私たちが大学生のころいったいなん人がこうしたことを発想したでしょうか。
彼は自転車で北米大陸を、徒歩でネパールを旅したのだそうです。
そして彼の友人はヨーロッパを。

その彼の友人は今四条のある写真屋に「プリントを撮りにいきました。」ということで留守をしています。
そしてその大阪人の友人は行ったきりなかなか帰ってきません。
その間、この人とゆっくり話します。

このあたりは外国人も多いし、「『一週間前にこの(写真の)町を発って京都に来たよ。』なんていうことになるかもね。」なんて話をしていると案の定やってきました。
ドイツ人なんだそうで、・・・。

「これは私の住んでいる街だよ。」
「エ~っ!!?? 本当ですか?!」

この外国人の故郷はマインツなんだそうで、彼の友人の写真にそのマインツがありました。
残念ながら写真を買ってはくれませんでしたが、思わぬ・・・いえ、予想通りの??・・・エピソードができました。

それにしても添加の三条がわらにこうして旅の写真・・・と言ってもほんのちょっとしたスナップというのではなくて、大自然やきれいな町並みを上手にと手地ますし、コンピューターソフトで雰囲気を盛り上げてもいます。・・・を販売しうようなどということを思いつくなんて、まさにいまどきの若者でしょうか。
そこに新たな登場人物。サポーターでしょうか。

それにしても、比較的暖かな日中とはいえ鴨川の石畳にシート一枚敷いて座るのは冷たいでしょう。
それにもうすぐ陽が翳ります。そうなれば・・・・。
- 2014/11/30(日) 00:00:40|
- 写真
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気持ちの良い秋の日です。鴨川を自転車で走ります。

ギターにアコーディオンに、そして????
私の知らない楽器です。
音楽はアイリッシュな感じですが、訊ねてみるとやはりそうでした。

楽器の名前はティン・フォイッスルというんだそうです。
彼のカバンには色違いの?ティン・フォイッスルの他にフルートも入っていました。
覗きこんだわけではありません。鞄の口からフルートが付き出ていたのです。

必ずしもアイリッシュ系の音楽だけをやるのではないそうですが。
ギターの男性の口が赤いのはピックを咥えているからです。(ギターをする人にとっては言わずもがなですね。)
ちょっと珍しい組み合わせだったので思わず自転車を止めてしばらく耳を傾けました。
三人がそれぞれ指摘し合って、なかなか厳しく練習をしています。リーダーはギターの彼のようですが。
私としては、秋の気配をつかまえるためにあれやこれやと試みているつもりなんです、・・・が。

共に奏でる人たちの「目」

秋に音楽は似合いますねぇ。

彼らのステージデビューはまだこれからなんだそうで、私が写真をとお願いすると、むしろこちらこそお願いしますと謙虚な好青年たちです。

鴨川には青春のいろいろな姿があります。

そして懸命に取り組む人たちは、その多くがとても謙虚です。
- 2014/11/29(土) 00:02:05|
- 音楽
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京都も、ちょっと裏道にいいところがあるのです。
お屋敷の中にはそのお家独り占めのモミジや桜が。

私に案内される人は必ず通る道です。
この道から永観堂までは、すぐです。

でもあまりの混みようで敬遠して、こちらに・・・。
観光記念写真。
疎水沿いは桜がたくさんありますから紅葉はきれいですが、その桜の黄葉の時期はもう盛りが過ぎて今はやはりモミジです。

ここには人に慣れたたくさんの猫たちが。
猫好きの人の中にはここを目指してくるという人もいるようで。

瞬間移動です。

同じ場所でもフォトマヌカンが違えば雰囲気はまたぐっと変わってきますね。
- 2014/11/28(金) 00:01:27|
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「観光の人の多くが通る表の道と、あまり多くの人が通らない裏の、素敵な道とどっちを行きたい?」
「エ~ッ それって選択するほうがもう決まっているような・・・。」
- 2014/11/27(木) 00:00:04|
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この人を撮ったのは今年の早春だったか。
個展では「振りかえれば春」と題した写真を出させてもらった。
その後将来のための忙しい時間を過ごして、ようやく「ちょっと余裕ができました。」との知らせ。
で、しばらくぶりの「フォト・マヌカン」をしていただいた。

というより、ともすれば季節を眺める心に欠ける私にちょっと周囲を見回す機会を作ってくれたというところです。

京都での大学生活ももうすぐ終わり、他県に就職する彼女にとっても京都の思い出にと「ここぞ紅葉の観光地」というところを歩きました。
上の写真を見て「ああ、ここは。」とお分かりの方は京都通でしょうか。

とにかく周囲はたくさんの観光客であふれていますから、撮影は困難を極めます。
まあ、お邪魔にならないようにという程度に。
ここぞという場所はカメラ・パースンたちが入れ替わり立ち替わりです。

でも私はこの人がいますから。

おなじみの場所でも割り込むのは止めにして。

このきゃしゃな一本のカエデの木は毎年、一番の紅い色を演出してくれます。
まるで孤高の美人のようです。

忙しく充実した学生生活を送ってきた彼女は「4年分の紅葉を見る感じです。」とのこと。
大学にはイチョウの黄葉はあるけれど・・・・。
- 2014/11/26(水) 00:00:04|
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年末年始の休みが明ければすぐにお会いするような人にまで年賀状は要りませんよね。
でもその一方で、賀状だけでのつながりでも、それでお互いの消息を伝えあうのは悪くありません。
私などは 『年賀状』という国民的な大騒動に押されてでなければそうした『あいさつ』もままならないのが現状ですから。

こんな「おまけ」もありますからどうですか?

購入価格帯ごとにいただける「おまけ」が違うようです。
私にはこの笑顔で十分ですけど。

いつもだともう少し時間の経った5時前後から売り上げが増えるのだそうで、交代直後はこんなものですと・・・。
ついこういう写真も撮ってしまいます。


今や先生たちは年がら年中走り回っていますから「落ち着いている」代表格としてはずっと前に転げ落ちていますが、言葉だけは「師走」が近づきます。
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- 2014/11/25(火) 00:02:20|
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街に見られるクリスマスの飾りつけ、そしてこの風景。
もう今年もうあとわずかだとせきたてられます。 みなさんは年賀状の手配はお済みですか?
まだ1カ月もあるのに新年のことは・・・・というのが私の率直な気持ち。

いつも思うのはこんな寒い・・・・まだまだ11月の今頃はウンとましですが・・・思いをさせてまで年賀はがきを売らなければならないのかということです。
いいじゃないですか、自然に必要とされるだけ売れれば。無理強いに新年のあいさつをしなくてはならないとは思えませんがね。
それはともかく、こうした場所で働く人には頭が下がります。
その上「笑顔」なんですね。
今ちょうど交代時刻で、葉書を並べています。
私も結局インクジェット用紙を購入することになるんでしょうか。

これは「おまけ」ですね。
配達用のスクーターや自動車のミニチュアがなかなか良さそうです。

どうやら準備ができたようです。
私の場合、まだ個展の礼状も出していないのに年賀状までは到底手が及ばないのです。 礼状のアイディアがどうしても浮かばないので愚図愚図しているんです。どうも型どおりに事を運ぶのが嫌な性格で、いつもそれで周囲の人に失礼なことになってしまうのです。
これでは年賀状と重なってしまいますね。

寒いので大変でしょう?というと、
ヒーターが案外あたたかいし、防寒用のコートを着られるのlだけれど、それが「ずいぶん暖かい。」のだそうです。
そして「まだまだ着ませんよ。」

一番寒い時に備えて今は「我慢。している」のだそうです。「そうしないと体が温かいのに慣れてしまうから。」
だそうです。
なるほどね。
それにしてもこの人の笑顔で「年賀はがきはいかがですか?」と誘われたら、つい・・・・。
それになんだか心が温められるようで。

- 2014/11/24(月) 00:00:49|
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ご覧の通り、感度の高くないフィルムで撮ったようなブレブレの写真です。
昔はよくこういう写真になったものだなあとちょっと懐かしいような。

「ハイッ! できたよ~っ!!」
それにしても両手鍋をこうして持ち続けるのは大変なことだなと思います。
片手なべなら持ちやすいのでしょうし、力も入るのでしょうが、手首の自由度が低くなるのかもしれません。
中華料理の料理人の間ではこの両手鍋を扱える人の方が腕前を誇るのだと聞いたことがありますが、どうなんでしょう。

さあ、休憩前に少し仕込みをしておこうか。

吉林出身の調理人と台湾出身の料理人。
大陸人と台湾人。
それを日本人が撮る。・・・いえ、食べる。
庶民の間でのつながりです。


この奥の方をこの前撮らせていただいたのですが、合間に見せてくれる笑顔は最高です。
言葉が通じないことが歯がゆいですが、「非常好吃。谢谢。」と、声をかけるようにしています。
「再見。」
- 2014/11/23(日) 00:01:38|
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以前、「今度来た時に写真を撮らせてください。」と頼んであったのですが、
食事をして、もたもたしているうちに「(昼食休憩前だからもう最後のチャンスだよ。」と、中華鍋で料理を作るのは・・・・最後の注文なので・・・一回だけだよと言われて慌てふためいてしまいました。

この方は台湾出身の料理人。日本語を話します。
前回ここで撮らせてもらったときに「いいよ、いいよ奥にははいったらいいよ。」と大きな声で促してくれた方です。

ここの厨房は正面の壁の方に照明がほとんどないのでちょっと暗いです。
なんだか集安に旅行した時に立ち寄った食堂を思い出します。
もっともそこではステンレス製のではなくてタイルの設備でしたが。

中華料理は短時間に強力な火力で仕上げていくもいのが多いので、シャッターチャンスはごく短いのです。
感度の設定だけはしてあったのですが、「今日撮らせてもらえますか?」から「チャンスはこれだけだよ。」まで数秒という状況で、カラーで撮るのかモノクロで撮るのか、シャッタースピードはどうするのか考える暇さえありません。

とにかく調理人のほうは手際がいいですから、その作業の早いこと。それに比べて・・・・・。
これでは絶対に報道カメラマンは務まりません。準備が足りませんねぇ。
この写真が精いっぱいというところでした。

外国から日本に来て働き生活している人たちが、朝起きた時、夜寝るときになにを思うのか・・・ふと想像します。
世界はますます緊密に結びついているのに私の頭も生活もインターナショナルからは程遠いので少しずつ海外の人との接触を増やしていこうと思います。せっかく京都に住んでいるのですから。
- 2014/11/22(土) 08:02:43|
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今日も新たな職人さんに出会えるかなと出かけたのです。
この場所には多くの外国人旅行者が・・・・連れて来られて?・・・見学し、お土産を買う場所です。
観光バスで乗り込んできた観光客は、今、館内放送に促されて、着物のファッションショウの会場に移動しつつあります。

そんな観光客の様子に満遍なく視線をめぐらしているように見える彼女はツアコンでしょうか、ガイドでしょうか。
彼女の表情はただ気を配っているというだけでなく常に笑顔です。その笑顔の魅力的なこと。

大半の観光客がファッションショーのほうに移動したのを見計らって、声をかけてみました。
すると彼女の仕事は私の予測とはずいぶん違ったものだということが分かりました。
えっ?!万引き防止の監視員ですって?!とんでもない。全然違います。
もしそうなら写真撮影をOKしたりしませんよね。

彼女はある人をじっと見守っているのですが、具体的なことは秘密にしておきましょう。

「ちょっと恥ずかしいですね。」とおっしゃるので・・・それはそうですよね、お店のスタッフやお客さんの視線もありますし・・・大急ぎの撮影です。

慌てていることがよく分かるでしょ?!

またお会いできるといいなあ。
- 2014/11/21(金) 00:00:57|
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「チャーハン」は「焼飯」と書く。
「焼かなきゃだめだ。」とはこの店の一番の先輩の言葉。 鍋をあおって飯を火であぶる。一粒一粒が分離するようにあぶる。
あおる力と飯をはね上げるタイミング。
調味料を入れていく。

「じゃ、ないだろ!!」
「はいっ」
順番に入れればいいってモノじゃない。 飯や野菜が熱せられていくタイミング、他の調味料のなじみ方・・・調和させて入れていくには「勘」を研ぎ澄まさねばならない。

「ほら、ここだろ?! みてろ。」と無言で示す。
文字にすると何だか声を荒げているようだが、少しもそういう風ではない。
けれど実に説得力がある。

あとは自分で仕上げていく。
大将は向こうに行ってしまった。

この時の気持ちを彼はずっと忘れないだろう。

そしてやがて彼に後輩ができ、彼が店長となり、若いものに教えていく。
その時私は彼を撮りたいと思うが、果たして私は足を運べるのだろうか。

若者が育つ姿は実にいいものだ。
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- 2014/11/20(木) 00:03:37|
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「釣り人は、鮒に始まり鮒に終わる」と言うそうですが、中華料理は「チャーハンに始まりチャーハンに終わる。」と。
昼の最も忙しい時の山をようやく越えたころ、交代で昼食休憩に入ります。
先に休憩をとっていた先輩が帰ってくる頃です。
「今日は何にするんや?」 「・・・・・・で。」
賄い飯は自分で作るようです。
・・・・?!?! 自分で作る?! 彼が自分で作るんや!・・・・・これは撮らな。
ガサゴソガサゴソ・・・カメラがリュックからなかなか取り出せません。
ドキュメンタリ・ポートレートとしてはシャッターチャンスも命です。
とにかくシャッターを切らねば・・・。

チャンスはよかった、でも腕が、準備が、設定が・・・・・。 ピントはボールにぴったりと。

「・・・・はどれくらい? 勘ですか?」
「そうや、勘や。 その日によって飯の炊け方が違うやろ。野菜の状態も違う。だから測ったように入れてもだめなんだ。」

「材料は生きてるんやで。」
「いいこと言うなあ。大将!」と常連客が茶々を入れる。
自分の賄いを作るときにそのメニューの作り方を教えてもらえる。
彼は「○○さんの休憩時間、もうすぐ終わりですよね。」と待ちわびていたのは、先輩が時間延長しているのを訴えたわけでもなければ、お腹がすいて食事の時間を待ちわびているというだけのことではない。教えてもらえるその時間がもうすぐ来るからでもあるのだ。

大将はすぐ横に貼りついて教える。 この人は「そんなこともできんのか?!」という見下した空気が少しもないし、分かっていないものに「そなんこともできんのか」という「無理遍にゲンコツ」的なところも微塵もない。
しかし、この瞬間、空気がぴんと張っている。

大将は昔ラグビーをしていたというから、後輩を教えたりする呼吸が分かっているのかもlしれない。

先ほどの常連さんが、私がカメラを取り出して撮り始めると、さっと、メニューや紙ナプキンを取り除いてくれた。
何という親切な心遣いだろう。
この方の親切には、無論私に対するモノがあると思うが、しかし、その一方でこの二人の姿を「撮ってやってくれ」という気持ちがあったと思う。
「こんな風に真剣に聞いてくれる若いもんがいればなあ、・・・・。」とその方の言葉からそれが分かる。
- 2014/11/19(水) 00:00:01|
- 料理
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この施設では土曜・日曜日に学生が実演をしている。
実演を依頼される学生は優秀だと評価されているのだろうと思います。
今日は会場の3人ともが女性でした。
この方は木彫です。

今、浮世絵を浮彫で表現することに取り組んでいます。
浮世絵は3次元のモデルを2次元に表現しているわけですが、それを2.5次元?に復元するわけです。
着物の裾は本来はどうなっているのか、襦袢と上着の質感の違いをどう表現するか、・・・などなど解き明かしながら制作していくのだそうです。

浮世絵の女性は顔の大きさに比べて首はとても細くてかよわい表現になっています。それをそのまま再現すれば奇妙な形になってしまいます。
そのあたりも課題だといっていました。

この木は松なんだそうですが、顔や首、あるいは腕などの肌は木肌のままで表現したいといっていましたが、その表情は本当に木そのものが好きなんだなあという感じでした。
普通、松は脂があったりして取り扱いにくいものだろうと思うのですが、この木はそんなことはないのだそうです。

彫刻刀やノミなどが3ダースくらい並んでいましたが、自宅にはもう少しあるんだそうで、職人にとっての道具というものを思いました。
撮られていると緊張しちゃうなあなんていいながら、私の撮影に協力してくれました。
ありがとうございました。

・・・・・・・・・今朝、PCを立ち上げてメールボックスを開くと畏友からメールが届いていて「ブログに画像が出てないよ。」と。
ありがたいものです。こう言う友人がいるということは宝ですね。
実は最近私のPCが絶不調でありまして、とにかく反応が「遅い!!」のです。 Fc2ブログの反応もこれまた遅い!!のです。で、すっかり嫌気がさして作業を途中で投げ出したためにこういうことがおこったのですが・・・・。
しかし、それは事の半面で、個展なんてことをするものですからいろいろ感じ過ぎてしまって、思いだけがオーバーフローしているわけです。
で、却って撮れなくなっているというわけで・・・。身の丈に合わないことは控えめにしたほうがよさそうですね(苦笑)
- 2014/11/18(火) 00:03:21|
- 工芸
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岐阜県飛騨市神岡町(旧吉城郡)神岡鉱山内に設置された観測装置旧カミオカンデ。宇宙から降り注ぐニュートリノの痕跡を調べる。
私は様々な人と出会ってシャッタ-を切るうち、その人の人生と私とが交錯してそこにその人の存在の確かな痕跡としてこれらの写真が残ったのではないかと夢想する。

京刺繍を京繍(きょうぬい)といいます。

リスを描いておられます。
ぞの毛並み、毛艶の見事さと言ったら。
撚っていない絹糸を時に4本、時に6本と取り出して縫います。そうすることによって輝きやグラデーションが見事に表現されます。
毛バリです。
こうした針に手作業で穴を穿ってきた職人さんももうおられません。
私の弱り切った目にはこうした細い針の穴は見えません。

極細の針に糸を通すには、針を持つのではなくて、針は布に刺して立てます。その針の穴に糸を通すのです。
なぜかお分かりですか。

それにしてもよく通るものです。
「裏からの針のほいうが位置を間違いなくさせる」とおっしゃいます。
なまじ眼で見るよりは手指の勘に任せた方が正確なのでしょうか。

リスのしっぽのボリュ-ムと艶やかさがみるみる現れてきます。

人を撮る。
少しばかりせつない行為です。

人を撮る若き写真家よ、出でよ。

それにしても職人さんたちの醸しだす空気はつい撮ることに夢中にさせます。
- 2014/11/17(月) 00:00:09|
- 伝統工芸
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鴨川の堤を飾る桜の紅葉が深まっています。
今日は空がよく晴れて気持ちの良い日です。こんな日は誰かがきっと楽器の練習をしています。
誰か面白いことをしていないかなあ。
と、そんな時に対岸から・・・あれはサキソフォンの音でしょうか?
木陰で吹いているらしくこちらからはよく見えません。護岸の端まで行って目を皿のようのするのですがかすかに金属の光が見えるだけです。
橋は、戻るにしても先に行くにしても遠いようです・・・・・。
ふと振り返ると、・・・。

彼女は遅いランチを摂っているようでした。
「ハーイ。」と私。「カンユースピークジャパニーズ?」とたどたどしい英語であるような、ないような。
「ハイ、少し。」と指先で豆をつまむようなしぐさで答えます。
「英語できますか?」と彼女。
「リトル」とやはり指先を細く開いて、私。

京都に来てどのくらいか聞くと「う~ん、に・・・・・。」と言葉を探しているようで、しかもそう長い滞在ではないような気配.
「トゥー マンスィズ?」
「Two weeks]
日本に来てから3週間だそうで、それでこの日本語!!

日本の印象は。 「とても好きです。」
例えば。 「食べ物、自然・・・。」
「寿司は大丈夫でしたか。」 「大好き。それに『ナベ』も」だそうです。

私がアマチュアのフォトグラファでこんな写真を撮っているのだと、いつもの作例を見てもらうと興味津津。熱心に見てくれました。
「数日前の日曜日まで個展をしていたのですよ。」とDMを渡すと「残念!見たかった。」とも。

彼女の祖国はスイス。

変なおじさんに声をかけられて日本の印象が悪くならなければいいのですが。
E・メールをくれたら返信に写真を添付する約束です。とても喜んでくれていました。

私の英語力がせめて中学卒業程度にあれば・・・・と思うことでした。
- 2014/11/16(日) 00:00:36|
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来場していただいた方が写った『寸景』をお見せしたいのですが、お許しを得ていませんので・・・・。

セルフタイマーでの自分撮りというのは妙に照れくさいし難しいものですね。

記録的な意味で・・・・・また関心を持っていただいていても遠方にお住まいでお越しいただけなかった何人かの方々のために。

こんな感じでしたよ~、という意味と展示作品をそれとなく。

撮らせていただいた職人さんがご夫婦で見に来られ、かけられた写真を背に記念撮影をされていました。
昔はどれほど忙しかったか、また良い仕事に恵まれて充実していたか「あの頃は本当に良かったね。」と繰り返しながら、「やっぱり仕事をしている時が一番かっこいいね。」とご主人に細めた目を向けておられました。
「ブログが見られないので孫や甥たちに頼んで見られるようにしてもらった。親戚の者たちにこの写真のことを話してずいぶん電話をしたねぇ。」
うれしい限りです。

別の方もご夫婦で見に来られ、翌日には娘さんも来てくれました。
ご家族ごとブログ掲載を喜んでいただけて、これまたうれしい限りです。
人物写真を撮ってきてよかったなあと思う時です。

来場された方それぞれが、違った写真を「いいね」と言ってくれたり、ある程度写真の経験を積んだ人や絵を描いておられる方が「これがいい」というのが共通していたり。
プロの写真家の方に作品の並べ方や選び方のアドバイスをいただいたり、はたまたあるギャラリーのーオーナーさんには「ワイヤーの処理がしてないなんて展示以前だ。」とご指摘いただいたり、学ぶことも多い個展でした。
- 2014/11/15(土) 00:02:49|
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今月の4日から9日まで私の第2回個展(写真展)をしました。
個展をすることについては人によってさまざまな位置付・意義づけがあると思います。
それを論じ始めますと話が長くなりますので、まあ結局「ただやりたいのでやった」ということにしておきます。
前回と会場が異なり繁華街のただなかです。

この建物はもと平安画廊だったところだと思います。
私は2階です。下では絵画の個展をされています。
1階と2階ではずいぶん人の入りが違います。(いえ、今回はもちろん下の方の画力・お人柄と私の写力・普段の心掛けがの違いが出ているわけですが。)

看板です。
看板に写真を張りました。DMにも使わせてもらったものです。
この写真を使ったDMを、受け取ってから2ヵ月間机の前に飾っていたという人がいるくらい人気の人です。

こちらはすでに10年くらい以前にフィルムで撮ったものです。
季節があっていたので登場してもらいました。私としてはとても気に入っている写真です。
「10:00~15:00」で撮るというパターンの最初のころの人です。こういう人がいてくれたからこそ少しづつ撮れるようになったのです。

被写体になっていただいた方がたにはお顔を出していただいていますのに私自身は・・・・名前も「蒼樹」と本名を伏せています・・・隠れているというのも具合が悪いので個展の時ぐらいは・・・・。

といって一度出ればよいのですが、会場の雰囲気を・・・という口実で。

まだ初日の、どなたもおいでにならない時の写真です。
直後に、若い男性が来てくれて熱心に見ていただきました。会場を二周、三周と回ってくれて繰り返し見いっていただいていましたので、その間ドキドキしていました。
- 2014/11/14(金) 00:01:32|
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今回個展をして、次に向かうテーマはと聞かれました。
あまり狭いテーマを持っては撮ってきてはいないし、これからも絞りすぎないようにしたいというのが正直な気持ちなのです。「素敵な人たち」をそれ以上絞るのもなんだか・・・・と思うからです。
が、いくつかの関心の内の一つが「京都に暮らす外国人」です。
「素敵な人たちと」がベースにあるのですが、ちょっと好奇心の方向性を意識してみようということです。

最近海外からの観光客が京都の街に多くなっています。中台の人に咥えて欧米の人が増えています。イスラム圏の方々も増えているようです。
そうした中で京都に暮らしの拠点、生業の拠点を選ぶ人がたくさんいるようです。
日本人と結婚してという人も少なくありません。
私の若い友人が最近結婚をしたのですが、相手はフランス人男性で、日本に在住しています。

最近飲む機会があると調子に乗って「1000人撮ったらパリで個展」などと大ぶろしきを広げていますが、何もはるばる飛行機で10数時間の旅をしなくても、日本に、京都にいる外国人との交流を深めて、写真を撮らせてもらい、また見てもらって印象を聞けばいいことだとも気付きました。

そこで、またいろいろ気付けば、私の写真も多少は成長するかもしれません。
パリはそれからでも遅くはないかと・・・・。

個展をしているときに、入り口のドアを少し開けて中を覗く刹那 「なんだ、人間か?!」という言葉を吐き捨てて踵をめぐらした人がいました。
写真に関心を持っても自分が撮っている分野にしか興味がないようです。
絵画を見に回っている人も写真には興味を示されない?
・・・・・。
写真は「モノクロでなくては・・・。」と私のカラー写真を見ておっしゃる人も。
「デジタルはなあ。」とつぶやく方も。
プリントを見てフィルムで撮った写真とデジタルで撮った写真を区別されたのではなくてカメラを見ての話です。・・・・この道40年のプロ写真家のかたが、「フィルムですか?」とおっしゃるプリントをみて「デジタルじゃだめだね。」なんてその方はおっしゃるんです・・・・。

こういう中「文化状況」の中で写真を撮って、時に公開するということの意味も考えたいなあと思っています。
今回の「この一枚」でしょうか。


「謝謝。」
「不客气。
「再来。」
- 2014/11/13(木) 00:03:27|
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どこの料理店に行っても厨房が気になります。無論、服务员、小姐が気にならないわけではありません。
ましてきれいな小姐がいれば。
食事の注文をして奥を見ると厨房が見えました。

この店の小姐は中国なまりの日本語を話します。
「どちらの方ですか?」
「台湾です。」とのこと。
そこで、この店はきっと台湾からの同族か地縁者が働いているのだろうと勝手な想像をしたのですが。
たまたま昼の休みで外に出てしまったもう一人の厨师は、やはり台湾人なのだそうですが、
今日撮影に応えてくれた人は大陸の東北・吉林省の人だということです。
私が3年前に行ったのは遼寧省瀋陽でしたから同じ東三省の仲間。
なんとなく親近感を持ちます。

日本語ができる小姐に「彼の写真を撮らせてもらいたいのですが、頼んでくれますか?」と尋ねますと、中国語で話しかけていました。
「彼は日本語ができない。」のだそうです。
でも吉林は東北地方ですから北京語と比較すると東北訛りがあるでしょうし、話しかける人が台湾人ですから、青森の人と鹿児島の人が話すようなことにならないのかと不思議です。
文字も簡体字と繁体字の違いがありますし。

私がどんな意図で写真を撮るのかというような細かな事情は通訳されていないようですが、とにかく写真を撮りたいらしから・・・というようなことです。
「你好!」

もう一人の、いつの間にか休憩に行ってしまった台湾人の調理師が、「いいよいいよ。奥に入って撮りなさい。」と声をかけてくれたので「邪魔になる場所は教えてくださいね。」と言いながら・・・・。

この店の中華鍋は両側に持つところがあります。珉珉では片手なべでした。
手首から肘までの筋肉が素晴らしく発達しています。
中国人らしい男前ですね。
- 2014/11/12(水) 00:02:58|
- 料理
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摺りには「馬連」を使います。
ご覧のように「円盤型の芯を竹の皮で包んだもの」です。
小学校の頃につかった記憶がある、あの馬連を一回りかふたまわり大きくしたものです。

「馬連」は昔と変わらないのですねぇ?!
「そうですね。いろいろ出てようですが結局これが最適のようです。大切に使えばずいぶん長い間使えるんですよ。」とのことでした。

この力のかけ方で色の濃淡やエッジの鋭さ淡さなどが決まります。
この場では一枚の版木を一旦ある色で摺り、それをさらに彫り進んで別の色を塗って摺る。という具合に多色刷りをしています。
浮世絵のように一つの色に一枚の版木といったように5色刷りなら5枚の版木、7色刷りなら7枚の版木というやり方ではありません。
同じ版木から何十枚も何百枚も摺らないからいいのでしょう。
一段階目の彫りで数枚同じ色に摺っておきます。そうして次の色、次の色と色を重ねて数枚の作品が出来上がるわけです。
版木に色をつけて摺りますが「3回目位からようやくいい感じになりますね。1度目2度は捨て石のような感じです。」
さてこれは2色目です。

紙を置く瞬間にはピタッと位置を決めるにために神経を集中させます。

摺りには力が要ります。

- 2014/11/11(火) 00:03:19|
- 版画
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JARFO(ジャパンアートフォ―ラム)の本部・ギャラリーが東大路三条を東に行ったところにあります。
ここでは現代美術などの作品が展示されます。海外の作家のモノをよく見ることができるので私は時々気にしていきます。
その建物の前で、・・・・。

版画家さんです。お二人で版画の魅力をもっとよく知ってもらおうと「体験」の機会を作っていました。
お二人のうちお一人は「私は写真が苦手」だからと作業用具一式を持って屋内に退避してしまいました。
せっかくお二人でやっていたのに追い払ってしまうような結果になって申し訳ないことでした。

こちらの方は以前他の場所でもほんの少しお会いしたことがあります。名刺をいただく程度でしたが。
以前「緑色」が大好きな椅子制作者をご紹介しました。あの会場にこの人もブースを持っていたのです。
JAFROの推薦枠で出店されていました。

その時にはたまたま取り込んでおられたのでほとんど話らしい話もできなかったのですが、・・・・。
我が家の小6生などは、こういう体験が大好きですから、もしあらかじめ知っていて時間が合えば大喜びで参加させもらったでしょうが、・・・・。

私などは小中学校で経験した以外にはほとんど版木を彫るなどということはありませんでした。
私の娘や息子が小さい頃にイモ版やゴム版はしたかなあ。
私が中学生のころに他地域から来たK君が、前の中学にとても良い美術の先生がいたようで、絵を描かせても版木を彫らせても周囲の中学生とは全く次元が違う作品を作っていたのです。それを目の当たりに見て多少は自信があった私はこんな身近にでもこれほどまでに優れた者がいるのでは絵や版画の世界で自分が評価されることはないだろうと将来を諦めました。
まあそれで写真をしているんですね。
- 2014/11/10(月) 00:02:16|
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「銅心」
雅号というのでしょうか。
銅線でこうした籠を編んでいるのだから「銅心」
私はそんな風に単純に考えていました。

「東京オリンピックの時だったなあ。」と銅心さんが話し始めます。
マラソンで円谷という選手がいた。国立競技場に帰ってくるまでは2位を走っていたけれど、トラックでヒートリーに抜き去られて3位になった。
実況中継のアナンサーの悲痛な応援も届かなかった。
「あの人はまじめだったから、次のオリンピックに向けての国民の期待の重さに自殺してしまったな。ワシは金や銀ではなくて3位ということを考えた。3位の人生というのを思って『銅心』という名前にしたんだ。」

そうだったのか、と。
銅は銅メダルの銅だったのですね。
「3位の心・・・か。」

「そういえば以前『あなたの顔をギャラリーで見ましたよ。』という人が何人か来たことがあるよ。それはきっとお父さん・・・この人は私のことをそう呼ぶのです。この方の方が先輩なんですが・・・・の写真を見たんだなあ。」
「ワシを撮っていく人はたくさんいるけど、たいがい写真は持ってこないね。お父さんは違った。
お父さんがどうしてワシを撮るのか、それは気持ち的によく分かるから好きに撮ったらいいよ。
写真展は見に行かんけどな。」
前回もそうでしたが、私はこの人を撮るときに地面にあおむけになって寝ころんで銅心さんと話しながら撮っています。それを銅心さんは驚きも奇妙にも感じずに普段通りです。
だから私も素直に、より良いアングルを探すのです。
私が人を撮っていて良かったなあと思う瞬間の一つはこんな時です。

私がここを通りかかる時は大きな声で「こんちは!」「元気ですか!」と声をかけて走りすぎる。
声をかけない時でも手を振って挨拶をする。
すると銅心さんも「元気だよ。」と大きく手を振ってくれる。

今回の写真の中にも銅心さんが時折私から目線をはずして道路のほうを見ているものが何枚かある。いつも通りかかる人のことを気にかけて視線を送っているのだ。

この冬があまり寒くならなければいいのだが。
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- 2014/11/09(日) 00:00:59|
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岡崎公園から鴨川に向かって疎水が流れている。その疎水にそって遊歩道が整備されていて、桜並木が続いている。
道路と疎水に挟まれたその遊歩道の桜の枝の下で銅心さんは毎日のように座って銅線を編んでいる。
銅線を使ってかごを編んでいるのだ。
真夏であれ真冬であれ雨風がなければたいていそこに座っている。
秋もこれくらい深まってくると地面はもう冷たい。シートを敷いているとはいえ腰は冷えるだろうと思う。
私がこの方を最初に見かけたのは、ここではない。 堀川の川端でこうして道具を並べ、編んだ小さなかごたちをおいていた。
その堀川端の前には出町柳の三角公園にいたという。

この仕事はもう長い。
会社勤めのころもあったけれど、たまたま銅線で編んだかごを周囲の人が評価してくれて、「思わぬ価格で買い取ってくれた。」ことがきっかけで、やがていろいろあって、こういう生活になったのだそうだ。

「銅(あか)がね」自体が安価なモノではないから初めは切れ端をつないで編んでいたのだそうだ。
こうして長い番線を材料とできること自体、銅心さんの作品を買い求めている人が確実にいることを示している。

一つを作るのに何メートルの銅線が必要なのかわかりませんが、「毎日2個は作るように自分に課してきた。もし今日一つしか作らなければ翌日には夜遅くなっても必ず3個作るというように・・・・。」という。
生涯に3万個にはとどかないかなあ・・・とちょっと未来に思いをやりながらつぶやく。
10年毎日休みなく2個ずつでも7300個ですから、大変なことです。

私は以前にもこの人を撮らせていただいたことがある。その写真の内の1枚を他の何枚かの写真とともに小さなファイルに入れて持って歩いているけれど、そのファイルを見ていただいた多くの方が、この銅心さんの写真に目に止めて「これがいい。」とおっしゃる。
若い女性は10人中7、8人がそういう反応をする。不思議なくらいだ。

「ワシは男前じゃないけどいい顔はしてるだろ?」とお茶目な顔で言う。
ここには少なくない、心に傷を負った、あるいは疲れ果てた女性たちが来る。中には小さな座布団を持っ来て長い時間座り込んで話している人もいる。
「話は聞くよ。花氏に来るのはワシが安心だからじゃないか?」と。

少なくない苦労をなめてきた方だから心が折れかかっている人の身持ちがよくわかるのだろうか。
- 2014/11/08(土) 00:02:16|
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私のことではありません。
つい先ごろ別のギャラリーで写真展をしている若い女性に出会いました。写真の個展です。
公募展でも、グループ展でもなく、また学生のサークル展でもありません。

写真のフレームの選択に気を配り、ドライフラワーや半円形のフェルト地を飾り、上下に互い違いに並べたり、渦を巻くように大きな写真小さな写真を配したり・・・・個展会場を全体として表現の場としている点に大いに感心しました。

それは私の問題意識としてはあってもまったく実行に移せない部分です。とても刺激されることでした。

入口をはいったすぐ左手には地平線を低くとった構図で、晴れ渡ったすがすがしい青空の下に田園風景が広がる気持ちの良い写真で入場者を迎えています。
こういう演出ができているところに彼女のなみなみならない研究があるように思いました。
友人知人たちの写真展などを何度も観てその時気付いたことを生かそうとしたのだそうです。

写真は年配で写真経験の長い・・・ことに・・・男性からすると指摘したくなることや異論をさしはさみたくなることはいくつもあるように思います。
しかし、一方でそうした固定観念からはとても撮れない素直な表現の写真が幾枚もあります。
私がこれまでに見せていただいた写真展で幾度となく失望し時には笑を禁じえなかったことの一つにキャプションのつけ方があります。あまりにもイメージが固定的で語彙が貧弱なことがまま見られました。
その点でもこの人のモノには見るべきものがいくつもありました。
随分勉強になりました。

若い人の作品を見てその未熟さを指摘することは簡単です。ですが、明らかに私にはないものを持っていますし、私を越えたものがそこにあります。

私は自分の個展を近くに控えていましたから、なおのことそれを感じました。

私は作品を選ぶことで精いっぱいでした。それさえ不満をいっぱい残しました。
フレームを揃えることさえぬかっていました。いえ、そろえなくてもいいんです。それが意図したものであれば。
先ほど書いたキャプションについても十分に練ったとは言えません。
今は今回の到達をきちんと総括して、次を目指したいと思っています。
この人もまた次を目指しているようでした。
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- 2014/11/07(金) 00:02:42|
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この方は釣りも大好きだそうで別の部屋には70センチ超、80センチを超えるタイの「魚拓」が飾られていました。
ふと思いたったら小浜まで行くのだそうです。
こうして工房で集中した作業をする仕事ですから、思い切った気分転換になるのでしょうね。
今にして思えば、私も旧職のときにそういうことができていればまた違ったかもと思うことがあります。ですが、私は仕事が楽しくて、それが趣味という面もありましたから、まったく苦痛ではなかったですが。

こんな表情で仕事に取り組めたら幸せですね。いうまでもなくこれまでの道のりの全体がこうであったということではないでしょう。がこうした年齢になった時にこういう表情をお持ちだということの幸せを羨ましく思います。

そろそろいいかな。

よし、こんなものだろう。

楽しい撮影の時間でした。
ありがとうございました。
「なあに、なあに。またいらっしゃい。」


この方のように年を重ねたいものだと思いました。
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- 2014/11/06(木) 00:00:07|
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絵を描いている途中で「どこかの団体に属したり流派に与することなく、いろいろな描き方を追求してきた。」というお話の中で、「だから描き方はいろいろやているよ。」とこれを見せてくれました。
太い筆の軸のような木に「雑巾」・・・とご本人がおっしゃるのですが・・・布切れを縛りつけて筆にしています。
日本画や水墨の方が竹を筆にしたり孔雀の羽根などを筆にしたりしていますが、着物に絵を描くのにこれはまた大胆ですね。
「いい味が出るんですよ。」とおっしゃる。

和紙から転写したあとに筆を入れていきます。
見ていると自由自在という言葉が浮かんできます。まさに自由自在なんです。

私が写真を趣味にしている、ことに人を採るのが好きだとお話しすると、快く「撮らせてやろう」とおっしゃってくれて、今、工房にいるわけです。

私などには工房に踏み込ませていただけるチャンスはなかなかないので私も大喜びで撮っています。
(そうだ、個展が終わったら三上さんのところにも押しかけなくては、などと思いながら。)

こうしてカラーとモノクロで交互に撮っていると次第にそれぞれの特性が分かってくるように思います。


人物写真の楽しさも、また少しずつ分かってくるように思います。
この写真も次回の展示候補になりそうです。

「自然な表情」「自然な空気で撮る」とよく言われます。あらかじめ撮ることを伝えたのではそれは「難しい」とも。
私はそのように言われるときにまず「自然」とはどういうことか、「自然であるということには何の説明もいらずに価値があるのか。」 そして、自然であるためには被写体となる人が写されることに気づかないうちに撮るというのは正しい方法なのか、そうでないと「自然」には撮れないのかということについて疑ってきましたが、これからも大いに疑っていきたいと思っています。
「自然」という言葉が、日本の写真状況にとって悪しき呪縛ではないかとさえ疑っているからです。
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- 2014/11/05(水) 00:00:42|
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京都の大北山。
夏の夜はクーラーが要らないほど涼しく過ごせます。それでいて街なかまで自動車で10数分。
そんなところで着物に絵を描いている方です。

この道50年にもなるのでしょうか。
ふとしたきっかけでお知り合いになったのですが、大変「ピュア」な方だというのが第一印象でした。
先ほどまで帯地にオリジナルの絵を描かれていました。帯のすべての部分に絵を描こうとされています。
あまり見たことのない帯です。上の写真はその帯の、まだ絵が描かれていない部分を広げておいでの姿です。
話の流れの中で、「和紙をちぎったものに染料をつけて絵を描く方法を見せましょう。」とわざわざ白生地を取り出して描いて見せいただけました。
今、染料を合わせて色作りをしているのですが、すでにこの時に絵ができているのです。
それにしても色を作るこの時の表情をご覧ください。
まるで子供が大好きなおもちゃを取り出した時のようなわくわくしたお顔をされているでしょ?!

和紙は紅葉(もみじ)の葉の形やヒョウタンの葉の形にあらかじめちぎってあります。和紙をちぎるのですからエッジは鋭くありません。繊維がはみ出してもいます。
この紙に染料をしみ込ませ、こうしてフィルムにはります。

それを生地に押し付けて染料を転写するというわけです。
染料と水の加減、隣り合った染料同士、押しつける力加減・・・などなどによって微妙な色の混じりあいやグラデエーションが出てきます。

体験教室のようなところで生徒さんにも教えておられるのだとか。
実はこの絵を描いたものを私にやろうといってくださって描いておられるので、実に力の抜けた楽しそうな雰囲気を醸し出しています。
奥さんが「せっかく描くのだからへちまも書いて差し上げたら・・・?」といって下さったので、「お試し」が一枚の作品になることになりました。

それにしてもこんな楽しそうな顔をされる方は初めてではないでしょうか。
私の写真を撮る姿はどうでしょうか。何かしかめっ面をして「芸術だぞ!」なんて力んでいるのではないでしょうか。

京都の職人さんは実にこまごまとした分業の中に組み込まれて生きてきました。
それは部分部分の技術を高度化する上では大いに役だったかもしれません。
しかし、一面では作品の中に署名されない古いタイプの職人仕事であったわけです。
指示されたことをいかに高度に実現するかということはあっても、トータルの創造性ということには弱さがあります。
おそらくそれでは今日を生きられないと思います。

この方は様々な技法を探求されてきましたから「分業の固定化」の頚木がありません。
マルクスが中世的な職人の生産様式(芝田進午氏的には労働様式)が解体されて、資本主義的な分業に基づく協業の歴史的な存在意義を解明していることはつとに知られたことですが、職人の世界は未だにその中世を引きずっているともいえます。
その点でいえばこの方は創造のための職人技を蓄えてきておられるともいえるように感じました。
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- 2014/11/04(火) 00:04:45|
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同じような写真を上げていますが、目をつむったバージョンと・・・・。などと撮った本人にしか面白いと思えないこだわりです。
文字通り『独り善がり』なんですが。

これだって上の空間を空けて木の枝の広がりを採りいれたら何か物語性が出てこないかなあなんて言う・・・・。
ブログでは何枚も掲載していますが、前後を切り離して一枚の写真として見た時にこの人の人生の中での日常というような感覚が出ないかなと。

そのために対岸を歩く人の点景を取り入れたり。
こうして撮らせていただける機会はとても貴重なので、できるだけ試みを意識的にしないと申し訳ないです。
せっかくのチャンスを生かさせてもらうということでしょうか。
現実にはなかなかステレオタイプ化した写真しか撮れないんですが、・・・。

やっていることは結局、縦のものを横に、横のものを縦にしているだけなんですが。
今回はカラーのほうがよかったと思います。
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- 2014/11/03(月) 00:02:05|
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鴨川で楽器の練習をしている人は少なくありません。
学生もいれば、定年後の楽しみの人も。セミプロからプロまで。
楽器の種類もいろいろです。フルセットのドラムスを持ちだして練習をしている人もいます。どうやって運んだんでしょうか。
そんな中、三味線や笙などの楽器も時に見かけますが、今日は尺八でした。

尺八だというだけなら取り立てて話題にすることもないかもしれませんが、・・・・。
(私は「犬が人にかみついたことは記事ならないが、人が犬に噛みついたら記事なる。」という考えを採ろうとは思わないのですが。)

私がそばを通りかかる刹那耳に飛び込んできたのは、まぎれもなくジャズの曲でした。
尺八でジャズ・・・。今までにないことではありませんが、しかし珍しいことに違いはありません。
一体どういう方なんだろうか? やはり興味は湧きます。

聞くと尺八の演奏会で邦楽ばかりを演奏すると長く聴衆の興味をひくことが難しい。それに演奏会に関心を持ってくれる人の層を限定してしまう。そこでジャズナンバーも加えているのだとか。
譜面を見せていただくと、ジャズの曲を尺八特有の譜面に書き換えたものでした。既成のものとして手に入るんだそうです。

オーケストラの演奏会場でディズニーやジブリのアニメの主題歌、あるいはJポップスなどのなじみの曲が演奏されることがあります。バッハやベートーベンだけでは人を呼べないということなんでしょうし、「若い人にも関心を持ってほしい」ということでは同じことなんでしょうね。

邦楽の練習もされていました。曲想もリズムも音階も違う曲を吹くのは難しいんじゃないでしょうか。私は楽器をしませんから良くは分かりませんが。
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- 2014/11/02(日) 00:01:42|
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こうした造作をする際の竹釘さえもその場でさっさと作ります。

青竹がきれいですね。
我が家の蹲の柄杓が・・・・、何とか新しいものを探さないと正月が迎えられません。

向こうに見えるのは丸い蹲ですね。面白いなあ。
我が家のはどこでもよく見られるような「吾唯足知」と刻まれたものです。
持ち主とは全く縁もゆかりもない言葉ですね。

シャベルでちょっと石を起こして指先を滑り込ませる隙間を作るのですね。
庭師のほとんどは「腰痛持ち」なんだと、以前ご近所に住んでおられた庭師に聞いたことがあります。
「腰を痛めてない奴なんて居らんね。ワシもいつも腰にサポーターだよ。」
さもありなんですね。

どうやらルール上既成のものは持ち込めないようですね。
全てその場で作る。
段取りと手際が悪ければ制限時間内に完成することは無理ですね。
シュミレーション通りに事は運んでいるのでしょうか。

そういえば我が家の金属製の巻尺はどこにいったのでしょう。
今度の個展に必要なのにまだ見つかりません。

少し形が見えてきました。

それぞれのチームにはそれぞれの呼吸があるようです。
それもまた見所ですね。
庭が完成すれば翌週の土日まで見せてもらうことができます。

地方ごとにそれぞれ庭師の系統、流派があるようですが、江戸期に各大名家は江戸や京の庭に負けじと作庭させましたから、そこに地方の文化が生まれ発展しました。
なんでも東京、なんでもニューヨークという現代より多様性に富んだ文化が江戸期にはあったように思います。
その名残ですね。大切に発展させてほしいものです。
京都ばかりがいいのではないのですから。


最後にもう一度女子チームです。
- 2014/11/01(土) 00:02:22|
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