庭師たちが造園の腕を競い合う全国大会が府立植物園で行われていました。
こういう仕事をしている人を見れば「撮りたい病」がすぐさま発症します。
そこで「撮っていいですか?」と声をかけるチャンスをうかがうのですが、当然のことながら全国大会の試合中に声をかけるなどとんでもない話で、そもそも選手の集中はそういうことを寄せ付けるものではありません。

そこで係の方に伺うと「選手は私語が禁じられています。写真はどうぞお撮りください。」とのことでした。
12の県から出場する選手は二人一組で、男性同士、男女の組み、女性二人のチームと様々ですし、同じ造園会社の組みもあれば、異なった会社の人とペアになっている場合もあります。

まず入り口に最も近いところで奮闘しているのはユニフォームも赤い二人女性のチームでした。
どうやらキャリアは向こう側の方のほうが長いような感じです。

最近、造園行のような「力仕事」にも若い女性が進出するようになっています。
大きな樹木や岩などはクレーンを使うとしてもこの会場で使うような木や岩は自分の腕で抱えなければなりません。
そこにはやはりハンディーがあるでしょうし、苦労も付きまとうでしょうが、別の面の優位さも無論あるはずです。
・・・ただ、男性といっても私の様な非力な人間に比べれば彼女らははるかに「剛腕」を持っています。

事前に何度も何度も段取りを確認し、役割分担を確認してきたのだと思います。
ほとんど無言でも作業は間断なく進められていきます。

垣根や竹組の椅子などもこの場で作っていきます。
- 2014/10/31(金) 00:01:50|
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手作り市に行くとコーヒーショップも出店しています。
知恩寺の御多福さんなどは老舗的存在ですが、いろいろな手作り市には若い方、熟年のかたなどそれぞれの個性を持ってコーヒーショップを出しています。
この方なども随分熱心に出店し、この店構えも特徴となって人気のお店の一つです。

私は写真の活動に支障が出るので手作り市に行っても本当の必需品以外は滅多に買い物はしません。
行くたびに感心するモノを買っていたのでは、ただでさえ心もとない財政基盤が壊れてしまうからです。
ですから美味しそうなコーヒーの香りにどれほど誘惑されようとも・・・・なんです。

ただお話は聞きます。
このことは街中の「おっ!!このお店は・・・。」と見つけた時も同じです。 食べることも飲むこともしないで「すみませんお店を見せてください。」などとインテリアや調度品などを見せてもらいデザインされた趣旨などを訪ねつつ、「今度誰かを連れてきたら写真を撮らせてくれますか?」などと図々しいことをお願いすることも一再ではありません。

小さなシンクを備え、まるで路面店を持ってきたようです。
このお店ではネルドリップにこだわっているようです。

私は自宅で紙のフィルターでコーヒーを淹れるのですが、そのときに湯を注ぎながらうまくコーヒー豆の粉を膨らませてドームを作ることができません。
そのことを話すと「それは技術の問題ではないんですよ。豆の鮮度の問題なんです。」と教えていただきました。
保存状態のいい新しいコーヒー豆を焙煎して、飲む直前に粉にひくようにすれば大概うまく盛り上がるんだそうです。

この方が使っているロートは口が狭く細く作られています。それはコーヒー豆の粉にお湯が長く触れられるようにするためだそうです。角度が大きいと側面などからどんどん湯が通ってしまうし、粉の層が薄いので成分が抽出される時間が短いのだそうです。
「まあ、飲んでみてください。」と、紙コップに試飲用にコーヒーを注いでくれました。
「う~ん、なるほどね。」

植物園のケヤキ並木の下で秋の柔らかい日差しと気持ちのいい優しい風を受けながら飲むコーヒーの味は格別でした。
- 2014/10/30(木) 00:03:34|
- お店
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以前、若い女性がティンガティンガを描いて個展をしていた。その彼女はとても不思議な魅力を持った人でフォトマヌカンもしてもらったことがあります。
それでティンガティンガについてはほんの少しだけ知識があったので、思わず反応してしまいました。

タンザニア連合共和国出身の人で、今は日本に住む。
ティンガティンガを描いて販売していました。そのテントでこうしてライブで描いていたのでますますのぞき込みたくなって。
「おっ!ティンガティンガだ。」とつぶやくとそれを聞いて「ティンガティンガ、分かりますか?」と日本語で。

それで「日本語は大丈夫ですか?」と聞くと「少しは・・・。あなたは英語わかりますか?」
「じゃあ英語のほうが話しやすいのですか?」「ええ、そうです。」
でも私の英語はみじめなものなので、私の英語よりずっとずっとましなこの人の日本語に頼ってお話をしました。

彼はおじさんがこのティンガティンガの創始者、エドワード・S・ティンガティンガ氏だそうで、直接に指示した学んだんだそうです。(この絵の手法を創始者の名で呼んでいるんですね。)
作品ではなくてあなたを撮らせてほしいというと、とても快く応じてくれました。
ここは欅の並木の下ですし、さらにテントがあるので案外と暗いのです。それでいてごらんのようにバックが明るいですからね。悪戦苦闘してしまいました。

絵は独特な色遣いです。鮮やかでくっきりした色彩で、色が光を持っています。
絵具はペンキですから発色が強いのです。

テントの青がかぶりますからその点でも苦戦です。
その苦戦している様子を見て「じゃあ前に出ましょうか?」と、
私が「描いているあなたを・・・・」、といっていましたから、こうして・・・・。

とても親切な人でした。
- 2014/10/29(水) 00:03:17|
- 絵画
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人の手が指さしている・・・これはははっきりしています。
そこで「E・Tをやってみてよ。」
「E・Tですか?」
と、私はちょっと調子に乗りすぎたかも・・・。

でも「なんだか作品に愛嬌が出てきましたね。」

何か形で間接的に伝えるのではなくて「もっと直接的にメッセエージを伝えたかった。」 といいます。

ちょっと違う分野にいたのですが、また制作したくなって、・・・・、と青年特有の岐路に立っているようです。
床に置かれた紙に書かれたメッセージにはご自身から漏れてくる心情的なものがたくさん見られました。

それらをトータルに包んで「かのうせい、きぼう」そして『立ち向かう』としているところに、この人の今があるのでしょう。
半跏の姿勢で座ってもらいました。
私も床に腹ばいになったりして遊びます。

若者と遊べるというのはとても楽しい時間ですね。
次はどんなメッセージを発してくれるでしょう。
- 2014/10/28(火) 00:02:05|
- オブジェ
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これでは暗くて分かりませんね。
入口付近で溝垣さんの印象的な絵を見て、「おやっ?!これは以前見たことがある人だ。」と思いましたが、奥にオブジェを見ると、それとは結びつかなくて。

「以前写真を撮ってもらった蒼樹さんですよね。」と覚えていてくれたのには驚きましたし、うれしかったです。
そう、この頃まれに「以前お目にかかりましたよね。」と「蒼樹」の名前とともに記憶していてくれる人に出会います。

うれしいことですが「世間」が少し狭くなり始めたかなとも思います。 といっても、まだまだ京都は相当広いですが。
こういう場所で若者に出会うと一緒に遊んでみたくなります。
それでちょっと作品と見つめあってもらったり・・・・。

寝ころんでもらったり・・・・。
多くの場合面白がって一緒に遊んでくれます。

こうして撮ることでご本人も自分の作品について新たな気付きがあることもあるのです。

この人の作品は『なんだろう、これは?!』でした。
実はご本人も「材料の木材を目の前に置いて、じっと見ていたら、なんとなくイメージが出てきて彫っていった。イメージと言っても具体的な姿ではなくて、「ある」感じですね。」
「その感じに促されて彫っていったら、下に接ぎたくなって・・・・。」

そういう意味ではご本人にもどういうものができるか分かってはいなかったということです。
「う~ん、今でも分かっていないかなあ。」
- 2014/10/27(月) 00:01:33|
- オブジェ
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「天然」の「たい焼き」だそうです。
夜店にも出ているという感じのたい焼きですが、ここ三条の繁華街の真ん中で「たい焼き」を焼いて売っています。

様子を見ていると結構よく売れています。ファーストフードの一種だという感じですね。
海外からの人も珍しそうに写真を撮ったりしながら買い求めています。小豆の餡この味は大丈夫なんでしょうか。

餡こが「たい」のしっぽまで入っているかどうかは子供だった僕たちには大問題でした。
温かいというよりちょっと熱い皮に包まれた餡いっぱいのたい焼きをホフホフいいながら食べるのは楽しみの一つでしたね。
もし餡が飛び出るほど詰まっていれば大満足。そんな懐かしさのあるお菓子です。

ハサミ状になった道具は、十分な温度になって初めて皮の材料を溶いたものを入れますが、その時、温度を測るのは彼女の「ほほ」と唇の感覚です。
ハサミを開いて顔に近づけて温度を見ます。
こんな若い女性がしていると火傷しないか、大丈夫かなと心配してしまいます。
このたい焼き君たちをサンドイッチして焼く道具は2キログラムほどあるんだそうです。
私のカメラがズームレンズをつけてそれ位です。結構重いと思います。
これを取り出して具を入れてはもとに戻し、さらに裏も焼くためにひっくり返し、焼き上げたものを出して並べる。
なかなか肉体的にも大変そうです。

ですがさすが若さですねぇ。
注文を待たずにどんどん焼いていきます。そして方端から売れていく感じです。

ときどき追いつかないで「少々お待ちください。」と言っていますが、この手際に見とれているうちに焼けます。ですからお客さんはあまり待たされたという感じを持たないのじゃないかと思います。
そしてこの笑顔ですし。

今度私はここから歩いて1分という場所で個展をしますから、何度かおやつに買い求めそうな気がします。

この人にも休憩の時間にちょっと会場を覗いてもらおうかな。
- 2014/10/26(日) 00:03:52|
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陽が西に傾くと、この時期の鴨川は一段ときれいです。
水面に陽がさしてキラキラと輝きます。
そんな鴨川でサキソフォーンの練習をしている方がいました。

季節感、あるいは情景と人物。
そういうことを意識して歩いていましたので、この時に撮影をお願いして「背中から撮りますのでよろろしく・・・。」

同じような写真を上げていますので見ていただく方には退屈でしょうが、一応工夫の記録として挙げています。
前者はまだ暖かさの残る夕暮れ時の日差しを浴びて気持ちよさそうに吹く情景。顔の光り具合に重点を置いています。
後者は「天高く」気持ちよく晴れた秋の空を意識して。私としては、後者が3回目の個展の出品候補ですが、いかがでしょうか。

光の強さ、まぶしさを表現して。
レンズの汚れが気になりますか。

今度はそれを影の濃さで表現しようと・・・。

師匠の教えを思い出して回り込んでみましたが。

そして影の長さで日の傾きと時間帯とを表現・・・しているつもりなんですが。
いつも「つもり」で終わってしまいますね。
そして視点を変えれば。
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- 2014/10/25(土) 00:02:14|
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京都の街のあちこちにこうした若者が集まる場所が何か所かあるようです。
私はその多くを知りませんが、ここは三条大橋の下。いつものところです。

私が対岸を自転車で走っていると何やら太鼓の音がします。目を凝らすとジャンベのようです。
あれは以前ちょっと声をかけたことのある若者かな?そう思って橋を渡りました。案の上彼でした。

今日は朝の10時からここで、時々の休憩をはさみながらジャンベを叩いているんだそうです。
ずっと以前ここでは7,8人の若者が三々五々集まってジャンベを叩いていましたが、最近はその姿を・・・私は・・・見ません。
彼に聞いても、「う~ん、あまり見てませんね。他には。」とのことです。
私が、「なかなかいい角度が見つからないなあ。」とつぶやくと「僕が動けばいいんでしょ?」と自ら場所を移動してくれました。
なかなかのサービス精神です。

バイトにしても定職にしても休みの日はまちまちですから、こうした若者が金、土、日に出てくるとは限りません。
彼など前日遅くまでの仕事を終えて寝る間も惜しんでここに来ているようです。

単に日常の一コマとして演奏を楽しみ人との出会いを楽しんでいるものも入れば、将来に大望をもってここに来る者もいます。
三条界隈は、先斗町、木屋町と言った地名を周囲に持つところですから飲食店などは「京情緒」が台無しになるといってこうした青年の存在を迷惑がったりもします。

ピープル、あるいはシトワイヤンが自然に集って政治討論や音楽やダンスをこもごも楽しむパブリックスペースの発達が未熟な京都≒日本では、こうした若者たちは居場所を見つけるのが困難です。スポーツ青年も同様です。
私たち写真を撮ったり絵をかいたりする者にとっても、公的な展示場所は希少です。
そういう場所も金になる場所としてしか提供されません。
人々の権利として保証するという思考が政治にないからでしょうし、経済界にもないからでしょう。

コンサートホールのようなものは建てられますが、もっと出入り自由で気楽で使用料が格段に安いものものが必要なのです。
学生や素人演劇など小屋探しに苦労しているはずです。合唱などの練習場にも困っているようです。

公的施設の命名権を金にするなどいうことが何か素晴らしいアイディアであるかのように蔓延しているところに文化行政の貧困が見えるように思います。
- 2014/10/24(金) 00:00:52|
- 音楽
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西陣織の下絵を織物の縦糸と横糸の関係に置き換える仕事が「紋意匠」です。
下描きをする方は別の方で分業になっています。その下描きが色の無い線描だということを長いこと知りませんでした。無論色を入れて指定する場合もあるのですが、ほとんど暗黙の了解というか、約束事というか、があってこの段階の人がが色を決めていきます。

とはいってもこれを受け取った織屋さんが忠実に色を再現するのではなくて、織り屋の感性でアレンジしていくのだそうです。勿論、統括している悉皆屋さんが色を調整をすることもあるようです。

こうした仕事は・・・以前も書きましたが・・・コンピューターが最も得意とするところですから、仕事の多くはコンピューターに奪われてきています。

しかし、先に書いたようにこの紋意匠の職人さんはただ単に下絵を規則的に変換しているのではなくて、織りやすいように、あるいは織りの効果などを経験的に熟知していて、あるいは次の織り屋さんの技術の特性をも考慮してこの仕事をしています。
問題はコンピューターに入力する人の感性がこうした職人さんに追いついているかどうかということでしょうか。

実は私はこの方を別の場所で撮らせていただいたことがありました。そしてその時の写真を、写真を撮ることをお願いする人に見せる写真の一枚としていつも持って歩いているのです。
そのことをお話し、写真を見ていただきますと「確かにこれは私だ。」と言って大層喜んでいただきました。
そしてぜひ自分の名刺を受けとってほしいとおっしゃって、名刺ををくださいました。
この方も紋意匠の分野での「伝統工芸士」さんです。
それにしても京都の「伝統工芸士」さんは気さくで謙虚な方が多いですね。

この方を撮っていると一枚一枚が絵になるような気がします。
で、一層力が入り、周囲をさんざん回って撮りますが、一つも嫌な顔をされません。

こういう写真をパリやミラノノやフランクフルトや上海で見てもらったらどんな反応があるのでしょうか。
こんな話、今度の個展の時に集まってくれる旧友たちの「こき下ろす」かっこうの酒の肴になるでしょうか。
親しくしてくれている中国からの留学生が「今度フランス語を学び始めました。」と言うので「私がパリで個展をするまでに流暢に話せるようになってくれ。」と言っておきました。すると「是非役に立ちたい。」という返事でした。
きっと彼女の方は数年でフランス語をモノにするでしょうが、私の方は・・・・・。
まあそういう冗談はさておいて、それにしても、三代目古今亭志ん朝さんじゃないですが「なんて言っても旨くなりたいですよ。」ですね。
- 2014/10/23(木) 00:01:55|
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京大とは吉田山を挟んで西東の関係です。
このあたりには趣味の良いお屋敷がいくつもあります。
ときどき、学生のころこにこのあたりを歩いていたら人生選択が違ったかもしれない、などと愚にもつかないことを想像してみたりすることがあります。

ここは東伏見の宮の別邸として建てられた建物。
ここからは「大文字山」が一望できる。東山連山もまたわがものだ。贅沢な限り。

建物も意匠が凝らされ、実に手が込んでいる。
庭に向かった大きなはきだしの窓には贅沢なガラスがはまっている。
このガラスを割ったら、もはや復元はできない。
ここをお借りして撮影をしようと思うと費用も大変なものだろう。

そしてなによりモデルを選ぶだろう。なかなか誰でもぴったりするというわけにはいかない。
私は幸運だ。

- 2014/10/22(水) 00:01:47|
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「京都大原三千院・・・♬」
京都女一人旅、一人で歩く京の町、京都ちょっと裏道を行く一人旅・・・・などなど雑誌では京都は相変わらずの『旅』人気。
京都の治安が比較的いいからだろうか、旅行ガイドブックには治安のことはほとんど書いてない。
女性の一人旅の姿をよく見かけます。 日本人であることもあるし、外国人の場合も。

「結城(ユウキ)に塩瀬の 素描の帯が
池の水面に 揺れていた」
当時の私の耳にはなぜか「恋に疲れた女が一人」ではなくて「恋に憑かれた女が一人」と聞こえていた。

無論、この方は「疲れても」「憑かれて」もいません。
大人の雰囲気のある界隈を背景に写真を撮りたいと思ってきましたが、この方の協力で実現しました。

とにかく立っているだけで絵になってしまうので、それが困ります。
どうにか崩してリストラして撮ろうと思うのですが、それがどうにもなりません。

流れのままに取るしかないようですね。
人が決まり、場所が気まった時点でほぼ終わっているようです。あとは素直に撮ればいい?!


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- 2014/10/21(火) 00:00:07|
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京刺繍です。

糸は生糸を撚らずに何本かを会わせて使います。
その方が平たい面が出て糸の輝きが増すからです。撚ってあれば糸に凹凸ができてそれによって影ができ、冴えなくなってしまいます。

当たり前と言えば当たり前なのですが、針がどこに出るか、というよりも正確な位置に針を刺し、その先が出てきます。
それは裏側からでも、少しの迷いもありません。
私などはボタンつけの時に、裏からボタン穴に針を導くことができずに何度もやり直さねばなりません。刺したり戻したり。
「指先で呼んでやるから、思うほどに難しくはないよ。」とおっしゃるのですが。

ところで、以前、京扇子の制作を見せていただいたときでしたか、一緒に見ていた六十がらみの女性が「こんな仕事、男でもしはるんやね。」と繰り返し繰り返し口にしていました。
職人さんは顔色も変えずに、「京都では男の仕事ですねぇ。」と答えられていましたが、内心はどうでしたでしょうか。
この刺繍の職人さんも中国からの観光客が同様のことを言っていたとおっしゃっていました。刺繍は女の仕事だと。
国の文化の違いもあるでしょうし、意識に違いがあるのは当然ですが、・・・。

「急な上り坂を親子が荷車をひいて登ってきた。荷車には山のように荷物が積まれ親子は汗いっぱいにかきながらウンウンと曳いて登ってきた。私が前で荷車をひく人に『後ろで荷車を押しているのはあなたの息子んさんですか?』と訊くと『はい、後ろで押してくれているのは私の息子です。』と答えた。そこでやがて近づいてきた後で押している少年に『前で荷車を曳いているのは君のお父さんかい?』と訊ねると『いいえ、あの人は私の父ではありません。』と答えたのだ。一体こんなことがあるのだろうか。」
本立てから探すのが面倒くさいので文はそのままではないですが、多胡氏の著作にこんなクイズがありました。

たとえ先進国中最も「男女平等」が進んでいない「女性の人権途上国」の一つ日本だとはいっても仕事についてのジェンダー意識はもう少しましになりたいものです。
家庭においてその半数で男性が毎日の夕飯の支度を担っている中国でも仕事にたいする「性別分担」的ジェンダー意識はぬぐえないようです。
日本では、農耕は男性、織物は女性という性別分担をいつまでも人々の意識にしみ込ませる装置が依然として働いているからでしょうか。レイシズムと差別的性別分担論に凝り固まっている女性閣僚を何人も登用して「女性の地位を」どうにかしようという口先三寸の内閣が長続きするようでは、日本はいつまでたっても男女同権後進国ですね。

どの分野でも男女の別なく活躍できる社会にしたいものです。そうして作られたものが優れていれば、そのままに評価され、報われるのに性的差別がない社会にしたいものです。(逆に劣っている場合にもその責めを性に求めることがないようにしたいものです。)
そんなことを考えているうちに針は舞うようにして表と裏を行き来して、まるで夢のような絵柄が浮かんできます。
- 2014/10/20(月) 00:03:01|
- 伝統工芸
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「農業青年」と書いて、適切なのかどうか。
ただ集落内では最年少に属することは確かでしょう。
彼は京都府下綾部の山間で農業にいそしんでいます。
ここは平安神宮のある岡崎公園です。
「平安楽市」という手作り市の会場です。

綾部市は京都市から北北西の方向約80キロメートルほどのところにある人口3,5000人弱の市です。
人口は減少傾向にあり、農業の担い手も年々人口流出と高齢化に伴い減少に悩んでいます。
休耕地や耕作放棄地が増え、新たな農業の担い手を求めています。
彼は京都府立農業大学校で水稲耕作について学び、施福寺地区に入って農業をしています。
出身は東京。

「農家直販のお米」として毎月第三土曜日には京都市内、向日市内を配達して回っているのだそうです。
「ご注文について」を読むと配達は1時間刻みで申し込むことができるなど、消費者の要求に何とかこたえようとされています。
大手の宅配業者を通せば簡単なことですが、それでは配送料が高くつきます。それを自分自身の負担でやっていこうとしているのです。十分な注文がなければこれを続けることは至難でしょう。
配達についての要望はかなり無理して聴いているようで、彼の熱意が伝わってきます。

直販ともなれば消費者の顔を見て声を聞いて・・・という関係になりますから、不満や注文も耳にするでしょうが、熱い期待の声も聞くことができるでしょう。
何より「おいしかったよ。」という声を。
生産産者に触れて、その誠実な人柄と、生産過程をつぶさに知ることは消費者の安心につながります。そしてまた農業についての関心を高めることになるでしょう。それが大切なことだと思います。
そしておそらく、彼を故郷の情報とにおいを届けてくれる人として待ちわびている人も少なくないはずです。
ご夫婦とも、あるいはどちらかに先立たれて高齢になって、街中の息子夫婦との同居を余儀なくされるという方も多いはずです。

彼はそういう方の土地も積極的に借りうけて耕作をしています。
そうしてその地のコメを届け「故郷」を届けるのです。
有機肥料を使い、できるだけ農薬を減らす、あるいは無農薬で育てる。言うは易くその労力は大変です。
農地はその土地だけで成り立つのではなく、そこに流れる川のありよう、また川に水を供給する山の状態などが大きく影響します。山が荒れては農業はできません。山の獣たちも害獣となって現れることになります。
畔の保全や用水路の維持、アクセス路の確保など一人の力では負いきれません。
農業は協業なのです。
彼に仲間が必要です。
彼は東京出身です。

ブログはhttp://okomebito.blog137.fc2.com/
彼のPCメールは t-muramatsu@leto.eonet.ne.jp
携帯電話 080-6166-9655 「作業中は申し訳ありませんが、機械音などにより着信に気付かない場合もあります」とのことです。
私はこのブログに、あまりお店や商品情報などを書いてきませんでした。
写真を撮るということと「ギブ アンド テイク」にしたくないからです。

ですから、これは「勝手に応援」です。

水と土に恵まれた田んぼですが、
「水や土、気候はどんな熟練の農家さんでも「求めれば得られるというものではない」と思っています。
このように、僕の圃場は本当に恵まれています。
ただ、それに甘えることなく一生懸命栽培しなければ、土地や食べてくださる方々への裏切りになってしまいますよね。
『最高』を目指せる環境にあると思い、一生懸命、情熱を持って栽培します。」
彼のブログからの引用です。
- 2014/10/19(日) 00:03:58|
- 手作り市
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昔、友禅の下絵は日本画家と言われる人たちも描いたんだそうです。
逆に職人さんたちも日本画の作品を勉強し、古典からも吸収します。
この方は尾形光琳の紅白梅図屏風の川の意匠からアイディアを汲み出そうをしています。

光琳の川の川の絵をご存知ですか。
いえきっと一度は本やTVの画面でご覧になっていると思います。

この方は光琳の絵を何度も模写しながらその特徴をつかみ出し、さらにそこに工夫を加えて帯の絵柄にしようとされていました。
一目見て「光琳だ。」ということが分かりながら、けれど現代的にアレンジしていこうとしているわけです。
ですから、何がどういう風に「光琳的なのか」を把握しておかなければならないわけです。

私などは川の流れを描いた渦巻きのような線を漫然としか見たことがありません。
「この線をよく見ると平行にきれいに描かれていたり、渦がキチンと丸くおさまっていたりはしないんですよ。」と教えていただいた。
傍らにある紅白梅図屏風の写真を指さして、その不規則な描かれ方をいちいちていねいに教えていただいた。

「それで流れの勢いや、よどみが表現されて生き生きとした動的な絵にな」っている訳です。
確かに渦も内側に巻いていたり、外にとけていたり、決して一様ではありませんでした。
「気付かなかったなあ。」

丁寧に丁寧に模写し、その絵を追体験することで「光琳」をつかんでいるのですね。
その上での工夫ですから、その一部を取り出したように描いても一目で「光琳ですね。」と分かり、その帯をつけている人が満足もし、見た人も興味をひかれると言うわけです。
職人と言えば求められものを忠実に高度に作るという印象ですが、こんな創造的なことが行われていたんです。
- 2014/10/18(土) 00:01:42|
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すぐそこが琵琶湖の岸辺です。
近くにはヨットハーバーもあります。

少々時間が押していますので、ヨットを背景には撮りに行けそうもありませんが、いつかそういう写真も撮りたいものです。

一緒に散歩している気分になってもらえる写真?!


足元にはもう枯れ葉がちらほら。

ちょっとこれまでとは印象が違う大人の表情。

背景が似合うでしょ?!


今日は一日お付き合いいただきありがとう。
お疲れ様。
さて、ふと気が付くと皆さまからいただいた「拍手」の数が3万を超えていました。
私はアクセスカウンターをつけていませんのでアクセスの累計数は分かりませんし、いろいろな意味で少し不信感のあるアクセスランキングは面白がる程度に気にしようと思っています。ただ、「拍手」は私のブログを見ていただいて、そこで今一度ほんの少しでも心を動かしてクリックしていただいているという意味で、他の指標とは違う意識で見てきました。ですから、素直にうれしく思っていますし、拍手していただいた皆様に感謝しています。
個展を間近にして一つのくぎりを越えられたことはなんとなく自信につながります。またこれからの励みになります。
といって、私よりずっと多くの拍手を得ている方もいますし、また拍手は意外なほど少ないのに魅力的な写真をアップされている人もいます。そういう意味でもっと多くの人の心をとらえている人もいるし、その一方、拍手数が写真の巧拙をダイレクトに表しているわけではないので、あくまで一つの指標として今後の励みにしていきたいと思います。
皆様どうもありがとうございます。
- 2014/10/17(金) 00:02:28|
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もう、少し陽が傾き始めています。
この小さな公園に人影はほとんどありません。
ただ、植栽を管理する方がちらほらするだけです。

小さなクーピドがおしゃまに芝の上に座っています。

ここは小さいけれど手入れが行き届いて好きな場所です。

小さな木製の白く塗られた荷車に花がたくさん植えこまれている時もあります。
ちょっとおしゃれな工夫があります。

ロケーションが変われば撮る方も撮られる方もちょっと気分が変わります。

こんな撮り方ができるのも他に人影がないからですね。
カメラにバリアングル液晶画面はないので、大変ですが、これがまた面白いのですね。

- 2014/10/16(木) 00:04:35|
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「しまんちゅの宝」が聞こえてきました。
「 ♪ 僕が生まれたこの島の空を 僕はどれくらい知ってるんだろう・・・・。」
沖縄の歴史的現実は教科書にも書いてないし、テレビやラジオも伝えない・・・本当にそうだなと思う。

日本社会の健忘症は相当深刻だし「自虐史観」を排除して視野狭窄に陥っているからなおさらだ思う。

「『うちなんちゅう』ですか?」
どうやら沖縄の方ではないようです。
「い~やさっさー」

とても声がいいし、独特な響きを持っています。お上手だなあと思いました。

先ほどから一緒に聴いている男性が指笛で合いの手を打とうとするのですがなかなか入るタイミングがつかめないようです。
案外難しいのですね。子供のころから「トゥバラーマ」や「でんさー節」を聞いてきた人たちにとっては体が知っているタイミングなのでしょうね。

夏の全国高校野球選手権大会のときに「民族の音」「民族のリズム」「民族の踊り」ということをときどき考えます。
- 2014/10/15(水) 00:03:33|
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我が家の「つくばい」においていた竹の柄杓が朽ち果てて、見るも無残になってしまったので新調しようと竹細工屋さんを訪ねました。
などと書き始めると随分の誤解を招きそうです。言葉というのは恐ろしいです。
蒼樹は蹲が置かれた日本庭園のある屋敷に住んでいる。という文に誤りはありません。ですが、全然実態を書き現した文章とは違うようです。 「屋敷」も広辞苑の②の意味で使いながら、相手には④の印象を与える。その誤解を意図して避けないのですね。
嘘は言わないが実態とはかけ離れたことを相手に印象付ける。よく政治家がやる事です。安倍君や橋本君が得意なやり方です。(いや、うそを言わないという時点で違っていますね。原発事故の影響をアンダーコントロールの状態にあるなんて大ウソをついて、世界に日本を嘘つきの国、国民は無知だという印象を与えてしまった人ですからね。)
住んでいるのは、例のウサギ小屋ですが、竹の柄杓が壊れたのは本当です。
まあ、そんなわけで・・・えっ?えっ?!・・・どんな訳・・・・竹を編んだ大きなオブジェのあるお店に入りました。
すると中で作業をしている気配です。
販売のために店と作業場が併設されているのです。

この竹細工のお店は以前からそこにあることを知っていましたが、何かひっそりしていて、入るのをためらっていたのです。
が、今回は、ちょっと気配が違いましたので踏み入ったわけです。
人がいました。しかも竹細工を、何か編んでいるようです。
というか、曲げています。

私がイメージしていた竹の柄杓がなかったので、それは途中で諦めて、竹を編む話になりました。
この方と同じ学校でやはり竹細工の課程を出た人を幾人か知っていますので、それだけでも何か親近感が湧きます。
そういう意味ではその学校はずいぶん伝統工芸の若手を輩出していることになります。
私の今回の個展のDMを飾ってくれた人も同じ学校の金属工芸の課程を卒業して七宝焼きの道に進んでいます。

この作業場になっている部屋も奥の部屋も随分凝った作りです。障子の桟なども・・・画面は見にくいと思いますが・・・竹の細工です。
さすがに竹細工店です。
ここのご主人は「樂」さんともお付き合いがあるようです。

蝋燭の小さな炎がなんだか印象的です。

ここにも物作りに励む人がいました。

- 2014/10/14(火) 00:02:19|
- 工芸
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昔、「沖縄を返せ」と歌った私はそれを多少後悔しています。
沖縄は私たち本土の人間が「返せ」と言えるほど「本来的に日本の一部」だというのではなかったし、「琉球処分」の過程は、沖縄が「明治」維新以来、最初の植民地でしかなかったことを物語っているからです。
大戦後の天皇とその「赤子」たちは沖縄を犠牲にして、自己保身を図ってきました。
未だに沖縄は本土並みではないし、本土の人間は沖縄に対して罪があると私はずっと思っています。
そういうことを思うので、初めて沖縄に行ったときには足の裏がひりひりとしました。
その沖縄の苦渋に満ちた歴史の中で人々の口に何度となく上った『なんくるないさ』という言葉が、ある時期の私を支えたこともありました。
沖縄は私の意識の中では単に47都道府県の一つというのではないのです。
さて、そんなわけでシーサーが目に飛び込んでくるとそれだけで私の心が動きます。

本土の神社にある狛犬はいかにも恐ろしげな顔をしてあたりを睥睨しています。
無論、何事によらず例外というものはあるとして、しかし、おおよそ魔的なモノを寄せ付けない威厳や恐ろしい威嚇性があるようです。
ところがシーサーには実にほのぼのとしたものやかわいらしいもの、滑稽なものがたくさん見られます。造形が自由なのです。

私が瀋陽に行ったときにそこで見た獅子たちもまた恐ろしげな形相ではなくてどことなくユーモラスでかわいらしさのあるものがほとんどでした。図体ばかり大きくともこれでは魔界のモノを退散させられないだろうと思わる愛嬌モノでした。

この人によると日本の狛(高麗)犬は韓半島から、沖縄のシーサーは中国大陸の獅子の流れをくむものだといいます。
そうかそれで中国の獅子も沖縄のシーサーもどこかユーモラスで強面がしないのか、などと一人合点がいったように思ったのです。が、それこそ私の一知半解だということが分かりました。

沖縄のシーサーは瓦職人の余技として始まったもので個々の家庭の屋根や門柱におかれたのです。ですから神社信仰などに規制されて上から目線で民衆を威嚇する狛犬とは違うのだというわけです。
何か格式があって、神社やお上に奉仕して神仏≒支配層を民衆から守ろうとする狛犬を制作する職人集団が作ったものでないから自由なのです。民衆的ユーモアが入り込む余地が大いにあるというわけです。
沖縄県のある島でシーサー作りを学んで今は京都で制作しているのだそうです。

「ユーモラスなモノもいいのだけれど、やはり元来は家々の魔よけだから、そういう表情をしたものをキチンと作りたいとも思っている。」とおっしゃいます。
一番気に入っている作品はという私の質問に、

なるほどよくできています。色もいいですね。
目の穴は屋根から人を見下ろして、見上げる人に焦点があうように作るんですよと教えていただいた。
なるほど目の穴は外から内へと傾斜して角度を持って掘られています。 そういえば寺社の屋根瓦につけられて、下を睨みつけている鬼がわらの目もそうだと聞いたことがあります。
願わくばシーサーの目は上をにらんでほしいものだ、とその時思いました。

うん?! そう思ってみると、・・・・。
- 2014/10/13(月) 00:01:56|
- 陶器
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以前、あるギャラリーでちょっとおもしろい椅子を見ました。
その椅子がここにもあったのです。
その作者にお目にかかれるとは。

この人は「緑が好きなんです。」ということで床にも椅子にも、そしてご自身の服にも「緑」です。

私が面白い椅子だなあと思って、以前見たのはこれではありません。
お気づきですか?

作者の背後に「z」型になった椅子がありますね。これも面白いですが、それでもありません。
実は、お客さんと話しているときに撮りたいと話している声が聞こえたのかどうか、お向かいのブースに出店されていた方が声をかけてくれて、いろいろ質問してくれています。
ご本人は実際に腰をかけて気持ちがよく、・・・それは肉体的にだけではなく心理的にも・・・見ても楽しい椅子を作りたいとのことでユニークな椅子を提案しています。

それにしても「緑」がお好きですねぇ。
私がある喫茶店のご夫婦が「緑色」が好きで、カーテンも食器も、絨毯もストーブも・・・・何から何まで緑だったと話すと、ぜひとも行ってみたいといいます。
そのお店でこれらの椅子を勧めたらきっと購入してくれるんじゃないでしょうか。
いえ、脚の部分が緑じゃないからと言われるでしょうか。

国際交流に資するために設けられたギャラリーで見たことがあるのは、そうなんです、壁からスカートをはいた女の子の脚が出ているこの椅子です。
これが膝枕だとちょっと硬くて痛そうですが、腰掛けるのなら大丈夫でしょうか。
でも私の感覚では女性の膝に腰掛けるというイメージではちょっと無理ですね。
それでもオブジェとしては・・・こういう作例は他にないというのではないですが・・・ちょっとおもしろいですね。
作りもいかにも少女の脚と言った感じです。

若い作家と話すのはやはりとても楽しいし刺激的です。
- 2014/10/12(日) 00:00:07|
- モノづくり
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兵庫県からの出店だそうです。
そして東京にも・・・・。
こういう若い方の旺盛なエネルギーと積極性にはいつものことながら大いに鞭撻されます。

全国各地で個展をして回るようなものですからね。
私は思わず「ペーパー・フェチ」だね。なんて言ってしまいましたが、とにかく紙が好きなんだそうです。
紙の専門店に行って紙に囲まれていると、一日が気付かないうちに過ぎるといいます。
その紙好きが高じて、紙でのアクセサリー作りです。

紙では壊れやすいのではと思うのは通常のことですよね。
勿論、表面を加工して強化してありますから日常的な加圧では壊れないし、耐水性もあるとのことでした。
何といっても軽いです。 また紙特有の発色の良さがあります。ハート形や円形の紙を半分に折って、その半分と背中合わせにもう一枚を接着剤で貼り、さらにもう一枚の半分を張るという風にして、雪洞のような形を作っています。

小さいせいもありますし、紙ですから厚みも薄くてかわいらしい感じが出ています。
若い女性がひっきりなしに立ち止まります。

私のようなむさくるしいものが立っていたら売り上げが落ちます。
「大丈夫ですよ。」とほほ笑んでくれるのですが。

ここは木の枝のトンネルが長く続く場所です。
そして、ここはたまたま少しそのトンネルの屋根がまばらになっていて木漏れ日がさします。その光が効果的に刺したところを撮ろうと何度も試み何度も失敗しました。
上空の風と雲がいたずらするからです。
しかも白いシャツですしね。

光がさすと、この方の表情が一層明るくチャーミング(日本的英語の意味で)になります。

- 2014/10/11(土) 00:04:22|
- 装身具
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おそらくは機械にとって代わられる仕事でしょう。
けれど西陣の織り手さんたちの中には「続けてほしい」という願いがあると思います。
職人の仕事はその前後の職人の仕事と響きあって輝きを増すからです。
この仕事は「綜絖」といいます。
織物をする際に経糸を通して置く作業です。
経糸は一本一本が互い違い・・・などに・・・上下して、その間を杼が飛んで横糸が通るのです。
そのために経糸を装置から垂らされた細い紐の途中にある鳩目のような穴に通しておかねばなりません。この紐が上下するのです。

「お?! 若い女性ではないか!!」
私が若い女性好きだからの感嘆の声・・・ではありません。
綜絖をされる方は(家族労働ですから「家は」と言うべきですが)京都に数人しかおられません。
先に家族労働と書きましたが、実態は家族の力を必要とするだけの仕事量は、現在では、ありません。ですから家族と言っても「綜絖」の仕事を継ぐという方は稀なのです。
そこに若い女性です。

向こうから針を通して、その針の先端の鈎状のところに糸をかけて引きます。糸を受け取っている方は、この女性のお父上だそうです。
ここでの実演は、そのほとんどが同業の「熟年」男性の組み合わせでした。

どうやらこの女性は家業を受け継ごうと決意されたようです。
無論、業種界最年少です。 おそらく・・・そうならないように願いますが・・・・ずっとずっと最年少でしょう。

相方を務めているお父上は、見学の女性の質問に答えながら思わず顔がほころびます。
見学の中年女性は、私がおかしな方向から写真を撮っているのでいぶかしく感じておられたようです。
最後に再確認の意味で「ブログに掲載してもよいですか。」と伺い、もしよく撮れていたら個展にも使わせて・・・とお願いしました。
するとそれを聞いて先の女性が「やっぱり、プロは撮り方が違うねんね。」とおっしゃいました。
う~ん、これはどう受けとったら良いのか。
- 2014/10/10(金) 00:01:58|
- 伝統工芸
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わたしは今、退職前の仕事とは縁もゆかりもないこの写真という世界にどっぷりつかっています。
何の収入にもならず、何を目指すというのでもありません(・・・収入には確かに結びつきませんが実は笑ってしまうような野心はあるのです。)
ただ楽しく撮っているわけです。
私の過去を知っている人の大半は、私がこんなことに・・・写真家や真愛好家の方には失礼な言葉ですが・・・現をぬかしていることをいぶかしく思っているかもしれません。
(もっとも私がなにをしようとほとんどの人は特に何の感慨も抱かないでしょう。他人の人生に人はそれほど関心をもたないものです。)
世間ではよく「第二の人生」などといいます。
これについては一冊のパンフレットを書いてみたいくらいいろいろ考えるところがありますが、それはさておき・・・・。
ここにもその一つの姿がありました。

森の手作り市でお見かけしました。
お腹がすいたので何か手軽に食べられるものはときょろきょろしていますと、ホットドックの看板が目に入りました。
で、一ついただいたのですが、その際にこの方の奥さんとお客さんとの会話が耳に飛び込んできました。

定年退職されて、その後に一年間で調理師免許を取り、この仕事を初めて5カ月になるということでした。
それまでは学校の先生をされていたということでした。
23,4歳からずっと「先生」と呼ばれてきた人は、えてして、ある「心性」を身につけてしまいがちです。それはお客さんに対して、いかがでしょうか、ありがとうございました、と頭を下げ、腰を低くすることに抵抗感のある心性です。
全ての方がそうだというのでは無論ありません。現役の時から生徒や保護者の声に真摯に向き合う方々を私はよく知っています。
ですが、その反対の人もまたたくさん知っています。
(ただ、先生たちをスーパーなどに研修に出して生徒や保護者に対するサービスの精神を研修させるなどというのは見当違いも甚だしいと私は思っています。時として企業社会に存在する、お客様を神様扱いし、お金の前に膝まづく卑屈な精神を先生方は身につけるべきではないと思っています。)
この方のシャツの左胸に、ご本人と奥さんの似顔絵が印刷されています。
きっとこの新たな人生に踏み出すにあたって二人でよく話され、ともに道を開くことに喜びを感じておられるのだろうと思います。
それは素晴らしいことだと思います。 お二人の心が通い合ったお仕事です。
今日はあっちの手作り市、明日は向こうのフェスティバルにと毎日転々と仕事場をかえるのですが、いつもご一緒です。

以前、ある人の話を聞きました。その人が前職とは打って変わった仕事をしたいと思って奥さんに話すと、奥さんはそれは恥ずかしいからやめてとおっしゃったそうです。奥さんは何を心配され、何を恥ずかしいとお思いになったんでしょう。

この方の場合、一枚目の写真に全てが現れているように感じられました。なんて晴れ晴れとした誇らしい表情でしょう。

きっと先生としても生徒思いでよい先生だったのではないかと思ってしまいます。
(ただ、今の姿と退職前の姿を単純に結びつけるべきではないとも思いますが。とても皮肉な考えをすると先生という職業から解放されたからこんな風に晴れやかな心持ちになっているかもしれないのですから。)
いずれにしても、この方のように晴れ晴れとしてわくわくとした人生の第2幕を始められたらそれはとても幸せなことだと思います。

私もカメラと歩くこの人生を大切にしたいなと思いました。
- 2014/10/09(木) 00:03:15|
- お店
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大変親切な方で、ずいぶんいろいろなことを教えていただきました。
そして後日、写真サークルと染色作家のグループとの共催作品展にもお招きいただきました。
今日制作しているのはそれに向けてのものです。

ノリをひいて防染を施しています。
これは紫ツユクサの色を使ったものではなくて黒色をしています。
布の下に弓のような竹を渡して布を張っています。浮いた布に書くのは筆にしろ、こうした用具にしろ力加減が相当難しいと思います。
布は紙以上に縦糸・横糸が凸凹を作っていますから、線の幅を均一に引くだけでも熟練が必要です。

この防染の線も均一であったり表情をつけたり、さまざまです。このノリは後に洗い流されてその部分は生地の色となりますが、単に色を染めた(さした)部分の縁どりになるというだけではなくもっと積極的な表現ともなります。
この方は伝統的な絵柄ばかりでなく積極的に新作を描かれています。

それで度々発表の場をもっているわけです。
この次は11月だとかで、案内の葉書をいただくことになっています。

以前、写真のプロの方が「撮らせてほしい。」と言って、「どうぞと言ったんだけど、できた写真を見たら、肘から先だけだった。」そうです。
職人の技や職人のありようを手指で表現しようとされたのでしょうね。
写真家らしいですね。

職人さんを撮ると大概作業をしている指先に集中してうつむいていますから、構図は皆同じようになります。
で、「あなたの写真はずっと同じ構図で変化がない。マンネリだ。」という指摘をある方からいただきました。
まあ、事実その通りなんですが。

そこでYannさんは工房で道具、工具に囲まれた職人さんを正面から描いておられました。
私もいろいろ考えねばなりません。

ただ、まあ、ゴルファーのスイングはいつも同じようで取り立てて異なるスイングはないですね。バスケットボールのシュートもまあ大概同じフォームです。
風変わりなポーズでシュートしたから良いシュートとは言えないわけです。・・というような面もあって・・・これがなかなか言うに言われないのでして・・・・。 と苦しい言い訳もしながら・・・。
私との会話の表情も入れましょうか。
押してダメなら引いてみましょうか。 おっと壁にぶつかってしまいました。
それにしても品のある知識も豊かな職人さんでした。

「私の次の人は××日からおいでですよ。ぜひ撮ってあげてください。」と大変にご親切な方でした。
- 2014/10/08(水) 00:00:25|
- 伝統工芸
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賀茂河原 利休の故事か 茶にすすき
以前出町柳で、自転車に窯を積んで野点をしている様子をこのブログでも紹介しました。
釣り人に野点。

この左手の向こう岸に三脚に据えたカメラがあります。
広報用の写真でも撮っているのでしょうか。
それにしても野点は元来こうしたものでしょうが、野心的です。

敢えて和服ではないのでしょうか。おそらくそうなんだと思います。

彼らは孤蓬庵近くに共同で住み、茶会を開いてさまざまな分野の芸術家などと交流しています。
一つの文化運動の趣があります。
橋の上から撮っていると白髪の男性が、「カメラマン君、この袱紗を彼に届けてくれんかね。」と声をかけてきました。どうやらスタッフの一人と間違われたようです。
茶を点てている所は流れの中州ですから、足を濡らして渡らねばなりません。

「橋の下にスタッフがいますよ。」とお答えして、私もそちらに向かいました。
スタッフにお話を聞くと「フリーペーパの取材」だということです。
カメラマンのほかにインタビューアーなど3,4人の方がいました。
彼らの仲間には非常勤の英語への翻訳スタッフもいるんだそうです。

そういえば私の高校の同窓生が地元で「パンプキン」というミニコミ誌を発行していましたが、あれは今はどうなっているのでしょうか。
1枚目とこの写真いいとこどりをしたいところです。

彼らの思いが現れたような情景です。

この写真はスクエアーにトリミングしたほうがよいかもしれませんが、 私としてはやはり空間が広い方がいいと・・。
こちらは先ほどまでより少し下流の出町柳です。

フリーペーパーの方はカメラの位置からして、背景に大文字山を入れたり、鴨川上流の流れと比叡山を入れたりして撮っていたのではないかと思います。

私の方は茶の心を重視です、・・・に、なっているでしょうか?
モノクロでも撮っておくべきでした。
- 2014/10/07(火) 00:03:32|
- 状景
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実際は、你好 とだけ言って、あとは日本語でした。
彼らがとてもよく日本語を話すからです。(ではなくて、私が話せないからです。)台湾の日本語教育はなかなかのもののようです。
三人が仲良く楽器を練習していますので様子を見ると、こちらに背をむけている学生の背中にはKYOTO UNIVERSITYとありましたから、京大のオケかと思いました。それにしては少しだけ演奏がたどたどしいので「?」と耳を傾けたのです。

で、会話が中国語だったんです。
いつも書く通り、私は中国からの留学生や韓国からの留学生には関心がありますから、じりじりと近づいていきます。
まるで怪しい人のようです。いえ、実際ある意味怪しいんですが。

そこで 你好 と話しかけて、・・・そのあとは続きませんから・・・・「日本語は大丈夫?」と続けます。
すると、にっこり笑って「大丈夫です。」との返事。

彼らは台湾留学生会のメンバーらしいのです。
今日はよい天気ですし、の陰のとても良い場所で演奏の練習です。
私が短期間務めた中国瀋陽の学校でも学生の多くは何らかの楽器を楽しめたようです。
ピアノ、バイオリン、胡弓、そして驚いたことに指揮などのレッスンを受けている学生がいてそのレベルは相当なものがありました。

写真を撮るというと、「まず、4人で撮ってください。」といいます。
「うん?! 4人て? 演奏しているところ撮るのではなくて、3人が前を向いて撮るってことではないの?4人じゃないでしょ?」 と思ったのですが、どうやら私を含めて自分撮りをするということのようです。
こういう時にアイフォンは便利なんですねぇ。見事な広角で撮れました。

どうでしょう。日本の学生が同じようなケースで「まずあなたを含めて全員で写真を撮りましょう。」と言うでしょうか。
他国に来てその国人と交流ができた記念ということで思いつくのでしょうが、驚きましたね。
名刺交換もしました。

日本の留学生たちも異国でこうして交流をしているんでしょうか。

交流ついでに私の個展のDMを渡しますと、「是非行きます。」といってくれました。
義理がたい彼らのことですか、きっと来てくれるに違いありません。その時にはまたいろいろな話をしたいと思います。

謝謝、再見。
- 2014/10/06(月) 00:04:50|
- 音楽
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写真を撮るにあたって、多くの場合に、これまでに撮った10数枚の写真を見ていただくのですが、上手く撮れてるねと言っていただいて「個展も見に行くわ。」とまで言っていただきました。

お店の定休日も、普段できないことをしなければいけないし「お忙しいでしょ?(お稽古もあるし)」
「いいわよ。買い物にそのあたりに行くことが多いから。」とご近所さん。
いろいろな分野の方に見ていただいてご批評いただければ、また貴重な気付きがあることでしょう。
うれしい話です。

私の写真はギャラリーのオーナーさんやマスコミの方に知っていただいて、その後の夢につなげるというような、青年写真家志望者によくあるタイプのものではありませんから・・・・いえいえ野望は抱いていますが・・・・ごく一般のかたたちに見ていただく方がいいのです。
玄人やハイ・アマチュアの人をうならせるような技術も構想もありませんし。

それにしても皆さん、楽器を初めとして様々な楽しみをお持ちです。
「日本人で三味線を弾く人がどんどん減って、欧米の人が熱心に三味線を習っている。私は三味線の伝統を引き継げたらなあと思って師匠についているんです。」とこの方の場合は趣味以上のモノ。
自分の楽しみでありかつ社会的な意味も自覚して取り組まれると精進は一層進むでしょう。
それにしてもこういうことは平和であってこそ。
PKO派遣を拡大して、わざわざ戦争の種を拾い集めて何としても日本(人)を戦争の加担者にしたい人たちをこのまま放っておいてはいけません。

人を殺し傷つけ、家族や友人を奪うことや人々の営々として築いてきた建物・道路などを壊したりすることを、正義や自由擁護などの名分を立てて英雄的行為に祭り上げてはいけません。
日本人を鬼畜の道に進ませる声に打ち勝たねばなりません。
そうしなければ鴨川のこうした素晴らしい空気が一変してしまいます。
唐突なようですが国会中継の安倍氏の答弁を聞いていてそう思います。
あの人の頭の中は21世紀ではなく前世紀前半のままなのではないかと思います。
今度この方のお店・・・牛筋鍋がおいしいんだそうです・・・に行ってみようかな。
- 2014/10/05(日) 00:02:18|
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鴨川で秋晴れの下を自転車で快走中・・・いえ、少々もたもたと走っていると・・・・向こう岸に何やら・・・。

近づいてみると三味線の音色です。髪を見るとどうやら素人さんではなさそうです。
「花街の方ですか。」と訊ねてみるとどうもそれは違うようで。 しかし、・・・・。
「三味線はお好きですか?」と聞き返されるので、曖昧な返事。嫌いではないんだけれど「好きです。」と言えるほど聞いているわけではないし、聞いてもそれは多くは津軽三味線で、・・・。
お稽古の邪魔をしてはいけないとは思いながら・・。

話をしていくうちに料理屋の女将さんだということが分かりました。
私が好きなのは「お料理と英語と・・三味線。」だとのこと。

今度、個展の時に友人を誘って飲みに行くことになっている。それで適当な店を探していたので、名刺をいただきました。
個展会場を閉めてから行かれない距離ではないようです。
まあ、それは1カ月も先のこと「下調べ」が必要でしょう。

それである方をお誘いしようと思ったら、その方は、この記事を書いているときに、まさに「もつ鍋」を食べていました。
この日はよく晴れて、秋とは言っても直射日光の下では暑いので、橋の陰でお稽古です。
それは他の人も同じことで、実は同じ橋の下で学生さんがトロンボーンの練習をしています。先ほどまで、小さく控えた音でロングトーンの練習をしていましたが、次第に音が大きくなっています。

トロンボーンと三味線の重なりが面白かったので、そのシーンも撮りたかったのですが、トロンボーンの学生は一時もマウスピースから口をはなさい風でしたので、話しかけるきっかけがつかめなくて諦めました。
- 2014/10/04(土) 00:00:15|
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崩れかかった土塀がいいでしょ?!
ご主人が意図的にそのままにしているのです。 こうして保持することはかなり大変だと思います。
侘び・寂びの世界ですね。

昔、母親が婦人服を縫っていた関係で『装苑』やら『婦人画報』やらをよく見ました。

なんだかその世界のようです。

触ると崩れてしまいそうです。
ちなみに、恰好だけです。
もっと引けばよかったかなあ。

このあたりは、以前から一度撮って回りたいなあと思っていたところですから、念願がかないました。
しかも、うってつけの人とですから、大満足です。
本当に、立っていただくだけで絵になりますね。 それにおんぶにだっこの巻きでした。
この板塀、いいでしょ。 板の間に竹がとおっているのです。
しゃれてますねぇ。ご主人の趣味がうかがわれます。
- 2014/10/03(金) 00:02:54|
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ちょっと秋をお送りしましょう。
この日は少し曇り気味。
明日からは快晴になるという天気予報。 でも人を撮るときには少し曇り気味がいい。
ここは萩と少し崩れかかった土壁とが醸し出す風情が素敵な場所。

初めてお目にかかった時には春の花のワンピースでした。 フローラのような人だなあと思いました。
今日は秋の花、この服も素敵です。羽織っている服も紫で、いいですね。
まだ紅葉には早いですから、真如堂では少しだけ・・・ゆるい傾斜の石段で・・・撮って、ここに来ました。

この方はプリザーブドフラワーをされていますから、お花には詳しいし、お好きです。

花のデザインや制作をしていますから、普通の写真では満足してはいただけないだろうなあと思いながら、この人の魅力に促されて、「定番」を撮っています。

撮っている時に、自分で不思議だなあと感じていることがありました。
最初からここまで、全身を繰り返し撮っているのです。 いつもなら、ついバストアップを撮る癖があるのにです。
フラメンコもされていた時期がおありだとおいうことで、全体の姿勢、たたずまいが素晴らしいのです。
これくらいでも「寄った」という感じです。

ネックレスの輝きが印象的です。
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- 2014/10/02(木) 00:00:28|
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