梅小路の手作り市でずいぶん賑わっているパン屋があった。
外国人が販売をしている。話しかけてみる。流暢な日本語を話す。
お客さんが来て「イチジク入りのパンは・・・?」
「ごめんなさい。もう完売です。」 どうやら人気商品のようです。
「あなたが焼いているのですか?」 「そうです。自分で焼いています。」(実はこの言葉には深い意味があったのですが、この時の私にはこの言葉の持つ意味を知る由もありません。)

14歳で学校を自ら辞めてパン職人の道に入り、16歳で自転車に乗って世界に旅立つ・・。
10年ほど世界を回って、縁があって日本に20年あまり。
平凡な人生を送ってきた私にとっては何か「小説を読むような話」でした。

私はこの魅力的なフランス生まれの男性をなんとか写真に収めたいと思うようになりました。
撮影を快く許してくれて、「今度あなたがパンを焼いているところを撮りたいが・・。」
「どうぞ、どうぞ。毎朝私が焼いているからいつでも見に来て。」という大変ありがたい言葉をもらいました。

今日も、せっかくだからいくらかは撮りたいと思うのに、電話はかかってくる、周囲の若者や出店者と気さくに話す。じっとしていないのです。

そこでテントのお店で働いているフランス人の若い女性に、身振り手まねで「写真を撮ってよいか」と尋ねると、これまた快く?OKしてくれた。「ウィ」ではなくてフランス語の分からない私のために「OK]といってくれました。

実は彼女はフランスからの留学生なのですが、日本語はまだほとんど分からないのです。
そこでフランス生まれのパン職人のヴィ氏が、自分のところで働くチャンスを提供しているというわけ。

そういうわけで、ほとんど話さず、人となりも知らないで撮るという珍しいケースの一つになりました。

本当は「写真を撮らせて下さい。」というお願いに対してどのような感想を持つのか、考えを持つのかを聞いてみたいのです。個人主義のフランスに生まれた若者に。
言葉ができないというのは実に不自由なものです。

このパン屋さんは大変評判がよいのでお客さんがひっきりなしに来ます。それに対応するのが彼女の仕事ですから否応なしに日本語を学習するというわけ。 私にはできない芸当です。
このパン屋さんは百万遍知恩寺の手作り市にも既に10数年来出店しているのだそうです。
「えっ?! 昨年の4月からほとんど毎月知恩寺は行っていたけどヴィ氏の印象は皆目ないのですけど。」
「いや、私はパンの搬入などの仕事をして、店にいる時間はほんのわずかです。」
「そうかそれで出会っていなかったのか。そう言えば本堂の前に外国人女性が販売しているパン屋があった。あれがラミデュパンだったのか?!」
「そうですよ。」・・・もちろん、こう言って教えてくれたのはヴィ氏です。彼女ではありません。

最近はどこから来ているかは問わないで留学生と聞いただけで反応する私ですから、片言の日本語もできない本国からの留学生を支援しているヴィ氏になおのこと関心をもったのです。
「いえ、私の方から積極的にしているのではなくて、探して援助を求めてきた者にはできることをするだけです。無理に抱え込まないです。」
この辺のスタンスも興味深い。

彼女は一目で外国人と分かる容姿をしています。
その彼女におなじみさんたち?は、ほとんど違和感なく日本語で話しかけて買っていく。勿論言葉はゆっくりとジェスチャーも交えてですが。
ブログを見ていただいているみなさんにしてみれば「当たり前でしょ。」と思われるのでしょうが・・・。

この若者にも日本でのよい留学生活がありますように。

また、お会いしましょう。
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- 2012/12/02(日) 00:36:22|
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2012年10月31日(水)〜11月5日(月)まで、Gallery Take twoでグループ展がありました。ある美術系大学3回生によるグループ展覧会です。「食」をテーマにしたイラストレーション、立体作品が展示されていました。
私がお訪ねした時は4名のうちたまたまこのお二人が在廊されていました。
(⇔)

この方は、初めて制作したという体関節人形を展示していました。
人形自身が苺のショートケーキのイメージでつくられていました。

京都にはいくつかの美術系大学があります。その中ではイラストは相対的に盛んな分野だと思います。
この方はかなりメルヘンタッチの絵と日本の童画的な絵がお得意のようです。

この方の服装は青系の色を基調としてコーディネートされていました。なかなかのセンスではないでしょうか。

リンゴの家から漏れてくる灯りが、楽しそうな和やかな内部の空気を感じさせ、兎が明けた扉から漏れる光は帰ってくるものをやさしく迎えてくれる雰囲気です。

「食」をテーマにしたときに飢えや闘争や、安全に食べられない食べ物や水のことを連想しなくてよいということは、幸せなことですが・・・。


ここにおられない方の作品には、母子がこれからテーブルを囲んで食事を始めようとし、母親が子供の器に食べ物を盛っている場面を描いているものがありました。
食べ物は「鍋料理」でした。
そして誰もいないテーブルの角には箸が一膳並べられていて、ご飯茶碗は置かれていませんでした。
この食卓は何を意味していたのでしょうか。

私は学生のこうした展示会場に行くと、「仲間の作品をお互いに評価しあって話し合う機会を設けること」を度々進言しています。

学生時代に相互批判を経験することはとても大切なことだと思います。
お互いの良さを認め合い自らの弱点を謙虚に認めることが成長のカギですから。また民主主義の土台ですしね。
(⇔)

ネットやブログで右翼的な発言をしている若者にはこうした相互批判の経験が不足しているのではと感じさせるものが余りに多いと思います。
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- 2012/12/01(土) 00:49:18|
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