お二人のうち、こちらの方のほうが「お酒がお好き。」だと想像していたら、「あまり飲めないんです。」とのこと。
「でも飲めるんじゃないかとはよく言われるんです。」・・でしょう?!

お酒の瓶を見つめるこの表情。・・・多くは言いません。
などと言ってミスリードしてはいけませんね。

このレンガの建物は以前から好きでよく利用してきました。最近改装工事をしていたので私にお気に入りの赤いペンキの扉について「取り外しなんてことないですよね。」と業者の方に聞いてしまいました。
心配していたとおりです。あのペンキの剥げた赤い扉にこそ価値があったのに。
魅力半減です。
「余計なお世話です。」ですね。
でも・・・でも、惜しい!!!。ああいうものは手に入れようとして手に入れられないのに。時間が作る芸術だったのになあ。
振り返らないで魅力的な雰囲気の漂う方です。大人の女性の魅力ですね。

「いやあ、いいなあ。」とシャッターを切りながら私が呟いても、写されている側には「なにが、どう??」と、さっぱりわかりません。
で、ときどき背面液晶画面で見てもらいます。

ここは先ほどから人の往来が激しいです。
「すみません。ありがとうございます。」と立ち止まってくれたり迂回してくれる方にご挨拶です。
本当にお邪魔なんですが、幸い不平をぶつけられる方はおられませんでした。ありがとうございます。十分に気をつけますね。
それにしてもこの方はよく分かっておられる。

もっと楽しんじゃえ。

実はこういう撮り方、以前からやりたかったんですよね。
やはり素人ですから、こういう時に「念願かなった。」なんて思うんですよね

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- 2014/03/31(月) 00:02:50|
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旧友に触発されて始めたブログです。それがなんと3年続きました。
ほとんど人を撮るばかりのブログですが、同じようなコンセプトのブログは周囲を見回してもあまり見られませんから、続けるだけでも社会的な価値があるだろうと自分一人思っています。
これまでにいただいた拍手の数も2万を少々超えました。
何より「被写体」になってくれた多くの方々に感謝です。
そろそろある種の過渡期にはいっているのかなという気配ですが、何しろ「熱しやすく冷め易い」私がこうして続けているだけでも驚きです。
次の個展では前回と違うものをお見せできるでしょうか。
さて今回は年を越してようやく実現した撮影でした。
これも新しい出会いのパターンですが、4月にも「ようやく芽吹く」撮影がありそうで楽しみにしています。
今回はお二人です。
お一人がアクセサリーの制作を、もう一人の方が蝋燭を作られています。手作り市でお会いしました。
久しぶりですので、イメージがはっきりと像を結ぶまでに時間がかかります。

こちらの方が蝋燭の作家さん。

今日はご無理を言ってこれから数時間、お付き合いいただきます。
「えっ?! そんなにですか?」などとおっしゃっているわけではありません。

年齢はほぼ同じですが、いろいろな面で対照的なお二人ですから、同じ場所、同じ空気の中で撮っても違った写真になるのではないかと楽しみです。

一応ロケハンをしてありますが、曜日が違えば状況はがらっと変化しますから町の中での撮影は予測不可能です。
増してようやく暖かくなった今日の週末の人出はがぜん増えます。

ですが、フォトマヌカンが普段から仲良しのお二人ですから、多少人の目があっても動じません。
え~っ!ピンクのストッキングやめてくればよかった、と何度もおっしゃっていましたが、これくらい対照的な色遣いでありがたいです。

春らしい光になってきましたね。ピンクが映えます。

こちらはモノトーンのゴージャス系です。
お二人は服装などもまったく打ち合わせなしだったそうですが、お互いの個性をよく知って認め合っていますから、カブる心配は全くなかったようです。
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- 2014/03/30(日) 00:00:42|
- 人物
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ユニークなネックレスが目につきました。
が、何といってもこの方の「美しさ」に目が行ってしまいました。

年度が変わればイタリア語を教える仕事をされるのだそうですが、
日本人がアメリカで中国語を教える・・というようなことになりますね。
そういえば中国からの留学生は、その日本語も英語もとても高いレベルですから、同じようなことができそうです。
それが世界の常識なんですね。
「ニッポン良い国、強い国」的意識では21世には対応できませんね。


この方のすぐ前のボードに3連に板状のものが飾られたネックレスがあるのですが、人物の目、次のものには鼻、そして口がこの人の直筆で描かれています。
私にとっては意想外のものです。これを首から下げるの?!
「ツゥイギーを知っていますか。」「もちろんです。」
どうやらデザインされているのはツゥイギーらしい。 皆さんはご存知ですか? 年代がわかりますね。
レズリー・ホーンビー、愛称が小枝の意味のツゥイギーはそのほっそりとした肢体で日本女性の羨望の的になったことは覚えている。ただその後のモデル、女優としての活動はまったく知らないが。
「ああ、ミニスカートというものはこいう人がはくべきものなのだ。」思ったことだった。
でも今の若い世代にはほとんどわからないだろうなあ。

私がこの方を撮っていると会場スタッフの一人が近付いてきて「新聞社の方ですか?」と声をかけた。
つまり新聞社の人間ならば取材許可はとってあるか?ということだろうし、そうでないとしたら無断で撮影をすることはなおさら許されないのですよというメッセージなのでしょう。
こんな美人と私ではずいぶんとミスマッチだったでしょうからなおさら不審に思ったのかもしれません。
実際、こういう声かけが必要だなあと感じさせる「カメラマン」や「カメラウーマン」が少なくないことは事実です。 私自身も不快な思いをすることがあります。
ですからこのスタッフの対応は必要なことだと思いました。

私が「横顔しか撮れなくて。」というと「お客さんが前にいるから撮りにくいですよね。」とおっしゃる。
「正面から撮らせてもらっていいですか?」というと快く応諾してくれた。
「どうすればいいのか」という表情だったので「ノン・スマイル」といい加減な言葉。
日本ではこうして撮るときに「多くの人がピースサインをするのが不思議」と言われていました。まったくおっしゃる通りです。
人を撮る(描く)、そして人として撮られる(描かれる)文化のある国、自律した人格を大切に考えることのできる国 から来られたんだなあと思いました。
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- 2014/03/29(土) 00:00:52|
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私の些細な体験から外国から日本に来て生活する人に対する関心がすこぶる高くなっている。
それでついつい話しかけることになる。

ハンガリーからだということです。

こういう方たちに接して私がいつも驚くことは実に積極的に日本の生活になじもうとされることです。
ここはアートフリーマーケットの会場ですが、来日10カ月にして参加の手続きやら会場での接客やらと、自分に障害を作らないで参加されるということです。

しばらくお客さんの動きを見ていると、「外国の方だ。」と気付いてちょっと遠巻きに行ってしまわれる方、逆にとてもうれしそうに近づく方。

以前の私ならばすぐに言葉の壁を意識して、関心は大いにあっても遠巻きにして結局話しかけないで去るというパターンでした。
こうした場所に参加されているということは多少とも日本語ができるのだから会話は成立するということさえ思いいたらなかったのです。
それにしてもハンガリーでは・・・言葉の研究をされている方でイタリア語もフランス語もお出来になるようですが・・・ひらがなとカタカナは勉強してきましたが、という方が10カ月でこうした場所でのやり取りをされるのです。
語学学習とは・・と思わされますね。
「漢字が難しいです。」
私との会話は英単語交じりの、ときどきお互いが「う~ん?」と首をかしげながらのやり取りです。

まあ、それでも「撮らせてほしい。」という希望とは無事伝わったようです。
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- 2014/03/28(金) 00:06:33|
- 装身具
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それにしてもこんな河原にまでドラムセットを運びこむなんて、やっぱり若いエネルギーはすごいですね。
ここでやろう!!といいだしたのはこのドラマー君らしいです。
僕らははとでやろうと言ったんですけどとベース君。

サックス君はスコアを置くところがないので河原に直においてのぞきこみながらの練習です。ちょっとやりにくそう。
傾いた陽の感じを出そうとしているんですが。

彼らは学生のバンドなんだそうですが、東京に行って・・なんて発想するところが・・・いつも言うことですが・・・私の若いころと違う点ですね。
ああ、そうだそういえばゼミ大会などでは東京に何度か行っていたんだなあ、とふと思いだしました。デモにも行ったし、そうか、そう違いはしないのか、などと独り言。でもやはりちょっと違うかな。

こうして撮らせてもらう時に多くの若者は言います。
「ありがとうございました。」と。 撮らせてもらっているのは私のほうなのに。
「ブログ・アップはOKかな?」「ええ、ぜひ。ありがとうございます。」と。
宣伝してもらえるというのではないある種の気持ちですね。
向こうのほうでは若者がイチゴケーキの日を楽しんでいます。ということで撮影日は22日ですね。
カラーとモノクロではずいぶん雰囲気が違いますね。



では、そろそろ、・・・。
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- 2014/03/27(木) 00:03:30|
- 音楽
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若いということの好もしさを感じました。

ここは出町柳の高野川と賀茂川の合流地点です。
それに下も川原石がゴロゴロとしているこんな足場の悪いところに、何を好んでドラムセットまで・・・・・。

もうすぐ東京で若い人たちのジャズ・フェスのようなことがあるんだそうです。
祖に参加するための練習です。
バンドの歴史は新しい。

東京では「野外演奏」なので、どんな条件で演奏することになるかわからないし、そのための「石ころだらけの河原での演奏」なんだそうです。
「ドラムスは安定するの?
「ええ、基礎的な安定原理で・・・。 「なるほど三点で支えればね。

「それに聴衆の前で演奏するプレッシャーも経験しておかないといけないと思って、・・・。
「それで人出でにぎわう出町柳での演奏ですか。

そこでもっとプレッシャーを与えてあげましょうとカメラを持ち出して。

「写真を撮っていいか。」と尋ねた時に
「撮られ慣れてますから。」という返事。「さっきも撮っていきましたよ。」
なるほど中国語で話す二人の若いお嬢さんが珍しげにカメラを向けていました。
まあそういう観光のスナップというのはこうした状況ではたくさんあるでしょうね。岸の上からご婦人がこちらにスマホを向けています。
でも気になるのは、私くらいの年かっこうでそれなりに気合の入った「写真撮ります。」おじさんが一言の断りもなしに撮っていったことです。
誰かが撮っていると「じゃあ私も・・。」という便乗組ですね。私はそれはまずいと思うのです。やはり一言声をかけましょう。「私もいいですか?」とかなんとか。
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- 2014/03/26(水) 00:04:09|
- 音楽
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「恥ずかしいから。」とおっしゃるので退散しなくちゃいけないかなと思いつつ

革にはあらかじめ穴が穿ってあってそこに糸を通すのですが、ぎゅっと締めるときに力が要ります。
針と通すときに、押す時にも引き出すときにも指先に力がかかりますから、根を詰めてすると指先が痛みます。

革はよいものと使うと、どうしてもお値段が張ります。そしてよいものと作ろうとすると「良い革を使いたいのです。やっぱり違いますから。」
こうした場所での出店も人によって経験値が違いますし、考え方も違います。
ですから見ていて面白いのです。
とても良い作品を出されているので興味を示しても、積極的に「いらっしゃい。大歓迎。」オーラを出されない方もおられます。
作ったものを見てくれれば、それが全てです。言葉はいらない。ということなんでしょうかね。その方の性格もあるのでしょうが。
私はできるだけ、その方がどういうことにこだわり大切にしているのかを見出したいと思って見て回ります。
若い女性用のアクセサリーなども「いまどきの女性心理」の探究のために??じっくり見ます。

するとちょっとだけ世の中が見えてくるように思う時があります。
あつ!!余計なことを考えているとこういう素敵な瞬間を取り逃がします。
ああ、またまた修業の足りなさを露呈してしまいました。
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- 2014/03/25(火) 00:00:23|
- 雑貨・カード
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京都アート・フリーマーケットがありました。
今春はいつになく出店が少なかったような印象でした。応募者も少なかったと聞きます。季節がらでしょうか。京都の3月はまだまだとても寒い時がありますからね。
事実初日は晴れたかと思うと急に降り出し、時にはみぞれともなるような悪天候でした。屋内に出店できる方はともかく屋外の方は相当厳しかったでしょう。

この方は革細工をされています。
もともとは靴の製造にかかわっていたのだとか。

といってもここに並んでいるのは靴ではなくて靴型のペンケースです。

作品を並べているだけではなくて、制作もしておられてので関心を持ちました。
それにこのデザイン、なかなか面白いでしょ?!

一旦撮影をお約束・・・半分くらいかな・・・をしてぐるっと一周して戻ってきたときにはお仕事は一段落していました。
そこを「縫うところもあるといいなあ。」なんてはっきり聞こえる声で呟いたら、・・・「それじゃあ」ということになりました。
お客さんが来て、「これは今私が使っているものなのですが、・・・。」とお話ししています。
私が「撮りたいなあ。」と心動かされる方はたいていk¥こうしてとてもよい表情をされる人です。
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- 2014/03/24(月) 00:01:49|
- 工芸
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京都は狭い町ですから、写真を撮るときに生かせるバックを探すのに苦労します。
先日、無理を承知で家具の展示場で撮らせてくれないかとお願いすると、案の定断られました。
そこは新作家具の販売をされているお店なのですが、
その一方で、あるアンティーク家具のお店では、どうぞと言っていただきました。大変重厚な家具や照明の置かれた空間はとても魅力的なのですが、そこにマッチする方にフォト・マヌカンをお願いするのが難しいです。

あの方がいいなあと思っている人がいて、撮影については一旦は「いいですよ。」と言っていただいたのですが、なぜかその後の連絡が途絶えています。
深追いはしないが、私のモットーですが、いい雰囲気の写真になるのになあと、残念は残念です。
強い風が吹いています。

風を受けて、風を感じて・・・。

フォト・マヌカンをしてくれる方と撮影者。これの出会いも「縁」ですから、大切にしたいです。
まさに『一期一会』があってこその写真です。

「春がそこに来ている」というころの撮影でした。
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- 2014/03/23(日) 00:05:31|
- 人物
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四月からの大学生活のために、すでに京都を離れてしまいましたから、当分撮影をお願いすることはできません。
京都での思い出のためと、エールの気持ちを込めて「続編」です。

先日、旧友たちと食事を一緒にする機会がありました。
遠い思い出が少しづつ流れ出してきて、思い出がよみがえりました。自分で気付かなかったことを改めて教えてもらうことも少なくないのは新鮮でしたし、「あの大学時代が、自分の原点だなあ。」と話す友人の目の輝きが印象的でした。
この人にも心に深く良い思い出が刻まれる大学生活を送ってほしいものです。
自分のこれから生きていく座標軸を形成できるような勉強と体験をしてほしいと思います。

そういう意味で言うと、街中のあちこちのギャラリーでさかんに行われる学生たちの個展やグループ展には、肯定、否定の両面でいささか考えさせられるものがあります。

さてこの建物の前で撮りたいという念願がかなったのですが、まだ寒いときで良かったと思います。
枯れ葉の色がマッチしていい雰囲気を出してくれていますし、良い人がフォトマヌカンになってくれました。

もう少し年齢の高い人で、と思っていたのですが、この人が良い表情をしてくれていますので、私としては予想以上の収穫でした。

この人も、ぜひもう一度くらいは・・・、と考えていてくれたのに私が変に遠慮してしまって、その機会を逃してしまったのが残念です。
「チャンスの前髪をつかめ」を自分に徹底させるのは、私の性格上なかなか困難事です。

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- 2014/03/22(土) 00:02:13|
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革の上着の質感は出るのですが、髪の毛の暗部がつぶれます。

お友達などからは沖縄出身のタレントたちに似ている人がいるといわれるようです。

フォト・マヌカンをお願いする時点で私の好みが反映していますから、撮っていてつい同じ角度から同じテーストで撮ってしまいます。
それを打破せねば!!
この方もずいぶん協力的ですから助かります。
そして楽しんでくれているのが何よりです。
「前の日には随分緊張するんだろうなあと思いましたが、緊張もいはじめの2時間ぐらいで、楽しくてあっという間の撮影でした。」と午前10:30から午後4:00までの長丁場にお付き合いいただきました。

ここで撮りたいという私の無言のしぐさにもすぐさま反応してくれます。
とても賢い方ですがそれだけではなくて「人の役に立ちたい、人に何かしてあげたい。」という性格の方のようです。
最初に出会ったて、お別れして数時間後には私のブログの写真すべてに目を通したという方です。驚きです。ご自身写真が好きだといっても1000ページに上る写真は総計7000枚、写っている人は実人数で640人以上です。
それを一晩で見てしまうなんてなんという人でしょうか。

「中に私のバイト先の人がいましたよ。」というのにも驚きました。

京都は小さな町ですから4年目に入る今年は、点と点がつながり始める時期なのかもしれません。
自転車での行動範囲は広げられませんし、どうしましょう。
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- 2014/03/21(金) 00:02:11|
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大学生にはいろいろなところで出会う私ですが、この方とはちょっと変わったところで出会いました。
写真に興味を持っておられたせいで、「モデル、協力しましょうか。」と言っていただけました。

私はどちらかというと上の写真のように暗めに撮りがちなので、ときどき意識して明るくしようと心がけます。

野外の明るい場所では何とかピントも合わせられることもあるのですが。う~ん、合っていませんね。
早晩オートフォーカスに頼らねばならなくなるかもしれません。いやすでに暗いところではオート・フォーカスの力を借ります。
そうすると自分の感覚とは違うところでフォーカスしていることが良くあります。でもやはり便利は便利ですね。
それでもピント合わせのマークがファインダーのなかに点在しているのはどうも気色が悪くて好きになれません。
ファインダーは全面すっきりと対象を見せてほしいものです。
せっかくモデルの目の美しさにほれぼれしているのに、乱入されると興ざめです。

気合を入れてフォーカスしようとするんですが、そうすると「モデル」さんに余計な緊張を強いますから、どうしても見切り発車になります。
そこが難しい悩ましいところですね。
今週「ポートレート展」が「ギャラリー古都」であります。
見てきましたが、・・・・・。
技術的には私などよりはるかに高いものをお持ちなのですが、そもそものところで・・・・・。

今月25日から30日まで開かれる京都外大の写真部の何人かがする「第2回少女展」のほうが期待を持てるような気がしています。

この方が次にもう一度「協力してあげます。」といってくれているので今度はもっと挑戦的に撮ってみたいと思っています。
できるかなあ。弱気ではいけませんね。

何をもっていい写真とするかはなかなか難しい問題ですからねぇ。
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- 2014/03/20(木) 00:03:58|
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ようやく春めいた暖かい日になりました。
心掛けは良くしておくものです。と言っても、私の心掛けが良いのかこの人の行いが良いのか、それとも今日京都に観光に来られた方のうちのどなたかの心掛けなのか、・・・よくわかりませんが。

ツァイスレンズを使いたいばかりにあまり評価もしていないキャノンの5Dを買ったのですが、接続できるのは85ミリ一本です。
この方が協力してくれるこのチャンスに85ミリの登場となりました。この画角で頑張ってみます。

このレンズだと、私にはついこう撮るというパターンがありますので、それを崩せるかどうかです。
コンタックスに比べて見にくいファインダーですから、今の私の劣化した視力ではなかなかピンとがつかめません。
マウントアダプター越しの接続ですからオートフォーカス機能も使えませんし。
マニュアル・オンリーです。

幸いこの方自身も写真を撮りますから、少し事情を説明すれば分かってくれます。
「初めてのモデルで少し緊張しました。」と言われる時間帯です。
この場所は以前とてもよく光がまわっていたところでポートレート撮影には周囲の壁も床も最適だったのですが、今は事務所に改築されてしまって、とてももったいない状態です。

余裕のあった空間のあちこちがほとんど金のなる場所に変えられてしまいました。

勝手に入り込んで勝手なことを言っています。
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- 2014/03/19(水) 00:03:31|
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和紙に柿渋で施したローと状の袋の先に先金をつけて、金粉を混ぜた糊状のものを押し出して描いていく。

図柄の縁取りをしたり葉脈を描きこんだりする。
金彩はこうしたやり方のほかに平面上に糊を施したうえに真砂を振りかける手法、さらにその面に金箔を貼る仕方がある。
金箔を貼ると面で光を反射するから最も華やかで豪華になる。

この分野に女性は少ないが、この方の娘さんもあとを継いでいる。
この方のお父上から三代続くことになる。

妊娠や子育てで幾分仕事から遠のいても幼いころから父親の仕事を見て培った職人の勘や技はいつかまた湧水となってこんこんと湧き出る。
男の仕事の一生とは違った女の仕事の一生。二枚腰三枚腰のしなやかな働き方。
女性の果たす役割は大きい。

これから、生産にしろ、消費にしろ、企画・管理にしろ、政治にしろ、すべての分野で飛躍的に女性の活躍を認め引き出さなければ日本の将来はないと私は思っている。
女性の社会的な地位の低さは開発途上奥を含めて日本はせいぜい中程度でしかない。

男たちの作ってきた社会制度はすでに完全に制度疲労を起こし、機能不全に陥っている。
男女を敵対的二元論的に仕立てて議論することは生産的ではない。だが、男たちは容易に反省しないのも事実だから相当根本的に覆されたほうがいいと私は思っている。
上野千鶴子氏の講演を僅か10数通のメールを理由に中止するような男たちに未来はない、とそう思う。

それはともかく「食べられない。」「将来が不安。」な分野から男性が撤退し、あるいは進もうとしない分野で、そこに女性がしぶとく生き抜こうとしている姿を見ることが、時にある。
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- 2014/03/18(火) 00:04:51|
- 伝統工芸
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暖かさが増してきました。
ようやく町置く人たちの服も軽くなり始めました。
と、私の楽しみが増えます。
それは様々なパフォーマーの登場です。

このお二人に一人の27,8の女性シンガーを含めた三人が演奏をしていたようです。
「ようです」というのは、私がこの人たちを見つけた時にはすでに女性シンガーはお帰りになっていたからです。

私にはちょっと想像しにくいのですが、この3人はバンドを組んでいるのでも前から親しい演奏仲間でもないのだそうです。
ちょっと極端に言うと誰かいるかもしれない、・・と出て来て出会った者同士が「やろうか。」と始めるのだそうです。

お二人はお隣の府県から来ています。
どうもそちらはこうした路上パフォーマンスに対する規制が厳しいらしい。

ドラムスとベースだけ残って「どうしよう。」という状況なんですが、それでも何かやれることをしようと工夫していました。
ベースでメロディーですから曲は柔らかくなります。
ボーカルを乗せて演奏するのが通常のようですからそれほどガンガンの曲ではありませんでした、・・・どころか「上を向いて歩こう」などを演奏してくれました。
二人とも実に丁寧で優しい青年です。

私がここに来る前・・・女性ボーカルがいた時から・・・ずっと聞いている男性がいました。
「一人でも立ち止まって聞いてくれるとうれしいんですよ。」
それにしても路上ライブにドラムセットまで持ち込むとは!!
「撤収!! のときはどうするの?!」

こんな思いものを運んできてまで「やりたい!!」のですね。
これからどんな若者が集まってくるんでしょう。
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- 2014/03/17(月) 00:01:15|
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机の下の電熱ヒーターをご覧になれますか。

この日、台湾から来ているという若い女性がそばに来ましたのでちょっと場所を譲って一緒に見学です。
少し日本語が分かるというのでお話をしましたが、実に熱心に見ていました。
この方は着ものの絵を書くだけではなくて暖簾や時には襖くらいの大きな作品も手掛けるのだそうです。
和服のワクを超えて活躍の場を作り出そうとしています。

「独特の色合いを作りたいから染めも自分でしてみたよ。」と草木染めにも挑戦した経験を話ししてくれた。

職人たちの『革新』の模索はあちこちで行われてはいるのだが、・・・。

「しかし、個人の力だけではね、・・・。」
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- 2014/03/16(日) 00:04:06|
- 伝統工芸
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いったん出来上がった着物を手直しすることがる。
「もう少し色を入れたいね。」などと。
そういう場合はじめとまったく違った色を加えるのならば話は簡単かもしれないが、同じ色を入れたいということになると、ここに一つの問題がおこる。
染料は着もの毎に一度きりの色を作る。
だから手直しのときには「同じ色」を作らねばならない。
しかも染料は描いたときの色ではなくて乾いたときの色が確認されなければならない。
作業場の湿度や温度でいろいろ変わってくる。いったん皿に作った色もこうした空調の強く働く場所ではどんどん乾いて濃くなってしまう。
ご自身の工房でないのでいろいろ大変だ。
こうして何度も色合わせをする。
今日は「色」が問題なので、カラー写真です。

「まあ簡単にいえば塗り絵をしているようなものですから、そう難しいことでもないんです。」
と、にこやかに笑みを浮かべて作業を続けられるのですが、口元は笑っても視線がぶれることはありません。

この作業机には金網が張ってあって、その下には電熱線のヒーターが置かれています。
その熱で布の裏から染料の水分を蒸発させて、染料が裏までしっかり届くようにしています。と同時に、乾いた色の具合を確認しています。
夏は熱い作業です。
みなさんにこの着物の柄や色をお伝えしつつ、かつ画面をドラマチックにしようと苦戦中です。

少し露出をいじるとこうなります。未熟未熟。
写真もやはり難しいですね。
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- 2014/03/14(金) 20:49:26|
- 伝統工芸
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この方は、一体、年間に何度個展をされるのでしょうか。
絵でも写真でも「見てもらってなんぼだ。」という考え方がある。見てもらわねば作品として意味がない、と。
大いに一理ある。
年間に七回も八回もすれば、作品の緊張感はいやでも落ちてくる。はずなのだが、・・・。

ある方から20枚の屏風に仕立てた画材を提供されたので、その方のところに泊りこんで二週間で一気に17枚を描きあげたそうだ。
起床して食事をすると描き、昼食をとってはまた描き、そして夜は招いてくれた知人らと痛飲する。
その間川に降りてはカエルや水生生物をスケッチする。そういう生活もされたという。

「頭を柔らかく」が口をついて何度も出てくる。
先の泊まり込みの時も初日二日目の「まだ頭が固い時の絵がこれ。ようやく柔らかくなってきたらこういう描き方ができた・・・。」とご自身の不十分な状態での満足のいかない絵も正直に紹介される。
「この辺は紙をひっかいて・・・・」と。

この日私は比較的早くからギャラリー巡りを始めて、場所によっては二人目の来場者などということもあったけれど、北から攻める私に対して南から攻めあがってきたこの方は、すでに何か所ものギャラリーで来場者として私の書く前に署名をされていた。
ご自身が個展をされている時でさえそうだ。

氏は見るべき作品のない会場では会場を一周一瞥して無言で早々に立ち去る。
噛みつく価値もないというわけだ。

甘いおべんちゃらは言わない。単刀直入な批評をする。
私は若い画家たちに、あえてその批評を受けてごらんと言い置くことがある。
「ちょっと厳しいけどね。聞いてみる価値はあるよ。」と。

横に居られるのは今日仲間とグループ展を別会場でされていた方。その会場で個展を知らされてさっそく来場した。こういう前向きな人に出会うと氏の口調は快活となる。
ご自身の工夫を隠そうともしない。描いては描く、ご自身の「わが道」に対する自信だろう。
偉そうにされるのも嫌いなら偉そうにするのも嫌い。ただその自身の工夫ゆえの口吻が時に人をしてたじろがせるかもしれないが。
向き合う価値を持った方だと思う。
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- 2014/03/14(金) 00:04:25|
- 絵画
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工芸作品の中でも漆器は魅力的なものの一つです。
しかし、漆器もまた惜しまない手間を要求しますから、なかなか若手が増えません。
工芸に若手を育てようと若手の作品展示会なども開催されるのですが。
ですから工芸の分野で若手を見かけるとついうれしくなって近寄ってしまいます。

砥の粉に漆を混ぜたものを木地に塗って木地の凹凸をならします。 その凹凸をならすのに「炭」を使います。[ 以前書いた記事に「墨」と書いてしまいました。磨って滑らかなのは「炭」ではなくて「墨」だろうという先入観を持って話を聞いていたために、誤解をしてしまったのです。]
その炭は椿のような目の詰まった堅い木を焼いて作るのだそうですが、この炭を作る職人さん自身もまたとても少なくなってしまっているのだそうです。

1センチ×1.5センチくらいの小さな墨を指先でつまんで磨きます。
机と箪笥のようなものは所に使う墨くらいの大きさのものを使うのだそうですが、こうした小さな作品には将棋の歩の駒くらいの小さなものを使います。

この方はこの仕事について8,9年だそうです。
仕事に入るについては「初めは本当に何の役にも立たない身ですから、小遣い程度しかもらえません。ようやく・…。」ということだそうです。
つまり「弟子入り」ということなんですね。

実際受け入れる側からすれば、ものづくりから見れば役に立つどんな技術も持たないものを食べさせて、仕事を教えるのだから、それ以上のことはできない。」というのが当然なのでしょう。
親方自身でさえ仕事を続けるのが難しいご時世なのですからなおさらです。
それはそれとしてうなづける面があります。
しかし、そのことが若者には大きな壁となるでしょう。

伝統工芸の分野で、後継者がない問題はごくごく一般的で深刻な問題なのですが、こういう若者に展望が見いだせない状況が立ちはだかっています。

「好きだから・・・。」 こそなんでしょうね。

頑張れ、若者。
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- 2014/03/13(木) 00:01:56|
- 工芸
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その人の名前は「梅村マルティナ」さん。 ドイツ出身の京都在住、気仙沼市民。

3月11日、TVは関東・東北大震災と福島の原発事故に関連した報道が一日続いている。そして各地で自主的な様なキャンペーンも行われている。
ここは京都市役所前の歩道。一人の女性がもくもくと編み物をしていた。

この方の姿は智恩寺の手作り市などで何度もお見かけしている。
いつも数人の女性たちが周囲にいるし、たくさんのお客さんが店を取り囲んでいるので、ついぞ話しかける機会がなかった。

それにしても今日は比較的日差しがあるとはいえ街頭にこうしてずっと腰をおろして編み物をするのに苦痛がないとはとても言えない。
「3・11を忘れないために」と書いてある。そしてそこにちゃんとお名前が書かれている。

梅村マルティナさんの活動については、お名前で検索すればHPにヒットしますのでぜひお読みください。
自律した個人の自己決定というのはこういうものなのかとつくずく感心する。

自転車に毛糸で編んだタコがぶら下がっている。
気仙沼市の小原木中学校避難所に送った毛糸が縁で支援を続けてくる中で地元の方々との交流の中で、「『毛糸を使っ た復興のシンボルを作ろう』という話で盛り上がりました。そこで『幸せをいっぱいつかみとれるように』という意味を込めた8本足の『小原木タコちゃん』が生まれた」のだそうです。

小さな折りたたみの椅子が数脚ありました。
「つい先ほどまで何人かの人が一緒に編んでいたんですよ。お子さんを迎えに行く時間になったりして・・・。」今はたまたまお一人なんだとか。

なぜ編み物が震災支援につながるのか、そしてこの魅力的な毛糸がどうした経緯で使われるようになったのかなどもHPに紹介されています。
マルティナさんは日本人の中にいても小柄な方です。その方が寒風の中で「3.11を忘れないために」黙々と編み物をしながらアピールしています。

かつてアフガニスタンへの支援活動をされていた彼女は震災後、この日本の問題から「逃げる」ことなく立ち向かわれています。
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- 2014/03/12(水) 00:03:13|
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この方が着ている服はご自身が縫ったものだそうです。
一目見たときにこれは縫製が違うと感じました。実に凛としたつくりになっています。それでいて肩の凝らないゆとりがあります。
私が父のことを話すと、
「実は私も学校を出ると直に洋服の縫製の丁稚に出たんですよ。」とおっしゃいます。
父自身も色濃く持っていた「律義さ、まじめさ」がこの方の一針、ひと針にもにじみ出ていたように思いました。
私は懐かしさもあって、幾度もシャッターを切りました。

この方は名の知られた呉服店のもとで縫っておられたので仕事の保障はあったと思うのですが、父のような個人経営の仕立屋は仕事の確保が大変でした。
12月になると毎晩毎晩遅くまで縫っていたのが思い出されます。

これらの写真はキャノンの5Dにツアイスの85ミリ(メイドインジャパンですが)をつけて撮っていますが、α900とミノルタレンズの組み合わせとはずいぶん違った写真になります。

私は今自分のカメラが不調なので次を考えざるを得ないので少しカメラ事情を見回しています。
私自身が今興味を持っているのはフジのXt1なのですが、ネット上でやり取りされているいろいろなカメラについての「評価」論にはうんざりします。
『モノ語り』の人たちのやり取りは討論・意見交換の未熟さが気になります。なぜこんな殺伐とした物言いが広がっているのでしょうか。
それに、カメラについて何を目的に話すのかということが私の関心とあまりにも離れていて、どこかにもっと表現としての写真について話す場所はないのかなあと思います。
- 2014/03/11(火) 00:03:42|
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もうすぐこの建物での職人さんたちの実演がなくなる。
「以前、高齢の婦人が見に来られて『地方ではなかなかこうしたお仕事を直接見ることができない。自分も和服が好きで仕立てもしたいのだけれど、こういう本当の仕事の様子が見られてうれしい。』といっていただいた。
私らの仕事をそういう風に見てくれて涙が出るほどうれしかった 。」とおっしゃっていた。

以前も書いたけれど、全国に四千人余りの伝統工芸士が居られるけれど、そのうちの千人余りが京都にいる。
「伝統」工芸士が居られなかったり数人という道県もある。
「伝統工芸」ばかりが工芸ではないので、地方地方にすばらしい工芸の職人さんはおられるが、なかなかその姿を直接見る機会は少ない。
第一人数自体が減っている。ことに伝統工芸では。

ミシンの仕事が大半を占めるようになって「手縫いの良さをわかっていただける方ももうあまりおられないん違いますか。」ともおっしゃる。
良い仕事を見る力を持ちそれを楽しみとすることができる人々がいなければ、糊とテープでできた服でもいいわけである。
背広上下を「2万円!!」それにさらにスラックスをプレゼントなどと言われると、到底職人の仕事は入り込む余地がない。 生地と付属品だけでも2万円で背広を仕立てることはできない。
この布を負った人々た縫製をした人々の賃金はどのようなものなのだろう。
そうしてつるされている「紳士服」の襟は波打ち、そでぐりは乱れ、胸にも胴にもしわがよっている。
アイロンで無理やり型をつけた服ではひとたび雨にぬれれば・・・・。

しかし、私のような平均的な給料取りには「誂えの背広」など夢のまた夢だ。
昔からスーツは給料1カ月分と言われていたが、服にそれだけ金をかける文化は大衆的だとは言えなさそうだ。

この仕事は帯の生地に芯を縫いこむものだ。
待ち針りで止めている。その待ち針は年季が入っていて、グねっと曲がっている。

縫いこむ芯となる布は「数字的には表現できませんが、ほんのわずか、たるませて縫いこむんです。使うと布が伸びますさかい、ちょっとそれに合うようにしてあげるんですな。そう線と突っ張ってきしんでしまうんです。」
出来上がり、実際に着て、しかも一定の時間が経過した先を見通す仕事。
ちょうど法隆寺の塔の軒などが瓦の重みでしなるのを計算に入れて切られ削られるように。
それは単に、技術誇りではなくて、着る人への思いやりでもある。
売ってしまえばこっちのもの・・・むしろ早く壊れてほしい、壊れるように作っておこうなどという・・・という資本主義的論理では失われがちな価値観だ。
職人さんでもこの方たちの世代と、私より若い世代とではこうした点でも考え方が違ってきている気配はある。
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- 2014/03/10(月) 00:05:14|
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この方のお仕事は帯の縫製。

「もう手縫いをする私らのような者はほとんどおりません。」
ミシンで縫うほうが多いんだそうです。
仕事自体がありません。

ですから普段は既にほとんど縫っておられないのだとか。

私は父親が紳士服の仕立て、母親が婦人服の針子をしていましたから、指抜きをした姿には人一倍親しみを感じます。
このごろは小学校の家庭科でも指抜きをしないまま運針をするようです。
私自身は指抜きがないと縫えません。
針山、目打ち、尺貫法の物差し・・・・亡くなった父親の仕事台に並んでいたものです。
「くけ台」を見るのは何十年ぶりでしょう。母親がよく使っていました。

内側になる布を僅かにずらして縫っていきます。

糸目めの乱れなどみじんもありません。それは、まっすぐにと言うだけでなく、張る力の均一さもです。
「ミシンで縫ったものは時間がたつと上糸と下糸とが微妙にずれてくるんですよ。それが着物の姿に出るんですね。」
そういうことが手仕事にはない。
というより、たとえ時間の経過があっても、そういうことのない仕事をするのが職人の仕事ということだろう。
しかし、そう話す言葉に過ぎた気負いやうぬぼれはみじんも感じられない。実に淡々としている。
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- 2014/03/09(日) 00:01:50|
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京都の同志社大学の東に「ほんやら洞」という喫茶店があります。そこのご主人の甲斐という方は写真家としても知られた方で、店に来られた方などを中心にたくさんの人物を撮ってこられました。
その甲斐さんの写真展があるギャラリーで行われているのですが、そこに掲示されら文章の中でこれまでフィルムで200万コマ撮ってきたとありました。
恐るべきコマ数ですね。昔フィルムカメラのシャッターの耐久性について10万回が一つの目安だったように記憶しています。それを越えてこそプロ仕様だとか何とかなんとか。
意思を持って撮る人のすることはやはり文字通り桁が違うのですねぇ。
手描き友禅の職人さんです。
この施設では「ときどき職人の仕事の様子を撮りにくるものがあるらしい。」と一つ二つの組合の関係の方にはうわさされるようになりましたが、ここらあたりに「慣れ」という落とし穴がありそうで要警戒です。

出会い、お話をさせていただく人は皆初めての方ですから、同じ仕事の人だからと言ってこちらが新鮮な興味を失って慣れてしまえば写真もそれまでになってしまいます。
それにしても先に書いたところが乾かぬうちに色を加えてグラデーションを作り出し、微妙なぼかしを生みだすのですが、何とも上品な感じになります。
「これを蒸しかけるとまた発色が違ってくる」のだそうで、ちょうど陶器の釉薬が窯の中で火によって変化するように、今ここで塗っているのではない色をイメージして描いているのです。

筆にどれだけ水を含ませるか、どれだけ染料を含ませるか。微妙な職人の勘です。

先ほどまでにこやかにお話していた表情とはずいぶん違います。

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- 2014/03/08(土) 00:04:28|
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この方は金彩をされる。
絹の布に保護シートを張って、それを切り抜くことで、切り抜いた部分に金彩を施すことになる。

型染の型は「小刀」を使いますが、こちらは「カッター」。つまり日本刀と洋刀との違い。
切れ味の良いカッターですから時に自分自身を傷つけたりシートだけでなく布地さえ切ってしまうこともあるのだとか。

そう言われると話しかけるのも遠慮されます。
カッターは刃を変えた新しい時が最良の時だとはいえないのだそうで、「なじんだときが一番ということでしょうね。」とのこと。
なるほど、である。

今日はとてもなじみがいいのだそうで、最近になく刃が自由に動くとおっしゃっていました。
「こういうことは珍しいんですよ。」とおっしゃりながらですが、その刃の動きの速いことと言ったら・・・。

まるで下書きさえ意に介していないような速さです。私は何とかして刃先をとらえようとします。
私のカメラは到底追いつけません。
そういいますと優しく微笑んでおられました。

金彩のお仕事は作業場の環境に大きく影響されます。ことに似空気の動きですね。
そこで実演の際にはこうした仕事をされます。
一度工房にお邪魔させていただきたいと思います。

見学の方にとても懇切にお話をされていました。
職人の皆さんは自分たちの仕事に興味関心を持ってほしいと強く思っていらっしゃるのです。
どこかデパートでもこうした実演をされる職人の方にお会いになったら、ぜひお知りになりたいことを積極的に質問されるとよいと思います。
気さくに親切に答えていただけますよ。
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- 2014/03/06(木) 19:58:33|
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Tシャツに染めた方、テーブルマットに染めた方。みなさん大満足です。
型を切るのは短時間では指導も難しいですから、和田さんが切った方をおいて絵具を塗りこむのですが、版が6,7枚ありますから、それを重ねて最後に完成の絵が現れるとやはりいいものです。

このあと地元の小学校などでもぜひ体験教室をしてほしいと希望が出ていましたが、すでに京都市内の学校ではやっておられる和田さんはきっとこちらでもすることになるでしょう。

型友禅はここで体験しているようには丸い刷毛で染料をすりこむ場合と、「しごき染め」という仕方で染められます。
このしごき染めの工房にも行って写真を撮ってきました。
「さっと来て、パシャと一枚撮れば済むんだろう。」と思われていますから、確実に状況を伝える写真を撮るのは大変です。プロの方のご苦労を思いますね。

和田さんは大サービスで「落款」に当たる名前の型も予約者のために事前に切って準備し、配られました。こういうサービス精神が和田さんらしい。
当日飛び入りの人が「私にはないんですか。」というので・・・・無理言うなあと私は心配でしたが・・・快く「じゃあ切るか。」ということになって型を切る実演が始まり来場者はラッキーでした。

お集まりの方々は熱心に見入っていました。

この日奥さんとお孫さんもご一緒でしたが、お孫さんは普段から「じいじ」の工房で遊んでいて見よう見まねで紙を切り色を使うのだといいます。
「なかなか筋がいいんだよ。」とおっしゃる和田さん。
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- 2014/03/06(木) 00:02:21|
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和田さんの仕事とであってぜひ兵庫県豊岡の博物館で「個展をしてほしい」と希望する方があって実現した。
当初の計画からはずっと規模が拡大して立派な型染友禅の「型を切る仕事」を紹介する良い個展になった。
その個展会場で型染の体験ができる企画が行われて、その日に合わせて私も出掛けた。片道2時間半の道。
上の写真の左手にある馬の作品はこの個展に向けて制作されたものだと思う。モンゴルの馬と草原にちなんだもの。
この個展会場に飾るから撮ってくれと言われて和田さんを撮った写真が使われている。何やら面映ゆい。

この体験はとても好評で、あらかじめ予約していた人に加えて当日の飛び入りが幾人も申し出て、午前1回、午後1回描き予定が、さらに追加された。

和田さんの語り口も楽しいが実に親切で事前の準備も大サービスのものだった。
この方が損得勘定で引き受けているのでないことがいろいろな面から垣間見える。

和田さんはことに女性に親切!!
これまでブログ、個展で私の写真を見ていただく機会はあったけれども、こうして全く別の形で見ていただくことができるなどと以前は思いもしなかった。
もっとも私が撮ったのだということは和田さんのほかこの施設の数人のスタッフしか知らない。

男性陣にもいたって好評だった。
普段こうした「文化」に触れる機会が限られていることもあるだろうが、「とても充実したよい時間だった。」と口々に感想を漏らしていたばかりか、午後の部にも重ねて参加される方もいた。

和田さんの巧みな一工夫で俄然絵が映える。期せずして感嘆の声が上がる。
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- 2014/03/05(水) 00:02:16|
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兵庫県の豊岡市に「日本・モンゴル民族博物館」があります。
ここが昔、生糸生産が盛んな場所で織物にかかわるということで型染友禅の型を切る和田さんの個展が開かれました。
たいそう立派な個展でしたが、その個展に飾る写真を撮らせていただいたことが縁で私も出掛けました。
この博物館には、ちょっと意外なほど充実したモンゴルの展示物があります。
ちょうど伺った日にモンゴル人の歌と馬頭琴の演奏(素晴らしく良い声の歌でした)、日本人のグループによる同じく歌と馬頭琴の演奏を聴くことができました。
今は本番前のリハーサル中。


人口も稠密でないこの但馬東になぜこうした施設ができたのかということは、話せば長くなりますので割愛して、とにかく城崎温泉にお出かけになるときにでも途中お立ち寄りになるとよいと思います。
この方が日本人グループの先生です。

本番のステージではたくさんのお客さんに囲まれて到底撮影できませんでしたし、またシャッター音が邪魔ですから、終了後にホールで演奏しているところを撮らせていただきました。

馬頭琴の弦は2本です。
その弦はバイオリンやギターと違って音階をかえるときに弦をネックの竿に指で押しつけません。
わきから指を押しつけるという感じです。今人差し指の背の部分が弦に押し当てられていますね

この方は京都市内から来ておられるということで、わざわざ同じ京都の人間がこんな場所で出会うとは奇遇です。

この施設ではモンゴルの民族衣装を着る体験もでき、子供も大人の男女もたくさんの人が着替えて会館内を歩いています。なかなかいいです。
京都で観光の一環として和服を着て歩くというのがありますが、そこで貸し出されている着物の品質に比べるとずっと良いものだと感じました。
(この方たちの衣装がどのように手配されていたのかは知りません)

近隣各国の文化交流がもっともっと広範囲で行われてほしいなあと思いました。
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- 2014/03/04(火) 00:05:31|
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今月末になるとこのブログを始めて3年になります。
ブロぐ掲載をを意識して人の写真を撮るようになって3年です。3年も撮っていると次第に「写真て何だろう」という疑問がわいてきます。また社写真で何をするべきなんだろう、とも。
で、写真展に足を運ぶのですが、素晴らしい腕前を見せてくれる写真には出会うのですが、どうも現代写真にふさわしいものになかなかお目にかかれないのです。
まあ絵画でも同じですが。
そこで若者には新しい芽があるのだろかと期待して見に行くのです。

大学を出てまだ1年です。

大学ではデザインを学んだんだそうです。静止画より動画。

写真は対象を見てそれを印画紙に焼き付ける。フィルものときには問題は簡単だった。 ??
しかし、そのころからフィルターを付けたり、フラッシュをたいたり、焼き付けでは様々な焼き方を駆使しして見たままではない絵を作り出していました。
ハイキーやローキーの写真がありましたし、荒い粒子を利用した写真もありましたから決して「写真」などではありませんでした。

デジタル時代になってフォトショップなどを駆使しての画像加工が問題にされますが、それは今に始まったことではなさそうです。
この人の個展は「つけ加える明日」とテーマされています。

「つけ加える」と「明日」に意味的な連絡性はありません。
無意味な平行です。異質な二つの言葉を接続したときに生じる何かを感じ取る。
ここに展示されている写真も2枚一組です。異なった角度から撮った幾何学的なビルの写真が並べられています。

もともと団地の風景に関心があったんだといいます。形状的にはまったく同じなあの部屋部屋に異なった生活があるということの不思議さ。それをさらに逆転させたり回転させたりして一層幾何学的に無機質にしていくことの中から見えてくるもの。
しかも異なった角度から撮った同じ建物を接合することから生まれる不安定観や落ち着きのなさ、あるいはまた逆にデザイン的にあまりに整合的でその窓の一つ一つの異質な意味が見失われること。そういうことが主題のようです。
元来写真から出発したのでない人の発想かもしれません。
これまでこうした表現がなかったわけではありません。
しかし現実世界の抽象された表現を好む若者の傾向がここにも見られると感じました。
絵画ではその傾向が顕著に見えます。
こうした若者の発信に対してそれをどう受け止めるか。
具体的な事物を具体的にリアルに追求することの意味をもう一度しっかりと考えてみたいと思うこのごろです。
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- 2014/03/03(月) 00:01:33|
- 写真
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漆を使った工芸です。

焼き物・・・ぐい飲みでしょうか・・・に漆を施し、磨いています。

漆の「つや」は色気があって好きです。
が、お高い。 お高いのも道理です。手間がかかっています。塗っては磨き、磨いては塗り重ねる丹念な仕事をしなければなりません。
この作品は湾曲していますからサンドペーパーを使っていますが、平面のものでは墨を使うことがあります。

漆の猪口を持っていますが、お酒を注ぐとそこにある模様がゆらゆらと浮かび上がります。
模様がなくともそこの漆のわずかな光の反射がお酒に揺れて楽しめます。

指に伝わる感触もとても柔らかいですね。
こういう陶器では野趣あるざらざら感もまた楽しいものです。

手入れの煩雑さや一般に高価なことから次第に私たちのもの周りから姿を消しつつある漆器です。
特段の手入れを必要とせず扱いもあまり注意を必要としないものが世に溢れています。そういうものは工場出荷時に最もきれいで状態がよく、経年変化はすなわち劣化・減価でしかないようなものが一般となっています。
私たちはその製品に対する知識も素材についての知識も必要ではありません。
つまりそれだけのものを私たちは失っているわけです。手入れをしてこそ価値が高まるという思想や風潮が衰弱していますから、使い手の存在価値は無です。消費者の持つ文化は意味をやせていきます。
これが日本の文化をつまらないものにしていると思います。

カメラもそうですね。最新のものが最良のものだとという言葉がほとんど疑問なく使われています。
かつて消費は生産であったと、私は思っているのですが。
消費によって価値が付与されていくような文化であってほしいと私は思っています。
テーマ:ある日の写真 - ジャンル:写真
- 2014/03/02(日) 00:02:27|
- 工芸
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