私は日常行動はどちらかというと保守的というか、ものぐさというか、無精というか、怠けものというか・・・・というタイプの人間です。
それで外食をするときも、あちこちのお店に入って開拓していくというようなエネルギーのいる大胆なことはできません。
たとえば口コミ観情報を見て「おいしい」「安い」「雰囲気がいい」などという店を見つけ出すなどということができませんし、その一方で偶然見つけた店に「ちょっと立ち寄る」ということができにくいのです。
困った性格です。

ですから友人を飲みに行こうと誘える店も知らなければ、旧友が「今度京都に行くから美味しいモノを食べられる店を教えて。」などといわれても皆目見当もつかないのです。

だから?一度はいって、ここはいいなと思うとずっと同じ店に行くことになります。
ある店は、もう30年以上通っています。そこのマスターが「写真はだめだから・・。」と、奥さんが撮ってもらえばいいのにというのを「駄目なものはだめ。」と断るものだから紹介できませんが.。

美味しいお店を見つけるとうれしいですよね。
そしてそういうお店のご主人は大概魅力的な何かを持っているんです。
ある時このお店で「レバニラ(ニラレバ・・ですか?)」を食べたんです。
その時に調理してくれたのはこの方ではなくて、「ずっとないあの人のことは師匠だと思って」いるという方なんです。
食べながらふと自分の意識に驚いたんです。
お皿の上のレバーやニラがなくなったら、さらに残った汁を全部食べたいなあと感じていたんです。

私の経験の中では、大衆的な中華料理店では、こうした種類のメニューは塩や醤油、あるいは油が強すぎる上に、うま味調味料のいやな後味があることが多いのです。
口に入れた瞬間は美味しいと感じるんです。でも、・・・・。

味に棘がないばかりか油も強すぎず、お皿を最後までなめても大丈夫というか、そうしたい感じがしたのです。
今日は暑かったから身体が塩分を要求しているからだろうか・・・などとも考えてみました。
でもモヤシやニラの歯ごたえもとても心地よいざっくり感があるのです。

長年この系列の店に勤めて、味を作ってきた人といってもいい様な経歴の方のようです。
「あの人の味を受け継ごうと思って今でも勉強させてもらっている。」とこの大将がいうのです。
先輩を尊敬できるということはうれしいことですねぇ。そういう人だからかなり年下の後輩も、新米として可愛がれるんでしょう。

客として足を運びたくなる店には理由があるなあと思ったことでした。
- 2014/08/31(日) 00:04:37|
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人混みが苦手だというので、徒歩です。
暑いのですが、歩くんです。 でもこの人は暑さを避けたり、歩くのを嫌がったりしないんです。
ときどき大丈夫ですかと聞くんですがいつも「平気です!」

ここは琵琶湖疎水の一つです。
このレンガの小さな施設は私のお気に入りの一つなんですが、先客がいてゆっくり撮れませんでした。

この場所と道路を挟んだ反対側には、美味しいパスタのお店があります。ここもお気に入りです。

それでそのお店に入るかというと、さにあらず。
最近見つけた別のお店へと・・・・・。
それがここです。
実は、私の撮影に協力していただく人は、食べている時さえそっとしておいて貰えないわけで・・・・。

このお店は岡崎公園に行く途中にあるのですが、ご主人の仕事がとてもまじめで丁寧なので「おいしいんです。」
奥さんは明るく性格の良い方だし。

ご主人はきちんとした料理を出せばいいんで、店をかわいらしく飾り立てるのはいやだといって、奥さんを少しがっかりさせているんです。
でも「おいしいモノを食べさせるよ。」という空気はいっぱいです。

奥さんが「可愛い方ですねぇ。」とおっしゃっていましたが、どんな瞬間にもシャッターを切りたくなる人であることは間違いありません。

- 2014/08/30(土) 00:03:15|
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以前も書きましたが、私は色彩にはほとんど才がなくて、なかなか色を使えません。
ですから、カラー写真が下手なんです。
でもこれは気に入っています。
といっても・・・見ている方にはお分かりのように・・・私の手柄ではありません。

突然、あそこがいい感じ、と歩きだし、あのコーナーに入り込みました。
なるほど・・・。
私はその動きを追いかけます。


これ、いい感じでしょ?!と提案されたモノを受け止められるかどうか。
楽しいですね。

ああしてください、次はこうして、ではない写真なので素人同士楽しめます。
この気持ちの良い光は、いつものように「10:00-15:00」でお願いしているたまものです。

いい鞄です。
トータルにセンスがいいですね。
ところで、カメラによって発色が違うなあと、このごろよく感じます。
ことにフジのカメラで撮った時に思います。 うまく使い分けられたらいいのですが。

世に「カメラ女子」なる言葉が流通していますが、「カメラ女子」御用達の写真雑誌を見ると、ことに人気写真や投稿写真を見るとちょっと色合いが違うように思います。おじさんたちの従来の写真とは。


ですからベルビアがどうのアスティアがどうのといっても、果たして話がかみ合っているかどうか、とはおもうのですが。


まあいろいろなソフトを利用してご自身で加工されている人にとってはどちらでもよい話ですが。
- 2014/08/29(金) 00:02:26|
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美人やかわいらしい人がフォトマヌカンをしてくれるからといってよい写真になるとは限りません。
撮るほうが「きれい・可愛い」に夢中になってしまうと写真が独りよがりになります。
そして、私の欠点がそこにあります。
今日は持ちだしていませんが、プラナーの85ミリをつけていたりすれば、よほど気をつけていてもいつの間にか「きれい・可愛い」の池に沈んでいます。

つい先日「繭」という名の写真ギャラリー兼喫茶のお店で、風景写真などに混じった一枚のポートレート写真を見ました。(このお店では毎週のように写真のグループ展や個展をされていますが、時にとても良い作品を見ることができます。)
とても気持ちの良い写真で、「若い女性を撮った写真」の魅力を改めて感じました。
「命」だなあと思いました。
私の年齢故でしょうか。
この人と出会ったのも偶然でした。
写真を撮ることをお願いしたところ快く引きうけてくれましたが、その時にも、とても似合った帽子をかぶっていました。
帽子がお好きでいくつも持っているんだということです。
今日の帽子もとても良いと思います。

一度目から、何か特別なニュアンスのある写真を撮ることは、プロ同士ででもない限り難しいと思います。

それであちこちよい場所を探しながらお互いの好み・趣味をすり合わせていきます。
あそこがいいね、という時のこの人の呼応する感覚がとてもいいんです。
実はこの人「油彩」をしていたことがあって、今は「自宅では『油彩』はちょっと無理なので」ということで別の画材で絵を描いている人なのです。

ですから、フェルメールのように・・・なんて言ってもすぐに分かってくれるんです。

バンダナを見ればこの人の色彩感覚の良さが分かります。

すると、「いい人に出会った。」と思うので、
前から、こういうのも撮ってみたかったんですね。
- 2014/08/28(木) 00:01:38|
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手元と目に焦点をあてるためには脚立か何かに登らないといけないことがあります。
私は小柄ですから、いつもそのことで残念な思いをします。
そうかといって背面液晶画面を傾けて撮ろうとは思わないのですが。

撮影のためには、もう一灯ほしいなあと思います。無論こんな場所ではそういうわけにはいきません。
「NHKが取材に来た時には、ずいぶん時間をかけて撮っていったけど、実際の映像ではほんの少ししか使われていなかった。」とあちこちで聞きます。
家の中に照明器具をいくつも立てて、移動用のレールを敷いて・・・・などということもあるようです。
確かにいい映像を撮りますよね。いつもテレビ画面を見て感心します。

動画と静止画の違いはあっても、静止画としても鑑賞に堪えるモノを撮っていると感じます。
なるほど、そう来るか! と。

「あっ この蛍光灯をどかしてくれませんか。」と、私には言えないんです。
でも、見つけたいですね。このアングル!というのを。
- 2014/08/27(水) 00:00:13|
- 伝統工芸
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京人形の頭(かしら)に「髪つけ」をします。

頭は別の職人さんが作ります。
髪を植え込む(きめこむ、というようです)ための溝を彫っています。
地方から来られていた中年の女性が「古い人形があって髪が傷んでいるんですけど直せますか?」と尋ねておられました。
痛みの状態によって治す方法も無論いろいろなわけですから、それを少し教えていただきました。
ひどい場合は頭そのものの部材が痛んでしまって、触ると壊れてしまうようなものがあるんだそうです。
布などの糸が「性が抜ける」といいますが、そういう状態ですね。

そういう時には、頭の職人さんが修理・補強をして、その上で髪つけをするんだそうです。

「人形の供養」などということをしても、持ちこまれるのが昔のようなひな人形などではなくて、縫いぐるみなどになってきている。
京人形の需要も減っているし、まして直してまで大切にしようとする方は少ない。」といいます。
飾る人形ではなくて、触っていっしょに遊ぶ人形へと変わっているんでしょうか。
アニメキャラの人形などにも押されていますし。

京人形などに人形は衣裳もその道の専門の方が織り、刺繍し、仕立てるのですから、人形の需要が減ればそういう職人さんも姿を消していきます。
- 2014/08/26(火) 00:01:52|
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原作・矢島正雄、作画・弘兼憲史の漫画に『人間交差点』という私の好きな作品があります。
それをもじって「人生交差点」
この方は版画家で、エッチングの作品を展示されていました。
作品自身の魅力は写真の背景に写り込んでいますからご覧ください。

最近、人にご紹介いただく機会が増えて、その際に「写真を撮っている蒼樹さん、うんぬん」と言っていただくことが増えました。時には説明が面倒だと見えて「写真家の蒼樹さん」と言われてしまうことがあって居所に困ります。
作品を見ていただいた裏付けがないところが少々以上に「虚偽表示」商品臭いのですが、

「まあ、しかし、写真家などというのは国家試験があるわけじゃないし、自分で名乗った者勝ち」なんて冗談に言われたあとだったりすると、そのに上にさらに「人物を撮っている珍しい人なんですよ。」とつけ加えていただく幸運に恵まれたりなんてことにもなります。すると、これ幸いに・・・お願いすることがしやすいというわけです。
しかも、出会うことも、話すことも・・・・それまで考えられなかったような方に。
この方の個展会場でだというのに、「いいですよ。(モデル)しましょうか。」なんてことも起こるのです。
芸術系の大学で学んでくると、お互いにモデルをしたり他コースの人からモデルを依頼されたりして「経験者」だったりするのです。
で、大人のアンニュイな表情でも、・・・次のように大学卒業したての若い女性のような笑顔でも。
これでは男性は所詮女性には・・・・・・・・なんて余計なことはいいません。

作家さんによる作品紹介です。

で、私の撮影練習のお手伝い?
ポーズの撮り方はどうにいっています。一を聞いて十を知る態です。

残念なことに、この方は遠くにお住まいの方ですから、何度もフォトマヌカンをしていただくことはできません。が、お住まいの町まで出かけていけば、していただけそうです。
この方の個展を祝っての夜の集まりに、私は好奇心が手伝って「招かれざる客」として参加しました。
こういうところが最近の私のずうずうしいというか、昔よりましになった点というか・・・・。

この方を囲んでの会ですが、あちこちで大変興味深く、刺激的なお話を聞くことができました。
この方の個展が交差点になって、さまざまな、相当したたかな人生たちが一瞬交差していったという感じです。
どうも病み付きになりそうな感じですね。

そういうしたたかな会話の中で丁々発止、時には柳に風と応じて見せる女性の実力ある魅力。
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- 2014/08/25(月) 00:00:35|
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アジア・太平洋戦争の終結から69年。
戦後しばらくは小学校唱歌に歌われたような風景・風物が全国にたくさんあったわけですが、1955年以来の高度経済成長、ことに「『国民所得』倍増計画」「全国総合開発計画」「列島改造論」などなどが打ち出された「高度経済成長期」の前後では日本の姿はがらっと変わってしまいました。

東南アジア・東アジアの諸国を旅すると感じるのは「町や村に匂いがある」ということです。それは今の日本人には異臭と感じられときには耐えがたい臭さとさえ感じられ、それが後進性の一つの象徴のようにさえ感じられるのです。
しかし高度成長の前に日本にもそのアジア諸国と同じ兄弟だと感じられるその匂いがあったのです。

今でこそ子供たちはその同世代の50%ほどが大学に進学します。これは・…内容はともかく・・・驚くべき数字です。
そして「就職」していきます。
戦後しばらくはまだ中学を卒業して働くという姿は珍しくなかったし、奉公のような就業形態もありました。
この方は15歳の時から「括り」の仕事をされてきたのだそうです。

「戦争が終わって・…60何年になったかね? 」
その間ずっとこの仕事を一筋にされてきました。
そういえば型染友禅の型を切る和田さんも15からその仕事を始めたとおっしゃっていました。中卒で職人の仕事に就くという人生は自分たちが最後段階の世代だとおっしゃっていましたが・・・・。
ある仕事を一筋に・・・・というのは文字に書けば簡単なことですが

この方の指先の若いことには驚かされます。
疲れやすくなったし、脚がね・・・・と言われます。 だから昔のような仕事はできないといわれるのですが。
こうした絞りはとても根をつめた長い時間を必要とします。総絞りなら3年以上もかかります。途中で引き受け手が代われば絞りの様子が変わってしまいます。一人ひとり微妙に風合いが違うからです。
引き受けた以上心身ともに3年間は健康でやり遂げなければならないという大変な仕事です。
ペルシャなどの絨毯でも一生の間にそう沢山は織れないという話を聞いたことがあります。

ですから部分絞りの絵柄の着物でも、当然「安価」だというわけにはいきません。
括って染め、また別の場所を括って染める・・・これを色ごとに何度も繰り返す場合もあるのです。
先日、桶絞りを紹介しましたが、広い部分を覆っての作業でしたが、絞りにも幾通りもあるようです。細かい点のような絞りと手法も様々です。
そうした労働の集約として出来上がる着ものはまさに工芸の華の一つですね。

実際にウインドウに並ぶ、いえ、お店の奥深くで初めて見せてもらうような絞りの着物は値札の「0」の数を数え損なうととんでもないことになります。
でも職人さんたちは、もう少し手に取ってもらえ安くならないかと思われているのです。
「私らの手間賃から計算するとねぇ~・・・・・」 職人さんの手間賃を単純に計算すればその数分の一に。
流通や販売に何か問題があるのかも。
一日実演を続けるのはなかなかしんどいです。そこで少しお休みされていたところを「よかったら撮らせていただけませんか。」とお願いして作業を再開していただきました。
一旦始めると一面メトロノームのように正確に、他面では指先で舞っているように滞ることなく作業が続きます。

それをいいことに撮らせていただきました。
ありがとうございました。

この人のあとを継ぐ若手は、数えるのに指を折らないでも分かるほどになってしまっています。
- 2014/08/24(日) 00:03:57|
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涼しい風を送る団扇は書家・秋葉さんのモノをお借りしています。
「然」 そうあるがままに・・・とでもいうのでしょうか。
暑いとき(夏)には暑いがよろしく、寒い時(冬)には寒いがよろしい ????

暑いといえば「水」
150万都市の中を流れる川の水の流れに足をさらすことができる。
このギャラリーを開設される際にリフォームを担当された方の工夫だそうです。
部屋から高瀬川に出られます。

四条辺りからから三条にかけて鴨川の西岸には「床」が出て、夏の風物になっていますが、どうも最近風流を解さない作りが目立っています。

どうやら気付かぬうちにギャラリーのオーナーが私の背後から、彼女を撮っていたようです。
- 2014/08/23(土) 00:02:42|
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このあたりは「五山の送り火」の際に如意ケ嶽の「大」の字の左半分がかろうじて見える場所です。ですから大分南ですね。
私の住まいは少し出れば金閣大文字山が、その北の正面に見える西大路です。嵐電の線路伝いに右大文字も見えます。
ですからここは住まいからは少し離れています。

そんな場所にこのギャラリーのオーナーさんという知己を得たことは私の喜びです。しかも私の仕事からはずいぶん異色の分野の方ですから、当然話は興味尽きないわけです。
その上この方の友人・知人の方々ははこれまでの私の生活の上ではほとんどお会いすることはなかったような方々です。

実はこの日、とても暑い日でしたのでこの人もうっすらっと汗ばんでいます。
まるで湯上りのような風情が出ている・・・と勝手に思っているのです。
うなじのほつれ毛が、ちょっといい感じです。

この人はたくさん絵を見ている人ですから、
ポーズ指示の話は早いのです。


この写真を一番気に入ってくれたというのですから、私のようなモノには最高のフォト・マヌカンですね。
- 2014/08/22(金) 00:00:57|
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河原町通りも花見小路あたりを除けば、観光客はあまり南にはくだりません。
最近は様々なインフォメーションが進んで雑誌で有名になったお店もいくつもあるけれど、それでも喧騒の程度が相当違います。
だから落ち着いた雰囲気で撮れるのがうれしいのです。
.

オーナーさんはこうした道のベテランですから、2階の私たちをすっかり放っておいてくれます。
分かっている人の応対というモノをとても感じます。

で、どうかして、「よいのが撮れましたね。」と喜んでもらいたくなる。
こういうこと(写真を撮るというようなこと)というのは眼前にいる二人だけでできるわけではないということを感じるのです。
町で撮る(あるいはスケッチする、パフォーマンスをする)ときには町の中に、そういうことを受容し、あるいは芸術活動の成果に期待し、一緒に観賞できるというような文化の底厚い豊潤さがないといけないと思うのです。
絵画にしろ芝居にしろ、結局よい作物はその地の文化的肥沃度で支えられるとおもうからです。

伝統産業を支えてきている、しかし、もはや衰滅しつつある職人たちの苦境を、失業対策の小銭を撒いて伝統文化の保護だとしてお茶を濁しているような政治家たちには、ほとんどなんにもその価値が分かっていないと私には感じられます。 「美しい日本」を声高に叫んでいるあの人たちも同じだと思うのです。
「愛国心」を武器を持って血を流すこととしか理解しない野蛮な人々が大手を振って声高に叫んでいるような日本では、絹地に筆でにじみの線を描く価値を見捨てていくのだろうと心配します。

この町屋が廃棄されずに新たな息吹を持って生かされているのには優れた知性を持った人々の連携があります。この町屋を惜しむ町衆としての元来の家主さん、その方に依頼されて新たな持ち主を探していた見識ある不動産屋さん、そしてその見識の眼鏡にかない活用に意欲を見せる新たなオーナーさん。この町屋を改装したギャラリーの魅力を認めて活用する芸術家たち・・・そうした人々の存在があればこそだと思うのです。 文化はこうして守り育てられ、また成長していきます。
もし「日本に京都があってよかった」と言えるとするのならば、京都を巡るこうした人々の存在をぜひ想像していただきたいと思います。
私はと言えば、こういう写真が撮れてしまうとそれだけで大喜びしている写真愛好者でしかないけれど、
ちょっとそのはしくれに立ちたいとは思うのです。
・・・ちなみに触れておけば、こうしてこういう場で「モデル」をしてやろうとういう知性・感性を持った若い女性が育っているのもまた、京都(には限りませんけれど)の力ではあると思います。・・・・

- 2014/08/21(木) 00:00:40|
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この日私の愛機は、懸命に稼働してくれていました。
それまで持ち主の意図に逆らって暴走することが一再でなかったカメラが、ときどき不平を言う程度でガンバってくれました。

持ち主ではあっても道具をリードしきれない無能な主人に対する反抗だったのでしょう。

持ち主には腹が立つがモデルには罪はないとでも思ったのでしょうか、「あれっ?! どうした案外に素直じゃないか。」と・・・・・。
油断をすると、「不機嫌だってことをお忘れなく。」とばかりに困らせてはくれましたが。

この建物はオーナーのご厚意で撮影に使わせていただきました。
階下の部屋のすぐ外を高瀬川の清流が小さな波音をたてて涼やかに流れています。
浴衣で撮ることを決めた時から「畳の部屋で撮りたい」といっていました。
で、いろいろなところを考えたのですが・・・・・。

オーナーのご厚意に甘えて。
紙風船を使いました。小さな風船もほしかったのですが、おもちゃ問屋さんにも「お取り寄せになるんですが。」と置いてなかったのです。
事前に狐の面を使いたいといったら大いに賛成してくれた、そういう人なんです。だから撮りたい気持ちがモリモリ湧いてくるんですね。

私の感性は古いですから今日の写真状況に伍していくわけにはいきません。一昔もふた昔も前に・・・いえ、以前にも書いたように、高校生の時に撮りたいと思っていたイメージをようやく追いかけている、そんな感じです・・・・「撮りたかった絵」を求めているのですから、それを一緒に楽しんでく入れるような人は貴重です。


「どうしましょう?」
「う~ん、ただ遊んでくれれば・・・。」
- 2014/08/20(水) 00:01:29|
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こんな作業を見たら、いったい何をしていると思いますか。
京都には千枚漬などの「漬物」がたくさんあります。 しっかり重石をして・・・・。

確かに竹のタガが巻きついたモノは「桶」です。
ですが、この桶は「絞り染め」の桶なのです。
実は写真の順番は逆になっているのですが、この桶には、この範囲は染まってはいけないという部分が押し込まれていて、縁を固く締めて、これを丸ごと染料の桶に投げ込むと、周囲のはみ出した部分だけが染まり、中の部分は染まらないというわけです。

染料が、防染を施した枠を越えて染まることを「なく」といいますが、中の部分までナカナイないようにするためにはきっちりと締めあげなければなりません。
実に繊細な絵柄と染めの世界で、こんな力仕事があるとは・・・。
この作業では染めない部分の際を押し込んで整えているのです。

これが最初の写真と同じ作業ですが、上下にかけられた太い紐を、まさに「きりきり」と締めあげます。
この会場のスペースが十分でないので、このあとの作業ができないのだそうですが、交差する太い紐に道具を差し込んで一層きつく締めあげて、染料の水がしみ込むことがあっても染料の粒子が入っていかないようにするのだそうです。

桶は丸ごと染料の中に投じられますから、桶自体がすっかり染まっています。上の写真では緑色ですが、この写真のモノは藍です。
つまり色ごとに桶がいくつもあるということですね。
これらの桶はかなりの厚み(4,5センチ)あるのですが、上下の縁が内側に傾斜しています。(固定的にふさがれた底というモノはありません)
その切れ込んだ傾斜部分に生地を針で止めて、その後にこうした締めあげる作業になるわけですが、何度も針を刺しては抜く作業をすると縁が穴だらけで柔らかくなります。そこでその部分を固い部材のところまで削るのですが、何年もの間に桶はどんどん浅くなってしまうのです。
下の写真は針を抜いているところですね。



桶絞りの作業がひとまず一段落すると、こうした絞りの作業も見せていただけます。
- 2014/08/19(火) 00:00:50|
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ある方が、目標を持って取り組むことの重要性を話してくれました。
「そうすれば思わぬ大きなことも実現するんだよ。」と。その方の奥さんが別のある人の絵を評価して、「是非パリで展覧会を・・・、」と背中を押しているうちにそれに代わる大きなことを実現したのだそうで・・・・。
話の中で「今までに何人くらい撮ってきたの?」と質問されて「まあ、恐らく700人を超えたくらいですけど。」と答えると、
「じゃあ、1000人撮ってパリで個展をすると決めたらどう?!」といいます。

「いや、まあ私のこれまでのペースでは、たとえこれまで通りだとしても再来年になりますね。」
「ちょうどいいじゃない。その前にたとえば777人を記念して何かやったら?」
「777人目の人に特別プレゼントをするとか?!」
そんな冗談を言い合っていました。
で、他の人からも聞かれたので数えてみたら740人くらいになっていました。

とすれば、・・・・・今度11月4日から開く写真展の開催中に・・・777人目を撮ることになるかも知れません。
くす玉とクラッカーを用意しなければなりませんね。
そしてその方の写真を四つ切ワイドにして額に入れて、これまで撮らせていただいた多くの方々を代表してプレゼントとして写真を受けとっていただくとか。

頭(かしら)の目が照明を受けて光っている写真があります。
これを、入院中のアルファ900で撮っていたらなあと思わないではありませんが、

良い仕事をしている方々が、よい瞬間を見せてくれて、私をわくわくさせてくれる。
それでいつか777人目にも到達するかもしれない。
あるいは1000人目にも達する時が来るかもしれない。
それを目標にはしないけれど、このワクワクを追いかけたら、そういうことも現実になるかも。
「1000人目はパリで!!」 なんてことはまたお酒でも飲みながら考えましょう。

だってフィレンツェかミラノがいいとか、フランクフルトにしたら? ロンドンは?と 話はどうせ写真とは関係の無い方に発展しそうですから。
- 2014/08/18(月) 00:03:02|
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写真を撮ることを趣味にしていて何がうれしいといって、よい被写体に出会えること、これです。
でも最近少しわかってきたことがあります。
それは被写体が素敵だということをちゃんと見つけているかということが問題なんだということです。

友禅の絵を描いておられる方が「線が見えるんだよね。」とおっしゃっていました。
絵に描く対象を見ていると、それをどのように絵として表現するかという「線」が見えるとおっしゃるのです。
他の分野の芸術家たちもみな同じなんでしょうね。そして、それはこの対象の何が人々の心を動かすかをつかみとって、それを絵に変換するその道筋が見えるということなのでしょう。

私でいえば、その人の素敵さがどこから来るのかを写真的に翻訳するということなんでしょうねぇ。言葉にしてみれば。

「ただ眺めていたって見えるもんじゃないんだよ。」ともおっしゃっていました。
たまたま私がその道の匠達と出会うことが多いので、私の身に沿わないような大きな課題を投げかけられます。
私の場合はこうした匠達をただ憧憬を持って見ているしかないのですが。

人形の頭(かしら)に植え込む髪の素材は「撚ってない絹糸」なんだそうです。
頭、手・足、衣服、太刀や扇子などの持ち物などなどはそれぞれに専門に作る職人がいます。
髪には鏝を当て伸ばしてつやを出します。そして千枚通しのような針で梳きながら毛の流れを整えます。

そして髪を結います。
- 2014/08/17(日) 00:01:33|
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今日は京都では「五山の送り火」の日ですね。
この日を過ぎれば暑い京都にもいくらか涼しい風も吹くはず・・・・なのですが。

暑い夏にはそれなりの過ごし方が。
こうして浴衣を着てそぞろ歩いていただくと・・・少なくとも見ている方は・・・「いいなあ」と・・・。
木屋町通りから鴨川にかかる松原橋を渡って、宮川町へ

ここには和服のプロがたくさんいます。
舞妓はんに芸子はん。でも、私はここで彼女らにレンズを向けることはありません。

京都には五つの花街がありますが、私はなんとなく宮川町が好きなんですね。
ですが、この宮川町も舞妓や芸子の数が年々減ってきて街も「おきや」の風景からスナックや貸衣装屋のようなものが目立ちます。
舞妓や芸子の存在は庶民の生活とは隔絶していますから絶滅しても大したことではないかもしれません。
いくら遊び心を備えた粋人でなければ、と言ったところでお金がなければ遊べません。
そういう世界があろうが無かろうが、世の中に大した影響はありません。少なくとも私のような所得のモノには。
しかし、一方、西陣の織物、友禅の染物、さまざまな飾り物や香や琴や笛や・・・・などの積み重ねられた工芸・技も一緒に沈んでいきます。それは一大事?・・・・・・考えどこですねぇ。

ああ暑かった。
涼しい風の通り道でちょっと一休み。
ここは建仁寺です。
今では、「昼寝禁止」です。 ええ、そうなんです。一昔前まではここでよくごろんと横になったまま気持ちよく眠りこけてしまう人が少なくなかったのです。 そのためにやってきていた人も・・・・。
このお寺には俵谷宗達の『風神 雷神図屏風』があります。
もっとも見ることができるのはレプリカですが、このお寺では「撮影自由」なのでうれしいです。
ストロボの強い光を当てれば絵画などが痛む、あるいは撮影する人が立ち止まって他の人に迷惑をかける、写真を撮ると絵ハガキなどが売れなくなる・・・などなど写真撮影を禁止する理由はいろいろあるんでしょうが、行く先々の「写真撮影禁止」は納得できないものが多いです。

どうでしょう。
夏を感じていただけますか。
- 2014/08/16(土) 00:03:19|
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着ものでも帯でも、絵柄の下絵を描く人がいて始まる。

この方たちは古典的な作品からも新たな日本画の作品からも貪欲に学んで下絵を考案する。

だから美術館で絵を見て回っていると、「あの方は確かどこかでお見かけした・・・・。」などということがたまにある。

下絵作家の著作権などというものが未だ未成熟な世界だから、下絵は丸ごと買い取られていく。そしてその下絵の色の組み合わせをかえたりして同じ下絵から何本もの反物が織られて帯となり着ものとなっていく。
そういう仕組みが職人にとって有利なのか不利なのか・・・門外漢には分からないけれど・・・・

だから意匠のオリジナリティーなどということについては、アメリカ流知的財産権の思考方法とはいささか異なっていることだろう。

下絵が買い取られて、それに従って織られた着ものをどこかの誰かが着る。
着物雑誌などにその下絵をもとにした着物を着たモデルの写真が載っていたりすると「うれしいもんだよ。」と顔をほころばせる。

筆を同時に二本お持ちなのは何故か。水彩をする方はお分かりだと思います。

既に描き尽くされた感のある世界にいて、なお工夫に工夫を新たに加えていくための勉強。

職人と作家。 何度も逢着する問題です。
続きを読む
- 2014/08/15(金) 00:03:19|
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かっこよく撮れという注文なんですが、撮っている人間が「かっこいい」という状態からはずいぶん離れたところにいる人間ですから、なかなかそれは難しくて。

でもまあ逆に、そういうことへの憧れはあるわけで、・・・・。
だからこそ写真を撮っているのかもしれませんね。

誰でもがこんなポーズで様になるわけではないと思います。
まして私などは・・・・無論、やりはしませんが。

植物にかこまれた屋上から降りてくると、この階段です。
急に無機質な空間になりますが、これはまたこれでいいわけで、・・・。


ただでさえ脚の長い人を下から撮るんじゃサービスのしすぎですかね。
- 2014/08/14(木) 00:01:07|
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町じゅうに写真が氾濫しているのですから、勉強する素材には困らないはずなんですが。
実際、写真の発明の前と後とでは画像に関する私たちの意識はずいぶんと違うんだろうなあと思います。
街角にも商店にも雑誌にも・・・写真がないということはほとんどありません。
なのにこうして写真を撮っている私がそこから学ぶ対象として写真を見ているかというと・・・・。
毎日毎日大量の写真を消費している現代です。 写真てなんでしょうね。

先日ある方の写真を撮らせていただいて、そのうちのたった一枚をポストに入れさせていただきました。
その後お会いしたときに「遺影に使おう」なんて話しているんですよと言われて驚きました。まあ半分以上冗談のお話しでしょうけれど、写真の扱われ方にもずいぶん幅があるなあと感じます。
第一このブログでも写真を紹介させていただいているのですが、たった一日見ていただくだけです。
毎日更新しなければ、しばらく目に留まるのですが。
で、ときどきずいぶん以前の写真を見ていただいて「おやっ?!」と思うこともあります。どんな方がどんな動機で見てくれたのか。ご本人だろうか、その方の知人なんだろうか・・・・。

何度も振り返ってみてるんですよと言っていただくこともまれにあります。

ところで、ここはビルの屋上なんです。
都市の緑化の一つとして屋上緑化が話題になっていますが。
学校なんてずいぶん広い屋上があるんですから、まず最初に緑化か太陽光発電の設備をつけたらいいのにと思うのですが。

おかげで暑い街中でもちょっとほっとします。

知る人ぞ知る場所で、「おっと! カップルの先客が。」ということも時々あります。
京都は寺社の持つ緑以外は案外緑が少ない都市なのです。そしてそういう寺社の緑は市民に必ずしも公開されてはいません。
開かれているところでも少なくない場所が有料です。
そういう意味で京都は「都市計画」的には及第点はもらえないように感じます。
えっ?! 何を言いたいんだですって。
それはですね。写真を撮るいい場所が少ないってことです。
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- 2014/08/13(水) 00:00:04|
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何かを一生の仕事として手掛けて、この人みたいに奔放・闊達の境地に達せられたら幸せだろうなあ、と思いました。

実はここも実演をしてくれる場所なのです。数日前に見に行ってすっかり話しこみ、写真を撮りたいということも話したのです。
しかし、残念なことにその時にされていた仕事は、こうして写真に撮って公開できないものでした。
「えっ?! これを西陣の手描きの方が描くの?!!!???」とびっくりするような色遣い、筆遣いの作品を手掛けていました。
上の写真は「手描きの帯」です。 それだけでちょっと意表を突かれるでしょ?!
「こういう仕事もするんだよ。 もっとびっくりするモノも着ものに描いてきたよ。」といいます。

話を聞いて本当に「知らない世界があるんだなあ。金持ちというのは本当に何をするのか想像もつかないなあ。」と思いました。
いえ、好きが高じたからでしょうが。

ご自身は「日本画の勉強もずっとしてきたからね。ほら、だからこんな絵も描くよ。」と可愛い猫を写実的に描いた作品も見せてくれました。
「だから、職人としての仕事に収まらないで作家として描けるんだよ。いや描きたいんだね。だってワクにはめられてるんじゃ嫌だろ?! 自分のモノを作りたいじゃない。」

ですから注文も破天荒なものが来るのですね。描けるからこそ。 ここが肝心なんでしょうね。 描けるんです。
自分で描いて、いいものが描けると手放したくないんだよ。
実は今目の前で描いてくれているモノもご自身の創作の帯で、斬新な色遣いの幾何学的な模様です。
これならご自身の作品ですから
「撮っていいよ。」
先日「これを撮ってもらう訳にはいかない。数日後に自分の帯を持って来るから撮りに来るかい?」と言っていただいていたのです。
だから、「来たねぇ。」 と仕事を切り替えてくれたのです。

下書きは、なしなんだそうです。

線は多少曲がっていても、太い・細いがあってもそこが手描きのいいところじゃないか。
二度と同じモノは描けないしね。

こういう職人さん、うん?!作家さん が「そう、じゃあ撮ってもいいよ。」と言ってくれるという状況にふさわしく撮れるカメラマンになりたいなあ。
- 2014/08/12(火) 00:04:53|
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日本にも「曲げ物」というジャンルがある。「わっぱ弁当」などの名で知られる弁当箱もその一つ。
この方が作られているのは、シェーカーボックス。
「シェーカー・ボックスは、18世紀後半から19世紀にかけてニューイングランド地方でマザー・アン・リーをリーダーとするシェーカー教徒によって作られました。いろいろな大きさの木箱は163年間にわたって作られ、現在も複製品が製作されています。」(柴田慶信商店のページより)
本国アメリカでもほとんど作られなくなっているとのことですが、

人はどこで何と出会って感動し生涯の仕事を見つけるかわかりませんね。
本気でそこに自分を打ち込める対象を見つけられる人は本当に幸せなのだと思います。

勿論、作って楽しい、うれしいだけでは「生活」していくことができませんから、多くの人がそこで悩み葛藤します。人生の「岐路」に立たされることも。

一生のうちにどんな笑顔を体験できるか。それが肝心な点だと思います。その笑顔に至るまでに多少・・・以上の・・・歯ぎしりをしたり奥歯をかんだり、悔しい唇もかむでしょうが。

このお二人は手作り市のデビューです。
その記念すべき日に写真を撮らせていただいています。

実に誠実で、丁寧な仕事をしています。
少し前に見せていただいた指物師の方たちの仕事に通じています。
弁当箱かなあと見えたのですが、漆を施したりしていませんので「ちょっと水には弱いんです。」とのことです。
蜜ろうなどで磨かれています。ですからジュエリーボックスなどとして活用できます。
この穏やかな表情の下に、良い仕事をするということについてなみなみならない決意を感じました。

「作る人を撮る」という話の流れでしたので、奥さんにフォーカスがいっていませんが、「お二人」の感じがとてもよかったのです。

この写真を見れば「お二人」の関係がどなんものか、よ~くお分かりになるでしょ?!

これからまたどこかの手作り市でお会いできますね。今後ともよろしく。
- 2014/08/11(月) 00:01:31|
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暑中お見舞い、立夏、立秋・・・・・季節の言葉は難しい。
元来旧暦、太陰暦にあったものをた月日の数字が同じだというだけで太陽暦でも使い続けられている。
「暦の上では・・・」とかなんとかいう枕詞が付くのは、当然の成り行き。
中国では「農暦」と言うが、昔はこうした季節季節の節目の日に名付けて農業労働の目安にしたのだから意味があった。
まして今日では「記録を取り始めて以来の・・・」異常気象の連続であれば、「○○」とは名ばかりとなるのも当然だろう。
名ばかりの旧慣を知っていることを是とするか実態に言葉を合わせるか。
・・・・などと暑さにうだる頭でぶつぶつと。
石塀小路で撮る・・・というのは「是非やってみたいことの一つ。」

なんだか物語ができそうな。

実はここまで、すでに高瀬川、宮川町、建仁寺と炎天下を歩いてきています。
浴衣は案外暑いもの。 下駄で歩くのは大丈夫? ・・・・と、幾度も心配するのですが、
スポーツで鍛えた若いこの人には「モチロン、ダイジョウブ。」
それでも幾度も汗を拭くので・・・・元々薄めの化粧が落ちてしまいます。
そして、だからこその魅力がいっぱい。

和服では「見返り美人」を取るのが定番。

定番だからと言ってきれいにできるわけではないけれど、この人は絵になる。

フォトマヌカンにおんぶにだっこの図。
お気に入りの一枚です。

ちょっと涼しげに。

そして・・・・。
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- 2014/08/10(日) 00:00:15|
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「素敵な人」と宮川町を歩いてみました。
すると芸子さんが数人和服姿でやってきます。なんだか視線が・・・・・。
友人と酔っぱらってやってきて店を探し損ねて行きつ戻りつしたあたりです。
「一見さんお断り。」を「おいでやす。」と歓待される店を私は・・・残念ながら・・・持たないけれど。

このあたりでは落ち着いて撮れず先を急ぎます。
ここは「縁切り」で有名なお寺。
縁が切れるなら縁を結ぶこともできるだろうと、・・・大概都合の良いように・・・神仏は使われる。
それにしても相当ドロドロした関係を切りたい人もいるようで『絵馬』は花盛り。
勿論この人は・・・・・・幸せな縁結びを占って・・・・「のぞかないでくださいね。」
ここは観光で外せない『石塀小路』
かつて何度もここで撮ったことがあるし、カメラを持った人も多くみられる。
普段は観光客やカメラマンでにぎわうところだから人が途切れることは期待しにくいのですが・・・・。

この人はなかなかの強運の持ち主らしい。
おかげで長年の夢がかなっている次第。
暑い盛りを浴衣で・・・・、鞍馬の床あたりで撮るのならまだしも・・・・、ときどき汗を拭きながら「大丈夫ですよ。」と嫌な顔一つしないでくれるので、実にありがたい。
人待ち顔で立ってもらったが、もう少し日が傾いたときに撮りたいものだ。
今のデジタル・カメラなら街灯の下でも撮れるだろう。
ちょっと色が黄色くなったがこんな写真を撮れるとうれしい。

いつもならあの角の向こうから途切れなく団体さんやカップル、親子連れが現れてしまうのだけれど、・・・。
こんな素敵なお嬢さんと大きな黒いカメラバックを担いだ風采の上がらないおじさんが一緒に歩いていると、・・・どんなふうに見られるのだろうと、時に思わなくはないけれど、この人のようにきっぱりフォトマヌカンをしてくれると・・・人は案外納得してみてくれるようだ。
「何かモデルさんの撮影をしたはる。」と。
私は、この人の、ときに応じて変わる魅力的な表情を追いかけてシャッターを切る。
贅沢な時間だ。
予約投稿ですのでタイトルのご挨拶がちょっとずれておりますが。 続きを読む
- 2014/08/09(土) 00:02:30|
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いろいろな方々が実演を見せてくださるのですが、・・・・・。

何しろここはその方の工房ではないわけで、何かと勝手が悪いわけです。
ことに「箔」の方などは。
ご自宅では扇風機はもちろんエアコンも入れない方が少なくないのです。
なぜかと言えば、「空気の流れが敵」だからです。箔は軽いのです。息をつめて作業をします。

こうした場所では強力なエアコンが九九をかきまわしているのですが、私のような見学者が立つ位置や動きなどでも空気は「乱流」を形成します。すると「箔」は・・・。
箔を張るにはニカワ糊を刷毛で塗ります。
一度に何枚もの紙にニカワ糊を塗っておいて、それをそっと重ねたものを濡れタオルで覆って保湿しておくのです。
そして「箔」を置く仕事を続けて出来るのですが、「エアコンがあると乾きが早くて。」

まあそれでも私らはこれを見てもらうのが今日の仕事ですし、そこにあったようにせんならん。




- 2014/08/08(金) 00:02:14|
- 工芸
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手を止めて、わしの(作ったもの)を見るかい。」と作業台から降りてわざわざ案内してくれる。
靴は履かない。
私も先ほど椅子に座ってみるために脱いだままついていく。
「あれいいですねぇ。」と手を伸ばすと、「ベルが鳴るよ。」と。
赤外線の警報装置が施されているので、展示用の透明のパネルの向こうには手を伸ばせない。
「引き出しを出し入れしたいなあ。」
「うちにもいくつかあるから来たらいいよ。」

木肌の向きによって、鉋をとりかえるごとに、鉋が削る音が違う。
『そりゃ分るね。』 木の状態やカンナの刃の状態のことです。音を聞けば分かるというのです。

「ずいぶんいろいろなカンナくずがひざもとにたまってますねぇ。」
「こうしておけばたくさん働いたように見えまっしゃろ。」 と、どこまでも茶目っ気がたっぷり。

職人としての半生をたっぷり語っていただいた。
私も床に腰をおちつけてカメラを構えたままお付き合い。
実に楽しい時間だ。

そしてときどき「いい写真は撮れたかね。」といって二度も三度もチャンスを作ってくれる。

まあこんなもんかねぇ。
あんたが本気で働くもんを撮りたいというのはいいことだと思うよ。ここには他の職人も来るから撮ってやってくれ。
わしのあとは誰が来るかなあ、・・・・。しっかりおやんなさい。
- 2014/08/07(木) 00:03:55|
- 工芸
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「特別に安くしておくから、箪笥を買わないか。」
それはそれはご厚情よりのお声をいただいた。
そう桐の箪笥である。ラデンの象嵌も見事な品のある作品です。

あちこち破れかけたリュックを背負って年甲斐もなくジーンズをはいて汗をプルプルかいて写真を撮り歩いているむさくるしいこの私によくいっていただいたものだ。
『で、お値段は?」 「250でいいよ。」 とのこと。
この得がたい好機、このブログをお読みの幸運なあなたに特別にお譲りしますがいかがでしょう。(笑い)

ここは実演会場ですから箪笥や小引き出しを作るわけにはいきません。
今作っておられるのはお茶の席や法事の席などで「正座が難しい」方に便利な折りたたみの椅子です。
それを桐で作っておられます。

この椅子には墨痕鮮やかに銘が入ります。
だからどうだっていう方もおられるかもしれませんが、作りが半端でないのに加えて、この会場に京都を代表する名工の代表的な一人としていくつもの指し物の作品を展示されているかたが、銘を入れているのです。

微分の勉強をしたときに6角形、8角形・・・と数を増やしてそれが無限に進むとやがて円となる・・・というような化かされたような説明をされた記憶が・・・・。
直線(曲がっていないものの)の集合で曲線ができるなんておかしい!! と納得しかねたものです。

カンナの刃は直線的な切り口しか作りません。何に滑らかな曲線を作ってしまう。
角を削れば二つの角ができる。その一つずつを削れば4つの角ができる・・・・・。

小学校を出たばかりで体に叩き込まれたものは忘れんよ。
修業先での様々なエピソードを聞かせていただきました。
先輩の『出征』を見送った世代です。
戦後の何もない時を乗り越えてこられた方です。
「あんなことは(戦争)はするもんじゃないよ。」とポツリと。
今の戦後世代の政治家の言動を「(戦争を)知らないからねぇ」と心底心配そうに語る。
- 2014/08/06(水) 00:03:53|
- 工芸
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つい最近青年部が解散したそうです。

この方は友禅の下絵を織り機にかけるために細かな方眼紙に経糸と横糸の情報として置き換える仕事をされています。
一度作品としてできあがったものを再現するために、ルーペで細かく織りの様子を見ています。
その上で少しずつ改善することも。

織りの柄は、いわばデジタル情報として認識されていきますから、今目の前にしているモニターと同じことですね。
デジタルカメラについて解像度がとか、エッジの線が・・とか言われていることはすでにずいぶん昔から探求されてきているわけです。案外ここに見落とされているノウハウがあるかもしれません。

今ちょうど中国からの観光客の一団がカメラをもって撮影会状態でした。
私が撮り始めていたこともあって、みなさんん行儀よく撮っておられましたが、『意匠』の著作権ということについては日本人同様案外身頓着です。
中で素敵な黒の薄地の服を着たすらりと長身の女性がD800で熱心に撮っていました。単に観光の記念ではなくて「いい絵」として撮りたいという気持ちが強く伝わってきました。

私の背面の液晶画面を見せてくれ、私のはこうだと積極的ですし、私もこんな風に撮ったよ、そっちはどう?と何度か見せあいます。
どうも画面が暗くて満足がいかないようです。 ISOの設定も絞りのこともよく分かっているのですが。
D800ですから、撮れないはずはないのです。

一緒に来た日本語が少しわかる青年も間に入っていろいろと試してみますが、結局F値のところがネックでした。
高感度カメラが普及するにつれてレンズにコストをかけたくないメーカーはF値の暗いズームレンズを『写りますよ、便利でしょ。お得ですよ。」と売り込みます。 彼女のズームレンズは開放F値が4でした。

写真文化などは二の次で、単に利潤を上げる分野でしかないというメーカーが大半ですから、・・・・・。

大玉より、感度の数字を上げろがが大命題でしょう。
感度が高くなればそれはそれで恩恵はあるわけですが、失うものも小さくないわけで。
撮影会状態がほどけてからもしばらくの間、その中国女性との撮影会が続きました。
彼女と「謝謝 再見」とお別れしたあともしつこく撮り続ける私のために、「やっぱりりちょっと緊張するわ。」と仕事を続けてくれました。

ありがとうございました。おかげで楽しい交流もできました。
- 2014/08/05(火) 00:02:44|
- 工芸
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京の夏。
美味しいものを食べなければ乗り切れません。
隣に座ってくれる人が素敵ならばなお一層食事も楽しい。

このお店は「ギャラリー高瀬川・四季AIR」のご主人に教えていただいた。すぐ目の前なんです。
『味よし、ボリュームよし。ぜひ行ってみなさい。」
聞けば、開店からまださほど月日は経っていないそうです。
「この手間とボリュームでこの値段?! 頑張っていますね。」
「ええ、観光客相手でというより地元の人を大切に仕事をしていきたいので。」
よくあるんですよね、観光地だということと何やら歴史のありそうな看板に寄りかかって、「高い!! 美味しい???!」というお店が。
中にははっきりと「不味い!!これを他人に食べさせてお金を取るなんて、とんでもない。家族にだって無理でしょ?!」というお店がちらほら。

写真が下手で、甘さ豊かな烏賊が「白トビ」してしまっていますが、包丁の入れ方を見てもおいしそう。

写真を撮らせていただくと、
「うれしいです。余計に緊張して力が入りますし・・・。」とのこと

美味しいものに目がないというお連れも「とても美味しかったです。」とご満足いただけたようです。

きっとご主人はこれからますます精進するでしょうから、このお店のお昼は、早晩、満員で椅子の取り合いになるでしょう。
ですから、お店の名前も場所も「ヒ・ミ・ツ」です。
- 2014/08/04(月) 00:03:24|
- 料理
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このところ頭を抱えているのは、わが愛機『アルファ900』が私の言うことを聞かないことです。
こうして職人さんが「どうぞ撮ってください。」と言ってくれて、私なんぞが撮るだけなのに気合を入れ、そこそこ時間もかけて仕事を続けてシャッターチャンスをつくってくれているというのに、「あれ?! シャッター速度がおかしい。」「絞り設定が違っている。」挙句の果てには「シャッターがきれない!!」なんてことが頻発するようになっているのです。

もともと自分の腕の未熟さを道具のせいにする傾向がある私ですが、どうも、そうばかりではないらしいのです。
そうなると光を読んだり構図を決めたり、動きの予想をしたりという肝心なことに加えて、設定は大丈夫だった?を繰り返し確認し、その上「エー?! なんでこうなるの?」という結果に出くわすことになるのです。

自分の家の猫の額にも負ける庭の花を撮って、「あ~っだめだった。」というのは別になんてことはないのですが、
せっかく名人・匠がチャンスをくれているのにそういうことではなんとも申し訳ないのです。
「この一瞬!」と思って撮れていない時の悔しさ無念さ、申し訳なさ。
今この方は固い固い洋材をコースターに削りあげています。高級コースターですね。
目の詰んだ木ですから工作は楽ではありません。
円盤状の板を立てて押さえておく左手の指が力を入れ続けて固く強張ってしまいます。

道具も常によく手入れしておかねば、思い通りに削ることはできません。
刃にRのついたカンナもありますが、平鉋でも巧みに側面をまあるく削っていきます。

指先は最高のセンサーです。納得のいくまで平滑な面を削り出していきます。
『ペーパーですればいいんだけど、そうすると表面は実はけばだってしまって、水にぬれたりするとふやけてボーッとした面になってしまうんだよ。」と教えていただきました。
鉋で削った面が一番だね。

とは言え、手入れの良い鋭いカンナで高度な技術を駆使して削るからこその出来です。

いろいろな用途に使い分ける特殊な形状のカンナも紹介してくれました。
こういうカンナは先輩たちから譲り受けたり自分で工夫をするのだそうです。
「よいカンナを作る職人も少なくなっているからねぇ」
コレクションの一部だそうです。
「どうしてもこの大きさでないとできない作業もあるからね。」

まるでミニチュアのおもちゃのような道具たちをいつくしんで使っておられます。

- 2014/08/03(日) 00:00:13|
- 工芸
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このお店は以前、飲みも食べもしないで、「お店を見せてください。」とずうずうしく飛び込んだお店です。
幸い気を悪くされないでお店を見せていただいた上に、「今度ここで写真を撮っていいですか。マスターも撮らせて。」と重ね重ねずうずうしいお願いをしたのです。

夕方、外に光がともり始めるころはまた別の素敵な顔を見せてくれるお店だと思います。

私が腰かけたら足が床に届かない椅子でも、この人だと余裕です。
クラシックバレーで鍛えた脚ですから、きれいに長く伸びています。
そういえば脚ばかりと撮っているなあと、感じられる方が居られるかもしれませんが、その印象は・・・間違いではありません。

今度は夜に撮影に来なければいけませんね。


写真は楽しいなあ。
- 2014/08/02(土) 00:03:29|
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