は、続編の掲載を楽しみにしていたバレー・ダンサー・・・・・ストレッチでしっかり汗をかき、バレーシューズに履き替えたこちらの方に目を移しましょう。
体を温めるために着ていたものを脱いで、いよいよ本格的なレッスンです。

こんな姿勢を軽々としていますが、まさに練習のたまものなんでしょうね。つま先で立つのは基礎中の基礎なんでしょうが。

どの角度から撮ったらいいのか・・・・ちょっと慌てています。

まるで教科書のようにきれいなポーズですね。
もっともバレーの教科書は見たことがありません。ちょっとユーチューブで予習した程度でいうのですが。

これもカメラで止めているんではありません。
実際ピタッときまっているんです。 すごいものですね。 動きの中で止め、そこからまたスムースに動き出す。

軸が動いていないのがよく分かります。

今回はつい『決めポーズ』に気をとられましたから、次回チャンスをいただけたら、動きを撮りたいですね。
と言っても普段ほとんど動きのあるものを撮っていませんから、相当練習を積まないといけないのでしょう。
このカメラのフォーカシングの動体追従性は少々弱いですし、マニュアルを鍛えないといけないかもしれません。が、なにしろ弱くなった私の視力ではこころもとないですねぇ。

- 2014/12/19(金) 00:03:49|
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実はこの日、グント冷え込んだんです。
風の通り道に立つと寒さは一層身にしみます。
林の中にも風の道と、木々の作る風のない場所があるんですね。

芸術系の学校で学んだ人たちは、卒業後その道で生活をしていくのが大変です。
芸術系の学校に行く目的が「芸術家になる」ということでなくていいのはもちろんです。ですが、絵を描き続ける、音楽の作曲や演奏をし続ける、芝居・ダンスをし続ける・・・・ということ自体が至難です。制作する場や道具・設備、発表の場を個人宅に持つこと自体が難しいからです。公共の施設としてそういうものを提供するような文化水準に日本はありませんから勢い「自力・自己責任」とならざるを得ないのです。
しかも企業に就職すれば「長時間残業・休日出勤」は当たり前なんですから。
文化を楽しむことを権利として保障しようという政府でも社会でもないからです。芸術もまた経済的・商業的な「財」としか見られていません。

制作や表現の自由ということと文化の創造と享受の物的・制度的基盤を公共的に整備することとを「ごっちゃ」にして「自由論」をいう人がいますが、私はそれは違うと思っています。
「国(政府・自治体)の援助を受けているのに国(政府・自治体)を批判するのはおかしい」などというのはその裏返しの議論ですが、この程度の議論をする政治家もよく見ます。
まあ、今度選出された議員諸君の多くもそんな程度なんでしょう。各党の文化政策と行動を見れば、ごく一部の党を除いて、そう言わざるを得ませんね。

今度、枯れ葉を何かに使うのだそうで、拾っています。

場所を写して池畔でのスケッチです。
背後にはバードウォッチの施設があります。
先日、下見に来た時は、長い球のレンズをつけた方に「どうです、何かいますか?」と声をかけられました。

私は植物も動物も全く知識が乏しいのですが、せめて高校程度の知識はしっかり身につけるべきだったなあと後悔しています。
学校で学ぶことは人生を楽しくするために、決して馬鹿にできません。
「学校で勉強することなど、どうせ実社会では役に立たない。」などとしたり顔でいう人を時に見ますが、その方はその程度の「実社会しかイメージできていないし、その程度の生活しか送れていない」人なのだなあと思います。

芸術教科を軽視しないで勉強していれば、こういう楽しみ方ができるのに・・・・。
教育委員会や学校自体がこういう人生の楽しみを子供から奪って平気なんですからひどいものです。
「芸術科や家庭科は受験に役に立たないからカリキュラムから削ろう」なんてことが学校の常識なんですからね。

芸術の先生に「話の分かる先生」が多く見られませんでしたか。

おお寒い!!
そろそろ移動しませんか?!
- 2014/12/18(木) 00:00:41|
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連作としてではなくて、一枚一枚としても成り立つように撮りたいなあと・・・・。

これらの中から次の個展の出品作品を選べると思います。
かなり気に入っています。 どうでしょうか。
この人に限らず、私はモデル(私はフォトマヌカンといっていますが)に・・・人数は必ずしも多くはありませんけれど・・・とても恵まれていると思います。
先日★赤影★さんがそう言ってくれたからというのではなくて自分で率直にそう思います。
そのおかげで、私の好みの写真が撮れます。
写真を撮り、それを公開するということはある種の自己主張、自己表現ですから、ただ自分が楽しいから撮った、きれいだと思うから撮ったという以上でなければならないと私は・・・多少・・・そう思っています。
『以上』だということは、まず基本は「自分が楽しい」と思えること、切実に撮りたいと思えること、そこにあると思うのですが、さらにまたそれ以上でなければならないとも思っているのです。
もし私がそういう思いを、拙くとも持っていなければこうした人たちが力を貸してやろうなどとは思ってくれないと思います。

もっとも撮っているときは案外軽いノリで撮っているんですけど。

この人自身が、人を描きますから、モデルをしてもらっている時の話しかけ方や、依頼の工夫などについてお互いの経験などを話しながら撮っています。
勿論、この人はちゃんとスケッチもしているのです。

私の場合の「秋の表現」はこういうことになるんですね。
- 2014/12/17(水) 00:03:59|
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今日はこれから秋のスケッチに出かけます。
もう晩秋ですし、モミジやイチョウの華やかな紅葉の時期は過ぎ去りつつあります。
でも遅い秋の枯れ葉の景色は、これはまたこれで格別ですから。

この方は以前この方自身の絵の個展の際に会場で撮らせていただいた方です。
その後またお会いする機会があって「撮らせてくださいね。」「いいですよ。」と言葉は交わしていたのですが、今日こうして実現するまでには、案外たっぷりの時間が流れました。

この若い作家さんが、先日の私の個展に気付いて来場してくれた時に、ぜひ実現したいとお願いしたら快く引き受けてくれたのです。

人を描いておられるので、その点でも興味を持ったのですが、また色遣いにもセンスのある方で、素敵な絵を描かれます。

芸術系の大学を出た方は、お互いにモデルをしあってきていますし、モデルの大切さを理解されていますので、同業相哀れむ的な気持ちもあって協力してくれています。
2度の私の個展に来てくれていますから「どんな写真を撮るか知っているので引き受けられるのです。」といっていました。
うれしいことです。

今日の写真はカメラ慣れの「準備体操」的なものですが、

こういう方に出会って、私の好きな写真が撮れるのですから幸せなことです。
晩秋の空気を感じていただけますでしょうか。
- 2014/12/16(火) 00:00:27|
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う~ん、ここで止まりましたか?

僕は、最近、清酒派ですからね。 清酒のほうを見てきます。

兵庫県のある方が、「ワンコインだけど美味しいですよ。」と勧めてくれたワインがあるのですが、まだその銘柄を見つけられていません。
今度住所をお教えしますからぜひ現物を送ってくれませんか。
そして、一緒に栓を開けて楽しんでくれると大変うれしいのですが。

ぼくは、たま~に「マドンナ」を楽しむことがあります。
フルーティーでちょっと甘めですが、いやな甘さじゃありません。 美味しいです。

食べたり飲んだりから芸術の世界に。
精神にも美味しいものを摂りたいですからね。
この人も芸術大好き。ですから、「そういう振り」をした写真じゃなくて、撮れるのがうれしいです。

私の写真のポイントの一つは、そこに置きたいなあと思っているのです。

- 2014/12/15(月) 00:00:59|
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トナカイですね。
ところで来年の干支は「羊」 日本の歴史の中で「羊」はあまりなじみがないにもかかわらず、干支は、「羊」が貴重な財産という地域から輸入された風習のゆえに十二支の中に「羊」が入るんでしょうね。
「羊」のはいっている漢字は、「美」にしても「義」にしても、肯定的な意味ですね。
でも財産、宝物に心を執着すると「恙」=心配事になるんですね。

若い人はすぐに反応します。
私は何をしているのか分かりません。

電子機器の発達は、まさに目を見張るものがありますね。
電気的な計算機を始めて発明した人は、世界の需要を4台程度だと予想したそうです。
政府ぐらいしか必要としないし購入できないと考えたんでしょうね。アメリカの人口の集計をそれまでは4年以上かかっていたのを、何と1年に短縮するという画期的成果を収めたそうです。が、その生まれたばかりのコンピューターをはるかにはるかに凌ぐ能力を持ったものを、いま私たちは一人ひとりがポケットやカバンに持っていますが、その計算力を一体、何に使っているんでしょうねぇ。

こんな風に日常のまま歩いてくれる人を撮るような写真は、どんなジャンルにはいるんでしょうか。

「えっ?!なにない、そのコートが気に入ったって?! 値段を聞いてくる?!」

「・・・・・・・・。 ××万円だって。 ・・・・・・・・。」
「そう、それは残念だったねぇ。」
「・・・・・・・・!¥!・・・・。」

じゃあ気分をかえて「デパ地下へ!!」
- 2014/12/14(日) 00:02:10|
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明日は投票日ですねぇ。
このブログを見る友人たちの中には「おまえはなんて堕落したことよ! こんなときに若い女性と町歩きを楽しんでいるなんて、衆院選のことは忘れたのか?! 自民300議席と言われていて、戦争をする国にますます道を開き、消費税の10%への増税に承認を与えることになってしまうこの選挙を軽んじているのか!!沖縄の人々の米軍基地をなくしたいという声が聞こえないか!?」と言う者も出てきそうですが、これは予約投稿ですので・・・と一応の言い訳をしておきます。
近々、不破氏も京都に来るようですし、寒い河原町に演説を聞きに行きますよ。(・・・・これはこの記事を書いている時点での話です。)
まあ、そういうことも大切なこととして忘れないようにしながら、これはまたこれ・・・・・。
地上が寒いのでしばらく地下街を歩いて・・・。

寒い、外と

温かい、建物の中。
ほっとしますね。

私はいろいろなショップなどのインテリアや棚の置き方などに興味があるんですが、ちょっと入りくいショップが多いんです。
ことに若い女性向けのショップには服のデザインの傾向などを見たくても、入れません。
その点この人が一緒なら、大丈夫。 私は付き添いみたいな顔をしてはいることができます。

このあとデパートにも行きたいんだけど。
いいですよ。行きましょう。 私も探したいものがありますし。


というわけで、とあるデパートへ。
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- 2014/12/13(土) 00:00:38|
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12月にはいっても「今日は汗ばむね。」と言って暖かい晩秋を楽しんでいたと思ったら、急に寒気が襲ってきて四国でも降雪。
12月は、やはり冬なんですね。
街はクリスマスの雰囲気が・・・・と言いたいところですが、バブルのころ見たいにやたらに派手で大げさで、あふれるような騒ぎはあまり感じられません。
いくらGDPの数字上の増加を庶民の懐の温かさ具合と同じように錯覚させようと思っても庶民の実感は正直だなあという感じです。
さて、その12月の街を一緒に歩いてもらいました。
今は、日差しがあるものの「う~、今日は案外寒い!」 ちょっと風もありますしね。
でも気分を高めて、出かけましょう。

その前に前の個展への来場のお礼の葉書を。
葉書にはこの人の写真も使わせていただきましたので。

一見、小春日和と言ったところでしょ。

でもどことなく肩をすぼめた様子に今日の寒さが感じられますね。

プロのモデルさんは夏には冬服の、寒い季節には暑いころの流行先取りの新服を着て撮らねばなりません。
腕や肩を出した薄い生地の服を着て「その鳥肌を何とかしろよ!」とか紫色になった唇の色をとがめられるのだということを聞いたことがあります。
その点は素人の私も、この人も楽しく撮るだけですから、感じるままです。

ちょっとクリスマス気分を探しに行きましょう。あくまでジャパニーズクリスマスというか、風俗クリスマスですが。(この「風俗」という言葉も変な手垢のついた言葉になってしまいましたね。使いづらい。)

私のブログにもちょっと季節感を・・・というわけです。
本当はこの人で「秋バージョン」の写真を撮りたいねということだったのですが、生来の私の怠惰さのために無理やり「12月バージョン」です。
- 2014/12/12(金) 00:03:54|
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脱サラしてこの道に・・・・・。

太棹で津軽三味線を弾いています。
三味線などの楽器を演奏するときに目を閉じたりして引いるのをよく見かけますが、「半眼」のときに一層内面的な集中を感じられるのはなぜなんだろうかと思います。

京都でこうした演奏活動をするのはさほど以前からのことではないようですが、演奏活動自身はもう長いのだそうです。
「四条河原町の交差点付近で、夜に演奏させてもらうことが多くて、ここでは初めてかな?」と。
私は夕方には帰宅しているという「優良児」ですので、存じ上げませんでした。

日が短くなり夜は次第に冷え込みが厳しくなってきていますから「だんだん時間が早まって、条件があるときには日中演奏に出てくる機会が増えています。」とのこと。
先ほど海外からのお客さんが、お二人別々に続けて「投げ銭」をしていかれました。
そして写真撮影も。

「う~っ 冷たい。」

津軽三味線の故郷ではもっともっとしばれるのでしょうねぇ。

- 2014/12/11(木) 00:02:30|
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ではまたいずれ、ということでひとたびはその場を辞したのです。が、いくつかのギャラリーをめぐっているうちに「撮りたい」刺激が膨らんできた上に、あるギャラリーの裏庭を見て・・・・ここは以前からどうかしてここで撮りたいと思っていたところなので、・・・スタッフの了解を得て、すぐに踵を返したというわけです。

誘われた側はずいぶんと驚かれたと思うのですが、『思い立ったが吉日』「善は急げ」「チャンスの後頭部は禿げている」と都合の良い言葉ばかりを思い浮かべて「今撮りに行けますか。」ということになったのです。
・・・「急いては事をし損じる」「慌てる乞食もらいが少ない」「急がば回れ」「石橋は叩いても渡るな?」なんて言う言葉はゴミ箱に放り込んで・・・

結果こんな素敵な写真たちが撮れました。

大学4回生。
来春には新しい職場で歩き始めます。羨ましいような職場ですが、それだけに真底深く学び、考えてもらわねばなりませんし、覚悟も決めてもらわねばなりません。
でもこういう表情のできる人が、そうした職場で力を発揮するということは意味があると私は思います。その上に女性ですし。
ちょっと具体的には書けないので、読んでいる方には何のことかわからないと思いますが。
- 2014/12/10(水) 00:00:00|
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出会いというものは本当に不思議なものだと思います。
・・・・・・・・・・・・・
ここ数カ月、「出会い」の様子が少しずつ変わってきたのかなあと感じています。それがよいことか悪いことかは分かりませんが、「量から質へ」の変化が現れていると思います。その正体をはっきりととらえないと対処のしようがありませんが。
「出会い」に対する私の感性に微妙な変化が出てきていることは確かなようです。
これまでの経験で、私にとっても3~4年目というのはある意味で『鬼門』的なモノのようですから注意を怠らないようにしないといけません。
この方にお会いしたのはこの方のおばあ様の絵の個展会場でした。

人物を対象にして描かれた絵が比較的多く展示されていた会場したので、「人物を撮る」私としては興味深く見せていただいていたわけなのです。

そこで作者の方といろいろお話をしていたのですが、知人の方が来場されて一旦その方が席を外されたときに、話し相手になってくれたのです。
つまりお孫さんが手伝いに来ていて、来客である私の話し相手をしてくれたというわけです。

かつて職場で『寺町の父』を名乗って人相見をしたらどうだと言われたことのある私ですから、この人が大変聡明な人だということはすぐに見抜きました。むろん実はなんの特殊な能力も無い私にだって分かることですが。

私のしていることに興味を持ってくれて、過去の写真を見てくれました。
そして写真の幅を広げるために「フォト・マヌカンン」探しをしていることをお話しすると、「協力しましょう」というありがたいお話になりました。
- 2014/12/09(火) 00:02:43|
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Dr.スランプのアラレちゃんみたいなメガネですが、これが実によく似合います。
こう感性にいういつも新鮮な驚きを感じます。

まあ、単に私の感性が貧弱なのかもしれませんが。

不慣れな大阪から、私が無事に京都に帰ることができるか心配してくれています。
地下鉄御堂筋線の心斎橋駅に降りるとこまでついていってあげますと、・・・・。
実際は切符を買うところまで一緒に来てくれました。

自転車と自家用車での生活では鉄道の自動券売機の使い方もままなりません。

後刻、私がメールをしてお礼を言うと「無事に京都に着かれたようでほっと一安心」と返信がありました。

こんな良い人なので一挙に全部の写真を公開するのがもったいないので、今回はここまで・・・、とします。
- 2014/12/08(月) 00:01:52|
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率直にいって私は大阪が苦手です。
ですからあまり大阪に行くことがありませんし、大阪では西も東も分かりません。
そんな大阪に行くにはよほどの動機がなくてはなりません。
ここは心斎橋です。と言っておきながら大阪全体のどのあたりなのか、ここからはどこに行けるのか皆目分からないのですが。
この人が付添です。

この人は私の2度の個展でDMを飾ってくれた人です。
そして、いつもとても好評なんです。
今回はこの人の制作した七宝や彫金のアクセサリーを展示販売するお店を訪ねました。
お店の中にはほかの方々の制作品も展示されていますので撮影がはばかられます。
そこで私が帰るのを送ってくれるその道すがらほんの少し遠回りをしてもらって撮ります。

いつもは作務衣を着て作業台に向かっていますから、そうした時とは雰囲気がいささか違いますが、こうして撮らせてもらうとこの人の別の魅力に触れることができます。
私は自称「勝手におっかけ」です。
職人としてのこの人がどういう仕事をしていくのか勝手に「見守り」隊です。
会員ナンバーはもらっていませんが、いつでもカメラは持ってます。
私が歩きながら気になる壁や植え込みを見つけると、「ここですか?」と、私が口にする前に立ってくれます。

午後の光がちょうどこのシャッターをまともに照らしていますので、ちょっと露出が難しいし、あまりにも周りが鮮やかになりすぎます。
でもこんな色遣いは京都ではまずお目にかかれませんので、「撮ってみよう。」

何でも経験です。
それにこの人はどう撮っても「素敵」なんですね。
- 2014/12/07(日) 00:01:30|
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ストレッチも進んでようやく汗ばんできたという感じです。
この汗を撮りたかったんですね。
撮る側としては単純な発想ですが、こういう汗をかける人の方は蓄積があってこそですよね。



それを撮れせていただけるということは実に幸運なことです。
感謝しなければいけませんね。
ようやくストレッチが一区切りつくようです。

体も温まり、ほぐされてきてところで、ようやく次のレッスンの段階に入ります。

バレーシューズに履き替えます。
何も知らない私は、ここでもバレーシューズについていろいろ教えてもらっています。
シューズをつけている場面、脱ぐ場面は、事前に取りたいなあと思っていたものでしたから力が入ります。

これが前篇の中の「今日の一枚」でしょうか。

後編はまたしばらくおいてアップしようと思います。
- 2014/12/06(土) 00:02:34|
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つま先まで伸びているばかりではなくて、足の甲が湾曲しています。
この甲の湾曲がとても大切なんだそうで、うまくこのRを作ることができる人が羨ましいといっていました。

髪を引きつめているので一層凛とした感じですね。
最近他でダンスなどを見ると、コミック漫画の擬音だらけ、大きく口をあいて叫ぶ場面だらけの表現と同じようなモノを感じてちょっとなじめないなあと思うことがあります。
感情表現があまりに即物的だなという印象です。
それにくらべて、・・・・。

先日、幸運にも能面の面(おもて)をつけさせていただく経験をしたのですが、人間の内面がどのように表情として現れるかを極限まで追究したような、だからかえって一見無表情に見える面の持つ迫力を感じました。
ですから、私はこういう写真が撮れるとうれしくなってしまいます。


本気で物事に取り組んでいる人は美しいですね。
- 2014/12/05(金) 00:01:24|
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撮影をされながらのレッスンというのをしたことがあるのかどうか。
撮らせてもらっていて言うのもなんですが、まあ、やりにくいでしょうねぇ。

帰国して実家にいるのでレッスン量が減って「ちょっと体重が・・・・。」なんて言っていますが、なんてバランスの良いプロポーションでしょう。
そして何より「ただ細い」なんて言うのではなくてばねがあり、よく伸び、作っているラインがきれいです。

私の家の近くに大学があるので毎朝夕たくさんの若い人たちが通るのですが、流行のきれいな服を着ていても、脚は内に、外に開いてひざは曲がり、背筋は縮こまってどうにも美しいとはいいかねる人が少なくないです。
短いスカートをはくのもいいですが、まず自分できれいな筋力のある脚を作り、きれいな歩き方を身につけることを考えたらいいのになあ、なんて思います。

基本の動作、ポーズを一つ一つ確かめています。

私ならとっくに筋肉がけいれんを起こしそうです。
写真だからポーズが決まっている・・・・とお思いかもしれませんが、動きの中から、ある瞬間にピタッときまるのです。そして決まったt瞬間は微動だにしません。そして止まったポーズから動き出しがまた実にスムースなんです。
この人にとっては当たり前のことでしょうが、私には一つ一つの動作が驚きです。
「3歳から始めた。」のだそうですが、・・・私もそうですが、小学校に入る前からいろいろ習い事をする子は少なくないですね。・・・でも果たして意欲を持って続けられるかどうか、そこが問題ですね。
案外早熟で器用にできた人は、思春期に体格が変わり、周囲が変化してくると中途でやめる人が多いように感じます。天才と言われて生涯天才で過ごす人ばかりではありません。秀才や能才も、そこに「努力」の因子を強く組み込める人だけが成果を上げられるのだと思います。
自分ができないということ、体格や能力的なコンプレックスと向き合って格闘して思春期を迎えた人の方が案外その後にまで伸びていくような気がします。

3才からの英才教育を声高にいう人がいますが、その英才教育を施す側にそれにふさわしい英才というものがどれほどいるのだろうかと思います。
人は右肩上がりに一直線に伸びていくわけではありません。浮き沈みも挫折もあるわけですから、そこでどう援助できるかが分かっている指導者が必要なんでしょうね。
小・中・高校でも同じでしょう。

「できない」から「できる」へということについて本当に分かっている人がどれほどいるんでしょう。

教えてみたらできるようになった子とできない子ができた。ただそれだけで終わっているのではないかと思います。
- 2014/12/04(木) 00:01:36|
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初めてお会いしたのは、2011年の12月のことでした。あれから早、3年になるのですね。
お母さんとはときどきお話もし、私の個展にもご両親に揃ってきたいただくなどお付き合いさせていただいてきたのですが。
それがある事情からクラシックバレーのレッスンの様子を撮らせていただけることになったのです。
「お久しぶりです。」
バレーをされている上に顔立ちがきれいなので宝塚の方のようです。

撮影のためにわざわざ京都にスタジオを借りてくれました。
私は以前から「ストレッチからの様子を撮りたいといってきましたが、その念願がかないます。
表現芸術では、完成した姿をこそ見せたいと思われるのでしょうが、私の関心はそれ以前にあります。
で、通常はなかなか見せてもいただけないし、写真になど撮らせていただけないのですが、この人のお母さんの願いの「代理人」として撮らせていただくことになりました。

クラシックバレーは極めて高度で、ある意味特殊な体の使い方をしますから、本来の練習に入る前のストレッチもとてもとても念入りです。

視線の方向には鏡があります。常に自分のポーズを確認しています。
全身に神経が行き届いています。

私にはクラシックバレーの知識が全くありませんから、ところどころ解説づきです。
渡英してバレーの武者修行をしていったん帰国し、今度はドイツに渡って学んでくるんだそうです。
常に音楽を流し、それに合わせて準備運動です。

どのポーズのどの瞬間にも優雅さがあります。
幼すぎない年齢にもよるのだろうし、経験も積み、今は渡欧を前にして精神的にも充実しているからでしょうか、とても美しく感じられます。

- 2014/12/03(水) 00:00:05|
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この人も大学を卒業して新たな世界に踏み込んでいきます。
道の分かれるところでは人は少し緊張します。

決意は固まり、覚悟となり、却って心躍らせる意欲となります。
澄んだ若者の目は魅力的です。

少し日が傾き始めました。(ガリレオには、叱られそうな表現ですが。)

この撮影から既に一週間以上が経ちます。
おそらく今頃はこのあたりは燃えるような紅葉でしょう。
そして大変な人出に違いありません。

そのもっとも盛んなころではなくて、まだ緑がかなり残っている風景にもかかわらず「きれいな紅葉!」だと喜んでくれています。

せめて写真の上でだけでも「紅葉真っ只中」を演出。



そして、

さらに、

記憶に残る写真になったでしょうか。
- 2014/12/02(火) 00:02:27|
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