今春、大学院を修了される。
先日この方の大学で学部生の卒業制作展と、院生の終了展が開かれていて、お邪魔した。
その際に「アンケート」を依頼されたので、・・・あまりアンケートに記入するのは好きではないのですが・・・唯一この方の作品が気に入ったと書いた。
その時は、作品だけがあり、受付にもこの方はおられなかったので、個展のDMを見た時に是非見に行こうと思ったのです。

個展を見せていただくと、その方の制作の歴史を垣間見ることができるのでとても興味深く楽しいのです。
ましてこうした作者が在廊していてくれると、色々お話を伺い、制作の上で苦労した点や、模索してきたことが分かって、一層作品に興味が湧きます。
鳥の目の部分だけに何度も釉薬を掛けては焼いているそうです。
ですから体の部分は、手への感触も色合いもソフトな質感があり、目は光を反射して輝きます。

作者です。
院を終了して、これからも自分の窯を持って焼いていこうとされています。

この鳥たちにも変遷があり、作品の表現はふかまりながら、意味を多様に含むようになっていきます。
鳥たちは首から上が蓋となっていて、開けることができるのですが、中には宇宙が描かれています。

宇宙を抱いた鳥の表面には地上の情景が描かれています。

壁面に作られた小さな棚には小鳥たちが並べられています。
(⇔)

この方は奈良県でこれから活動されるのだそうですが、奈良県には案外若い陶芸家がおられることになります。
私のブログにも何人か登場してくれていますが、以外にも横のつながりや情報の共有は乏しいようです。

何か、お互いの活動を知りあえる手立てがあればいいのになあと思います。
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- 2013/03/31(日) 00:03:54|
- 陶器
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市内にも私の知らないギャラリーがまだまだたくさんあるようです。
左京区や東山区を回ってみなくてはいけません。
岡崎公園の周辺だけでも幾つもあるようで楽しみです。
ギャラリー恵風で見せていただきました。版画です。

明るい色が重なって華やかさを持ちつつ、それでいて落ち着きのある色遣いもされて、画面を作っておられます。
作品も紹介しようとすれば、カラーで撮るべきなんでしょうが、このところやはりモノクロがいいのです。

私が部屋に入る以前から年配の男性がこの方とお話をしていて、その男性は、ご自身も洋画を描かれるようで、ずいぶんいろいろアドバイスされていました。ですから、私はぐるっと見せていただいたら早々に退散しようかと思っていたのですが。

なぜかその男性が話を私の方に振ってきて、否応なく会話に巻き込まれてしまいました。
ちょっと応対しにくい話題だったので、できるだけ口数少なくしていたのですが・・・。

この方はまだ20代半ばという若さですし、実に辛抱強くその男性の話を聞かれていました。
写真をご覧になってお分かりのように、この方は結婚されているのですが、まだ新婚ほやほやと言っていいのです。そこで、そうした生活の中で制作を続けていくことについてもその男性が色々とお話をしていたようで、・・・。

版画を京都で学んだのでこうして個展をされているのですが、今のお住まいは関東だそうです。ですから、なかなか個展の期間も大変だろうと思います。
で、その男性が関東と関西の違いなどを話し始めて、関西流関東観をさかんに披歴します。そして、私を関東一味と知らずに、ちょっと調子に乗って話すものですから、ついついお話に巻き込まれてしまいました。
この写真はずいぶん色調整をしていますので、作品の感じと大きく違ってしまっています。
(⇔)

照明の色かぶりがありますからホワイトバランスを試みるのですが、なかなか適正にはいきません。
まあ、おおむねこんな感じだってでしょうか。Yさん、作品を再現できなくてごめんなさい。
これでは、職業カメラマンには到底なれませんね。
(⇔)

お元気で、制作を続けられますように。
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- 2013/03/30(土) 00:05:57|
- 絵画
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いま取り組んでいるの着物の柄は、前の部分の柄はカトレアの葉が折り重なってできた空間を幾何学的に組み合わせて、どちらかと言えば現代風な図柄になるようです。

それが左から背中に回ると、次第にカトレアの花が姿を現し、やがて右の後ろには見事なカトレアが競演しているという風に変化していきます。

前から見た印象が、着た方が移動することで変化し、振り返ってみると、また意表をついて素敵な絵柄を見ることができるのです。
着物が衣掛けにつるされ固定されているときにも素敵でしょうが、それが着られて動く中にまた一段の魅力を発揮するというわけです。

部分に地道に取り組み、そこで技を駆使しながらも、出来上がっていく姿を思い描いてワクワクされているのでしょうね。
筒状の花弁ンが筆を入れるごとに見事に立ちあがってきます。
(⇔)

中国瀋陽の故宮で中国の画家の方の制作の様子を見せていただきました。その方も、完成までのすべての過程と結果をすっかり我がものとされて、一見逆方向への筆の走りが、見事に合目的的な運筆となっているのに感心しました。
物事のある到達点まで達した方たちには、共通の特徴なんでしょうね。
(⇔)

今度展覧会の公募に応じるということで、この作品に取り組んでおられるのですが「人間国宝というような方も出してくるから、なかなかね。・・・。」とおっしゃいます。 キャリヤ40年を超す大ベテランも、「まだまだ上がある。」と挑戦し続けておられるのですね。
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- 2013/03/29(金) 00:04:54|
- 伝統工芸
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京友禅彩色の道、40有余年のベテランです。
白生地に描かれた下書にそって彩色をしていきます。下書きは形だけですから、そこに描かれる・・この場合はカトレアですが・・・物をどのように描くかということが、問題です。
この方は自身の作品として、近々行われるコンクールに出品する為の作品づくりされているのです。
ですから、どのような絵にするかはご自身次第です。

問屋からの注文で描くことの多い職人さんたちですが、「時には自分のデザインで個性を発揮しないと・・・。」とおっしゃいます。
それはそうでしょうね。注文にいかに応えられるかという腕もまた評価されるべきでしょうが、同時に、色々な挑戦もしたいでしょうし、自分なりの工夫にも挑んでみたいでしょうし。

こういう場面では、話しかけていいものかどうか迷います。

実演会場ですから、話しかけられるのは覚悟していただいているとは思いながらも、真剣に取り組んでいる姿自身を見たいという気持ちもあって・・・、お邪魔じゃないかなと逡巡してしまいます。

「いや、話しぐらいはしながらでも描けますよ。」と流石にキャリアを積んで、技を我がモノにされてきているからこそだと思います。
(⇔)

今描かれているのはご自身が庭に育てているカトレアで「今まで何度となく描いてきているから、改めてスケッチしなくても。」どう書けばいいのかすっかりわかっているからなおのこと余裕があるんですね。
幅1センチばかりの平刷毛の先を斜めにカットした独特の「筆」で、絵の具と水を巧みに含ませてぼかしながら描き込んでいきます。・・・・刷毛と書きながら「筆」と言わないとどうもこの道具をうまく表現できません。

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- 2013/03/28(木) 00:01:38|
- 伝統工芸
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いつも、今回のこの一枚をなかなか絞れない私ですが、私自身好きな写真の一枚です。
(⇔)

たまたまスタッフのお二人が「行方不明」の別のスタッフを探しに出ていかれましたので、もう一人にお目にかかるまで・・ということで、少し余計に撮らせていただきました。
私としては、・・運命論者ではありませんが・・・ここのところ「この人で写真を撮りたい」という素敵な方に続けざまに出会うことができて、幸せに思っているところです。

ある別のところで「ポートレート」の作品展が開かれています。
今度そこに見に行きたいと思っているのですが、そのポスターを見る限り、どうも私の「ポートレート観」とは違うようです。
色々な表現があっていいと思うし、様々な被写体(人)に魅力を感じて作品にしてよいと思うのですが、どうも「ポートレート」の大勢には違和感があって、別の行き方をちゃんとくっきり打ち出せたらいいなあと密かに思っているところです。(誤解のないように書き添えますが、ここで触れているポートレートの作品展は、京都外大写真部の男子学生有志が今開いているポートレート展のことではありません。こちらは、私としてはとても好感を抱いているポートレートです。)

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- 2013/03/27(水) 00:05:15|
- 装身具
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その人を盛りたてて色々な力を結集しようと思わせる魅力を持つ。それも大切な能力だと私は思います。能力と言うとなんでも、がしがしと我が利益を得るための力のように思われがちですが、そうではない力です。

演者でもモデルでも・・それが何であれ、その人を活かしてあげたい、その人の力をともに喜びたいと思わせる人は、いい舞台に立てるように思います。

力を発揮すると周囲を緊張させ身構えさせてしまうタイプの人もいるようです。斯くいう私もどちらかというとそういうタイプだったかもしれません。そういう人は自分の手がとどく範囲でしか力を発揮できないような気がします。

この方のような場合には、いつの間にか自分の羽根がずっと遠くまで広がっていたりするのです。
この方の作品は連なる水の滴のようであったり、杉木立やサンゴの姿をとっていたり、また時に雪の結晶のようでもあったりするのですが、どこまでもやさしい曲面で構成されていて人柄そのもののようでした。

それにしても、こうして若い世代のタレントが主体的に集まって響き合っている情景は実にいいですね。

自分の作品の特徴を理解してもらって、それを一層効果的に置いてくれる空間を作ってもらう。そういう幸せを感じておられるようです。
私はそこへの闖入者ですが、楽しく撮影させていただいています。

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- 2013/03/26(火) 00:03:50|
- 装身具
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金属工芸です。金のネックレスやピアスなどが並べられています。
同時代ギャラリーのこの部屋は、あまり広いとは言えません。でも大きな絵やオブジェを展示するのではなくて、装身具やポストカードくらいの作品を展示する為には好都合な広さです。
一歩入ると、おや?!という印象を受けます。これは仕掛けがあるなという空気がすぐに感じられます。
この方がアクセサリーの作家さん。
背後の壁には「詩」が書かれた大きな紙がふわり・・この「ふわり」もいいですね・・とかけられています。
テーブルの足元を見てください。ここにも「言葉」が描かれた紙がそっと置かれています。

部屋が暗いのでつい絞りをあけすぎるのと、情景説明より「人」に焦点を持って行ってしまう癖で、前ボケとなったものが何なのか判別がつきませんが、展示用テーブルの上に岩波の文庫本が山積みされています。その本もまたこの雰囲気を作る為に選ばれた本たちです。
(⇔)

この方は、この展示にあたって音楽と写真を担当されているのです。写真には写りませんが今オーディオから彼の曲?がBGMとして流されています。

この部屋には、言葉があり音楽があり、そして紙たちがあり(この紙も和紙が使われたり原稿用紙であったり、さらに破かれていたりと工夫が凝らされています。)、そして繊細なデザインの金のアクセサリーがそこに融合しています。
この全体を企画している方が、この人。黒幕?!です。
熊本で「上質な普段着」をコンセプトにお店を開いている方です。「言葉」を担当された方は、そのお店のスタッフと聞きました。
ちなみに音楽担当兼カメラマンは福岡の方です。

アクセサリー作者のこの方は京都にお住まいということで、こういうネットワークを作っての活動は、私などには驚きです。
こうしたコラボレーションによって作られた空間におられるからなお一層だろうと思うのですが、この方自身がとてもよい雰囲気を醸しています。
私は庭を見ても建物を見ても「仕掛け」があると夢中になるタイプでして、こうした「仕掛け」はワクワクするのです。
やり過ぎは「粋じゃないね。」ということになりますが、そこはまさに加減よく「粋」にいかねばなりません。
大学の頃にはこうした工芸とは無縁の専攻におられたのだそうですが、「物を作ることがずっと好きで、どうしてもやりたくて、その頃はダブルスクールで勉強したんです。」とのことでした。
(⇔)

とても生き生きとされています(・・・生き生きとするということは、とても活発で躍動的で呵々大笑で、ということでなくていいんです。)。ですからとても美しさを感じます。
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- 2013/03/25(月) 00:06:04|
- 装身具
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この方たちの大学はそれぞれのコースの定員がさほど多くはない、むしろ少人数なので、穏やかに勉強に集中できるようです。
大学によってその学生から受ける一般的な印象はかなり違います。もっとも、当然のごとくそれぞれに個人差は大きいですが。
(⇔)

敢えて書くんですが、この方の立ち方は少しだけアドバイスしました。
それくらい、こうしたことには「初心」な感じがしました。これは決して否定的な意味合いで言っているのではありません。
街を歩いていても、見られることや見せることをあまりにも意識しているような服装やしぐさに辟易しているこの頃ですから、このお二人の言動には新鮮な感じさえしました。

作品について、アレこれお話をしたり聞かせていただいたりして、色々学ばせてもらいます。
他の方たちの作品を見ても激発するようなエネルーギと言ったものは感じられないのですが、地道で丹念な取り組みの姿勢を感じます。

卒業制作展の記念にということもあって作品と並んでの撮影がほとんどです。
ちょっと照れている面と、昨日掲載のお友達とのちょっとしたやり取りで、こんな笑顔を見せてくれました。

このブログを見ていただいて、卒業前の一コマを思い出に残していただけたらなと思います。

中学や高校で卒業アルバムというのを作る学校が多いですが、集合写真にしても個人写真にしても実につまらない写真になっていると思います。
お金は生徒・保護者に負担させておいて「学校を見せるものだから・・大笑いしていてはいけない、あっちこっちを見ていてはいけない、制服のネクタイが曲がっていてはいけない、整然と列を作っていなければいけない、口を結べ、横を向くな・・・・。」などと学校が規制をするなんてばかばかしいの骨頂だと私は思っています。
建前で塗り固めた、嘘っぽいアルバムなんて生徒は欲しがっていないと私は感じるのです。
学校には「文化がない」というのは言い過ぎでしょうが、学校は勉強するところだからもっと面白くなくちゃだめなんだと、私は思っています。

こうした制作を経験して卒業していくこの方たちが羨ましく感じられます。
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- 2013/03/24(日) 00:04:12|
- 絵画
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学生時代に卒業論文で苦しみぬいて、提出した後の達成感と解放感はきっと大きかったに違いないと思います。
芸術系専攻の学生にとってはそれは卒業制作となります。
(⇔)

大学に限らず専門学校にしろ高校にしろ、卒業するというのは、独特の情感があります。
(⇔)

この方は、いま卒業制作展の会場で受け付けをされています。他学部の卒論ならば特別に優秀なものでなければあまり学外者の目に触れることはないと思うのですが、特に作品ではなくて論文で卒業単位をとることを選ばない限り、卒業制作の作品はこうして外部の人の目に触れます。
私はこれはとてもよいことだと思います。

突然の撮影の申し出に戸惑いながらも、懸命に取り組み、その取り組みの中で何度も何度も自らに問いかけ、困難を克服して作品を仕上げてきただけに、その横に立って写真を撮ることには、ある感慨もあると思います。
(⇔)

私自身の「卒業」は、学部での答辞を読むという役割を果たした以外に、これと言った達成感のある区切りを作ることができなかったという悔いがあります。
それは反射的には、学生時代の内実の貧しさを表していると思います。
(⇔)

それだけに学生が「卒業」を目前にしている姿を見ると、何か心が騒いで、注目してあげたい気持ちになってしまいます。
(⇔)

学友たちと別れて、全国に散らばって行く孤独感・寂しさ、そして何より身震いする緊張感。そういうものがないまぜになってこれからの残された人生を送るのでしょう。
構想から何カ月もかけて描き上げたこの絵が、これから幾度もあなたを支えることでしょう。
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- 2013/03/23(土) 00:02:39|
- 絵画
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大学で自由であること、その自由をワクワクして活かせること! それは素晴らしいことですね。
(⇔)

彼女たちが描いているものを見て「オオ、いい感じじゃない!!」と声を掛けている先生です。
まあ私には絵の良し悪しは分かりませんが、彼女たちに対する周囲の目は好意的です。
なんといっても・・ライブ出会って経過そのものが表現だとは言え、・・・作品は完成していませんしね。



この人たちの作業服が魅力的です。これ自体がアートです?
彼女たちの学生生活を物語っていますね。いいなあ。

こうして話す友人や教師がいて、のびのびと表現できる。大学はそんな場であってほしいですね。
無論、小中高も!!

彼女たちの作品は制作の途中でして、実は時間がなくてペインティングまで、そして完成までは見ることができなかったことが残念でした。
後日、完成した絵の写真を送っていただきました。
![IMG_8107[1] - コピー](https://blog-imgs-36-origin.fc2.com/s/o/u/soujyu2/20130226215146b50.jpg)
![IMG_5664[1] - コピー](https://blog-imgs-36-origin.fc2.com/s/o/u/soujyu2/201302262151311c8.jpg)
やりましたねぇ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
左手にある建物の中で日本画と洋画の展示がされています。なかに福島原発の内部を見あげるヘルメット姿の男性たちを描いたものがありました。画面全体にはまがまがしく『垂れ』ている絵の具の筋や、空間には違和感・拒否感のある浮遊物が満ちています。その中で男たちはこちらに背を向けて見上げ、立ち尽くしています。
その横には子供たちが遊ぶ姿が同じように描かれています。どこにもスローガンじみたものは書かれてていません。むしろ日常の淡々とした時間の流れ、状況が描かれています。しかし、激しい色遣いも形象もない中に、深い不安と憤りを感じさせます。
この間、色々な場所で、多くの絵を見ましたが、こうした主題でしかも絵画性をもって描かれている作品には出会うことはあまりありませんでした。
原発や沖縄や労働の場の不合理さなどを・・・直接に具体的に主題としていなくても、「現在」は描けるという立場もありましょう。が、あまりにそうしたことが描かれなさすぎるように思います。 各大学も芸術界も、そういう状況だということに、いささかのいらだちを感じます。
現実的「現在」を、「描かずには居れない」という知性と感性が、芸術界には乏しいんじゃないかと、ふと感じられてしまいます。
で、私の写真は・・・・?
滋賀県立近代美術館に「ハービー山口写真展」を見に行って来ました。
大変に力のある写真だと思いました。ロベール・ドアノーの写真展と並んで心に染みました。
「写真家」と呼べる人がいることに希望を持ちました。
山口氏には東北の震災・原発事故に向き合う一連の写真が展示されていましたが、「人を撮る」ことを通じて表現されていました。
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- 2013/03/22(金) 00:01:04|
- 絵画
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芸術系大学の卒業制作展に出かけます。
というのも、これまで街のギャラリーで作品を見せていただいた学部生や院生が作品を展示しているからです。
作者たちは当日それぞれ役割があって展示場所に姿を見せるとは限らないのですが、それでもまあ、偶然にお会いすることもありますから。
それともう一つ、以前ギャラリー知でお目にかかった人が「ライブ・ペインティング」をされるというので、それはいい機会だから撮らせてということで押し掛けるのです。その人が3回生なのに卒展会場で何故?という疑問にも吸い寄せられました。

学内の一角に既に準備されたパネルがありました。そこにこの人とお友達が共同でペインティングをされるのです。そして何より制作過程を公開して「らいぶ」として表現することを目指しています。
このパネルに絵を描いたのは先輩たちだそうで、そのパネルを継承して、描くのだそうですが、このパネルの準備にはそうした先輩たちや友人たちの協力があるのです。

パネルはこの背後の地形に合わせてかたどられて傾斜していますが、かなり大きなものです。
私は、昔、公開講座やゼミ大会を知らせるベニヤのパネルを制作してキャンパスに立てたことを思い出します。ベニヤ16枚張りとかを、かなり気合を入れてデザインして描き上げるのですが、角材やベニヤからパネルを作り、模造紙を張り・・・などと結構手間はかかるのです。が、「熟練」すると意外に短時間で・・・といっても幾日かは夜遅くまで学内に残るのですが、楽しかったですね。

3回生のこの人たちが、ここに作品を提示するということは先輩や同級生たちに認知されているわけで、彼女たちは「受け継ぐ」ことも意識しているようです。
そういうことは大切なことだと思いますね。
教職員も通りかかって、「ふ~ん、またここに描くんだ。」と「結構楽しいだろ。私が描いているあれ(その先生の作品)の楽しさも分かるだろ?!」と話しかけて行きます。

ここは、こういうことにワクワクできる人たちが集まってるところだということです。そういうことがいいですよね。
かつて「デカンショ デカンショで半年暮らす」ことに共感できる人が集まるところが大学だと錯覚していて、入学後ずいぶん戸惑ったことがありましたが。
(⇔)

予めの下書きはなく、意思を共通にしておくということはないようで、この場で「これからどうする?」「うん、私もそんな感じ!!」と進めて行きます。
アレ?! 場所を交換したようです。(写真では順序がおかしくなっていますが。)
(⇔)

脚立に上がるのも手慣れたものです。
(⇔)

赤旗が見えるからと言ってバリケード封鎖がされているわけではありませんし、彼女たちもバリケードに描いているわけではありません。
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- 2013/03/21(木) 00:03:03|
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絵の具を重ねて「目に触覚を感じさせる」ような筆のタッチです。
樹の肌が独特のざらつきで、松の皮がそげるような肌ざわりです。
独特の味わいを見せています。

画家の社会的存在意義をシビアにとらえてそれをご自身、内面化しようとされています。
(⇔)

大きな展覧会でも、大学の展覧会でも、絵画や彫刻の現状がこれでいいのかなあ、と嘆息することがしばしでしたので、この方にお会いして、ずいぶん頼もしく感じました。

写真の中から、ちょっと眉を寄せ気味のものを選んでしまいましたが、肩肘張っていた時代を抜けて、今はさらに寛い境地にとうたつしているようです。

3月19日からArt Space-MEISEI(寺町丸太町下る)で、彼を軸?に日本画の史寧作家選抜展があります。

(⇔)

カメラにも興味をお持ちで、こんな一面も見せてくれました。
(⇔)
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- 2013/03/20(水) 00:07:41|
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日本画です。
学校の芸術科目に美術がありました。しかし、そこでは洋画の手法、思考法しか教えられていなかったのではないかと思います。
ちょうど思想史が、ほぼヨーロッパ思想史であったのと同様に。(「明治」以降の近代思想も、いかにヨーロッパ思想に似ているか、いかに近いものであるかが基準とされていたような記憶があります。)
京都では幸い、名をなした方の日本画も見られますし、学生さんや若手たちの作品にもたくさん出会えます。

閑林さんと仰る作家さんです。

画材を販売されている会社の建物の一階がギャラリーになっています。後素堂さんといいます。
こじんまりしたギャラリーですが、いつも水準の高い緊張感を持った作品を展示されています。ここを訪ねるのも私の楽しみの一つです。

樹が描かれていますが、写生的な枝ぶり、葉の繁り様ではありません。
作家のイメージとして形象化されています。色は茶系に統一され、時に彩度の低い青や緑がかった青が使われます。
背後の絵の中に木がそびえていますが、その根元に山犬がいます。
「う~ん、僕自身なのかなあ。」

話しこんで、小一時間は経過したでしょうか。
絵画についても門外漢である私を相手に、誠実に作画の志を語られます。
描くことに関して妥協を許さぬ姿勢をお持ちですが、話すうちにこんな表情も見せてくれました。
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- 2013/03/19(火) 00:04:12|
- 絵画
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芸術系大学の卒業制作展は実に面白い。
無料で見せてくれるのだが、そこいらの遊園地や〇〇館などというところに1000円も2000円も出していくより、ずっと面白い。

作品は? 実はこの左右の場所に作品が置かれているのですが、・・・。
写真撮らせてくれない?とお願いすると、その作品の横にでも立ってくれるのかと思いきや、「小屋」の奥の、ごく狭い空間に、挟まるように坐ってしまいました。彼の大きな多尻の下には壊れかかった小さなイスが。とても彼の体重を支えられるようには見えないそのネットの破れたイスに・・・。

私は自分の学生生活の、少なくない部分を悔みをもって回顧します。
中高の時代から、大学生活は「デカンショ デカンショで半年暮らし 」という学生生活を夢見ていたからです。 デカンショでなくとも、研究や読書や制作で明け暮れて、寝ているときも起きているときも同じ服装でいる様な・・・。
彼は、そこに置いてある作品も作品ではあるが、自分の制作している全過程を作品として展示しているのです。
この「小屋」も周囲にある道具のいくつかも彼自身の制作物ですし、彼が探して手に入れてきたものなのです。
彼にとってはこの作業場そのものが作品だというわけです。 だからこそ彼は自然にこの道具に囲まれた空間に自分自身を収めたのです。 いいねえ!! 実に、いい!!

学生時代こそ「三昧」の生活をするべきですね。
それなのに最近の学生は3回生後半にはサークルを引退し就職活動に明け暮れなくてはならないのです。
これは「民族的」な疵だと私は思っています。文科省などこうしたことを改善する意欲も構想もなく、企業のやりたい放題です。それでていてやれ学力だ、若者のやる気がああだこうだというのですから、ちゃんちゃらおかしい!!
その一方で、バリケードや投石や角材、ヘルメットがキャンパスにあふれていた頃。大学解体を叫んだ人たちの罪は大きいと私は今でも思っているのです。
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- 2013/03/18(月) 00:12:18|
- 工芸
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京都は大学の街でもあるから、学生の数が多い。
そして国外に知られた街でもあるから、外国人も多い。
この二つを掛けあわせると外国人留学生が多いということになる。・・・強引な理屈ですね。

この方は韓国から日本に来て陶芸を学んでおられる。

「積む」ということをテーマにしてオブジェを作成している。
私はこの空間に入って作品をもた瞬間に「妙に明るい『賽の河原の石積みだなあ』」という印象を持った。

石ばかりではないが、「積む」、そこに祈りを込めて「積む」という行為は洋の東西を問わず存在するようだけれど、この方はことに東アジアに置いてそういう文化がどう広まり、そこにどのような異同があるのかを考察されている。
「賽の河原」というのをご存知ですか、と尋ねるとちゃんと研究済みだった。

祈りということになれば「宗教」に直結するわけだが、教派的な宗教の成立以前の原初的な祈りというものと「積む」ということとの関係を考えようとしているのだそうだ。
そして、その祈りを思い、暗いモノとしないで、今回は明るいモノとして表現してみたのだそうだ。

東アジアの全体を視野に入れて、「積む・祈り」をキーワードに探求していく。
これからさらに研究課程をステップアップしていこうという希望を持っておられる。
これからの時代には、こうした意識を持った若者が多数出てこなくてはいけないと思う。実際、韓国に行ったり中国に行ったりすることを、「ちょっと行ってくる」という感覚でしてしまう軽やかさが日本の若者の中に出てきている。素晴らしいことだと思う。こういう世代がどんどん育って行って、「領土『問題』」などという・・・100年、200年のスパンで見たら・・実にばかばかしい問題を賢明に解決してくれると思う。
「昭和」にどっぷりつかったままの政治家が「領土問題」などということに首を突っ込まない方がいいと私は思っている。
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- 2013/03/17(日) 00:05:58|
- 陶器
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向こうでも男子学生が太鼓をたたいています。
ダブルベースを軽快に弾くというのはなかなか力がいるんじゃないかと思うのです。


ひとしきり演奏を楽しませていただいたあと、・・。
ギャラリーのスタッフが・・・今日の参加者と同じ世代ですから・・・コントラバスに興味をもったらしく・・・。
(⇔)

こういう時に「垣根が低いのはいいなあ。」と思いますね。
私は常にこの垣根に苦労して来ました。そしていつも垣根のこちらから指をくわえて世界を見ているという感じでしたから、こういう若い方の感覚が羨ましい面が多々あります。

「楽器の最初は音が出る」だけでうれしいものですよね。


写真の画面から音が出せないかなあ・・、というのがいつもの課題ですね。
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- 2013/03/16(土) 00:03:50|
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ギャラリー知で絵画と音楽のコラボレーションがあった。
このイベントの企画は女子大生だという。
バイオリン演奏や、管楽器の五重奏など、多彩だ。
そこで演奏される何曲かは、男子学生の作曲によるものだそうだ。
私はこの企画に遅れてしまい、既に管楽器の演奏者が控室に下がったあとだった。
そこに幾人かの人が、それまでの楽しい雰囲気を体にまとわせながら、あちこちで数人ずつが話していた。
中に、この日演奏したのではないらしいコントラバスの奏者がいて、「是非とも・・」という周囲の求めで、ケースから楽器をを取り出してくれた。そして、「う~ン、何を弾こうかなあ。」とほんの一瞬思案して、弾きだした。
すると、・・・。

コントラバスの独奏を聞く機会はめったにないと思うのですが、なんてラッキーなんでしょう。

ジャズナンバーも演奏してくれてギャラりに残った者たちはご機嫌です。オーケストラの中で演奏されることも多いのだそうですが、ジャズなどのステージで客とのやり取りをしながらの演奏の経験を持つだけあって、表情も豊かです。

それにしても、誰かが楽器を持てばすぐにそれに応じて別の楽器を使えるというのは羨ましいですね。
日本も少しずつではあっても「文明から文化」の方向に進んでいるということでしょうか。

この方は、古い言葉でいえば「画学生」です。

ちょっといいムードですね。
ギャラリー知もこうした企画によって、さらに多くの方の文化の結集地になって行くのでしょう。そしてこうした若い人たちの創造意欲やイメージがマグマのように混合して新しいエネルギーを生むのでしょうね。
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- 2013/03/15(金) 00:05:56|
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この方には前回、北山の手作り市でお会いした。その時にはお二人だった。今日はお一人。

ブログでは「mana」さんです。デコレーションしたスイーツのアクセサリーを作られています。最近よく見かけます。可愛い路線ですね。
男性が拳銃や銀製のドクロをぶら下げたがるのと表裏なんでしょうか。
私の趣味の領域にはありません。けれど確実に需要はあります。三条寺町を少し西に行ったところにはそういった商品を集めたお店があります。いつも若い女性が店内に見えます。

小さなキウイの断片やイチゴが盛りだくさんにデコレートされています。キウイの種の一つ一つを手書きし、パーツを手作りしているんだそうです。

この日アメリカからのお客さんに買い求めてもらったようですが、人に認められ受け入れられる喜びは大きいでしょうね。

私たちの世代の、ことに男性は、何か仕事を選ぶときに「こういう仕事をして30年後には、どういうものになっているんだろう(あるいは、なりうるんだろう)」と考えました。
周囲もそう見ていたと思います。20年後、30年後に社会の中でどう存在意義を持って自分の立ち位置を作っているか、それが意識されていました。
そのために「気宇壮大な志」を持つことを、カッコいいと思っていたところがあります。
それが、多くは「体制内化」してしまい、志に照らして「言い訳」の多い世代に見えるようになり、若い世代の志の無さを批判する嫌味な世代にも見えるようになったのだと思います。
「言ってることとやってることが違うじゃん!」と。
こういうことに関しては私は色々考えてみる必要があると思いますが、
「ところがどっこいその『志』の根っこは生きている」という人があちらにもこちらにもいて、実にカッコよくやっているのです。まあ、その一方で「根ぐされ」してしまった敗残兵の山を見るのはつらいですけどね。

世代ごとに生き方はあるということですかね。
私たちの世代の女性たちが、これほど自由に闊達に「自分のやりたいこと」に率直に従える環境に置かれていたら、あの人は、この人は、もっと・・・・、と思ってしまう面がありますね。

それにしても、こんなに若くて、直接に自身を社会にさらして、自分の道を切り開くということは、やはりえらいといっていい面があると私は思います。私にはそういう展望も気がいもなかったですからね。(ただ、ことの反面があるということは・・・。おじさんはなんでも難しく考えるんです。)
で、思わず「頑張れ!!」ということになってしまいます。
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- 2013/03/14(木) 00:05:53|
- 雑貨・カード
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この人をどう評したらいいのでしょう。
率直に言って「驚きました」。

何をされている人かと言えば、アジア(ことにタイ)で見つけた天然石などをパーツにしてアクセサリーなどを作っているのです。
神戸の方なんですが、タイのカレン族やモン族が大好きなんだそうでして、お話している間にも何度も「ああ、タイに行きたい。」と漏らしていましたから、よほどお好きなんです。

この方の活動はアクセサリー作りからはみ出ているようです。

でもいかんせんそういうことを判断する知識も力も私にはありませんので、そういうことであれこれコメントできないのですが!!!
「ただ者じゃない。」のは確かなんだと思います。
と、いうのはアクセサリーを並べた店の前に置かれた鞄。その上に無造作に広げられた写真。まさに無造作に・・・値段のシールこそ張られてはいても、いったい売る気や見せる気があるのか疑ってしまうように・・置かれた写真を見てびっくりなのです。
写っているのは実に様々な珍しいキノコです。この方、ちょっと乗り遅れた流行語を使うと「木の子萌え」の方なんです。しかも尋常な知識ではありません。そして何より、知識が尋常でないということもさることながら、写真の美しさ、これです。

そしてその写真について自分は特段意識して撮ったわけではなくて、ただひたすらきのこが好きだから撮ったといわれるのです。が、イヤそんなレベルではないと私は見ました。

おそらく積もった枯れ葉に腹ばいになって撮っているんだと思います。最近は「バリアングル」などといって液晶画面を色々な角度に曲げて見られる物がありますから、それらを上手に使っているのかもしれませんが。枯れ葉の下はじめじめと湿っていて、葉の下にはいろいろな生き物がうごめいていることでしょう。「ふと気がつくと手の下にナメクジがいて・・。」なんて言っていました。

色彩も構図も光も、「お主できるな!」の一言です。
色々な分野の作家をコーディネートしてのイベントをサポートするようなこともしているようです。
こういう人と出会えるなんてなんて楽しいのでしょう。
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- 2013/03/13(水) 00:03:34|
- 装身具
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「こめがま」 ふしぎなネーミングです。 「こめ」は「米」です。
手作り市、平安楽市でお会いしました。手作り市はまだ経験が浅いそうです。
奈良に窯を持って、最近独立して活動をされているそうです。 奈廬窯さんもそうでした。

寒い時期の手作り市はなかなか大変ですが、この日は晴れ間ものぞいてまだ過ごしやすい日だったのは幸いです。

ご本人は「写真写りが悪いので撮られるのは苦手なんです。」とおっしゃる。最近私はこの言葉を聞くと、俄然撮りたいと思ってしまいます。
私が撮ったからと言ってご本人が喜ばれる写真を撮れるというわけでもないのですが、「写真写りが悪い」というのはどういうことをいうのか追及してみたい衝動に駆られるのです。

それはまあ、さておき、こうして若い方が自分の作品を多くの人の手に取ってもらおうと積極的に行動する姿を見ます。
つい先日も、私のブログを見て「背中を押された」と言って、自分も一歩踏み出す気持ちを高めたという方からコメントをいただきました。その方も作陶をされています。

学生として作陶していた時とは違って、こうした場所では現実に人が喜んで買いとっていってくれるかどうかという「結果」が問われます。そういう厳しい目にさらされるということはいいことだと思いますし、また新たな作陶の喜びや手掛かりを得る機会にもなります。
そして同じ手作り市に別の幾人もの陶芸作家が出店するのですから、大いに学ぶことがあろうかと思います。

この方は向かって左側に写っている可愛い小物も作っています。

今日の「初め の 一歩」から彼女はどんなことを感じたでしょうか。
今日のお客さんから、忘れられない一言をいただいたかもしれませんね。
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- 2013/03/12(火) 00:05:05|
- 陶器
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人は毎日誰かと出会っている、ということが言えるかもしれません。ですが、そのほとんどは単にすれ違っているだけで、特に会話もしません。まあ、そういうのを「出会う」とは言わないかもしれませんが、ギャラリーなどで左右の壁の別の絵を見ながら背中同士で行き違う人も数多くいます。そしてその方たちのほとんどには、二度とお「会い」しないでしょう。

この方は奈良県から京都に「就職が決まったので、四月までの時間を『有意義に』過ごそう」という思いで京都のあちこちを歩いていた方です。
大学で建築を学んでおられたそうで、この付近の黒川紀章氏(先年、都知事選挙に出馬後、数カ月して亡くなった建築家)の設計になる建物を見てこられたのだそうです。
(⇔)

そして次に京都市立美術館に行こうとして、その途次にこのギャラリーにふと足を踏み入れたのだそうです。
訥々とお話になる言葉の一つ一つがとても誠実で、心のこもった言葉でした。
四月からの職場では、さまざまな困難も待っていそうです。
しかし、この方にはそうしたことに対する覚悟がちゃんとできておられました。

その困難を、自分にとって嫌なことと受け止めるのではなくて、それこそが自分の「やりがい」と受け止められているようでした。少しも高みからそれらを見てはおられません。

新規採用としては「若くはない」と言えるでしょう。私が就職した年に近いです。
それだけに、人ごとではないような気がして色々おせっかいな話をしました。一つ一つの話に丁寧に耳を傾けられていました。
そして、その穏やかな振る舞いの中に、何より、挑戦する気概やワクワク感が静かに燃えているのを感じるのです。
言葉を紡ぎ出す一瞬前のしぐさです。好感を抱かせる原因の一つですね。

職場にいったら、この笑顔を大切にしてほしいとおもいます。
眉間にしわを寄せたくなる現実が、いやというほどありますが、そうした皺によって解決できるものはそんなに多くはありません。むしろ笑顔が困難を解きほぐしていきます。

あなたの明日に期待しています。
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- 2013/03/11(月) 00:03:16|
- 人物
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ギャラリーの中ですし、何か特別なポーズをとっていただくことも難しいので、絵のモデルのようにイスにかけていただいています。

かろうじて作品のかかっていない壁がありましたので、そこで撮らせていただいているのですが、それだけに背景も単調で。 ただ、それだからこの方に集中できますが。

この方の住んでおられるところが甲信越地方ですから、活動はどちらかと言えば関東に向かいます。
個展も東京などで開かれることが多いようです。
学生時代を京都で過ごされたので、京都には友達もいるし、絵のつながりもあるということで、今回、ギャラリー・ヒルゲートでの個展です。

近くにお住まいならば、幾度もモデルをしていただきたい方です。
「残念ですね。次はいつ頃京都に来られますか(京都で個展をされますか)?」
「どうしても活動の中心が関東・甲信越になりますが、京都にも来たいですね。2年先ぐらいには来ると思います。」
「その時にはまたぜひ絵を見せてください。そして・・・。」

「でも、その時には、ここに・・・」と言って目じりのあたりを触ります。カラスの足跡が刻まれるということでしょう。
「今回が限界くらいかしら、・・。」と微笑みます。

お友達と話した時に、「今撮ってもらって良かったわね。」と言われたんだそうです。(後日談)
では、目じりに一本刻まれた頃またお会いしましょう。
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- 2013/03/10(日) 00:25:48|
- 絵画
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裸婦の絵を見ていて、何か少しづつ感覚が裏切られるので、気になった。
日本の実に平凡な庶民の住宅が線を主体に描かれている。黄土色に黒の線。 その建物の構造も、いわゆる透視法に沿わないばかりか、柱や屋根の構造がゆがんで、感覚を裏切る。
そうした「ずれ」に、激しい告発とかとげとげしさはなく、眼差しの優しさを感じる。

この方の経歴に中国の大学で学ばれたという記事があったことも、私の興味を引く原因だった。

最初ギャラリーに会いを踏み入れた時には、自らも絵をお描きになっている様子の年配男性と熱心に話されていた。
その方の陰になっていたこともあって、もう少し年かさの方かなと思っていたのですが、存外お若い方でした。

中国では水墨を学んだということです。
中国では、日本の子供が3,4歳からピアノを学ぶことがあるように、その頃から筆を持って水墨画や字を描くのです。ですから筆の扱いは極めて高いレベルの学生がきら星のごとくいるといいます。

この大学に学ぶ縁を得たということは、どなたか強く推薦される実力のある先生がおられたということでしょうし、若いころから期待もされた方だと思います。

中国の学生の意識のあり方や、社会の中での才能の活かされ方などの付いて、色々お話を伺い、また日本と中国との交流のあり方など貴重なお話を楽しくうかがうことができました。
たまたまお客さんの足が途絶えた時に、「写真を・・・」とお願いすると、大変気さくにお付き合いくださいました。
ご自身もモデルを相手に描くことが少なくありませんから、「どうしましょう。」と、なんでもしますよという感じでした。
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- 2013/03/09(土) 00:02:13|
- 絵画
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この方の作品は幻想的なムードを醸しています。
樹と女性が融合しています。

背が高い方なので、イスにかけてもらいました。
この春から教員になることが決まっているんだそうです。
成程まじめそうなよい青年です。話してそう思いました。

世の中、教育現場を盛んに小突いていますが、やはりこの仕事はいい仕事だと私は思います。
社会はもう少し学校を大切にしなけらばいけないと思います。
そして先生を支えないと・・・。

世の中のゆがみの原因を教育に押し付けてはいけません。原因と結果を転倒させた議論が多すぎます。
若い先生方が希望と志を持てる職場であってほしいですね。

以前、静岡県の私の郷里の近くで新採用教員が自死に追い込まれるという悲しい事件がありました。校長をはじめ先輩教師が、彼女の悩みに沿った支援をしなかったことが大きな問題でした。
その背景にあるのは、教員の管理ですし、組合を敵視する政策が、教員の連帯性をズタズタにしてきているんですね。
(⇔)

教員採用の時に組合非加入を暗に条件としたり、新人研修で組合加入をけん制したりするようでは、到底学校の元気は回復されないとおもいます。初めから先輩教員との連帯を教育委員会・教育行政が断ち切って、若い教員を「孤独」な境遇にしてしまっているからです。そして権力を持った人たちが、彼らを「囲い込もう」とするのです。が、そんな人たちに若い先生が率直に悩みを話したり自分の弱さをさらけ出せるはずがないじゃないですか。校長たちは常に「評価」「と「査定」をちらつかせているのですから。
こういう場(ギャラリー)では、こんな話もできないのが残念ですが。
この方は、これまでの自分の作風を「脱皮」しようと試みていました。

一度描いたものをカットして、その断片たちを再構成して新しい世界を作ろうとしているのです。
自分に行き詰まりを感じたり、自己変革を自分に強いることは、なかなか大変なことです。
私の最も苦手とするところです。しかし、この方はそれを試みているようです。
写真は苦手で・・・、と言われるのですが、この方のまじめな性格からいって、その気持ちは良く分かる気がします。・・・誤解があっては困りますが、写真に撮られるのが好きな方は「不真面目だ」と言っているわけではないですよ(笑)・・・。
でも、撮りました。
(⇔)

牽強付会ないい方になりますが、「人物写真」って案外いろいろな効用があるのでして、これについては私は、既に10年くらい色々考えてきました。そういうことは一般にはあまり知られていませんし、そういうことを言うと「うさんくさい」と思われる向きもありまして、実際、周囲に写真についてまるっきり分かっていないた対応をされた時には、心底うんざりした経験もあります。
私は「人物写真」を、介護施設や、児童養護施設などで積極的に生かすべきだと、秘かに、考えているのです。無論、学校でもです。
というような確からしさのない話はさておいて・・・。
青年らしい初々しい「憂い」を感じさせる表情だとは思われませんか。

でも、若いということはいつでもこうした笑顔を持っているということでもあります。
この揺れが実に魅力的です。

今回の「この一枚」ですね。

でもやはり写真を撮られて、とても緊張されているんですね。
それが画面に出ています。
テーマ:ある日の風景や景色 - ジャンル:写真
- 2013/03/08(金) 00:03:09|
- 絵画
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ある芸術系大学の、日本画コースの人たちのグループ展です。
最近いたるところでこの大学の卒業生や現役生の作品に出会います。
先月下旬から、今月初めにかけてこの大学の卒業展、院生の終了展がありましたので見てきました。
(⇔)

銀の箔を焼いて加工して表現しています。銀は空気中で酸素と反応して次第に黒くなってしまいます。そこで多くは表面をコーティングして酸化の進行を止めるのですが、この作品にはそういうことを敢えて施していないのだといいます。

学生や比較的絵若い人の、イラストの作品展などを見る、妙におどろおどろしかったり、武器を画中の人物に持たせたりしています。その武器に対する嫌悪感の無い描き方です。
そうした作品に対して、少々嫌な感じを持っていましたので、この作品を見た時に、最初は、またか・・という感じがありました。

作者の彼に話を聞いてみると、「すべてトリガー(引き金)を描いてないのです。」といいます。
芸術と武器というのはある種、相反する面があるけれど、現実の武器に対して、どう向き合うかということもまた大切なテーマなんだと感じているようでした。
(⇔)

とても積極的に作画意図や手法について話してくれましたし、なかなかの理論家のようでした。
写真を撮る段になって、何か彼にあった工夫はないかと思ったのですが、・・・。
(⇔)

なかなか感じが出ていると思います。

このグループ展のリーダーはどなたですか?と尋ねると、この方が一歩前に出られました。
なかなか存在感があります。

で、この時に在廊されていた4人の方の代表として「写真を撮っていいでしょうか?」という交渉相手となっていただきました。
そして快諾をいただきました。

4回生のこの方たちの「進路」は色々です。このあと卒業展も控えていますが、あと残りわずかな時間を惜しんで活動されているようです。よい仲間があっていいですね。
(⇔)

格闘技系かと思ったこの方の素敵な笑顔です。
作品の全体はかなりクールな感じですが、そこにはいくつもの仕掛けが施されていて、案外お茶目な「秘かに笑う系」でもあります。私はこういう人は存外好きです。

頼もしさとユーモア。いいですね。
テーマ:ある日の風景や景色 - ジャンル:写真
- 2013/03/07(木) 00:04:57|
- 絵画
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あるギャラリーでDMを見て、来週にはちょっと寄ってみようかなと思っていました。
ハガキの絵は、ブルーの背景に痩身の少女がまるで水のなかに沈んだように浮いています。

従来の私の延長からは「趣味ではない」とうような絵やオブジェについても、できるだけ嫌がらないで見ようと思っています。
そうした作家さんと話してみると大概いつでも気づかされること、学ぶことがあるのです。

ちょっとここに天板の小さな脚の長い白いテーブルが、欲しいなあと思いながら撮りました。
言葉は悪いですが、私の場合、ほとんどいつも「出会いがしら」に撮っているような写真ですから、この方をどう撮るか、考える暇はあまりないわけです。

引き出しが少ないですから、変わり映えがないといえば、そうなのですが・・・。

そういう意味ではそれぞれお持ちの個性に助けられています。
外が雨で、ガラスに滴が流れると良かったですね。

今回の「この一枚です。」
フェイスブックのプロフィール写真がほしいとおっしゃっておられましたが、お役にたちそうですか?
(⇔)
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- 2013/03/06(水) 00:03:34|
- 絵画
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人との出会いには、それぞれうれしさがある。
今回も実に貴重な出会いを経験した。
中国北京出身の画家、袁浩氏です。

氏は、すでに在日30年になりますし、お名前も奥さんの姓になって、川辺と名乗っておられます。

私は・・・自分の実に乏しい経験からですが、・・・中国の現代画の優れた作品に触れる機会があまりありませんでした。
伝統的な水墨画の見事さには、一再でなく、驚きを感じましたが、油彩画では、ことにその秀作に出会うことがすくなかったのです。

中国の近現代を知る上で、絵画や小説の芸術作品に触れることはとても大切な意味を持つと思います。
今回の展覧会では、風景画とともに、いささか珍しい絵に出会うことができました。
「群像」と言えば少々イメージが違います。ですが、画面にはたくさんの人が書き込まれています。敢えて言えば風俗画的な題材なのです。
たとえば渡月橋を歩く観光の人々の流れ。修学旅行で清水寺に向かおうとする小学生や付き添う先生、一般の観光客。
そうした情景がとても明るく透明感のある水彩の手法で描かれるのですが、この「大衆」といっていい人物群の実に個性的で、しかも生き生きとして躍動的な・・・しかし過剰にドラマティックでなく・・・姿で描かれているのです。何十人もの「大衆」は「砂のような大衆」ではありません。個性と人生を持った、固有の表情をもった「人物」として描かれているのです。
しかし、そうした表現のために筆の単純化されていることと言ったら・・・・。
(⇔)

この並々ならぬが力が、気負いの片鱗さえ見せないのです。この人間への愛着はなんだろう。

私は、氏から、氏のこれまでたどった人生の軌跡、人と社会に対する深い思いをお聞きしました。
テーブルにあった氏の画集を開いた時に、まったく正直に「オッ!!」と声をあげてしまいました。ページを繰るごとに「なんだこれは!!」とつぶやいたのです。
画力も素晴らしいが、人間への眼差しの鋭く、また愛のなんと深いことか。
氏は「もう少し暖かくなったら、東北に描きに行きます。そこに住む人々が懸命に生きる姿を描かずにはいられないのです。顔をあげて、元気を出している姿を、描きにいきます。」とおっしゃいます。
元気だとか、明るいとかいう言葉を発する氏自身は、人が生きる上で、避けがたく覆いかかってくる不条理を十分以上に体験し奥歯をかみしめてきたのです。
麗夫人への愛情もさることながら、移り住んだ日本の人々への深い愛情と共感がひしひしと伝わってきます。無論、故郷の人々への止みがたい思いがそこに重なります。

どうしても画集を分けていただきたくて、購入を申し出たのですが、「いいよ、持っていったら。」といわれます。
この長身痩躯の70才余の画家の気力の充実は、私を叱咤しました。

世のかなにはすごい人がまだまだたくさんおられるのだなあとつくずく感じました。
そして、いただいた氏の画集を、あの時以来、机の前につくたびに、一ページ一ページ広げています。

東北での収穫を見せていただく楽しみができました。
テーマ:ある日の風景や景色 - ジャンル:写真
- 2013/03/05(火) 00:04:46|
- 絵画
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週に最低一度は、寺ブラと称してギャラリー巡りをするのですが、その最初に訪ねることが多い「Take Two」です。
このギャラリーを出発として寺町通りを南下していくので、ここでは大概、開いて間もなくお邪魔することになります。時には、まだ準備が整わずに、文字通り「準備中」のプレートが懸っていることがあったりします。

今回も、私がお客さん第一号だったようです。
オープン当初は、出展者の方も、緊張していることが少なくないですし、色々な話も新鮮です。

半ばは大学の課題としての展示で、あとの半分は自主制作の作品です。
向かって右側にかかっている版画が、この方の作品です。

共通テーマは、「裏と表」です。もっとも英語表示ですが。
この方の裏と表。
前からと「見返り美人」型とを撮らせていただけばよかったなあと、あとにして悔やみます。

学生の作品は不満も少なくないですが、一方やはり新鮮な面白さもあり、何より、まだ作品に昇華していないとはいえ、それぞれが持っている思いを聞かせてもらうのが楽しみです。

それにしても思うのは、学生がこうして若いうちから発表の場を持てるということの羨ましさです。
ちょうど撮っているときに、この大学の先生が・・・お若く見えたので、学生の一人かななんて思ってしまっていたのですが・・・・大学の支援体制などについて少しお話をしてくれました。

この方が在学している大学の卒業展と院生の終了展が先月下旬から今月初めまで行われました。
テーマ:女性ポートレート - ジャンル:写真
- 2013/03/04(月) 00:01:57|
- 絵画
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会場の方の邪魔にならないように、演奏者の負担にならないように、まるでゴキブリが壁面を逃げるように周囲を歩き回ります。
私はリュックを担いでいますからきっとあまりよい恰好ではないんでしょうね。

高校生や大学生なら、本当に写すのに夢中で、周囲を忘れるのでしょうが・・・。
でも逆に年齢を重ねるとへんな居直りや図々しさが出てくるのですね。カッコも少しだけ気にしなくなりますから。そこで、節度を保たないと顰蹙を買うことになりますね。自戒自戒。

スタンダードナンバーを、メドレーで演奏してくれていますが、音がまあるく、それでいて軽快で、とても気持ちの良い演奏です。

私はこうしてブログアップする時には何か音楽を流していることが多いのですが、それがジャズであることがしばしばなのです。



ジャズが聞けて、写真を撮れて、楽しい時間でした。
テーマ:ある日の風景や景色 - ジャンル:写真
- 2013/03/03(日) 00:04:34|
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このギタリストさんは、昨年も、一度撮らせていただきましたが、その時のサックス奏者とは違う人が吹いています。

天気もよいので、テーブル席で耳を傾ける人も少なくありません。
私もホットドッグをほおばりながら楽しみます。

このサックスはリード部分からの曲線部が木製です。綺麗なフォルムですし、色合いもとてもシックです。
(⇔)

演奏中ですので撮影許可は、アイコンタクトです。

こういう時には、いかにも「撮りますよ」光線と、200ミリ望遠レンズのアピール力が役立ちます。
こちらの態度を明らかにしないと、撮られる方も許諾をはっきりできませんしね。
テーマ:ある日の風景や景色 - ジャンル:写真
- 2013/03/02(土) 00:08:15|
- 音楽
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